柿田川湧水と周辺の地質について
著者 渡辺 精
雑誌名 静岡地学
巻 30
ページ 19‑20
発行年 1975‑11‑02
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025718
30持 (1975)
柿 と周辺の地質について
渡 辺 精
1 . は じ め に
より を東進
右 傑 イパスにそって l
!の橋を渡ると だ南鋭に
に 出 る (1/5万地形国 ) 0 そこより ると 毎秒15トン、水 々に囲まれた えるO
10 cmの鴻水が高得 100mの地域に集中して湧き出ているO こ
変化も少ない、日本一、否世界にも類をみない壮大な柿田)11の湧水地であるひこの
部の 水として利用されているがその量は全湧水量の 10%足らずである。その水は ) 11に合流するまで1.5 Kmの問、田方平野を 10数m下刻しもrtJ40 "‑‑400 mの谷中を、
の河原のない河川となって流れるO これが柿田)11であるのその両岸は垂痕に切り立ち、
と 分 級 の 悪 い 土 石 の 層 ( 泥 流 罵 と 呼 ぶ 人 分 級 の 良 い 粘
O. 5 '"" 1 m
を る
し、 」れらの事より狩野
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の明きらかである。柿田
J I I i
勇水とこれらの 解明することを中心として調査研究を進めたOとの
をもっ、複雑な ついての諮問を
2. 露顕、及工事現場の観察と粒度分析
水地点より柿田)11にそって湯川まで 約500悦 の結果、岩相の変化は 分級の良い!曹をはさ しむ、ヵミ、 (20cm)の下に 2"‑4mの
5地点の
し、その下に砂様、
んで4回以上の泥流があれ下流域では泥流層→粘土層→シノレト層→砂磯麗→泥流層のサイクノレ できること、湯川では粘土層の表面の割れ自に上部のシルト層が流れ込んでいるのを観察出来ること、
湧水地付近では粘土層が見られないことがわかったO
狩野)[1、 黄 瀬 川 、 境 )[1、 大 場
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沿 い の 露 頭40地 点 以 上 、 そ れ ら に 関 ま れ た 土 木 建 築 工 事 現 場10地 点でも観察した結果、清水町外原(狩野J I I
左岸)でも右岸と同じ泥流の堆積物、沼津市大手町でも表層以下5 m以上田結した泥流露、三島市大場付近でも表層は 3 mの軟弱な ることがわかったO つまり大場川、狩野)11、千本公園より東沢田
だ が そ の 下 に 数mの泥流麗があ の 滝 、 黄 瀬J[1で閉まれた東西・南 北 共 に 約 8Kmの 扇 状 の 地 域 は 計5 m以上の泥流層でおおわれており、 1回の泥流も 4 mを越える所があ
る事からこの地域の面積から類推すると l屈に 1'""2億トンになる泥流が起ったと推定できるO
3 .
ボーリング、及井戸の資料から柿自
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の北方10Kmの伊豆島田(三島上水道〉では約4mの泥流麗の下は 50mまで富士熔岩で8枚 以 上 の 岩 震 が 確 か め ら れ 、 そ の 下 70mまでは玉石や浮石の混入した砂擦麗になっておりこの地層より水を くみ上げているo 70 mより 150m以 上 の 深 さ ま で 岩 盤 は な く 玉 石 混 入 し た 愛 鷹 及 箱 根 火 山 の も の と 思 われるローム暦となれそれが不透水震になっているO 湧 水 地 の 北 5Kmの竹原では約 25mまで泥流が続き、そこより 60mまで熔岩層2枚以上確認されその下は繰層となり水をくみ上げているが、その地よ り東部200"‑‑300 mの 地 域 で は 水 振 が な い と 言 う O 湧 水 地 点 で は 約 20mの泥流麗の下に 20 mの 厚
長清水中学校
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さの熔岩がありその下は 、湧水地点より1.5 Krn南の清水中では 25'1丸までが泥流層と砂、粘土の その下 35mまで軽石を含む狩野)11の堆積物 さらに 80mまではカキ等化石を多量に含む海成の
もその下約5 mの粘土層をはさみ様、砂の躍が 100m以上続き、この地層から被圧された地下水 をくみ上げているO 柿田)11の東4Kmの三島市大場、伊豆箱根本社の井戸の資料は約4mの軟弱な泥j曹の 下11mま で 富 士 泥 流 麗 が あ れ そ れ よ り 75mまで砂機、シノレト、 の が続き約5mの カミ あったのち 80mより深いところは砂磯麗でこの潜より水をくみ上げているO 柿田)11の西4Kmの 東京麻糸工場でも地表より 12mの泥流麿の下は砂機、シ/レ人粘土等の互騒が 60m位まで続き、そ
こに含まれる擦は堆積岩が多く、富士川が供給したものと思われるo60 mより約6mの粘土躍がありそ の下は玉石を含む磯麗となっておりそこより水を上げているO さらに西方の原町役場でも約 60m まで
その下に 5m近い粘土層があり、それを貫くじ堀り抜き井戸となって自憤するO
4 .
柿田1 1 1
周辺の地形地形図でもわかるように柿田)11周辺の扇状地は周囲より高いため、柿田
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に流れ込む河川は lつもな い。清水町徳、倉の地形も狩野J I I
にそって上流(南方〉程低くなっているO このことは泥流の中心が富士、箱根関の谷間からまっすぐに南下したことと関係が深む、。叉狩野)I1の河床と両岸の高さ 黄瀬
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JfIの流路と段丘地形等は泥流の大きさと方向を示しているO この泥流による地形が狩野)11の洪水の特殊 性(中流域で満水し下流の清水町は洪水の心配ない)と関係が深い。
5 .
湧水蜜と韓関面積、三三島上水の井戸の水{立柿田)
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の年間湧水量は年間4.7億トン;こ達する。 2,000 ~ 3,000鰍 で ある O その Y2 ~U の 1 , 000 聞が地下水となったとしてもも降雨面積は 4701ぽ必要となり駿東郡の 5001匂?とほぼ一致するO また三島上水の井戸の水位は地表下8mの8月から 18mの2月と変化するが、くみあ よる変化は数mであるO
6 .
持田J I I
の形成過謹以上のデータのみでは推論の域を脱し得ないが、柿田)11とその周辺の地質の形成過程は次の様に考え られるO
① 海水面が今より 60m以上低く、 小御岳、三国山地、箱根火山に閉まれた御殿場 の盆地地形に集められた降水は箱根、愛!寵の裾の交わる裾野〈伊豆島田〉市を深く浸食して南下したO
@ 海進が始まり出方平野は深い潟、底に沈み粘土層を堆積、裾野の浸食谷に砂擦が堆積したO
@ 現在の水位に達し、西方より富士
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、東方より狩野川、黄瀬川の運搬物で田方潟、は平野となったO@ 富 士 山 の 活 動 が 始 ま れ 噴 出 物 は 御 殿 場 の 白 地 を う め 南 下 し たO 熔岩流はi日実瀬)
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をうめ、深い 食谷となっている伊豆島田付近は数回の熔岩抵でふさがれ、!日黄瀬J I I
は地下水路となったO③ 流動性に富んだ火山性の多量の泥流は据野より番費山に向って流れ環状に広がって不透水震を形成 し、狩野川をセキ止め、流路を失った狩野
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は議本町より大仁に至る湖水となったO 満水に達した水はセ キ 止 め た 泥 流 を 浸 食 し て 狩 野 川 の 流 路 と な れ 田 方 湖 の 水 を 放 流 、 こ れ を 伺 度 か く り か え し たO@ 地下水路となったIB黄瀬
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河床を流れる地下水は熔岩流の末端で被庄より解かれて湧水となり、泥 を狩野)11の水位まで侵食して現在の柿田)11となったO20 ‑