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保寺調査概

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Academic year: 2021

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われる。-V宇和3年銘には池が3ケ所拙かれている。

後者には2ケ所示されているが、

一つの池は臥竜池と南東の小池がつながったような形 に拙かれている。調査の際たまたま池底掃除を行っていた。池底は、岸近くはパラス敷きであるが、

池の中心部は泥が深く底に達せずに終ったと聞く。

ま閉山堂の西側をまわって土岐川に流れ入る川があり底は岩盤で

ある。

もとはこの川が直進し、

先立回岩の下で削をなしていたものであろ うか。門は現在東に一門のみであるが、

前述の古図は、両者とも南と束に門を拾いている。池の南、

土岐川に近いところに表門跡と称するもの

が残っており、

本来は南から入ったのであろう。

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第2図 第1図に示した写真が観音堂仏壇枢哀の盤惑である。

これによると、

文明日年に無際橋がかなり大規模に再興されたこと

がうかがえる。しかし無

際橋が亭橋であるか否かは不明である。

前述古図にはともに橋が拙かれており、

亭和3年銘のは擬宝珠勾欄 付反橋であるが、

他の一釧には勾欄がない。

そしてどちらにも屋形は 拙かれていない。

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橋二ケ処」の場所は不明であるが、

現在コンクリートの楠が架かっており、

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