貨幣価値安定をいかに制度化するか
:ユーロの模索
松永達
Abstract
This paper argues that the European Central Bank, the newly estab- lished monetary authority to assume the responsibility of the stabilisa- tion of the value of the euro, emulates the organisational structure and the procedure to conduct monetary policy of the Bundesbank, but lacks in the institutional underpinnings which the Bundesbank enjoyed in pur- suing its renowned commitment to keep the value of the mark stable.
The ECB proclaims a la Bundesbank the priority to win confidence in its policy from people to keep the inflation expectation low and hence to ac- complish the policy goal. However, the ECB has to seek the new way to win the confidence from market or abstract individuals, as far as the euro area as a whole is devoid of the institutional background as collec- tive wage bargaining system or well-organised trade union which had propped up the reputed stability of the mark.
Keywords: The European Central Bank, single monetary policy, euro
1)本稿は,畏敬する先輩,故伯井春彦氏の追悼論文である。氏は,病魔と闘いながら,
最後まで,妥協を許さず,自分自身と事物を変革する姿勢を失わなかった希有の人であ った。ここに,彼の早すぎる死に対して,あらためて哀悼の意を表したい。
はじめに
E U
の経済通貨同盟
(EMU)は ,
1999年
1月
1日より第三段階に入り,
単一通貨ユーロが誕生した
2)。これにより参加
11カ国の政府債の取引・銀行 間取引・為替取引がユーロに移行し,各国の中央銀行が個別に遂行していた 金融政策は,欧州中央銀行
(TheEuropean Central Bank; ECB)に一元化 され,ユーロ導入国の中央銀行は,
ECBで決定された金融政策を実行する 機関となった。これは欧州統合の歴史の中でも新たな段階を画するものであ
るが,画期的な試みだけに今後の課題も少なくない。
単一通貨が誕生するまでは,各国聞の為替相場を安定させる試みが長年続 けられたが,この時は,アンカーとしてのドイツマルクに対して各国通貨が 平価を維持することによって,全体としての貨幣価値安定が保たれていた。
しかしドイツマルクなき通貨統合後は,新たな価値安定政策が必要となるの である
CIssing1996 p.23)。
ECB
は , ドイツのアンデスパンクの政策を踏襲して,貨幣価値安定を政 策目標とすること,政治からの独立性を獲得して,自行の政策の透明性と説 明責任を確保して人々からの信認を取り付け,裁量を交えながら政策目標を 達成することを宣言した。確かに,ブンデスパンクの成功は,金融政策への 人々の信認が大きく寄与していたのであるが,問題は,
ECBがこのブンデ スパンクの貨幣価値安定政策を支えていた制度的基盤を有していない点であ る。また,金融革新や国際的短期資金移動の増大といった,ブンデ、スパンク
2 )第三段階への移行時の参加国は, EU加盟国のうちイギリス・デンマーク・スウェーデ ン・ギリシャを除いた11カ国(ドイツ・フランス・ベネルクス3国・イタリア・アイル ランド・スペイン・ポルトガル・フィンランド・オーストリア)で,その後2001年1月 l日よりギリシャが参加し,参加国は12となっている。 12カ国合計で,人口は3億,世 界のGDPの16%を占める。 2002年1月l日よりユーロ建紙幣と硬貨が流通を開始し,
2002年2月末以降,参加国の国民通貨は法定通貨の地位を喪失した。
が警戒していた環境の変化への対応も,
ECBの課題である。
本稿では,まず第一節で
ECBの貨幣価値安定政策の特徴およびその問題 点を考察する。次に第二節で,ユーロ圏で金融政策が一元化されたのに対し,
財政政策が各国の権限として残されたことがもたらす問題を考察する。そし て第三節で貨幣価値安定政策における制度的側面の重要性を考察する。
ECB
の貨幣価値安定政策
貨幣価値安定の維持が単一通貨の金融政策の最優先事項であることは,
マーストリヒト条約で規定され,
EUの憲法とも言える「欧州共同体を設立 する条約」第
105条に組み込まれた。これに基づいて
ECBは,ユーロ導入 直前の
1998年
10月に金融政策の行動指針を定めた
(ECB1998)。それによる と,まず,貨幣価値安定を数字で定義し,調整消費者物価指数
(HICP;Harmonised lndex of Consumer Price)
と称する,
EU統一基準で作成され た指標で見たユーロ圏内の物価上昇率が,中期的に見て
2 %未満であるとき,
貨幣価値が安定しているとする
3)。ただし,短期的に物価上昇率が目標水準 を超える場合が生じるのは避けられないとされる。金融政策が波及して物価 に影響を及ぼすのには一定の時間がかかるため,予期し得ぬショックをたち どころに金融政策によって相殺することはできないからである
(ECB 2001 p.45)。また,物価上昇率
2 %未満を目標とすると言っても,デフレと なると貨幣価値安定の定義と相容れないとしている
(ECB2001 p.39)。
この政策目標を達成するために,二段階の方針をとっている。最初の柱と して
ECBが重視しているのは貨幣集計量の伸び率である。ユーロ閣内では,
M3
と,物価水準やその他のマクロ変数の間に長期的には安定した関係が見
3 )ただし,ここには技術的な問題が存在する。 ECBが依拠するHICPは消費者物価指数 であり,消費者の支出行動の変化,指数算出に使われる財やサービスの質の向上といっ た統計値の偏りの問題を排除できないことをECBは認めている (ECB2001 p.39)。
られるとして,
M3の伸び率に参照値
4)を設けて現実の伸び率が監視されて いる。しかし,この参照値はマネタリー・ターゲットではなく,
ECBは金 利を操作して,
M3の伸びをいかなる時も遅滞なく参照値内に押さえ込むよ うなことはしない
(ECB2001 p.47)。また,参照値からの逸脱に機械的に反 応することはない(I
ssing2002)。それは,貨幣の流通速度が短期的には安 定していないこと,また銀行業務や金融システムの構造変化が貨幣の流通速 度に恒久的な変化をもたらすことがあるためである。また,
M3には定期性 預金や
M M Fが含まれているが,税制の変化やその他の要因で,他の金融 商品と比した優位性が変化して,
M3の伸び率に影響を及ぼすこともあり得 る。したがって,
Mlのようなより狭い貨幣集計量の動き,さらには信用供 給の変化を観察して,
M3の変化の中身を分析するという
(ECB2001 p.4 7 / 49) 5)。
この貨幣集計量を重視するという第一の柱とともに,第二の柱として,そ の他の貨幣価値の変動に広く影響を及ぼすと考えられる様々な要因,特に賃 金交渉による賃上げ・原油価格・生鮮食料品価格や,間接的に物価安定に影 響すると考えられる資産価格や為替相場,そしてユーロ圏内の財政収支や国
4 )参照値は1998年12月に4.5%と定められた。参照値は,周知の数量方程式 C:lM=t:.Y
+ t:.P‑t:. V)を用いて単純に算出されている (ECB2001 p.50)。この算出に当たっての ECB の見積もりは,ユーロ圏の実質 GDP 成長率が年2~2.5% , M 3の流通速度の低下 が年0.5~1% であった。インフレ率の見積もりは明示されていないが,逆算すると年 1~
2%ということになる。
5 )このECBの報告書では触れられていないが, ECBが主張するように仮にユーロ圏で M3と物価水準の間に長期的な安定性がみられるとしても, M3にMMFなどの新しい金 融商品が含まれていることを考えると,国によってこれらの金融商品の浸透度が異なる 以上, M3は必ずしも正確な指標とはなり得ないであろう。
際収支の動きを考慮に入れて,総合的に金融政策を決定するという
6)。すな わち,単一の指標や予測値の変化に機械的に反応せずに,
ECBのいう双方 の「柱 J から得られる情報を吟味し,他の方法でもその正確度をチェックし,
ショックの性質と大きさを包括的に評価するという
(ECB2001 p.55)。 後に見るように,貨幣価値安定を優先する金融政策には,ケインジアンな どから厳しい批判がある。
ECBの理事イッシング
CIssing)7)は,貨幣価値 安定の追求が成長や雇用とトレードオフの関係に陥る危険性があることを認 めているが,上述のような行動指針に基づいて金融政策を遂行することによ
6) ECBの理事イッシングの総括 CIssing2002)によると, 2001年はECBの総合的な金 融政策のあり方を如実に示していた。 3月にはM 3の増加率が4%だったのが, 6月に は参照値の4.5%を超え,同年11月には8%となった。しかしこれは,経済や金融の不確 実性の増大によって,人々のポートフォリオの選択が,長期性の資産から, M 3に含ま れるような低リスクで流動的な手段に変化したためであり,民間部門の貸出の伸び率は かなり低下していることを見ると,このM 3の伸びは物価安定に影響しないとECBは判 断した。物価上昇率は目標値を上回っていたが,これは生鮮食品価格上昇などの一時的 要因であり,中期的なインフレ圧力は低下しているとして, ECBは8月に利下げしたの に続き, 9月には,テロ事件後に異例の電話会議をアメリカのFRBと実施し,協調して 利下げを行った CDuisenberg2002)。さらに世界的な景気後退に対応して, 11月に利下 げを行った。
7) ECBの最高意思決定機関であり,金融政策を決定するのは運営理事会 CGoverning CounciI)である。構成員は,役員会のメンバー 6名,およびユーロ圏内の中央銀行総裁 11名である。決議は,原則として単純多数決によることになっている。
役員会 Cexecutiveboard)を構成するのは, ECBの総裁・副総裁および理事4名であ る。役員は, r欧州議会および運営理事会との協議の上で, EU理事会が行う勧告に基づ いて,参加国首脳レベルでの合意により任命される」となっており,民主的な選出を経 てはいない。設立時の役員は,総裁がWillemDuisenberg C前EMI総裁,元オランダ銀 行(中央銀行)総裁),副総裁がChristianN oyer C前フランス政府大蔵官僚),理事は Otmar Issing (前ドイツ・ブンデスパンク理事), Tommaso Padoa‑Schioppa C元イタリ ア銀行(中央銀行)副総裁),ほかスペイン人とフィンランド人がー名ずつであり, 2002 年3月31日現在,異動はない。フランスは, ECBの発足時に,フランス銀行(中央銀行) 総裁のトリシェ Oean‑ClaudeTrichet)を総裁に推薦していた(日本経済新聞1997年12 月20日)。総裁は任期8年であるが,現総裁は2003年7月に退任することが発表された
(日本経済新聞2002年3月7日)。
って,そのトレードオフを避けることができるという
CIssing2002)。 このように,
ECBの金融政策は,貨幣集計量を重視しているものの,ルー ル厳守ではなく裁量を伴っている。また,短期的にせよ,貨幣価値安定が成 長と雇用を阻害する可能性を否定していない点が特徴である。
ECB自身も,
ECB
の金融政策はマネタリー・ターゲティングではないことを明言してお り ,
ECBのいう第二の柱が重視されていると言える
(ECB2001 p.48)。貨 幣以外の様々なマクロ変数にも,物価安定をねらった金融政策の決定にとっ て重要な情報が存在しているという認識,そして
ECBというまったく新し い機関の設立そのものが,設立以前と以後の環境を変化させてしまい,経済 行動や,これまで安定していた経済構造上の様々な結びつきに大きな影響を 与えてしまうこと,この両者がマネタリー・ターゲティングを採用しない理 由であった。また,目標値からのインフレ予測値のずれを修正するために,
機械的に政策を実行していく直裁的なインフレ・ターゲティングでもない。
インフレ予測値は,物価安定を脅かす要因の本質を突き止める枠組として信 頼の置けるものではない。その背後にある,経済状況のより深い分析が不可 欠である
(ECB2001 p.48)。
こうした
ECBの折衷的かつ現実的な姿勢は,欧州通貨機構
(EMI;Euro‑ pean Monetary Institute) 8)が
1997年
1月の段階で示した単一通貨の金融政策 の構想とは,ややニュアンスを異にしている。
EMIは,貨幣価値安定を達 成する金融政策として,為替相場ターゲティング,利子率ペッギング,名目 所得ターゲテイング,マネタリー・ターゲティング,直裁的インフレ・ター ゲティングの五つの候補を検討し,効率性・説明責任・透明性・中期的な目 標達成・継続性.
ECBの独立性との整合性の観点からいって,採用される べき手法はマネタリー・ターゲティングと直裁的インフレ・ターゲティング
8)欧州通貨機構は,第三段階の単一通貨導入にかかる準備を実施する機関として, EMU の第二段階で設立された。
の両者に絞られ,どちらを選ぶかは
ECBの運営理事会に任されると結論づ けている
(EuropeanMonetary Institution 1997 p.8)。
いずれの手法にせよ,現実の政策の実施においては様々なマクロ変数の動 きが考慮され,裁量の余地があることを
EMIも認めているものの,こうし た二者択一の結論を
ECBが踏襲せず,
ECBが決定した行動指針にレッテル が貼られるのを拒否しているのは興味深い。イッシングが認めているように,
金融政策は,変化を続ける世界,不完全な知識しか得られない世界に常に対 処せねばならないという認識が,
ECBの金融政策の行動指針を設計するに 当たって最も考慮されたことであった。
ECBの金融政策の枠組や手順は,
他に例のない独自のものとならざるを得ず,そしてそれは,いくつもの規定 の複雑な組み合わせであり,単純な数式による関数では表現できないのであ る
(Issinget al .
2001 p.4)。そして
ECBの場合,全く新しい通貨圏に責任 を持たねばならないのであるから,
ECBが対時している不確実性の水準は,
ほかのどの中央銀行よりも大きいのである
(ECB2001 p. 4
4‑5)。
したがって,新しく誕生した中央銀行として
ECBが重視しているのは,
公衆の
ECBに対する信頼性の獲得である。
IESCBと
ECBの定款に関する 議定書
(Protocolon the Statute of the ESCB and the ECB) Jの 第
15条には,
透明性の確保と説明責任が規定されているが,
ECBによると,透明性とは,
内部での意志決定過程についての情報を供することである。
ECBが「行動
指針」を公表することによって,一連の得られた情報への
ECBの対応の特
徴を社会に伝えることができ,こうして貨幣価値安定への対応の透明性を高
めることによって,市場の信任を取り付け,人々のインフレ予想を低下させ
ることができるという。これが重要とされるのは,公衆の持つ長期のインフ
レ予想が低位で安定すれば,企業・労働組合・個人の賃金交渉や価格決定の
際に,高いインフレ率を織り込んで賃金や価格を設定しようとするのを防ぐ
とされているからである。このように,金融政策は,インフレ予想に影響を
与えることを通じて,現在の物価に効果的な影響を及ぼすことができるとい
う
(ECB2001 p.44)。そのうえで,
ECBの「行動指針」を発展させ洗練さ せていくことが,主要な使命であるとする。
この信頼性を獲得する上で重要になるのが,中央銀行の独立性である。
「欧州共同体を設立する条約」第1
08条
(1日第
107条)
9)で
ECBと各国の中央銀行の独立性が規定され,
ECBおよび各国の中央銀行は,
EUの機関や各 国政府,さらに他のいかなる組織からも指示を受けたり求めたりしてはなら ず,また,
EUの機関や各国政府はこの原則を尊重し,
ECBや各国中央銀 行で意志決定にあたる成員が職務を遂行する際に影響を及ぼそうとしてはな
らないことが定められた。
そして,こうした独立性があるからこそ,公衆に対してその決定を説明し,
その行動に対して責任をとらねばならないという
(ECB2001 p.55)。言うま でもなく,中央銀行は,貨幣価値を少なくとも一定程度制御できるという,
他のどんな機関も持ち得ない権限を有している。しかし公的かつ絶大な権 限を有しているのにかかわらず,その任に当たる中央銀行の成員は民主的な 選出を経ておらず,そのような成員による決定は民主的ではないとする批判 は少なくない。そうした批判に対して,透明性を確保し説明責任を果たした 上で,貨幣価値安定という政策目標が達成されたのなら,人々のインフレ予 想は低位で安定しているわけであり,結果として,人々は市場での行動を通 じて中央銀行の姿勢を支持したと言えるのだというのが,
ECBのような,
独立性を有して貨幣価値安定を政策目標として掲げる中央銀行の論法と言え る 。
付言すると,市場での行動は合理的な行動,あるいは金銭的な損をしない
9) ECBの金融政策に関する条項は, 1992年2月に調印されたマーストリヒ卜条約で初め て登場したが,その後1997年10月に調印されたアムステルダム条約で,条約全体の構成 が整理され,条項の内容に変化がなくても,条文に附された数字がかなり変更されてい る。本稿では,数字の異同がある場合,マーストリヒト条約での条項を
r l
日O条」とし て表記する。ための行動であり,中央銀行が目標達成に成功しでも,貨幣価値安定という 政策目標そのものが善きものとして人々に支持されているとは言えない。も っともこの政策目標は,
EUの憲法たる「欧州共同体を設立する条約」で規 定され,民主的な国家たる加盟各国がそれを承認し,その実現のために,責 任と権限が
ECBに委任されるという形をとって,形式上,政策目標の正当 性が確保されている。
こうした政策目標のもとでは,当然のことながら,
ECBにとって景気刺 激を直接の目的とした金融政策はあり得ない。
ECBの主張によれば,長期 的に安定した経済成長や雇用の創出のために
ECBが貢献できることは,貨 幣価値安定の維持のみで,それ以外に
ECBは手段も責任も有さない。職務 や政策目標を異なった政策立案機関に明確に割り当てることが,効率性と透 明性と説明責任を確保できるとする
CIssing2001 ) 。
しかしながら,仮に職務を明確に割り当てることができても,異なった政 策立案機関の打ち出す政策が衝突し,互いの効果を減じてしまうと,政策同 士の調整が必要となる。言うまでもなく,貨幣価値安定を目標とする金融政 策と真っ向から衝突するのは財政政策である。そして何よりも
EUの場合,
金融政策は一元化され独立性を付与されながら,財政政策は各国の権限とな っていることが,ユーロの貨幣価値安定にとっての問題を複雑にしている。
次節では,この問題を取り上げる。
2 i
安定と成長の協定」の妥協
貨幣価値安定を目指す金融政策と,財政政策はしばしば衝突する。それは,
財政赤字が貨幣価値安定を阻害すると考えられているためだけではない。中
央銀行の貨幣価値安定への姿勢を支持する民間主体の市場での振る舞いを通
じて,中央銀行の政策目標が実現していくという論法にとって,政府による
巨額の財政資金調達とその支出は,中央銀行が欲する公衆との信頼関係を撹
乱する不安定要因ということにもなるからである。したがって,貨幣価値安
定が政策目標として謡われている以上,仮に財政支出が民主的な手続きを経 たものであっても,財政政策が制限を受けて,金融政策が優先されることと なった。
ECBの表現を借りれば,財政政策は
rEMUの第三段階では加盟 国が専ーの権限を有したままになっている
(ECB2001 p.17)Jのであるから,
加盟国の行動を禁止あるいは制限し,そしてそれを監視するルールが
EUレベルで規定される必要ということになる。この財政政策に関するルールも,
マーストリヒト条約で規定され,
r欧州共同体を設立する条約」に盛り込ま れた。
条約では,まず第
99条
(1日第
103条)で,経済政策に関する加盟各国の主 権の制限が規定されている。加盟各国の経済政策は
EU全体の共通の関心 事項であり,閣僚理事会
10)での調整の下におかれること,そして閣僚理事会 は,加盟各国と
EUの経済政策のガイドラインを立案し,実際に採られる 政策のガイドラインとの整合性および経済活動の状況を監視し,定期的に包 括的な評価を下すこと,そしてガイドラインと相容れないか,または
EMUの適切な機能を危うくするとの評価が下された場合,閣僚理事会は当該の加 盟国に必要な勧告を行うことが定められている。しかし後に見るように,こ のガイドラインの具体的な基準の設定を巡って,各国間での意見の不一致が 噴出した。
また,各国の経済政策の調整を円滑にし,各国の赤字財政を抑えるために,
このガイドライン以前のルールが他にも多く規定されている。まず財政資金 調達のルールとして,第
101条 (
1日
104条)では,
ECBや加盟各国の中央銀 行は,
EUの機関,加盟各国の中央政府や地方政府,そして他のいかなる公 的機関に対して,当座貸越ゃいかなる種類の信用も供与してはならないこと,
そしてこれらの公的機関から,債務証書を直接買い入れてはならないこと,
10)加盟各国の閣僚によって構成されるEUの主要な意志決定機関であり,立法権と行政 権を併せ持つ。この条項で規定された決定を含む,閣僚理事会でのほとんどの意志決定 は,特定多数決による。
そして第
102条(旧
104a条)では,これらの公的機関が,金融機関の利用に あたって特別の権利を認められてはならないことが定められている。また E
Uは,加盟各国の中央政府や地方政府,そして他のいかなる公的機関の財政 上の支払い約束に対しては何ら責任を持たないことが第
103条
(1日
104b条) で規定されている。これは共同体の内部といえども,
EUが政府債務の肩代 わりをすることはなく,債務の支払いはいかなる場合でも加盟各国ないしは 個別の機関の責任であることを意味する。
そして第
104条
(1日
104c条)では,加盟各国は過度の財政赤字を避けるこ と,そしてある一定の基準を達成できない加盟国には,是正が強制されるこ とが細かく規定されている。財政赤字の対 GDP比率および政府債務の対 GDP比率に参照値が設けられて,欧州委員会は,それと照らし合わせて加 盟国の財政の現況と政府債務の累積を監視する。ある加盟国がいずれかの基 準を達成できず,過度の財政赤字が累積していると閣僚理事会が判断したと きは,一定期間内に是正するよう当該加盟国に勧告を行う。一定期間内に実 効的な行動がとられない場合にはその勧告を公表し,それでも勧告が受け入 れられない場合には,期限内に赤字を削減する処置をとるよう通知する。そ れでも是正されない場合,閣僚理事会は,当該加盟国に罰金を科す,是正さ れるまで無利子の預託金を
E Uに納める,債券発行の際にはその情報を公表 する,欧州投資銀行に当該国への融資の再考を求めるなどの措置がとられる。
閣僚理事会の議決の際には,当該国の投票はカウントされない。
以上のように,
EMUに参加する各国に厳しいルールが課されることにな
った訳であるが,具体的な基準の設定は,その後の各国間での協議に委ねら
れることとなった。しかし,よく知られているように,
1992年
2月のマース
トリヒト条約調印後
6月にデンマークの国民投票で同条約の批准が否決さ
れたことがきっかけとなって,為替相場メカニズム
(ERM)参加国の通貨
のうち,相対的に弱いと目された通貨が大規模な投機売りに見舞われ,欧州
通貨制度は大混乱に陥った。混乱は一年ほど続き,その間にイギリス・ポン
ドとイタリア・リラが
ERMから離脱し,そのほかスペイン・ペセタ,ポル トガル・エスクード,アイルランド・ポンドが切り下げられ,フランス・フ ランも大量の投機売りを浴びせられた。これを受けて,
1993年
8月に
ERMの変動幅が上下2.25% から
15%に拡大されてようやく混乱は収束した。
前述の第9
9条で規定された加盟各国と
EUの経済政策のガイドライン策 定や,第
104条で規定された財政赤字抑制のための基準を具体的に設定する 協議が開催されたのは,こうした混乱を経てからであった。
1996年
12月にア イルランドのダプリンで
EU首脳会議が開催され, ドイツは,ユーロ導入 後の財政運営に厳格な規定を設ける「安定協定」を提案した。先進国の中で も,いわゆるケインズ政策をほとんど採用せず,通貨価値安定を最優先にす る政策をほぼ一貫してとってきたドイツ
11)にとって,単一通貨導入後に財政 規律を緩やかにすることは,後述のように,これまでのドイツの経済発展を 支えてきた社会的合意の根幹を否定することであった。ドイツが有する社会 的合意を持たないイギリスやオランダも,雇用創出のためには,財政支出拡 大よりも,いわゆる構造改革を進めて労働市場の柔軟性を増大させるべきだ
という見地から, ドイツに賛同した
12)。
このほかにも,財政規律の厳格化には,様々な利点があると主張された。
財政の均衡化は,財政支出拡大によるインフレの危険を防ぎ,クラウディン グ・アウトの弊を取り去り,金融政策への負担を除去するとともに,低水準
11) 1967年に戦後初めてのマイナス成長[‑0.2%Jを経験したとき,特別法を定めて初め てケインズ主義を導入し,雇用と経済成長を政策目標に掲げた。法律の名前は奇しくも
「成長と安定法 (theStability and Growth Law) Jであったが,まもなく迎えた石油危機 を契機に健全通貨主義に復帰した。
12) ERM加盟時のイギリスは,その賃金交渉システムやイングランド銀行の政治的独立性 の欠如といったような社会・政治上の特徴の故に,大陸ヨーロッパで一般的な水準に見 合うようなインフレ率を自国の力で達成するのは不可能だと広く見なされていた (Smi・
thin 1996 p.26)
。
の金利の維持が可能になるので,通貨投機が抑止され,また価格安定と相侯 って投資が増大し,雇用創出と経済成長に寄与するだろう。また国債費が軽 減されることによって,優先分野への財政の集中が可能になるだろうという のが,一般的な主張である。
もちろん,金融引き締めによるデフレ圧力の財政による緩和が不可能にな ることは多方面から批判された
13)。加盟国の中で厳格なルールの導入に抵抗 したのはフランスであった。長らく典型的なケインズ政策を続けてきたフラ ンスは,
80年代前半に通貨統合を意識して拡張型政策を棚上げしていた
14)。
しかし,単一通貨導入後も財政支出を通じた雇用政策の道を厳格なルールで 絶たれることに対しては,激しく反発した。ユーロ導入後は,金融政策によ る自国の景気の調整が不可能になることに懸念が多かっただけに反発は大き かった。結局,政治的裁量の余地を若干残した「安定と成長の協定
(Stabil‑ ity and Growth Pact) Jとして妥協にこぎつけ,
1997年
6月のアムステルダ ム首脳会議で最終合意に至った。
この協定は,
EUの政策決定の中で、拘束力の最も強い二つの「規則
(regu・ lation) Jとして決定された
15)。一つは, I 財政状況の監視及び経済政策の監 視と調整を強化する閣僚理事会規則」で,前述の条約第9
9条で定められた多
13)当然ながら,ケインジアンは強く批判している。例えば, CPasinetti 1998) CPalley 1997)参照。
14) 1980年代に政権を取った社会党政権は,それまでの緊縮政策を転換し拡張政策に転換 したが,相次ぐ資本逃避とフラン下落に見舞われ, 1983年より競争的ディスインフレ政 策 Ccompetitivedisinflation)に政策を転換し,インフレ率を近隣諸国より低下させて,
経常収支を改善し,雇用を維持する政策を指向することとなった。フランスのインフレ 率はその後低下したのち安定し, ドイツとの長期利子率格差も大きく縮小させることに 成功し, 92年の欧州通貨危機にも本質的には影響を受けなかった。しかし,その代償と して失業率は上昇していた CBlanchardand Muet 1993 p.l2‑13, p.21)。この背景につい ては,拙稿「国際経済統合の行方 ーミュルダールの所論を中心にJr愛媛経済論集』第 15巻第l号(1996年3月) を参照されたい。
15) r規則」は,国内法の規定を必要とせずに,その全体が全加盟国に直接適用される。
角的サーベイランス規定を具体化するものである。これによって財政赤字の
GDP比を
3 %未満に抑えることが定められた。また,通貨統合への参加国 は「安定化計画
(stabilityprogramme) Jを提出し,中期的な財政収支計画 の報告を義務づけられる。そして非参加国も「収数計画
(convergence programmes) Jを提出し,財政や金融政策の目標(為替相場・インフレ率) を報告し,通貨統合参加基準の達成度が審査される。閣僚理事会は,これら の報告を分析して,基準達成が中期的に懸念があると判断された場合,是正 を勧告することとなった。
もう一つの規則は, I 過度の財政赤字に対する処置の履行を加速し明確に する閣僚理事会規則」で,前述の条約第
104条の制裁規定を具体化するもの である。まず,財政赤字増大が自然災害,深刻な景気後退といった例外的な 原因によるものかどうかを委員会が判定する。ここで,深刻な景気後退とは,
原則として実質
GDPが
2 %以上低下した場合であるが,後退が急激な場合 や長ヲ│いている場合は,
0.75%以上の低下も該当するとの合意がアムステル ダム首脳会議でなされ,若干の裁量の余地が生じることとなった。しかし,
財政赤字増大が例外的な原因に拠らないと判断された場合,閣僚理事会が当 該国に是正を勧告し
4カ月以内に実効的な対策がなされないと閣僚理事会 が判断した場合,報告提出から
10カ月以内に制裁を加える。まず無利子での 預託金
16)を賦課し,二年以内に是正されない場合,これは罰金として没収さ れることとなった
17)。
16) GDPの0.2%+GDPの3%を超える赤字額の10%,ただし年間の預託金はGDPの0.5%
以内と定められた。
17)こうした厳格なルールがどこまで実際に適用されるかは,現時点では明らかではない。
2001年に,ポルトガル,及び皮肉なことにドイツの財政赤字の対GDP比が3 %近くにま で上昇し, EUの欧州委員会は是正勧告を出す方針を固めたが,閣僚理事会はこれを見送 った。ドイツは2002年9月に総選挙を控えており,それを前に中道左派の現政権の経済 政策が失政と受けとめられないように配慮、したためと言われている(日本経済新聞2002 年2月11日・ 12日)。
このように,通貨統合参加国の財政政策の規律に関しては,厳格なルール と裁量の余地が並立することとなった。財政規律の厳格化は,公的部門の経 済活動の比重低下と私的部門の相対的上昇を意味する。しかし,この両部門 聞の比重の配分は,各国の経済発展の歴史の中で,政治的過程を経て決定さ れてきた。世界経済の中での自国経済の位置が変化すると,当該国内での様 々な社会集団聞の力関係が変化し,これを通じて,両部門間の比重の配分が 決定されてきた。したがって,
EMUの成立という形で,ユーロ参加諸国の 自国経済を取り巻く環境が大きく変容して,その比重の組み替えが必要とな ったとしても,各国内部での合意形成が不安定な現状では,裁量の余地を含 めた何らかの政治的判断が必要となろう。
社会での何らかの合意形成がないと,民主主義が機能している社会では特 に,政策の安定を確保するのは困難である。貨幣価値安定政策もこの例外で ないことは,前述のように
ECBも認めており,それゆえ,
ECBも金融政策 に対する市場での信任獲得を何よりも重視している。しかしながら,長らく 貨幣安定に成功したドイツの場合,市場での信任といったアトムとしての個 人の意志の集約を超えて,社会集団聞の様々な合意形成が,政策の安定の背 後に働いていた。次節では,このドイツの貨幣価値安定政策を概観し,
EMU
にとっての意味を考える。
3
金なき後の貨幣価値安定政策の模索
ECB
の理事のイッシンクi"
CIssing)の言によると,
ECBによる一元的な
金融政策は,
1970年代のインフレおよびそれに続く通貨の不安定を始めとす
る,欧州の中央銀行の様々な経験を反映しており,長い準備期間の最後を締
めくくるものである
CIssinget al. 2001 p.2) 0 1960年代から
70年代前半にか
けて,西欧諸国は,国際的流動性の拡大,アメリカの巨額の財政支出, ドル
ショック,石油ショックといった外的ショックが,欧州固有の構造的要因と
結びつき,中央銀行は政策転換を余儀なくされた
18)。従来のいわゆるケイン ズ政策によって景気を好転させ,雇用を増やすことができず,逆に欧州各国 は,スタグフレーション,財政赤字の累積,貨幣価値の不安定に苦しむこと となった。
EMU
の試みが始まったのは,この直前であった。
1970年に,最初の構想 であるウェルナ一報告
(TheWerner Report)が発表された。これは三段階 を経て
E C各国経済の収紋を達成し,
10年間で域内為替相場を固定化する計 画であった
19)。この計画の特徴は,金融政策の統合より財政政策の統合を優 先させている点にあった
(Eichengreen1993 p.1324‑5)。ユーロ誕生の基礎 となったドロール委員会報告とは異なり,為替相場固定化の前に,一国の財 政政策の主権を制限し,財政を共同体レベルに集中化させる必要があると考 えられていた。この戦略は,ブンデスパンクのティトマイヤー
(Tietmeyer)によると,マーストリヒト条約よりも首尾一貫しているが,当時は,政治統 合の深化を実現しようとする意志がなかった
(Tietmeyer 1998 p.9)。とは いえこの当時,西ドイツ以外の各国にとって,財政政策は自国の雇用の確保 のために重要な道具であった。貨幣価値安定が財政主権に優先するという合 意がない以上,財政政策の統合は困難であった。
いっぽうアメリカでは,この時期に金融政策が大きく転換した。
60年代後 期より圏内でインフレが昂進し, ドル切り下げを見越した投機が多発し,短 期的な資金移動が激化した。アメリカの国際収支赤字は拡大し, ドルの信認 は低下し, ドルを金に交換する動きが強まり,ついに
1971年にドルの金との
18) 60年代から70年代の外的ショックが欧州通貨統合の試みを促したことについては,拙 稿 EMU‑the alternative to the international monetary system based on competition be‑ tween national currencies' ,愛媛経済論集,第19巻第2号 (2000年3月)を参照されたい。
19)第一段階では為替相場の変動を縮小し,各国政府は金融財政政策の調整を開始し,第 二段階では為替相場の変動と貨幣価値の変動をさらに縮小し,第三段階で為替相場を固 定し,資本規制が廃止される。
交換が停止された。アメリカは,金との関係を切り離した自国通貨の制御の あり方を模索することとなった。
70年代は徐々に貨幣集計量
(M1)を目標 とするようになったが,目標達成のための直接のターゲットはフェデラル・
ファンドレート (FFレート)であった。しかし設定した目標を達成しよう とすると,しばしば FFレートの大きな変動が必要となるが,連邦公開市場 委員会
(FOMC)は短期金融市場への影響を恐れてこれを鴎跨し,逆に
FFレート変動の許容範囲を狭くした(三木谷
1993 165‑6頁)。結局,政策目標 は達成されず,また金利自身を政策目標とすることもできず,インフレはさ
らに昂進した。
マネタリズムの実験は,こうした背景の下に実施された。
1979年
10月に,
新しく連邦準備理事会議長に就任したヴォルカーが,金融政策の方針転換を 発表し,これまでの FFレートでなく銀行の準備預金の量を操作することに よって,貨幣集計量
(M1)をコントロールするという政策目標達成を試み ることとなった。これは,貨幣乗数の安定性を前提として,厳格なルールに よってマネタリーベースの伸び率をコントロールして,貨幣集計量の伸びを 抑え,インフレを抑制しようとするもので,
FFレートの変動の許容範囲は 拡大された。
これによって,確かに政策目標は達成されたが,その代償として FFレー
トが高騰したのち乱高下することとなった。インフレは確かに押さえ込まれ
たが,これは貨幣集計量の伸びが抑えられたためと言うよりも,
FFレート
の高騰によるものであり,次第に景気後退が深刻になった。さらに中南米諸
国のドル建対外債務の履行が困難になり,国際金融に大混乱をもたらした
(Smithin 1996 p.58‑60,
p.68‑69)。また,周知のように,貨幣集計量の増
加率と名目所得やインフレ率の関係が,マネタリズムが主張するようには安
定しなくなった。この理由は,金融革新のために貨幣集計量の正確な定義が
困難になったためとされるが,ここでの問題は,貨幣の定義といった技術的
問題に解消されるものではない。金融草新は必ずしも外生的要因ではなく,
金融自由化と相侯って,マネタリズムの政策に伴う資金調達の制約や金利の 乱高下によって拡大した。
1982年
10月にヴォルカ一議長は,
M1の伸びを政 策目標として銀行の準備預金を操作することを中止すると公表した。
いっぽう,当時の西ドイツもこの時期から金融政策を転換し,
1974年
12月 よりマネタリー・ターゲッテイングを採用した。この政策転換の理由の一つ は ,
1973年の変動為替相場制移行の前に,投機的な海外短期資本の流入によ って,プンデスパンクの金融政策が有効性を失い,労働組合や企業がブンデ スパンクの物価安定を達成する能力に懐疑的になったため,従来の方法では 意図した結果を生み出せなくなったことが挙げられる(羽森
1993239頁 ) 。
このマネタリー・ターゲッティングの特徴は,厳格なルールではなく,実際 の運用が非常に弾力的なことである
(Bernakeet a11999 p.42)。貨幣集計量 の変化の中身を分析するために,様々なマクロ変数が観察される。目標値に は幅が設けられ,短期的な裁量の余地を残している。また産出量や為替相場 もある程度考慮され,必然、性があると見なされたら,数値目標からの話離は 許容される。ブンデ、スパンクの法的な独立性の保証が支えとなって,ブンデ スパンクの裁量が可能となる。
そして,こうしたブンデスパンクの判断が国民に詳しく説明される。貨幣
価値安定政策への信認を取り付けて,人々のインフレ予想を低位で安定させ
るために,ブンデスパンクは説明責任を何よりも重視している。人々がブン
デスパンクの姿勢を,政策の弾力性を含めて承認すれば,それは賃金交渉や
企業の価格設定の行動に作用し,貨幣価値安定に寄与する。そのうえで,経
済活動の規制を抑えて市場メカニズムの効率性を享受し,投資主導・投資財
輸出主導の成長を実現する。一方で社会福祉を充実させいわゆるセーフテイ
ネットを整備し,市場メカニズムが社会にもたらす負の部分は,政府が処理
する。こうして高成長・高福祉の社会を実現し,これが相侯って貨幣価値安
定への信頼醸成にも結びつく。この好循環が実現すれば,政策の安定性も高
まる。こうした社会的市場経済と呼ばれるドイツ特有の自由競争の枠組みの
設定の一環として,ブンデスパンクの貨幣価値安定政策は成功を収めた
(Allen 1989)。
ブレトン・ウッズ体制崩壊後, ドイツマルクとは対照的な政策をとり,混 乱をきたしたのはスカンジナヴィア諸国であった。ここでは,為替相場が裁 量的政策の道具として用いられるようになった。労使聞の中央交渉を通じて 名目賃金の伸び率が上昇すると,貿易財部門の国際競争力を維持するため,
為替相場が切り下げられた。これによって雇用はある程度維持されたが,イ ンフレの昂進を招き,これが更なる名目賃金の上昇を刺激した。こうして,
賃金上昇と切り下げのスパイラル現象が起きたという
(Hornand Persson 1988 p.1622)。
ERM
の安定は,周辺各国がドイツの金融政策に追随し,それを模倣して,
マルクの信認を輸入することによって達成された。ドイツマルクは,
EMSでのシステムでのアンカーとしての役割を果たした。欧州通貨統合は,こう
した経緯からして,
ECBが組織・政策目標・政策手段の各方面でブンデス パンクを範としているのは,当然の成り行きかもしれない
20)。しかし,ブン デスパンクの貨幣価値安定政策の成功を支えていたドイツ特有の経済社会制 度は,当然ながらユーロ圏内にはみられない。
ECB
の運営理事会は,賃金交渉を細かく注意して監視し,それが将来の 物価水準の動きに及ぼす影響を分析するという
(Issing2002)。しかし,
EMU
では,労使間による集団的な賃金交渉という形態とは反する方向であ る,労働市場の流動化が主張されている。物価水準が相対的に他国よりも高
20)ブンデスパンクの最高意思決定機関であり,金融政策を決定するのは理事会であり,
構成員は,役員会のメンバー 8名,およびドイツ国内の州中央銀行総裁 9名であるo役 員会を構成するのは,ブンデスパンクの総裁・副総裁および理事6名である。注 7と比 較すると, ECBの組織構成がこれと酷似しているのがわかる。 ECBの定款は, ドイツの ブンデスパンク法を模している (Eijffingerand Haan 2000 p.31)。また, ECBの金融市 場への介入の手法もブンデスパンクの方法を踏襲している。
く,失業が発生している場合,物価水準が低下すれば雇用の増大に寄与する であろうし,変動相場制の下では,これは為替の下落によってももたらされ るであろうが,為替レートが固定化されると,物価水準の低下を実現するた め貨幣賃金の低下が必要となっても,これは本来ならば賃金の下方硬直性に より困難である
CPalley1997 p.153)。しかし通貨統合後は,市場の条件の 変化に名目賃金が敏感に反応して,失業の緩和が達成されるべきだとする見 解も少なくない
21)。仮に,ユーロ圏内の労働市場が弾力性を増して賃金決定 が分散型になれば,過去のドイツとは異質な賃金決定制度を
ECBは相手に しなければならないことになる。
おわりに
政府の金融政策への干渉を排除し,独立性を高めた上で,中央銀行が貨幣 価値安定政策をルールと裁量のバランスをとりながら遂行し,これによって 中央銀行の信認を確保し,政策目標を実現するという政策にとっての課題は,
人々のインフレ予想をいかにして低位で安定させるのかという点にあった。
アメリカは, 7 0年代末から 8 0年代初頭に,ルールを厳格に定め,価値判断を 排し,機械的に処理する政策運営を行ったが,厳格な固定的なルールが人々 の金融行動の変化と組踊をきたし,行き詰まった。その後,欧米の多くの中 央銀行は,同じく貨幣価値安定を旨としながらも,裁量を交えながら政策を 実施するようになったが,裁量の余地がある以上,そのいわば中央銀行の姿 勢に対する信頼を取り付ける必要があることになる。社会に埋め込まれた制 度的な支えを有していたブンデスパンクは,この一種の人格化に成功したが,
ECB
は,自由化ないしは流動化を増す市場を相手に,自己の信認を高めて
21)このほかに既存の一国内においては,労働力の移動による調整も理論上あり得るが,
文化的・社会的に多様なEU域内において,労働力移動が労働者の厚生を増大させるか どうか,また限られた階層以外に移動を考えるかどうか疑問である。