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密教文化 Vol. 2008 No. 221 002清水 明澄「唐土における『大日経』注釈書の成立過程――『温古序』を中心として―― P49-72,128」

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(1)

-﹃

て-清

は じ め に ﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 仏 神 変 加 持 経 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 大 日 経 ﹄ と 略 称 す) の 注 釈 書 で あ る ﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 仏 経 疏 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 疏 ﹄ と 略 称 す) と ﹃ 毘 盧 遮 那 成 仏 神 変 加 持 経 義 釈 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 義 釈 ﹄ と 略 称 す) の 成 立 過 程 に 関 し て は 、 従 来 ﹃ 疏 ﹄ を 智 假 と 温 古 が 再 治 し た も の が ﹃ 義 釈 ﹄ で あ る と い う 前 提 の 下 に 考 察 が な さ れ て き た 。 今 、 試 み に ﹃ 密 教 大 辞 典 ﹄ の ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹂ の 項 を み る な ら ば 、 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ 二 十 巻 、 善 無 畏 三 蔵 口 説 、 一 行 阿 閣 梨 記 。 弘 法 大 師 請 来 。 具 に は 大 毘 盧 遮 那 成 仏 経 疏 と 云 ひ 、 略 し て 大 疏 と 称 す 。 大 日 経 前 六 巻 三 十 一 品 の 註 書 な り 。 ( 中 略) 善 無 畏 開 元 十 三 年 大 日 経 七 巻 翻 訳 の 後 、 一 行 阿 閣 梨 に こ れ を 講 授 す 、 阿 閣 梨 そ の 口 説 を 記 し て 本 書 を 作 る 、 然 る に 未 だ 再 治 に 及 ば ず し て 開 元 十 五 年 九 月 寂 す 。 後 、 弟 子 の 智 撮 ・ 温 古 (1) 等 遺 命 を 稟 け て こ れ を 再 治 し て 義 釈 と 名 く 、 台 密 に は 専 ら こ れ を 依 用 す 、 慈 覚 ・ 智 証 等 の 請 来 な り 。 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し て

(2)

-密 教 文 化 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ 十 四 巻 、 一 行 記 。 善 無 畏 三 蔵 の 口 説 に よ り て 、 大 日 教 前 六 巻 を 釈 せ る 書 な り 、 そ の 草 本 は 廿 巻 あ り 、 大 日 経 疏 と (2) 称 す 。 一 行 寂 後 智 撮 ・ 温 古 等 更 に 再 治 し て 大 日 経 義 釈 と 題 す 。 と あ る 。 つ ま り 、 (1) ﹃ 疏 ﹂ 二 十 巻 は 、 善 無 畏 に よ る ﹃ 大 日 経 ﹄ の 口 説 を 一 行 が 記 し た も の で あ る (2) 一 行 の 没 後 に 智 假 と 温 古 が ﹃ 疏 ﹄ を 再 治 し た も の が ﹃ 義 釈 ﹄ で あ る と い う 二 点 に ま と あ る こ と が で き る 。 一 方 、 清 田 寂 雲 ・ 長 部 和 雄 両 氏 に よ っ て 、 ﹃ 疏 ﹄ が 善 無 畏 の 講 説 を 一 行 が 筆 受 し た と す る 説 に は 異 論 が 呈 さ れ る に (3) 至 っ た 。 だ が 、 現 存 す る 複 数 の 写 本 が ど の よ う な 順 で 成 立 し た か に つ い 、て は 、 依 然 と し て 不 明 の ま ま で あ る 。 ま た 、 智 撮 と 温 古 が ﹃ 疏 ﹄ を 再 治 し た と す る(2) の 説 に も 問 題 が あ る と 考 え る 。 そ こ で 、 本 稿 で は 、 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ の 冒 頭 に 付 さ れ て い る ﹃ 毘 盧 遮 那 成 仏 神 変 加 持 経 義 釈 序 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ と 略 称 す) を 中 心 と し て ﹃ 大 日 経 ﹂ 注 釈 書 の 成 立 過 程 に 一 考 を 呈 し た い 。 一 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 再 検 討 先 に 述 べ た 通 り 、 ﹃ 疏 ﹄ を 智 假 と 温 古 が 再 治 し た も の が ﹃ 義 釈 ﹄ で あ る と い う の が 伝 統 説 で あ っ た 。 こ の 説 を 採 る 最 古 の 記 録 は 、 管 見 で は 、 安 然 撰 ﹃ 胎 蔵 金 剛 菩 提 心 義 略 問 答 抄 ﹄ ( ﹃ 菩 提 心 義 抄 ﹄) で あ り 、 ﹁ 此 義 釈 本 三 蔵 説 。 一 行 記 。

(3)

(4) 智 撮 治 。 温 古 再 治 。 ﹂ と し て 、 智 撮 と 温 古 の 治 定 を 明 言 し て い る 。 で は 、 そ の 智 撮 ・ 温 古 と は 一 体 ど の よ う な 人 物 で あ ろ う か 。 遼 の 覚 苑 撰 ﹃ 大 日 経 義 釈 演 密 砂 ﹂ で は 、 ﹃ 開 元 釈 教 録 ﹄ に 見 え る 智 厳 ・ 温 古 と 同 一 人 物 と 見 な す が 、 ﹃ 開 元 釈 教 録 ﹄ に よ る 彼 ら の 事 蹟 で は ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 作 成 に 携 わ っ (5) た こ と は 述 べ ら れ て い な い 。 ﹃ 義 釈 ﹄ と 智 撮 ・ 温 古 と の 接 点 が 見 出 せ る の は 、 円 仁 請 来 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 後 述) の 冒 頭 に 付 さ れ て い る ﹃ 温 古 序 ﹂ で あ る 。 そ こ で 、 次 に ﹃ 温 古 序 ﹄ の 全 文 を 見 て み る こ と に し よ う 。 持 明 蔵 宗 、 條 流 を 分 っ て 、 伝 訳 す る こ と 久 し 。 世 の 学 者 有 相 を 存 す る こ と 多 く し て 、 中 道 に 契 ふ こ と 牢 な り 。 そ の 喩 伽 の 行 法 は 隠 れ て 未 だ 明 ら か な ら ず 。 夫 れ 法 流 の 通 ぜ ざ る は 弘 道 の 者 の 憂 い な り 。 此 の 毘 盧 遮 那 経 は 、 す な わ ち 秘 蔵 の 円 宗 に し て 、 深 く 実 相 に 入 り 、 衆 教 の 源 た り 。 そ れ 中 天 竺 の 三 蔵 あ り 。 輸 婆 迦 羅 僧 詞 と 字 し 、 唐 に は 善 無 畏 と 号 す 。 業 は 八 蔵 を か ね 、 名 は 五 天 に 冠 た り 。 こ の 経 を 伝 受 し て 、 ま こ と に 宗 匠 た り 。 こ の こ ろ 詔 有 り て 、 こ れ を 迎 え て 常 に 雇 従 と な す 。 禅 師 一 行 は 命 世 の 生 な り 。 明 鑑 縦 達 智 周 変 通 す 。(1) 今 上 れ を 屈 し て 、 久 し く 中 抜 に 宴 す 。 具 に は 国 史 の 載 す る 所 の 如 し 。 三 蔵 法 宝 を 緬 す る の 嚢 な る こ と を 聞 き て 、 起 予 の 請 を 思 い 、 詔 を 奉 じ て 三 蔵 と こ の 経 を 訳 出 し 、 な お 筆 受 を な す 。 訳 語 の 比 丘 宝 月 、 諸 の 教 相 に 練 れ 、 善 く 方 言 を 解 す 。 禅 師 に 非 ざ れ ば 、 其 の 幽 関 を 拍 く こ と あ た わ ず 。 三 蔵 に 非 れ ば 能 く 其 の 至 蹟 を 揚 ぐ る こ と 莫 し 。 此 の 中 つ ぶ さ に 三 乗 の 学 処 及 び 最 上 乗 持 明 の 行 法 を 明 す 。 学 者 を し て 世 間 の 相 性 お の ず か ら 無 生 な る こ と を 知 ら し め ん と 欲 す る が 故 に 、 有 為 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

(4)

て-密 教 文 化 に 因 寄 せ て 広 く 無 相 を 示 す 。 二 推 藪 し て 以 て 法 界 の 縁 起 を つ く す の み 。 ま さ に 知 る べ し 。 無 量 の 事 あ ら ゆ る 文 言 指 帰 に 結 会 す れ ば 秘 密 の 蔵 に あ ら ざ る 者 無 き な り 。 分 て 三 十 一 品 と な す 。 な お 持 諦 の 者 の 文 を 守 り て 、 意 を 失 わ ん こ と を 慮 っ て 、 禅 師 ま た 三 蔵 に そ の 義 を 解 釈 せ ん こ と を 請 い 、 随 っ て 、 こ れ を 録 す る に 、 言 と し て 窮 め ざ る こ と 無 く 、 法 と し て 尽 さ ざ る こ と 無 し 。 浅 秘 の 両 釈 を 挙 げ て 、 衆 経 の 微 言 を 会 す 。 支 分 に 疑 あ れ ば 、 重 ね て 捜 決 を 経 、 事 法 ・ 図 位 具 に 其 後 に つ ら ぬ 。(2) 次 に 文 を 刷 補 し 、 目 し て 義 釈 と な し 、 勒 し て 十 四 巻 と 成 す 。 梵 文 に 一 二 の 重 訣 あ る を 以 て 、 繊 芥 紆 回 す 。 開 元 十 五 年 禅 師 没 化 す 。 都 釈 門 威 儀 智 假 法 師 は 、 禅 師 と 同 じ く 業 を 無 畏 に 受 け 、 ま た 梵 語 に 閑 ふ 。 禅 師 ま さ に 死 せ ん と す る の 日 、 法 師 に 諸 梵 本 を 求 あ て 再 び 三 蔵 に 請 て 、 こ れ を 詳 に せ ん こ と を 嘱 付 す 。(3) 法 師 そ の 文 墨 を 悶 し て 、 本 を 訪 ふ に 、 未 だ こ れ を 獲 ず 。 し ば ら く し て 、 三 蔵 世 を 棄 つ 。 盗 詞 す る に 所 無 し 。 痛 い 哉 。 禅 師 終 に 臨 み て 、 こ の 経 の 幽 宗 未 だ 宣 術 す る に 及 ば ざ る を 歎 じ 、 遺 恨 す る 所 あ り 。 良 時 会 い 難 し と は 信 な り 。 そ れ 経 の 中 の 文 に 隠 伏 あ り て 、 前 後 相 い 明 し 事 理 互 に 陳 ふ 。 是 れ 仏 の 方 便 な り 。 若 し 師 授 せ ず ば 、 未 だ 義 釈 を 尋 ね ず し て 、 能 く そ の 門 に 遊 入 す る 者 は 、 未 だ こ れ 有 ら ず 。(4) 温 古 か つ て 、 諸 賢 の 末 騨 に 接 り て こ の 経 を 預 り 聞 く 。 絶 待 の 妙 門 に 至 り て は 、 敢 て 窺 い 測 る に 非 ず 。 愚 昧 を 揆 ら ず 、 心 を 注 い で 帰 仰 す 。 す な わ ち 、 (6) 疎 拙 の 思 を 以 て 、 そ の 本 末 を 叙 す 。 ( 傍 線 部 ・ 記 号 筆 者 、 以 下 同) ま ず 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 年 代 を み て お こ う 。 傍 線 部(1) で は 、 一 行 を 招 聰 し た 皇 帝 、 す な わ ち 玄 宗 皇 帝 に 対 し て ﹁ 今 上 ﹂ と い う 表 現 が 用 い ら れ て い る 。 し た が っ て 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ は 、 玄 宗 皇 帝 が 退 位 し た 天 宝 十 五 年 (七 五 六 年) 以 前 に 著 さ れ た こ と が わ か り 、 ﹁ し ば ら く し て 、 三 蔵 世 を 棄 つ 。 ﹂ ( 傍 線 部(3)) と し て 、 善 無 畏 の 遷 化 し た こ と に も 触 れ て い

(5)

る か ら 、 開 元 二 十 三 年 ( 七 三 五 年) 以 後 に 書 か れ た こ と が わ か る 。 つ ま り 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 文 言 に 従 う 限 り 、 そ の 成 立 (7) は 、 七 三 五 年 か ら 七 五 六 年 ま で の 間 で あ る 。 ま た 、 こ れ に よ っ て 、 ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 の 大 体 を 窺 い 知 る こ と が で き る 。 ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 に 関 係 す る こ と を 要 約 す る と 、 ( A) 善 無 畏 と 一 行 は (玄 宗 の) 詔 に よ っ て ﹃ 大 日 経 ﹄ を 訳 出 し た 。 ( B) 一 行 は さ ら に ﹃ 大 日 経 ﹄ の 注 釈 書 を 著 し 、 ﹁ 義 釈 ﹂ と い う 標 題 を 付 け て 、 十 四 巻 の 本 に ま と め あ げ た 。 け れ ど も 、 梵 文 原 典 に 欠 陥 が あ る こ と を 残 念 に 思 っ て い た 。 ( C) 一 行 が 志 半 ば に し て 亡 く な っ た の で 、 同 門 の 智 撮 が 引 き 継 い で 、 梵 本 を 探 し た が 見 つ か ら な か っ た 。 し ば ら く し て 師 で あ る 善 無 畏 も 遷 化 さ れ た の で 、 教 え を 乞 う 方 が い な く な っ て し ま っ た 。 ( 著 者 で あ る) 温 古 は 、 以 前 、 諸 賢 の 末 席 に い た け れ ど も 、 そ の 奥 義 に つ い て は 、 十 分 に 理 解 し よ う と す る 努 力 は し な か っ た 。 と い う 、 以 上 三 つ の 事 柄 に ま と め る こ と が で き る 。 ( B) か ら わ か る よ う に 、 ﹁ 次 に 文 を 棚 補 し 、 目 し て 義 釈 と な し 、 勒 し て 十 四 巻 と 成 す 。 ﹂ (傍 線 部(2)) と あ る こ と か ら 、 一 行 は 目 ら の 著 し た 注 釈 書 に ﹁ 義 釈 ﹂ と い う 標 題 を 付 け 、 十 四 巻 の 本 に ま と め あ げ た の で あ る 。 こ こ で は 、 ﹃ 疏 ﹄ に は 全 く ふ れ ら れ て い な い 。 加 え て 、 序 の 本 文 に 温 古 が 登 場 す る の は 傍 線 部(4) だ け で あ る 。 す な わ ち ﹁ 温 古 か つ て 、 諸 賢 の 末 騨 に 接 り て こ の 経 を 預 り 聞 く 。 絶 待 の 妙 門 に 至 り て は 、 敢 て 窺 い 測 る に 非 ず 。 愚 昧 を 揆 ら ず 、 心 を 注 い で 帰 仰 す 。 す な わ ち 、 疎 拙 の 思 を 以 て 、 そ の 本 末 を 叙 す ﹂ と あ り 、 温 古 が 再 治 を 行 っ た こ と に つ い て は 一 言 も 述 べ て い な い 。 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し て-

(6)

-53-密 教 文 化 (8) 清 田 寂 雲 氏 は こ の 点 に 注 目 さ れ 、 温 古 再 治 の 事 実 に つ い て 疑 義 を 呈 さ れ る に 至 っ た 。 こ こ で 、 氏 の 論 考 を 補 足 し て お き た い 。 そ れ は 、 温 古 と 同 様 、 智 撮 に つ い て も 治 定 を 行 っ た こ と が 明 記 さ れ て い な い こ と で あ る 。 ﹁ 法 師 そ の 文 墨 を 悶 し て 、 本 を 訪 ふ に 、 未 だ こ れ を 獲 ず 。 し ば ら く し て 、 三 蔵 世 を 棄 つ 。 次 口 詞 す る に 所 無 し 。 痛 い 哉 。 ﹂ ( 傍 線 部(3)) と あ り 、 智 撮 は 梵 文 原 典 を 探 し た が 見 つ け る こ と が で き な か っ た と い い 、 治 定 を 行 っ た か 否 か に つ い て は 明 確 で は な い の で あ る 。 以 上 の ﹃ 温 古 序 ﹄ の 内 容 に 従 う な ら ば 、 一 行 が ﹃ 疏 ﹄ と い う 注 釈 書 を 著 し た こ と も 、 智 撮 や 温 古 が 再 治 を 行 っ た こ と も 判 然 と し な い の で あ る 。 こ れ は 、 ど の よ う に 解 釈 し た ら よ い の で あ ろ う か 。 は た し て 事 実 と み な し て よ い の で あ ろ う か 。 ま た ﹃ 温 古 序 ﹄ に 記 載 が な い に も 関 わ ら ず 、 安 然 が 智 撮 と 温 古 の 再 治 を 明 言 す る 理 由 は 何 故 で あ ろ う か 。 以 下 、 項 を 改 め て 考 察 し て い く こ と に し よ う 。 二 、 一 行 が 著 し た 注 釈 書 の 標 題 に つ い て は じ め に 、 一 行 が 著 し た 注 釈 書 は い か な る 標 題 で あ っ た か に つ い て 確 認 し て お き た い 。 す で に 述 べ た 通 り 、 ﹃ 温 古 (9) 序 ﹄ で は 、 一 行 自 ら ﹁ 義 釈 ﹂ と い う 標 題 を 付 し た と し て い た 。 だ が 、 ﹃ 玄 宗 朝 翻 経 三 蔵 善 無 畏 贈 鴻 臆 卿 行 状 ﹄ ・ ﹃ 開 元 (10)(11)(12) 釈 教 録 ﹄ ・ ﹃ 貞 元 新 定 釈 教 目 録 ﹄ ・ ﹃ 大 唐 東 都 大 聖 善 寺 故 中 天 竺 国 善 無 畏 三 蔵 和 尚 碑 銘 井 序 ﹂ ・ ﹃ 大 唐 貞 元 続 開 元 釈 教 (13)(14) 録 ﹄ ・ ﹃ 略 付 法 伝 ﹂ と い っ た 唐 代 の 史 伝 及 び 僧 伝 に は 、 一 行 が ﹃ 大 日 経 ﹄ の 注 釈 書 を 著 し た こ と 自 体 が 記 さ れ て い な

(7)

い 。 よ っ て 一 行 自 身 が 付 し た 標 題 は 判 然 と し な い 。 一 方 、 大 和 八 年 (八 三 四) 成 立 に な る ﹃ 海 雲 記 ﹄ ( ﹃ 両 部 大 法 相 承 15)(16) 師 資 付 法 記 ﹄) で は ﹁ 義 釈 ﹂ と あ り 、 ﹃ 宋 高 僧 伝 ﹄ で は 、 ﹁ 疏 ﹂ と あ る 。 す な わ ち 、 中 国 撰 述 の 記 録 に よ る と 、 そ の 標 題 は ﹁ 義 釈 ﹂ あ る い は ﹁ 疏 ﹂ と い う こ と に な る 。 で は 、 日 本 撰 述 の も の で は い か に 考 え ら れ て き た か 。 安 然 撰 の ﹃ 諸 阿 閣 梨 真 言 密 教 部 類 総 録 ﹂ (以 下 、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ と 略 称 す) で は 、 以 下 の 八 本 を 挙 げ る 。 (1) 大 毘 盧 遮 那 経 義 記 十 巻 無 畏 釈 一 行 記 山 階 玄 防 僧 正 (2) 大 毘 盧 遮 那 経 義 記 七 巻 上 下 十 四 巻 西 大 徳 清 大 徳 (3) 大 毘 盧 遮 那 経 義 記 七 巻 上 下 十 四 巻 叡 山 本 師 治 定 (4) 大 毘 盧 遮 那 経 疏 十 四 巻 在 貞 観 寺 高 野 海 贈 僧 正 (5) 大 毘 盧 遮 那 経 疏 二 十 巻 海 贈 僧 正 治 定 (6) 大 毘 盧 遮 那 経 義 釈 十 四 巻 有 温 古 序 叡 山 慈 覚 大 師 (7) 大 毘 盧 遮 那 経 義 釈 十 四 巻 有 温 古 序 入 唐 遍 明 和 上 送 来 同 叡 和 上 本 異 仁 和 上 本 (8) 大 毘 盧 遮 那 経 義 釈 十 巻 叡 山 山 王 和 上 私( 17) 云 上 八 同 疏 異 本 こ れ に よ る と 、 ﹁ 義 記 ﹂ ・ ﹁ 疏 ﹂ ・ ﹁ 義 釈 ﹂ と い っ た 三 本 が 伝 承 し て い た こ と が わ か る 。 こ の う ち 、 今 日 、 完 本 が 伝 存 (18) す る の は 、(5) の 二 十 巻 本 ﹃ 疏 ﹄ 、(6) の 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 、(8) の 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ の 三 本 だ け で あ る 。 な お 、(2) の 七 巻 本 (19) (上 下 十 四 巻) ﹃ 義 記 ﹄ は 、 不 完 全 な も の で は あ る が 、 青 蓮 院 吉 水 蔵 に 伝 来 す る 古 写 本 に よ っ て 、 そ の 大 体 を 知 る こ と が で き る 。 ま た 、(6)(7) の ﹃ 義 釈 ﹄ に は 、 ﹁ 有 温 古 序 ﹂ と い う 註 記 が な さ れ て い る こ と か ら 、 両 本 に は ﹃ 温 古 序 ﹄ が 付 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程 -﹃温 古 序 ﹄ を 中 心 と し て -

(8)

-55-密 教 文 化 さ れ て い た こ と を 知 り う る 。 他 方 、(8) の ﹁ 叡 山 山 王 和 上 ﹂ 、 す な わ ち 、 円 珍 請 来 の ﹃ 義 釈 ﹄ に は ﹃ 温 古 序 ﹄ の 存 在 は 記 さ れ て い な い 。 と も あ れ 、(1) 玄 肪 請 来 本 ﹃ 義 記 ﹄ 十 巻 か ら 順 に み て み よ う 。 玄 肪 が わ が 国 に 帰 朝 し た の は 開 元 十 五 年 ( 七 二 七) の (20)(21) 三 月 の こ と で あ り 、 善 無 畏 が 没 し た の は こ の 年 の 十 一 月 の こ と で あ る 。 つ ま り 、 玄 肪 は 善 無 畏 の 没 す る 以 前 に 帰 朝 し て い る 。 ﹃ 温 古 序 ﹄ で は 、 一 行 が ﹁ 義 釈 ﹂ と い う 標 題 を 定 め て か ら 、 善 無 畏 が 亡 く な る ま で に 標 題 の 変 更 や 巻 数 の 変 遷 が あ っ た と い う こ と は 全 く 記 し て い な い 。 し た が っ て 、 玄 肪 が 請 来 し た 十 巻 本 の ﹃ 義 記 ﹄ ((1)) は 、 一 行 自 身 の 著 し た 注 釈 書 と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。 だ が 、 こ の 本 の 標 題 は ﹁ 義 記 ﹂ と あ り 、 ﹁ 義 釈 ﹂ で は な い 。 ま た 巻 数 に つ い て も 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ で は 十 四 巻 と な っ て お り 、 玄 肪 が 請 来 し た の は 十 巻 本 と い う 。 も っ と も 、 こ の 玄 肪 請 来 本 の ﹃ 義 記 ﹄ は 現 存 し て お ら ず 、 玄 防 の 請 来 録 の 中 に も 記 載 が 見 ら れ な い 。 つ ぎ は 、(2) の 徳 清 請 来 本 ﹃ 義 記 ﹄ で あ る が 、 円 珍 撰 の ﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 道 経 義 釈 目 録 ﹄ (以 下 、 ﹃ 義 釈 目 録 ﹂ と 略 称 す) の 記 す と こ ろ に よ れ ば 、 ﹃ 義 記 ﹄ と い う 外 題 を 持 ち な が ら 、 (22) 梵 本 毘 盧 遮 那 成 仏 経 抄 記 (23) 大 毘 盧 遮 那 経 義 記 (24) 大 毘 盧 遮 那 経 釈 義 (25) と い う 複 数 の 内 題 が 見 ら れ 、 い ず れ も ﹁ 義 釈 ﹂ と は し て い な い 。 ま た 、 徳 清 の 入 唐 は 、 大 暦 七 年 (七 七 二) で 、 既 に ﹃ 温 古 序 ﹄ は 成 立 し て い る は ず で あ る 。 し か し な が ら 、 徳 清 系 統 の 写 本 と さ れ る 青 蓮 院 吉 水 蔵 の ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 釈 義 ﹄ に は ﹃ 温 古 序 ﹄ は 付 さ れ て い な い 。

(9)

空 海 請 来 の ﹃ 疏 ﹄ 二 十 巻 ((5)) に つ い て 見 る と 、 ﹃ 義 釈 目 録 ﹄ で は ﹁ 疏 ﹂ と い う 外 題 及 び 内 題 で 統 一 さ れ て い る 。 し か し な が ら 、 現 存 最 古 の 写 本 で あ る 仁 和 寺 蔵 嘉 保 二 年 ( 一 〇 九 五) 写 本 の 巻 第 二 十 の 尾 題 に は ﹁ 大 毘 盧 遮 那 経 釈 義 ﹂ (26) と 記 さ れ て い る か ら 、 問 題 が な く は な い 。 ま た 、 こ れ に も ﹃ 温 古 序 ﹄ は 付 さ れ て い な い 。 加 え て 、 ﹃ 義 釈 目 録 ﹄ に 記 (27) 載 さ れ る 空 海 請 来 の ﹃ 疏 ﹄ に は 、 ﹁ 沙 門 一 行 禅 師 述 記 ﹂ も し く は ﹁ 一 行 禅 師 述 記 ﹂ と す る 撰 号 が 複 数 見 ら れ る 。 正 し く ﹃ 疏 ﹄ が 一 行 の 著 し た 書 で あ る な ら ば 、 自 ら の こ と を ﹁ 禅 師 ﹂ と 表 記 す る は ず が な い 。 明 ら か に 、 こ の 撰 号 は 一 行 以 外 の 者 に よ っ て 書 か れ た も の で あ る 。 ﹃ 義 釈 目 録 ﹄ に 記 載 さ れ て い る ﹃ 疏 ﹄ と 現 存 す る 写 本 と の 関 係 に つ い て は 、 今 後 の 研 究 に お い て 検 討 し て い き た い 。 さ て 、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ が 記 す 八 本 の う ち 、 完 本 が 伝 存 す る に は(5) ﹃ 疏 ﹄ 二 十 巻 ・(6) ﹃ 義 釈 ﹄ 十 四 巻 ・(8) ﹃ 義 釈 ﹄ 十 巻 の 三 本 で あ っ た 。 こ れ ら の 内 容 を 比 較 す る と 、 息 障 品 ・ 普 通 真 言 蔵 品 ・ 世 間 成 就 品 ・ 悉 地 出 現 品 の 四 品 に わ た っ て 、 (28) (5) の ﹃ 疏 ﹄ と(6)(8) の ﹃ 義 釈 ﹄ と に は 大 き な 相 違 が 見 ら れ る 。 さ ら に 、 こ の 相 違 に は 、 次 の よ う な 特 徴 が 見 ら れ る 。 ( 一) ﹃ 義 釈 ﹄ の 内 容 は 、 ﹃ 疏 ﹄ の 内 容 を 踏 ま え た 上 で 、 大 幅 な 加 筆 が な さ れ て い る 。 ( 二) ﹃ 金 剛 頂 喩 伽 中 発 阿 褥 多 羅 三 貌 三 菩 提 心 論 ﹄ (以 下 、 ﹃ 菩 提 心 論 ﹄ と 略 称 す) に は 、 ﹁ 毘 盧 遮 那 経 疏 釈 に 准 ぜ ば ﹂ (29) と し て 、 阿 字 の 五 転 を ﹃ 法 華 経 ﹄ の 開 示 悟 入 に 配 当 す る 記 述 が み ら れ る 。 こ の 阿 字 の 五 転 の 記 述 は 、 ﹃ 義 釈 ﹄ (30) の 悉 地 出 現 品 に だ け み ら れ る も の で 、 ﹃ 疏 ﹄ に は 見 ら れ な い 。 (三) ﹃ 疏 ﹄ が 引 用 す る ﹃ 大 日 経 ﹄ の 本 文 は 現 行 の ﹃ 大 日 経 ﹄ に 合 致 し な い 部 分 が 多 い の に 対 し て 、 ﹃ 義 釈 ﹄ の そ れ (31) は 現 行 の ﹃ 大 日 経 ﹄ の 漢 訳 文 に ほ ぼ 合 致 す る 。 こ れ ら 三 つ の 相 違 す る 点 の 結 果 を 考 え 合 わ せ る な ら ば 、 ﹃ 疏 ﹄ ← ﹃ 義 釈 ﹄ の 順 で 成 立 し た と 考 え ら れ る 。 ま た こ の 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

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て-密 教 文 化 (32) 間 に 、 息 障 品 か ら 悉 地 出 現 品 に い た る 四 品 に 、 大 幅 な 治 定 が 行 わ れ た こ と も う か が い 知 れ よ う 。 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 記 す と こ ろ に よ れ ば 、 梵 文 に 一 二 の 重 鉄 が あ り 、 智 撮 が 引 き 継 い だ 、 と し て い る 。 も っ と も 、 ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹂ に お け る 息 障 品 以 下 の 四 品 に み ら れ る 相 違 は 、 ﹁ 一 二 の 重 鉄 ﹂ と い っ た レ ベ ル の も の で は な い 。 だ が 、 智 假 と 温 古 が 治 定 を 行 っ た 部 分 、 あ る い は 前 章 で 述 べ た 、 智 撮 と 温 古 が 実 際 に 治 定 を 行 っ た か ど う か に つ い て さ え 、 現 時 点 で は 明 瞭 で は な い 。 今 は 仮 に 、 一 行 と 同 時 代 の 者 、 あ る い は そ れ 以 降 の 者 が 再 治 し た 箇 所 と し て お き た い 。 そ し て 、 再 治 者 の 立 場 、 つ ま り 、 一 行 の 遺 し た 注 釈 書 を 再 編 集 す る と い う 作 業 に 関 し て 、 再 治 者 が 先 師 の 遺 稿 を 容 赦 な く 削 る と は 考 え に く い 。 そ の 点 を 考 え て も 、 ﹃ 疏 ﹄ よ り も 分 量 の 多 い ﹃ 義 釈 ﹄ の 方 が 再 治 さ れ た も の 、 つ ま り 後 に 成 立 し た も の で あ る と 考 え ら れ る 。 で は 、 一 行 自 身 の 著 し た 注 釈 書 と ば 、 ﹃ 疏 ﹂ で あ っ た の か 。 こ れ に は 若 干 の 疑 義 が 残 る 。 す で に 、 清 田 寂 雲 氏 等 の 指 摘 す る と こ ろ で は あ る が 、 現 存 す る 徳 清 系 統 の 写 本 と さ れ る ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 釈 義 ﹄ を 見 る 限 り 、 内 題 が 統 一 さ れ て (33) い な い 等 の 体 裁 上 の 不 備 が 見 ら れ る 。 ﹃ 義 釈 目 録 ﹄ に お い て も 、 徳 清 本 に 複 数 の 内 題 が 見 ら れ る と い う こ と は 、 右 に 挙 げ た 通 り で あ る 。 ま た 、 円 珍 は 冒 頭 の 縁 起 に お い て 、 最 澄 が 徳 清 本 を 閲 覧 し た 際 に 、 内 題 が 区 区 と し て い た の で 書 (34) 写 す る 際 に 外 題 に 准 じ て こ れ を 加 え た と し て い る 。 こ れ に 対 し 、 ﹃ 疏 ﹄ は 、 現 存 最 古 の 仁 和 寺 蔵 本 で は 、 尾 題 が 異 な っ (35) て い た け れ ど も 、 徳 清 本 程 の 未 整 備 な 状 態 が 残 っ て い る と は 言 い 難 い 。 以 上 を 総 合 す る と 、 一 行 が 著 し た ﹁ 義 釈 ﹂ と 題 す 注 釈 書 と ﹃ 疏 ﹄ と の 間 に は ﹃ 義 記 ﹄ と い う 注 釈 書 が 存 在 し た 可 能 性 が あ る 。 こ の こ と を 図 示 し て み る と 、 一 行 が 著 し た ﹃ 義 釈 ﹄ ( 未 再 治 系) ← (﹃ 義 記 ﹄ ・ ﹃ 釈 義 ﹄ な ど 、 未 再 治 系) ← ﹃ 疏 ﹄ ( 未 再 治 系) ← 十 巻 本 ・ 十 四

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巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) と い っ た 成 立 過 程 を 提 示 し て み た い 。 と は い え 、 徳 清 請 来 本 ﹃ 義 記 ﹄ の 全 文 と ﹃ 疏 ﹄ ・ ﹃ 義 釈 ﹄ の 写 本 と の 関 係 を 明 確 に す る ま で は 、 一 つ の 仮 説 に と ど め て お か な け れ ば な ら な い 。 三 、 伝 統 説 へ の 疑 問 ﹃ 疏 ﹄ ← ﹃ 義 釈 ﹄ へ の 過 程 で 、 大 幅 な 治 定 が 行 わ れ た こ と は 間 違 い な い 。 で は 、 こ の 再 治 を 行 っ た 人 物 と は 果 た し て 智 撮 と 温 古 で あ ろ う か 。 こ こ で は そ の 点 を 考 え て い く こ と に す る 。 ま ず 、 安 然 を は じ め と す る 伝 統 説 に よ る 成 立 過 程 を 図 示 す る と 次 の 様 に な る 。 一 行 が 著 し た 注 釈 書 ﹃ 疏 ﹄ の 成 立 ← 智 撮 の 治 定 ← 温 古 の 再 治 ← 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 成 立 他 方 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ に 記 さ れ て い た の は 、 一 行 が 著 し た 注 釈 書 は ﹃ 義 釈 ﹄ ← 智 撮 は 梵 本 を 閲 覧 で き ず ← 温 古 は 、 注 釈 書 作 成 の 一 部 始 終 を 記 す ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 成 立 (十 巻 本 に つ い て は 記 載 ナ シ) と い う も の で あ っ た 。 し た が っ て 、 伝 統 説 は あ ま り に も ﹃ 温 古 序 ﹄ と か け は な れ た も の で あ り 、 そ の 根 拠 が 何 で あ っ た の か に 問 題 が 残 る 。 清 田 寂 雲 ・ 長 部 和 雄 両 氏 も 、 こ の 点 に 注 目 さ れ 、 ﹃ 疏 ﹄ を 一 行 が 著 し た と す る 東 密 の 見 解 を 疑 っ て お ら れ る 。 で は 、 な ぜ 安 然 は こ の よ う な 説 を 採 っ た の で あ ろ う か 。 こ れ に は お そ ら く ﹁ 序 文 、 つ ま り ﹃ 温 古 序 ﹄ を 著 し た 温 古 唐 土 に お け る ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程 -﹃温 古 序 ﹄ を 中 心 と し て

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-密 教 文 化 は 、 当 然 治 定 作 業 に も 参 加 し て い た で あ ろ う ﹂ と い う 推 測 が 加 わ っ て い る も の と 思 わ れ る 。 こ の 推 測 は 無 理 か ら ぬ こ と で は あ る が 、 こ こ で は 崔 牧 の ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 序 ﹄ を 一 例 と し て 考 え て み る こ と に し よ う 。 こ の 書 は ﹃ 大 日 経 ﹄ の 猿 猴 相 承 説 を 記 し た も の で あ る が 、 余 り に も 内 容 が 怪 奇 で あ る た め に 史 料 と し て の 信 頼 は 低 く 、 開 元 十 六 年 (七 二 八 年) の 識 語 に 関 し て も 疑 わ れ て い る 。 も っ と も ﹁ 大 毘 盧 遮 那 経 序 ﹂ と い う 標 題 か ら 、 お そ ら く こ れ は ﹃ 大 日 経 ﹄ の 序 文 と し て 著 さ れ た か 、 あ る い は 後 に ﹃ 大 日 経 ﹄ の 冒 頭 に 付 さ れ た と い う こ と は 想 像 に 難 く な い 。 だ が 、 こ れ を 根 拠 と し て 、 崔 牧 が ﹃ 大 日 経 ﹄ の 訳 出 に 携 わ っ た と す る 説 は 寡 聞 に し て 承 知 し な い 。 崔 牧 の ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 序 ﹄ に 関 し て は 、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ に 、 大 毘 盧 遮 那 経 序 行 胎 蔵 相 承 云 金 剛 手 付 掬 多 而 此 序 密(36) 云 北 天 竺 山 腹 為 風 吹 落 故 人 多 疑 と あ り 、 序 だ け が 別 に 記 載 さ れ て い る こ と か ら 、 こ れ が 本 来 別 本 と し て 存 在 し た こ と が う か が い 知 れ る の で あ る 。 つ ま り 、 序 文 を 書 い た 者 が 本 文 の 治 定 に 参 加 し て い る と は 必 ず し も 言 え な い の で あ る 。 で は 、 温 古 は 治 定 に 参 加 し た と 言 え る だ ろ う か 。 そ の 場 合 、 次 の 条 件 を 満 た さ な け れ ば な ら な い 。 す な わ ち 、 ﹁ ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 ﹂ と ﹁ ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 ﹂ と が 同 時 で な け れ ば 、 ﹁ 温 古 が 治 定 に 参 加 し た の で は な い か ﹂ と す る 推 測 が 成 り 立 つ 余 地 は な い 。 温 古 が 治 定 に 参 加 し た か 否 か を 考 え る に は 、 ど の 部 分 が 再 治 さ れ た か を 考 え る こ と が 重 要 で あ る と 考 え る 。 そ こ で 、 つ ぎ に 再 治 が 行 わ れ た 箇 所 に つ い て 考 え て み た い 。 円 珍 ・ 安 然 は 、 ﹁ 毘 盧 遮 那 経 疏 釈 に 准 ぜ ば ﹂ と し て ﹃ 菩 提 心 論 ﹄ に 引 用 さ れ て い る 文 章 、 す な わ ち ﹃ 義 釈 ﹄ に の み 存 在 す る 悉 地 出 現 品 で 阿 字 の 五 転 を ﹃ 法 華 経 ﹂ の 開 示 悟 入 に 配 当 す る 記 述 に よ り 、 ﹃ 義 釈 ﹄ が ﹃ 疏 ﹄ に 勝 る こ と を 述 べ て い る 。 し た が っ て 、 こ の 部 分 を 再 治 箇 所 と 見 な し て い る こ と が

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わ か る 。 ま た 、 清 田 ・ 長 部 両 氏 は 、 ﹃ 疏 ﹄ ・ ﹃ 義 釈 ﹄ 双 方 の 全 文 を 校 合 さ れ た 上 で 、 相 違 点 の 大 き い 息 障 品 ・ 普 通 真 言 蔵 品 ・ 世 間 成 就 品 ・ 悉 地 出 現 品 の 四 品 を 再 治 箇 所 と し て 指 摘 さ れ て い る 。 私 見 も 既 に 述 べ た 通 り 、 ど の 部 分 を 誰 が 校 訂 し た か が 明 確 で な い 限 り に お い て は 、 上 記 四 品 を 再 治 箇 所 で あ る と 見 な す の が 妥 当 で あ る と 考 え る 。 尚 、 こ の 四 品 に つ い て は 、 円 仁 請 来 の 十 四 巻 本 ・ 円 珍 請 来 の 十 巻 本 の 間 に は そ れ 程 大 き な 差 異 は 見 ら れ な い 。 し た が っ て 、 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 の ﹃ 義 釈 ﹄ は 再 治 系 の 本 と 見 な す こ と が で き る で あ ろ う 。 さ て 、 清 田 ・ 長 部 両 氏 は 未 再 治 系 ・ 再 治 系 の 分 類 を 次 の よ う に 見 な さ れ て い る 。 第 一 に 、 清 田 氏 の 説 は 、 (1) 一 行 の 著 し た ﹃ 義 釈 ﹄ ・ 徳 清 本 ﹃ 義 記 ﹄ ・ 空 海 本 ﹃ 疏 ﹄ の 未 再 治 系 (2) 智 撮 等 の 再 治 し た 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ (3)(1)(2) を 法 全 が 合 揉 治 定 し た 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ (37) と い う 三 つ に 分 類 し て お ら れ る 。 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ に つ い て 、(1)(2) を 合 揉 し た も の と 判 断 す る な ら ば 、 当 然 最 後 に 成 立 し た こ と に な る 。 成 立 過 程 を 図 示 す る な ら ば 、 ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ (再 治 系) ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) と い う 順 序 に な ろ う 。 第 二 に 、 長 部 氏 は 、 I 一 行 の 著 し た ﹃ 義 釈 ﹄ ・ 徳 清 本 ﹃ 義 記 ﹄ ・ 空 海 本 ﹃ 疏 ﹄ の 未 再 治 系 II 智 假 等 の 再 治 し た 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 唐 土 に お け る ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程 -﹃温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

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て-密 教 文 化 III 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ は ﹃ 温 古 序 ﹄ が 付 さ れ て い な い こ と か ら 、 再 治 系 で は あ る け れ ど も 、 体 裁 上 は 未 再 治 系 (38) と い う 三 つ に 分 け て お ら れ る 。 皿 を 、 再 治 系 で あ り な が ら 未 再 治 系 の 断 片 が 色 濃 く 残 っ て い る 、 と 解 す る と ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹂ ( 再 治 系) ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) あ る い は 、 ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ (再 治 系) ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) と い っ た 順 序 で 成 立 し た と 見 な し て お ら れ る と い え よ う 。 し か し な が ら 、 こ れ ら 両 説 に は 無 理 が あ る 。 ど ち ら の 場 合 も ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 と が ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 と が 同 時 で あ っ た こ と に は な ら な い か ら で あ る 。 ま ず 、 長 部 氏 の 解 釈 で あ れ ば 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 と ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 と 同 時 に は な ら な い 。 今 へ 氏 の 説 に よ っ て こ れ を 合 わ せ よ う と す る な ら ば 、 ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) ⇒ ﹃ 温 古 序 ﹄ 成 立 ( 温 古 の 治 定) あ る い は 、 ﹃ 疏 ﹂ な ど の 未 再 治 系 ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系)

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⇒ ﹃ 温 古 序 ﹄ 成 立 ( 温 古 の 治 定) と い う 成 立 過 程 と な り 、 前 者 の 場 合 、 未 再 治 系 か ら 再 治 系 の 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ま で の 大 幅 な 治 定 を 誰 が 行 っ た の か が わ か ら な い 。 ま た 後 者 の 場 合 で は 、 既 に 再 治 が 行 わ れ た は ず の 十 巻 本 に ﹃ 温 古 序 ﹄ が 付 さ れ な い 理 由 が わ か ら な い 。 次 に 、 清 田 説 で あ る が 、 同 様 に 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 と 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 を 同 時 と す る と 、 ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ (再 治 系) ⇒ ﹃ 温 古 序 ﹄ 成 立 ( 温 古 の 治 定) と い う 成 立 過 程 と な る 。 こ れ に よ る と 、 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ で 序 文 だ け が 切 り 離 さ れ た 理 由 が わ か ら ず 、 不 自 然 さ が 残 る 。 で は 、 ど の よ う な 成 立 過 程 で あ れ ば 、 こ れ ま で 見 て き た 記 録 と 齪 齪 を 来 た さ な い の で あ ろ う か 。 私 は 、 安 然 の 推 測 こ そ が 、 こ の 問 題 を 複 雑 化 さ せ て い る 最 大 の 原 因 で あ る と 判 断 す る 。 つ ま り 、 ﹃ 温 古 序 ﹂ の 成 立 と 十 四 巻 ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 は 同 時 で は な か っ た と 、 私 は 考 え る 。 四 、 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ と 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ と の 関 係 さ て 、 重 複 に な る が 、 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ に は 、 十 四 巻 本 の 冒 頭 に 付 さ れ て い る ﹃ 温 古 序 ﹄ が 見 ら れ な い 。 も し 仮 に 、 ﹃ 疏 ﹂ ← ﹃ 義 釈 ﹄ の 間 に 温 古 の 治 定 が あ っ た と す る な ら ば 、 当 然 十 巻 本 に も 同 じ く ﹃ 温 古 序 ﹄ が 付 さ れ る は ず で あ る 。 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

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て-密 教 文 化 円 珍 の ﹃ 義 釈 目 録 ﹂ を 見 る と 、 (39) 第 五 円 珍 随 身 本 一 部 十 巻 序 在 別 と 自 ら 請 来 し た ﹃ 義 釈 ﹂ 十 巻 に は 、 ﹁ 序 在 別 ﹂ と の 註 記 が み ら れ る 。 こ の 註 記 は 、 ﹁ ( 円 珍 が 請 来 し た 十 巻 の ﹃ 義 釈 ﹄ (40) に は) 序 が 別 本 と し て 存 在 し た ﹂ と 解 釈 で き る 。 そ し て 右 の 文 の 直 前 に は 、 円 仁 請 来 の 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ に つ い て 、 (41) 已 上 一 十 四 巻 者 。 此 総 持 院 本 。 即 是 慈 覚 大 師 従 長 安 所 伝 也 。 此 本 序 有 。 異 於 三 本 。 是 可 仰 重 欺 。 と し て い る 。 つ ま り 、 十 四 巻 本 に は 、 こ れ 以 前 に 挙 げ た 三 本 (徳 清 本 、 最 澄 治 定 本 、 空 海 本) と 違 っ て ﹁ 序 ﹂ が 存 在 し て い た と す る 。 徳 清 本 、 最 澄 治 定 本 、 空 海 本 に は な く 、 円 仁 本 に 付 さ れ て い る ﹁ 序 ﹂ で あ る か ら 、 円 珍 が い う ﹁ 序 ﹂ と は ﹃ 温 古 序 ﹄ を 指 す の だ と い う こ と が 見 て と れ よ う 。 つ ま り 、 円 珍 の 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ で は ﹃ 温 古 序 ﹄ が 別 本 と し て 存 在 し て い た の で あ る 。 こ の ﹃ 温 古 序 ﹄ の 請 来 状 況 と は い か な る も の で あ ろ う か 。 円 珍 自 身 の 請 来 録 に は 、 別 本 と し て 請 来 し た ﹃ 温 古 序 ﹄ の 書 名 は 確 認 で き な い 。 だ が 、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ に ﹁ 大 毘 盧 遮 那 経 義 釈 序 一 巻 温 古 珍 ﹂ と あ る こ と か ら 、 温 古 の 著 し た ﹁ 大 (42) 毘 盧 遮 那 経 義 釈 序 ﹂ 、 す な わ ち ﹃ 温 古 序 ﹄ を ﹁ 珍 ﹂ 、 つ ま り 円 珍 が 請 来 し た こ と が わ か る 。 し た が っ て 、 ﹃ 義 釈 ﹄ の 十 四 巻 本 と ﹃ 温 古 序 ﹂ は 、 初 め か ら セ ッ ト だ っ た わ け で は な く 、 十 四 巻 本 成 立 の 後 に 付 さ れ た 可 能 性 が あ る 。 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 時 期 は 、 温 古 に 仮 託 さ れ た 可 能 性 を 除 け ば 、 第 一 章 で 述 べ た 通 り 、 七 三 五 年 か ら 七 五 六 年 で あ り 、 ま た 温 古 が 一 行 と 同 時 代 の 人 物 で あ っ た こ と を 考 え て も 比 較 的 早 い 時 期 に 成 立 し た と 考 え ら れ る 。 こ の 点 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ が 別 本 と し て 成 立 し 、 後 に 付 さ れ た と 考 え る な ら ば 、 ﹃ 疏 ﹄ な ど の 未 再 治 系 に 付 さ れ て い な い 理 由 に つ い て も 頷 け る 。 そ し て 、 本 来 別 本 と し て 成 立 し た ﹃ 温 古 序 ﹄ が 十 四 巻 本 に 付 さ れ て い る 理 由 に つ い て 考 え る な ら ば 、 お そ ら く 十 四

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巻 本 は 、 十 巻 本 の ﹃ 義 釈 ﹂ の 後 に 成 立 し た と 考 え ら れ る 。 な ぜ な ら 、 十 四 巻 本 ← 十 巻 本 の 順 に 成 立 し た の で あ れ ば 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ は 十 四 巻 本 の 冒 頭 に 付 さ れ て い た 状 態 か ら 、 別 本 に 切 り 離 さ れ た こ と に な る 。 だ が 、 先 に も 述 べ た 通 り 、 こ れ で は 序 文 だ け を 故 意 に 切 り 離 す 理 由 が わ か ら な い か ら で あ る 。 今 度 は ﹃ 義 釈 ﹄ の 本 文 に 焦 点 を 当 て て み よ う 。 智 嚴 は 梵 本 を 閲 覧 で き な か っ た と ﹃ 温 古 序 ﹄ は 記 し て い た 。 だ が 、 (43) ﹃ 義 釈 ﹄ の 本 文 に は 、 次 の よ う に 、 ﹃ 疏 ﹄ に は な い 部 分 で 、 明 ら か に 梵 本 を 参 照 し た 部 分 が 見 受 け ら れ る 。 (44) (1) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 此 中 通 達 梵 本 兼 有 已 声 。 謂 具 足 方 便 無 所 不 達 之 義 。 (45) (2) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 又 宝 掌 菩 薩 真 言 。. 賓 梵 本 名 て 頁 蘭 @ 曜 恒 嚢 破 捉 。 ( ﹃ 疏 ﹄ ・ ﹃ 釈 義 ﹄ 参( 掌 豊 薩 種 照 両 大 勢 至 咳 宝 処 為 定 運 以 宝 翁為毛宝故宝従彼生也肴畳轟笹赤有作義逗)(46) (47) (3) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 第 五 請 召 童 子 真 言 。 梵 本 映 文 。 (48) (4) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 右 梵 本 於 四 偶 外 更 有 此 一 句 。 助 声 。 今 為 方 便 故 通 入 四 偶 中 也 。 (5) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 故 云 随 取 彼 一 心 以 心 置 於 心 。 梵 本 此 二 心 字 皆 是 絶 哩 乃 野 心 。 非 嘲 多 心 也 。 行 者 初 学 観 (49) 時 。 (50) ( ﹃ 疏 ﹄ 随 取 彼 一 心 。 以 心 置 於 心 。 証 於 極 浄 句 。) (51) (6) 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 梵 経 亦 如 是 説 。 與 疏 不 同 。 今 疑 疏 主 誤 説 也 。 (十 巻 本 は 裏 書 に あ り) (52) (7) 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 経 唯 申 慧 水 余 並 内 叉 。 梵 経 亦 同 此 説 。 宜 再 審 之 。 (十 巻 本 は 裏 書 に あ り) (8) 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 余 問 ( 十 巻 本 ﹁ 向 ﹂) 和 上 。 ( 中 略) 此 如 来 甲 真 言 及 如 来 舌 印 。 先 訳 諸 漢 経 及 疏 中 閾 。 (53) 後 無 畏 三 蔵 和 上 於 梵 本 及 図 中 勘 得 也 。 唐 土 に お け る ﹃大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

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て-密 教 文 化 (9) 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ 自 性 無 言 説 自 証 之 智 慧 故 説 為 如 来 。 此 下 依 梵 本 経 文 。 大 乗 道 虚 空 相 菩 提 。 ( 十 巻 本 傍 線 部 (54) ナ シ) (55) (﹃ 疏 ﹄ ・ ﹃ 釈 義 ﹄ 目 性 無 言 説 。 自 証 之 智 慧 。 故 説 為 如 来 。 云 何 覚 此 我 疑 。) (56) (10) 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹂ 次 釈 仏 義 。 此 下 梵 本 経 文 十 地 得 成 。 自 在 善 通 達 。 (十 巻 本 傍 線 部 ナ シ) (57) (﹃ 疏 ﹄ 次 釈 仏 義 。 十 地 得 成 。 自 在 善 通 達 。) (58) (11) ﹃ 義 釈 ﹄ 此 下 梵 経 文 虚 空 相 法 無 二 唯 一 相 。 ( 十 巻 本 傍 線 部 ナ シ) (59) (12) ﹃ 義 釈 ﹄ 已 下 梵 経 文 恵 害 唯 無 言 説 自 性 。 自 証 智 。 説 此 是 如 来 。 此 答 如 来 名 也 。 (十 巻 本 傍 線 部 ナ シ) こ の う ち 、(1) -(5) は 、 先 に 述 べ た 息 障 品 -悉 地 出 現 品 の 相 違 点 が 大 き い こ と を 指 摘 し た 四 品 に 見 ら れ 、(6) -(11) は 密 印 品 以 降 の 本 文 に 見 ら れ る 。 こ れ ら は 、 ﹃ 義 釈 ﹄ の 中 で 梵 本 を 閲 覧 し た 箇 所 で 、 な お か つ ﹃ 疏 ﹄ に は な い 部 分 で あ る 。 つ ま り 、 ﹃ 疏 ﹄ ← ﹃ 義 釈 ﹄ の 段 階 で 、 梵 本 を 閲 覧 し た 形 跡 が 見 ら れ る と い う こ と で あ る 。 断 っ て お く と 、 こ れ ら 全 て が ﹃ 疏 ﹄ ← ﹃ 義 釈 ﹄ の 間 に 付 さ れ た 部 分 と も 考 え 難 い 。 な ぜ な ら 、 ﹃ 疏 ﹄ の 中 に も ﹁ 梵 本 ﹂ を 引 用 し た 形 跡 が 多 々 見 ら れ る か ら で あ る 。 ま た 、 右 の 例 で 言 う な ら ば 、(8) で は 、 ﹁ 余 問 ( 向) 和 上 。 (中 略) 此 如 来 甲 真 言 及 如 来 舌 印 。 先 訳 諸 漢 経 及 疏 中 閾 。 後 無 畏 三 蔵 和 上 於 梵 本 及 図 中 勘 得 也 。 ﹂ と し て 、 あ る 人 物 ( 余) が 、 善 無 畏 三 蔵 ( 和 上) に 対 し て 質 問 し た く だ り が 述 べ ら れ て い る 。 こ の ﹁ 余 ﹂ が 智 假 を 指 す の で あ れ ば 、 再 治 作 業 に 智 假 が 参 加 し た 証 左 で あ ろ う 。 だ が 、 一 行 が 書 い た 文 章 と も 解 釈 で き 、 こ れ だ け で は 判 別 で き な い 。 し か し な が ら 、 再 治 箇 所 と 見 な し た 相 違 点 の 大 き い 四 品 の 中 で 梵 本 を 閲 覧 し た 記 述 が 見 ら れ る こ と は 、 ﹃ 疏 ﹄ ← ﹃ 義 釈 ﹄ に 至 る 段 階 で 何 者 か が 梵 本 を 参 照 し た 上 で 、 説 明 を 補 足 し た 部 分 で あ る と 言 え よ う 。 ま た 、 再 治 箇 所 と 見 な

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し た 四 品 で は な い も の の 、(9) で ﹃ 疏 ﹄ で ﹁ 云 何 覚 此 我 疑 。 ﹂ と し て 疑 問 と さ れ て い た 部 分 が 、 ﹃ 義 釈 ﹄ で は ﹁ 此 下 依 梵 本 経 文 。 ﹂ と し て 梵 本 を 典 拠 に し て い る こ と も 興 味 深 い 。 で は 、 こ れ ら の 梵 文 は い つ 参 照 さ れ た の で あ ろ う か 。 智 撮 は 梵 本 を 得 る こ と が で き な か っ た と し 、 温 古 も 、 梵 本 を 得 た こ と は 記 し て い な い 。 ﹃ 義 釈 ﹄ を わ が 国 に 請 来 し た 円 仁 や 円 珍 も 、 梵 本 を 閲 覧 し た 記 録 は な い 。 し た が っ て 、 温 古 が 序 を 著 し て か ら 、 十 巻 本 の ﹃ 義 釈 ﹄ が 成 立 す る ま で の 間 に 梵 本 に よ る 校 合 を 行 っ た 人 物 が 存 在 し た こ と に な る 。 よ っ て 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ は 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ の 成 立 以 前 に 存 在 し 、 温 古 が 治 定 を 行 っ た と い う 根 拠 も 薄 弱 に な る の で あ る 。 お わ り に 本 稿 で は 、 ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹂ の 成 立 過 程 に つ い て 、 以 下 の 様 な 仮 説 を 立 て る に 至 っ た 。 一 行 が 著 し た ﹃ 義 釈 ﹄ (未 再 治 系) ← ( ﹃ 義 記 ﹄ な ど の 未 再 治 系) ← ﹃ 疏 ﹄ (未 再 治 系) ← 十 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) ↓ ← 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹄ ( 再 治 系) 梵 本 に よ る 再 治 ま た 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 成 立 と 十 巻 本 ・ 十 四 巻 本 ﹃ 義 釈 ﹂ が 同 時 に 成 立 と も 考 え 難 い こ と を 指 摘 し た 。 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 記 載 か ら 考 え る と 、 従 来 の 説 は 根 本 か ら 検 討 し 直 す 必 要 が あ る 。 だ が 、 依 然 と し て 未 解 明 の 部 分 が 多 く 、 ま た 、 実 際 の 写 本 を 調 査 し た 上 で の 研 究 で な け れ ば 、 十 分 に 説 得 力 を 持 た せ る こ と は 難 し い と 考 え る 。 と も あ れ 、 唐 土 に お け る ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃温 古 序 ﹄ を 中 心 と し

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て-密 教 文 化 当 該 分 野 の 研 究 は そ の 緒 に つ い た ば か り と 言 え よ う 。 今 後 の 研 究 課 題 と し て は 、 わ が 国 に お け る ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹄ の 請 来 状 況 と を 比 較 し て 、 ﹃ 疏 ﹄ の 系 統 と ﹃ 義 釈 ﹂ の 系 統 が い か に 分 か れ る に 至 っ た か に つ い て 検 討 し て み た い 。 註 ( 1) 密 教 辞 典 編 纂 会 編 ﹃ 密 教 大 辞 典 縮 刷 版 ﹄ ( 法 蔵 館 一 九 八 三 年) 一 五 一 二 頁 下 -一 五 二 二 頁 上 。 ( 2) ﹃同 右 ﹄、 一 五 〇 六 頁 上 -中 。 ( 3) 清 田 寂 雲 ﹁大 日 経 義 釈 の 異 本 に つ い て ﹂ (﹃ 叡 山 学 報 ﹄ 第 十 九 号 一 九 四 一 年) ・ ﹁ 神 林 隆 浄 師 国 訳 の 大 日 経 (解 題) 並 に 同 疏 上 巻 を 評 す ﹂ (﹃ 叡 山 学 報 ﹄ 第 十 九 号 一 九 四 一 年) ・ ﹁ 大 日 経 義 釈 の 成 立 に 関 す る 小 考 ( 上) ( 下) ﹂ ( ﹃密 教 研 究 ﹄ 第 八 十 五 ・ 八 十 六 号 一 九 四 三 ・ 一 九 四 四 年) ・ ﹁大 日 経 義 釈 の 校 合 を 終 っ て ﹂ (大 久 保 良 順 先 生 傘 寿 記 念 論 文 集 ﹃ 仏 教 文 化 の 展 開 ﹄ 山 喜 房 仏 書 林 一 九 九 四 年 二 三 三 -二 五 〇 頁) ・ 長 部 和 雄 ﹁大 日 経 疏 の 撰 者 と 義 釈 の 再 治 者 に 関 す る 疑 問 ﹂ (﹃ 密 教 文 化 ﹄ 第 十 八 号 、 一 九 五 二 年 密 教 研 究 会) ・ ﹃ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹄ (神 戸 商 科 大 学 学 術 研 究 会 一 九 六 三 年) ・ 伊 藤 教 宣 ﹁ ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ と ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹂ ﹂ (﹃ 豊 山 教 学 大 会 紀 要 ﹄ 第 三 四 号 、 二 〇 〇 六 年) 。 ( 4) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 五 巻 四 五 二 頁 上 。 ( 5) ﹃ 大 日 経 義 釈 演 密 紗 ﹄ (﹃ 大 日 本 続 蔵 経 ﹄ 第 一 輯 第 三 七 套 一 二 丁 右 下 ・ 左 下) 。 ﹃ 開 元 釈 教 録 ﹄ に 、 智 厳 は 、 開 元 九 年 ( 七 一 二) に ﹃ 説 妙 法 決 定 業 障 経 ﹄ 等 を 訳 出 し た と あ る (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 五 巻 五 七 一 頁 上) 。 ま た 、 温 古 は 、 金 剛 智 が ﹃ 金 剛 頂 喩 伽 中 略 出 念 諦 法 ﹄ お よ び ﹃ 七 倶 豚 仏 母 准 泥 大 明 陀 羅 尼 経 ﹄ を 訳 出 し た 折 に 、 筆 受 し た 人 物 と し て い る (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 五 巻 五 七 一 頁 下) 。 ( 6) ﹃続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ (天 台 宗 典 編 纂 所 一 九 九 三 年) 一 -二 頁 上 。 尚 、 原 文 は 以 下 の 通 り で あ る 。 毘 盧 遮 那 成 仏 神 変 加 持 経 義 釈 序 釈 温 古 持 明 蔵 宗 分 條 流 伝 訳 久 。 世 之 学 者 多 存 有 相 竿 契 中 道 。 其 喩 伽 行 法 隠 而 未 明 。 夫 法 流 不 通 弘 道 者 之 憂 也 。 此 毘 盧 遮 那 経 逼 秘 蔵 円 宗 。 深 入 実 相 為 衆 教 之 源 爾 。 蕨 有 中

(21)

天 竺 三 蔵 。 字 輸 婆 迦 羅 僧 詞 。 唐 号 善 無 畏 。 業 該 八 蔵 名 冠 五 天 。 伝 受 此 経 官 疋 為 宗 匠 。 頃 有 詔 迎 之 常 為 雇 従 。 禅 師 一 行 命 世 之 生 也 。 明 鑑 縦 達 智 周 変 通 。 今 上 屈 之 久 宴 中 液 。 具 如 国 史 所 載 。 聞 三 蔵 緬 法 宝 之 嚢 。 思 起 予 之 請 。 奉 詔 與 三 蔵 訳 出 此 経 傍 為 筆 受 。 訳 語 比 丘 宝 月 。 練 諸 教 相 善 解 方 言 。 非 禅 師 不 能 拍 其 幽 關 。 非 三 蔵 莫 能 揚 其 至 蹟 。 此 中 具 明 三 乗 学 庭 及 最 上 乗 持 明 行 法 。 欲 令 学 者 知 世 間 相 性 自 無 生 故 。 因 寄 有 為 広 示 無 相 。 二 推 藪 以 壼 法 界 縁 起 耳 。 当 知 無 量 事 迩 所 有 文 言 。 結 会 指 蹄 無 非 秘 密 之 蔵 者 也 。 分 為 三 十 一 品 。 尚 慮 持 調 者 守 文 失 意 。 禅 師 又 請 三 蔵 解 釈 其 義 。 随 而 録 之 無 言 不 窮 。 無 法 不 蓋 。 挙 浅 秘 両 釈 会 衆 経 微 言 。 支 分 有 疑 重 経 捜 決 。 事 法 図 位 具 列 其 後 。 次 文 捌 補 目 為 義 釈 勒 成 十 四 巻 。 以 梵 文 有 一 二 重 鉄 繊 芥 紆 回 。 開 元 十 五 年 禅 師 没 化 。 都 釈 門 威 儀 智 假 法 師 。 與 禅 師 同 受 業 於 無 畏 又 閑 梵 語 。 禅 師 且 死 之 日 。 嘱 杖 法 師 求 諸 梵 本 再 請 三 蔵 詳 之 。 法 師 悶 其 文 墨 訪 本 未 獲 之 。 頃 而 三 蔵 棄 世 。 沓 諭 無 所 。 痛 哉 。 禅 師 臨 終 歎 此 経 幽 宗 未 及 宣 術 有 所 遺 恨 。 良 時 難 会 信 。 夫 経 中 文 有 隠 伏 。 前 後 相 明 事 理 互 陳 。 是 仏 方 便 。 若 不 師 授 未 尋 義 釈 而 能 遊 入 其 門 者 。 未 之 有 。 温 古 嘗 接 諸 賢 末 騨 預 聞 此 経 。 至 於 絶 待 妙 門 非 敢 窺 測 。 不 揆 愚 昧 注 心 帰 仰 。 輯 以 疎 拙 之 思 叙 其 本 末 焉 。 ( 波 線 部 筆 者) ( 7) た だ し 、 ﹃ 温 古 序 ﹄ の 文 言 そ れ 自 体 に も 問 題 が 存 在 す る 。 例 え ば 、 ﹁ 具 如 国 史 所 載 。 ﹂ ( 波 線 部) と す る こ の ﹁ 国 史 ﹂ が 何 を 指 し て い る か が わ か ら な い 。 ﹃ 旧 唐 書 ﹂ の 成 立 は 開 運 二 年 ( 九 四 五 年) 、 階 書 の 成 立 は 顕 慶 元 年 ( 六 五 六 年) で あ り 、 ど ち ら も 開 元 年 間 か ら か け 離 れ て い る 。 ( 8) 前 掲 清 田 論 文 ( 註 3) ﹁ 大 日 経 義 釈 の 成 立 に 関 す る 小 考 (下) ﹂ 。 ( 9) ﹃大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 巻 二 九 〇 頁 上 。 ( 10) ﹃大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 五 巻 五 七 二 頁 上 。 ( 11) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹂ 第 五 五 巻 八 七 四 頁 下 -八 七 五 頁 上 。 (12) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 巻 二 九 〇 頁 中 -二 九 二 頁 上 。 (13) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹂ 第 五 五 巻 七 四 八 頁 中 -七 七 〇 頁 中 。 (14) ﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 一 巻 一 三 二 頁 。 ( 15) ﹁ 沙 門 一 行 既 伝 教 已 造 大 毘 盧 遮 那 義 釈 (訳) 七 巻 械 鴎 鶴 ﹂ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 一 巻 七 八 六 頁 下) 。 ﹃大 正 大 蔵 経 ﹄ で は ﹁ 義 訳 ﹂ と 表 記 さ れ て い る 。 し か し な が ら 、 異 本 で あ る 正 徳 二 年 ( 一 七 一 二) 栂 尾 本 写 大 谷 大 学 蔵 本 で は 、 こ れ を ﹁ 義 釈 ﹂ と し て い る 。 ま た ﹁ 義 訳 ﹂ と い う 標 題 は 誤 写 と 思 わ れ る か ら 、 こ こ で は 、 ﹁ 義 釈 ﹂ の 表 記 が 正 し い と し て お く 。 ( 16) ﹁ 復 同 無 畏 三 蔵 訳 毘 盧 遮 那 仏 経 。 開 後 仏 国 。 其 伝 密 蔵 必 抵 淵 府 也 。 容 宗 玄 宗 並 請 入 内 集 賢 院 。 尋 詔 住 興 唐 寺 。 所 翻 之 経 遂 著 疏 七 巻 。 ﹂ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 巻 七 三 二 頁 下) 。

(22)

-69-密 教 文 化 (17) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 七 巻 一 二 四 頁 下 -一 二 五 頁 上 。 ( 18) 現 存 す る 写 本 に つ い て は 、(5) は 仁 和 寺 蔵 (第 七 七 箱 一 -十 号) の 嘉 保 二 年 ( 一 〇 九 五 年) 写 の 奥 書 を も つ 写 本 、(6) は 東 寺 蔵 (第 一 七 箱 一 号) の 永 長 二 年 ( 一 〇 九 七 年) の 写 本 、(8) は 高 山 寺 蔵 (第 二 〇 七 箱 一 -九 号) の 永 万 二 年 ( 一 一 六 六 年) の 写 本 等 が み ら れ る 。 ( 19) 青 蓮 院 吉 水 蔵 第 九 箱 一 号 ・ 第 十 箱 一 号 。 ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ に お い て 、 清 田 寂 雲 氏 が 諸 写 本 と の 校 合 に 用 い て お ら れ る の で 参 照 さ れ た い 。 ( 20) ﹃続 日 本 紀 ﹄ 巻 第 十 二 (﹃ 国 史 大 系 ﹄ 第 二 巻 二 二 七 頁) 。 ( 21) ﹃ 玄 宗 朝 翻 経 三 蔵 善 無 畏 贈 鴻 臆 郷 行 状 ﹄ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 巻 二 九 〇 頁 中 。) ・ ﹃ 大 唐 東 都 大 聖 善 寺 故 中 天 竺 国 善 無 畏 三 蔵 和 尚 碑 銘 井 序 ﹄ ( ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 巻 二 九 一 頁 下 。) に ﹁ 開 元 二 十 三 年 (七 三 五) 十 一 月 七 日 ﹂ と あ る 。 ( 22) ﹃義 釈 目 録 ﹄ (園 城 寺 編 ﹃智 証 大 師 全 集 ﹄ 中 巻 七 〇 二 頁 上) 。 (23) ﹃ 同 右 ﹄ 、 七 〇 二 頁 上 。 (24) ﹃ 同 右 ﹄ 、 七 〇 二 頁 下 。 ( 25) ﹃ 同 右 ﹄ 、 七 〇 一 頁 上 。 ( 26) 仁 和 寺 経 蔵 第 七 七 箱 一 -十 号 ( 以 下 、 ﹁ 仁 和 寺 本 ﹂ と 略 称) 、 ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 三 九 巻 七 八 九 頁 下 。 ( 27) 園 城 寺 編 ﹃ 智 証 大 師 全 集 ﹄ 中 巻 、 七 〇 七 頁 下 ・ 七 〇 九 頁 下 ・ 七 一 〇 頁 上 。 ( 28) ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ 、 二 五 三 頁 -四 一 四 頁 に お い て 、 ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹄ の 相 違 が 大 き い 部 分 を 対 照 さ せ て い る 。 ( 29) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹂ 第 三 二 巻 五 七 四 頁 上 。 尚 、 安 然 は ﹃ 教 時 義 ﹄ に お い て ﹁七 。 或 目 録 云 。 菩 提 心 論 不 空 集 也 。 有 人 因 判 不 空 撰 也 。 大 阿 閣 梨 云 。 論 初 先 云 大 阿 闇 梨 云 。 是 龍 樹 指 我 所 承 。 我 所 承 即 妙 吉 祥 。 今 文 殊 是 也 。 故 不 空 訳 梵 文 。 非 自 所 撰 也 。 註 引 大 日 経 疏 是 後 人 加 。 然 温 古 本 有 此 開 示 悟 入 之 釈 出 於 無 所 不 至 真 言 処 。 有 人 不 見 而 言 疏 無 。 ﹂ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 五 巻 四 二 七 頁 下) と し て 、 開 示 悟 入 の 釈 は 後 人 が 加 え た も の と し て い る 。 だ が 、 徳 一 撰 ﹃ 真 言 宗 未 決 文 ﹄ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 七 巻 八 六 四 頁 中) ・ 空 海 撰 ﹃ 法 華 経 開 題 ﹄ (﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 四 巻 一 六 五 頁) ・ ﹃ 秘 蔵 宝 鋪 ﹄ (﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 巻 一 七 一 頁) に こ の 部 分 が 引 用 さ れ て い る 。 し た が っ て 、 少 な く と も 空 海 の 時 点 で は ﹃ 菩 提 心 論 ﹄ に ﹁ 毘 盧 遮 那 経 疏 釈 に 准 ぜ ば ﹂ と し て 開 示 悟 入 の 釈 が 記 さ れ て い た と 考 え ら れ る 。 ( 30) ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃大 日 経 義 釈 ﹄ 四 〇 一 頁 上-四 〇 二 頁 上 。 ( 31) た だ し 、 悉 地 出 現 品 の 後 半 部 分 に お い て は 、 こ の 関 係 が 逆 に な る 。 ま た 、 長 部 前 掲 書 (註 15) 二 四 頁-四 二 頁 に お け る ﹃ 疏 ﹄ と ﹃ 義 釈 ﹄ の 比 較 も 参 照 さ れ た い 。 ( 32) も っ と も 、 こ の 場 合 、 ﹁ 義 釈 ﹂ と い う 標 題 を な ぜ ﹁ 疏 ﹂ と 変 更 し た か に つ い て の 疑 問 が 残 る 。 こ の 点 に つ い て 、 円

(23)

仁 は ﹃ 義 釈 ﹂ を 請 来 し た 際 に 、 自 身 の 目 録 に ﹁ 大 毘 盧 遮 那 経 疏 十 四 巻 ﹂ (﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 五 巻 一 〇 八 三 頁 上 。) と 記 載 し て い る 。 ま た 、 ﹃ 宋 高 僧 伝 ﹄ に 記 載 さ れ る ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 と は 、 ﹃義 釈 ﹄ (も し く は 、 一 行 が 本 来 著 し た ﹁義 釈 ﹂ と 題 さ れ る 本) を 指 す と 推 測 す る が 、 こ の 標 題 も ﹁疏 ﹂ で あ る 。 こ れ ら 二 つ の こ と を 考 え 合 わ せ る な ら ば 、 ﹁ 義 釈 ﹂ と 題 さ れ た 本 を ﹁疏 ﹂ と 題 す る こ と 自 体 は そ れ ほ ど 不 自 然 な こ と で は な い 。 お そ ら く 、 注 釈 書 と い う 意 味 で ﹁疏 ﹂ と い う 題 を 用 い た の で は あ る ま い か 。 ( 33) 前 掲 註 3 の 先 行 研 究 、 ま た 前 掲 註 6 巻 末 の 巻 号 ・ 奥 書 集 (六 七 〇 頁 -六 七 一 頁) を 参 照 の こ と 。 ( 34) 園 城 寺 編 ﹃ 智 証 大 師 全 集 ﹄ 中 巻 七 〇 一 頁 上 に ﹁ 大 師 縁 彼 本 二 巻 已 下 元 訣 内 題 重 復 繕 窮 。 准 外 題 加 添 之 。 ﹂ と あ る 。 ( 35) ま た 徳 清 本 に 記 さ れ て い る 内 題 ﹁ 梵 本 毘 盧 遮 那 成 仏 経 抄 記 ﹂ と い う 題 目 は 、 ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 が ﹁ 梵 本 ﹂ と し て い る 書 目 が ﹃ 大 日 経 ﹄ (﹃ 大 毘 盧 遮 那 成 仏 神 変 加 持 経 ﹄) で は な い 、 と い う 点 に も 興 味 を 引 か れ る 。 ( 36) ﹃大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 七 巻 二 一 五 頁 上 。 ( 37) ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ の 折 込 の 冊 子 に あ る 清 田 氏 の 解 題 。 ( 38) 前 掲 長 部 書 ( 註 3) 三 七 頁 。 (39) 園 城 寺 編 ﹃ 智 証 大 師 全 集 ﹄ 中 巻 、 七 一 四 頁 上 。 ( 40) こ の ﹁ 序 在 別 ﹂ の 三 字 に つ い て 、 長 部 和 雄 氏 は 円 珍 が ﹃ 義 釈 序 ﹄ と い う 書 を 著 し た よ う に 解 さ れ て い る (前 掲 長 部 書 < 註 3 > 一 七 一 頁) 。 し か し な が ら 、 こ の 見 解 に は 賛 同 で き な い 。 も し 仮 に 、 円 珍 が 序 を 著 し た の で あ れ ば 、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ の 註 記 に ﹁ 温 古 珍 ﹂ と し て 、 温 古 の 名 が 書 さ れ る べ き 理 由 が な い 。 ま た 、 氏 の 解 釈 だ と 円 珍 自 身 が ﹁ 序 在 別 ﹂ と し た 序 文 の 内 容 に つ い て ﹃ 義 釈 目 録 ﹄ に 全 く 記 載 が な い こ と は 不 自 然 で あ る 。 ( 41) 園 城 寺 編 ﹃ 智 証 大 師 全 集 ﹄ 中 巻 、 七 一 四 頁 上 。 ( 42) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 七 七 巻 一 二 五 頁 上 。 ま た 、 仁 安 三 年 ( 二 六 八) 写 の 奥 書 を 持 つ ﹃ 小 野 経 蔵 目 録 ﹄ に も ﹁ 大 日 経 義 釈 序 } 巻 ﹂ と す る 記 述 が 見 ら れ る 。 ( 阪 本 龍 門 文 庫 ﹃ 龍 門 文 庫 善 本 叢 刊 ﹄ 第 十 二 巻 ︿ 勉 誠 社 、 一 九 八 八 年 ﹀ 八 七 頁 下 。) ( 43) 前 掲 清 田 論 文 (註 3) ﹁ 大 日 経 義 釈 の 成 立 に 関 す る 小 考 (下) ﹂ で も 同 様 の 指 摘 が な さ れ て い る 。 (44) ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 密 教 1 ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ 、 二 六 六 頁 上 。 ( 45) ﹃ 同 右 ﹄ 三 三 四 頁 上 。 ( 46) ﹃ 同 右 ﹄ 三 三 一 頁 下 。 ( 47) ﹃ 同 右 ﹄ 三 三 七 頁 上 。 ( 48) ﹃ 同 右 ﹄ 三 八 五 頁 上 。 ( 49) ﹃ 同 右 ﹄ 四 〇 五 頁 上 。 ( 50) ﹃同 右 ﹄ 四 〇 六 頁 下 。 ( 51) ﹃同 右 ﹄ 四 六 七 頁 下 。 唐 土 に お け る ﹃ 大 日 経 ﹄ 注 釈 書 の 成 立 過 程-﹃ 温 古 序 ﹄ を 中 心 と し て

(24)

-密 教 文 化 ( 52) ﹃ 同 右 ﹄ 四 六 八 頁 上 。 ( 53) ﹃同 右 ﹄ 四 七 〇 頁 上 。 仁 和 寺 本 (前 掲 註 26 参 照) で は 、 補 記 に 挿 入 さ れ て い る 。 ( 54) ﹃ 同 右 ﹄ 六 三 〇 頁 下 。 文 治 三 年 ( 二 八 七) の 奥 書 を 持 つ 石 山 寺 蔵 の 十 四 巻 本 (校 倉 聖 教 一 〇 ー 五 -一 -十 一) で は 、 ﹁ 梵 本 ﹂ が ﹁ 宝 本 ﹂ と な っ て い る 。 ( 55) ﹃ 同 右 ﹄ 六 三 〇 頁 下 。 ( 56) ﹃ 同 右 ﹄ 六 三 一 頁 上 。 ( 57) ﹃同 右 ﹄ 六 三 一 頁 上 。 ( 58) ﹃同 右 ﹄ 六 三 一 頁 上 。 ( 59) ﹃同 右 ﹄ 六 三 一 頁 上 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ ﹃ 温 古 序 ﹄

(25)

(1) 密 教 文 化

【英文要 旨】

Findings on Toji choja: the Ninth and the Tenth Centuries

TAKEUCHI Kozen

Continued from. vol. 220

The Development in China of the

Mahavairocanabhisambodhi-sutra Commentaries:

Concerning Wengu's Preface

SHIMIZU Akisumi

The traditiomal view is that regardimg the commemtaTies titled

Dapiluzhena chemgfo shenbiam jiachi jing shu大 毘 盧 遮 那 成 佛 纒 疏

(T1796, abbreviated as Darijing shu大 日 経 疏) amd Piluzhema chemgfo

shenbiam jiachi jimg yishi 毘 盧 遮 那 成 佛 神 攣 加 持 纒 義 繹 (abbreviated as

Yishi) on the Chinese tTanslation of the

Mah互vairocan互bhisambodhi-satra(T 848) , Zhiyam 智 假(dates umkmowm) and Wengu温 古(dates

umknown) edited the DaTijing shu to produce the Yishi, This view

has beem treated as accepted kmowledge.

HoweveT, im the pTeface to the Yishi written by Wengu amd im

Chimese amd Japanese docuInemts prioT to Annen's安 然(841-889)

Bodaishingi sho 菩 提 心 義 抄, there is mo cleaT imdicatiom that they

edit-ed the text. Although Wemgu notes im his preface that he was unable

to examime the Sanskrit origimal, the Yishi contaims passages that

state the SanskTit text was comsulted. There are several reasoms to

doubt that Wemgu himself was imvolved in the editing of the Yishi.

FuTthermore, Emchim 圓 珍 (814-891) motes im his Gishaku mokuroku

(26)

(2)

Therefore, the author believes that Wengu's preface was originally

a separate text that existed before the formation of the Yishi, and

that the evidence for Wengu's editing of the text is weak.

参照

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