神役の空白による祭祀の衰退と現状
―― 沖縄県宮古島狩俣のウヤーンを事例として
洲鎌成子
1.はじめに
日本では数多くの村落祭祀が行われてきた。しかし近年ライフスタイルの変化や様々な社会構 造の変化からこれらの祭祀は衰退の一途をたどっている。沖縄県宮古島狩俣ムラの「ウヤーン祭 り」も1997年から滞っている。この「ウヤーン祭り」は宮古島北部の3地域(大神島、狩俣、島 尻)で行われてきた秘祭である。これまでムラ人は、「恐れ多い祭り」として祭祀内容を表に出 してこなかったが、中断という事態を受け、それを明らかにしはじめた。しかしながら先行研究 では祭祀内容に関する詳細な記録が十分ではなく、また祭祀中断の理由や時期、再開の可能性に ついて論じたものがない。そのため本研究ではその2点に焦点を当て、祭祀の衰退と現状を明ら かにすることを目的とした。
また、本研究で見ていくウヤーン祭りは「ウヤーン」「ウヤガン」「祖神祭」など複数の呼び方 があり、祭りを担う女性達も「ウヤーン」「ウヤパー」「カミツカサ」等の呼び方がある。本来狩 俣では、祭祀と担い手の双方を「ウヤーン」と呼ぶのが主流なのだが、文中ではそれらを区別す るために祭祀を「ウヤーン祭り」、担い手を「ウヤーン」と表記する。
なお、本研究では文献調査と聞き取り調査を行った。文献調査では祭祀の起源や存在理由に関 する研究を比較するとともに、報告されてきた祭祀内容についてまとめた。また、明らかにされ ている祭祀内容を基に、2010年9月〜10月に現地にて聞き取り調査を行った。更に翌11月に追加 調査として関連シンポジウムへ参加し、補足として2012年1月に聞き取り調査を行った。
2.調査地の概要
2.1 ウヤーン祭りを行う3地域とその関係性
宮古島諸島は、沖縄本島から南西約300!に位置しており、大小8つの島からなっている。ウ ヤーン祭りを行っている3地域(大神島、狩俣、島尻)はいずれも宮古島諸島の北部に位置して いる(図1)。この3地域の間には親子関係があり、大神島が親、狩俣が息子、島尻は娘とされ ている。これらの地域は、島民に神聖な地域として認識されており、地域の拝所にはムラ内外か ら参詣者が訪れる。
大神島 池間島
狩俣
島尻
池間島
伊良部島
下地島
来間島
宮古島 大神島
調査地:狩俣
2.2 調査地狩俣について
狩俣は、宮古諸島の中で最も大きい宮古島の北端部に位置するムラである。この地域の地形的 特徴は、原生林の森が東西に細長く続いている事である。この森の中にウタキがあり、地域信仰 の対象とされている。ムラは原生林の傾斜地に沿って東西に広がっており、南部は畑地となって いる。この広い畑地でサトウキビや葉タバコを中心とした農業が行われ、小規模な漁業も行われ てきた。人口数は676、世帯数282という比較的小さなムラである(2009年現在)。社会組織とし ては自治会、老人クラブ、青年団、体育協会、交通・防犯協会、消防団がある。
近年は島内の生業環境が変わり、ムラ内から中心市街地へ通勤する人や転居する人が出てきた。
ムラの構成員に大幅な変動はないが、高齢化や核家族化が進んでおり、このような社会構造の変 化は村落祭祀の衰退要因の1つになっていると思われる。
2.3 狩俣におけるウヤーン祭りの概要
狩俣のウヤーン祭りは、ムラの親である大神島でのウヤーン祭りの開始を受けた後、旧暦の10 月から開始される。約3カ月間にわたって行われ、5回の山籠りを伴う。はじめにでも述べたよ うに、この祭りの主催はウヤーンと呼ばれる女性の神役である。祭りの目的は、祖神に感謝しム ラの繁栄を祈ることである。その歌や踊りといった儀礼の内容は、狩俣ムラの起源をなぞるもの であり、山籠りを行った神役には祖神が憑依すると考えられている。山で祖神なった神役達はそ の後ムラへ降り、集落内の祓い清めを行う。そうすることでムラに繁栄がもたらされると考えら れている。なお、この祭祀は秘祭とされており、随所に見てはならないというタブーを持つ。ま た儀礼の文章化も禁じられており、神役の間で口頭伝承されてきた。このように「狩俣の神はヤ グミカン」つまり「恐れ多い神」とされ、祭祀を含めた神事に関しては容易に踏みこめない雰囲 気が強くあった。
図1 宮古島市狩俣
(注)(テ ク ノ コ 白 地 図 イ ラ ス トon- line:n_map.html)をもとに筆者が作成。
図2 宮古諸島
(注)(テクノコ白地図イラストonline:n_map.html)
をもとに筆者が作成。
3.先行研究の批判的検討
3.1 起源・存在理由
ウヤーン祭りは民俗学・文化人類学の分野において1960年後半から盛んに研究されてきた。注 目された理由はウヤーン祭りが日本の中で稀な憑依型女性村落祭祀であり、さらに沖縄の中でノ ロ制度の根付かなかった亜流派に属する宮古島地域で継承されてきたことにある。
当初の研究内容は、祭祀の起源と存在理由に関するものが多い。起源に関しては主に次の3つ の見解がある。まず母権制時代の名残という説がある。沖縄文化研究家で法政大学名誉教授の外 間守善は、祭りの際に読まれる歌の分析から狩俣ムラはもともと母権制であったと推測した。そ のため祭祀に女性の権威が残ったとみている(外間、1972)。一方で、父権制下における祭祀の 一形態であるという説がある。東京都立大学の教授などを歴任してきた人類学者の馬淵東一は、
そもそも母権制が必ずしも父権制に先行するのではなく双系制も含め、それらは同時並行的に存 在していたとみている。また沖縄周辺諸国の研究から、女性が霊的に優越するエリアと男性が霊 的に優越するエリアの存在を主張し、女性村落祭祀は前者に属するとみている(馬淵、1974)。 この他、男女の居住地が分かれていたためという説がある。沖縄紅型の復興者として知られる元 沖縄県立美術大学の鎌倉芳太郎は、かつて狩俣には母子集団が農耕を基本に居住し男集団は漁労 を行うため池間島に居住していたと推測しこのような説を唱えた(鎌倉、1982)。
次に存在理由に関してだが、これに関しては複数の研究者が共通した見解にたどりついている。
「宮古島におけるオナリ神信仰の欠如」、「宮古島にノロ制度が根付いていないこと」、「宮古島で 稲作が行われていないこと」の3つである。いずれも沖縄他地域と宮古島諸島との相違となって おり、ここにウヤーン祭りのような祭祀が存在する理由があると考えられている。
3.2 歌研究
この他祭事中に読まれる神歌に関する研究も行われてきた。歌研究ではニーリは歴史内容の伝 承歌、フサは神様の教えを説く歌、ピャーシは神様に助けを求め祈る歌、タービは偉人を讃える 歌というように内容によって神歌を分類し、研究するのが主である。しかし早くから調査対象と されていたこの分野は誤った解釈も行われてきた。例えば川田桂は「沖縄宮古島ウヤガン信仰研 究序説」(川田、2010)でフサに関して次のように述べている。
現在23首が採取されている。その中の主要なものを見ていくと、(ア)神の来歴を語るもの、
その後の系譜を語るもの(イ)ある親族と親族の抗争を語るもの(ウ)井戸を掘ったことなど、
部落にとって重要な功績をたたえるもの(エ)継母と継子の争いの話や、ある男性の側妻が妊 娠し、本妻を追い出す内容1といった、一見神とは関係のない内容のもの、などがある。
なかでも、ウヤガン祭で謡われる頻度の高いフサは、
!真マズマラ津真良のフサ(5回のウヤガン祭のうち、1回目及び5回目に謡われる)
"ミャームギのフサ(ウヤガン祭の1回目、3回目、5回目に謡われる)
#磯殿のフサ(1回目、5回目のウヤガン祭に謡われる)
$川良原のフサ(5回目のウヤガン祭で謡われる)
%阿応理やえのフサ(1回目、5回目のウヤガン祭で謡われる)
&継母のフサ(1回目、5回目のウヤガン祭で謡われる)2
'兼久大按司役成り按司役のフサ3(1回目および5回目のウヤガン祭で謡われる)である。
これらが基本のフサとされ、ナナフサ(7フサ)と呼ばれる。また、
(兼久大按司役フサ(1回目のウヤガン祭で謡われる)
)那覇港のフサ(1回目、3回目、5回目のウヤガン祭で謡われる)4
*トーナジのフサ(1回目、5回目のウヤガン祭で謡われる)
+下男のフサ(1回目、5回目のウヤガン祭で謡われる)
,大根のフサ
をくわえた12のフサをトゥウフタフサ(十二フサ)とよんでいる。その他、いくつかのフサの 存在が確認されているがここでは省略する(川田、2010:137−138)。
誤った解釈がなされている可能性が高いのが下線部だ。まず下線部1だが、狩俣のフサにはこ のような内容を歌ったものはないそうだ。これまでは男性の側妻が妊娠し本妻を追い出すと解釈 されてきたが、実際は男が嫁を迎え子が生まれるまでのことを歌っているという。下線部2では 継母のフサというものが出てくるが、継母を歌ったものではないそうだ。内容としては神衣の着 方、神棚の設置について、奉納の仕方などを教えているということである。下線部3では兼久大 按司役成り按司役のフサと紹介されているが、人物に関するフサではないという。これも奉納の 仕方についてのフサであり、神歌や踊りなどについて歌っているそうだ。下線部4では那覇港が 出てくるが、フサの中に那覇港が出てくるものはないという。与那覇原軍に攻め込まれた時の様 子を歌ったものであると思われる。
このように神歌研究には誤った解釈が少なくない。本研究は神歌研究がメインではないためこ れ以上は言及しないが、今後さらに再解釈していく必要があると思われる。
3.3 近年の研究
近年の研究の傾向としては、先に述べたような神歌の再解釈や、祭祀内容について記述する研 究が増えていることがあげられる。神歌研究においては、狩俣吉正の『沖縄・宮古島狩俣民俗誌』
が発表された(狩俣、2011)。この中で狩俣は神歌を狩俣方言で解釈しなおし、これまでの歌解 釈の誤りを数多く指摘している。祭祀の詳細については、川田桂が自身の聞き取りと先行研究を もとに「沖縄宮古島ウヤガン信仰研究序説」にて報告している(川田、2010)。
このように詳細な研究が進んでいる背景として祭祀の中断が考えられる。これに伴ってタブー 意識の薄れと継承への危機意識が生まれ、情報公開への流れが出来たようである。しかし、祭祀 内容の詳細はいまだ十分に明らかにされておらず、祭祀中断の理由や再開の可能性に関してはほ とんど研究されていない。よって本研究では、!祭祀内容に関する詳細かつ正確な記録を残すこ と、また"祭祀中断の理由・時期・再開の可能性を明らかにすることを主たる目的とする。さら
表1 ムトゥと祭神について
ムトゥ名 ▲:現在ファーマー無し 祭神(名前)
!
ウプグフムトゥ (大城元) ムラ建ての神(アサティダ、ウマティダ)"
ナーマムトゥ (仲間元) 海、航海の神(マーンツザーリューグーサス・パナヌサス)#
シダディムトゥ(志立元) 五穀豊穣の神(ユーヌヌス)$
ナーンミムトゥ(仲嶺元) 水の神(ミズヌヌス)▲
%
マイニャームトゥ(前の家元) ムラ建ての神(アサティダ、ウマティダ)▲
&
ニスヌヤームトゥ(北の家元) ムラ建ての神(アサティダ、ウマティダ)▲
'
カニャームトゥ(金屋元) 豆の神(カニャーウプツカサ)(注)(比嘉、1991)、(在沖狩俣郷友会、1999)、(川田、2010)をもとに筆者が作成。
に、このことは祭祀衰退に伴う村落共同体の現状を明らかにすることにつながると思われる。
4.祭祀内容
4.1 祭祀を支える狩俣の信仰体系
ムラの村落祭祀の核となっているのはムトゥ(元)への信仰である。ムトゥとは部落の始祖と される家のことで9つある。このうち7つは屋敷跡があり、ヤームトゥ(家元)と呼ばれている。
狩俣の家々は全ていずれかのヤームトゥに所属し、ファーマーと呼ばれムトゥの構成員となって いる。ファーマーとムトゥは関わりが深く、ファーマーは年中祭祀だけでなく行事や人生の通過 儀礼の際もヤームトゥへ参る。ファーマーは日本本土の氏子に似た組織であるが、それとは異な り各家で受け継いでいく。なお、ムトゥには序列があり、表1に示した順に高位であるとされる。
ムラの年中祭祀は主に各ムトゥごとに行われるが、ウヤーン祭りでは全てのムトゥヤーが祭場 となる。全ファーマーに関わるウヤーン祭りはムトゥへの信仰そのものである。
4.2 祭祀の担い手
ウヤーン祭りを含め、狩俣における全ての祭祀を主催するのは神役の女性たち、すなわちウヤー ンである。各ムトゥに5〜10人ほどおかれていた。なお、ムトゥに序列があったようにウヤーン の中にも序列があり位をもつ者には名前が付いている。表2は神組織をまとめたものである。
この神役組織の中で、最も位が高いのはアブンマである。彼女を筆頭に名前のある神役達がウ ヤーン祭りの中で担当を持ちフサや踊りをリードして儀礼を行う。またさらに上位の神役は祭り の際に山へ籠る。すなわち表中に太字で示しているウヤーンである。山へ籠らないその他の神役 達も上位の神役達が山を下りてから行動を共にし、ムラ内での儀式をとり行う。
ウヤーンと役職の継承方法については次のようになっている。まずウヤーンには、50歳ごろか ら参加することになる。これは、狩俣で生まれ、狩俣に居住している女性のみにその資格がある とされる。強制ではないが、適齢期を迎えた女性は代々夫の母を継ぐかたちで継承するのが一般 的であった。一方、役職は「フズ」という儀式によって選任される。この儀式では、まずユタと
呼ばれる地域の神職者に次期の神役としてふさわしい干支を見てもらう。次に、狩俣に住む該当 干支生まれの者の氏名を書きだす。そしてその紙を盆に入れ、ゆすり落とす。最終的に3度落ち た者に「神が降りた」とし選出する。役職はこのようにして決められ、70代後半まで任期を持つ。
4.3 祭祀内容の詳細
祭場・祭祀内容の詳細に関しては本稿では割愛する。
5.祭祀の中断と現状
5.1 中断の時期・背景
祭祀が中断したのは1997年だ。複数の論文で現状報告がなされてきたがその原因に関しては推 測が多く「人口の減少と社会環境の変化」や「後継者の不在」がその原因であるとされている(奥 濱1997)、(狩俣2009)。しかし人口の減少は直接の原因になるほどではないと思われる。そのた め本研究では「後継者の不在」の背景に迫るため聞き取り調査を行った。その結果、!迷いなが らも神役を引き受けた人、"任期の途中で神役を辞めた人、#神役の就任を断った人がいること が分かった。それぞれの家族や本人への聞き取り調査を進めた結果、そもそも神役の継承は歓迎 されていたものではなく、断れないために継承されてきた節が強いことが判明した。狩俣地域で は「神ごとを断ると子や孫の代に何かある」といわれるため断れない女性が多かったのである。
神役を逃れるために身を隠す・神くじから身内の名前を抜くといった行為も行われていたそうだ。
また、1940年前後に生まれた世代から拒否や辞退が出始めたことも明らかになった。
このように、祭祀の中断理由は、単なる「後継者の不在」ではなく、狩俣の人々の神行事への 表2 狩俣の神役組織
ムトゥ名 司役
!
ウ プ グ フ ム ト ゥ(大城元)
アブンマ、ヤマトゥンマ、ヤーヌ主、フサヌ主、チビスケー、ブンヌンマ、サ ズンマ、その他名前のないウヤーン
"
ナーマムトゥ(仲間元) ミョーニヌ主、ウプツカサ、サズンマ、その他名前のないウヤーン
#
シ ダ デ ィ ム ト ゥ(志立元) ユーヌ主、ユーヌ主ツカサ、ヤーヌ主、サズンマ、その他名前のないウヤーン
$
ナ ー ン ミ ム ト ゥ(仲嶺元) ミズヌ主、ミズヌ主ツカサ、サズンマ、その他名前のないウヤーン
%
マイニャームトゥ マンザンマ、ブンヌンマ、サズンマ、その他名前のないウヤーン&
ニスヌヤームトゥ ミョーニヌ主、ブンヌンマ、サズンマ、その他名前のないウヤーン'
カ ニ ャ ー ム ト ゥ(金屋元)
カニャ―ムトゥツカサーン、ブンヌンマ、サズンマ、その他名前のないウヤー ン
(
アーラグフムトゥ スバーギ、サズンマ)
イツカフムトゥ ウパラズトゥム(ウヤーンに使える小間使いであり、主に彼女達を食事の面でサポート する)
(注)(比嘉、1991)、(在沖狩俣郷友会、1999)、(川田、2010)をもとに筆者が作成。
意識の変化に伴う「神役の辞退や拒否」があった為であった。
5.2 中断の影響
祭りの中断は、様々な形でムラに影響を与えている。中でも深刻な2点についてまとめる。
まずは祭場の放置である。第1〜2章でも述べたように「狩俣の神はヤグミカン(恐れ多い神)」 といわれ、神役以外が祭祀に関わることをタブーとする空気があり、神役以外のムラ人には祭場 を管理する資格がないとされていた。そのため祭り中断後、祭場の管理が充分になされなくなっ ている。複数のムトゥでは管理者が新たに置かれたが、全てのムトゥの管理が行き届いている訳 ではない。ウタキをはじめとしたその他の祭場の管理もなされていない。このような現状に不満 を持ち、神様に申し訳ないと感じている人々もいる。しかしウヤーンのいない今、祭場での行い に関して彼女達の承諾を得ることができないため、祭場に入り掃除を行ったり、儀礼を行うといっ たようなことは許されない。このため信仰心の強い人ほど禁忌を守り、祭場が放置されるという 現状にある。さらにこの祭りの中断によって、ムラ人のファーマー意識は薄らいできている。
また、年中祭祀の衰退という影響も出ている。ウヤーンは狩俣ムラにおけるその他の年中祭祀 の担い手でもあった。彼女達のいない今、それらの祭祀はほとんど行われていない。なおウヤー ンが関わってきた祭祀は数多く、文献と聞き取りをもとに明らかになっただけでも年間41に上る。
しかし現在残っているのは4つだけである。それらもかつてのように儀礼が行われているものは ないため、ウヤーン祭りの中断はほとんど全ての祭祀の停止を引き起こしているといえる。
以上のように、ムラの最重要祭祀であったウヤーン祭りの中断は多くの影響を与えている。こ れはただ単に「1つの祭祀が行われなくなった」というだけでは済まされない事態である。
6.ウヤーン祭り再開の可能性
6.1 再開に向けた動き
年中祭祀全体の衰退が進行している中、ウヤーン祭りの再開に向けた取り組みも始まっている。
関連団体は「宮古島の神と森を考える会」「宮古伝承文化研究センター」「狩俣の文化財を守る 会」の3つで、それぞれ狩俣自治会と協力しながら活動を行っている。この中でウヤーン祭りに 最も深く関わっているのは「宮古島の神と森を考える会」である。発足は1994年であり、民俗学 者の谷川健一が初代の会長を務めた。学者中心ではあるが会の趣旨に賛同する人なら年会費2,000 円で誰でも参加することができ、島内外に会員がいる。主な活動内容は年に1回目的を再認識す るための例会を開くことである。現会長の居駒は団体の目的を、宮古島の神事をどうしていくか をムラの人々と一緒になって考えて行こうとするものであるとし、だからこそ「守る会」ではな く「考える会」であると説明している(2011年シンポジウム挨拶より)。これまで彼らは計2回 にわたってウヤーン祭りの復活にむけたシンポジウムを開催している。
第1回目のシンポジウムは2008年に行われた。元ウヤーンと学者をパネラーとしてむかえ、さ らにムラ人を交えてディスカッションがなされた。テーマは「祭祀内容・学問的研究テーマにつ
いて」と「継承・復活に向けた実践的問題について」であった。前者に関しては本章の主目的と 若干離れるため省略する。後者に関しては祭祀が全て停止していることとムトゥの管理が行われ ていないことが問題とされ議論が交わされ、提案事項が3つ上がった。まず!自治会が中心となっ て祭事の復活に向けた指揮を執ること、そして"ムトゥを集約し祭祀の簡略化を図ること、さら に#ムトゥの由来や神歌、年中行事を知らせる方法を検討すること、である。結論として、この 提案事項を自治会に行ってもらい祭祀復活に向けて取り組んでいこうということになった。
このシンポジウムの後、#の提案を受けて「狩俣の文化を守る会」という団体が発足した。自 治会長の働きかけの元に集まったメンバーが中心となり、佐渡山正吉(元宮古郷土史研究会会長)
をトップとして活動している。その目的は狩俣内にある市の文化財(6か所)やその他文化を守 り、伝えることであり、その一環としてウヤーンや祭りに関わる伝承を途絶えさせない活動を考 え、行っている。具体的には標柱や説明版を作成している。また、シンポジウムでは不可能と思 われていた事態もおきた。ウヤーンの希望者が現れたのだ。
彼女達の継承が検討される中、ウヤーン祭り復活に向けた第2回目のシンポジウムが2011年に 行われた。前回同様のテーマで行われ、ほとんどが復活に意欲的な意見で占められていた。また 前回から改善されていない現状に対して自治会を責める厳しい意見もあった。一方で少数の方か ら「おばあたちが嫌がっているのだから簡略化といっても復活は到底無理なのではないか」「神 役の希望は有るとはいえ本当に継承できるのか、誰が教えるのか」という指摘があった。しかし シンポジウムのまとめとしては、自治会に提案事項を行ってもらい、祭りを簡略化して復活させ ていこうというものとなった。
6.2 再開の可能性とその前提
確かに、自治会は狩俣ムラの舵取りが出来る唯一の組織である。しかし実際に彼らが祭祀の指 揮を取って行っていくにはいくつか課題がある。まず、祭りの概要を把握していない自治会に祭 りの簡略化を図ることは困難であるし、また復活に向けて意欲的なのは現自治会長だけであるた め、組織内にある温度差も解決しなければならない。さらに神役以外が祭事に関わる資格がない とされてきた点に関しては曖昧にされたままであり、これも解決しなければならない課題である。
また、シンポジウムの結論部分のみみていると、ムラの意識は祭り復活の方向へ向いているよ うにみえる。しかし実際のところムラ人全体の意識統一はなされていない。学者とムラ人との間 さらにムラ人同士の間には大きな意識の差がある。以下はシンポジウム後の会場と、その周辺で 行った聞き取り調査の結果である。
!「母が死ぬまでウヤーンを務めた。そのおかげで自分たちや子どもはみんなこんなに大きく なれた。復活させないといけない。」男性(70代)
"「シンポジウムでの言葉が全部おしつけられているように感じる。続けてほしいならなんで
とだえたのかを研究してほしい。」女性(50代)
#「ウヤーン祭りの復活は到底無理であると思う。他の祭りを、なんとか復活できないかを検 討すべき。」男性(80代)
$「狩俣の神ごとはいらない。大変すぎる。神もヤグミカン。キリスト教のほうがまだいい。」 男性(82)
%「神ごとはあまり分からない。してはいけないと言われるものが多すぎて何もできない。」 女性(50代)
!のように復活に関して意欲的な人もいるが、"のように外部から復活を促されることに違和 感を抱いている人や、#$のように復活に否定的な人もいる。このようにムラ人の心境は様々で ある。最大の問題は、これまでにムラ人同士での話し合いがなされていないことにある。そもそ も現状についてどう思っているのか、祭りは復活させるべきか否か、という段階からの話し合い が必要である。本来自治会が介入するかどうかという話はこのような話し合いの後、再開への合 意形成がなされてはじめて出てくるべき問題だ。そして現在、このようなムラ全体の話し合いの 場をつくることができるのは、自治会のみである。そのため自治会の動きは重要になるが、彼ら が全てのカギを握っているわけではない。ウヤーン祭りをはじめとする狩俣ムラの祭祀及び祭祀 空間のこれからは、自治会の働きかけでムラ人自身がどう考えるかにかかっている。
7.おわりに
本論では沖縄県宮古島市狩俣で行われてきたウヤーン祭りという女性主体の村落祭祀を見てき た。狩俣ムラに限らず、祭りの衰退や中断は全国で起きている問題である。しかしながら、それ らは必ずしも復活させなければならないとは限らない。その中断には背景があり、現状にも様々 な要因があってのことである。外部から祭りの希少性や価値を認められ、その復活が望まれたと しても、最終的にその祭祀を行えるのは彼らではない。担い手自身が真剣に向き合っていくべき 問題である。狩俣ムラは島の神事の中心的存在であるため外部からの圧力もあるが、周りに左右 されずにムラ人自身でムラの祭りの方向性を決めていってほしい。
ウヤーン祭りの中断から13年経った今、ムラでは神事を知らない世代が広がってきている。伝 承の機会は限られている。彼らがこの祭りに関してどう向き合っていくのかを話し合う時期は、
もうすでに来ているのだ。
付記
本稿は卒業論文を改稿したものであるが、卒業論文では記述していた祭祀内容や一部の情報に ついては非公開とするために割愛した。これまで配慮の無い調査によって望まない情報公開をさ せられた方や、誤った解釈によって胸を痛めているムラの方々がいる。今後そのようなことが増 えないことを祈る。
謝辞
本研究は聞き取り調査を主に行っており、狩俣ムラの人々の協力なしには成り立たなかった。
ここに記して感謝を表したい。
参考文献
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記念事業期成会
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古島の神と森を考える会
宮古伝承文化研究センター 2010 『報告書 第5回講演とシンポジウム』 宮古伝承文化研究センター