Author(s)
菊池, 有希
Citation
聖学院大学論叢, 第 26 巻第 1 号, 2013.10 : 252-272
URL
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SEigakuin Repository and academic archiVE原 著 論 文
﹃ ﹀
文 學 界 ﹄ 同 人 の ﹁ 繩 墨 打 破
﹂ 的 バ イ ロ ン 熱
菊 池 有 希 一 、
北 村 透 谷 の 死 と バ イ ロ ン 言 説 の 変 質
北村透谷 が自 宅の 庭で 縊死 した のは
、明 治二 七年 五月 一六 日未 明の
こと であ る。 明治 前期 を代 表す るバ イロ ン熱 罹患 者で あっ た透 谷の 死 は、 日本 にお ける バイ ロン 受容 史の 中で も一 つの 象徴 的な 意味 を持 つ 事件 であ った
。 透谷 が死 んだ 翌月
、明 治二 七年 六月 の雑 誌の 幾つ かは
、透 谷へ の追
抄 録 明治 期を 代表 する バイ ロン 受容 者の 北村 透谷 の死 は﹃ 文學 界﹄ 同人 にバ イロ ン熱 から 脱却 する 機 会を 与え た。 彼ら にと って バイ ロニ ズム とは
、社 会的
・道 徳的
・宗 教的 規範 に反 抗す る﹁ 繩墨 打破
﹂ の精 神の 謂い であ り、 彼ら は恋 愛問 題を めぐ る鬱 屈を 各々 抱え なが ら、
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と し ての バイ ロン に心 酔し てい たわ けで あっ た。 彼ら の﹁ 繩墨 打破
﹂的 バイ ロン 熱は
、透 谷の 思想 的影 響下 に醸 成さ れた もの であ った が、 透谷 のそ れに 較べ て深 刻さ に欠 け、 また 思想 的内 実に も欠 ける もの があ った
。そ れは
、彼 ら自 身打 破す べき 規範 を明 確に 認識 し得 ない でい たこ とに 起因 して い る。 彼ら のこ の甘 い認 識こ そ、 透谷 死後
、自 身の 曖昧 な﹁ 繩墨 打破
﹂的 バイ ロニ ズム を放 棄せ ざる を得 なか った 主要 因な ので あっ た。 キー ワー ド
﹃文 學界
﹄、 バイ ロン
、バ イロ ン熱
、バ イロ ニズ ム、
﹁繩 墨打 破﹂
悼記 事を 掲載 して いる
。バ イロ ンと の関 連で 言え ば、
﹃裏 錦﹄ に掲 載さ れた 機曲 生署 名の
﹁北 村透 谷を 吊す
﹂が
、ま ず注 目さ れる だろ う。 こ の追 悼文 は、 透谷 の死 が透 谷の 厭世 によ るも ので あり
、透 谷の 厭世 は 透谷 の﹁ 眞面 目﹂ によ るも のだ
、と 同情 的に 論じ た上 で、
﹁世 にバ イロ ンの 狂暴 を嘲 罵し て、 而し て彼 が滿 身の 赤心 を知 らざ るも のあ り、 かゝ る人 々に 向ふ て君 の一 生を 説く とも
、何 の感 ずる とこ ろも なか るべ し﹂() と書 いて いる
。こ こで は、 バイ ロン の﹁ 滿身 の赤 心﹂ に思 いを 致
1
すこ とが でき ない よう な人 間に は透 谷の
﹁滿 身の 赤心
﹂に 対し ても 正 しく 思い を致 すこ とな どで きな い、 とい うか たち で、 バイ ロン の内 面 と透 谷の それ とを 重ね あわ せて 論じ てい るこ とが 注意 を引 く。 これ は 明ら かに 生前 の透 谷の バイ ロン への 偏愛 ぶり を偲 んだ 言で あり
、こ の 文章 の書 き手 は、 バイ ロン の内 面の 誠実 と透 谷の それ との 双方 に共 感 しつ つ、 それ を貴 ぶと いう こと をし てい るの であ る。 だが
、こ のよ うな
、論 ずる 対象 とし ての バイ ロン の内 面に 共感 を寄 せる
、言 わば 透谷 的な 語り 口() とは 異質 なバ イロ ン言 説が
、透 谷の 死の
2
まさ に同 時期 に現 れて いた とい う事 実に も注 意し てお かね ばな らな い。 透谷 の死 と同 年同 月の
﹃早 稻田 文學
﹄は
、バ イロ ン関 係の 記事 を二 篇掲 載し てい る。 一つ は、 鄭澳 生こ と奥 泰資
たい すけ
の﹁ バイ ロン 卿の 傳﹂ で あり
、も う一 つは
、K
.A
.署 名の
﹁バ イロ ン卿 を論 ず﹂ であ る︵ 後 者の 記事 は翌 月に もそ の続 きが 掲載 され てい る︶
。こ れら の記 事に 特 徴的 であ るの は、 透谷 のバ イロ ン言 説に 象徴 的に 表れ たよ うな
、バ イ
ロン に自 己を 投影 しつ つバ イロ ンに つい て肯 定的 に語 ると いう かた ち の熱 っぽ い語 り口 が影 を潜 めて いる とい うこ とで ある
。例 えば
、前 者 のバ イロ ン伝 の記 事は
、バ イロ ンの 一生 にお ける 重大 事件 をほ ぼ満 遍 なく 網羅 した
、比 較的 長文 のも ので ある が、 論者 の主 観に 流れ たよ う な記 述は ほぼ ない と言 って よい
。こ のバ イロ ン伝 は、 バイ ロン 自身 の 日記 の記 述や バイ ロン の友 人の 証言 など を資 料に 基づ いて 提示 して ゆ くと いう
、極 めて 客観 的な 筆致 で書 かれ てい る。 また
、バ イロ ンの 詩 業に 関す る記 述に して も、 作品 の名 前は 詳し く列 挙さ れて いる もの の、 その 作品 世界 につ いて 踏み 込ん だ論 及は なく
、こ の点 にお いて も、 バ イロ ンの 内面 に迫 って いこ うと する 論者 の意 思を 感じ させ るも のと は なっ てい ない
。 もう 一つ の﹃ 早稻 田文 學﹄ 掲載 のバ イロ ン記 事で ある
、K
.A
.署 名の
﹁バ イロ ン卿 を論 ず﹂ も、
﹁バ イロ ン卿 の傳
﹂と 同様
、非 常に 冷静 な筆 致で 書か れた もの であ る。 こち らは
﹁バ イロ ン卿 を論、 ず、
﹂と 題さ れて いる だけ あっ て、
﹁バ イロ ン卿 の傳
﹂に はな かっ た論 者の 主観 的解 釈が 一応 散り ばめ られ ては いる
。だ が、 その 解釈 は概 して バイ ロン に 対し て否 定的 なも ので ある
。論 者は
、バ イロ ンを
﹁赤 心あ るを もて 偉 大也
﹂と 言い つつ も、 直後 に﹁ 然れ ども バイ ロン は赤 心餘 りあ りて 度 量欠 けた り﹂ と述 べて いる
。そ して
、﹁ 彼れ は過 多の 赤心
、過 少の 度量 の人 なり き﹂ とま で断 じて いる()
。論 者に よれ ば、 バイ ロン は、 理想 を
3
持つ こと なく 自身 の卑 小な 自我 に拘 った
、﹁ 智の 人な らで 情意 の人
﹂で あり
、そ のよ うな バイ ロン の人 格は
、彼 自身 の生 活、 事業
、詩 想、 作
詩に 悪影 響を 与え てい る、 との こと であ った
。論 者は
、バ イロ ン自 身 の言 葉を 引用 しつ つ、 この よう な趣 旨の 主張 を淡 々と 展開 して ゆく
。 そし て彼 の達 した 結論 は以 下の よう なも ので ある
。 彼れ
は特 別な る意 味に 於て 吾人 が貴 重な る師 友也
。彼 れが 吾人 の 師友 たる は、 其の 厭世 家た るの 邊に あら ず、 其の 赤心 の偉 力を 敎 へた るの 邊に あり
、度 量を 欠け る赤 心の 如何 ばか り危 險な るか を 敎へ たる の邊 にあ り、 過去 を忘 れ得 ざる もの が強 ひて これ を忘 れ んと 試む るは
、寧 ろ之 れを 記臆 し、 以て 戒愼 し、 以て 自省 し、 而 して 猛進 する に如 かざ るを 敎へ たる の邊 にあ り、 周圍 の障 害を 打 擊し つゝ 怒號 しつ ゝ狂 奔す るは
、遙 に前 途の 理想 を仰 望し て綽 々 禹歩 する に如 から ずを 敎へ たる の邊 にあ り、 總べ て云 へば
、一 方 に自 省修 練の 必要 を怠 たる の邊 にあ り。 嗚呼
、此 の點 より 見る 時 は、 宇宙 に於 ける バイ ロン 卿が 位地 は天 と共 に長 く地 と共 に久 し かる べし()
。
4
先に 言及 した
﹃裏 錦﹄ 掲載 の機 曲生 署名
﹁北 村透 谷を 吊す
﹂も
、バ イロ ンの
﹁赤 心﹂ につ いて 論及 して いた わけ だが
、こ の﹁ バイ ロン 卿 を論 ず﹂ にお ける 語り 口が
、﹁ 北村 透谷 を吊 す﹂ にお ける それ とは 全く 逆に なっ てい るこ とが 注意 され る。
﹁北 村透 谷を 吊す
﹂の 記事 がバ イ ロン の﹁ 赤心
﹂に つい て、 バイ ロン にお ける 理想 への 意志 の存 在を 証 明す るも のと して 肯定 的に 語っ てい たの に対 し、
﹁バ イロ ン卿 を論 ず﹂
の記 事は
、バ イロ ンの
﹁赤 心﹂ 過多 に、
﹁度 量﹂ の欠 如、
﹁理 想﹂ の欠 如、
﹁自 省修 練﹂ の欠 如を 見て
、そ れを 否定 すべ きも のと して 語っ てい るの であ る。 つま り、 バイ ロン の﹁ 赤心
﹂が
、一 方で は熱 っぽ く肯 定 され
、一 方で は冷 然と 否定 され てい る、 とい うわ けで ある
。特 に右 の 引用 中の
﹁嗚 呼、 此の 點よ り見 る時 は、 宇宙 に於 ける バイ ロン 卿が 位 地は 天と 共に 長く 地と 共に 久し かる べし
﹂と いう 最後 の文 章な どに は、 論者 の嘲 りの 表情 さえ 看取 しよ うと すれ ばで きる もの であ り、 かな り 皮肉 な調 子を 感じ させ るも のと なっ てい る。 この よう なバ イロ ンに 対す る否 定的 評価 に関 連し て、
﹁バ イロ ン卿 を論 ず﹂ の冒 頭に は、 この 論文 の掲 載の 経緯 につ いて の、 次の よう な
﹁早 稻田 文學 記者
﹂に よる 但し 書き があ る。 バイ
ロン 卿は 歐洲 にあ りて は已 に過 去の 詩人 とな りた れど も我 が 文壇 に於 ては 未だ 遂に 彼を もて 過去 の詩 人と 見做 す能 はず
。本 號 及び 次號 に二 分し て掲 ぐる バイ ロン 論は 社友 K. A氏 の寄 送に 係 る、 バイ ロン が爲 人を 評し 得て 頗る 周細 綿密 なり
。讀 者若 し此 の 論の 爲に 吾人 が特 にも のせ し前 記の 畧傳 を精 讀し 扨後 に本 篇を 繙 かば 庶幾 くは 得る とこ ろ少 小な らざ るべ きか()
。
5
この 文章 でま ず注 意さ れる のが
、冒 頭の
﹁バ イロ ン卿 は歐 洲に あり ては 已に 過去 の詩 人と なり たれ ども 我が 文壇 に於 ては 未だ 遂に 彼を も て過 去の 詩人 と見 做す 能は ず﹂ とい う一 文で ある
。こ れは
、バ イロ ン
が最 早時 代遅 れの 詩人 であ るの に、 いま だに バイ ロン をも ては やし て いる 観の ある 日本 の文 壇の 現状 に対 して
、﹁ 早稻 田文 學記 者﹂ が苦 々し く思 って いる こと が、 間接 的な 表現 のう ちに 滲み 出て いる よう な一 文 であ る。 つま り、 この
﹁早 稻田 文學 記者
﹂に よる 但し 書き の文 章全 体 の文 意は
、バ イロ ンが 時代 遅れ であ るこ とを 読者 に理 解さ せる よう に、
﹁社 友K
.A 氏﹂ のバ イロ ン論 を掲 載し
、な おか つそ の理 解の 助け のた めに
﹁バ イロ ン卿 の傳
﹂を 掲げ た、 とい う意 味に 解釈 でき るの であ り、 比較 的強 いバ イロ ン否 定の 意識 を基 に書 かれ たも のだ と言 うこ とが で きる
。そ して そこ には
、日 本の 文壇 にバ イロ ン熱 から の覚 醒を 促し
、 新し い文 学精 神の 芽生 えを 期待 する 意識 も垣 間見 るこ とが でき る。 以上 のこ とか ら仄 見え てく るの は、 透谷 が死 んだ 明治 二七 年の 半ば とい う時 期、 海外 の文 学的 な動 向を 意識 した 客観 的な バイ ロン 言説 が、 個人 的な 思い 入れ を軸 とす る主 観的 なバ イロ ン言 説に 徐々 に取 って 代 わろ うと して いた らし い、 とい うこ とで ある()
。恐 らく
、﹃ 裏錦
﹄の
﹁北
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村透 谷を 吊す
﹂に おけ るバ イロ ン言 及と は対 照的 な、
﹃早 稻田 文學
﹄掲 載の
﹁バ イロ ン卿 の傳
﹂及 び﹁ バイ ロン 卿を 論ず
﹂の 冷や やか なま で に冷 静な 筆致 の登 場は
、バ イロ ンを 問題 視す る視 点が
、論 者個 人の 主 観評 価か ら文 学史 的位 置づ けと いう 客観 評価 に移 行し つつ ある こと を 象徴 的に 表す もの であ った()
。現 に、 それ 以降 のバ イロ ン言 説は
、木 村
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鷹太 郎ら 一部 のバ イロ ン熱 罹患 者に よる もの を除 いて
、例 えば
、抱 一 庵主 人︵ 原抱 一庵
︶﹁ バイ ロン
﹂︵
﹃史 海﹄
、明 治二 九年 一月
︶、 菱洲 生﹁ バ イロ ンを 論ず
﹂︵
﹃靑 山評 論﹄
、明 治三 一年 三月
︶、 上村 左川
﹁バ イロ ン﹂
︵﹃ 文藝 倶樂 部﹄
、明 治三 一年 九月
︶、 小日 向定 次郎
﹁バ イロ ンを 讀む
﹂
︵﹃ 帝國 文學
﹄、 明治 三二 年九 月︶
、米 田實
﹃バ イロ ン﹄
︵民 友社
、明 治三 三年
︶な ど、 論者 の主 観の あま り感 じら れな いも のが 増え てく るよ う にな るの であ る()
。
8
だが
、こ のよ うな バイ ロン 評価 をめ ぐる 過渡 期に おい て、 全て のバ イロ ン受 容者 が、 主観 的な バイ ロン 肯定 から 客観 的な バイ ロン 否定 に 直ぐ 移行 でき たわ けで はな かっ た。 当然
、中 には
、バ イロ ンに 対す る 心酔 の度 合い が強 かっ た分 だけ
、激 しく 葛藤 せね ばな らな かっ た人 々 も存 在し たの であ る。 その 代表 的な 一群 が、 シェ イク スピ アに 次い で バイ ロン を愛 読し たと いう()
、
﹃文 學界
﹄に 拠っ た人 々で あっ た。 彼ら は、
9
主観 的で 主情 的な バイ ロン 受容 者の 代表 格で ある 北村 透谷 を筆 頭に
、 明治 前期 ロマ ン主 義の 文学 精神 を牽 引す る言 論活 動を 展開 して いた わ けだ が、 明治 二七 年五 月の 透谷 の自 死と いう 事態 に直 面し
、激 しい 衝 撃を 受け る。 そし て透 谷の 自死 と透 谷的 なバ イロ ン受 容の あり よう と の内 的関 係を 自ら の問 題と して 問い
、そ の総 括の ため に激 しく 葛藤 す るこ とに なる ので あっ た。 この 間の 事情 につ いて は、 後年 の島 崎藤 村の 回想 の文
﹁﹁ 文學 界﹂ の こと
﹂︵
﹃市 井に あり て﹄
、岩 波書 店、 昭和 五年 所収
︶な どか ら、 おお よ その とこ ろを 窺い 知る こと がで きる
。 北村
君を 失つ てか らの 私達 は、 次第 に当 時の バイ ロン 熱か ら醒 め て、 思ひ 〳〵 に新 しい 進路 を執 るや うに なつ た。 頑執 と盲 排と の
弊を 打破 する やう な声 で充 たさ れて 居た 私達 の雑 誌に は、 次第 に ダン テの 紹介 があ らは れ、 シエ レエ
、キ イツ
、ロ セツ チな どの 紹 介が あら はれ るや うに なつ て行 つた
。激 しい 動揺 の時 が過 ぎて
、 青春 に思 ひを 潜め るや うな 時が 漸く それ に代 つた()
。
10
この 藤村 の文 章か ら、
﹃文 學界
﹄同 人() たち が透 谷の 死を
、﹁ 当時 のバ
11
イロ ン熱
﹂か らの 覚醒
、﹁ 頑執 と盲 排と の弊 を打 破す るや うな 声﹂ から の脱 却、
﹁激 しい 動揺
﹂か らの 移行 の契 機と して 捉え てい たこ とを 窺い 知る こと がで きる
。彼 らは
、透 谷自 死の 時期 の﹃ 裏錦
﹄の 記事 と﹃ 早 稻田 文學
﹄の 記事 の温 度差 に象 徴さ れる
、過 渡期 にあ る時 代精 神の 深 淵を 自ら の問 題と して 受け 止め
、何 とか
﹁激 しい 動揺 の時
﹂を やり 過 ごし て﹁ 青春 に思 ひを 潜め るや うな 時﹂ に至 らん と苦 悩し た人 々で あっ たわ けで ある
。
﹃文 學界
﹄同 人に おけ る﹁ 当時 のバ イロ ン熱
﹂と はい かな るも ので あ り、 また
、そ れを めぐ る葛 藤は いか なる もの で、 そこ から の覚 醒は い かに して 可能
︵あ るい は不 可能
︶で あっ たの か。 そし て﹁ 覚醒
﹂後
、 彼ら はい かな る﹁ 新し い進 路を 執る やう にな つた
﹂の か︱
︱。
﹃文 學界
﹄ 同人 の文 学精 神の 諸相 につ いて は、 笹渕 友一 の大 著﹃
﹃文 學界
﹄と その 時代
﹄︵ 明治 書院
、昭 和三 五︱ 三六 年︶ にお いて 多方 面か ら詳 細に 論じ られ てい る。 だが
、︿ バイ ロン 熱﹀ とい う単 一の 視角 から その 変容
・変 質・ 屈折 のあ りよ うを 明ら かに せん とす る試 みは
、管 見で はこ れま で 本格 的に はな され てこ なか った
。こ の試 みは
、明 治前 期ロ マン 主義 の
運命 を見 届け る上 でも
、ま た、 日本 にお ける バイ ロン 熱・ バイ ロン 受 容の 史的 展開 を辿 る上 でも 有意 義で あろ うと 思わ れる
。 従っ て、 筆者 はそ れを 試み んと する もの であ るが
、紙 幅の 関係 上、 本稿 にお いて は、
﹃文 學界
﹄同 人の
﹁当 時の バイ ロン 熱﹂ の内 実の 解明 に専 心す るこ とと する
。そ して
、彼 らの バイ ロン 熱あ るい はバ イロ ニ ズム の抱 えて いた 問題 点を 剔抉 し、 本稿 を、 他日 発表 すべ き、
﹃文 學界
﹄ 同人 のバ イロ ン熱 をめ ぐる 葛藤 の諸 相に つい ての 議論 のた めの 緒論 と した いと 考え る。
二 、
﹃ 文 學 界
﹄ 同 人 の バ イ ロ ン 熱 の 内 実
では早速
、﹃ 文學 界﹄ 同人 の﹁ 当時 のバ イロ ン熱
﹂と はい かな るも の であ った のか につ いて 検討 して ゆく こと にし よう
。﹃ 文學 界﹄ 同人 に とっ ての
﹁当 時の バイ ロン 熱﹂ とは
、先 に引 用し た藤 村の 言葉 を借 り て言 えば
、バ イロ ンに 範を 取っ た、
﹁頑 執と 盲排 との 弊を 打破 する
﹂精 神の 昂揚 の謂 いで ある
。
﹃文 學界
﹄は
、も とも と巌 本善 治の
﹃女 學雜 誌﹄ を母 胎と した 雑誌 で あっ たが
、創 刊後 直ぐ 女學 雜誌 社か ら独 立す ると ころ から 歩み を始 め てい る。 これ は、
﹃文 學界
﹄同 人が 巌本 の清 教徒 的倫 理観 及び 儒教 的道 徳観 に基 づく 文学 功利 論の 拘束 を嫌 った ため であ った
。﹃ 文學 界﹄ は この 後、 精神 の自 由を 重ん じつ つ、 文学
・藝 術の 自律 的・ 超越 的価 値 を積 極的 に主 張す るロ マン 主義 的立 場か らの 文学 論・ 藝術 論を 展開 し
てゆ くわ けで ある が、 これ は換 言す れば
、﹃ 文學 界﹄ 同人 が、 個人 の内 面の 自由 を抑 圧・ 拘束 する 既成 の一 般通 念や 社会 道徳 を﹁ 頑執 と盲 排 との 弊﹂ と見 立て
、そ れら を果 敢に 打ち 破り 乗り 越え てい こう とす る
﹁繩 墨打 破﹂ の精 神を 精神 的支 柱と して いた とい うこ とで あっ た。 要 する に、
﹃文 學界
﹄同 人は
、吉 田精 一が 整理 する 通り
、植 村正 久ら
﹃日 本評 論﹄ に拠 る言 論人 の宗 教的 見地 から の批 判、 また
、德 冨蘇 峰ら
﹃國 民之 友﹄ に拠 る言 論人 の現 世的 功利 主義 の立 場か らの 批判 に対 して
、 この
﹁繩 墨打 破﹂ のロ マン 主義 を旗 印と しつ つ、 北村 透谷 を中 心に 自 らの 立場 の正 当性 を主 張し てい った わけ であ る()
。そ して 彼ら はそ の一
12
環で
、イ ギリ ス社 会に 反抗 しキ リス ト教 道徳 にも 反逆 を企 てた バイ ロ ンに
、自 らの
﹁繩 墨打 破﹂ のロ マン 主義 的精 神と 同質 のも のを 見出 し、 それ に思 い入 れを 逞し くす ると いう かた ちで バイ ロン 熱の 気分 を醸 成 して いっ たわ けで あっ た。 彼ら にと って バイ ロン は、 まず もっ て、 自 己の 外部 の論 理︵ 社会 的規 範と して の道 徳律
、宗 教的 規範 とし ての 戒 律、 政治 的規 範と して の法 律な ど︶ に対 し自 己の 内部 の論 理を あく ま で押 し立 てて ゆく 強固 な意 志と 熱い 情念 を持 った ロマ ン派 詩人 の代 表 的存 在で あり
、彼 ら自 身の ロマ ン主 義的 精神 の言 わば 守護 神的 存在 で あっ たわ けで ある
。 バイ ロン に対 する この よう な見 方を 示し た文 章の うち 典型 的な の が、 馬場 孤蝶 の評 論﹁ 想海 漫渉
﹂︵
﹃文 學界
﹄第 一二 號、 明治 二六 年一 二月
︶で ある
。こ の中 で孤 蝶は 次の よう に述 べて いる
。
猛省 せよ
、今 此世 紀の 始、 英國 の社 會益 々姑 息に 流れ
、準 繩に 由て のみ 事を 行ふ 悲運 は、 遂に 彼の バイ ロン
、シ エレ ーの 徒を し て國 外に 客死 せし めし に非 ずや
。任 俠前 者の 如き 頗る 愛す べき 點 あり
。且 其の 天來 の詩 想や 發し て天 地の 妙音 を和 し、 遠く 沙翁 マー ロー の氣 慨あ り。 實に 一代 の詞 宗英 國詩 伯た るに 耻ぢ ず。 然 も國 人凡 常の 眼光 未だ 高か らず
、彼 が傑 作多 くは 他の 笑罵 する 所 とな る。 彼が 父母 の郷 を捨 つる の憤 慨思 ふ可 きな り。 誰れ か彼 れ を以 て天 を知 らず と云 ふ。 彼其 のド ン、 ジユ アン に於 て斗 屑の 輩 を喝 して 曰く
、 So me ki nd er ca su is ts ar ep le as ed to sa y, In na me le ss pr in t︱ th at Ih av en od ev ot io n; Bu ts et th os ep er so ns do wn wi th me to pr ay , An dy ou sh al ls ee wh oh as th ep ro pe re st no ti on Oh ge tt in gi nt oh ea ve nt he sh or te st wa y; My al te rs ar et he mo un ta in sa nd th eo ce an , Ea rt h, ai r, st ar s,
︱a ll th at sp ri ng sf ro m th eg re at Wh ol e, Wh oh at hp ro du ce d, an dw il lr ec ei ve th es ou l. と。 實に 然り
、繩 墨の 徒天 才の 翔に 伴ふ 能は ず。 彼の 摩天 の翼 あ る者 を見 て、 異類 なり と罵 り、 一朝 蒼空 に遊 ぶに 當つ て、 何故 に 彼等 と共 に地 に在 らざ るや と咎 む。
︵三 五八 頁()
︶
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孤蝶 はこ の評 論に おい て、 西洋 の思 想の 流れ を、 旧思 想を 新思 想が
打破 して ゆく 前進 的・ 進歩 的な 運動 と捉 えた 上で
、議 論の 結論 とし て、 西洋 と同 様、 明治 日本 にお いて も﹁ 偉大 の觀 念﹂ を有 する 新思 想が 勃 興す べき こと を主 張し
、﹁ 無規 法を も生 み法 外道 を生 ずる 者、 此れ 我革 新な れ。 此我 革命 なれ
﹂︵ 三五 九頁
︶と
、急 進的 ロマ ン主 義の 精神 の必 要を 高い 調子 で説 いて いる
。右 の引 用箇 所の バイ ロン に関 する 論及 も、 その よう な文 脈の 中で なさ れた もの であ った
。孤 蝶に よれ ば、 バ イロ ン及 びシ ェリ ーの 海外 脱出 は、 イギ リス の既 成の 社会 道徳 の拘 束 によ る不 自由 を嫌 った 結果 であ り、 孤蝶 はそ のこ とを
、イ ギリ ス社 会 の偏 狭を 嘲笑 した バイ ロン の﹃ ドン
・ジ ュア ン﹄ 第三 歌第 一〇 四節 を 引き なが ら論 証し てい る。 この 時、 孤蝶 の脳 裏に は、 バイ ロン が破 婚 にま つわ る醜 聞に よっ てイ ギリ ス社 会か ら追 われ るよ うに 流浪 の旅 に 出な けれ ばな らな かっ たこ とや
、バ イロ ンの 諸作
︵﹃ カイ ン﹄ や﹃ ドン
・ ジュ アン
﹄等
︶が キリ スト 教の 教え や社 会道 徳に 抵触 する とし て批 判 され たこ とな どが 併せ て想 起さ れて いた に相 違な い。 その 上で 孤蝶 は、 自分 を非 難す る形 ばか りの キリ スト 者よ りも 表面 上は アン チ・ キ リス トの よう に見 える 自分 の方 にこ そ真 の信 仰心 があ るの だ、 とい っ た内 容の
、バ イロ ンの
﹃ド ン・ ジュ アン
﹄の 詩節() の中 に、 旧思 想の
﹁準
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繩﹂ に収 まり きれ ない 新思 想を 奉じ る者 の正 義を 読み 取る とい うこ と をし てい るの であ る。 孤蝶 にと って
、バ イロ ンを 非難 する 側の 論理 は、
﹁旧 思想
﹂の
﹁準 繩﹂ とし て否 定さ れる べき もの であ り、 それ に対 立し たバ イロ ンは
、﹁ 新思 想﹂ の側 に立 つ者 とし て肯 定さ れる べき もの なの であ った
。そ して 孤蝶 自ら も、 自身 を﹁ 新思 想﹂ の側 に与 する もの と
自己 規定 しつ つ、
﹁旧 思想
﹂の
﹁準 繩﹂ を打 破す る﹁ 繩墨 打破
﹂の 詩人 バイ ロン に強 く共 感す る自 身の 内面
、即 ち自 身の
﹁繩 墨打 破﹂ の精 神 をこ こに 表明 して いる ので ある
。 この 孤蝶 の評 論と ほぼ 同時 期に 書か れた 戸川 秋骨 の評 論﹁ 變調 論﹂
︵﹃ 文學 界﹄ 第一 三號
、明 治二 七年 一月
︶も
、孤 蝶の それ と同 様の バイ ロン 観及 びバ イロ ニズ ム観 を披 瀝し てい る。 この 中で 秋骨 は次 のよ う に述 べて いる
。 宇宙
万有 に亙 りて 一の 靈氣 あり
、人 間心 裡の 奥深 き處 に一 の精 氣あ り、 彼を 呼ん で造 化と 云ひ 神と 云ひ
、此 を名 けて 精神 と云 ふ、 此の 生命 や發 して 万朶 の櫻 とな り、 凝つ て不 朽の ポー エト リー と なる
、其 の社 會に 顯る ゝや 革命 とな り、 個人 に顯 れて はバ イロ ニ ズム とな る、
︵二 六七 頁︶ 秋骨
もや はり 孤蝶 と同 様、 歴史 の推 移を 前進 的・ 躍動 的な 運動 と捉 え、 その よう な歴 史の 運動 の中 の一 現象 とし てあ る﹁ バイ ロニ ズム
﹂ を、 宇宙 にみ なぎ る生 命力 が個 人の 次元 で顕 在化 した もの とし て捉 え ると いう こと をし てい る。 秋骨 によ れば
、宇 宙の 生命 力と は、 即ち
﹁た へす 這般 の繩 墨と 秩序 とを 打破 して 進む
﹂力 の謂 いで あり
、﹁ バイ ロニ ズム
﹂は
、﹁ 這般 の繩 墨と 秩序 とを 打破 して 進む
﹂﹁ 繩墨 打破
﹂の 精神 の個 人の 次元 にお ける 表れ とい うこ とに なる ので あっ た()
。秋 骨は
、人
15
間の 歴史
、特 に思 想史 の流 れを
、安 定的 で穏 やか な﹁ 正調
﹂の 思潮 と、
不安 定で 激し い﹁ 變調
﹂の 思潮 とが 繰り 広げ る交 替劇 とし て捉 え、 そ の上 で今 現在 の時 代を
﹁變 調﹂ の時 代、 変革 変動 の時 代と 考え る。 そ して 秋骨 は﹁ 西行 の如 きバ イロ ンの 如き 然り
、憐 れむ べし 法規 の世 は 彼等 を容 るゝ 能は ず不 健全 とし て蛇 蝎視 され たり
﹂︵ 二六 八頁
︶と
、西 行や バイ ロン を﹁ 變調
﹂の 時代 の先 覚者 とし て等 価に 扱い つつ
、﹁ 繩墨
﹂ との 葛藤 がも たら す彼 らの 不遇 の運 命に 対し
、強 い共 感を 寄せ るの で ある こ 。 のよ うに
、﹃ 文學 界﹄ 同人 がバ イロ ンを
﹁繩 墨打 破﹂ のロ マン 派詩 人の 代表 的存 在と して 認識 し、 自己 の自 由を 外部 から 拘束 する 様々 な
﹁繩 墨﹂ を﹁ 打破
﹂せ んと する バイ ロン に思 い入 れを 逞し くて いた こと が、 彼ら のバ イロ ン言 説か ら裏 付け られ るわ けで あっ た()
。だ が、
﹁繩 墨
16
打破
﹂の 身振 りの 他に も、
﹃文 學界
﹄同 人の バイ ロン に対 する 共感 を特 に誘 った もの があ った こと にも 注意 を払 って おく 必要 があ る。 即ち
、 恋愛 問題 をめ ぐる バイ ロン の身 振り がそ れで ある
。一 般的 に言 って
、 恋愛 問題 は、 自己 の自 由と
、そ れを 阻む 様々 な規 範=
﹁繩 墨﹂ との 間に 生じ る摩 擦が 顕在 化し やす い問 題で あり
、こ のバ イロ ンの 恋愛 問題 に 対す る﹃ 文學 界﹄ 同人 の思 い入 れも
、恐 らく はバ イロ ンの
﹁繩 墨打 破﹂ の身 振り に対 する 思い 入れ の同 一線 上に ある もの と推 測さ れる
。が
、 彼ら のこ の思 い入 れの 背後 には
、恋 愛問 題そ れ自 体に 対す る彼 ら個 人 の固 有の 関心 も息 づい てい たよ うに 思わ れる
。 例え ば、 島崎 藤村 は、 明治 女学 校の 教師 時代
、教 え子 の佐 藤輔 子に 恋愛 感情 を覚 え、 その 抑圧 から くる 苦悩 から 漂泊 の旅 に出 るの だが
、
その 際彼 はバ イロ ン詩 集を 懐に して いた
。こ のこ とは
、彼 の﹁ かた つ むり
﹂︵ 署名 は無 聲、
﹃文 學界
﹄第 三號
、明 治二 六年 三月
︶と いう 一文 の中 に示 され てい る。 彼は この 中で
、﹁ 禿木 子は 我笈 中に バイ ロン を 納め たる をあ やし み﹂
︵第 三號
、七 頁︶ 云々 と、 自身 の青 春の 彷徨 に﹁ バ イロ ン﹂ を携 帯し たこ とを 告白 して いる
。こ れは
、藤 村が 恋愛 をめ ぐ る自 身の 鬱屈 をバ イロ ンの それ に重 ねて
、バ イロ ン詩 の中 に自 身の 内 面の 苦悩 の慰 めを 見出 そう とし てい たこ とを 示唆 する もの であ る。 また
、藤 村が 旅の 荷物 の中 にバ イロ ンを 忍ば せた こと を目 聡く 見つ けた
﹁禿 木子
﹂こ と平 田禿 木も
、バ イロ ンの 中に 恋愛 問題 をめ ぐる 自 身の 憂悶 の慰 めを 見出 そう とし てい たと 推定 され る。
﹃文 學界
﹄第 三 號に は、 藤村 の消 息文
﹁か たつ むり
﹂と 並ん で、 禿木 の文 章﹁ 欝孤 洞 漫言
﹂も 掲載 され てい るが
、禿 木は その 中の
﹁其 四︵ 靑年 會月 報五 號 參照
︶﹂ とい う一 節に おい て、 詩人 の心 を理 解し ない キリ スト 教徒 の偏 狭を 批判 しつ つ、
﹁誰 かバ イロ ン人 を知 らず と言 ふ、 彼が 慘た る其 血涙 は之 れニ ユー ステ ツド 佳人 の爲 めな るを 知ら ずや
﹂
︵二 四九 頁︶ 云々 と、 バイ ロン の恋 愛問 題に つい てや や感 傷的 な調 子で 論及 して いる
。禿 木 がこ こで
、﹁ ニユ ース テツ ド佳 人﹂ こと メア リー
・チ ョワ ース とい う一 少女 に失 恋し て少 年バ イロ ンが 流し たと いう
﹁慘 たる 其血 涙﹂ に思 い 入れ を逞 しく して いる のは
、当 時彼 が恋 愛感 情を 抱い てい た星 野天 知 の妹 勇子 との 関係 のこ とが 彼の 念頭 にあ り、 自身 が内 に抱 える 恋愛 を めぐ る葛 藤の 苦し みを バイ ロン の名 のも とに 擁護 した いと いう 意識 が 働い てい たか らで あろ うと 推定 され る()
。
17
さら に、 その 勇子 の兄 の星 野天 知も
、恋 愛問 題で 苦悩 して いた 点で 同様 であ った
。天 知の 評論
﹁骨 堂に 有限 を觀 ず﹂
︵﹃ 文學 界﹄ 第六 號、 明治 二六 年六 月︶ は、 恋情 や肉 欲と いっ た、
﹁有 限﹂ なる もの に向 かう 心情 の儚 さと 哀し みを 擁護 しよ うと した 文章 であ るが
、こ の中 に、
﹁野 花一 輪の 姿も なほ 摘む に餘 るラ イン 河の 草の 露、 舊都 荒原 の枯 草も な ほ憤 るに 足る シベ ル灣 の露 の雨
、バ イロ ンが 戀の 情け の悶 えに 非ず や﹂
︵二 一六
︱二 一七 頁︶ とい う、 バイ ロン の名 に言 及し た一 文を 見つ ける こと がで きる
。天 知が ここ で﹁ バイ ロン が戀 の情 けの 悶え
﹂に 思い を 馳せ つつ 念頭 に思 い浮 かべ てい るの は、
﹁ラ イン 河の 草の 露﹂ 云々 とい う言 葉か ら、 一つ は恐 らく
﹃チ ャイ ルド
・ハ ロル ドの 巡礼
﹄第 三歌 中 のラ イン 河を 歌っ た詩 節で あろ うと 推測 され る。 この ライ ン河 の歌 と は、 破婚 の醜 聞の 後、 自己 追放 の旅 に出 て祖 国イ ギリ スを 後に した バ イロ ンが
、遠 い異 郷の 地で 自身 の想 い人 であ る異 母姉 のオ ーガ スタ を 想っ て書 いた と言 われ てい るも ので ある わけ だが()
、当 時の 天知 もや は
18
り、 明治 女学 校の 女生 徒松 井ま んと の許 され ざる 恋愛 に悩 んで いた()
。
19
こう して 考え ると
、天 知の この バイ ロン 言及 にも
、異 母姉 への 許さ れ ぬ恋 愛感 情を 歌っ たバ イロ ンの 詩節 に教 え子 に恋 した 自身 のや るせ な い思 いを 仮託 せん とす る天 知の 心を 偲ぶ こと がで きる よう に思 われ る。 他に も、 例え ば戸 川秋 骨の
﹁バ イロ ニズ ムの 感染
﹂は
、笹 渕友 一が 指摘 する よう に、 明治 二七 年頃 の彼 の恋 愛問 題を その 背景 に持 って い たよ うで ある し()
、ま た馬 場孤 蝶も
、友 人た ちの 恋愛 問題
、あ るい は自
20
身の 恋愛 問題 に思 いを 致し なが ら()
、恋 愛問 題に 悩ん でバ イロ ンに 慰め
21
を見 出す 青年 像を
、小 説﹁ みを つく し﹂
︵﹃ 文學 界﹄ 第二 二︱ 二四 號、 明治 二七 年一
〇︱ 一二 月︶ にお いて
、﹁ 一も 戀、 二も 戀、 只世 の中 は何 事も 皆戀 なら ぬは なし と思 ひ、 此れ まで は面 白い と思 ふた 審美 學の 書 籍な どは
、何 にか 物足 らぬ やう にて
、讀 みか けて 未だ 一二 枚に もな ら ぬに
、卷 をと ぢて 投げ 出し
、と かく 手に 觸る ゝは バイ ロン の詩 集、 エ ルテ ルが 愁な どな り﹂
︵三 三二 頁︶ とい うか たち で描 き出 して いる
。 この よう に、
﹃文 學界
﹄同 人の バイ ロン 熱の 内実 の最 大公 約数 は、
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と して のバ イロ ンへ の激 しい 共感 とい った もの で あっ たと 見る こと がで きる
。彼 らは バイ ロン を、
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と して 見定 めな がら
、そ れぞ れの 恋愛 問題 をめ ぐる 様々 な鬱 屈を 背 景に
、バ イロ ンに 対し て思 い入 れを 逞し くし てい たと 考え られ るわ け であ る。
三 、
﹃ 文 學 界
﹄ 同 人 の
﹁ 繩 墨 打 破 ﹂ 的 バ イ ロ ン 熱
では、﹁ 繩墨 打破
﹂の 恋愛 詩人 とい うバ イロ ン像 を、 彼ら
﹃文 學界
﹄ 同人 の脳 裏に 刻み 込ん だも のは 何で あっ たの だろ うか
。彼 らは
、同 時 代の バイ ロン 言説 のみ なら ず、 各種 のバ イロ ン伝 やバ イロ ン詩 に直 接 触れ てお り、 彼ら のバ イロ ン像 もそ うい った 知的 教養
・情 報か ら織 り 成さ れた もの であ るこ とは 確か であ る。 が、 彼ら の脳 裏に
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と いう バイ ロン 像を 強烈 に刻 み込 んだ のは
、や はり 北村 透
谷の 評論
﹁厭 世詩 家と 女性
﹂︵
﹃女 學雜 誌﹄
、明 治二 五年 二月
︶で あっ た ろう と思 われ る。 この 透谷 の﹁ 厭世 詩家 と女 性﹂ とい う評 論は
、透 谷が 西洋 の詩 人、 特に バイ ロン にお ける 恋愛 と結 婚の 相克 の問 題を 考究 する 中で
、﹁ 實 世界
﹂の 不自 由と
﹁想 世界
﹂の 自由 との 間で 厭世 感情 を募 らせ てゆ く
﹁厭 世詩 家﹂ とい う人 間像 を描 き出 した もの であ り、 逆に 言え ば、 詩人 の自 我と
︵結 婚に 象徴 され る︶ 社会 的な
﹁繩 墨﹂ との 間の 葛藤 の問 題 と恋 愛問 題と が交 わる 地点 に、
﹁厭 世詩 家﹂ の典 型的 存在 とし ての バイ ロン 像を 描き 出し た評 論と 言え るも ので あっ た()
。こ の意 味で 言う と、
22
﹁厭 世詩 家と 女性
﹂に おい て描 き出 され た、 厭世 的自 我詩 人と して のバ イロ ン像 は、 透谷 の弟 分で ある
﹃文 學界
﹄同 人た ちが 思い 描い た、
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と して のバ イロ ン像 と、 かな り重 なり 合う 部分 を 持っ てい たと 言え る。 ここ から
、﹃ 文學 界﹄ 同人 のバ イロ ン像 は、 透谷 のそ れに 影響 され るこ と大 であ った と見 るこ とが でき る。 だが
、透 谷の バイ ロン 像と 彼ら
﹃文 學界
﹄同 人の それ との 間に は微 妙な 差異 があ るこ とも 注意 して おく 必要 があ る。 その 差異 は、 透谷 の
﹁厭 世詩 家と 女性
﹂と
、主 題と 内容 の上 でそ の影 響の 特に 著し いと 言え る星 野天 知の
﹁業 平朝 臣東 下り の姿
﹂︵
﹃文 學界
﹄第 二四 號、 明治 二七 年一 二月
︶と を比 較対 照す るこ とに よっ てあ る程 度浮 き彫 りに する こ とが でき る。 天知 の﹁ 業平 朝臣 東下 りの 姿﹂ とい う評 論は
、題 にあ る通 り、
﹃伊 勢 物語
﹄を 題材 とし なが ら在 原業 平の
﹁東 下り
﹂の 意味 につ いて 論じ た
文章 であ る。 この 評論 にお いて
、天 知は 言う
。在 原業 平が 東国 に下 っ たの は、 彼が
﹁沒 し難 き悲 みと 消し 難き 憤り
﹂を 抱い てい たか らで あ る。 業平 は政 界に おい て十 分に 出世 でき なか った せい で、
﹁實 世界
﹂の
﹁情 熱あ る憤 慨の 敗將
﹂と なっ てし まっ た。 そし て、
﹁大 魔﹂ の化 身で ある
﹁女 子﹂ との 恋を 不断 に追 い求 めな がら
、﹁ 想世 界﹂ の中 に自 らの 生き るべ き場 所を 探し 求め
、結 果彼 はあ てど なく 漂泊 する
﹁多 感多 情 の詩 人﹂ とな った ので ある
︱︱
。こ こで
﹁實 世界
﹂及 び﹁ 想世 界﹂ と いう 言葉 が使 用さ れて いる こと から 見て も分 かる よう に、 この 評論 は、 透谷 の﹁ 厭世 詩家 と女 性﹂ に多 分に 影響 され た文 章で あり
、そ の論 旨 も﹁ 厭世 詩家 と女 性﹂ に非 常に 似通 った もの であ ると 言え る()
。透 谷は
23
バイ ロン を主 な素 材と して
﹁厭 世詩 家と 女性
﹂を 書い たわ けだ が、 天 知は 日本 の﹁ 厭世 詩家
﹂で ある 在原 業平 を素 材と して
﹁業 平朝 臣東 下 りの 姿﹂ を書 いた と言 える ので あり
、天 知の この 論は
、言 うな れば 在 原業 平論 とい うか たち をと った 天知 流の
︿厭 世詩 家と 女性
﹀論 と言 う べき もの であ った ので ある
。 とこ ろで 天知 の﹁ 業平 朝臣 東下 りの 姿﹂ に対 する 透谷 の﹁ 厭世 詩家 と女 性﹂ の影 響の 大き さは
、天 知の 論の 中の バイ ロン 言及 の多 さと い うか たち でも 顕在 化し てい るよ うに 思わ れる
。﹁ 厭世 詩家 と女 性﹂ に おい て透 谷は
、バ イロ ンへ の論 及を 議論 の中 に散 りば め、 そこ から
﹁厭 世詩 家﹂ の人 間像 を抽 象し てい った わけ だが
、天 知は
、透 谷に よっ て 用意 され た﹁ 厭世 詩家
﹂像 の鋳 型に 業平 を当 て嵌 める こと で、
﹁厭 世詩 家﹂ とし ての 業平 像を 描き 出そ うと 試み てい る。 その 際、 天知 は、 透
谷の 手に なる
﹁厭 世詩 家﹂ 像の 鋳型 の上 に落 ちて いる バイ ロン の色 濃 い影 を無 視す るこ とが でき なか った ので あろ う、 バイ ロン と業 平の 共 通性 や類 似性 を確 認す るこ とで
、透 谷の 手に なる
﹁厭 世詩 家﹂ 像の 鋳 型に 業平 を当 て嵌 めや すく しよ うと 努め てい る。 言い 換え れば
、天 知 は、
﹁厭 世詩 家﹂ 像の 母胎 とも 言う べき バイ ロン に業 平を 近づ けて 解釈 する こと で、 バイ ロン 化さ せた 業平 像を 描き 出そ うと して いる ので あ る。 具体 的に 指摘 して いこ う。 例え ば、 天知 は、 業平 が﹁ 沒し 難き 悲み と消 し難 き憤 り﹂ を抱 いて 放浪 した こと をも って
、﹁ 朝臣 はま こと にバ イロ ニズ ムの 人な り﹂
︵第 二四 號、 二頁
︶と 断言 する とい うこ とを して いる
。ま た、 二條 后に 禁断 の愛 を寄 せる 業平 につ いて
、﹁ バイ ロン がメ レー シヤ ヲス を見 たる 時の 心を 以て 朝臣 は二 條の 后を 觀給 ひし なり
﹂
︵同 前、 三頁
︶と 書き
、恋 愛問 題を めぐ る業 平と バイ ロン の内 面の あり よう を同 一視 する とい うこ とを して いる
。こ こで
﹁バ イロ ンが メレ ー シヤ ヲス を見 たる 時の 心﹂ 云々 と言 って いる のは
、先 の禿 木の
﹁欝 孤 洞漫 言﹂ につ いて の議 論の とこ ろで も論 及し た、 メア リー
・チ ョワ ー スと いう 一少 女に 対す る少 年バ イロ ンの 幼い 恋の こと を恐 らく は指 し てお り、 天知 は、 業平 の二 條后 への 恋を バイ ロン のメ アリ ー・ チョ ワー スへ の恋 に擬 える こと で、 業平 に﹁ バイ ロニ ズム
﹂の 影を 読み 入れ よ うと して いる わけ であ る。 さら に天 知は
、﹁ 素よ り朝 臣に バイ ロン 程 の酸ママ
烈崇 峻な る思 想の ある こと なけ れば
、之 れに 凄篇 ハロ ルド のあ る なし と雖 ども 其東 下り に一 ふし を讀 み來 れば
、旅 情物 に觸 れ事 に激 し
て溢 れ出 る所 異音 おの づか ら心 絃に 響く もの ある に似 たり
﹂︵ 同前
、四 頁︶ とも 書き
、﹃ チャ イル ド・ ハロ ルド の巡 礼﹄ の詩 人バ イロ ンと
﹃伊 勢物 語﹄ の歌 人業 平と を並 べて 論じ ると いう こと をし てい る。 天知 に よれ ば、 両者 の間 には
﹁酸 烈崇 峻な る思 想﹂ の有 無と いう 差異 が確 か にあ るも のの
、共 通項 とし て﹁ 旅情 物に 觸れ 事に 激し て溢 れ出 る所
﹂ があ るの であ り、 その よう な同 じ精 神性 がバ イロ ンと 業平 にお いて 各々 のか たち で表 れ出 てい ると いう こと につ いて
、︵ 同じ 音素 が環 境 に応 じて 異な った 音と して 現わ れた もの を意 味す る︶
﹁異 音﹂ とい う言 葉で 天知 は表 現し てい るわ けで ある
。こ のよ うに
、業 平と バイ ロン と の間 に同 一性 や類 似性 を確 認し よう とす る天 知の 論述 の仕 方か らは
、 業平 の人 間像 を透 谷の 手に なる バイ ロン 的な
﹁厭 世詩 家﹂ 像に やや 強 引に 近づ けよ うと する 天知 の意 図を 看取 する こと がで きる
。 だが
、こ のよ うな 天知 の意 図に も拘 らず
、業 平を バイ ロン 的な
﹁厭 世詩 家﹂ とし て描 き出 すと いう 試み は、 必ず しも 十分 に成 功し はし な かっ た。 これ は恐 らく
、透 谷及 び天 知双 方の 議論 にお いて 参照 枠と し て機 能し てい る︿ バイ ロン 的な るも の﹀ につ いて の認 識が
、透 谷と 天 知の 間で 微妙 にず れて いた こと に起 因し てい ると 考え られ る。 まず は 天知 の︿ バイ ロン 的な るも の﹀ への 理解 につ いて 見て みよ う。 天知 の 考え るそ れは
、次 のよ うな もの であ った
。 暗夜
巉々 たる 危巖 に立 て百 千の 魔鬼 を喚 降し
、叱 咤號 令こ れを 驅 り之 れを 鞭ち
、心 の趣 くま ゝ氣 の走 るま ゝ、 氣焰 万丈 の炎 と成 り
て、 直往 一氣
、直 ちに 大魔 を捉 らへ んと する もの
、之 れバ イロ ニ ズム の光 景に 非ず や、 大魔 必竟 宇宙 の絶 美、 絶美 必竟 宇宙 の大 魔、 一た び此 大魔 に魅 せら るゝ もの 氣魂 天地 に蝕 入
くひ
りい
て何 もの をか 捉 へず んば 止ま ざら んと す、 已に 此境 に到 る、 眼顆 たゞ 一物 を存 し て勇 往直 行せ んこ とを 欲す
、人 間何 が爲 めに 世に 出し や、 人間 何 を爲 さん とて 世に 存す るや
、這 般の 問題 は此 境に 立つ 者の 問ふ 所 に非 ず、 唯一 物を 捉へ ざる を得 ざる が爲 めに 出で
、唯 一事 を爲 さゞ るを 得ざ るが 故に 存す るの み、 之れ が爲 めに は百 事を も犠 牲と し て、 裸躰 の﹃ 人間
﹄と 成り て勇 鬪せ んと 欲す るな り、 此際 極め て 悲慘 にし て何 物に か執 着せ ずん ば止 まず
。︵ 同前
、二 頁︶ この
引用 箇所 の後 半の
﹁︵
⋮⋮
︶唯 一物 を捉 へざ るを 得ざ るが 爲め に 出で
、唯 一事 を爲 さゞ るを 得ざ るが 故に 存す るの み、 之れ が爲 めに は 百事 をも 犠牲 とし て、 裸躰 の﹃ 人間
﹄と 成り て勇 鬪せ んと 欲す るな り﹂ とい う一 文か ら、 天知 が︿ バイ ロン 的な るも の﹀ 即ち
﹁バ イロ ニズ ム﹂ を、 自身 の欲 する とこ ろの 実現 のた めに はそ れを 阻害 する 全て のも の を排 撃し てゆ く﹁ 繩墨 打破
﹂の 精神 とし て認 識し てい るこ とを 改め て 確認 する こと がで きる
。が
、こ こで は、
﹁バ イロ ニズ ム﹂ の具 体的 なイ メー ジを 表現 して いる
﹁暗 夜巉 々た る危 巖に 立て 百千 の魔 鬼を 喚降 し﹂ 云々 の記 述に 特に 注目 した い。 これ は、 その イメ ージ の類 似性 から
、
﹃マ ンフ レッ ド﹄ 第一 幕第 一場 や第 二幕 第二 場に おい て、 アル プス の高 峰を 舞台 にマ ンフ レッ ドが 様々 な精 霊を 呼び 寄せ る場 面に 拠る もの と
推定 する こと がで きる
。つ まり 天知 は、
﹃マ ンフ レッ ド﹄ に表 現さ れて いる が如 き、 形而 上的 な何 もの かを 希求 し、 それ が得 られ ない こと に 激し く悲 憤慷 慨し て宇 宙大 の負 の感 情を 爆発 させ るバ イロ ニッ ク・ ヒー ロー の、 やや 大袈 裟な 言動 のイ メー ジの こと を、
﹁バ イロ ニズ ム﹂ とい う言 葉で 表現 して いる と考 えら れる わけ であ る()
。
24
この よう な天 知の
﹁バ イロ ニズ ム﹂ 理解 は、
︿バ イロ ン的 なる もの
﹀ を自 己の 内面 のあ りよ う・ 自我 のあ りよ うを 重ん じる 精神 的態 度と 認 識し てい る点 にお いて
、議 論全 体の 枠組 みを 天知 に提 供し た透 谷の
﹁厭 世詩 家と 女性
﹂に おけ るそ れと 類を 同じ くす るも のだ と一 応言 って お くこ とが でき るで あろ う。 だが
、透 谷の
﹁厭 世詩 家﹂ 像、 ひい ては 透 谷の 厭世 的自 我詩 人と して のバ イロ ン像 が、 やや もす ると 厭世 から 絶 望、 絶望 から 死へ と展 開し てゆ く危 うさ を孕 んだ 深刻 な暗 鬱さ に彩 ら れた もの であ るの に対 し、 天知 のバ イロ ン像 及び
﹁バ イロ ニズ ム﹂ 理 解に は、 その よう な虚 無に 落ち 込ん でゆ くよ うな 深刻 さ、 暗鬱 さが あ まり 感じ られ ない
、と いう こと もま た確 かで ある
。つ まり 天知 流の
﹁バ イロ ニズ ム﹂ 観に 基づ くバ イロ ン像 は、 透谷 がバ イロ ンの 実生 活上 の 悲劇 の中 から 抉り 出し たよ うな
、﹁ 女性
﹂︵ 及び それ が象 徴す る﹁ 實世 界﹂
︶と の葛 藤に よっ て厭 世の 極み にま で引 きず り込 まれ てゆ くと い う﹁ 厭世 詩家
﹂の 悲劇 的な 宿命 の重 さを 殆ど 感じ させ るも ので はな く()
、
25
逆に
、表 現が 大仰 であ る分 陳腐 に流 れ、 却っ てそ れが 一種 の軽 ささ え 生ん でし まっ てい るの であ る。 透谷 の論 と天 知の 論に おい て決 定的 に異 なる のは
、透 谷が
、﹁ 厭世 詩
家﹂ の厭 世感 情の 深ま りに つい て論 じる 際、 結婚 とい う出 口無 しの 不 自由 の問 題を 見据 えて いた のに 対し
、一 方の 天知 は、 業平 を予 め﹁ 破 婚の 身﹂ とし た上 で、 業平 に﹁ 悲憤 突貫 の厭 世旅 行﹂ とい う、 不自 由 から の脱 出口 を用 意し てし まっ てい る点 であ る。 透谷 は、
﹁想 世界
﹂か ら﹁ 實世 界﹂ へと 転落 した
﹁厭 世詩 家﹂ が結 婚生 活に おけ る様 々な
﹁繩 墨﹂ と葛 藤す る中 で厭 世感 情を 深化 させ てゆ く内 面の 論理 を解 析す る こと を主 眼と して いた わけ だが
、天 知は そう では なく
、逆 に﹁ 實世 界﹂ から
﹁想 世界
﹂へ と赴 き、 結局 結婚 生活 にお ける
﹁繩 墨﹂ とは 無縁 の 存在
、即 ち﹁ 破婚 の身
﹂に なり 終わ った 業平 の感 傷を 描き 出す とい う とこ ろに
、自 身の 議論 の眼 目を 置い てい る。 つま り、 天知 の議 論に お いて は、
﹁繩 墨﹂ がも たら す不 自由 の問 題は 実質 的に は論 題に なっ てい ない ので ある
。 この こと は、 天知 が、 業平 の人 間像 を、 自身 の理 解し た﹁ バイ ロニ ズム
﹂の イメ ージ を参 照枠 とし つつ バイ ロン に連 なる よう な﹁ 繩墨 打 破﹂ の恋 愛歌 人と して 描き 出そ うと しな がら
、そ の業 平が 打破 せん と して いた
﹁繩 墨﹂ とは 何で ある かと いう 問題 につ いて 曖昧 な認 識し か 持ち 合わ せて いな かっ たと いう こと を意 味す るも ので あっ た。 この よ うな 透谷 と天 知の 間の
、﹁ 繩墨
﹂が もた らす 不自 由に 対す る問 題意 識の 落差
・温 度差 は、 早婚 のた め早 くか ら結 婚生 活の もた らす 様々 な﹁ 繩 墨﹂ の不 自由 の問 題に 逢着 せね ばな らな かっ た透 谷と
、当 時未 婚で 外 部の
﹁繩 墨﹂ の問 題よ り恋 愛の 苦悩 とい う自 身の 内面 の問 題の 方に よ り多 く拘 泥す るこ とで きた 天知 との 間の 人生 経験 の差 に起 因す ると 見
るこ とが でき るよ うに 思わ れる()
。
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この よう に、 天知 は透 谷に 比べ
﹁繩 墨﹂ の問 題に 対す る実 感が 薄く
、 その よう な天 知の 実感 の薄 さが 業平 にお ける 打破 すべ き﹁ 繩墨
﹂の イ メー ジの 曖昧 さと して 表出 して しま って いる と考 えら れる わけ であ っ たが
、恐 らく この 実感 の薄 さは
、自 身が 立論 のた めに 参照 枠と した
、
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と して のバ イロ ン像 それ 自体 の曖 昧さ にも 及 んで いる と考 える べき であ るだ ろう
。そ の曖 昧さ が、 あの 大仰 な﹁ バ イロ ニズ ム﹂ のイ メー ジと して も表 出し てい ると 見る こと がで きる の であ る。
﹁業 平朝 臣東 下り の姿
﹂に おけ る断 片的 なバ イロ ン言 及か ら 見え てく るバ イロ ンの イメ ージ は、 一応
﹁繩 墨打 破﹂ の恋 愛詩 人と 呼 べる よう なも ので あり なが ら、 その 打破 すべ き﹁ 繩墨
﹂が ほと んど 具 体性 を帯 びて いな いと いう あや しい 人間 像で あり
、茫 漠と した 外部 世 界に おの れの 厭世 感情 を絶 叫す る﹁ 狂詩 人﹂ の域 を出 ない もの であ っ たよ うに 思わ れる わけ であ る。
四 、
日 清 戦 争 と ﹁ 繩 墨 打 破
﹂ 的 バ イ ロ ン 熱
実は、こ の﹁ 繩墨 打破
﹂の 恋愛 詩人 とし ての バイ ロン 像に おい て﹁ 打 破﹂ すべ き﹁ 繩墨
﹂の イメ ージ が欠 落し てい ると いう 事態 は、 ひと り 天知 にの み当 ては まる 問題 では なく
、﹃ 文學 界﹄ 同人 に等 しく 共通 する 問題 であ った
。例 えば
、平 田禿 木は
﹁欝 孤洞 漫言
﹂に おい て、 詩人 を 様々 な﹁ 繩墨
﹂で 拘束 しよ うと する
﹁小 見地 の徒
﹂に 対し
、﹁ 憫れ むべ
きか な小 見地 の徒
、西 行あ らば 汝を 笑は む、 芭蕉 あら ば一 顧も せま じ、 バイ ロン あら ば靈 刀一 閃、 詩神 の前 に汝 が肺 腑の 汚血 を流 さむ
﹂︵ 二四 九頁
︶云 々と 書き
、﹁ 繩墨
﹂を
﹁靈 刀﹂ で一 刀両 断す る﹁ 繩墨 打破
﹂の バイ ロン 像を 描き 出し てい る。 だが ここ では
、﹁ 詩神
﹂の 名の 下に バイ ロン の﹁ 靈刀 一閃
﹂と いう
﹁繩 墨打 破﹂ の大 仰な 身振 りが 肯定 され て いる のみ で、
﹁靈 刀一 閃﹂ によ って 斬ら れる
﹁繩 墨﹂ は、 ただ 単に
、詩 人の 特異 性を 理解 しな い世 俗の 論理 一般 や倫 理一 般と して 漠然 と意 識 され てい るに すぎ ない
。ま た、 戸川 秋骨 も﹁ 俳人 の性 行を 想ふ
﹂︵
﹃文 學界
﹄第 五號
、明 治二 六年 五月
︶に おい て、
﹁パ ウロ も狂 せり スピ ノザ も狂 せり 太白 も狂 せり バイ ロン も狂 せり
、彼 等果 して 狂ひ しか 世狂 へ るか
、彼 等は 到底 一代 の大 人な り、 神な らぬ 俳人 何ぞ 獨り 狂せ ざら ん や﹂
︵二 六六 頁︶ と、 世の 縛り から 外れ た﹁ 繩墨 打破
﹂の 偉人 の一 人と して バイ ロン の名 を挙 げて いる が、 ここ でも バイ ロン の﹁ 繩墨 打破
﹂ の身 振り とし ての
﹁狂
﹂が
、古 今東 西の 宗教 者や 哲学 者や 詩人 の﹁ 狂﹂ と漫 然と 並列 され る中 で、 その 具体 的な 意味 内容 をぼ かさ れ、 結果 と して バイ ロン にと って の﹁ 繩墨
﹂の 内実 がよ くわ から ない もの とな っ てし まっ てい る()
。さ らに
、馬 場孤 蝶も
、﹁ 想海 漫渉
﹂に おい て﹁ 猛省 せ
27
よ、 今此 世紀 の始
、英 國の 社會 益々 姑息 に流 れ、 準繩 に由 ての み事 を 行ふ 悲運 は、 遂に 彼の バイ ロン
、シ エレ ーの 徒を して 國外 に客 死せ し めし に非 ずや
﹂と 述べ
、詩 人の 詩想 の自 由な 展開 を阻 む﹁ 益々 姑息 に 流れ
、準 繩に 由て のみ 事を 行ふ
﹂﹁ 英國 の社 會﹂ と詩 人と の間 の葛 藤を 問題 視し ては いる が、 バイ ロン が﹁ 英國 の社 會﹂ の何 を打 破す べき
﹁繩
墨﹂ と捉 えて いた のか
、と いう 点を はっ きり させ てい ない ため
、﹁ 繩墨
﹂ のイ メー ジを 具体 的に 示す には 至っ てい ない
。島 崎藤 村に して も、
﹁こ とし の秋
﹂︵
﹃文 學界
﹄第 二二 號、 明治 二七 年一
〇月
︶の 中で
﹁バ イロ ンい たず らに 世を 憤る と見 るは 非な り﹂
︵第 二二 號、 一八 頁︶ と書 き、
﹁繩 墨﹂ とし ての
﹁世
﹂と バイ ロン との 間の 摩擦 の問 題を 見据 えて はい るが
、何 故バ イロ ンが
﹁世 を憤 る﹂ に至 り、
﹁世
﹂の 何に 憤っ てい たの か、 とい う点 につ いて 十分 に自 身の 言葉 で説 明し 切れ てい ない
。そ し てバ イロ ンの
﹁繩 墨打 破﹂ の身 振り を表 現す るに 当た って は、
﹁バ イロ ンは 自然 と名 のつ いた る天 馬の 伯樂
うま かた
か。 非あらむ か﹂
︵同 前、 一九 頁︶ とい っ た大 仰な 表現 で逃 げて しま って いる()
。
28
この よう に、
﹃文 學界
﹄同 人た ちは
、バ イロ ンの
﹁繩 墨打 破﹂ の身 振 りに 感情 移入 を逞 しく し、 そう する こと によ って
、﹁ 繩墨
﹂の 側か らは 理解 され ざる
、自 身の 恋愛 問題 を中 心と する 鬱屈 した 思い を慰 める と いう こと をし てい たわ けで あっ たが
、彼 らが 思い 描い てい た﹁ 繩墨 打 破﹂ の詩 人と して のバ イロ ン像 の内 実が
、そ の感 情移 入の 激し さの 割 に極 めて 茫洋 とし 漠然 とし たも ので あっ たと いう こと が、 彼ら のバ イ ロン 言説 から 理解 され る。
﹃文 學界
﹄同 人が 自分 たち の精 神の 拠り 所 の一 つと 目し てい たバ イロ ンに 対し てさ え明 確な 像を 描け てい なか っ たと いう 事態 は、 彼ら 自身 が自 分た ちの 拠っ て立 つべ き価 値基 準、 彼 ら自 身の
︿繩 墨﹀ をは っき りと 自覚 し切 れて いな かっ たと いう こと を 示し てい よう
。こ こに
、﹃ 日本 評論
﹄に 拠る キリ スト 者の 言論 人や
﹃國 民之 友﹄ に拠 る民 友社 系の 啓蒙 的知 識人 らか らの
﹁高 踏派
﹂批 判を 許