中
部
ジ
ャ
バ
の
密
教
-ボ ロ ブ ド ゥ ル 大 塔 の 意 味 す る もの-干
潟
龍
祥
一、 中 部 ジ ャ バ (Java)に お け る 大 乗 仏 教、 特 に 密 教 の 概 況 ジ ャ バ、 ス マ ト ラ 及 び そ の 周 辺 の 港 附 近 に は、 少 く も 紀 元 後 二 世 紀 と も な れ ば 次 第 に 印 度 殖 民 地 が 出 来、 印 度 系 文 化 が (1) (2) 流 入 し て い た こ と は、 支 那 の 史 書 か ら も、 現 存 遺 物 か ら も ほ ぼ 知 ら れ る と こ ろ で あ る。 而 し て 宗 教 は 五 世 紀 初 迄 は 大 体 婆 羅 門 教 乃 至 印 度 教 で あ つ て、 仏 教 は 殆 ど 無 か つ た ら し い こ と (3) は 法 顕 伝 に よ つ て も 知 ら れ る。 然 る に す ぐ 後 の 四 二 〇 年 前 後 に 此 の 閣 婆 (Java)へ 来 た 求 那 蹟 摩 (Gunavarman)に、 其 処 の 王 母 及 び 王 室 の 者 等 が 帰 依 す る に 及 ん で、 次 第 に 仏 教 も (4) 広 ま つ た も の と 見 え る。 こ の 閣 婆 の 地 を そ の 領 域 内 に 持 つ て い た と 思 わ れ る と こ ろ の 五 世 紀 中 の 詞 羅 軍 ( 又 は-陀 ) 国 は、 そ の 支 那 の 皇 帝 へ の 奉 表 文 等 に よ る に、 ど の 王 も 皆 仏 教 信 者 で、 し か も 大 小 乗 の 区 別 を あ ま り 立 て て 居 な か つ た よ う で あ (5) る。 但 し そ れ ら は そ の 地 方 の 支 配 者 階 層 の 人 達 の こ と で あ り、 彼 等 は そ の 王 名 な ど か ら 見 る も、 殆 ど イ ン ド 系 で、 い わ ば 此 等 や や 文 化 を 持 っ た 港 市 は イ ン ド 系 殖 民 地 で あ り、 イ ン ド 文 化 圏 で あ つ た の で あ る。 此 等 南 海 諸 地 域 は 大 体 イ ン ド 系 文 化 地 域 で あ つ て、 こ の 状 態 は ほ ぼ 近 世 迄 つ づ い て い る の で あ る。 宗 教 も 印 度 の も の は 大 抵 伝 わ つ て い た よ う で あ る。 ジ ャ バ の 東 隣 の バ ザ ( 恐 ら くBalo島 を 中 心 に 附 近 を そ の 勢 力 範 囲 と し て い た も の と 思 わ れ る が ) に お い て も 同 様 で あ つ た の で あ ろ う。 宋 書 九 七、 天 竺 国 の 終 の 方 に ﹁ 後 廃 帝 元 徽 元 年 ( 四 中 部 ジ ャ バ の 密 教-73-密 教 文 化 七 三 ) 婆 黎 国 遣 使 貢 献、 凡 此 諸 国 皆 事 仏 道 ﹂ と あ る。 そ の 王 室 は 南 史 七 八、 梁 書 五 四 等 に よ る に 早 く か ら イ ン ド 系 で あ つ (6) た こ と が わ か る。 七 世 紀 に な る と ジ ャ バ 島 の 西 部 の 方 に は 堕 婆 登 国 な る や は り イ ン ド 系 文 化 の 国 の あ つ た こ と が 知 ら れ る が、 ( 旧 唐 書 一 九 七、 新 唐 書 二 二 二 ) 宗 教 の こ と は 殆 ど わ か つ て い な い。 然 し そ の 東 即 ち ジ ャ バ 島 の 中 部 地 方 は 七 世 紀 か ら は 詞 陵 ( K alinga の 音 写 に 相 違 な く、 イ ン ド カ リ ン ガ 地 方 の 者 の 植 民 地 で あ つ た の で (7) あ ろ う ) 国 が 栄 え、 支 那 と の 交 渉 も あ る。 七 世 紀 中 の 此 地 の 宗 教 事 情 に つ い て は 詳 し く は わ か ら ぬ が、 し か し イ ン ド 教 な ど と 共 に 仏 教 も 或 る 程 度 行 わ れ て い た に 相 違 な い こ と は、 義 (8) 浄 の 大 唐 求 法 高 僧 伝 の 記 事 に よ つ て も 知 ら れ る。 八 世 紀 以 後 に な る と 宗 教 事 情 が か な り 明 か に な る。 即 ち 八 世 紀 初 か ら 中 頃 迄 は 中 部 ジ ャ バ 及 び 東 部 ジ ャ バ の マ ラ ン ( M alang)地 方 で は、 イ ン ド 教 の シ ヴ ( Siva)派 が 栄 え た こ と は、 中 部 ジ ャ バ の ク ド ゥ ( Kedoe)州 マ ゲ ラ ン ( M agela)の 南 方 チ ャ ン ガ ル ( O angal)か ら 出 た サ カ ( S a k a ) 紀 元 六 五 四 ( 西 紀 七 三 二 ) の 記 年 あ る 刻 文 や 東 部 ジ ャ バ、 マ ラ ン ( M alang)地 方 シ ン ゴ サ リ ( Singasari)近 傍 の ヂ ナ ヤ (Dingja)か ら 出 た サ カ 紀 元 六 八 二 (=七 六 〇 ) の 記 年 の あ る 碑 文 等 に よ つ て も 知 ら れ (9) る。 前 者 は 南 印 パ ッ ラ ヴ ( P a lla)文 字 の 梵 文 で、 サ ン ナ ハ ( S amnah)サ ン ジ ャ ヤ ( S anjay)父 子 両 王 の 事 績 を 記 る し た も の で、 サ ン ジ ャ ヤ が 建 て た も の。 こ の 父 子 が 新 た に 南 印 か ら 来 て ジ ャ バ を 支 紀 す る に 至 つ た こ と を 示 す。 彼 等 は ( 両 王 と も 大 王 と は 云 つ て い な い が ) 南 印 か ら 来 て、 支 那 史 書 に い う 詞 陵 国 (主 と し て 中 部 ジ ャ バ ) 王 位 を 継 い だ も の で あ ろ う。 碑 文 に よ れ ば、 こ の 両 王 は 印 度 教 シ ヴ 派 の 信 者 で、 シ ヴ 派 を 中 部 ジ ャ バ 以 東 に 盛 に し た こ と が 知 ら れ る。 後 者 即 ち ヂ ナ ヤ の 刻 文 は、 こ の サ ン ジ ャ ヤ 王 統 の 族 祖 と し て 祭 ら れ た シ ヴ の 別 名 な る ア ガ ス ト ヤ ( Agadsya)の 神 像 の、 木 造 で あ つ た の を 石 造 に 変 え た こ と を 記 る す も の で あ る。 即 ち 八 世 紀 に 入 り、 サ ン ナ ハ、 サ ン ジ ャ ヤ 王 の 勢 力、 従 つ て シ ヴ 派 が 中 部 及 び 東 部 ジ ャ バ に ま で 広 が つ て い た こ と が 知 ら れ る。 但 し さ れ ば と て 仏 教 が 全 然 行 わ れ な か つ た と い う わ け で は な く、 イ ン ド 殖 民 地 の 常 と し て イ ン ド の 宗 教 は 何 教 た る を 問 わ ず 一 応 は 容 れ ら れ て い た も の で あ ろ う。 イ ン ド に お い て は 正 純 密 教 が 既 に 完 成 し、 金 剛 智 三 蔵 は 支 那 に 来 る 途 中 恐 ら く は 七 一 八 年 頃 ス マ ト ラ の シ ュ リ ー ヴ ィ ジ ャ ヤ ( Srivijaya)に 立 寄 り、
五 カ 月 間 居 て、 そ れ か ら 諸 異 国 を 約 三 力 年 経 歴 し て 七 二 〇 年 支 那 に 達 し て い る か ら (貞 元 新 定 釈 教 目 録 巻 一 四 ( 正、 五 五、 八 七 六 頁、 金 剛 智 三 蔵 の 条 )、 そ の 間 ジ ャ バ に も 立 寄 つ た こ と も あ る か と 考 え ら れ る。 従 つ て 同 目 録 巻 一 五 の 不 空 三 蔵 の 条 に、 不 空 は 七 一 八 年 闇 婆 で 金 剛 智 の 弟 子 に な つ た と あ る こ と が、 た と い 不 空 和 尚 の 碑 文 ( 正、 五 二、 七 四 七 頁 ) と 齪 酷 す る と ほ い え、 あ な が ち 否 定 し 去 る わ け に は い く ま い。 又 そ れ は 別 と し て も、 不 空 は 後 に ( 不 空 行 状、 正、 五 〇、 二 九 二 頁 ) 印 度 へ 往 く 途 中 ( 恐 ら く 七 四 三 年 ) 詞 陵 国 を 経 て 居 る。 帰 路 に は 立 寄 つ た と は 記 し て な い か ら わ か ら ぬ が、 し か し 八 世 紀 前 半 と 錐 も 密 教 の 阿 闇 梨 が ジ ャ バ の 地 に 往 来 し た こ と は あ り 得 る。 た だ 其 頃 は シ ヴ 派 が 特 に そ の 支 配 者 階 層 に よ つ て 尊 信 せ ら れ た こ と は 否 め な い。 八 世 紀 後 半 か ら 九 世 紀 終 り ま で は 中 部 ジ ャ バ に お い て は 大 乗 仏 教 特 に 密 教 が 頗 る 栄 え た こ と が 知 ら れ る。 こ こ に 問 題 と す る ボ ロ ブ ド ゥ ル (Barpbidir)大 塔 の 如 き も こ の 盛 時 に 出 来 た も の で あ る。 ボ ロ ブ ド ゥ ル 大 塔 建 立 の 意 味 に つ い て は 後 に 述 べ る が、 そ の 周 辺 の 状 況 に つ い て 一 言 し て お く 要 が あ る。 ボ ロ ブ ド ゥ ル の あ る 中 部 ジ ャ バ の ク ド ウ ( Kedoe)州 プ ラ ン バ ナ ン ( P raban)高 原 ( ジ ヨ グ ヤ カ ル タ の 北 西、 プ ラ ゴ ( P rgo)河 の 上 中 流 ) に は カ ー ラ サ ン 寺 (Candi Kalasan) サ リ 寺 (C S ari)、セ ウ 寺 ( O Sev)、プ ラ オ サ ン 寺 (C praosan)、及 び プ ラ ゴ 河 を 挾 ん で 西 に パ ウ ォ ン 寺 (c. P awon)と ボ ロ ブ ド ゥ ル、 東 に ム ン ド ゥ ト 寺 (C. Mendut) が あ る。 (Candiは ジ ャ バ の 語 で 桐 堂、 精 舎 の 意 で、 こ こ で は 寺 と 訳 し て お く。 ) 何 れ も 八 世 紀 後 半 か ら 九 世 紀 中 の も の で、 そ こ に 遺 る 彫 像 な ど よ り 見 て、 大 乗 の 密 教 の も の で あ る こ と は 疑 写 真1 ム ン ド ゥ ト寺 本 尊 仏 中 部 ジ ャ バ の 密 教
密 教 文 化 い な い。 又 同 じ 地 域 で サ リ 寺 の 少 し 東 北 に あ る ロ ロ ・ ジ ョ ン グ ラ ン 寺 (C. Lara Jongrag)の 如 き は 現 在 の も の は 十 世 紀 初 の も の で シ ヴ 派 の も の で あ る が、 こ れ は プ ラ ン バ ナ ン 高 原 の 中 央 で 周 囲 の 仏 教 寺 院 の 中 心 的 位 置 に あ つ て、 規 模 荘 大 な 点 仏 教 の ボ ロ ブ ド ゥ ル に 比 す べ き も の で あ る が、 に も 係、 わ ら ず こ れ は シ ヴ 派 の も の で あ る。 恐 ら く こ れ も 最 初 は 仏 教 の も の で あ つ た の を 後 に 十 世 紀 初 に、 中 部 ジ ャ バ の 王 が シ ヴ 派 に 転 じ て か ら シ ヴ 派 の 殿 堂 に 改 築 さ れ た も の で あ ろ う か と 想 像 さ れ る も の で あ る。 カ ー ラ サ ン 寺 跡 か ら サ カ 紀 元 七 〇 〇 ( 西 紀 七 七 八 ) の 記 年 の ( 10) あ る 刻 文 が 出 た。 こ れ は 此 処 の シ ャ イ レ ン ド ラ ( Sailenqra) 王 統 の 大 王 パ ン チ ャ パ ナ ・ パ ナ ン カ ラ ナ (Pacapananm k a r ana)の 事 績 に 関 す る も の で、 即 ち こ の 王 が タ ー ラ ー ( T ara)菩 薩 の 殿 堂 を 建 て て 祭 り、 大 乗 律 に 通 ず る 比 丘 達 の 為 に 住 処 を 建 て、 カ ー ラ ー サ 村 を そ の 教 団 に 布 施 し た こ と シ ャ イ レ ン ド ラ 王 家 の 後 継 者 や 官 民 に よ つ て よ く 保 護 せ ら る べ き こ と、 な ど と あ り。 寺 跡 に は 当 時 を 偲 ば せ る 堂 あ り、 印、 度 パ ッ ラ ヴ (Pallva)式 で、 仏 教 建 築 と し て ジ ャ バ に 残 る 最 古 の も の に 属 す る か。 こ の 寺 は 密 教 諸 尊 中 特 に タ ー ラ ー 菩 薩 の 為 の も の だ が、 こ の 菩 薩 は 正 純 密 教 の マ ン ダ ラ の 中 に も ( 11) 出 て い る も の で あ る が、 も と よ り こ れ ら ( 般 若 菩 薩、 准 提 観 音 等 ) 女 性 菩 薩 が 仏 教 の 中 に 出 て 来 る の は、 印 度 で シ ャ ク テ ィ ( S a kti性 能 力 ) 思 想 の 起 こ つ て 来 た 後、 そ の 影 響 を 受 け て の こ と で あ る と も 考 え ら れ る か ら、 こ れ ら 菩 薩 の 信 仰 は 恐 ら く 七 世 紀 以 後 で あ ろ う。 こ の タ ー ラ 菩 薩 は 観 自 在 の 化 身 で、 観 自 在 と 同 格 と せ ら れ る の で、 印 度 で は 勿 論、 後 に パ ー ラ (Pala) 朝 の 仏 教 を 経 て ネ パ ー ル、 チ ベ ヅ ト に も 盛 ん に 祭 ら れ る。 ( 日 本 で は そ れ ら 地 方 ほ ど で は な い、 従 つ て こ の 尊 像 の 作 例 も 極 め て 少 な い。 ) 南 印 密 教 で 当 時 盛 に 尊 信 せ ら れ て い た か ら、 こ の ジ ャ バ に お い て も こ の 尊 像 の 作 例 が 多 い の で あ る が、 今 こ の カ ー ラ サ ン 寺 は 全 く こ の 菩 薩 の 為 に 建 て ら れ た 寺 で あ る。 今 は こ の 像 は 残 つ て い な い が、 残 つ て い る 他 の 諸 像 ( 堂 の 入 口 の キ ッ チ ム カ K ntimukaや 執 金 剛 等 ) か ら 見 て 頗 る 優 秀 な も の で あ つ た の で あ ろ う。 サ リ ( Sari)寺 は カ ー ラ サ ン 寺 の 少 し 北 に あ り、 こ れ は 比 丘 達 の 住 房 と し て 建 て ら れ た も の で あ ろ う が、 そ の 外 壁 の 三 十 に 近 い パ ネ ル に は 秀 れ た 菩 薩 像 が 今 も い く つ か 残 つ て い ( 12) る。 勿 論 密 教 系 の も の で あ る。
カ ー ラ サ ン 寺 の 近 く の ク ル ラ ク ( Kelurak)か ら 又 一 つ の 重 要 な 刻 文 が 出 て い る。 こ れ は サ カ 紀 元 七 〇 四 (=七 八 二 ) の 記 年 の あ る も の で、 シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 の ダ ラ ニ ン ド ラ (13) (Daranira)王 の 事 績 に 関 す る も の で あ る。 こ れ に よ つ て こ の 王 ( 前 の パ ナ ン カ ラ ナ の 次 に 当 る が ) の 時 文 珠 菩 薩 の 像 を 造 つ て 祭 つ た こ と ( 今 は そ の 像 も 建 物 も な い が )、 且 つ 刻 文 中 に ﹁ 文 珠 は 梵 天 で ヴ ィ シ ュ ヌ (Visnu)で 大 自 在 天 ( M ahesvara) で あ り、 実 際 一 切 神 所 成 ( S a r v a qdevamya)で あ る ﹂ な ど の 句 が あ る の で、 こ の 時 の 信 者 は、 仏 教 の 文 珠 が 同 時 に 印 度 教 の 梵 天 と ヴ ィ シ ュ ヌ と 大 自 在 天 と 同 格 で あ り、 す べ て の 神 々 で 出 来 て い る も の と 見 て い る の で あ る。 即 ち 仏 教 と 印 度 教 と の 融 合 を 表 わ す、 融 合 で は あ る が、 こ れ は 印 度 教 徒 を も 仏 教 に 包 容 し よ う と す る 意 図 の も と に あ る も の と い え よ う。 さ き に 挙 げ た ロ ロ ・ ジ ョ ン グ ラ ン の 北 に セ ゥ ( Sevu)寺 趾 が あ る。 ( Sevuは ジ ャ バ 語 で 千 の 意 味 ) こ れ は 中 央 に 十 字 型 の 大 殿 堂 あ り、 そ の 周 固 を ほ ぼ 正 方 形 に 四 重 に 小 堂 が と り ま く、 そ れ ら 合 せ て 二 四 六 に な る が、 そ こ で 千 寺 と 称 し た の で あ ろ う。 ( 全 体 の プ ラ ン は 高 田 修 氏 ﹁ 印 度 南 海 の 仏 教 義 術、 二 一二 〇 頁 参 照。 ) 実 に 広 大 な 規 模 の 精 舎 で、 全 体 が 一 種 の 立 体 マ ン ダ ラ を な し て い た と 思 わ れ る。 そ の う ち の 一 つ の 小 堂 か ら ジ ャ バ の カ ヴ ィ ( K awi)語 の 刻 文 が 発 見 さ れ た、 年 号 の 記 載 は な い が 字 体 は 九 世 紀 初 頃 の も の と せ ら れ る。 仏 像 も 二、 三 ( 14) 発 見 せ ら れ、 て い る が、 印 相 は 密 教 的 だ と い わ れ る。 プ ラ オ サ ン (Plao)寺 は セ ウ 寺 の 東 北 に あ る。 こ れ 又 広 大 な 地 域 を 占 め る 大 伽 藍 で あ つ た の で あ ろ う。 内 壁 等 其 他 に 若 干 の 像 や 浮 彫 が 残 つ て い る。 ク ロ ー ム は 仏 像 の 中 に は Uhyani-buddha(禅 定 仏 と 訳 し て お く ) の も の あ り と い う。 ( K
rom, Arch Desc of II p. 293)。又
そ の 北 側 僧 院 の 祭 坦 脇 士 の 弥 勒 像 ( 太 田 氏 前 掲 書 写 真 ) の 如 き 恐 ら く 九 世 紀 終 り の も の で、 こ の 時 代 最 後 期 の 標 準 を 示 す も の で あ ろ う。 脇 士 の 一 方、 は 普 賢 ( 又 は 地 蔵 ) と い う こ と で あ る ( 同 田 氏 前 掲 書 二 五 三 頁 )。 其 他 に タ ー ラ ー 菩 薩 も あ り、 又、 普 賢、 観 自 在、 金 剛 手、 文 珠、 除 蓋 障 ( Sarva-nivaa-vimbhin) 等 日 本 の 密 教 で い う 八 大 菩 薩 の 主 な も の は 皆 あ り、 ク ロ ー ム ( 15) は こ こ に 般 若 菩 薩 も あ る と い つ て い る。 ム ン ド ゥ ト ( Mendut)寺 は 石 造 の 壮 大 な 建 物 で あ る が、 主 屋 内 陣 の 中 央 に 雄 大 端 厳 な 転 法 輪 仏 碕 像 ( 高 さ 約 三 米 ) ( 写 真 1 )、 又 そ の 脇 士 ( 何 れ 至 口回 さ 二・ 四 米 ) の 一 方 は 明 か に 観 音 中 部 ジ ャ バ の 密 教
-77-密 教 文 化 だ が、 他 方 は (左 手 掌 を 地 に つ け 右 手 胸 の 前 で 内 方 に 向 け て い る ) (16) 文 珠 と い う 人 ( ク ロ ー ム ) も あ る が、 或 は 勢 至 か。 こ れ を 勢 至 と す れ ば 中 央 は 阿 弥 陀 で、 従 つ て 普 通 い う 阿 弥 陀 三 尊 と 見 る こ と が で き る。 何 れ に し て も こ の 三 尊 は 八 世 紀 終 り の も の で あ ろ う が、 イ ン ド ・ ジ ャ バ 芸 術 の 最 高 水 準 を 示 す も の で、 し か も 西 部 印 度 の グ プ タ 朝 芸 術 に 似 通 う 所 頗 る 多 い が、 又 そ の 頭 光 の 尖 端 を な す こ と は、 当 代 印 度、 南 海 の も の に は 例 が な く、 こ の 点 は 支 那 の も の に 類 す る 所 あ る の は 注 意 す べ き こ と で、 支 那 造 像 様 式 の 影 響 も あ る か と 思 わ れ る。 主 屋 基 部 廻 廊 周 壁 に は 弥 勒、 観 音、 文 珠、 金 剛 手 の 他、 四 讐 観 自 在 菩 薩 ( 日 本 で な ら ば こ れ は 如 意 輪 観 音 と い う と こ ろ で あ ろ う が、 ジ ャ バ で は 普 通 の 観 音 も 四 腎 に す る こ と は あ り、 ボ ロ ブ ド ゥ ル 第 二 階 廊 の 入 法 界 品 の 観 音 は 六 腎 に し て あ る ほ ど だ か ら、 こ の 四 腎 の も 普 通 の 観 立日 と 見 て 然 る べ き で あ ろ う ) 又 フ ー シ ェ ー が 八 腎 准 提、 四 腎 准 提 に 想 定 す る 尊 像 あ り、 又 ク ロ ー ム が 虚 空 蔵 と 想 定 す る 像 (17) も あ る。 こ れ ら に つ い て は 私 は 何 分 実 物 を 見 て い な い の で 確 か な こ と は 言 え な い が、 然 し フ ー シ ェ ー や ク ロ ー ム の 記 述 か ら 見 れ ば 大 体 そ の 想 定 を 是 認 し て よ さ そ う で あ る。 パ ウ オ ン (Pawon)寺 は ボ ロ ブ ド ゥ ル へ 行 く 途 中 の 一 小 堂 で あ る。 元 来 は ボ ロ ブ ド ゥ ル 附 属 の も の で あ つ た と も 云 わ れ る。 本 尊 は 何 で あ つ た か わ か ち ぬ が、 外 壁 に は 毘 沙 門 天 (Kuvera実 は パ ン チ カ ( Pancika)ど 詞 梨 帝 母 (Hrit)と が 浮 彫 り さ れ て い る。 そ れ は 印 度 伝 来 の 特 徴 を よ く 示 し て い る。 こ こ に は 特 に 密 教 的 な も の は 見 当 ら な い。 こ こ で ボ ロ ブ ド ゥ ル に 関 し て 記 す べ き 順 序 と な つ た が、 し か し そ の 前 に 述 べ て お く べ き こ と が あ る。 以 上 の 密 教 的 寺 院 の 成 つ た 時 代 の 王 と し て、 先 に 挙 げ た カ ー ラ サ ン 寺 の 刻 文、 ( 西 紀 七 七 八 ) 及 び ク ル ラ ク の 刻 文 ( 七 八 二 ) に は、 シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 の パ ナ ン カ ラ ナ 大 王 と ダ ラ ニ ン ド ラ 大 王 の 名 が 出 て 居 る が、 更 に ク ド ウ ( Kedoe)州 か ら 出 た 銅 版 刻 文 で サ カ 紀 (18) 元 八 二 九 (=九 〇 七 ) の 記 年 の あ る も の に つ い て 注 意 し た い。 こ の 刻 文 は 先 き の チ ャ ン ガ ル 刻 文 に あ つ た サ ン ジ ャ ヤ 王 ( シ ヴ 派 の 信 者 ) 以 下 の 八 王 名 が 出 て 居 り、 サ ン ジ わ ヤ は 大 王 と は 呼 ば れ て な い が 次 の パ ナ ン カ ラ ナ 王 か ら は 何 れ も 大 王 と 呼 ば れ て い る。 そ し て 最 後 は バ リ ッ ン (Balitung)王 で、 こ れ が こ の 銅 版 の 寄 進 者 で あ る が、 こ の 王 の 時 再 び シ ヴ 派 に 転 じ た の で あ る。 一 方 印 度 ナ ー ラ ン ダ ー (Nalanda)の 一 寺 院 趾 (19) か ら 発 見 さ れ た 銅 版 刻 文 に よ れ ば 此 頃 Suvara-dvip(金 島 )
( 此 頃 で は こ れ は ス マ ト ラ 島 の こ と を 指 し、 当 時 国 名 は S rivijaya 支 那 で は 室 利 仏 逝、 略 し て 仏 逝 と 言 う ) の 大 王 た る バ ー ラ プ ト ラ ( Balaputra)な る も の が 祖 先 の 菩 提 と 自 ら の 功 徳 の 為 に ナ ー ラ ン ダ ー に 一 寺 を 建 立 し そ の 維 持 の 為 に 数 力 村 を 寄 進 せ ら れ る よ う 当 時 の 印 度 の パ ー ラ ( P ala)朝 の 王 デ ー ヴ パ ー ラ デ ー ヴ (Devapaladeva)に 頼 ん だ。 イ ン ド の 王 は そ の 願 の と お り に し て や つ た。 そ し て そ の デ ー ヴ パ ー ラ デ ー ヴ 王 は 八 一 五 -八 五 四 年 在 位 と 思 わ れ る か ら、 且 つ こ の 銅 版 に は こ の 刻 文 は こ の 王 の 第 三 十 九 年 に 刻 さ し め た も の と あ る か ら、 バ ー ラ プ ト ラ 王 が 寺 を 建 て た の も 八 五 三 年 以 後 と 思 わ れ る。 従 つ て こ の ス マ ト ラ の 王 の 在 位 は そ の 前 後 で あ る こ と が わ か る。 而 し て こ の 銅 版 に は 又 バ ー ラ プ ト ラ 王 の 系 図 が 記 る さ れ て あ る。 そ れ に よ れ ば、 こ の 王 の 母 は タ ー ラ ー ( Tala)、母の 父 は ダ ル マ セ ー ツ (Dharmasetu )、父 は サ マ ラ ー グ ラ ヴ ィ ー ラ ( S a m a r agravira)、父 の 父 は ジ ャ バ の 王 シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 の シ ュ リ ー ヴ ィ ー ラ ヴ イ ラ ー マ タ ナ ( Srivi-vam t h a n a ) で あ る と。 こ の シ ュ リ ー ヴ ィ ラ ヴ イ ラ ー マ タ ナ は ク ド ウ 州 刻 文 ( 九 〇 七 年 ) に あ る ヴ ァ イ リ ヴ ラ ヴ ィ ー ラ マ ル ダ ナ ( v airivaraiadhana)で、 サ マ ラ ー グ ラ ヴ ィ ー ラ は 同 じ く サ マ ロ ッ ツ ン ガ ( Samaroga)の こ と に 相 違 な か ろ う ( K
rom, Hind Javan Gesch N.Sati ibd p.
226))。九 世 紀 中 頃 の シ ュ リ ー ヴ ィ ジ ャ ヤ 国 の 正 式 の 王 と な つ た バ ー ラ プ ト ラ は 父 を ジ ャ バ の シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 に 持 つ 者 で、 し か も 熱 心 な 仏 教 信 者 で あ つ た こ と が わ か る。 か く し て 中 部 ジ ャ バ に お い て は 八 世 紀 中 頃 以 後 九 世 紀 終 り ま で は シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 の 治 下 に あ つ て 大 乗 仏 教 特 に 密 教 が 栄 え て い た こ と が わ か る。 さ て そ の 頃 の ジ ャ バ の 密 教 が ど の よ う な 性 格 の も の で あ つ た か を 観 て お く 必 要 が あ ろ う。 云 う ま で も な く そ れ は そ の 当 時 の 印 度 に 興 つ て い た 密 教 が そ の ま ま 伝 え ら れ た も の に 相 違 な い が、 当 時 印 度 に 興 つ て い た 密 教 は 日 本 へ 金 剛 智、 不 空 等 に よ つ て 伝 え ら れ た 正 純 密 教 ( 大 日 経、 金 剛 頂 経 を 中 心 と し た も の ) を あ ま り 出 で な い も の で あ つ た の で あ ろ う。 金 剛 智 は 先 に も 触 れ た 如 く 当 時 ( 七 一 八 年 前 後 ) ジ ャ バ ヘ 立 寄 つ た と は 明 か に は 云 え な い が、 立 寄 つ た こ と も あ り 得 る と 考 え ら れ る。 不 空 は 支 那 か ら セ イ ロ ン へ 往 く 途 中 ( 七 四 三 年 頃 ) 詞 陵 国 即 ち ジ ャ バ ヘ 立 寄 つ た こ と は 記 録 に あ る が、 セ イ ロ ン か ら の 帰 途 は ど う で あ つ た か は 明 か で な い。 何 れ に し て も こ の 両 師 が 中 部 ジ ャ バ の 密 教
-79-密 教 文 化 親 し く ジ ャ バ ヘ 密 教 を 伝 え た と は 云 え な い で あ ろ う。 し か し そ の 頃 か ら 以 後 八 世 紀 後 半 に か け て そ の 個 人 名 は 明 か で な い が 相 当 高 徳 の 密 教 の 伝 法 阿 闇 梨 が 南 印、 セ イ ロ ン な ど か ら ス マ ト ラ、 ジ ャ バ な ど へ 来 て、 そ の 有 力 な 王 ( 例 え ば 上 記 ジ ャ バ の パ ナ ン カ ラ ナ や ダ ラ ニ ン ド ラ の 如 き ) の 帰 依 と 庇 護 と を 受 け て 当 時 印 度 に 興 つ て い た 密 教 を 伝 え た で あ ろ う こ と な 想 像 に 難 く な い。 而 し て そ の こ と は 南 印 パ ッ ラ ヴ 王 国 の 興 亡 と も 深 い 関 係 が あ る と 考 え ら れ る。 パ ヅ ラ ヴ 王 国 は 六 世 紀 終 り 頃 か ら 八 世 紀 中 頃 迄 は カ ー ン チ レ プ ラ ( K a nchipura)(今 の コ ン ジ ェ ー ヴ ェ ラ ム ) を 中 心 に キ ス ト ナ ( Kistna)河 流 域 以 南 の 地 を 領 し て 勢 力 を 持 ち、 代 々 の 王 は 仏 教 特 に 密 教 を 信 奉 擁 護 し た の で、 当 地 方 に は 密 教 の 相 当 の 高 僧 も 居 た と 思 わ れ る が、 八 世 紀 中 頃 以 後 は 隣 接 の 諸 国 王 か ら 侵 略 さ れ、 遂 に 九 世 紀 後 半 に 亡 ぶ の で あ る が、 そ の 八 世 紀 中 頃 パ ッ ラ ヴ 国 が 屡 々 外 憲 に 悩 み 国 力 衰 え る や、 仏 教 の 高 僧 達 は 一 方 は 北 オ リ ッ サ や ベ ン ゴ ー ル 方 面 へ 逃 れ て 後 の パ ー ラ 朝 の 仏 教 を 築 き 上 げ、 他 方 は 東 南 海 に セ イ ロ ン、 ス マ ト ラ、 ジ ャ バ、 カ ン ボ ジ ャ 等 に 逃 れ て 各 々 そ の 地 に 自 分 達 の 仏 教 ( 主 と し て 当 時 の 密 教 ) を 伝 え た で あ ろ う。 セ イ ロ ン で 不 空 三 蔵 が 就 い た 普 賢 阿 闇 梨 の 如 き も 或 は そ の 一 人 か。 而 し て ジ ャ バ の シ ャ イ レ ン ド ラ 王 統 の パ ナ ン カ ラ ナ や ダ ラ ニ ン ド ラ 等 諸 王 の 時、 指 導 的 阿 闇 梨 で あ つ た 人 達 ( 個 人 名 は わ か ら な い が ) も 恐 ら く パ ッ ラ ヴ か ら 来 た 高 僧 達 で あ っ た の で ろ う。 ボ ロ ブ ド ウ ル 構 築 の 企 画 指 導 の 任 に 当 つ た 者 も 恐 ら く は そ れ ら 高 僧 又 は そ の 付 法 の 弟 子 達 で あ つ た の で あ ろ う。 か く 考 え て 見 れ ば 当 時 の ジ ャ バ の 密 教 は 八 世 紀 中 頃 迄 の パ ッ ラ ヴ の 密 教 で あ つ た と 見 な け れ ば な る ま い。 そ の パ ッ ラ ヴ の ( 中 印 度 の も 大 体 同 じ と 見 ら れ る が ) 密 教 は 上 記 中 部 ジ ャ バ の プ ラ ン バ ナ ン 高 原 の 当 時 ( 八 世 紀 後 半 以 後 九 世 紀 中 ) の 仏 教 寺 院 の 仏 像 等 よ り 見 て、 八 世 紀 前 半 に 支 那 へ 来 た 善 無 畏 ( 中 印 か ら 北 方 廻 り で 七 一 六 年 入 支 )、 金 剛 智 ( 前 掲 )、 不 空 ( 前 掲 ) 等 の 伝 え た 密 教 と 殆 ど 変 り は な い も の と 見 ら れ る。 そ の 尊 像 は 何 れ も 大 日 如 来 の 大 悲 智 の 顕 現 と し て の 諸 尊 で あ り、 大 日 経、 金 剛 頂 経 の マ ン ダ ラ に 包 摂 せ ら れ て い る も の で あ る。 日 本 の 密 教 は 支 那 に 伝 わ つ て い た 密 教 を 弘 法 大 師 が 伝 え ら れ た も の で あ る か ら、 従 つ て 中 部 ジ ャ バ の 密 教 も 日 本 の も 同 系 同 類 で あ る と い え よ う。 印 度 教 を 取 入 れ て は い る が、 そ れ は 印 度 人 を な る べ く 多 く 仏 陀 の 大 悲 の 中 に 包 摂 し 教 化 し よ う と の
悲 願 か ら 出 て い る も の で、 ざ き の ク ル ラ ク の 刻 文 に あ る 文 珠 を 以 て 梵 天、 ヴ ィ シ ュ ヌ、 シ ワ と 同 格 と 見 る 説 の 如 き も、 仏 陀 の 化 現 た る 文 珠 を 以 て 彼 等 印 度 教 徒 の 信 仰 し て い る 至 上 神 と 別 の も の で は な く、 彼 等 の 至 上 神 も 結 局 は 仏 の 大 悲 の 化 現 に 他 な ら な い の だ と し て、 彼 等 を 帰 依 せ し め よ う と の 仏 教 伝 法 者 の 意 図 を 表 わ し て い る と 見 る べ き で あ ろ う。 根 本 精 神 を 仏 の 大 悲 智 に お い て、 こ れ で す べ て を 統 摂 し よ う と し て い る も の で あ つ て、 印 度 教 と の 妥 協 で は な く、 仏 教 の 根 本 椿 神 を 失 つ て い な い も の と 見 る べ き で あ ろ う。 こ の 点 は 印 度 の パ ー ラ 朝 で、 恐 ら く 十 世 紀 頃 以 後 次 第 に 出 来 上 つ た と こ ろ の 印 度 教 化 さ れ た 仏 教 と し て の 密 教 ( こ れ を 末 期 密 教 と 称 し て お く ) と は 異 る も の で あ ろ う。 日 本 に は あ ま り 作 例 の な い (従 っ て あ ま り 信 奉 さ れ な か っ た と 思 え る ) タ ー ラ ー 菩 薩 像 が 中 部 ジ ャ バ に は 多 く 残 つ て 居 り、 さ き に 挙 げ た ヵ ー ラ サ ン 寺 の 如 き は 全 く こ の 菩 薩 の 為 に 建 て ら れ た 寺 で あ り、 こ れ に よ つ て タ ー ラ ー 菩 薩 の 信 仰 が 此 地 に お い て は 盛 ん で あ つ た こ と が 知 ら れ る。 ( 准 提 観 音 や 般 若 菩 薩 も あ っ た と す れ ば 同 様 に 論 ぜ ら れ る が ) か か る 女 性 菩 薩 の 信 仰 は さ き に も い つ た 如 く 印 度 教 の シ ャ ク テ ィ ( S a kti)信 仰 の 盛 ん に な つ て い た そ の 影 響 に よ る こ と は 否 む こ と は で き な い と し て も、 当 時 の 仏 教 の こ れ ら 女 性 菩 薩 は 仏 の 大 悲 を 母 性 愛 の 極 致 に な ぞ ら え ( 例 タ ー ラ ー )、 又 大 智 こ そ 仏 を 産 み 出 す 当 体 と 考 え ( 例 般 若、 准 疑 ) て の 表 現 に 過 ぎ な い も の で あ つ て、 ど こ ま で も 仏 の 大 悲 大 智 の 擬 人 的 表 現 に 他 な ら な い の で あ る。 印 度 教 の ド ゥ ル ガ ー (Durga)女 神 信 仰 と 侭 本 質 を 異 に す る も の で あ る。 故 に 正 純 密 教 の マ ン ダ ラ の 中 に あ つ て 然 る べ き も の な の で あ る。 中 部 ジ ャ バ の ボ ロ ブ ド ゥ ル の 周 囲 に あ る 八 世 紀 後 半 か ら 九 世 紀 中 の 密 教 は 大 体 以 上 の 如 き 性 格 の も の と 見 ら れ る。 九 世 紀 に は 印 度 本 土 で は そ の パ ー ラ 朝 の 密 教 は や や 変 化 を 来 た し つ つ あ つ た と 考 え ら れ る が、 し か し そ れ が 直 ち に ジ ャ バ ヘ も 流 入 し て そ こ の そ れ ま で の 密 教 に 変 化 を 与 え た か ど う か、 遺 物 遺 跡 に 関 す る 限 り あ ま り そ の 点 は 見 当 ら な い と 思 う。 二、 ボ ロ ブ ド ゥ ル 大 塔 の 全 体 の 構 造 と 細 部 の 彫 刻 こ の こ と に つ い て は ボ ロ ブ ド ゥ ル に 関 し て 紹 介 し て い る 図 (20) 書 に は そ の ど れ に で も 一 通 り は 説 明 さ れ て い る。 私 も さ き に 中 野 教 授 古 稀 記 念 論 文 集 ( 昭 和 三 五 ) のGandaha and t he Reliefs of Barabudur-Gler(入 法 界 品 と ボ ロ ブ ド ゥ 中 部 ジ ャ バ の 密 教
-81-密 教 文 化 ル 大 塔 廻 廊 壁 面 の 浮 彫 に つ い て ) に お い て 簡 単 に 記 し て お い た か ら 更 め て 書 く 要 は な い。 た だ 論 を 進 め る 便 宜 上 こ こ に も 一 応 略 記 す る。 こ の 建 造 物 は 方 形 棊 坦 ( こ れ に は 本 来 の ( 以 下 旧 と い う ) と 現 在 の と あ る が ) の 上 に 方 形 の 五 層 と 円 形 の 三 層 と を、 全 体 を ほ ぼ 覆 鉢 形 に 重 ね 上 げ、 最 上 層 の 円 坦 の 中 央 に は 鐘 形 の 塔 形 を 置 い た も の で、 全 部 粗 面 岩 の 切 石 で 積 み 上 げ て 造 つ た も の。 方 形 の 層 は 何 れ も 各 面 二 段 に 面 取 り し て 二 十 辺 の 凸 多 角 形 を な し て い る。 ( 写 真 2 参 照 ) 現 基 坦 の 外 辺 の 径 は 約 一 二 〇 米、 ( 旧 基 坦 の そ れ は 九 九 米 ) そ れ か ら 上 へ 行 く ほ ど 径 は 小 さ く な り、 遠 方 か ら 見 れ ば 全 体 が 適 度 に 覆 鉢 形 の 塔 形 を な す。 高 さ は 基 底 か ら 現 中 央 塔 の 上 ま で 三 六 米。 ( 現 中 央 塔 は 上 部 こ わ れ て い る の で 本 来 の 高 さ は 明 か で な い が 恐 ら く な お 一 〇 米 位 は 高 か つ た も の で あ ろ う か ) 方 形 層 は 各 壁 と 壁 と の 間 が 巾 二 米 余 の 廻 廊 に な つ て ( 即 ち 四 廻 廊 ) 居 り、 四 面 の 各 中 央 に 上 に 昇 る 階 段 が あ り (東 が 正 面 )、 そ こ か ら 上 つ て 右 旋 続 道 ( 自 分 の 右 を 礼 拝 対 象 に 向 け て 続 る ) す る よ う に な つ て い る。 各 障 壁 の 面 は 適 当 に 区 切 り さ れ て ( 即 ち パ ネ ル に な っ て ) そ の 面 に 経 典 の 説 話 を 丹 念 に 浮 彫 り し て あ る。 障 壁 の 上 に は 外 に 面 し て 一 定 の 間 隔 写 真2 ボ ロ ブ ド ゥ ル 全 景
を お い て 寵 を 設 け て そ の 中 に 仏 像 を 安 置 し て い る。 上 層 円 坦 の 各 層 に は 一 定 の 間 隔 を お い て 鐘 形 の 小 塔 が あ り、 そ の 塔 の 中 の 空 洞 に は 仏 像 を 一 体 ず つ 安 置 し て あ る。 そ の 空 洞 の 周 囲 は 格 子 で 囲 ん で あ る。 中 央 の 塔 の 基 底 は 直 径 約 一 六 米、 そ の 周 囲 は 全 く 密 閉 さ れ て い た が、 一 八 四 二 年 に 調 査 し た 時 に 中 核 か ら 未 完 成 の 仏 像 が 出 た。 基 坦 は 上 述 の 如 く 本 来 ( 旧 ) の と 現 在 の と あ る。 旧 基 坦 は 現 在 の も の よ り ず つ と 低 く か つ た も の で、 従 つ て 第 一 層 障 壁 外 面 は 下 部 が 現 在 よ り ず つ と 下 ま で 下 が つ て い た。 そ の 下 部 外 面 に は 全 面 に 浮 彫 が あ つ た の で あ る。 (今 も あ る が 埋 も れ て 見 (21) え な い ) そ れ は 分 別 善 悪 報 応 経 ( 梵 文 Mahaarmvibhga) に 説 か れ て い る 如 き 因 果 応 報 の 図 を 一 六 〇 景 に 浮 彫 り し て あ る。 そ の 一 六 〇 面 の 中 に は 未 完 成 の も の も い く つ か あ り、 又 図 の 上 に カ ヴ ィ ( K awi)文 字 ( 南 印 系 文 字 に 頗 る 近 い 字 体 で、 ジ ャ バ で 八 世 紀 中 頃 か ら 十 世 紀 初 頃 迄 用 い ら れ た も の ) で 梵 班 叩 が 書 か れ て い る の が あ る。 ( 第 一 二 一 以 下 に は 特 に 多 い、 写 真 3 参 照 ) こ の 梵 語 は 建 造 の 際 の 指 揮 者 が 技 術 者 に そ れ ぞ れ の 面 に 彫 刻 す べ き 題 目 を 梵 語 の 文 か ら 採 つ て 簡 単 に 記 る し た も の で、 彫 刻 が 終 つ た ら 削 り 去 つ た も の ら し い。 こ こ の 浮 彫 は 全 部 そ の や り 方 で や つ た も の で あ ろ う。 従 つ て 題 字 の な い の は 浮 彫 り が 完 成 し て い る こ と を 示 す も の で、 ま だ 字 が 残 つ て い る の は 彫 刻 が 完 成 し て い な い か、 又 は 完 成 し た が 文 字 を 削 り 去 る 直 前 に 次 に 述 べ る 如 き 事 情 が 起 こ つ た か ら 削 ら な い ま ま に な つ 写 真3の(1)(旧 基 坦 上 壁 浮 彫No. 124) ↓Suvarnavarta ↓Caityavandana 写 真3の(2)(旧 基 坦 上 縫 浮 彫No. 131) ↓Mahesakhyasamavadhana ↓ghanta 中 部 ジ ャ バ の 密 教
密 教 文 化 て い る の で あ ろ う。 そ の 事 情 と は、 こ の 基 坦 の 上 壁 に 彫 刻 し て い る 間 に、 上 層 か ら の 重 圧 が 頗 る 大 き く て、 そ の ま ま の 基 坦 で は 到 底 持 ち こ た え 得 な い と 判 断 し て、 そ こ で 全 体 の 完 成 の 前 に 基 坦 の 補 強 工 作 を し た と 思 わ れ る と い う 事 情 で あ る。 即 ち 本 来 の 基 坦 の 周 辺 に そ れ に 密 着 し て 更 に 相 当 厚 み の 土 石 を 積 み 固 め て、 障 壁 や 上 層 部 の 崩 壊 を 防 い だ も の で あ る。 そ の 為 に 最 下 層 障 壁 の 外 面 に 刻 さ れ つ つ あ つ た 因 果 応 報 図 の 部 分 は 全 部 土 石 に 埋 め つ く さ れ、 再 び 見 る を 得 な く な つ た の で あ る。 か く し て 本 来 の 基 坦 の 上 に、 更 に 巾 を 拡 げ て 造 ら れ た の が 現 在 の 基 坦 で あ る。 こ の 現 基 坦 の 出 来 た の は こ の 大 塔 の 完 成 よ り あ ま り 遠 か ら ざ る 前 で あ つ た の で あ ろ う。 か よ う な 事 情 が 判 明 し た の は 一 八 八 五 年J. W. Izermanの 調 査 に よ る も の で、 そ こ で 後 に ク ロ ー ム 等 が 全 部 の 写 真 を 採 る 時 に、 現 基 坦 の 一 部 分 ず つ を 一 時 取 り 除 い て 撮 影 し ( 写 真 4 参 照 )、 そ こ を 埋 め て は 次 を 取 り 除 き 撮 影 す る と い う こ と を く り 返 し て 遂 に 一 九 一 一 年 全 部 を 写 真 に 収 め た の で あ る。 こ れ に よ つ て ク ロ ー ム と エ ル プ と の 共 著 な る 完 全 な 写 真 帖 付 の 解 説 書 ( 上 記 註 ( 20 ) の 1 ) が 出 来 た の で あ る。 其 後 は こ の 部 分 は 全 く 見 ら れ な く な つ て い る の で、 日 本 の 三 浦 秀 之 助 氏 の 著 に も こ の 部 分 の 写 真 は な い。 し か し こ の 部 分 も 最 初 の こ の 大 塔 建 造 の 企 画 に は 重 要 な 一 部 を な し て い た は ず で あ ろ う。 又 偶 然 此 処 に 書 き 残 さ れ て い る 梵 字 の 字 体 が ボ ロ ブ ド ゥ ル 建 造 の 年 代 を 知 る 上 に 有 力 な 一 つ の 手 が か り と な つ て い る こ と も 見 分 が せ な い。 こ の 梵 字 の 字 体 と 塔 全 面 に あ る 彫 刻 と か ら し て ボ ロ ブ ド ゥ ル 建 造 の 年 代 は 大 体 八 世 紀 後 半 か ら 九 世 紀 前 半 迄 の も の と の 推 定 は 今 日 学 界 の ほ ぼ 定 説 と な つ て い る。 こ の 埋 も れ て い る 旧 基 坦 の 障 壁 の 浮 彫 と 業 分 別 経 と の 関 係、 並 び に こ の 経 の 梵 文、 漢 訳、 蔵 訳 と の 関 係 に つ い て は 註 写 真4 旧 基 坦外 壁下 部 浮彫(因 果 応 報 物 語) 現 基 坦 築 造 に よつ て埋 め られ て い た の を写 真 撮 影 の 為 一 部 掘 りあ けた もの。
( 21 ) に 略 記 し た 通 り で あ る。 こ こ の 浮 彫 は 業 分 別 経 の 恐 ら く は 現 梵 文 に 近 い 経 文 に よ つ て 表 わ し た の で あ ろ う が、 し か し 経 文 に は 現 梵 文 で も 蔵 訳 で も 漢 訳 で も、 果 報 ( 短 命、 長 命、 富 貴、 貧 賎 等、 或 は 地 獄、 畜 生、 天 等 ) を 受 け る 因 と し て の 業 を そ そ れ 十 種 宛 列 挙 す る の み で、 そ の 果 報 の 一 々 の 様 相 ( 例 え ば 地 獄 で も 等 活、 黒 縄、 集 合、 剣 葉 林、 烈 河 な ど の 様 相 ) は 述 べ ら れ て い な い。 又 そ の 一 々 の 様 相 に 対 す る 一 々 の 具 体 的 な 行 為 は 挙 げ ら れ て い な い。 ( こ の 行 為 を す る と 等 活 地 獄 に 堕 ち る と か こ の 行 為 を す る と 畜 竺 中 の 獣 に な る と か な ど は 示 さ れ て い な い。 ) 然 る に こ こ の 障 壁 の 彫 刻 で は、 右 方 に 一 つ の 行 為 を 示 し、 左 方 に そ れ に よ る 果 報 の 様 相 を 示 し て い る。 ( 例、 第 八 九 面 の 右 半 の 右 の 方 で は 魚 な ど を 煮 て い る、 そ の 左 の 方 で は 其 の 果 報 と し て の 焦 熱 地 獄 ( で あ ろ う か ) の 様 相 を 示 し て い る ( 写 真 5 の(1)右 半 参 照 ) こ の 彫 刻 の 拠 つ た 経 に は 果 報 の 一 々 ( た だ 地 獄 と い う の で な し に 八 大 地 獄 や 十 六 増 地 獄 等 の 一 々 な ど ) と そ の 一 々 に 対 す る 業 が 説 か れ て あ つ た も の か ど う か、 そ の 点 は 明 か に し が た い。 恐 ら く は 果 報 の 一 々 と そ れ の 一 々 の 業 と を 挙 示 し た 他 の 経 典 ( 例 え ば 長 阿 含 世 記 経 及 び そ の 別 訳、 又 は 正 法 念 処 経 等 に 類 し た 経 論 ) を 参 考 に し た も の か、 或 は 果 報 の 方 は 何 か そ れ ら の 経 典 に 依 り つ つ 業 の 方 は ほ ぼ 常 識 で 画 い た も の か、 そ れ ら の 点 も 明 か に し 得 な い。 何 れ に し て も こ こ の 彫 刻 は 見 る 者 に 因 果 応 報 の 理 を 徹 底 的 に 感 得 せ し め て、 悪 業 を 捨 て 善 業 を 修 せ し め よ う と の 意 図 の も の で あ る か ら、 必 ず 因 の 方 と 果 の 方 と を 対 照 せ 写 真5の(1)(旧 基 坦 上 壁 浮 彫No. 89) 無 間 地 獄 母 を 殺 す 焦 熱 地 獄 魚 類 を 煮 て 居 る 写 真5の(2)(同No. 93) 四 足 獣 類 他 人 を 虐 待 して い る 鳥 類 よ く わ か ら ぬ、 中 程 度 の 口 悪 業 中 部 ジ ャ バ の 密 教
密 教 文 化 (22) し め る 要 が あ つ た の で あ る。 基 坦 及 び 第 一 障 壁 外 面 は 上 述 の 通 り。 第 一 廻 廊 主 壁 ( 第 二 障 壁 外 面 ) 上 段 (I. A. a)に は 梵 文 (23) L a litavstaraに 拠 る 仏 陀 釈 尊 伝 を 一 二 〇 面 に 浮 彫 り し て い る。 こ れ に つ い て は 既 に ク ロ ー ム ( 前 掲 英 文 解 説 書I. pp. 99-229) が、 其 他 の 学 者 の 説 を 斜 酌 し て よ く 証 定 し て い る か ら 私 は 別 に 加 え る 必 要 は な い。 た だ こ こ の 彫 刻 は 梵 文 に 頗 る 近 く、 漢 訳 方 広 大 荘 厳 経 よ り か な り に 増 広 さ れ た 書 に 拠 つ て い る こ と が 知 ら れ る。 同 下 段 (I. A. b)、一 二 〇 面 に ス ダ ヌ ( Sudanu)王 子 ( と キ ン ナ ラ 女 ) 本 生 ( H. A. n. 1-20)以 下 商 主 慈 者 ( M aiakanyaka) 本 生 (106-112)に 至 る 九 本 生 と 未 比 定 の も の 少 し あ る。 第 一 廻 廊 見 返 り 壁 ( 第 一 障 壁 裏 ) 上 毅 ( H. B. a)の 三 七 二 面 に は バ ラ モ ン ( 又 は 王 子、 投 身 し て 餓 虎 を 飼 う ) 本 生 (I. B. a 1-4)等 梵 文Jatakの 本 生 話 三 四 を そ の 通 り の 順 序 で 表 わ し (-135)、次 に 獅 子 本 生 (1 36)を 始 め 仙 人 ( 又 は 比 丘 精 進 力 ) 本 生 (372)に 至 る 九 本 生 と 未 比 定 の も の 少 々 あ り。 同 下 段 (I. B. b)一 二 八 面 に は 農 夫 本 生 (I. B. b)以 下 ス ジ ャ ー タ ( Sujata)王 子 本 生 (80)に 至 る 四 本 生 と 未 比 定 の も の 少 々。 第 二 廻 廊 見 返 り 壁 ( 第 二 障 壁 裏 ) (II. B)一 〇 〇 面 に は 兎 本 生 (II. B. 59-61)、孔 雀 本 生 (63-66)の 外 未 比 定 の も の 多 数 及 び 彫 刻 欠 失 せ る も の 少 々 あ り。 以 上 の (I. A. 120面 B. 372面I. B. 120面 II B. 100面)計 七 二 〇 面 に は 主 と し て 本 生 話 即 ち 釈 尊 の 前 生 話 を 浮 彫 に し た も の で、 私 の 未 比 定 の も の の 中 に は 或 は 本 生 話 で な い 讐 喩 話 ( A vadana)も 少 々 は あ る か も 知 れ な い が、 し か し そ れ に し て も 釈 尊 伝 と 密 接 に 関 係 あ る 諦 で あ つ た の で あ ろ う。 何 と な れ ば、 こ こ は 第 一 階 廊 主 壁 上 段 の 仏 釈 尊 伝 の 補 助 的 性 質 の 諌 を 出 そ う と し た の に 相 違 な い か ら。 而 し て そ の 拠 つ た 経 典 は 第 一 廻 廊 見 返 り 壁 上 段 に 現 Jatkamalaの 三 十 四 話 を そ の ま ま そ の 順 序 で 表 わ し て い る こ と か ら 考 え、 又 同 つ づ き に (175-182)撰 集 百 緑 経 ( A v a q a naka)の も の 二 つ あ り、 同53-71に は 同 経 の 六 一 -七 〇 を 表 わ し た も の か と 思 わ れ る も の あ り、 同74-76は 同 経 三 一 に 当 る な ど を 考 え る に、 こ こ の 企 画 指 揮 者 はJatakaala及 び そ の 他 に 何 か ( 現 在 の 我 々 に は 知 ら れ な い が ) ま と ま つ た 本 生 話 集 の 書 を 一、 二 持 つ て い て、 そ れ に 拠 つ た も の で あ ろ う か。 又 は そ う で な
く、Jatakamalaは 別 と し て、 其 他 は 当 時 彼 の 地 の 人 達 に よ つ て よ く 知 ら れ て い た 話 を 出 し た に 過 ぎ な い も の か、 そ れ ら の 点 は 今 は 何 と も 決 し が た い。 な お こ こ の 浮 彫 と 本 生 話 と の 比 定 に つ い て は ク ロ ー ム が 前 掲 書 に 詳 述 し て 居 る が、 私 は そ れ に 幾 分 補 正 を 加 え た 結 果 を 拙 著 ﹁ ジ ャ ー タ カ 概 観 ﹂ p p. 76-80に 表 示 し た か ら 参 照 さ れ た い。 第 二 廻 廊 主 壁 ( 第 三 障 壁 外 面 ) (II A)一 二 八 面 か ら 第 三 廻 廊 主 壁 ( 第 四 障 壁 外 面 ) (III A)八 八 面、 同 見 返 り 壁 ( 第 三 障 壁 裏 ) (III B)八 八 面、 第 四 廻 廊 見 返 り 壁 ( 第 四 障 壁 裏 ) (IV B) 八 四 面、 計 三 八 八 面 に は 華 厳 経 入 法 界 品 (Sk Qandavyuha但 し 最 後 の 普 賢 行 願 讃 を 除 く ) を 二 回 に 亘 つ て 詳 し く 描 写 し た も の で あ る。 第 四 廻 廊 主 壁 ( 第 五 障 壁 外 面 ) (IV A)七 二 面 に はGandavyudaの 最 後、 漢 訳 四 十 華 厳 の 最 後 に 附 せ ら れ て い る 普 賢 行 願 讃 (Bhadrprani qhana)を 浮 彫 に し て い る の で あ る。 こ の 第 二 階 廊 主 壁 以 上 の こ と に つ い て は 私 は 中 野 教 授 古 稀 記 念 論 文 集 中 の 拙 論 に お い て 詳 述 し て お い た か (24) ら そ れ に 譲 る。 以 上 の 外、 基 坦 障 壁 外 面 上 部 (D O)、各 階 の 壁 の 上 の 欄 間、 各 壁 の 裏 の 下 段 等 に は 装 飾 の 為 の 図 が 約 千 面 浮 彫 り さ れ て あ る が、 こ れ ら は 装 飾 以 外 に 意 味 の あ る も の と は 思 わ れ ぬ か ら こ こ に は 触 れ な い。 中 央 の 塔 は 密 閉 さ れ て あ つ た の だ が、 一 八 一 四 年 か ら 一 八 四 〇 年 ま で の 調 査 の 際 に は、 そ の 中 に は 仏 像 ら し い も の は 無 か つ た と い わ れ る が、 ( 八 四 二 年 以 後 の ハ ル ト マ ン (Hart-mann)の 調 査 に お い て、 そ の 中 か ら 未 完 成 の 一 仏 像 が 発 見 (25) さ れ た こ と が 報 ぜ ら れ て い る。 こ の 仏 像 の 来 歴 に つ い て は 註 写 真6円 穿上 及 び 聴上 の 仏 像 1.弟 四 壁以 下 壁 上 の 仏 の うち東 面、 触 地 印 2. 〃 南 面、 与 願 印 3. 〃 西 面、 定 印 4. 〃 北 面、 施 無 畏 印 5. 第 五 壁 上 の 仏、 一 種 の 説 法 印(報 身 仏 説 法 印) 6. 円坦 上 の 仏 転 法 輪 印 7. 未 完 成 仏、 触 地 印 中 部 ジ ャ バ の 密 教
密 教 文 化 に 摘 記 す る が、 其 後 伝 え ら れ る と こ ろ に よ れ ば、 こ れ は 未 完 成 だ が 手 は 触 地 印 で あ り、 大 き さ は 三 円 坦 や 壁 上 の も の と 同 じ で あ る と ( 写 真 6 の(7))。こ の 像 は 其 後 持 ち 出 さ れ て 現 在 は 最 下 基 坦 外 に 置 か れ て あ る と。 三 円 坦 や 各 壁 上 に あ る 仏 像 は 多 少 の 出 来 不 出 来 は あ る に し て も 何 れ も イ ン ド ・ ジ ャ バ 芸 術 の 最 高 水 準 に あ る と い う べ き も の だ が、 こ の 中 央 塔 か ら 発 見 さ れ た も の は た と い こ れ を 完 成 さ し て も 他 の も の に 比 適 す る ほ ど の も の と な つ た か 否 か も 疑 問 の も の で あ る。 兎 も 角 こ れ は そ の 来 歴 か ら 見 れ ば 大 塔 創 建 当 初 か ら こ こ に 納 め ら れ て あ つ た も の と は 云 え な い。 こ の 中 央 塔 の 中 に は か な り 広 い 室 が あ る と い う か ら 当 初 何 も な か つ た わ け で は な く、 先 に も 云 つ た 如 く 法 身 偶 を 書 い た も の や、 又 こ こ に 入 れ る に 適 わ し い 仏 像 や 荘 厳 具 な ど が あ つ た も の か と 思 う。 そ れ ら の 多 く は 長 い 年 月 の 間 に、 特 に は 一 八 一 四 年 以 後、 何 人 か の 手 に よ り 取 り 出 さ れ 失 わ れ た も の で あ ろ う か。 而 し て 一 八 四 二 年 以 後 の 何 時 か に 未 完 成 触 地 印 の 一 仏 像 が こ こ に 埋 め ら れ た の で あ ろ う。 ( 今 は そ れ は 既 述 の 如 く 最 下 基 坦 外 に 置 か れ て あ る ) 然 り と す れ ば こ の 仏 像 の 意 味 に つ き 兎 や 角 論 ず る は 無 意 味 な こ と に な る。 こ の 一 体 は 別 と し て 他 の 仏 体 の う ち、 上 の 三 円 坦 の も の は ( 七 二 あ っ た は ず だ が 今 は + 二 体 の み ) 何 れ も 中 央 の 塔 に 向 つ て 居 り 印 相 は 転 法 論 印 で あ る。 第 五 層 壁 上 の 寵 の 中 の も の は 何 れ も 外 方 に 向 つ て い る が 東 西 南 北 の 何 れ に 面 し て い る の も す べ て ( 六 四 体 あ っ た は ず ) 一 種 の 説 法 印 ( 印 度 で はVitarka ( 覚 ) 印 と い う が、 日 本 で は か か る 名 は 知 ら れ て い な い と 思 う、 印 そ の も の は 報 身 仏 ( 阿 弥 陀 仏 は そ れ だ が ) の 説 法 印 ) で あ る ( 写 真 7 )。 第 四 層 壁 以 下 各 層 壁 上 の 仏 像 は ど の 層 の も の も 東 面 せ る は 触 地 印、 南 面 せ る は 与 願 印、 西 面 せ る は 定 印、 北 面 せ る は 施 無 畏 写 真7 第 五 壁 上 の仏(報 身 仏 の 説法 印)
印 ( 何 れ も 九 二 体 ず つ あ つ た は ず ) で あ る ( 写 真 6 参 照 )。 大 塔 全 体 の 構 造 及 び 細 部 の 彫 刻 は 概 暑 上 記 の 通 り で あ る。 三、 こ の 大 塔 の 意 味 す る も の こ れ に つ い て は 既 に ク ロ ー ム も そ の 解 明 に か な り の 努 力 を し て 居 り ( 前 掲 書 第 十 章 以 下 ) 日 本 の 三 浦 氏 の 前 掲 の 書 に は 故 大 村 西 涯 氏 の 説 が あ り、 故 栂 尾 祥 雲 師 は そ の ﹁ 理 趣 経 の 研 究 ﹂ の 末 尾 ( 四 六 一-四 八 九 頁 ) に 傾 聴 す べ き 卓 説 を 出 し て 居 ら れ る。 私 は そ れ ら 先 賢 の 高 説 に 照 さ れ つ つ、 南 方 仏 教 史 全 体 の 観 点 か ら こ の 大 塔 の 意 味 す る も の を 捕 え て 見 よ う と 試 み る も の で あ る ゆ (1)全 体 の 形 体 か ら い つ て こ れ は 一 つ の 塔 ( Stupa)で あ る こ と は 否 め な い。 塔 と し て も 仏 舎 利 を 納 め た 舎 利 塔 で な い こ と は、 こ の 大 塔 は 釈 尊 を 去 る こ と 甚 だ 遠 い 時 代 の も の で あ り、 且 つ 大 乗 に な つ て か ら の も の で あ る 点 な ど か ら も 云 え る で あ ろ う。 そ れ 故 こ の 塔 は 塔 そ の も の が 礼 拝 の 対 象 と せ ら れ る 塔 で あ り、 そ の 意 味 で は 制 底 (Caitya桐 堂 ) で も あ る。 塔 と し て は 法 身 そ の も の と せ ら れ て い る 塔、 即 ち 法 身 塔 で あ ろ (26) う。 故 に 中 央 の 塔 の 密 閉 さ れ て い た 中 に は 法 身 偶 を 何 か に 書 い た も の が 入 れ て あ つ た か と 思 う。 大 乗 に な つ て か ら は ( 明 か に 何 時 頃 か ら と は い え な い が ) 印 度 以 来 何 処 で も 仏 塔 内 又 は 仏 体 内 に こ れ を 入 れ る 風 習 が あ る か ら こ こ で も そ う し た の で あ ろ う が、 長 年 月 の 間 に 失 わ れ て し ま つ た か と も 考 え ら れ る。 し か し そ れ は 初 め か ら 入 れ な か う た か も 知 れ な い、 入 れ な く と も 法 身 塔 と す る に 何 等 差 支 な い か ら。 兎 も 角 こ の 大 塔 は 仏 法 身 と そ れ の 活 動 を 塔 形 で 表 わ し た も の と 見 て 然 る べ き で、 従 つ て ボ ロ ブ ド ゥ ル 全 体 が 一 つ の 塔 で あ り、 そ し て そ れ は 仏 法 身 と そ れ の 活 動 と を 表 わ す と 見 て 異 議 は な か ろ う (2)仏 法 身 で あ り そ の 活 動 を 具 象 的 に 表 顕 し て い る の で あ る か ら、 こ れ は 一 つ の 謁 磨 ( K a rma)マ ン ダ ラ で、 し か も マ ン ダ ラ で あ る が 平 面 図 に 表 わ し た の で な く 全 体 も 部 分 も 立 体 的 に 表 わ し た の で あ る か ら、 こ の 塔 は 一 つ の 立 体 掲 磨 マ ン ダ ラ だ と す る 故 栂 尾 師 の 説 は 正 し い と 思 う。 (3)然 ら ば そ の 仏 の 救 済 教 化 活 動 が い か 様 に 表 現 さ れ て い る か を 見 る に、 こ れ に は (A)衆 生 ( 礼 拝 者、 行 者 ) を し て 俄 悔 発 心 修 証 せ し め よ う と し て い る 向 上 修 証 の 面 と (B)仏 本 覚 が 四 種 法 身 と し て 現 わ れ て 衆 生 救 済 教 化 に あ た 中 部 ジ ャ バ の 密 教
-89-密 教 文 化 つ て い る 相 を 示 し て、 衆 生 の 信 心 を 増 強 し よ う と し て い る 本 覚 向 下 の 面 と が、 同 一 マ ン ダ ラ に お い て 具 現 さ れ て い る と 見 ら れ る。 (A)向 上 修 証 の 面 と は、 上 記 構 造 及 び 彫 刻 の 説 明 で 明 か な 通 り、 参 拝 者 ( 衆 生 ) は 先 づ 正 面 (東 ) の 旧 基 坦 ( 塔 完 成 後 は 埋 も れ て い る が ) か ら 饒 道 し な が ら、 そ こ に 因 果 応 報 の 厳 し さ を 知 ら さ れ、 臓 悔 改 過 し て 悪 業 を 去 り 善 業 を 積 む よ う に 精 進 す べ き こ と を 教 え ら れ、 つ い で 昇 つ て 第 一 廻 廊 を 続 道 し て そ の 主 壁 に 修 証 の 実 例 と し て の 釈 迦 如 来 の 今 生 に お け る 発 信 修 行 成 道 浬 般 木 の 様 相 をLalitaviraの 仏 伝 描 写 に よ つ て 示 さ れ る と 共 に、 そ の 成 仏 行 の 並 々 な ら ぬ こ と を 示 す 為 に、 第 一 廻 廊 か ら 第 二 廻 廊 見 返 り 壁 に お い て、 そ の 仏 が 億 劫 の 昔 か ら 善 業 を 積 む の み な ら ず、 更 に 菩 提 心 を お こ し て 菩 薩 行 を 行 じ た 実 例 を 多 く の 本 生 話 等 に よ つ て 示 し、 更 に 第 二 廻 廊 の 主 壁 か ら 第 三 廻 廊 主 壁、 そ の 見 返 り 壁 を 経 て 第 四 廻 廊 見 返 り の 終 り 迄 に 華 厳 入 法 界 品 の 善 財 童 子 求 法 物 語 を 丹 念 に 二 回 に わ た つ て 展 示 し て、 菩 薩 求 法 の い か に 難 事 で あ り、 そ の 求 道 の 行 願 の い か に 熱 烈 な も の で あ る か を 克 明 に 示 し、 遂 に 善 財 童 子 が 普 賢 菩 薩 と 同 格 と な つ た 処 を 示 し て、 最 後 に 第 四 廻 廊 主 壁 に お い て そ の 普 賢 菩 薩 の 行 願 を 讃 嘆 し た 行 願 讃 を 表 現 し た も の で あ る。 か く し て 行 願 が 成 満 さ れ 成 仏 ( 始 覚 ) し た そ の 仏 を 円 坦 三 層 に お い て 表 わ し た も の で あ ろ う。 こ れ は 仏 だ か ら 仏 の 本 領 と し て の 転 法 輸 印 で あ る の が 当 然 で あ る。 か よ う に し て 第 二 廻 廊 の 主 壁 か ら 始 ま つ て 菩 薩 の 行 願 と そ の 成 満 と を 示 し て、 行 者 は か か る 仏 に 対 す る 絶 対 の 信 を お こ し、 仏 の 大 願 力 に 迎 え ら れ 援 け ら れ て、 自 ら も 行 願 を お こ し 成 仏 道 に 精 進 す べ き よ う に 仕 向 け ら れ て い る の で あ る。 即 ち こ 碓 向 上 修 証 面 で は 衆 生 を し て 臓 悔 発 心 修 行 成 道 せ し め よ う と 勧 励 し て い る も の で あ る。 こ こ ま で は 誰 れ で も 一 応 解 釈 し 得 る 所 で あ ろ う。 し か し そ れ な ら ば 上 層 に た だ 仏 像 を 置 け ば そ れ で よ さ そ う な も の で あ る が、 そ う で は な い、 仏 像 は 各 処 に 幾 種 も の 特 定 の 仏 像 が 特 定 の 場 処 に 配 置 さ れ て い る。 こ れ を 解 釈 す る に は (B)本 覚 向 下 の 面 を 考 え ね ば な る ま い 。 既 に 見 て 来 た よ う に、 上 の 三 円 坦 に は 何 れ も 同 形 ( 転 法 輪 印 ) の 仏 七 二 体 が 何 れ も 中 央 塔 に 向 つ て い る。 第 五 障 壁 上 の も の は 何 れ の 方 向 の も 皆 一 種 の 説 法 印 ( 報 身 仏 の 説 法 印 ) で あ る。 第 四 障 壁 以 下 四 壁 の も の は そ の 東 南 西 北 の 方 向 に 従 つ て そ れ ぞ れ 触 地、 与 願、 定、 施 無 畏 の 印 と 定 ま つ て い る。 こ れ は 何 等 か 特 別 の 意
味 を 持 つ も の で あ る に 相 違 な か ろ う。 単 な る 礼 拝 の 対 象 と し て 諸 処 に 仏 像 を 置 く と い う の な ら ば、 か く 整 然 と 特 定 の 印 相 の も の を 特 定 の 位 置 に 配 す る 必 要 は あ る ま い 。 こ の 仏 像 の 印 相 と そ の 整 然 た る 配 置 と は 壁 面 浮 彫 の 向 上 面 の 解 釈 の み で は 解 釈 は 完 了 さ れ な い で あ ろ う。 又 こ れ だ け 荘 大 な 一 大 建 造 物 を 造 り、 こ れ だ け の 彫 刻 や 仏 像 を 配 置 す る に は 一 つ の マ ン ダ ラ 構 成 の 教 理 的 意 図 が な く て は な ら な い で あ ろ う。 そ の 教 理 は 何 で あ つ た か、 こ こ の 仏 像 の 印 相 と そ の 配 置 と そ の 下 に あ る 浮 彫 面 と の 関 係 か ら 考 え、 又 上 来 概 観 し て 来 た こ の 当 時 の こ の 地 方 の 密 教 の 性 格 か ら 考 え て、 こ こ の マ ン ダ ラ を 構 成 せ し め て い る 教 理 は、 大 日 経、 全 剛 頂 経、 特 に は 全 剛 頂 経 を 中 心 と す る 当 時 の 正 純 密 教 で あ つ た と 思 わ れ る。 今 こ こ の 仏 像 に つ い て 考 え る に、 上 の 三 層 円 坦 の 何 れ も 転 法 輪 印 で 且 つ 中 央 塔 に 向 つ て い る も の は、 大 日 ( v airocna) (27) 如 来 の 自 受 用 法 身 ( S v a -Sambhogya)で あ ろ う。 自 受 用 だ か ら 自 ら に 覚 す る、 自 ら に 説 く の だ か ら 転 法 輸 印 で よ い わ け で あ る。 先 に 云 つ た 如 く 向 上 修 証 門 で 始 覚 し た 仏 と し て は、 仏 の 本 領 と し て の 転 法 輸 印 で あ る の が 当 然 だ が、 同 一 の 仏 を 本 覚 向 下 門 で 見 る と き は、 頂 上 中 央 塔 を 自 性 法 身 を 表 わ す と す れ ば ( こ の こ と に つ い て は 後 に も 説 く が )、 そ の 自 性 身 に 向 つ て 転 法 輸 相 で あ る こ れ ら 仏 は 自 受 用 法 身 に 相 違 な か ろ う。 第 五 層 壁 上 の も の は ( 全 体 六 四 あ っ た は ず ) 一 種 の 説 法 印 ( 報 身 仏 説 法 印Vitarkam-m)で あ る が、 恐 ら く こ れ は 他 受 用 法 身 (Pan-sambhogy-dh)で あ ろ う。 此 処 以 下 の 四 種 仏 と 併 せ 考 え れ ば、 こ れ は 五 仏 中 の 大 日 で あ る。 故 に 中 央 に 居 て ど ち ら を 向 い て い る の も 皆 同 一 印 で あ る わ け で あ る。 上 の 円 坦 の も、 こ こ ら の も 何 れ も 大 日 で あ る と す れ ば、 大 日 如 来 は 通 例 ( 日 本 な ど で は 多 く は ) 宝 冠 を か む り 装 身 具 を 着 け て い る が、 此 処 の は 皆 螺 髪 で、 釈 迦 如 来 と 同 形 で あ る。 然 し 大 日 は 必 ず し も 宝 冠 装 身 具 を 着 け な け れ ば な ら な い と い う 理 由 は な い。 普 通 の 如 来 形 で 差 支 な い。 又 日 本 に す ら 作 例 も な い わ け で は な い か ら、 こ こ の を 特 に 異 と す る に 足 ら ぬ で あ ろ う。 第 五 壁 上 に こ の 大 日 な る 他 受 用 身 を お い た の は、 こ の 下 の 壁 面 に は 普 賢 行 願 讃 が 表 わ さ れ て あ り、 普 賢 菩 薩 は 顕 教 に て も 第 十 地 の 菩 薩 で あ る が、 密 教 で は 全 剛 薩 垣 と 同 格 で、 大 日 如 来 か ら 直 接 法 を 授 か る 菩 薩 で あ る。 そ こ で 普 賢 行 願 讃 を 表 わ し た 壁 面 の 上 に 大 日 他 受 用 法 身 を 置 い た も の で あ ろ う。 第 四 層 以 下 の 壁 面 は 大 乗 菩 薩 の 菩 薩 行、 及 び 応 身 釈 迦 如 来 の 中 部 ジ ャ バ の 密 教
-91-密 教 文 化 無 量 劫 か ら の 修 行 成 仏 の 歴 程 を 描 写 し た 処 で あ る の で、 こ こ の 上 に は 他 受 用 法 身 か ら 更 に 転 出 し た 変 化 法 身 (Nirma k ) を 置 い た も の で、 こ の 変 化 法 身 仏 は 五 仏 の う ち で は 東 方 阿 閾、 南 方 宝 生、 西 方 阿 弥 陀、 北 方 不 成 就 仏 と 経 軌 に 定 ま っ て い る の で、 そ の よ う に 配 置 し た の で あ ろ う。 而 し て 変 化 身 は そ の 相 は 仏 と し て も 現 わ れ 又 菩 薩 と し て も 現 わ れ る が、 そ の 仏 の 方 は 四 仏 で 表 わ し た が、 菩 薩 の 方 は 壁 上 で は 表 わ し て い な い が、 こ れ は 下 の 壁 面 の 浮 彫 の 善 財 童 子 求 法 物 語 に 出 る 天 人 等 及 び 釈 尊 の 成 道 ま で. の 種 々 形 の 菩 薩 を 以 て 表 わ し た も の と 見 ら れ よ う。 即 ち こ れ ら は 向 上 面 で は ( 即 ち 顕 に は ) 修 行 成 満 ま で の 菩 薩 で あ る が、 向 下 面 で は ( 即 ち 密 に は ) そ の ま ま 仏 法 身 の 変 化 身 で あ る と 見 ら れ る。 さ て 最 下 層 即 ち 旧 基 坦 上 の 壁 面 で は 因 果 応 報 の 理 を 具 体 的 に 示 し た の で あ る が、 こ こ を 司 る の は 勿 論 壁 上 の 四 仏 ( 変 化 法 身 ) で あ る が、 し か し こ れ に は 又 天 人 以 下 の 阿 修 羅、 餓 鬼、 畜 生、 地 獄 の 有 情 も 居 る の で、 そ れ ら を 救 済 す る 為 に 更 に 進 ん で 仏 が 等 流 身 と な つ て そ れ ら 難 度 の 衆 生 の 救 済 に 任 ず る 必 要 が あ る。 そ こ で こ の 壁 面 で は 顕 に は そ れ ら 有 情 の 作 業 受 報 の 当 相 を 示 し て い る の で あ る が、 同 時 に 密 に は そ こ の 有 情 身 は そ の ま ま 仏 の 等 流 身 (Nairman ik a -k ) を 示 す も の と 見 な け れ ば な る ま い。 か く し て 仏 像 と そ の 下 の 壁 面 浮 彫 と を 関 連 せ し め て 見 る 時、 円 坦 三 層 の も の は 大 日 自 受 用 法 身、 第 五 層 壁 上 の も の は 大 日 他 受 用 法 身、 第 四 層 以 下 の 壁 上 の 仏 は 変 化 法 身 な る 四 仏、 そ し て 旧 基 坦 上 壁 外 面 ( 今 は 埋 も れ て 見 ら れ な い が ) に は 六 道 の 有 情 身 で あ り 同 時 に 等 流 法 身 を 示 し て い る と 解 せ ら れ る。 然 ら ば 自 性 法 身 大 日 と い え ば、 そ れ こ そ 頂 上 中 央 塔 そ の も の で あ ろ う。 先 に 法 身 を 塔 で 表 わ す こ と は 大 乗 仏 教 に な つ て か ら は 既 に 起 こ つ て い た と 考 え ら れ る と い つ た が、 密 教 と な つ て は、 大 日 法 身 を 塔 で 表 わ す こ と は、 弘 法 大 師 所 伝 の 金 剛 界 マ ン ダ ラ の 三 昧 耶 ( S aaya)マ ン ダ ラ に よ つ て も 明 か で あ る。 こ の マ ン ダ ラ は 大 師 所 伝 ( 八 〇 六 年 ) で あ る か ら 少 く も 八 世 紀 中 頃 印 度 か ら 来 て い た 不 空 三 蔵 な ど に よ つ て 伝 え ら れ て い た も の で あ ろ う。 さ す れ ば 大 日 自 性 法 身 を 塔 で 表 わ す こ と は 八 世 紀 中 頃 に は 印 度 は 勿 論、 中 部 ジ ャ バ に お い て も 知 ら れ て い た に 相 違 な い。 況 ん や 仏 の 活 動 を 一 大 立 体 マ ン ダ ラ に 表 顕 し、 そ の 全 体 を 塔 形 に し、 そ の 頂 上 の 中 央 に 塔 を 置 い た の で あ れ ば、 こ の 中 央 塔 は 大 日 法 身 の 自 性 身 に 当 て た に 相 違 な い こ と は 疑 う 余 地 は な か ろ う。 従 つ て そ の 中 央 塔 の 中 に 法
身 偶 を 入 れ た か と も 思 え る が、 入 れ な く と も 差 支 な い こ と は 前 に 云 つ た 通 り、 又、 中 に 種 々 荘 厳 具 と 共 に 大 日 如 来 の 像 を 入 れ た か と も 思 う ( 入 れ な く と も よ い が )。 入 れ た と す れ ば こ こ に 入 れ る に 適 わ し い 秀 れ た も の で あ つ た で あ ろ う、 そ の 印 相 は 一 種 の 転 法 輪 印 か 又 は 法 界 定 印 か、 又 はDhvaja-mudra (28) ( 橦 印 ) 即 ち 日 本 で い う 如 来 拳 印 で あ つ た か と 思 う が、 現 存 し な い の で 想 像 の 域 を 出 で な い。 か よ う に し て、 こ の 本 覚 向 下 面 で は、 中 央 塔 が 大 日 如 来 の 自 性 法 身 で、 そ れ が 円 坦 三 層 で は 自 受 用 法 身、 第 五 層 壁 上 で は 他 受 法 身 と し て 普 賢 菩 薩 に 授 法 し、 第 四 層 以 下 の 壁 上 で は 変 化 法 身 と し て 十 地 以 下 の 菩 薩 及 び 二 乗 凡 夫 を 教 化 し、 最 下 基 坦 壁 面 で は 仏 が 等 流 法 身 と な つ て 六 道 の 衆 生 を 救 済 教 化 す る こ と を 示 し た も の で、 こ れ は 金 剛 頂 経 等 を 所 依 と す る 正 純 密 教 の 教 理 に よ つ て 仏 の 大 悲 智 の 活 動 の 普 偏 徹 底 せ る を 表 現 し て、 以 て 衆 生 教 化 に 資 せ ん と し た も の と 見 ら れ る。 ボ ロ ブ ド ゥ ル 大 塔 の 意 味 す る も の は 大 体 以 上 の 如 く、 こ れ は 大 日 如 来 の 大 悲 智 活 動 を 向 上 修 証 の 面 と 本 覚 向 下 の 面 と の 両 面 を 一 立 体 掲 磨 マ ン ダ ラ と し て 表 わ し た も の で あ る と 云 え よ う。 こ の 私 の 結 論 は 故 栂 尾 先 匠 の 高 説 と 或 る 程 度 は 一 致 し て い る の で あ 惹 。 し か し そ の マ ン ダ ラ の 主 体 の 性 格 に つ い て は 不 幸 に し て 一 致 し 得 な い の で あ る。 マ ン ダ ラ の 主 体 は 結 局 大 日 如 来 で あ る こ と に は 栂 尾 先 生 も 同 意 見 で あ る の で あ ろ う が、 に も か か わ ら ず こ れ を 金 剛 頂 略 出 念 調 経 に よ つ て 普 賢 金 剛 薩 垣 と せ ら れ る。 そ れ は そ の 限 り に お い て は 異 議 を 挾 さ む も の で は な い が、 そ の 普 賢 金 剛 薩 埋 を 後 の 時 輪 教 ( Kalakra) な ど で い う 本 初 仏 ( Adibuddha)な り と し て、 こ の 大 塔 は そ の 本 初 仏 の 錫 磨 マ ン ダ ラ な り と せ ら れ る の で、 こ の 点 は こ の マ ン ダ ラ の 主 体 の 性 格 の 問 題、 同 時 に 当 時 の 此 地 の 密 教 の 性 格 の 問 題 に 関 す る の で 軽 々 に 承 服 す る こ と は で き な い の で あ る。 先、 本 初 仏 な る 仏 名 は 後 の 時 輪 教 な ど で 盛 に 用 い ら れ る も の で あ る が、 そ の 性 格 に は 宇 宙 の 本 源 的 実 在 の 意 味 も あ る が 如 く で、 栂 尾 先 生 も そ の ﹁ 理 趣 経 の 研 究 ﹂ 四 六 二 頁 に、 ﹁ 本 初 仏 は 心 的 最 高 の 原 理 で あ る と 共 に 物 的 最 高 の 本 源 で も あ る。 こ の 色 心 不 二、 物 心 一 如 の 永 遠 不 滅 の 本 体 を 指 し て 本 初 仏 と 云 う の で あ る。 こ れ が 宇 宙 万 象 の 源 泉 で あ る と 共 に 宇 宙 は こ れ に 依 り て 生 じ こ れ に 依 り て 開 展 す る 云 々 ﹂ と 言 つ て 居 ら れ る。 本 初 仏 な る も の の 性 格 は ど う も そ う で あ る ら し 中 部 ジ ヤ バ の 密 教
密 教 文 化 い。 そ う だ と す る と こ れ は も は や 仏 教 の 仏 で は な く、 イ ン ド 教 化 さ れ た 仏、 即 ち イ ン ド 教 の 至 上 神 と 等 し い も の と な つ て 来 て い る。 仏 教 の 根 本 的 精 神 を 失 つ て い る。 仏 教 の 仏 で あ る 限 り、 名 は 何 と つ け よ う と も そ れ は 覚 り そ の も の で あ つ て、 宇 宙 の 根 本 と か 本 源 的 実 在 と か い う 意 味 の も の で は な い は ず で あ る。 然 る に 後 の 本 初 仏 に は か か る 性 格 が つ け ら れ て い る ら し い。 し か し ボ ロ ブ ド ゥ ル の マ ン ダ ラ の 主 体 は か か る 本 初 仏 で あ つ た と は 思 え ぬ。 当 時 の ジ ャ バ の 密 教 は か か る 本 初 仏 を 認 め て い た と は 思 え ぬ。 然 る に 栂 尾 断 は 本 初 仏 の 思 想 は 既 に 中 印 度 に 七 世 紀 末 か 八 世 紀 初 に は あ つ た で あ ろ う か ら、 八 世 紀 後 半 ( ボ ロ ブ ド ゥ ル 創 建 時 代 ) の ジ ャ バ に は あ つ た も の と せ ら れ る。 そ し て 種 々 の 典 拠 を 挙 げ て 居 ら れ る が 何 れ も 私 に は 肯 づ け な い。 即 ち 同 師 が 前 掲 書 四 七 〇 頁 に お い て 大 日 経 転 字 輪 曼 祭 羅 品 に 於 け る ﹁ 我 一 切 本 初、 号 名 世 所 依 ﹂ な る 句 ( 正 一 八、 二 二 頁 ) の 本 初 な る 語 を 以 て、 本 初 仏 を 呼 称 す る 時 に 用 い ら れ る Adiで あ ろ う と せ ら れ る が、 し か し こ こ ら の 本 初 と い う は、 仏 が そ の 自 覚 に お い て 我 は 本 来 覚 つ て い る 者 で、 従 つ て 世 間 の 最 尊 者 だ と い う 意 味 で あ つ て、 客 観 的 宇 宙 世 界 の 本 初 本 源 だ と い う 意 味 で は な か ろ う、 従 つ て す ぐ 次 に ﹁ 説 法 無 等 比、 本 寂 無 有 上 ﹂ な る 句 が 続 く の で あ る。 又 同 師 (29) は 広 本 理 趣 経 の 経 題 の 初 め の ﹁ 最 上 根 本 ﹂ (Paramadya)な る 語 を 以 て、 最 高 本 初 仏 (Pamadya-buddha)を 意 味 す る も の と せ ら れ る が、 そ れ は 無 理 な 解 釈 で あ ろ う。 又 栂 尾 師 が 同 書 ( 四 六 八 頁 ) に 挙 げ ら れ る 文 珠 菩 薩 最 勝 名 義 経 中 の ﹁ 正 覚 無 始 終、 最 初 仏 無 因 ﹂ ( 正、 二 〇、 八 二 二 頁 ) な る 句 に お け る 最 初 仏 と い う の は 後 の 時 輪 教 で い う 本 初 仏 を 表 わ し て い る の で あ ろ う ( そ の 梵 文 及 び 蔵 訳 も そ の 通 り で あ る )。 し か し こ れ は 元 代 沙 羅 巴 の 訳 ( 一 三 一 西 年 ) に あ る も の で、 こ れ の 宋 代 施 護 訳 ( 九 八 〇-)及 び 金 総 持 訳 ( 一 一 〇 七-一 〇 ) に は 此 処 に 当 (30) る 処 に こ の 語 は な い。 宋 代 訳 の 頃 に は 印 度 で は も う ぼ つ ぼ つ あ つ て 然 る べ き で あ ろ う が、 に も 係 わ ら ず こ の 両 訳 に は な い。 か よ う な わ け で こ の ボ ロ ブ ド ゥ ル は 大 塔 創 建 の 時 代 ( 八 世 紀 後 半 ) に は 印 度 に お い て も ま だ 栂 尾 師 が 解 せ ら れ る よ う な 宇 宙 の 本 源 と し て の 本 初 仏 の 思 想 は 起 こ つ て は い な か つ た で あ ろ う。 た と い 一 部 の も の の 間 に は 起 こ つ て い た と し て も、 そ れ が 当 時 の 印 度 の 社 会 で、 従 つ て ジ ャ バ 迄 も 伝 え ら れ る ほ ど に、 勢 力 あ る も の と な つ て い た と は 思 え ぬ。 故 に ボ ロ ブ ド ゥ ル 中 央 塔 な る 自 性 法 身 仏 は 本 初 仏 と い う べ き も の で は