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―「中」の概念を中心にして―

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(1)

専門教育系論文

1.はじめに

太極拳は中国を起源とする中国武術の一種類で,数 ある拳種のなかでも最も特徴的なもののひとつであ る。その土壌となった中国には,この特徴的な武術を 生み出し発展させるだけの基本的要件が備わってい て,今も多くの一般民衆が早朝から公園で太極拳を楽 しみ,公の組織や企業でも社会活動の一環として取り 入れている。太極拳は中国という国家の環境のなかで 生まれ,人々の生活に浸透して文化となっている。

国際交流の舞台においても,太極拳は今や非常に重 要な役割を担っている。中国で初めて開催されたアジ ア大会(第11回アジア大会,北京,1990年)や3年 前の北京オリンピック(第29回オリンピック競技大 会,北京,2008年)を含め,様々な国際的イベントの 開幕式で太極拳の演武が行われている。その様子がテ レビ放送を通じて世界中に紹介され,こうした活動が 大きな推進力となって広く世界に伝播することとなっ

た。太極拳は中国を代表する伝統文化のひとつと見な され,その他の中国文化とともに,中国を世界にアピー ルするための大切な宝として尊重されている。

日本においては健康増進手段とスポーツ競技の両面 で普及が進められ,どちらも長足の発展を遂げてきた。

高齢化社会を迎える日本では健康促進のための機会と 場所を提供するスポーツクラブの人気が高まってお り,そのなかでは様々な運動種目とともに太極拳のク ラスが多く設置されている。またその一方で,動作の 正確さや美しさを採点方式で競う競技大会も全国各地 で盛んに行われており,ここでは年齢にかかわらず,

スポーツのひとつとして練習を重ね,技術向上を目指 す人々がいる。日本武術太極拳連盟によれば,日本の 太極拳愛好者は100万人を超え,そのなかには多くの 競技参加者も含まれる1)。この状況を見れば,武術太 極拳の普及と発展という観点で日本は,その組織的規 模においても愛好者の技術レベルにおいても,中国に 次いで世界第2位の国家であると言っていいだろう2)

【原著論文】

太極拳と儒家思想に関する研究

―「中」の概念を中心にして―

劉  志

日本体育大学大学院博士後期課程スポーツ文化・社会科学系

Study about Taij iquan and Confucianism thought

―Focusing on the concept of “Zhong (moderation)”―

Zhi LIU

Abstract: Confucianism thought has aff ected Chinese politics, culture and people’s way of thinking or habits for more than 2,500 years. And even today, it still plays an indispensable position and its infl u- ence has been expressed repeatedly in people’s lifestyle even though they have no awareness. Wushu Taij iquan is a part of the traditional Chinese culture, and, as a matt er of course, it came under the infl u- ence of Confucianism thought in the process of its formation and development. It is not only in the theory of Taij iquan, more importantly, is expressed and visualized in physical movements like it is appearing in people’s common life. By analyzing the relationship between Taij iquan and Confucianism thought through the characteristics of specifi c physical movement, this is to prove that Taij iquan is a part of the culture of Confucianism and that can be expressed with our body.

(Received: June 20, 2011 Accepted: July 20, 2011) Key words: taij iquan, Confucianism thought, moderation

キーワード:太極拳,儒家思想,中

(2)

しかしながら,日本における太極拳のイメージは依 然として,「健康体操」あるいは「競技スポーツ」の域 を出るものではない。

太極拳は身体運動のひとつであるから,スポーツの 一種目ととらえるのは当然のことであろう。しかし太 極拳には他のスポーツと異なる特色がある。本来,ど んなスポーツにも行う人の意識や意図,また長い年月 をかけて育まれた思惟習慣や行動様式が吹き込まれて いる。太極拳もその背景や内面に太極拳ならではの特 質を持ち,それを身体の動きを通して表現しているの である。この内面的なものが実は最も重要で,他のス ポーツとの違いを鮮明にして,真の価値を発揮する本 質であると考える。だからこそ,外面的な形状だけを 真似るだけでは不十分で,そのままでは当然ながら他 のスポーツとの違いは見えてこない。

日本における太極拳の普及と発展は基本的に,「健康 体操」あるいは「競技スポーツ」の認識の上に進めら れてきた。身体運動という意味では「健康体操」も「競 技スポーツ」も,そして「太極拳」もすべてその範疇 に入るが,この3つのものは,身体に対する具体的要 求や背後に隠された理念によって明らかに区別されて いる。それを知って初めて,外形からは見えてこない 奥深さを実感することができ,ひとつひとつの動作に 対応する文化性をくみ取ることができる。日本におけ る太極拳が,もしも外面的身体運動の範囲内に留まっ ているとするなら,他のスポーツとの違いに気づかな いまま,最も重要な本質を見失っていく危険性がある と考えられる。

太極拳の歴史は300年ほどとされているが3),その 形成と発展の過程に中国数千年の歴史が多大な文化的 基因を与えてきたことは言うまでもない。中国伝統文 化の精髄を吸収しながら発展してきた身体運動と,他 の文化のなかから生まれてきたそれとは根本的に異 なっており,その違いは理論面だけでなく実際の身体 の動きのなかにも確かに表現されている。

中国伝統文化を代表するもののひとつ,儒家思想は,

孔子(前551–479)の政治倫理思想を継承発展させ

たもので,二千年以上も前から中国民族の伝統的精神 文化の支柱となってきた。それは古典典籍のなかだけ に残る過去の遺産ではなく,現代の中国人の心のなか にも脈々と息づいている。儒家の経典に見られる「礼 儀」,「仁義」,「孝行」,「中庸」などの観念が,今も日 常生活における行動の仕方や考え方のなかに反映され ているのである。そして,こうした儒家文化の思想観 念が,中国伝統文化のひとつである太極拳のなかにも 体現されている。

太極拳の身体表現には内面に明確な規定があり,そ れが実際の動作とひとつひとつ対応している。それゆ

え内面と外面とは一心同体で,どちらか一方が欠けれ ば太極拳は成立しない。ところが多くの練習者が目に 見える身体動作ばかりを重視し,内在する規律や規定 に注意をはらわない。あるいは,根本的に内面の規定 性を知らないがために,実際の動作のなかで正しい表 現ができないということも考えられるだろう。このよ うに明確な意識を持たないまま練習を続けていくとす るならば,健康を追求した初志さえ薄れ,さらに深刻 なことには,練習の方法によっては健康とは正反対の 方向へと進んでしまうことさえ考えられるのである。

儒家思想と太極拳との関係については,現行の研究 では,倫理面や道徳面での関係性を検討するものがほ とんどで,儒家思想の具体的な観念と太極拳との関係 を研究するものは少ない。『試論中国古代儒道哲学思想 の太極拳への影響』4),『論太極拳と儒家文化』5),『浅析 太極拳の中庸の道』6),『儒家思想:太極拳理論の基因系 譜』7)などもほとんどが理論面の検討に留まっており,

実際の動作との関係性を分析,検討するものは極めて 少ない。太極拳は言葉で語るものではなく,身体動作 を通じて表現するもので,これが重要な要素であると 考える。そこで本論文では,儒家思想のなかの「中」

の観念を取り上げ,太極拳動作との関係について検討 を試みる。はじめに儒家思想が中国人の思惟習慣や行 動様式に及ぼした影響を改めて確認し,その上で,太 極拳の動作のなかに取り入れられた「中」について分 析する。そして儒家思想の「中」と太極拳動作の「中」

との関係を掘り下げて分析,検討することによって,

理論面だけでなく,実際の動作とのより直接的な関係 を明らかにしていく。

2.儒家思想について 1)儒家の概念

(1)「儒」について

儒家とは何かを知るためには,まず「儒」という文 字の持つ意味を理解しておきたい。「儒」という文字に は古くから諸説があって,その起源も「濡」,「柔」,

「需」など様々な解釈がある。中国古典の『周礼』で は,「濡(水がものを潤すように徳化が湿潤する)」の 意味から,「儒とはすなわち子弟を教育する人物であ る」とし,中国東漢の文字学者,許慎(58頃–147頃)

は,その著書『説文解字』のなかで「儒とは柔なり。

術師の称号」と説明している。同じく「柔」の説をと るのが近代文学者の胡適(1891–1962)で,『説儒』の なかで「儒とは殷代の服装をして殷代の礼を行い,亡 国の民として柔弱な人生観を持っていた者」と説いた。

また「需」は元々「雨+而(ひげ)」の会意文字で,水 に濡れて柔らかいひげを示すことから,あごひげを もった老人のことと考えられ,「人+需=しっとりとし

(3)

て柔和な人,文物に携わる穏やかな人」というイメー ジにつながったようだ8)

「儒」の意味は時代とともに変化するが,古くは許慎 や胡適が言うように儀礼をとり行う術師,とくに人間 にとっての最大関心事,生死に関わるシャーマンで あったと考えられている9)。やがて殷王朝が滅び,周 王朝も没落を始めた紀元前7世紀頃になると,皇族と ともにその教師たちも民間に下ることとなり,知識を 生かして冠婚葬祭儀礼を生業とするようになった。こ れらの人々も「儒」と呼ばれていたという10)

(2)孔子と儒家について

孔子は紀元前551年,魯国(現山東省南部)の出身。

その生涯については中国最古の歴史典籍『史記』第 四十七章『孔子世家』に記されている。祖先は商王朝 の後裔だが,政治動乱があり,孔子が生まれる以前に 貴族の身分は失われていたため貧しい家庭に育った。

長じて政府の職に就き,45歳までに高い地位に上りつ めたものの,政局の混乱によって退職を強いられた。

その後は理想の政治と社会改革の実現を目指して 13年間にわたり各地を巡り歩いたが,ついには理想を 実現できないまま魯国に戻り,紀元前479年に死去し た。

この間に教師として大勢の生徒を持ったことでも知 られ,弟子の数は三千人,そのうち72人は有名な賢人 であったと伝えられている。この数字にはいくらか誇 張もあるかもしれないが,同時に,その影響力の大き さを物語るものとも言える。多くの学生たちと交わり ながら自らの思想や考え方を丹念に伝え,それが大勢 に支持されて,後に儒家学派を確立することになる。

孔子が授業や日常生活のなかで語った言葉を弟子たち が集めて編纂したものが,その言論集『論語』であ る11)

様々な儀礼に通じていたとされる「儒」のなかでも,

とくに六経に精通した人々は「儒生」と称され,孔子 もそのひとりだった。六経とは『詩』,『書』,『礼』,

『楽』,『易経』,『春秋』という6冊の古典文献のこと で,儒家の経典のなかでも最も尊重されたもの12)。『楽』

は秦の始皇帝による焚書で失伝したが,残りの5冊は その後も綿々と伝承され,漢代になると四書(『大学』,

『中庸』,『論語』,『孟子』)と並んで四書五経と称され ようになった13)

六経の作者については様々な見方があり,すべてを 孔子が著したとする説や,『春秋』は著述,『詩』と

『書』は編纂,『礼』は改訂,『易経』は注釈という説な どが語り継がれてきた。しかし孔子が六経を著したか どうかにかかわらず,それらが儒家の経典に採用され,

今日に至るまで継承されている事実は,孔子の存在と 決して無関係ではない。近代哲学者の馮友蘭によれば,

孔子は学生たちを国家や社会を背負って立つ人間に育 てるために,六経という古代の文化遺産を伝授するこ とを自らの任務とした。また著名な学者の林語堂も,

六経は孔子以前にすでに存在しており,孔子が編纂と 校訂を行って学生や後世の人々に伝えたと考えてい る14)

孔子は事実に詳しい単なる知識家,文献家ではなく,

その事実の持つ意味を考えた人であった15)。そのため 古代の教えをそのまま伝授するのではなく,自分なり の解釈を加えて新しい考え方を吹き込んだ。孔子の弟 子たちもまた師の方法に学び,経書を教授する時には 自らの思想や見解を取り入れていった。ここが,孔子 が一般的「儒生」たちと異なっていた部分で,これに よって孔子は,後にひとつの学派の創始者となり得た のである。

しかし孔子の時代に儒家学派の名前はなく,孔子の 没後,墨子16)の集団が勢力をもつに至って,墨子学派 のほうから儒家学派に対して「儒」と呼ぶようになっ たようだ。一般的に学派の名称などは自分から称する よりも,他から名付けられるものである。「儒」という ものは相当古くから存在していたが,孔子学派の人々 がその教えを伝承していることを自他ともに認め,孟 子(前372–298)17)の頃には学派の名として成立し ていたと考えられる18)。彼らは六経に精通した専門家 であったことから「儒家」と呼ばれるようになり,後 世の歴史家,劉韻(前46–23)は儒家について,「六 経に遊び,仁義に心をくだいた人々」と表現した19)

2)中国伝統文化における儒家の位置づけ

中国伝統文化の三大支柱と言えば儒家,道家,釋家 である。そのなかでも儒家文化は非常に重要な地位に あり,核心的部分を占めている。中国の文化がこのよ うな構造になったのは秦代から漢代にかけてのこと で,それ以前は儒家,道家,墨家が三本柱であったが,

インドから釋家が伝わり,長い時間をかけて中国の文 化と融合して中国伝統文化のひとつとなった20)

しかし秦漢以前の歴史を見れば,その限りではない。

春秋戦国時代には様々な思想が生まれ,多くの理論学 説が確立されて諸子百家などと称された。儒家も当時 は,そのなかのひとつの学派に過ぎなかったが,上古 時代(殷代から漢代にかけて)から伝わる重要な文献,

六経を長きにわたって伝承しながら,ひとつの学説流 派を確立していった。秦代初期には孔子,孟子,荀子

(前298–238頃)21)をはじめ多くの有名な儒者が出現。

伝承の過程で他と代え難いものにまで発展させ,中国 伝統文化における儒家の地位をますます堅固なものと していく。

秦王朝が滅び,漢王朝に代わると,漢は秦がつくっ

(4)

た中央集権国家を受け継ぎ,修正していく過程で,儒 家学説を国家官僚の正統的思想として掲げるようにな る。ここで重要な役割を担ったのが儒者の董仲舒(前

179–104)で,諸子百家を排斥して儒家を尊重。そ

して前漢武帝の時代には五経博士という官職が置かれ るようになり,後に官僚選抜方法も変更された22)。以 前は貴族や富裕層から推挙されていたが,これを改め て,政府の主導により知識人なら誰でも参加できる統 一試験を行い,その評価基準を儒家思想とした。こう して政治制度上も儒家思想による統治を確保しようと したのである23)

物事には反動がつきもので,魏・晋時代には玄学が,

東晋から隨・唐時代には仏教と道教が興隆。儒家思想 は低迷し,道家,法家,墨家などがそれなりの影響力 を持った時期もあった。しかし董仲舒が建言した政治 制度はその後も連綿と続き,おもに統治階級のあいだ に深く浸透していく。そして約600年を経た後に科挙 制度が正式に発足し,儒家思想が再び国家指定の官学 として認められるようになったのである。そして 1313年からは宋代を代表する儒学者,朱熹(1130–

1200)24)が著した『四書集注』が政府指定の科挙試験の 基準とされるようになり,知識人たちはみなその文章 に没頭した。それからさらに明,清を経た後の1905 年,儒家思想を国家の正統的思想とする制度は清朝政 府によって廃止された25)。董仲舒以来,実に二千年以 上にわたり,儒家思想が国家の政治体制をリードした ことになる。

儒家思想はある時期,挫折を経験したが,他の多く の学派とは比較にならないほどの長きにわたって主導 的地位を維持していたことは明らかだ。儒家文化は封 建時代の政治,経済,文化など多くの領域の発展を支 えてきただけでなく,その抗いがたい浸透力と同化力 とによって,他の流派や,儒家文化を信じない少数民 族たちにも影響を及ぼした。そして程度こそ異なるも のの,総じて儒家的色彩を帯びるまでになっていた。

その意味では百家争鳴が中国文化の多様性を作り出 し,儒家文化の主導的地位が中国文明の一体性を作り 上げたと言うこともできるだろう。世界への影響とい う観点でも,中国伝統文化における儒家思想の地位は 非常に重要である26)

3.「中」の概念について 1)「中」という文字の本来

「中」はもともと,一本の棒線を引いてその中央部に 円形を描いた象形文字で,両端のどちらにも偏らない,

真ん中の意味を表した27)。また文字学者の許慎は,『説 文解字』のなかで「中とは内なり」28)と説明している。

つまり「中」とは内側という意味で,そこにはある程

度の,少なくともふたつ以上の点で結ばれた何らかの 範囲があることがわかる。象形的には「口」部の内側 と考えればわかりやすく,その範囲内にある一点,あ るいは一部分がすべて「中」とされる。

逆に「口」部の外側は「中」の範疇を超えた「極端」

であると言える。物事には空間的,時間的,その他様々 な観点で両端が存在するが,その両方の端を取り除い た真ん中の部分には,極端でないほど良さが残される。

このほど良さを中国ではしばしば中庸ということばで 表す。

2)儒家思想における「中」

儒家思想における「中」の概念は,儒家の様々な経 典のなかに散見されるが,なかでも四書のひとつ『中 庸』は,「中」の意味を詳しく論述している。『中庸』

の第一章には「喜怒哀楽之未発,謂之中。発而皆中節

…,中也者,天下之大本也…(喜怒哀楽の未だ発せざ る,これを中と謂う。発して皆な節に中る…,中なる 者は天下の大本なり…)」29)とあり,人の感情が表現さ れる前の,心理的に行き過ぎず不足もしない状態を

「中」と言い,人の感情があふれ出た後も,それを過不 足なく保つことを「中」と言うとしている。このこと から思い出されるのが『論語』のなかの有名なことば,

「過猶不及(過ぎたるは猶及ばざるが如し)」であろう。

このなかには「過」と「不及」というふたつの要素が あるが,行き過ぎることは及ばないことと同じように 不完全というわけである。どちらも理想的な状態では なく,儒家ではこのふたつの現象を防止するべきだと している。では,最も理想的な状態とは何か?その答 えが中庸である。つまり行き過ぎず,足りないのでも ない,どちらにも偏らない状態が求められる。

「中」と言えば物事のちょうど真ん中の一点であると 思われがちだが,決してそうではない。「中」とは固定 された一点というような窮屈なものではなく,それぞ れの条件下の「適当なところ」,「分相応なところ」を すべて含んでいる30)。これは「ほどの良さ」というよ うなもので,古代ギリシャでも同じような観念があっ 図1「中」の文字の成り立ち。(金谷治著:『中国思想を考え る―未来を開く伝統』,中央公論社,1993年版より)

(5)

たという。有名な哲学者アリストテレスも,二と十の 真ん中は六とは限らず,五でもよいし七でもよいと いった融通の幅があると考えた。こうしたおおらかさ はヨーロッパのその後の思想では批判され消えていっ たが,古代ギリシャでは中国の古代思想と似たところ もあったことは興味深い。また儒学者のひとり,孟子 はこのことについて,天秤を例にして「権」というこ とばで説明している。「権」とは分銅のことで,量るも のが重ければ分銅を端のほうに遠ざけ,軽ければ分銅 を真ん中へ寄せてつり合いをとる。この場合は重さに 応じて分銅が左右に動くわけで,これを融通性として 表わした。「中」には融通性が必要で,もしもそれがな ければ,一点を守ることになり,一点に執着して百事 を廃することになるというのである31)

このように儒家では,多過ぎず少な過ぎず,という あいまいなほど良さを理想としているが,人間の本来 の性質は,行き過ぎる傾向の強いものである。そこで

「中」の思想を取り入れることによって,感情や欲望を ある程度のところでコントロールし,ある程度のとこ ろで満足できるようにしようとする。感情がちょうど 良い程度に表現される状態は心のバランスがとれてい ることを意味し,精神の健康のためにも役立つ。また 社会全体を考えてみても同じことが言え,社会を構成 するひとりひとりが適度なところで満足感を得ること ができれば,その社会は安定して調和のとれたものと なるだろう。これがつまり,儒家における「中」の思 想である32)

3)「中」の概念の延長

「中」は両端のちょうど真ん中だけではなく,その周 辺を含んだ幅のあるものである。しかもそこに留まり 続けるのではなく,常に活き活きと変化し続ける。し かしこの融通性こそが,中庸の難しさでもある。二と 十との真ん中の六を守ることは,むしろ容易いが,「お およその中」や「ほど良い中」はあいまいでとらえに くい。状況の推移に適切に対応していくことは簡単で はない33)

事物の「ちょうど良い」状態は単純ではなく,数字 で表せるような決まりきったものではない。それは人 によって異なり,時間によって異なり,場所によって 異なり,様々な要素が作用し合って決まる。たとえば ふたりの人間がともに食事をするとき,甲はいつも一 膳,乙はいつも二膳食べる。このごはんの量は,甲,

乙それぞれにとって「ちょうど良い」ものであるから,

もしも甲が二膳,乙が三膳食べれば,いずれも自分に とっての適切な量を超えて「過」の状態になる。逆に 甲が半膳,乙が一膳なら「不及」である。また時間と の関係も重要である。『中庸』に「君子之中庸也,君子

而時中(君子の中庸は,君子にして時に中すればな り)」34)ということばがあるが,このなかの「時中」と はすなわち,その時その時にぴったりと当てはまる

「中」を意味している35)。たとえば冬に革のコートを着 るのは適切だが,夏に同じことをすれば笑いものにな る。時間軸と行動方式とがちょうどつり合っているこ とが重要視され,そのためしばしば「時」と「中」と が関連付けて考えられる。

人,時間,場所など多くの条件が重なりあって,「中」

は様々に変化する。そのなかで,ちょうどぴったりす るところが常に求められている。現実世界は絶えず動 いているが,そうした変化のなかでも自分の立場を自 覚し,その時々の「中」を守っていかなければならな い。変わり続ける環境のなかで自分だけが立場を固定 して動かなければ,いつしか真ん中が真ん中でなく なってしまうからである。

このように「中」は,他の要素との関係によって変 化する相対的なものと言える。判断基準はひとつでは ないから,一点に固定することはない。だからこそ,

両端の「ちょうどよい中」を守っていくためには柔軟 な融通性が必要になるのである36)

4.太極拳における「中」

1)「中」を意識すること

太極拳の基本姿勢は,脊椎をまっすぐに立てた「立 身中正」である。この原則から離れれば,身体は前傾 したり後傾したり,あるいは左右いずれかに傾いたり と,偏った形状になってしまう。このような外形上の 偏りを避けて「中」を保つためには,まず意識のなか で調整することが求められる。

太極拳の特徴のなかでも最も重要な概念のひとつ が,「用意不用力(意識を用いて力を用いず)」37)。つま り力ではなく意識が重視されている。動作を行う際に は,まず初めに意識が動き出し,そのあとから実際に 身体を使った外面上の表現につながっていく。太極拳 以外の身体運動でも当然,意識は重視されるが,太極 拳におけるそれは他とは比較できないほど精密で高度 なものと言える。一般に,練習初期には意識活動が活 発であるが,動作に熟練するにつれて無意識的に動く ようになってくる。例えば自転車をこぎながらおしゃ べりするなど,他の事を考えながら動作を継続する事 さえ可能になる。しかし太極拳では,時々刻々,ひと つひとつの動きに常に意識を巡らさなければならず,

一瞬たりとも止まったり途切れたりすることはない。

外面に現れている身体動作は瞬間的に止まることもあ るが,意識のほうは決して途切れることがなく,「勁断 意不断(力が途切れても意識は途切れない)」38)という ことが要求される。そのため,どんなに動作に習熟し

(6)

たとしても無意識に動くことはなく,常に意識を用い る必要がある。

この意識活動と身体動作の間には時間的関係があっ て,常に先に意識が起こり,次に動作が導かれる。こ のことについて清代の太極拳家,武禹襄(1812–1880)

は,「始而意動,既而勁動(初めに意識が動き,次に勁 力が動く)」39),「先在心,後在身(先に心,後に身体)」40)

「意気君来骨肉臣(意識が君子,骨肉が臣民)」41)など の言葉を残している。こうした時間的概念は,我々が 通常考えているようなものとは異なっていて,技術が 高くなるにつれて,元々非常に短い一瞬がさらに短く なり,ついには意識と動作がほぼ同時に起こるように なる。ふたつがまるでひとつになり,「意即是動(意識 すなわち動)」,あるいは「動即是意(動すなわち意識)」

の状態に到達する。これが心身双修とも言うべき,心 と身体とが高度に一体となった理想的な状態で,ここ までくれば「意」の働きが直接,「動」の結果を導き出 すこととなる。

伝統的儒家の概念では,「正心誠意」ということが人 間の修練の道であるとされ,正しい行動は正しい意識 から生まれると考えられている。太極拳同様,意識を 用いて「正」を導き出すのである。「正心」は感情や欲 望の偏向を抑えて真っ直ぐであることを教えるもの で,「身有所忿憤,則不得其正,有所恐懼,則不得其 正,有所好楽,則不得其正,有所憂患,則不得其正(身 に忿懥するところ有るときは,則ちその正を得ず,恐 懼するところ有るときは,則ちその正を得ず,好楽す るところ有るときは,則ちその正を得ず,憂患すると ころ有るときは,則ちその正を得ず)」42)などの言葉で 表現されている。人間としてこれらの感情から逃れる ことは簡単ではないが,不正な感情や欲望を防止し克 服するよう努めることが要求されている。また「誠意」

の意味するところは,自分を欺かず,雑念を起こさず 慎むことで,他人の前だけでなく,自分ひとりの時も 同じ状態でいることが求められる。「此謂誠於中,形於 外(此れを中に誠なれば外に形わると謂う)」,「故君子 必慎其独也(故に君子は必ずその独を慎むなり)」43)の ことばが示すように,内面から外面まで終始一貫し,

「慎独(独りを慎むこと)」によって理想的な道徳心と その動機づけを養うことに重きが置かれる。

このような「正」を実現するために,儒家の思想は 具体的な方法を教えている。それが前記した「喜怒哀 楽之未発,謂之中」である。すなわち自らの感情を意 識的にコントロールして,不足や過多を避けて「ほど 良い中」を保つ。求められているのは常に,偏りのな いちょうど良いところというわけである。

太極拳でも,この「ちょうど良い」ところを時々 刻々,追求してゆく。行き過ぎれば自らバランスを崩

し,引き過ぎれば抑え込まれてしまうからだ。そして このことは心の内面でも同じことが言え,強気になり すぎれば見透かされ,弱気になりすぎればつけ込まれ て決して良い結果は生まれない。そのため心も身体も 両極端を避けて「中」を追求しようと努力する。こう した「中」の観念は儒家思想と太極拳とに共通して内 在するもので,太極拳ではそれを意識で導き,身体で 表現し,有形のものとすることができるのである。

2)「中」の確定性―「立身中正」

中国武術理論のなかには様々な「中」の概念があり,

拳術の種類によってもその意味は異なっている。例え ば形意拳で要求される「直中」は,手,眼,身,脚な どがすべて攻撃目標の中心に向かっていて,最短距離 を直接的に打つことで素早く勝利を勝ち取るための

「中」である。これに対して八卦掌では「中空」を重要 な理論としており,円を描くような方法で相手に近づ き目的を達成する。では太極拳ではどうかと言えば,

太極拳の動作や形状に求められる「中」は「定中」と いう語を使って定義されている。これは身体の下肢で 安定した土台を作り,上半身は脊椎を中心軸として動 きをコントロールすることを目的とした「中」である。

太極拳の外面的形状には「立身中正」が求められる。

字面を見ればその意味は容易に理解できるだろう。つ まり身体を端正に,そして真ん中に直立させる。その ためには身体の中心を貫く椎骨が,非常に重要な役割 を担うことになる。太極拳家の楊澄甫(1883–1936)の 手による『太極拳説十要』44)にも虚霊頂勁,含胸抜背,

松腰などの脊椎に関連する要求が書かれている。

椎骨はその位置により尾椎,腰椎,胸椎,頚椎の4つ の部分に分けられ,そのひとつひとつに対して具体的 な要求がある。それぞれ「尾閭中正(尾椎に対する要 求)」,「松腰活胯(腰椎に対する要求)」,「含胸抜背(胸 椎に対する要求)」,「虚霊頂勁(頚椎に対する要求)」

などと呼ばれ,そのすべてを満たすことによって身体 全体としては,上体を自然に直立させて上方へ引き上 げながら,同時に下方へ沈ませるような姿勢となる。

以下にその4つについて説明する。

尾閭中正:尾閭とは椎骨の最下端部のことで,一般 に尾骨と呼ばれるもの。尾骨は股関節と連動して,前 後左右の動きや平面的な旋回運動を可能にする。股関 節は上半身と下半身とを連結しており,その位置の変 化が上体の基本姿勢に直接的に影響することになる。

たとえば尾骨が前方へ押し出されると上体は後方へ傾 斜し,尾骨が後方へ突き出されると上体は前方へと傾 斜する。当然ながら,これが左右へと行き過ぎれば上 体を直立させることは不可能だ。それゆえ太極拳では,

尾骨部分を緩めて自然に下垂させることで,前や後ろ

(7)

に突き出したり左右に偏ったりすることを避け,正中 の位置を保持しようとする。まさに「立身中正」を形 成するための重要な要素である。

松腰活胯:太極拳の動作のなかで腰部に要求される のは「松活」である。すなわち柔らかく緩められてい ながら(松)機敏に動く(活)状態でなければならな い。腰部は身体の中心にあって上半身と下半身とを調 和させるかなめとなるため,動作のなかでも非常に重 要な役割を担う。太極拳動作の原則に「上下相随(上 下を相合わせ)」,「完整一致(全身をぴったり一致させ ること)」などがあるが,これを実現するには腰部への 要求が不可欠で,武禹襄の『十三勢説略』では,「其根 在脚,発於腿,主宰於腰,形於手指。由脚而腿,而腰,

総須完整一気(力は足を根として腿に発し,腰を主宰 とし,形は手の指にて現れる。足から腿へ,腿から腰 へとすべてを一気に発する)」45)と説明されている。腰 が主宰となって手足を動かすのであるから,もしも腰 の柔軟な転換作用がなければ上半身と下半身とを連動 させることができず,太極拳の原則を実現することは できなくなる。

含胸抜背:胸椎と肋骨,胸骨などで胸郭が構成され,

内部の臓器はみな胸椎にぶらさげられている。これに よって上体は自然に前傾しているが,年齢を重ねると 筋力の低下などから前傾傾向がさらに強くなり,腰や 背が曲がって猫背の状態になりやすい。そこで太極拳 では「抜背」,つまり胸椎を上方へと引き上げるように して真っ直ぐに伸ばすことを要求する。こうすること で身体に対しては3つの効用があり,1)身体の重さを 支えて調節する。2)腰部と連動して四肢の運動を促 し,太極拳動作の基本のひとつである「一動無有不動

(ひとつ動けば動かないところはないこと)」を可能に する。3)身体の姿勢を保って正確な動作を導き出し,

「中正不偏(中正して偏らない)」を実現する46)。 虚霊頂勁:頚椎は脊椎の最上部で頭部とつながって いて,頚椎の状態が直接的に頭部の状態に影響する。

頚椎が力なく緩んでいれば,頭部は前後左右へとぐら ぐらと動いて正しい位置を保つことができず,「中正」

姿勢を作ることができない。逆に力が入りすぎている と,頭部は固まってスムースな動きができなくなって しまう。そこで,太極拳で要求されるのが「虚霊頂勁」

で,頚椎を軽く上方へ引き起こして頭頂部の百会を上 方へ引き上げるようにする。

脊椎の4つの部分は互いにつながっていて,それぞ れ影響し合う。尾椎とその上方に位置する腰椎とが連 動して身体の土台を作り,さらに上半身へとつなげて いく。この際,腰椎は尾椎を下方へとゆるやかに沈め る役割をするが,ふたつの部分の関係は絶対的に固定 されたものではなく,自由な動きのなかで調節,転換

を行うことができる相対的固定の状態にある。これは 腰椎と胸椎,胸椎と頚椎との関係も同様で,「中正」を 目的としてそれぞれ機敏に動きながら,互いに作用し 合っている。

以上の4つの要求を忠実に守れば,胸椎と頚椎は頭 部とともに全体に上方へ引き上げるような意識とな り,その一方で腰椎と尾椎は下方へ沈めるような意識 になる。こうした上方と下方への相反する作用によっ て,脊柱は真っ直ぐに引っ張られることになり,「立身 中正」の基本姿勢を実現する。歴代の有名な太極拳家 たちはみな,この「立身中正」の手本として知られて おり,なかでも楊露禅(1799–1872)の師匠の陳長興

(1771–1853)は,座っても,立っても,動いても,拳 術練習をしても,推手をしても,その身体は「中正不 偏」を保っていたと言われ,当時の人々は彼を「牌位 大王(位牌のように真っ直ぐに立つ大王)」と呼んだと いう47)

日常生活においても,人間はできるだけ正しい姿勢 を保とうとするものだが,身体の中正を実現するため には,脊椎の中心軸に加えて,そこから左右対称に伸 ばした位置にある右肩と左肩,右手と左手,右脚と左 脚,さらには鼻梁を中心軸とした右眼と左眼,右耳と 左耳などにも留意する必要がある。つまり脊椎の縦軸 に対して,左右対称に位置する各部は垂直関係にあり,

また地面とは平行関係になっていなければならない。

脊椎の縦軸と左右の各部が形成する横軸とが同時に作 用することで確かな「中正」が完成し,その上で脊椎 を軽く引き上げて頭部を真ん中に乗せれば,「挺立不倒

(真っ直ぐに立って傾かない)」と言えるような自然で 端正な姿勢となる。

宋代の儒学者,朱熹は,『四書集注』のなかで「中 庸」について次のような解釈を行っている。「中者,不 偏不倚,無過不及之名。庸者,平常也(中とは偏らな 図2 立身中正図。(魏樹人著:『楊式太極拳術述真』,人民体

育出版社,1999年版より)

(8)

いで過不及のないこと。庸とは平常のこと)」48)。この 哲学的中庸を,太極拳における動作や相手との攻防に 応用することができる。太極拳を行う時にも,常に「守 中求正(中を守って,正を求める)」を意識し,外部か らの影響にかかわらず自らのバランスを維持し,相手 との関係では独りよがりにならず適切に保つことを求 められるからだ49)。儒家の言うところの「不偏不倚」

はまた,身体形状についても同様の要求をする。「偏」

は甚だしさや偏りによって「中」を失った状態,「倚」

は他に依頼して「正」を失った状態とされ,これらを 避けて身体の中正を保つことで,中庸の道を遵守する ことができると考えられている。太極拳では,これを 直接的に表現する。身体が「不偏不倚」を維持して初 めて重心を安定させることができ,自主独立し,自由 で主導的な動きが可能となる。これは前記した「虚霊 頂勁」,「含胸拔背」,「松腰活胯」,「尾閭中正」などの 要求によって導き出される結果である50)

上記のように,儒家の理念や行動規範は,自己意識 を正しく整えて常に「中正不偏」の状態を維持するこ とによって人間としての理想を実現しようとするもの である。それは身体形状についても同様で,背筋を伸 ばし,襟を正し,正々堂々としている。太極拳はこの 意味において,内面の意識も外面の形状も,儒家の

「中」の理念と合致している。

3)「中」の不確定性―「無過不及」

儒家の「中」の概念は,対称的な両端のちょうど真 ん中の一点だけを意味するわけではなく,多くの場合 はある程度余裕を持った範囲を指す。中国人がよく口 にする「左右」という言葉が表すように,中間点を基 準に,その前後も含めて一定程度の広がりを持ってい る。太極拳の「中」も,脊椎だけに固定された「中」

ではなく,一定程度の範囲を持った柔軟的な「中」で ある。つまり「中」には範囲があり,これを中国語で は「度」と表現する。

太極拳はひとりで行う動作においても,またふたり で行う推手においても,柔軟性のある「中」が求めら れる。その基本概念は,心理的に貪らず惜しまず,態 度はへりくだらず高ぶらず,力は偏らず傾かず,動作 上は行き過ぎず不足せず,時間的には先んず遅れず,

相手との関係においては逃さずぶつかり合わずという もので,動作や力の限界に十分に注意して,自分にとっ て最も適切なところを把握して維持する。そして自ら の限界ぎりぎりまでは進むが,それを超えないように することが重要である。陳鑫(1849–1929)はこのこと について「拳各有界,彼引我進,我只可進至吾界辺,

不可再進,再進則失勢(拳術動作には限度があり,敵 に誘われたとしても,自らの限度内でのみ攻め,それ

以上に進んではいけない,行き過ぎれば失う)」51)とい う言葉を残しており,それは退却の理論についても同 様である52)

また太極拳理論のなかに「無過不及,随曲就伸」53)と いう名言がある。この「無過不及(行き過ぎることも 不足することもない)」がまさに柔軟的「中」を求める ことで,『論語』のなかの「過猶不及」に通ずる。この 言葉は,まず「中」があって次に「過」と「不及」が あると解釈され,仮説的な「中」を基準として「過」

と「不及」が判断される。基準を超えるものは「不中」

とされて「過」と呼ばれ,逆に基準に満たないものも

「不中」として「不及」と呼ばれる54)。逆に言えば過多 と不足の間に入っていれば良いということで,だから こそ「中」には一定の幅があり,融通の効くものになっ ている。そしてこのような「中」は状況変化に柔軟に 対応し(随曲就伸),いつでも調整を加えながら,それ でいて常に「度」を維持している。

太極拳の動作は水の流れのようにスムースで留まる ことがない。しかしひとつひとつの動作をとって見れ ば,動きのなかにも,動作が完成した瞬間の「定式」

と言われる状態があって,すべての動作に始まる場所 と終わる場所とがある。その上で,「式式相連」と言っ て,動作と動作を途切れることなくつなげていかなけ ればならず,前の動作が完成したところが,そのまま 次の動作の始まりとなり,終わりと始まりが重なって くる。このようにいくつかの動作をつなげていきなが ら,まるでひとつの動きのようにスムースに行うため には,前の動作をどこで,どのような状態で完成させ るかが重要な鍵となる。そしてここでも「ちょうど良 さ」が要求される。前の動作をちょうど良い状態で終 わらせることができて初めて,次の動作を理想的な形 で始めることができるからである。

ここで太極拳の基本歩型,「弓歩」を例にあげて,動 作のなかで保持される「中」について説明する。弓歩 とは,前脚の膝を曲げて前方へ弓のように引き,同時 に後脚を自然に伸ばして出来上がった歩型のことであ る。両膝を軽く曲げてから一方の脚を前方へ踏み出し,

かかとが地面に着いたあとに重心を後ろ脚から前脚へ と自然に平行移動していく。

重要なのは,重心を前方へ移す過程で前脚の膝をほ ど良いところまで曲げていくところである。つまり前 脚の「中」がどこにあるかを探していくのである。正 しい弓歩を作ることによって上体をしっかり支えて全 身のバランスを保ち,さらには,それと同時に腰と脚 から力を発することができる。外形と力とがぴったり と合うところが,前脚の膝の曲げ具合のちょうど良い ところで,これらすべてが揃って全身の動作が完成す る。

(9)

太極拳研究家の唐豪と顧留馨は,その共著,『太極拳 研究』のなかで膝を曲げる程度について次のように説 明している55)

前足に重心を移して安定させた時,膝頭はつま先 の垂直線上を超えてはならず,すねが垂直になる手 前で止まってはいけない。このようにすれば身体の バランスを失うことはなく,次の動作に移る際にも 不利な影響を与えることはない。それゆえ前脚は常 に,膝頭が垂直線を超え,しかしながらつま先を超 えないところで保たなければならない。

以上のように,弓歩の前脚の膝を曲げる度合いは,

かかとの垂直線上からつま先の垂直線上までの間であ る。この範囲内であれば身体のバランスが保たれて,

次の動作へ移る際も機敏に反応できる。これが弓歩に おける前脚の曲げ具合のちょうど良い程度ということ になり,決してかかとやつま先といった両極端の固定 点ではない。両者の間に入っていることが重要で,そ の範囲内のどの一点も「中」となる。「過」と「不及」

をこのように判断すれば,膝がつま先を超えれば「過」

になり,すねが垂直線に届かない状態は「不及」とな る。当然ながら,この基準はひとりひとりの体型や練 習レベルによっても変わってくる。

このようなある程度の余裕が設けられているため に,太極拳は実際の動作のなかで十分な適応性と融通 性とを表現することができる。「無過不及」とは,行き 過ぎたり足りなかったりという甚だしさがないという 意味で,身体を運用する際にもこのような「中」を求 めていくことが重視される。『論語』の「過猶不及」と いうことばにおいても,「過」と「不及」はいずれも

「中」の範囲をはみ出した,陰陽のバランスが失われた 状態であるとされている。ものごとはすべて一定の

「度」を遵守して行われるべきで,儒家のこの概念が,

太極拳の実際の動きに直接的に反映されていると言え る。そして運動時に時々刻々,「度」を把握しながら,

ちょうど良い状態を求めていくことが重要である。

5.まとめと結語

儒家思想は中国伝統文化の代表として,数千年にわ たり中国人に影響を与え,ひとりひとりの骨の髄まで 浸透している。その中心的観念は人としてどうあるべ きかを説くもので,それゆえ教育が非常に重視される。

そして,まず理想的な人間像を思い描き,そこに近づ くべく努力するうちに,それが日常生活に自然に表れ るようなり,やがてはその人物の気質となっていくと 考えられている。

「父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有 信」56)ということばはその観念を代表する。儒家では,

人は社会や国家にとって有用な存在であるべきだと教 えていて,そのためにはこれらの行動を,公衆の面前 であろうと自分ひとりでいる時であろうと同じように 行わなければならない。これが前述した「慎独(独り を慎む)」である。「慎独」ができていれば心に偽りが なく,当然,行動もきわめて自然である。だからこそ 儒者たちは常に正々堂々としていて,まさに天を支え る柱のように国家や民族を背負って立つ責任感で溢れ ている。その真心は日常のなかで散漫になったり流さ れたりすることはなく,常に襟を正して端座し,中正 して偏らない。

中国は伝統的な農業国家である。とくに古代におい ては,生産労働が人々の生活と密接に結びついており,

ものごとに対する認識は現代科学のようにはっきりと 割り切れるものではなかった。できることと言えば,

現行の事実を把握し,次の機会に役立てるというよう なことだけ。そのなかでは,ある基準を設けてそれと の差異を知り,できる限り完璧なものに近付けていく しかなく,具体的で細かい数字や数量による表現より も全体的,総合的完成を目指した。

太極拳の動作を説明する際,「右手を頭の上に」,「左 手を股関節のそばに」,「脚は自然に一歩前へ」などと 表現される。科学的観点を用いるならもっと具体的な ものとなるはずで,このようにあいまいな表現はあり 得ない。少なくとも何らかの数値が示されてこそ理解 が容易になるものだろう。たとえば,手を股関節から 何センチのところにとか,地面から何センチの高さと かいったことである。

しかしこうしたあいまいさこそが,中国ならではの 表現と言える。ここに具体的な数値は示されていない 図3  弓歩図。(陳炎林原著,笠尾恭二編訳:『太極拳総合教

程』[原題『太極拳刀剣棹散手合編』],福昌堂,2002年 出版より)

(10)

が,だからと言って動作に基準がないというわけでは ない。むしろ,このあいまいさの中にこそ,確かな基 準があるのであり,それでいて機械的,画一的になら ず,広い適応性を持ちながら限度を超えることのない 表現が可能となる。

中国伝統文化の特徴のひとつが,ものごとに対する こうした認識である。ものごとの全体像をとらえるこ とが重要で,一点だけを取り上げて議論することはな い。このような方法は,曖昧模糊としてとりとめがな いようだが,実際には内在する本質的規律をしっかり と把握したものである。

儒家の「中」の概念は,常に背筋を正して偏らず,

しかしある程度の柔軟性を持ちながら自ら立つことで ある。太極拳動作はまさにこの考え方を体現するもの で,そこに中国人の人生観まで見えてくると言っても 過言ではない。

6.注および文献

1) 社団法人日本武術太極拳連盟:『太極拳実技テキス ト』,社団法人日本武術太極拳連盟,1993, p. 94 2) 余功保:『太極密码―中国太極拳百題解』,人民体育

出版社,2010, p. 27

3) 李自力:『日中太極拳交流史』,叢文社,2009年,p. 18 4) 高麗:「試論中国古代儒道哲学思想の太極拳への影 響」『搏撃・武術科学』,2008年第11期,pp. 26–28 5) 吉灿忠ら:「論太極拳と儒家文化」―『河南師範大学

学報(自然科学版)』,2006年第3期,pp. 152–153 6) 田文林ら:「浅析太極拳の中庸の道」―『魅力中国』,

200812月,pp. 116–118

7) 常朝陽ら:「儒家思想:太極拳理論の基因系譜」―

『体育科技文献通報』,2008年第12期,pp. 112–114 8) 宇野精一[ほか]編:『儒家思想』,東京大学出版会,

1967, pp. 4–5

9) 加地伸行:『儒教とは何か』,中公新書,1990, p. 16 10) 馮友蘭:『中国哲学簡史』,天津社会科学院出版社,

2005, p. 38

11) 馮友蘭:前掲書,p. 37 12) 馮友蘭:前掲書,p. 37

13) 五経は漢の武帝の時代に作られた称。儒家は本来,六 経を有していたが,『楽』が失伝して五経となった。

またこの頃には『詩』,『書』,『礼』はそれぞれ『詩 経』,『書経』,『礼記』と称されるようになっている。

『詩経』:西周から春秋時代に及ぶ歌謡305編を収録。

孔子の編と伝えるが未詳。『書経』:夏,殷,周の王 者たちの言辞の記録。儒家の理想政治を述べたもの として最も重要な経典。『礼記』:礼についての解説,

理論を述べたもの。儀礼の解説および音楽,政治,学 問における礼の根本精神について述べている。『易 経』:周代の占いの書。後に解釈が加えられ,儒家と 道家が形而上学として尊重するようになった。『春 秋』:紀元前722年から479年の魯国の歴史を記した もの。孔子の編集によると伝えられる。

14) 林語堂:『孔子の知恵』,陜西師範大学出版社,2006, p. 25

15) 加地伸行:前掲書,p. 58

16) 墨子:戦国時代の魯の思想家。生没年未詳。儒家に 学んだが,儒家の仁を差別愛であるとして,無差別 的博愛の兼愛を説き儒家と並び称されるほどの勢力 になった。

17) 孟子:戦国時代の魯の思想家。孔子の思想を継承し,

性善説に基づいた王道政治を説いた。

18) 宇野精一[ほか]編:前掲書,1967, p. 6 19) 馮友蘭:前掲書,p. 37

20) 南懐瑾:『老子他説』,復旦大学出版社,2008, p. 3 21) 荀子:戦国時代の趙の思想家。孟子の性善説に対し

て性悪説を唱え,儒学を倫理学から政治学へ発展さ せた。

22) 加地伸行:前掲書,p. 145 23) 馮友蘭:前掲書,p. 175

24) 朱熹:南宋の儒学者。死後,朱熹が大成させた朱子 学が儒学の正統とされて官学として採用されたた め,四書尊重の風など後世に大きな影響を及ぼした。

25) 馮友蘭:前掲書,pp. 269–270 26) 林語堂:前掲書,pp. 1–4

27) 金谷治:『中国思想を考える―未来を開く伝統』,中 央公論社,1993, p. 134

28) 〔東漢〕許慎:『説文解字』,九州出版社,2001, p. 22 29) 金谷治訳注:『大学・中庸』,岩波文庫,1998, p. 144 30) 馮友蘭:前掲書,p. 156

31) 金谷治:前掲書,p. 136 32) 馮友蘭:前掲書,p. 156

33) 金谷治:前掲書,1993, pp. 137–138 34) 金谷治訳注:前掲書,p. 146 35) 金谷治:前掲書,p. 138 36) 金谷治:前掲書,p. 138

37) 傅鐘文:『楊式太極拳』,人民體育出版社,1994, p. 5 38) 人民体育出版社編:『太極拳全書』,人民体育出版社,

1988, p. 43

39) 武禹襄:「十三勢説略」―『太極拳譜』,人民體育出 版社,1991, p. 49

40) 武禹襄:「太極拳解」―『太極拳譜』,人民體育出版 社,1991, p. 44

41) 武禹襄:「十三勢行功要解」―『太極拳譜』,人民體 育出版社,1991, p. 41

42) 金谷治訳注:前掲書,p. 51 43) 金谷治訳注:前掲書,pp. 39–40

44) 『太極拳十要』:太極拳家の楊澄甫が太極拳の基本要 領について論述した書。初めは陳微明の『太極拳術』

(1925年上海中華書局出版)のなかで発表された。そ の後の半世紀以上にわたり楊式太極拳愛好者の経典 として崇められただけでなく,他の各流派の学者た ちからも普く重視されてきた。その内容は以下のよ うなものである。1,虚霊頂勁 2,含胸抜背 3,松 腰 4,虚実分明 5,沈肩墜肘 6,用意不用力 7,

上下相随 8,内外相合 9,相連不断 10,動中求 静(沈寿:『太極拳文集』,人民體育出版社,2005, p. 29)

45) 武禹襄:「十三勢説略」―『太極拳譜』,人民體育出 版社,1991, p. 49

46) 唐豪,顧留馨:『太極拳研究』,人民体育出版社,1996, p. 36

47) 唐豪,顧留馨:前掲書,p. 61

(11)

48) 〔宋〕朱熹:『四書章句集注』,中華書局,1983, p. 17 49) 阮紀正:『拳以道合』,上海人民出版社,2009, pp. 216–

217

50) 阮紀正:前掲書,p. 221

51) 陳鑫:「太極拳用説」―『太極拳譜』,人民體育出版 社,1991, p. 315

52) 阮紀正:前掲書,p. 133

53) 王宗岳:「太極拳論」―『太極拳譜』,人民體育出版 社,1991, p. 25

54) 張肇平,杜飛虎:『論太極拳』,北京体育大学出版社,

2002, p. 199

55) 唐豪,顧留馨:前掲書,p. 48

56) 焦循:『孟子正義』,中華書局,1987, p. 386

〈連絡先〉

著者名:劉  志

住 所:東京都世田谷区深沢7–1–1

所 属: 日本体育大学大学院博士後期課程スポーツ文化・社 会科学系

E-mailアドレス:09n0009s@nitt ai.ac.jp

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