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メリカの放送の未来

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メリカの放送の未来

著者 志柿 浩一郎

雑誌名 同志社アメリカ研究

号 53

ページ 61‑83

発行年 2017‑03‑31

権利 同志社大学アメリカ研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015375

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放送の公平原則を超えて

― F. Hennock の描いたアメリカの放送の未来

志柿 浩一郎

はじめに

 2016 年 2 月 8 日の衆院予算委員会において高市早苗総務大臣(当時)は、放送 局が公平性を欠く放送を繰り返した場合、法律に基づき電波停止を命じる可能性 があると述べたが、その発言は放送における表現の自由を脅かすものとして論争 を招いた1。日本の放送の公平性を巡る問題は、この発言に始まったことではなく、

これまでも長く議論されてきた。この議論の中で、しばしば言及されるのがアメ リカの「公平原則2」(Fairness Doctrine)を巡る経緯である。

 アメリカでは 1949 年に、放送事業免許を管轄する連邦通信委員会(Federal Communications Commission、以下 FCC と略称する)によって公平原則が導入 され、放送事業者に対して、公共性が高く、かつ意見の対立が存在する問題につ いては、これを番組の中で公平に扱うよう求めた。1949 年の時点では、公平原則 を導入することによって、放送事業者が公平な立場から多くの意見に配慮するよ うになり、多様な視点を反映した放送が実現できると考えられていた。しかし、

FCC は、1987 年にこの公平原則政策を撤廃し今日に至っている。

 本稿で取り上げる Frieda Hennock は、男性中心であったアメリカの放送業界 のあり方を変えようとした女性初の FCC 委員(commissioner)として、また、

大学などによる放送(educational broadcasting、以下教育放送とする)3の推進

1 総務大臣の電波停止発言に関して、翌日各新聞社がこの発言を取り上げたほか、ジャーナリスト が抗議声明を出した。「『電波停止』発言許さない田原、鳥越、岸井氏ら抗議声明」『毎日新聞』

2016 年 3 月 1 日朝刊。また、日本弁護士連合会が 2016 年 4 月 14 日付けで総務大臣に発言撤回を 求める意見書を提出した。

2 Fairness Doctrine の訳として、これまでの研究では放送の公正原則や放送の公平原則の両方が使 われているが、本稿では公平原則に統一する。

3 大学などによる放送は、当初は日本の学校放送や放送大学と類似していたが、その後、広く一般 に向けた教養番組を放送するようになり、アメリカの放送の発展に貢献した。これら大学の放送 局は、アメリカの公共放送機関の一つ PBS の母体となっており、一部の大学は今でも PBS のメ ンバーである。

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者としてアメリカ放送史に名を残す存在であるが4、公平原則導入に際しては、委 員の中で唯一、反対の立場を取った。特に、争点であった放送事業者による社説 放送(editorializing)5を認めることに反対した。彼女の見解はしかし、その後の FCC の放送の公平性に関わる政策決定の中で省みられることはなかった。

 日本でもアメリカ放送史における公平原則に関する研究は多いが6、1949 年に導 入された公平原則の内容そのものに迫る研究は内川以外見当たらない7。引用され ることの多い内川の研究は、アメリカにおける公平原則の歴史を俯瞰しており重 要な研究だが、1949 年の時点で反対意見があったことには言及していない。また、

アメリカでも、1949 年の公平原則を導入するにいたった報告書の内容については 簡単に言及されるにとどまる8

 Hennock は、当時の放送業界の体制に懐疑的で、放送事業者が公平な立場に立っ

4 アメリカ放送史に関する研究では、Hennock の名前とともに、彼女の FCC での業績が必ず言 及される。例えば、Erick Barnouw, The Golden Web, 1933-1953, A History of Broadcasting in the United States, vol. 2 (New York: Oxford University Press, 1968), 293-94; Robert J. Blakely, To Serve the Public Interest: Educational Broadcasting in the United States (Syracuse, NY:

Syracuse University Press, 1979), 3; Ralph Engelman, Public Radio and Television in America:

A Political History (Thousand Oaks, CA: Sage Publication, 1996), 136; Cary O’Dell, Women Pioneers in Television; Biographies of Fifteen Industry Leaders (Jefferson, NC: McFarland and

Company, 1997), 135-47.

5 Editorializing の訳である。新聞の社説のような番組を指す。論説放送と訳す者もいる。本稿では、

日本のアメリカ放送史研究で頻繁に使用される「社説放送」とした。

6 日本でも放送の公平性に関する多くの議論があり、そのなかでアメリカの公平原則を巡る議論が 比較研究の対象となってきた。次の研究はその代表的なものである。阪本昌成『プライヴァシー 権論』(日本評論社、1986 年)、47-78 頁 ; 堀部政男『アクセス権』(東京大学出版会、1977 年)、

147-83 頁 ; 石坂悦男「アメリカの放送における『公平性の原則』」『放送学研究』25 号(日本放送 出版協会、1973 年)、129-53 頁 ; 堀部政男「放送の公平性と放送の自由―米国における公平原則 の形成・展開・廃止(椿発言とメディア)」『新聞学研究』506 号(1993 年)、78-81 頁。

7 内川芳美 『マス・メディア法政策史研究』(有斐閣、1989 年)、423-60 頁。

8 公平原則を巡る議論は、アメリカ放送法の分野では、しばしば取り上げられる。例えば、Bill F. Chamberlin, “Lessons in Regulating Information Flow: The FCC’s Weak Track Record in Interpreting the Public Interest Standard,” North Carolina Law Review 60, no. 5 (1981):

1057-114; Thomas G. Krattenmaker and L.A. Powe, Jr, “The Fairness Doctrine Today: A Constitutional Curiosity and an Impossible Dream,” Duke Law Journal , no. 1 (1985): 151-76;

Hannibal Travis, “FCC’s New Theory of the First Amendment,” Santa Clara Law Review 51, no. 2 (2011): 417-514. また、ジャーナリズムやメディア学の分野においても重要なテーマと な っ て い る。 例 え ば、Steven J. Simmons, The Fairness Doctrine and the Media (Berkeley:

University of California Press, 1978); Donald J. Jung, The Federal Communications Commission, the Broadcast Industry, and the Fairness Doctrine 1981-1987 (Lanham, MD: University Press of America, 1984); Christina L. Gonzalez, “Restoring Historical Understandings of the “Public Interest” Standard of American Broadcasting: An Exploration of the Fairness Doctrine,”

International Journal of Communication 7, no. 1 (2013): 89-109.

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て異なる視点を扱うようになるとは考えておらず、放送事業者性善説を前提に社 説放送を許可する公平原則に反対した。他方、彼女は、設置目的や運営形態の異 なる放送事業者を育て、放送事業者間の競争を促すことによって、多様な視点を 反映した放送が実現できるという展望を持っていた。この彼女の放送観は、現在 の議論においても公平性のあり方についての普遍的な指針を示しているのではな いかと思われる。

 本稿では、アメリカにおける公平原則導入の経緯、Hennock の思想的背景、放 送の公平性に関する彼女の主張とその理由を、一次資料を参照しながら跡づけ、

彼女の放送観に接近することを試みる。その上で、日本の公平性を巡る議論にど のような示唆が得られるか論じることとしたい。

Ⅰ 1949 年 FCC 報告書 1. 1949 年 FCC 報告書の背景と意義

 1949 年、FCC に よ り、 報 告 書In the Matter of Editorializing by Broadcast Licensees が出され、アメリカの放送に公平原則が導入されることになった。詳

細については後述するが、この報告書は、1941 年に FCC が放送事業者の社説放 送を禁じた Mayflower 裁定(Mayflower Decision)9の撤回を主眼としていた。一 方、アメリカ放送史においては、この報告書は次の点で重要であると位置づけら れている。

(1) アメリカの公平原則の基礎を固めたこと。

(2) 自主性を重んじ、放送局独自の視点を反映した報道番組の制作・編集の 権利を認めたこと。

(3) 放送の内容は公平であるべしと、放送番組のあるべき模範を示したこ と10

 1949 年以前から放送の公平性を巡る問題は存在していた。それまでは、公平性 を巡って紛争が起きた場合、The Communications Act of 1934(Public Law 73-

9 日本語ではメイフラワー裁定と訳される場合がある。魚住真司「米国放送史におけるフェアネス・

ドクトリンの今日的位置づけ―Personal Attack Rule 廃止を契機としたレッド・ライオン事件の 再評価」『同志社アメリカ研究』40 号(2004 年)、31 頁 ; 水野道子「レーガン政権の通信政策に おける希少性と萎縮効果―公正原則撤廃過程からの一考察」『メディアと文化』3号(2007 年)、

25 頁。

10 Simmons, 42; Jung, 9.

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416. 以下、通信法)に則りケースバイケースで解決され、FCC が免許の交付・更 新の判断を下していた。その際、通信法に定められた「公益性・利便性・必要性

(Public Interest, Convenience, Necessity)」を備えた放送局に免許が付与される こととなっていた。しかし、この文言自体は具体性に欠けており、FCC がいかな る基準と方法で免許交付・更新を行うのか議論が続いていた。その中で、放送局 の社説放送の是非をめぐって、FCC は、1941 年に Mayflower 裁定を下す。これは、

1949 年に公平原則を導入する契機となった判断でもあることから経緯を詳しく見 ておきたい。

 Mayflower Broadcasting 社は、ボストンでのラジオ放送局開局を目指し、1939 年 3 月 23 日に FCC に開局許可を申請した。その際、同社は、免許更新審査の 過程にあった放送局 WAAB に既に割り当てられていた周波数帯の利用を申請し た11。Mayflower Broadcasting 社は、既存局 WAAB は偏向報道を行っており、通 信法で定められた「公益」に違反していると主張した。つまり、通信法違反を理 由に WAAB の免許の更新はせず同社に免許を交付するべきであると FCC に申 し立てたのである。FCC は、同社の運営能力に疑問があること、および財政に関 して虚偽の報告があったことを理由に同社の申請を却下する12。一方で、社説放送 を行わないことを条件に WAAB の免許を更新した 13

 この一連の過程で、1937 年 1 月ごろから 1938 年 9 月までの間に WAAB 局が「社 説(Editorials)」と称する報道番組において、特定の政治家のみを支援し、公共 性の高い問題に関して偏った意見のみを扱っていたことが発覚し、FCC は通信法 315 条で定められている「平等時間の原則(Equal Time Rule)14」に抵触する恐れ があったとしてこれを問題視した15。調査の結果、1938 年 9 月以降は社説放送が 行われていないとして、FCC は WAAB 局の免許を更新した16

 この件を受けて FCC は、社説放送や放送局独自の見解を示す報道番組を禁じ

11 FCC, Mayflower Broadcasting Corp and The Yankee Network Inc. (WAAB), Docket No. 5618 and No. 5640 (1941), 333-38. [hereafter Mayflower Decision]

12 Ibid., 335-37.

13 Ibid., 338.

14 公職候補者を番組に出演させた場合に、他の候補者にも同等の放送時間を提供することを定め た規則。1927 年の無線法で定められ、1934 年の通信法に引き継がれた。これは、政見放送の時 間を定めたものであり、公平原則とは異なる位置づけである。詳しくは、公平原則に関する歴 史を俯瞰した米国議会図書館議会調査局の研究を参照。Kathleen A. Ruane, Fairness Doctrine:

History and Constitutional Issues (CRS Report No. R40009) (Washington, DC: Congressional Research Service, 2011).

15 Mayflower Decision, 339.

16 Ibid., 340.

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る方針を打ち出す17。一方、FCC は WAAB 局の番組内容に踏み込んだと解釈さ れ、その判断の是非がその後数年にわたって問われ続けた。特に、アメリカの放 送業界を統括する業界団体である全米放送事業者協会(National Association of Broadcasters)と、放送業界の労働組合や地方放送局から痛烈な批判を受ける18。 このような批判を受け、1948 年に FCC は、放送局の社説放送の是非および放送 局の編集権の問題に関して 8 日間にわたる公聴会を開催した19。この公聴会での証 言を下に、FCC は、Mayflower 裁定で社説放送を禁じた判断を撤回し、新しい FCC の指針として 1949 年の報告書を作成した20

2. 1949 年 FCC 報告書の内容

 本報告書策定の過程では、放送事業者の社説放送を許可した場合、どこまで放 送局に編集の権限を与えるか、また、放送局が独自の見解を示すことができるの かが問われた。最終的に報告書は、放送事業者の責務として次の 2 点を求めた。

(1) 公的に重要でありかつ論議を呼ぶ社会問題に関して放送時間の比率を十 分にあてること。

(2) 放送を行う際は、対立見解を持つ者に設備や施設を提供するなど、多く の人に放送の機会を与える努力をすること。その際、放送の内容は公平 であること21

 報告書には、以上の 2 点を事業者に求めるにあたっての詳細な理由が記されて いる。主な理由として、民主主義国家では、国民が幅広く社会問題に関心を持つ

17 Ibid., 341. なお、アメリカでは、自分達の考えや持っている情報を示すための手段としてラジオ などのメディアを捉える文化が定着していたと考えられる。愛好家らの活動や大学の実験によっ て、放送の前身となる通信活動が行われており、ラジオ通信は双方向のコミュニケーションツー ルと捉えられていた。ところが、1920 年代後半、ラジオが広く一般に流行し、教会、デパート、

企業、各教育機関、無線愛好家など、多くの個人や組織が勝ってにラジオ放送を行い混信の問題 が生じたため、規制を求める声が高まり、免許を保持する事業者のみが放送できる形となった。

18 Simmons, 41; Gonzalez, 94.

19 Simmons, 41.

20 Donald G. Godfrey and Frederic A. Leigh, eds., Historical Dictionary of American Radio (Westport, CT: Greenwood Publishing Group, 1998), 149.

21 FCC, Applicability of the Fairness Doctrine in the Handling of Controversial Issues of Public Importance, 29 Fed. Reg. (1964), 10426. なお、この引用は、1964 年の FCC の報告書において、

1949 年の報告書の内容を箇条書きで示したとする文であり、訳は筆者による。1949 年の報告書 では、この内容の 13 頁におよぶ説明があるが、具体的に何を求めているのか分かりにくい記述 となっている。1949 年に委員の一人であった Robert Jones も 1949 年の FCC の報告書の内容は 不明瞭であると指摘している。

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ことが重要であり、多様な情報が国民に提供されることが望ましいことを挙げて いる。一方で、電波は有限性のある公共資源であり、国民全員が勝手に放送すれ ば混信を起こしかねない。そのため、公共資源を利用するという自覚を持って放 送が行える事業者のみに免許が交付される必要があること、また、放送事業者に よる社説放送を許可することが書かれている22。こうして、FCC はそれまでの判 断を一転させ、Mayflower 裁定の内容を撤回した。一方で、公平原則を執行する 立場にある FCC の権限がどこまであるのか、公平性の基準はいかなるものかと いった、免許交付・更新の際に重要になる点は明確に示されていなかった。この ことが 1960 年代以降議論を呼ぶことになる。このように重大な欠点を内包する 内容であったものの、この報告書によって公平原則の基礎が固められた。

 ところでこの報告書では、二人の委員による追加意見(additional views)と 個別意見(separate views)が示されている。実は、この追加意見と個別意見が、

公平原則の根幹をなすことになる。委員の一人 Robert Jones は、Mayflower 裁 定を撤回する必要があるとして、個別意見の中で次のように述べている。

ラジオ放送免許保持者がその放送設備を用いて社説放送を行うことについて 私は賛成する。これを許容する政策を定める文書 ( 本報告書、筆者注 ) は、

免許保持者に対して、いかなる立場であれ、その放送設備を用いてその意見 を放送することを将来に渡って禁止した Mayflower 裁定の撤回を前提とし ていなければならないと私は考える。(中略)私は、FCC は合衆国憲法修正 第一条に違反しており、Mayflower 裁定の違憲性を認識し、放送免許保持 者が社説放送を行うことができるよう決定すべきであると信じる23

 Jones は、表現の自由を定めた合衆国憲法がいかに大事であるかを論じた上で、

事業者の自主性を重んじるべきであるとし、その上で、公共の電波を使用する放 送事業者の責任は重大であり、公平性が保たれているか FCC が過去の番組に遡っ て検証する権限を持っているとした24。報告書そのものに反対こそしなかったが、

Jones は次のように述べて、その内容に懸念を示した。

私は、本報告書によって定められた諸々の条件は、放送免許保持者が社説放

22 FCC, In the Matter of Editorializing By Broadcast Licensees, Docket No. 8516 (Washington, DC:

GPO, 1949), 1246. [hereafter Report on Editorializing] なお、本報告書は、PDF 版が FCC のサイ トで公開されている。

23 Ibid., 1260. 訳は筆者による。

24 Ibid.

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送を行う権利を行使するにあたって従うべき行動規範の適切な指針とする 上で十分に明瞭なものとは言えないと考える。公平性の原則(Doctrine of Fairness)が公表され個々のケースに適用されるのであれば、その原則は具 体的な意味を持つべきである25

 他方、追加意見を示した委員、Edward Webster は、報告書の内容に賛成した 上で、「放送免許保持者は、自分の局を使って自分の意見を述べることができる のか」という疑問に対する答えが明確に示されていないとした26。その上で、「ラ ジオ放送における表現の自由が争点なのではない。ここでは、ラジオのマイクに アクセスする権利あるいは特権が争点なのだ27」と述べた。その後、公平原則は、

表現の自由を定めた憲法との整合性が問われるようになるが、Webster のこの発 言は彼がそれとは異なる解釈をしていたことを示している。彼は、放送の特権を 持つ放送事業者には、ラジオのマイクに誰がアクセスするのか決める責任があり、

これに関して画一的な基準は設定できないとした上で、放送事業者は難しい判断 に迫られることになるが、放送事業者が公共の利益に即した放送を誠実に行うの であれば公平性の確保は可能だとした28

 アメリカでは 1987 年に公平原則の撤廃が決定されるまで、この二人が示した 見解が、放送の公平性を検討する上で有効な考え方となった。この考え方は、日 本の放送事業者の間で広く受け入れられている考え方にも近い。日本の場合、公 共の電波を使用する放送事業者は、放送法によって政治的公平であることが求め られている。他方で、番組内容の方針は、放送事業者の自主性に委ねられるとい う考え方が強い29。また、表現の自由を定める憲法によって、放送事業者の権利が 守られている。つまり番組にどのような視点を反映させるかは、放送事業者が公 平な立場で判断し、同時に放送事業者の表現する権利は、憲法によって確保され

25 Ibid., 1264. なお、Jones の見解で初めて「公平原則(Doctrine of Fairness)」という言葉が使用 された。

26 Ibid., 1258. 訳は筆者による。

27 Ibid. 訳は筆者による。

28 Ibid., 1259.

29 このことに関して、NHK 放送文化研究所メディア研究部の村上が、日本の放送法を歴史的観点 から考察する中で、日本は比較的放送事業者の自主性が尊重されてきたと論じている。村上聖 一「戦後日本における放送規制の展開―規制手法の変容と放送メディアへの影響」『NHK 放送文 化研究所年報 2015』(NHK 放送文化研究所、2015 年)、54 頁。また、放送事業者が自主性を重 んじる姿勢は、放送倫理・番組向上機構の設置の合意書にも示されている。日本放送協会・日本 民間放送連盟「放送倫理・番組向上機構設置等に関する基本合意書」Accessed October 3, 2016, http://www.bpo.gr.jp/?page_id=1295.

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ることになっている30

3. Hennock の反対意見

 冒頭で述べたように、公平原則の導入に唯一反対したのが、Frieda Hennock である。彼女の立場は反対意見(dissenting views)として次のように述べられ ている。

 放送免許保持者が論議を呼ぶ社会問題を扱う場合に高度の公平性を保つべ きことについては、私は多数派の見解と同意見である。しかし、今回の当委 員会の判断が望ましい結果を生むとは考えられない。当委員会が法的に付与 されている権限、また当委員会に監視手段が欠落している現状に鑑みた場合、

本報告書に示されているような公平性の基準の遵守を委員会が強制するのは 事実上不可能である(virtually impossible)。いかなる状況下であれ公平性 を欠いた表現を発見した場合に当然生じうる問題の難しさを我々は過小評価 すべきではないし、当委員会が唯一付与されている権限は、免許更新時の放 送事業免許剥奪、あるいは公平性基準の遵守違反の発生から時を経て開始さ れることになるであろう放送事業免許の取り消し手続きでしかない、という 事実を過小評価すべきでもない。

 放送は不偏不党な形で行使されなければならないという要件が社会的信頼 によって付与されているが、その遵守を監視し強制する何らの手段も欠いて いる状況下にあっては、放送免許保持者自身による社説放送を許可すること は無謀に思える。私は、公平性を保証できる確実な代替方法が見出されない かぎり、放送免許保持者による社説放送の禁止は維持すべきであると考える。

公平性が保証されさえすれば、放送免許保持者が自身の立場を表明すること 自体は害悪ではない。現況では社説放送の禁止のみが、公益に即したラジオ 放送の適切な利用を確保する唯一の方法である31

 ここで、Hennock は、弁護士として培ってきた経験を活かして彼女の見解を示 している。また、“virtually impossible” という言葉を使用して報告書の内容が現 実的ではないと強調している。彼女は、他の FCC 委員と同様に、放送事業者が

30 ただし、公平原則を撤廃するべきであるとする意見もある。放送事業者やジャーナリストが自由 に意見を言えるようになることが主な理由である。例えば、藤代裕之 「偏向報道が問題なら、メ ディアの中立・公正を禁止したらどうか」『Yahoo Japan ニュース』(Yahoo、2013 年)Accessed July 14, 2016, http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20130811-00026805/.

31 Report on Editorializing, 1270. 訳は筆者による。

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公平性を高水準で保つことは重要であるとしたが、免許交付・更新の権限を有す る FCC の業務を甘く見るべきではないとし、放送の公平性に関わる問題への対 応が容易ではないことを説いた。

 このような Hennock の見解は、その後の公平原則に関わる FCC の政策決定の 中で省られることはなかった。しかし、その後の経緯を見るならば、彼女の主張 を改めて見直すことには十分意義がある。

Ⅱ アメリカ放送史における公平原則をめぐる経緯 1. Mayflower 裁定と公平原則の成立

 前述したように、1941 年に FCC は社説放送を禁じ、その方針は Mayflower 裁 定と呼ばれた。1939 年に Mayflower Broadcasting 社のボストンでの免許申請に よって、競合他社の放送局 WAAB が、偏向報道をしていた疑いがでてきた問題 への対応で、FCC が打ち出した解決策であった。

 FCC は、Mayflower 裁定の中で、放送が民主主義社会において重要な役割を 担うとした上で、混信を避けるために放送免許の許可がおりた事業者のみが放送 できる状況であり32、この状況下で多様な視点を尊重せずに放送局自身が独自の見 解を示すことは好ましくないとし33、社説放送を禁じた。FCC は裁定を示した報 告書の中で「放送免許保持者の主張のために電波が使用されるべきではない(中 略)まとめれば、放送事業者は一定の立場の主唱者(advocate)になってはなら ない」と述べた34。その上で、放送における表現の自由は広い意味で捉えるべきで あり、公共性の高い問題に関して、放送局は多くの視点を取り上げ、不偏不党で あるべきとした35

 しかし、この FCC の政策方針は、放送免許保持者の表現活動を禁じるものと 理解され、憲法で定められた表現の自由を脅かすとして、放送業界から強い批判 を受けた36。このような批判を受けて FCC は方針を見直し、1949 年に報告書の形 で公平性に関する指針を再度まとめたのである。

 こうしてアメリカでは公平原則が導入されたが、この時点では、単なる FCC の政策方針にとどまり、法的な強制力はなかった。その後 10 年間、FCC はケー スバイケースの対応をとったが、公平原則が免許更新・交付の判断基準の一つと

32 Mayflower Decision, 340.

33 Ibid.

34 Ibid.

35 Ibid.

36 Simmons, 41; Jung, 9; Gonzalez, 94.

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なり、その強制力は増していった37

2. 公平原則の制度的強化

 公平原則政策導入から 10 年目の 1959 年、大統領選挙を翌年に控え、通信法 の 315 条「平等時間の原則(Equal Time Rule)」の改正が進められることとなっ た38。当時この原則は、政見放送のみに適用されていた。特例措置として、ニュー スやドキュメンタリー番組、インタビュー番組などの一般的な番組には適用され ておらず、この原則の適用範囲を広げるための改正が進められた。その際、時間 が平等ではなくても、放送事業者は社会的責務として公平であることを求める文 言が加えられ、一般的な番組にもこの原則が適用されることとなった39。平等時間 の原則は公平原則とは異なる位置づけではあったが、公平原則と似た文言が加え られたことを契機に、時間だけではなく内容に関しても公平性が求められるよう になる。

 その後、1960 年代に入り公民権運動などの社会運動が広まるなかで、市民団体 による放送業界改革に向けた運動が高まり、公平原則にもとづいて放送番組にお ける人種差別の撤廃が求められるようになった40。このような状況下、FCC は個 人や特定のグループを誹謗する放送内容への対応が求められ41、1967 年、個人に 対する誹謗中傷やそれに関連する表現の規制強化を目的として、公平原則が法的 に適用されることが定められた42

3. 公平原則の合憲性をめぐる論争

 1967 年に公平原則が法的な根拠を持つことになり、その強制力は増した。その 結果、表現の自由を定めた憲法との整合性が問われるようになる。特に、FCC が 放送事業者に対して公平性を求めた場合、FCC による番組の検閲とならないのか が問題となった。そもそも、FCC には、表現の自由を定めた合衆国憲法を尊重す

37 Simmons, 45-46.

38 Simmons, 47-50.

39 Ruane, 3. なお、本原則が通信法に組み込まれた経緯は複雑な過程を経ており、過去の研究を見 ても、通信法が改正され、それによって公平原則が法制化された、あるいは、当時はこれによっ て法制化されたと解釈された、とまとめるケースが見られる。この点を解明するには、可能であ るならば、制定過程でどのような判断がなされたのかなど、法律改正に至る過程や当時の放送の 状況を詳しく分析する必要がある。ただし、本稿は、Hennock に焦点を絞り、彼女の考えを元に 放送の公平性について検討することを目的としているため、今後の課題としたい。

40 Gonzalez, 98.

41 Simmons, 73.

42 Ibid., 78-79.

(12)

ることが求められ、放送の内容に踏み込まないことが法律によって定められてい る43

 この問題に関して日本でも有名になったケースとして、1969 年におきた Red Lion 事件での最高裁判決が挙げられる44。個人を誹謗する放送を行った局への FCC の対応と放送局の権利に関して争われたケースである45

 1964 年 5 月、フリージャーナリストの Fred Cook は、右翼的な宗教番組のみ を放送しているとして、当時アメリカで代表的な放送局を名指しで批判する記 事を著名な週刊誌The Nation に執筆した46。同年 11 月、Cook の批判に対し Red Lion 放送社は、彼は共産主義者だとする番組を放送する47。Cook はその内容は事 実無根であるとして反論の機会を番組で設けるよう同社に求めたが、同社は、反 論したければ番組に出演する分の放送時間を宣伝放送として購入するよう要求し た48。Cook の訴えを受けて FCC は、翌年、同社に対して公平原則に従って Cook に反論の機会を無償で提供するよう命じた49。同社はこれを不服とし、1967 年、

FCC の求める公平原則は放送局の言論の自由を妨げているとして、控訴裁判所 に控訴する50。控訴審判決は FCC の判断を妥当としたが、同社は納得せず、最高 裁判所に上告した。1969 年の最高裁判決では、電波の特性や通信法を考慮すると FCC の判断は妥当であり、公平原則は合憲であるとした。こうして最高裁判所の 判断が示されることとなったが、その後も FCC 内外で公平原則の合憲性は問わ れ続け、FCC の権限がどの範囲まで及ぶのか議論は続いた。

 アメリカ放送政策史を研究している Gonzalez は、最高裁判所の Red Lion 事件

43 Censorship 47 U.S Code § 326.

44 日本では Red Lion 事件あるいはレッド・ライオン放送会社事件と呼ばれることもある。この事 件の歴史的位置づけは、本稿脚注 9 で紹介している魚住に詳しい。

45 Red Lion Co., Inc. v. FCC, 395US 367 (1969). この裁判に関する研究は多い。例えば、Jonathan D.

Blake, “Red Lion Broadcasting Co. v. FCC: Fairness and the Emperor’s New Clothes,” Federal Communication Bar Journal 75 (1969): 75-92; Charles L. Firestein, “Red Lion and the Fairness Doctrine: Regulation of Broadcasting ʻIn the Public Interest’,” Arizona Law Review 11, no. 4 (Winter 1969): 807-21; John C. Barrett and Mary Louise Frampton, “From the FCC’s Fairness Doctrine to Red Lion’s Fiduciary Principle,” Harvard Civil Rights-Civil Liberties Law Review 5, no. 1 (1970): 89-103; Richard D. Marks, “Broadcasting and Censorship: First Amendment Theory After Red Lion,” George Washington Law Review 38, no. 5 (July 1970): 974-1005; Angela J.

Campbell, “The Legacy of Red Lion,” Administrative Law Review 60, no. 4 (2008): 783-92.

46 批判の詳しい内容は次を参照。 Fred J. Cook, “Radio Right: Hate Clubs of the Air,” The Nation, May 25, 1964, 523-27.

47 Red Lion Co., Inc. v. FCC, 395US 371 (1969).

48 Ibid.

49 Ibid.

50 Ibid. なお、FCC の裁定は地方裁判所判決と同等と位置づけられている。

(13)

判決後、放送局のあり方が改めて問われ、多くの市民団体が放送に多くの視点を 反映させるよう求めるようになり、放送にアクセスする権利を要求する動きが高 まったと論じている51。その際、市民団体側は公平原則に基づく FCC の判断を支 持したが、放送業界側は、公平原則があることで各事業者は放送免許の剥奪を恐 れ、公共性の高い問題を扱うことが困難になっていると主張し始める52

4. 公平原則の撤廃

 1980 年代に入ると、ケーブルテレビが普及し始め、放送・通信の多チャンネル 化が進み始めたことから、電波の希少性を根拠とした公平原則の有用性と法的根 拠が問われるようになった53。公平原則は法的根拠が乏しいのに、誰も問題の本質 を疑問視しないのは、まるで裸の王様のストーリーを彷彿とさせるとした批判も なされた54。また、公平原則があることで、放送局やジャーナリストが放送免許の 停止を恐れ、社会的問題を扱うことを避けるようになり、当初の目的に反して放 送事業者を萎縮させているとする主張もでてきた55

 これを受け、1985 年に FCC は、公平原則の必要性および合憲性を再検証し、

新しい方針を打ち出すことにした56。検証の結果、Red Lion 事件最高裁判決では 公平原則が合憲と判断されたが、判決から数十年が経ちその判断は実情に合わな くなっているとして、FCC は一転して公平原則は違憲であるとした57。また、公 平原則は多くの視点を放送に反映させることを目的としていたにも関わらず、現 実には放送事業者を萎縮させ、逆に重要な社会問題が扱われなくなり、放送の多 様性が損なわれていると結論づけた58

 1987 年、ニューヨーク州シラキュースの放送局 WTVH が、原子力発電所建設 を支持する広告を放映したことに対し、市民団体が、公平原則に違反していると

51 Gonzalez, 99.

52 Ibid.

53 Ruane, 5.

54 Blake, 77.

55 公平原則の萎縮効果論に関する研究には、Jung のほか、これまでも多くの研究が行われてい る。例えば、Thomas W. Hazlett and David W. Sosa, “Was The Fairness Doctrine A ʻChilling Effect?’ Evidence from the Post deregulation Radio Market,” The Journal of Legal Studies 26, no. 1 (1997): 279-301; Rosel H. Hyde, “FCC Action Repealing the Fairness Doctrine: Revolution in Broadcast Regulation,” Syracuse Law Review 38 (1988): 1175-192; Richard Halpern, “The Fairness Doctrine: A Principle Under Attack,” St.John’s Legal Comment 64 (1986): 64-79.

56 FCC, General Fairness Doctrine Obligations of Broadcast Licensees, Federal Register 50, no.

169 (1985), 35418.

57 Ibid., 35420.

58 Ibid.

(14)

する申し立てを FCC に行った。しかし、FCC は、公平原則は違憲であると判断 でき、放送局に制裁を課すことはできないとして市民団体の申し立てを退ける。

この一連の流れの中で、FCC 内では公平原則不要論が優勢となり、同年、通信手 段が増えたことに伴い視聴者の選択肢も増えたとして、FCC は公平原則の撤廃を 決定した。この決定は議論を呼ぶことになったが、FCC 内では公平性と社説放送 を巡る問題がひとまず決着する形となった。

 ここまで、Mayflower 裁定から公平原則撤廃に至るまでの経緯を辿ってきた。

FCC が放送・通信に関わる政策を進めていく上で、社説放送の是非が問われ、当 初 FCC は、Mayflower 裁定でそれを禁じる方針を示したが、放送業界からの批 判を受け、1949 年に FCC は Mayflower 裁定の判断を撤回する。その上で、希 少性の高い電波を利用して多様な視点を確保するためとして公平原則を導入した が、1987 年にはこれを撤廃した。このように FCC の政策方針が二転三転したと いう事実は、放送の公平性を巡る問題には正解がないことを示している。公平原 則を巡っては、1987 年の撤廃まで FCC 内外で議論が続いていたことからも、対 応が難しい問題であったことは明らかである。

 1949 年に Hennock が公平原則に反対した理由は、対応が難しい問題であるに も関わらず、報告書には公平性を担保する具体的な方法が示されておらず、現実 的な政策とは到底言えなかったことにある。彼女は、1949 年の時点で既に公平原 則の限界を指摘していた。次節では、このように冷徹な視点で公平原則の問題を 捉えていた彼女の FCC 委員としての活動と放送の将来へのビジョンを辿り、放 送の公平性の確保という難しいテーマに対する彼女の立場に接近することを試み る。

Ⅲ Hennock の描いたアメリカの放送の未来 1. Hennock について

 Hennock は、1904 年、ポーランドのコーヴェリ市で59、ユダヤ人の両親のもと に生まれ、1910 年に家族とともにアメリカに移住した後、ニューヨーク市で育つ。

59 Kovel. 現在はウクライナ領。

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彼女の父親は、市中心部で不動産屋と金融業を営んでいた60。彼女は同世代の一 般的な東欧系ユダヤ人よりも教育の機会に恵まれたが、一方で同世代の若者が工 場などで重労働に就かざるをえないという現実も目のたりにしていた61。Hennock は、彼らのためになる仕事に就きたいという思いから弁護士を目指すようになる が62、娘には音楽家になってほしいと願っていた両親に反対される。親からの財政 的支援を受けることができなかった彼女は、法律事務所で働きながらブルックリ ンの法律学校夜間コースで弁護士になるための勉学に励んだ63

 Hennock は、24 歳の時に軽犯罪や離婚訴訟などを担当する弁護士として独立 する64。しかし、当時の社会では彼女のような女性が弁護士になることはすぐに揶 揄の対象となった。当時、弁護士など男性が多い職業に女性がつくことはほとん どなく、彼女は周りから不遇な扱いを受けた65。このような偏見を経験したことで、

彼女は異質なものに対して寛容な社会を形成していく必要があると強く考えるよ うになり、この考え方は彼女の放送の政策方針に大きく影響した66。男性中心だっ たアメリカの放送の状況を変え、非営利教育放送を推進した女性ということで Hennock はアメリカ放送史にその名を刻んでいるが、その背景には、東欧ユダヤ

60 Atkinson Helen, Frieda B. Hennock, FCC’s Misunderstood Crusader (Unpublished Manuscript) (1958), 1. Simons Frieda Hennock Papers, Schlesinger Library, Radcliffe Institute, Harvard University, Cambridge, MA, box 1, folder 12: Articles about FHS. 以下、同アーカイブに含まれ る文書の出典は、SFH Papers, box #, folder # の形で示す。なお、Simons は Hennock の夫の性。

Hennock に関する資料の多くは、Schlesinger Library, Radcliffe Institute for Advanced Study, Harvard University( 旧 Radcliffe College) に保存されている。Hennock が亡くなった後に夫が彼 女の遺品を寄贈したものである。また、Truman Library(インデペンデンス市ミズーリ州)にも、

彼女が Truman 大統領に任命された経緯から彼女に関する資料がある。

61 Ibid.

62 O’Dell, 135.

63 Atkinson, 2. Hennock が通学したのは Brooklyn Law School であり、早くから女性や移民を受け 入れてきた教育機関として知られている。

64 Atkinson, 1. および John MacLeod, “Woes and Triumphs of A Lady Advocate,” The American Weekely, September 5, 1948, SFH Papers, box 1, folder 11: News paper and magazine articles

about FHS.

65 1920 年代から 50 年代までの法律関連の職についていた女性の待遇に関しては、Cynthia Grant Bowman, “Women in the Legal Profession from the 1920s to the 1970s: What Can We Learn from Their Experience about Law and Social Change?” Maine Law Review 61, no. 1 (2009): 2-25 で詳細に論じられている。

66 彼女の経歴に関しては、本稿注 4 で紹介した O’Dell 以外に、Jim Robertson, Televisionaries (Charlotte Harbor, FL: Tabby House Books, 1993); Ann De. Vaney, and Rebbeca P. Butler,

“Voices of the Founders: Early Discourses in Educational Technology,” in Handbook of Research for Educational Communications and Technology, ed. David H. Jonassen (New York:

Macmillan, 1996); Susan L. Brinson, Personal and Public Interests: Frieda Hennock and the Federal Communications Commission (London: Praeger, 2002) などに詳しい。

(16)

系女性弁護士として通常とは異なる扱いを受けた彼女の経験がある。

2. Hennock と FCC

 女性を政権に登用することが求められていた民主党の Truman 大統領は、

Hennock を FCC 委員に指名する67。業界としがらみがなく新しい視点を反映でき るのではないかと考えた多くの議員が彼女の指名に同意し、1948 年 7 月彼女は女 性初の FCC 委員となった68。その際、指名の経緯が明確ではないとして議会では 反対の声があがったが69、むしろ明確な反対理由が示されない中で賛成多数で彼女 の就任が決定した70。その後彼女は、共和党 Eisenhower 政権が誕生する 1955 年 までその任にとどまった71

 Hennock が FCC 委員に就任した 1948 年、放送業界誌 Broadcasting は、「男 の世界」である放送に女性が加わることへの否定的な論評を繰り返した72。また、

同じ民主党から任命された FCC 委員長の Wayne Coy は、「これまで FCC には、

誠実さ、忍耐さと厳粛さが求められてきたが、肉体美というものが求められる ことはなかった(We’ve had rectitude, fortitude, and solemnitude, never before pulchritude73)」と彼女が FCC 委員に就任したことを皮肉った74

 Hennockの研究者Brinsonが行ったインタビューの中で、彼女の司法助手(Legal Assistant)を務めた Arthur Stambler は、「男は女からレクチャーされるのが嫌 なものだが、彼女はいつもレクチャーしていた(中略)とにかく男性委員とはウ マが合わなかった」と述べ、Hennock は男性委員達から疎外されていたと語って

67 Atkinson, 1.

68 当時の新聞および業界誌の記事等を参照。例えば,“Lady Commissioner,” Broadcasting, June 28, 1948, SFH Papers, box 1, folder 11; “First Woman Member of FCC Makes Impression on Senators With Frankness,” The Washington Post, July 6, 1948, SFH Papers, box 1, folder 11.

69 “Lady Commissioner,” 25 and 62.

70 Ibid., 62.

71 民主党 Truman 政権から共和党 Eisenhower 政権に代わる際、Hennock は再任されず民主党の男 性が後任として選ばれた。

72 Broadcasting は、1949 年および Hennok が教育放送を推進を開始した 1950 年の 9 月から 11 月 にかけて、毎月 Hennock への批判記事を掲載している。なお、本雑誌は PDF バージョンが、

http://www.americanradiohistory.com/Broadcasting_Individual_Issues_Guide.htm で 閲 覧 で き る。

73 Pulchritude は、女性の肉体的な美しさと日本語に訳される。しかし、俗語では女性の体を鶏肉 に見立てて表現する意味を含み、女性からは侮辱と捉えられる表現である。

74 MacLeod, 13; “Madame Commissioner,” Broadcasting , July 12, 1948, 24, SFH Papers, box 1, folder 11.

(17)

いる75。FCC の男性委員および放送業界にとって、彼女の存在は目障りなもので あり、所属する党や政治思想に関わらず、男性の関係者達は彼女の主張や提案に 対して消極的な対応をとった。商業放送を前提とした放送・通信政策に重きをお いていた男性委員達は、非営利教育放送を推進しようとする彼女の政策は商業放 送を圧迫すると批判した76。また、前述の放送業界誌も、Hennock は委員会への欠 席が多く、参加しても男性委員の主張に反対するだけで男性委員が納得できる代 替案を出さず、自分の権限についても理解していないと酷評した77

 当時の放送業界や他の FCC 委員からまともに相手にされなかった Hennock は、

彼女にしかできない使命は何かを探し始め、在任期間中、できるだけ新しい視点 を放送界に持ち込み、放送の発展に寄与したいと考えるようになる。彼女は委員 就任にあたって、次のような内容の手紙を知人宛に送っている。「何か新しいこ とを打ち出すことができるかもしれないし、もしかしたら大失敗で終わるかもし れない。どうなるか誰もわからないけれど、このチャンスは掴みたい78。」 就任当 時、彼女にも不安があったことが伺えるが、就任を祝う手紙へのフォーマルな返 答の中で、コミュニケーションの領域は異文化間の相互理解を促進し平和を維持 することに貢献できる分野であり、放送の発展に全力で取り組みたいと述べた内 容が本心であったと思われる79。また、就任式では、「視聴者の大半を占めている 女性に放送は大きな影響を与えていることからも、女性の視点が放送に反映され ることは基本ではないかと思う」と述べた80。その後、Hennock は女性の視点を放 送界に反映させることに尽力し、商業放送とは異なるメディアとして教育放送を 推進していくようになる。

3. 放送の多様性の確保

 FCC 委員在任中、Hennock は、位相の異なる放送事業者間の競争を促そうと

75 Arthur Stambler, interview by Susan, L. Brinson, May 14, 1996, quoted in Susan L. Brinson,

“Frieda Hennock: FCC activist and the campaign for educational television, 1948-1951,”

Historical Journal of Film, Radio and Television 18, no. 3 (1998): 418.

76 “Televents by Richard Harrison, Post Radio-Television Editor,” The Houston Post, September 4, 1952, SFH Papers, box 1, folder 12.

77 “Miss Hennock Regrets…,” Broadcasting, August 3, 1953, SFH Papers, box 1, folder 13: Articles about FHS.

78 Hennock to Frazier , September 6, 1948, SFH Papers, box 1, folder 18: Correspondence with Alicia Dupont Frazier.

79 Correspondence re: congratulations on FCC appointment, A-C, 1948, SFH Papers, box 2, folder 21: Correspondence.

80 Hennock’s speech to Judge Scheweinhat, Mr. Coy, and my dear friends , 1948, SFH Papers, box 7, folder 95: Notes for speeches on joining FCC 1948.

(18)

試みた。そのことによって健全な放送業界が形成され、アメリカの社会が良く なると彼女は考えていた81。Women Lawyers Journal の 1950 年 Fall Issue にお いては「私達は、放送界に新しい活力(血)を吹き込む必要がある(We must introduce new blood)。そのことが、これまでと異なる形の競争(a different type of competition)を促進することになるだろう」と述べている82。彼女は、

FCC の業務をこの理想を具体化するための手段と捉え、その中で既存の商業放送 とは異なる、大学が運営する放送局に着目するようになった。

 彼女は就任から1年後の 1949 年 5 月にオハイオ州立大学の Institute for Education by Radio and Television83が主催した会合に参加した際にラジオ教育 放送史に関する講演を聞き、大学が運営していた教育放送が衰退したことを知 る84。大会終了後に知人に宛てた手紙には、この教育放送を改めて普及させるため に、自分の権限を利用して教育機関が放送局をもてるようにしていくという意気 込みが記されている85。また、1950 年 4 月に開催された 37th Annual Schoolmen’s Week において「教育は、放送の特権を失い、その価値を弱めてしまった。二度 とそのようなことを繰り返してはならない」と過去に放送局を運営していた大学 の関係者に訴えた86。加えて、Hennock は、「全ての個人、コミュニティーグルー プは、批判的に放送を視聴し、放送事業者に自分達はどのように感じたのか伝え ていかなければならない」と述べ、放送業界の常識を変える上で教育放送の普及 が重要な役割を果たすと論じた87

81 なお、彼女は、アメリカ社会の発展のためには、既存の商業放送と位相の異なる多様な形の放送 局を創出する必要があると考えており、大学の運営する放送局や教育に特化した非営利放送局の 開設を強く推進した。教育放送というのは、当初は放送大学に似ていたが、彼女は講義放送以上 の内容を想定し、視野を広げるメディアとして、さらに、同質の視聴者を前提とする商業放送 とは異なるメディアとして教育放送を位置づけた。詳しくは、Hennock のスピーチ原稿の手書 きのメモ、彼女の寄稿原稿、各種手紙を参照。Notes and Drafts for Speeches 1948-1955, SFH Papers, box 7 and 8, folder 95-folder 103, folder 111.

82 Frieda Hennock, “Free the air waves: An administrative dilemma,” Woman Lawyer Journal, 36 (Fall 1950): 5-8 and 27-29, SFH Papers, box 1, folder 10: News paper and magazine articles.

83 オハイオ州立大学の教授 Keith Tyler によって 1930 年に設立された研究プロジェクト機関。教 育関係者と放送事業者が協力し、メディアの教育利用を模索する場を提供することを目的とした。

財政難から、1965 年に機関自体は解散したが、アメリカのメディア教育の研究に影響を与えた。

84 Speech by Frieda Hennock, Institute for Education by Radio-Television , May 4, 1950, SFH Papers, box 8, folder 104: Speeches, mimeographed, 1948-1951.

85 Hennock to Browser, May 17, 1949, SFH Papers, box 2, folder 21: Coresspondence.

86 Hennock’s speech to 37th Annual Schoolmen’s Week, April 20, 1950, SFH Papers, box 8, folder 104.

87 Hennock’s speech at a symposium on the regulation of radio and communication at the Mount Holyoke College, South Hadley, Mass, May 17, 1950, SFH Papers, box 8, folder 104.

(19)

 このように Hennock が教育放送を推進するようになったのには、彼女自身の 経験が影響していたと思われる。彼女は、ユダヤ系女性でありながらも、教育を 受けることができたおかげで弁護士として成功できたという思いがあり、アメリ カ社会の発展には教育が重要であると考えていた。1951 年、Roosevelt 元大統領 夫人がホストを務めていた NBC のラジオ番組 The Eleanor Roosevelt Program の中で彼女は、「民主主義社会は教育があることで栄える。全体主義は盲目と 無知による。」とした上で、教育放送はアメリカの強力な武器となり、次の世 代への投資にもなると語っている88。また、1952 年 5 月に開かれた The National Jewish Welfare Board の会合では、第二次世界大戦中にナチスドイツなど独裁国 家においてメディアの統制が行われた歴史に言及し、民主主義の敵である偏見や 差別からアメリカ社会を守る上で教育放送が重要な役目を果たすと述べた89。これ らの発言には、当時のアメリカ社会が直面していた世界情勢も影響しているが、

彼女が教育の重要性を、身をもって体験していたことが背景にあったと考えられ る。

 他方、Hennock は、商業放送とは異なる教育放送を確立することを通して、放 送界に競争を促そうとしたのだということも忘れてはならない。彼女は、教育放 送のように商業放送とは異なる放送があることで競争が促され、特定の企業によ る放送の独占を防ぐことができると考えていた。彼女は、The Saturday Review of Literature 誌の 1950 年 12 月 9 日号で次のように述べている。

非営利または非商業の放送局用のチャンネルを確保することは、近い将来特 定の企業が放送システムを独占することを防ぐための唯一の手段となる。ま た、商業放送システム以外のオルタナティブなシステムを提供し、そのこと によって視聴者に選択の自由をもたらしてくれる90

 1951 年 1 月 23 日、 リ ベ ラ ル 誌New Republic が 主 催 し た 教 育 と テ レ ビ に 関 す る シ ン ポ ジ ウ ム の 中 で、 全 米 放 送 事 業 者 協 会(National Association of Broadcasters)代表 Thad H. Brown Jr. が、非営利教育放送が開局されることで「ア

88 Interview with Eleanor Roosevelt, 1951, SFH Papers, box 9, folder 116.

89 Educational Television Can Strengthen American Democracy, at the Opening Session of the Biennial Meeting of The National Jewish Welfare Board, May 2, 1952, SFH Papers, box 8, folder

105.

90 Frieda Hennock, “TV Conversation,” The Saturday Review of Literature , December 9, 1950 [reprinted by the National Association of Educational Broadcasters], SFH Papers, box 1, folder 10.

(20)

メリカの放送の競合システム」が崩れると主張したのに対し、Hennock は次のよ うに反論した。

 

アメリカの放送の競合システムとは、共に連続ドラマや殺人推理小説を放送 する A 局と B 局が競争することか?(中略)それとも、異なる番組の競争 を意味していて、人々が一流の演劇、芸術、様々な文化に触れることができ る番組や歴史番組を選ぶことができることか?全米一の素晴らしい講師を知 り得るような番組が見られることか?それとも、過去 30 年間も続けられて きたお決まりの似たような番組を放送する局同士の競争か?もしそうなら ば、ラジオ放送に映像を加えただけで新しいことは何もなく、余計に見苦し いものになるだけではないのか?91

 彼女は、既存の商業放送局同士による競争とは異なる競争の仕組みが重要であ ると考えていた。また、1955 年に FCC 委員を退き弁護士業に戻った後も、放送 は政府からの圧力だけではなく特定の企業による独占からも守られる存在でなけ ればいけないとし、そこに教育放送が重要な役割を果たすと主張していた92。商業 放送の中で非営利放送の影響力が増し、存立形態の異なる放送局が競争すること によって、アメリカ放送全体の質が向上すると Hennock は考えていた。

4. 多様性の確保と公平性

 ここまで、アメリカの放送に関する Hennock の主張を、一次史料を参照しな がら検討してきた。彼女に関しては、これまでの研究やアメリカ放送史の教科書 では、放送に女性の視点を加え、社会的多様性を反映した放送の構築を目指した 女性、あるいは商業放送とは異なる教育放送を推進した女性としての評価が確立 している。他方、公平原則を導入する目的は、希少性の高い公共の電波を利用し て、いかに放送の受け手が多様な意見に接することができる環境をつくるかとい うことにあった。そのような目的を達成するために、放送事業者に公平な立場に 立って多くの意見を扱うことを求めたのが公平原則であった。文字通りに理解す れば、Hennock は、多様な放送の構築を目指したとしてその名を歴史に刻んだ一 方で、視聴者が多様な意見に接することを可能にする筈の公平原則には反対して いたことになる。

91 “Television and Education,” New Republic, February 26, 1951, 5-6, SFH Papers, box 1, folder 10.

92 Frieda Hennock sees danger of monopoly in TV and radio. Asks Drive on ‘TV Monopoly,’ date unknown, 1955, SHF Papers, box 1, folder 13: clippings.

(21)

 Hennock が 1949 年の報告書において公平原則に反対したのは、1950 年代のア メリカの放送界の現状と、通信法の内容を考慮しての判断によるものであった。

また、弁護士としての考え方から来る論理的帰結だった。彼女は、公平性の確保 の責任を個々の放送会社に求めて社説放送を許可することは、法の範囲内で認め られている FCC の権限に鑑みれば現実的ではないと判断した。1949 年の報告書 において、彼女が、放送事業者が高水準の公平性を維持することは重要としなが らも、報告書の不備を指摘したのはそのためであった。そもそも彼女は、放送業 界のあり方に懐疑的で、事業者が公平な立場に立って異なる視点を扱うものとは 考えていなかった。社説放送を許可することに反対したのはそのためである。

 彼女に対する放送業界の反応、彼女を疎外した FCC 男性委員達の間にあった 文化、同じ民主党から指命されていた FCC 委員長が彼女に対して述べたコメン トなどを考慮すれば、放送業界の実状に懐疑的にならざるを得なかったと思わ れる。一方、他の委員とは異なり、1949 年の時点において、法律に定められた FCC の権限を勘案した上で、公平原則が現実的ではないと指摘した点は、1987 年の公平原則撤廃の経緯を見れば、先見の明があったと言える。

 他方、彼女は、既存の商業放送とは性格の異なる放送が存在することで事業者 間の競争が生まれるという「多様性の実現」というビジョンを持っていた。その 実現の中核をなすのが教育放送であった。放送の公平性の問題と直接に関係はし ないものの、彼女は公平原則が掲げていた目的の一つである「多様な視点を反映 した放送の確立」が、教育放送を推進することで実現できると考えていたのであ る。Hennock の描いたこの「放送の多様性の実現」という理想は、公平性のあり 方について考える上で極めて重要な指針を示している。

おわりに

 Hennock が活動した 1940 年代後半から 50 年代初頭のアメリカの放送を取り巻 く状況と、「公平原則」が撤廃された 1980 年代の状況は異なる。また、現在の日 本の放送を取り巻く状況との違いも大きい。しかし、当時から 60 年以上の時の 隔たりに加えて、日米間の事情の違いもある現在の日本においても、彼女が示し た放送の将来への展望は普遍的な意味を持っている。

 現在、日本では、放送法によって、放送事業者は政治的に公平あるいは中立的 であることが求められ、多様な意見を提示することが求められている。だが、ア メリカの放送業界と同様に日本の放送業界において多くの視点を公平に扱うこと はほぼ不可能である。また、各事業者の公平性をチェックすることが現実的なの か検討の余地は大きい。総務省が公平性の基準について判断を下す時点で、公平

(22)

性の意味が問われなければならない。少なくとも、公共性の高い社会問題に関し て、公平性を求め多くの視点が放送に反映されることを目指すのであれば、日本 における公平性の意味を問い、現行の日本の放送体制を再検討することが求めら れる。

 公平原則の実効性の無さを指摘した上で Hennock が描いた放送の未来像は、

NHK と民間放送という既存の放送事業者を前提としている日本の議論にはない 切り込み方を持つ。彼女は、各放送事業者に公平性の実現を期待するのではなく、

設置目的や運営形態の異なる多様な事業者を育てる体制づくりを目指した。具体 的には、大学などの教育機関が放送に関わることを推進したのである。放送の公 平性を考える上で、Hennock の主張は改めて省みる価値を持っている。

[付記]本稿は、Schlesinger Library Research Support Grants による研究成果 の一部である。

(23)

ABSTRACT

Beyond the Fairness Doctrine: F. Hennock’s Foresight of the U. S. Broadcasting

Koichiro Shigaki

The purpose of this study is to reevaluate the logic behind Frieda Hennock’s opposition to the “fairness doctrine,” and to map her foresight on the emergence of U.S. broadcasting. Notes, letters, papers, and mimeographed speeches during her FCC term (1949-1955) are analyzed here. Particularly, this paper focuses on the reasoning behind her dissent on the controversial broadcasting policy, the fairness doctrine, while examining the thinking underlying her works in the FCC.

Hennock was the first woman appointed in 1948 to the Federal Communications Commission. She undertook an important role in the development of U.S. broadcasting industries and set the groundwork for the development of educational broadcasting. She also tried to improve the gender balance in media industries.

Even though there are previous studies on the fairness doctrine, and her achievements in promoting educational broadcasting are mentioned in every broadcasting history textbook, there are few studies emphasizing Hennock’s dissenting opinion, which appeared in the FCC’s report, In the Matter of Editorializing by Broadcast Licensees. The report implemented the fairness doctrine in 1949. This paper sheds light on Hennock’s broadcasting policy while re-examining the history of the fairness doctrine and its implications for fairness issues in media studies today.

Although Hennock stated that it is crucial that broadcasting licensees present controversial public issues in a fair manner, she dissented on implementing the fairness doctrine because she believed enforcement by the FCC was impossible, considering the available laws at the time. Especially, she opposed the reversal of the Mayflower decision, giving broadcasters the

(24)

freedom to express their own views, as long as opposing views were treated fairly in their broadcasting programs. She argued that attaching the rights of editorialization to broadcasting licenses was “virtually impossible” since there was no effective way of policing fairness at implementation of the fairness doctrine.

Her dissenting opinion was not incorporated into the FCC’s policy regarding the fairness doctrine. However, considering its history from the doctrine’s implementation in 1949 to its removal in 1987, it is significant that her opinion foretold its limitations.

Hennock also had a vision for U.S. broadcasting. She promoted educational broadcasting because she thought that creating non-profit entities as alternatives to commercial broadcasting would lead to a new type of competition and prevent the monopoly of the broadcasting system by a powerful entity. She believed that diversifying the industries by promoting educational broadcasting would eventually reflect diverse views and an even a better democratic society. This foresight on U.S. broadcasting during the 1950’s still resonates today in terms of thinking about fairness issues in the media, and thus merits a closer examination.

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