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取 締 役 の 監 督 義 務 に 関 す る オーストラリア判例法の展開

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ソシオサイエンス Vol. 18 2012年3月

Ⅰ はじめに

オーストラリアは,近年,健全なコーポレー ト・ガバナンスの確立に積極的な国の一つで ある。特に,取締役の義務や責任については,

1960年代の早い時期から会社制定法による取締 役の義務の明文化や判例による義務内容の具体 化が進展してきた。また,1990年代初めから,

民間主導により最良実務慣行などのソフトロー によるコーポレート・ガバナンス向上を目指し たイギリスと軌を同じくして,オーストラリア においても民間主導による上場会社のコーポ レート・ガバナンス改革が進められた。

イギリスでは,上場会社の不祥事を契機に,

1992年のキャドバリー委員会報告書を嚆矢とし て,民間設置の委員会がコーポレート・ガバナ ンスにとって好ましい慣行を示し,それを上場 会社が自主的に取り入れるという方法によっ て,イギリスは健全なコーポレート・ガバナン スを確立しようとしてきた。その後,こうして 示された最良の慣行は,ロンドン証券取引所の 上場規則に取り入れられ,その遵守か不遵守の 説明を求められるという形で,任意規範であり

ながら事実上の強制力を持って上場会社に適用 されることになった。

オーストラリアにおいても,1991年に,停滞 していたオーストラリア経済の活性化のため に,ボッシュ委員会が,民間主導により,「会社 の実務と慣行」(

Corporate Practices and Conduct

という上場会社のコーポレート・ガバナンス にとって望ましいとされる様々な勧告を行っ た。この「会社の実務と慣行」も,後にオース トラリア証券取引所の上場規則の中に取り入れ られ,上場会社に対して大きな影響を及ぼして いく。これは,オーストラリア証券取引所が中 心に作成した「コーポレート・ガバナンス原則 と最良実務勧告」(

Principles of Good Corporate Governance and Best Practice Recommendations

)に 引き継がれていくことになる。

このように,民間主導によって作成された最 良の慣行や勧告は,会社法などの制定法とは異 なり任意規範であることから,一般にソフト ローと呼ばれている。上記の慣行や勧告のよう なソフトローは,上場会社に対する指針でしか なく法的な強制力がないことから,当初はその 有用性に疑問が持たれることも少なくなかっ

*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程3年 論 文

取 締 役 の 監 督 義 務 に 関 す る オーストラリア判例法の展開

― 判例法とソフトローとの関係を中心に ―

林   孝 宗

(2)

た。ところが,近年では,ソフトローが上場規 則に取り込まれることによって,上場会社に対 して実質的な強制力を有し,加えて,裁判所が 取締役等の注意義務違反を判断する際に,指針 として用いられることで,ソフトローの新しい 機能が発揮されている。特に,オーストラリア では,裁判所の判断がソフトローの作成過程に 大きな影響を与え,また,逆にソフトローが裁 判所の判断に影響を与えるという相互補完的な 関係が見出される。

一方,我が国の裁判所では,これまで実務界 等の作成したソフトローを判断基準として採用 することに,一般的に消極的であったように見 受けられる。変化の早い経済状況において,制 定法だけでは適切・迅速に対処できない問題に 対して,ソフトローが適宜機能するよう法制を 設計することは,今後の我が国のコーポレー ト・ガバナンスを考えていくうえで重要な視点 の一つといえよう。

本稿は,オーストラリアの上場会社における 取締役の注意義務違反に関する判例法の展開を 検討し,これを通じて,裁判所の判断とソフ トローとが相互補完的な関係を有しているこ と,およびその内容を明らかにすることを目的 とするものである。検討の順序としては,Ⅱで は判例法の理解に必要な限りで,取締役の注意 義務に関するオーストラリアの法制度を会社法 とソフトローである「コーポレート・ガバナン ス原則と最良実務勧告」を中心に概観する。Ⅲ では,上場会社の取締役と取締役会議長につい て,注意義務(監督義務)違反が争われた判例 を若干詳しく検討する。Ⅳにおいて,オースト ラリアの判例の検討を通じて明らかになる点を 確認し,日本法への示唆を指摘したい。

Ⅱ オーストラリアにおけるコーポレート・

 ガバナンスの構造と法規制の特徴 1.会社制定法における取締役の義務と責任

判例法の展開を検討する前に,まず,オース トラリア会社法における取締役と会社役員の義 務と責任について概観する。ただし,オースト ラリア会社法上,会社役員は,取締役に関する 規定に服することから,取締役の注意義務の変 遷を中心に取り上げることにする。オーストラ リアは,元々は英連邦諸国の一つであり,イギ リス会社法を継受してきた経緯から,取締役や 取締役会議長は会社に対して衡平法上の信認義 務(

fiduciary duty

)と,コモンロー上の注意義 務(

duty of care and skill

)を負うとされてきた。

その後,オーストラリアでは,どの英連邦諸国 よりも早く,取締役の注意義務について会社制 定法に明文規定を設けている。

1958年ビクトリア州会社法107条が設けられ るまで,取締役の注意義務に関する規定は,法 文上は存在せず,判例法に委ねられていた。当 時のオーストラリアの裁判所は,イギリスの判 例である

Re City Equitable Fire Insurance Co. Ltd

事件判決(1)を参考に,取締役は自身が有する 知識や経験にかんがみて行為すれば注意を尽く したことになると判示していた(いわゆる主観 基準(

subjective test

))。この基準によると,取 締役の知識や経験が乏しいほど,取締役の責任 を問うことができる場合が限定されることが指 摘され,取締役会の監督機能の形骸化を招いた と,学説上,批判が生じていた(2)。当時,国内 では取締役の注意義務について明文規定を設け るべきかが活発に議論された。この取締役の注 意義務の明文化に関する議論は,コーポレー

(3)

ト・ガバナンス改革の一つの試みであり,当時 のイギリスも含め他の英連邦諸国には見られな い特色であった。1958年ビクトリア州会社法 107条には,「取締役は,常に誠実に(

honestly

行動し,その地位に伴う義務の履行において合

理的に(

reasonable

)勤勉性を用いる必要があ

る」という内容の規定が置かれ,取締役は職務 を果たす上で合理的な範囲で注意義務を負うも のとされた。この規定は,1961年オーストラリ ア統一会社法にも引き継がれた(3)。しかし,こ の規定のみでは,未だどのような基準で取締役 の注意義務を判断するかは具体的に明らかでは なく(4),基準の具体的な明確化は1992年の改正 を待たなければならなかった。

1989年,オーストラリアでは,取締役の義務 について検討したクーニー委員会が,取締役の 注意義務についての主観基準による判断は現在 の社会的要請に合致せず,立法による客観基準 の明示が必要であると勧告した。同じ頃,イギ リスでは,オフショアの租税回避行為によって 債務を負担することになった不動産会社の業務 執行取締役の責任が問題となった事案におい て,1991年 の

Norman v. Theodore Goddard

事 件 判決(5)が,これまでの主観基準による判断か ら,取締役は取締役の義務を履行する者に合理 的に期待されうる技量を備えていなければなら ないと判示し,これまでと異なる基準による 判断が示された(一般的に,これを客観基準

objective test

)と呼ぶ)。

クーニー委員会による勧告とイギリスにおけ る判例の変化の影響からか,オーストラリアで は,1992年の会社法改正時に,客観基準につい ての規定(当時のオーストラリア会社法232条 4項)が設けられた。条文は「取締役を含む役

員(

officer

)は,その権限の行使および義務の

履行にあたっては,当該会社において同様の地 位を占める合理的な者が当該会社の置かれた状 況からすると用いるであろう程度の注意と勤勉 を払わなければならない」と規定している。こ こでは,単に従来の主観基準ではなく客観基準 で判断することのみを強調し,当該取締役が一 般の取締役よりも高い水準の知識,技量,経験 を有している場合に,その有する知識等に見合 うように注意義務の基準が引き上げられるか否 かは充分に検討されていなかったようである(6)

1999年の会社法改正でも,取締役の注意義務 の規定(現在のオーストラリア会社法180条)

に関して大幅な改正はなかったが,その後の判 例法(7)によって取締役の注意義務違反につい ては二重基準によって判断することが確認され た。二重基準(

dual test

)とは,取締役に対し て,客観的に当該取締役と同様の役割を果たす 者に合理的に期待される,知識,技量,勤勉さ が要求されることを基礎として,当該取締役が 一般の取締役よりも高い水準の知識,技量,経 験を有している場合には,その有する知識等に 見合うように注意義務の基準が引き上げられる とする基準である。この二重基準は,イギリス の1986年倒産法214条および2006年会社法174条 でも採用されている(8)。この1999年の改正作業 においては,注意義務の中に含まれる取締役の 監督義務を明示した規定を設けるべきかについ ても議論されたが,オーストラリア取締役協会

the Australian Institute of Company Directors

等の反対によって現実しなかった(9)

1999年の改正時には,取締役について,経営 判原則(

business judgment rule

)の規定も追加 された。これは,アメリカの判例法(主にデラ

(4)

ウェア州裁判所の判例法)を参考に設けられた 規定であり,オーストラリア会社法180条2項 に,取締役は経営判断を行う上で規定に掲げる 要件をすべて満たした場合には,会社法上およ び衡平法上の注意義務を果たしたとみなされる 旨が規定されている。その要件として,①経営 判断が適正目的(

proper purpose

)によって行わ れたこと,②経営判断が誠実に(

in good faith

行われたこと,③経営判断を行った取締役が私 的な利益を有していなかったこと,④経営判断 を行った取締役が,判断する上で重要な情報の 適切性を合理的に信じていたこと,⑤経営判断 を行った取締役が,会社の最善の利益(

in the best of interest

)になると合理的に信じていたこ とが挙げられている。180条3項には,経営判 断についての定義規定も置かれている。これら の規定は,取締役の責任に対する判例の判断基 準が厳格になりすぎたとして追加されたもので あるが,改正後,実際に経営判断原則の適用に ついて争われた事案はほとんどないようであ る(10)。オーストラリアでは,この規定が導入 される以前から,経営判断の内容について実質 的な審査をすることは避けられる傾向にあり,

経営判断に至る過程または手続的側面に着目し て判断がなされていたことから(11),訴訟を提 起された取締役が特に経営判断原則を主張・立 証することは少なかったともいえそうである。

ところで,オーストラリア会社法には,イ ギリス会社法と異なり,取締役の注意義務違 反に対する民事罰の規定がある。オーストラ リア会社法1317

E

条は,会社に損害が発生して いなくても取締役が注意義務を欠いていた場 合,オーストラリア証券投資委員会(

Australian Securities Investment Commission

ASIC

) が 裁

判所に申立てを行い,裁判所の命令によって,

当該取締役に対して資格剥奪と20万オーストラ リアドル以下の制裁金を課すことができると規 定している(12)。オーストラリア証券投資委員 会は,単に証券取引の監督のみならず,市場経 済の安定のために,会社の登記業務や会社業務 を調査・監督する役割を与えられている。後に 判例の検討において触れるが,取締役の注意義 務違反についても,株主が訴訟を提起すること は少なく(13),オーストラリア証券投資委員会 が民事罰の執行のために訴訟を提起することが 多いようである。また,上述の取締役の民事 罰の規定は,民事手続による旨が定められて おり,刑事罰や行政罰とは区別されている(14)。 会社法793

C

条2項(

b

)号には,オーストラリア 証券投資委員会が,上場会社の取締役に対して 当該会社が上場規則を遵守するよう裁判所に命 令求めることができる旨を規定しており,オー ストラリア証券投資委員会が,上場会社のコー ポレート・ガバナンスについて大きな役割を 担っていることが窺われる。

2.「コーポレート・ガバナンス原則と最良実 務勧告」における取締役の義務と責任 次に,オーストラリアの上場会社に対する ソフトローによる規制について概観してみよ う(15)。上場会社に対するソフトローによる規 制の議論は,1990年代はじめに遡る。1980年代 後半からの経済の停滞と上場会社に対する市場 の信頼の低下から,1990年に,政府は,オース トラリア経済に関する諮問委員会のワーキン グ・グループとしてボッシュ委員会を設置し た。同委員会には,実務界も積極的に加わり,

委員会の作業は民間主導で進められた。翌年の

(5)

1991年に,ボッシュ委員会は,「会社の実務と 慣行」を公表し,望ましいとされる上場会社の コーポレート・ガバナンスについて様々な勧告 を行なった。この勧告の公表は,オーストラリ アが初めてソフトローによりコーポレート・ガ バナンスの健全化を目指した画期的な出来事 であった(16)。イギリスでも,1980年代後半から 続いた多くの上場会社の不祥事を契機にキャ ドバリー委員会が設置され,1992年に民間主導 によるソフトローと呼べる「最良実務コード」

Code of Best Practice

)が公表された。両国と もに共通している点は,上場会社に対してソフ トローによりコーポレート・ガバナンスの規範 確立を目指した点であり,これはその後,国際 的な潮流となっていった。

ボッシュ委員会による「会社の実務と慣行」

は,取締役会の監督機能の向上を中心に据え,

取締役会の監督機能の向上が,コーポレート・

ガバナンスの健全化にとって要点であるとし た。そして,監督機能の向上のためには,業務 執行の監督のみ行う取締役(非業務執行取締役 とも呼ぶ)の役割が重要であるとしていたが,

当初,イギリスのキャドバリー報告書の「最良 実務コード」と同様に,非業務執行取締役の独 立性について具体的な基準を示さないなど,取 締役会の監督機能を向上させるための具体的な 基準については明示していなかった。その後,

オーストラリアの機関投資家団体であるオー ストラリア投資マネージャー協会(

Australian Investment Manager Association: AIMA

)の協力(17)

による数度の改正を経て,非業務執行取締役に ついて独立性の具体的化(

Guideline

1

.

1)等が 行われた。

また,「会社の実務と慣行」の公表に合わせ

て,オーストラリア証券取引所(

Australia Stock Exchange : ASX

)は,1994年から上場規則にお いて「会社の実務と行動」の規定を遵守してい るかあるいは遵守していない場合はその理由の 説明を開示するよう定めた(オーストラリア証 券取引所上場規則4

.

10

.

3)。前述したように,会 社法は,オーストラリア証券取引委員会が,上 場会社の取締役に対して上場会社が上場規則を 遵守するよう裁判所の命令を求めることができ ると規定しており,これは,ソフトローである

「会社の実務と慣行」を,間接的に上場会社に 遵守させる効果を持つものである。上記の経緯 からして,「会社の実務と慣行」が,1990年代を 通じて,上場会社のコーポレート・ガバナンス の規範を確立する役割を担っていたといえる。

2000年代に入ると,上場会社の取締役や会 社役員について注意義務違反を争う判例が多 数あらわれ,上場会社のコーポレート・ガバ ナンスについて,再び大きく議論が展開する。

2002年に,後述する大規模な上場会社の不祥事 である

HIH

事件を契機として,オーストラリ ア証券取引所が,実務界との協力によりコー ポレート・ガバナンス委員会(

ASX Corporate Governance Council

)を立ち上げ,上場会社に おけるコーポレート・ガバナンスの健全化のた めの新たな規範を模索し始めた。この時期は,

アメリカやイギリスにおいて,上場会社のコー ポレート・ガバナンスについて大きな変化が 見られた時期でもあり(18),オーストラリアも 少なからずその影響を受けていると思われる。

2003年に,上記委員会は,「コーポレート・ガ バナンス原則と最良実務勧告」(以下,「原則と 勧告」という)を公表した。この「原則と勧告」

は,前述した「会社の実務と慣行」と同様に,

(6)

上場会社における取締役会の監督機能の向上を 中心に据え,その中でも取締役会の議長と取締 役会構成員である非業務執行取締役が,監督者 としての役割をどのように果たしていくべき かを明らかにすることを課題とした。その後,

2007年と2010年に部分的な改正が行われている が,内容的に大きな変更はない。

では,その内容を本稿との関連に留意しつつ 概観していくが,断りがないかぎり,2010年に 改正された「原則と勧告」に基づいて記述す る。取締役会は業務執行者に対する監督機関と して主に期待されている(原則1)。また,取 締役会の監督とは,業務執行者に対する監督 のみならず,会社全体の監督(

Oversee

)も含 み,会社の内部統制や法令遵守について監督

Monitor

)する立場にあるとされ(勧告1

.

1の

Commentary

),かなり広範囲の監督を期待され

ている。上記については,年次報告書に添付さ れるコーポレート・ガバナンス報告書において 具体的に説明できなければならない。また,業 務執行者や会社に対する監督を高めるために,

取締役会以外にも監査委員会,指名委員会,報 酬委員会の設置が求められている(勧告4

.

1な ど)。

取締役会や各委員会は,広範囲の監督を期待 されていることから,業務執行者から独立して いることが求められ,取締役会の構成員の過半 数は独立取締役(

independent director

)でなけ ればならないとされている(勧告2

.

1)。監査委 員会においては構成員のすべてが非業務執行取 締役でなければならず,過半数は独立取締役で なければならない(勧告4

.

2)。この独立取締役 とは,業務執行者からの独立性を有する非業務 執行取締役を指す。これは単なる社外性のみで

は取締役会の監督機能が担保されないことか ら,さらに加えられている要件であるといえ るだろう。具体的に挙げると,①主要株主(

a substantial shareholder

)である者またはこれと 直接的な関係がある者,②過去3年以内に当該 会社またはその会社の属するグループ会社の従 業員である者または過去に従業員であった者,

③当該会社との間において直接・間接的に重要 な取引上の関係にある者,④当該会社またはそ の会社の属するグループ会社の取締役以外の重 要な役職に就いている者,⑤過去3年以内に当 該会社またはその会社の属するグループ会社に おける専門家として助言を締結する契約を行う など重要な関係を有していた者は,独立性を否 定される。また,会社としても,独立取締役で あるか否かに関わらず,個々の取締役が業務執 行者から独立した判断ができるよう体制を整 えなければならない(勧告2

.

1の

Commentary

)。

この独立取締役とは,非業務執行取締役の役割 である監督者としての役割をさらに高めるため の考え方であり,イギリスのコーポレート・ガ バナンス・コードやアメリカのニューヨーク証 券取引所の上場規則においても採用されてい る。この独立取締役に対しては,取締役会など の監督機関としての独立性を担保するために有 効であると認識されている一方で,独立性を求 めるあまり就任している会社や業界に関する知 識や経験が不足しがちであることが指摘されて いる(19)。そこでオーストラリアでは,監督を 主に行う非業務執行取締役に対して会社を監督 する上での専門性を求める議論が活発になされ ている(20)。この専門性については,具体的に 制定法などで決定することは困難であることか ら,ソフトローである自主規制によって具体化

(7)

すべきとする意見もある(21)。実際に,イギリ スのコーポレート・ガバナンス・コードにおい ては,非業務執行取締役や取締役会議長に専門 性を求める規定が追加されている(22)

加えて,取締役会議長の役割の重要性が認識 されている。取締役会議長の主な役割として,

個々の取締役が取締役会において効率的に判断 できるようにすることと,取締役会と業務執行 者が適切な関係を維持できるように調整する役 割が期待されている(勧告2

.

2の

Commentary

)。

そこで,このような役割を担うために,勧告で は,取締役会議長は独立取締役でなければな らず(勧告2

.

2),また,取締役会議長と業務執 行者が同一の者であってはならないとしてい る(勧告2

.

3)。もし,取締役会議長が,独立取 締役ではない場合,取締役会の他の独立取締役 が取締役会の構成員の互選により筆頭独立取 締役に任命されなければならない(勧告2

.

2の

Commentary

)。取締役会議長の独立性は,1990

年代を通じて,オーストラリア投資委員会等の 機関投資家団体から提案され,取締役会議長が 独立取締役でない場合,非業務執行取締役が独 立した立場から監督することが困難になると主 張する文献もある(23)。このように「原則と勧 告」では,非業務執行取締役と取締役会議長に ついて,業務執行を行う取締役とは役割を異に することを前提に,その役割と責任を具体化し ていることが理解できる。

「原則と勧告」は,「会社の実務と慣行」と同 様に,オーストラリア証券取引所に採用され,

上場規則中に「原則と勧告」の規定を遵守して いるかあるいは遵守していない場合はその説明 をするよう定められている(オーストラリア証 券取引所上場規則4

.

10

.

3)。これまでと同様に,

会社法において,オーストラリア証券取引委員 会が,上場会社の取締役に対して当該会社が上 場規則を遵守するよう裁判所の命令を求めるこ とができる旨を規定していることから,「原則 と勧告」は上場会社に対して,開示による事実 上の強制力を有している。

Ⅲ オーストラリアにおける取締役の  監督義務に関する判例法の展開 1.AWA事件判決の影響

これまで見てきたように,会社法上,業務執 行を監督する側面から,取締役の注意義務の基 準は,客観化することによって厳格化する傾向 にある。また,前述した「原則と勧告」は,取 締役会が監督機関として機能するために,非業 務執行取締役と取締役会議長の役割をより具体 化する方向で規定を設けている。とはいえ,会 社法には,非業務執行取締役や取締役会議長に 特有の義務や責任についての規定は存在せず,

どのような義務や責任があるかは判例法に委ね られてきた。オーストラリアでは,2000年代に 入り,取締役会議長の注意義務違反が問われた 判例や,取締役会構成員として非業務執行取締 役が十分な監督を行わなかったことに対して注 意義務違反が問われた判例など,この点に関す る重要判例が現れている。

2000年代の判例を検討する前に,まず,2000 年代以前においてオーストラリアにおける上 場会社のコーポレート・ガバナンスを考える 上で重要な判例である①

AWA

事件判決を検討 する。

AWA

事件とは,1992年から1995年にか けて上場会社の取締役や会計監査人の監督義務 が問題となった一連の事件のことを指す。事案

(8)

は,国際通貨の不規則変動に対するリスクヘッ ジのために,為替相場取引を行なっていた上 場会社

AWA

社(電子機器の製造・輸入などを 目的)に関するものである。会社の国際取引マ ネージャーとして働いていた

A

は,その為替相 場取引に関して利益の部分のみ報告・開示し,

損失に関わる報告は行わず,会社に多額の損害 を生じさせた。

AWA

社の会計監査人は,為替 相場取引に関して損益が明らかになっていない こと,会社の内部統制が不十分であることの改 善提案書(

a letter suggesting improvement

)を提 出していたものの,取締役会には報告していな かった。そこで,

AWA

社は,監査を行なった 会計監査人に対して損害賠償請求訴訟を提起 し,加えて,問題となった為替相場取引に関し て十分な監督が行なわれていなかったことを理 由に,業務執行取締役と非業務執行取締役に対 しても損害賠償請求訴訟を提起した。

第一審(24)で,

Roger

裁判官は,まず,被告で ある業務執行取締役に対して「…当該被告取締 役は,…以前から会計士(

chartered accountants

として実務を経験しており,さらにいくつかの 取締役会議長をしてきた経験がある。…」(25)と 判示し,さらに「…(業務執行を行った)取締 役は,その立場において期待されている注意や 技量をもって権限を行使しなければならない。

取締役として要求される技量は客観的に判断 される。…」(26)と判示し,当時,一般的な判断 基準とされていた主観基準ではなく客観基準と いえる基準によって注意義務違反を認めた。し かし,監督のみを行なった非業務取締役に対し ては,「…上場会社の取締役会は日々の業務を すべて行うことはできず,業務執行者に日々の 業務を移譲する必要がある。…上場会社の取締

役会が日々の業務すべてに拘ってしまったなら ば,取締役は,取締役会としての重要な決定を 行うことはできないだろう。…当該会社が合併 等によって巨大化・複雑化する状況下で,非業 務執行取締役が詳細な知識や行動力によって取 締役としての義務を果たすことはできない。…

(業務執行を行う)取締役と非業務執行取締役 は異なる機能を有している。…」(27)として非業 務執行取締役の監督について注意義務違反を認 めなかった。この判示に対しては,大規模な上 場会社の中では,非業務執行取締役は業務執行 者からの会社業務に関する情報等に依存せざる をえないとしても,これでは業務に対する監督 責任を簡単に免れてしまうと多くの批判が寄せ られた(28)。また,第一審判決では,取締役会議 長についても言及しており,「…取締役会議長 は,取締役会全体の行為について他の取締役と は異なり,より重い責任を有している。…取締 役会に上程する議題を選択し,…取締役会とし ての方針を決定する…責任がある。…」(29)と 判示していた。

その後,非業務執行取締役の責任について 争 わ れ た 控 訴 審(30)に お い て,

Clarke

裁 判 官

Sheller

裁判官は,取締役を単なる名目的な

者(

ornament

)ではなく,コーポレート・ガバ

ナンスにおける重要な構成要素であると捉え,

「…取締役の責任として,業務執行者に対して 合理的な方法によって指示,監督することが要 求される。…」(31)と判示して,取締役は単に名 目的な存在であってはならず,業務執行者を監 督する重要な機関であるべきことを示した。ま た,「…一般的に,取締役は会社の事業につい て基本的な理解が必要とされる。…なぜなら,

取締役は通常の注意義務(

ordinary care

)を負

(9)

うからであり,…もし取締役が自身の取締役と しての義務を果たすのに十分な経験を有してい ないならば,取締役は義務を果たすのに十分な 知識を得るか,または(取締役を)辞任するべ きである。…」(32)と判示し,取締役として一定 の客観的基準が存在することを第一審に続いて 確認した。非業務執行取締役については,「…

非業務執行取締役は,業務執行者が虚偽の報告 を行っている(

deceiving

)かどうかを判断する 際に,会計監査人,業務執行取締役,取締役会 議長,その他の役員に責任転嫁するべきではな い。…活動しない(

sleeping

)取締役や消極的

な(

passive

)取締役は生き残ることはできない

だろう…」(33)と判示し,第一審において責任を 否定された非業務執行取締役の責任を認めた。

これは,たとえ非業務執行者であっても,業務 執行者からの情報のみに依存していた場合,注 意義務違反について過失を認定されてしまうこ とを示したものといえる。控訴審では,

AWA

社の取締役会が月に一度しか開催されていない ことにも言及し,取締役会が適切に監督機関と して機能するように,より頻繁に開催されるべ きと判示している(34)

本判例によって,取締役会が監督機関として 適切に機能することが期待され,業務執行者に 対する監督者としての,取締役と取締役会議長 の役割が示されたといえよう。①判決が現れた 背景には,1990年代の初めから,取締役会の監 督機能や非業務執行取締役の役割の明確化など を示していた「会社の実務と慣行」の強い影響 があると考えられる。この一連の①事件判決の 結果,取締役や会社役員の監督義務が非常に注 目され,前述した1999年の会社法改正における 客観基準の明文化と取締役の監督義務について

の議論につながっていった。ところで,本判例 は,イギリスの同様の事件に対する判例の考え 方にも大きな影響を与えている。イギリスの 投資銀行である

Barings

社の取締役が,同社の ディーラーが行なった不正取引による会社破綻 について責任を問われた

Re Barings plc

No.

5)

事件判決(35)において,

Jonathan Parker

裁判官は

①判決を引用して,取締役は,取締役会全体と して,また個々の取締役としての義務を適切に 遂行するために十分な知識と理解を持ち,また 維持する義務を有するとし,事件が生じた大き な原因は,取締役が適切に監督できていなかっ たことにあると取締役の責任について判示して いる。このように,①事件第一審判決により,

取締役会議長と取締役の役割が異なることは判 示されたものの,より具体的にどのような役割 を担うか明らかにされるには,その後の判例の 蓄積を待たなければならない。

2.ソフトローの形成に影響を与えた判例 2000年代に入ると,非業務執行取締役や取締 役会議長について①判決で判示された点につい て進展がみられ,「原則と勧告」の作成に影響 を与えるような判例が現れる。最初に検討す る②

ASIC v. Adler

事件判決(36)は,2001年に経 営破綻した住宅保険を主とする大規模上場会社 である

HIH

グループの取締役の責任が問われ た事件(

HIH

事件ともいう)である。オース トラリア史上,最も大きな上場会社の破綻事件 として知られ,政府による特別調査委員会であ る

HIH

王立委員会も設置され,破綻について 詳細な調査が行われた。同委員会の調査によっ て,

HIH

グループの本社である

HIH

保険の非 業務執行取締役である

Y

1が,本社の完全子会

(10)

社である

HIHC

社の非業務執行取締役を兼務 し,その

HIHC

社から

Y

1が一人取締役に就任 している

PEE

社に多額の融資が行われており,

また

PEE

社経由によって多くの不透明な融資 が行なわれていたことが判明した。本社の取締 役会は,上記の融資が行われていたことを認識 しておらず,また唯一融資について認識してい た

Y

1は取締役会に報告していなかった。この 調査をもとに,オーストラリア証券投資委員会 は,本社の非業務執行取締役

Y

1と本社の財務 担当取締役

Y

2,本社の最高経営責任者

Y

3 対して,不透明な融資が行なわれていたことを 看過したことについて注意義務違反があるとし て裁判所に民事罰を求める訴訟を提起した。

Santow

裁判官は,判旨において「…取締役

は,業務執行者に対して指示・監督する際に,

合理的な方法によってこれを行わなければなら ない。具体的に言うと…⒜取締役は,従事して いる会社についての基本的な知識に精通してい なければならない,⒝取締役は,会社の業務に 関する情報について継続的に取得する義務を負 う,⒞取締役が会社の業務や方針について決定 するには,取締役会への定期的な出席を必要と する,⒟取締役は財務に関する書類(

financial

statements

)を定期的にレビューすることに

よって会社の財務体質に精通していなければな らない。実際に,財務に関する書類を読まない かぎり,取締役は会社の破綻について責任を免 れることはない。…」(37)と判示した。判旨の取 締役の役割について指摘した⒞と⒟は,これま で判示されてきた抽象的ともいえる取締役の役 割に加えて,さらに具体的に取締役会への出席 や財務に関する書類の確認等を行うことを明示 したところに大きな特徴がある。

また,

Santow

裁判官の判示は,取締役が業

務執行者等から情報を取得する場合などに,責 任を免れるためにどのような判断要素が考慮さ れるかについて具体的に示したところに重要 な意義がある。具体的に,判旨では,「…⒜業 務執行者等の役員(

officer

)に適切に権限を委 譲しているか,⒝取締役が問題となっている 点についてどの程度調査しているか,⒞取締 役と権限を委譲した者との関係において,取 締役が,権限を委譲した者は,信頼できる者

trustworthy

)であり,権限に基づいて行動す

ることに関して適格者(

competent

)であると

誠実に(

honestly

)に信じているか,⒟取引の

リスクと性質,⒠取締役によって講じられた調 査などの方法の程度,⒡取締役が業務執行取締 役または非業務執行取締役のどちらであるか

…」と列挙した。本判例によって具体的な判断 要素が示されたことは,特に業務執行の監督を 行う非業務執行取締役の注意義務違反を判断す る上で,大きな意味を有しているといえよう。

この②判決の後に,オーストラリア証券取引 所は「原則と勧告」を公表することになった。

前述したように,「原則と勧告」は,取締役会 の監督機能の向上を主眼に置いているが,非業 務執行取締役と取締役会議長が取締役会におい て重要な役割を有していると言及するに至った のは,①判決と②判決の影響が大きいものと思 われる。①判決で判示されたように,非業務執 行取締役と取締役会議長は,通常の業務執行取 締役とは役割が異なる。また,判決では非業務 執行取締役は名目的な存在であってはならず,

より積極的に会社の業務に対して監督を行う必 要があることが強調された。「原則と勧告」で も,非業務執行取締役が,取締役会や監査委員

(11)

会等の構成員として積極的な監督を行うことを 求め,業務執行の監督のみならず,内部統制シ ステムが適切に構築されているかを評価するな ど会社全体の監督を担うとしている。「原則と 勧告」によって,非業務執行取締役の役割が具 体化されているともいえるだろう。②判決にお いても,取締役の役割や注意義務違反における 判断要素を具体化しているが,「原則と勧告」

はさらに将来的に取締役が注意義務違反を問わ れる際に問題となりうる点について,先取りし て取り上げているとも捉えることが可能であ る。

次に検討する③

ASIC v. Rich

事件判決(38) は,取締役会議長に対して上場会社内で積極的 な役割を果たすことを求め,具体的にどのよう な役割があるかについて判示した。また,ソフ トローが裁判所の判断に影響を与えることにつ いて判示した点から重要な意義を有する判例で もある。事案であるが,

One.Tel

社は,電話等 の長距離回線による通信業を営む上場会社であ

る。

One.Tel

社は,会社設立の1995年から徐々

に業績を伸ばしていたが,2000年になると,多 くの投資を募り拡大路線を目指した会社経営に 対する不安が市場に蔓延したことから,株価が 急落し,多額の負債を抱えたまま,2001年に倒 産した。取締役会議長と監査委員会の議長を兼 務していた

Y

1に対して,オーストラリア証券 投資委員会は,会社の財務状況等を適切に把握 している必要があり,また取締役会に財務状況 等について正確に伝えていなかったことなどを 原因とする注意義務違反があるとして,民事罰 を裁判所に求める訴訟を提起した。

Austin

裁判官は,「…

Y

1 は…取締役会と財

務・監査委員会の議長の地位についており…

Y

1の資格や経験,専門性から,他の非業務執 行取締役よりも高度の特別の責任を負う…」(39)

と判示して,地位や,資格と経験,専門性に基 づいて,他の取締役と比較して責任を加重する ことを認めた。これは,前述した①事件の第一 審判決が判示した考え方を踏襲するものとい え,また,客観的基準よりも高い基準によって 注意義務違反を判断している(40)

Austin

裁判官 は,取締役会議長に,その有している資格や経 験,専門性に基づいて,取締役会が当該会社の 業務執行者を監督し,財務情報に関して適切に 評価できるような体制を確保するよう求め,そ のために,取締役会議長は会社の重要な財務情 報に対してすぐにアクセスできなければならな いとした(41)。他に,取締役会議長は,当該会 社が適切な知識や経験を有する財務担当取締役 を選任するような体制を確保しなければならな いとした(42)。これは,取締役会議長が中心と なって内部統制システムを構築するよう求める ことを意味している。また,当該会社の公表す る書類(

public statement

)について,オースト ラリア証券取引所や投資家に誤解を生じさせな い体制,株価に大きな影響を与える情報につい て,即座にオーストラリア証券取引所に通知す る体制を確保しなければならないとも判示した

(43)。これは,取締役会議長は,市場に対して も責任を果たすべきことを意味するだろう。

このように取締役会議長の責任や役割を非常 に広範に捉える場合,大規模な上場会社であれ ばあるほど取締役会議長個人の負担が過大なも のとなってしまう。そこで,業務執行者や会計 監査人など専門家による情報を信頼することが どこまで許容されるかが問題となる。

Austin

判官は,「…もし,すべての取締役に業務を遂

(12)

行する上で必要な情報について継続的に維持す べき義務があるならば,それは取締役会議長に も課される義務である。(これまでに比べて)

取締役会議長の責任は高まるであろう。…」(44)

と判示した。この判示は,②判決が非業務執行 取締役について判示したように,取締役会議長 であっても単に受動的に他者からの情報を信頼 するだけでは注意義務違反になることを示唆し ている(45)

最後に,本判決が,裁判所の判断に対するソ フトローの影響を示唆しているとして,注目 されている点を見ておこう。

Austin

裁判官は,

「…被告となっている取締役会議長の責任を判 断する場合,裁判所の役割は,現代社会の期 待を反映した(

reflects contemporary community

expectations

)基準によって判断することである

ことを忘れてはならない。…」(46)と判示してお り,これについて,裁判所がソフトローを活用 して判断するべきことを示唆しているとの指 摘がある(47)。加えて,本判決において,2003年 の1月にイギリスで公表された非業務執行取 締役に関するヒッグス報告書(48)を引用し,「…

(ヒッグス報告書における)取締役会議長に対 する勧告(

Guidanse for Chairman

)である添付 書類

D

(統合コードの規定の内容に関する改正 勧告)は,原告(証券投資委員会)側の根拠を 強固になしうる勧告が含まれている…」(49)と判 示した。この判旨に対して,イギリスの文献で は,ソフトローといえるヒッグス報告書の勧告 が,本件取締役会議長の責任に関して裁判所の 判断基準となりうることを示す好例であると引 用している(50)。また,

Austin

裁判官は,国際会 議の席で「…少なくとも,専門家団体が作成し た行動規範は,裁判所が…制定法が明示してい

ない部分を明らかにする際に,補完となるだろ う…」と発言している(51)

Austin

裁判官の判示 や国際会議での発言などから,裁判所が抽象的 な条文の下で法的判断を下す際に,ソフトロー が具体的な内容を示すものとして機能している ことが窺われる。

3.ソフトローが裁判所の判断に影響を与えて いると思われる判例

③判決には,裁判所の法的判断に対してソフ トローが補完的な機能を果たしていることを窺 わせる側面があることを指摘した。次に検討す る④

ASIC v. Macdonald

No.

11)事件判決(52)は,

上場会社の取締役の注意義務違反を判断する上 で,取締役は具体的にどのような場合に積極的 に行動しなければいけないかを提示した判例と して注目され,「原則と勧告」の影響が指摘で きる事案である。

James Hardie

社は,建築材を製造販売してい

る世界中に子会社を持つ上場会社であり,子会 社を通じてアスベストを素材とする建築材も製 造販売しており,アスベストによる公害被害を 生じさせていた。1995年から2000年の間に,こ のアスベストによる公害被害の対応によって多 くの被害者に多額の賠償金を支払わなくてはな らなくなり,会社の財務状態が悪化していた。

そこで,同社の取締役会は,多額の賠償金によ

る負債を

James Hardie

社の会計から切り離すた

めに,2001年にアスベスト被害者救済のための 基金を設立することについて決議した。同社 は,オーストラリア証券取引所に対し,基金の 設立に際してアスベスト被害者の救済に見合う だけの資産は十分にあり,資産については特別 調査委員会の調査済であることを伝え,証券取

(13)

引所経由で情報開示(

ASX Announcement

)が なされた。その後,2001年に,同社は税務上の 理由から,オランダに新会社を設立し,本社機 能を移転することにした。しかし,2003年に入 ると,親会社となったオランダ本社が,今後,

オーストラリアにある子会社(元本社)に対し て十分な資金提供を行わないことを決定した。

この一連の行為について,オーストラリアでは 同社が多額の賠償金を逃れるために行った行為 ではないかとの疑念が生じ,大きな社会問題と なり,政府が特別調査委員会を設置することに なった。特別調査委員会によって,アスベスト 被害者救済のための基金を設立するのに必要な 資産は十分になく,また虚偽の文書を作成して いたことが報告された。そこで,基金設立の取 締役会決議に参加していた10名の取締役に対し て,オーストラリア証券投資委員会は,十分な 資産がないのに基金を設立することを決議した ことによって虚偽の情報開示を行った注意義務 違反を理由に,民事罰を裁判所に求める訴訟を 提起した。

ここでは,非業務執行取締役を中心に検討し ていくが,

Gzell

裁判官は,①判決と②判決か ら踏襲されている考え方を前提に,「…取締役 は,会社の業務について取締役としての義務を 果たすために必要な知識に精通していなければ ならず,そのための情報を継続的に取得しよう としなければならない…」と判示し,加えて,

「…取締役が合理的に勤勉に行動したかを判断 するには,取締役が有している知識や経験や置 かれている状況から判断されるのみならず,通 常人(

ordinary person

)の立場から客観的に判 断されなければならない…」(53)として,非業務 執行取締役に対して客観基準によって判断する

ことも確認した。注目すべき点としては,「…

情報を開示する際に被害者の救済に見合うだけ の基金がないことについて独断で判断しないよ うにすることは,…取締役の監督機能の一部で ある…」(54),また「…これ(情報開示が独断で 行われないようにすること)は,業務執行上の 問題ではない。…証券取引所経由による情報開 示に対する市場の反応は,重要なものである。

…これ(情報開示が独断で行われないようにす ること)は,取締役会の責任の枠内の問題であ る。…」(55)と判示して,③判決で挙げた取締役 会議長の市場に対する責任と同じように,取締 役会の構成員として非業務執行取締役にも市場 に対する責任があることを明確にした。非業務 執行取締役に求められる役割についてさらに具 体化したといえよう。

また,アメリカに在住していることから電話 会議システムで取締役会に参加していた2名の 非業務執行取締役が,取締役会開催時に当該情 報開示に関する書類を持っていなかったにも 関わらず,書類の写しを提供するよう会社に 要求しなかったことについて,

Gzell

裁判官は

「…これ(当該情報開示に関する書類)は

James

Hardie

グループを組織再編していくうえで重要

な書類である。…」(56)とし,また「…(オース トラリアにある)子会社において,取締役会は 形骸化した状態であって…業務執行者が手短に 述べるのみで,当該取締役は情報開示について 承認してしまった。…」(57)と認定して,この2 名の非業務執行取締役の注意義務違反を認め た。判決では,2名の非業務執行取締役が注意 義務違反を認められた大きな要因として,取締 役会の手続きや状況が

Best Practice

に程遠い状 態にあり,適切な情報を得ていないにも関わら

(14)

ず,会社の重要書類について精査しなかった 点が指摘されている(58)。非業務執行取締役は,

単に受動的に取締役会決議に参加するのみでは 足りず,積極的に決議に参加しなければならな いことを具体的に示したことは重要な点であ る。また,取締役会が定足数等の法的要件を満 たしていたとしても,取締役会が形骸化してい て十分機能していない状況であれば,非業務執 行取締役は責任を果たすことはできないとする のは,ソフトローである「原則と勧告」の影響 が大きいといえる。今後も,取締役会を十分機 能させるために,非業務執行取締役や取締役会 議長は,積極的に会社の情報を入手し監督を行 うことが求められていくと思われる。そのため のモデルとして,「原則と勧告」が指針として さらに活用されることが予想される。

Ⅳ おわりに

以上の検討から,第1に,オーストラリアの 裁判所は,非業務執行取締役や取締役会議長の 役割や義務の内容を,注意義務違反を判断する 中で具体化していったといえよう。かつては,

取締役会において名目的な存在であることも許 された非業務執行取締役や取締役会議長が,判 例の蓄積によって注意義務の基準が厳格化し,

多くの重要な役割を担う存在として認識される に至った。特に注目すべき点は,裁判所が上場 会社の取締役や取締役会議長は市場に対して重 要な役割を担う存在であると認識し,取締役等 が市場に混乱を与えた場合に責任追及されるこ とを判示したことである。我が国の会社法の解 釈において,取締役の市場における責任につい て十分議論することは少なかったといえる。現

在,我が国で活発に議論されている公開会社法 との関係からも,示唆を与えるものと思える。

また,オーストラリアでは,株主に対する責任 のみならず,市場に対する責任から非業務執行 取締役や取締役会議長は,より専門性を伴った 存在として期待されていることが理解できる。

その過程で,2000年代に入ると「原則と勧告」

のようなソフトローが,判例が示してきた規範 をより明確に上場会社に対して提示したという ことができ,加えて,判例においてまだ問題と なっていない部分については,それを補完する 形で「原則と勧告」が新たな規範を提示してき た。

第2に,これまで,「原則と勧告」のような ソフトローは,情報開示を通じた規制という側 面でのみ捉えられがちであり,裁判所の判断指 針としての機能はほとんど認識されていなかっ たといえるが,前述の判例の分析や国際会議に おける裁判官の発言などから,ソフトローが裁 判所の判断指針として機能していることが十分 に窺われる。今後も,オーストラリアの裁判所 が,取締役の注意義務違反について,ソフト ローを活用して上場会社のコーポレート・ガバ ナンスに影響を与えるような判例法を形成して 行くであろうことが予想される。このようにし て,重要な役割を課された非業務執行取締役等 や取締役会議長について,どのようにして適切 に役割を果たす者を育成するのか,また,責任 の重さを適切なものにするために,責任免除制 度等との関係をどのように考えるかなど,課題 も多く残っている。

ところで,我が国では,会社法上,上場会社 の取締役の善管注意義務違反のかなりを占める のは,内部統制構築義務違反など内部統制に関

(15)

連した事案である。今後,議論が進めば,内部 統制構築義務違反を判断する際にオーストラリ アのようにソフトローを判断の指針に活用す る途も考えられるだろう。また,コーポレー ト・ガバナンスの観点から,我が国では,取締 役会議長の役割について詳しく議論されること は少ないが,取締役会の監督機関としての側面 からは,議長の重要性を認識すべきであり,取 締役会についての問題のみならず,会社に対し て取締役会議長がどのような役割と責任を担っ ているのかについて,より具体的に検討する必 要がある。その際に,ソフトローによってどの ような役割を負っているのか具体的に示される ならば,取締役会議長の責任を問題とする際に も重要な指針を得ることができよう。また,公 開買付けや組織再編の局面で問題となった場合 にも,どのような形で取締役が判断していくべ きか等,内部統制以外の場面においてもソフト ローが裁判所の判断指針として活用できる可能 性がある。今後の研究としては,オーストラリ アにおける

M

A

の局面での取締役の注意義 務とソフトローとの関係や,重要な役割を担い はじめた非業務執行取締役と取締役会議長の責 任軽減について,研究していきたいと考えてい る。

〔投稿受理日2011.9.24/掲載決定日2012.1.26〕

⑴ [1925] Ch. 407.

⑵ John Farrar, Corporate Governance Theories, Principles and Practice third edition, (oxford, 2008), at p. 142.

⑶ 酒巻俊雄「オーストラリアの会社法(8)」海外 商事法務108号(1971年)38頁。

⑷ John Farrar, Supra note 2, at p. 142.では, この規定 を根拠に後述する客観基準を採用するべきである

という学説上の意見もあったようであるが, 裁判 所は一貫して主観基準で判断していたようであり, 多くの批判があったようである。

⑸ [1991] BCLC 1028

⑹ Farrar, Supra note 2, at p. 137によると, ここでの客 観基準はアメリカにおける通常の慎重な取締役基 準(ordinary prudent director)と呼ばれる基準と同 一のものであった。1990年から1999年の会社法改 正までの間は, オーストラリアにおいて二重の基 準が定着していなかったことから, アメリカの判 断基準によって取締役の責任追及について補填し ていたとも考えられる。

⑺ たとえば, ASIC v. Vines [2004]48 ACSR 322を 挙げることができる。

⑻ イギリスにおける二重の基準については改正の 経緯も含め, 石山卓磨「英国会社法における取締 役の義務規定の改革-取締役の注意, 技量, 勤勉 義務を中心にして-」酒巻俊雄先生古希記念論集

『21世紀の企業法制』(商事法務, 2003年)81頁以 下に詳しい。

⑼ Farrar, Supra note 2, at p. 137.

⑽ R P Austin and I M Ramsay, Ford's Principles of Corporations Forteenth edition, (Butterworths, 2010), at p. 438.

⑾ Deborah A DeMott, Director's Duty of Care and The Business Judgment Rule: American Precedents and Australian Choices, (1992) Vol.4, Bond Law Review, at p. 144.

⑿ Ian M Ramsay, Director's Duties in Australia: Recent Developments and Enforcement Issues, (1999) Vol.3, Company Financial and Insolvency Law Review, at p.

260.では, 1993年から2000年まで, 取締役に対する 民事罰の規定に対して積極的な活用はなされてい なかったことが指摘されている。

⒀ Ramsay, ibid, at p.274.

⒁ Farrar, Supra note 2, at p. 245.

⒂ 林孝宗「オーストラリア法におけるコーポレー ト・ガバナンスの展開-取締役会の監督機能と取 締役の監督義務を中心に-」社学研論集18号(2011 年)268頁以下において, 「コーポレート・ガバナ ンス原則と最良実務勧告」など, オーストラリア におけるソフトローについて詳しく検討している。

⒃ Farrar, Supra note 2, at p. 381.

⒄ 加藤良三「コーポレート・ガバナンスと機関投

(16)

資家の役割(1)-豪・英・日会社法を中心に-」

関東学院法学(2000年)11巻23頁。

⒅ アメリカでは, 2001年末に生じたエンロン事件 等の上場会社の不祥事を契機として, ニューヨー ク 証 券 取 引 所(New York Stock Exchange: NYSE) の上場規則による自主規制に加えて, 連邦法とし てSOX法(Sarbanes-Oxley Act 2002)が制定され, また, イギリスにおいても, アメリカの影響から, 上場会社のガバナンスについて非業務執行取締役 の役割を検討したヒッグス委員会等いくつかの委 員会が設置され, 2003年に会社法と統合コードの 改正が行なわれたことが挙げられる。

⒆ Farrar, Supra note 2, at p. 396.

⒇ Angus Young JP, Regulating non-executive directors in Australia: a socio-legal approach, (2008)29 Co. Law, 323 at p. 327.

 Angus, ibid, at p. 328.

 林孝宗「イギリスにおけるコーポレート・ガバ ナンスの展開-非業務執行取締役の役割と注意義 務を中心に-」社学研論集17号(2011年)256頁。

 Farrar, Supra note 2, at p. 395.

 AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933  AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph

772.

 AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph 864.

 AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph 864.

 Farrar, Supra note 2, at p. 140.

 AWA Ltd. v. Daniels [1992]10 ACLC 933 paragraph 864.

 Daniels v. Anderson [1995]13 ACLC 614

 Daniels v. Anderson [1995]13 ACLC 614 paragraph 664.

 Daniels v. Anderson [1995] 13 ACLC 614 paragraph 666.

 Daniels v. Anderson [1995]13 ACLC 614 paragraph 664.

 Daniels v. Anderson [1995]13 ACLC 614 paragraph 664.

 [1999]1 BCLC 433.

 ASIC v. Adler [2002] NSWSC 171; 41 ACSR 72;

20 ACLC 576

 ASIC v. Adler [2002] NSWSC 171 paragraph 372.

 ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85.

  ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 4.

 John S Keeves, Director’s duties –ASIC v Rich – landmark or beacon?, (2004) Vol.22, Company &

Securities Law Journal, at p. 188.では, 裁判所が, 個 人的に特別な知識や経験を有している取締役が, そのような知識や経験を有していない取締役に対 する最低限の要求を超えて高い水準の行為基準を 求めることは, イギリスにおける「会社法の現代 化」で行われた議論を参考にしていることを指摘 している。

 ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 14.  ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 14.  ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 14.  ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 79.  Keeves, Supra note 40, at p. 193.

 ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 71.  Farrar, Supra note 2, at p. 422.

 D. Higgs, Review of the Role and Effectiveness of Non-Executive Directors(2003).

 ASIC v. Rich [2003] NSWSC 85 paragraph 69.  Paul L. Davies, Gower and Davies’ Principles of

Modern Company Law, 8th ed. (2008), at p. 494.

 この国際会議の発言について, Angus, supra note 20, at p. 328.では専門家団体が作成した行動規範が 立法機関の制定法の作成を補完する好例として挙 げている。国際会議での発言はhttp://www.lawlink.

nsw.gov.au/lawlink/Supreme_Court/ll_sc.nsf/vwPrint1/

SCO_austin121006からアクセス可能である。

 ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287  ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287

paragraph 239.

 ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287 paragraph 332.

 ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287 paragraph 333.

 ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287 paragraph 260.

 ASIC v. Macdonald (No.11)[2009] NSWSC 287 paragraph 234.

 Anil Hargovan, Director’s and officer’s dereliction of duties and disqualifications: an analysis of James Hardie, (2010)31 Co.Law, 255 at p. 260.

参照

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