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こぺる No.204(2010)

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2010

NO. 204

ひろば⑩ 「ごちゃまぜ

J

の生き方 一一歩前へ 坂倉加代子 播州からの便り④ 性犯罪と裁判員裁判 ー傍聴して考えたこと 福岡ともみ 自分史のこころみ⑥ 自己を見つめ、歴史につながる 一「在日」から見えてくるもの (3) 金 光 敏 いのちを生きる⑧ 乙べる刊行会 人びとが幸せになれるお金の使い道とは

長谷

洋子

記憶の旅から明日へ一写真提供と文 小 林 茂

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写真提供と文一小林茂(右から2人目筆者 GHQによる日本占領、朝鮮戦争、対日講和条約を経た昭和29 (1954)年、私は生まれ た。当時の首相、吉田茂にちなんで茂と名づけられた。同級生に同じ名前が3人もいた。 一一小学校 5年生(昭和41年・ 1966年)の頃の遠足 わが村でも小学校に上がる前の1年間、お寺での幼稚園が始まった。あるとき寺の竹の 子が折られるという「事件

J

が起きた。容疑者として私と友だち4人が、囲炉裏端に座ら された。住職が「みなの手を前に出しなさい。竹の子を折った者には匂いがついている j と言うと、一人がさっと手の匂いをかいだ。それが「犯人」だ、った。これには感心した。 小学校は「戦後民主教育」の反動であろう、卒業式では「日の丸jが掲げられ、「優等 生」の表彰があり、「君が代」が斉唱された。歌の意味など分かるはずもなく、何の疑問 を持つこともない。戦前ならば私も軍国・皇国少年になっていたであろう。(高校に入っ て「日の丸」「君が代」がなくて驚いたことを覚えている) 小学6年生の担任のT先生は航空隊だった。訓練用の飛行機「赤とんぼ」のことをよく 話してくれた。[飛行機が落ちそうになると、後ろに乗った教官が頭をぼかりとなぐる、 かん こつけい はっとして操縦梓を手前に引くと上昇するのだんその滑稽な姿を想像してみんなで、笑っ

(3)

ひ ろ ば ⑩ ー一歩前へ

齢化率二二・八%、私たち女性の平均寿命は八六・

O

五一 歳。もう私は生きてはいないが、二

O

五五年には高齢化

γ

率四

0

・五%になり、女性の平均寿命は九

O

歳 を 越 え る 。 一 このような変化に向けて、社会システムの変革は勿論の− こと、私たち一人ひとりの意識改革が確かに必要である o 一 樋口恵子さんは、これからの社会をか﹁人生百年社一 会﹂という寿命革命の到来 u と一言い、ベ人生百年丸﹂に一 乗った私たちは、夫婦はどうあればいいか、親子関係、一 働き方、地域社会のあり方など、初めての社会を考えて町 いかねばならない 4 と説き、万人生五十年時代の﹁男は− 外の仕事、女は家庭の仕事﹂なんて通用しない α と言い一 切っている。表現は異なるが、意識の変革を促す点では、一 山田教授と同じことだ。また上野教授もか死別シングル は妻への依存が深いため、生活能力がない傾向にあり、− 喪失経験も深い α と書き﹁男おひとりさま道山カ条﹂の−

NPO 法 人 四 日 市 男 女 共 同 参 画 研 究 所 ︶ 暮れに新聞の生活面から三つの記事を切り抜いた。 ︿上野千鶴子教授指南の﹁男おひとりさま道﹂﹀と︿社会 現象に見る二

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O

九年山田昌弘・中央大教授に聞くて そして︿人生百年時代の生き方は評論家・樋口恵子さ んに聞くていずれも紙面の半分を占め、顔写真もハガ キ 大 だ 。 山田教授が言、っか現行の社会保障制度は﹁サラリーマ ンの夫と専業主婦﹂がモデル家族だった時代のもの。 ワーキングプアが存在することを前提としたセーフティ ネットにならない。最低限の生活が可能となるシステム ゃ、子育て期、高齢期など経済的に不安定な時期の人た ちを、社会で支える方法も考える必要がある μ とかかそ こそこの生活ができれば、たくさんのお金を持っていな くても、心豊かに暮らせる生き方を各自が考える時が来 ています d などにうなずく。グラフを読むと、現在、高 こベる 1

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第一条にか衣食住の自立は基本のキ d と 掲 げ て い る の は 、 樋口さんの男女の役割分担意識に対する発言を裏付けて い る 。 男にとっても女にとっても長生きするということは、 今までの生き方を変える覚悟がいるということだろう。 それにしても﹁男おひとりさま道日カ条﹂の第二条・ 体調管理は自分の責任、第三条・酒、ギャンブル、薬物 などにはまらない、第四条・過去の栄光を誇らない、第 五条・ひとの話をよく聞くとあるのを、なるほどと思い ながら読み進むうちに、読者はこのようなことまで教わ らなければならないのかと情けなく思え、これを説く紙 面の上野教授の顔が急に色あせて見えた。 この叩カ条に対する私の拒否反応は、前の晩、会食の 席で聞いた J 一人の男の物語。が心の中に鮮明に残って いたからかもしれない。それはこんなお話だ。男二人は 同級生。同じ町に住んでいる。男の一人は、食べ物に気 を遣い、酒も飲まず、一日一時間の散歩をし、健康のた めにと規則正しい生活を続ける。片やもう一人の男は、 ﹁食べたい物を食べたいだけ食べる。酒も飲みたい時に 飲みたいだけ飲む﹂と豪語し﹁運動すれば体力が消耗す る﹂と言って滅多に外に出ることはない。結果、肥満に なると﹁震災に出くわして食べ物がなくても、これだけ 脂肪をつけていれば、一一、三日はもつだろう﹂なんて反一 論をする。この二人が七十四歳になった時、規則正しい一 生活をしていた方の男が亡くなった。やぶれかぶれな生︼ き方の男は現在七十八歳で健在だそうな。規則正しい生一 活を否定するつもりはないが、自分の生き方は自分で決− めればいいではないか。この頃、かあーするとよい μ − J ﹂ーするとよい。の情報が多すぎる O M みんなと一緒− に。とかか普通は u とかが私は苦手になってきた。小林一 秀雄さんが、大学病院で血圧が高いと言われたことを掛一 り付けの町医者に告げると﹁それは平均値より高いとい一 うこと、あなたの血圧はあなたの血圧で何の問題もない。一 あなたの体全体を知っている私が言うのだから間違いな一 い﹂と言われ、ハッとしたと話しているテ

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プの声をふ一 と 思 い 出 し た 。 ア さらに、上野千鶴子さんの記事の中にグ子育てを終え一 た女性たちは、脱血縁、脱地縁、脱社︵会社︶縁のネッ一 トワl クをつくっている μ とあり、女性グループの中に一 男おひとりさまが入り、居場所の一つにすることを挙げ ている。たしかに女性たちは超高齢社会に備え、もう何一 年も前から、さまざまな取り組みを続けている。それは一 自分の問題だと認識しているからである。今、活動して︼ いるグループの中への男おひとりさまの参入は果して男一

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の自立を促すことになるのだろうか。 実は私も仲間と﹁高齢社会をよくする女性の会﹂ょっ かいちグループを発足させて十三年日になる。メンバー は一九九五年に北京で開催された国連による︿世界女性 会議﹀に四日市市から派遣された団員たちだ。北京の

N

GO

フォーラムで出会った北欧の女性に、日本の女性が ﹁あなたの国は安心して老いることが出来ていいです ね﹂と話しかけると、すかさず﹁国がいいのではありま せん。私たちが国にさせているのです﹂と返ってきた。 その言葉に刺激を受けた私たちは、帰って早速同志のネ ットワーク化を図ったのだ。 ま っ た だ 主 か 丁度、国では介護保険法号つくりの真只中だったので、 私たちにとっていい法律になるようにと、人々の声を集 めることから活動を始めた。介護している家族の声、介 護されている高齢者の声、施設長の声、介護職の人の声、 ち ま た ボランティアの声、巷の芦など当事者や市井の声を直 接聴き取り、息づかいが伝わるようにまとめて厚生省 ︵ 当 時 ︶ ま で 出 向 き 、 手 渡 し た 。 介護保険法が施行されて十年が過ぎた今、その節目に 再び現場の声を聴くため公募の﹁おしゃべり会議﹂を先 日開いた。施設の職員がなにげなく発する冷たい言葉な ど、施設で受けた介護の質の問題/現場をチェックする 機能が必要なこと/施設不足で行き場がない悩み/施設− 現場で慢性になっている人出不足/仕事は休みにくい、 母一人家に置いておけない、働かないとヘルパーさんの 費用が払えないと嘆く独身女性/デイサービスの中身が− 合わない老女の話/在宅を希望するが近くに往診してく一 れる医師がいない/老々介護の大変さ/糖尿病を患う認一 知症の母が骨折して入院、右往左往した話など、その場一 の空気が苦しくなるほど多種多様な問題が吐き出された。一 帰り際に﹁話が出来ただけで心が軽くなりました﹂と言 う女性に、何の解決も出来ない主催者は﹁来ていただい一 て あ り が と う ﹂ と し か 返 せ な か っ た 。 一 声を集める、そしてその声を行政に届ける活動ととも一 に、もうひとつ、理想の施設を求めて施設見学を実施し一 て い る 。 一 今年度は愛知県長久手町にある﹁ゴジカラ村﹂を訪れ− た 。 一 ﹁ゴジカラ村﹂と名付けた雑木林の中に、露天風呂も一 備えた特別養護老人ホ

l

ム﹁愛知たいようの社﹂、お母一 さんが遊びに行けるように子どもを預かる託児所﹁コロ一 ボツクル﹂、斜面を利用し高床式で建てられた長いログ一 ハウスの﹁もりのようちえん﹂、ヘルパ

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ステーション一 ﹁ひだまり﹂、訪問看護ステーション﹁ふれあい﹂、一 こぺる ケア 3

(6)

ハウス、デイサービスセンター、子どもとともに母親達 がグループ活動をする場として古民家﹁、ざわざわ﹂、総 合看護専門学校﹁もりのがくえん﹂、陶芸工房、レスト ランなどが点在、それらは森の小道でつながっている。 道の片端に小さな小さな小屋を見つけた。そこは﹁もり のとしよかん﹂だった。手作りの木製道しるべが私たち を案内してくれる。全体をまとめる事務所は﹁ゴジカラ 村役場﹂だ。私たち一行はこの役場で手続きを済ませ村 に 入 る 。 ﹁ゴジカラ村﹂の吉田一平代表が目指しているのは か時間に追われない因。グ様々な世代の人が混ざって暮ら し生きる雑木林のようなコミュニティ d と 聞 い た 。 三棟ある古民家のひとつに案内されたが、座敷に昨夜 亡くなったおばあさんが安置されていた。一晩中おばあ そ ば さんの側に寄り添っていたという特養ホ

l

ムの若い施設 長さんが、ジャ

l

ジ姿で無精ヒゲのまま私たちに施設の 説明をしてくれる。隣にある託児所からは、遊ぶ子ども は じ たちの声が弾け古民家に響く。 ﹁今日の葬儀には、あの子たちも参列するんですよ﹂ と施設長さん。質素な祭壇だが、花や、おばあさんの好 物であろうお菓子、楽しそうに笑うおばあさんの写真が 何枚も並べられていであったかい。施設長さんが﹁この 人パソコンが大得意だったんですよ﹂と我がことのよう一 に自慢する。私たち二十人も一人ひとり手を合わせ、こ一 のおばあさんは﹁ゴジカラ村﹂にいて幸せだったに違い目 な い と 思 う の だ っ た 。 一 森の道のやわらかいカ

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ブを、道端の草花を眺めなが一 ら歩いていると、ゆったりとした時のリズムが体の中に一 浸 透 し て く る よ う に 感 じ ら れ た 。 一 ﹁もりのようちえん﹂に着く。百人を超えるであろう一 園児たちが、長くて広いデコボコした土の園庭でピチピ一 チと走り廻っていた。私の目に一瞬、小猿のように映る。一 人 間 の 原 型 を 見 た 思 い が し た 。 一 吉田代表の考えでグカリキュラムはなしヘ毎日がた一 だ遊びだけの幼稚園らしい。森の中で一日中、虫と遊ん一 でいる子もいると言う。文部省が幼稚園としての許可を一 なかなか出さなかったとも聞いた。私たちに向ける園児一 たちの笑顔がかこれが子どもの本当の笑顔だょがという一 よ う に 光 っ て い た 。 古民家﹁ざわざわ﹂で昼食をとることになった。子育− てグループの若い女性たちがお弁当を持ち寄り、あちら一 の隅で、こちらの隅で、車座になり談笑中。さっと私た一 ちの場所を作ってくれる。この人たちも﹁ゴジカラ村﹂一 の住民だ。そして、その時、私たちも住民になった気が一

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ー レ れ ∼ 。

心のどこかで、森の中の生活は不便だ、快適とは言え ないと思っていたが、いつの間にか、かああ、こんな所 つ い す み か ひ を終の住処にしたい w と﹁ゴジカラ村﹂に惹かれていっ た 。 ﹁ゴジカラ村﹂の魅力は雑木林という自然にあること は一言うまでもないが、よ﹂ちゃまぜ。の魅力が大きいと 私は思う。老人、子ども、子育て中の若い人たち、学生 と多世代のごちゃまぜが雑木林にもうひとつの生命をぶ か も つけている。違ったもの同士がやさしい空気を醸し出し て い る 。 吉田代表は働︿人を選ぶ時にも、ごちゃまぜの思想を 徹底させる。きびきびと働く人だけでなく、のんびりを 楽しめる人も選ぶ。効率性だけでなく無駄が多い人も必 要とする。いろんな職員がいて遠回りすればするほど、 多くの人たちが楽しめ、いつもぐちゃぐちゃしているか ら、どんな人にも役割や居場所ができてくると考えてい るそうだ。この目には見えない吉田さんの哲学が﹁ゴジ カラ村﹂のあちらこちらから伝わってきた。 よ ど り や ま ぜ μ は老後の暮らしのキーワードになって い る の か も し れ な い 。 数年前に訪れた惣万佳代子さんが自宅で開設している 富山のデイサービスセンター﹁このゆぴと l まれ﹂もご− ちゃまぜだったことを思い出した。普通の住宅。玄関を一 入ってすぐの板の間に丸い大き目のテーブルを囲んで老一 人たちが腰かけていた。認知症を患っている人が多いと一 一吉う。一人の老女が赤ちゃんを抱っこしてあやしている。一 穏やかな表情だ。しばらくすると小学生の男の子が﹁た だ今!﹂と言って上がり込んできた。ここは 0 歳児から 預かる託児所であり、学童保育所の役割も果している。一 知的障害を持った若者たちが、出来ることを寄せて働く一 授 産 所 で も あ っ た 。 一 ﹁ニ!ズに応えているだけよ﹂と惣万さんは言つての一 ける。このごちゃまぜの騒音の中で説明を受けている問、一 一一時間近くになるだろうか、私たちの側で、一人のおば一 ひ ざ ま く ら 一 あさんが中学生位の女の子をずっと膝枕させていた。一 おばあさんは話しかけることもなく、ただ女の子の背を一 トントンしているだけだった。その時の二人の、うっと一 お ぽ − り と し た 表 情 を 鮮 明 に 憶 え て い る 。 一 ﹁ こ の ゆ び と

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まれ﹂も当初は縦割り行政が壁になり一 補助金が出なくて運営は苦しかったと惣万さんは話す。一 今 で は 実 績 が 物 を 言 い 、 こ の ご ち ゃ ま ぜ が 富 山 方 式 と 一 一 一 日 一 わ れ る 程 に な っ て い る 。 一 ご ち ゃ ま ぜ の 中 で も 、 一 とりわけ老人と子どもは相性が こぺる 5

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い い の だ ろ 、 っ か 。 東京の小平市にある﹁ケアタウン小平﹂では、子ども 図書館と子どもが遊べる芝生の広場が設けられていた。 ここでも老人と地域の子どもを近づけていたのだ。 臨床心理学者の河合隼雄さんはかあの世に近い者とあ の世から来た者同士 w と 言 、 つ が 、 老 人 と 子 ど も の ふ れ あ いは老人にとってというよりも子ども達にとって今、必 要なことではないだろうか。一日中、親から﹁早くしな さい﹂を言われている子どもたちは、ゆっくり歩き、話 す老人に心を休めることが出来るかもしれない。最近、 動作がスローになってきた私はそう思う。 先日、子育て支援を考える講座の参加者にかほんとう にほしい子育て支援 d を書いてもらった。病児保育や延 長保育などが挙げられていたが、ひとつ、とても楽しい 提案があった。それは小学校区に一軒﹁おじいちゃんや おばあちゃんの駄菓子屋さん﹂を行政が作り、住民が運 営してはどうかと言うものだった。お母さん達の行き場 所にもなるからと言う。この提案は、樋口恵子さんの記 事万年金生活が二十年、コ一十年あるなら、そこで第二の 働き方を考えてほしい。経済的自立のためではなく、人 と出会い、お役に立つために ρ と結びつくのだが、よね 役に立つために U だけではなく、ほどほどの賃金が出る 働 く 場 こ そ 必 要 で は な い か と 考 え る 。 一 切り抜いた新聞に何かもの足りなさを感じていたのは、一 人々の支え合いを一般論的に強調しているところにあっ一 た。あくまでも支柱は国︵行政︶であり、支柱が前提と一 なった支え合いではないだろうか。私が肌で感じたグ現− 実 d が そ う 強 く 思 わ せ る 。 一 山田教授の記事の中見出しはか﹁安心はどこ?﹂ Fi −− 探し求め μ と な っ て い る 。 ぼちぼちの歩みだが、私たちの安心を求める活動はま一 だ ま だ 続 く 。 一 理想的で現実的な施設﹁ゴジカラ村﹂や﹁このゆび一 と l まれ﹂をこの目で見、吉田さんや惣万さんからお話一 を伺えば希望を感じ、お先まっ暗な私たちの活動は、ま− た 一 歩 前 に 進 む 。 一 も う 当面の目標は、儲かる﹁おばあちゃんの駄菓子屋さ一 ん ﹂ に し よ う か 。 一 樋口恵子さんが言っている O M 長寿国は理想国 u なの一 だと。私は思う。高齢者が生きていてよかったと思える一 国は、きっと子ども達も生きやすいにちがいないと。一

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播州からの便り④ 福岡ともみ︵ウイメンズカウンセリング 京 都 ・ 兵 庫 県 加 古 川 市 在 住 ︶

性犯罪と裁判員裁判

ー 傍 聴 し て 考 え た こ と 奈良地裁ではじめて、性犯罪事件の裁判員裁判が行な ご う か ん われた。事件名は﹁わいせつ略取、監禁、集団強姦致 傷﹂事件。裁判は

O

九年一一月二四日から二七日まで集 中 審 理 さ れ 二 一

O

日に判決が出た。判決は一人が実刑で、 あとの三人は執行猶予判決だった。 実は裁判員制度の対象事件の二割は性犯罪事件なのだ。 ﹁女性への暴力ホットライン奈良﹂︵代表・川村容子弁護 士。以下﹁ホットライン﹂と略す︶の事務局員でもある 私は﹁ホットライン﹂として、裁判に先立つ七月一四日、 奈良地裁と奈良地検に﹁性犯罪被害者への二次被害の防 止﹂を要請した。代表の川村弁護士と二人の事務局員で 奈良地裁の総務課と奈良地検の被害者等相談室に出向き、 ﹁性犯罪においては被害届の提出や告訴が困難な社会状 況にある﹂現状を共有した上で、裁判員などを対象にし た二次被害防止研修の実施を要望した。 法廷の構成は裁判官と裁判員は全員男性、補充裁判員一 三人のうち一人だけ女性。検事は二人女性、一人男性。一 弁護士は一人女性、三人男性であった。また、被害者代目 理人の女性弁護士が検察側に加わっていた。なお被害女一 性の名前、住所は伏せられ、怪我の写真などは裁判員の み見える仕組みで二次被害への配慮がされていた。一 被 告 の 男 性 四 人 は 一 一 一 j 二三歳、うち三人は小さい頃一 から同じ道場に通う柔道仲間で、インターハイ出場経験一 者もいた。上背がありガツチリとした体格で威圧感があ一 る 。 一 事件の概要は、﹁四人は強姦を目的として軽ワゴン車一 に布団や毛布を積み込み、コンド l ムを準備し、約二時一 間半にわたり物色しながら走り回っていたところ、帰宅一 P つ 争 つ 一 途上の女性を路上で投致、抵抗する女性を車に連れ込み、一 運転していた者以外の三人が女性の身体を押さえつけ乱一 ひ ざ 暴しようとした。そのさい膝や腰などに怪我を負わせ一 裁判初日の一一月二回目、﹁ホットライン﹂から二人 が参加したものの傍聴多数で抽選となり、私一人で法廷 に 入 っ た 。

J こベる 7

(10)

た﹂というものだ。車内に連れ込まれる女性の悲鳴を聞 い た 住 民 が 一 一

O

番通報し、数分後に駆けつけた警察官 に職務質問され現行犯逮捕された。 被告人側は、罪状認否は争わないとしたうえで、

A

被 告の弁護人から﹁︵下着のなかに︶指を入れたのは

A

さ んではない﹂ことのみ争うとした。弁護人四人のうち三 人は被告を終始﹁さん﹂付けで呼び、裁判員に予断を与 えるのを避けるというスタンスをとっていた。 検察も弁護人も裁判員に向かって、プレゼンテーショ ンするように要点や論点、根拠についてツ l ル を 使 い 、 わかりやすく説明していく。検察側は、手書きボ

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ド と パ ワ

1

ポイントを使って事件の流れを説明しながら冒頭 陳述をおこなった。弁護側は一人の被告に対して、一人 の弁護人が被告人各々の立場を説明していった。弁護人 の﹁プレゼン﹂のポイントは、①許されない罪を犯した ことを心から謝罪している、どんな量刑でも、つける覚悟 と表明した上で、②計画性がないことを強調し、③量刑 にあたり、刑に服したのち社会に復帰して生き直しがで きるために全員一括ではなく一人ひとりの量刑を考えて ほしいというものだった。たとえば

B

被告人の男性弁護 人は量刑を考えるポイントを①犯行に関わる情状、②被 告人の反省、③示談の成立、④被告人の母の決意、⑤前 科前歴なし、⑥社会的制裁を受けている点をパワ l ポイ一 ン ト で 示 し た 。 私が奈良地裁で初めて公判を傍聴したのは九六年三月、一 西ノ京高校演劇部セクハラ事件の裁判だった。以来何度− も、性暴力や

D

V

事件などを傍聴してきたが、正直、こ一 の 日 ほ ど わ か り や す い 公 判 は な か っ た 。 一 ﹁ 謝 罪 ﹂

の意昧

A

被告の弁護人は、自身が女性であることから性犯罪 が与える女性へのダメージや痛みについて被告人に伝え てきたと主張しつつ、集団強姦罪の成り立ちを解説し、 ﹁ ス ー パ ー フ リ

l

事件を発端に新設されたが、その事件 と当該事件とは計画性において異なる﹂との見解を示し た。被告人全員に性犯罪被害者が実名で出版した冊子 ︵小林美佳著﹃性犯罪被害にあうということ﹄︶を読ませ 反省文を書かせたことなども述べ、全弁護人が﹁許され ない犯罪﹂と﹁謝罪﹂を強調した。くどいほど繰り返さ れる﹁謝罪﹂を聞きながら、性犯罪の構造や被害者の痛 み、苦しみ、怒りは真に伝わっているのだろうかとの思 いがよぎる。私には違和感がぬぐいきれなかった。 午後、被害者の母親が証言台に立った。証人席には被

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つ い た て 告人や傍聴席から見えないよう衝立が設けられた。検察 官の質問の後、男性弁護人から、証人に対して謝罪と証 言への謝辞が述べられた。丁寧な姿勢だなと思ったが、 そのあと耳を疑う質問が始まった。 まず被害者のアルバイトの内容を証人に問、った。証人 が﹁水商売です﹂と答えると﹁具体的には?﹂とたたみ かけた。検察が制止し、そこで止まったが、続いて被害 者が夫にアルバイトを隠していた理由を尋ね、事件当日 の被害者の服装を確認し︵すでに検察から証拠写真とし て提出済みて最後には﹁証人は被害者に夜中に徒歩で帰 宅することを注意したことがあるか﹂と尋ねたのである。 これらの質問は暗に被害者の﹁落ち度﹂

l

仕 事 、 服 装 、 時間帯を印象づけ、それをもって裁判員や市民の中に ある﹁レイプ神話﹂を引き出し、被告人の情状に転化す る 戦 術 と 感 じ た 。 弁護人の質問の問題点は、第一に性犯罪は加害者の選 択であることがわかっていないことだ。加害者こそが時 と場所と人を選択している。服装がどうであれ、仕事が 何であれ、夜道だろうが職場や学校だろうが、夫 ︵ 妻 ︶ ・ 恋 人 と の 関 係 あ る い は 過 去 の 性 的 経 験 が ど う で あ れ、性別がなんであれ、加害者の選択によって起きてい る。第一一にこれらの質問は﹁あなたに落ち度がないこ ﹁被害者の落ち度﹂論は、例えばけんかを売って一 季 、 C れた被害者、あらぬ欲を出して詐欺にかかった一 被害者など、他の犯罪でもさほど特別なものではな一 い。これらの被害者の﹁落ち度のある行為﹂は、殺一 人行為を招きあるいは詐欺を成立させる、言わば一 ﹁犯罪誘発行為﹂と同視できるものである。これに一 対して、性犯罪において持ち出される﹁被害者の落一 ち度﹂論が違うのは、﹁自己防衛をしなかったこ一 と﹂が問題とされることである。[セクシーな服を一 着でしたたかお酒を飲んで男の車に乗ったら、男が一 ムラムラして危ないからいけませんよ﹂というとき、一 と﹂を証明し、なければ加害者は罰せられないという被害 者へのメッセージとなる。﹁強かん﹂は公にしたとしても 罰せられない犯罪なのだと社会に伝え、いまこのときも 日本中で新たな﹁彼ら﹂がゲ l ム感覚で﹁強かん﹂を計 画、繰り返す要因の一つとなっていると思う。 私は加害者側が謝罪をする前提として、﹁被害者には 落ち度はない﹂と表明する必要があると思う。知人から ﹃事例で学ぶ司法におけるジェンダ

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・ バ イ ア ス ﹄ ︵ 第 二東京弁護士会ほか編、明石書店、出年︶の一文を紹介 さ れ た 。 こぺる 9

(12)

お お か み このフレーズは、本来、﹁男は狼だから、女は気 をつけて自己防衛しましょう﹂という、残念ながら 現に存在する危険に対する自己防衛推奨論である。 ﹁セクシーな服を着でしたたかお酒を飲んで男の車 に乗ること﹂をしないことが自己防衛行為であり、 それをすることが犯罪誘発行為ではない。ところが、 これが﹁女性は強姦されないよう自己防衛をするべ きであり、それを怠った女性は男性から強姦されて も仕方ない落ち度がある﹂という議論として用いら れているのが、強姦における﹁被害者の落ち度﹂論 で あ る 。 この転用は正しいのだろうか。そこに根底の発想 のすりかえはないだろうか。女性への責任転嫁によ る男性の強姦の正当化ではないだろうか。 ︵ 三

O

l

コ 一 頁 ︶ これを読んで、弁護士の性犯罪加害者に対する弁護戦 略の転換が必要だと思った。﹁落ち度﹂言説の打破とレ * イプシールド法が絶対に必要だ。また今回の裁判では、 かなりの数の裁判員が弁護士と検庶去巨によって忌避され たという。弁護人側の理由として﹁痴漢被害にあったこ とがある﹂﹁別の性犯罪被害者の親族﹂などがあげられ ているが、この一一つを併せたらほとんどの女性は性犯罪 事件の裁判員には選ばれないだろう。 弁護人の﹁プレゼン﹂を聞きながら、現行の刑事裁判一 は、国家秩序維持のために加害者を罰し更正させる仕組問 みだと気づいた。国家権力が社会秩序や安寧を乱した市一 民︵被告人︶を裁くのが刑事裁判なのであり、加害者に一 とっては裁判所 H 国家への﹁謝罪﹂が重要なのだ o 弁護一 人の語る﹁謝罪﹂への私の違和感の原因はここにあった。一 裁判員裁判は﹁司法制度は犯罪被害者のためにあるので一 はない﹂ことを浮き彫りにしたのかもしれない。一 性暴力の実態と構造、被害の心身への影響は隠された一 ままだ。被害当事者、その家族や友人も含め、人間への一 信頼、社会への信頼を回復できる法律や司法制度へと変一 草 す る こ と が 必 要 だ と 痛 感 し て い る 。 一

傍聴を終えて

* レ イ プ シ ー ル ド 法 有 名 町

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2

︶ と は 強 姦 罪 の 適 用 に あ た り ﹁ 被 害 者 の 貞 操 観 念 ﹂ ﹁ 被 害 者 の 抵 抗 の 証 拠 ﹂ を 問 わ ず 、 い わ ん や ﹁ 被 害 者 の 性 的 経 歴 ﹂ を 示 し て ﹁ 合 意 ﹂ の 証 拠 と す る よ う な 行 為 を 禁 ず る 法 。

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自分史のこころみ⑥

ー ﹁ 在 日 ﹂ か ら 見 え て く る も の ︵ 3

歴史に

金光敏︵保育士・京都市在住︶ 生まれてからの二十年余りの自分は、もはや他人のよ うです。しかし、その後の三十年近くの自分を別の自分 の目で見ることは困難で、立ち往生してしまいました。 そ いろんな出来事が駆け巡るのですが、まだ生々しくて阻 し ゃ く 唱できないまま今に至っています。 ﹁ 感 性 ﹂ ﹁ 感 覚 ﹂ は 不 確 か で 、 変 わ り ゆ く も の だ け れ ど 、 人が人として生きるためには大切に育まれるべきだと思 っています。あんなに嫌だった朝鮮人形が、中学を卒業 する時には美しく見えた私ですから。価値観が変わるこ とで、見るもの聞くものの景色が透き通り、自分に関わ い と る人全てを愛おしく感じられました。私は自分の子供に も、保育園の子供たちにも、偏見なく人と出会ってほし いと願い、京都で在日コリアシの多く住む東九条で働き、 生活してきました。保育園の中ではコリアの文化が日常 的に溶け込み、子供たちは﹁民族名﹂の友人と当たり前一 に生活しています。一九九三年以降、民族、世代を越え一 て飯られてきた﹁東九条マダン﹂というお祭りでは、我一 が子も保育園の子も、そこで民族文化と人との交流の素一 晴らしさに触れてきました。私にとって地域で暮らすこ一 と は 、 ﹁ 感 性 ﹂ ﹁ 感 覚 ﹂ を 研 、 き 澄 ま せ な が ら 、 人 と つ な が 回 る ﹁ 日 常 ﹂ で あ る の で す 。 一 とは言え、自分の﹁感性﹂﹁感覚﹂だけではどうしよ一 うもない問題が社会には多くあります。憲法の﹁全ての一 国民﹂の公的英語訳は﹁

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こ 岳 山 ロ

2

3

2

1

巾﹂ではな一 く ﹁ ﹀ 戸 。

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2

1

巾﹂となっているのですが、現実には日一 本国籍を持たない在日外国人は、憲法の﹁国民﹂からは− 除外されています。また参政権の論議の中からは﹁権利一 を主張するなら帰化して日本国籍を取ればよい﹂との声一 も少なからず聞こえてきます。しかし私たち在日外国人一 ほ ん ろ う は日本の法律の中で規定され、翻弄されてきた歴史を持一 つので、帰化することが全ての解決とはならないのです。一 私は在日三世で、現在は法的に﹁特別永住者﹂となっ一 ていますが、私一人の法的地位をとっても複雑な経過が一 あります。私が生まれた一九六一年当時は、国民健康保一 険もない無権利状態でした。六五年の日韓条約を契機に一 こぺる 11

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﹁ 韓 国 籍 ﹂ 者 の み に 、 ﹁ 協 定 、 水 住 ﹂ が 取 得 可 能 と な り 、 国 民健康保険も保障されました。そのため多くの在日コリ アンは﹁国家﹂ではなく﹁生活﹂を重視して﹁韓国籍﹂ を選択した経緯があります。﹁朝鮮籍﹂のコリアンの永 住権が認められるには、八二年の﹁出入国管理及び難民 認定法﹂の付則に於ける﹁永住許可の特例﹂措置まで待 たねばなりませんでした。九一年の﹁入管特例法﹂によ り初めて﹁平和条約国籍離脱者又は平和条約国籍離脱者 の子孫﹂は﹁特別永住者﹂という資格で統一されました。 しかし﹁永住﹂と言っても﹁退去強制事由﹂は存在して いますし、一度日本を離れるときは﹁再入国許可﹂を法 務 局 に 申 請 し な け れ ば な り ま せ ん 。 また﹁入管法﹂とともに在日外国人を管理するもうひ とつの柱である﹁外国人登録法﹂により、私は十四歳で 初 め て 指 紋 を 押 捺 し ︵ 八 二 年 、 十 六 歳 に 変 更 ︶ 、 そ の 後 三 年 ご と ︵ 八 一 一 年 、 五 年 ご と に 変 更 ︶ に 押 捺 し 続 け ま し た 。 八八年には指紋が生涯一度となり、二

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年には全て の外国人の指紋押捺が全廃されるのですが、ここに至る 背景には、指紋押捺拒否者及び留保者が一万人を超す八

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年代の指紋押捺拒否運動があったことを特筆しなけれ ば な り ま せ ん 。 しかし

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七年には﹁テロ対策﹂と称して、﹁特別永住 者﹂以外の外国人全てに入国の際の顔写真、指紋採取が 義務付けられました。そして外国人登録証の常時携帯義 務 、 重 罰 規 定 等 の 課 題 を 残 し な が ら 、

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九年、入管行政 に大きな転換がなされたのです。今回の入管法等改定に 伴い、﹁外国人登録法﹂が廃止され、私たち﹁特別永住 者﹂には新たな

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チ ッ プ 付 き ﹁ 特 別 、 水 住 者 証 明 書 ﹂ が 公布されます。﹁特別永住者﹂には、証明書の常時携帯 義務がなくなり、再入国許可制度も緩和されますが、そ の他の外国人にとっては、

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チップ付き﹁在留カー ド﹂の常時携帯義務を始め、罰則強化等、極めて厳しい 治 安 管 理 シ ス テ ム と な っ て い ま す 。 私を取り巻く﹁法的地位﹂を乱雑に書きましたが、こ のような法的立場をきちんと理解できている当事者は一 部だと思います。私自身、何度学習しても頭が混乱して しまいます。ただ学習を重ねることで、中学生のころ感 じた指紋押捺時の﹁不快な感触﹂の意味が、解き明かさ れ、自分がこの国でどのような立場であるのかを認識で きました。そして私は﹁感性﹂﹁感覚﹂で﹁朝鮮﹂を受 け入れたこととは別の次元で、この国で﹁外国人﹂とし て の 自 分 を 再 確 認 す る の で す 。

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私が私の人生に責任を持つのは当然なことなのですが、 果たして自分の子に同じ立場を強いていいのだろうかと 悩みました。なぜなら夫が日本人なので、子供には﹁国 籍﹂を選択する権利があるからです。日本は八五年﹁国 籍法﹂改正により父母両系主義となり、国際結婚では父 母どちらかの国籍が選択できるようになりました。とこ ろが韓国が、父母両系主義となったのは九八年以降のこ とで、うちの子供たちが生まれた時点ではまだ父系血統 主義だったのです?つまり父方の国籍しか選択できない ことから、うちのケ

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スでは子供の国籍は必然的に﹁目 、本国籍﹂となります。私は﹁選択できないまま日本国籍 になる﹂ことに反発とわだかまりを感じ、﹁国籍選択﹂ の方法を模索しました。そこで考えた苦肉の策が﹁法的 に結婚しない﹂という選択だったのです。 日本の民法に﹁準正﹂という条文があります。父が認 知した子は、その父母の婚姻によって父親の子としての 身分を取得するという内容です。日本の国籍法は、最近 まで、﹁認知﹂されていても婚外子には父親の国籍を認 めていませんでした。﹁準正認知﹂にのみ父親の国籍が 認められていたので、私たち夫婦は子供が自分で判断で きる年齢になるまで、法的婚姻関係を留保していたので す。そして一昨年、娘の大学進学を節目に、子供たちに一 国籍選択を促しました。二人の答えは﹁日本国籍﹂でし一 た。﹁コリアンの魂は自分の中にあるけれど、日本で生一 活する上では日本国籍のほうが生きやすい﹂との理由で。一 その回答は私には予想できたし、自分たちで選択するこ一 とは私の望んだことでもあったので特別なショックはあ一 りませんでした。ただこれは飽くまで﹁感傷﹂の範囲な のですが、自分の中の分身が消えたような、微妙な寂し一 さを感じてはいました。この家族で名前も国籍もコリア一 ン な の は 私 一 人 に な っ た の だ と 。 一 私の子供たちが、私たち夫婦の法的婚姻関係により一 ﹁日本国籍﹂を取得できた直後の

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八年六月、﹁婚姻の有一 無により子の国籍取得の扱いに差異を設けた現行の国籍一 法は憲法の平等規定に反する﹂との最高裁判決が出され一 ました。この画期的な判決を受けて、政府は迅速に対応一 し、その年の十二月には、国籍法が改正され、認知のみ一 により日本国籍の取得が可能となりました。この改正に一 h c h 、 関して﹁虚偽の認知﹂を危倶する意見もありますが、今一 まで不安定な状況に置かれた外国人婚外子たちにとって一 は、大いに歓迎される改正であることは間違いありませ一 ん 。 一 こぺる 13

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私の子供たちは﹁国籍選択﹂までダブルネ

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ム を 名 の っていました。私の民族名と夫の日本名を合わせた﹁村 上金﹂という名字です。この名前は一昨年の日本国籍取 得まで、外国人登録証に正式に記載された﹁公﹂の名前 として認められていました。もともと外国人登録証の ﹁通名﹂欄は戦前の﹁創氏改名﹂の名残としてあるので すが、発想を変えて﹁自分で決めた﹂名前を作ってやろ うと思いつきました。そして子供たちが十六歳の時の、 本人切り替えの際に申請したところ、それまで保育園、 学校で使ってきた名前としての実績が認められ正式記載 となったのです。このダブルネ

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ムは子供たちにとって 使いなれた自分の名前だったのですが、日本国籍選択を 機に消滅し、彼らの﹁戸籍名﹂は夫の名字となりました。 ﹁村上金﹂という名は、子供たちの記憶と高校までの卒 業証書に刻まれたまま、歴史的産物となったのです。た だダブルネ

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ムを取り戻すには﹁家裁の氏変更﹂という 方法があります。しかしそれはあくまで、子供たちがこ れから自分で決めた生き方の中で選択していくことでし ょう。ダブルネ

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ムを名のってきた二十年近くを子供た ちは、今後どのように振り返るのでしょうか。意識しな ければ、日本名の彼らは日本社会の群れの中で埋もれて いくでしょう。だけど、自己を見つめ、歴史につながろ− うとする時がいずれ訪れると信じています。そしていつ一 か気づいてほしい、親からの贈り物は﹁日本国籍﹂では一 な く 、 ﹁ 選 択 ﹂ で あ っ た こ と を 。 一 私は子供たちに背負わせてきたものは軽くないと思っ一 ています。彼らはダブルネ

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ムを名のることで、常に友一 人や先生から質問され、自分の立場を説明しなければな一 りませんでした。私自身﹁キムクアンミン﹂という名一 前を紹介する時、﹁韓国の方?日本語がお上手です一 ね﹂という反応に対して、自分が在日コリアンであるこ− と、祖父母が植民地時代に日本に来たこと、自分がほと一 んど韓国語を話せないことを説明してきました。地元の一 お店で﹁韓国の方なのにきちんとされていますね﹂と心一 ない言葉を受けたこともあります。相手の無知や無理解一 を﹁告発﹂することは、状況によっては否定しないけれ ど、粘り強く説明する努力こそが相手との関係を深めて一 いく上で欠かせない営みだと思いますし、なぜ相手が無− 理解であるのかまで洞察する力も求められます。時に感一 情が自分を置いて一人歩きする未熟な私ではありますが、一 自分の尊厳と同じ重さで自分以外の人の尊厳があること一 を 忘 れ ず に い た い と 心 に 誓 う の で す 。 一

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いのちを生きる⑮

人びとが幸せになれる

お金の使い道とは

長谷川洋子︵大阪府小学校教員 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶ 一一月下旬、思わず﹁へ?﹂と目を見はる文書がきた。 か ん が 昨今の子どもたちの理科ぎらいに鑑み、﹁理科教育振興 費国庫補助事業﹂が行われていることは聞いていたが、 市から各学校におろすのがぎりぎりになり、総額約八三 万円の理科の備品を購入する計画を数日中に立てよとい 、 つ の で あ る 。 年度当初、休んでいたために予算が組めなかった分を、 事務室に協力してもらいながらちまちまやりくりしたり、 自腹を切っていた私にとっては夢のような話だった。突 然 パ l ゲン会場に連れてこられ﹁今から一五分間で八

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万円分買っていいよ﹂と言われたような、うれしいもの の 気 ぜ わ し い 気 分 に な っ た 。 ところがよく聞いてみると、対象は来年から実施され る新学習指導要領の﹁新しく加わる単元﹂の備品だけと いうことで、がっかりしてしまった。すぐにでもほしい一 気体検知管とか方位磁針とか、身近なものを買うことが− できないのだ。総括のないまま﹁学力﹂と﹁ゆとり﹂の︻ 聞を振り子のように行き来する文科省の方針のもとで一 ﹁ 新 ﹂ の 字 が 泡 の よ う に は か な く 見 え る 。 一 金額が大きいので、来年から子どもたちに義務化され一 る 実 験 ゴ

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グルや、デジタル顕微鏡︵パソコンやテレビ一 に映し出すことができる︶を希望できてうれしかったが、一 あとは正直言って切実にほしいものではない。しかも最一 初から業者が指定されていた。中学年の担任の希望も聞− き な が ら 、 大 あ わ て で 予 算 を 組 ん だ 。 一 数日で予算を組むこと自体は難しい仕事ではない。し一 かし、後日おろされた消耗品分も合わせると一校あたり一 総 額 一 一

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万円ちょっとの物品が、全市六

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校であわた一 だしく決められて執行されることになる。こんな経緯で一 一 市 分 六 六

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万 円 ほ J どが国庫、税金から使われると思一 う と 、 も っ た い な く て 目 が く ら み そ う だ 。 一 これが﹁パラマキ﹂なのだと合点した。

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︵ 政 府 一 開発援助︶で、現地の人たちが切実にほしいとは思って一 いない機器に高額の資金がパンパン使われるのと何だか一 似ている。失業率が高く生活苦を抱えるひとたちが増え一 こべる 15

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ているこの固で、ばらまく余裕の金が一体どこにあるの か。いつになったら政府は﹁パラマキ﹂体質をなおせる のか。だんだん腹が立ってくる。 おまけに来年から理科の単元が増える。﹁理科ぎらい をなくすためにつめこみ授業をする﹂という発想にはち ょっとついていけない。いったい文科省の誰が考えつい たのか。政府高官たちはこんな仕事をしているのか:・。 怒りがなかなか収まらない。 正月、二年前に子宮頚がんでなくなった

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さんのご家 族から年賀状をいただく。お葬式に参列して以来、お家 に伺いお線香をあげさせていただこうと何度思ったか知 れない。その都度気後れし今になった。年賀状にならぶ 連れ合いさん、娘さん、六つになる息子さんの三人の名 前を見つめていると、ふと

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さんを亡くしたご家族の悲 しみはいくらか癒えたかもしれない、一緒に入院してい た

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さんとお線香をあげにいこうという気持ちになった。 入院中、私と

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さ ん は 、

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さんの不幸をはねかえすユー モアとバイタリティにどれほど助けられたことだろう。

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さんに連絡すると、すぐに﹁今、 るんよ﹂という返事がきた。

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医大に入院して あわててお見舞いにいく Q へ い そ く

S

さんは二度目の腸閉塞を起こしていた。私たち婦人科 が ん のがん患者は、腸に癌が再発したり、腸閉塞を起こすこ と が 多 い の だ 。 ﹁ 意 外 に 元 気 そ う や ん 。 よ か っ た ! ﹂ ﹁ 大 人 ら し く な っ た ね っ て 言 う て ! ﹂ 絶食で疲れていただろうに、

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さんはうれしそうにい ろ い ろ 話 し て く れ た 。 ﹁ ま だ

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を撮ってへんけど、明日から高校の授業が 始まるから息子を起こさなあかん。朝寝坊でなかなか 起きられないんよ。病院に無理きいてもらって、退院 できるようになったんよ﹂ 四人の息子を持ったくましいシングルマザ

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に 、 私 は な か ﹁少しでもお腹がいたくなったらすぐ再入院するねん で﹂とクギを刺すのが精一杯だった。

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さんにこそガンマナイフや免疫療法のような最先端 治療が必要なのだ。一日も早く保険対象にしてほしい! 金のあるなしで命の長さが決まりかねない世の中を、

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さんはひるまず生きている。

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鴨 水 記 を 実 施 す る 。 市 は ﹁ 自 律 的 、 民 主 的 な マ 古 い ﹁ 切 り 抜 き 帳 ﹂ か ら 。 教 育 を め ざ す 努 力 が 全 国 に 広 が っ て い ﹁ ﹁ 気 を 付 け 、 礼 ! L ソウルの小中高、くだろう L と 話 し て い る ﹂ ︵ ﹁ 朝 日 ﹂ 似 廃 止

1

植民地時代の慣習と決別、学校・− 6 ・

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朝 刊 ︶ 0 学級で新あいさつ学校の授業の始まマ新しい﹁切り抜き帳﹂から。 りと終わりに寸チャリヨッ!︵気を付﹁小学生が親に暴行死させられたと け ︶ L 寸キヨンネ!︵敬礼︶﹂と学級委の記事があった。理由の一つに食事が 員や班長の号令に合わせて教壇に黙礼遅く、しつけのつもりだったという。 する小中高伝統のあいさつを来月から 5 歳の娘たちの親として気をつけなけ 廃止する、とソウル市教育庁が 9 日、ればと思う。イライラする親の気持ち 明らかにした。/日本と似たこの礼儀も分かるのだ。/そんな時、私は子ど 作法は、日本の朝鮮半島植民地統治時もたちに食事ができるありがたさを話﹁人間と差別﹂研究会 の お 知 ら せ 代から約 100 年聞かけて定着したとすようにしている。人は動植物の命をこぺる刊行会総会

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される。しかし、教師から寸社会が大いただき、体を作って生きていること、 3 月幻日︵士︶午後 2 時より きく変化しているのに、植民地時代以世界には食べ物が無く命絶える多くの吉岡千代美さん 来のあいさつは旧態依然。先生と生徒子どもがいること。おかげで娘たちは何﹁いのちいっぱい学びたい が人絡を尊重し合うため、古い習慣とでも食べられるようになった。食事の夜間中学生の寸学びの力﹂﹂ 決別すべきだ﹂との声が強まったとい前後のあいさつも忘れない。/偉そう※研究会終了後︵午後 4 時よりてこ う。/とはいっても、あいさつは必要。なことを言う私も、子どものころは好ぺる刊行会総会を開きます。 今後、学校や学級ごとに話し合ってそき嫌いが多く、保育園の給食でわざと於京都府部落解放センター第二会議室 れぞれの方法を決める。今月中旬から肉を落としたことがある。食べるのがEO七五四一五一O一一六 一部で試験的に始め、来月から市全域遅くなった日は先生がフェルトベンで

05

時半頃より、場所を変えて簡単な懇 の 約 1200 校で﹁新あいさつ運動﹂手の甲に﹁うすのろのパカ L と書いた。親会をもっ予定です。 /今でこそ何でも食べられる私だが、 決してあの﹁しつけ﹂のおかげではな い ﹂ ︵ ﹁ 朝 日 ﹂ 叩 ・ 1 ・

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朝刊。愛知県 春日井市主婦・山岡淳子さんお︶。 マ一九四五年四月、国民学校初等科一 年に入学して以来、学校で﹁気を付け、 礼!﹂をふくめ、たくさんの礼儀作法 を教えられました。しかし命令と強制 と監視では身につかないことも学んだ よ う に 思 い ま す 。 ︵ 藤 田 敬 こ 編 集 発 行 者 こ ぺ る 刊 行 会 ( 編 集 責 任 藤 田 敬 一 ) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町739阿件社 干602-0017 Tel. C75 414 8951 Fax. 075 414 8952 E-mail: [email protected] http://www l.odn. n巴.jp/aunsha 定価300円(税込)・年間4CJO円 郵 便 振 替01010-7-6141 − 局

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第204号 国〆’\之J2010年3月25日 発 行

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教育改革という学校の危機

っ た

学力低下、セキ ュ リ テ ィ 問 題 、 い じ め だ け が 危 機

改 革 ま た 改 革 の か け 声 の 中 、 ﹁ 豊 か さ ﹂ をほり崩さ れ 、 緩 慢 に 、 し か し 確 実 に や せ 細 り つ つ あ る 現 在 の学校の姿を 浮 き彫りにす る 。

教育の境界研究会編

*

四六判・並製 −2 3 8 頁 ・ 定 価 ︵ 本 体 一 一 一 O O 円 + 税 ︶ | S B N 9 7 8 ’ 4

9 0 0 5 9 0 ’ 89 ’ 2 目 次 − 学 校 に 人 は 住 ま っ て い る か − むかし学校は・:廃校舎と希望 / 校 区 と 運 動 会 / ラ ジ オ 体 操 と 生 命 保 険 / ﹁ 山 び こ ﹂ と 愛 の ム チ / 家 庭 科 室 と 西 欧 モ ダ ン / ミ シ ン と お し ゃ れ / 校 歌 と 効 果 / 写 真 屋 さ ん と ユ ー ミ ン / 女 教 師 と 看 護 実 習 / 班 ノ ー ト ・ 学 級 通 信 と 親 密 さ / 同 窓 会 と ﹁ 学 校 ﹂ 2 豊 か だ っ た ・ : か ? コ ク サ イ と T P O / 上 履 き と 民 主 教 育 / 制 服 と ノ ス タ ル ジ l / 給 食 と 秘 密 / レ ン タ ル ペ ッ ト と 学 校 知 / プ ロ レ ス 遊 び と 表 ・ 裏 ル ー ル / 校 門 と 呼 び 声 / 卒 業 証 書 と イ チ ロ | / チ マ チ ヨ ゴ リ と 軽 や か さ / 掃 除 と 落 書 3 教 育 ? 改 革 ? ト イ レ と 太 郎 く ん / 蛍 廟 と メ リ ハ リ / ﹃ 心 の ノ ー ト ﹄ と 自 分 ら し さ / コ ン ピ テ ン シ ー と OO 力 / 土 曜 日 と 営 方 / コ ミ ュ ニ テ ィ ス ク ー ル と 学 校 選 択 / ア カ ウ ン タ ピ リ テ ィ と 多 忙 化 / 複 合 施 設 と 出 会 い / 切 確 琢 磨 と 学 校 規 穫 / 監 視 カ メ ラ と 快 適 さ − モ ノ の 星 座 と 政 治 の 発 見

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四 号 二 O 一 O 年 三 月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎月 一 回 二 十 五 日 発行 ︶ 一 九 九 三 年 五 月 二 十七日第 三 種郵 便 物 認 可 定 価

司議議

一 百 円

参照

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