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現代企業とその責任領域

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現代企業とその責任領域

第ユ節序

第2節 主要な環境主体

第3節 株主および従業員に対する責任   (1)株主に対する責任

   (i) 経営者支配の動向

   (ii)企業の観点と株主の観点の相違    (iii)責任の領域

  ②従業員に対する責任    (i)責任の三領域

   (ii)経済的ならびに非経済的な利益の促進    (iii) 自由と公正

第4節 消費者,地域社会,その他に対する責任   (1)消費者に対する責任

   (i)対消費者責任の重要性と論拠    (ii)基本的責任

   (iii)その他の責任   (2)地域社会に対する責任    (i)責任の領域

   (ii) 環境汚染に対する責任   (3)その他のグループへの責任 第5節 社会的責任の動向

  第1回忌序

 さまざまな環境主体が企業になんらかの形で係わり合いをもち,それ故に企業に対して なんらかの要求を提示している。そして,そのような要求に企業が応えることが,その存 続と発展の見地から不可欠となってきている。企業ないし経営者の社会的責任とは具体的 には,環境主体のそのような期待に応えるという企業ないし経営者の責任に外ならない。

企業環境の広がりと複雑化は,そのような責任に対応することの必要性と困難を改めてそ の経営者に認識せしめている。本稿では,かかる環境主体およびその期待について総括的 に,眺めることにするが,かかる検討はわが国の企業が東南アジア諸国を含めてさまざまな 地域でますます直面しつつある社会的責任問題を考察する上での基礎を提供するであろう。

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第2節 主要な環境主体

 さまざまの人間主体が企業の行動によってなんらかの形で影響を受けており,かれらも また企業の環境として企業の存続と発展に対してさまざまの形で影響を及ぼしている。企 業と密接な関係を有しているところの,そしてそれ故に企業になんらかの要求を提示する

ところのこれらの諸主体は,一般にインタレスト・グループもしくは利害関係集団の名で 呼ばれるが,現代の大企業にあっては環境の基本的な主体としてのインタレスト・グルー プには多様な種類のものが存在する。されば,現代企業の社会的責任の具体的内容の展開 にあたっては,まず主要なインタレスト・グループの種類を明確ならしめることが必要で

ある。

 現代企業におけるインタレスト・グループの主要なものとしてはなにを挙げうるであろ うか。この点について論者の見解を眺めるならば,例えばゴードンおよびイールズはイン タレスト・グループとしてそれぞれ,八種の範疇を列挙する。すなわち,ゴードンは株 主,資金貸与者,原料等の供給者,顧客,競争企業,労働者,政府,および財務その他の        1)

サービスの提供者をインタレスト・グループとして挙げる。他方,イールズは,インタレ スト・グループを直接的なグループと間接的なそれとに大別し,前者として証券保有者,

顧客,従業員,および仕入先の4種を,更に後者として競争企業,地域社会,一般大衆,

および政府の4種を指摘するのである。ここに,直接的および間接的なるグループ区分 は,企業へのその貢献が直接的たるか否かのいかん,および,企業とその関係が契約的性        2)

寸たるか否かのいかん,ということに主として基づく。更にデイヴィスらにあっては投 資家,労働者,経営者,顧客,仕入先,地域社会,科学者および専門家,宗教機関,パブ       3)

リック,ならびに政府といった10種のグループが挙げられている。

 これらはインタレスト・グループの種類に関する諸論者の見解の一端に過ぎないが,い ずれにしてもかかるグループというものは論者によってさまざまに考えられているといえ よう。ゴードンにあっては,地域社会あるいは一般大衆はインタレスト・グループのうち に含められていない。イールズにあっては,経営者は従業員なるグループに属せしめられ ており,また,短期資本の提供者はとりあげられていない。更に,デイヴィスらにあって は,宗教機関というグループもまた,インタレスト・グループの一つに挙げられているの である。しかしながら,そのような相違の存在にも拘わらず,論者の見解のうちにはかな

りの共通性を見出しうるであろう。

 それでは,現代企業の主たるインタレスト・グループとしてなにを理解することが適切 であろうか。いうまでもなくかかるグループの把握にあたっては,企業の行動によって経 済的ならびに非経済的な面で大きな影響を蒙るところの,そしてそれ故に企業にさまざま の形で強力な作用を及ぼしているところのグループのすべてがとりあげられねばならな い。この場合,企業とひとびととの間の係わりあいの機能的な性格がグループの選択およ

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び分類のための基準とされる必要がある。すなわち,企業は社会の中で財と用役の生産と 配給をその基本的な機能として担当しており,かかる機能を財務,購買,製造,販売,労 務その他というような諸職能の遂行を通じて達成するのであって,このような諸職能にな んらかの形で顧著に係わりあってくる諸グループが企業のインタレスト・グループの中心 に位置するのである。そして,そのような主要なインタレスト・グループとしては,出資 者,債権者,労働者,経営者,国家およびその他の公共団体,消費者,仕入先および販売 先,競争企業および業界,地域社会,ならびに一般大衆ないし社会一般という10種類のグ ループを考えることができると思われる。これらのグループ以外にも幾つかのものが存在 していることは明らかであるが,しかしながら主要なインタレスト・グループとしては,

前記の10種類の範疇を挙げることで十分であると思われる。

注1)Robert A. Gordon, Business Leadership in the Large Corporation, with a new

  preface,1961, pp.ユ47〜ユ49.

 2)Richard EeUs, The Meaning of Modern Business,1960, PP.211〜216.

 3) Keith Davis and Robert L, Biomstrom, Business and Its Environment,1966,

  P.4ff..

第3節 株主および従業員に対する責任

 数多くのグループがその利益を企業の存続と発展に依存しているのであって,そこから かれらは企業に対してさまざまな要求を提示している。そして,かれらに対する企業の支 配力が増大している一方,企業へのかれらの照応的圧力も増大してきており,企業はかれ らの要求を無視しえなくなりつつある。企業の社会的責任とは具体的には,諸グループの そのような不可避的要求に対応することに他ならない。ところで,企業が責任をもたざる をえない利害関係集団の主要なもののうちには,株主と従業員が含まれる。されば本節で は,かれらに対する企業責任について述べることにする。

 (1)株主に対する責任

 はじめに,現代の巨大企業を対象に,出資者と企業の関係の一般的動向について,なら びに出資者に対して企業が履行すべき諸責任の内容について,とりわけ後者を中心に,総 括的な検討を行なうことにしたい。はじδ6に,いわゆる 「所有と支配の分離」あるいは

「資本と経営の分離」なる言葉でしばしば表明されるところの企業と出資者の関係につい て簡単に眺めよう。

  (i)経営者支配の動向

 持分資本を殆んどもしくは全く所有していない専門的経営者による企業支配が現代企業 において確立されているという事実が,経済学,経営学,あるいは社会学といった諸種の 学問分野で多くの論者によって指摘されていることは,周知の如くである。かかる経営者       1)

支配成立の根拠として,バーリとミーンズはその古典的な研究において企業の大規模化に

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      2)

伴う株式保有の分散の高度化を,またバーナムは大企業における経営管理機能の複雑化を 挙げており,株式保有の分散の高度化と経営管理機能の複雑化というこれらの両現象をも       3)

って経営者支配出現の主要な原因とみて差し支えないといえよう。

 かくの如く経営者任免機構および経営管理職能の面から出資者による経営者のコントロ ールが消滅しつつあることに加えて,企業が資金を資本市場に依存することが少なくなっ ていることも経営者を出資者から解放せしめる傾向にある。大規模企業に対する市場の審 判がその効力をかなりに失ってきていることは,製品市場および労働市場に関して明瞭で あるが,資本市場の場合にも同様のことを指摘することができる。企業経営者が資本市場 における諸標準や世論からかなりに解放されるに至った原因が,一般に,大企業における 資金源泉の変化にあることはいうまでもない。必要資金のうちのかなりのものが留保利益 および減価償却費という内部源泉からもたらされる傾向にあり,株式新発行および他人資 本導入という外部源泉への依存は低下傾向にある。もっともこうした傾向は,国によって 異なり一概にいえない面はあるにしても,株式資本への依存がかなりに低下していること        4)

は疑いのないところである。資金源泉の面にみられるこのような変化が所有と支配の分離 に拍車をかけていることは,明白である。

 以上のような理由によって所有と支配の分離への傾向がみられることは否定しえない が,しかしながら,このことは,その所有者への配慮を企業が必要としなくなっているこ

とを意味しない。第一に,所有と支配の分離は基本的には経営者が所有者の投資に対して 適切な報酬を支払い続けうる限りにおいてのみ可能である。第二に,株式保有の分散の高 度化の面に関しては,制度株主ないし機関株主の手に株式が集中しつつあるという最近の 傾向も無視できない。この点について更にいうならば,米国を例にとると,今日の最も大 きな株主は信託銀行,相互基金(mutual funds),保険会社,および年金基金(pension       5)

funds)であり,所有権は個人株主から投資機関に移転しているといわれる。すなわち,

株式保有の分散の高度化に逆濡するような傾向も認めうるのであり,機関株主による企業 支配の可能性が存在することを忘れてはならない。とはいっても,機関株主は,実際の企 業支配の点ではあくまで潜在的な勢力として存在するにとどまっているのであって,諸論 者が指摘するように,所有なき経営者による企業支配がさしあたり現代企業の現実の姿で あるといえよう。機関株主が経営者に対するコントロールに関して消極的である理由につ     6)

いてデールは,投資機関の経営者の側において,投資対象会社の経営者への忠誠,投資対 象会社の経営への参加の能力と時間の欠如,自己の地位の保全への指向,等が存在するこ

とを示している。

 第三に,所有者による経営者支配の潜在的可能性に関しては,資本市場のテストからの 企業の完全な解放は存在しないということも忘れてはならない。企業が資金の一端を持分 資本ないし株式資本に依存しており,かかる資本を依然として新規に資本市場から調達し ていることも事実であり,その限りにおいて経営者は現在ならびに将来の株主への配慮を

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不可欠としているのである。

 要するに,所有と支配の分離の傾向は否定しえないにしても,所有者の;期待への経営者 による配慮の必要性は,依然として存在しているのである。

  (ii) 企業の観点と株主の観点の相違

 現代企業にあっては,その指導原理ないし目標が伝統的な企業のそれと異なることは,

既にみた如くである。企業目標のかくの如き変化が出資者による企業支配の後退にのみ基 づくものでないことは明らかであるが,しかしながら,所有と支配の分離が企業性格の変 化に対する一つの要因をなしていることも同様に明瞭である。現代企業において追求され ている目標がなんであるかについていうならば,目標が長期利潤の最:大化をも超えるよう な複雑な内容を有することは,疑いないといえよう。企業目標にみられるこのような変化 は,出資者の観点と企業経営者のそれとの問に相違がみられることを意味しており,かか る相違は企業の財務政策をめぐって顕著に存在している。

 この点についてドナルドソンは,財務的決定に関して経営者が用いる価値基準と出資者 のそれとの問の差異の存在,および経営者と株主の間での利害対立の可能性を示してい るが,それによると,財務的成果の評価,投資案の選択,資金源泉の選択,およびリスク の引き受けに際して経営者は,出資者と異なった観点から決定を行なっており,出資者が       7)

収益性を重視するのに対してむしろ安全性を重視するのである。すなわち,財務的成果の 測定に関しては経営者の基準は,将来のキャッシュ・フローにおける予想される変化(金 額,確実性,およびタイミングに関して)であり,株主の基準は,一株当り収益と配当性 向とによって測定されるような財産価値における予想される変化であって,投資案の順位 づけ,減価償却政策,子会社の取得というような分野で経営者と株主の間に対立が存在し うる。投資案の選択についていえば,経営者の基準は,現在の経営者に達成可能であるよ うな内部利益率,つまり過去の実績であり,株主の基準は,内部のみならず外部の,投資 機会の利益率(同じようなリスクをもつ競争会社のそれを含む)であって,投資機会の受 け入れ可能性に関する棄却率や継続投資への支出額について対立が存在しうる。資金源泉 については,経営者は,留保利益,長期負債,普通株新発行の順に選好をする一方,株主 は負債,留保利益,普通株新発行の順に選好するのであって,成長資金の調達にあたりど の源泉を利用するかで経営者と株主の間に対立が存在しうる。また,リスクの引き受けに ついては,経営者は会社エンティティならびに経営者の目標の維持の観点からのリスク基 準を,株主は多くの会社に対する投資のポートフォリオの観点からのリスク基準をとり,

製品と市場の多様化や負債と持分の比率に関して対立が存在しうるのである。

 経営者と出資者との間のかかる立場の相違は,必ずしも現代企業による出資者の無視な いし軽視への傾向を意味しない。現代企業がその出資者の利益を追求していることも事実 である。むしろ,経営者と出資者との間での基準の相違は,出資者と企業,ないし出資者 と他の諸グループの間には利害の対立・矛盾の可能性が本来的に存在しており,経営者

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は,株主以外のものの利益を配慮しつつも株主の利益に可及的に応えていくという困難な 責任に直面せざるをえないということを,物語るのである。

 今日の出資者は制度的には企業組織の内部者であるとしても,その実質的地位は他のグ ループに比して必ずしも優越していない。法律的概念では株主が株式会社の構成員であり 会社は株主のために存在するのであって,この意味では出資者は株式会社企業の内部に属 するが,所有と支配の分離に明らかなように経営者は必ずしも株主のみに第一次的な地位 を与えず,この程度において株主は,消費者その他の外部グループに比しても必ずしも全 面的に優位な存在とはいえない。そうはいっても,株主の期待の充足は企業の存続および        8)

自律性の維持にとり不可欠であり,この意味では,少くとも,イールズも強調するよう に,出資者の利益にも他のもののそれと同じ程度に関心を払うという責任が明瞭に現代企 業に存在しているのである。

  (iii) 責任の領域

 それでは,現代企業はその出資者に対していかなる責任を負うているのか。投資家が企 業に出資しその株式を保有することによって生ずる権利について法はいくつかのものを挙 げている。国によってその種類および内容に関して多少の差はあるにしても,法が伝統的 に主張してきたところの株主の権利としては,利潤の分け前への参加,取締役の選出,営 業報告書の受領,取締役の不正行為に対する訴訟,帳簿の閲覧,合併および定款変更の標 決,新株の優先的引き受け,ならびに株主総会への出席,を示すことができよう。株式は 元来,会社の経営に参加する比例的権利,利益配分にあずかる比例的権利,および残余財       10)

産の分配にあずかる比例的権利を表わしており,株主は株式に付随するこれらの本来的権 利を,前述のような形で法的に保障されていると考えられる。

 法は出資者が,かくの如き法的諸権利を行使して自己の要求ないし利益を追求すること を期待しており,出資者の利益の具体的内容は,法においては必ずしも明確に示されてい ない。かくて,出資者に対する主要な企業責任は,必然的な,しかしながら,倫理的な性 格の責任として出現することになる。問題は,かかる倫理的責任の内容である。この場 合,一口に出資者といっても,かれの保有する株式の種類によってそこには幾つかの範疇 を考えうるが,企業責任を論ずるにあたっては,普通株の所有者に対する責任がとりわけ 問題となるのであり,ここでは,かかる普通株主への責任を論ずることにする。なお,普 通株主自身にあっても,その間で利害に差異がみられることにも,注意しなけれほならな い。例えば,一般株主は短期的な報酬を願うかもしれず,機関株主は安定的かつ長期的な 報酬を強調するかもしれない。

 さて,そのような責任の内容としては,例えばブラッドは,適切な配当の支払と,情報   11)

の提供を,またウィヴァーは,より詳細に,(1>株主の目的の分析(例えば,現金配当と資 本利得のいずれが強調されているかについて),(2)これらの目的に沿った配当政策の策定       12)

と維持,(3)事業の見通しについての真実の報告,および,(4)株価に対する関心をそれぞれ

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対出資者責任として示している。さらに,ケイスらも,株主の投資の安全と投資への合理 的な報酬の提供とに配慮すること,現在の配当支払への株主の関心と長;期的な株価増大へ のそれとの間にバランスを維持すること,および,株主との問に充分なコミュニケーショ ンを確立し企業についての情報を提供することを,出資者に対する責任の内容に挙げてい

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る。対出資者責任の内容をあぐっての,これらの論者の説明は,相互にかなりの共通点を 有しており,かかる説明を眺めるとき,現代企業がその所有者に対して負うている責任の 主要な内容は,結局,適切な配当支払を通じて株価に対する株主の期待に応えること,お よび企業の業績その他についての十分な情報を提供することとして理解しうるであろう。

 株価に対する株主の期待に応えることについて更にいうならば,企業は現在の株主の要 求を充し自律性を保持するためには,また,持分資本を資本市場で新たに調達しうる可能 性を保持するためには,少くとも株価を維持しうるに足る配当の支払を要請されるのであ り,このためにはなによりも,企業はその資産を健全かつ効率的に運用することによって 十分な利潤を挙げねばならない。株価に関する責任の履行はまた,十分な利潤の心得に加       14)

えて,株主の立場を考慮した適切な配当政策の策定,適切な償却政策と引当政策を通じて の資本維持,更には,株式発行における時価発行問題や,配当政策における株式配当問題 の如き株価に影響を及ぼす他の要因への十分な考慮をも経営者に要請することになるとい

えよう。

 (2)従業員に対する責任

 企業は財と用役の産出と所得の分配という経済的機能を遂行するとともに,それはま        ユ5)

た,政治的ならびに社会的な他の諸機能をも遂行する。例えば,それはその内外の関係者 との間に支配・従属め統治的関係を有しており,政治的機能を遂行する。あるいは,それ は働き甲斐や社会的承認というようなことがらをめぐる従業員の欲求を充足せしめるとい

う形で,社会的・文化的機能を遂行する。

 企業はこのようにさまざまな社会的諸機能を果しているが,従業員はかかる諸機能のす べてと係わり合っており,それ故,従業員関係は企業に貢献し要求する他のグループに対 する企業の関係とは根本的に異なっているということが注意されねばならない。企業は,

従業員の生計の主要な源泉である。また,従業員は組織の内部にあり,かれらから企業は 広汎な忠誠を要求する。更に,企業は,従業員の日常生活のパターンを規定するのであ

16)

る。

   (i) 責任の三領域

 従業員の多くはしばしば労働組合へと組織化されており,かかる場合,かれらへの企業 責任の主要な部分は労働協約のうちに見出すことができる。労使関係を律する諸法規もま た,従業員への企業責任の幾つかを規定している。しかしながら,企業はまた,これらの 強制的性格の責任と並んで,自発的・倫理的性格の責任にも直面している。

 このように,企業はその従業員に対して法律的ならびに倫理的な責任を負うが,かかる

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責任とは,具体的には,どのようなものであろうか。論者の見解を眺あるならば,例えば   17)

ゴイダーは,そのような責任として,第一に,従業員が地域社会の構成員の一員でもある ところがら地域社会に対する企業責任の履行を,第二に,高賃金と短時間労働,より良き 地位,労働の目的と結果に対するより大なる意義,ある程度の経済的保障,および仕事に 対する従業員め支配の増大を挙げる。なお,経済的保障に関連して失業補償基金の設定の         18)

必要性が指摘される。ケイスらは,生活資金を越えるような賃金の支払(賃金の増大と労 働時間の減少),有給休暇の付与,職務の満足(創造的思考もしくは熟練的な肉体的活動 のための機会の提供。つまり,職場における自己表明の機会の提供),作業上の傷害の補        19)

償,失業補償,および退職基金といったことがらに責任があることを挙げている。

 このように論者の間で,責任のリストについてかなりに共通なものが存在しているとい いうるが,従業員に対す責任をより体系的に理解するためには,一般論として人間は組織 に対してなにを要求するかを知らねばならない。デイヴィスらは,個人は一般に組織との 社会的な取引に際して三種の基本的なペイオフないしベネフィットを要求するとみる。そ の場合,獲得されうるところのそれぞれのベネフィットが多い程,他の事情が等しい限 り,企業との関係は個人にとり良好なものとなる。デイヴィスらによると三種の要求と は,改善(これは,個人が組織と関係するに際しての基本的な目的である),独立性(組 織への協力と引換えに提示する基本的要求である),および公正(組織に関係するに際し       20)

て期待する処遇の基準である)である。

 企業をめぐる諸グループはいずれもデイヴィスらが示す諸期待を企業に抱いているとみ てよいが,しかしながら,従業員にあっては企業へのそのような期待はとりわけ顕著に存 在するのであり,かくて,デイヴィスらの見解を参考にするとき,対従業員責任の主要な 領域として三つの領域を挙げることができるでろう。

 すなわち,かかる責任領域の第一は,従業員の便益の促進つまり,デイヴィスらのいう 改善である。従業員はその経済的ならびに非経済的な諸要求の充足を求あて企業にその労 働力を提供するのであり,企業は従業員のかかる貢献に対して可及的最大の経済的ならび に非経済的な報酬を提供せねばならない。責任領域の第二は,デイヴィスらのいう独立 性,つまり自由である。企業は組織における秩序を維持せねばならず,そこから従業員に 服従への権限を行使するが,このことは従業員の個人的な自由ないし権利の侵害の可能性 をもたらしているのであり,対従業員責任の一領域を企業に提示しつつある。責任領域の 第三は,公正であって,企業は従業員への経済的報酬に関してのみならず,昇進や機会提 供その他の面においても公正の原則にのっとることを要請されつつあるといえよう。

  (ii) 経済的ならびに非経済的利益の促進

 企業がその従業員に対して果さざるをえなくなりつつあるところの責任の第一は,従業 員の便益を促進することである。この種の責任は,二つの範疇のものを挙げることができ よう。一つの範疇は,,経済的・貨幣的・物質的な種類の責任であり,他の範疇は,非経

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済的・非貨幣的・非物質的な種類の責任である。前者の責任は従業員の金銭的,肉体的な 欲求と係わりあい,後者の責任は従業員の精神的な欲求と係わりあう。責任の範疇につい てのかかる区分はかなりに便宜的であり,企業責任のあるものはそれをいずれか一方の範 疇へと明確に帰属せしめることが困難ではあるが,しかしながら,上述の区分は責任の内 容についての整理に際して一応の意義をもつと思われる。

 まず,企業は,第一の範疇の責任,つまり主として経済的な種類の責任に関しては,雇 用の維持,賃金と労働時間,福利厚生,退職・疾病・労働災害に対する保障,作業環境,

有給休暇といった面で責任を負う。これらの責任は,企業が積極的にその履行を心掛けね ばならぬところの,いわば積極的な種類の責任である。企業が基本的には社会の経済的な 機関であり,第一次的にはそれは一面では財貨と用役を社会に提供するとともに他面では その所得の分配を行なっていることを,また,現代の大企業にあっては特定企業の存続・

発展に多数の従業員がその経済的厚生を依存するに至っていることを考えるとき,経済的 な種類の諸責任,とりわけ,雇用の維持の責任および賃金の増大の責任は,従業員に対す る企業責任の大宗を構成するとみて差し支えないであろう。

 非経済的な種類の責任の意義が現代の大企業において増大しつつあることは,多くの論 者が指摘する如くである。しかしながら,従業員に対する企業責任として論者によって伝 統的に提示されてきたところの経済的な種類の責任もまた,依然,その重要性を失っては いないのであって,むしろ,多くの従業員がその経済的厚生を企業の存続と繁栄に依存す るに至っている現代企業においては,かかる責任はますます重要性を増しているといえよ う。それは従業員に対する企業責任の中核を依然として形成するのである。

 この場合,雇用維持の責任についていうならば,比較的に少務の巨大企業を中心に構成 されている現代の経済社会にあっては,多数のひとびとがその雇用を特定の企業に全面的 に依存するに至っている。かれらは雇用の維持を企業に対して強く期待するのであり,か くて,企業経営者は好むと好まざるとに拘わらず雇用維持に対する責任に関心をもたざ るをえなくなりつつある。雇用の維持が経営者の主要な責任であることは,多くの論者に よって強調されているのであって,例えば,ヘロンは企業がひとびとの大多数にとり主要 な生活源泉となるに至っており,完全雇用はいまは社会経済システム全体の関心事となっ ていること,ここから,経営者はもしかれが十分な仕事を提供しえないならば,経済を運 営するという,受託者としてのその権力を喪失するであろうということ,されば経済者は 好むと好まざるとに拘わらず,仕事の提供をば利潤や価格,製造,資本維持というような 諸要素に優先させねばならず,かくて雇用提供の基礎たる販売活動こそが企業の至高の職       21)

能であるということを主張しさえするのである。

 かくの如く,雇用の維持と促進が企業の主要な責任の一つとなっており,企業は失業の 発生に対して直接・聞接に影響を及ぼす諸要因を認識し,企業政策の枠内においてかかる 要因の排除に腐心せねばならず,雇用の維持と増大をもたらす経営政策の策定に努めねば

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 130    22)

ならない。

 つぎに,従業員の利益促進の責任の非経済的な側面に関しては,企業は従業員に対して仕 事の満足,および機会の提供といった面で責任を課せられているといいうる。従業員に対す る責任の主たるものが経済的性格の責任であることは否定しえないが,しかしながら,従 業員がその生活のかなりの部分を企業との直接的な係わりあいの中に過している以上,と

りわけ仕事の満足の達成という非経済的な性格の責任の達成もまた軽視しえないであろう。

 仕事の満足をめぐる責任について更にいえば,労働に対する個人の主体性を尊重し仕事 における生き甲斐への従業員の欲求を充足せしめることは,経営者にとりかなりに困難な 責任である。現代の大企業にあっては経営活動の諸領域,ことに生産領域における大規模 化・専門化・自動化は複雑な企業活動の制御のたあの集中管理システムの採用と相まっ て,職務の画一化と組織への従業員の従属とをもたらしている。それにも拘らず,責任遂 行のためのなんらかの努力が企業にとり不可欠である。

 従業員の個性を尊重し組織への従属を減少せしめんとして,多くの経営実践が展開され っっある。かかる経営実践の一つの範疇は,組織構造の修正であり,この例としてはマト

リックス組織,組織なき管理(nonstructured management),および,より古い方式で あるが,分権制が存在する。マトリックス組織とはプログラム・マネジメントもしくはプ ロジェクト・マネジメントととしても知られている。マトリックス組織では生産プロジェ クトに関する責任を,企業の諸分野から派遣されるプロジェクト・マネジャーが担当する のであってそれは組織のより高いレベルのひとびとに対しイニ・シァテイブと自己動機づけ の範囲を拡げる。組織なき管理とは,生産管理方式の一種であって,組立ラインを廃止し て幾つかのグループに生産を自由にまかせる方式である。分権制では,企業のポリシイへ 服従 は依然として必要とされるが,執行上のより大きな独立性が可能となるのであ る。経営実践の他の範疇は人事面の実践の改善であって,人間関係論的な実践,コミュニ ケーションの改善,参加,助言といったものがそれである。例えば,スキャンロン・プラ       23)

ンは,目標の自己設定を通じての従業員による参加を可能にする。

 かくの如き諸方策が特定企業にどこまで妥当するかはさておき,いまや企業は非経済的 要求の充足についてもなんらかの具体的計画をもつことを必要とされつつあるのである。

  (iii) 自由と公正

 現代は大組織の時代であり,個人に対する組織の権力の問題ないし,組織への個人の従 属の問題が社会的関心を集めるに至っているのであって,企業にあっても仕事の生き甲斐 をめぐる責任のみならず従業員の自由に関する責任,すなわちその思想・信条等について の個人的権利の尊重に関する責任が意義を増している。

 ホワイトは現代の大企業がその従業員に組織への服従と忠誠を要請していることを指摘 し,そのような要求を正当視する社会的風潮(かれはこれを「社会倫理」と名付ける)を        24)

激しく非難するが,ホワイトに限らず多くの論者がオーガニゼーション・マンの問題をと

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り上げ現代の大組織とその構成員との間の対立の問題を鋭く指摘していることは,周知の 如くである。組織とその構成員との間のこの種の対立は,組織の解消によってその究適的 な解決をみるというような性格の問題として理解される必要はないと思われるにしても,

それは対従業員責任の一領域を形成している。

 つぎに,公正ないし正義なる概念が,従業員のみならず他の関係者が企業に対して有す るところの期待に関連することは,公正賃金,公正配当,公正価格の如き概念の存在のう ちに明らかである。得業員に対する経済的報酬の提供に関して企業が公正の原則にのっと って行動することを期待されていることは,改めて指摘するまでもない。従業員への賃金 は,出資者のような他のグループとの比較において,つまり賃金水準に関して公正である ことを期待されるとともに,従業員相互間において,つまり賃金較差に関しても公正であ ることを期待される。更に,ひとびとがその経済的ならびに非経済的な要求の実現の場を 特定の企業に依存するようになるにつれ,雇用,機会の提供,昇進といった領域において も企業は公正をますます期待されるに至っているのである。企業は社会の信条や価値の実 現の場として,公正の原則にかなうことを要請されつつあるのである。

 ただ,公正ないし正義なる概念は,すぐれて分配問題に関連するところの倫理学的な概 念であるとともに,それは多様な意義をもつ。例えばレッシャーは公正分配について論じ       25)

つつ,公正の概念の多義性を指摘している。かれは,公正というものについて,各人にか れ自身のものを与えることが公正の原則であるというローマ法の格言を受け入れ,公正分 配の場合にはこの「かれ自身のもの」とは,「かれが受けるに値するだけのもの」,すな わち,「かれの正当な諸要求と等しいことが理想的ではあるが,ともかく,かかる要求と 一般に比例しているような分け前」であるとする。要求にはさまざまの種類のものが存在 することは当然であるが,レッシャーは,要求には七種のものがあるとする。すなわち,

公正分配の基準(cannon)には,平等,必要,能力,努力,生産性,社会的効用,需給 といったものがこれまで主張されてきており,これらのいずれを個人の要求の決定要素と       26)

するかで公正分配の意味も異なってくるというのである。    ・

 公正基準が多元的であり経営環境の変化に照応して経営実践での公正基準も変化するこ とは否定しえない。現代企業は公正についての従業員の要求に直面しているとともに,こ のことは企業経営者が,社会において普遍的もしくは必然的であるような公正基準を認識 し,対従業員関係にかかる基準を適用することを要請するのである。

注1)Adolf A. Berle and Gardner C. Means, The Modern Corporation and Private   Property,1932(北島忠男訳「近代会社と私有財産」,昭和33年).

 2)James Burnham, The Managerial Revolution, Midland Books edition,1960.

 3)例えば,古川栄一「経営学通論」(新版),昭和38年。

 4)細井卓「現代企業財務」(増補版),昭和43年,65頁。

 5)Richard Eells and Clarence C. Walton, Conceptual Foundations of Modern Bu一

(12)

132

  slness, 1961, pp.430〜431.

6)Ernest Dale, Management m1ユst be Accollntable, Harvard Business Review,

  March−Apri1,1961.

7) Gordon Donaユdson, Financial Goals:Management vs. Stockholders, Harvard

  Business Review, May−June,1963, p.121.

8) R.Eells, oP. cit.,P.216 ff..零

9)Ernest Mason, Corporate Responsibility to a Non Controlling Ownership, in   Jacob Weissman ed.,The Social Responsibilitles of Corporate Management,ユ966,

  pp.123〜124.

10)細井卓,前掲書,248頁。

11)Jerome W. Blood, Investor Relations:The Company and Its Owners,1963(内田   幸雄訳「株主開係管理一株主尊重の経営一」,昭和42年)。

12)David B. Weaver, The Corporation and the Shareholder, in The Annals of

  The Arnerican Academy of Political and Social Science, September,ユ962, pp.93〜

  94.

13) Lyman A. Keith and Carlo E. Gubellini, Introduction to Business Enterprise,

  ユ962,p.422.

!4) 配当政策ないし留保政策にあっては,株価の可及的最大化のための留保率ないし配当性向の決   定が基本的課題となるが,この点については,ゴードン(Myron J. Gordon, The Savings,

  Investments and Valuation of a Corporation , Review of Economics and Statistics,

  Vo1. XIIV(February,1962))やソロモン (Ezra Solomon, The Theory of Financial   Management,ユ9631,あるいはラーナーら(Eeugene M. Lerner and Wiliard T. Carleton,

   The Integration of Capital Budgeting and Stock Valuation , American Economic   Review, Vo1. LLV(September,ユ964))による最適配当政策の検討が参考となる。

15)Peter F. Drucker, The New Society,1949(現代経営研究会訳「新しい社会と新しい経   営」,昭和32年),p.44 ff..

16) R。Eells, oP. cit.,P.236.

17)George Goyder, The Responsible Company,1961(喜多了祐訳「第三の企業体制一大   企業の社会的責任一」,昭和38年。

18) 同訳書,31頁〜57頁。

ユ9) Lyman A. Keith and Carlo E. Gubellini, Introduction to Business Enterprise,

  Second edition,1967, PP.596〜599.

20) K.Davis and R. L. Blomstrom, Business, Society and Environrnent,ユ97L P.ユ49.

21) Alexander R. Heron,:No Sale, No Joわ,1954.

22)具体的内容についてはファクトリイ誌の編集者たちによる検討が参考になる(Factory, July,

  ユ961,PP.85〜90(in William T. Greenwood ed., Issues in Business and Society,

  1964,pp.261〜272))o

(13)

23) K.Davis and R. L. Blomstrom, Business and Its Environment,1966, PP.141〜

 ユ43.

24)William H:. Whyte, Jr.,The Organizational man,1956.

25) Nicholas Rescher, Distributive Jllstice,1966.

26) Ibid.,PP.74〜81.

第4節 消費者,地域社会,その他に対する責任

 企業が責任を負う環境主体については,株主および従業員以外にもさまざまのものを挙 げることができる。そのような主体の中でも,消費者はとりわけ重要である。社会におけ る企業の根本的な,存在理由ならびに役割は財貨と用役の供給であり,換言すると消費者 への奉仕であって,他の役割は,この基本的な機能に比すれば副次的な重要性を有するに 過ぎないとさえいいうるからである。社会はもともと企業にかかる基本的責務の遂行を要 求しているが,近年における消費者運動の高まりは対消費者責任の重要性を改めて企業に 認識せしめつつあるといえよう。

 ところで,環境汚染問題への社会的関心の増大は,企業にその地:域社会に対する責任へ の留意の必要性を認識せしめるに至っており,地域社会もまたいわゆる住民運動の高まり に伴って,強力な環境主体として企業活動を割興しっっあるのである。

 されば本節では,消費者および地域社会という環境主体への企業責任を中心に検討を行 なうことにする。むろん消費者,地域社会,更には前節でとり上げたところの消有者と従 業員という諸主体以外にも,数多くの主体が企業に要求を行なっており,されば,そのよ うな要求についても若干の検討を試みることにする。はじめに,対消費者責任について眺 あてみよう。

 U)消費者に対する責任

  (i) 対消費者責任の重要性と論拠      i)

 シェルドンは既に1928年に,消費者に対する企業責任の至高性を指摘している。かれは いう。「産業は共同体の良き生活のために必要な財貨と用役をば,必要な量丈提供するた めに存在する。これらの財貨と用役は,適切な水準の品質と両立しうるような最低の価格 で供給されねばならず,共同体の至高の諸目的を適接もしくは間接に促進するような仕方       2)

で配分されねばならない。」

 より最近になってドラッカーもまた,消費者への奉仕の至高性と奉仕の不可避性とをつ ぎのように強調する。「もしわれわれが企業とはなにかを知らんとするならば,われわれ はその目的から出発せねばならない。そしてその目的は企業自身の外部に存在しなければ ならない。事実,その目的は企業が社会の機関である以上,社会の中に存在せねばならな       4)

い。企業目的についての唯一つの正しい定義,すなわち顧客の創造が存在する。」 「顧客 は,企業の基礎でありそれを存在せしある。かれのみが雇用を提供する。そして,社会が

(14)

 134

      5)

企業に富産出の資源を委託するのは,消費者を充足させるためである。」

 シェルドンおよびドラッカーは,このように対消費者責任を主張する。とりわけドラッ カーにあってはかかる責任は企業にとり不可避的であり必然的であることが強調される。

すなわち,かれは,企業が社会におけるその第一次的な機能として本来的に有するところ の責務たる,消費者需要の充足つ琢り「顧客の創造」が企業存続のための基本的な条件と なっていることを強調する。ドラッカー,シェルドンに限らず,多くの論者が,消費者に 対する責任の重要性および責任の不可避性を指摘するに至っているのである。

 企業は,社会の経済的プロセスの中にあって財貨ならびに用役の生産と分配を担当する という第一次的な機能ないし役割を有しているが,伝統的な経済理論によれば,自由企業 制度の下ではかかる機能は企業自身の主体的,意識的な活動を通じてではなく,市場機構 もしくは価格機構の自動的な作用を通じて適切に達成されることになる。すなわち,消費 者は競争的な私企業の営利追求活動によって自動的に奉仕されるのであり,法律的な種類 め責任を別にすれば,企業は消費者もしくは顧客に対してはなんらの責任も課せられない のである。しかるに,経済理論におけるかかる想定にも拘わらず,現代の企業は,社会に おけるその第一次的な経済的機能を意識せざるをえなくなりつつあり,消費者に対する責 任の遂行の必要性を認識しつつある。企業環境の変化,および企業自身の性格の変化が,

消費者に対する責任を企業に不可避的に課しつつあるのである。

 なぜならば,社会の工業化は自給自足的経済を消滅せしめ,ひとびとをして財貨と用役 に関するその要求の充足を企業に依存せしめる。また,技術の進歩と市場の地理的拡大 は,製品の複雑化および消費者と生産者の距離の:増大を招来せしめる。更に,市場の寡占 化は,市場の自動的作用による消費者主権iの貫徹を弱めるのである。これらの要因が企業 への消費者の依存を増大せしめるとともに,更には市場への企業権力を増大せしめること は明らかである。そしてこのことのうちに,消費者に対する企業責任の出現のモメントの 第一を求めることができよう。他方,企業への消費者の依存の増大および企業の市場支配 力の増大は,企業に対する消費者運動の高まり,およびそのことを背景としての消費者保 護的な法規・判例の増大を招来せしめるのであり,企業権力へのこのような反作用は寡占 市場における競争の存在と相まって,消費者に対する企業責任を経営政策的課題として提 示するのである。

 かくの如き対消費者責任の主要領域は,なんであろうか。責任のリストについての諸論 者の見解の検討は,主要な責任領域としてつぎのものを示しているといえよう。すなわ

ち,その第一は,企業の基本的な社会的機能の遂行,つまり消費者が望むような種類と品 質の財と用役を豊富かつ安価に提供することである。第二は,適正な商品情報の提供,商 品の欠陥に対する責任の引き受け,製品へのアフター・サービスの提供,契約義務の履 行,というような付随的責任である。第三は,商品の安定的,継続的な供給である。以 下;これらについて簡単に眺めよう。

(15)

  (ii) 基本的責任

 かかる基本的責任とは,いかなる財がいかなる量だけどのようにしてだれのために生産       6)

さるべきかという社会の不可欠な経済的課題に寄与すること,具体的には,前記のシェル ドンのいう如く,社会が必要とする財と用役を適切な品質,最低の価格,および最適の配 給方法で提供することである。この基本的な責任の出現億,いうまでもなく,市場による

コントロールから企業がかなりに解放され価格機構のみによっては資源配分が適切に行わ れえなくなっていることに主として起因する。企業はそれが提供する財と用役の種類・価 格・品質についてかなりに決定力を有しており,企業の決定に対する消費者の拒否権は弱 まっているのである。

 消費者が真に希望する財と用役を大量かつ安価に提供するという基本的責任は,具体的 には二つの責任を伴う。すなわち,かかる基本的責任は,消費者の欲求を把握し,それを 充す財と用役をば開発し提供していくという積極的な責任と,顧客の真の利益に反するよ うな種類の財と用役の提供を自制していくという消極的な責任とからなる。責任の前者の 面はむろん重要であるが,後者の面,つまり消極的な責任も軽視しえない。企業がとりわ けその広告宣伝活動を通じて消費者の欲求形成に積極的に係わりあうようになっている現 在,消費者の欲求に真に奉仕する商品のみを提供し消費者の利益を促進せしめるという責 任の意義が改めて強調されねばならないのである。

 これら二種の具体的責任のうちのはじめのものについていえば,前述の基本的責任の履 行のためには企業は,消費者の欲求を認識せねばならず,また製造や配給の面での革新を       7)

通じてかかる欲求の充足に努めねばならないのである。

 具体的責任の第二のもの,つまり,消費者の利益に真には奉仕しないような商品の提供 を自制するという責任,ないし,商品選択の責任についていえば,企業による消費者欲求 のひたすらな充足はまた,その過程においてしばしば,企業の側からする消費者欲求の操 作を伴うのであり,広告宣伝を通じて顧客を創造しつつ,大量生産と大量販売を遂行する という,現代の大企業の行動様式に対して,もしくは,かかる企業行動様式を基軸とする 現代の資本主義経済体制に対して,社会の疑問が増大してきていることは,周知の如くで

ある。

 例えば,ガルブレイスは,民間セクターが利潤をえて生産し消費者需要の創造によって 市場に送り込む消費者財が豊富に存在する一方で,教育制度,スラムの除去,都市計画,

老令者福祉,医療,公共施設のような,公的セクターを通じて社会が要求することをさほ どしないものには相対的な貧困がみられることを指摘し,消費者需要の盲目的な充足に代 えて,消費者財と公共財としての間の「社会的バランス」をば現代の経済目標として主張

  8)

する。この場合,ガルブレイスは消費者に対する企業責任を論じているというよりは,現 代の資本主義経済体制の欠陥を論じているのであるが,かれの主張は,消費者に対する企        9)

業の基本的な責任の一端を示唆しているといわねばならない。消費者の浪費を誘うような

(16)

136

経営政策に対する社会の批判の増大は,経営者によるこの種の責任への配慮を不可避とし ているのである。

  (iii) その他の責任

 かかる責任には,幾つかのものが存在する。デイヴィスらは,商品の情報に関する責       10)

任,欠陥商品の補償の責任,およびアフター・サービスの責任を挙げる。企業が負うこの        11)

種の責任には,これらの責任に加えて,価格・納期等に関する契約条項の遵守の責任も存 在するであろう。このような責任の一部は法的責任の形で存在するが,多くのものが道義 的責任としても存在している。以上の如き派生的な諸責任に加えて,商品の安定的・持続 的供給の責任も,重要となってきている。

 前述の基本的責任に付随するこれらの責任は,消費者がますます企業に依存するように なっているところがら生ずるのである。商品の情報に関する責任についていえば,消費者 は購買決定に際して商品に関する情報を必要とするのであるが,技術の発展に伴っての,

商品の複雑化と新商品の登場はかかる情報に関しての企業への消費者の依存度を高あてお り,されば企業は,消費者が賢明な決定をなしうるよう広告,包装,面心表示,等の点で 適切にして真実の情報を提供するという法的ならびに倫理的な責任をもつのである。商品 の欠陥に関する責任についていえば,商品の技術的複雑化は欠陥商品の出現の可能性を増 大せしめるとともに,流通経路の複雑化が商品の欠陥をめぐっての消費者に対する責任の 所在を不明確ならしめる傾向にあるが,社会理念の動向は企業に対し,この面での増大す        12)

る義務の受け入れを要求しつつあるのである。サービスに関する責任についていえば,耐 久消費財の出現と商品の技術的複雑化とは商品の保全をあぐり消費者の対企業依存度を高 めており,ここから企業は部品と修繕の面でのアフター・サービスへの責任に直面すると ともに,それを受け入れる傾向にある。更に,契約義務の遵守に関する責任についていえ ば,商品の価格,納入時期,その他についての契約義務の必要は消費者の権利意識の向上 につれ,より増大してきている。最後に,多くの消費者がその日常生活のための物資や手 毅を少数かつ特定の企業に依存するようになっている今日,企業はそれが提供する商品の 継続的にして安定的な供給を計ることを期待されるに至っている。

 以上,企業が直面する種々の基本的ならびに付随的責任について触れてきたが,消費者 運動の高まりは,そのような責任に企業が直通することを必要たらしめているのであっ て,このことは企業経営者に責任履行のためには消費者との間のコミュニケーションの改 善,市場調査と製品開発の重視,製品の設計・製造工程・品質面での諸管理の重視,安定 供給のための資源確保等が不可避であることを指示するのである。

 (2)地域社会に対する責任

 (i)責任の領域

 企業もしくはその工場設備が立地しているところの特定の地域社会は,企業の大規模化 に伴って地域社会に対するその経営決定の影響が増大するにつれ,ますます企業活動への

(17)

関心を深めてきており,企業はその存続・成長のためには,企業へのその地域社会の期待 に対する配慮を不可欠とするに至っている。

 企業の大規模化に伴い地域社会に対するその影響が増大してきていることは,改めて指 摘するまでもない。企業がその地域社会の経済的支柱となっている場合,企業の盛衰は地 域社会の経済生活に重大な影響を及ぼす。企業の活動はまた,いわゆる公害問題,ないし 環境汚染問題をしばしば惹起しており,この問題に対する社会的関心を増大せしめつつあ る。このように,企業がその地域社会の経済的ならびに非経済的な利益への影響を増すに つれ,地域社会は企業に対しさまざまな要求もしくは期待を強力に提示するに至っている のである。

 かかる要求や期待が対地域社会責任を形成するが,その中味は地域社会というものがさ まざまな形で,企業によって影響を受けるとともに企業に影響を及ぼしているがため,複 雑である。第一に,地域社会の構成員は一面では,企業の従業員であり,消費者であり,

仕入先であり,また企業への公共的サービスの提供者であって,このことは,地域社会 に対する企業責任のと他の企業責任との間に重複をもたらすとともに,対地域社会責任内 容を複雑なものとする。例えば,雇用の維持・拡大の責仕は従業員に対する企業責任の基 本的なものであるとともに,それは地域社会に対する責任の重要な部分を構成するのであ る。第二に,企業は地域社会のひとびとの経済生活に対してのみならず,地域社会の政治

・文化・社会の諸プロセスに,ならびに地域社会の物理的・自然的環境にも:影響を及ぼし ており,ここから地域社会が企業に対して提示する要求は多様であって,この点でも企業 の対地域社会責任の内容は複雑である。

 かくの如き責任の領域が何であるかについては論者によってさまざまなものが主張され てはいるが対地域社会責任の具体的内容は,つぎの如く示しうるであろう。

 すなわち,責任の範疇の第一は,いわば積極的な種類の責任であり,それは主として経 済的性格の責任である。かかる責任としてはまず,企業あるいはその地方工場における操 業の継続と拡張を通じて,地域社会よりの労働・資材等の購入,地方自治体への税の納 入,等を積極的に促進することが存在しよう。また,地域社会からの貢献に対応する企業 寄付を行うという責任,あるいは,地域開発等の経済問題をめぐっての他方自治体の行政        ユ3)

担当者への積極的協力も,この種の責任として挙げうるであろう。

 責任の範疇の第二は,いわば消極的・禁止的にして,主として非経済的であるような種 類の責任である。この種の責任は,地域社会の自然的ならびに物理的な環境や道徳的風潮 を破壊しないというような,環境保全への責任を含むとともに,それはまた,地方自治体 への干渉の自制という政治的責任,および過度の責任受容の回避ないし温情主義の回避と いう責任を含む。禁止的な諸責任のうち,環境の保全ことに自然環境の保全をめぐる企業 責任は,ますます重要となるに至っている。

 企業が地域社会からその遂行を期待されており,かつその遂行が企業にとり不可避的で

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