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・ ガ ン デ ィ の 幻 想 的 建 築 画

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(1)

ジ ョ セ フ

・ ガ ン デ ィ の 幻 想 的 建 築 画

︽ 伏 魔 殿

︾ Pandemonium

に お け る

! ピ ク チ ャ レ ス ク と 崇 高 "

日 下 洋 平

は じ め に 建築

とい う芸 術が

︑そ の実 現性 の可 否を 離れ て存 在性 を持 つと 言え るの だろ うか

︒つ まり

︑建 築が 本来 的機 能で は な く︑ 絵画 的対 象と なり うる の か どう か と い う疑 問 で ある

︒こ の 問 いに ビ ビ エ ーナ 一 族#

や ピ ラ ネー ジ$

の創 造 性 は は っき りと 答え てい る︵ 図版 1︑ 2︶

︒ 彼ら は建 築の も つ 慣習 や 材 料と い う 足 かせ を 取 り除 い た︒ け れど も

︑こ の 領 域 にお いて

︑作 者は 決し てス ケー ルを 失う 事は ない だろ う︒ なぜ なら

︑そ れを 失う 事は

︑作 品の 建築 的用 語に よる 伝 達 を不 可能 なも のと して しま うか らで ある

︒こ うし た限 界の 中で 幻想 的建 築画 とい う芸 術は 存在 して いる

︒音 楽は 想 像 力の もた らす ほと んど を表 現で きる が︑ 建築 は経 済や 用途

︑材 料に よっ て厳 しく 縛ら れて おり

︑こ れら の限 界を 超 え る事 はで きな い︒ しか し︑ 一度 こう した 足か せか ら解 き放 ち︑ 表現 の場 に訴 える ので あれ ば︑ それ は実 現の 可能 性 と いう 拘束 すら 取り 除く 事が でき る︒ そし てそ こに 幻想 的建 築画 家の 活動 領域 があ るの であ り︑ そし て彼 らは 音楽 と

― 363 ―

(2)

同 様の 自由 を指 向す る事 がで き る ので ある

︒ この 分野 にお いて 画家 とし て 栄 誉を 受け た人 物は ピラ ネー ジ た だ一 人と 言っ てい い︒ カナ レ ッ トも グア ルデ ィも 画家 とし て の 栄誉 にあ ずか って いる が︑ そ れ は幻 想的 建築 画家 とし てよ り む しろ 景観 画家 とし て与 えら れ た もの であ る︒ この 事実 は一 見 奇 妙に 思わ れる が︑ 幻想 的建 築 画 家は 建築 家で ある だけ でな く画 家で なく ては なら なか った

︒つ まり 建築 と絵 画と が一 体と なっ た作 品を 生み 出さ な く ては なら ない ので ある

︒建 築家 であ るな らば 誰し も自 身の 作品 の実 現を 願う はず であ る︒ しか し︑ 幻想 的建 築画 家 は 自身 の建 築理 念を 表現 する 事が 最終 的な 目的 とな る︒ 本論 が扱 うジ ョセ フ・ ガン ディJosephMichaelGandy1771−

1843

もま た︑ こう した 芸術 家 の 一人 で あ る︒ ガン デ ィ は 一九 世 紀 前半 に ロ イヤ ル ア カ デミ ー を 中心 に 活 躍し た 建 築 家 であ り︑ 彼の 名は ジョ ン・ ソー ンSirJohnSoane

!

抱 えの 透視 図家 とし て特 に 知ら れ て いる

︒ガ ン デ ィの 仕 事 は 大 きく 三つ に分 ける 事が でき る︒ 第一 は独 立し た建 築家 とし て"

︑ 第二 はソ ー ン の 透視 図 家 とし て

︑そ し て第 三 は 本 論 で扱 う幻 想的 建築 画家 とし て︑ で ある

︒今 日 ガ ンデ ィ の 作品 の 多 く は王 立 建 築家 協 会︵ 以 下R IB A︶

︑ロ イ ヤ ル

1 ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナ《建築的空想》

2 ピラネージ《牢獄》第二版 ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 364 ―

(3)

ア カデ ミー

︑サ ー・ ジ ョ ン・ ソー ン 美 術館 に!

所蔵 さ れ てお り

︑そ れ 以 外 は主 に個 人の 所蔵 であ る︒ これ まで ガン ディ に関 して 建築 家と して の側 面が たび たび 取り 上げ ら れ てき たが

︑そ の多 くが 新古 典主 義の 時代 にお ける 奇妙 な建 築家 とい う 扱 いで あり

︑正 当に 評価 され てき たと は言 いが たい

︒建 築史 家の エミ ー ル

・カ ウ フ マン は

﹃理 性 時代 の 建 築﹄ で ガン デ ィ を取 り 上 げ︑ ル ク ー

︑ ル ド ゥ ーら に 連 な る︑ 特 異 な 抽 象 的 造 形 を 示 し た 建 築 家 と し て 位 置 づ け

︑ガ ンデ ィを 建築 思想 史の 中で 取り 上げ てい る︒ 一方 サマ ーソ ンは 作 品 を具 体的 に読 み取 ると いう 作業 を行 って いる

︒こ れは 感情 的な 研究 で は ある が︑ ワ ーズ ワ ー スら 湖 水 派の 詩 人 達 との 類 似 点を 指 摘 し てい る

︒ サ マー ソン は︑ ガン ディ のコ テー ジに 関す る理 論書 を取 り上 げ︑ 彼の 意 図 は﹁ 慎ま しく 田園 的な 生活

﹂の 良さ を再 発見 し︑ それ らを 意匠 の中 に 表 現す る事 であ り︑ その 根拠 をガ ンデ ィの 生き た時 代の 思想

・文 学の 全 体 的 状 況か ら 導 きだ し て い る"

︒ よ り 具 体 的 な 成 果 を 示 し た︒ し か し

︑ や はり 画家 とし ての 活動 に関 して は不 十分 だと 言わ ざる をえ ない

︒そ し て 最近 にな っ て建 築 史 家ル カ チ ャー に よ っ て包 括 的 な研 究 が 行 われ た

︒ し かし

︑彼 の関 心は ガン ディ 後期 の作 品に 重点 が置 かれ てお り︑ 初期 の 作 品に 関し ては あま り多 くを 語っ てい ない

︒そ こで 本稿 では ガン ディ の

3 ガンディ《伏魔殿》王立建築家協会所蔵

― 365 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(4)

初 期の 幻想 的建 築画 につ いて 再検 討を 行う

︒ その 為に 本稿 が扱 うの は︑ 一八

〇五 年に 出品 され た︽ 伏 魔殿

Pandemo-

nium

であ る#

︵ 図 版3

︶︒ ガ ンデ ィ は 自 身の 能 力 と想 像 力 を誇 示 す る 為に 毎 年ロ イヤ ルア カデ ミー に建 築画 を出 品し たが

︑こ の作 品は ガン ディ が描 い たこ のジ ャン ルの 初め ての 大作 であ り︑ その 後の 活動 の原 点と なる 作品 で ある

︒本 稿は この 作品 を分 析す る事 によ って

︑! ピ クチ ャレ スク と崇 高"

を 手が かり にジ ョセ フ・ ガン ディ とい う芸 術家 の歴 史的 な位 置づ けを 明確 に しよ うと いう 試み であ る︒ その 為に

︑第 一節 では ガン ディ の業 績を 紹介 し

︑第 二節 では

!ピ クチ ャレ スク と崇 高"

の伝 統と 幻想 的建 築画 の関 連性 に つ い て考 察 す る︒ そし て 第 三 節で

︑︽ 伏 魔 殿︾ の作 品 分 析と

︑タ ー ナ ー

JosephMallordTurner,1775−1851

の︽ エジ プト 第五 の災 厄︾TheFifthPlague

ofEgypt

︵図 版 4︶ との 比 較 を 試 み る 事 に よ っ て

︑︽ 伏 魔 殿

︾制 作 の 背 後 に タ ー ナー の 存 在が あ っ た 事︑ 特に

!ピ ク チ ャレ ス ク と崇 高"

と い う 点に お い て影 響 を 受け て い た こ と を 指 摘 し た い

︒そ して 結論 とし て︑ その 文脈 にお いて ガン ディ の幻 想的 建築 画を 一八 世紀 以降 のピ クチ ャレ スク 絵画 の流 れの 中 に 位置 づけ る︒

4 ターナー《エジプト第五の災厄》インディアナポ リス美術館蔵

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 366 ―

(5)

第一 節 その 生 涯 と幻 想 的 建築 画 1

1 業績 ジョ セフ

・ガ ンデ ィは 一七 七一 年︑ ロン ドン 東部 オー ルゲ イトAldgate

に トー マス

・ガ ンデ ィThomasGandy

の 子 供 と し て 生 ま れ る!

︒ 父 ト ー マ ス は︑ ジ ョ ン・ マ ー チ ン デ イ ルJohnMartindale

に よ っ て 雇 わ れ て お り︑“White’s

club”

"

で 一七 七九 年か ら一 七九 七年 まで 給仕 をし てい た︒ ガン ディ にと って 幸運 だっ たの は︑ こ こに 当 時 著名 な 建 築 家 であ った ジェ イム ズ・ ワイ アッ トJamesWyatt,1746−1813

#

クラ ブの 改修 の為 に訪 れた 事で ある

︒マ ーチ ン デ イ ル にガ ンデ ィの スケ ッチ を見 せら れた ワイ アッ トは

︑こ の何 の教 育も 受け てい ない 一六 歳の 少年 を自 身の 事務 所の 正 式 な生 徒と して 受け 入れ る事 にし た︒ 一七 八九 年︑ マー チン デイ ルの 支援 の下 ロイ ヤル アカ デミ ーに 入学 し︑ 翌年 に は ロイ ヤル アカ デミ ーの 展覧 会で 凱旋 門を テー マと し た作 品 で 主席 を 獲 得し

︑ロ ー マ へ の留 学 の 権利 を 勝 ち 取っ た

︒ そ して 同年

︑マ ーチ ンデ イル の支 援を 受け なが らロ ーマ に向 けて 出発 した

︒こ の旅 の途 中︑ 船の 中で 見た とさ れる 夢 は ガン ディ のそ の後 の活 動に 大き な影 響を 与え る事 にな り︑ その 内容 を父 に向 けた 手紙 の中 に書 き残 して いる

︒ロ ー マ での ガン ディ は古 代ロ ーマ の遺 跡を 中心 に熱 心な 調査 を行 い三

〇〇 以上 のス ケッ チを 残し てい る︒ これ らの スケ ッ チ にお ける 古代 ロー マ風 の建 築案 等か らそ の後 の活 動の 一部 を見 いだ す事 がで きる だろ う︒ また この 間に 何点 か風 景 画 を残 して おり

︑画 面構 成の 点に おい てヴ ァラ ンシ エン ヌPierreHenriValenciennes,1750−1819

の影 響が 伺え る︒ そ の 後︑ マー チン デイ ルが 破産 した ため 資金 難に 陥り 帰国 を余 儀な くさ れた が︑ この ロー マ留 学は ガン ディ にと って 非 常 に重 要な 時期 とな った

︒帰 国後

︑ま もな く建 築家 のジ ョン

・ソ ーン の事 務所 で働 く事 とな る︒ ソー ンは 当時 の味 気

― 367 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(6)

な い建 築界 に初 めて

﹁疾

風 怒 涛﹂ を持 ち込 んだ 建築 家 で あっ た

︒ガ ン ディ が ソ ー ンの 為 に 行っ た 最 初の 優 れ た 仕 事が

︽証 券取 引所

ViewoftheBankofEnglandRotundaasBuilt,1798

で ある

︒こ の仕 事で ガン ディ はソ ーン のア イ デ アを 見事 に表 現し

︑以 降ソ ーン の案 を視 覚化 する 助手 とし ての 役割 を担 うよ うに なっ た︒ そし てソ ーン の為 に描 か れ た水 彩画 は︑ 毎年 ロイ ヤル アカ デミ ーの 展覧 会に 出品 され てい る︒ 一八

〇〇 年頃 から は建 築家 とし て独 立し

︑建 築 が 具体 化し たも のは 一つ もな いに もか かわ らず 王立 美術 院準 会員 に選 出さ れて いる

︒ソ ーン は︑ 建築 家と して 当時 正 当 な評 価と 収入 を得 てい たの に対 し︑ ガン ディ は気 難し い性 格が 災い し︑ 望ん でい たロ イヤ ルア カデ ミー の遠 近法 教 授 にな るこ と も 叶 わず

!

︑ま た ソ ーン か ら の度 重 な る 援助 が あ った に も かか わ ら ず︑ 生 涯に わ た って 貧 困 に 苦し み

︑ そ の死 を債 務者 刑務 所で 一八 四三 年の クリ スマ スに 寂し く迎 える 事に なっ た︒ 先に 述べ たよ うに

︑ガ ンデ ィの 活動 は大 きく 三つ に分 類す る事 が可 能で ある

︒建 築家 とし て︑ ソー ンお 抱え の透 視 図 家と して

︑そ して 建築 画家 とし ての 三つ であ る︒ 建築 家と して 実際 に建 設さ れた 作品 はわ ずか しか 存在 せず

︑建 築 家 とし ての 主要 な活 動は コテ ージ に関 する 理論 書が 挙げ られ る︒ サマ ーソ ンは この 理論 書の 挿絵 に注 目し

︑そ こに ワ ー ズワ ース ら湖 水派 詩人 との 類似 点を 見い だし てい る"

︒ サマ ーソ ンは ワー ズ ワ ー スと コ ウ ルリ ッ ヂ によ る

﹃抒 情 民 謡 集﹄LirycalBallads1798

の 序文 にに おけ る﹁ 平明 で力 強い こと ば﹂

︵speakaplainerandmoreemphaticlanguage

︶ と い う一 節に 注目 し︑ ガン ディ がコ テー ジプ ラン の背 景で 示し た風 景と 単純 化さ れ直 接的 方法 に訴 えか ける 設計 案と の 間 に類 似点 を指 摘し てい る︒ すな わち

︑地 方性 の復 権で ある

︒透 視図 画家 とし て︑ ガン ディ はソ ーン の期 待に 的確 に 応 え︑ 作品 の多 くは 現在 リン カー ンズ

・イ ン・ フィ ール ズに ある サー

・ジ ョン

・ソ ーン 美術 館で 見る 事が でき る︒ 建築 家と して の実 質的 な仕 事と して は一 八〇 五年 のフ ェニ ック ス火 災保 険会 社で ある

︒正 面を 二つ 持ち

︑一 方は 一 階 にド リス 式︑ 二階 には イオ ニア 式オ ーダ ーを 採用 し︑ もう 一方 の面 には イオ ニア 式の みが 採用 され てい る︒ 他に も

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 368 ―

(7)

彼 の建 物は いく つか 残存 して いる が︑ それ ほど の関 心を 呼ぶ もの では ない

︒そ して なに より 手が けた 作品 があ まり に 少 ない

︒し かし

︑そ の理 由は ガン ディ の建 築家 とし ての 資質 によ るも のだ けで はな く︑ 彼の 生き た時 代は 建築 家に と っ て非 常に 過酷 な時 代で あっ た︒ 当時 仕事 のあ った 建築 家は 一七 五〇 年代 に生 まれ

︑ア ミア ン和 議以 前に 既に 軌道 に 乗 っ て いた 世 代 であ る

︒公 共 建 築は 彼 ら の元 に 集 まり

︑若 い 建 築 家に は 小 さな 改 装 程度 の 機 会 しか 与 え ら れ な か っ た

︒事 実︑ ガン ディ と同 世代 で年 表に 名を 残す 建築 家は

︑ジ ェフ リー

・ワ イア ットSirJeffryWyatt,1766−1840

!

人 で ある が︑ 彼の 成功 も六 十代 近く にな って やっ と得 たも ので ある

"

︒ 理論 家と して ガン ディ は風 変わ りな 書物 を残 して いる

︒一 八〇 五年 に出 版さ れた

﹃ コテ ージ の設 計﹄DesignsforCot-

tages,CottageFarms,andOtherRuralBuildings

︑﹃ 田 園建 築家

TheRuralArchitect:ConsistingofVariousDesignsfor

CountryBuildings,AccompaniedwithGroundPlans,EstimatesandDescriptions

の二 冊の 書物 であ る#

︒ そこ には 極め て 奇 妙な デザ イン の建 物が 描か れて いる が︑ 当時 コテ ージ に関 する 理論 書が 流行 して おり

︑ガ ンデ ィも その 流行 のな か で この 書物 を著 した のだ ろう

︒ガ ンデ ィが 構想 した コテ ージ はど れも 極め て簡 素で あり

︑抽 象的 な計 画に 終始 して い る

︒こ うし た指 向は

︑幻 想的 建築 家と して 描い た様 々な 作品 とは 真っ 向か ら対 立し おり

︑議 論の 余地 を大 きく 残し て い る︒ これ らの 計画 はむ しろ

︽人 類原 書の 建築 物︾ 等の 最晩 年の 作品 に見 られ る︑ ロー ジェ が語 った よう な木 製の 柱 と 屋根 だけ で構 成さ れた 家を 思わ せる 作品 へと 繋が って いる

$

︒ 透視 図家 とし ての 活動 がガ ンデ ィに とっ て最 も主 立っ た活 動で ある

︒そ の活 動領 域は 二つ に分 かれ てい る︒ ソー ン の 才能 を示 す透 視図 家と して の活 動と

︑幻 想的 建築 画家 とし ての 活動 であ る︒ 本稿 では 後者 の建 築画 家と して の活 動 に 焦点 を当 てて 進め る︒ 以上 のよ うに ガン ディ の人 生は

︑決 して 華や かな もの とは 言え ず︑ 生涯 にわ たっ て借 金に 苦し み成 功と は程 遠い も

― 369 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(8)

の であ った

︒ガ ンデ ィの 抱え る経 済的 問題 は︑ 作品 にも 暗い 影を 落と し続 けて おり

︑心 情と 作品 との 分析 は依 然研 究 の 余地 が多 く残 され てい るが

︑こ こで はそ の生 涯に つい て簡 単に 触れ るに 留め てお く︒ 1

2 幻想 的建 築画 の伝 統 ガン ディ が生 涯に わた って 描き 続け た幻 想的 建築 画architecturalvisions

︵orfantasy

︶ とは どの よう な絵 画な のか こ こ に簡 単な 概略 を示 して おき たい

︒先 に述 べた よう に︑ 幻想 的建 築画 とは

︑建 築の 本来 持つ 慣習 や材 料と いっ た足 か せ を取 り除 いて

︑芸 術家 の想 像力 によ って 構成 され た建 築を 主題 とし た絵 画で ある

︒そ の源 泉は 一八 世紀 のグ ラン ド ツ ア ー を通 じ て もた ら さ れ た絵 画 に ある

︒当 時

︑ヴ ェ ドゥ ー

タveduta

︵都 市 景 観図

! と呼 ば れ る 特に イ タ リ ア で 現 在 のポ スト カー ドに 相当 する 絵画 作品 が流 行し た"

︒ ヴェ ドゥ ータ はそ の名 が さ す 通り

︑都 市 の 観光 名 所 が描 か れ た も ので ある

︒正 確に 都市 や建 築を 描く とい う習 慣は

︑一 六世 紀頃 のネ ーデ ルラ ンド に既 に見 る事 がで きる が︑ 大量 に 描 かれ るよ うに なり

︑一 つの ジャ ンル を形 成す るに 至る のは 一八 世紀 に入 って から の事 であ る︵vedutaesatta

︶︒ 多 く が イギ リス の貴 族の 子弟 によ って 購入 され

︑現 在も イギ リス に多 く残 され てい る︒ 代表 的な 画家 とし てヴ ェネ ツィ ア で 活躍 した カナ レッ トCanaletto,1697−1768

︑ フラ ンチ ェス コ・ グア ルデ ィFrancescoGuardi,1712−93

︑ロ ーマ で活 躍 し たパ ンニ ーニGiovanniPaoloPannini,1691−1765

︑ピ ラネ ージGiovanniBattistaPiranesi,1720−78

が 挙げ られ る︵ 図 版 5︑ 6︶

︒ 彼ら は忠 実に 名所 を描 いた 一方 で︑ 幻想 的な 風 景を 描 い たも の を 残し て い る︵vedutaideate

︶︒ そ れ ら は カ プリ ッチ ョCapriccio

と呼 ばれ

︑画 家自 身の 想像 力の 発 露で あ っ た以 外 に

︑古 典 建築 モ テ ィー フ を 組み 合 わ せ︑ そ れ を言 い当 てる とい うあ る種 の知 的ゲ ーム とし ての 機能 を持 って いた

#

こ の カ プ リッ チ ョ の流 行 と は別 に

︑ビ ビ エ ー ナ一 族を 頂点 とす る建 築画 ある いは 舞台 装置 用透 視図 が大 きな 影響 を与 えて いる

︒両 者が 組み 合わ さり 幻想 的建 築

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 370 ―

(9)

画 とも 呼び うる 作品 が誕 生し た︒ フラ ン スの ヴァ ラン シエ ンヌ 等が こう した 作 風の 作品 を何 点か 残し てお り︑ イギ リ ス で は ジ ョ ン・ マ ー テ ィ ンJohn

Martin,1789−1854

が 挙 げ ら れ る

︒ま た

︑こ の伝 統は 海を 渡り

︑ア メリ カで 起 っ た ト マ ス

・コ ー ルThomasCole,

1801−48

を代 表と す る ハド ソ ン リ バー 派HudsonRiverschool

!

の中 に見 いだ す 事が でき るだ ろう

︒そ して

︑ガ ンデ ィも こう した 系譜 に連 なる 画家 であ る︒ ガン ディ はソ ーン の想 像力 の﹁ 解放 者﹂ であ った のと 同時 に︑ 古典 建築 を自 由に 再構 成し た壮 大な 作品 を毎 年ロ イ ヤ ルア カデ ミー に出 品し てい る︒ タイ トル の多 くが パウ サニ アス やミ ルト ンな どの 文学 作品 から 引用 され てお り︑ 本 稿 で扱 う︽ 伏魔 殿︾ もミ ルト ンか らの 引用 であ る︒ 広く 捉え れば

︑当 時の 異国 趣味 流行 とい う事 もで きる だろ う︒ 中 世 主義 やゴ シッ ク︑ エキ ゾテ ィシ ズム など であ る︒ 第二

節 ピク チ ャ レス ク

︑ 崇高

︑ 幻 想的 建 築 画 前章

にお いて 幻想 的建 築画 の成 立に つい ての 概略 を示 した が︑ その 成立 と当 時の ピク チャ レス クの 流行 とは 無関 係

6 グラルディ《カプリッチョ》ヘイ ルスホーフ美術館

5 カナレット《古代の建物と廃墟の あるカプリッチョ》ポルディ・ベ ッツォーリ美術館蔵

― 371 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(10)

で はな い︒ 幻想 的建 築画 が都 市景 観図 にそ の源 泉を 持っ てい た事 は先 に述 べた 通り であ る︒ この 景観 画家 が描 いた カ プ リッ チョ と呼 ばれ る一 連の 作品 にお いて 欠か す事 ので きな いモ ティ ーフ が廃 墟で ある

︒ロ ラン

︑プ ッサ ン以 降の 理 想 的風 景画 と呼 ばれ る作 品に おい て︑ 時代 性や 画趣 を添 える 目的 で廃 墟は 度々 描か れて きた が︑ ピク チャ レス クの 流 行 と共 にそ れは 主題 とな り︑ 景観 画家 達は こぞ って 自身 の作 品に 廃墟 を描 き込 んだ

︒廃 墟は イギ リス 人の 求め たピ ク チ ャレ スク な風 景を 構成 する 要素

︑す なわ ち 不規 則 性︑ ラ ギッ ド ネ ス︑ 多様 性

︑メ ラ ン コリ ー と いっ た 要 素 を備 え

︑ 当 時に 古物 収集 の流 行と 共に ある 種の 熱狂 を生 んだ

︒こ うし た熱 狂を よく 示す 例が

︑風 景庭 園に 設置 され た模 造廃 墟 で あろ う!

︒ 廃墟 はそ れ自 体が ピク チャ レス クな 存在 であ るの と同 時に

︑時 間の 絶 対 性 に対 す る 畏怖 の 念 を何 よ り も 強 く感 じさ せる

︒す なわ ち崇 高を 呼び 起こ さ せる 存 在 であ っ た︒

﹁ 廃墟 の ロ ベ ール

﹂と 呼 ば れた ユ ベ ール

・ロ ベ ー ル

HubertRobert

に 対す るデ ィド ロの サロ ン 評 は特 に 有 名で あ り︑ そ こで 語 ら れ る﹁ 偉大 な 諸 概念

﹂と は 崇 高に 他 な ら な い"

︒ 廃墟 を主 題と した カプ リッ チ ョ はフ ラ ン ス 革命 戦 争 を境 に 収 束し て し ま うが

#

︑そ れ に 変わ っ て 出現 す る の は 廃墟 では なく

︑巨 物偏 愛的 な都 市景 観を 描い た作 品で ある

︒ピ ラネ ージ のカ ンプ ス・ マル ティ ウス の想 像図 はス ケ ー ル︑ 緻密 さに おい て圧 倒的 であ り︑ ウィ リア ム・ ベッ クフ ォー ドら に大 きな 影響 を与 えて いる

︒ガ ンデ ィも また そ の 一人 であ り︑ メガ ロマ ニア と言 う点 にお いて 多く を共 有し てい る︒ 描か れた 主題 は︑ 古代 建築 から 廃墟

︑そ して 再び 古代 建築 へと 移行 した

︒し かし

︑描 かれ たも のを 見る と︑ それ は ロ ラン やプ ッサ ンの 描い た風 景と は全 く異 なっ てい る︒ 幻想 的建 築画 に描 かれ たも のは 風景 では なく 建築 に重 点が 置 か れて いる 点で 異な って いる とい う事 はす ぐに 分か る事 だが

︑そ の建 築の 描か れ方 は︑ 間違 いな くピ ラネ ージ 以降 の

﹁石 の恐 怖﹂ に取 り憑 かれ て以 降の 表現 であ る︑ とい う点 に お いて 大 き く異 な っ て いる の で ある

︒そ の 巨 大さ や 壮 大 さ は︑ 先に 述べ たよ うに

﹁偉 大な 諸概 念﹂ を呼 び起 こす ので ある

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 372 ―

(11)

以上 簡単 に︑ 幻想 的風 景画 の伝 統に つい ての 概略 を示 した

︒そ して この ジャ ンル の絵 画は グラ ンド ツア ーで イタ リ ア を 訪 れる イ ギ リス 人 貴 族 によ っ て 支え ら れ てい た こ と はよ く 知 られ た こ とで あ る

︒ピ ク チャ レ ス クの 流 行 に 伴 っ て

︑自 然の 中に おか れた 廃墟 のモ ティ ーフ が特 に好 まれ た︒ それ は時 間性 を強 く感 じ︑ その 絶対 性に 対す る畏 怖の 念 か ら起 こる こと であ った

︒古 代建 築へ と回 帰す るに 従っ て︑ 幻想 は巨 大化 し︑ メガ ロマ ニア ック なも のへ と変 化し て い った

︒こ の点 に関 して はも う少 し考 察の 必要 があ ると 思わ れる

︒こ こで 筆者 が示 した かっ たの は︑ ガン ディ は一 八 世 紀以 降に 流行 した ヴェ ドゥ ータ 画家 達の 流れ にあ ると いう こと であ る︒ ガン ディ が描 いた

︑崇 高性 を感 じさ せる 巨 大 な建 造物

︑荒 々し い背 景︑ 様々 な建 築的 モテ ィー フの 組み 合わ せ︑ これ らの こと から 上記 のこ とが 指摘 でき るの で は ない だろ うか

第三 節

Pandemonium

︽ 伏 魔 殿︾ の 作 品分 析

︽ 伏魔 殿│ ある いは サタ ンと その 従者 達の 宮殿 の一 部│

Pandemonium,orpartofthehighcapitalofSatanandhis

peers

は一 八〇 五年 にロ イヤ ルア カデ ミー に出 品 さ れた 作 品 で あり

︑現 在 はR IB Aの 所 蔵 とな っ て いる

︒ミ ル ト ン の

﹃失 楽園

﹄ParadiseLost

にお いて 語ら れた 建築 物を 主題 とし た 作 品が 何 点 か あり

︑︽ 伏 魔 殿︾ はそ の 最 初の 作 品 で あ る!

︒ ガン ディ が採 用し た描 写は 以下 の箇 所で ある

Andhereletthose

Whoboastinmortalthings,andwond’ringtell

― 373 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(12)

OfBabel,andtheworksofMemphianKings

LearnhowthirgreatestMonumentsofFame,

AndStrengthandArtareeasilyout-done

BySpiritsreprobate,andinanhour

Whatinanagetheywithincessanttoyle

Andhandsinnumerablescarceperform.

︵Book1692−69

︶ こ

の際

︑こ の世 の朽 つべ き事 物に つい て誇 り︑ バベ ルの こと や 歴 代エ ジプ トの 王が 築い たあ の建 造物 のこ とを 驚嘆 の念 を こ めて 語る 人々 に知 って もら いた いこ とが ある

︒こ れら のも のが

︑ 彼 らの 名声 を伝 え︑ 威力 と技 術を 示す いか ほど の偉 大な 建造 物で あれ

︑ 地 獄に 堕ち たこ れら の天 使達 の目 から みれ ば児 戯に 等し く︑ 彼 らが 孜々 とし て倦 まず 弛ま ず働 き無 数の 人手 を駆 使し て 生 涯か けて も営 みえ なか った もの も︑ 天使 達に かか って は 一 時間 です むと いう こと だ

BuiltlikeaTemple,wherePilastersround

Wereset,andDoricpillarsoverlaid

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 374 ―

(13)

WithGoldenArchitrave;nordidtherewant

CorniceorFreeze,withbossySculpturesgrav’n,

TheRoofwasfrettedGold.

︵Book1709−713

︶ 神

殿風 に作 られ た 宏 壮な 建物 が地 中か ら忽 然と して 霧の よう に浮 かび 上が った

︒ ま わり には

︑柱 形や

︑金 色燦 然た る台 輪を 嵌め 込ん だ ド ーリ ア風 の柱 がめ ぐら され てい た︒ 浮き 彫り の彫 刻の つ いた 蛇腹 も小 壁も 備わ り︑ 屋根 は美 しい 意匠 の施 され た 黄 金で 葺か れて いた

!

ミル トン など の文 学作 品に 作品 の源 泉を 求め ると いう 構想 は︑ ロー マ留 学時 の一 七九 六年 八月 の父 に宛 てた 手紙 の 中 で既 に明 らか にさ れて いる

︒そ して そこ には

︽伏 魔殿

︾の スケ ッチ を終 わら せて おり

︑イ ギリ スに 帰国 後版 画に す る とい う試 みが 記さ れて いる

︒ガ ンデ ィは その 手紙 の 中で

︑こ う し た試 み は 未だ 誰 も 行 って い な いと 書 い て いる が

︑ 実 際は ヘン リー

・フ ュー ズリHenryFuseli

が一 七九

〇年 にミ ルト ンの 絵画 化を 構想 し︑ 一七 九九 年と 一八

〇〇 年に 発 表 して いる

︒た だ︑ 両者 の決 定的 な違 いは

︑フ ュ ーズ リ は サタ ン の 描写

︑﹃ 失 楽 園﹄ の 物語 性 を 強調 し て いる の に 対 し"

︑ガ ンデ ィは 建物 の描 写に 重点 が置 かれ てい る︑ とい う点 で あ る︒ ま た︑ この

︽伏 魔 殿︾ と いう モ テ ィー フ は 当 時 の流 行で あり

︑一 七九

〇年 から 一八

〇二 年の 間に 実に 42の 作品 を数 える 事が でき る#

― 375 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(14)

作品 はミ ルト ンの 記述 に正 確に 対応 して いる だけ でな く︑ ガン ディ が一 七九 四年 のロ ーマ 渡航 時に 見た とさ れる 夢 の 内容 を想 起さ せる

!

︒そ の夢 とは 以下 のよ うな 内容 であ った

︒ ガン

ディ は階 段に 立ち

︑窓 辺で 少女 に囁 く男 を 見て い た︒ そ の少 女 は かつ て 好 意 を寄 せ て いた 少 女 で あっ た

︒ す ると 突然 見知 らぬ 男が ガン ディ の腕 をつ か み︑ こう 言 っ た︒

﹁お 前 は あの 少 女 を 力づ く で 手に 入 れ なけ れ ば な ら ない

﹂︒ 男 はこ っそ り囁 いた

︑﹁ 私は お前 の 友人 だ

︒そ し てど う し たら い い の かお 前 に 教え て や る﹂

︒そ し て 男 は ガン ディ を宮 殿と 晩餐 に連 れて 行き

︑贈 り物 を彼 に与 えた

︒﹁ お 前は 悪魔 だ﹂

︑ガ ンデ ィは 叫ん だ︒ 男は 彼を ぐ っ と掴 むと 地獄 に連 れて 行っ た︒ そこ はガ ラ スと 金 で 華や か に 飾ら れ た 都 市で あ っ た︒ そこ で は︑

﹁ 巨大 な ク レ ー ンが 船か ら舶 来の 品々 を積 み降 ろし て いた

﹂︒ そ う︑ 地 獄は 現 代 のロ ン ド ン だっ た の であ る

︒ガ ン ディ は 粗 末 な 地下 牢か ら︑ 悪魔 が弁 護士 や起 業家 達と 飲ん でい る隙 に︑ 光が 差し 込む 方へ と逃 げ出 した

︒外 に出 ると ワイ ン の 空き 瓶が 山の 様に 積ま れて いた

︒ガ ンデ ィは 急な 坂道 を一 気に 駆け 上が った

︒し かし

︑瓶 のカ タカ タい う音 で 悪 魔に 気づ かれ てし まっ た︒ 悪魔 に恩 知ら ずと 罵ら れる が︑ ガン ディ はか すか に差 し込 む光 の先 を目 指し

︑脱 出 に 成功 する

"

︒ この

夢は

︑お そら くケ チな パト ロン とそ の管 理下 にあ る自 身へ の不 満の 吐露 であ る︒ ガン ディ は古 代建 築を 当時 の も のを 重ね て見 てい る︒ その 一方 で︑ 地底 をさ まよ う姿 はそ の後 のガ ンデ ィの 困難 を極 めた 人生 を暗 示し てい る内 容 で あっ た︒ この 夢の 中で みた 地獄 を︽ 伏魔 殿︾ 画面 に反 映さ せ︑ 比類 ない 巨大 な建 築物 を構 想し てい る︒ 前景 右端 に は 悪魔 に引 きず られ る人 間の 群れ が描 かれ

︑噴 火す る火 山と 溶岩 の湖 を横 切っ て巨 大な 柱廊 が描 かれ てい る︒ 建築 的

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 376 ―

(15)

源 泉の 詳細 は不 明だ が︑ 宮殿 はギ リシ ャ風 神殿 を前 面に 描き

︑ピ ラネ ージ を思 わせ る壮 大な ロー マ風 神殿 と柱 廊で 接 続 させ 構成 され てい る︒ 中央 に配 置さ れた 円形 のド ーリ ア式 の宮 殿は

︑ロ ー マ 時 代の ス ケ ッチ に 見 いだ さ れ る!

︒ 宮 殿 の円 形の 開口 部か らは 光が 蒸気 のよ うに 吹き 出し 一直 線に のび てい る"

︒太 陽 光 が対 角 線 上に 差 し 込み

︑宮 殿 を 照 ら して いる

︒左 端に は太 陽だ ろう か︑ 強い 光が わず かに 雲間 から 注ぎ 込ん でい る︒ そし て︑ この 悪魔 的な 都市 は空 と 地 上の 衝突 の均 衡を 保っ てい るよ うに 見え る︒ こう した 古代 建築 を組 み合 わせ て再 構成 する 試み は︑ 特に 一八 一五 年 か ら二

〇年 にか けて 多く

︑パ ウサ ニア スの 記述 を元 に様 々な 場面 を描 いて いる

︒例 えば 一八 一九 年に ロイ ヤル アカ デ ミ ーに 出品 され たJupiterPluvius

は︑ 前景 は暗 く︑ 二つ の交 差す る川 と滝

︑橋 が中 心で 交差 し︑ 中景 に様 々な 建築 的 モ ティ ーフ を組 み合 わせ

︑後 景深 くに 植物 のほ とん ど見 られ ない 山の 頂き に神 殿を 配置 し奥 行き を出 して いる

︒建 築 物 は中 景の 左右

︑そ して 後景 と三 つの グル ープ に分 けて 描か れて いる

︒こ こで 見ら れる 画面 構成 はガ ンデ ィの 特徴 の 一 つで

︑川 と橋 を対 角に 配置 し︑ 建築 群を 大き な固 まり とし て平 行に 配置 する とい う手 法を 好ん で用 いて いる

︒こ の 手 法は ヴァ ラン シエ ンヌ の語 るプ ラン の用 法の 影響 を感 じさ せる

#

︒こ うし た 画 面 構成 は

︑フ レ ンチ ア カ デミ ー の 伝 統 であ り︑ ター ナー によ って 強く 否定 され た方 法論 であ った

︒ま た︑ 空か ら除 く強 い光 の描 写は

︑ガ ンデ ィが 夢で 見 た 内容 に強 く結 びつ いて いる よう に思 われ る︒ 夢で 見た 地獄 は当 時の ロン ドン に他 なら ない

︒そ して ガン ディ はこ の 夢 の中 で光 を見 いだ し︑ 地底 から の脱 出を 計っ た︒ その 生涯 は常 に貧 困と 借金 とい う洞 窟か らの 脱出 であ った

︒ガ ン デ ィが 洞窟 や地 下を 描く 際は 必ず 神秘 的な 輝き や︑ 陽光 が差 し込 んで いる

︒こ の光 は彼 が夢 の中 で見 た光 なの では な い だろ うか

︒少 なく とも ガン ディ は暗 い洞 窟か らの 脱 出を 目 指 し高 み に 登ろ う と し てい た の であ る

︒︽ マ ーリ ン の 墳 墓

TheTombofMarlin

等の 作品 にも 特徴 的な 光を 見い だす 事が でき る︒ この 光の 描写 はガ ンデ ィの 内的 心情 の吐 露 と 受け 取る 事が でき

︑彼 のロ マン 主義 的傾 向を 見い だす こと がで きる ので ある

― 377 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(16)

描か れた 主題 につ いて 見て みよ う︒ タイ トル がミ ルト ンか らの 引用 であ る事 は先 に述 べた

︒し かし

︑画 面か らは そ れ とは 別に

︑社 会的 背景 を読 み取 る事 がで きる

︒暗 闇の 中で

︑煌 煌と 明か りが 灯る 様は 昼夜 問わ ず稼 働す る産 業革 命 時 の工 場を 思わ せる

︒一 八世 紀末 から 一九 世紀 初 頭︑ 産業 革 命 によ っ て 引き 起 こ さ れた 混 沌 とし た 変 化 を︿ 伏魔 殿

﹀ に 例え て語 る事 はよ くあ るこ とで あっ た#

︒ 例え ば︑ ベッ クフ ォー ドは フォ ント ヒ ル ア ベイ 建 設 時に 以 下 のよ う な 言 葉 を残 して いる

$

︒ 私

がお びた だし い数 のア ーチ の下 に立 った 時︑ 反響 する 声を 聞い た・

・・

そ れは まる で炭 坑の 深奥 から

︑あ る い は地 下深 くか ら地 獄の 呪文 や伏 魔殿 の讃 歌を 引き 出し たか のよ うで あっ た

︽ 伏魔 殿︾ は イ ギリ ス が 直面 し た 工業 化 へ の 変化 だ け でな く

︑英 仏 戦争 時 の 対 立や 不 安 をも 示 し てい る%

︒画 面 右 下 の 悪 魔に 連 れ 去ら れ る 人 々に 注 意 しよ う

︒羽 の 生え た 悪 魔 が︑ 堕落 し た 人々 に 尻 尾を 巻 き 付 け︑ 苦 痛 を 与 え な が ら

︑地 獄 の 王国 へ と 連れ 込 む 様 子が 描 か れて い る︒ こ れは

︑別 に こ の 部分 だ け を描 い た 素描 も 残 さ れ て い る こ と か ら

︑壮 大な 王国 を前 に見 る者 の注 意を 引き つけ る目 的で 描き 加え られ た事 が分 かる

︒バ ーク は絵 画作 品が 文学 作品 を 超 える 事は ない と主 張し てお り︑ 特に 地獄 や拷 問の 崇高 性を 扱っ てい る︒ ガン ディ 自身 のも そう した パラ ゴー ネの 中 で もが き苦 しん でい る&

︒ しか し︑ バー クの 主張 に対 する 勝 利 を示 す 為 に︽ 伏魔 殿

︾は 描 かれ た

︒そ し て︑

︽ 伏魔 殿

︾ 制 作時 に父 親に 宛て た手 紙か ら︑ エリ ート 主義 に 対す る 不 満を ガ ン ディ が 抱 え てい た こ とが わ か る︒

︽伏 魔 殿

︾に は

!新 たな るロ ーマ

"

た るロ ンド ンへ の批 判を 含ん でい るの であ ると 考え るこ とは でき ない だろ うか

︒ ガン ディ が︽ 伏魔 殿︾ で示 した

︑カ タク リズ ミッ クな 画面 はタ ーナ ーに よる

︽エ ジプ ト第 五の 災厄

︾と の類 似点 が

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 378 ―

(17)

指 摘で きる

#

︒こ の作 品は 一八

〇〇 年に ロイ ヤル アカ デミ ーに 出品 され て お り︑ ガ ンデ ィ は 確実 に 目 にし て い る︒ 具 体 的に 見る と︑ 両作 とも 前景 を暗 く︑ 中景 以降 に構 造物 を配 置し

︑奥 行き 間を 示し てい る︒ また

︑大 気の 描き 方も 酷 似 して いる が︑ ガン ディ はタ ーナ ーほ ど深 遠な 奥行 きを 出す 事に は成 功し てい ない

︒こ の︽ エジ プト 第五 の災 厄︾ は 出 エジ プト 記に 記述 され てい る家 畜を 襲っ た疫 病の 様子 を描 いた もの であ る︒ 前景 の倒 れた 家畜 とそ の背 後燃 え盛 る 町 は崇 高さ と結 びつ ける 事が でき るだ ろう

︒ ロイ ヤル アカ デミ ー遠 近法 教授 の職 を争 った 仲で ある ター ナー とガ ンデ ィと の関 係は 非常 に近 いも ので あり

︑共 に 建 築画 に原 点を 持つ とい う点 でも 共通 して いる

︒ガ ンデ ィ 自身 は 幻 想的 建 築 画に 関 し て あま り 多 くを 語 っ て おら ず

︑ 残 され た意 見も ほと んど ない と言 って いい

︒し かし

︑タ ーナ ーが 遠近 法教 授と して 語っ た事 の多 くは ガン ディ の作 品 と 共通 して いる

︒そ して 何よ り両 者は ロン ドン への 批判 と言 う点 にお いて も共 通し てい たこ とを 強調 して おき たい

︒ 以上

︑ガ ンデ ィの

︽伏 魔殿

︾の 作品 分析 を行 った

︒そ こか ら指 摘で きる こと は︑ 画面 構成 その もの はヴ ァラ シエ ン ヌ のプ ラン の用 法に 沿っ たフ ラン スア カデ ミー の伝 統的 な手 法に 終始 して いる が︑ 大気 の描 き方 には ター ナー との 類 似 点が 見い だせ た︒ そし て︑ ロー マ渡 航時 に見 た夢 との 関連 性は

︑こ の作 品に ガン ディ の内 的心 情の 吐露 とい う別 の 側 面を 指摘 でき るの では ない だろ うか

︒ お

わ り に 以上

︑! ピ クチ ャレ スク と崇 高"

をキ ーワ ード にし なが ら︑

︽伏 魔殿

︾を 取り 上げ

︑ジ ョセ フ・ ガン ディ の幻 想的 建 築 画に つい て考 察し た︒ 第一 章で はそ の生 涯を 紹介 し︑ ガン ディ の人 生は 決し て成 功に 彩ら れた もの では なく

︑借 金

― 379 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(18)

と 貧困 に苦 しん だ暗 いも ので あっ た事 を確 認し

︑そ れが 作風 に影 響を 及ぼ した 可能 性を 指摘 した

︒そ して

︑第 二章 で は 幻想 的建 築画 の伝 統を

!ピ クチ ャレ スク と崇 高"

との 関連 性を 中心 に示 し︑ 風景 画に 描か れた 古典 建築 から 主題 と し ての 廃墟

︑そ して 主題 とし ての 古典 建築 へと 変遷 した 事を 指摘 した

︒さ らに 第三 章で は︑ ガン ディ の︽ 伏魔 殿︾ を 考 察し

︑タ ーナ ーの

︽エ ジプ ト第 五の 災厄

︾と の比 較に よっ て︑ ター ナー のよ うな 革新 性こ そな いが

︑ガ ンデ ィの 幻 想 的 建 築画 を 一 八世 紀 か ら 続く ピ ク チャ レ ス ク絵 画 の 流 れの 中 に 位置 づ け た︒ そし て

︑主 題 こ そ古 代 の 建 築 で あ る が

︑そ こに は社 会的

︑宗 教的 背景 が見 え隠 れし

︑そ して ガン ディ 自身 の不 安や 不幸 とい った 内的 心情 をも 孕ん でい る こ とを 指摘 して 終え た︒ これ らの こと から 言え る事 は︑ ガン ディ はロ マン 主義 的要 素を 強く 持っ てい たと いう 事で あ る

︒建 築家 とし ての ガン ディ はと るに 足ら ない 古典 主義 者で あっ た︒ しか し︑ ソー ンの

﹁解 放者

﹂と して

︑あ るい は 幻 想的 建築 画家 とし ての ガン ディ は︑ ロマ ン主 義と 新古 典主 義と の間 をリ ンク させ る役 割を 担っ てい たと 言え るだ ろ う

︒ガ ンデ ィを 古典 主義 とロ マン 主義 の狭 間に 存在 する 建築 家で あっ たと いう 事を 指摘 した

# 注 始 祖 で あ る フ ェ ル デ ィ ナ ン ド 一 六 五 七

│ 一 七 四 三

︑ ジ ュ ゼ ッ ペ

・ ガ ッ リ 一 六 九 六

│ 一 七 五 六 の 二 人 が 有 名

︒ ビ ビ エ ー ナ 一 族 は 基 本 的 に 舞 台 装 置 家 の 一 族 で あ り

︑ 遠 近 法 を 駆 使 し た 作 品 を 残 し て い る

$GiovanniBattistaPiranesi

ロ ー マ で 活 躍 し た ヴ ェ ネ ツ ィ ア 人 建 築 家

︒ ロ ー マ の 古 代 遺 跡 を 中 心 と し た 銅 版 画 を 製 作

% イ ギ リ ス 人 建 築 家

︒ イ ン グ ラ ン ド 銀 行 を は じ め と し た 古 典 主 義 的 な 作 品 を 残 し た

&

特 に そ の 活 動 は ロ ー マ か ら 帰 国 後 の 極 初 期 の 時 期 に 限 ら れ て い る

︒ ' ロ ン ド ン

︑ リ ン カ ー ン ズ

・ イ ン

・ フ ィ ー ル ズ に あ る ソ ー ン の 自 邸 を 改 装 し た 美 術 館

︒ (Summerson,HeavenlyMainsion,p.137 )Pandemonium

︑﹃ 失 楽 園

﹄ に 登 場 す る ミ ル ト ン に よ る 造 語 で

︑ 悪 魔 の 棲 む 地 獄 の 首 都

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 380 ―

(19)

# 家 系 に は 画 家 ウ ィ リ ア ム

・ ガ ン デ ィWilliamGandy1660−1729

が お り

︑ 若 き ジ ョ シ ュ ア

・ レ イ ノ ル ズJoshuaReynolds

に 影 響 を 与 え た 事 が 知 ら れ て い る

︒Lukacher,JosephGandy,p.65

$ 一 六 九 七 年

︑ セ ン ト

・ ジ ェ ー ム ズ 街 に 建 設 さ れ た ロ ン ド ン 最 初 の ク ラ ブ

︒ 著 名 人 の 多 く が 会 員 に 名 を 連 ね て い る

%JamesWyatt,1746−1813.

イ ギ リ ス 人 建 築 家

︒ 早 く か ら 古 典 主 義 建 築 家 の ロ バ ー ト

・ ア ダ ム の ラ イ バ ル と 目 さ れ

︑ 後 の ゴ シ ッ ク リ ヴ ァ イ ヴ ァ ル の き っ か け の 一 つ と な る ゴ シ ッ ク 作 家 ウ ィ リ ア ム

・ ベ ッ ク フ ォ ー ド の 為 のFonthillAbbey

を 設 計 し た 事 で 知 ら れ る

︒ 数 多 く の 改 修 を 行 っ た が 大 胆 な 改 修 も あ り ピ ュ ー ジ ン か ら は

﹁ 破 壊 者 ワ イ ア ッ ト

﹂ と 呼 ば れ た

&

こ の 時

︑ 教 授 に 選 ば れ た の は タ ー ナ ー で あ る

︒ 'Summerson,HeavenlyMansion,p.135 ( 先 述 の ジ ェ イ ム ズ

・ ワ イ ア ッ ト の 甥

︒ 後 に ワ イ ア ッ ト ヴ ィ ルWyatville

に 改 名

︒ ワ イ ア ッ ト 家 は 建 築 家 を 多 く 輩 出 し て い る

︒ ) た だ

︑ ガ ン デ ィ 自 身 の 性 格 に 問 題 が あ っ た 事 も 事 実 で あ り

︑ ガ ン デ ィ は ロ イ ヤ ル ア カ デ ミ ー に 仕 事 の 用 立 て を し て い る が

︑ そ れ を 目 に し た 風 景 画 家 コ ン ス タ ブ ル は

﹁ 彼 ほ ど の 天 才 が な ぜ 仕 事 に 困 る の か

﹂ と 尋 ね る と

︑ 返 答 は

﹁ 彼 は 無 礼 だ か ら だ

﹂ と い う も の で あ っ た

* 一 八

〇 年 か ら 八 年 ま で に 一 四 冊 以 上 が 出 版 さ れ て い る

︒ + フ ラ ン ス 人 司 祭 マ ル ク= ア ン ト ワ ー ヌ

・ ロ ー ジ ェ は

︑ 著 書

﹃ 建 築 始 論

﹄ の な か で

︑ 建 築 か ら 様 式 な ど の 虚 飾 を 取 り 去 り プ リ ミ テ ィ ブ な 建 築 を 見 出 す 試 み を 行 っ た

︒ 彼 の 理 論 は 新 古 典 主 義 建 築 の 中 核 を 成 し た

︒ , 動 詞 の

﹁ 視 る

﹂vedere

の 名 詞 形 で あ り

﹁ 視 点

﹂ を 意 味 す るveduto

に 由 来 す る

︒ - ヴ ェ ド ゥ ー タ は 大 型 の 油 彩 か ら 小 型 の 銅 版 画 ま で あ り

︑ 都 市 の 景 観 を 忠 実 に 写 し 取 る 事 が 求 め ら れ た

︒ し か し そ の 一 方 で

︑ カ ナ レ ッ ト や ピ ラ ネ ー ジ な ど は 事 実 を 歪 曲 す る 事 を 厭 わ ず

︑ 追 加 や 削 除

︑ 存 在 し 得 な い 視 点 で 都 市 の 景 観 を 描 い て い る

︒ . カ プ リ ッ チ ョ と い う 用 語 の 方 が ヴ ェ ド ゥ ー タ イ デ ア ー タ よ り 包 括 的 な 言 葉 で あ る

︒ よ り 広 く 奇 想 を 示 す 用 語 で あ り

︑ ヴ ァ ザ ー リ な ど も ピ エ ロ

・ デ ィ

・ コ ジ モ 礼 賛 の 文 章 に お い て 使 用 し て い る

︒ 本 稿 で 扱 う 幻 想 的 建 築 画 は 後 者 の ヴ ェ ド ゥ ー タ イ デ ア ー タ の 方 が 適 切 で あ ろ う と 思 わ れ る

︒ / ト マ ス

・ コ ー ル を 中 心 に し て 起 っ た ア メ リ カ 最 初 の 美 術 運 動

︒ 雄 大 な ア メ リ カ の 自 然 を 神 秘 的 に 描 く

︒ 0 庭 園 に お い て

︑ あ る ポ イ ン ト か ら の 光 景 が よ り! 絵 画 的"

に な る よ う に 最 初 か ら 廃 墟 と し て 建 設 さ れ た 典 型 物

︒ 実 際 に あ っ た 廃 墟 を 取 り 込 む 場 合 も あ っ た が

︑ わ ざ と 崩 壊 さ せ た も の も 数 多 く 存 在 し た

― 381 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

(20)

!Didelot,Salon1776,p.306

"

フ ラ ン ス 革 命 戦 争 に よ っ て 大 陸 の 横 断 が 困 難 に な っ た

︒ 人 々 の 往 来 が 盛 ん に な る に は ア ミ ア ン 和 議 を 待 た な け れ ば な ら な か っ た

︒ ガ ン デ ィ が

︑ ロ ー マ に 行 っ た の は ア ミ ア ン 和 議 以 降 で あ り

︑ 彼 が 見 た ロ ー マ は ナ ポ レ オ ン 占 領 下 の ロ ー マ で あ る

# 最 初 に 出 品 さ れ た の は 一 八

〇 五 年 だ が

︑ そ の 後 何 ら か の 理 由 で 失 わ れ

︑ 一 八 三 一 年 に 再 度 出 品 さ れ る

〇 五 年 の 作 品 が 三 一 年 の も の と 同 一 で あ っ た か は 不 明 で あ る が

︑ 先 行 研 究 は ど れ も 同 一 の も の と し て 扱 っ て い る た め 本 稿 で も そ れ に 従 う

$ ミ ル ト ン

︑﹃ 失 楽 園

﹄︑ 四

│ 四 一 頁

% シ ェ ー ク ス ピ ア 作 品 へ の 一 連 の 版 画 作 品 か ら も 分 か る 通 り で あ る

&

こ の 流 行 は 当 時 の 社 会 的 背 景 と 強 く 関 連 し て い る

︒ 後 で 述 べ る

︒ ' 父 に 宛 て た 手 紙 の 中 に 細 か く 記 さ れ て い る

︒ 現 在 そ の 手 紙 は R I B A に 所 蔵 さ れ て い る

︒ (Lukacher,op.cit.,p.100 )Ibid.,p.112

* ル ド ゥ ー に よ る

﹁ シ ョ ー の 製 塩 所

﹂ 一 八

〇 四 の 影 響 が 指 摘 さ れ て い る

Ibid.,p.112−113 +pe,uetiqpraectiverspdeVatsElemens,nneienclep.419 ,Lukacher,op.cit.,p.115 -Ibid.,p.114 .Ibid.,p.116−7 / 詩 を 最 高 位 と し た 芸 術 に 関 わ る ヒ エ ラ ル キ ー

︒ 0 現 在 は イ ン デ ィ ア ナ ポ リ ス 美 術 館 所 蔵

︒ 参 考 文 献

Gandy,JosephMichael.TheRuralArchitect:ConsistingofVariousDesignsforCountryBuildings,AccompaniedwithGroundPlans,Es-timatesandDescriptions,GreggDivisionMcGraw-Hill,1971

Kufmann,Emile.ArchitectureintheAgeofReason,NewYork,GazelleBookServicesLtd,1968

Lukacher,Brian.JosephGandy,London,Thames&Hudson,2006

ジョセフ・ガンディの幻想的建築画 ― 382 ―

(21)

Summerson,John.HeavenlyMansionsandOtherEssaysinArchitecture,NewYork,1963

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ク リ ス ト フ ァ ー

・ ウ ッ ド ワ ー ド

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︑ 一 九 八

― 383 ― ジョセフ・ガンディの幻想的建築画

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