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「国民的出稼ぎ現象」の社会・経済的影響 : 北イ エメンの20年

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「国民的出稼ぎ現象」の社会・経済的影響 : 北イ エメンの20年

著者 佐藤 寛

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 17

号 2

ページ 369‑408

発行年 1992‑12‑15

URL http://doi.org/10.15021/00004248

(2)

佐藤   「国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

「国 民 的 出稼 ぎ現 象 」 の社 会 ・経 済 的 影 響           北イエメンの20年

   寛*

Labor Migration as a "Whole Nation Movement" and Its Impact on Society and Economy: Yemen's Experience from 1970 to 1990

K. Hiroshi SATO

This paper is intended to illustrate how the "labor migration" could initiate and accelerate the socio-economic changes of the home country of emigrant workers. I will discuss this impact from three dimensions:

first, outflow and absence of emigrant workers from their home country;

second, inflow of remittance, and finally, return of workers. This paper is the result of the author's field work and bibliographic study.

With the beginning of the 1970s, especially after the "oil crises" in 1973-74, Middle Eastern oil-producing countries entered "the era of development" with tremendous pace and scale. This phenomenon affected North Yemen (Yemen Arab Republic) , the neighboring Arab- Islam, non-oil producing, poor and closed country.

Yemeni Highland societies (70-80% of North Yemen consists of mountainous areas) are featured by their isolation from each other and also from the outside world until 1970. Isolation was supported by a self-sufficient agricultural economy, minimal social mobility, and an in- dependent political mind of the tribesmen.

Since the beginning of the 1970s, the development boom of Saudi Arabia attracted more than a million workers from Yemen. This means about a half of the Yemeni male labor force was working in Saudi Arabia. The remittance of Yemeni labors amounted to 13 billion U.S.$

in the peak year of 1978/79, which was equivalent to 77% of Yemen's GDP for that year.

アジア経済研究所

Key Words : labor migration, remittance, oil-boom, development, social strata

キ ー ワ ー ド:出 稼 ぎ 労 働,送 金,石 油 ブ ー ム,開 発,社 会 階 層

(3)

国立民族学博物館研究報 告17巻2号

The outflow of a young and most energetic labor force caused a decrease of cultivated land and an increase of labor wages domestically.

An inflow of remittance resulted in an increase of purchasing power among the rural population. This accelerated the penetration of cash in- to isolated villages. The general inflation caused the price of bride to soar, and most young men compelled to emigrate to get married. This made labor migration a "whole-nation movement".

Since most Yemeni emigrant workers were unskilled and single, and their stay-period in Saudi Arabia was short (less than 5 years) , some emigrants began returning from the latter half of the 1970s. Returned emigrants brought with them automobiles, generators, drilling machines for water well and other machineries along with dresses for their women, stainless knives and forks and electrical appliances for their household

(most of them were made in Japan) .

Returning emigrants ventured into new business which had been unknown in Yemen, such as taxi, petroleum lorry, gas-filling station,

car-repairing, metal window-frame making, and so on. They also entered into commerce, which was traditionally considered as an inferior work from the tribal point of view.

The self-sufficient cereal producing agriculture shifted into a cash- cropping and "Qat" production, and peasants import cheap flour and canned foods. Social mobility increased with new asphalt roads and emigrants' cars. A lot of commodities ranging from Qat leaves to smuggled petrol are flooded on the roads. Commerce and transport became Yemen's prime industry.

After two decades of these changes, the long-lived isolation of Yemeni societies has now broken down. Agriculture as a bases of tribal society is on the decline, and Yemen is now totally dependent upon the outside world.

International labor migration is a global issue, and it could be inter- preted as one of the unique phenomina in the 20th century. The Yemeni case is one of the typical examples of socio-economic impacts of interna- tional labor migration on home country.

Development aid is another unique phenomenon in this century,

and when we examine the development of the third world countries, we

cannot ignore the impact of international labor migration. Therefore,

the experience of Yemeni labor migration offeres a lot of lessons and im-

plications for us, the aid donors and receivers as well.

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佐藤  「国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

第 一 章   イ エ メ ン 「閉鎖 性 社 会 」   1.前 提条 件

   1一① 地理 的概 観    1一② 居 住 形 態

  2.閉 鎖 性 社 会 の維 持 シス テ ム    2州①   閉 鎖 的経 済 シス テ ム    2一②   閉鎖 的政 治 シス テ ム    2一③   閉 鎖 的 社 会 シス テ ム 第 二 章   「国 民 的 出 稼 ぎ現 象」

  1.背

    1一①   出 稼 ぎ前 史     1一②   オイ ル ブ ー ムの発 生

2.イ エ メ ン人 出稼 ぎ労 働 力 の特 徴 と規

3.出 稼 ぎ流 出 の諸 側 面   3一①  人 の 動 き(流 出)   3刷② 金 の 動 き(消 費)   3一③   金 の 動 き(投 資)   3一④ 物 の 動 き

4.出 稼 ぎを 前提 とす る社 会 へ 5,出 稼 ぎ帰 り

  5d①   国 内 流 動 性 の拡 大   5一②   商 業 へ の参 入

6.「 国 民 的 出稼 ぎ」 と閉鎖 性 社 会 の崩 壊

  「国 際 労 働 力 移 動 」 は極 め て20世 紀 的 な現 象 で あ る。 正 確 に は1970年 代 に始 ま った

「20世紀 後 半 的 」 現 象 と言 って も よい で あ ろ う。 なぜ な らば 「国 際 労 働 力移 動 」 の発 生,進 行,拡 大 過 程 の な か に は,工 業 化 の進 展 と工 業 製 品 の 途 上 国 へ の 浸透,自 動 車 の普 及,航 空 交 通 網 の急 速 な拡 大,国 際 金 融 シス テ ム の発 達 な ど,20世 紀 に 人類 社 会 に起 きた さ ま ざ ま な変 化 とそ の 影響 が相 互 にか らみ 合 い なが ら作 用 して い るか らで あ る1)。

  本論 は1970年 代 以 降,出 稼 ぎに赴 く労働 者 数 が,そ の 国民 経 済 ・人 口の 規模 に照 ら して極 め て大 きか った 北 イ エ メ ンの事 例 か ら,出 稼 ぎ流 出が 送 り出 し国 の 社会 ・経 済 へ どめ よ うな影 響 を 与 え うるか,に つ い て,具体 例 に 基 づ い た考 察 を 加 え,も って 厂国 際 的労 働 移 動 」 現 象 の理 解 の 一 助 を提 供 し よ う とす る もの であ る。

1)労 働 力 の 国際 移 動 は広 義 に は ア フ リカか ら の奴 隷 交 易 な ど も含 ま れ る が,こ こで 「20世紀 的」 と区別 す る の は,① 国家 間 の労 働 移 動 で あ り,② 移 動 の契 機 は経 済 的動 機 で あ り,③ 労 働 者 本 人 の主 体 的 決 定 に基 づ くも の で あ る と い う点 に よる。 加 え て④ 移 動 の手 段 が主 と して 航 空 機 な どの近 代 的交 通 機 関 に よ る もの で あ り,さ ら に⑤ 獲 得 した賃 金 の本 国 へ の送 金 が何   らか の形 で 国際 的 な 金融 ネ ッ トワー クに依 存 して い る とい う点 で,運 輸 ・通 信 ネ ッ トワー ク   の 国際 的 発 達 を 前 提 と して お り,や は り 「20世紀 後 半 的 現 象 」 と呼 ぶ に 値 し よ う。

    こ こで1970年 代 とは ア ラブ産 油 国 で の開 発 ブ ー ム が,大 規模 な 国際 労 働 力移 動 を 引 き起 こ   した73年 以 降 を主 と して指 して い る。

   ま た 国 際 労働 力 移 動 が 「20世紀 的 」 現 象 で あ る とい う認 識 は,国 立 民 族 学 博 物 館 で平 成3  年9月 に 開催 され た特 別 研 究 厂20世紀 に お け る諸 民 族 文 化 の伝 統 と変 容 」 プ レ シ ンポ ジ ウム   (端信 行 座 長)に おけ るデ ィス カ ッシ ョンに触 発 され た もの であ る。

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

  本論 の考 察 の対 象 は,1970年 頃 か ら90年 まで の20年 間 に起 き た北 イ エ メ ンに お け る 社 会 ・経 済 的 変 化,と す る2)。

  対 象期 間 を20年 間 に設 定 した 根 拠 は 以 下 の とお りで あ る。 起 点 の1970年 は まず 第 一 に 王政 打 倒 革 命(1962年)に こ引 き続 く内 戦 が終 結 し,イ エ メ ンが よ うや く実 質 的 な近 代 化 に着 手 した年 で あ る。 この 結 果,王 政 時 代 の鎖 国政 策 に よ っ て外 部 世 界 との接 触 が ほ とん どなか った イ エ メ ンの 農 村 社 会 が近 代 化 の波 に曝 され 始 め た 。 第 二 に 内戦 終 結 に よ って イ エ メ ン人 のサ ウジ ア ラ ビ アへ の 出稼 ぎ が容 易 に な り,そ の後 の 大量 の 出 稼 ぎ流 出 の前 提 条 件 が 整 った 年 で もあ る。

  一 方 終 点 の1990年 は,第 一 に 同 年5月 の南 北 イ エ メ ンの統 一 に よ っ て両 イ エ メ ンの 経 済状 況 が 大 き く変 化 し始 め た 年 で あ る。 第 二 に 同年8月 に 起 きた イ ラ クに よる ク ウ ェー ト侵 攻 を発 端 と して ア ラ ブ世 界 内 に政 治 的動 揺 が広 が り,そ の 余 波 と して イ エ メ ン=サ ウジ ア ラ ビア関 係 が 悪 化,サ ウ ジア ラ ビア か ら イ エ メ ン人 出稼 ぎ労働 者 が大 量 に 帰還 す る 事 に な った3)。 もち ろ ん これ で イ エ メ ン人 の 出 稼 ぎが 途 絶 す るわ け で は な い が,サ ウ ジア ラ ビア へ の大 量 出稼 ぎ流 出は これ を も って一 応 収 束 した と考 え られ る。

ま た第 三 に イ エ メ ン国 内 の石 油産 出 も徐 々に拡 大 し,従 来 の 「非 産 油 国」 と して の経 済 構 造 が 変 化 し始 め て い る事 も考 慮 に 入れ な けれ ば な ら ない4)。

  以上 の よ うな理 由か ら この20年 間 を 出稼 ぎ労 働 者 の流 出 とそ れ に と もな う社 会 ・経 済 的 変 化 が 激 しか った 時 期 と して,そ の前 後 の時 期 と区 別 して 考 え る事 が で きる で あ ろ う。 本 稿 で は 仮 に,こ の 期 間 を 「国民 的 出稼 ぎ現 象 」 の20年 間 と規 定 す る。

2)現 在 既 に北 イ エ メ ン(イ エ メ ン ・ア ラブ共 和 国)と い う国家 は存 在 せ ず,1990年5月22日   に 旧南 イ エ メ ン(イ エ メ ン人 民 民 主 共 和 国)と 統 一 し 「イ エ メ ン共 和 国」 と な って い る。 し   か し本 論 で は 特 に 断 ら な い限 りイ エ メ ン とい う場 合 は統 一 以 前 の 旧北 イ エ メ ンを 指 す も の と   す る。

3)1991年9月 まで は,イ エ メ ン人 は サ ウ ジ ア ラ ビ ア国 内 に ビザ な しで入 国 す る事 が で き,雇   用 主 の 保 証 書 な しにサ ウジ ア ラ ビア国 内に 居 住,就 労 す る事 が で きた 。 これ は 他 の 外 国 人 に   は 与 え られ て いな い 特 権 で あ り,イ エ メ ン人 のサ ウジ ア ラ ビ ア国 内 で の就 労 を 容 易 に して い   た 。 しか し9月 に この 特 権 は 廃 止 され,以 後 は 他 の外 国 人 同 様 雇 用 主 の保 証 書 が 必 要 と な っ   た 。 これ を き っか け と して イ エ メ ン人 の出 稼 ぎ労 働 者 の大 量 帰 国 が 発 生 し,政 府 発 表 に よれ   ば,同 年 中 に80万 人 以上 が 帰 国 した とされ る。

4)北 イ エ メ ンか ら の石 油 輸 出 の開 始 は1987年,南 イ エ メ ンも88年 か ら石 油 輸 出 を 開 始 した 。   1990年 の 産 油 量 は北 が20万 バ ー レル/日,南 は1〜2万 バ ー レル/日 で あ る。

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佐藤  「国民的 出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

第一 章   イ エ メ ン 「閉 鎖 性 社会 」

  本 章 で は まず,「 国 民 的 出稼 ぎ現 象 」 発 生 以 前 の イ エ メ ンの 社 会 ・経 済 状 況 に つ い て,そ の基 本 的 な性 格 と これ を 維 持 して きた シス テ ム との関 係 に つ い て 検 討 す る。

1.前 提 条 件

  1一① 地 理 的 概 観

  イ エ メ ン は ア ラ ビ ア 半 島 の 南 西 部 に 位 置 す る ア ラ ブ 国 家 で あ る 。 ア ラ ブ と い え ば 砂 漠 と い う イ メ ー ジ が 先 行 し が ち だ が,北 イ エ メ ン は 大 ざ っぱ に 言 え ば 山 岳 国 家 で あ り, 国 土 の7割 が 山 岳 地 で あ る 。 北 イ エ メ ン の 面 積 は 約17万 平 方 キ ロ,地 形 は 紅 海 に 沿 っ て 南 北 に 細 長 い 半 砂 漠 の 平 野(テ ィ ハ マ 地 方)が あ り,そ の 東 に や は り南 北 に 急 峻 な 山 脈(西 部 山 岳 地)が 連 な る 。 こ の 山 脈 の 最 高 峰 は3760メ ー トル あ り,ほ ぼ 富 士 山 と 同 じ高 さ で あ る 。 こ の 山 脈 の 東 は 標 高200(》‑2500メ ー トル の や や 平 坦 な 高 原 地 帯(中 央 高 地)で,こ こ に 主 な 都 市 が 南 北 に 展 開 し て い る 。 中 央 高 地 の 東 は な だ ら か に 下 っ て ア ラ ビ ア 半 島 内 陸 部 の 砂 漠 地 帯 に 至 る(地 図,図1参 照)。

  人 口 の 大 半 は 西 部 山 岳 地,及 び 中 央 高 地 の 農 村 に 居 住 し て い る(写 真1)。1970年 以 前 の 人 口 統 計 は な い が,最 初 に 人 ロ セ ン サ ス が 行 わ れ た1975年 当 時 の 人 口 は 約650 万 人 で あ っ た 【CENTRAL  PLAN「NING ORGANIzATIoN  1988:37亅5)。

図1  北 緯15̀40"̀の 東 西 断 面 図(地 図 のA‑A'線)[DRESCH  1989:8】

5)た だ し,当 時 の 総 人 口6,492,530人 の う ち1,234,000人 は 国 外 居 住 者 と な っ て い る 。

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

[WORLD  BANK  1979]

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佐藤  「国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経 済的影響

写 真1  山岳 地 イ エ メ ンの段 々畑 と家 屋   家 屋 は 通 常 山 の て っぺ ん に あ る。

  主 要 産 業 は これ ら地 域 の 段 々畑 と盆 地 で の 降 雨 に依 存 した農 業 で あ り(沿 岸 部 でわ ず か に 漁業 が あ る),70年 代 以 前 に は 近 代 的 な意 味 で の 工 業 は ほ とん ど存 在 して い な か った。 農 業 は 自給 自足 的 な穀 物 生 産 が 主 体 で,わ ず か に コ ー ヒ ーが輸 出用 に栽 培 さ れ て い た。

  な お1970年 以 前 の イ エ メ ンの政 治 ・社 会 状 況 に つ い て簡 単 に 述べ て お く と,1917年 以 降 「ム タ ワ ッキ ル王 国」 と称 す る前 近 代 的 な 王政(イ マ ー ム制)国 家 が厳 格 な鎖 国 政 策 を と って い た。 歴 代 イ マ ー ム は意 図 的 に近 代 化 ・開 発 の 抑 制 を 図 って い た た め, 61年 まで 国 内 の交 通 ・通 信 網 は ほ とん ど整 備 され て お らず,国 民 の教 育 ・衛 生 水 準 は 非 常 に 低 か った。62年 に王 政 打 倒 革 命 が 発 生 した 当 時,農 村 部 に 近 代 的 な学 校 は一 切 な く,平 均 寿命 は37才,乳 幼 児 死 亡 率 は378%で あ った 【UNIcEF 1988:表1】 。   革 命 後 も1970年 ま で は 全 土 で イ マ ー ム 派 と共 和 国 派 に よる激 しい 内戦 が 続 いた た

め,新 国 家 は 内 戦遂 行 に 全 力 を 注 が なけ れ ば な らず,内 戦 が 終 結 す る まで は社 会 ・経 済 的 開 発 に は ほ とん ど着 手 す る こ とが で き なか った 。

1一②   居 住 形 態

イ エ メ ンで は 山 岳 地 が 多 い た め に,一 つ 一 つ の 農 村 の 人 口 規 模 は 小 さ い 。1975年 ン サ ス の 時 点 で 全 国 に 存 在 した 都 市,町,集 落 な ど の 全 居 住 地5万2734ヵ 所 の うち,

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

53.1%が50人 以 下 の 小 規 模 な 集 落 で あ り,ま た 当 時 の 全 人 口を 居 住 地 の 規 模 で 分 類 す る と34.1%の 人 々が 人 口100人 以 下 の 集 落 に 住 み,52.5%が100人 以上1000人 以下 の 居 住 地 に住 ん で いた 。 す な わ ち 人 口1000人 以上 の居 住 地 を 都 市 と分 類 して も当 時 の 都 市 化 率 は13.4%に す ぎず,人 口の86.6%は 農 村 部 人 口 で あ っ た。 ま た人 口5万 人 以 上 の 都 市 は全 国 に3つ しか な か った(表1)。

  この よ うに 少 人 数 の 集 落 が 山岳 地 に分 散 してお り,そ れ ぞ れ が 自給 的 な 農 業 を 営 ん で い る こ とが,イ エ メ ン社 会 を考 え る際 の大 き な前 提 条 件 とな る。

  イ エ メ ン人 の 生 活 は 農 業 に 依 存 して い るが 農 業 に 適 す る肥 沃 な 土 地 は 限 られ て お り,ま た 降雨 は少 な い うえ に 年 に よ る降 雨 量 の 差 も大 きい6)。一 年 を通 じて常 に水 の 流 れ る河 川 は ほ とん どな い。 このた め 耕 作 に 適 した 水 利 条 件,降 雨 条 件 の良 い 土 地 や, 放 牧 用 の土 地 の権 利 を め ぐる争 いが 発 生 しが ちで あ る。

  一 方 イ エ メ ンに は600以 上 の部 族 が存 在 して い る と言 わ れ,そ れ ぞ れ の部 族 は 政 治 的 な 自律 性 が 非常 に 強 く,自 分 た ち の生 活 領 域 が 他 の 部 族 や 中 央 政権 に よ って侵 害 さ れ る こ とを を極 度 に嫌 い,そ う した 侵 害 を 部 族 全 体 の 名 誉 に 関 わ る問題 と して捉 え る た め,小 さな い さか い が部 族 単 位 の誇 りを か け た 激 しい 戦 闘 に 発 展す る こ とも多 か っ た7)。

表1  北 イ エ メ ンの 居 住規 模 別 人 口(1975.2セ ンサ ス)

      [STEFFAN  1979:1/149]

居 住 規 模

50人 以 下 50〜100人 100〜250人 250〜500人 500〜1000人 1000〜2000人 2000〜5000人

5000〜1万 人 1万 〜5万 人 5万 人 以 上

  居 住 地 数(ヵ 所)

全 居 住 地 中 の シ ェ ア%】

28,000[53.1) 13,000[24,7]

9,000[17.1]

2,000[3.8]

  600【1.1】

  83  [0.16]

  34[0.07]

  11 江0.02】

    3[0.0]

    3[0.0]

52,734[100]

居 住人 口(人)

681,613 924,031

1,393,041 669,120 403,098

110,026   99,723   69,942   52,392

302,350 4,705,336

全人 口中 の シ ェア(%)

14.5

34.119 .6 29.6 14.352.5

8.6 2.3 2.1 1.5 1.1 b.47.07.7 100

6)中 央 高 地 の 最 も 降 雨 量 が 多 い 地 方(イ ブ/Ibb)で 年 間1000  mm程 度,サ ナ ア(Sana'a)   で 平 均300mm,さ ら に 北 に ご行 く ほ ど 降 雨 量 は 減 り,サ ウ ジ ア ラ ビ ア と の 国 境 近 く で200   mm程 度 で あ る[C.P.0.1988:10]。

7)  こ こ で 言 う 「部 族 」 と は,ア ラ ビ ア 語 で 「カ ビ ー ラ(gabila/複 数 型 はgabail)」 と言 わ れ/

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佐藤  「国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

  こ う した 事情 は,居 住 形 態 に如 実 に 反 映 され て い る。 山岳 地 や 高 地 に あ る多 くの集 落 は 平 坦 な場 所 に で は な く,山 の て っぺ ん や 周 囲 よ り小 高 い と ころ に あ り,家 屋 は 互 いに 寄 り添 うよ うに して一 ヵ所 に集 中 して建 て られ て い る。 これ は な に よ りも集 落 間

・地 域 間 抗 争 時 の 防 衛 を最 優 先 した 居 住 形 態 な の で あ る8)(写真2)。

  一 つ の集 落 は 基 本 的 に 同一 部 族(分 肢 族)の 者 で 構 成 され るた め,戦 闘時 に は共 同 防 衛 単 位 とな る。 した が って それ ぞれ の集 落 は 戦 争 時 の 籠 城 を 想 定 した家 の造 り方 を し,立 地 も外 部 か らの 接 近 が 困難 な と ころが 選 ば れ る結 果,山 の て っぺ ん に居 住 す る 事 に な る。 逆 に こ う した 立地 の結 果,平 時 にお い て も個 々 の集 落 の 孤 立 性,閉 鎖 性 が

      写 真2  山岳 地 イ エ メ ンの 典 型 的 な集 落

石 積 み の 家 屋 が 寄 り添 う よ うに密 集 して1つ の集 落 を形 成 す る。

\ る もの で あ る。 ア フ リカ な どの 「部 族 」 とは異 な り,種 族,言 語,宗 教 は 同一 で,共 通 の祖   先 か ら枝 分 か れ した ア ラ ブ人,か つ イ ス ラム教 徒 で あ る。 そ れ ぞ れ の部 族 は 系 図 上,特 定 の   父 祖 を 共有 して お りそ の 父祖 の 名 が部 族名 に な る場 合 が 多 い。 原理 的 に は これ らの 父祖 を さ   らに遡 る とす べ て の系 図は 「サ バ(全 イエ メ ン人 の祖)」 に至 る事 に な って い る。

    部 族 は肢 族(section)に 分 か れ,さ ら に分 肢 族(sub‑section)に 分 か れ る。 通 常 は い くつ   か の 集 落 が 一 つ の 分 肢 族 を 構 成 し,そ れ が い くつ か 集 ま って 肢 族 に な る。 また 一 つ の 集 落 は   基 本 的 に 同 一分 肢 族 の メ ンバ ーで構 成 され る。 本論 で 「部 族 間 の 争 い 」 とい う場 合 は,部 族   間,肢 族 間,分 肢 族 間 の抗 争 を含 む 「部 族 民 の 間 の 抗 争 」 とい う意 味 に用 い る。

    な お こ こで は 「部 族 民 」 を ア ラ ビア語 の カ ビー リー(σ δ涜)の 訳 と して 用 い る。

8)居 住 地 の規 模 が 小 さい 事 の 理 由 と して は,a)山 岳 地 で あ る た め に 広 い スペ ー ス が 少 な い   事,b)排 他 的 な部 族 単 位 で居 住 したが る事, c)山 岳 部 住 民 の 独立 的 性 向, d)自 給 的 経 済,   e)水 資 源 が限 られ て い る事 な どが あ げ られ る 【STEFFAN  l989:1/149】。

    また 平 地 に 家 屋 が 少 な い理 由 と して は,貴 重 な 可 耕 地 を 住 居 でつ ぶ す の を 避 け る事 も あげ   られ る[SwAGMAN  1988:27】。

(11)

                                    国立民族学博物館研究報告  17巻2号 強 め られ る こ と とな った 。

  こ う した 居 住 形 態 を 前 提 とす るイ エ メ ン社 会 を 「閉 鎖 性 社 会 」 と規 定 で き よ う。 イ エ メ ン山 岳 地 で は1970年 頃 まで この 閉鎖 性 社 会 を 維 持 す るた め ,経 済,政 治,社 会 の そ れ ぞ れ の側 面 で 閉 鎖 的 シス テ ムが機 能 して きた 。 以 下 で そ の特 徴 を簡 単 に見 て み よ

う。

2。 閉 鎖 性 社 会 の維 持 シ ス テ ム

  2一①   閉 鎖 的 経 済 シス テ ム

  イ エ メ ンの 経 済 は穀 物 生 産 農 業 を核 とす る 自給 的 ・閉鎖 的経 済 シス テ ム に よっ て支 え られ て きた 。伝 統 的 に 主食 は ソル ガ ム,メ イ ズ,ミ レ ッ ト(ト ウジ ン ビエ な ど)の 穀 類 で,こ の うち 山 岳地 で は ソル ガ ムが 大 部 分 を 占め,多 くの 品種 が あ るが 現 地 では ズ ラ(dhurah)と 総 称 され て い る9)。副 食 と して豆 類(ヒ ヨ コ豆,レ ンズ 豆 な ど), 野 菜(バ レイ シ ョ,ナ ス,ニ ンジ ンな ど)な どを 食 べ,祝 い事 の時 に は羊,牛(肩 間 に コ ブの あ るゼ ブ牛)を 屠 る。 これ らは 基 本 的 に 各家 庭 で 自家 用 に生 産 ・飼 育 され て い る もの で,食 糧 に関 して の 自給 率 は か な り高 く,ほ とん ど外 部 との経 済 的 結 び つ

きな しに 生 活 を維 持 す る こ とは容 易 で あ った。

  もち ろ ん,地 形 ・気 候 環 境 な ど に よ って集 落 内 で 自給 で き な い野 菜,豆,香 辛 料 な どは あ る程 度 外 部 か ら の 供 給 に 依 存 す る事 に な る が,そ れ らは 全 土 に 少 な く と も 400‑500箇 所 は あ る 【SCHWEIZER  1985:107】 と言 わ れ る曜 日市(ス 一ク/Suq)で 調 達 され た。

  曜 日市 とは一 週 間 の うち決 ま った 曜 日の午 前 中 に だけ 立 つ 市 の こ とで あ り,市 の 立 つ 場 所 は市 日以 外 の 日に訪 れ て も誰 も住 ん で お らず,店 も開 い て い な い 寂 しい場 所 で あ る。 しか し市 日には 多 くの 行 商 人 が商 品 を携 え て仮 設 の店 を 広 げ,周 辺 か ら生 活物 資 を買 い に来 た 部 族 民 で こ った が えす 。 行 商 人 は 肉屋,野 菜 屋,香 辛 料屋,衣 服 屋, 荒 物 屋,コ ー ヒー豆 屋,干 しブ ドウ屋 な どに専 門 化 してお り,一 定 範 囲 内 の い くつ か の ス ー クを巡 回 して い る。 隣 接 す る地 域 の ス ー クは 市 日を ず ら して あ るの で,月 曜市 が終 わ った ら午 後 に は 荷 物 を ま とめ て 火曜 市 の場 所 に移 動 す る。 そ れ が 終 わ れ ぽ 水 曜 市,木 曜 市 … と回 って,翌 週 の 月 曜 に は また 同 じス ー クで 店 を 広 げ る とい う仕組 み で あ る10)。

9)  ズ ラ の 種 類 及 び 生 産 に 関 し て はVarisco[1985:57‑65]。

10)  ア ム ラ ン('Amran),ハ ミ ル(Khamir),イ ブ(Ibb),カ ー イ ダ(Qa'idah)を そ れ ぞ れ 中

  心 と す る サ ー ク ル に つ い て はTutwiler  and Ca舩pico【198h  81‑82,104‑105]参 照 。 サ ナ ア 周 辺

  の ス ー ク の 曜 日 配 分 に つ い て はWilson【1979:189】 参 照 。

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佐藤  「国民的出稼 ぎ現象」 の社会 ・経済的影響

  この巡 回 サ ー クル の なか に は 比 較 的 大 きな,そ の地 域 の 中心 とな る市 が 少 な く と も 一 つ は含 まれ て い て,行 商 人 は 通 常 こ こで新 た な商 品 を仕 入 れ る。 肉や 野 菜 な どの 生 鮮 食料 品 の場 合 は近 隣 の農 村 か ら調 達 しな が らス ー ク間 を巡 回 して 歩 く。 規 模 の 大 き な 市 に は大 き な モ ス クが あ り,定 住 者 の い る場 合 が 多 い。

  曜 日市 は全 国 にご広 く分 散 して い るの で,ど ん な 山岳 地 の集 落 で も半 日歩 け ば た い て い ど こか の ス ー クにた ど りつ く。 ス ー クに 行 け ぽ 日常 生 活 の ため に必 要 な物 資 は ほ と ん ど調 達 で きる。 した が っ て山 岳 地 方 に 住 む者 は生 活物 資 を得 るた め に,自 分 の 行 き つ け の市 よ り遠 くに赴 く必 要 は ほ とん どな い11)。この 曜 日市 シス テ ム は,ス ー クとい う限 定 的 な窓 口を設 け る事 に よ って,外 部 との 接 触 を空 間 的 に も時 間 的 に も最 小 限 に とどめ るた め の工 夫 で あ った と い う事 が で き よ う。 ス ー クは 山岳 社 会 ・経 済 の地 域 的 閉 鎖 性 の 唯 一 の 風穴 で あ り,か つ 閉 鎖 的 経 済 シ ス テ ムを維 持 す るた め の重 要 な道 具 だ て で もあ った 。

  2刷②   閉 鎖 的 政 治 シス テ ム

  中央 高 地,西 部 山 岳地 を含 む イ エ メ ン山岳 社 会 で は,部 族 民 の政 治的 自立 性 が 極 め て高 い 。 自 らの 属 す る集 団 の領 域 内v'他 者 が 侵 入 して くる事 や,外 部 の権 威 が 及 ぶ 事 を許 さな い とい うの が部 族 政 治 の基 本 的 な理 念 で あ り,こ の 自立性 を守 るた め に部 族 民 の間 に は 極 め て 強 固 な共 同 防衛 精 神 が働 く。

  た だ し,共 同 防 衛 の 単位 は時 と場 合 に よっ て異 な り,小 さな紛 争 の場 合 で あれ ぽ 集 落 単 位 で 結 束 し,地 方 的 な抗 争 状 態 に なれ ば 分 肢 族,肢 族 単 位 で結 束 し,国 全 体 を巻 き込 む よ うな政 治 的 事 件 の 時 は部 族 単 位 で結 束 す る とい う よ うに 重 層 的 な構 造 を持 っ て い る。

  イ エ メ ン山岳 地 で は 部 族 民 に よ る群雄 割 拠 状 況 が基 本 とな って い た が,サ ナ ア に比 較 的強 力 な政 権 が 現 れ る と,表 面 的 に は そ の政 府 の下 に統 一 され る事 もあ った。 こ う

した 中央 政 権 は 多 くの場 合,宗 教 的 な 権威 を持 つ者 が有 力 部 族 を 糾 合 す る事 に よ って 成 立 した が,時 には オ スマ ン ・ トル コな どの外 部 勢 力 が軍 事 行 動 に よ って サ ナ ア を 占 領 し,代 官 を 送 って イ エ メ ン全 土 を 名 目的 な支 配 下 に置 く事 もあ った 。 オス マ ン ・ト ル コの第 一 次 占領 は16世 紀 半 ば か ら1629年 まで,第 二 次 占領 は1872年 か ら1918年 まで [SER」EANT  1983:70‑99】 であ る。

  しか しい ず れ の 中 央 政 府 も部 族,肢 族,分 肢 族,集 落 の 長(お さ=シ ェイ プ 11)通 常 は 自分 の居 住 集 落 に最 も近 い ス ー クを 利 用 す るが,そ れ が敵 対 して い る部 族 の領 域 に   あ る場 合 に は,多 少遠 く と も 自分 の属 す る部 族,あ るい は 友 好 関 係 に あ る部 族 の領 域 の ス ー   クを 利 用 す る傾 向 が強 い。

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

/sheikh)を 通 して徴 税 をす る程 度 の間 接 的 な支 配 に とど ま り,部 族 民 の生 活 領 域 に 政 府 の 力が 直 接 及 ぶ 事 は ほ とん どなか った 。 部 族 内 の 出 来事 は,中 央 政 府 の有 無 に 関 わ りな く,そ れ ぞ れ の部 族 内 の慣 習 法(ウ ル フ/'urf)と イ ス ラ ム法 に よ って 自主 的 に解 決 され る仕 組 み が 確 立 して い た の で あ る。

  9世 紀 以来 しぼ しぼ 北 部 山岳 地 を 支 配 下 に置 い た イ ス ラ ム教 ザ イ ーデ ィ ー派12)の イ マ ー ム国 家 で は,イ マ ー ムは宗 教 的 な権 威 と して 部 族 民 か らあ る程 度 の尊 敬 を 受 け て は いた が,政 治的 権 威 が 部 族 民 の 日常 生 活 に まで影 響 を及 ぼ す 事 は な か った。イ マ ー ム の存 在 意 義 は,部 族 間 の武 力抗 争 が 長 期 化 して 日常 生 活 に著 しい支 障 が発 生 した よ うな場 合 に,抗 争 の 調停 者 と して登 場 す る とい う点 に あ った。 した が っ て伝 統 的 な イ エ メ ンの政 治 構造 の な か で は,イ マ ー ムが 中 央 政 府 を 立 て た場 合 で もそ の 内実 は 国 家

と言 うよ りも部 族 連 合 と言 った方 が よ り適 切 であ った 【STooKEY  1978:79】。

  こ う した 部 族 社 会 の 閉鎖 性 に加 え て,国 家 全 体 と して も1962年 ま で鎖 国政 策 を と っ て いた た め,20世 紀 後半 に 入 って もイ エ メ ンの 山 岳部 に は近 代 化 の波 が ほ とん ど及 ぶ 事 が な か っ た の で あ る 。 鎖 国 政 策 は イ マ ー ムが 近 代 思 想 の 流 入 に よ っ て 国 内 の 反 乱,部 族 民 の 自立 化 の動 きが促 進 され るの を 恐 れ て 国 民 と外 部 との交 流 を禁 じた もの で,こ の 間 近 代 化 の た め の 開発 努 力 もほ とん ど行 わ れ な か った。 そ の結 果1960年 代 に な る まで イ エ メ ンは舗 装 道 路,学 校,病 院 な どの 社 会 的 な基 盤 が ほ とん どな い ま まに 放 置 され た の で あ る。

  2咽③   閉鎖 的社 会 シス テ ム

  1970年 代 に 入 る まで イ エ メ ンの人hは 国 内 の 長 距離 移 動 を したが らず,社 会 的 流 動 性 が 欠 如 して い た。 そ の理 由 と して山 岳 地 で 道 が 険 しい事,道 路 網 が 未 整 備 で あ った 事 な どの物 理 的 な制 約 が あげ られ る一 方,部 族 主 義 が 国 内移 動 を制 限 した 面 も否 定 で き な い。部 族 社 会 では お 互 い の領 域 に不 必 要 に入 らない 事 が 暗 黙 の 前 提 とな っ て お り, 自分 の所 属 す る集 団 の領 域 外 を旅 す る事 に は 大 きな危 険 が と もな うた め,心 理 的 に 移 動 を 抑 制 す る要 因 とな った。 また 自給 経 済 で あ った た め に,経 済 的Y'豊 か な 大 都 市 が ほ とん ど存 在 せず,都 市 へ 向か う人 の 移 動 を 発 生 させ る要 因 も なか った 。

12)イ エ メ ンに は 大 き く分 け て二 つ の イ ス ラ ム教 の 宗 派 が 存在 す る。一 つ は シ ーア 派 に属 す る   ザ イ ー デ ィー 派 で,9世 紀 初 頭 に メ ッカ か らイ エ メ ン北 部 の サ ア ダ(Sa'adah)に 導 入 され   た 。 この 宗 派 で は 預 言 者 ムハ ンマ ドの血 統 を 引 く者 か らイ マ ー ム(宗 教 上,世 俗 上 の最 高権   威 者)が 選 ば れ,そ の 者 が 教 義 に 則 った 国 家 運 営 を す る事 が で きる。 も う一 つ の宗 派 は ス ン   ニ派 系 の 四 大 学 派 の 一 つ で あ る シ ャ ー フ ィ ー派 で あ る。北 イ エ メ ンの うち 中央 高地 と西 部 山   岳 地 の 北 半 分,東 部 砂 漠 地 方 は ザ イ ーデ ィ ー派,テ ィハ マ地 方 及 び 中央 高地 と西 部 山岳 地 の   南 半 分 で は シ ャ ー フ ィ派 が 主 で あ り,人 口比 は ほ ぼ拮 抗 して い た 。 な お南 イ エ メ ンの住 民 は   お お む ね シ ャ ー フ ィー派 で あ る。

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佐藤   「国民的出稼 ぎ現象」 の社会 ・経済的影響

  道 路 網 の未 整 備 は イ マ ー ム の近 代 化 意 欲 の 欠如 の現 れ で も あ った が,一 方 で 国 民 の 側 で も道 路 を求 め て は いな か った 。 よそ者 が 自由 に 自分 達 の領 域 を通 過 す る よ うに な る事 は,部 族 の 自立 性 を 侵 害 され る事 と見 な され た か らで あ り,部 族 民 は政 府 に よ る 幹 線道 路 の建 設 には 強 く反 対 した 。 最 初 に ア ス フ ァル ト道 路 の建 設 が行 わ れ た1961年 に は工 事 にや っ て来 た 人 た ちを 部 族 民 が 殺 害 す る事 件 が頻 発 した 【佐 藤   1992:16】。

この た め,国 内 の交 通,通 信 網 の 発 達 は な か な か進 まず,地 方 ご とに閉 鎖 的 な状 況 は 1970年 代 に な る ま で い っ こ うY'改 善 され な か った の で あ る。

  も う一 つ の 社 会 的 閉 鎖 性 と して,階 層 的 な 身 分 シ ス テ ム の 存 在 が あ げ られ る

【DRESCH  1989:117‑157】 。 イ エ メ ン で は 国 民 の大 半 を 占め る部 族 民(カ ビー リー) を 中 心 と して,そ の上 下 に部 族 民 とは 権 利 ・義 務 の 異 な る身 分 階層 が存 在 す る。 こ の 身 分 シス テ ムの 中心 を なす 部 族 民 は 通 常,農 民 で あ る と同 時 に 戦士 で あ り,部 族 社 会 の政 治 的意 志決 定 の場(部 族 民 集 会)へ の 参 加 と発 言 の 権利 を 持 つ者 で あ る。 す なわ ち,伝 統 的 な社 会 の な か に あ って経 済 ・政 治 の 基 礎 を形 成 す る人 々で あ った。 また 部 族 民 は 概 念上,す べ て血 統 正 しい イ エ メ ン ・ア ラブ人 で あ り,こ の血 統 こそ部 族 民 の

ア イ デ ンテ ィテ ィ ーの拠 り所 で あ る。

  部 族 民 の上Y'「 優 位 の非 部 族 民 」 と して サ イイ ド(sayyid)と 呼 ぼ れ る階 層 が 存 在 す る。 サ イイ ドは イ ス ラ ム教 の開 祖 ム ハ ンマ ドとの 血 縁 を 根拠 と して お り,宗 教 的 な 権 威 を持 って い る者 が 多 い。 イ エ メ ンの 国家 レベル の政 治 は 伝 統 的 に この 階層 の人 々 に よって 担 わ れ て きた 。 イ マ ー ムは サ イイ ドの なか か らの み 選 ば れ,イ マ ー ム国家 で は地 方 の行 政 官 な どは サ イイ ド階 層 か ら任 命 され た 。

  サ イイ ドは 血 統 に よ って 決定 す るの で部 族 民 が サ イイ ド階 層 に 上 昇 す る事 は な く, サ イイ ド階 層 の者 が 部 族 民 に な る事 もな い。

  一 方 部 族 民 の下 に は,政 治 集 会 へ の参 加,武 器 の携 行 な どの 権 利 を 制 限 され て い る

「劣位 の非 部 族 民 」 階 層 が 存 在 す る。 劣 位 の非 部 族 民 は,権 利 の 制 限 の され か た に よ って 多 くの細 分 化 が 可 能 で あ る。

  劣位 の非 部 族 民 階 層 の なか の中核 部 分 は床 屋,肉 屋 な どの サ ー ビス業 に従 事 す る者, あ るい は結 婚 式 な どに不 可 欠 な 楽士 な どで あ り,こ う した 人 々を 総 称 す る呼 称 と して ムザ ィイ ン(〃zuzayyn)と い う語 が 用 い られ る。 ムザ ィイ ンは 部 族 民 に 特 定 の サ ー ビ ス を 供給 し,部 族 民 は ムザ ィイ ンか らの サ ー ビス に依 存 す る事 に よって 部 族 民 と して の 生 活 を維 持 で きる。 ム ザ ィイ ン階 層 の職 業 は世 襲 で あ り,通 常,一 般 の部 族 民 が こ れ らの職 業 に従 事 す る事 は あ りえな か った。

  この 階層 の な か の最 下 層 には 都 市 で の道 路掃 除,ゴ ミ集 め な どに 従 事 す る人h(ア

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国立 民族学博物館研究報告  17巻2号 フダ ー ム/akhdamと 呼 ばれ,奴 隷 起 源 で あ る と言 わ れ る)が 存 在 す る。

  劣 位 の部 族 民 の なか で 最 上 層 に位 置 す る の は,商 業 に従 事 す る人hで あ る(ア ハ ル

・アル ・ス ー ク/ahl‑1‑suq ,あ るいは・㍉ ヤ ーア/bays'Rな ど と呼 ばれ る)。 商 業 従事 者 は 社 会 的 流 動 性 の 少 な い イ エ メ ン社 会 の なか で,例 外 的 に 地 域 間 の 移動 を 頻繁 に行 う人 々で あ った 。 しか し部 族 領 域 内 を安 全 に通 過 す る には 部 族 民 の 保 護 を 求 め な けれ ば な らな い た め,彼 らは部 族 民 に従 属 す る も の と見 な され て い た 。 また部 族 領 域 内 の ス ー クで 商 い を して い る間 は,そ の部 族 の保 護 下 に 置 か れ る事 に な る。 ス ー クで モ ノ を 売 る事 は 部 族 民 に 対 す るサ ー ビス で あ り,こ の意 味 で 商 業 従 事 者 は ムザ ィイ ン と同

じ機 能 を 有 して い る。

  この よ うに 商 業 は部 族 民 の なす べ き仕 事(主 と して 農 業)に 比 べ て 劣 る仕 事 とされ て い た た め に,一 般 の部 族 民 が商 業 に従 事 した りス ー クで 物 を 売 った りす る こ とは恥 ず べ き行 為 と見 な され が ち で あ った。 また 部 族 民 と劣 位 の 非 部族 民 との 問 に は通 婚 関 係 は な か った 。

  通婚 関 係 に 関 して言 えば,部 族 民 同士 で も異 な る地 域 間 の通 婚 は少 な く,こ の意 味 で も社 会 的 流動 性 は 乏 しか った。 部 族 民 の通 婚 関 係 は 通 常 近 親者 の 間 に 限 られ,結 婚 相 手 は 同 一 の 集落 内,あ る い は近 隣 の分 肢 族 内 か ら選 び 出 され る の が普 通 で あ った 。   イ エ メ ン社 会 で最 も望 ま しい とされ てい る結 婚 は 他 の ア ラブ諸 国 に も見 られ る父 方 平 行 イ トコ婚(ビ ン ト ・ア ン ム/bint‑'an〃2婚)で あ るが,こ の優 先 的 婚 姻 慣 行 に対 す る イ エ メ ン人 の 解 釈 の 一 つ は,イ ス ラム 教 で は 女 性 の 相 続 権 が 認 め られ て い るた め,他 集 落,他 部 族 か ら嫁 を 取 る と農 業 の基 礎 で あ る土地 の権 利 関 係 が集 落 外 に 分 散 し,よ そ者 の 介入 を招 きや す くな る の で,こ れ を 避 け る た め に ビ ン ト ・ア ンム婚 が 望 ま しい とい うもの で あ る[STEVENSON  1985:133】13)。この婚 姻 シ ス テ ム も社 会 的 閉 鎖 性 を維 持 させ る た め に重 要 な機 能 をは た して い る。

  この よ うに1960年 代 まで の イ エ メ ンは,経 済,政 治,社 会 そ れ ぞれ の面 で 閉 鎖 性 を 色濃 く持 った サ ブ ・シス テ ムに 支 え られ た 「閉 鎖 性社 会 」 で あ った 。

13)  こ こで 引 用 さ れ て い る の は サ イイ ド階層 の イ ン フ ォー マ ン トの発 言 で あ る が,あ る程 度 以   上 の土 地 を持 っ て い る部 族 民 も同 様 な考 え方 を持 って い る と考 え て よい 。

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佐藤   「国民的出稼 ぎ現象」 の社会 ・経済的影響

第二章  「国民的 出稼 ぎ現象」

1.背

  1一①   出 稼 ぎ前 史

  次 に,「 閉 鎖 性 社 会 」 で あ った イ エ メ ン社 会 の な か で,サ ウ ジ ア ラ ビアへ の 出稼 ぎ が大 規 模 に発 生 した1970年 か らの20年 間 に,ど の よ うな変 化 が 引 き起 こ され て きた か を検 討 す る事 に しよ う。

  と ころ で,こ れ ま で説 明 した よ うな 閉 鎖 的 社 会 で は あ った が,イ エ メ ンか らの 労 働 力 の 流 出 が70年 代 以 前 に 全 く な か っ た と い うわ け で は な い 。

  例 え ぽ 中 世 を 通 し て 旱 魃 な ど に よ っ て 人 口 が 養 い き れ な く な る と,農 村 部 か ら 押 し 出 さ れ る よ うに し て 一 部 の 人 々 が 紅 海 を わ た っ て ス ー ダ ン,エ チ オ ピ ア な ど に 移 住 し た 例 は 多 い 【SwANsoN  l979:47‑50,  STEFFAN  1979:91‑98】 。 た だ し こ れ は 移 住 で あ

っ て,出 稼 ぎ と は 言 え な い 。

  次 い で19世 紀 に 入 る と ア デ ンへ の 出 稼 ぎ が 発 生 し た 。 ア デ ンは1839年 か ら イ ギ リス の 植 民 地 と な り,ヨ ー ロ ッ パ=ア ジ ア 航 路 の 中 継 港 と し て た い へ ん 栄 え て い た が,こ

こ へ 労 働 力 を 提 供 し た の が 後 背 地 の 北 イ エ メ ン で あ っ た 。1950年 代 に は ア デ ン 出 稼 ぎ は ピ ー ク を 迎 え,と りわ け 北 イ エ メ ン南 部(下 イ エ メ ン)か ら は か な りの 数 の 出 稼 ぎ 労 働 者 が 流 出 し た 【GAvlN  1975:445,  SwANsoN  1979:51‑55,  TUTWILER  and  Cax‑

Plco  1981:39】 。 しか し,そ の 後 の ス エ ズ 運 河 の 閉 鎖(1967年6月),南 イ エ メ ン で の 社 会 主 義 政 権 の 成 立(1967年11月)な ど で 商 業 港 と し て の ア デ ンは さ び れ,ア デ ン へ の 出 稼 ぎ は60年 代 末 に は 途 絶 した 。

 1一②   オ イ ル ブ ー ム の発 生

  こ う した後 を受 け て ア ラ ビア半 島産 油 国 で の 大 開 発 ブ ー ムが 発 生 した。1973‑74年 の第4次 中 東 戦 争 に か らむOPEC(石 油 輸 出国 機 構)の 石 油 価 格4倍 増 が 契 機 とな っ て,巨 額 の石 油 収 入(オ イ ル マ ネ ー)を 手Y'し た これ ら産 油 国 で は,未 曾 有 の ス ピー ドで近 代 化 へ の 邁 進 を 開 始 した 。 道 路,電 力,港 湾 空 港 な ど の経 済 的 イ ン フ ラス ト ラ クチ ャー の建 設 に と りか か る と同 時 に学 校,病 院,政 府 機 関 な どの建 物 が公 共 投 資 で意 欲 的 に建 設 され 始 め た 。 ブ ー ムは 民 間部 門 に も波 及 し,都 市 に流 入 して く る国民 や 外 国人 ビジ ネ ス マ ンを 目当 て に 住 宅,ア パ ー ト,ホ テ ル,シ ョッ ピン グ ・セ ン タ ー

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国立民族学博物 館研究報告  17巻2号

な ど の建 設 が 相 次 い だ 。 さ ら に70年 代 後 半 か らは 石 油 関連 の 工 業 化 を め ざ した製 油 所,石 油 化 学 工 場,製 鉄 所 な どの プ ロジ ェ ク トが相 次 い で着 工 され,工 業 団地 の建 設

も始 ま った。 また 発 電 所 ・海 水 淡 水 化 施設 の建 設 も地 方 へ 広 が っ て行 った 。

  こ う した 爆 発 的 な開 発 ブ ー ム,建 設 ・建 築 ブー ム に とも な っ て大 量 の 単 純 作 業 労働 力 が必 要 とな った が,こ れ を 供 給 す べ くイ エ メ ンか ら大 量 の 出稼 ぎ労 働 力 が 流 出 した の で あ る。 な お,イ エ メ ン人 出稼 ぎの9割 以 上 が サ ウ ジ ア ラ ビ アへ の 出 稼 ぎ で あ る [Butxs and S‑NCLaut  1982:501事 か ら,以 下 で は主 と して サ ウジ ア ラ ビアへ の 出稼 ぎ を 中心 に考 察 す る。

2.イ エ メ ン人 出 稼 ぎ労 働 力 の特 徴 と規 模

  サ ウ ジ ア ラ ビ ア に お け る イ エ メ ン人 労 働 力 の 特 徴 と し て,① 単 純 労 働 で あ り,② 子 に よ る 単 身 赴 任 で あ り,③ 住 み つ か ず に 必 ず イ エ メ ン に 帰 っ て く る,と い う三 点 が あ げ られ る 。[STEFFAN  1979:1/99,  SwANsoN  1979:56,  KIRKS  and  SINCLAIR  1982:

52‑54]a

  ま ず 単 純 労 働 で あ る と い う点 に 関 し て は イ エ メ ン 人 の 文 盲 率 が90%近 く で あ り [WoRLD  BANK  1979:3】14),事 務 系 の 職 種 に 就 け る よ う な 労 働 者 が 存 在 しな い 事,ま た イ エ メ ン 国 内 に 近 代 的 な 産 業 が ほ と ん ど な い た め,技 術 を 要 す る よ うな 職 業 経 験 を 持 っ た イ エ メ ン人 が 存 在 し な い 事 か ら 説 明 で き る。 ま た サ ウ ジ で 需 要 が あ っ た の も 当 初 は 道 路 建 設,建 物 の 建 築 な ど が 主 で あ っ た た め,双 方 の 需 給 が か み 合 っ て イ エ メ ン 人 は こ う し た 肉 体 労 働 者 と して 大 量Y'吸 収 さ れ た 。

  帰 国 が 前 提 で あ る の は,イ エ メ ン人 の 最 終 目標 が サ ウ ジ で 経 済 的 成 功 ・名 声 を 得 る 事 よ り も,出 身 村 に 戻 っ て 安 楽 な 生 活 を す る 事 に 置 か れ て い た か ら で あ る 。 した が っ て サ ウ ジ で は 極 力 支 出 を 控 え,生 活 費 を 切 り詰 め る た め に 同 郷 者 な ど と共 同 で ア パ ー

トを 借 りて 自炊 し,で き る だ け 多 くの 金 を 送 金 す る 事 に 尽 力 し て い た15)。

  ま た サ ウ ジ で は イ エ メ ンに 比 べ て 非 常 にこ物 価 が 高 い た め,家 族 を 帯 同 す れ ぽ そ れ だ け 生 活 費 が か さみ,故 郷 に 送 金 で き る 額 が 減 っ て し ま う。 フ ィ リ ピ ン人 な ど ア ジ ア 系 の 女 性 で あ れ ば メ イ ド,ウ ェイ ト レス な ど の 雇 用 機 会 が あ る が,イ エ メ ン人 は 自 分 の 妻 ・娘 を そ の よ う な 職 場 で 働 か せ る 事 に は 強 い 抵 抗 を 示 す 。 こ の よ う な 事 情 で イ エ メ

ン 人 出 稼 ぎ は 帰 国 を 前 提 とす る 限 り男 子 ・単 身 赴 任Y'な る の で あ る 。 14)1975/76年 の成 人 文 盲 率87%,小 学 校 就 学 率27%。

15)Birks  and Sinclair【1982:74】 に よれ ば,賃 金 収 入 の うち の送 金率 は35〜48%と 想 定 され て   い るが,筆 者 の フ ィ ール ド調 査 か らの経 験 で は 多 くの 場 合,少 な くと も賃 金 の 半 分 以 上 は 送   金 に 回 され て い た と思 わ れ る。

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佐藤   厂国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

  サ ウ ジ ア ラ ビ ア 国 内 に お け る イ エ メ ン人 労 働 者 の 数 に つ い て は 諸 説 あ り,い ず れ も 確 証 を 欠 い て い る 。 一 般 的 に は70年 代 後 半 の ピ ー ク時 に100万 人 以 上 の イ エ メ ン人 が サ ウ ジ ア ラ ビ ア に 出 稼 ぎ に 出 て い た と 言 わ れ る。 そ れ は イ エ メ ンの 労 働 市 場 に と っ て ど の よ うな 規 模 の も の で あ ろ うか 。 出 稼 ぎ 労 働 者 流 出 の ピ ー ク と見 ら れ る1979年 当 時 の イ エ メ ンの 人 口 は 約740万 人 と 推 定 さ れ る16)。 こ の う ち 女 性 は ほ と ん ど労 働 市 場 に 参 入 しな い た め,出 稼 ぎ は あ りえ な い 。 そ こ で 男 子 人 口 を 全 人 口 の 半 分 の370万 と し, 15才 以 上(全 人 口 の56%C.P.0.【1987:40‑41]よ り算 出)を 労 働 力 人 口 とす れ ぽ,当 時 約207万 人 が 潜 在 的 に 出 稼 ぎ 可 能 な 成 人 男 子 労 働 人 口 と して 存 在 し て い た 計 算 に な る 。 そ の う ち の100万 人 の 労 働 力 流 出 が あ っ た と す れ ば,イ エ メ ン 人 の 男 手 の2人 1人 が 出 稼 ぎ に 出 て い た と い う事 に な る。

  こ れ は や や 規 模 が 大 き 過 ぎ る よ うに 思 わ れ る か も しれ な い 。 しか し実 際 に1975年 点 で 全 国 に171あ る 行 政 区(ナ ー ヒ ヤ/nahiya)の う ち 全 く 国 外 出 稼 ぎ の な い 地 区 は 一 つ だ け で あ っ た[STEFFAN  1979:1/162‑164表10] 。 ま た 筆 者 の フ ィ ー ル ド ・ ワ ー クの 経 験 か ら も80年 代 前 半 の イ エ メ ンの 家 庭 で は,ど こ で も 父 親 あ る い は 息 子 の うち 一 人,二 人 が 出 稼 ぎ に 出 て い る と い う状 況 は 当 た り前 で あ っ た 。

  筆 者 は 個 人 的 な 推 計 と し て,サ ウ ジ ア ラ ビ ア へ の 出稼 ぎ 労 働 者 の 数 を ピ ー ク時 に80 万 人 く ら い,そ の 後 も コ ン ス タ ン トに60万 人 か ら80万 人 程 度 で あ っ た ろ う と考 え て い

る  [佐藤   1989a:24‑28]。 い ず れ に せ よ一 時 点 で 労 働 力 の1/3か ら1/2が 出 稼 ぎ に 出 て い る 【Bixxs and$INCLAIR  1982:73】 事 は ほ ぼ 確 実 で あ り,比 較 的 短 い 周 期(1974 年 時 点 の イ エ メ ン 労 働 者 の サ ウ ジ ア ラ ビ ア で の 平 均 滞 在 年 数 は2.4年 【:r  and

$INCLAIR  1982:601)で 労 働 者 が 次 々 に 出 か け た 事 を 考 え る と,出 稼 ぎ の 延 べ 人 数 は さ ら に 大 き くな る 。 こ の 意 味 で ま さ に イ エ メ ン に お け る 出 稼 ぎ ブ ー ム は 国 民 的 現 象 と 言xる の で あ る 。

  当 然 の 事 な が ら こ の 大 出 稼 ぎ ブ ー ム は,イ エ メ ン社 会 に 様 々 な 形 で 重 大 な 影 響 を 与 え る 事 に な っ た 。

3.出 稼 ぎ流 出 の諸 側 面

出稼 ぎ労 働 力 の流 出に と もな って発 生 した様 々 な社 会 ・経 済 現 象 は,三 つ の側 面 か ら観 察す る事 が で き る。 そ れ は 第 一 に 人 の動 き,第 二 に送 金 とい う形 で の金 の動 き,

16)CP.0.[1987:39】 に よれ ぽ1975年 セ ンサ ス か ら1986年 セ ンサ スの 間 の 年 平 均人 ロ増 加 率 は   3.29%で あ る 。 これ か ら出稼 ぎ送 金 の ピ ー ク時 で あ る1979年 当 時 の 人 口を推 計 す る と739万   人 とな る。

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

第 三 に お土 産 の持 ち帰 り及 び 輸 入 とい う形 で の物 の動 き で あ る。

  3一①  人 の動 き(流 出)

  出稼 ぎ に と もな う人 の動 きに は 流 出 と帰 国 の両 面 が あ るが,ま ず 流 出 に 関 して考 え て み よ う。 出稼 ぎ の発 生 は そ の 要 因 に よる分 類 が 可 能 であ る(図2)。

  第 一 は過 剰 人 口 の排 出(図2①)で,飢 饉 時 に ア フ リカへ 移 住 した 例 が あ った よ う に,伝 統 的 に土 地 の人 口支 持 力 を越 え る人 口は 押 し出 され て きた。 近 代 国家 の成 立 及 び70年 代 以 降 の出 稼 ぎ ブ ー ムに と もな う好 景 気 の なか で この 要 因 に よ る人 口排 出 は な

くな っ て い る。

  第 二 は潜 在 失 業 層 の 吸 出 で あ る(図2②)。 こ の層 は 村 の な か に 農 業 以 外 の 就 業 機 会 が な く,国 内 の 流 動 性 が 小 さい た め に農 村 に と ど ま って い た 人 口で あ る。 自給 レベ ル の一 定 の農 業 生 産 の た め に は,こ の層 が い な くて も生産 量 が著 し く低 下 す るお そ れ は な い。 出稼 ぎ現 象 発 生 当初 は,ま ず こ の層 の 人 々が一 斉 に 出 て行 った の で あ る。

  第 三 は基 幹 労 働 力 の 流 出で あ る(図2④)。 こ の層 は 従 来 の レベ ル の 農 業 生 産 を 維 持 す るた め に 不 可 欠 な 労 働 力 で あ る。出稼 ぎ ブ ー ム の最 盛 期 に は この 層 の 人 々 まで が, サ ウジ ア ラ ビ アに 流 出 した結 果,イ エ メ ン社 会 に 大 きな変 化 を 引 き起 こす 事 に な った の で あ る。

  では,そ れ ぞ れ の形 の 労働 力流 出 の影 響 に つ い て考 え よ う。

  まず 過 剰 人 口層 の排 出 に 関 して は,プ ラス の影 響 と して人 口圧 力 の軽 減(図2③) が あげ られ る。

  潜 在 失 業 層 は,国 内 で は経 済 的 に大 きな 付 加価 値 を生 ま な い人hで あ り,こ れ らの 人 々が 国 外 で 現 金 収 入 を獲 得 し送 金 を もた らせ ぽ,マ ク ロ経 済 の レベ ル で は 国 際 収支 に 寄 与 す る事 に な る。 ま た ミク ロ レベ ル で は,家 計 の収 入 に新 た な収 入 源 が つ け 加 わ る事 に な り,購 買 力 を 向上 させ る。

  基 幹 労 働 力層 の流 出 は ど うだ う か 。 「国民 的 出稼 ぎ現 象 」 の 間 に流 出 した 労 働 力 の 多 くの部 分 は 基幹 農 業 労 働 力 で あ った 。 この結 果 農 業 労 働 力 の不 足(図2⑤)が 発生

撚 蹴}人 啣 の 軽減 ③

乳 幼 児死 亡率 の低 下@

基繃 力の流出④嬲 働力不足⑤τ 讐欝 鷙=}

殻物生産のceO

         図2  出稼 ぎに ともな う人 の動 き(流 出)

(20)

佐藤  「国民的出稼 ぎ現象」の社会 ・経済的影響

表2  ソル ガ ム ・ ミ レ ッ トの 作 付 面 積,生 産 量         [C.P.O.  1977,1985,1988]

1969/70   70/71   71/72   72/73   73/74   74/75   75/76   76/77   77/78   78/79   79/80

"!

  81   82   83   84   85   86   87

作付 面 積(100ha)

886 973 920 870 870 1056 1060 782

'II

683 673 681 617 681 681 694 690 690 653

生 産 量(1,000t) 610 730 627 809 639 11:

ass 613 585 627 623 636 635 580 268 267 281 491 477

す る。 男 手 の ほ とん どが流 出 して しま った 地 方 もあ り,残 った年 長 者 ・女 性 な どの 留 守 家 族 にごよ っ て農 耕 が 維 持 され る と して も,段 々畑 の 急 傾斜 地 や灌 漑 条 件 の悪 い畑 な どの維 持 は 困 難 で あ るた め,こ う した耕 地 が放 棄 され(図2㊧),穀 物 生産 を 中 心 と して農 業 生 産 が 衰 退 した(図2④)(表2参 照)。

  イ エ メ ンの 主要 産業 で あ る農 業 の衰 退 が 出 稼 ぎの もた ら した最 大 の マ イ ナ スの 影 響 で あ る と言 え よ う17)。さ ら に 国内 で の 労働 力不 足 の結 果 全 般 的 な労 働 コス トの上 昇(図 2◎)を 招 き,イ ン フ レの要 因 とな った 。

  3一②  金 の動 き(消 費)

  次 に送 金 流 入 の 効 果 に つ いて 見 てみ よ う(図3参 照)。 出稼 ぎ労 働 者 の増 加 と,サ ウジ ア ラ ビ アに お け る 開発 ラ ッ シ ュに よ る賃 金 上 昇 を反 映 して,イ エ メ ン人 出稼 ぎ労 働 者 に よ る本 国送 金額 は1975年 以 降 急 速 に 増 大 した(図4参 照)。 出稼 ぎ労 働 者 は主 17)  居 住 人 口の 八 割 以 上 が 農村 部 に 居 住 して い る事 に 加 え て,国 内総 生 産(GDP)に 占 め る農   業 の割 合 は1969/70年 度 に52.1%,79/80年 度Y'は31.8%に ま で低 下 した が,最 大 の産 業 で あ   る事 に は 変 わ りが な い 【佐藤   1984:82‑$4]。

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国立民族学博物館研究報告  17巻2号

図3  出稼 ぎ送金 と消費

図4  出 稼 ぎ 送 金 流 入(移 転 収 支 の 黒 字   図11の ⑤)         [C.P.O.  1983,1977,1981,1988,1989]

と して 農 村 部 か ら流 出 す る18)の で,送 金 の 結 果 農 村 部 に 現 金 が 流 入 す る事 に な った 。   従 来 の 自給 農 業 経 済 で は,穀 物 は 流 通 市 場 に 流 入 し な い た め 農 村 に 現 金 収 入 が ほ と ん ど な く,イ エ メ ン 山 岳 部 は 慢 性 的 な 貯 蓄 不 足 に よ る 「貧 困 の 悪 循 環 」状 況 に あ っ た 。

こ こ に 送 金 が 流 入 し た 結 果,「 貯 蓄 不 足 」 が 全 く意 味 を な さ な く な る  【SWAGMAN 1988:46】 。 こ の 結 果 ま ず 第   y>購 買 力 が 向 上 し(図3⑥),消 費 の 拡 大 を 招 い た(図 3㊧)。

18)出 稼 ぎ の93.5%は 主 要 都 市 以外 の 出身 で あ る 【Bntxs and Suaci am  1982:55】。

参照

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