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(1)

デジタル経済を現代社会の解読のために読む 『監 視資本主義の時代―新たなパワーのフロンティアの 未来に向けての闘い』

著者 勝俣 誠

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

International & regional studies

巻 57

ページ 83‑95

発行年 2020‑10‑31

その他のタイトル How to Read the Digital Economy to Understand Our World: Shoshana Zuboff, The Age of

Surveillance Capitalism: The Fight for the Future at the New Frontier of Power, Profile Books, 2019, 691pp.

URL http://hdl.handle.net/10723/00004020

(2)

【書評論文】

デジタル経済を現代社会の解読のために読む 

『監視資本主義の時代―新たなパワーのフロンティアの未来に向けての闘い』

Shoshana Zuboff, The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for the Future at the New Frontier of Power, Profile Books, 2019, 691pp.

「こんな風に過ぎて行くのなら、いつかまたどこかで何かにであうだろう」

If you keep on like this, someday, somewhere, you will run into something

浅川マキ

1972

勝 俣 誠

はじめに 自分のデータをめぐる

2

つの身近 な体験

自分についてのデータがどのように第

3

者によっ て商品化されるのかを考えるきっかけになった,

1980

年代と

1990

年代における

2

つの身近な事例 を語っておこう。

まずは

1980

年初頭,過疎化,高齢化する地方を 経済的に振興させようと市場で売れるものをなん でも見つける「一村一品」運動を打ち出して,町 村の説得に奔走した中央政府の元官僚であったあ る県知事の体験談に登場する町長の事例だ。自分 の村には何も売るモノが思いつかないという町長 に対して知事は, 「町長さん,何もなければ,あな たと助役と収入役の

3

人の顔でも並べ,おらが村 の顔はワシたちじゃ,と言って

PR

したらどうで すか」と答えた。当時,自分の顔を売りこませる アドバイスにやや違和感を感じた一方,何も売れ るものを見つけられなかったこの村長が逆に妙に 人間臭く感じたのを記憶している

(1)

もう

1

つは

1990

年代だが,国際通貨基金という ワシントンに本部のある国際金融機関から無料で 郵送してくれていた英語ニュース・レターの事例

である。しかし,ある時から「あなたがこれから も本刊行物を無料で購読したいのだったらあな た の ア ド レ ス を 商 業 的 に 利 用 ( 確 か ,

exploit

commercially

という表現だった)していいかお答

えください」といったメッセージが封筒に印刷さ れ出した。私はこの直接的な表現にやや戸惑った と同時に,自分のアドレスには一体どんな商業価 値があるのかわからなかった。

そして,PC のスクリーンで,メール交信だけで なく大手

IT

企業の検索機能で資料収集や書籍購入 を繁く利用するようになった

2000

年代。本のネッ ト購入に際し,いつの間にかその本の中身に関連 があるとされる他の本のタイトルが同時に表示さ れることがごく当たり前になった。自分の関心が 書籍検索,注文を通じて他の検索者の関心といつ の間にか結び付けられることはどんなことなの か。確かに従来の街の書籍販売店(本屋さん)の 書棚がジャンル別に分けられていて,自分の求め る本の周りに同じ関心領域の本が並べられるのと 同じマーケッティング手法と思えば納得がいく。

しかし自分の購入情報が他の商品への購入への誘

いへと同じスクリーン内で誘導される自分は,も

はや単なる買い手でなく,売り手にも貢献する

データ商品になっているのかと思うことがある。

(3)

こうした,自分の望む情報を世界中からクリッ ク操作で集められる驚異の利便性と,そのさらな る拡大に自分も無料で参加できる一方,同じ行為 が同時にデータ商品に加工されてしまうことへの 危惧の間に存在する何か居心地のよくない感情を,

どう整理し,説明したらいいのか。

私たちは,この

21

世紀に入って一層加速化する

IT

による人間の身体的,思考的営みへの聖域なき 範囲と,未曽有の速度で関与してくる現象を,社 会科学のツールによってどう分析して,その特徴 を明らかにできるのだろうか。

そして何よりも,私たちが

PC

や他の端末機器 のスクリーンを前に多くの時間を費やすように なったインターネットをツールとした社会生活,

知的生産活動の継続,より具体的な表現を使えば,

スクリーンを凝視しながら,指先でせわしく入力 を 繰 り 返 す 営 み は , ど ん な 社 会 の ア ー キ テ ク チャーないし組織構造を意図せずして作り上げて いるのだろうか。

ITの進化が個人と社会全体に及ぼす影響につい

ての素朴な疑問は絶えない。

本稿では,こうした日常生活や仕事で今やごく 当たり前のことのように思ってしまう,IT ツール の使用ないしそのネットワークへの参加を,資本 主義という大きなくくりで論じたショシャナ・ズ ボフの『監視資本主義の時代』を取り挙げる。

その理由は

2

つある。まずは本書が「監視」と いう誰かが誰かを支配するための行為形態を表現 する言葉が使われているからである。冒頭に挙げ た個人的経験のように,自分を自分として管理・

支配できるプライバシーという領域が,自分以外 の何か,誰かによってみられているかもしれない という居心地の悪さを監視資本主義という支配や 刑法の響きを持つコトバで特徴付ける現代社会全 体の見取り図はどんなものかと興味を持った。

もう

1

つの理由は,資本主義というシステムな いし体制概念を使用していることである。社会科 学一般,とりわけ経済史において産業資本主義と いう時代区分はほぼ定着しているが,ポスト産業 資本主義のネーミングについては,いまだ厳密に

定義され,広く受け入れられる用語はない。実際,

1980

年以降定着する先進国の低成長期について,

産業資本主義に変わる金融資本主義とか

IT

部門 の急成長に立った情報資本主義,認知資本主義と いった新たな資本主義のネーミングが次々と登場 した。資本主義の基本的定義とは資本の動きが社 会と政治で主役を果たし,それによって編成され る新たな政治社会関係の総体とするならば,監視 資本主義なるものは,ポスト産業資本主義として どのような特質を持って定義されるのかは大いに 興味がそそられる点である。

こうした問題意識から本稿はまず,本書の概要 を紹介し,次に本書で登場する新たな用語を吟味 して,最後に本書が

IT

の進展が生む新たな社会・

政治関係の分析についてどのような貢献をしたの かを示唆する。

1.本書の概要

本書では,

IT

専門用語やこの分野特有の表現を 米国の読者ならすぐ思い浮かべる表現を借りて,

比喩的に記述したり,語呂合わせをしたりする場 合が散見される。したがって,日本語訳してしま うと気づきにくくなる懸念が残るので,原語の併 記を伴う章の構成をあえて記しておこう。

本書は各部(part)が

4

章から

5

章からなる

3

つの部と結論の計

18

章によって構成されている。

まず,その構成を訳出して,次に本書の目的と方 法論を明示し,最後に概要を記しておこう。

1-1 本書の構成と概要

序章

1

章 デジタル未来に居場所(home)を見つ けるかか追放(exile)に甘んじるか。

I

部 監視資本主義はどのように確立したか。

2

2011

8

9

日:監視資本主義の舞台 設定

3

章 余剰行動の発見

4

章 監視資本主義者の城壁を固める掘割 第

5

章 監視資本主義の策定:さらって(kidnap) ,

追い詰め(corner),競い合う(compete)

(4)

6

章 ハイジャックされて:学習の社会分業

(division of learning in society)

II

部 監視資本主義の躍進

7

章 ビシネス化された現実(reality business)

8

章 翻訳(rendition):体験をデータに転換 第

9

章 深部からの翻訳(rendition from the

depths)

10

章 彼らを躍らせよ

11

章 未来への権利(right to future tense)

III

部 第

3

のモダニティーに向けての道具的パ ワー(instrumental power)

12

章 パワーの

2

変種

13

章 ビッグ・アザー(Big Other)と道具的 パワーの興隆

14

章 確実性のユートピア(utopia of certainty)

15

章 道具的集団社会(instrumental collective)

16

章 巣箱のなかの人生について(of life in the

hive)

17

章 聖域への権利(right to sanctuary)

結語

18

章 上からのクーデタ(coup from above)

1-2 本書の目的と手法

著者は本書執筆の動機を,

2000

年代初頭に登場 したアウェア・ホーム

(2)

に出会ったことに求める。

2018

年にはアウエア・ホームの諸前提が風と共に いつのまにか去ってしまった,という事例からこ のホームが描いた個人が,より実のある生活を可 能にするようなデジタルですべてを管理してくれ る未来は今一体どうなったのかを問う。

著者からすれば, 「もし,ある個人が自分の経験 をデジタルに翻訳することを選択するなら,この 当人はそうしたデータから集められた知識の排他 的権利,およびこのような知をどのような利用の ために入力(put)するかを決める排他的権利を行 使することになる(7 ページ)」はずである。

しかし,著者によれば今日,実はそうなってい ないことを問題視する。著者は「プログラム,知 識および応用へのこれらの獲得(claim)は,そこ から生じる知識によって強化される大胆な市場ベ ンチャーによって横領されてしまっている」とし,

「この大変化は私たち,私たちの子どもたち,私 たちのデモクラシー,さらにはデジタル世界にお ける人間の未来の可能性自体にとって,どんな意 味を持つのか(7 ページ)」という問を立てる。

本書の目的はこの問いに正面から答えるために

「私が『監視資本主義』と名付けるデジタルドリー ムの暗部,その急速に進む貪欲への変質で,まっ たく新たな商業プロジェクト(7 ページ)」を検討 することであると著者は明言する。

この目的に接近するに際し,著者自身によれば,

社会科学者としてだけでなく,エッセイストとし ても手掛ける

2

重のスタンスを明示している

(3)

。 その理由は,エッセイストとして自らの体験を本 書にちりばめることによって,より身近に問題を 提示できるからである。すなわち,今日,普通の 人々ではすぐに理解しがたい技術的,経済的パ ワーに付随する(attached)抽象的表現が多くな ると「私たちの日々生きる生身の身体(flesh)の 中に深く入り込む数々の傷跡(scars)を白日の下 にさらさない限り(22 ページ)」,監視資本主義が 抱える深刻性がしっかりと把握できなくなるから だとしている。

そして,社会科学者としては「デュルケーム,

マルクス,ウェーバーなどのその時代にあって前 例の無い出来事に遭遇した前代の理論家,さらに は

20

世紀後半の思想家として,ハンナ・アーレン ト,テオドル・アドルノ,カール・ポランニー,

ジャン・ポール・サルトル,スタンレー・ミルグ ラムに注目した(22 ページ)」としている。

したがって,本書は単なるエッセーでなく,社 会科学の考察を備えた書でもあることが読者に予 告される。

1-3 本書の概要

かくして,本書の概要を序論における著者の展 開と強調点を踏まえて,部ごとに分けて紹介して おこう。

まず第

I

部「監視資本主義はどのように確立し

たか」では,この新たな資本主義の源流と初期の

形成過程が新興

IT

企業,グーグル社の登場と初期

の活動の分析と考察を中心に記述される。著者に

(5)

よれば,この時代,監視資本主義と結びついて急 速に広まったサービスの利便性や無料性に人々は 目を奪われてしまっていたとして,デジタルを私 たちの日々の生活に入り込ませるこの監視資本主 義が根付き,繁殖していったことを可能ならしめ た社会的諸条件の検討することの必要性を説く

(18 ページ)。

この問題設定から第

I

部では高度な技術能力を 有したグーグル社の成功の基本的メカニズム,経 済的要請およびその運動諸法則(laws of motion)

(19 ページ)が,いかに「私たちの経験を個人の 自己決定としてシェープする,かつての数世紀に も及ぶ個人化の歴史プロセスとは異なる(18 ペー ジ)」のかというそれらが及ぼす根本的な社会関係 の持つ特質が記述される。その手法は,著者によ れば,巨大

IT

企業がユーザーに対して仕掛ける巧 妙かつ高度に洗練された形で実行に移される「さ らって,追い詰め,競い合う(第

5

章)」といった 動詞に集約される。これらを武器にしてグーグル 社は人類史において前例のない突出した知識とパ ワーも手にしているが,この飛躍的成功は

21

世紀 の社会秩序の新たな重要な軸たる学習の社会分業 の私有化(129 ページ)に求められるとする。

II

部「監視資本主義の躍進」ではグーグル社 の戦略がユーザーとの間に打ち立てた新たな社会 関係の一方通行的ないし非対称的戦略が,さらに はモノのサービスに結び付けられて躍進していく プロセスが検討される。著者はこの現象を「リア リティ・ビシネス」と業界用語で呼ばれる

IT

によ る現実認知にまつわる商行為として位置づける。

そして,これは「パーソナリゼーション」という 名のもとで個々のユーザーのニーズや嗜好に合わ せてウェブページを変更する手法によって「人間 の経験すべての側面が原料供給源として取得さ れ,行動データへと転換されるために標的にされ る(targeted for rendering into behavioral data)(19 ページ)」と述べている。しかし,実際には「日々 の生活の親密なる深部を資源として採掘する攻め の抽出(extraction)行為のカモフラージュである

(19 ページ) 」とする。さらに「最も予想性の高い 原料供給(the most-predictive raw-material supplies)

(19 ページ)」はこうした個人の経験への介入か ら得られ,監視資本主義推進者の商業利益を促進 すべく人間の行動を具体化する。この人間行動を 大規模に変更していく(modify human behavior at

scale)新たなる自動化したネットワーク上のデー

タ共有のための通信手順を設計していく作業は

「プロトコル(19 ページ)」と名付けられており,

それは「儀典」という外交世界用語の転用がされ ている。

著者はその具体例として,フェースブックの感 染(contagion)実験(experiments)とグーグルの 拡張現実培養という機能を備えたゲームであるボ ケモンゴーを挙げる。この

GPS

(Global Positioning

System)による位置情報をもとに展開する現実に

ゲーム情報を追加して実際に移動しながら遊ぶ ゲーム行動様式では,ユーザーによるゲーム参加 を誘導するプロトコルは生産手段が次から次へと 生まれるより複雑な行動変更手段へと従属してお り,こうした手法は米国において「個人の自律と デモクラシー秩序への脅威(20 ページ)」として かつては受け入れがたがった。しかし「今やそれ にほとんど抵抗も受けなければ,あるいは異論さ えも唱えられなくなっている(20 ページ)」と著 者は指摘する。著者はこの監視資本主義の行為は,

個人の持つ想像し(imagine),意思を持ち(intend),

希望をもって未来を構築する(promise)能力の根 拠となる未来への権利(right to future tense)に対 する挑戦である(20 ぺージ)とみなす。

III

部の「第

3

のモダニティーに向けての道具

的パワー」では,これまで見てきた社会現象を道

具的パワーの興隆として位置付ける。そしてそれ

を推進する装置を五官を駆使して,コンピュー

ター化して,接続しあった人形(376 ページ)を

ビッグ・ブラザーならぬ,ビッグ・アザーと著者

は命名して,この現象を新たなモダニティーの特

質として記述していく。第

II

部ではバーチュアル

世界がリアル世界へと移行した監視資本主義の変

遷が分析されたのに対して,第

III

部ではこのリア

ル世界がどのようなパワーの行使を伴って社会へ

と作用するかという問に焦点が合わされる。その

最大の特色は,著者によれば「社会自体を抽出と

(6)

統制の新たな対象(20 ページ)」とすることであ る。すなわち, 「産業社会がかつて性能のいい機械 のようにイメージされたように,道具主義的社会 は,機械学習諸システムの人間シミュレーション としてイメージされる(20 ページ) 」ことである。

著者は,ユーザーがこの巨大

IT

企業が設定したシ ステム内で互いに学び合う社会化を通して,自ら 巣箱に合流していく集合的マインドを「confluent

hive mind(20

ページ)」と表現している。かくし

て,著者は「この状況を,全体主義とは国家の全 体的占有プロジェクトへの変容とするならば,道 具主義的ビッグ・アザーにおけるその具体化は,

市場の全体的確定性のプロジェクトへの変容(20 ページ)」だとし,人間の行動は機械論的に説明で きるとした心理学者

B・F

スキナーのラジカル行 動主義

(4)

を取り上げる。この社会を変容させる道 具的パワーの行き先は「同調圧力とコンピュー ターが導き出す確実性こそ政治とデモクラシー にとって代わる類似的社会的合流(similar social

confluence)

(21 ページ) 」の実現である。すなわち,

確かに人間が行動しているのだが,自由意志に基 づくより,あらかじめ設定された社会化プロセス 内の合流効果の結果として形成される個体として 立ち現れるということであろう。かくして,著者 は監視資本主義の新たなるパワーのフロンティア の生むような「出口なし戦略」に対して,侵入さ れない避難スペースというヒューマン・ニーズを 守るための「聖域への権利」を示唆する。

結論の第

18

章「上からのクーデタ」で,著者は 監視資本主義が人々と社会との交互作用でなり たっていたそれ以前の民間企業ないし市場の諸制 度的領域を乗り越えて,とてつもない自由と全体 的知識を手に入れることを要求し, 「巣箱内全体主 義 的 集 団 主 義 ヴ ィ ジ ョ ン (totalizing collectivist

vision of life in the hive),

(21 ページ)」を押し付け ている,とする。

著者によれば,監視資本主義は今や「上からの クーデタ」といっても過言ではないとし,このクー デタは「国家を打倒するのではなくて,むしろ人 民の主権を打倒するもので,西欧のリベラル・デ モクラシーを脅かす民主的基盤の崩壊への危険極

まる漂流へと向かう突出した推進力(force )と なっている(21 ページ)」と結ぶ。

2.キーワードとなる若干の新用語について

以上,本書のあらましであるが,その展開の最 大の特徴は,著者自ら巨大

IT

産業の展開する大規 模な情報サービスによる利潤拡大動機について従 来の経済学にはなじみのない新しい用語・表現が いくつも登場してくることである。もっとも,本 書におけるすべての新語・造語の認定とその意味 を学説史的に検討することは評者の能力を超え る。そこで,特に監視資本主義なる概念の理解を 助けるキーワードとなると察せられる用語を以下 のごとく

4

つだけ取り上げて検討してみたい。

1.社会学習分業

2.ポランニーの 3

つの疑似商品に加えての人間

の本性(human nature)

3.行動改造手段(means of behavioral modification)

4.行動余剰(behavioral surplus)

2-1 学習分業と労働分業

著者が社会内学習分業に注目しだすのは,ごく 身近で観察された米国の労働現場で見られだした 新たな働き方がきっかけとなっている。

1988

年の 彼女の著書『スマート・マシーンの時代―仕事と パワーの未来,

In the Age of the Smart Machine: The Future of Work and Power

』において著者は「『良い 仕事(good job)』をすることが,いつの間にか電 子テキストを媒体として理解し,そこから学び,

行動するためのスキルを身に着ける事を意味する ようになった(181 ページ)」という社会現象を再 確認する。そして,この現代世界では,強大な情 報産業で活動する高度なテクノロジー専門家から なるエリート層と一般の人々の間に,学習格差な いし分断が深まっているとする。この観察から,

著者は「職場の秩序原則が労働分業から学習分業

に移行した(181 ページ)」結果から生まれる主と

してこの社会内のパワーの行使形態に注目してい

く。かくして著者は

3

つの問いを立てる(181 ペー

ジ)。

(7)

(1)

「誰が知るのか」という知識の分配問題として,

新たな学びの機会に参加できる(inclusive)のか,

逆に排除される(exclusive)のか?

(2)「誰が決めるのか」という権威の正当性の問題

として,どんな人々,制度あるいはプロセスによっ て,誰がこの学びに誰が参加でき,何を学べて,

どのように自分たちの知識を実践できるのか,を 決定するのか?

(3)「誰が決めるのかを誰が決めるのか」というパ

ワーの問題として,知識を分かち合うのか,逆に ため込むのかという権威を支える(undergird)パ ワーの源泉とはなにか?(181 ページ)

こうした問いから,著者は

E・デュルケームの

『社会分業論』 (1893 年)

(5)

を参照して,その共通 点と監視資本主義下との相違を明らかにする。共 通点としては社会分業がその時代の経済的要請を 反映していることである。

19

世紀末のヨーロッパ における産業資本主義の時代にあって,デュル ケームは多様な専門化された職業の分布が結局連 帯し合う近代社会の秩序形成に資している点を以 下のように指摘する。

「労働分業の最も顕著な影響はこれが分割された諸 機能の産出量を増加させる点にあるのではなくて,

それが彼らをして連帯させることにある。その役割

とは・・・・・・単に既存の諸社会を美化したり,改善する

ことにあるのではなくて,それなくして存在しない ような諸社会を存在可能にすることである・・・・・・これ は独自の社会及び道徳的秩序を打ち立てる故に純粋 に経済的な利害をはるかに超える。」(Emile Durkheim, The Division of Labor in Society, Free Press, 1964, 60-61ページ, 勝俣訳)

著者によれば社会学習分業もかつての労働分業 の経済領域から社会領域への変遷と同じ経路をた どっているとして, 「学習分業は純粋な経済利害を はるかに超えて」というこのデュルケームの観察 と重ねる。と同時にデュルケームが社会労働分業 の病理的側面をも考察し,労働者の権利を否定し,

紛争自体を不可能にするパワーの極度の非対称性 を指摘していることは, 「学習分業が監視資本主義

により達成された前例のない知識とパワーの非対 称性により病理と不正義へと巻き込まれるにつれ て,今日,私たちの社会も脅威にさらされている

(186 ページ)」という分析と共通点があるとして いる。

他方,相違点としてこの非対称性は産業資本主 義化の社会労働分業と異なり,学習,情報,知識 の格差を生む社会学習分業から生まれているとす る。このように本書における社会分業論はアダ ム・スミスによる生産過程における職場内分業で もなければ,工場労働者が自ら参加した生産物に もかかわらず,逆に生産物が自らを支配しだすと いうマルクスによる疎外の概念にも依拠していな い。これは,本書の資本主義社会分析は,基本的 には資本と賃労働の間の社会関係からよりも,産 業資本主義が生んだ双方の妥協によるデモクラ シーから乖離した新たな支配・被支配関係に注目 しているからである。したがって,社会学習分業 が疎外論との対話を可能ならしめる新たな社会科 学のツールになりうるかは今後の課題となろう。

2-2 ポランニーの3つの疑似商品に加えての 人間の経験(human experience)

周知のごとく,ポランニーは『大転換』(1944 年)において,商品を市場販売するために作られ たモノとして定義して,本源的生産要素たる土地,

労働,貨幣は本来の「商品」になりえない「疑似

商品」であるとし,これらの移動を活発化した近

代の広域市場の拡大が生む社会と自然への破壊的

作用を明らかにしようとした。本書では監視資本

主義を支える第

4

の「疑似商品」として人間の本

性(human nature)たる人間の経験そのものを新

たに追加する。いうまでもなく,nature は日本語

では自然と訳されたり,本性,性質,本質などと訳

されているがここで登場する

nature

はポランニー

が使用した「疑似商品」としての土地という自然

の別名に対する人間にまつわる特性を指す。この

特性とは,産業資本主義が自然資源の商品化に注

目したのに対して,監視資本主義が注目したのは

商品化する人間の経験である。そしてポランニー

の万物の商品化が引き起こしうるこの大市場のも

(8)

たらす破壊的作用の予言的考察を高く評価する著 者は,資本主義体制維持には市場原理の持つ暴力 的自己調整機能に対する拮抗力として常に労働,

環境,金融に関する法的制約,制度,政策が不可 欠だったとするポランニーの指摘を,監視資本主 義の検討にも以下のように当てはめる。

「監視資本主義は市場のダイナミックスに人間 の経験を併合して,その結果,第

4

の『疑似商品』

たる行動として生まれ変わった(514 ページ)」と 筆者は指摘する。そこから筆者は,ポランニーの 指摘した体制維持のための上記の諸制度を

3

つの

「疑似商品」に対しては設けざるをえなかった が ,「 監 視 資 本 主 義 に よ る 人 間 の 経 験 の 収 奪

(expropriation)についてはそれを阻止する仕組み

(impediment)にいまだ出会ってきていない(514 ページ)」という問題提起をする。

このように,本書における第

4

の「疑似商品」

論は,新たな情報社会ないし文明において巨大

IT

企業の考え出した新たな収入源プロセスが,デモ クラシーの監視を受けないまま増長している力関 係の説明に力点が置かれている。

すなわち,本書では,ポランニーの時代におい ての資本主義市場は自然(nature)の支配に狙い があったのに対して,監視資本主義は人間の本 性・性質(human nature)を市場を通して支配す ることを狙うため,この資本主義の大市場目標は

「人体の限界を乗り越えるからくり(machines)

から,その目標のために個人,集団,住民の行動 を変更させるからくりへとシフトしてきた(515 ページ)」と分析される。

したがって資本主義下の賃労働者と資本の明示 的対立関係ではなく,巨大

IT

企業の情報サービス 利用者ないし消費者とサービス提供企業の間の可 視性のない,非対称的関係の解明とそれに対する 対抗権力の確立がこの「大転換」の参照の根拠と なっている。

従来の経済学やマーケティング論では正面から 分析対象として登場しなかった「人間の本性・性 質」と命名されたユニークな「新商品」論は,ど こまで経済学や社会科学一般で分析ツールとして 広く受け入れられていくかは,評者には確信がな

く,今後の課題として残る。

2-3 行動変更手段(means of behavioral modification)

モノやサービスの生産に必要な人間の労働,道 具や機械などの労働手段,原料などの労働対象で ある

3

つを一般に生産手段と呼ぶが,本書では,

従来の経済学のテキストではまず目にすることの ない行動変更手段という,著者によれば,新たな 生産手段をネーミングする用語が,監視資本主義 の解明に際して登場する。

この新語が本書の文脈で最も理解しやすく提示 されているのは,本書の第

I

部に於いての「行動 余剰の発見」と題する図表なので,ここではその 図に付された解説を以下のごとく紹介しておく。

「監視資本主義は行動余剰の発見と共に始まっ た。より多くの行動データが(ユーザーのための,

評者注)サービス改善に必要な量以上に転換・翻 訳(render)される。この余剰はマシン・インテ リジェンスに対して次のように原料供給をしてい く。すなわち,新たな生産手段―>それによるユー ザー行動の予測生産物(prediction products)の製 造,というプロセスである。かくして,これらの 生産物は,新たなる行動の未来市場における新た なビジネス顧客に販売される。行動価値再投資サ イクル(behavioral value reinvestment cycle,

70

ペー ジにおける第

1

図を参照)はこの新しいロジック に従属する(97 ページ)。」

要するに,この新たな手段は,従来の経済学で は,資本主義下のこの生産手段が資本家の所有手 段となり,その下での労働者は排除されてしまう という所有関係をめぐって論じられてきたが,本 書ではこの従来の社会関係からは見えてこない新 たな価値創出のプロセスを提示しようとしている。

ここでもまた,新たな分析ツールが現代資本主 義分析においてどのような有効性を持つのかとい う問にたいして答えを出すのは評者にとってはよ り多くの事例研究とより深い考察が必要とされる と思われるので,今後の課題として残り続ける。

2-4 行動余剰

ここでも,この新語の概念を理解するためには

(9)

本書に挿入されている図に付された短い解説が極 めて参考になる。まず,経済学において,「余剰」

という用語で最初に念頭に浮かぶのはマルクス経 済学からのかなり抽象度の高い「剰余価値(surplus

value)」である。この分析ツールの狙いは,労働

省により生産された価値に対する労働者の取り分 とプラスαを説明することにあるが,本書ではこ の用語は出てこない。登場するのは,グーグル社 創業期の情報サービスのビジネスモデルの説明に おける行動価値

behavioral value

という表現であ る。ユーザーへのサービス改善にのみ必要とされ る行動データが再び加工されて,その改善結果は 再びユーザーの経験のために再投資されるという サイクルの説明においてである(第

1

図,70 ペー ジ)。

そして,前述の行動変更手段の解説において再 び使用され,グーグル社が行動データをユーザー 向け改善だけでなく,これをまた未来の行動マー ケット向けに加工して,予測生産物を打ち出した 結果生まれた膨大な余剰を本書では「行動余剰」

とネーミングしている。

この「行動余剰」がいかに蓄積されていくかに ついて本書では雪の斜面を転げ落ちる雪の塊が降 下するにつれて大きくなっていく雪だるまのダイ ナミズムとして,以下のような説明をつけている

(第

3

図,131 ページ)。

「監視資本主義の中心的運動は,より予測性の 高いパワーと共に『行動余剰』の新たな源泉の蓄 積である。その目標は現実生活行動における保 証された成果に比肩する予測である。抽出はオ ンラインで始まるが,予測至上命令(prediction

imperative)は現実世界での新たな源泉を求めて抽

出を加速化して勢いを増していく。」

この蓄積の特質はこの図から当初はオンライン 世界における行動データ収集であったが,今や身 体世界(physical world)にまで拡張し,単に規模 の 経 済 だ け で な く , さ ら に は 範 囲 の 経 済

(economies of scale)として,ユーザーの日々の 生活,身体と心の中(your body and self)まで探っ ていることが読み取れる。

したがって, 「行動余剰」なる概念の余剰は前項

の用語の「行動改造手段」と同様,監視資本主義 の拡大を説明する不可欠な用語であるが,ここで も従来の資本側とその指揮のもとで働く労働者の 関係において使用されるのではなく,巨大

IT

企業 とそのサービスのユーザーないし顧客の間の非対 称性関係が生む蓄積メカニズムの解明に使用され ている。ではユーザーは単なる消費者でなく,サー ビス供給企業のために労働する労働者(worker)

でもあるのか,経済学からの課題は残る。

3.資本主義体制からの考察

次に,これらの新用語を使用し構築した監視資 本主義という現代資本主義のネーミングを体制論 として読んでみよう。

本書の冒頭において,監視資本主義の定義とし て以下

8

つの項目を挙げている。

① 抽出,予測,販売という隠された商業実践の ために無料の原料として人間の経験を獲得す る新しい経済秩序の一つ。

② 財とサービスの生産が行動変更の新たなるグ ローバル・アーキテクチャーないし組織構造 へと従属する規制的経済論理。

③ 人類史において前例のない富,知識,パワー の,集中を特徴とする一つの資本主義のなら ず者的変異(rogue mutation)。

④ 監視経済の創業的フレームワーク。

⑤ 19 世紀および

20

世紀において産業資本主義 が自然界に及ぼした脅威に比肩する

21

世紀 における人間の本性・性質に対する脅威。

⑥ 社会に対する支配を確立し,マーケット・デ モクラシーへの驚くべき挑戦を示す新道具主 義的パワーの源流。

⑦ 完全なる確実性に立った新たな集団的秩序を 課することを目的とした一つの運動。

⑧ 人民の主権を打倒する上からのクーデタとし て最もよく把握される一つの重要な人権没収 形態。

上記のように,本書の監視資本主義はいわゆる

政治経済学のアプローチによる限られた社会科学

(10)

用語で比較したり,類型化したりする体制論とい うより,むしろエッセー的要素を多分に含む現代 資本主義批評として位置付けたほうが,理論書を 期待する読者に当惑を与えないと思われる。この 意味で,本書は現代資本主義を一貫した体制とし て位置づけ,その構造,動態を体系だって分析し た作品ではない。にもかかわらず,一国の政治経 済の仕組みが,その国の歴史,とりわけ近現代史 においてどのような軌跡をたどったかを時代区分 や類型化によって特徴づける体制論的考察に対し て,本書はいくつかの興味深いトッカカリを示唆 してくれていると思われる。

経済史アプローチによる時代区分および政治体 制論による類型化という

2

つの側面から,本書に おける監視資本主義の輪郭を検討してみたい。

3-1 経済史からの時代区分

まずは経済史の用語を使った時代区分である。

本書における時代区分は自動車メーカーのフォー ド社の

T

型フォード大量生産方式による賃労働関 係に注目した産業資本主義期区分を受けいれ,そ の次に来る資本主義の新たな再編成期を情報資本 主義としている。そしてその支配的形態として監 視資本主義が位置づけられている(12 ページ)。

この資本主義の変容は,総じて

1960

年以降に登 場する脱工業化社会論の系譜でモノつくりの第

2

次産業部門に対して,技術革新に注目したサービ ス中心の第

3

次産業化社会論ないしサービス社会 論として論じられることが多いが,本書はあえて 情報資本主義における監視資本主義が生む経済余 剰の蓄積形態とそこで作用するパワーの分配に注 目している。

そのための説明プロセスとして著者はフォー ディズムという用語を使用しないものの,フォー ド社の創立社ヘンリー・フォードの考案した大量 生産と大衆消費をセットにした経営方式を参照 し,そこに労使関係の妥協や産業民主主義を読み 取る。著者によれば,ポスト産業主義を推進した 労働のフレキシビリティーや利便性の拡大を肯定 的に受け入れた当初のバラ色の情報資本主義論 が,その一形態たる監視資本主義においては一方

的な非対称的力関係を生んでいる側面が繰り返し 強調されている。

こうしてみると,本書は,厳密なマクロ分析 ツールから組み立てられた比較経済体制論では ない。しかしながら,監視資本主義の特質につい て,従来の情報化社会論や情報資本主義論の新技 術,それによるあらたな経営手法によって実現す る蓄積メカニズムと,その下で展開する力関係に 注目した意味では,現代資本主義体制論の類型化

(taxonomy)に貢献する新たな切り口を示唆して いると思われる

(6)

3-2 政治体制論からの考察

この巨大

IT

企業が顧客ユーザーのデータを利 用して,ついにはユーザー自身がデータ加工に 沿 っ た 行 動 を と る よ う に 仕 向 け る 行 動 の 経 済

(economies of action)による非対称的力の行使の 分析,分類はまた優れて政治学の課題でもある。

本書の第

III

部で主として展開されている監視資 本主義化の道具的パワー論は全体主義と道具主義 という

2

つの統治体制の対比でその後者の特質を 明らかにしようとしている。その主体は国家では なく市場であるが,市場デモクラシーが歴史的に 培ってきた価値から乖離した集団主義的傾向をこ の監視資本主義に読み取る(504 ページ)。

したがって,この集団主義とは,分権的市場に よらず,生産手段の集団化を通じての富の分配,

また公的ないし国家的所有という名の中央権力の 計画・指令による富の分配を行う社会主義や共産 主義体制とは異なる。

本書において監視資本主義が道具主義的統治形 態として論じられるのは,この集団主義が巨大

IT

企業がマーケティング戦略として展開する私的所 有制度に立った道具主義として表れているからで ある。

本書では,全体主義体制との力の行使の比較は

16

にもわたる比較項目(comparative elements)で

この道具主義の輪郭が記述(第

4

図,

396-397

ペー

ジ)されているが,本稿では統治体制の類型化か

ら特に興味深く思えた

7

項目のみ引き出して,検

討してみる。

(11)

① 中心的メタファー。まず,本書ではこの

2

つ の統治形態の中心的メタファーは,全体主義 でビッグ・ブラザーとなるが,道具主義では ビッグ・アザーとなる。全体主義の最高統治 者がカリスマ的な独裁者であるのに対して,

道具主義では人格を伴う人物ではなく巨大

IT

企業の情報サービスを利用しながら絶え ずデータ加工され再生産される膨大な他者を 指す。

② 全体指向ビジョン。全体指向ビジョン(totalistic

vision)はいずれも全体的であろうとするが,

全体主義では完全所有(total possession)を 目指すのに対して,道具主義は完全なる確実 性(total certainty)を目指す。

③ パワーの付置。また,パワーの付置(locus of

power)から見ると,全体主義が暴力手段で社

会全体をコントロールするのに対して,道具 主義はすでに見た社会内学習分業のコント ロールになる。

④ 実行手段。その実行手段(means of power)は 全体主義では,恐怖に立った行政ヒエラル キーが使われるが,道具主義ではやはり前述 の行動変更手段のオーナーシップ(本書では グーグル社やフェースブックなどの大手

IT

企業に握られている)。

⑤ 統治形態の基本的メカニズム。両統治形態の 基本的メカニズム(foundational mecanisms)

については,全体主義は恣意的殺戮をもって 機能するのに対して,道具主義では,計測化,

コントロール,予測のための前述の行動余剰 の剥奪という形をとる。

⑥ 社会生産の単位。さらに,本書によれば,社 会生産の単位(unit of social production)から 見ると,全体主義では政治上の大衆(political

mass)であるのに対して,道具主義では統計

上の人口(statistical population)である。両 体制で共通するのは,いずれもこれらの体制 下で暮らす人々はその社会の市民ないし主体 ではなく,体制統治の対象となっていること である。ただその違いは後者では監視資本主 義では対象となった膨大な顧客ユーザーが巨

大私企業の利潤のために単なるデータとして その政治秩序ないしその秩序に立った社会再 生産に利用されるという点である。

⑦ 理論と実践(theory and practice)。この比較 図によれば,全体主義では「理論が実践を正 当化する」が,道具主義では「実践が理論を 隠蔽する(conceal)」というのである。これ は,

IT

サービスの顧客ユーザーの閲覧実践を 支える理論ないしノウハウは当のユーザーに は知らされず,サービスのプラットフォー マーたる巨大企業のみが知っていることを意 味するのであろう。

以上が評者の注目した7項目であるが,⑥まで は,統治方式の類型化作業とし私はついていける が,⑦の「理論と実践」という比較項目となると,

極めてユニークな分類でかなり高い抽象的解読力 が必要になると思われた。本稿ではとりあえず,

⑦についてあえて評者の類推を敷衍しておきた い。評者からすれば, 「理論と実践」問題とは未来 の先取りを実現する手段と未来の内実ないし目的 との間のせめぎ合い問題ではないかと思った。

日本の事例では,1960 年代後半から

1970

年代

にかけての高度成長期に顕在化した公害や原子力

発電所建設に対して抗議した地域の住民運動によ

るエコロジー思想の日々の実践から生まれた問題

提起があげられる。その際,根本的に問い直され

たのは,第

2

次世界大戦後の社会変革運動の主役

を担った労働組合運動に強く残存していたあらか

じめ設計された社会主義を標榜するシナリオの実

現のための手段であるという確固たる展望であっ

た。エコロジー運動はこの未来社会像を先取りし

た体制変革論を批判して,その実践手段(例えば

賃上げによる購買力の増大と大量消費)そのもの

に,目的を規定する思考形態がすでに宿っている

のではないかという問を提起したのである。換言

すれば,その変革の仕方自体にすでに未来の社会

の在り方が内在しているので,この未来社会を職

場からだけでなく日常生活から問い直して,日々

向かい合う巨大産業技術を人間と社会の関係から

問い直してみようという運動論であったと言えよ

(12)

う。かくして,当時のこの「技術と人間」をめぐ る問題設定は本書の監視資本主義下のいわば「IT と人間論」と重なる部分があるのではないかと評 者は考えた次第である。すなわち,技術アクセス の専門性と生身の市民がつくるデモクラシーの度 合いのせめぎあいを思考の参照軸に設定する試み である

(7)

むすびにかえて デジタル社会と人間の定義

以上,本書をデジタル社会の解読作業として主 として政治経済学の関心から取り上げ,そのあら すじとそこで提起された問題群を検討してみた

(8)

。 すでに強調したように,本書は学術書とエッセー という

2

つの性格を持って記述されており,巻末 の著者のプロフィールでは社会心理学と哲学の学 位が記されているが,そのアプローチと展開の範 囲はこれらの専門領域をはるかに越境して,政治 学,経済学,社会学などから現代哲学までに及ん でいる。したがって繰り返す如く本書の論点をそ れぞれ吟味して,総合的に論じる作業は今の私の 能力を超える。また本稿では欧州や日本で

GAFA

に代表される巨大プラットオフォーマーと顧客の 関係の不透明なビジネスモデルによる寡占状況を 公的な監視や課税で取り組む法的側面(例えば

EU

2018

年の一般データ保護規制

GDPR)にまつわ

る論考はなされなかった。ただ当面言えるのは,

本書を,巨大

IT

企業の独占的ビジネスモデルをア メリカン・デモクラシーの観点から問う作品とし てのみ解読してしまうと,本書が読者に突き付け る,すぐに答えが出ないものの豊かな問題提起が 見えなくなってしまうのではないか,という点で ある。

このむすびでは,臨床資本主義分析ともいえる 監視資本主義論が突き付けている課題を,現代資 本主義体制の展望という大きなくくりから,今後 の課題として

2

点のみ記しておきたい。

第一は,資本主義体制の展望の論じ方である。

監視資本主義論は体制論的には

20

世紀初頭のロシ ア革命以来,資本主義に替わる「より人間的な」

政治経済体制としての社会主義ないし共産主義を

生産力の発展によって論じていない。むしろ情報 文明下の全体主義への見えにくい誘いないし危機 をいかに回避するかという問が貫かれている。こ の危機は本稿では正面から取り上げなかった自律 か他律によって形成される未来かという問いかけ で,著者は人間の未来を

IT/AI

の未来としてでは なく,逆に不確かで,不完全な生身の人間の未来 としての残すために,未来への権利(right to future

tense),聖域への権利(right to sanctuary)を措定

している。これは成熟した資本主義体制の展望は もはやモノの生産とそれを支える労働者が担う社 会関係による蓄積形態(経済成長論)

(9)

にあるの ではなく,歴史的生産力の増大を基礎に人間の自 由の開花をいかに可能にするのかという,自律か 他律かをめぐる人間活動の在り方をめぐる問いに こそ求めるべきではないか,という問いである

(10)

。 本書では哲学者ハンナ・アーレントの主として全 体主義に関する作品が数度にわたり言及されてい る。この点に関し,日本のアーレント研究者がエ リック・ホッファーの思想と共にアーレントの全 体主義論のエッセンスを紹介する中で, 「何かの行 動を起こす前のためらいと小休止が人間の生き残 りに不可欠で,人間を自動化し,自然化してしま うことは人間を予測可能な自動機械に変えてしま うことである」

(11)

,といった内容の指摘をしてい るが,

21

世紀の資本主義体制論の展望において核 心をついていると思われる。本書の参照するアメ リカン・デモクラシ―の性格,範囲,限界などを さらにこの新たな参照軸で深める必要があろう。

第二はこの全体主義とグローバル化する資本主

義との関係についての問題提起である。監視資本

主義を可能にしているますます利便性を増すデジ

タルツールは,経済のグローバル化とその繁栄の

下での広域かつ人間の深層までにおよぶ統治を可

能にしている。しかしそもそも生身の人間はどこ

までこの記号による統治に耐えうるのかという人

間世界の在り方に関する基本的問いは残る。換言

すれば,時間や距離の制約から相対的に自由に

なったデジタル世界の管理と方向づけによって社

会を統治する手法に対する疑念である。本書は情

報社会そのものを否定していないが,歴史的には

(13)

時間と距離の制約下のいわば「顔の見える範囲」,

「歩ける範囲」

(12)

内で展開してきた生身の人間同 士の協力,信頼,対立,葛藤などが人間の行動と 思考のデジタル化によって感じられなくなった り,可視化されなくなる世界を私たちは本当に望 むのかという問でもある。情報文明が進化する中 で,どう生身の人間が自ら参加して,より人間的 な世界を想像できるかを正面から問うためには,

改めて仮想現実世界の範囲や規模についての考察 が必要であり,それは地域における市民問題とし て避けて通れないとも思われる

(13)

冒頭の浅川マキの歌詞の引用は,まさに人間の 未来は生身の人間が所詮,不確実の中で選びとっ ていく以外にないのではないか,という評者の問 から発している。

謝辞:本稿のドラフト段階で非物質的生産のコモンズ論 も手掛けられているエコノミストの茂木愛一郎氏(立命 館アジア太平洋大学)及び匿名を希望した経済史の同僚 からご多忙の中,貴重かつ鋭いコメントや指摘をいただ いたことに感謝したい。もっとも本稿に在りうる誤認・

脱漏はひとえに評者の責任である。

(1) 勝俣誠,書評,平松守彦,「地方からの発想」,『朝 日ジャーナル』,1990年1026日号。

(2) たとえば,日本では,グループホームの介護者の負 担軽減を目的としたセンサー技術を活用したシステ ムづくり研究があった。

http://www.jaist.ac.jp/kscenter/ware/agh050513.pdf

(2020年519日閲覧)

(3) エッセイストとはエッセーを書く人のことをさす が,この場合のエッセーとは「試論」というより「随 筆」,「評論」に近い。特定の専門領域に明確に当ては まらない学問領域越境型の論考を手掛ける者として ここでは使用されている。なお米国では例えば大学で の学生レポートはエッセーと呼ばれるが,フランスの リセなどでは学生レポートは“dissertation”と一般に 呼ばれ,“essai”は使われない。

(4) B. スキナー(1904-1990)は米国の心理学者で日本 語訳では例えば,犬田充訳『行動工学とはなにか ―ス キ ナ ー 心 理 学 入 門 』(About Behaviorism, Alfred A.

Knopf, 1974年),佑学社,1975年,がある。『現代社

会学事典』,弘文堂,2012年,によれば「徹底的新行 動主義」の立場から,「オペラント(道具的)条件付 けを用いて多くの動物行動の予測と制御に成功した

(415 ページ)」と紹介されている。本書では,この スキナー人間行動論について言語学者チョムスキー による自律的人間の自由と尊厳に対する考慮がない という批判が言及されている(323ページ)。

(5) The division of labor, New York Free Press, 1964,

pp60-61,『社会分業論』,ちくま書房,2014年。

(6) フォーディズムの定義も含めて制度経済学から多 様な資本主義を類型化しようとする試みに関しては,

ベルナール・シャバンス 著,宇仁宏幸 訳,中原隆幸 訳,斉藤日出治 訳,『入門制度経済学』,ナカニシヤ,

2007年,において,明快にまとめられている。

(7) 勝俣誠,「エコロジー団体は5月革命の嫡子―噴出 した『反管理』の思想」,『朝日ジャーナル』,1978年 630日号。

(8) ル・モンドディプロマティーク日本語版20191月 号でも本書は紹介されている。ショシャナ・ズボフ,

訳:村松恭平,「その歯ブラシはあなたのデータを収 集している 監視資本主義」,

http://www.diplo.jp/articles19/1905-1Uncapitalisme.

html(2020513日閲覧)。

(9) 本書の考察対象となっていない先進諸国に比して 遅れた生産力の急速な増加ないし経済成長論を,一国 単位で政策的に論じることを主たる目的としてきた 開発経済学にも,遅かれ,早かれこの問いは生じるで あろう。相対的に経済発展の遅れた中国を含むアジア やアフリカや南米のいわゆる「南」と旧東欧地域に とっては日欧米の成熟資本主義の統治形態として監 視資本主義が,政治権力を掌握した統治者にとっての 新たな魅力的な暴力許容統治形態として活用されう るという問題である。

(10) 現代世界の人間の活動を自律か他律かという価値 軸において考察し,「農」の営みの持つ技術と人間の 関係から来るべき世界の輪郭を構想しようとした一 考察として,勝俣誠,第5章「現代世界における『農 の営み』の根拠」,西川潤/マルク・アンベール編著,

『共生主義宣言 経済成長なき時代をどう生きるか』,

コモンズ,2017 年,を参照。とりわけ,同章の第 6 項「モノの消費よりも自律」ではこの営みによって可 能になる自由な市民による政治判断こそが未来を構 想できるとしている(163ページ)。

(11) 矢野久美子,『ハンナ・アーレント「戦争の世紀」

を生きた政治哲学者』,中央公論新社,2014 年,140 ページ。

(12) 顔の見える範囲内の南北問題,地域研究からの考察 は,例えば,勝俣誠,「南北問題のパラダイム―『等 身大の生活世界』を読む」,『国際学研究』第8号,19913月,明治学院大学国際学部,を参照。

https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main

&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=

(14)

1087&item_no=1&page_id=13&block_id=21

本書評は本学部教員でいらした玉野井芳郎先生を追 悼して編集された特集論考の一部で,勝俣は書評特 集:〈地域〉に根ざし〈生命〉を大切にする広義の経 済学のすすめ(『玉野井芳郎著作集』全四巻)の第 4 巻『等身大の生活世界』を取り上げた。この,「顔の 見える範囲」社会論は金融とITが主導するグローバ ル資本主義下で生じた2020年冬からのコロナパンデ ミック対策による人々の移動制限と都市の規模の在 りかた,住民行動に対する極めて高度な監視手法など 新たな社会科学の課題を与えてくれている。

(13) たとえば,オンライン生活を見直し,オフライン生 活 の 豊 か さ を 再 発 見 し た 素 朴 な 体 験 を 綴 っ た エ ッ セーとして,ウイリアム・パワーズ著,有賀裕子訳,

『つながらない生活「ネット空間」との距離にとり 方』,プレジデント社,2012年,原著は,William Powers, Hamlet's Blackberry: A Practical Philosophy for Building a Good Life in the Digital Age,である。

参照

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