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中央学術研究所紀要 第38号 095山本佳央「立正佼成会の規則に見る教団の重要事項とその課題」

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1 2 はじめに 立 正 佼 成 会 の 規 則 宗 教 結 社 大 日 本 立 正 交 成 会 規 則 と 大 日 本 立 正 交 成 会 趣 意 書 及 会 則 j ① ② ③ 設 立 年 月 日 に つ い て 教 義 的 な こ と に つ い て 本 尊 に つ い て (2)宗教法人立正交成会定款(昭和23年8月1日施行) ① 教 義 的 な こ と に つ い て ② 主 管 者 の 権 限 (3)立正交成会規則(昭和25年10月1日施行) ① 教 団 と な る こ と ② 聖 と 俗 の 区 分 に つ い て (4)立正交成会教規(昭和27年1月28日施行) ① 教 義 的 な こ と に つ い て ② 整 備 さ れ た 法 構 成 と そ の 現 実 ㈲立正佼成会会規([眉和35年9月22日施行] ① 本 尊 に つ い て ② 本 部 の 変 更 に つ い て ③ 「 妙 、 体 、 振 の 理 念 」 の 削 除 に つ い て ㈲ 立 正 佼 成 会 会 規 ( 平 成 1 0 年 1 月 1 日 施 行 ) ① 本 部 の 変 更 に つ い て ② 主 宰 者 の 権 限 に つ い て 3 。 規 則 の 変 遷 の 概 観 (1)事項別整理 ① ② ③ ① 尊 的 部 本 目 本 教義 (2)重要事項に関する多くの変更 4 . 国 家 の 宗 教 法 の 制 約 と 教 団 運 営 田 総 代 会 決 議 と 「 無 計 画 の 計 画 」 ① 行 学 園 完 成 時 の 挨 拶 ③ 「 無 計 画 の 計 画 」 と 万 全 の 計 画 ③ 宗 教 法 人 令 と 総 代 会 決 議 (2)理事会決議と聖俗分離体制 ① 機 関 紙 誌 等 の 報 道 ② そ の 後 の 公 式 発 表 ③ 宗 教 法 人 法 と 理 事 会 決 議 ④ 沈 黙 の 意 味 ⑤ 聖 俗 分 離 体 制 の 確 立 に つ い て 95

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1 。 は じ め に 立 正 佼 成 会 の 本 部 や 根 本 道 場 に つ い て 考 え 始 め て 1 0 年 以 上 の 歳 月 が 経 過 し た が 、 現 在 で も な お 、 そ の 関 心 か ら 抜 け 出 せ て い な い 。 ま だ 、 十 分 に 究 め 得 た と い う と こ ろ に 到 達 出 来 て い な い が 、 一 応 の 整 理 び で ) 必 要 か ら 題 名 の テ ー マ で ま と め た い 。 森 岡 清 美 ・ 東 京 教 育 大 学 名 誉 教 授 に 次 の 語 が あ る 。 存 続 を 求 め る 組 織 は 、 存 続 の 理 念 的 保 証 を 、 規 則 の 制 定 に よ っ て 、 す な わ ち 組 織 に 内 在 す る 秩 序 を 客 観 化 す る こ と に よ っ て 得 よ う と す る 。 し た が っ て 規 則 は 、 合 理 化 志 向 の 所 産 と い う よ り は 安 定 化 志 向 の 所 産 で あ る 。 制 定 さ れ た 規 則 は 、 組 織 の 内 部 を 規 制 す る も の で あ る か ら 、 組 織 が 追 求 す る 中 心 主 題 と か 組 織 原 理 と い っ た 内 部 秩 序 を 表 現 す る 。 同 時 に 、 規 則 の 主 要 な も の は 、 国 家 の 宗 教 法 の 制 約 を 受 け て 制 定 さ れ る の で 、 国 家 の 法 秩 序 と 教 団 の 法 構 造 を 架 橋 さ せ る 性 格 を も つ 。 そ の 意 味 で 、 教 団 規 則 と 宗 教 法 と の か か わ り は 、 制 度 化 を 考 察 す る 手 が か り と な る 几 この至言からすると、立正佼成会の規則(本稿では、宗憲と位置付けられる教規、 会 規 や 法 人 規 則 等 を 対 象 と す る ) は 、 立 正 佼 成 会 の 追 求 す る 中 心 主 題 や 組 織 原 理 、 す な わ ち 本 稿 で 「 重 要 事 項 」 と 捉 え た 事 項 を 規 定 して い る と 考 え ら れ る 。 そ こ で 規 則 の 中から、特に期を画すると考えられるものを抜き出し、『立正佼成会史』等の記述を参 照しながら重要事項や、その展開等を検討してみたい。 2 。 立 正 佼 成 会 の 規 則 剛 宗 教 結 社 大 日 本 立 正 交 成 会 規 則 と 大 日 本 立 正 交 成 会 趣 意 書 及 会 則 昭和15年4月1日に宗教団体法が施行された。立正交成会は類似宗教団体と類別さ れ地方長官に届出をした。届出したものに宗教結社大日本立正交成会規則Jと大日本立 正交成会趣意書及会則3がある。これは、立正交成会が設立された時期に最も近い規則 である。その関連条項を見てみたい(漢字は新字体にし、片仮名は平仮名に改めた)。 ○宗教結社大日本立正交成会規則(昭和15年4月5日施行)(以下、「宗教結社規則」 と い 引 1 森 岡 清 美 「 新 宗 教 運 動 の 制 度 化 過 程 」 『 中 央 学 術 研 究 所 紀 要 』 第 8 号 中 央 学 術 研 究 所 1 9 7 9 年 、 38頁。 2 宗 教 団 体 法 第 2 3 条 が 届 山 | の 必 要 の あ る 規 則 と して い た 。 3 表 紙 に こ の 題 名 が 、 裏 面 に 内 容 で あ る 「 大 日 本 立 正 交 成 会 趣 意 書 」 「 大 日 本 立 正 交 成 会 綱 領 」 「 大 日 本 立 正 交 成 会 会 則 」 が 印 刷 さ れ て い た 。 9 6

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­ 、 名 称 大日本立正交成会 二、事務所の所在地 東 京 市 中 野 区 神 明 町 参 拾 六 番 地 三 、 教 義 儀 式 及 行 事 に 関 す る 事 項 法 華 経 大 乗 経 典 読 誦 し 御 先 祖 御 供 養 四 、 奉 斎 主 神 安 置 仏 等 の 称 号 曼 陀 羅 及 祖 先 の 過 去 帖 五、組織に関する事項 会員を以て組織す 六 、 財 産 管 理 其 の 他 財 務 に 関 す る 事 項 会 員 を 以 て 管 理 す 収 入 は 一 戸 当 り ー ケ 月 会 費 と して 金 弐 拾 銭 也 を 本 部 に 納 入 す 支 出 は 維 持 費 並 に 会 員 の 慶 弔 費 と し 残 額 は 総 て 郵 便 貯 金 と し 会 計 こ れ を 管 理 す 七 、 代 表 者 及 布 教 者 の 資 格 及 選 定 方 法 本 会 々 則 第 十 三 条 依 り 会 長 指 名 す 但 し 本 会 々 員 と して 三 年 以 上 の 者 に して 品 行 方 正なる者とす 附記として七項目が続くが、そのうち三と四を次にあげる。 三、布教の方法 本 会 は 毎 月 本 部 に 於 て 一 日 + 日 十 五 日 二 十 日 二 十 五 日 の 五 回 を 定 め 先 祖 御 供 養 教 典 読 誦 及 修 養 座 談 会 を 催 し 布 教 す 四 、 布 教 者 の 数 及 信 徒 の 概 数 布 教 者 二 名 信 徒 約 五 百 名 ○大日本立正交成会趣意書(以下、「趣意書」とい引 諸法実相紗に云く 「末法に(して)妙法蓮華経の五字を弘めし「ん」者は男女は嫌うべからず、皆地涌 の 菩 の 出 現 に 非 ずん ば 唱 え 難 き 題 目 な り 、 日 蓮 一 人 ( は じ め は ) 南 無 妙 法 蓮 華 経 と 唱 え し が 二 人 三 人 百 人 と 次 第 に 唱 え 伝 う る な り 。 未 来 も 亦 然 る べ し 。 是 豊 地 涌 の 義 に 非 らず や。 剰 さ え 広 宣 流 布 の 時 は 日 本 一 円 「 同 」 に 南 無 妙 法 蓮 華 経 と 唱 え し 「 ん 」 事 は 大 地 を 的 と す ( る な る べ U 。 と も か くも 法 華 経 に 名 を 立 ( て ) 身 を ま か せ 給 う べ し 「」)、と仰せられた。(『昭和定本日蓮聖人遺文』により()内は加筆、「」内は訂 正しか。) 今 茲 に 本 会 唱 導 の 正 名 法 並 に 先 祖 御 供 養 は 永 久 不 滅 の 一 大 真 理 に して 人 生 運 命 の 根 本 軌 道 で あ る 。 こ れ 皆 社 会 人 類 に 絶 対 平 和 絶 対 幸 福 の 大 安 楽 郷 を 建 て ん が た め の 最 大 方針として左に綱領会則を設く 大 日 本 立 正 交 成 会 長 97

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○大日本立正交成会綱領(以下、「綱領」とい引 一 、 大 日 本 建 国 の 本 義 に 基 き 先 祖 御 供 養 並 に 正 名 法 の 妙 諦 を 以 て 国 民 を 指 導 誘 捺 し 国 家 を 興 隆 し 国 威 を 四 海 に 顕 揚 す 二 、 能 く 衆 生 の 闇 を 滅 し 一 大 戒 壇 建 立 を 完 成 し ー 仏 浄 妙 国 土 の 建 立 億 萬 歳 不 変 の 基 礎 を確立するを以て目的とす 三 、 妙 法 五 大 真 理 正 名 法 並 に 妙 法 の 真 理 を 普 及 徹 底 せ し め 社 会 人 類 の 運 命 を 好 転 し 其 の向上発展を図り国家の充実完成を期す 大 日 本 立 正 交 成 会 ○大日本立正交成会会則(以下、「会則」とい引 第 一 条 本 会 は 大 日 本 立 正 交 成 会 と 称 し 昭 和 十 三 年 四 月 五 日 に 設 立 せ る も の と す 第 二 条 本 会 は 本 会 規 定 の 主 義 綱 領 に 基 き 教 菩 法 仏 所 護 念 の 達 成 を 期 す る を 以 て 目 的とす (略) 第 廿 六 条 本 会 則 は 昭 和 十 四 年 一 月 一 日 よ り 之 を 施 行 す ① 設 立 年 月 日 に つ い て 会則第一条は現在行なわれている創立記念日とは異なっているが、「設立せるものと す」と定めた意味が重要であると考えられる。設立されたばかりであるだけでなく、 届 出 す る こ と か ら 設 立 に 関 与 し た 役 員 た ち が 取 り 決 めて 第 一 条 に し た と 思 わ れ る か ら で あ る 。 ち な み に こ の 届 出 に は 布 教 者 二 名 の 履 歴 書 を 添 えて い た 。 村 山 師 の 履 歴 書 に 「 昭 和 十 三 年 四 月 五 日 大 日 本 立 正 交 成 会 設 立 す 」 、 庭 野 師 の 履 歴 書 に 「 昭 和 拾 参 年 四 月 五 日 大 日 本 立 正 交 成 会 設 立 発 記 人 と な り 総 務 の 任 命 拝 受 す 」 と して い た 。 さ ら に 、 宗 教 法 人 立 正 交 成 会 定 款 の 附 則 第 三 十 三 条 は 「 本 会 は 昭 和 十 三 年 四 月 宗 教 結 社 と して 創立し、昭和二十三年八月一日宗教法人とする」と規定していた。 3月5日は記念式典4月5日に奉納演芸を行なって来たこともあるようだが、大聖 堂 が 完 成 し た 頃 か ら 3 月 5 日 だ け で 行 な わ れて い る 。 設 立 年 月 日 に つ いて 一 つ に 絞 ら ず に 行 な わ れて 来 た こ と に な る が 、 3 月 5 日 に 絞 る 趣 旨 で 規 則 の 変 更 は 行 な わ れて い たのだろうか。 ② 教 義 的 な こ と に つ い て 趣 意 書 は い き な り 「 諸 法 実 相 秒 に 云 く 」 と 始 めて い る が 、 引 用 文 の 「 末 法 に 妙 法 蓮 華経の五字を弘めし者は」は、原文の「……リムめん者は」と意味が大きく異なってい る。また、諸法実相紗の文に続く「本会唱導の正名法並に先祖御供養は永久不滅の一 大 真 理 に して 人 生 運 命 の 根 本 軌 道 で あ る 」 と が っ な が ら な い 。 村 山 会 長 は 大 日 本 弘 祐 会̈の副会長であった5ことを考えると、会長名で書かれた趣意書は諸法実相秒の文に よって「正名法と先祖御供養の一大真理」を権威付けたと考えられる。 次 に 、 趣 意 書 と 綱 領 の 「 先 祖 御 供 養 」 と 会 則 第 2 条 の 「 教 菩 法 仏 所 護 念 の 達 成 」 9 8

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は 霊 友 会 の 影 響 と 指 摘 出 来 そ う だ 。 但 し 、 在 家 の 立 場 で 妙 法 蓮 華 経 に よる 御 先 祖 御 供 養 に た ど り 着 い た 霊 友 会 創 立 者 久 保 角 太 郎 師 の 信 仰 と 比 べ る と 、 こ の 当 時 の 大 日 本 立 正交成会では 霊 友 会 か ら 受 け っ い だ 先 祖 供 養 と 法 華 経 へ の 帰 依 を 、 表 に 掲 げ て 創 立 し た 「 大 日 本 立 正 交 成 会 」 は 、 実 際 に 宗 教 活 動 を っ づ け て 行 く 上 で 、 神 示 と 姓 名 鑑 定 ・ 方 位 と い う も の を 指 針 と す る こ と が 多 か っ た 。 神 示 は 祈 祷 的 な も の に つ な が り 、 姓 名 鑑 定 と 方 位 は 易 占 的 な も の に つ な が っ て お り 、 前 者 は 妙 佼 副 会 長 、 後 者 は 日 敬 会 長 に よ っ て 統 括 さ れ て い た 几 と し て お り 、 法 華 経 に よ る 先 祖 供 養 に 方 便 が 添 え ら れ て い た 点 が 指 摘 で き る 。 ③ 本 尊 に つ い て 帰 依 ・ 礼 拝 の 対 象 で あ る 本 尊 に つ い て 、 創 立 当 時 、 会 員 は 入 会 す る と 日 敬 ・ 妙 佼 に よ る 祀 り 込 み を 受 け た 。 祀 り 込 み と は 総 戒 名 を ご 宝 前 に 納 め る 儀 式 で あ る 。 曼 荼 羅 を 祀 れ る の は 幹 部 だ け で 、 さ ら に 修 行 を 積 ん だ 人 は ご 守 護 神 を 祀 ら れ た 。 し た が っ て 会 員 共 通 の 礼 拝 の 対 象 は 総 戒 名 で あ っ た こ と に な る 。 昭 和 1 5 ( 1 9 4 0 ) 年 に 妙 佼 が 眼 病 に か か り 医 者 か ら 不 治 と 宣 告 さ れ た 。 「 本 尊 の 眼 を 出 し て い な い 」 と の 神 示 で 、 改 め て 神 意 を う か が い 、 本 尊 は 中 央 に 「 南 無 妙 法 蓮 華 経 」 、 そ の 右 に 「 天 壌 無 窮 」 、 左 に 「 異 体 同 心 」 と す る 三 行 形 式 で あ っ た 几 こ れ と は 別 に 村 山 会 長 に ね た と こ ろ を ま と め た 著 述 が あ る 。 そ れ に は 、 本 尊 の 勧 請 は 次 の よ う に な っ て い る 。 交 成 会 に は 御 本 尊 が な い の で 村 山 は 庭 野 に こ の こ と を 注 意 す る と 、 次 の 会 合 に 庭 野 自 筆 の 掛 軸 を か け て い た 。 こ れ は 「 村 山 宅 に 奉 安 さ れ て い た 国 柱 会 笑 定 の 御 本 尊 壇 式 を 真 似 た も の で 、 ( 略 ) し か も 天 壌 無 窮 と 異 体 同 心 の 両 が 右 と 左 を 間 ち が え て 」 い た 。 村 山 は 「 こ れ で は 本 尊 に な ら な い か ら 、 国 柱 会 に 相 談 し た ら ど う か 」 と 注 意 し た が 、 つ い に 彼 は こ れ を 用 い な か っ た 呪 ( 2 ) 宗 教 法 人 立 正 交 成 会 定 款 ( 昭 和 2 3 年 8 月 1 日 施 行 ) 準 則 主 義 の 立 場 を と る 宗 教 法 人 令 に 従 っ て 、 立 正 交 成 会 は 宗 教 法 人 立 正 交 成 会 定 款 ( 以 下 、 「 定 款 」 と す る ) を 定 め て は じ め て 宗 教 法 人 に な っ た 。 4 姓 名 学 者 小 林 晟 高 が 主 宰 す る 団 体 で 五 大 真 理 と し て 掲 げ る 正 名 法 と 、 方 位 作 用 の 理 か ら 人 事 百 般 を 判 断 す る 正 方 律 の 二 つ を 教 え て い た 。 5 鹿 山 照 谷 著 『 立 正 交 成 会 の ゆ く え 』 真 世 界 社 昭 和 2 8 年 、 4 頁 。 6 教 団 史 編 纂 委 員 会 編 集 『 立 正 佼 成 会 史 』 第 一 巻 、 株 式 会 社 佼 成 出 | 版 社 昭 和 5 8 年 、 4 8 6 頁 。 以 下 、 編 者 、 発 行 所 等 を 省 略 し 『 立 正 佼 成 会 史 』 と す る 。 7『立正佼成会史』第一巻、491∼492頁。 8 鹿 山 照 谷 著 『 前 掲 書 』 、 8 頁 。 99

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○ 綱 領 妙 法 蓮 華 経 の 真 理 を 体 し 、 異 体 同 心 を 規 範 と して 民 意 の 向 上 を 図 り 健 全 な る 平 和 社 会の建立を期す 第 一 条 本 会 は 妙 、 体 、 振 の 理 念 を も っ て 民 意 を 善 導 教 化 し 順 廃 せ る 社 会 の 浄 化 を 図 ることを目的とする。 第 二 条 本 会 は 前 条 の 目 的 を 達 成 す る 為 に 次 の 事 業 を 行 う 。 イ 社 会 救 済 事 業 を 行 う 為 に 社 会 部 を 特 設 す る こ と 。 口 社 会 浄 化 を 図 る 為 機 関 紙 を 刊 行 す る こ と 。 ハ 児 童 ( 孤 児 ) の 健 全 な る 育 成 を 図 る 為 託 児 所 並 に 幼 稚 園 の 経 営 を な す こ と 。 ニ 青 年 男 女 の 文 化 向 上 を 図 る 為 修 養 講 習 会 を 開 催 す る こ と 。 ホ 民 衆 の 福 祉 増 進 を 図 る 為 講 演 指 導 普 及 会 を 催 す こ と 。 へ 其 の 他 本 会 に 必 要 な る 諸 事 業 。 ① 教 義 的 な こ と に つ い て 山で見た趣意書や宗教結社規則等とこの定款との相違が大きいと考えられる。 村山は昭和18年3月の日敬・妙佼の警察署への召喚事件で脱会していた呪このこと が日蓮聖人の御遺文や「一大戒壇建立」、「妙法五大真理正名法」等の語が姿を消した こ と に 関 連 付 け ら れ る か も 知 れ な い 。 し か し 、 先 祖 の 御 供 養 と 姓 名 鑑 定 は 続 け ら れて いた。「本会唱導の正名法並に先祖御供養は永久不滅の一大真理にして」とさえ謳って い た 語 が な ぜ 姿 を 消 し か の か 大 き な 疑 問 に な っ て くる 。 翻 っ て 新 し く 登 場 し た キ ー ワードは、「異体同心を規範」と「妙、体、振の理念」の二つをあげることが出来る。 ② 主 管 者 の 権 限 宗 教 法 人 令 は 、 例 え ば 、 代 表 者 の 権 限 に つ いて 住 職 又 は 教 会 主 管 者 は 寺 院 又 は 教 会 を 主 管 し 之 を 代 表 すと い う ふう に 規 定 を 設 け、 代 表 者 に 宗 教 面 お よ び 財 産 的 俗 的 部 面 にわたり全部の主管権・代表権を与えていた已 定 款 で は 、 総 代 は 総 代 会 を 組 織 し 本 会 の 重 要 な 事 項 を 決 議 す る 、 支 部 長 会 は 会 長 の 諮 問 事 項 を 決 議 す る と 定 めて い た け れ ど も 、 実 態 に お いて 総 代 会 は 上 意 下 達 の 指 導 説 明 会 に と ど ま り 、 支 部 長 会 も 指 導 を う ける 場 と い う 性 格 が 強 か っ た 。 ま た 、 会 長 ・ 副 会長の指導は信仰面と会務面の聖俗両面にわたっていがl)と記述されている。 (3)立正交成会規則(昭和25年10月1日施行) 定款で宗教法人となった立正交成会は単立教会であったが、その後も会員が激増し 支部も増加したことから包括的な教団となった。都道府県知事所轄である単立教会よ 9 1 0 1 1 『立正佼成会史』第二巻、37頁。 長 谷 山 正 観 著 『 宗 教 法 概 論 』 有 信 堂 昭 和 3 1 年 、 2 0 6 頁 。 『立正佼成会史』第二巻、39頁。 100

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り文部大臣(当時、以刊司じ。)所轄である教団の方が、宗教団体としては一段上とみ な さ れ る と 考 え た こ と が 教 団 と な る 必 要 性 の 一 つ で あ っ た と さ れて い る 呪 第 1 条 本 教 団 は 立 正 交 成 会 と 呼 ぶ 。 第 2 条 本 教 団 の 事 務 所 は 東 京 都 杉 並 区 に 置 く 。 第 3 条 本 教 団 は 釈 尊 出 世 の 本 懐 で あ る 妙 法 蓮 華 経 の 真 理 を 体 し 、 妙 ・ 体 ・ 振 の 理 念 に 基 き 異 体 同 心 を 規 範 と して 民 意 を 教 化 善 導 し 、 信 仰 を 基 盤 と す る 平 和 社 会 を 建立することを目的とする。 第 4 条 本 教 団 の 主 管 者 は 二 名 と して こ れ を そ れ ぞ れ 会 長 、 副 会 長 と い う 。 第 5 条 主 管 者 は 本 規 則 に 基 き 本 教 団 を 主 管 し 、 各 々 こ れ を 代 表 す る 。 ① 教 団 と な る こ と 教団となるために、単立教会であった立正交成会を本部教会と名称を変更し、また、 道 場 を 建 設 し た ば か り の 城 支 部 を 教 会 と す る こ と で、 こ の 二 つ の 法 人 教 会 が 所 属 す る 立 正 交 成 会 と い う 教 団 を 新 し く 設 立 して 文 部 大 臣 に 届 け 出 だ と 考 え ら れ る 。 と こ ろで、 宗 教 団 体 の 格 を 上 げ る こ と が 教 団 と な る 必 要 性 の 一 つ で あ っ た こ と は 、 現 実 に は ど の よ う に 現 わ れて い る だ ろ う か 。 立 正 交 成 会 の 規 則 に の 項 で、 以 下 「 教 団 規 則 」 と い う ) と 本 部 教 会 の 規 則 に の 項 で、 以 下 「 本 部 教 会 規 則 」 と い う ) と で 確認してみたい。 例 え ば 、 本 部 教 会 規 則 は 「 本 教 会 の 主 管 者 は 本 教 団 の 主 管 者 と し 、 会 長 、 副 会 長 と 云 う 」 ( 第 5 条 ) と 定 めて い た 。 教 団 の 主 管 者 と 本 部 教 会 の 主 管 者 が 同 じ で あ る 。 ま た 、 本 部 教 会 は 所 期 の 目 的 を 達 成 す る 事 業 と して、 保 育 所 の 経 営 、 診 療 所 及 び 公 衆 図 書館の経営、機関誌『交成』の発行等七項目の事業をあげていた(本部教会規則第29 条)。ところが、教団規則第38条も同じ七項目の事業を定めていた。教団である立正交 成会と所属する本部教会とを設ける現実の必?2き|生はどこにあったのか、と思えるので ある。 ② 聖 と 俗 の 区 分 に つ い て 本 部 教 会 は 立 正 交 成 会 を 名 称 変 更 し た 教 会 で あ っ た け れ ど 乱 役 員 の 中 か ら 本 部 教 会 の 教 会 長 を 任 命 す る な り 、 伝 統 的 仏 教 教 団 が して い る よ う に 、 会 長 ・ 副 会 長 が 本 部 教 会 の 教 会 長 に 就 任 す れ ば 、 教 団 と 本 部 教 会 と い う 二 つ の 宗 教 団 体 は よ り 明 確 に 分 化 されていたことだろケI 12『立正佼成会史』第二巻、45頁。 1 3 拙 論 「 立 正 佼 成 会 会 規 ・ 規 則 等 に 見 ら れ る 『 根 本 道 場 』 の 意 義 と そ の 変 遷 」 『 中 央 学 術 研 究 所 紀要』第26号平成9年、182∼183頁。 1 4 「 す な わ ち 『 教 団 化 』 の 過 程 に は 、 機 構 が 重 層 化 し た の を 法 的 に 表 現 し た 面 も あ る が 、 法 的 に 重 層 機 構 と す る た め に 実 質 整 備 を 急 い だ と い う 面 が 、 よ り 多 く 目 に っ く 」 ( 『 立 正 佼 成 会 史 』 第 二 巻 、 45頁)。 101

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本部教会の教会長については、「幹部」で構成されていた総代会と支部長会が「指導 をうける場」であったことから、他の役員を教会長に任命することは、想定外であっ ただろうし、副会長が特別な存在(具体的には後にふれる。)と考えられていたことか ら、教会長とすることが出来ずに会長、副会長のままで本部教会の主管者と規定した と 考 え ら れ る 。 こ の こ と が 本 部 教 会 と 教 団 と の 分 化 さ れて い な い 状 態 を 不 問 に し 、 そ の 状 態 を 継 続 す る こ と に 繋 が っ た と 考 え ら れ る 。 妙 佼 副 会 長 の 遷 化 後 も 、 な お 、 本 部 教会の後身である東京教会にその未分化状態は引きっがれ、平成10年6月、教団に吸 収 合 併 さ れ 宗 教 法 人 「 立 正 佼 成 会 東 京 教 会 」 の 解 散 届 け を 出 して、 よ う や く 未 分 化 状 態を脱した。しかし、未分化状態から生じた残滓はあると考える。 こうして、「礼拝の施設」である本部教会の主宰者(聖なる部面)が空白で、また、 本部教会の運営や財務という俗的面でも空白状態9という、聖と俗の区分があいまいな 状態で来ていたと思われる。本部教会の修養道尨万(l町こは、もちろん崇高で敬 な雰囲気 は漂っていただろうが、教団の本部事務機構の業務は管理的に遂行されただろうから 宗教団体らしさが希薄になったことは否めないだろう。 (4)立正交成会教規㈲ほ口27年1月28日施行)(以下、「教規」とい引 昭和26年4月3日、宗教法人令に変わって宗教法人法が施行された。宗教法人法は 宗教面には関与せず、俗的な法人規則について認証することになったので、「教規は世 俗的側面に限られた法人規則では盛り込みえない宗教面の規定を掲げている勺。 (伝統) 第 1 条 立 正 交 成 会 は 久 遠 実 成 本 師 釈 牟 尼 仏 出 世 の 本 懐 で あ る 法 華 経 を 末 法 に 弘 通 す る こ とを 付 嘱 さ れ た 本 化 上 行 菩 の 応 現 日 蓮 聖 人 が 開 創 唱 導 さ れ た 真 実 の 仏 法を開聞する仏教正統の宗教団体である。 (教義) 第 2 条 立 正 交 成 会 は 法 華 三 部 経 を 所 依 の 経 典 と し 、 日 蓮 聖 人 の 教 旨 を 奉 じ 、 大 曼 陀 羅を奉祀し、相、性、体の如是原理に基く因縁因果の実相を認識せしめ、生、 死 、 業 、 報 の 現 わ れ る 根 源 は 六 道 の 迷 妄 に 在 る こ とを 悟 ら せる と と も に 、 懺 悔 精 進 を 重 ねて 仏 知 見 を 開 き 、 た ゆ み な き 菩 行 の 実 践 を 以 って 生 活 の 基 盤 と す る。 (本願) 第 3 条 本 会 は 釈 尊 出 世 の 本 懐 で あ る 妙 法 蓮 華 経 の 真 理 を 体 し 、 妙 、 体 、 振 の 理 念 に 基き、異体同心を規範として民意を教化善導し、信仰を基盤とする平和社会を 1 5 こ れ が 、 後 に 触 れ る 昭 和 2 8 年 1 1 月 に 本 部 教 会 の 総 代 会 は 法 人 運 営 に か か る 一 切 の 議 決 権 限 を 教 団 に 委 任 す る こ と に つ な が っ て い く と 考 え ら れ る 。 1 6 現 在 の 「 発 祥 の 地 修 養 道 場 」 で あ る 。 17『立正佼成会史』第二巻、49頁。 102

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建立することを本願とする。 (略) (布教) 第 6 条 本 会 の 布 教 は 一 天 四 海 皆 帰 妙 法 の 達 成 を 目 的 と して 全 会 員 が こ れ を 行 な わ な ければならない。 (略) (本部) 第 8 条 本 教 団 発 祥 の 根 本 道 場 た る 立 正 交 成 会 本 部 教 会 を 本 部 と して 信 仰 の 中 心 と す る。 (支部教会) 第 9 条 立 正 交 成 会 本 部 教 会 は こ の 教 団 の 本 部 で あ っ て 支 部 教 会 及 び すべ て の 信 者 に よ っ て 永 遠 護 持 さ れ る 。 ( 以 下 、 略 ) ① 教 義 的 な こ と に つ い て 日蓮宗宗憲では、 (伝統) 第 一 条 日 蓮 宗 は 、 久 遠 実 成 本 師 釈 牟 尼 仏 か ら 、 そ の J 本 懐 で あ る 法 華 経 を 、 末 法 に 弘 通 す る こ とを 付 嘱 さ れ た 、 本 化 上 行 菩 の 応 現 日 蓮 聖 人 が 開 創 唱 導 し た 真 実 の仏法を開顕する仏教正統の宗団である擲と定める。 文言の酷似が指摘されるかも知れない。それは、庭野会長に、 私 は 常 に 本 会 は 「 釈 教 」 で あ る と 中 して お り ま す け れ ど も 、 社 会 か ら は 日 蓮 宗 の 所 属 教 団 で あ る か の 如 く 誤 解 さ れて お り ま す。 然 し 本 会 は 現 在 の 日 蓮 宗 の 宗 旨 と は 全 く 趣 旨 を 異 に して い る も の で あ り ま して、 宗 教 法 人 立 正 交 成 会 と して 全 然 独 立 し た 教 団 を 形 成 して い る の で あ り ま す ‰ と い う 発 言 が あ る 。 こ の 法 話 は 、 「 日 蓮 聖 人 程 、 教 主 釈 尊 を 尊 崇 さ れ た 方 は な い 」 と の 視 点 か ら 「 釈 尊 に 帰 れ 」 と い う 提 唱 を し て い た も の だ が 、 教 規 第 1 条 は 誤 解 を 招 く の で は な い か と い う 危 惧 を 抱 か せ る 。 同様のj4lj具は次にも挙げられる。(1)で見た会則第2条には「教菩 法仏所護念の達 成 を 期 す る を 以 て 目 的 と す 」 と あ っ た 。 教 規 は 第 2 条 で 「 日 蓮 聖 人 の 教 旨 を 奉 じ 、 大 曼 陀 羅 を 奉 祀 し 」 、 第 6 条 で 「 一 天 四 海 皆 帰 妙 法 の 達 成 を 目 的 と し て 」 と す る 。 「 教 菩 法 仏 所 護 念 の 達 成 」 は 霊 友 会 で 行 な わ れ て い る 教 説 の 最 も 重 要 な も の の 一 つ 18「宗制・宗憲(日蓮系・その他)改訂増補(2)」『愛知学院大学宗教法制研究所紀要』第42号愛 知学院大学宗教法制研究所1990年、2頁。 19庭野日敬「新大乗仏教運動の提唱」『交成』昭和29年9月号、9頁。 103

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で あ る 。 庭 野 会 長 は 独 立 し た 宗 教 法 人 と は 言 う の だ が 、 教 規 の 条 項 を 例 証 の 一 っ と し て、霊友会の教義的なものから[ヨ蓮宗の教義的なものへの軸足の移行があるのではな いかと指摘されるかも知れないのである。 ② 整 備 さ れ た 法 構 成 と そ の 現 実 「根本道場」「本部」「イ割印の中心」という文言を用いて本部教会を特別の位置づけに し 法 構 成 を 整 え た 呪 し か し 、 教 団 に し た 必 要 性 が 漠 然 と して いて 教 団 と 本 部 教 会 が 分 化されていない状態であった。さらに、昭和28年11月には「本部教会の総代会は、法 人 の 運 営 に か か る 一 切 の 議 決 権 限 を 教 団 に 委 任 す る こ とを 決 定 し た 帽 こ と で 俗 的 側 面 に わ た って も 、 本 部 教 会 は 機 能 して い な い 存 在 と な って い た 。 こ れ が 本 部 教 会 の 現 実 であった。 ㈲ 立 正 佼 成 会 会 規 ( 昭 和 3 5 年 9 月 2 2 日 施 行 ) に の ( 5 ) で、 以 下 「 会 規 」 と い 引 昭和32年9月10日に長沼副会長が遷化された後、ブロヽック制が実施された。その大 変革の目指すところは、教規を大きく変更して会規と法人規則に明記された。 第 1 条 立 正 佼 成 会 は 、 久 遠 実 成 大 恩 教 主 釈 牟 尼 仏 を 本 尊 と す る 。 2 日 蓮 聖 人 図 顕 の 大 曼 荼 羅 を も 奉 祀 す る 。 第 2 条 立 正 佼 成 会 は 、 法 華 三 部 経 を 所 依 の 経 典 と す る 。 第 3 条 立 正 佼 成 会 は 、 法 華 経 を 信 解 し 、 菩 道 を 実 践 せ し め る こ とを 本 義 と す る 。 第 4 条 立 正 佼 成 会 は 、 人 格 完 成 を 期 せ し め る と 共 に 、 家 庭 、 社 会 、 国 家 、 世 界 を 平 和境とすることを目的とする。 第 5 条 立 正 佼 成 会 は 、 生 々 世 々 に わ たる 菩 道 の 修 行 に 邁 進 して、 仏 身 成 就 せ し め 。 涅槃の境地を獲得することを誓願せしめる。 (略) 第 1 9 条 立 正 佼 成 会 本 部 ( 以 下 、 「 本 部 」 と い う ) は 、 信 仰 の 中 心 で あ り 、 教 化 活 動 の発する本源である。 第20条本部は、東京都杉並区和田本町にある大聖堂に置く。 第 2 1 条 本 部 に は 、 久 遠 実 成 大 恩 教 主 釈 牟 尼 仏 の 尊 像 を 、 本 部 周 辺 の 施 設 に は 、 久 遠実成大恩教主釈 牟尼仏の尊 並びに大曼荼羅を奉祀する。 ① 本 尊 に つ い て この会規で現在の本尊が明記された。 ( 略 ) 昭 和 三 十 三 年 一 月 を 迎 え た 佼 成 会 は 、 新 し い 時 代 を 迎 え た 。 そ の 新 し い 時 代 を 「 真 実 顕 現 」 の 時 代 と 呼 ん で い る 。 真 実 顕 現 と は 何 を 意 味 し た か 。 結 論 を 先 に 20 21 『立正佼成会史』第二巻、45頁。 『立正佼成会史』第二巻、67頁。 104

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い え ば 、 佼 成 会 の 真 実 の 本 尊 観 を 中 外 に 宣 言 し た こ とを 意 味 す る の で あ る 。 久 遠 実 成 釈 牟 尼 世 尊 が 本 尊 と 公 表 さ れ た の で あ る 。 真 実 の 本 尊 が 宣 言 さ れ た 昭 和 三 十三年一月からの佼成会の歴史のあゆみを「真実顕現」、すなわち「真実本尊顕現 の 時 代 」 と 考 え た い 。 そ れ に 比 べ て 昭 和 十 三 年 か ら 昭 和 三 十 二 年 い っ ぱ い の 時 代 を 、 わ れ わ れ は 「 方 便 本 尊 の 時 代 」 と 呼 ぶ こ と に す る 。 本 尊 が 仮 の 方 便 の 本 尊 の 時 代 で あ っ た か らで あ る と 述 べ ら れて い る 。 昭 和 3 3 年 1 月 か ら 、 と い う こ と は 『 交 成 新 聞 』 の 昭 和 3 3 年 1 月 5 日 号 に 「 真 実 顕 現 の 年 を 迎 え て 」 と し て 庭 野 会 長 の [ 宣 言 ] が 掲 載 さ れ て い る こ と を 指 す と 思 わ れ る 。 そ こ に は 、 ア。 昭 和 2 0 年 1 0 月 1 3 剛 こ 既 に 妙 佼 先 生 の 御 体 を 通 じ て 、 本 会 の 御 本 尊 は 、 久 遠 実 成 大 ほ 教 主 釈 牟 尼 世 尊 ( 本 門 の 教 主 釈 尊 = 本 仏 ) で な け れ ば な ら な い と 明 示 さ れ て い た ‰ し か し 、 イ 。 今 日 ま で 大 曼 荼 羅 を 奉 安 し た り 、 文 部 省 や 東 京 都 へ の 届 出 に 曼 荼 羅 を も っ て 本 尊 と す る と 申 告 し て い た 理 由 は 、 昨 年 ま で の 2 0 年 間 は 真 実 発 表 に い た る ま で の 準 備 期 間 で あ っ た と 理 解 さ れ る 、 と 会 長 宣 言 の 趣 旨 を 要 約 出 来 る だ ろ う 。 会 規 第 1 条 第 2 項 規 定 の 大 曼 荼 羅 ̈ は 、 昭 和 4 3 年 1 月 1 日 の 改 正 で 削 除 さ れ た 。 ② 本 部 の 変 更 に つ い て こ の 会 規 で は 、 従 来 の 導 き の 系 統 に 基 づ い た 支 部 の 体 制 か ら 、 地 域 別 に 同 信 者 を 集 め て 編 成 し な お し た 地 域 別 支 部 の 体 制 に 変 更 さ れ た 。 ち な み に 霊 友 会 で は 、 小 谷 喜 美 会 長 の 夫 で あ る 小 谷 安 吉 師 か ら 、 こ の 「 地 域 別 支 部 の 体 制 」 と は 全 く 異 な る 考 え を 、 石 黒 日 出 二 氏 が 昭 和 4 年 9 月 頃 に 聞 い た と 伝 え ら れ 、 そ れ が 守 ら れ て い る ま た 、 特 別 の 教 会 だ っ た 本 部 教 会 を 東 京 教 会 と い う 他 の 地 域 に 設 け た 教 会 と 同 格 の 教 会 に 変 更 し て 、 本 部 教 会 に あ っ た 本 部 を 二 号 宗 教 法 人 で あ る 立 正 佼 成 会 に 移 し て い た 。 オ ヤ コ の タ テ の 系 統 を 重 視 す る 考 え 方 か ら 、 支 部 と い う ヨ コ の 連 帯 吐 を 重 視 す る 考 え 方 へ と 移 行 し よ う と し て い た と 考 え ら れ る 。 22『立正佼成会史』第一巻、271頁。 2 3 本 尊 の 啓 示 に 触 れ た 論 著 と し て 、 高 橋 是 人 著 『 庭 野 日 敬 氏 を 総 括 す る 』 政 界 公 論 社 昭 和 4 7 年 、 1 4 4 頁 、 ま た 、 庭 野 日 敬 「 新 大 乗 仏 教 運 動 の 提 唱 」 『 交 成 』 昭 和 2 9 年 9 月 号 、 9 頁 が あ る 。 2 4 大 曼 荼 羅 に 関 す る 論 考 と し て 、 高 橋 智 経 「 庭 野 日 敬 著 [ 本 尊 観 の 確 立 の た め に ] を 批 判 す る 」 (『中外日報』平成6年11月5日号、11頁)がある。 2 5 「 ( 略 ) 々 時 も 来 ま し た の で 多 く の 会 員 が 集 っ て 各 方 面 に 支 部 が 出 来 る か も 知 れ ま せ ん が 、 其 の 時 は 、 た と え ば 神 田 な ら 神 田 に 多 く の 会 員 が 出 来 て も 、 そ の 会 員 の 系 統 を 一 組 と し て 、 地 域 的 に 集 合 し た 『 神 田 支 部 』 と い う も の を 建 設 す る こ と は 危 険 で す よ 。 必 ず そ の 時 に は 、 同 じ 地 域 内 に あ っ て も 系 統 が 別 で あ れ ば 夫 々 系 統 互 に 一 組 作 る よ う に し て 下 さ い 。 そ れ は 、 一 々 皆 因 縁 が 違 う の で 、 若 し そ れ を 一 つ に す る と 必 ず 衝 突 が 起 り 霊 友 会 を 破 滅 に 招 く 恐 れ が あ り ま す 。 で す か ら 同 じ 因 縁 の 間 柄 で 別 々 に 和 合 を 計 っ て 下 さ い 」 ( 霊 友 会 史 編 纂 委 員 会 編 『 霊 友 会 史 [ 一 ] 』 下 巻 霊友会、平成8年、263頁)。 105

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なお、教団を実質的基盤のあるものにするために、昭和27年6月14日の規則変更で、 会 費 ・ 寄 附 金 等 で 構 成 さ れて い た 教 団 の 財 産 に つ いて、 土 地 ・ 建 物 等 の 不 動 産 を 所 有 で き る よ う に して い た こ こ か ら 「 教 団 な り 」 と 「 教 団 に 本 部 を 置 く 構 想 」 は か な り 以前から持たれていたことが推測される。 ③ 「 妙 、 体 、 振 の 理 念 」 の 削 除 に つ いて この会規は、教規の第1条「伝統」の条項や日蓮聖人の教旨を奉じる等の文言はな くして日蓮宗の一派であるような印象を払拭し、また、「妙、体、振の理念」を削除し た。 昭和28年9月12日、読売ホールで「迷信打破大講演会」が開催された。立正交成会 教学研究所の鴨宮成介所長(当時)が[国柱会の迷信打破大講演会に寄せて]という 論考を『中外日報』に寄稿したが、それは同年10月2日から10回にわたって連載され、 それに対する論文も掲載されて論戦が展開されていた。 こ の 中 に 、 鴨 宮 所 長 が 「 熟 益 正 法 」 な る 語 を 用 い た こ と に つ いて 一 読 者 が 抗 議 して 「おそらく鴨宮氏は国柱会から、日蓮教学と無関係なりと指弾されたことに対し、従来 唱えきた妙身体の教義では女口何にも弱体を露呈することなので偶々熟益正法に便乗し 来 た っ た と 見 る の は 果 た して 思 い 過 ご しで あ ろ う か 」 と 投 稿 して い た ‰ 「 妙 身 体 の 教 義」としているが、「妙、体、振」の誤用と思われる。他の教団人の「妙、体、振の理 念」理解の一端と考えられる。 ㈲ 立 正 佼 成 会 会 規 ( 平 成 1 0 年 1 月 1 日 施 行 ) 先の立正佼成会会規は、昭和35年9月の施行から40年近い歳月を経たため、現実と の間に多くの題賠があり、それを解決するためにこの立正佼成会会規が制定された。 (所在地) 第10条本会は、本部を東京都杉並区に置く。 (礼拝修行の施設) 第11条本部には、大聖堂その他の礼拝修行の施設を設ける。 (信仰の中心) 第 1 2 条 大 聖 堂 は 、 信 仰 の 中 心 で あ り 、 教 化 活 動 の 発 す る 本 源 及 び 正 法 興 隆 の 根 本 道 場である。 (本尊の奉祀) 第13条大聖堂には、本尊の尊像を奉祀する。(以下、略) 26『立正佼成会史』第二巻、49頁。 27孝道教団信徒古屋義雄「鴨宮氏に抗議『熟益正法』利用について」『中外日報』昭和28年10月 15日。 106

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① 本 部 の 変 更 に つ い て 昭 和 3 5 年 9 月 施 行 の 会 規 ( 以 下 、 目 [ ヨ 会 規 ] と い う ) は 、 立 正 佼 成 会 本 部 を 大 聖 堂 に 置 く 、 本 部 は 信 仰 の 中 心 で あ り 、 教 化 活 動 の 発 す る 本 源 で あ る と 定 め て い た 。 こ の 平 成 1 0 年 1 月 施 行 の 会 規 ( 以 下 、 「 現 行 会 規 」 と い 引 は 、 杉 並 区 和 田 に 本 部 を 置 き 、 本 部 に 大 聖 堂 そ の 他 の 礼 拝 修 行 の 施 設 を 設 け る と 定 め 、 さ ら に 大 聖 堂 は 本 会 の 信 仰 の 中 心 で あ り 、 根 本 道 場 で あ る と し た 。 同 じ 文 言 が 使 わ れ て い る が 、 本 部 の 内 容 は 大 き く 変 え ら れ て い る 。 そ れ は 、 本 部 の 現 実 的 な 機 能 や 実 体 が 明 確 に さ れ な い ま ま に 来 て い た こ と で も あ る 。 ② 主 宰 者 の 権 限 に つ い て 本 部 の 規 定 が 異 な っ た と は い え 、 両 会 規 は 共 に 根 本 道 場 の 主 宰 者 を 明 記 し て い な い 。 教 庁 に つ い て 、 現 行 会 規 は 「 教 庁 は 、 理 事 長 の 指 揮 監 督 の も と に 事 務 を 統 括 し 、 会 務 を 処 理 す る 」 ( 第 4 1 条 ) と 定 め る 。 ま た 、 「 教 会 は 本 会 の 目 的 を 達 成 す る た め 、 本 会 の 教 義 を ひ ろ め 、 儀 式 行 事 を 行 い 、 会 員 を 教 化 育 成 す る と と も に 、 諸 宗 教 者 間 の 協 力 及 び 地 域 社 会 の 浄 化 を 促 進 し 、 並 び に そ の 他 必 要 な 諸 活 動 を 行 う 」 ( 第 2 5 条 第 3 項 ) 、 「 教 会 長 は 、 会 長 の 教 示 を 受 け 、 本 部 の 令 達 及 び 教 区 長 の 助 言 指 導 の も と に 、 菩 道 の 垂 範 者 と し て 、 教 会 を 代 表 し 、 そ の 教 化 活 動 を 統 括 し 、 会 員 を 教 化 育 成 す る 」 ( 第 2 8 条 第 3 項 ) と 詳 細 に 規 定 し て い る 。 そ れ ら の 規 定 を 導 き 出 す 側 で あ る 大 聖 堂 の 具 体 的 な 機 能 が 役 務 と 関 連 付 け て 規 定 さ れ て い な い 、 つ ま り 、 「 教 化 活 動 の 発 す る 本 源 」 と さ れ な が ら 、 大 聖 堂 で の 会 長 等 の 役 員 の 権 能 が 具 体 的 な 規 定 で 関 連 付 け ら れ て い な い の で あ る 。 で な け れ ば 、 会 長 と 教 会 長 と の 役 割 は 大 き く 異 な っ た 種 類 の も の と 考 え ね ば な ら な く な る 。 こ れ は 、 本 部 教 会 の 活 動 を 空 白 に し て い た こ と 、 ま た 、 本 部 教 会 の 教 会 長 を 任 命 せ ず 会 長 、 副 会 長 の ま ま で 主 管 者 に し て い た こ と と 無 関 係 で は な い だ ろ う 。 教 規 の 施 行 さ れ た と き か ら 現 在 ま で に は 、 優 に 半 世 紀 を 越 す 歳 月 を 閲 す る が 、 根 本 道 場 等 の 文 言 を 使 っ て 法 構 成 を 整 備 し た け れ ど も 、 単 に 宣 言 を し た だ け と い う 内 容 に 終 わ っ て い る と も 考 え ら れ る 。 3 。 規 則 の 変 遷 の 概 観 規 則 で 定 め る 立 正 佼 成 会 の 重 要 事 項 に 関 係 す る と 思 わ れ る 規 定 を 概 観 して 来 た 。 次 に事項別に整理してみよう。 (1)事項別整理 ① 本 尊 創 立 当 初 の ご 宝 前 で は 、 霊 友 会 の 会 員 で あ っ た 当 時 か ら 祀 って い た 「 お 曼 荼 羅 」 と 「 毘 沙 門 天 王 」 を ご 守 護 神 と して い た こ 宗 教 結 社 の 届 出 を し た 規 則 で は 「 曼 陀 羅 及 び 祖先の過去帖」であった。その後、「み旗の形式をかりて勧請した尹。規則には規定さ 107

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れなかったが、昭和20年10月13日に久遠実成大恩、教主釈 牟尼世尊を本尊とせよとの 啓示により「ご尊 」の形式で勧請゛しか。教規では「大曼陀羅を奉祀」し、旧会規で は「久遠実成大恩教主釈 牟尼仏」と「大曼荼羅も奉祀」する形式にし、昭和43年1 月の改正で、「久遠実成大恩教主釈 牟尼仏」だけになり、現行会規に引き継がれてい る。 ② 目 的 戦 前 の 大 日 本 立 正 交 成 会 綱 領 の 三 項 目 を 要 約 して 「 先 祖 御 供 養 並 に 正 名 法 を 以 て 国 民を指導」、会則では「教菩 法仏所護念の達成」を目的としていた。終戦直後の定款 で は 「 社 会 の 浄 化 を 図 る こ とを 目 的 」 と し た 。 教 規 で は 「 民 意 を 教 化 善 導 し 、 信 仰 を 基 盤 と す る 平 和 社 会 を 建 立 す る こ とを 本 願 」 と して い た 。 旧 会 規 は 教 団 の 目 的 と して 「人格完成を期せしめると共に、家庭、社会、国家、世界を平和境にする」と定め、教 会と支部の目的は「祭儀を行ない、教義を宣布し、会員を教化育成する」としていた。 教 団 の 目 的 に 会 員 綱 領 の 精 神 を 掲 げ、 教 会 と 支 部 の 目 的 に 宗 教 法 人 法 の 定 め る 宗 教 団 体の目的の三要件3悟掲げたものと思われる。現行会規も教団と教会の目的についてそ の形態を踏襲している‰ ③ 本 部 会則は本部を「東京市中野区神明町36番地庭野方に置く」とし、「大日本立正交成会 本部」と称した。定款では本部の規定はなく、事務所を「東京都杉並区和田本町709番 地 に 置 く 」 と して い た 。 教 規 に な る と 、 礼 拝 の 施 設 を 備 える 本 部 教 会 を 教 団 の 本 部 と 定 め 、 旧 会 規 で は 大 聖 堂 を 教 団 の 礼 拝 の 施 設 と し 本 部 を 大 聖 堂 に 置 く と し た 。 現 行 会 規 で は 、 本 部 を 杉 並 区 和 田 に 置 く と して、 本 部 に は 大 聖 堂 そ の 他 の 礼 拝 修 行 の 施 設 を 設けると改めた。 ④ 教 義 ゛ 戦前の宗教結社規則では、「法華経大乗経典読誦し御先祖御供養」と掲げ、趣意書で は正名法と先祖供養を永久不滅の一大真理としていた。定款では「妙法蓮華経の真理」、 「妙、体、振の理念」をあげていた。教規では「法華三部経を所依の経典とし、日蓮聖 人の教旨を奉じ」、「妙、体、振の理念に基づき、異体同心を規範として」等をあげて いた。旧会規では「法華三部経を所依の経典とする」、「菩 道の修行に邁進する」等 2 8 『 立 正 佼 成 会 に お け る 本 尊 勧 請 の 経 緯 と そ の 意 義 』 立 正 佼 成 会 布 教 本 部 昭 和 4 3 年 3 月 、 2 8 頁 。 29『前掲書』、29頁。 30『前掲書』、36頁。 3 1 教 義 を ひ ろ め 、 儀 式 行 事 を 行 い 、 信 者 を 教 化 育 成 す る ( 宗 教 法 人 法 第 2 条 ) 。 3 2 大 聖 堂 は 教 団 の 礼 拝 の 施 設 で あ る の に 教 団 の 目 的 と し て そ の 三 要 件 が 掲 げ ら れ て い な い 。 こ れ は 、 本 部 教 会 が 現 実 の 場 で 三 要 件 を 満 足 す る 宗 教 活 動 を 行 な っ て 来 な か っ た 形 態 を と ど め て い る と見ることが出I来よう。 3 3 教 義 そ の も の で は な い が 、 関 連 す る と 考 え ら れ る も の を あ げ る 。 108

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109 現 在 の 「 発 祥 の 地 修 養 道 場 」 の こ と 。 昭和24(1949)年1月28日であった。 (略)終戦後の昭和23年に建築の手配を得て、先ほど建設委員長の報告がありまし たように現在の本ly附が建ちまして、これなら大丈夫だろうと建てましたのが、落 成式の日 こはもう信者が中に納まらない、そういう状態を続けてまいりました。 こ の 行 学 園 一 つ ま り 図 書 館 や 男 女 青 年 及 び 中 間 幹 部 の 教 養 設 備 ( 略 ) を 早 く 持 ち た い と い う こ と だ け は 、 只 今 申 上 げ ま し た 無 計 画 の 中 に も か ねて よ り 常 に 私 の 念頭をはなれることの出来ない問題だったのでございます。(略) 23年に本部道場を建てた時にこの次は図書館を建てたいということを申しまし た と こ ろ 「 図 書 館 を 建 て る こ と よ り も 幼 い 子 供 た ち の 教 育 の ほ う が 大 切 で は な い か 」 と い う 意 見 が 現 在 の 神 戸 支 部 長 で あ る 当 時 の 佐 野 総 務 か ら 出 ま して、 皆 さ ん に は か り ま し た 結 果 矢 張 り そ の ほ う が 必 要 だ と い う こ と に な り 、 保 育 施 設 と して 交成育子園を建てまして、現在では170名許りお預りして居ります。 を あ げ て い た 。 現 行 会 規 は 教 義 と し て 一 条 を 設 け 、 「 本 会 の 教 義 は 、 法 華 三 部 経 の 本 義 を も っ て し 、 開 祖 の 法 話 そ の 他 の 垂 範 を よ り ど こ ろ と す る 」 と 定 め て い る 。 ( 2 ) 重 要 事 項 に 関 す る 多 く の 変 更 立 正 佼 成 会 の 7 0 年 を 越 え る 歴 史 の 中 で の 規 則 の 変 遷 を 概 観 し た の だ が 、 重 要 事 項 に 多 く の 大 き な 変 更 の 手 が 加 え ら れ て い た 。 そ の よ う な 歴 史 を 回 顧 す る と 、 立 正 佼 成 会 の 将 来 の あ る 時 期 に 大 問 題 に 直 面 し た と き 、 歴 史 か ら 学 ぶ と す れ ば 、 果 た し て ど の 時 点 の 規 則 に 戻 れ ば よ い の か 、 と 戸 惑 い を 感 じ る 。 こ れ ら の 変 更 の 多 く は 一 般 会 員 へ 公 表 さ れ て い な か っ た よ う だ が 、 会 員 や 信 者 に ど の よ う な 影 響 を 与 え て い た だ ろ う か と 無 関 心 で は い ら れ な い 。 ま た 、 教 団 に 与 え た 影 響 も 考 察 す る 必 要 が あ る だ ろ う 。 そ れ に し て も 教 団 の 規 模 が 大 き い と さ れ な が ら 、 こ の よ う な 変 更 が な ぜ 可 能 だ っ た の か 。 規 則 に し た が っ た 教 団 運 営 と い う 考 え で 運 営 が 行 な わ れ て き た の だ ろ う か 。 4 。 国 家 の 宗 教 法 の 制 約 と 教 団 運 営 『交成』と『佼成新聞』の記事から、総代会と理事会で見られた決議事項への対応の 実態を考える。 (1)総代会決議と「無計画の計画」 行学園が完成した時の庭野会長(当時)の挨拶は総代会の決議のことに及んでいた。 ① 行 学 園 完 成 時 の 挨 拶 34 35

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2 4 年 度 に 保 育 所 を 完 成 し ま し て 、 2 5 年 度 に は こ ん ど こ そ は と 総 代 会 で 図 書 館 建 設 を 満 場 一 致 で 可 決 い た し た の で す が 、 そ の 話 を し て い る う ち に 、 雨 や 風 に さ ら さ れ て い る 信 者 の 受 入 れ 態 勢 が ど う に も な ら ん と い う の で 、 図 書 館 を 建 て る よ り も 道 場 を 建 て よ う と い う こ と に 再 び な り ま し た 。 ( 略 ) 先 程 申 し ま し た よ う に す べ て 無 計 画 の 事 で ご ざ い ま す の で 、 常 に 信 者 の 数 に 応 ず る 受 入 れ 態 勢 に よ っ て 変 更 さ れ て ま い っ た の で あ り ま す 。 最 初 二 階 は 図 書 館 や 講 習 会 場 に と 思 っ た の が 、 到 底 信 者 を こ れ で は 収 容 出 来 な い と い う こ と に な り 、 現 在 の よ う に 一 階 二 階 と も 大 広 間 に し て 一 般 信 者 の 道 場 と し て い る の で あ り ま す が 、 そ れ で も 時 に は 屋 上 も 屋 外 の 庭 に も を 敷 い て 法 座 を 開 い て い る 次 第 で ご ざ い ま す 。 斯 様 に 図 書 館 の 設 置 が 既 に 決 定 し た に も 拘 ら ず 、 図 書 館 の 工 事 を 初 め よ う と し ま す と 、 今 度 は ( 略 ) 附 属 施 設 と し て 病 院 を 建 設 す る 必 要 が あ る と い う 声 が 信 者 の 間 に 起 こ り ま し て 、 行 学 園 が 更 に 延 さ れ て 、 病 院 の 建 設 に 著 手 い た し こ れ は 昨 年 8 月 か ら 信 者 並 び に 一 般 の 治 療 に 当 っ て い る わ け で あ り ま す 。 随 い ま し て 行 学 園 は 病 院 完 成 と 同 時 に 著 工 致 し 、 そ れ か ら 約 一 ヶ 年 間 か か っ て 今 日 に 至 っ た の で あ り ま す 。 最 初 は 建 物 を こ れ ほ ど 綺 麗 に と い う こ と で な く 、 丈 夫 一 点 張 り の 図 書 館 と い っ た 考 え で し た が 、 若 い 娘 さ ん 方 を 多 く お 預 か り し て い る ん だ か ら 結 婚 に す ぐ 役 立 つ よ う に と い う の で 、 お 料 理 と か 和 洋 裁 と か 色 々 の 要 望 が あ り 、 地 下 室 に 料 理 の ほ う も 指 導 す る 室 を 作 っ た り 、 初 め は 和 洋 裁 の 場 所 も 別 に 予 定 し ま せ ん で し た が 、 現 在 で は 四 階 に こ れ を 持 っ て 行 か な く て は な ら な い と い う 状 態 で 、 一 階 の 広 間 は 結 婚 式 場 と い う こ と に 致 し ま し た 。 こ う 致 し ま す と 結 局 、 教 学 に 関 す る も の は 四 階 の 研 究 室 、 図 書 館 は 三 階 と い う よ う な わ ず か な 場 所 に 制 限 さ れ た よ う な 訳 で あ り ま す 。 ( 以 下 、 略 戸 こ こ で は 単 に 「 無 計 画 」 と 使 わ れ て い る が 、 意 味 す る と こ ろ は 「 無 計 画 の 計 画 」 で あ る と 考 え ら れ る 。 「 無 計 画 の 計 画 」 と い う 語 は 、 も と も と は 人 智 に よ ら ず に 神 示 に 従 っ て 教 団 を 運 営 す る 、 そ の あ り 方 の 意 味 で 使 わ れ て い た し か し 、 こ の 挨 拶 で は 神 意 を 問 う た と は 述 べ ら れ て い な い 。 庭 野 会 長 が 「 無 計 画 」 と 挨 拶 に 使 用 し た 意 味 は ど こ に あ る の か 。 そ れ と と も に 考 え る べ き 点 は 、 満 場 一 致 で 可 決 し た 図 書 館 の 建 設 が 第 二 道 場 や 病 院 の 建 設 に 後 れ を 取 っ た こ と 、 ま た 、 図 書 館 が 出 来 上 が る と 、 予 定 し て い な か っ た 用 向 き の 室 に ス ペ ー ス が 取 ら れ て 肝 心 の 図 書 館 は 「 わ ず か な 場 所 に 制 限 さ れ た よ う な 」 形 で 終 わ っ て い た こ と で あ ろ う 。 3 6 庭 野 日 敬 「 厳 正 な る 批 判 に よ り 真 価 を 表 し た い 」 『 交 成 』 昭 和 2 8 年 7 月 号 、 1 2 頁 。 3 7 「 佼 成 会 の 歴 史 に は 神 示 に よ る 行 動 、 す な わ ち 『 無 計 画 の 計 画 』 と い っ た 目 敬 会 長 の 言 葉 通 り に 妙 佼 の 口 を 借 り て 下 が る 神 意 に よ って 行 動 して 来 た 。 」 ( 『 立 正 佼 成 会 史 』 第 一 巻 、 2 5 8 頁 ) 。 110

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② 「 無 計 画 の 計 画 」 と 万 全 の 計 画 次のような庭野会長の言葉がある。 従 来 私 共 は 「 無 計 画 の 計 画 」 と い う こ と を 標 榜 し て 、 一 切 は 御 仏 の お 計 い と し て 何 事 も や っ て 参 り 、 事 実 、 そ の 結 果 は 常 に 御 守 護 を 頂 い て よ か っ た の で あ り ま す が 、 今 後 の 交 成 会 の 在 り 方 と し て は 万 全 の 計 画 に 基 き 、 人 事 を つ く し そ の 上 で 御 守 護 を 願 う と い う 方 針 で 進 ま な く て は な ら な い と 存 ず る の で あ り ま す 畑 。 こ れ は 長 沼 副 会 長 が 遷 化 し て 半 年 を 経 て い な い 時 期 の 『 交 成 』 法 話 で あ り 、 妙 佼 副 会 長 の 聖 俗 両 面 に わ た る 大 き な 影 響 力 が 推 測 さ れ る 。 庭 野 会 長 の 言 葉 は 、 現 在 か ら 考 え れ ば 当 然 の こ と だ け れ ど も 、 「 神 示 を 否 定 し 、 拒 否 す る こ と も 一 再 で は な か っ た 町 と い う 庭 野 会 長 で さ え 表 明 出 来 だ の は 、 副 会 長 の 遷 化 後 で あ っ た こ と を 考 え る と 、 当 時 の 立 正 交 成 会 の 状 況 が 臨 場 感 を も っ て 伝 わ っ て 来 る 。 ② 宗 教 法 人 令 と 総 代 会 決 議 当 時 の 総 代 会 に つ い て 考 え て み よ う 。 宗 教 法 人 令 は 、 神 社 、 寺 院 、 教 会 に は 三 人 以 上 の 総 代 を 置 き 、 総 代 は 経 営 に つ い て 主 管 者 を 扶 け る ( 第 9 条 ) と 定 め て い た 。 主 管 者 は 、 一 人 、 又 は 二 人 で 宗 教 法 人 を 主 管 し 代 表 す る ( 第 8 条 ) と 定 め 、 主 管 者 は 宗 教 法 人 の 「 宗 教 面 及 び 財 産 的 俗 的 面 に わ た り 全 部 」 、 即 ち 、 聖 と 俗 の 両 面 の 主 管 権 ・ 代 表 権 が 与 え ら れ て い た 呪 ま た 、 総 代 は 議 決 機 関 で も 諮 問 機 関 で も な く 、 補 助 者 と し て の 同 意 権 を 有 す る に 過 ぎ な い と 理 解 さ れていた。 立 正 交 成 会 に お け る 総 代 は ど う で あ っ た か 。 この図書館建設の議はFIFjぼ[125年4月に日敬会長から提案されていた 総代会の規模 は 「 ( 昭 和 ) 2 5 年 2 月 に は 総 代 は 1 4 7 名 に 達 して い る 帽 。 総 代 会 は 議 決 機 関 と さ れ て い な が ら 上 意 下 達 の ご 指 導 会 、 し か も 「 無 計 画 の 計 画 」 が 特 別 に 扱 わ れ て き た こ と を 考 え れ ば 、 総 代 1 4 7 名 の 満 場 一 致 の 議 決 が あ り な が ら 、 副 会 長 ゛ の 判 断 を 中 心 と し て 物 事 が 決 め ら れ 、 そ れ を 庭 野 会 長 が 「 無 計 画 の 計 画 」 と 容 認 し て 形 を 整 え た と い う 状 況 が 考 え ら れ る 。 立 正 交 成 会 で は 、 宗 教 法 人 令 の 規 定 の 趣 旨 と は 異 な っ て 、 総 代 の 定 員 を 多 数 に し て 総 代 会 を 議 決 機 関 に し た 定 款 を 施 行 し て い た が 、 そ の 定 款 の 定 め と も 異 な 38庭野日敬「昭和33年の新春を迎う」『交成』昭和33年1月号、13頁。 39『立正佼成会史』第一巻、85頁。 4 0 長 谷 山 正 観 著 『 宗 教 法 概 論 』 有 信 堂 昭 和 3 1 年 、 2 0 6 頁 。 41『立正佼成会史』第二巻、57頁。 42『立正佼成会史』第二巻、41頁。 4 3 「 た と え ば 昭 和 2 7 年 当 時 の 佼 成 会 で は 日 敬 会 長 の リ ー ダ ー シ ッ プ が 妙 佼 副 会 長 の 霊 能 力 に お お い か く さ れ て 、 布 教 教 化 活 動 も 妙 佼 を 中 心 に 展 開 さ れ る 観 を 呈 し て い た 。 」 ( 『 立 正 佼 成 会 史 』 第 二 巻、51頁)。 111

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る状況があったことになる。 さらに昭和25年10月1日に、立正交成会は教団になった。かつての単立教会立正交 成 会 は 、 立 正 交 成 会 本 部 教 会 と 名 称 変 更 さ れ た が 、 そ の 規 則 は 「 総 代 会 の 議 決 事 項 は 全て会長の承認を得なければこれを施行することは出来ない」(第23条)と定めてい た 。 教 団 と な っ た 立 正 交 成 会 の 規 則 も 「 理 事 会 及 び 評 議 員 会 の 議 決 事 項 は 全 て 会 長 の 承認を得なければ施行することが出I来ない」(第29条)」と定めていた 総代会や理事 会等の議決は最終のものでなく、会長の承認を必要とする規則にしていた。 ( 2 ) 理 事 会 決 議 と 聖 俗 分 離 体 制 行 学 園 建 設 の 後 、 宗 教 法 人 令 を 廃 止 して 宗 教 法 人 法 の 施 行 を 見 る こ と に な っ た 。 聖 的事項は教団の自主性にまかせ俗的事項のみを認証することになり、文部省(当時) の 指 導 の 下 に 聖 俗 分 離 の 体 制 を とる 教 団 が 多 く 見 ら れ た 。 立 正 佼 成 会 で は ど う 対 応 し たのだろうか。それに関して次に理事会の決議について検討する。 ① 機 関 紙 誌 等 の 報 道 『佼成新聞』(昭和40年2月5日)は、「佼成学園女子短期大学を設立」、「設立委開き 準備」、「明年四月開校目標に」、「理事会で決定」という見出しの四段組みで次のよう 報じていた。 中 ・ 高 等 学 校 、 幼 稚 園 な ど を 設 立 、 教 育 に 力 を 入 れて き た 本 会 は 、 さ ら に 、 佼 成学園女子短期大学(仮称)の設立を決め、1月16日の理事会の席上、正式に決 定した。 女 子 短 大 の 設 立 は 昨 年 の 秋 ごろ か ら 話 が 出 て い た も の で、 女 性 と しての 教 養 を よ り 高 く 植 えつ ける た め と 、 昨 今 、 保 母 や 幼 稚 園 教 員 の 不 足 が さ け ば れて い る お りから、そうした社会の要望にこたえる意味もあって、設立が決定した。 新設される女子短大は、早ければ41年4月に開校されることになるが、庭野会 長を委員長とする設立委員会を設けて、その準備にあたることになった。 28日に開かれた第一回設立委員会では、短大設置準備事務局を作り、専門的な 立場から検討を加えることをきめた。 正 規 な 募 集 人 員 、 科 目 、 名 称 な ど は ま だ 未 定 で、 今 後 開 か れ る 設 立 委 員 会 や 事 務 局 で 検 討 さ れ る こ と に な って い る 。 設 立 場 所 は 佼 成 学 園 女 子 校 ( 東 京 都 世 田 谷 区給田町二七〇)内の佼成幼稚園あと(幼稚園は給田町三七〇番地に新築中)に なる予定。 なお、設立委員会は、庭野会長(委員長)、長沼理事長(副委員長)をはじめ、 委員に林理事、長沼理事、権田理事、岡部理事、山下理事(女子校校長)、柴田顧 44『立正佼成会史』第二巻、46∼7頁。 112

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問 、 岩 田 顧 問 、 岩 佐 図 書 館 長 、 吉 田 男 子 校 校 長 、 深 田 佼 成 幼 稚 園 園 長 、 泉 田 佳 子 さ ん の 1 3 人 で 構 成 さ れて い る 。 庭 野 会 長 の 話 中 学 、 高 校 の 教 育 だ け で は 、 人 間 的 に も 宗 教 的 に も 、 ま だ 、 万 全 と は い え な い 。 宗 教 を バ ッ ク ボ ー ン と し た 人 格 的 に も 秀 れ た 指 導 者 が こ れ か ら の 社 会 に は 、 大 い に 要 求 さ れ て き ま す 。 そ こ で 高 校 の 延 長 と し て 女 子 短 大 を 設 立 し よ う と い う こ と に な っ た わ け で す 。 専 門 的 な 幼 児 の 保 育 な ど に あ く ま で も 宗 教 教 育 を 盛 り こ ん で 、 り っ ぱ な 女 子 の 指 導 者 を 作 り あ げ る こ と が 眼 目 で す 。 な お 、 同 年 3 月 号 の 『 佼 成 』 の 「 会 報 」 欄 に も 「 庭 野 会 長 の 話 」 を 除 いて ほ ぼ 同 文 の記事が掲載された。また、『中外日報』は同年2月10日号2頁に佼成学園女子短大設 立 の こ とを 報 じ て、 設 立 委 員 会 の ほ か に 「 書 類 作 成 な ど 事 務 面 の 実 行 委 員 会 は 山 下 理 事(女子高校長)を委員長に、教団及び学園の理事や事務関係からなる」としている。 いずれも女子短期大学(以下、「女子短大」とする)の設立に向けてかなりの具体性を もっか作業が開始されていたことが理解出来る。 ② そ の 後 の 公 式 発 表 ところが、どうしたことか、次のような展開となっている。 片山内閣・ 田内閣(昭和22年5月∼昭和23年10月)の文部大臣をつとめた森戸辰 男 日 本 育 英 会 会 長 ( 当 時 ) が 、 2 月 2 日 に 大 聖 堂 を 訪 れて 庭 野 会 長 と 対 談 を 行 な い 、 その対談の内容が『佼成』に掲載されている。 そ れ に よ れ ば 、 話 題 が 学 校 教 育 に 及 び 庭 野 会 長 は 「 未 来 の 日 本 を 荷 な う 若 い 人 た ち の 教 育 と い う こ と が 非 常 に 大 切 な こ と に な ってくる と 思 う んで す。 私 の 教 団 で も 学 校 教 育 を 手 が け ま して 十 年 ほ ど に な り ま す が 、 と に か く 、 理 想 的 な 学 校 教 育 を 目 標 に 頑 張ってきました刊と話しながら女子短大4J:は触れていない。 『佼成年鑑』昭和40年版町よ、女子短大設立の理事会の決定があったと報じられた昭 和40年1月16日に「佼成学園理事会並びに評議員会教団予算会議」があったと記録 している。『佼成新聞』が本会理事会としていたことから、女子短大決議の件削除がお こなわれたと考えられる経過となっている。 ② 宗 教 法 人 法 と 理 事 会 決 議 図 書 館 建 設 に 関 す る 総 代 会 決 議 は 宗 教 法 人 令 下 で あ り 、 主 管 者 に 聖 俗 両 面 に わ たる 主 管 権 と 代 表 権 が 与 え ら れて い た 。 こ の 女 子 短 大 設 立 を 決 定 し た 理 事 会 は 宗 教 法 人 法 の下であった。宗教法人法は宗教団体の宗教面はそれぞれの宗教団体の自ミヨ拉性に任せ て、 運 営 や 財 産 と い っ た 俗 的 な 面 に だ け 関 与 す る こ と と して、 責 任 役 員 ( 会 ) を 宗 教 4 5 4 6 対 談 「 世 界 平 和 と 宗 教 者 の 使 命 」 『 佼 成 』 昭 和 4 0 年 3 月 号 、 1 4 頁 。 昭 和 3 9 年 4 月 1 日 か ら 同 4 0 年 3 月 末 ま で の 立 正 佼 成 会 の 諸 活 動 の 記 録 や 統 計 等 を 内 容 と す る 。 113

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法 人 の 最 高 の 事 務 決 定 機 関 と し て い た 已 理 事 会 ( 責 任 役 員 会 に あ た る ご ) は 立 正 佼 成 会 の 最 高 の 事 務 決 定 機 関 で あ っ た 。 理 事 会 決 議 の 意 義 は こ こ に あ る と 考 え ら れ よ う 。 そ の 決 議 が 実 行 さ れ な か っ た こ と が 問 わ れ る だ け で な く 、 次 の こ と も 注 視 さ れ る 。 宗 教 法 人 令 下 の 立 正 交 成 会 で は 、 総 代 会 と い う 、 一 見 、 民 主 的 な 形 式 の 議 決 機 関 を 持 っ た よ う で あ り な が ら 、 会 長 と 副 会 長 の 考 え が 大 き な 影 響 力 を 持 っ て い た 。 し か し 、 宗 教 法 人 法 が 施 行 さ れ た 、 ま さ に そ の 日 か ら 決 然 と 立 正 佼 成 会 で は 理 事 会 の 決 議 が 最 高 の も の と し て 扱 わ れ て き た か ど う か 。 こ れ は 、 本 稿 冒 頭 の 森 岡 清 美 名 誉 教 授 の 至 言 に あ っ た 、 規 則 が 「 国 家 の 宗 教 法 の 制 約 を 受 け 」 た 例 で あ り 、 そ の 制 約 に 基 づ い た 規 則 の 規 定 を 現 実 化 し て い た か 否 か が 問 わ れ な け れ ば な ら な い 。 ④ 沈 黙 の 意 味 女 子 短 大 設 立 に 関 す る 理 事 会 の 決 議 は 、 機 関 紙 誌 は じ め 『 中 外 日 報 』 に も 報 じ ら れ た が 、 そ の 後 の 経 過 は 報 じ ら れ て い な い 。 『 佼 成 年 鑑 』 『 立 正 佼 成 会 史 』 も 沈 黙 し て い る 。 事 態 の 大 き さ 、 困 難 さ は あ る と 思 わ れ る が 、 そ れ で 済 む も の だ ろ う か 。 女 子 短 大 設 立 決 定 を 報 じ た だ け で 、 そ の 後 の 経 過 を 何 等 説 明 し な か っ た こ と は 、 教 団 側 の 責 任 あ る 対 応 を 示 さ な か っ た こ と に も な る 。 ま た 、 理 事 会 決 議 を 実 行 し な い こ と に 何 等 の 異 論 が 唱 え ら れ た 形 跡 が な い こ と は 、 宗 教 法 人 法 下 の 責 任 役 員 決 議 の 意 味 を 真 に 理 解 し て い た か ど う か 。 さ ら に 、 か つ て 認 め ら れ た 聖 俗 両 面 に わ た る 会 長 の 権 限 を 、 宗 教 法 人 法 の 規 定 に 従 っ た 形 態 に 整 備 出 来 な い ま ま で い る と い う 教 団 理 解 に も つ な が る こ とだろう。 ⑤ 聖 俗 分 離 体 制 の 確 立 に つ い て 何 よ り も 重 く 受 け 止 め な け れ ば な ら な い こ と は 、 立 正 佼 成 会 の 宗 教 的 最 高 位 に あ る 会 長 が 、 女 子 短 大 設 立 委 員 会 の 委 員 長 に な っ て い た こ と と 、 そ の 女 子 短 大 設 立 が あ い ま い に な っ て い る こ と だ ろ う 。 こ の 場 合 と 理 事 長 位 に あ る 者 が 設 立 委 員 会 の 委 員 長 で あ っ た 場 合 と で は 次 元 が 異 な る 。 現 在 の 各 教 団 に お い て は 、 宗 派 的 機 能 と 教 団 本 部 的 機 能 は 、 「 宗 派 」 と い う 宗 教 法 人 法 上 の 機 構 に 兼 有 さ れ て い る の が 現 状 で あ る 。 し か し な が ら 、 両 者 の 機 能 、 権 能 は そ の 重 要 な 部 分 に お い て は 明 確 に 区 分 さ れ る べ き で あ る 。 た と え ば 、 教 団 の 最 高 責 任 者 は 宗 教 的 意 昧 に お け る 最 高 の 地 位 を 占 め る 者 で あ り ( 例 、 門 主 、 法 主 ) 、 彼 が 宗 教 的 最 高 地 位 者 で あ る こ と に よ っ て 、 た と え ば 、 住 職 任 免 権 や 異 安 心 審 決 権 を 有 す る の で あ り 、 こ れ ら の 機 能 は 他 の 者 に 分 有 さ る べ き 性 質 の も の で は 47篠原義雄著『宗教法人法の解説』中央法規出版㈱昭和26年、75頁。 48「代表役員を『理事長』といい、責任役員を『理事』という」(宗教法人「立正佼成会」規則第 8条)。 114

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な い 。 ま た 逆 に 彼 が 聖 職 者 と し て 最 高 位 に あ る と い う こ と は 、 彼 が 世 俗 的 意 義 で の 宗 派 組 織 の い か な る 地 位 に も つ く べ き で な い こ と を 同 時 に 意 味 し て い る 。 も し 、 こ の 二 面 的 地 位 を 特 定 の 人 が 兼 有 す る 場 合 に は 、 宗 教 の 尊 厳 が 損 な わ れ 、 ひ い て は 世 人 の 宗 教 そ の も の へ の 不 信 を 生 ぜ し め る 恐 れ さ え で て こ よ う 呪 安 武 氏 の 論 文 は 伝 統 仏 教 教 団 を 想 定 し て お り 、 立 正 佼 成 会 に は 必 ず し も 全 面 的 に は 当 て 嵌 め ら れ な い だ ろ う が 、 宗 教 的 最 高 位 に あ っ た 庭 野 会 長 が 女 子 短 大 の 設 立 委 員 会 委 員 長 で あ り 、 女 子 短 大 の 設 立 を あ い ま い に し て 来 た こ と は 、 立 正 佼 成 会 の 宗 教 の 尊 ! 酸 性 に ま で 関 係 し 、 ひ い て は 社 会 一 般 の 人 た ち の 立 正 佼 成 会 へ の 信 頼 に も 波 及 す る 事 態 で あ っ た と 読 ま な け れ ば な ら な い こ と だ ろ う 。 聖 俗 分 離 さ せ た 体 制 が 必 要 と さ れ る 究 極 の 理 由 は こ こ に 求 め ら れ る だ ろ う 。 こ の 重 大 な 事 項 を 機 関 紙 誌 や 『 立 正 佼 成 会 史 』 に 書 き 継 が れ な い 、 語 り 継 が れ な い も の と し て あ い ま い 町 こ し て お く こ と は 、 年 の 経 過 と と も に 問 題 を さ ら に 大 き く し て い く よ う な も の だ ろ う 。 そ の 観 点 か ら こ の 女 子 短 大 設 立 の 問 題 を ど う 処 理 す れ ば よ い の か 、 衆 知 を 集 め て 検 討 す る 必 要 が あ る と 思 わ れ る 。 そ し て 、 そ の 際 に は 聖 俗 分 離 し た 本 部 の 実 現 に 向 け た 検 討 も 求 め ら れ る の で は な い だ ろ う か 。 こ の 大 き な 課 題 は 本 部 教 会 が 宗 教 的 に も 俗 的 運 営 面 で も 空 白 の ま ま で 来 た 歴 史 に 関 係 す る も の で あ っ た と 思 わ れ る 。 聖 俗 分 離 体 制 は 立 正 佼 成 会 の 歴 史 の 検 討 と 歩 調 を 合 わ せ て 進 め ら れ る こ と が 求 め ら れ て い る 。 4 9 安 武 敏 夫 「 教 団 を め ぐる 法 的 諸 問 題 」 「 宗 教 法 」 創 刊 号 1 9 9 8 年 、 2 8 頁 。 5 0 こ の 後 の 女 子 短 大 及 び 大 学 に 関 す る コ メ ン ト を 記 し て み る 。 a . 「 さ ら に 社 会 に む け て 、 真 実 の 婦 女 子 の 教 育 を 行 う 、 女 子 高 校 と の 関 連 を 考 慮 し な が ら 『 女 子 短 大 』 な ど も 構 想 さ れ て よ い と 思 わ れ る 。 」 ( 「 教 団 運 営 の 基 本 構 想 第 四 次 教 団 運 営 基 本 計 画 」 立 正 佼成会企画室昭和54年12月、90頁)。 b . 「 で き れ ば 大 学 を 作 り 、 学 問 と 宗 教 協 力 の 場 に し た い 」 ( 「 ひ と 立 正 佼 成 会 の 第 二 代 会 長 に な る 庭 野 日 鍍 さ ん 」 『 毎 日 新 聞 』 平 成 3 年 1 1 月 1 5 日 、 3 頁 ) 。 「 庭 野 会 長 は 『 仏 教 に 基 づ い た 人 材 育 成 の た め の 施 設 ・ 学 校 建 設 を 念 願 して い ま す 』 と 結 ん だ 。 」 ( 『 佼 成 新 聞 』 平 成 3 年 1 2 月 6 日 号 、 1 頁 ) 。 c . 「 教 団 と し て 信 仰 を 基 盤 と し た 十 分 な 見 識 を 修 め 、 変 動 著 し い 国 際 社 会 の 舞 台 や 地 域 社 会 に お い て 活 躍 で き る 人 材 づ く り を 目 指 し て 、 自 前 の 大 学 設 置 に 向 け て の 本 格 的 な 構 想 化 か 望 ま れ て い る 。 ( 「 温 か い サ ン ガ づ く り に 向 か っ て 第 七 次 教 団 運 営 基 本 計 画 」 立 正 佼 成 会 企 画 室 平 成 4 年 5 月 、 47頁)。 且5

参照

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〔付記〕

2021 年 7 月 24

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