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鈴木邦武

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ゲーテとオリエント(皿)

》西東詩集くとコーラン

鈴木邦武

ゲーテのコーランとの係わり具合は,先に見たように青年時代に,その抜粋 を作成し,また〉マホメットく劇の作成にとりかかったことに次いでは,ずっ と後になって晩年,〉西東詩集くの作成の時期とみてよいと思う。その中途,

1799年彼はヴォルテール作の戯曲〉・・ホメットくを翻訳し,それを翌年に上演 しているが,これはカール・アウグスト公の要請によるもので,彼自身として は消極的であった。

年譜を播くと,1814年の1月初めに,バシュキール人の将兵のために,プロ テスタントの高等学校で行なわれた回教の礼拝にゲーテも参列したことが記さ れている9)いわゆる解放戦争のころに当るこの時期は,ゲーテ邸が何度も色々 な将官の舎営とされる慌しい時期で,1813年の10月フランス軍が敗退していっ た後に,それからの解放のためのロシア軍が,そして政治的な解決を計るため にロシア皇帝をはじめ,メッターニヒ,プロイセンの宰相ハルデンベルクとい った人物が訪れて来ていた。ゲーテはそういった軍事的な事柄から逃避するた めに旅嚢を詰め,シナについて勉強し,マルコ・ボー。を読んで欧曾)しかし 暫くの間ヴァイマルを離れることはできず,翌年2月25日権でヴァイマルから そう離れていないベルカに行き,その後,5月13日から6月28日にかけてベル

カに湯治に出かけただけで,ヴァイマルを出立し,旅に出たのは1814年7月25日 になってからであった。これより少し前,彼はハーフィズの詩集を読む機会を 持ち,これに非常に心を魅かれ,すでにこの旅立ちの日には〉西東詩集《中に 収められる詩が幾篇か出来上っている。

一方,自伝的作品〉詩と真実《の計画は1809年10月に考えはじめられ,その 後,長年この制作も続けられてゆくのだが,この制作のための青年時代への回 顧,また,上に触れた1814年7月末になされた故郷フランクフルトへの旅など によって,再び青春への志向がなされている。そしてそのような志向は,彼の

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旅立ちの日に読まれた一篇の詩からも充分に窺い知ることができる、

〉だから 達者な爺さんよ 悲しんではいけない。

たとえ白髪になっても

      (3)恋をすることもできるのだく

はからずも,かって青年時代に興床を覚えたコーランが再び彼の関心の対象 になる。ゲーテは,この故郷への旅に先立つ1ケ月程前に,コッタに贈られて

・・一t,ズの詩集のドイツ語訳を手にすることができた曾)部分的にはこ撮で 何度か読んでいたこのペルシア詩人の詩全体を纏めて読んだときの強い印象を,

例えば彼は〉年代記くの中で(5)触れており,また,それは〉西東詩集くあるい はその〉注解と論説くを見ても知ることができる。青年時代への回想と故郷へ の旅と共に,この爺に生の活力を与えたのが,この中世のペルシア詩人であっ たと言っても過言ではあるまい。事実,旅の途上で,ゲーテは,ハーフィズに 捧げる詩を次々に書きあげてゆくのであった。更に年譜をたどると,1814年11 月から翌年にかけて〉西東詩集くのための東洋研究がなされ!6)12月20日以後D クリスマスを,東洋学者のゲーオルク・ヴィルヘルム・ロルスバハ教授のもと で過し徳り(P・8・5年のはじめの読書の対象としてはフィノ・ド,_ジFi。du、i,

コーラン.カーブスの書Buch des Ka㎞sαier behren des persischen

 .  .      .  ・

jor直gs Kjekjawus fur seinen Sohn Ghilan Scha£h, ディーッ著の

〉アジア回想Dehkw澄digkelten von Asien<,シャルダン著の》ペルシア

旅行Voyage en Perse〈,エルスナー著〉マホメ.ト伝Mo㎞ed,

       ●  ● carste11ung des Einflusses seiner Glaubensleh陀auf die Volker des Mittelalters<などがあげられている!8)

わが国でも今年,洋学200年ということが話題になり,例えば杉田玄白の

〉解剖図譜くが作成された1771年のころを記念する行事が行われているが,丁度 そのころ,ヨーロ。パでは一斉に東方への関心が芽生え,上にあげた, ゲ 一テが利用しているヨー・。パ人の手になる著書も,ほ団この時期の成果とし

て世に出たものであった。

ともあれ,〉西東詩集《の成立に最も大きな切っ掛けを与えることになった

>Divan<の著者シャムス・ウ。・ディーン・ムハマ。ド(1326−1389)は,

ハーフィズHafizというペンネームを使い,普通にはこの筆名で呼ばれてい るが,もともとこの言葉はアラビア語では〉維持者,保護者,コーランを暗記

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鈴 木:ゲーテとオリエソト(皿)      37

している者くを表わす名詞である。彼は〉コーランを暗記している者《という 意味でこのペンネームを使った。ゲーテは〉注解と論説くの中で,ハーフィズ に触れた際に,彼の言葉を引用している。

》わたしがこれまで成し得たこと,そのすべてはコーランによる49)

〉西東詩集《中で,最初に創られた詩〉創造して生かすことく

〉ハンス・アーダムは土塊であった,

それを神は人間に造りあげた,

しかし 彼は母の胎内から まだ沢山の汚物を持ちこんできた。

エロヒームは彼の鼻の中に 最上の魂を吹き込んだ

すると それで いくらかよくなったように見えた くしゃみを しはじめたのだ。

しかし 骨組,手足,頭だけでは まだ 半分は土塊のままだ 結局 ノアが この土偶のために

よいものを見っけた一大杯を。

土塊が それに身を湿らすと たちまち躍動を感じる,

丁度ねり粉が 酵母によって

動きだすように。<(10)      駕

を見てみても,ハンマー訳のハーフィズ詩集に触発されたとみられる形跡を残 している。ハンマー訳には

      g o рhhr Engel an der Schenkethur,

10bsi㎎et Euem Preisgesang・

   o ●

cie Sauerung von Adams Stoff,

       (11)Nichts anders ist der Trihker Thun<

という詩があって,それにハンマーは次のような注を加えている。〉酒を飲む ということは,泥を酸化することである。アーダムはこの泥をこねて造られた

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のだ。この酸化がなければ,その人間は胎内のへんな泥人形として終ってしま うだろうぐ12Dと。そして,上のような意味の言葉をわれわれはコーランの幾か 所かの中に見出すことができる。15章26,27節〉我ら,人間を造るには,陶 土,すなわち黒泥を形どったものを用いたが,妖霊どもは,それより以前に,

燃さかる炎で造った。〈,28節〉…わしが彼の形を作って,これにわしの息、

を吹き入れたなら…《13)〉…君を土くれから創り出し,一滴の精液から創 り出して,人間の形に仕上げて下さったお方…〈U8章35節,中.116)〉・・

水であらゆる生ものを作り出してやった…〈(21章31節,屯155),〉また アヅラーは水でありとあらゆる動物を澄創りになったく(24章45篤中197)(14)

この小論では,そのような〉西東詩集《とコーランとの関係にっいて具体的 に当り,ゲーテがイスラーム教というものに,どのような係わりを持っていた かを探ることになる。

〉西東詩集くの詩句の中にはコーランの言葉が,そのまま用いられていると みられるものがいくつかある。》詩人の巻《の中の〉澄澄らかFreisinn<

の第2節のはじめの2行は

〉神はきみたちのために星辰を置かれた

陸をゆく導き手として,海をゆく導き手としてく(15)

となっている。このようなことは,コーランの至る所で述べられているが,そ の6章97節〉またお前たちのために星々の座を定めて,陸上でも海上でも暗閣 の中を行くときの道しるべにして下さったのもそうなのだぞく(上.196)が,

同じ表現としてあげられる。ゲーテはこの個所を直接コーランから引用したの ではなくて,ハンマーが編纂した》オリエントの宝庫《の第1巻中の最初に掲

       ● ●

レされている>Uber die StembHder der Araber<という,ハンマー自 身の論文の冒頭に,コーランからの引用として掲げられている>Er hat Euch die Gestirne gesetzt,ais beiter in der FinsterniB zu Land und See−Koran, Sure 98, Vers 21<をそのまま借用したもの である。ハンマーがここで>Koran, S ure 98, Vers 21<と記しているた めか・これまでの〉西東詩集くの注釈書では,この部分の出典としてコーラン 98章21節を指摘している。しかし,現在われわれの見るコーランでは98章には 全部で8節しかなく一これは,そのアーノルトによる独訳を,ゲーテがこの 時代に参照したと言われているセールによる英語訳G6%も同じであるが一筆

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鈴 木:ゲーテとオリエント(皿)         39

者の知り得たものの中で,正しく,コーラン6章97節,または16章16節

(〉それに,道しるべになるものを(方々に作り給うた)。また(夜には)星 をたよりに人々は道を迷わず旅途を行く。《中.75)を指摘しているのは,K.

モムゼンだけのようである。(17)

ちなみに,ハンマーは上記の〉オリエントの宝庫《の中で,コーランの殆ど の部分を翻訳している。第2巻の25ページから46ページにかけて>Die

1etzte vierzig Suren des Korans als eine Probe einer gereimten Uebersetzu皿g desselben v㎝Joseph von Hammer<として,75章から

114章まで(75章は40節のうち11節までだが他の章は全部),336ページから 358ページまでで》Probe einer Uebersetzu㎎des Korans< として,

1章から12章までの部分訳,第3巻231ページから261ページまで>Fort一

setzung der Probe einer Uebersetzung des I(orans< として13 章から35章までの抄訳,第4巻68ページから86ページにかけて,36章から66章 まで,100ページから105ページまでにかけて,67章から74章までの抄訳をあげ ている。そしてその中の6章98節には,>Er ist8,der die Ge8tirne euch gesetzt zur五eitung in der FinsterniB zn Land und See ;       ・ o

浮獅п@diese Zeichen haben wir verliehen den Volkern, so die        ・ ●

vahrheit a【】erkennen.<となっていて,>Uber die S ternbi lder der Arabe r<の冒頭にあげられ,ゲーテが参照した上の句とほ讐同じ文になって

いる。

〉護符TaIismane<の第1節

      、 r東も神のもの!

西も神のもの!

北の国も南の国も

神の御手の平和の中に安らぐく㈲         

という句も,コーラン2章109節〉東も西もア。ラーのもの。それゆえに,汝 らいずこに顔を向けようとも,必ずそこにアッラーの御顔があるのじゃ。まこ とにアッラーは一切を抱擁し,一切を知り給う。<(上・31)によるものであ るが,これも直接には,前にあげたハンマー編纂の〉オリエントの宝庫くによ っている。ハンマーはこの書物の作成にあたり,扉に3ページを当て,1ペー ジはアラビア語で,2ページ目はドイツ語で,3ページ目はフランス語で,そ れそれ書名,編者名等をあげているが,そこにこの部分の言葉を掲げている。

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〉オリエントの宝庫《は全部で6巻あるはずだが,東洋文庫に在庫していて筆 者が参照できた1巻から4巻までのいずれの巻も,同じ体裁をとっていて,コ

一ランの次の言葉が示されている。

>Gottes ist der Orient,und Gottes i8t der Occident;ノ Er leitet,wener wilI, den wahren Pfad.<ミ

        「

ネお,H.A.マイアーによると,1814年の終りごろのものと思われる,大部分 はディーッの〉アジア回想くの第1巻からの抜粋からなる二っ折り判の紙に次 の言葉が認められるということである。②0)

>Gottes ist der Orient Gottes ist der Occident        ・ ●

̀uch den Norden wie den Suden Hat sein Auge nie gemieden.

Er der einzige gerecht

    .  .

vill fur jede㎜ann das rechte.<

また,ゲーテはこの〉護符くの第1節をそのまま,1815年1月2日付のボアス レー宛の手紙の中に記している。

〉護符く第2節の中に〉彼の百ある名前のうち… <という1行があり,ま た,〉ズライカの巻くの最後の詩>In tausend Formen magst du dich verstecken<に関連して言えることだが,アッラーには百の名があるという ことが言われる。勿論コーランの中で,アッラーの名を百と指定しているわけ ではない。例えば17章20節で〉アッラーと喚んで祈ろうが,慈悲ふかき御神と 喚んで祈ろうが,どちらの名で喚んだところで,要するに最高の美称はすべて

(ア.ラー)のものく(中.109)となっていて,とにかく一切を抱擁し,一切 を知るア。ラーであってみれば,秀れた性質を表わすあらゆる形容詞がその徳 性を表わすとも言えて,事実〉全能なるお方〈,〉あらゆることを熟知したも

うお方〈,〉計算の早い器方くといったような表現がコーランの中に見当る。

後世のイスラーム教徒はこのような呼び名が99あるとし,それを神の属性と主 張するようになった。ゲーテがこのことについて参照したと伝えられている

〉オリエントの宝庫くの中に収められているハンマーの>Ueber die Talis一 mane der Moslimen<(物によると,当時のイスラーム教徒は護符の中に書

き込む言葉として,第1にコーランの中の言葉,第2にその他の澄祈りの言葉,

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第3に神の徳性を示す言葉とそれに続けて予言者やその高弟の名を用いたと言 う。そして彼らが身につけている数珠には百の珊瑚が連ねられていて・そのう ちの1番大きいのはアシラーを意味し,残りのひとつひとつはアッラーの99の 徳性を表わすものと考えられていたという。ハンマーは・そのようにして護符 の中に表わされた神の徳性を意味する99の名をそこで紹介している。そこでは,

例えば,der Allmilde,der AIlerbarmende, der Allhelferのように,

すべての語の前にA11一またはAller一が付されていて,それぞれの形容

詞が強調されている。ゲーテは>In tausend Fo㎜en magst du ver一

stecken<という詩の中で,この神への呼び名にならって,恋人に呼びかける。

この西洋の詩人は,何と巧みにイスラームの世界の神を,愛する人に置きかえ てしまっていることだろう。ゲーテがここでハンマーのあげた99のうち,借用

      匿 ●

オたのはder AHgegenwarfigeひとつだけであった。しかも,それを,そ

の定冠詞を省いて,女性名詞のAIlgegenw翫tige にして。そしてこの詩の       . ●

?ナ恋人に奉げられた語,Allerliebste,Allscho㎎ew㏄hsne, Al1−、

       ・・   ,

唐モ?高?奄モ??hhafte, AllspieIende, Allma皿igfa ltge,AlIbuntbestemte,

AI lumklammernde, AllerlBiternde, Allherzerwei temde, AUbeleh一 rendeはすべてゲーヶ自身の言葉であった。

〉護符くの第3節

〉迷いがわたしを惑わそうとする

しかし きみは わたしをそこから解き放してくれる。

わたしが行為を起すとき,わたしが詩作するとき,

わたしの道に正しい方向を示したまえく(2の

はコーラン1章5,6,7節に符合する。〉願わくば我らを導いて正しき道を辿ら しめ給え,汝の御怒りを蒙る人々や,踏みまよう人々の道ではなく,汝の嘉し 給う人々の道を歩ましめ給え。<(上・9)

〉ハーフィズの巻くの2番目の詩〉訴えAhklage<には・コーラン26章 221節以下の部分がもとになっている。〉これ,シャイターンに愚かれた人と いうのをお前たちに教えようか。まず罪深い詐欺師はみな愚かれている。一心 に聴き入って澄る。だが大抵は贋物だ。次に詩人たち。あれ,迷わされた人間 どもがぞろぞろ後について行く。汝見たことはないか,彼らが谷間のあたりを さまよい歩いて,自分では決してやりもせぬことをやたらに口走っているとこ ろを。<(226節まで。中・226)これについてもゲーテは,ハンマーの前にあ

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      脚

ーた〉オリエントの宝庫《によった。前にも見たと澄り,ハンマーはこの中で コーランの部分訳を掲載しているが,第3巻にこの部分の翻訳がある(ハンマ 一訳では220節から225節となっている)。

22α Soll ich dir sagen auf wen die Teufeln niedersteigen?

221 Sie steigen nieder auf die I」{珈er und den Bδsewicht.

        .  6

Q22. Sie flustern ihm ins Ohr, d㏄h nichts als L勧gβn.

22a Die Poeten folgen i㎞en, und lassen sich von i㎞en betj晦n.

      ・ 0

Q24.Siehst du de㎜nicht, wie sie(血rch alle Thaler schweifend nimmer ruhn.

225U㎡Dinge sag。n,、。,i。 nimmer t㎞n.(24)

H.A.マイアーによると,ゲーテはこれを小さな紙に筆写しているのだが,そ こではすでに,この詩の題>Ahklage<が付されていて,上の各行を2行に

し・句読点を殆ど省き・TeufdnをTeufelと書き改め,222節だけを除い

て,次のようにしている。

>Anklage

Soll ich母ir sagen auf wem die Teufel niedersteigen

      ・ o rie steigen nieder auf die I、ugner

       , ●

浮獅п@den Bosewicht

Die Poeten folgen i㎞en und lassen

       ・ ● 唐奄モ?@von ih【len betrugen

Siehst du dem nicht wie sie durch

     ●  ●FaHe Thaler sch鴨ifend皿㎜er mhn.

Und Dinge噸n。。、i。 nimmer thun.ぐゐ)

〉ドイツ人感謝すDer Deutsche d鋤kt<の10行から12行の

〉… 真の生は永遠の清浄な行為で,

己以外の誰をも

損うことはない。<(26)

の部分はペルシア詩人Flerid−ed−din AttarのPend−Namehの

,     SiIvestre de Sa君yによるフランス語訳>Le bien ou le mal que

      、?≠奄煤@un homme, c est a lui−mもme qu il Ie fait.<によるものと ウれている訴27あ・,このFerid−ed−din Attarの句もコーラン4・章46節に

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鈴 木:ゲーテとオリエント(皿)         43

基づくものであった。〉善功積むのも結局は自分自身のため。悪いことすれば 結局自分が損するだけ。神様は僕に不当な仕打ちはなさらない。<(下 86)

》不満の巻《の》予言者は語るDer Pro画et spricht《は,1815年2月 23日の作であるが,最初それに>22Sure《と記されていて・後に>Pro一

P㎏tentru tz《と題された。この日のゲーテの日記をみると,そこには

>Moal l a㎞ts. Beduinen Zustand... Leben Mahomets von(届sner<

(28)と記されているが,この日読んだエルナーの〉マホメ。トくの中に,ゲ 一テはコーラン22章15節〉現世でも来世でもアッラーは彼を助けて下さるはず がないと考えて(心焦立つ)人は,網を一本天までとどけと高く張っておいて,

今度はそれをばっさり切ってみるがよい。こんな手段を弄して・それで心の焦ら だちがおさまるものかどうか,反省して見るがよい。<(中・168)の引用を見        .  ・

ツげたが,そこでのドイツ語は>Wen es argert,daB Gott den Moha一

         ● ●      ○ 匂

高?п@Schutzund Hulfe a㎎edeihen laBt, der gehe und befestige ei一        曹  o

墲P。灘。謝k:島濫翌rll謙間隻ご糠甥予

言者は語る《は,このコーラン独訳を殆どそのまま詩にしたものである・

以上あけたものは,コーランの章句を殆どそのままと言ってよい程の形で作 詩されたものであるが,それにあとひとつ,コーランではなく,マホメットの 言葉を口づてに伝えたスンナからのものが付け加えられる。〉考察の巻くの14 番目の詩>Behandelt die Frauen mit Na£hsicht<がそれである。これ

もやはリハンマーが》オリエントの宝庫くの第1巻に載せた>Ausz証ge aus der Sura oder der m証ndlichenセberliefemng Mohammeds<の中の

389番目のものを殆どそのまま韻文にしたものである。》婦人のことは寛大に 扱え。曲った肋骨で造られているからだ。彼女たちのどんなに秀れたものでも

曲った肋骨の痕跡を残しているものだ。その肋骨を真直ぐにしようとすると・

折ってしまうことになるぞ。そしてそっとして澄いても曲ることは止めやしな い。婦人のことは寛大に扱え。<(30)

次にコーランという言葉が詩の中に取り入れられているものとして・主なも のをあげると,〉ハーフィズの巻くの〉あざ名Beiname〈,〉不満の巻くの

>Sonst wem man den heiligen Koran zitirte〈,〉酌童の巻くの

>Ob derKoran von Ewigkeit sei〈・〉寓言の巻くの>Ich sah mit

Staunen und Vergn謹gen〈,〉天国の巻くの〉試食Vorschma磁くが

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あげられる。

〉ハーフィズの巻くの1番最初に掲げられ,その題でもわかるようにハーフ イズの名前の由来について,西方の詩人とハーフィズとの対話の形を取られて いる〉あざ名くという詩の中で,西方の詩人に答えてハーフィズは語る。

〉記憶力に恵まれて コーランの聖なる遺訓を 一語もたがえず会得し それによって敬震に振舞い

汚れた世間の悪事に触れられることもなく また予言者の言葉とその蒔く種子とを 至当に守る人々にも触れさせずにする

・それだから人々はわたしにその名を与えたく(31)

このハーフィズの自己紹介に答えて西方の詩人は,コーランに対して,また,

その護持者としてのハーフィズに対して,深い敬意を表しつつ,その敬慶さと いう点でハーフィズに劣らない態度を示そうとする。勿論西方の詩人の場合は,

聖書に対してである。ゲーテは〉注解と論説《の中の》ハーフィズくの項を論 じるのに,まず・聖職者にかぎらず一般の人でも聖書を良く読み,その中のど んな箴言でも,それがどこにあり前後関係がどうであるかが説明でき,主な章 句を暗諦できるといった,ヨーロッパにおける聖書通(bibel fest)について 触れ・このような人々はそれによって》秀れた品格と疑う余地のない推薦状く

(32)を持つことになることを指摘することから,はじめる.一一フ,ズがコ_

ランに通じていると同じ位充分,聖書についてこの西方の詩人は理解を深めて いる自信を持っている。ゲーテは,まだ作家として名をあげる以前の少年時代 に・すでに,聖書から素材を得た習作をいくつか試みていることからも,如何 に彼が早くから聖書の世界に精通していたかをわれわれは知ることができる。

〉わたしは われわれの聖なる書の すばらしい像を自分に受け入れるく(33)

〉あざ名くという詩の中でも,詩人はコーランと並べて聖書を置く。

〉不満の巻くの中の>Sonst,we皿ma皿den heiligen Koran zitier一 te<ではじまる詩の中では更に,コーランと聖書がひとつのものとされてい る。ゲーテは〉注解と論説くの〉荒野のイスラエルくの中で,〉信仰が支配し ているあらゆる時代は・たとえそれがどのような形態をとるにせよ,光りかが

(11)

鈴 木:ゲーテとオリエソト(皿)         45 やき,心を高め,その時代にとっても後の時代にとっても実りのあるものとな る《〔34)と述べているが,彼は宗教の多様性を攻撃するということはしなかっ た・むしろその中に宗教的なものの確証を見ていた。上の詩で>Oheiliger Koran!《と呼びかけるとき,それはコーランであると同時に聖書でもある。そして

コーランに本来書かれていることの外に,あることないこと,古いもの新しい ものを付け加え,混乱をひき起してゆく>die neuen Derwische<は,些 細なことを穿難する新しい神学者たちのことを意味している。

一般にイスラーム教徒の中では,コーランは直接神によってアラビア語で語 りかけられた啓示であって,人間が造ったものではないとされているが,その ような見方と並んで,それはやはリマホメットによって語られたものであると いう見方もあって,そのことが議論の対象になったことがある。そのようなご

とと関連づけられるものとして,次の詩をあげることができる。

〉コーランが永遠のものなのかどうか わたしは問わない。

コーランが造られたものなのかどうか わたしは知らない

それが書物中の書物であることは

わたしはイスラーム教徒の義務として信じるく(35)

しかし,この詩はコーランに対するゲーテのイローニシュな態度の方が主とな った詩である。〉酌童の巻くの4番目にあげられているこの詩の中で,詩人の 言わんとしていることは,その最後の2行に示されているように,〉たとえど うであれ,酒飲みの方がより生き生きと神をまのあたりに見るのだく(36)とい うことであって,》酌童の巻くのこれよりひとっ前の2行詩の中で述べている ことと同じことを述べたものである。       ,

〉酌童の巻くの>Schenke,komm!Noch einen Becher!<の中で酌

童はマホメ。トが酒を飲むことを禁じていることを語る。神の啓示を受けると

き,マホメ。トは失神状態に落ち入ったということであるが,そのような陶酔 状態に入る特権を自分だけのものにしておくために,信者に酒を飲むことを禁

じたというようにも伝えられていて,ゲーテがヴァイマルの図書館から借出し たエルスナーの〉マホメ。トくにもそのような記事が見られるということだが

(エルスナーの著書を直接参照できなかったので,ここではH.A.マイアー

〔S.217〕,リヒナー〔S.537f.〕に従った),コーランでは現世の酒は,

(12)

46

賭矢とともに,その利点は一応認めつつも(2章216節)・人々の間に敵意と 憎悪を煽り立て,アッラーを忘れさせ・礼拝をなまけさせることになるからと いうことで禁じている〔5章92節)。しかし・楽園の酒は現世の酒のような粗 悪品ではなく,いくら飲んでも頭が痛んだり・酔って性根を失くしたりしない

(5章19節)として天国の酒と現世の酒を区別している・

       . ●

r寓言の巻くの中の>Ich sah mit Staunen und Vergnugen《ではじ まる詩は,サァーデイの>Rosentha1<によっているのだが,イスラーム教 徒の中では,何か判断に迷うことがあると・瞑目してコーランのある個所を随 意に針で差し,針の当った章句に従って事を決するという習慣があるが・それ について触れたものである。

〉コーランに孔雀の羽根が挿まれているのをみて わたしは驚き,かつ齪したく(37)

美しい孔雀の羽根は,醜いものとはちがってどこにでも行きつくことができる のだ。〉箴言の巻くの最初の詩もこれと同じことを歌っている・

〉信心深い針で刺す人は

至る所で良い言葉を見出し漕ぶく圃

コーラン112章では,絶対唯一の神を説明している。〉告げよ・「これぞ,

アッラー,唯一なる神,もろ人の依りまつるア・ラーぞ。子もなく親もなく,

ならぶ者なき御神ぞく(上・311)従って,神に子があるといったことはある はずがなくて,キリスト教徒が,イエスを神の御子といっていることを,非難 する(2章110節,9章30節)。また,コーダヤ教徒が,自分たちの仲間のラビ や修道士を主として崇めていることも非難する(9章31節)。主として崇めら れるのに相応しいのは神だけであり,神と何かを並べることは最大の罪とされ ていることは,コーランの至るところで語られている。この神の一元性につい て触れた詩として〉遺稿からくの中の>SゼBes Kind,die Perlenreihen<

をあげることができる。

》イエスは純粋であった,そして 静かに ただ1人の神だけを思った 彼そのものを神にしてしまった者が 彼の神聖な意志を傷つけたのだ

それ故正しいものが輝き出さなければならぬ

(13)

鈴 木:ゲーテとオリエソト(皿)      47

そのことを 事実 マホメ。トがやりとげた ただ唯一のものという理念によってのみ 彼は全世界を征服したのだく㈹

コーランの中では度々,〉天にあるものも地にあるものも,ことごとくアヅ ラーのものく(上・92,95)という表現がでて来る。そこでは,この世に澄 げるあらゆる現象は,人間の行為すらも,すべてア。ラーの意志によって行な われるとされるわけであるが,そのようなイスラームの神の摂理への信仰に対 して,ゲーテは可成共感的な見方をしていたらしい。〉箴言の巻くの9番目の 詩の中にそのことが感じ取られる。

〉世界をどうしようというのだ。すでにできてしまっているのだ。

創造主がすべてを配慮なされたのだ。

澄まえの運はきまっている。それに従うばかりなのだ。

歩みはじめてしまったのだ。その旅を最後まで続けたまえ。

憂いも悲しみもそれを変えることはないのだから

それらは 澄まえを絶えず均衡の外へ投げだすだけなのだから。<(4① なお,ゲーテは,この詩を作るにあたって,ハン・・一著の>Geschichte der

 ・ 9唐モ?盾獅?氏@Redekunst Persiens〈の中でフィルドゥージの〉王書Schah一 Namehくの中の詩のドイッ語訳を参照している。

>Was m㏄hst du mit der Welt?Sie ist schon gemacht;

Es hat der Herr der Schφp血lng all die8 bedacht,

      幽 ●

cas Lob schrieb:was nutzet dir andere Weise?

Wie es dir v6rgeht, erfolgt deine Reise;

Sob翫Id das Herz Iiegt im Weltsorgen−Palast,

       (41)So hat es vor Gift und Selbstpein nicht Rast.<

      電

r箴言の巻く7番目の詩

〉運命がおまえを試みるとき,運命には,なぜそうしなければならぬの か,よくわかっている。

おまえに節度を望んだのだ!不平を言わずに従え!<(42)

や,次の2番目の詩なども上のものと同じ詩とみることができる。

>Vom heutigen Tag, von 1〕eutiger Na£ht Xlll鷺d量lc鵠。ig。n g。b。a,ht,<(43)

これは,イスファハーンのある隊商宿の門口に掲げられてあった銘として,シ

(14)

48

ヤルダンがその》ペルシアへの旅くの中で伝えている〉その日とその夜から,

前もって持っていたものの他に何も求めてはならぬくという言葉によったもの である。(44儀た,〉不満の巻くの最後の詩》ティムールが語るTimur spri cht《

も同じテーマを扱ったものとみることができる・

〉何だって,不遜の激しい嵐を 非難するのか,嘘八百の坊主ども!

アッラーが澄れを虫けらにすることを決めていたら,

虫けらとして造っていたろうく(45)

〉箴言の巻くの31番目の詩

〉わたしが,かって,1匹の蜘蛛を殺したとき わたしは,それをすべきだったのだろうかと思った。

神は,蜘蛛にも,わたし同様,

この生活にあずかることを望んでおられたのだ。<(46)

は,コーラン29章60節》己れの食料すら自分ではどうにもできぬ動物がなんと 多いことか。そういうものにはアッラーが食わせていらっしゃる。勿論お前た

ちにも。まことに,耳敏く,何から何まで御存知のお方。<(中・264)にょる。

なお,もうひとつの出典としては,サァーディの>Rosengarten<の1節が

考えられる。》WeiBt du nicht,wie einer Ameis zumute,wenn

sie unter deinem FuBe ist?Eben also als dir,wem du unter d。、El。f。n㎞恥B。 li。g、t.<(47)M.リヒナーはサ。一デ,の方をあ げているが,E.ボイトラーはハンマー訳のコーランの方をあげている。(48)

32番目の詩

〉夜は暗いが,神のもとには光がある。

神は 何故 われわれにもそうしてくださらなかったのか。<(49)

は,はじめから引用符が付されているが,その出典は不明とされている。しか し,コーランでは,度々,光はアッラーと結びっけて語られていて,上の詩と 関連づけられるものとして,113章1節から3節〉言え,「澄縫り申す,黎明 の主に,その創り給える悪を逃れて,深々と更わたる夜の闇の悪を逃れてく

(下・312),6章1節〉…ア。ラーは天と地を創り,暗闇と光を置き給うた・・

・<(上・177)があげられる。また,39番目の詩

》なぜわたしはアッラーに深く感謝するのか。

苦悩と知識を区別なさってくださったからだ。

(15)

鈴 木:ゲートとオリエソト(皿)         49

病人がすべて医師のように知っていたら,

絶望せざるを得ないだろう。<(50)

については,31章34節〉ま〜二と,アッラーだけがかの時のことを御存知。(降       一 驍ラき時に)雨を降らすもあの澄方。子宮の中まですっかり御存知。だが(人 間は)誰一人自分が明日どのようなことになるかも知りはせぬ。誰一人自分が

いずこの地で死ぬかも知りはせぬ。ただアッラーだけが何から何まで全部御存      〆

知。<(中・281)をあげることができる。

40番目の詩

〉誰もがそれぞれ自分の場合に

自分の創見を自賛するのは馬鹿げたことだ。

イスラームが神への帰依を意味するなら

われらは皆イスラ_ム姓き,また,イスラームに死す.<(51)

はコーランの言葉と直接に関係があるものではないが,ゲーテの立場がイスラ 一ム教徒のそれと見られそうな表現である。これと同じような表現をわれわれ

は彼のH.Meyerに宛てた1816年7月20日の手紙の中にも見出す(Und so

m廿ssen wir dem wieder im Islam,(das heiBt:in un悦ding{£r Hi㎎。bung in d。n Wi11。n G。tt。、)鴨。h母ren,岡).勿論われわれは

ここでイスラーム教徒ゲーテという見方をするのではなく,キリスト教の世界 の中にあって,如何に彼がどんなドグマにも結びつけられない宗教的なTol e一

ranzの立場を取ることに留意していたかを見るべきだろう。ゲーテはコーラ ンに対しても聖書に対しても同じ敬意を示す。上のことが,48番目の詩では逆 な言い方で述べられる。

〉キリストのロバを駆って メッカに行っても

ロバが躾良くなるわけではない

いっまでも同じロバであることに変りはないく(5の

この詩は,下のサァーディの>Rosenthal<の独訳によっていて・それの韻 を変えただけである。

>We皿man auch nach Mecca treibt Christus Esel wird er nicht Dad皿rch besser aわgericht

S㎝dern,t。t、 ein E艶l bl。ibt.<(54)

(16)

50

〉天国の巻くの》7入の眠れるものたちくについては,ゲーアは〉オリエン トの宝庫くの第3巻のJ.C. Richの>The story of the seven sleepersく によっているとされている仰しかし,コーラン・8章8節以下にもこの説話 がみられる。その13節では,イスラームの神髄とも言うべき一神教にっいて触 れて・〉… 我らの主は天と地を司り給う御神,我らはそのほかの神には一 切祈ったり致しませぬ。もしそのようなことをすれは,それこそ,根も葉もな

いたわごとを口にすることになりましょうものく(中・112)となっているが,

それをゲーテは

〉°°・Nein, der Eine,

Der die Sonn erschuf, den Mond auch,

Und der Sterne Glut uns wδ1bte,

、Di。,er i、t、一・・<(56)

としている。

コーランの第1章の中で,アッラ『を審きの日の主宰者(上・9)とも呼んで いるように・マホメットが最初に人々に説いたのは,終末の日の警告であった。

人間は死後・〉うしろに障壁が立ちふさがりく(中・188)2度とは現世には還 れない状態に置かれた後・最後の審判が始ると,天使たちを従えた神の前にひ きだされ・そこで現世での行いについて,秤にかけられることになる。そして 現世で行った善行の重さのために〉秤りが重く下ったく(中・188)者は天国行

きに・〉秤りが軽い者く(中・188)は地獄行きに別けられる。そしてコーラン で描かれている天国とは・〉さまざまな木が茂り〈,〉さらさらと泉水が流れ《,

〉あらゆる種類の果物が二種もみのり〈,〉錦張りつめた臥鉢に悠々と手 足のばせ・二つの園にみのる果実は取り放題〈,〉その美しさが紅玉,珊瑚を あざむくばかりの・これまで人間にも妖霊にも体を触れられたことのない,目 差し押えたむすめたちがかしずく<(下・166)ところである。酷しい砂漠の中 で生きる者たちにとっては・天国のイメーヂは比較的容易に浮ぶのであろうか。

〉天国の巻くの最初の詩〉試食Vorsc㎞ack<は,コーランで語られている 天国について触れているが,その最初の節は次のようになっている。

〉本当のイスラーム教徒は,あたかも自分が そこにいたかのように,天国にっいて語る,

純粋な教えはそこに根差していると コーランの約束したままを信じるく(57)

(17)

鈴 木:ゲーテとオリエント(皿)         51

〉注解と論説くの中の〉将来のディーゲァンK観nftiger Divan<に触れ て,ゲーテは,〉イスラームの信仰が認めるこの境域にも,多くの非常に美し い場所・そこで迫遙し,そこに住みたくなる楽園中の楽園がある。そこでは,

冗談と真面目とが全く美事にからみあっているので,日常的なことも光かがや いていて,そのことがわれわれにより高いもの最も高いものへ到る翼を一与えて くれるく岡と述べているが,〉天国の巻くの中には,上の〉試食くという詩 のように,コーランの中で語られている天国の描写に基づいていると思われる 詩句がいくつかみられる。その第2番目の〉天国に召された男たちBerech一 tigte M互nner〈は,〉パドル戦の後,星空の下でくという副題が添えられて

マホメットの語る形で作成されているが,これもそのひとっに数えることがで

きる。この詩の中の>Die Planeten…alle sieben…<(5行)や

>das Wundgrpferd<(11行)も,コーランの表現に従ったものである。例え ぱコーラン2章27節〉そして(地上の創造が終ると)今度に費薩に昇ってそれ を均等に七っの天となし給うたく(上・15)で,7っの天という表現がみられる

し,17章の1節では,夜の旅のことが述べられている。〉その僕を連れて夜

(空)を逝き,聖なる礼拝堂から,かの,我らにあたりを浄められた遠隔の礼拝 堂まで旅して,我らの神兆を目のあたり拝ませようとし給うたく(中・89)(59)。

星空のもとで,血なまぐさい戦の果てたその場の多くの戦死者を前にして,詩 入がマホメットに,追悼演説として語らしめたのは,天国での酒と女の賛美で

あった。

》天国の巻くの中の〉より高きものと最も高きものHδheres und Hδch_

ste8<の中に,次のような句が見られる。

〉そして わたしの可愛いい自我は さまざまな快適さを求めるであろう

      艦 墲スしがこの地上で味わった歓びを

永遠の時に対しても望むであろう

かくて美しい庭園や

花や果実や可愛らしい子たちと,

この地上で気に入ったものすべては 若がえった精霊にも同様に気に入るく(60)

イスラーム教徒は地上での生活の延長を天国での歓びの中にも見出す。コーラ

(18)

52

ン2章23節には,〉…彼らはやがて濾々と河水流れる緑園に赴くであろうこ とを。その〔緑園の)果実を日々の糧として供されるとき彼らは言うことであ ろうて,「これは以前に(地上で)私たちの食べていたものとそっくりでござ います」と。それほどによく似たものを食べさせて戴けるのじゃ。しかもそこ で清浄無垢の妻たちを与えられ,そこに彼らは永遠に住まうのじゃく(上・14)

とある。〉西東詩集くの出版は1819年であったが,その3年前の1816年,ゲ 一テは,この詩集の広告の中で,〉天国の巻くは>7人の眠れるものたちくと並 んで,同じような意味で,地上の至福と天国でのそれの喜ばしい交換を描く他 の伝説を含むことになるだろうと述べている漁1)K.モムゼンはこの〉より高 きものと最も高きものくという詩と共に,〉こだまAhkla㎎<,>Deine Liebe, dein KuB mich entz冠ckt!《>Wieder einen Finger

sch庵gst du<の4つの詩を,特に天国に於ける地上的な歓びの継続を扱っ たものとし,それが〉天国の巻くに独特の明るい特質を与えていることを指摘

し,〉より高きものと最も高きものく以外はいずれも1820年カールスバートへ の旅の産物であるが,〉ゲーテが,1820年カールスバートの旅で「天国の巻」

のために補足的に作成したものは,彼が45年前から抱いていたコーランの思 いに基づくものであるく(62)と述べている。

確に〉天国の巻くにみられる天国の描写は,コーランに従ってはいるけれど も,コーランの天国がそのまま描かれているわけではないこともまた当然であ る。ゲーテは,コーランの描写に従いつつ,それを巧みに,詩人一コーラン では詩人を悪霊から霊感を受げるとして退げている(26章224節以下)が一 詩人が入り得る,あるいは詩人だけが入り得る天国に移し変えてゆく。コーラ

ンでは,死者はア。ラーの前にひき出されて天国入りの資格の有無を量られる のだが,〉西東詩集くの詩人にその天国への入国の資格を質すのは,天女

(Huri)である。ア。ラーの前に立ったものは,その行為の軽重にっいて断を 下されるのを前にただ恐れおののくのだが,〉入国のゆるしEinlaB<の Huriの前に立っ詩人はそうではない。断を追られるのはむしろHuriの方で,

詩人には自分が天国に入り得る資格があることに充分な自信がある。

〉そんなにいろいろと穿盤は止めなさい!

とにかくわたしを中へ入れなさい。

わたしは人間でした

つまり識士だったということですく㈹

(19)

鈴 木:ゲーテとオリエソト(皿)         53 詩人のこのような発言は,〉不満の巻くで述べられている>Das Rechte

。u ergreif。n/M。B m。n au。 d。m Gmnd 1。加n〈岡や,〉詩人の巻く で語られる>Eh er singt und eh er aufhbrt,/MuB der Dichter

leben〈(65)といった生き方に支えられた詩人の衿持に基づく。〉ズライカの 巻くの20番目詩>Locken!haltet mich gefangen<の中に,ズライカの 語る>Denn das Leben ist die Liebe,/Und des Lebens Leben Geist<という詩行がある。》西東詩集くの詩人にとって,生きることはその まま愛することであって,この詩はこの〉詩集くの核心的なもののひとつと数 えてもよいものであるが,そのような生に支えられたこの〉詩集くでは,屡々 恋人ズライカがアッラーという表現の中から顔をのぞかせてくる。〉再会 Wi ederfinden<と題される詩の中では,天地創造に関する表現はコーランで の描写を思い起させ,特に第6節の2度目に発せられる〉成れ!<という語

(47行)については,コーランでの章句一36章78節(〉とにかくま揃らも最 初の誕生だけは身をもって知っているはず。さ,それなのにまだ気づかないの かく下・160),53章48節,56章62節一との関連性を指摘することはできる のだけれども,ズライカに対する思いが天地創造を語るなかで実に美事に歌い

あげられていて,ア。ラーの影さえ色失せてゆく。

〉アッラーは もう創造する必要はない わたくしたちが彼の世界を創造するく(67)

ともあれ〉入国のゆるしくでは,詩人は天国に入る。

>Deine Liebe, dein KuB mich entz観dkt!<の中に次のような1 節がある。

〉だれもは,むかし見たものを,今見,

むかし身に起ったことを,経験します。

わたくしたちは ブロンドの女となり,褐色の髪の女となり,

移り気になり,気まぐれになります。

それどころか,時には馬鹿げたことも口にします。

誰もが 自分の家に居るような気持になります。

そして わたくしたちは,彼らがいつまでもそうであればよいと 思っているのをみて,元気づけられもし喜びもします.ぐ68)

前に触れたK.モムゼンによる天国に於ける地上的な喜びの継続を示す句であ る。モムゼン女史はこれをゲーテ自身の〉注解と論説く中の〉光明にかがやく

(20)

54

日常的なものein verki五rtes AI1堀gliche<(69)という言葉で表わしてい るが・この詩の中でそれが天女(Huri)の側の方の接近の努力によって成り立 っていることに注目したい。

〉(マホメットはわたくしたちに)あなたがたが考えるように考え,

あなたがたの愛人に似るようにしなさいと言うのです。<(70)

〉ひとりのドイツ人を歓ばせるために

プーリはドイツ語の韻文で(Kni ttelvers)話す。<(71)

上の詩人の言葉に答えて天女(Hur i)は語る。

〉そうです。さあ,あなたも飽きずに詩をおつくりなさい,

心の中から湧き出るままに!

・わたくしども天国の仲間は

純粋な意味の言葉と行為に心を動かされます。

ご存知のように,動物でもしめ出すことはありません,

従順で素直ならば!

プーリは粗野な言葉を厭うことはありません。

わたくしたちは 心から語り出るものを感じるのです。

新鮮な泉から湧き出すもの,

それこそは天国を流れることが許されるのです。<(72)

われわれは・この詩の中で・東洋の衣が実に美事に西方の詩人の体にフィット し,それを包み込んでいるのを見ることができる。

以上見て来たように,〉西東詩集くの中には,イスラーム教の神髄を語るよ うな言葉が多々利用されていることにわれわれは気づく。例えば,晩年の詩の ひとつの>Eins und alles〈の中に,〉永遠なるものはすべてのものの中 で絶えず活動しつづけるく(73)という1行があり,このような意味の言葉はゲ 一テの作品の中には屡々見出すことができるが,このような表現は,絶えず生 成して止まない自然への畏敬というものから発しているとみることができよう。

そしてそのような気持から,神の意志への無条件なる帰依という,そして,そ れに基づき,自然の様々な現象の中に神の力を感じ畏れるというイスラーム教 徒の生活態度に,一種の共感を覚えるに至ったのであろう。

ρ

(21)

〔1) ビーダーマソ〉ゲーテ対話録く,白水社,第5巻382ページ

〔2)同上381ページ

〔3)Goethes Werke Hamburger Ausgabe(以下H.A.とする)Bd.2,

S。13

(4)Goethes Werke Weimarische Ausgabe(以下W.A.とする)皿.

Abt. Bd.5, S.352

(5) H。A. Bd.10, S・514

(6) ビーダーマソ前掲書385ページ

(7) 同上

(8) 同上386ページ

(9) H.A. Bd.2, S.158

(10)  ibid. S. 12f。      ,

(11) Goethe West一ぴstlicher Divan kritische Ausgabe der Gedichte mlt textgeschichtlichem ko㎜entar von Hans Albert Maier,

T仙ingen l965. Kommentar(以下Maierで示す)S.96

(12) ibid.

(13)井筒俊彦訳〉コーラン<,岩波文庫,中.67ページ。コーランの章,節 の番号はすべてこれに従った。以下,上.中.下の別と数字でページを示

す。

(14)同じような表現が38章71節(下・54),40章69節(下,77),41章39節

(下,85),55章13節(.下,163)にみられる。

(15) H。A。 Bd.2, S.9       「

(16) A  Comprehensive Commentary on the Quran:Comprising Sale,s Translation and Prelimlnary Discourse, with Additiona1 Notes and Emendations. Byl the Rev. E。M。Wherry, M.A.

Reprinted of the Edition 1882,0snabruck,1973.

(17) Katharina Mommsen:Die Bedeutung des Korans fUr Goethe, in Goethe uud die Tradition hrsg・von Hans Reiss S・148

(18)Hammer:Fundgruben des Orien.ts(以下Fundgrubenとする)Bd・2・

S.348

(19) H.A.Bd.2, S.10

(20) Maier S.87

(21)W.A.IV. Abt.Bd.25, S.130

(22) Fundgruben Bd.4, S.155 ff.

(23) H。A. Bd.2, S.10

(24) Fundgruben  Bd.3, S.255

(22)

56

       ,

i25) Maier S.118f.

、(26) H.A.Bd.2, S.22

(27) Maier S.122 f.

(2b)W・A・皿・帥t・Bd・5, S・151

(29) Maier S.220

(30) Fund息ruben Bd.1, S.278 f.

(31) H.A。 Bd.2, S.20

(32) H・A・Bd・2, S・158

(33)  ibid. S.20

(34)  ibid. S.208

(35)  ibid・ S・89

(36)  ibid・ S・90

(37)  ibid・ S・101

      .

i38>・ ibid. S・51

(39)  ibid. S.123

(40)  ibid. S.52

(41) Hammer:Geschichte der schbnen Redekunst ρersiens. S・58

(42) H.A。 Bd・2, S・36

(.43)  ibid・ S・51.

(44) Maier S・227

(45) H.A. Bd.2, S・50

(46)  ib孟d。 S.55

曜  ●       ,  ●

(47) J。W・Goethe West−ostlicher Divan, Vorwort und Erlauterungen von Max Rychner, Manesse Bibhothek der Weltliteratur S.484        ■  ・

i48)Goethe West−ostllcher Divan, Erl甘utert von Ernst Beutler Sammlung Dieterich S.529

(49) H。A. Bd・2, S・55

(50)  ibid. S.56

(51) ibid.

(52)W.A.IV。 Abt. Bd。27, S.123

(53) H・A・ Bd・2, S・58

(54) Ma重er S。263

(55)東洋文庫所蔵のFundgrubenの第3巻は278ページまでしかなく,しか も,他の巻の巻末に付されている目次もこれにはないので,恐らくこの巻 は不備のまま製本されたものと思われる。今回はRichのものを参照をす

ることはできなかった。      、

(56) H.A.Bd.2, S.118

(57)  ibid. S.107

(23)

鈴 木:ゲーテとオリエソト(皿)         57

(58) ibid. S.206

〔5の こういったことは,イスラーム教徒の間では,〉聖予言者ムハムマドの 昇天は,聖遷〔ヒジラ」前年の7月27日の夜,メッカの聖礼拝殿から,天 馬に乗ってイエルサレムの聖礼拝殿に至り,そこからさらに天上に運ばれ て第一天においてアダムに会い,第二天でヨハネ・イエスに,第三天では ヨセブに,第四天でイノク,第五天でモーゼ,第七天ではアブラハムに会 った。その案内役の天使ガブリエルはそれから先に進むことを許さなかっ たが,聖予言者はさらに進んで荘厳な主の玉座に達して親しくおことばを 賜わり,一日に五回の礼拝をささげることにっき,お許しを得たといわれ る。《(三田了一訳並注解〉日亜対訳・注解聖クラーソく日訳クラーソ刊 行会 326ページ)というように見られている。

(60) H.A. Bd.2, S.116

(61) ibid. S.270

(62)K.Mommsen前掲書S.161

(63) H。A. Bd.2, S.112

(64)ibid. S.46

(65) ibld. S.16

(66) 重bid. S.75

(67) ibid. S.84

(68) ibid. S.114

(69) ibid. S.206

(70) ibid. S.113

(71) ibid. S.114

(72) ibid・

(73) H.A. Bd.1, S.369

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