• 検索結果がありません。

AN00181569 19861200 1008

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "AN00181569 19861200 1008"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

126

中 世 後 期 に お け る農 村 商 人 の 販 売 区 域

播 磨 ・和 泉 ・近 江 の 事 例 を 中 心に

嗣*

裕

田

藤

TheSel l i ngAr eas of Rur al Mer c hant s i nJ apan' s Lat t er Mi ddl eAges

Hi r ot s ugu FUJ I TA

は じ め に

へめぐ

筆 者 は農 村 市 場 を 農 村 に お け る商 品流 通 総 体 に 位 置 づ け る ため に, 市 場 を 経 回 るな ど し

て 実 際 に流 通 を 担 っ た商 人 の 活 動 に注目 しな が ら考 察 を 行 って き た. そ の な か で, 生 産 地

から消 費 地 まで の 流 通シス テ ム の最 終段 階 に お い て 消 費 者 へ の 供 給 を行 い う る販 売 区 域 が

認 められ た 商 人 の 存 在 を 確 認した. こ の よ うな 販 売 区 域 は 「売 場 」, 「立場 」 な ど と も呼 ば

れ, 商 人 は その 範 囲 内で 市 場 で の小 売( 「市 売 」) の他, 市 場 を 介 さ な い販 売 方 法( 「里 売 」) を

と った の で あ る. こ の 販 売 区域 に対し, 市 場 の 機 能 に ア プ ロー チす る こ とを 主 眼 と した前

稿( 藤 田, 1986b) で は, 市 場 を 中 心 に若 干 の 考 察 を行うに留 め た.

本 稿 の 目的 は, 流 通f l owに 注目す る 筆 者 の 基 本 的 立 場 から, 流 通 現 象 を 通じて 形 成 され

る流 通 圏 を 検 討 す る一 助 と して, 流 通 圏 の一 種 で あ る この 商 人 の 販 売 区 域 に さ ら に地 理 学

的 な 考 察 を 加 え る こ と に あ る. そ の 際, 考 察 の 主 な 対 象 と な るの は, 前 稿 で 流 通 過 程 を検

出 した播 磨 国の鋳 物 ・和 泉国 の麹 流 通, 保 内 商 人 に よ る流 通 の 事 例 で あ る. こ れらの 事 例 の

詳細 につ いて は, 前 稿で は紙 幅 の制 約の た め 割 愛したの で, 本 稿 で 併 せ て 補 って お き た い.

︹

史料

A

︺

野

里村新右衛

門尉沽券状

永代売渡申大村国分寺売

場之事

合

蠕

懸

河

蝦

鶉

市

雷

十

三

日

廿

三

日

十

四

日

廿

四

日

合

鱗

肺

嗣

鯵

銭

是

鮮

鑛

門

誌

難

知

欝

馳

右件売場者

、大

村

国分

寺金

屋

よ

り売徳仕候

て

、錐為新右

衛門重代相伝

之売場、依

有

要用、直銭

二

拾貫文仁同所五

郎右衛門

方仁、限永代売渡

申所実也

、

但毎年市公事銭二

百

文宛

志方殿江納所候

て

、

末

代

可

有知行

候、

殊

二

当所村

八郎

兵

衛取次候問、不可有

相違候、此

上

者親

類

兄

弟況他

人妨不可有候、若菟角申輩

出

来

候者、任此支証

旨

、

為公

方堅可有御罪科候、傍為後

日永代沽券状如件

永正十五年寅

ノ

十

一

月

七日

野里村

新右衛門尉

(

印

)

当所

取次

八郎兵衛尉

(

印

)

あく

田

氏

五

郎右

衛門殿

まひる

(2)

藤田 中世後期 における農村 商人の販売 区域 127

各 事 例 に み え る販 売 区域 を個 々 に 検 討したの ち( 1∼ 皿) , I V章 で 販 売 区 域 の 地 理 的 特 質 を

考 察 す る.

1. 播 磨国 に お け る 鋳 物 類 流 通と 売 場

播 磨 国 野 里 村 鋳 物 師芥 田家 は16世紀 になって 精 力 的 に 「売 場 」 を集 積して い る. 今 日残

1)

され て い る史 料 のうち, そ の 最 初 の 動 きを 示 す 売 券 が 史 料Aで あ る. 永 正15( 1518) 年 に

野 里村 新 右 衛 門 が 先 年 買得した大 村 国 分 寺 金 屋 鋳 物 師 の 売 場 を 芥 田 氏 に 売 却して い る. 事

書 の あ と に具 体 的 に記 され て い る 売 場 は, そ の 個 々の 解 釈 に つ いて 問 題 が な い わ けで は な

い. 例 え ば, 賀 古 河 市 ・御 着 西市 が 各 々三 の 日・四の日を 明 記 され て い る こ と につ い て脇

 ラ

田修( 1985) は 両 市が三 斎 市で あ ったか, 両 市 と も六 斎 市 の 半 分 の み を売 却 の 対 象 と した,

とい う二 通 りの 可 能 性 を想 定して い る. そ の いず れ で あ るに せ よ, 購 入 者芥 田 氏 が 各 市 三

の 日, 四 の 日に は立 ち得 た こと に は 変 わ りが な い. ま た, 次 の 項 に つ い て は 脇 田 は 「佐 地

市 は売 る が, 神 西 郡 は大 村 の 衛 門 二 郎 大 夫 の 売 場 と して 残 る と い うの か も知 れ な い」と解

釈 上 の疑 義 を 表 明して い る( 472∼3頁) . 脇 田 の 見 解 が 妥 当で あ る とする と, 神 西 郡は売

却 の 対 象 とな り得 る筈 の な い他 人 の売 場 で あ って, 本 来 売 券 に記 す 必 要 は な い. そ れ に も

か か わ らず, こ の 文 言 は殊 更 に書 き 上 げられ たわ けで あ り, そ の 理 由 は 不 明 で あ る. 或 い

表1芥 田家文書 にみ る売 場の売券

記 号

年 月 日

売 場

( 〔 〕内 は 四 至)

売 主

価額 備 考 典 拠

住 所

⑦

(

史 料 A ) ④ ◎ ㊥ (

史 料 B

)

㊥

⑳

永 正15

( 1518) 11. 7.

天文7

( 1538) 12. 23.

天文13

( 1544) 11. 2.

天文14

( 1545) 12. 13.

天文15

( 1546) 12. 13.

天正2

( 1574) 12. 5.

〔東 〕蔭 松 、 同賀 古 河 市

〔西 〕一 河 、御 着 西 市 、 佐 地 市 井 村 里 神 西 郡

飾 東・飾 西郡 ( 〔東 〕 市 川)

( 神 東 郡) 田原( 荘) 7村

東 郡〔西 〕市 河 〔東 〕三 本 松 〔北 〕蔭 松・佐

土 市 六 さい 刀 田 寺 町 立 畢 神 西 一 郡 東 八 郡 〔東 〕三 本 松 〔西 〕市 川 〔北 〕志 方

神 東郡 又 ハ 川 西 西 治 ・桜 ・板 坂 ・しもの

よ し との さ る ノ市

新右衛 門尉

へんす い八郎 衛門

随願寺 万陀羅 院快慶

新五郎 宗大 夫

助 二郎 助 二子 松

太郎右 衛 門

野里村

国衙庄 津 田村

大 村

大 村

20貫文

17貫 文

12貫 文

3貫文

米13石 5斗

もと大村国分寺 金屋よ り買徳 毎年市公事銭200文

佐地市同公事 銭50文

「神西郡是者大 村衛門二郎大

夫売場也」 とあ る

相伝私領、子 は干千代 売場 に万雑公事 な し

もと野里村八郎 兵衛が代 々相 拘置

● ● ●

事 書 に は 「売 場・大 工 職 之 事 」 とあ る

大 村 大 工 職 代 々 相 伝 私 領 諸 公 事 な し

我 々 重 代 相 伝 之 売 場 佐 土 市 公 事 銭120文 、

同 さき 一 ま い

与 次と太 郎 右 衛 門 重 代 之 売 場 立 合 、年 貢 米 二 指 詰り、野 里 村 与 次 に 売 渡 す

芥2号

芥3号

芥7号

芥9号

芥11号

(3)

128 奈 良 大 学 紀 要 第15号

は, 新 右 衛 門 が 買 得 す る以 前, こ れらの 売 場 の 所 有 者 が衛 門 二 郎 大 夫 で あ った こ とを 示し

て い るの かも しれ な い.

史 料Aも 含 め て 売 券 の一 覧 表 と して 表1を 作 成した. こ の うち, 史 料Aと 同 様 に芥 田 氏

がも と大 ド 錆 物 師 の 売 場 を 取 得した際 の 売 券 と して 史 料Bを 掲 げ た. こ れ に み え る売 場 も

右

件売場者

、

錐為大村大

工

職代

々相伝私領、依有要用、

直

銭拾弐貫文野里村鋳師大工五郎右

衛門方

二

永代売渡申

所

実明鏡也、於此売場者諸公事無之

候、如此堅申

A

呈

者、

於

後日不可有違乱煩、万

一

号親類

一

族

況於

他

人菟角申輩

出

来候者、任此支証旨、為公方堅

可預御罪科者也、傍為

後

日永代売券之状如件

天

文

+

四

年

肛

+

二

月

+

三

日

大

鶏

難

押

)

同村

宗大夫

(

花押

)

野

里

村

鋳物師

五

郎

右衛門永代売渡申所也

︹

史

料

B

︺

大

村鋳

師

新

五

郎

同

村

宗

大

夫

売

券

状

永

代

売

渡

申

鋳

物

師

大

村

売

場

大

工

職

之

事

西

者

市

河

堺

東ハ

三

本

松

堺

合

東

郡

者

北

者

カ

ケ

松

堺

井

佐

土

市

六

さ

い

刀

田

寺

町

立

畢

合

神

西

一

郡

解 釈 上 の疑 問 点 を 残 す が4) そ の 解 明 は今 後

に 託 すと して, 表1に 示 され た売 券 にみ え

る売 場 のうち, 史 料A, Bの よ う に芥 田氏

に 集 積 する以前 に 大 村 鋳 物 師 の 売 場 で あ っ

た もの を 図 示した の が 図1で あ る. こ の 図

で は, 先 述 の よ うに 大 村 鋳 物 師 が 売 場 と し

て 留 保した ま ま で あ っ た と一 応 考 えられ る

4

/

聯

へ君 ぬ.

神 西 郡など解 釈に 問 題を 残すも のは 表 示 し 一一一 郡 界; : : : : i : 幅 肺' な かっ た5) 口

こ のよう な 売券と とも に 「売 場 相 論 」に 関 する 一 連の 文 書 群 があ る. そ の 一 覧 表 が

表2で あ る. ・ 売場の堺・t ' r す・巾場 ま た, 慶 長 年間に 売 場を め ぐ る 次 のよう

な 事 件 が 起 こ っ た. す な わ ち, 揖 西 郡 龍 野 町に お い て 赤 穂郡 高田 鋳 物師 与 三 兵 衛 が 鋳

1… ノ

! 明 石郡

史料⑦ にみえる堺の在所 ・市場と推定 され るた場の範囲

§ 醗 ・料㊤臨 ・堺噺 ・・場・推定・れ鵬 嘲 物 を 売っ て い たと こ ろ, 野 里 村 鋳 物 師田 中 勿 微 史料欧 み創 糊 所●暢 と齪 される伽 酬 治 郎 兵 衛 が 「此 方 之 売 場 成」と 差 押え て 相 図1播 磨 国 大 村 国 分 寺 金屋 に 在住 す る 論と なっ た. そ の 際 の裁 定 は 「龍 野 町より 鋳 物 師 の 売 場

( 野里) 61

鵤 ・塔 ・網 干, 川 よ り西 ハ 高 田之 売 場, 東 ハ 姫 路 之 売 場 」と して お り, 両 者 の 売 場 が競 合

(4)

藤田 中世後期 における農村 商人の販売 区域 129

表2芥 田家文書 にみ る売場相論関連 文書

記 号

年 月 日

争点の

売 場

相論 の

相 手

裁定者 ( 発給者)

宛 所 備 考 典拠

㊥

②

㊧

天文13

( 1544) 12. 6.

天文17

( 1548) 12. 21.

永禄10

( 1567) 7. 5.

東郡 売場

東 郡

加 東 郡

新右衛 門 孫左衛 門

}

小寺則職

小寺 則職

赤松 則房 野 里村

百姓 中

野里村 五郎右衛 門

野里 五郎右衛 門

売 場 相 論

金 屋 沽場 井 大工 職 先 年 相 論

未 落 居 で あ った が 、 砥 堀 合 戦 の 戦 功 で裁 許

「大 工 職 」との み あ るが 、貞享期 伝記( 芥150) で は, 本 文 書 に つ いて 「以s 加 東 郡 鋳 物 売 場 ・大 工 職 之 事_ 賜 二折 紙_ 」 と す る。

芥8号

芥12号

芥20号

. / (

ノ、 、 り

緬〆

.

△肉

⋮豊

農

㎜ぎ

奪ξ

轄

ξ

ξ

佳

 

・i i 7

彫

醐

隻妻』

覧 暮.

鮭 ≡ 津川遷 蚤

.

國1'

國

ζ ハヘノ

ン

℃

ノ

﹄

4

05㎞ 一

(5)

130 奈 良 大 学 紀 要 第15号

さ らに, 貞 享2( 1685) 年 の 芥 田 家 伝 記( 芥50) に は

当 国 之 内鋳 業 拘 執 之 覚

錺 東 郡 印 南 郡 加 古 郡

神

西

郡

多

可

郡

錺

西

郡 鐸

響

箋

門

口 同 五郎兵衛

加東郡_ 1_ . A二編 糖 舗 量仁

口

・鷺 騰 衛門 三ケニ ヲ半分ツ\

立 加東郡 二同

神東郡

合 シ

右 之郡ハ 者, 白 二往 古 一依。吾家 之為I V=物 売場 一, 大 工職ノ鋳 業悉 ク作銘 代々 彫レ之者  

也( 傍 点 は 筆 者)

とあ る. 売 場と大 工 職 の 混 乱 が 認 め られ るが, こ こで は一 部 の 郡 に つ い て 「立 合 」 と な っ

て い る点 に注目 した い. 「 三 ケー 」 と い う表 現 は一 郡 を 分 割して い る状 況 を 想 定 させ る.

( 立 合)

遡 って 表1に 挙 げ た天 正 期 の 売 券 ⑳ に み え る売 場も 「た ち や い」と され て い るが, こ れ は

貞 享 年 間 と 同様 売 場 を 分 割して い た の か, 或 い は両 人 が 競 合して い た の か 判 断 で き な い.

表1, 表2を 含 め て 以 上 挙 げ た 史 料 にみ え る 「売 場 」 の 所 在と鋳 物 師 の 在 住 地 との 関係

を 図 示した の が 図2で あ る. こ の 図 で は 慶 長 以 前 の売 券( 表1) か ら判 明 す る もの に つ い

て は 芥 田 家 に集 積 す る以 前 の 本 来 の 所 有 者 の 在 住 地とそ の 売 場 を示した.

さて, 前 稿( 1986b) で 既 に紹 介した よ う に, 大 工 職と比 較しな が ら売 場 に つ いて 秀 れ た

見 解 を 示した の は 横 田( 1985) で あ る. 大 工 職 が 寺 社 の梵 鐘 ・燈 炉 な どを 鋳 造 す る際 の 出

職 を 内 容 と した 権 益 で あ るの に対し, 売 場 と は居 職 に よ って 生 産され た 商 品 を 販 売し うる

範 域 で あ る こ とを 指 摘し, 両 者 の 区 別 を 明 確 に した.

さ ら に横 田 は, 売 場 ・大 工 職 が 百 姓 側 に と っても選 択 の 余 地 の な い段 階 か ら職 人 の 自立

と増 加, そ れ に伴う一 定 の 競 争 を 前 提 と した うえで, あ らた め て 職 人 と と り結 ば れ る関 係

で あ り, こ の 時 代 に 特 徴 的 な形 態 で あ る こ と, こ の よ うに 両 者 が 職 人と百 姓 との 社 会 関 係

で あ って 単 純 に 「所 有 」 され る もの で は な いから こそ, 労 働 の 成 果 を確 認 す るた め に, 棟

札 や鐘 銘 あ る い は 釜 や 鍬 な ど に職 人 自 らの 名 を記 す 必 要 が あ っ た こ とな どの 見 解 を 示して

い る. そ して, と くに売 場 に つ い て は 野 里 村 鋳 物 師 中 の 売 場( 「われ わ れ の 売 場 」) の存 在 を

指 摘 し, そ れ が 個 人 的 売 場 所 有( 「互 之 売 場 」) の集 合 でもあ り, か つ そ の 前 提 で も あ る組 合

的 所 有 と して の 性 格 を も ち, 個 々 の 成 員 の 個 別 的 利 害追 求 を 調 整, 止 揚 す る と と も に, そ

のこ とに よ って 他 に 対して 集 団 的 に 確 保 され た と述 べ て い る.

最 後 に 紹 介した 個 人 的 売 場 と鋳 物 師 中 の 売 場 との 関係 を さ らに考 察した い.

「互 之 売 場 」 と「わ れ わ れ の 売 場 」 の 文 言 が 登 場 するの は, 次 の 慶 長7( 1602) 年 野 里

村 売 場 法 度 案( 芥94) で あ る.

野 里 村 売 場 定 置 法 度 之 事

( 敷 脱)

( § 1) 一 互之 売 場 改, 人 之 売 場 へ 少 も売 申 間事

( § 2) 一 人之 売 場 へ売子 つ け申間 敷事, た とへ きや うた いしん る い あ り と いふ 共, へ ら ・

さき 壱 枚 もかし申 ま し き事

( § 3) 一 か ん な べ 井 なべ 鍛 冶 屋 うち 物, 惣 別 諸 あ き ん と山 中 の 者, わ れ わ れ の 売 場 之 外

自余 之 売 場ヨ リ来 候 者, 一 せ ん の 物もか ゑ 申 間 敷 事( 中 略)

( § 6) 一 其 売 場 よ りか ゑ来 候 者, 其 売 場 主 之 所 へ おしへ 可 申事

こ こで 第2条 に み え る 「売 子 」 は 鋳 物 師 の 配 下 に あ って そ の 売 場 内 で 専ら販 売 を 行 う 商 人

(6)

藤 田: 中世 後期 におけ る農 村商人の販売 区域 131

名 が み え る1) そ して, 他 人 の 売 場 に この 売 子 を 「つ け 」 る こ とを 禁じ, 個 人 的 売 場 の 相 互

不 可 侵 の 原 則 を う た って い る. こ の原 則 は 何 よ り も第1条 で 明確 化 され て い る. 「か ゑ」 の

具 体 的 内 容 は不 明 で あ るが, 売 場 主へ の通 知 を 定 め た第6条 も この原 則 と関 連 す る と考 え

られ る.

この 法度 を 定 め た 野 里 村 の 事 例 で は な い が, こ こで 図1を み る と, 野 里村 鋳 物 師 の 手 に

帰 す る以 前 の 大 村 鋳 物 師 の 各 個 人 的 売 場 は, 明 らか に互 い に地 理 的 な重 合部 分 を 含 ん で い

る. こ の状 況 は 慶 長 期 の 原 則 と大 い に異 な る. 先 に 挙 げ た永 禄 期 の 法 度 で も相 互 不 可侵 の

原 則 は 明確 に は 定 め られ て い な い. こ れらのこ とから16世 紀 を 通じて 個 人 的売 場 の 競 合状

況 か ら次第 に淘 汰 が 進 み, 慶 長 期 には 相 互 不 可 侵 の原 則 が 定 められ た と い う流 れ が 考 え ら

れ よ う.

享 保 年 間 に真 継 家 側 か ら芥 田 氏 らに 宛 てられ た書 状( 芥 田) に よ れ ば, 「野 里 鋳 物 師 中,

天 文 年 中迄 相 定 ル郡 無 之 」「銘々私 二郡 相 極 メ」, 異論 が 続 出した の に 対し, 真 継 家 は 天正 年

間 に鋳 物 師 大 工 職 座 法8) で対 応し, 「慶 長 年 中 よ り各 々大 工 職相 定 メ」 た と い う. こ れも先

の 流 れ を 伝 え た もの で あ る 可 能 性 を 否 定 で きな い.

そして, 16世 紀 に お け る競 合 の 背景 に は 鋳 物 師 の 増 加 が あ ろ う. 図2に も示した津 田村

鋳 物 師 が 「国衙 惣 社 推 鐘 」 を鋳 造し, 蔵 人 所 牒 を 保 持して, 中 央 工 匠 に 繋 が って い たの に

対し, 野 里村 鋳物 師芥 田 氏 は も と もと 「大農 」 で も あ り, 「武 事 の 暇 に鋳 物 師 之 業 を 伝 え る 」

兼 業 で あ った こ とを 横 田( 1985) は 指 摘して い る( 198頁) .

ま た, 図2を 子 細 に見 る と, 津 田村 鋳 物 師 が 市 川 以 西, 大 村 鋳 物 師 が 以 東 を 本 来 の 売 場

と して い た の に 対し, 野 里 村 鋳 物 師 は居 住 地 の 付 近 を 売 場 と な し得 ず, 北 方 の 神 西 ・神 東

郡 に売 場 が 散在 す る とい う傾 向が 窺 え る? ) この 売 場 の 分 布も, 野 里 村 鋳 物 師 が 他 の 両 村 鋳

物 師 よ り後 発 で あ る こ とを 示して い る と言 え よ う.

さ らに, こ の 分布 は, 競 合 が 始 ま る16世 紀 初 頭 以 前 の 鋳 物 師 中 の 売 場 に つ い て 示した も

の で あ る. こ の 頃 は 先 述した よ う に大 村 に つ い て個 人 的 売 場 間 で は重 複して い た( 図1)

と しても, こ の よ うに村 間 で は鋳 物 師 中 の 売 場 は 重 複 なく分 布して い た と考 え られ るの で

あ る. こ れ は大 村 の売 場 の 西 境( 表1の 史 料 ⑦, ㊥, ②) と 史 料 ⑦ で 津 田村 の売 場 の 東境

が と もに市 川 で あ り, 市 川 に よ って 両 者 の 売 場 が 明確 に 分 断 され て い る こ とに 端 的 に 現 わ

れ て い る と い え よ う. こ の よ うな 分 布 が, 16世 紀 に 入 り野 里 の 鋳 物 師, と くに芥 田 氏 が大

村, 津 田 村 鋳 物 師 の 売 場 を 次 々 と集 積 す る よ う に な って, 鋳 物 師 中 の 売 場 間 の 棲 み 分 け も

乱 され る に至 っ たの で あ る. こ の こ と に よ って, 個 人 間 の 競 合 は さ ら に激 化した もの と思

わ れ る. 個 人 的 売 場 相 互 不 可 侵 の 原 則 が 確 立 され る ま で に 売 買 ・相 論 を 通じて 販 売 区域 が

競 合し, 淘 汰 され る動 き は, ま さに16世紀 の 特 質 で あ る と言 わ ね ば な らな い.

この 動 き には 政 治 権 力 に よ る裏 付 け もあ っ た. 表1に み え る 天 文14年の 売 券 ㊥も8日 後

に赤 松 氏摩下 の小 寺 則職 に よ って安堵 され て い る( 芥10) . こ の事 実 に よ って 脇 田修( 1985)

は 「戦 国 大 名 権 力 の 保 証 を必 要と して い た 」 と指 摘して い る( 474頁) . 表2に 掲 げ た売 場 相

論 に 対 す る領 主 権 力 に よ る裁 定 も この点と関 わ る. こ の 事 情 を何 よ り も直 接 に示して い る

の は 次 の伝 え で あ る. 天 文17( 1548) 年 芥 田 氏 は 砥 掘 合 戦 の戦 功 に 対 して 恩 賞 の 給 付 の 申

し出 を 固辞 し, 大 村 鋳 物 師 と の相 論 に対 す る裁 定 を 求 め, 「遂 本 望 」 た とい うの で あ る10)

以 上 の よ うに, 個 人 的 売 場 は互 い に競 合して い た に して も鋳 物 師 中 の 売 場 は 重 複 な く分

布して い た 状態 か ら, 16世 紀 に な って 鋳 物 師 の 増 加 を 背 景 に政 治 権 力 との 関 係 な ど もあ っ

(7)

第15号

要

紀

学

大

良

奈

132

H. 和 泉 国 に お け る 麹 流 通 と売 場

和 泉 国 内の麹 室・飯 室に おい て生産 され た 麹 は一 定 の 「売 場 」 ま た は 「立 場 」 ・「館 場 」

で 販 売 が 認 められ て お り, こ の麹 室 と売 場 ζ の セ ッ トは 「飯 荷 」・「麹 荷 」 と呼 ば れて 権

利 関 係 で 固 定 さ れ て い た.

︹

史

料

C

︺

安

明

寺

五

座

置

文

(

端

裏

書

)

﹁

八

講

置

文

﹂

黒鳥村安明寺村

等定置

条

々

事

定

但

地

子

塀怠

在

責

作

人

可取

放

物也

、

、

八

蕾

二

段

内

蘇

鐸

縫

蛎

和

田

池

可

取

だ

仔

在

地

僧

中

、

社

頭

八

講

田

壱

段梨

壬

重

中

字

塚任

寄

進

旨

煩

コ

、

八

講

田

一

反

坂

本

郷

飛

鳥

里

二

坪

﹂

○

(

追

筆

)

(

可

被

)

供

養

析

足

麹

一

荷

伊

世

高

野

被

可取

他

用

物

也

、

、

八

講

時

、

加

守

麹

荷

片

荷

者

為

酒

之

析

足

也

、

、

八

講

麹

荷

山

直

壱

荷

内

三

分

弐ハ

八

講

分筋

嚇

断

羽

+

八

日

三

分

一

ハ

供

養法

分

也

、

、

八

講

田

野

ロ

ニ

大

在

之

、

、

八

講

析

足

高

石

麹

荷

片

荷

可任

寄

進旨

、

右件

条

々

之置文者任寄進旨定置所也

、

傍為

後日謹文之状如件

、

聚

弐

年

死

二

月

古

本

座

(

花

押

)

南

座

(

花

押

)

新

座

(

花

押

)

弥

座

(

花

押

)

僧

座

(

花

押

)

これ に対して 飯 荷 役 を徴 収して い た11) 和泉 郡 黒 鳥 村 安 明 寺 五 座( 本 座 ・南 座 ・新 座・弥

座 ・僧 座) は 応 永2( 1395) 年 に 史 料Cの よ う な置 文 を残して い る. こ れ に は 同寺 の 法 花

八 講 料 に あて る もの と して加 地 子 田 の 他 に麹 荷 か らの 収 入 が 記 され て い る. こ こで 問 題 に

す る後 者 に注目する と, こ の 置 文 で は記 載 の な い各 麹 荷 か らの 収 入 の 具 体 的 内容 は, 年 未

詳 の 八 講 料 田等 注 文 に よ って1例 を 除 いて 知 る ことが で き る. そ れ を 表3で 各 麹 荷 毎 に 示

した.

この 表 に は各 麹 荷 に つ い て の 情 報 も併 せ 記して い る. ま ず, 加 守 を 売 場 とす る麹 荷 は 至

徳3年 に法 念 に よ って 寄 進 され た こ とが 寄 進 状 ② に よ って 知 られ る. ま た, 伊 世 高 野 の 麹

荷 につ いても譲 状 や麹 室 料 頭 宛 行 状 が 残 る( ② ∼⑦) .

大 鳥 郡 ・和 泉 郡 の 売 場 に 関して は表3に 示 した他 に, 例 え ば 正 平16( 1361) 年 と応 安7

( 1374) 年 に我 孫 子 浜 を 売 場 とす る麹 荷 を質 入 れ して安 明 寺 から利 銭 を借 用した 際 の 借 用

状 が 残 る( 河17, 21号) . こ の 麹 荷 自身 は 先 の 置 文 に は 記 載 され て い な い が, 先 の 置 文 に登

録 され た麹 荷 の な か に は, 加 守 を 例 とす る 寄 進 の他 に, こ の よ うに借 用され た 利 銭 が 弁 済

され な か った た め に 質 流 れ で 取 得 され た もの もあ った とみ られ る12)

この 置 文 と注 文 に よ って 知られ る収 入 は, 麹 商 業 か ら生 まれ る利 潤 に よ って 析 出 され た

もので あ ろ う. こ の利 潤が 麹荷 に様 々な権 利 関 係 を付 着 させ る こ と に な った と考 え られ る.

(8)

藤 田 中世 後期におけ る農村商人 の販売 区域

133

表3大 鳥 郡・和 泉 郡 の 売 場 に関 す る文 書( 一 部 除く)

記 号 年 月 日 文 書 名 発給者 宛 所 事 書

0 ( 史 料C)

㊥

応 永2( 1395) 2. 10.

年 月 日 未 詳

安 明 寺 五 座 置 文

八 講 料 田等 注 文

五 座

?

一

?

0

0

㊥

( 史料D)

⑦

至 徳3( 1386) 5. 3. 法 念 飯 荷 寄 進 状 法 念 ( 安 明 寺) 奉 寄 進 飯 荷 事

正 平8( 1353) 正. 19.

応 永10( 1403) 8. 9.

応 永16( 1409) 12. 2.

沙弥発光飯荷 譲状

飯 室 料 頭 宛 行 状

麹 室 料 頭 宛 行 状

沙弥尭光

くにのふ

五 座

譲渡 黒鳥村飯荷事

請取 飯室料頭事

宛行 麹 室料頭事

表4日 根野郡 の売 場に関す る文書( 中 家文書)

年 月 日 文書名 発 給 者 宛 所 事 書

② 文明11( 1479) 10. 13. 麹室料頭 五 座 宛行 麹室料頭之事

宛 行 状

⑦ 文 明16( 1484) 7. 11. 麹室料頭 五 座 宛行 麹室料頭之事

宛 行 状

② 享 禄2( 1529) 12. 13. 飯室売券 売主 ヲクノ 刑部 買主 泉春房 ( 略)

0 享 禄2( 1529) 12. 25. 飯室料頭 ( 和泉 国守護代松浦) 守 請取 中嶋飯 室料頭之

安 堵 状 事

0 享 禄3( 1530) 2. 14. 飯 室料頭 ( 和泉国守 護代松浦) 守 請取 料頭之 事

安 堵 状

O 天 文19( 1550) 5. 3. 飯 室売券 売主 大窪 奥 加 賀 買主 根来寺 ( 略)

(9)

134 奈 良 大 学 紀 要 第15号

売 場 と摘 要( ○ は 麹 荷 一 荷 、 △ は半 荷 、? は 不 明)

今井 伊 世 高 野 加 守 山 直 高 石

典 拠

○供養料 足 △ 八講 時

、 酒 之 料 足

OZC

. / 3八供 養 分1/ 3講 分

△八講料

足( 寄進)

河25号

? 1石

く 損2斗

? 2石7斗 の うち △5斗

河36号 の うち 得8斗

ぐ

瑠

瓢

供養 法 ノ分

△安明寺八講 中

河23号

酒料足 と して法

念が寄進

○飯荷 を楠王 丸を譲渡 す 立石家文書

( r 和泉 市 史』 1, 1965)

○ くに の ふ は 下 地 を 僧 け んし ゅ 河29号

ん に宛 て 、 料 頭 を 請 け 取 る

〇 五 座 は( 下 地 を) 字 左 近 三 郎 に宛 て、 立 石家文書

( 料 頭 を) 請 取 る ( 同 上)

場( ○ は麹 荷 一 荷 、 ○ 日根 野 中 嶋11荷 の うち

○ 日根 野 中 嶋11荷 の うち ? 日根 野 中 嶋11荷の うち 路

上 ハ 限 佐 野 河 、 下 バ カ シ ノ井 河 、 其 中佐 野 三 ケ 所 、 平・加 詳 寺・吉 見・新 家・ウ サ キ 田 ○ 佐 野 三 ケ庄

○ 長 滝・安 松・岡 本・吉 見・嘉 祥 寺 ・新 家 ・菟 田 ? 三 ケ所 佐 野

又 上 ハ 佐 野 川 か き る、 下 ハ かしの い川 を か き る

麹 室料頭を先例通 り左近 太郎 に宛行 う

麹 室料頭を先例通 り日根 野宮石丸 に宛行 う

買得 した飯室 を20貫文 で根来寺小谷泉春房 へ売渡

す( 加 地子 は金升 で3石)

飯 室料頭を先例通 り千 楠に宛行 い、料頭 を請取 る

飯室は 日根野村宮 内二郎先祖相伝 の私領 、先例通 り知行せ よ。料頭 を請取 る

(10)

藤田: 中 世後期 における農村 商人の販売 区域 135

麹 荷( 表4) 13セ つ いて の 関連 史 料 も考 察 の 対 象 に含 め る.

そ の 初 見 史 料 で あ る㊥ を史 料Dと して 掲

げ る. こ の 史 料 で は下 地 を 僧 け んしゅん に

宛 行い, 「轟 晶 の り脇 ♂ち」 を五 座が

請 取 る と して い る. こ こで 料 頭とは請 取 る

対 象 で あ り, 役 銭14) のよ う な ものと考 え ら

れ る. さ らに, そ れ に 続く宛 行 状 ⑦ の 事 書

で は 「宛 行 麹 室 料 頭 事 」 と され, 麹 室 料

頭 は五 座 に よ って宛 行 わ れ る ものと して 表

現 され て い る. ま た, 本 文 で は 「宛 字 左 近

三 郎 に, 請 取 」 と され, ⑦ で 料 頭 を 宛 行 わ

れ たの は左 近 三 郎 で, 史 料Dの 僧 けんし ゅ

ん に対 比 で き る. 後 者 で 僧 け んしゅん は下

地 を 宛 行 わ れ たの で あ り, こ の 「下 地 」 こ

そ 史 料 ⑦ に即して 言う と料 頭 に 関 わ る と考

え られ る. こ れ らの こ とか ら, 麹 室 料 頭 と

は, 請 取 る対 象 と宛 行 わ れ る 内 容 の 両 者 を

指し示 す もの で あ る こ とが わ か る. 要 す る

に, 飯 荷 役 を と るな ど して 麹 荷 を 支 配して

く

に

の

ふ

(

花

押

)

る

と

こ

ろ

し

や

う

く

(

応

永

)

(

お

う

へい十

ね

ん § た 律て 八 り) 、の

こ

と

し

、

月

九

日

う

け

んし

ゆ

ん

にあ

(

宛

(

端

裏

書

)

﹁

あ

て

し

や

(

請

取

)

(

飯

室

)

(

う

け

と

る

い

、む

ろ

の

り

(

荷

)

(

者

)

合

一

か

て

い

り

(

件

)

右

く

た

り

の

い

\

む

ろ

、

' た 笠

磐 嬉

施 罐

隷

せ う)

て し(

み

請螺

と聖 おζ そ僅

や 料 う 状

ワ し    

∼頭 あ)

事

︹

史

料

D

︺

く

にのふ

飯

室

料

頭宛行状

い た 安 明 寺 五 座 が, 恐 ら く実 際 に 売 買 活 動 を 行う者 を麹 室 料 頭 に宛 行 い, 飯 荷 役 と は 別 に

そ こか ら役 銭 を徴 収して い た もの で あ ろ う15)

史 料Cよ り3年 後 の 応 永5( 1398) 年 安 明 寺 五 座 は 次 の よ うな 置 文 を 定 め て い る( 28号) .

く 

右, 件 置 文子 細 者, 麹 荷 二 自然自公 方 天 役 わ っ らい 高 々懸 事 候 者, 座 々在 地 与 麹 荷 よ り

合候 て, 其 料 足 お 可 明 申候, 若 少 分 之 事 に て 候 者, 在 地 可 其 沙 汰 申候

こ こに み え る公 方 か らの 天 役・煩 い は, 史 料Cの よ うに 寄 進 ・質 流 れ 等 で 五 座 に集 積した

麹 荷 に対 して は五座 自身 に懸 か る筈で あ る. こ の 置 文 は そ の 際 の 処 置 を定 め た もの で あ る.

ぼ 

このうち 「座 々在 地 与麹 荷 よ り合 」 と は, 先 述 の 麹 室 料 頭 に 宛 行 っ た者 か ら徴 収した 役 銭

も関 わ って い る と考 え られ よ う. 麹 室 料 頭 の 初 見 史 料 で あ る史 料Dが この 置 文 の 直 後 で あ

る こ と, 売 場 の 伊 世 高 野 は 史 料Cに も み え る こ とを 考 え併 わ せ れ ば, こ とに よ る と麹 室 料

頭 と は, ま さに この 公 方 からの 天 役 ・煩 い 対 策 と して 生 み 出 され た 方 策 か も しれ な い.

その 当否 は いず れ にせ よ, 表3と 表4に み え る6通 の 麹 室 料 頭 関 係 の 史 料 に つ いて 請 取 ・

宛 行 を 行 う主 体 を 示す 発 給 者 の 項 と事 書 と摘 要 の 項 と を 時 代順 に 通 覧 す る と次 の よ うな 流

れ が読 み とれ る. す なわ ち, 安 明 寺五座 は麹 室 料 頭 を 宛 行う と と も に そ こか ら役 銭 を請 取っ

て き たが, 15世 紀 に は 請 取 の 権 利 を失 い, 宛 行 に 関 わ るだ け の 存 在 と な って い る16) それ に

代 わ って16世 紀 に は和 泉国 守護 代 が料頭 の 宛 行 ・安 堵 と請 取 を行うに 至 って い る. そ して,

五 座 は 宛 行 の 権 利 までも失 う こ と とな っ た.

以 上 に示した 理 解 から外 れ る唯 一 の 例 が, 表 に 挙 げ な か った 長禄2( 1458) 年 麹 室 料 頭

宛 行 状( 河33号) で あ る. 館 場 は 上 石 津 市 庭 で, 恒 吉 に よ って 「安 明 寺 大 門 二 王 」 が 麹 室

料 頭 に 宛 行 わ れ て い る. 恒 吉 は 麹 荷 か らの 収 入 を 安 明 寺 大 門二 王 に 寄 進した と考 えられ る

が17) 麹室 料 頭 を 宛 行う権 利 を 留 保して い る. 料 頭 に 宛 行 わ れ た者 が 実 際 に売 買 活 動 を 行 っ

て い た と考 えられ るの が 通 常 で あ った の に対し, こ の 史 料 で は 明 らか に二 王 は 売 買 活 動 に

(11)

136 奈 良 大 学 紀 要 第15号

さ ら に, 享 禄2年 飯 室 売 券 ⑫ で 奥刑 部 は 根 来 寺 泉 春 房 に麹 室 を 売 却して い る. 加 地 子 は

金 升 で3石 と い う注 記 が あ り, 三 浦( 1976) は 「根 来 寺 泉春 房 が 加 地 子 分 を集 積した と し

て も, 麹 荷 ・麹 室 の 実 質 的 な営 業 は 奥 刑 部

に保 留 され て い た 」 と考 え て い る( 243頁) .

奥 刑 部 で あ る か は と もかく, 売 買 を行う者

が 麹 室 の 所 有 者=泉 春 房 と は別 に い た こ と

は確 実 で あ り, 両 者 間 に様 々 な段 階 の 権 利

関 係 を 想 定し う る. そ して, 表4の ⑦ で そ

の12日後 に そ の0部 を 売 場 とする麹 荷 につ

い て 料 頭 が 守 護 代 に よ って 千 楠 に 宛 行 わ れ

て い る こ とが わ か る. ⑰ と⑦ に み え る奥 刑

部, 泉 春 房, 千 楠 の 三 者 は いず れ も一 致 す

る と は考 え られ ず, 先 に その 存 在 を 想 定し

た 様 々 な権 利 関 係 に関 わ って い た と思 わ れ

る. そ して, こ れらの 権 利 の 一 部 が 表4に

挙 げ た 文 書 を残 す 中 家 ま た は そ の 関 係 者 が

止 住 す る根 来 寺 成 真 院 に次 第 に集 積 され て い った の で あ る.

この よ うな権 利 関 係 の 発 生 の背 景 に は麹

商 業 の 発 展 が あ ろ う. こ れ を流 通シ ス テ ム

の 面 からみ れ ば, 前 稿( 1986b) で も指 摘 し

た よ う に, 本 来 麹 室 の 所 有 者 が 生 産して 直

接売 買 に携 わ った 初 期 の 状 況( タ イ プk,

1) か ら, 次 第 に 所 有 者 ・生 産 者・商 人 が

分 化 す る こ と に よ って タ イ プa, bの 比 重 が

高 ま ったもの と 考 え られ る( 35頁) .

先 述 の よ うに16世紀 に は実 際 に 売 買 活 動

を行う商 人 は麹 室 の 所 有 者 な ど と分 化して

い た と考 えられる. そ れ ゆ え, 表4で 挙 げ

た売 券 等 にみ え る 売 場( 図3) が そ の 当 時

の 商 人 の 販 売 区域と食 い 違 って い る可 能 性

は 高 い. と は言 え, そ れ 以 前 の あ る時 期 に

お け る実 際 の 売 場 を 引 き継 いで い る こ と も

ま た 事 実 で あ ろ う.

日根 野 郡 を 売 場とす る麹 荷( 表4) の 麹

■ 麹 宰 ● 売場の っち市場

▲ 売場のうち在所 △ 同1( 位 圃は推定)

併野三 カ所( 庄)

馨

黛

"

"

 

鵬

滝▲

・

を

長

§

一

一 一

A史 料⑦ にみ える在所の売場

B史 料㊦にみえ る在所 の売 場

献 ・売場の範朔料⑦か・推定・れ、

史料鵬 える在所の売場i i i i i i i i i i i 覇 窒晶推定され・

ド図 は上図の口 の範囲を拡大 した ものてあ る

図3和 泉国 におけ る麹 室 とその売場

室 は 中 嶋 に あ り, 一 方, 大 鳥 ・和 泉 両 郡( 表3) は 黒 鳥 村 の 麹 室 とセッ トに され て い た と

考 え られ る( 図3) . 麹 室 と セ ッ トに され た麹 荷 「一 荷 」 の 売 場 は, 本 来 惣 村 的 規 模 で あ っ

た と三 浦( 1976) は 推 定して い る( 240∼1頁) . こ の 見 解 は 日根 野 郡 に つ い て 導き 出 さ れ

た もの で あ る. 大 鳥 ・和 泉 郡 に 関して も荷 数 は知られ る. そ こで, 史 料 か ら判 明 す る荷 数

を表3, 4に 併 せ 示して お い た. 三 浦 の 推 定 は重 要 な 指 摘 で あ る が, 日 根 野 郡 以 外 に つ い

ても認 められ る か な ど, そ の 詳 細 な 検 証 は 史料 の制 約 の た めこ こで は で きな い. 四 至 で 区

(12)

藤田: 中 世後期 におけ る農村商人 の販売 区域

137

題と し て おき た い.

皿. 近 江 国保 内 商 人 の 販 売 区域

本 章 で は史 料 の 制 約 から近 江 国 湖 東 商 人 の う ち保 内商 人 が 「市 売・里 売 」 可 能 な販 売 区

域 に つ いて 考 察 す る. 数 多 い 先 行 研 究 に導 か れ な がら検 討 を 進 め る( 以 下 図4参 照) .

応 永33( 1426) 年 に 小 鯖 人 は・ 保 内商 人との 「商 人 立 庭. . w・' 先 年彙響 選両 人 御 服

方 為 御 代 官 被 定 保 内川 於 堺 畢 」18を述 べ て い る. 御 服 代 官 に よ って 定 められ た この 堺 は, 御

服 綿 商 売 に関 す る もの と考 え られ て い る19)

この 文 書 は その 前 年 に保 内 商 人 が 越 境して 保 内 川 よ り一 里 余 北 の 愛 知 川 で 商 売した た め

相 論20) とな った 際 に, 相 手 の小 幡 商 人 が 提 出 した もの で あ る. 保 内 の 新 儀 に対し, 小 幡 商

   

人 が 証 拠と して 押 取した荷 は, そ の 注 文 に よれ ば 「塩 二 駄 馬 疋 」 で あ っ た( 今129号) .

この 時期 保 内 商 人 は 御 服 綿 以 外 の 商 品 を 商 売しよ う と して い た こ とが窺 わ れ る21) この 相 論

は結 局 保 内商 人 が 勝 訴した.

の ち に享 禄 年 間 に は 小 幡 他 五 箇 商 人22) は「野 々川 衆 市 売 錐 仕 候, 愛 知 川 よ り北 ヘ ハ 不 罷

立 候 」と述 べて お り, 境 は愛 知 川とな って い る( 今112号) . こ の 史 料 では 商 品 種 の 制 限 が

認 められ ず, 応 永 期 に お け る保 内商 人 の 企 て が 実 現した こ とが 知られ る.

次 に, 保 内の 西と南 で は, 寛 正4( 1463) 年 から翌 々 年 に か けて の 横 関 御 服 座 と の 相 論

で 保 内 御 服 商 人 が 横 関市 に 立 つ こ とが 認 め られ た と考 え られ る23) さらに, 文 亀 元( 1501)

年 から翌 年 にか けて 再 び 横 関 御 服 座と の 間 で 争っ た 相 論24) で馬 渕 市( 今104号) , 日 野 市

( 今107号) , 嶋 郷 市( 今106号) で の 立 市 が 確 認 で き る.

また, 保 内 商 人 の 支配 下 に あ る近 江 国 内 に お け る足 子 商 人 の 分 布 が, 以 上 の4市 よ り内

側 で, し か も一 部 を 除 き愛 知 川 よ り南 方 に 限 られ る点 が 注目 され る. こ の 足 子 商 人 の機 能

に つ い て は 諸 説 が あ り25) 不明 な 点 が 多 いが, 保 内 商 人 に従 属して い た と い う点 は諸 説 が一一

致 して い る.

そ の従 属 の 内 容 を み る と, 天 文 年 間 下 大 森 足 子 が 保 内商 人 の う ち今 堀と蛇 溝 の いず れ に

属 するか が 争 わ れ た相 論26) で今 堀 を 通じて 保 内 商 人 に対して保 内 商 業 に 関 わ る諸 経 費 と と

もに 「商 買 年 貢 銭 」( 今9号 な ど) を 納 入 して い た こ とが 知られ る. ま た, 足 子 商 人 の 一

つ で あ る小 田苅 は 山 越 商 買 を 行 って お り, こ れ に 対し, 天 正年 間 ま で 保 内 商 人 の う ち今 在

家 が 「取 次 」 い で 「勢 州 年 貢 」 を 徴 収して い た( 今997号) . さ ら に, 石 塔 商 人 は 延 徳3

( 1491) 年 に は 毎 年400文 の 年 貢 銭 納 入 の 代 わ り に 保内 商 人よ り馬4匹 を 申 請 け て おり

( 今1018号) , 保 内 商 人 の 足 子とな った こ とを 認 め て い る27) 石塔 商 人 は 保 内 商 人 と と も に伊

勢 へ の 山越 商売 を 行 う四 本 商 人28) を本 来 構 成して い た の で あ る か ら, 足 子 に な った と は い

え, 特 別 な対遇 を受 けて い た可能 性 もあ るが, 石 塔 商 人 に 対 す る馬 匹 の 貸 付 が 注 目 され る.

足 子 商 人 に対して保 内 商 人 は馬 を貸 与し29s ) 保内商 人 を 構 成 す る惣 村 が 仲 介して 年 貢 銭 や 保

内 商 業 にか か わ る 諸経 費 を 徴 収 す る代 わ りに 彼らの 商 売 を 認 可して い た と考 え られ る.

しかし, こ れ 以 上 に, 足 子 商 人 が行った 商 業 の 内 容 や, 卸 一 小 売 な ど商 業 上 の 保 内 商 人

との 関 係 を 史 料 から直 接 に 明らか にする こ と は困 難 で あ る. そ こで, 図4に 示 した 分 布 を

参 考 に しな がら可 能 な 限 り ア プ ロー チ した い.

永 正 元( 1504) 年 「越 彼 堺, 押 而 足 子 於 被 令 商 売 」( 今91号) こ との 禁 止 は小 幡 商 人 に

対 す る措 置 で あ るが, 保 内 商 人 に も求 め られ た に違 い な い. 足 子 商 人 は 従 属 する商 人 の 販

売 区 域 内 で の み 商 売 を 許 され たの で あ る. ち な み に, 永 正 相 論 時 の 支 証 と思 わ れ る30) 書状

(13)

138 奈 良 大 学 紀 要 第15号

4

5㎞

一

タフ 奄

0蹴

○ 永原

○ 篠原

口 i : i 蟹

● 島郷

● 馬渕

冠 …畑

▲ 須恵

商 人在住地

○

●

▲

▽

(

∪

○ 出路

囹 四+九院

長野 ◎ 枝村

O 沓掛 愛知川

保内 商人の おおよ その在住地

川

醤

》議

議 義

轟 讐 偏

内畷bハ 脇i t e市 ▲川A

纐

、

今 堀 日吉 神社文書 にみえ る市場

うち保内 商人が 立て る市 場

保 内商人の 足子商 人在住地( お もに今595号 に よる)

その他商人 の足 子商 人在住地

「保 内 ヨ リ紙 お ろす 所」

▲ 小房

囚石塔

▲ 佐久良

◎ 日野

(14)

藤 田: 中世 後期 にお ける農村商人 の販売 区域 139

子) と 小 脇 塩 商 人 の 寄 子 が い た. 保 内 商 人 の 足 子 の 分 布 は お お む ね そ の 販売 区 域 内 に 限 ら

れ る とい う先 の 指 摘 は, さ らに意 味 を も ってくるわ けで, 足 子 の 機 能 の一 つ に 保 内 商 人 の

小 売と関係 す る面 が 考 えられ る.

ま た, 永 禄 元( 1558) 年 「従 昔 至 今日, 保 内 ヨ リ紙 お ろす 所 」( 今200号) の 分 布 は,

図4に 示 した よ うに保 内 商 人 の 販 売 区 域 を巧 み に忌 避して い る31) 保内商 人 が 足 子 に 商 品 を

供 給して い た可 能 性 は 残 るが, た と え そ うで あ って も, 少 なくと も紙 商 売 に 関 して は この

商 行 為 は彼らの 感 覚 で は 「お ろす 」 行 為 で は な か った とみ るべ きで あ る こと が わ か る.

ただ, 足 子 商 人 の 機 能 は, 保 内 商 人 の 販 売 区域 で の 小 売 と関 係 す るだ け に留 ま らな い.

少 なくと も小 田 苅 は先 述 の よ うに 伊 勢 へ の 山 越 商 買 を 行 って い た. こ の 小 田苅 は菩 提 寺・

清 水 ・総 江 と と もに境 の 愛 知 川 以 北 に 位 置し, 他 の 足 子 の 分布と異 な る. こ のこと は, 山

越 商 買 に従 事 す る足 子 が 少 数 で あ る こ とを 示 す の かも しれ な い. ま た, 伊 勢 に 分布 す る足

子( 今67, 595号) は 保 内 な ど四 本 商 人 に よ る伊 勢 へ の 山 越 商 売 時 に 補 助 的 な 作 業 を 行 っ

て い た の で あ ろ う32)

図4で 示 され て い る保 内商 人 の 販 売 区域 は 彼らが 販 売 できる 全 て の 商 品 につ いて 排 他・

独占的 に 確 保 され た もの で は必 ずし もな か った. 例 え ば, 文 亀2( 1502) 年 の 文 書 に よれ

ば, 販 売 区 域 内 に 位 置 す る八日市 に は御 服 綿 販 売 で 横 関 商 人と立 合って い た( 今100号) .

これ は, 既 に 指 摘 され て い る よ うに33) 後発 の 商 人 で あ った保 内商 人 が 販 売 区 域 を 確 保 す る

に は, 相 論の 手段 に よ って, 他 の 商人 の既 得 権 が 形 成 す る体 系の な か に 割 り込 む 必 要 が あ っ

た こ とが 関 係 して い る と考 え られ る34)

I V. 販 売 区 域 の 地 理 的 特 質

以 上, 3章 に わ た って 販 売 区 域 を 個 々 に検 討 して き た. こ れらの 販 売 区 域 に は, 和 泉 国

大 鳥・和 泉 両郡 の売 場 の よ う に村レベ ルの 領 域 か ら構 成 され て い る場 合 と, よ り広 域 で 四

至 や 境 で 区切られ て い る場 合 とが あ っ た. 両 者 の 相 違 が 何 に起 因 す る もの か, 今 の と こ ろ

明らか にす る術 が な い. そ こで, こ こで は この 相 違 を 超 えて 指 摘し うる 地 理 的 特 質 を 考 察

して, 本 稿 で の検 討 を ま とめ る こと と した い.

まず, 第 一 に, 販 売 区 域 に は集 団 で 所 有して い る場 合 と個 人 で 分 割され て い る場 合 とが

あ り, 後 者 で は居 住 地 を 同じ くす る個 人 間 で 地 理 的 に 明らか に重 複して い る こ とが あ る点

が 挙 げ られ る.

麹 流 通 につ いて 享 禄2年 と天 文19年の2つ の 文書 ⑫, ⑦ から判 明 す る売 場 は, 図3に み

え る よ うに一一致 す る よ うで あ りな がら, 微 妙 に 食 い 違 って い る. ま た, 図1に 示 され て い

る大 村 に住 む鋳 物 師個 々 の 本 来 の 売 場 は, 互 い に重 複 す る部 分 を 多く含 む. そ れ で も各 人

の 売 場 から形 成 さ れ る大 村 鋳 物 師 中 の 売 場 は, 競 合 す る津 田・野 里 各 村 の鋳 物 師 中 の 売 場

しじ ょう

とは 重 な る部 分 が な く, 市 川 の 中 ・下 流 部 を 分割して い た とみられ る. 互 い に 市場 を 分 割

して 成 立して い た鋳 物 師 中 の 売 場 の な か で は, 競 合 を 含 み ながらい くつ か の個 人 的 売 場 が

み られ る と い う関 係 に あ った の で あ る. し かし, 既 に 指 摘した よ う に, 16世 紀 に な って 野

里 の 鋳 物 師 が 集 積 を始 め る こ とで この 関 係 は混 乱し, 個 人 的 売 場 の 淘 汰 が 進 ん で い る. そ

して, 17世 紀 に は集 団 と の 関 係 も整 理 され, 個 人 的売 場 の 相 互 不 可 侵 の 原 則 が 確 立した の

で あ る.

個 人 的 売 場 が 集 合して集 団 の 売 場 が 形 成 され て い た 鋳 物 師 の ケ ー ス に対 し, 和 泉 国 麹 流

通 の 場 合 は個 人 的 売 場 の み が み られ る. 一・方 湖 東 商 人 は 集 団 と して 販 売 区域 を 確 保して い

(15)

140 奈 良 大 学 紀 要 第15号

わ せ 上 考 え られ る3つ の ケ ー ス を 代 表して い る.

個 人 的 売 場 が み え る の は鋳 物 類・麹 流 通 で あ って, い ず れも生 産 者 と販 売 者 が 未 分 化 な

場 合 で あ る. 自 ら製 造した もの の 販 売 が 可 能 で, 原 料 の 確 保 は 問 題 で あ る に しても, 0定

の 商 品 は確 保 で き る. そ の た め, 経 営 上 個 人 の 独 立 性 が 強 い とい う事 情 が あ る と考 え られ

よ う.

それ に対し, 保 内 商 人 は 商 品 の 生 産 に 携 わらな い純 粋 な商 人 で あ り, 座 を 形 成して 集 団

で 商 業 上 の 権 益 を 守 って き た. 商 品 の 確 保 に と って 仕 入 れ は 必 要 不 可 欠 で あ り, そ の 由緒

を 求 め て 権 力 と結 び つ くに は個 人 よ り も集 団 の 方 が 有 利 で あ る と言 え よ う. こ の 湖 東 商 人

の よ う な農 村 商 人とは異 な り, 仕 入 れ の ル ートが 問 屋 な ど に よ って 政 治 権 力 と は あ る 程度

独 立して 確 立して い る都 市 商 人 は, 権 力 と結 びつく必 要 性 は さ ほ ど高くは な く, そ れ だ け

個 人 が 前 面 に 出 る と思 わ れ る.

例 え ば, 大 永7( 1527) 年 山 城 国 西 岡 寺 戸 の 新 次 郎 は, 「塩 の た ち場 嵯 峨・高 田 ・生 田 ・

池 裏 ・畑 ・高 雄・栂 尾 以上 此在 々 所 々を 」「度 々塩 之 駄 賃 相 つ もて 拾 三 貫 六 百 文 」 の 返 済 の

代 わ り に 同所 の 衛 門三 郎 に 譲 渡して い る35) 元来 運 送 業 者 た る衛 門 三 郎 が, 付 近 の 卸 売 市 場

淀魚 市 か ら塩 を輸送してい た もの とす る豊 田 武( 1952) の 見 解( 174- 5頁) は 首 肯しう る.

そして, 新 次 郎 は そ の駄 賃 を 支 払 って 塩 を

受 け取 り, 「塩 の た ち場 」 で小 売 をして い た

もの と思 わ れ る. 図5に 示 した この た ち場

は, 本 来 新 次 郎とい う一一商 人 の 立 場 で あ る.

典 型 的 な 都 市 商 人とは言 い 難 い が, 当 時 の

第一 の 都 市 京 の 西郊 に住し, 卸 売 市 場 淀 魚

市 か ら塩 を 輸 送 す る衛 門三 郎とい う仕 入 れ

の ル ートを 確 保して い た点 は農 村 商 人 と は

大 い に 異 な るの で あ る.

以 上 の 指 摘 は試 論 にす ぎ ず, 他 の 商 ・職

人 に ど こ まで 適 用 可能 か, と い う点 に つ い

て は 今 後 の 課 題と しな け れ ば な らな い.

次 に, 第 二 の 特 質と して, い ず れ の 事 例

に お い て も販 売 区域 が 商・職 人 の 在 住 地 の

周 囲 に 分 布して い る点 が 挙 げ られ る. と く

に, 先 に 挙 げ た寺 戸 の 新 次郎 の 「塩 の た ち

場 」 は,

4

[ コ 平地 ・台地

■ 商人在住地

▲ 「塩のたち場」,

市 場

生田

▲ 高田

' ⑭:

図5京 西郊 におけ る塩商人の立場

寺 戸 よ り北 方 に コ ンパ クトに 凝 集して い る. こ れ は, 販 売 の 際 に移 動 距 離 を 短く

で き る点 で 合 理 的 な 分布 で あ る とみ なしえ よ う.

第 三 に, 販 売 区域 の 形 状 や 広 狭 が 競 合 す る商・職 人 の 分布 状 況 に 大 き く左 右され る こ と

が 挙 げ られ る. 湖 東 で は保 内 と小 幡 商 人 の 販 売 区 域 の 境 は, 本 来 両 者 からほ ぼ等 距 離 に あ

る保 内 川 で あ っ た( 図4) . ま た, 図2を み る と, 市 川 の 下 流 域も基 本 的 に は津 田村と大 村

の 鋳 物 師 に よ って 両村 か らほ ぼ 等 距 離 の 市 川 で 二 分 され て お り, そ の た め と くに後 者 の 売

場 は 居 住 地 の 東 方 にや や 伸 び た 形 を 呈して い る. そ して, 両 者 よ りわ ず か に北 方 に位 置 す

る野 里村 に住 む鋳 物 師の 本来 の売 場 は, 居 住 地 付 近 からは締 め 出 され る形 で 分 布して い る.

この よ うな 分 布 状 況 か ら先 に第1章 で 野 里 村 鋳 物 師 が 後 発 で あ った と考 え たの で あ った.

第 四 に, 販 売 区 域 は村レベ ル の 領 域 が 単 位 と な って い た と考 え られ るが, 郡 域 な ど村 レ

(16)

藤 田: 中世後期 における農村 商人の販売 区域 141

出職 の形 態 を とる 際 の 権 益 で あ る 「大 工 職 」 が郡 を 単 位 に設 定 され た の に 対し, 居 職 に基

づく売 場 は, 郡 単 位 の ほ か 市 場 お よび 村 里 を含 ん だ 四 至 で 区 画 され て い る( 図1

, 図2) .

その た め, 売 場 が 市 売・里 売 とい う現 実 の 経 済 活動 を反 映して い る とみ な し う る こ とを既

に前 稿( 1986b) で 指 摘して お い た( 35頁) . さ らに, 図2に よ れ ば, 大 村 と津 田村 鋳物 師 の

販売 区 域 の 境 は 郡 界 で は な く, 市 川で あ る.

1小 郡σ ○ 陶

㌧ ◎

山中I

OI

口

σ

熱

\

』_ . _ I Okm

■ 謙 篇轟 た

合物商人の在住地

● 同れた範上で長囲の職に四補至の市せら

△ 関連地名

○( 繍 欝 歪謝 町

一●一 鱒一●国 界

郡 界

図6周 防国 におけ る合物の流通

これ と同 様 の こ と は, 次 の事 例 で も指 摘 で き る. す な わ ち, 元 応 元( 1319) 年 某 下 知 状36)

に よれ ば, 周 防 国佐波 郡 宮市 の 兄部徳 貞 が 「周 防 国 合 物 売 商 人 等 長 職 」 に補 せ られ て お り,

「東 者 限 富 田 市37) 西者 限 賀 河 市, 北 者 限 大 内 井 得 地 市 」の 範 囲( 図6) の 「合 物 商 人 等 随

長 之 成 敗 可 令売 買 」 き 旨が 命 ぜられて い る. 但 し, こ の 文 書 は 明 らか に偽 文 書 で あ り38s ) 鈴

木 敦 子( 1980) は この 史 料 を 永 禄12( 1569) 年 と元 亀3( 1572) 年 の2度 に わ た り佐 波 郡 合 物 役

司 の権 利 獲 得 を め ぐ って 相 論 と な っ た際, 兄 部 氏 の 由緒 を 裏 づ け る た め に作 製され た もの

と し, こ の 四 至 内 が16世紀 に お け る兄 部 氏 の 勢 力 圏 を 示して い る と して い る( 63頁) . こ の

見 解 は従うべ きで あ る と考 え る. 文 禄3( 1594) 年 に下りはす るが, こ の 四 至 内の 吉 敷 郡

小 俣 ・下 津 令 浦( 図6) 近 辺 魚 物 座 の 設 置 を認 可 す る文 書 が 兄 部 氏 宛 て に 出 され て い る こ

と は39) これ を裏 書 きす る もの と言 え よ う. こ の範 域 が, 本 稿 で 検 討して きた 販 売 区域 と同

列 に 並 べ う る もの か, な いしは 兄 部 氏 が 商 人 を統 轄 し得 た範 囲 に過 ぎ な い の か 判 断 で きな

い. し かし, そ の いず れ に せ よ, そ れ は郡 域 と は 無 関 係 で あ り, ま た, 毛 利 氏 に よ って 任

命 され た佐 波 郡 合 物 役 司, 佐 波 郡 魚 物 座 司40) と して 活 躍 で き る領 域, す な わ ち 佐 波 郡 域 に

留 ま らな い もの で あ っ た こ とは 確 認 で き る.

本 章 で 指 摘した 販 売 区域 の特 質 を最 後 に 列 挙して おくと, 第 一に, 集 団 に帰 属して い る

販 売 区 域 と個 人 に 分 割 され て い る 場 合 とが あり, 後 者 の 個 人 的 売 場 は地 理 的 に 重 複して い

る こ とが あ る. 第 二 に, 商 ・職 人 の在 住 地 の 周 囲 に 分布 して お り, 第 三 に, 販 売 区 域 の 形

(17)

142 奈 良 大 学 紀 要 第15号

よ り上 位 の政 治 的 領 域 とは必 ずしも一一致しな い, と い う4つ の 点 が 挙 げられ た. 第1点 め

は別と して, 他 の3つ の 特 質 は, 販 売 区 域 が 市 売・里 売とい う現 実 の 小 売 活 動 に基 づ い て

形 成され た こ とを 示して い る と言 え よ う.

お わ り に

以 上, 播 磨・和 泉 ・近 江 の 事 例 を 中心 に農 村 商 人 の 販 売 区 域 につ いて 考 察し, そ の 地 理

的 特 質 を 指 摘した.

今 後 の 検 討 課 題 と して は, こ こで 指摘した よ うな 特 質 が ど こまで 一 般 性 が あ るか, と い

う点 が ま ず 挙 げられ る.

また, こ こで 考 察 の 主 な対 象 と した3つ の 事 例 は, 限 定 され た 販 売 区 域 を もつ 商 ・職 人

の う ち, 史 料 が 比 較 的豊 富 に残 る 恵 ま れ た 場 合 で あ る. こ れ 以 外 に も一 定 の 販 売 区 域 を も

っ 商・職 人 の 事 例 は2, 3知 られ る もの の, そ の よ うな 商 ・職 人 が0般 的 で あ っ た か は 不

明 で あ る とせ ざ る を得 な い41) そこで, そ も そ もこの よ うな 限 定 され た 販 売 区 域 が 形 成され

る場 合 の 条 件 の 考 察 も今 後 の 課 題 で あ る.

これらの 考 察 を 進 め る と と もに, 流 通 に注 目す る筆 者 の 基 本 的 立 場 から, 流 通 現 象 を 通

じて 形 成 され る流 通 圏42) 例え ば, 卸 売 商 人 の 販 売 区 域, 農 村 市 場 の 影 響 圏) を さ らに 今 後

も検 討して い き た い.

〔付 記 〕

現 地 調 査 の 際, 多 くの 方 々 に お 世 話 に な った. ま た, 横 田 冬 彦 氏 に は 史料 の 貸 与 ・教 示

な ど と くに お世 話 に な った. 記 して 謝 意 を表した い.

註

1) 芥 田 家 文 書. r 姫路 市 史 史 料編1』( 姫 路 市, 1974) に 所 収 さ れ て い る文 書 は, 以 下 その 文 書 番 号 を 芥2号 の 要 領 で記 す. そ れ 以外 の 文 書 は 芥 田 と記 す こ と にする.

2) の ち に掲 げ る 史 料Bで 佐 土 市 は 「六 さ い 」 で あ る.

3) r 播 磨 鑑 』 は 大 村 に つ い て 「古 へ 今 ノ佐 土 村ノ西 御 着 村ノ地 境 二 家 数 多 キ在 所 有 テ北ノ山 ノ麓 ニ テ ツ \キ タ ル ヲ大 村ト云 フ, ( 中 略) 今 二此 山 ノ麓 田地 ノ 中 ヨ リ往 々 鉄 屑 出ル 也 」 と して お り, 現 別 所 町 佐 土 に 「大 村 」 の 小 字 が 残 る. 史 料Aで は 「大村 国分 寺 金 屋 」 と あ るが, こ れ は こ の1点 にす ぎな い. 郡 こ そ異 な るが, 国 分 寺 集 落 は大 村 の伝 承 地 の す ぐ西 に位 置 す る. そ こで, 「 大 村 国 分 寺 金 屋 」 とは この付 近一帯にあ った金 屋 を漠 然 と指 す 可能 性も考 え られ, 以 下 「大村 」 に代 表 させ る. 図1で も大 村 の伝 承 地 を 図 示した.

4) 「 刀 田 寺 町 立 畢 」 の 部 分 はr 姫 路 市 史 』 で は 「刀 田 寺 町 立 マ チ」 と さ れ, 次 の 「合神 西 一 郡 」 の 下 に続 け て書 か れ て い る. こ れ に対し, 京 都 大 国 史学 研 究 室, 東 京 大 史 料 編 纂 所 架 蔵 の 影 写 本 に よ り史 料Bの よ うに 「合 東 郡 者 」 を 説 明す る文 言 の一 部と解した. ま た, 「立 マ チ 」 で は解 釈 が 困 難 で あ る が, 「町 立 畢 」 と読 む こ と に よ って 「町立 さ れ た 」 の 意 と一 応 解 釈 が 可 能とな る. こ の 刀 田 寺 と は豊 田 武( 1952) に 従 って 刀 田 山 鶴 林 寺 を指 す と今 の と こ ろ考 え て い る. 鶴 林 寺 は加 古 川 市 の 南 方 に あ り, 右 の2行 で 示 され た 区 域 内( 図1) に 位 置 す るわ け で, こ の 部 分 を 先述 の よ う に「合 東 郡 者 」 の説 明 と解 す る と矛 盾 なく解 釈 で き る.

5) 史 料Bの 「刀 田 寺 」 を 含 む. 藤 田( 1986b) 第1図 も同 様 で あ る. 6) 鋳 物 師筋目書

7) 「 一売 子 先 々 にて させ られ候, 聞 付 次 第 二 くわ た い, 末 代 金 屋 可 相 留 事 」 とあ る. 脇 田 修( 1985) 476∼7頁 参 照.

(18)

藤 田 中世 後期 にお ける農村商 人の販売区域 143

9) 史 料Aの 「神 西 郡 是 者 大 村 衛 門 二 郎 大 夫 売 場 也 」 の部 分 を 先 述 の よ う に解して, 神 西 郡 を 大 村 鋳 物 師 の 本 来 の 売 場 と して加 え る と, こ の 傾 向 は さ らに 強 ま る感 を 受 け る. な お, 史 料 ⑳ に み え る売

・ ・. ・

場 の うち 「しもの よ しとの 」 の 部 分 は, 神 崎 郡 福 崎 町南 田原 の 小 字 下 野 田, 下 野 田 坪, 下 野 林 付 近 お よ び 吉 田 野 に 比 定 で き る可 能 性 が あ る が, こ れらは いず れ も神 東 郡 に あ た る.

10) 芥 田 系 図( 脇 田 修( 1985) 474頁 に よ る) . ま た, 表2史 料@参 照.

11) 河 野 家 文書( 『 日本 史 研 究 』207, 1979) 第20号 文 書. 以 下, 河20号 の要 領 で 記 す . 12) 三 浦( 1981) が 既 に 指 摘して い る( 24頁) .

13) 中 家文 書 は京大 影写 本所 収 分( ④ ・㊥・⑦) 以 外 は 三 浦( 1976) に よ る. 三 浦( 1976) に よれ ば, 表2の 他 に天 文6年4月24日 付 売 券 が あ る と い うが, 詳 細 は不 明 で あ る.

14) 三 浦( 1976) 247頁

15) 史 料Dの 発 給 者くに の ふ が 何 者 か 判 然 と しな い が, こ の 伊 世 高 野 を売 場 とす る麹 荷 は 史 料Cに も み え るから, 安 明 寺 五 座 を 構 成 す る在 地 僧 で あ る と考 え られ る. こ れが 妥 当 で あ る とす る と, 史 料 Dも 五 座 が 発 給した 史料 ㊥, ③, ⑦ と同 列 に並 べう る こ と に な る. た だ, 史 料Cは 八 講 料 に あ て る 麹荷 からの 収 入 を 示した に す ぎ な いから, く に の ふ 自身 が 麹 室 の 所 有 者 で あ って, 実 際 の 売 場 で あ る「下 地 」 を 僧 けんし ゅん に宛 行 って 営 業 活 動 から手 を ひ い た と理 解 で き る可 能 性もあ る. こ の 理 解 で い くと, こ の よ うな宛 行権と役 銭 徴 収 権も⑫ で は 五 座 の 手 に渡った と解 釈 で き る.

16) 応 永5年 の 置 文( 河28号) に み え る 「公 方 」 が 和 泉 国 守 護 な い しは守 護 代 を 指 す 可 能 性 が あ る. 17) 享 徳3( 1454) 年 恒 吉 麹 荷 寄 進 状( 河32号) で は 「黒 鳥 内 仏 之 麹 之 荷 々付 」 と さ れ て い る. 18) 今 堀 日吉 神 社 文 書( 仲 村 研 編r 今 堀 日吉 神 社 文 書 集 成 』, 雄山 閣, 1981) 第80号 文 書. 以 下, 同

史料 集 に所 収 され た もの は 同 文 書 以 外 も含 め, 今80号 の要 領 で 記 す. 19) 吉 田( 1983) 113頁.

20) こ の 相 論 の経 過につ いて は仲 村( 1977) が 最も詳しい.

21) 脇 田 晴子( 1960) , 佐 々木( 1967) は 御服 を めぐる相 論とす るが, 仲 村( 1977) は その 他 に 塩・米・ 魚 な ど を挙 げ て い る.

22) 他 に 八 坂, 薩 摩, 田 中 江, 高 島郡 南 市. 23) 仲 村( 1983) 400∼401頁.

24) 仲 村( 1983) が 最 も詳しい.

25) 脇 田 晴子( 1960) が 的 確 に整 理して い る( 542- 3頁) . 26) 仲 村( 1976) が 最 も詳しい.

27) 仲 村( 1977) 242頁.

28) 他 に 小 幡, 沓 掛 商 人. 今112号 参 照.

29) ち な み に, 足 子 交 名 の 昌 頭 に は 「得 珍 保 之 海 草 勿 塩 百 十 色 馬 足 子 下 」( 今595号) と あ る. 30) 仲 村( 1977) 212頁, 395∼6頁. お よ び, 仲 村( 1983) 406頁.

31) 販 売 区域 と 「紙 お ろす 所 」の 分 布 状 況 は卸 売 と は 自 らが 買 付 け た 商 品 に つ い て 自 らの 販 売 区 域 外 に行うの で あ って, 自 らの 販 売 区域 内で は 買 付 か ら販 売 ま で 一 貫 行 程 が 貫 徹し て い る と す る 吉 田 ( 1983) の 指 摘( 114頁) の 正 当 性 を示して い る. な お, 「 紙 お ろす 所 」 の うち 「守 山 高 嶋 甲賀

伊 賀 日野 牧( 中 略) 坂 本 」 は図4の 範 囲 外 の た め示 せ な か った.

32) 足 子 商 人 の商 業 上 の機 能 は 今 後 の検 討 課題 で あ るが, こ の よ う に一 つ に限 定して は考 え られ ず, 複 合 的 に捉 え る必 要 が あ る.

33) 仲 村( 1983) 393頁.

参照

関連したドキュメント

El platonismo entiende las matem´ aticas como una determinada manera de pensar sobre las cosas del mundo plat´ onico. Las caracter´ısticas de este modo de pensar son, entre otras:

contrastes en modelos sin interacci´on, para probar hip´otesis respecto a un fac- tor, se debe determinar si el modelo es conectado, pues cuando esto sucede, se pueden

Como el objetivo de este trabajo es estimar solo una parte del vector θ , es conveniente definir estadísticos que contengan información solo sobre una partición del vector que define

Au tout d´ebut du xx e si`ecle, la question de l’existence globale ou de la r´egularit´e des solutions des ´equations aux d´eriv´ees partielles de la m´e- canique des fluides

In Section 4, we define the location-scale proportional hazard normal model and different methods for parameter estimation; we derive the information matrix and discuss likelihood

Figure 4 displays the cancer mortality relative risk estimation using three dif- ferent models, with Mollié’s convolution model (b), Student-t MRF (c) and Slash MRF (d) as

メモ  : 権利の詳細な管理は、 BlackBerry WorkspacesEnterprise ES モード BlackBerry Workspaces およ. び Enterprise ES ( 制限付きフルアクセス )

 当第1四半期連結累計期間の世界経済は、新型コロナウイルスの感染状況が小康状態を保ちつつ、経済活動が本