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幕末 期 の流通統 制 と領 国体 制
一 羽 州村 山郡 に おけ る 「郡 中議 定 」一
安 孫 子 麟
1ま え が き
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1私 は,前 稿 「幕 末 に おけ る領 主 財 産 の危 機 」 に お い て,羽 州村 山郡 を素 材 と しつ つ,と くに そ の うちの 山形 水 野藩 を 中心 に,明 治 維 新 直前 の 段 階 に おけ る領 主 的 支配 体 制 の解 体状 況 を 明 らか に し,そ の なか か ら維 新変 革 に お け る諸 階 級 の主 体 的 役割 の理 由 づ け を見 通 そ うと試 み た 。 さ らに そ の の ち,
(2)
青 木 美智 男 氏 ・守 屋 嘉 美氏 と と もに 行 った歴 史 学 研 究 会 大 会 近世 部 会 の 報告 に お い て,地 主 制 を 中心 に据 え て,幕 末 か ら明治 前 期 に 至 る変 革 の過 程 で,
この地 方 の 産 業 体 制 が い か に 連 続 し,ま た い か に 変 革(断 絶)さ れ てい るか を,社 会 的分 業 展 開 の 視 角 か ら考察 した。 しか し,私 の これ ら二 つ の 考察 で は流 通 構 造 の分 析 が 充分 で は な く,こ の地 方 に 即 して もまだ細 か く検 討 す べ き こ とが 残 ってい る と同 時 に,全 国 的 な 国 内市 場形 成 の 一 つ の環 と して の 中 央 市 場 との 関 連 は,ほ とん ど触 れ な い ま まに 終 って い た 。 それ らの一 部 は, 旧稿 に お い て触 れ て い るの で あ るが,本 稿 では,そ の課 題 を幕 末 の流 通 統 制 策 の側 面 か ら考 察 した い とお も う。 具 体 的 に は,天 保 の 改革 に よ る株 仲 間解 散 か ら嘉 永 の 問 屋再 興 に至 る時期 に 焦 点 を 合 わ せ,全 国 的 な幕 府 に よ る流 通
(1)安 孫 子 麟 「幕 末 に お け る領 主 財 産 の危 機 一 山形 水 野 藩 財 政 を 中 心 と して 一 」 (東北大 学 「研 究年報経済学 」23巻4号1962年)。
(2)大 会 報告 と して印刷 され た ものは,安 孫 子麟 「幕末 ・明治前期 の産 業体制 と地 主制 の役割」(「歴 史学研究 」279号1963年),青 木 美智 男 「非 領国地 域におけ る 領 主権力 の存在形態 」(「歴 史学研 究」281号1963年),守 屋嘉美 「村山地方 にお け る商 品経 済 の発展 と流通 」(「歴 史学研究 」282号1963年)。
統 制 策 と,羽 州 村 山 郡 に お い て特 徴 的に み られ る,い わ ゆ る 「郡 中議定 」 の 変 遷 とが,い か な る関 連 を もつ で あ ろ うか を 考 察 し,そ れ に よ って幕 末 期 に
お け る領 国 体制 の変 革 要 因 の解 明に 近 ず きた い。
2村 山郡 に おい て,幕 府 ・諸 大 名 の所 領 を 越 え て,郡 中 の 惣 代(惣 代名 主・大庄屋など)に よる 「郡 中議 定 」 が 行 なわれ た の は,こ の郡 の 個 別 的状 況 と 深 く関 わ って い る。 い うまで もな く羽 州 村 山 郡 は,紅 花 生産 を 中 核 と した 農 民 的商 品 生産 の展 開 を もって特 徴 づ け られ る地 域 で あ り,前 稿 で 明 らか に し
た よ うに 幕藩 領 主 支配 の解 体 が 著 し く進 行 し,地 主 制 の形 成 ・確 立 が 比 較 的 早 く展 開 した地 域 で あ る。 他 方,こ の地 域 は,近 年 と くに重 視 して指 摘 され
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てい る よ うに,幕 領 ・藩領 の 著 しい 所 領 入 組 み が み られ,い わ ば 「非領 国 型 」 と もい え る知 行 形 態 ・支配 形 態 を もって い た 。 こ うした 点 に のみ 着 目す れ ば,畿 内 大坂 周 辺 の棉 ・菜 種作 地 帯,あ るい は 関東 江 戸 周 辺 の平 野 部 と類 似 した形 態 を示 してい る とい え よ う。 しか し,ひ と し く農 民 的商 品 生産 が 発 展 し,所 領 入組 み が み られ る とは い って も,そ こに は差 違 もあ る。 大 坂 ・江 戸 周 辺 に あ って は,幕 藩 構 造 の一 つ の支 柱 で あ る中央 市 場 一三 都 市 場 圏 に, 深 く直接 に 関わ りを もって い る のに 対 し,村 山郡 の 場 合は,地 理 的に も隔 地 間流 通 とい った形 態 を と らざ るを 得 なか った。 こ う した村 山郡 の 内部 に,農 民 的 商 品 生産 が展 開 し,そ の基 盤 の上 に,幕 藩 体制 的流 通 構 造 ・統 制 を 突 き 崩 す よ うな流 通 関 係 が 生 じた とき,三 都 市場 中心 の 分業 体制 か ら自立 す る よ うな,地 域 と して の 新 らた な ま と ま りを もった分 業 体制 へ の再 編 が,農 民 ・ 地 主(商 人)の 側 か らも,領 主 の側 か ら も,意 図 され て きた 。 この点 は,前 記歴 研 大 会 に お け るわ れ わ れ の三 つ の報 告 に現 わ れ て い る村 山郡 の流 通 関 係 の変 化 の状 態 と,た とえば,「 国 訴」 とい う形 態 を もって闘 わ れ た大 坂 周 辺 の 流 通 関 係 の変 革 とを対 比 す れ ぽ,両 者 に お け る 「地 域 と して の ま とま り」
(3)安 孫 子 麟 前 掲 「領 主 財 産 の 危 機 」PP・101〜105,青 木 美 智 男 前 掲 「存 在 形 態 」 pp・31〜34,同 「羽 州 村 山 地 方 に お け る幕 領 諸 藩 領 の 展 開 」(「 駿 台 史 学 」16号,
1965年)PP・56〜83。
幕末期の流通統制 と領国体制(安 孫子) 3 の もつ意 味 の 違 い が 明瞭 に な るで あ ろ う。村 山郡 に お いて,こ うした地 域 的 再 編 が,幕 府 の主 導 の下 に領 主 の 側 か ら も行 なわ れ た こ とは,そ れ 自体 と し て,領 主 ・藩領 国 体制 の著 しい 解 体 過 程 を 示す もので あ り,そ れ は幾 多 の矛 盾 を 未 解 決 に残 した ま ま,と もか く危 機 へ の対 応 と して と らざ るを 得 な い道 で あ った。
この よ うな,幕 府 領 も含 め た 領主 体制 の矛盾 は,明 治 維 新 の過 程 に おけ る 各 藩 の動 向の な か に も反 映 され て い る。 この地 域 は,従 来 明治維 新 との直接 の 関連 で分 析 され る こ とが 少 な く,一 般 に は,村 山 郡 は,奥 羽 同盟 戊 辰 戦 役 の 過 程 で 幕 府 擁 護 の 側 に立 った 東 北 諸 藩 と して 一 括 され るが(と くに山
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形水野藩),し か し,原 口清 氏 に よれ ば,戊 辰 戦役 の 過 程 で,領 主 体制 の もっ て い た矛 盾 を も っ と も鋭 い形 で露 呈 した地 域,と 指 摘 され て い る。
本 稿 は,こ れ らの 維 新変 革 論 を直 接 に 扱 うもの で は な いが,維 新変 革 過 程 で の諸 階級 の役割 を 考 慮 しつ つ,そ の基 礎 的前 提 を分 析 して ゆ きた い 。
3最 後 に,こ う した一 地 域 の 幕 藩 体制 構 造(解 体)論 を,維 新変 革 論 に 結 びつ け るた めに は,国 内市 場 形成 過 程 に お け る地域 の位 置 づ け,地 域 間 の相 互 関 係,三 都 中央 市場 との矛 盾 的関 係,中 央 市場 の変 質過 程 との対 応 関 係,
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が 考 察 され な けれ ば な らない 。 この 点 は,津 田秀 夫 氏 ・大 野瑞 男 氏 か ら,わ れ わ れ の 報 告 に対 す る批 判 と して 出 され て い る。 村 山郡 に つ い て,と くに紅
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花 の流 通 構 造 につ い て は,こ れ らが あ る程 度 は解 明 され てい る。 しか し,そ れ は主 に近 世 中後 期 につ い て で あ って,維 新直 前 の段 階 で の考 察 は ほ とん ど な い とい って よい 。 と くに 紅花 以 外 につ い ては 充 分 関 心 に も上 ってい な いの
(4)原 口清 「戊 辰 戦 争 」 塙 書 房,1961年,p・250。
(5)津 田秀 夫 「幕 末 期 に お け る地 域 類 型 論 に つ い て 」(「 歴 史 学 研 究 」276号1963 年)p・33,大 野 瑞 男 「近 世 史 部 会 に 出 席 して 」(「歴 史 学 研 究 月 報 」43号1963年) PP・2〜3。
(6)こ の 点 は,と くに 京 都 ・大 坂 の 紅 花 問 屋 制 度 と村 山 郡 農 民 ・商 人 の と対 立 過 程
と し て 分 析 され て い る 。 た と え ぽ,今 田 信 一 「最 上 紅 花 取 引 形 態 に 関 す る 生 産 者
並 問 屋 の 論 争 」(谷 地 町 誌 編 纂 資 料 篇11輯)1954年 。 最 近 で は 守 屋 嘉 美 前 掲 「発
展 と流 通 」。 私 も ま た 旧 稿 に お い て 考 察 し て い る。 安 孫 子 麟 「江 戸 中 期 に お け る
商 品 流 通 を め ぐ る対 抗 」(「研 究 年 報 経 済 学 」32号1954年)。
が 現状 で あ る よ うに み え る。
本 稿 もまたそ れ を 充 分 果 た す もの で は な いが,中 央 市 場 で の流 通統 制 と対 比 ・関連 させ る こ とが,今 後 必要 とな って くる。
皿 「郡 中議 定 」=流 通 統 制 と小 農 民支 配 1「 郡中譲定」の成立
課題 「郡 中議定 」 とい う語 は,史 料 的に 現 わ れ た 言 葉 で は な い。 領 主 の所 領 を 越 え て郡 中 の惣 代(各 所領 ごとの)に よ って議定 され た,主 と して市 場 ・ 流 通 統制 に 関す る もの を 指 して 使 用 した 用語 で あ る。 村 山郡 に おけ る この
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「郡 中議 定 」 の重 要性 に つ い ては,ま ず 私 が指 摘 して多 少 の 考 察 を な したが,
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そ れ は 青 木 美 智 男 氏 に よ って,と くに そ の成 立期 の 意義 が 正 面 か ら取 組 まれ て 解 明 され て きた。 そ の場 合,青 木 氏 と私 とでは,「 郡 中議 定 」 の意 義 を 評 価 す る場 合 に,力 点 の お きか たが や や 異 っ てい る。 そ れ は 相 対 立す る見 解 と い うよ りは,む しろ 関心 の 差 異 か ら 生 じた もの と もい え よ う。 私 の 場 合 に は,紅 花 生産 を基 盤 と して,旧 来 の 特 権 的 な京 都 一 城 下 町 商 人 らの流 通 支配 を 排 除 しつ つ 展 開 した,新 らた な流 通 構 造 とそ の 担 い手=農 村 内 の商 人 に 注 目 しつ つ,そ の な か で の村 落 支配 者 層 に よ る,編 成 替 され つ つ あ る郡 中市 場 の再 把 握 → 夫 食 米確 保(酒 造禁止 ・穀類他出禁止)→ 小 農 民分 解 阻 止 → 共 同 体 維 持 → 領 主 体制 バ ックア ップ(廻 米制確保 ・生産物地代維持)と 把 え てい るの に 対 比 して,青 木 氏 に あ っては,ひ と し く郡 中 市 場 の 発 展 を評 価 して,紅 花 生 産 と主 穀 生 産 との 分 業 体 制形 成 を前 提 と しつ つ,領 主 所 領 を 越 えた 市場 一分 業 体 制,の 領 主 的把 握 の意 図 を基 本 と して,幕 府 の主 導 に よる流 通統 制 → 小 農 民 分 解 阻 止(夫 食米確保)→ 村 落 支 配 者 層 の ヘ ゲモ ニー維 持 → 所 領 を越 え た
(1)安 孫 子 麟 「幕 末 に お け る地 主 制 形 成 の 前 提 」(歴 史 学 研 究 会 編 「明 治 維 新 と 地 主 制 』 所 収,岩 波 書 店,1956年)pp・139〜142。
(2)青 木 美 智 男 「佐 倉 藩 羽 州 領 の 成 立 とそ の 構 造 」(木 村 礎 ・杉 本 敏 夫 編 「譜 代 藩
政 の 展 開 と 明 治 維 新 一 下 総 佐 倉 藩 一 』 所 収,文 雅 堂 銀 行 研 究 社,1963年),
pp.138〜1540
幕末期の流通統制と領国体制(安 孫子)
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新 らた な 領 国 化(幕 府主導)と 把 え られ て い る。 つ ま り,こ の 「郡 中 議 定 」 の 主 体 を,村 落 支 配 者 層 に お くか,領 主(幕 府)に お くか,で か な り異 っ て い る。 しか し,と もに 結 果 的 に は,新 らた な領 国 支配 体 制 へ の再 編,小 農 民 分 解 阻 止,村 落 支配 者 層 の体制 維 持 で あ る点 で は 大 差 は ない 。 この 点は,さ き に 関 心 の差 違 と表 現 した が,そ れ 以上 に 明確 に して お か な けれ ば な らな い重 要 性 を含 ん で い る。 もち ろ ん,領 主(幕 府)と 村 落 支 配者 層 との 連 繋 は 継続 して い るの で あ り,こ の 「郡 中議 定 」 が 両 者 の 合 意 の 上 で行 なわ れ て い る こ とは 明 瞭 で あ る 。 この 場 合,ひ と し く領 主 で あ っ て も,各 藩 一 大 名 権 力 の 主 導 性 に つ い て は,青 木 氏 も私 も ま った く否 定 して い る。 こ う し た 藩 権 力 の 弱 体化 は,農 民 的 商 品 経 済 の発 展 が,ほ か な らぬ 零 細所 領 入組 み地 帯 に おい て 進 行 した ことの 直接 的 な 結 果 で あ り,青 木 氏 が 分析 され た 飛 地 領(佐 倉堀田 藩)で も,私 が み た 在 地 藩(山 形水野藩)で も,事 態 は 同 様 で あ る とい っ て よ
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い。 もち ろん,藩 も領 国化 の意 図 を試 み るが,そ れ は 維 新 に 至 る まで成 功 せ (3)周 知 の ように,所 領錯綜=「 非 領国型」地 帯の問題 につ い ては,安 岡重 明氏 の
指摘(「 日本封 建経 済政策史 論」 有斐 閣,1959年,pp・115〜145)以 来,前 記歴 史学研究会大 会 の討論 のなか で も検 討 され た。 私 自身,「 こ うした所 領の錯綜 性 は,… … 村山郡 において も事情 は偶発的 な もので あ るとはいえ,所 領 錯綜 が可能 で あ った大 名支配 の実態に注 目 しなければ な らない。飛地 を考 慮すれば,こ の傾 向は 多かれ 少 なかれ,大 多数 の大名 に共 通す る もので あろ う」(前 掲 「領 主財産 の危機 」p・105)と 述べ,ま た譜 代藩所 領 の存在 形態 に関連 して,「 広大 な幕府 統 一 所領 の存在 とともに,著 しい非領 国型知行が成立 し得 る要 因はなにか,ま たそ れを 内包す る徳 川封 建制 を どう理解 す るか,が 当然 問題 とな る。… …そ こでは封 建領主 の本来 的在地 支配 ・領国的 支配 の大 原則 は,か な り変質 してい た といわ な けれぽ な らない。 この点は,比 較 的早 くか ら定着 して いた外 様大 名 の場合 に も本 質 的 には妥 当す る ことであ る」(書 評 「譜代藩政 の展開 と明治 維新 」 歴 史学研究 298号,p・42)と 補足 しておいた。 私 は,所 領錯綜 性を単に幕領 ・旗本領 ・譜代 藩 領 の特殊 性 とみ るだけでは な く,一 歩進 ん で近 世的=徳 川封建制 の もつ特質,
解 体 期 封 建 社 会構 造 と して 当初 よ り内 包 して い た性 格 と考 え て い る。 こ う した近 世社会体制 として考 えれば,幕 領 ・譜代藩 領にそれ が特徴的に現 われ る ことの本 質 もまた理解 し得 よ う。歴研大 会討論 での私 の発言 もそ うした意味 の問題 を指摘 した のであ って,青 木 氏が村山郡 の実態 に即 して,私 の発言を 「偶 然性」説 と し て批判 され た こ とは(前 掲 「幕 領諸藩領 の展 開」PP・8〜9),や や論点が 異 な る。村 山郡 におい て,幕 府 領 のあ りかた=定 期 的市場 を中核に収公 した幕藩体制 的領国形成,に 規定 され て所 領入組 みが発 生 した とい う青木氏 の指摘 には,同 意菅
ず,幕 府 主導 の再 編 が 中心 を な して い るので あ る。
私 の 旧稿 は,村 山郡 に おけ る幕 藩 体 制解 体 の分 析 を行 な う以前 の もの で あ り,ま た 「郡 中議 定 」 を 正 面 か ら扱 った もの で もな か った た め,現 在 で は不 足 の 点,補 足す べ き点 が 生 じて きた 。 以下,青 木 氏 の分 析 と対 比 しな が ら, それ らの 点 を検 討 してみ た い。
天明3年 の 「郡中議定」=起点 「郡 中議 定 」 の 最初 の ものは,天 明3年 に み ら れ る。 しか し,こ れ は 天 明3年 に 至 って突 然 成 立 した もの で は ない。 青 木 氏 は,こ の前 提 を,宝 暦 飢 饒 一封建 的 小 農民 没 落 に 対 す る阻 止 策 と,明 和 期 の
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幕 府 に よる郡 内 市場 の再 把 握 策 とに,求 め て お られ る。 この うち 封建 的小 農 民 の 没 落 阻止 は,封 建 領 主 の本 来 的 な施 策 で あ るが,宝 暦 飢謹 の惨 状 は,天 明初 年 の 凶作 に対 して い ちは や く対 策 を 立 て させ る こ とに な っ た の で あ る。
また,明 和期 の郡 内市 場 再 把 握 は,明 和2年 の 紅花 仲 間廃 止 に まで至 った 商 品経 済 の 発提 を前 提 と し,こ の 農 民余 剰 部分 を 直接 的 な本 途 収 取 で は な く, 荷 役 口銭 と して流 通 過 程 で収 奪 し よ うと した もの で あ るが,こ の際 に は,「 私 領 上知 之村 々相 交 引有 ヲ以取 立 来 候 ユへ,当 時 ハ 直段 区 々 二相成 候 二付,当
戌年 汐書 面 之直 段 ヲ以一 同 二諸 荷 役 取 立 … … 向後 ハ村 方 之取 立 人 ヲ相 止 メ支 配所 限役 所 二而相 改 荷 役 取 立,私 領 之 口留 番所 江 モ手 代 之 印鑑 を 差遣 置,通
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リ切 手 相 渡 候 様 」 に した といわ れ て い る とお り,所 領 錯 綜性 に 由来す る荷 役 徴 収 の 困難 さを克 服 す る努 力 が試 み られ てい たの で あ る。 さ らに青 木 氏は,
この 画一 的 な荷 役 口銭 徴 収 に 反 対 す る農民 の 動 きを,領 主 制(幕 領代官)が ど うみ て い たか を 考 察 して,商 品作 物(紅 花 ・青苧 ・たば こ)の 販 売 に よっ て
躰したい。た だ し,近 世 中期 ごろ までに生 じた所 領錯綜 性 の起因 と,中 期 以降一 層 は げ し く錯 綜 性 が み られ るに 至 っ た事 情 とは,や や異 な る よ うに 思 わ れ る。 私 が と くに意識 してい るのは,幕 藩 体制 の諸段階 の うち主 に中期 以降 であ って,そ こ に至 って顕現 化す る幕藩 体制が 内包 していた 矛盾 の集 中的表現 と して,所 領錯綜 性 を考 えてい たのであ る。 この点 は,近 世的 体 制 の基礎 と して の検地=石 高支配 原則 のなかに胚 胎す るもの と考 え られ る。
(4)青 木美智 男 前掲 「羽州領 の成立 」pp・138〜144。
(5)明 和3年 「荷役 口銭令覚」,青 木美智男 同上 論文,p・139。
幕末期 の流通統制 と領国体制(安 孫子)
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貢 租 皆 納 を 果 す とい う 分 業 体 制 を,領 主 側 も認 め ざ る を 得 な か っ た こ と(青 苧 ・たば この荷役銭免除),し か し,荷 役 銭 は 免 除 して も通 り切 手 の チ ェ ッ クは
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行 っ て,郡 中 市 場 の 統 制 は 維 持 して い る こ とを,明 らか に され た 。
「郡 中 議 定 」 成 立 前 の 領 主 側 の 「一・郡 領 国 化 」 の 動 き は,以 上 の よ うな も の で あ り,さ らに これ は,明 和8年 か らの 紅 花 世 話 所 設 置 の 問 題 と な っ て, 紅 花 の 郡 内 市 場 を,京 都 の 中 央 市 場 に 直 結 し よ う とす る に 至 る の で あ る。 し か し,こ の 紅 花 世 話 所 設 置(明 和9年7月)に 反 対 し た 農 民 ・農 村 商 人 の 要 求 は 強 く,し か も,そ れ は 明 和2年 以 前 の よ うな,地 元 問 屋 商 人 の 主 導 権 の 下 に 一 郡 が ま と ま っ た の で は な く,問 屋 荷 主 ・小 商 人(農 村商人)・ 干 花 加 工 者 (上層農民)・ 生 花 販 売 者 と い う関 係 を 明確 に 区 別 した,階 級(階 層)ご と の 要 求 と して 出 され て い た 。 つ ま り,諸 階 級 が 一 郡 と して ま と ま る の で は な く,
「一 郡 の 農 民 」 の 要 求 で あ り,「 一 郡 の 問 屋 」 の 意 向 で あ る,と い う よ うに 郡 内 で の 利 害 対 立 に 基 礎 を お い た 闘 い で あ っ た の で あ る。 の ち の 寛 政 ・文 化 期 の 史 料 に よれ ば,紅 花 世 話 所 の 議 定 書 の 内 容 を 決 定 す る に 当 っ て は(議 定 書 は一年 ご とに更新),地 元 商 人 よ りは 農 民 の 要 求 が 強 く反 映 して い る こ と を 知
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り得 る の で あ る 。
天 明 の 「郡 中 議 定 」 は,以 上 の よ うな 領 主 側 の 動 き と,農 民 諸 層 ・商 人 層 (6)青 木美智男 同上論文,pp・140〜142。
(7)明 和9年 の村 々反対 意見 では,「 殊 二百姓之儀 ハ其 日二水花 二而 商人 へ 売払 早 速 金子手取 候時 ハ荷 物 引当前 ト申儀 ハ小商人 之 内 ニハ勝 手 ニモ可相成 哉百姓勝 手 之筋 ニハ無御座候 」(「東村 山郡史 』 巻之 三,p・185)と い って世話所 の低利融 資 の妥協 条件を拒否 し,商 人 層 と の 差 違 を強 調 してい る。 また,寛 政10年 の 「世 話所議定 書」 では,「 金弐百 両,御 郡 中江年 々為備米代 金 出 シ可 申候,但 先達 而 願 ニハ在 京之商 人無旅籠 二而 賄候筈 二申立候 得共右候而 ハ百姓方之益 筋 二響不 申 由 二付此 度振 替候 」,ま た 「御 郡中 よ り世話所 趣法之善悪為 御見届弐 三人御登被 下 候(費 用 世 話 所 負担)」(「 北 村 山 郡 史 』下 巻p・218)と あ る よ うに,農 民 の立 場 が強調 され てい る。寛政 一文政 期には,干 花加工が農民 の手に移 り,こ の発展 を基礎 に,紅 花世話所 の改革 を要望 し,「 世 話所 株式之儀 者引受人両人 え為相任 候儀 ニハ無御座,郡 中 と相持 二仕,右 之仕法 二而 百姓不益之筋 モ有之候 ハ ・不限何 時願之上 仕法替仕候 」(同 上 書p・292)と 述べ てお り,農 民層 の成長,農 民上 層.
農村商人 に よる直 売買 の展開 を背 景に,低 利融 資を要求す るに至 ってい る(安 孫 子麟,前 掲 「流通 をめ ぐる対 抗」参照)。
の動 向の 上 に成 立す るの で あ る。 す なわ ち,明 和 ・安 永期 以降 の商 品 生 産 の 発 展 は,旧 来 の特 権 的 な市 場 を 排 除 しつ つ,酒 田湊 へ の直 下 げ ・直 売 買 を 生 み 出 して お り,他 方,こ れ に よって 分化 して い った 農 民諸 層 の 下 層 に 「余 業 」 を 行 な う もの,農 業 日雇 を行 な う ものを 作 り出 し て い た。 さ らに,紅
花 ・青 苧 等 の 生産 の発 展 は,主 穀 生 産 地 域 との分 業 関 係 を深 化 させ 始 め,平 野 部 で の石 代 金 納 が増 加 し,宝 暦9年 の幕 領 に お け る石 代 納 仕 法 の変 更 とな
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り,郡 内 の 米 穀 市 場 は,ま す ます 深 く農 民 層 を 把 え る こ とに な った の で あ る。 この よ うな,商 品 経 済 発 展 の 対 極 に は,飢 饒 な どを 直接 契 機 とす る没 落 農民 や,商 品 経 済 の なか で 分 化 ・分解 して い っ た貧 農 層 が あ り,そ の存 在 は 領 主 の 封建 貢租 確 保 を 困難 に して い た。 また,旧 村 落 支配 者 層 は,一 方 では 商 品経 済 の滲 透,新 らた な商 人 ・上 層農 の成 立 に よ り,他 方 で は没 落 農 民 層 の増 大 に よ り,自 らの 存 立 基 盤 で あ る村 落 共 同体 の弱 化 に 直 面 して い た の で あ る。
この よ うな前 提 条件 の下 に成 立 した 「郡 中議 定 」 は,つ ぎの よ うな形 態 を と って展 開 した 。
天 明元年,相 続 く不 作 の なか で夫 食米 が 不 足 し,と くに 「買夫 食之 者 ハ取
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続 兼及 飢 候 」 といわ れ た 状 態 の な かで,幕 領 の5代 官所(長 瀞 ・尾花沢 ・柴 橋 ・寒河江・漆山)で は,年 々臨 時 石 代 納 を6割 程度 認 め て きた 方式 を変 え,「 当 丑年(天 明元年)〃 巳 来 ハ 定 穀 代 之 外 ハ 石代 金納 之 義 決 而 不 相成 旨 御 料所 一 統 最 重 二仰 渡」 した。 これ は幕 府 が 凶作 に よる臨 時 石代 納 を止 め,廻 米 量 の 確 保 を 図 った の で あ るが,こ の対 策 と して,同 年9月 幕 領5支 配領 の惣 代 に
よ る議 定 が 開 かれ た ので あ る。 これ はそ の議 定 書 に も明瞭 で あ る よ うに,貢 米 を す べ て 廻米 と され ては,郡 内 の米 が一 層 不 足 し,零 細 農 民(買 食之者共)
の難 渋 は歴 然 と して い るので,「 此 度 五 ケ分 総 代 寄 合 相 談 之 上 … … 左 之通 儀
(8)安 孫 子 麟 前 掲 「領 主 財 産 の 危 機i」pp・110〜112。 な お,史 料 と し て は,前 掲
「東 村 山 郡 史 」 巻 之 三,p・125。
(9)「 村 山 郡 御 料 所 五 ケ 分 議 定 之 事 」(前 掲 「東 村 山 郡 史 』PP・235〜238)以 下,天
明 元 年 の 史 料 は,こ れ に よ る 。
幕末期の流通統制 と領国体制(安 孫子) 9 定 相 極 申候 」 と,幕 領 惣代 側 の対 策 と して議定 を 行 な った もの であ る。 それ は,い わ ば幕 府 の石 代 納 据 置 ・廻 米 確 保 に 対応 させ られ た,受 身 の 議定 で あ る。 この 議定 の 内容 は きわ め て簡単 で,10月1ケ 月間 の酒 造禁 止 とそ の罰 則 で あ り,惣 代 は 「銘 々御 支 配所 限 リ村 々名主 元 汐請 印取 置可 申候 」 とな って い た。 しか し,こ の所 領 錯綜 地帯 で,幕 領 だけ の 酒 造禁 止 では 効 果 が ない こ
とは 明瞭 で あ る。 これ を郡 中全 体 の もの とす るた めに,幕 領5人 の惣 代 連 名 で の 申入 書 が 各 私 領 惣 代(大 庄屋)の と ころへ 廻 っ てい る。 青 木 氏 は 「幕 府
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代 官 か ら郡 内 私領 に 施 行 され た 」 といわ れ るが,幕 府 代 官 の 意 図は そ うで あ って も,申 入 れ は 幕 領 惣代 名主 か ら出 てい るの で あ る。 す なわ ち
「御料五ケ分総代中連名 二而此方私方江被申越候者……御料所五 ケ分総郡中一統
の
当十月一ケ月新酒濁酒共為相休候様 二決談相究之趣 二而,当 御領内之儀 モ右同様 二被致度趣被申越,猶 又議定書之写上被差越候間,右 書之趣 ヲ以当役所江相窺候 処,当 御料内之儀モ当十丹一ケ月ハ,新 酒濁酒共二酒屋並 御百姓小前 二至迄,御 料所 汐申来候議定書之通,一 一統 二相休候様 二被仰付候」(酒 井領左沢大庄屋大塚 又右衛門の 「廻状」)
とあ る よ うに,幕 領 惣代 か ら酒 井 領 惣 代 へ 宛 て て 同意 を 求 め てお り,酒 井 領 惣 代 は,こ れ を 酒井 藩 の役 所 に 伺 いを 立 て て そ の指 図 を 受 け て い る の で あ る。 つ ま り,幕 府 ・藩 の第 一 の関 心 は,さ きに もみ た流 通 統制 一 荷 役 銭 収 取 で あ り,ま た 廻 米確 保 で あ って,こ れ が 郡 中 農民 の利害 と直接 に対 立 す る も の で あ った 。 しか し,領 主 も望 み また 意 図 した で あ ろ うと ころの,夫 食 米 確 保 → 酒 造 禁 止 は,ま さに村 落 支配 者 と して の 第一 の関 心 で あ った の で あ る。
こ こで は,ま ず 酒屋 一前 期 的 資 本 と対 立 す る。 酒 屋 自体 は,多 くの場 合村 落 支 配者 で もあ るが,村 山郡 の よ うな紅 花 ・青 苧 生産 と米 穀 生産 との分 業 化 が 始 ってい た地 帯 で は,酒 屋 の前 期 資本 的性 格 も変 らざ るを 得 な い。 そ れ は, 小 作 米 な どを 酒 造米 とす る 以外 に,よ り重 要 な のは,米 市場 で 農民 と と もに 競 争 関 係 に 立 って米 を 購 入 せ ざるを 得 な くな ってい た 点 で あ る。 この地 方 の 一 揆 が ,し ぼ しぼ酒 屋 の米 買 占め に対 して打 こわ しを 行 な って い る こ とは,
⑩ 青木美智 男 前掲 「羽州領 の成示 」P・144。
そ れ を端 的 に示 す とい え よ う(後 述)。 こ う した酒 屋 資 本 の 機能 を抑 え,零 細 農民 の維 持 をは か る こ とは,領 主 制 の基 盤 を 維 持 し,村 落 支 配者 の地 位 を 維 持 す る こ とで あ った 。 た とえ,酒 造業 を抑 え る こ とが,村 落 支 配 者 自身 の経 営 内 部 に 展 開 しつ つ あ る前 期 的 資本 機能 を抑 え,前 期 的 資 本 と して の 新 ら し い 支配 関 係 の確 立 を制 約 す る ことに な った と して も,あ え てそ れ を 否定 した ので あ る(も っとも,こ こでは1ケ 月だけの禁止である)。
この よ うな領 主 権 力 に バ ックア ップ され た幕 領 惣 代 に よ る酒 造禁 止 の議 定 は,天 明2年 に至 って,領 主 側 か ら も,惣 代 名主 の 側 か ら も強 化 され る。
まず この年6月 幕 府(柴 橋代官所)は,近 年 菜 種 作 付 が増 加 して い るが,こ れ は 「臨 時 之 銭 ヲ取 リ当 然之 足 二成 懸 宜 敷 事 」 で あ るが,「 麦雑 穀 等夫 食 可 相 成 物 ヲ不 仕 付 故,例 年 夏 二至夫 食及 不 足,自 然 ト米 直 段 高 直 二相 成 」 るの で,菜 種 の作 付 を 止 め,麦 ・雑 穀 類 を 作 付 け る よ うに,と 布 達 を 出 してい
(lt)
る。 ど う して も菜 種 を作 付 け なけ れ ば な らな い もの は,村 役 人 へ 申 出 て村 役 人 は代 官 所 に伺 い,吟 味 の上 許可 す る,と い うことに な って い た。 この 場 合 紅 花 だけ は,「 将 又 紅花 ハ 旧年 〃作 来 候 儀 二而 格 別 之事 二候 」 と して 除外 さ れ てい る。 この よ うな菜 種 作 付 禁 令は,享 保 以降 全 国 的 に奨 励 され てい た菜 種 を 禁 じた こ とに な り,商 品作 物 を 禁 じた よ うに み え る。 しか し,紅 花 は 除 外 され,扶 食 の た め の 麦 ・雑 穀 生 産 と紅 花 生 産 との 分業 化 を,む しろ認 め ざ るを得 な い形 とな って い た の であ る。 こ うした 考 え は,酒 造禁 止 よ り一歩 進 ん だ小 農 民 保 護 の 新 らた な 段 階 とい え よ う。
一 方9月 に 入 る と,幕 領 農村 で は,前 年 の 廻 米 の 不足 分 を 石 代 金納 とす る よ う願 い 出 て却 下 され,ま す ます 夫 食 不 足 が 明瞭 とな った の で,「 先 達 而 郡 中寄 合 之 節 皆 様 御 評 議 之 上,酒 造 休 之 儀 此 度 四 分 惣 代 名主 寄 合 及 評 議候 所,
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外 御 分 二 而 モ 同 様 候 儀 二付 」,10月 よ り冬 中 酒 造 を 禁 止 す る こ とに な っ た 。 こ こで は,幕 領 が 主 導 権 を も っ た と思 わ れ る が,前 年 と異 な り 「郡 中 寄 合 之
ω 前 掲 「東 村 山 郡 史 」 巻 之 三,pp・239〜240。
㈲ 同 上 「東 村 山 郡 史 」 巻 之 三,pp・242〜244。
幕末期 の流通統制 と領国体制(安 孫子) 一11一 節 」 に まず評 議 され,「 外 御 分(私 領)」に て も 行 な うか らと して,幕 領 の 各 村 へ 通 達 して い るの で あ る。 これ は 「柴橋 御 用達 」(柴 橋代官領の場合)の 名 で 出 され て い る。 『東村 山 郡 史』 は,こ れ を 「柴 橋代 官所,令 シテ菜 種 ヲ蒔
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付 又 濁 酒 ヲ醸 造 スル 者 二科 料 ヲ課 セ シ ム」 と書 い て い るが,代 官所 が 令 した 形 を と って い な い こ とは 明瞭 で あ る。幕 領 に おけ る こ うした動 きは,佐 倉 領 谷 柏 村 名主 に よ って,「 山形 領 ・柴 橋御 料 ・漆 山御 預 分 共 酒 造 停 止 モ被 仰 付
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候 村 々 相 触 之 由 也 」 と把 え られ て い る。 そ の こ とか らみ れ ぽ,「 郡 中 寄 合 」 の 評 議 も不 徹 底 で あ り,郡 内 各 領 ま ち ま ち に な っ た こ とが 推 測 され る。
この よ うな 郡 中 区 々 の 動 きは,翌 天 明3年9月 に な っ て,幕 領 惣 代 名 主 よ
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り幕 領 代 官所 へ 働 きか け て,郡 中統 一 を は か る動 き とな って 現 わ れ て く る。
「当卯御料御私領山里共 二,郡 中一統大凶作 二付,此 度御料所御四分御役所附惣 代名主打寄相談之上……惣百姓願之筋申立,御 四分御役所附惣代印形書付 ヲ以御 四分御役所江願書差上候所,御 恥廻シ被下置,御 私領寺社領御役所江モ郡中願之 趣御掛合下置候積 リニ候間,当 年ハ新酒造必至 ト差留並米穀雑穀川留之儀,心 得 違無之様急度御申渡可成候……右之趣 ハ御役所 々々5最 寄二御私領御役所江御掛 合被遊候……」(柴橋代官所附土橋村 「差上申御請書之事」)
これ に よれ ば,幕 領惣 代 名主 の決定 を,代 官 所 を通 じて 私 領 ・寺 社領 へ徹 底 させ,さ らに 各村 よ り各 領 主 へ 決定 事 項 の 請 書 を 提 出 させ て い る の であ る。 こ こで も幕 領 の 主導 性 が 明瞭 で あ るが,こ れ が どれ だ け 徹 底 した ものか は,や や 疑 問 で あ る。 そ れ はつ ぎに述 べ る と して,こ の 請 書 の 内容 に つ い て み て お こ う。 問 題 なの は 穀 類 の 川 下 げ 禁 止 の 内容 で あ る。 この 議定 では,
「米 穀 並 大 麦 ・粟 ・蕎 麦 ・稗 等 之儀 バー 切 酒 田湊 江 差 下 シ不 申様 」 と定 め,
「尤 大豆 ・小豆 ・小 麦 等之 儀 モ夫 食之 足 ニモ相成 候 二付 差留 置 申度 候 得 共, 左候 而 ハ上 納 金 相 償可 申様 無之,無 拠 此 三 品 ハ 他所 江売 払候 積 リニ致候 」 と 大 豆 ・小 豆 。小 麦 を 除外 して い る。 す なわ ち,紅 花 ・青 苧 等 の産 出の ない村
々 も,大 小豆 の 販売 に よ り収 入 を は か る こ とを認 め てい るので あ って,定 石
⑱ 山形県郷土研 究会編 「谷柏 村御用留帳 」(郷 土研 究叢書資料 編第二輯),P・127。
aの 前 掲 『東村 山郡史 』巻 之三,pp・248〜251。
代 金納 の 拡 大 傾 向に 対 応 した 処 置 と い え よ う。 こ うした 穀 類 の 川 下 げ 禁 止 は,酒 造 禁 止 よ り一歩 進 ん だ統 制 で あ り,こ れ を 真 に郡 中 に徹 底 させ るた め に,11月 に,画 期 的 な,後 年 ま で 規 範 と な った 「郡 中 議 定 」 が 行 な わ れ た の で あ る。 つ ま り,9月 の 幕 領 か ら私 領 へ 伝 え られ た 議 定 が,徹 底 して お れ ぽ, 11月 の 議 定 は そ れ ほ ど必 要 も な か った で あ ろ う と 思 わ れ る。 も ち ろ ん,11月 の 議 定 で は,内 容 も詳 細 に な っ て い るが,4幕 領 ・1預 所 ・3在 地 藩 領 ・3飛 地 藩 領 ・1旗 本領 の惣 代(名 主 ・大庄屋 ・町年寄)が 集 った理 由 に は,郡 中統一 の 徹 底 が 大 きな意 味 を も って い た と考 え られ る。 す な わ ち,「 右 議 定 之趣,兼 而 銘 々 御 役 所 ヘモ 申 上,此 度 御 料 御 私領 汐拙 者 共 一 同 会 合 相 談 致一 決候 上 ハ,右 之 趣 御 料 御 私 領 惣村 々百 姓 並 借 地 店 借 等 二到 迄,不 洩 様 二急 度 申渡 請
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書 印形 取 之,村 山 郡 一 統 区 々 二不 相 成 様 取 計 ひ 可 致候 」 とあ る よ うに,郡 中 惣 代 の 主 導 に よ る郡 内 統 一 の 意 図 が 示 さ れ て い る の で あ る。 そ う し て,こ う した郡 中統 一 の方 向が,幕 府 の市 場 ・流 通 把 握 の方 向 と一 致 す る もの で あ っ た こ とは,上 述 の経 過 か ら も確 め 得 るで あ ろ う。
こ の 天 明3年 の 「郡 中 議 定 」 の 意 義 は,こ れ ら惣 代 自 身 に よ っ て,天 保7
㈲ 前 掲 「東 村 山 郡 史 」 巻 之 三,pp・252〜257。
な お,こ の 天 明3年11月 の 「郡 中 議 定 」 に 関 して,青 木 美 智 男 氏 は,こ の 議 定 が11月15日 で あ り,「 そ れ よ り先,同 年11月8日,幕 府 は 領 内 一 般 に そ の 趣 旨 を 布 達 し て い る。… … しか も郡 中 議 定 の 主 体 は,こ の 幕 府 代 官 令 を 具 体 化 した も の で,酒 造 の 禁 止 な ど と 同 時 に,口 留 番 所 の 設 置 に あ っ た の で あ る 」 と述 べ て お ら れ る 。 しか し,私 の み た 限 りで,議 定 の 日 を11月15日 と決 定 す る史 料 が な か っ た
こ と と,青 木 氏 が 示 され た 山 口村 の 「御 用 万 留 帳 」 の 史 料 に,「 酒 造 仕 入 可 相 止 旨 先 達 而 廻 状 を 以 相 触 候 処,此 度 村 山 郡 御 料 私 領 寺 社 領 共 一 同 弥 酒 造 相 止 候 積 リ
り
候 ……」,ま た,「 右之 通此度村 山郡 御料 私領寺社領一 同 申合候条村 々得其意小前
惣百 姓名子水呑 二至迄 不洩様 二申渡 … …」 とあ るところか らみ て,「 郡 中議定」
の方 が先 に行 なわれ,こ の決定 を受 け て代官所が村 々へ布達 した と考え られ る。
そ れ は,上 の引 用 文 中 に あ る よ うに 「先 達 而 廻 状 ヲ以 相 触 」 れ た の が,本 文 中 の 9月 の幕 領中心 の議定 を指す もので あ り,9月 に各 領 ご とに 領主側 か ら布達 を出 し請書 を取 ってい るの と同 じ方法が とられた と考 え られ るか らで あ る。従来 の動 きか らみ て,幕 府代官所 が 「郡中統一」 の意図を もっていた ことは,青 木氏 もい われ る よ うに明確 なのであ るが,郡 中惣代 層が幕 府代官 の命を受け て行 った とす る よ りは,も う少 し惣代 層 の主体的 な動 きがあ った と評価 すべ きで あ り,こ れが
この地帯 での幕藩 体制 の解 体過程 の なか で も評 価 され るべ き ことと思 われ る。
幕末期の流通統制 と領国体制(安 孫子) 一13一 年 の 「郡 中 議定 」 の際 に も 「去 ル天 明三 年 凶作 之節 諸穀 類 並 都 而 食物 二相成 候 品他 国他 郡 出差 留 候 以来 … …」 と確 認 され て い るの で あ る。 そ の 意味 で も,天 明3年 の議定 が,た とえ ば天 明2年 の 「郡 中寄 合 」 な ど と区 別 され る 画 期 性 を もって い る こ とが 明瞭 で あ ろ う。 そ こに,単 に領 主 側 が 出 した 禁 令
(統制)と の差 違 が,み られ るの で あ る。
2流 通続制としての 「郡中議定」の展開
夫食米の確保 天 明3年 の画期 的 な 「郡 中議 定 」 は,そ の後,天 明4年 に 郡 内 の米 流 通 の統制,天 明6年 の 口留 番所 の強 化,幕 令に よ る酒 造 半減,天 明7 年 の 川下 げ 問屋 の 特 権 化 要 求,寛 政元 年 の 夫 食 米 統制(幕 府),寛 政2年 の
日雇 賃 金 統制(「 郡中議定」)と して,展 開 し強 化 され て い ちた。 以下,こ の寛 政 期(幕 府におけ る寛政改革,諸 藩々政改革期)ま で の 村 山 郡 の 事 情 を 検 討 して
お こ う。
天 明3年 の 「郡 中議 定 」 の 内容 は,大 別す れ ぽ,(1)酒 造1年 間 禁 止 とそ の 罰 則 規定 。 ② 穀 類 ・うどん ・菓 子類 の 他 国 他郡 移 出 の禁 止 と,除 外 され た 大
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小 豆 の統制 。(3)そ の た め の 口留 番所8ケ 所 の設 定 と維 持 方法 。(4)最上 川 川 下
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げ荷 物 の改 め方 法,の4点 か らな る。 まず,そ の 内容 の うち,小 農 民維 持 一 飢謹 を 目前 に した夫 食 米 確 保 の 点 か ら検 討 し ょ う。
夫 食 米確 保 の 問題 が,領 主 に とって も村 落 支配 者 に と って も,共 通 した課 題 で あ った こ とは,前 述 した とお りで あ る。 この議 定 の なか で も,天 明元 年 以来 の酒 造 禁 止 と,天 明3年9月 の穀 類 他 出禁 止の2点 を 受 け て,こ れ を一 層 強 化 して い る。 この村 山 郡 の酒 造禁 止 は,や が て天 明6年,幕 府 に よ る酒
㈹ 「右 八 ケ所 之越 口相 通 口,大 豆小豆 之儀者 買請取 村方之名 主元 汐其越 口宛所 之 切手書付取上,越 口番所 へ指 出改 ヲ請 相通可 申候,尤 米穀 は勿論 粟稗蕎 麦大 麦小 麦麩殻 飴お こし温鈍素 麹菓子之類迄,食 物 二可 相成品 々一 切相通間鋪候 」(「東村 山郡史 」巻之 三,pp.254〜255)。
⑰ 「諸 荷物改番所尾花 沢附(幕 領)毒 沢村 へ相建,御 料所御 四 ケ分村 々名主 壱人 宛船見 役人 召連致 出勤 急度相 礼 シ可申候事 ……酒 田湊江差下候諸 荷物之 儀は,其 川筋附 村 々名主立合 二而船 々江為積請,壱 艘 限 リ積荷之品逸 々切手書付相認 メ船 頭相渡,毒 沢村改番所 へ指 出改 ヲ請差 下可 申候 」(同 前 書,p・255)。
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造 半減 令 とな って全 国 的 な規制 とな り,幕 領 ・藩 領 を問 わ ず拡 大 され た 。酒 造は,幕 令 に よれ ば,宝 暦4年 以降,屈 出 を も って酒 造 勝手 次 第 とされ て き た ので あ るが,宝 暦 ・天 明期 の相 続 く凶作 の前 に,新 規 開 業 ・休業 復 活 を差 止 め る と と もに,従 来 の造 高 を 半減 させ た もので あ る。 ここで は,扶 食 米 の 量 的 確 保 とい うよ りは,「 近年 米穀 下 直 之年 柄 無 之,当 年 之 儀 モ 米 直 段高 直 ニ テ,末 々之 者共 及 難 儀候 趣 相 聞候 間,米 穀 下 直 二相成 」 す た め に行 な った もの で あ る。幕 府 の こ う した着 目 と,村 山郡 に お け る 「連 々米不 足 二相成 夫 食 指 支候 者 数多 有 之,一 統 飢 饒 可 致儀 歴 然 之 儀 二候 」(天 明3年 「議定書」)と
い う把 握 との間 に は,差 異 が あ る。村 山郡 では ま さに量 的 ・絶 対 的 不足 が問 題 とな り,そ のた め,天 明4年 に他 領 の村 役 人 立会 い の上 「有 米改 」 を行 な い,飯 米 を もた な い もの には 「通 い」 を 渡 して 米屋 よ り買 わ せ て いた の で あ
く
る。 青 木 氏 は,こ れ を 「主 穀 の 配 給 制 度 」 と規 定 され た 。
こ う した 差 違 は,村 山 郡 の 農 業 生 産 の 事 情 に 関 わ る。 こ の 地 の 米 生 産 力 は,東 北 地 方 に あ っ て は む し ろ 高 い とい え る。 しか も,こ の 期 に は,稲 作 へ
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の 購入 肥 料 が 多 く,庄 内 ・置 賜 と著 しい 違 い を示 して い る地 帯 な ので あ る。
そ れ に もか か わ らず,甚 だ しい 米不 足 が 生 じて い た のは,す で に 明 らか に さ れ て い る よ うに,田 の 畑 へ の転 換,商 品 作物(紅 花 ・青芋 ・菜種)の 普 及,そ
の上 に 立 つ石 代 金納 制 の展 開,買 夫 食 農 民 の増 加,と い う一 連 の発 展 が あ っ た か らに 外 な らな い。 す なわ ち,分 業 化 の進 行 で あ る。
村 山 郡 の酒 造 禁 止が穀 類 他 出禁 止 と結 びつ い た理 由は,こ こに あ った。 こ
⑬ 同 前 書,PP・260〜261。
⑲ 青 木 美 智 男 前 掲 「羽 州 領 の 成 立 」pp・146〜147。 本 交 の 史 料 は こ こ に よ る 。
⑫① 村 山 郡 に つ い て は,安 孫 子 麟 前 掲 「地 主 制 形 成 」pp・131〜134。 他 郡 と の 比 較 は,明 治 初 年 の 資 料 に よれ ば,「 南 東 北 村 山 郡 ノ重 ナ ル 肥 料 ハ,堆 積 肥 ・油 粕 ・ 大 豆 ・人 糞 ニ シ テ,… … 西 村 山 郡 ハ 概 ネ大 豆 ・油 粕 ・糠 ヲ用 ヒ,購 求 ノ方 法 ハ 仲 買 二 委 託 シ代 金 ハ 即 時 之 ヲ 払 フ ヲ常 トシ 問 屋 ヲ経 テ 購 求 ス ル モ ノ ナ シ 。 飽 海 ・東 西 田川 郡 ハ 僅 少 ナ ル 油 粕 ・乾 鯉 ・鮭 粕 ヲ購 入 ス ル ノ ミニ シ テ,自 製,堆 積 肥 ヲ用 ユ ル ヲ常 トシ ,問 屋 仲 買人 ヲ介 シ テ購 求 スル モ ノ稀 ナ リ。 置賜 各 郡 ハ概 ネ 自製 ノ 堆 積 肥 ヲ用 ヒ,其 他 人 糞 ・石 灰 ・油 粕 ヲ近 傍 市 街 ヨ リ購 求 ス ル ノ ミ。」(明 治21年
『山 形 県 農 事 調 査 書 」pp・20〜21),と 稲 作 の 状 況 を 説 明 し て い る 。
幕末期の流通統制 と領国体制(安 孫子) 一15一 の両 面 か ら,夫 食 米 を確 保 しよ う と した ので あ って,寛 政 元 年 に,幕 領 が そ の前 年 か ら行 な って い た 「身元 宜 百 姓 共 」 へ 夫 食 米 を預 け て保 管 させ てい た の を,小 前 百 姓 の疑 惑 を招 くか らとい って廃 止 し,代 って御 料 の林 木 を提 供
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して郷 蔵 を設 置 す る よ う奨 励 した の も,そ の現 われ で あ ろ う。
ところで,こ うした 酒 造 禁 止 が 「郡 中一 統 」 に 充分 徹 底 され た か とい え
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ぽ,そ こには 幾 多 の 問 題 が あ った 。 谷 地 の 「大 町 念仏 講 帳 」 に よれ ば,天 明 6年,酒 井 領 左 沢 の酒 屋 は,幕 領 柴 橋 代 官 の支 配 を 受 け な い と して酒 造 を 行 な った た め,幕 領寒 河 江 ・柴 橋 両 代 官 は 左 沢 へ の 米移 出 を禁 止 し,さ らに 左 沢山 内 の 大 谷村 に 市 を立 て て,左 沢 の商 人 に 圧 力 を 加 え た とい う。 この 結 果,左 沢 で も詫 び て酒 造 ・酒 売 りを禁 じた ので あ る。 これ が他 領 の記 録 で あ るため,領 主 間 の動 きが ど うで あ った か不 明 で あ るが,徹 底 させ るた め に は
く ラ
困難 が あ った と思 われ る。 また,堀 田領 谷 柏村 の 「御用 留 帳 」 に よれ ば,松 平 藩 で は 天 明4年,米 を二 本松 へ 払 出 した た め,郡 中各 村 々は,上 ノ山領 へ は 一切 米 を売 出 さな い よ うに した い と,柴 橋代 官 所 へ 願 出,こ れ が郡 中 へ 各 領 ご とに 通 達 され て い る。 しか しまた逆 に,幕 領 の 名主 が 酒 造 改 め の た め, 私 領 まで立 入 って調 査 した た め,堀 田藩 の 陣屋 附 役 人 が 怒 り,江 戸 表 まで訴 え よ うと した が,幕 領 役 人 の詫 びが あ って,内 済 に な った とい う一件 もあ っ
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た 。 いず れ の 場 合 も,幕 領 代 官 乃 至 名主 の 積極 的 な 統 制 を 示 す もの で あ っ て,「 郡 中議 定 」 の遵 守 には,幕 領 代 官 の力 を借 りな けれ ば な らなか った こ とが わ か る。 「郡 中議 定 」 の方 向は,幕 領 に おけ る政 策 と一 致 して い た ので あ り,所 領 の 内 部に しか 目を 向け 得 な い藩 領 の施 策 は,無 力 化 して い った の で あ る。
⑳ 『東村 山郡史 』巻之四,pp・1〜3。
圃 山 形 県 農 地 部 農 地 課 「山形 県 に おけ る百 姓 一 揆 資 料 」1948年,p・274。
㈱ 前掲 「谷柏村御用留 帳」P・145。
⑳ 「十 月 ヨ リ郡 中酒法度 二付 山形上 ノ山柏倉 へ御料 ノ惣代 衆酒改 二 相廻候 処,柏 倉 ハ堀 田様之御郡 代 柿内 金助殿 御立腹 二而,既 二江戸 御沙汰 二可相成 申処,寒 河 江 御手代元 〆殿 御 出漸 々御証 内済 二罷成候 」(「 山形県史 」資料篇4「 鶴城 叢書」
1960年,P・588)。
こ うした夫 食 米確 保 のた め の諸 策 は,郡 内に 幾 つ か の一 揆 を ひ き起 して い る。 い わ ゆ る酒 騒 動 の類 と して知 られ る もの は,天 明元年 閏5月 の寒 河 江 の
(25)(26)
酒屋打殿 し,天 明3年5月 畑野村 の夫食米要 求の打穀 し,天 明4年5月 山形
(27)(28)
三 日町七 日町の米屋打殿 し,同 月岩波村の米商人打殿 し,天 明6年 暮 印役 ・
(29)(30)
柏 倉 の酒 屋暴 動,天 明7年1月 白岩 ・西 里 の酒 屋打 殿 し,天 明7年3月 寒 河
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江 郷 で の 夫 食 金 強 奪,な ど が あ った 。 これ らの 多 くは,酒 造 禁 令 違 反 ・米 価 つ り上 げ ・米 買 占 め ・米 他 国 出 し,が 理 由 とな っ て い る。 つ ま り,凶 作 を 契 機 と し て 夫 食 米 確 保 が,零 細 農 民 の 要 求 と して 強 く 現 わ れ て い た 。 そ こに は,分 業 化 に 伴 な う主 穀 生 産 体 制 の 未 確 立 が み られ る。 そ れ と と もに,こ れ らの 一 揆 ・暴 動 が,酒 屋 ・米 商 人 を 対 象 と し,領 主 へ の 闘 争 と い う形 を と っ て い な い こ と が 注 目 さ れ る。 そ れ は,た と え ば 白 岩 の酒 屋 打 殼 しの よ うに, 天 明6年 の 「郡 中 議 定 」 に あ る 「酒 隠 造 致 モ ノ有 之 候 ハ ・何 々村 二 而 モ 打 寄
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呑 尽 シ候 様 二御 触 有 之候 」 とい う点 に基 づ い て行 動 した とみ られ,幕 府 の政 策 を楯 に と りな が ら,新 らた な支 配 層 とな りつ つ あ った前 期 的 資 本 に対 抗 し
た とい え よ う。 これ ら小前 百姓 層 に あ っては,領 主 もさ る こ とな が ら,眼 前 の前 期 的 資 本 の収 奪 こそ 排 除すべ き もの だ った の で あ り,こ れ は86ケ 村 が 関
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係 した享 和 元年 の村 山一 揆 に 至 って,明 確 に領 主 に 対す る要 求 と して成 長 す るの で あ る。
㈱ 前 掲 「西 村 山 郡 史 」 巻 之 五JPP・14〜15。
⑳ 前 掲 「百 姓 一 揆 資 料 」pp・273〜274。
伽 前 掲 「谷 柏 村 御 用 留 帳 」pp・145〜146。
㈱ 同 前 書,PP・145〜146。
鋤 前 掲 「東 村 山 郡 史 」p・261。
⑳ 前 掲 「百 姓 一 揆 資 料 」pp・273〜274。
BD前 掲 「西 村 山 郡 史 』 巻 之 五,pp・50〜58。
㈱ 今 田 信 一 「谷 地 町 凶 謹 志 」(谷 地 町 教 育 会r谷 地 町 郷 土 研 究 叢 書 」 第 一 輯, 1936年),p.105。
幽 史 料 は 多 い が,一 冊 の 書 で す べ て を 集 録 した も の は な い 。 さ しあ た り,前 掲
『百 姓 一 揆 資 料 」,pp・123〜164。 こ れ は 旧 版 『山 形 県 史 」 巻 三 に よ っ て い る。 な
お,『 東 村 山 郡 史 」,「 西 村 山 郡 史 」 に よ り補 充 で き る。 こ の 一 揆 の 意 義 に つ い て
に,宋 孫 子 麟 前 掲 「商 品 流 通 を め ぐ る対 抗 」,PP・108〜109参 照 。
幕末期の流通統制 と領国体制(安 孫子) 一17‑一..‑t と ころで この酒 造 禁 止 乃 至 半減 令は,享 保2年 に は,酒 造 米10分 の1を 上 納 させ る方 法 に変 わ り,さ らに 文 化3年 に勝 手 作 を認 め るに 至 った 。 これ が ふ た た び制 限 され るのは 文 政期 で あ る。
他 方,穀 類移 出禁 令 も,同 じ く夫 食 米 確 保 と して 出 され た の だが,こ れ は,近 世領 主 支 配 の本 質 か らす る,生 産 物 地代 の 確 保→ 石 代 金 納 の制 限 ・廻 米 量 増 大 の 意 図 を,側 面 か ら実現 させ る もので あ った。 つ ぎに この点 を み よ
う。 な お,議 定 の 内容 に あ った 川 下げ 荷 物 の統 制 は,別 項 で ふれ る こ とにす る。
領主の廻米 天 明 ・寛 政期 の領 主 収納 米 は,江 戸 ・大 坂 へ 廻 送 され る廻 米 と, 地 元村 山郡 で主 に入 札 に よって売 払わ れ る地 払米 とに わ かれ てい た。 この他 に 武 士 た ち に よ って直接 飯 用 と され る分 もあ った が,幕 領 ・飛 地 藩 領 な どで は,さ して 問題 とす るに 当 らない だ ろ う。
廻 米 と地 払 米 とを 比 較 す れ ば,一 般 に 米価 は 江 戸 ・大 坂 の 方 が 遙 か に高 く,運 賃 を 見 込 ん で も廻 米 を した 方 が有 利 で あ った と考 え られ る。 しか し, 前 述 した よ うな村 山郡 の夫 食 米 需 給状 況 か らす れ ば,全 部 を 廻米 とす る こ と は 領 主 と して もで きな か った。 この点 は,青 木 氏 が 考察 され た堀 田領 村 木 沢
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村 の 例 に も明 らか で あ っ て,作 の 豊 凶 に よ り,ま た 領 主 の 交 替 に よ り(堀 田領
→幕領 →堀田領) ,変 動 が あ るが,寛 政 期(幕 領)で 貢 米1,100〜1,200石 に 対 し 廻 米600〜800石,文 化 期(堀 田領)で 貢 米1,300石 に 対 し貢 米200〜500石,文 政 期 に は 廻 米 率 が 高 ま り,天 保 飢 謹 期 に は 廻 米 は ま っ た く中 止 され て い た 。 概 し て い え ぽ,幕 領 で は 廻 米 率 が 高 か った の で あ り,こ こ で も幕 領 の 力 を 見
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得 る。 この 幕 府 領 の 廻 米 の 仕 法 を み る と,つ ぎ の とお りで あ っ た 。
1.「 御廻 米俵入壱 俵三斗七升 入,込 米弐 升差 加三斗九升 二而,納 之 節ハ三斗七升 入之 名 目に御座候,但 欠米者壱 俵 二付弐升宛之 積 リ,是 又 本俵 二致 相廻 シ申候 」
㈱ 青 木 美 智 男 前 掲 「羽 州 領 の 成 立 」pp・157〜163。
圃 前 掲 「東 村 山 郡 史 』 巻 之 四,寛 政3年 長 瀞 代 官 所 領 の 記 録,pp・23〜33。 な お, 後 述 す る よ うに,本 文3項 の 請 負 制 度 は,翌 寛 政4年 に 廃 止 さ れ る。 ま た.本 文
6項 の 運 賃 は,同 上 書p・46に よ る。
(欠米 の運 賃は農民 負担)
2・ 「是 ハ三 月中酒 田湊江 川下致,尤 御廻米 高極次第.早 春 横山村船会所差 配人呼 出,御 廻米石数 書付 相渡 申候 」
3.「 最上 川通船之 儀,去 ル子四 月6来 ル戌三 月迄拾 ケ年季 請負,新 庄領 横山勘兵 衛甚助江 被仰付,冥 加 金壱 ケ年 二金弐百弐両弐 分 ッツ上 納之積 リ御下知 ……」
4.「 御廻 米冬川下有之候 節 ハ,酒 田湊町蔵江入 置候」
5.「 江 戸大 坂御廻米共 二,当 国酒田湊 江致川 下候,苫 屋 久兵衛,佃 屋 金右 衛門雇 出之海船 入津次第 ……送 状積石数 本欠仕訳積立,日 和次第 出帆 申付候 。…… 舟 中 上乗之儀 ハ,是 迄郡代相 談之上極 置……差立遣 申候」
6.「 運 賃,御 米百石 二付,金 弐 拾両弐 分宛 」
7.「 川船 破船 ……損失米 之分 ハ三 ッ割 二致,弐 ツハ百姓,壱 ッハ船 頭弁 米 申付 …
…(海 路 船 中欠 ハ)苫 屋 ・佃屋船 中欠請負 二而年 々相廻候 」
川 岸 積 み の 場 所 と して は,古 くは 大 石 田 の 特 権 で あ っ た が,そ の 後,私 領 廻 米 の 便 か ら船 町 ・寺 津 が 川 積 み の 場 所 と な っ た 。 しか し幕 領 で は,上 記 の よ うに 大 石 田 だ け で あ り,こ れ を 入 札 請 負 と して 差 配 させ 上 記 の 冥 加 金 を と っ て い た もの で あ る。 しか し,寛 政4年,幕 府 は 請 負 差 配 を 廃 し,大 石 田 に 川 船 役 所 を 置 き,1艘 ご とに 冥 加 金 三 分 ・永 百 文 を と り立 て る こ とに し た 。 こ の 川 船 は,多 くは 雇 船 で あ っ た が,藩 と して は 手 船 を 持 っ て 運 賃 の 節 減 を は か り,川 船 問 屋 との 間 に しぼ しぼ 対 立 を 生 じて い る。
こ の 廻 米 の 仕 法 は,多 少 の 差 こそ あ れ,幕 領 米 の 仕 法 が 私 領 の 規 準 と もな
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り,ま た 川船 調 達 に お い て も幕 領 米 の優 先 が み られ る,と い うよ うに,幕 政 に主 導 性 が あ った の で あ る。
と ころ で,天 明 初年 の 「郡 中議 定 」 が,こ うした領 主 の廻 米 確 保→ 石 代 金 納 の制 限 に 対 応 して 出 され た もの で あ る こ とは前 に述 べ たが,「 郡 中 議 定 」 に参 加 した 惣代 の 意 図 に もか か わ らず,地 払米 →夫 食米 貸付 要 求 や,臨 時 石
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代 金 納 の要 求 は,各 村 ご とに 出 され て いた 。 廻米 に よ る地 元 村 山郡 で の流 通