第三章
戦時体制から高岡経済専門学校へ I
非常時体制への突入
昭和十二年の支那事変を契機にしてわが国の教育方策はとみに戦時色を加えてきたが︑昭和十四年に第二次位界大戦が
勃発し︑近き将来において更に大きな戦争に突入すべき気運が醸成されるや︑昭和十五年中頃より一際明確に戦時教育体
制がとられるに至った︒それ以後︑わが国の教育制度はいわば激動期に入り︑太平洋戦争への突入から﹁一億玉砕﹂体
制︑さらに敗戦に至るまで︑日本の国情をそのまま反映して揺れに揺れたのである︒﹁国家総動員﹂体制の下においては︑
高等教育機関も例外たるを得なかった︒殊に︑高等商業学校は戦争の直接的影響をうけ︑本校は大きな犠牲を払ったとい
わね
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い︒
支那大陸作戦が予想外に長期化し︑為政者や軍部のみならず国民大衆の聞にも︑泥沼に引き込まれるような焦燥感と窮
乏感が無言の裡に拡大して行った︒石炭の不足によるスチーム禁止や木炭自動車の登場︑マッチ︑砂糖の切符制から米の
配給制と国民生活は目に見えて不自由になり︑﹁足りん︑足りんがこの頃の挨拶﹂︵中央公論昭和一五年一月号︶といった
状態であった︒近衛内閣は︑かかる状態からくる国民の不満や批制を﹁精神主義﹂の強調によって抑制すると同時に︑挙
国一致体制を強化してむしろ積極的に難局を乗り切ろうと画し︑昭和十五年八月一日に﹁基本国策要綱﹂を示した︒かく一
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五一
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六して︑生活必需品の切符制採用や賛沢品禁止令︑国民服制定となって新体制運動が始ったのである︒政治面では︑既成政
党がいずれも解党して新たに大政翼賛会が発会し︑労働者階級に対しては﹁労資一体﹂
lガンによって思想統一を働きかけ大日本産業報国会の結成を導いた︒
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業一
家﹂
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業報
国﹂
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ロ
高岡高商報国団の結成
学校教育の面では︑同様の﹁万民翼賛﹂の思想に基づき︑昭和一六年八月の文部省訓令﹁学校報国団体制確立方﹂によ
って︑全国的に統制され︑学校毎に報国団を結成させた︒すなわち︑大学︑専門学校については︑文部省に本部をおき︑
文部次官を本部長とする全国二克的な報国隊組織が︑また中等学校以下の学校についても各都道府県単位に統一的な学校
報国隊組織が結成され︑文部大臣あるいは地方長官︑市町村長の指令によって随時動員する体制を整えることになった︒
本校においてもすでに昭和十五年十二月に鈴木校長を団長とする高問高等商業学校報国団が結成され︑団旗樹立式が挙行
せられていたことは前述した通りである︒
高岡高等商業学校報国団規則︵抄︶
第一章
名 称 及 目 的
第一条本団ハ高岡高等商業学校報国団ト称ス
第二条本団ハ皇国教学ノ本義一一川リ全校一致愈々団体訓練ヲ重ンジ心身ノ修練−一力メ校風ヲ発揚シ国民的性格ノ錬成
−一
逼進
シ以
テ学
徒報
国ノ
誠ヲ
致ス
ヲ目
的ト
ス
第三条本団ハ高岡高等商業学校職員及生徒を以テ組織ス
第四条第五条
第六条
第七条
第八条第九条
第十条 本団ニ左ノ六部を置ク一︑総務部二︑鍛練部二︑国防訓練部四︑文化部
丘 ︑
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官
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総務部ハ本団ノ推進力トナリ各部ノ活動ニ関シ根本的ナル企画指導ヲ行ヒ本団ノ経理︑各部ノ連絡及他ノ部ニ
属セザル事務ヲ掌理ス
本団機関誌﹁志貴野﹂
ハ総
務
附ニ於テ之ヲ制糾スJ d
鍛練部ニ左ノ十七班ヲ置ク
一︑剣道班二︑柔道班
︵後
略︶
国防訓練部ニ左ノ五班ヲ置ク
一︑射撃班二︑銃剣班
一今
︑騎
道班
四︑自動車班T﹂︑
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スキl
班
文化部一一左ノ十五班ヲ置ク
一︑国防研究班二︑思想研究班
一一
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律研
究班
四︑経済研究班五︑商業研究班
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ノ到
七︑日然科学研究班八︑東亜研究班九︑独逸研究班十︑国際問題研究班十一︑宣伝広告研究班
十 三 二 講 十 五
︑ 芸
生活部ハ風紀︑保健︑娯楽等学生生活全般三日一リ風尚ノ刷新一一任シ其ノ企画指導一一当リ併セテ学資︑宿所ノ幹
旋等福利厚生ノ事業ヲ行フ︑之ガ実践機関ノ一トシテ隣保制ヲ布ク
配給部ハ団員一一対シ学用品及日用品ヲ配給シ兼テ団員二ぃX務習熟ノ機会ヲ与フルヲ以テ目的トス︑共ノ会計ニ
ツキテハ之ヲ特別会計トス 十二︑文芸研究班班
演
班十四︑音
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八第三章
役
員
第十一条
第十二条
団長
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校長
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︵後
省略
︶
第四章
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省略
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第五市
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l時の主要役員は︑副団長兼総務部長佐原教授︑鍛練部長土生教授︑国防訓練部長小寺教授︑文化部長大熊
教授︑生活部長日比野教授︑配給部長栗原教授であった︒なお︑高岡高等商業学校報国団の結成と同時に学友会が廃止さ
れた
︒
熊 木 校 長 の 就 任
第三代の堀池校長が文部省教学局企画部長に任ぜられ更に大任を帯びて満州へ赴任された後︑文部省督学官兼凶書監修
官熊木捨治氏が第四代校長に任命された︒本校は︑前の堀池校長時代︵昭和十五年五月﹀に木科第二部︵東亜科﹀の新設
を見て一応外延的発展は終り︑このあと堅実な内包的充実に努める時期となった︒時あたかも︑前述の如く︑国家主義・全
体主義・統制主義の時代に入り︑教育も戦争態勢の下に置かれ学業よりはむしろ訓練ないし鍛練が強調せられるという状
態であった︒かかる時代に局に当った熊木校長は︑高等商業学校長の体験は始めてであり︑経済学・商業学・法律学専攻
者が多数ある中に唯一の文科系出身者︵京都帝国大学文学部教育学専攻︶であり︑当初は︑﹁場違い﹂の感無きにしもあら
ずと自他共に考えられていたようである︒しかし︑さすがに教育者としてベテランの同校長は︑高高な識見に加えて誠実 と愛情に満ちた人柄とによって︑たちまち教職員ならびに学生を魅了し厚い信望を集められた︒
抱一木校長の在任期間は︑昭和十六年一月十五日から十八年三月一二十一日までの二年二カ月であり︑十八年山刀一日付で
大阪第一師範学校校長として惜しまれつつ転出された︒同校長のこの短い在任期間中に︑大平洋戦争前の臨戦体制から太
平洋戦争突入後の決戦体制へと国家の中央統制が益々強化せられ︑もはや自主性の主艇も認められぬ客観情勢の下に︑乾
坤一悼の戦争目的遂行のため統制指令に従いつつ学闘は急角度にその様相を変えて行った︒
進
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市 リ 策
熊木新校長を迎えた学闘は︑恒例により昭和十六年三月九日第十四回卒業証書授与式を挙行したが︵卒業生一六一名︶
従来とはその背景を異にする点があった︒上級学校への進学が抑制されていたからであ一る︒これより先︵附和十五年十二
月 ︶ ︑
文部省は﹁実業学校及実業専門学校卒業者ノ上級学校進学ニ関スル件﹂なる通達を出して︑実業専門学校卒業生の
上級学校進学につき出身学校長の推薦を要することとし︑かつ推薦しうる数を当該年度卒業者数の概ね一割以下に限るこ
ととした︒之により︑本校より帝大・商科大学等に入学を出願しうる者の数は︑二十名内外に限られることになったので
ある︒その後文部省は︑更に同一趣旨により昭和十六年十月二十二日付通牒を以て︑昭和十七年三月施行の大学・専門学
これによって︑帝国大学および官立大学二部への入学試験校・高等学校・大学予科の入学試験の実施要綱を発表した︒
は︑第一次・第二次・第三次の.一一段階形式をとり︑第一次に出願しうる者は高等学校卒業者のみとし︑第二次以下におい
てはじめて尚等学校と専門学校との卒業者の出願を許し︑商大を除いて高等学校卒業者の優先入学を許すことにした︒こ一
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九。
れらは︑生産力拡充という国の最高政策に積極的に対応し︑実業学校や専門学校の生徒に関して進学抑制方法を講じ︑軍
事産業を中心とする労働力の需要に応じ一日も早くまた一人でも多く実務につけるよう図ったものである︒
繰 り 上 げ 卒 業
時局の要請は︑学徒に対し学窓に在って長期の勉学に親しむ裕りを認めえざるに歪り︑一刻も早く或は兵役に︑或は生
産力増強に逼進することを要求した︒昭和一六年八月︑政府は﹁労務緊急対策要綱﹂を閣議決定し︑そのなかで技術者お
よび労務者充足のために学校の修業年限短縮を定めた︒これに基づいて︑昭和十六年十月十六日勅令第九百二十四号﹁大
学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件﹂を公布し︑大学学部︑大学予科︑高等学校高等科︑専門学校︑
実業専門学校の昭和十六年度卒業期を六カ月以内短縮できるとし︑同時に︑昭和十四年の兵役法を改正して︑学生・生徒
の在学徴集延期期間を大体一年間短縮することを規定した︒文部当局は︑右の要請に基づいて昭和十六年度卒業予定者に
ついて修業年限を三カ月短縮することにしたので︵勅令第九二四号︶本来ならば昭和十七年三月に卒業すべき第十五回卒
業生百九十五名の卒業証書授与式が︑三ヶ月を繰り上げて昭和十六年十二月二十八日に行なわれた︒一年の聞に二度も卒
業式を挙行したわけである︒そして︑第十五回卒業生の大部分は昭和十六年十二月中に徴兵検査を受け入営期もこれに準
じて繰り上げられた︒大東亜戦争を指導する軍部と政府当局の緊急対策に他ならない︒
この修業年限短縮策に呼応して︑学内においても︑第三学年生を来る十二月下旬卒業せしめるようカリキュラムの改訂
がなされた︒すなわち︑学科の講義を重点的にして土曜日も第六時限まで授業する等の方法を講じ︑同年十月二十五日か
ら実行に移した︒また︑二︑一年生についても同様の指令が来るのを見越して︑二カ年半で卒業せしめる授業計画を編成
することに決定し︑急逮その準備にとりかかった︒
さらに︑卒業期を三カ月繰り上げて十二月下旬に卒業する者のうち上級学校進学者については︑入学期が依然明年四月
であるために三カ月の空白期間を生ずることになるので︑臨時補羽田科規則を制定し︑昭和十六年十二月二十七日付の文部
省許可を受けた︒臨時補習科は︑上級進学希望者を収容し︑勉学を継続しうる措置をとって毎週二十問時間授業をγ
行な
い︑
大体午前中は講義をし午後は図書館等において各個に勉学研究をなさしめることにした︒在籍人民は十七名であった︒
学 校 報 国 隊 の 編 成
既述の如く︑昭和十五年末に従米の学友会を解消して報国団が結成されたが︑﹂の報国凶は本来平時訓椋の体制であっ
た︒しかるに︑時局はさらに一朝有時の際における出動体制の編成を要求するに至り︑昭和十六年八月八日文部省は軍隊
式の学校報国隊を編成すべき旨︑次のような訓令を出した︒
学校報国団体制確立方
今次事変ノ勃発以来学徒ノ修練ヲ重視シテ或ハ国家奉仕ノ労務ニ赴ク等只管実践鍛練一一力メシメ特一一客秋学校報国団
ノ組織一一関スル要綱ヲ示シテ学徒修練ノ強化ヲ図ルトコロアリ︑
律ヲ重ンジ団結ヲ尊ビ困苦欠乏一一堪フルノ心志卜尽忠報国ノ精神トヲ振起シ以テ挺身奉公ノ誠ブ効サシメントスル一一在 コレ同ヨリ皇国民錬成ノ本旨ニ基クモノニシテ克ク規
今ヤ内外ノ情勢益々緊迫シテ寸時ノ倫安ヲ容サズ愈々挙国一致臨古ノ難局打開一一週往スベキ秋ナリ︒学徒ノ修練亦之
ニ即応スル積極果敢ノ態勢無カルベカラズ︒即チ五一一学校報国団ノ内ニ指揮系統ノ確立セル全校一編隊ノ組織ヲ樹テ隊ノ
総力ヲ結集シテ適時出動要務一一服シ︑其ノ実効ヲ収ムルノ体制ヲ完カラシムルト共ニ学校教練︑食糧増産作業其ノ他各
種団体訓練等ノ実施ヲ効果アラシムルハ方ニ非常時下教育ノ要請ニシテ実−一刻下ノ急務ナリ︒
局ニ当ル者叙上ノ趨旨ニ鑑ミ其ノ体制ノ確立一一力メ以テ学生生徒ノ訓練徹底シ事有ルニ処シテハ和衷協同沈著敏捷克
ク団結ノ威力ヲ発揮シテ其ノ責務ヲ果スニ遺憾ナカラシムルコトヲ期スベシ
右の訓令に基づき︑高岡高等商業学校報国隊規定が作成された︒同規定は︑全学園を大隊編成として︑第三︑二︑
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組もそれぞれ第一二ゴ三︑四小隊とし︑小隊を更に四分隊に分った︒報国隊長には校長︑中隊長・小隊長には教官︑分隊長には生徒が当った︒その編成を完了して昭和十六年十月十六
日結成式を挙げ式後分列式が行なわれた︒また︑各学年より身体意志共に剛健なもの約九十名を選抜して中隊編成をなし
特別警備隊が作られ︑報国隊本隊の編成より少し遅れて十一月一日結成式を挙げた︒学校教練はこの報国隊編成をとおし
て実施されたわけである︒昭和十七年四月八日入学生に対しては︑四月九日午後四時から校庭において新入学生生活訓練
結図式を挙行し︑その後五日間︑寄宿舎訓練が実施されている︒後述するように毎放課後勤労作業として行なわれた国道
工事作業等も報国隊の編成によるものであった︒昭和十六年十一月二十六日金沢一師団司令部付兵務部長陸軍少将倉石忠一
郎閣下が陸軍大佐堀慶二郎氏随伴で来校せられ︑報国隊編成による教練査閲の閲兵分列式が挙行せられた︒
国 策 的 教 権 の 確 立
昭和十五年八月に発表された基本国策要綱は︑政治・経済・産業の新体制︑強大な国防国家体制の基礎をなすものとし
て︑国体の本義の透徹を期した教学刷新と国民道徳の確立を強く求めていた︒教育目標の一つとして︑教権の確立と師道
の実践が強調せられたのは︑蓋し自然の成り行きであろう︒組主任の任務の明確化はその具体的顕現の一つである︒昭和
十六年五月の教官会議の決定で︑生徒の素行諮問導︑学業成績ならびに出席督励等につき学生課・教務課等とも連絡してそ
の任務の万全を期するため毎学期一回以上組主任会議を聞くこととし︑また︑組主任の時聞を定め組主任が担当学級にお
いて指導訓話懇談等を行うことになった︒
生徒の徳育を完了するため︑平素より生徒の性行調査を行なうこととし︑学生課より全教官に全生徒名簿が交付され︑
これに各教官が知悉するところを記入のうえ学生課に回付することが決められた︒いわゆるエンマ帳である︒
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寸
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練
従前の学友会は学生の白川治的機関でありクラブ的存在であった︒学校の積極的指導・干渉は原則として差し控えられ
た︒然し報呂田は学校組織の一部であり訓練・鍛練の機関でもあるため︑学校の指導なかんずく生徒幹部の養成が要請せ
られた︒このため︑数次に亘って市内の寺院で学生課その他指導に当る教職員の修養会︑生徒幹部の錬成会が聞かれた︒
校誌
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れば
︑
たとえば﹁昭和十六年四月五日︵土︶本日ヨリ七日マデ二泊三日間市内瑞龍寺及繁久寺一一於テ報国団幹
部ノ禅堂ニ於ケル行的共同生活ヲ通シテ特ニ吐ノ修悦ヲ行ヒ報国団幹部タルノ資料ヲ錬成スル目的ヲ以テ合宿修練ヲ実施
ス﹂とある︒未明昧爽の起床︑室内清折︑食事作法等の日常生活行事から仏前読経・経典提唱・坐禅・講話・報国団活動
の研究等といった生活であった︒また︑東京の養正館道場で開催せられた生徒錬成講習会に四十名近く受講させたことも
ある
生 ︒
徒幹
部の
錬成
は︑
かような精神的面のみならず体育的方面においても行なわれ︑学徒鍛練体操講習会を開催したり︑
一一 四
東京における体操講習会に代表学生を受講せしめた︒これらの生徒の指揮・指導を得て全校体操も益々改善充実されるこ
とに
なっ
た︒
また︑全校挙げてのスキ!大会が何度も催された︒たとえば︑﹁昭和十六年二月十二日︵水︶第一学年生徒頭川スキl
場附近ニ於テ冬季野外演習実施ス︑同二月十五日︵土︶第二学年生徒頭川スキl場附近ニ於テ冬季野外演習実施ス﹂と校
誌に記録されている︒寄宿舎生は︑他に宇奈月で鍛練スキ!大会を開催したりした︒冬期運動会として氷見郡︵当時﹀で
行なわれた兎狩りも卒業生にとって楽しい思い出の一つであろう︒また︑高伏街道から新湊・小杉・大門と三十五粁にも
及ぶ
コ
lスで冷雨にもめげず敢行された強歩大会等の特別行事のほか︑野外演習︑射撃大会等が盛んに行なわれた︒
勤 労 作 業 と 庄 川 農 場
学徒の勤労作業は昭和一三年六月の文部次官通牒﹁集団的勤労作業運動実施一一関スル件﹂により数年前から行なわれて
来たが︑この期間には更に一層長期に亘る仕事を引き請けることになった︒すなわち︑内務省事業である国道第十一号線
の中川工業試験場前から高伏道路に至る区間のコンクリート舗装工事であった︒このため︑報告隊編成による二個小隊宛
が毎
日放
課後
出動
し︑
一個小隊はは庄川において砂利を採取してこれを舗装現場に送り︑他の一小隊はコンクリートを練
りこれを道路に充填して舗装を行なうという作業が︑前後二カ月余に一旦った︒時恰も降雨のシーズンであり︑びしょ濡れ
一、
昭和十六年十一月十五日に予定の作業を完了した︒参加人員延数実に︑
一五七名︑舗装道路延長六
OO
米︑採取した砂利三六O
立方米であった︒当時参加した学徒にとって忘れ得ぬ思い出 になりながら作業を継続したこともあったが︑となったということができよう︒
勤労作業は種々の様式において行なわれたが︑昭和十六年十二月一日に国民勤労報国協力令が発布されてからは︑同令
に拠る出動が多くなった︒そのうち主要なものを二︑三拾いあげれば︑昭和十七年六月には東砺波郡南山田村山田野にお
ける農地開発営団管理の林野の開墾作業があった︒参加した生徒第二︑三中隊全員は︑二個小隊︑ずつ交替に出動し同郡是
安村浄国寺に宿泊し︑一町八反歩を開墾した︒また︑陸軍軍需廠伏木集積所において除雪︑地均し︑木材運搬等を行なっ
た︒学生は国家の安危を憂いって時局の要請に従って勤労に出動し︑肉体労務に挺身する一方︑学問への憧憶も高ま
り︑授業には一段と熱が入るのであった︒小関を割いて読書に精出し学習につとめる光景も︑当時の学生気質をしのばせ
るものがあった︒当時はなお大東亜戦争の緒戦段階に当っており︑連戦連勝の朗報に学生の心は勇み立っていた︒
この時期に拡充された高商耕地のうち特筆すべきものの一つは︑圧川農場である︒昭和十六年五月文部次官通牒﹁青少
年学徒の食糧増産運動参加の件﹂に基づいて︑しかるべき休閑地物色の結果︑射水郡塚原村庄川河川敷内︵圧川右岸新国
道高岡大橋より下流一キロ程の所︶に適当な土地約一千坪を発見し︑富山県庁より無償貸付を受けたので︑ここに疏菜園
を設けることとし︑五月十九日から三十日迄の聞に数日に亘り学生約百名ずつ出動してこれを開墾した︒土地は堤防内の
河川敷であるが︑水害の虞なく地味肥沃である︒ただ芦荻その他の雑草が茂っていて開銀一一に相当の困難もあったが︑指導
教官の熱意と学生の敢闘とによって美事な畠と化し︑馬鈴薯︑大豆等がうえられた︒
遺 品 室 の 設 置 と 慰 霊 祭
この時代には︑国家的な重大時局に当面していたので︑戦争に関係した記念的行事が学内でも行なわれた︒まず︑遺品
室の設置がある︒支那事変に引き続き大東亜戦争に入って︑本校においても︑教職員卒業生等の尊い殉国の犠牲者を多数
一一
五
一一 六
出したことは誠に痛恨に堪えないところであった︒それらの英霊を叩り冥福を祈ると共に永らくこれを記念するため︑昭
和十六年の春に︑これらの殉国の士の写真・書翰・衣類・その他日用品等を蒐め︑とりあえず講堂二階正面の小室に遺品
室を設置してこれらの遺品を陳列し︑香華を手向け靖国神社大祭・大詔奉戴日等に職員学生一同これに参拝することにな
った
昭和十七年四月の靖国神社大祭の日を期して英霊の慰霊祭が行なわれ︑戦技者遺族多数のほか教職員学生ならびに卒業 ︒
生も参拝した︒その時の校長と学生代表の祭文は次のとおりである︒
祭
文︵
校長
︶
本日恋一一靖国神社臨時大祭ノ日ヲトシ高岡高等商業学校職員生徒一同相会シ恭シク
故陸軍中佐卯野穣二郎先生 第三回卒業生故福島清君
外三十有一柱ノ護国ノ英霊ヲ迎へ慰霊ノ祭ヲ厳修シ謹ンデ敬弔ノ誠ヲ致ス
顧ミレパ諸土ハ今次聖戦ニ際シ大命ヲ奉ジテ勇躍征途ニツキ櫛風休雨苦笑︑悪熱ヲ凌ギ勇戦奮闘戦フテ勝タザルナク攻
メテ落サザルナク御稜威ノ下皇軍ノ威武ヲ世界ニ宣揚セラレタリ︑然ルニ聖戦ノ中道ニシテ壮烈無比ナル最期ヲ遂ゲラ
レ相瞳グ感激ノ捷報モ分ツニ由ナシ︑仰ギテ生前ノ英姿ヲ偲ビ思フテ遺族ノ胸中ニ到レパ非痛哀悼ノ極ミニ堪エズ︑然
リト雄モ身ヲ大義ノ為メニ騨チ従容トシテ死ニツクハ之レ古来本邦武土道ノ精華タリ︑諸士ノ死ハ即チ大東亜建設ノ礎
石ニシテ負荷ノ大任一一応フル所以ナリ︑淘ニ千載ノ光栄一一シテ芳名万古ニ朽チズ本校一門ノ栄誉ナリ︑亦以テ膜スベキ哉
本日諸士ノ霊前一一蹴キ一同粛然襟ヲ正シテソノ忠烈ヲ仰ギ︑愈々協心数力今次聖戦ノ目的完遂−一赤誠ヲ捧ゲ︑以テ諸
土ノ遺士山ヲ継承センコトヲ誓フ
右夫ノ英霊尚クパ来リ饗ケヨ
昭和十七年四月二十五日
川川
岡い
は川
等商
業学
校長
木
治
祭
文︵生徒代表︶
維時昭和十七年四月二十五日高岡高等商業学校職只生徒一同消附山蓋ノ莫ヲ以テ恭シク今次聖戦ニ附照セル
故卯野穣二郎︑中島一一向先生及元職員故高木光二君ブ始メ先輩三十柱ノ霊前ニ告グ
惟フニ我等ガ敬崇スル各位ハ身軍籍−一入ルヤ日夜型訓ヲ奉戴シ軍務一一相励ミ只管一死報因ノ日五ルヲ待テリ︑前−一事
変ノ勃発スルヤ醜ノ御栢トナリテ勇躍征途ニ就キ身ヲ鴻毛ノ軽キニ比シテ支那大陸一一転戦シ或ハ又北満一一在リテ愈々其
ノ護リヲ悶クシ更ニ或ハ東亜ノ風雲急ヲ告ゲ遂一一米英両国ト畳端ヲ問クニ至ルヤ遠ク市方−一宮迅シ其ノ間山川鴫肝ヲ征
キ泥海膝ヲ没スル
7
顧ミズ又密林ヲ挺f身シテハ累次ノ会戦一一参加シ以テ克ク皇国ノ成徳ヲ顕揚セラレタリ然ルニ征途尚半一一シテ武運拙ク壮烈無比ノ戦死ヲ遂ゲラル︑其ノ心身一切ノカヲ尽シ従容トシテ悠久ノ大義一一生キタ
ルハ皇国軍人ノ亀鑑トシ本邦武士道ノ精華トシテ人皆仰慕スル所ト雄モ転々痛惜哀悼一一場ヘザルモノアリ︑然レ共各位
力赫々タル功績ハ遂ニ隠ル能ハズ畏クモ
天聴ニ達スルヤ其ノ偉勲ヲ嘉シ給ヒ優渥ナル恩賞ヲ賜フ︑武人ノ栄誉何者カ之一一過ギン︑今ヤ支那大陸一一於テハ国民政
府日々其ノ隆盛ヲ見ル︑大東亜戦争−一於テハ緒戦ニ於テ決定的ナル大戦果ヲ挙ゲテヨリココニ四ヶ月余或ハ新嘉坂ヲ陥
七
八
落セシメ或ハマレl諸島ヲ猷定スルアリ︑或ハ遠クピルマヲ席巻シ印度洋上帝国緩蹟ノ堂々タル進攻アリ︑之皆偏ニ各
位ガ身ハ仮令草ムス屍ト化スルトモ各位ガ魂ハ入リテハ護国ノ神トナリ出デテハ不滅ノ遺業トナリ永へニ青史−一燦然タ
リ︑各位以テ眠ス可キナリ
本日ノ靖国神社臨時大祭ヲトシ翠ニ慰霊祭ノ執リ行ハル︑ニ際シ今ヤ幽明境ヲ異ニシ遂ニ今次ノ大戦果ヲ見ル能ハザ
リシ各位ガ雄魂ヲ慰メントス
在天ノ英霊翼クハ来リ饗ケヨ
昭和十七年四月二十五日
高岡高等商業学校生徒代表
内 海 正 蔵
II
臨 戦 体 制 下 の 学 園
就 職 懇 談 会 の 開 催
この期間における卒業生の就職状況は極めて良好であった︒云うまでもなく︑産業界が戦争景気で活況を呈していたか
らである︒卒業生の進む方向は︑軍需産業方面が圧倒的に多く︑逆に︑過去に多くの人材を吸収した商事会社方面は少な
く銀行保険会社等への希望者は絶無の状況であった︒また︑満洲支那方面へ進出するものが相当あり︑ことに東亜経済科
が卒業生を出すに到ってからこの方面へ向う者が増加したのは当然の成り行きであった︒
卒業生の就職について︑従来は求人数が多く就職が容易であったため大体各自の自由選択に任せられていたが︑昭和計
六年度からは学校側においても︑出来る限りの職業指導を行ない実業界の人々や先輩卒業生等を聴して指導することにし
た︒七月には︑第一回の催しとして卒業生野村憲一・森一男・前田宏の三氏を招いて第三学年に対しそれぞれの立場から
体験に基づく就職指導の講話をお願いし︑その後会議室において座談会を聞いた︒
日本商品学会の開催
この期間における学問的研究の部門については︑まず昭和十六年四月三日に行なわれた日本商品学会を記述せねばなら
ない︒学校が比較的僻在する関係で学会の催される機会も少なかったが︑日本商品学会の当校での開催は︑まさに欣快事
であった︒同学会は第七年度会を本校で聞き全国官公私立高等商業学校における商品学担当教官約二十名参集︑本校依田
恩講師司会のもとに参加会員の誼蓄を傾けた学術的討議が行なわれ︑午饗を共にし︑午後一時散会︑その後近傍の諸工場
を参観し︑高伏工業地帯の実況を見聞した︒
なお依田講師は︑これより先︑実業教育功労者として実業教育振興中央会会長より表彰せられており︑二月十一日紀元
節拝賀式を挙行後︑表彰状伝達式が催された︒同講師は実業教育に従事されること二十五年本校在職のみでも十五年の久
しきに及ばれたので︑右の如き表彰は誠に当然のことである︒
教 官 の 研 究 活 動
大熊信行教授は︑さきに東京商科大学に学位請求論文︵主論文︑経済理論における配分原理の所在ならびに適用に関す
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る基礎的研究︒副論文︑生活の領域における配分原理の拡充に関する若干研究﹀を提出しておられたが︑教授会を満場一
致にて通過︑昭和十六年三月二十四日文部省より経済学博士の学位を受領せられた︒四月十九日講堂において祝賀式を行
ない︑同博士の﹁学問生活の反省﹂なる記念講演が聞かれた︒同教授のユニークな経済学基礎理論は︑﹁配分原理第一巻﹂
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本評
論社
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頁︶として集約せられ︑学界において注目を浴び斯界の研究に貢献する所大であった︒つとに満支の経済法制に研究を進められ︑
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会制度の沿革的並に現行的研究﹂を進めるため︑文部省より満洲国に出張を命ぜられた︒昭和十七年三月三日出発︑四月
十日帰校され︑現地の実態を学問的に把握され︑その成果を発表された︒
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部各都市へ出張され︑その業績を公表された︒
なお各教官の個別的研究は引き続き盛んに行なわれ︑或は単行本に︑或は難誌論文に発表されたものが少なくなかっ
問題
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た︒いまその中の主要な著書のみを挙げれば︑次の如くである︒
︵日本評論社︶があり︑また高田教授は︑前記二著の他に︑
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︵前記のものを除く﹀大熊信行教授には﹁政治経済学の
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本校機関誌﹁研究論集﹂も間断なく発行せられ︑教官各位の労作︑が次々に発表せられ︑教行各此の労作が次々に発表せ
られて夫主字削介に頁献した︒戦時体制下といえとも︑話教授の一研究立欲︑か益々肌山崎で学同研究の府たる一山口は︑色あせる
ことを知らなかった︒各教授の研究振りは次の一如くである︒
第十三巻第四号︵昭和十六年二月︶
現代哲学思潮雑考||特にその方法論的考察
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酒井正三郎博士著﹁国民経治構造変動論﹂::::
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竹尾弐氏著﹁ソヴィエト統制経済論﹂上巻︑竹部政一氏著﹁計画経済の
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第十五巻第三号︵昭和十七年九月︶
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昭和十六年度会計学文献解題・
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第十五巻第四号︵昭和十八年三月︶
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