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『宗教研究』新第1巻第2号(*20号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,カヤン人の長屋に懸けた首,視実等象儀 2,小乗より大乗へ,指鬘譚の進化,松本文三郎,Monzaburō MATSUMOTO,pp.1-17. 3,宗教史的事実とその真理性,カントの「宗教論」への一考察,佐野勝也,Katsuya SANO,pp.18-35. 4,印度の宗教芸術,手島文倉,Humikura TEJIMA,pp.36-44. 5,法華経史上における龍樹(上),本田義英,Yoshihide HONDA,pp.45-59. 6,ハルナツクとトレールチ,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.60-69. 7,仏教における倫理=実践哲学の起源,渡辺楳雄,Baiyū WATANABE,pp.70-82. 8,佐田介石氏の視実等象論,木村泰賢,Taiken KIMURA,pp.83-92.

9,Chukchee 民族の宗教的倫理観,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.93-111.

10,仏教における平等原理の開展,佐藤泰舜,Taishun SATŌ,pp.112-122.

11,ヷチカンの廷外より,矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.123-141.

12,潜伏のキリシタン宗門(上),姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.142-155.

13,新刊紹介並批評

W.J.Perry, The Origin of Magic and Religion,大塚道光,Dōkō ŌTUKA,pp.156-160.

Surendranath Dasgupta, Yoga as Philosophy and Religion,寺崎修一,Shūichi TERASAKI,pp.160-166.

C.A.Beckwith, The Idea of God,鷹谷俊之,Toshiyuki TAKAGAI,pp.166-169.

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カヤン人の長屋に懸けた首

中部ボルネオ¢カヤン人ほ大きな長屋な建て1、数家族が共同生活なする鮎l=一 の人穣畢的特徴な持つて居ろ。其長屋は普温長圭一〇〇尺から大きいのは四〇〇尺 −こ及び、之な縦に二つlこ仕切って、片側は四、五問苑lこ区劃t王各家族の私室ミ光り、 片側ほ開け放︺の長い廊下になつて居る。此廊下li種々先遣亘石置場にもなり、猫 貞の著者の庭廊にもなり、所々に大きい火鉢な置いて火な焚くやうに,してある。而 Lて多くlェ此火鉢のぁる併に、首狩の獲物でぁる散骨な、藤のつろlこ琴して長押か ら下げろのでぁる。此場合lこ火鉢は首な汲め乾か・して其蛋な慰ゆるに必要なので、 火を紹やすと巣りがあろと信ぜられる。カヤン人は長押lこそうて一列l=首な列べ懸 けろこ亡国lこあろ通りであるが、クレマンタン人の多くは之な藤で作つ㌣丸枢に綴 へて下げ、イバン人は錘状の籠lこ入れて下げる。叉いづれも其首は椰子の葉な裂い て作つt房で飾り、種々の呪符が付けてある。なほ本裔前渋の﹃首狩について﹄な参 照のこと。︵宇野圃空︶

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∴ 沸教付囲に於ける戒律の精整頓せられてからは、入園の資格も次第に濃密となト、崎形見・不具 老、例之へば偉背、眼路、故脚、脛脚乃至顔歯、到底頭の如きすら具戒を安くることが出凍なかつ た。浮女郎ち責実姉の如きも、如何に母心しても其地方に於ては比丘尼となるを得ない。 此等は今 日から見れば如何にも不合理であり、沸教本務のー趣旨に違背したことのやうであるが、偲圏の基礎 未だ確立せざるに督っては、苛くも滑圏の威信を失墜せしむるもの、若くは何等か民衆の嫌我一ぎ安 くる恐あるものは、一切之を拒絶し、之によつて借囲の信用と清浄とを保持せしめんと企てたのは 亦必らすしも理由ないことではない、のみならす寧ろ常時にあつては最も必要なことであり、これ 小策iり大乗へ

桑より大乗 へ

︵指 隻 語 の 進 化︶

槍 本 文 三 郎

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畑 が助ち法をして久しきに任せしむる所以であつたかも知れぬ。 殺・盗・浬・妄語の如きは勿論重大なる罪患であるから、伶園内に於ける此等の犯罪は自殺的行焉で あ丁り、毀犯者は直ちに借固から追及せらる∼のは敢て怪しむに足ら萬が、倍囲に入らんとするもの に射しても、十三難十過と耕し︵四分梓︶厳重なる資格の調査を経過し、而る後始めて許さるゝもの といふ。而して若し其前生に於て穀・盗・浮・妄語等の罪を犯したことがあらとすれば、倍侶たる資 格を具せざるものとして之を拒絶せられたのである。 併し以上述ぶる所は彿滅後戒律の整頓組織せられた彼のことであるらしく、彿時代、少くとも伶 囲組織の初めにあつては、法に入っては四民中等の主義によわ、曹に俗敢骨に於ける地位階級を無 税しセのみならす、其前生如何なる生活をなして居たにせよ、具に螢心して倍囲に入らんと志し化 場合には、後世の如く何等の調査も行はす、一切之を許されたもの∼やうである。だから彿弟子の 中には諸種雑多の前生を有するものが入って居るが、其中でも指馨の如きは特に著しいものであら う。指窒は元と殺人劫盗であつ氾が、備に遭ひ其敢にょつて遂に阿藤渓果を記したものである。 〓 指馨の讃は経典中庭々に鼠はれて居るが、其最も主なるものとしては、先づ次の詩経を教ふるこ とが出水る。 小弟より大乗へ ●一 l■■■

(7)

前記五部の中一より四に至る四部は小乗経に属し、第五の一部は大乗経典である。而して四種の小

乗鮭にあつては、妹阿合の文は最も簡単であつて、其要領を摘記したものゝやうである。埠一阿合

の文は之に反し最も詳密であり、殆んど遺す所ないやうであるが、僻ほ彼の行焉の動機を明かにせ

ない鮎がある。帝晋りl一謬は大燈に於て堵一の文に同じであるが、唯埠一に於ける指馨の前生苛を

有せぬ。而して法護本に於てのみは彼が殺人の動機を叙述する。是れは他の小乗詩経に明記せざる

所で透る。大乗の此経は其讃の歯廓に於ては前記諸経と大健に相同じであるが、小乗詩経の何れも

極めて穎鮭なるに、大乗のそれにあつては四巷となれるを以ても明かなるが如く、其説法に於て著

しく埠会せられて居る。斯く指豊の渾は経典により多少の相違がある。恐らく時代の経過に随ひ次

第に哲禰憂遷したものであらう。だから招宴なるものが果して歴史的人物であつたとしても、其浮

腫 の如何程までが革質であ丁り、何の鮎からが後世の滑補であるかは今容易に之を列じ得ないのである。

て嫌阿含経啓三十八 二、埠一阿含経容三十︼ 三、併読蒼掘摩経一巻 四、彿読書蠣撃鮭一巻 五、央掘摩羅経四審 小乗エり大東へ 西晋竺法護謬 仝 法短評 宋求郵政陀羅謬

(8)

四 小乗i可大乗へ が誘の順序として最も簡単に此等経中に顔はれたる指富商の翰廓を記せば大健次の如くである。 ●● 嘗て倉荷園に一婆屡門の弟子ぁら、央選利摩羅︵A羞已im巴p︶といふ。A−︼gu−iは指の義、m巴野望 を意義するにより、之Jで指馨と謬す。蒼掘摩、君嶋撃、央掘摩雁、又央嘱窒と害するは皆其異謬で ある。一日指馨s師偶々外出して家にあらす。その婦、指撃■曾見、染心密生じ之を挑む。滑馨其意 に徒はす、婦之を恨み反って之を英夫の哩鹿門に議しいふ、指窒其師の不在を窺ひ、婦を強迫して 之を汚さんとせりと。喝羅門之を開き大に怒ったが、指窒の元と力強くして之を奈何ともすべから あざむ ざるを知れるが故に、論いて之牽罪に晴れんと考へた。役乃ち指塵有呼び之に告げていふ、汝の智 慧ほ明かにして所撃は周密なれども、唯一事の未だ足らざるものがある。汝速かに追を成せんと欲 せば、利別を取らて百人を殺し、各英一指を切り之を以て窒となし、日中古に満たしむべし。然ら ば則ち汝が道徳備はらんと。而して彼白から釦を取りて親しく指髪に授けた。指痙軍師の言を開き、 心驚惜憂愁したが、師の故に臓はぎれば孝悌の子にあらすと思惟し、沸没しっ∼去って十字街頸に 立ち、其逢ふ所、男女老幼を問はす、一切之を殺した。が期至るも僻ほ一首の数に満たす、英一を 放いた。偶1辟登山母、其子の久しく締らす、必らや飢ゆるあらんことセ思ひ、白から食牽持し凍 って之を輿へんとした。指髪共母の速くよりして凍れるを見、之を殺して英数を蒲さんかとも考へ セが、併し母を殺さば其罪最も深重にして救はるペからすと、躊躇して未だ決せす︵堵一阿合には、

(9)

我師数誠あ♭、汝能く母を害し並びに沙門凝曇を害せば、必らす梵天の上に生せんといつただある︶。

爾時彿は人の之を止むるに閑はらす悠々として指富の虞に凍られた。彼偶の凍れるを見大に喜び、

先づ彿を穀含んとし、之を追へども、如何なる故にか備に達するを得す。速くよりして傭の止まら

んことを叫ぶ。彿乃ち此横を以て彼の虐めに法を説く。指豊の迷夢忽ちに醒め、鋤を投じて彿門に

蹄せんことを請ふ。備乃ち之を許し、携へて共に本廃に繰る。向きに荷室の十字街頸にあつて往凍

の人を殺すや、人の早く兇賊の出づることを改新医王に告げ、且つ速かに四兵を出して之を捕へん

ことを請ふものがあつた。王四部の兵を率ゐ凍るや、指馨は既に滑囲に入り、傭の傍に静坐するを

見、彿徳の大にして斯の如き兇賊の忽ちにして正に蹄したるを唱歌し去った。

滑豊に関するま要の記事は此に終って居る。で嫌阿合鍵の如きは唯彼の殺人の菜と綜偶の括とを

載するのみでめり、星に彼を以て恐怖すべき戟となし、﹁凶惑の菜を造作し終に休息の時なし﹂ども

いひ、囁鹿門婦との関係は一切之を説かぬ。滑一阿合や驚堀撃経は彼の行事を述ぶること頗る詳か

ではあるが、僻ほ其の単に残忽なる賊としてのみ之を記すに止まる。で滑一阿合には﹁国界に賊あ

り喬掘魔と名つく、極めて兇暴た♭、生類を殺害すること稀計すべからす﹂とか、或は﹁我本と大

概たり、名づけて驚掘魔といふ﹂ともある。

捕 僻ほ発阿含経以外の小轟三本には前の諸に次ぎ、次の如き記事がある。指窒一日倉荷城に入る。

小策より大乗へ

(10)

潮 時に一女の懐妊し月満ち産に苦しむものがあつた。指窒の凍るを見、救済の法を問ふ。彼直ちに紛 って之を備に告ぐ。彿はいふ、汝速かに往きて彼女に対していふべし、我は未だ嘗て殺生せす、汝 普さに安産して息なかるべしと。荷重りいふ、我向きには九十九人を殺せり、今泉だ嘗て殺生せす といはい是れ妄語にあらややと。傭はいふ前世今低同じからす、これは即ち至誠の言、妄語となさ すと。彼乃ち往きて偶の命の如ぐに侍ふ。時に彼女果して安産を待たらと。此一段の文は頗る奇怪 な叙述であり、又鮭中前後の所詮と一見何等の閣係ないもの∼やうでもあるが、三本共に之を裁す るを以亡兄れば、或は指豊が何等かの手段によつて安産を得せしめたといふ事賓がめつたのかも知 れぬ。が特に之を此に叙した所以は、恐らく彼は嘗て大患重罪の人であつたが、其︼たび俄悔して 俳弟子となつてからは、全然其人格を韓換し、向きに犯した重罪は既に滑滅し了つたことを明かに するが虜であつたに相違ない。而して経には又いふ、時に城内の小量彼が前に犯した罪を知か、或 は九石を祢ち、或は欠を射、或は刀を以て之を打ち、杖哲以て之密接つものもあ♭、招宴の頭は破 れ髄は傷いたが、彼は隠忍して秋竜も之に抵抗せんとはしなかつた。彿は之を開き、彼が忽の徳の 大なるを帝歎したとめる。別謬二経は此に終を告ぐるが、堵一阿合には飼ほ之に次ぎ次のやうな一 段の文がある。爾時比丘備に封し、指馨は今身衆生の類を殺すこと無数なるに、今何の功徳あつて 聡明智慧にして、忽ちに阿羅漢果を得たるかと問ひ、備は此に彼が前生讃を説き、彼が今世殺害無 小乗より大乗へ

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教なえは前垂行業の果であるが、彼後誓願を馨し備に僅はんことを願うたによわ、今世に於て能く 阿屠漠を成じたものであるといふ。是れ亦明かに指窒の本と大罪人であつたに開はらす、慨悔して 罪を亡し化といふのみならす、斯く忽然其志を韓じ偽造を成するを得たのは、抑も前生に於ける誓 願の眉めであるとなし、彼が螢菩提心の基礎付けをなし、その決して偶爾にして然るものにあらざ ることを恵はさんとしたものであることは疑ない。

一般に之を諭すれば大乗経典は必らすしも小乗経典に填るものではなく、燭立に製作せられたも のが寧ろ多いのであるが、しかし小乗経典の大桑思想によつて墳形せられ、蓬に純然たる大乗経典 となつたもので其例に乏しくない。而して小森経典が大乗的に嘩化せらるゝには、大健に於て小乗 経に於ける物語の輪廓を其俵に粒承し、唯其説法を小轟的より大乗的に鼻化するにめる。が文略と してほ其蕃話の一部分のみを探り、基地は全然之を省略したものもあ♭、叉時には唯其人に託し大 乗の数理を語らしめ、嘗物語の経過如何を顧みないのもある。 大衆招宴終にあつても、其讃の骨子は大髄に於て前記小乗経のそれを其健に綾承して居る。唯彼 が路傍以前に於ける傭の之に対する説法の頗る長文に捗るのみである。而して披新鹿王が兵を率ゐ て彼を捕へんとし凍れることも、同好第四番の末に出て居る。が経の殆んど全部は彼が蹄備前後よ 小染上サ大乗へ セ

(12)

八 小弟より大乗へ 瑚 ♭改新匿王の凍るに至るまでの説法を以て充さる。而して此部分は勿論小乗詩経に秋竃も存せざる 朗である。此等中間の記述の大部分は全く是れ指窒の道カの、他の一切の偽弟子のみならす、諸天 菩薩よりも変らに一層大なることを顕はさんとするにある。而して是れ亦蒼掘摩経や曙一阿合に於 ける侍説よらして自然に馨屈し凍る所であるといつて差支ない。指寛が既に前生の誓願によつて今 身成道すべき運命を有するものとすれば、彼は生れながら既に常人に異なるものでぁる。従って其 迫力に於ても彼等より垂らに一層大なるものとなすのも少しも怪しむに足らない。で殊に此に注意 すべきは此綴の初に於て指整が此世に於て為せる怠業並びに其動機を説ける部分は、彼小乗諸経の 侍説を其俵に襲崩したるに開はらす、此中間の部分に至っては彼は既に生身の菩薩であト、彼の此 世に点せる窓業も畢寛は他人を救済する方便行たるに外ならすとなすことである。是に於てか殺人 の凶賊ほ生れながらの菩薩となら、漕一阿合には僻は其悪業を以て前生の業果となしたが、大乗経 に至っては白から求めて為した慈悲の行となつたのである。で今其大乗経に特有なる、経の中間問 答の一端を叙すれば次の如くである。 招宴の彿門に給し忽ちにして阿羅漢果を確たるや、帝帝天凍って天衣を授けんとす。指寛之を斥 けていふ、汝は是れ政柄小島なト、我豊に不信の施を安くべけんや。汝は是れ貪欲り髄なら、未だ生 死衆苦の長流を度せす。汝はこれ自性裸形なゎ、何んぞ偉く人に無償の衣を施さんと。或は又、汝

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はこれ愚腋の束なゎ、是の如き等の輩は今瞥さに調伏すべしといひ、或は正法外の薪陀羅ならとい

ひ、璽嘉す併ない。而して指監の数寄したる所は1悉くこれ壊法の衆生であつて、一人の比丘、

比丘尼、優婆塞、優婆夷あることなしとなす。次に梵天の之を讃するや又いふ、患梵政柄、汝復何

虜に迷を輯ずべき。善意衆の生死して患温に堕することを知らず。汝獣然詑れ、妄語をいふことな

かれと。英他四天王、披句、摩餞首尾等の凍って彼を詣歎するに於ても亦之に類して知るべきであ

る。夏らに傭の大弟子合羽崩、目健連、羅険路、阿部梓等の嶺欺の詞に於けるも之と大同である。

例之へば紳通第一の目鍵蓮に対しては、大日逗は蚊柄行を修習して、讐眞賓通を分別すること俵

はすといひ、脅悪筆の舎利弟に封トては、合判藤は政柄行を修習して、異質智慧の義を分別し知

ること能はす、匝なる哉蚊駒の慧、無知、黙然たるべしといふが如くである。吏らに最後に文珠の

蹟はる∼や、また或は汝蚊駒の術をなし、奥巷の義を知らずとなし、或は今世の人は二人あつて正

法を壊す、唯極客を説くと、有我の寧でなすとである。是の如き二種の人は偽の正法を傾覆する。

鴫呼汝文珠、忍非志を知ら、ず、菩薩行を知らずともいひ、或は又汝文殊は蚊柄行を修習して龍象を

志さすともいふ。斯の如く政経の作者が、指馨をして一切人天菩匪密も打破せしめたるは、唯彼を

して此等一切よりも琴㍉に一屏勝れたるを明かにせんが虜めへ︰言は秋蛮疑を容れハ仏い。而して特に

之を据馨に取る所以の去のは、梵天王の語にも﹁今新ほ汝の強梁息まざるを見る﹂とある如く、彼

小乗エり大東へ 九

(14)

小乗より大乗へ

︼0

は前垂に於て其蓬ふ朗のものの、果して男セると女たるとを問はす一切之を殺害したることよりし

て、其彿法倍額の後、亦其凍る桝の人天衆生を問はす、人面鋒を向け、苛くも彼に対向し凍るもの

あらば悉く之を打破せしむるに最も適したりと考へたからであらう。而してこれは諭に能く小乗の

苗を取って大乗的に換骨脱胎せしめたものと耕すべきである。勿論斯の如きは大桑家常套の手段で

あつて必らゃしも怪しむに足らぬが、此鮭の如きは其並の最も鮮かなるものであらう。而して此経

が最後に文殊を出したるは、文珠はこれ菩薩中にあつても智慧の最も勝れたものと見倣されて居る

のであるから、之を打破し得れば、鎗の一切を打破し姦したと同じであるからである。僻ほ序にい

ふが、此経では文殊を以て巷説の代表者とする。経中には頻らに如来戎を説き、其満願子この問答

の中に於ても、﹁若し人過去骨て諮備に遭ひ供養春草し、加水威を聞かば是善業によつて語根純熟

し、生する所も殊勝にして富貴自在なること、今世凍世共に然り、昔嘗て如凍苑を聴聞することを

得ば、色力具足し、智慧明達にして、或は輯翰王となト、或は王子となト、或は大臣となゎ、蜃穂

具足し、諸の慢を離れ、除の功徳骨亦成就すともいひ、或は方便して加水寂を求むべしとも述べて

ある。且つ前にも引用した如く巷説と有我説とを以て二人正法を壊すとあるを似て見ても、此鮭の

記信諭等と同一数系に属するものたることが判る。

軽には倍は彿の招宴に戒を痩くることを説き、俳が汝不穀塵誠を持すペしと告ぐるや、彼のいふ、

(15)

我は今定め七不殺生戒を受持すること能はす。我は昏さに常に衆生の命を断紹することを受拝すべ し。言ふ所の衆生とは無畳の諸煩悩である。若し能′\常に彼を寄せば、是れを殺生戒を持すと名づく といひ、茎他の戒に於けるも亦骨此類である。而して彿法には拳闘と摩河街とがある。四喪諦、八 正道の如きは琴−れ馨踊乗であつて、大乗は唯一桑にして加水裁を知るこれな♭ともいひ、吏らに 之に次ぎては如凍の賓際︵捏撃︶に任して而も亦生やる所以を説き、如凍は畢蒐婆嬰世界に任して永 く般溜発するものたるを述べ、末法衆生の此群を指するに就きては、諸種の難事あることを叙し、 僻ほ重ねて如姐裁戒梓等の眞意義を詳述する。而して最後に波斯医王の彼を捕へんとし凍るに射し ては、指髪は決して悪人にあらす、其殺人の菜の如きは撃克是れ菩薩の方便のみ﹂と断じ、吏らに 其前生を設き、改新医王は此に鰐窒並びに其母の功徳智著歎し、此経は絡を告ぐること1なる。斯 くして元と凶賊にして、備に遭ひ硫然其志を博じたる指望も、此に其性質を一線し、本務の菩薩が 衆生済度の虜め、始らく凶賊の相を顕したものと打Tり丁つたのである。 四 以上略謁した所によつ耳指嘗詔とは如何なるものであるか、又それが小乗軽から大乗経に至る間 に如何様に進化し凍ったがの大憶は、之哲知卜待たこぃ∼信する。恩ふに指馨の渾は四段若くは五 段の経過を以て、大乗のそれに迄鼻化し凍ったものであらう。その第一段ほ揖雷最初の讃であつて、 蟄亨苛大瀧へ

(16)

小乗より大貴へ

〓︼

恐bく是れが彼の串賓を侍へたものであらう。即ち指窒は元と殺人劫盗であト、国民の最も恐るゝ

朗であつたが、僚の戚化によつて遂に偽門に入り、阿羅漢となつたといふのである。これは勿論革

質有り得ることであ♭、何等の怪しむ鮎もないやうである。其有人を殺さんとしたといふのは、若

し革質であつたとすれば、普我邦にも百人斬弥キ解することもあつたやぅであるから、何等かの迷

信に本づくものかも知れぬが、彼阿育王が王位に郎く前に、兄弟百人の申その九十九人を殺したと

の侍設もあるのを以て見れば、或は是れは唯彼が囚窓の極を顕はさんとしたのみで、必らゃしも其

類に拘泥すべきで震いのかも知れぬ。第二段は前記の串欝讃に難産の女を救うたといふことゝ、彼

が途上人の男めに或は克石を榔たれ、或は刀杖曽以て打たれたが、能く隙慈して無抵抗主義を螢揮

したどいふ話の加はつたものである。勿論これは雨着共に彼の事賓敲であつたかも知れぬ。而して

これも有わ毎ることである。だから最初からこれは彼の讃の中に加って居たのかも到らぬ。而して

准阿合の話中之を哉せないのは、彼は寧ろ重要の革質にあらすとして之を省略したものとも考へら

れる。若し果して然りとすれば、第一段と第二段とは合して一段となして差支ない。而して此二種

の事賓は要するに彼が偽造成就の彼の威徳の大なることを顕はしたに過ぎないのであるが、これは

文一南には前生の凶暴無比なるに反映するものであつて、之あるによつて前の記事が一層の精彩を

放ち得るのである。夢二段は指掌と師軍産門筋との関係の叙述の加はつたものである。此話に於て

(17)

167

一日盲人を殺せば汝の道徳備はれりとなすが如き、如何に迷信としても紛うに不合理、非常識にし

て、革質あり得べしとも考へられないやうな部分が合まれて居る。曙一阿合のは此物語を明記して

居らぬが、最後彼の前生渾を説く所に於て﹁爾時の浮女は今の師の席是れなり﹂とあるから、之を預

想して居たに相違ない。此話が経中に載せらる∼に至った所以は、明かに据窒の殺人は彼の本志に

あらす、師の命によつて止むを待す焉したものであることを蔵はすにある。是に於てか指窒の人格

は全然一発したこと∼なり、彼は最早や生水の患人ではなく、極めて従憶なる修道着であり、伐木 凍の窓性は悉く輯じ一て師囁鹿門の身上に移h去った。是れが抑も後世大桑経典に於ける譜の由って

生ずる基となつたのである。第四段の特化は埼一阿合に於ける彼の前垂葦の附加したことである。

簡捷渾は彿自身に於ても、摩説かれたやうであるが、招宴の前垂讃は他の小乗経中には未だ其痕透

をも有せざるのである︵而して前述した如く曙一には彼囁羅門婦との話を濠想する︶から、恐らく是 れは前の講話よタも亙らに一骨後くれ埼耕されたものに相違ない︵飼ほ大乗の指豊経にも其前垂讃

はあるが、これと全然別である。恐らく大乗家は吏らに之を改作し、大乗的になしたものであら

う︶。此前垂渾が埼補せられた所以は、彼が如き凶暴なる悪人が、如何にして斯く早く偽造成就を得

たかを説明するにある。だから第三段と第四段とは大館同様の動機から樹補されたものであり、共

に指窒の蓉に移る一歩である。が若し彼の凶暴が彼本務の性に出づるものでなく、単に師の命なる

小策より大乗へ

(18)

︼西 ーせ巣より大乗へ 畑 が故に止むを得ずなしたものとすれば、彼が忽ちにして偽造を成就したとしても何等怪しむべきな く、必らすしも其新生讃を説く必要もないのでぁる。これが抑も樹一阿合に於ては第三段の村補を 敦悲しながら、特に此話を明記せす、単に凶賊として之を述ぶる所以ではなからうか。指普の本性 革なるものと暇定すれば、前生の業果によつて此殺人をなし、降給の時の誓願によつて僅かに救済 を得たといふのと多少撞着の瓢がないではない。.これが大衆経の此再話を採らながら其前生苛を改 作するに至った主なる理由とも考へられる。最後に第五段の舜化とは即ち大乗鰐に於ける生身菩薩 の詭である。指奮が既に本性着でふγり、又彼が前生に於て速かに併進を成すべき誓願を馨したもの とすれば、彼が生身の菩薩とな♭、其悪業も賓は慈悲の大行に過ぎないこと∼なるのは最も自然の 眼序であると謂はなければならぬ。斯︿して次第に推移して、初恐るべき凶慈の拇馨も遂には生れ ながらの菩薩とまで特化したのである。而して斯かる特化は彼の提琴の諸に於ても均しく之を見る を得るのである。提琴は元と五逆罪を犯したものであアり、必らす地殊に堕すべきものと備によつて 宣言せられたのであるが、後世では次第に其苗が舜化し、造に法華経捷婆品では、彼は過去世仙人 となり、備に法華経を授けたものともなつたのである。此等は何れも宗教思想の鼻遽に伴ひ生じた のである。 玉

(19)

指馨密の骨子とその進化の歴程とは既にこ略之を述べ丁つたが、此小倉を終るに曹♭、倒ほ〓︼の

序を似て乾して置きたいことがある。

第一ほ指馨の名稀で透る。終には彼は盲人を殺し、各其指を裁って窒となすによつて斯く名づけ

たとある。是れは果して事賓であるか否や甚だ疑しい。須磨提終には﹁彼暇人鬼の如く人の指を取

りて馨を作ら、後俊英母を寄せんと欲したが、彿之を取らて降した﹂とある。して見れば滑馨とは

元と暇人鬼即ち羅列杯に輿へられた名耕ではなからうか。而して彼の極めて凶暴なる折から、世人

之を目するに犀利一軍以てし、之を指馨と辞するに至ったものかと思ふ。随って彼が指を取って髭と

なしたとか、又其母を殺さんとしたといふ如きは何れも此職人鬼の侍詭を彼に移し凍ったもので、

恐らく事賓ではなからう。彼は唯凶志なる殺人劫盗であつたのである。何れにしても指馨ごは彼本

務の名ではなく世人が斯く耕したに止まる。然らば彼の本名は何といつたか。法亜の君嶋喪痙には

r我名は伽鶴、母の名は鼻多耶尼﹂といひ、法護の発掘摩経では﹁奇角氏﹂とめら、﹁何をか奇角氏と

いふ、日く父の本姓打†り﹂といひ、又埠一阿合では﹁我が姓は伽伽、母の名は満足﹂ともある。

次に大乗拇髪軽︵審四︶には外道建立の因縁なるものを説いてある。其訣奇怪妄誕、歴史的事賓と

しては秋竜倍するに足らざるものであるが、嘗ては印度に於て斯かる侍読もあつたものと見える。

凋 其粘からして多少の輿扱がないでもない。で左に其大要を奉げて置くことゝする。

小乗より大乗へ

(20)

一斉 木鶏より大乗へ 彿文殊に告げていふ、過去無量劫の時に一比丘ぁり彿慧と名づく。時に一書人あ♭、無償の衣を 施す。比丘彼を慈み之を受く。已にして比丘之を漁師に示す、独師之を見、盗心を生じ、其聴此比 丘を丼て深山中に至り、裸形となし手を樹に繋ぐ。偶二婆羅門あり、花を採らんとし山に至り、裸 形の比丘を見、以秀らく彼沙門先きには袈裟で衣たるに、今は裸形となり、必らす袈裟は解股の困 0000 にあらざるべしと。乃ち彼亦衣を捨て、髪を披き、裸形となる。裸形抄門はこれよりして起れり。 共棲彼此丘白から縛を解き、樹皮一里探って身を蔽ひ、草を結びて沸密作り、以て蚊轟を沸ふ。吏ら に一項應門あ∵り、之を見て以慮らく、彼向きには好衣を着たるに、今は是の如くに衣、是の如くに 00000 彿ふ。是れ恐らく解脱の因たるべしと。彼又之を畢び、此に出家琴雁門は起れり。時に前の比丘、 暮に水に入り、頸瘡智洗ひ、牧牛人の棄つる所の弊衣を取りて白から身を覆ふ。時に樵老之を見、 00000 又之を以て解脱の因となし、其法を畢び改髪弊衣、日夜に三浴し、苦行を修習す。是れ苦行嬰羅門 の由って起れる所以なり。彼の比丘変らに浴し已って、身餞蝿蜂に噴食せられたるにより、即ち自 00000 次Jピ似て虜々瘡に塗り、水衣む以て身を覆ふ。時に之を見るもの是れは即ち造となす。塗衣尊慮門 は是の如くにして超れ㍉。彼の比丘亦火を燃して瘡一ぞ禿る。瘡韓た苦しくして賂び難し、乃ち殿上 000000 より身を投じて自害す。時に見るもの以腐らく投巌は是れ解放の因と。是に於て投巌事欠外道起れ ち。此の如くにして九十六稚の外道は背これ此比丘種々の形相よりLて妄想を超し生じ凍る所とな

(21)

寸ノ。 斯かる侍訣は附留極まつたものである。これは、今改めて説明を要せないことである。が経中萩 かる侍説を載する所以は、宛も法華詩経に一切数詭の、外道と沸教諸派とを諭せす、皆是れ一舜造 の随宜説法ねるに外ならすとなしたるが如く、何れの宗派といへども、畢克する所は唯一彿造より して馨し凍る所となすものと見らるべきであつて、比丘の形相とは単に之を具憶的に説明したるに 過ぎないのである。此粘から見れば、大乗の指豊麗は、一面法華一派の教義を総承するものである といって美文なからう。 小策l咽大鶉へ

(22)

カントの宗教思想は三批判書において豊かに現はれて居るのであつて、我らはその﹁宗教論﹂詳し

く云へば﹁単なる理性の限界内における宗教﹂を有たなくても、宗教の本質に射するカソーの意見を

知るのには、三批判書で充分であるとのま張は間違ひは無い。けれども、かく云へ▲ばとて、﹁宗教論﹂

は無個位だと云ふわけでは無い。なるほど宗教の本質に関してのカソーの考へは、少くとも賓践理

性批判には充分に現はれてゐる。﹁宗教とはすべての義蓼を醐の命として認識すること﹂であるとの

宗教の定義は、同批判書にすでに記してあγり︵C昆i曇、払A宏gp訂−S﹂告︶判断力批判においても大健 同じ文句が記してある︵謬elpmA宏gp訂︶鱒∴禦㌫︶。而して此の宗教の定義は﹁宗教論﹂においてもカ

ントがそのまゝに採用するところであつて、何等の舜吏も加へて無い。即ち宗教とは何ぞやの問題

宗教史的事茸とその眞理性

盈拍車寛恕その展理性

︵カントの﹁宗教論﹂への一考察︶

佐 野 勝 也

(23)

に閲するカントの思想は、批判書で充分現はれてゐることで、その鮎では﹁宗数諭﹂は無くても差支

へ無いわけである。そこで問題となるのは、カ∴/tは何の必要ぁつて別に﹁宗教論﹂なる著述を試み

たかと云ふことである。換言すれば﹁宗教論﹂が取扱ったところの宗教問題は何であるかと云ふこと

であソる。

元凍宗教暫率土で﹁宗教とは何ぞ﹂の問題は重要な問題であるには違ひ無いが、それと同時に、歴

史上に現はれた種々なる宗教的事賓に封して哲学的考察をめぐらすことも、宗教の本質の問題に劣

らぬほど重要な問題であると云はなければならない。例へば教戒や数囲やは、宗教信仰上絶大なる

権威を有するものとされてゐるのでぁるが、かくの如き権威の級接はどこにあるだらうか。その他

各宗教囲憶が有する種々なる数理は、いづれも極めて標威あるものとして信徒の生活を京終し、若

しくは統御してゐるのであるが、か∼る権威の根接はどこにあるだらうか。かくの如き宗教におけ

る権威の根接を究めることも亦、宗教暫畢上の重要問題だと云はなければならない。宗教の本質の

問題は、自己の宗教的提琴宮内面的に考察し、それで答へ得る問題であつて、カントの宗教の定l鶉

の如きも、明かに彼自身の宗数的駿駿を物語るものである。ところが、宗教の有する権威の問題は、

宗教的事賓をとらへ凍って、その事賓の眞理性を究めることであつて、滴老とは関係はあるが、別

問題である。カントの﹁宗教論﹂が究めようと試みたのは、賓に此の後町問題、即ち宗教的革質の眞

素数史的事‡ミその眞理性

(24)

二〇 票数史的事‡古その札理性 理性、その哲畢約基礎つけの問題であつた。此の問題をまとまつた形で取扱ってゐるのは﹁宗教論し だけであつて、批剖書には殆んど全くこれを軟いでゐる。そこで私は此の輿晩ある問題をカントは 如何に取扱ったかを究めて見ようと思ふ。 まづ﹁宗教論﹂が取扱ってゐるところの宗教的事賓とは如何なるものであらうか。換言すれば、カ ントは﹁宗教論﹂において如何なる宗教を問題としたでめらうか。カントはその昔時のヨーロッパに 知られてゐたすべての宗教を知って居り、そして彼は﹁宗教論﹂において、いづれの宗教に対しても多 かれ少なかれ注意を排ってゐる。まづ彼は未開宗教に射し﹁、も常時としては充分な知識を有してゐ た。ブロッセのフェティシズムに関する著述は讃んでゐたかどうか私には分らないが、フェティシ ズムに関して知ってゐたことは、すでに此の語を用ひ、これに関して多くを語ってゐることからし ても明かである。彼は又諸外国の地理に精通して居り、多くの兼行記を讃んだのでぁるから、諸国 の未開民族の風習に就いても、可へ仏り豊かな知識を有してゐた。例へば人間性質に於ける根本悪を 諭する場合に、野蛍人が如何に穀褒性を有するかを述べんが為に船長ハーンの報するところを語っ てゐる。 レクラム本三三耳鼻媚、以下本論文中の﹁宗教論﹂の耳数l‡いづれもレクラム本に依る。ハーンの旋行託はJ含曽虔二ぎ自 守FgO、W已皮ぎユiこ苧乙菖n−払出p叫tOt訂呈Ort訂rn宮e呂in−ゴ芯−諾ごモして一七九五年即ち﹁宗教論﹂の第一版が出てか ち二年後に應版され圭めであるかち、カント亜﹁宗教溺﹂み艶†ミ阜これな濱よなかつゃ言は云ふまでも無いが、=れに頼

(25)

するものな読んだであらう●

かくの如く未開宗数に閲して知って居ったと同時に、インド、エジプト、ギリシア、ローマ等の

諸宗教、モハメット、ゾロアスター教なでに就いても知って居った。只邁域な=とには彼は偶数を 知らなかった︷見え、﹁宗教論﹂中には一句も傭敦なる語が無い。ヘーゲルに至れビ貧窮ながらも傭

数の知識はあるが、カントにおいては全くこれを欠いだらしい。カントが最も良く知って居ったの

はユダヤ教とキリスト教である。中にもキリスト教は﹁宗教論﹂の研究の中心問題となつてゐる。

ところが同じくキリスト教と云っても、時代に依って著しくその内容を異にするわけであるが、

カントの主として取扱ったキリスト教は、彼の時代のキリスト教で、然も彼の家庭の宗教であり、

且つその少年時代をその派で設立した畢校で遮ったところのピエタイスムスである。カントは、す

でに私が云ったやうに、キリスト教以外の諸宗教をも考慮し、横合ある毎にこれに就いて語るこ

とを忘れてはゐない。即ちその意味において彼も単にキリスト教のみで無く、贋く一般宗教を同産

としてゐるのであるが、然しその興味の中心はキリスト教であら、他の宗教に就いては単に附加的

に語ってゐるに過ぎない。それは如何なる理由に依るかと云へば、簡単に云へばキリスト教が︵将 に彼の時代の︶最も費達した完全な宗教だからと云ふのが彼の考だからでぁる。彼は同じくキリス

ト教で宣、中世のキリス一致に射してはむしろ反射の失を放ってゐる。何となれば、中世のキツス

崇敬量的事董盲iらii膏

(26)

宗教史的革質とその眞理瞳 二ニ ー数は、或は神秘的狂熟的信仰に唱って人々に隠遁生活を敦へ、現世生活に対して多くの不利金を 斎らし、或は又法皇が紳の代理者となって俗故に干渉し、拳闘を厘迫し、両者を共に無力にし、更 に進んで法皇は、固君を破門に廃すとて威嚇し、十字軍を起し、或は同じくキリスト教徒と呼ぶ人 人を迫害した。単に中世のキリスト教ばからで無く、その他の時代においても、奇蹟に対する信仰 は国民をして百目的信仰に宿らしめ、聖書解繹に射する意見の相違は、従業を組んで互に和琴ふに 至らしめた。原始キリスト教に射してはカントも決して反射はしなかつたが、原始キ,スト敦の史 的事賓は、正確へ与る史料を欠くから研究の材料とするわけには行かぬとしてゐる︵頁一四〇以下︶。 以上の理由からカントは、彼の時代のキリスト教のみが理想的宗教として研究の題目と打了り得る ものと思ったのである。即ちこれに依って見れば、カントは宗致思想の費展の歴史を進化的に見る ことに関しては、あまら興味を有してゐないと云はなければならない。進化的発達と云ふことを考 へる人ならば、少なくともキリスト教とユダヤ教との史的関係に関しては必ず充分なる注意を梯ふ べきであるが、彼はユダヤ教は政治組織王過ぎないとしてこれを排斥してゐる。キリスト教自身の 歴史に対して注意を梯はなかったのも、矢張史的費展の問題に対して興味を有しなかった虜であら ’フ0 同じことは他の宗教に射する場合も現はれてゐる。即ち稚々なる宗教の成立、及びその螢蓮に就

(27)

いては何等の注意も彿はす、汲んやそれ等の諸宗教とキリスト教との思想尊慮上の進化史的顔係に

就いては、全然注意してゐない。ギリシア、ローマの諸宗教がキリスト教と密接な史的関係を有す

ることに気づかなかったことは、その昔時としては止むを得ないにしても、概念的に未開宗教から

文化的諸宗教へ、而して更にキリスト教へ、否キリスト教自身がかゝる段階を経て螢達し凍ったも

のであることに注意すべきであつた。もしこれに注意したならば、かくの如き史的発展を通じて示

されるところのイデーの展開を見、以て史的発展を眞理の徐々たる展開だと見ることもできはしな

かったか。そしてそこにユダヤ的歴史暫単軌、即ち紳の啓示を人類の普遍史において認めんとする

傾向へ哲畢的根接を輿へ待はしなかったか。いづれにせよ此の鮎において我らはカソトの﹁宗歌論﹂

から何等畢ぶことができないのは邁城である。

カソ†が宗教史的馨展のうちにイデーの展開を見ることぉしなかった根本の理由は、かくの如き

経験的事賓から先天的原理を導き出すことは批判哲畢の根本原理に反すると倍じたからであるに連

ひ無い。云ふまでも無く歴史的事賓のうちにはさまざまな非理性的要素が食まれてゐる。かくの如

き非理性的要素は、奥の宗教と辞することはできない。奥の信仰とは理性的信仰でなければならな

いとは彼の根本的ま振である。理性に反抗して、理性の云ふところを胃碕の言な♭として非難し、

或は又、薯畢的批判から生じで凍る現賓の宗教と理性との間の矛盾撞着を際蕨することは、一時の

宗教史的事実ミその数理性

(28)

二■ 圭上場蔓とモ¢■毒性 がれの憐れむべき乗である。かくの如きことをすれば宗教自らも早晩破滅するの外無いとタン†は 云ふ︵頁一一︶。だから、経験的、偶然的な歴史的事貰と、理性的、道徳的倍仰とを一致せしめん が焉には、前者の有する意味を後者と一致し得るやうに解辞することである。かゝる解辞を試みる ことは、歴史的宗教が有する本凍の意晩を慶吏すること1なるかも知れない。然し何等道徳的意味 を有せす、或は道徳的動機に反射するやうな文字どほ♭の解秤をするよ♭か、むしろ本務の意晩に 多少の舜吏は加はつても、道徳的意義を有するやうな解辞をする方がましである。﹁何となれば、垂 典を讃み、その内容を探究する究真の目的は、一骨良い人間とならんが焉である。故に、その目的に 何等貢献するところの無い歴史的なもの︵せ琵H訂す訂訂︶は、それ自身全くどうでも良いもので、 吾人はこれを欲するがま11ことつて良い謬である﹂︵頁一一入︶。 以上の如きカントの懸崖は、彼も明かに啓蒙ま義の哲畢着であつたことを示してゐる。だが彼は これだけでは無かつた。云ふまでも無く彼は飽くまでも理性の億位を尊重したのであるが、彼の云 ふところの理性は、啓蒙主義者たちのそれとは明かに異なつてゐた。カ∴′トの理性は単なる知識で は無い。理論理性のみでは無い。彼の理性には戚魔世界の彼方を求める容知も食まれてゐる。云は ばヒユームの冷静明透なる理知と、ルソーの熱烈なる戚情とが織りなされてタンーの純粋理性は生 れたのである。更にカントがその﹁宗放論﹂を﹁単なる理性の限界内における宗教﹂と呼んだのは、宗

(29)

敦を理性のみに化してしまはうと試みたわけでは無い。このことに闊してタンーは﹁分科の争闘﹂ ︵つ♀r乱eN声mStreitder冒k已㌫訂n︶において粁解して、﹁宗教論﹂は、宗教を単に理性から生じたも のだと云ったり、宗教の敦へるところが超自然的インスビレーショyを受けた人々から生れたもの であることを否定した♭せんとするのでは決して無く、宗教の中で単なる理性で認識し得る部分を 経めて説明せんとしたのであると云ってゐるっ即ち現賓宗教は理性で解辞されない多くのものを含 んでゐる。現賓宗教と理性的宗教とは、云は上同一中心を有する大小こ偶の固である。大なるが現 賓宗教であか、小なるが理性的宗致である。現賓宗教のどれだけが、カソトの所細る理性と一致す るか。これが﹁宗教論︺の根本問題である︵頁〓ニ︶。 ﹁宗教論﹂は、人間性賓における根本恵の問題から出費する。﹁人牲窓なり﹂とは、云はやキ,スト 数がユダヤ敷から絵承したところの侍統約数理である。キ,スト敢界の偉大なる人物たる.♪クー、 アタグモアイヌス、ルプチルは、いづれも、拳に射する人間の無力を主張する鮎において一敦してゐ る。中にもルッテルは、アタグそアイヌス以凍の恩寵説を更に尊慮さして、人間は到底自己のカを以 て救はる可からざるもの▼であら、只信仰に依ってのみ救はるべきことを高調した。カントが多くの 影響を受けたピエタイスムスにおいても、その鮎において相違は無い。昔ては星閃めく峯と我うち なる道徳梓とに対して嘆美の念を禁じ得なかったカントが、今や人間性賓を似て生れながらにして 寮︳凰的事‡モモ¢暮毒性

(30)

素数史時事‡モモの眞理性

三夫

悪なちと粗ずるに至ったことは、如何に彼がキリスト教の敷設と一致を保たんと努力したかを明示

するものではあるまいか。だが、カントは、必ゃしも自説を珪げてキリスト教信仰に迎合したわけ

では無い。私はそのことを静する焉に、後において﹁根本窓﹂の意暁が如何に解せられたかを考究す

るであらう。

カ∴′トの根本蕊の意療を理解する焉には、まづ傾向︵H昌g︶なる意味を理解しなければならない勺

傾向には二種ぁる。一は自然的傾向であつて、これは生物としての人間が有する自然の傾向である

から、これに対しては善意の判断を下すことができない。琴一の傾向は、道徳的存在者としての人

間の有する傾向である。即ち自由︵ヲei一leit︶に基づくところの傾向である。喜怒の判断を下し得る

は此れのみである。即ち善意の判断を下し得る傾向は、自由に基づき、然も未だ賓行されない行男

でなければならない。カントの言を借れば、超戚魔的行為︵In註−igi訂−eT訂t︶ でなければならな

い。それは理性に依ってのみ認識することのできる行鰯である。換言すれば、戚璧的、時間的でな

い行男である。かゝる起源を有するところの傾向は、これを根絶することのできないものである。

何となればそれは吾人自身に責任ぁるに拘らす、何故にかくの如き忍苦しくは菩を最高準則として

採用したかを知ることができないからである︵頁三〇以下及び頁四五︶。

ヵントに依れば、根本悪とは次の如く解すべきである。人間は邁徳梓を意識しては居るが、然も

(31)

これを阻隔するものをその準則として採用してゐる。人間が生れつき悪いと云ふのは、云はエ偶

の経験的事賓で、如何なる善人と堆もその本性は悪いと云ふのである。志が人類︷仏る概念に屈すべ

き必然的性質であると云ふ意簸では無くて、人類一般に行き亘った革質だと云ふのである。即ち根

本志は必然的なものでは無い。何となれば、それは人間が自由に患準則を採用した結果だからでぁ

る。自由を板接としたもので無くては、これを窓と呼ぶことはできないのである。何故にこれを根

本的︵Ⅰ■註eヱと云ふか。カ∴/トは云ふ﹁それがあらゆる準則の根抵を腐敗さしてゐるからである。

然も同時に、それは人間のカを以て撲滅しがたい自然的傾向である。何となれば、かく撲滅するこ

とは、菩準則に依ってのみ可能でぁるが、すでにあらゆる準則の最高主観的根接が腐敗してゐると

云ふのが前提であるからには、そんなことも成立し得ないL︵頁三七以下︶。根本患は必然的ではな

い。然も人間のカを以ては撲滅し難いものである。

けれども、それだけで留まることは、カントの倫理詭の根本概念と矛盾する。それはキリスト教

の侍成約数理とは一致し得よう。﹁天が下に菩を点す人無し、一人だになし﹂とユダヤの賢者が云っ

た言某は、キリスト教がそのま∼に採用したところであるからだ。だが、賓践理性批判が殆んど宗

教的確信を以て主張したところの﹁汝属し能ふ、何となれば為すべきが故に﹂はどうなるだらう。

此の倫理的立脚地からすれば、窓は撲滅し希られなければならない。患を撲滅するは人間の道徳的

宗教史的事箕モモの嵐理性

(32)

二八

婁貴書‡とモ¢眞犠牲

鶉務であり、惑を撲滅すべしとは道徳的法則である。そこで、此の立場を維持せんが焉に、カント

は、かう云った﹁然もそれにも拘らす ︵gleieF弓OEp訂r︶、窓への傾向は、自由に行為する存在者 としての人間のうちに馨見されるものでぁるから、征服し得られるものでなければならない﹂︵頁三 八︶。カ∴/トは、人間の患を自然的、若しくは根本的と云ふ時に、常にこれにこ対して﹁だが、然しL ︵dOeFniOF訂demどweniger・S・琵S・会︶なる反語を用ひて、それは人間が自ら引き入れた︵21m召n β迂軋bst昌ge皆gene訊︶だとか、それに対して責任ぉ魚はなければならない︵erd。CFimmerse−b乳扁r・ 胃Fu岩象軋n m壷︶︵S・∽柏︶とか云ふことを忘れない。即ち、カントは、一方において、キ,ス一致

の侍統約数理との一敦を保たんが為に、人位が根本的に忍であることを主張しながら、然も彼の倫

理観の枚本概念と矛盾せざらんが鰯に、﹁だが、然し﹂それは人間が自ら犯したことであるから∵J

れを自ら絶滅し得るものでなければならないと云ふことを忘れない。

ここでキリスト教の侍統約数理たる救済覿との交渉が生じて凍る。キ,スト致は、人間性質を以

て根本的に窓な♭と観じたのであるが、それと同時に人間は、此の堕落せる境涯を離臆して、紳の

裳で給ふ理想の人と打アり得ることを敦へてゐる。カント流に云へば、善の原理が慈の原理に打ち勝

ち得べきことを数へてゐる。だが、キ,ストの侍統約数理は、飽くまでも人間自らのカの足h∴はい

ことをま弦し、紳の疲助に依ってのみ救ひは完成すると云ふ。おらば、此のキクヌー数の傍統的救

(33)

静観と、カソトの云ふところの葦原理の勝利とは、果して一致するであらうか。

カ∴′トは、善の原理が究−寛の鮎において勝利を占むペきことを確信したのであるが、それには稀 種なる困難なる、解決一曾要する問題があることを知ってゐた。﹁自然のま∼では悪人だのに、どうし

て自ら善人とな争︼とができるのか、それは我らのすべての理解を超越してゐる。何となれば、ど

うして悪しき樹が良き賓を結び得ようか﹂︵頁四六︶。我らが賓現すべき善と、我らの出費鮎たる

惑との距離は無限に大きい。然もタン一に依れば、拳と窓との問には互に相融通すべき連絡鮎が無

い。さすれば、・惑の状態にある人間は、到底善人たり得ないではあるまいか。これは督然の疑問で

あつて、カントも又これを認めてゐる。人位の根本悪と、それから醒脱する眉のカの足トエはさに苦

しむ鮎において、彼は決してキリスト数の侍統約数理に反射してはゐない。彼も叉現賓の経験とし

ては、人間がいつまでも不完全極まる妖憩にあることを確倍した。彼は決して軽薄なる染天家では

無かった。彼も又バクーや、アタグステイヌスや、ルッテルの如き偉大なる精神上の勇士と等しく、

自己内心にひそむ患のカの強さを確信してゐた。彼は現賓に、善が忍に打ち勝ち得るものとは断じ

て信じなかった。然しながら、彼ほ又同時に、彼等と等しく、忍の胱感を以て宿命的な、免れ難い

運命だとも倍じなかった。﹁何となれば、人間は堕落したのではぁるが、吾人はよら良き人間たるペ

しとの命令は、依然少しも波することなく、我々の心に響き亘って居るからである﹂︵頁四七︶。 宗教史的事‡とモの眞犠牲

(34)

三〇

宗教史商事茸ミその眞理性 然しながら、救済の可能性は、吾人がこれを現賓に認識し得るものでは無い。如何にして人間が 忍の状感に陪つたかい理解できないと等しく、如何にして人間が窓に打ち勝ち得るかも理解できな いことである。即ち吾人は、如何に現象の世界において善を賓現し得たとしても、紳重なる道徳的 梓法に比べれば、常に不完金なるものと見ざるを得ない。故に経唸約には、救済は不可能である。 只然しながら、善が無限に進展して、遂には最高法則と一致する境涯に達し得ることは、信せざる を待ない。それは祭駿的にほ考へ難いことである。換言すれば、戚魔的直観内に衛らすことができ ない。けれども位にこ∼に威璧・酎ならぬ純粋知的直観を許すならば︵か∼るものは紳より外に有す るとは考へられないが︶善が完成の域にまで到達すると列隣し得る。然しそれは飽くまでも現賓に 経験し得られないものである。カントは云ふ﹁かかる時には人間の存在は破壊されるかも知れない が﹂と︵頁六八以下︶。 然しながら、よしや現賓に善の原理が窓の原理に打ち勝つことを認識し得ないとしても、善が悪 に打ち膠つことは可餞であるにちがひ無い。﹁心の壁畢、それは義務であるからできるに蓮ひ無い﹂ ︵頁六人︶ とカントは云ふ。即ちカントは善原理の膵別の根披を、道徳的義務において認めた。す でに述べたやうに、キリスト教も、救済の可能、即ち葦原理の究真の勝利を信する鮎においてカン トと相違しない。だがカントと異なつてキリスト教は、救済は紳の援助に依って可能であると云ふ。

(35)

ここにカントとキリスト数々埋との相違盟があるのではめるまいか。カ∴/トが此のキクスl数々理 を顧慮したことは、次の言葉を見れば明かである。﹁書となり、又はより良き人となるに、超自然的協 力が必要であり、且っその協力は、妨官を減少して成立するにせよ、或は又、積極的な援助なるに l せよ、人闇はまづ自らその協力を受納し、此の援助を受け取るにふさほしいものとならなければな らぬ﹂︵頁四六︶。即ち人聞は、たとひ紳の援助に依って救はれるとしても、援助を受ける債偲ある 濱とならなければならない。これだけならばキリスト数々鞄とカントとは矛盾しない。キリスト教 は、一方においては碑の救ひの必要を説きながら、他方においては人間の努力の必要なることを説 いてゐる。此の鮎は恩寵説を高調したアタグそ7ィヌスやルッテル等においても全然同様である。然 しながら、カントは何故に紳の一授助に依って発意の救済が得られることをま張しなかったであらう か。私の讃んだ範園内では、カントはどこにも頑の援助の可能と云ふことを積極的に主張しては居 ヽヽヽ ない。彼は、﹁宗教論﹂中多くの個所において、完成されたる道徳性を獲得すべき︵哲亡cn︶でぁるか ヽヽヽ ら、それはできる︵汽ぎn2ロ︶と云ってはゐるが︵頁四七、五〇、五三、六人︶紳の援助でできると明 言しては居ない。何故に此のことを説かなかったでめらうか。 これは﹁宗教論﹂におけるカシーの一枚的鰻度に原因する。カントは、紳の恩寵を否定したわけで は無い。けれども、か∼ることは、異なる理性の限界内にあつて宗教を考察せんとする場合には、 宗教史的革質とその鼠野性

(36)

芸− 菜秩史的事‡モモ¢眞理性 理性の限界外にあるものとして、排除しなければならないと彼は借じた。而して、﹁宗教論﹂の冬着 の末尾に附加した﹁地誌﹂において、前の恩寵を説くことに反射してゐるのである。何となれば、紳 の世界は超威魔の世界であつて、吾人がこれを理論的に認識することのできない世界である。﹁従っ ′ て吾人は、恩寵の働きを理廃しがたい或ものとして許すことはできるが、これを理論的にも、賛成 的にも、吾人の準則左して採用することはできない﹂︵頁五六︶。かくの如くしてカントは、恩寵詭 を否定しては居ないが、これを似て紳の本質を表象するものだと見ることはできないとしてゐるの である︵頁一五四︶。 然しながらカ∴′トは、恩寵故に対してかくの如く否定的憩度のみをとつてはゐない。他の方面か ら積極的な説明を輿へんとしてゐる。此の貼がカ∴′トが同じく啓蒙主義者でありながら、然もこれ を超越してゐる鮎である。如何にして彼はこ甲博統約数理に理性的根接を輿へたか。これを究める ことは、彼と他の啓蒙主義者らとの根本的相違を究めることである。従って﹁宗教論﹂が宗教思想史 上に有する劫時代的功穂を究めることである。 ひミb、︼ キリスト教の数理に依れば、紳はその愛する覇子たるイエスを此の世に遣はして、悪魔の捕虜と なつてゐる人間を解放したのである。こ∼に紳の人間に対する無限の愛が表現されてゐるのである とする。タソ一に依れば、それが果して翻そのもの∼具意を解辞し得たものであるかどうかは、分

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らない。何となれば、超威魔界を認識することは、耗常に不可能だからである。けれぎも、カント はかく云ひながらも此のキリスト教の侍就約数理をば直ちに否定し去らうとはしないで、何等かの 形において生かさうと試みたのである。 彼は云ふに、キリスト教の主張が、紳の眞意を完全に認識し待たものだとする時、それには全然 ヽヽ 反対せざるを得ないのであるが、こ∼に多少の制限を設け、紳の晃意だと断言しないで、眞意らし ヽ いと云ふならば、それは謀らでないばかりか、むしろ曹然なことである。元凍我々人間は怒讃しが たい傭僅︵宅ert︶を考へるにも、これを人間流に表象せざるを得ないのである。それは云は\人間理 性の越えることのできない制限である。億償そのものが人間涜に表象した通すであるとま張するわ けでは無い。貝我々は、起威魔的な性質を理解する焉にも、これを自然物と比べて見ることを必要 とするのだ。これは欠くことのできない類推の固形︵冒↓哲Fem芝針日d宅A2−風且である。我々は 成魔的なものから趨感度的なものへ上って行って戚費的なものから類推して一個の概念を理解す る。即ち陶形化︵邑胃p家eren︶する。それは戚費的なものから超戚螢的なものを推定し、概念を療 窮するのでは無い︵頁六六証︶。 かくの如きカントの感度は、著しく妥協的に恩はれる。特に﹁宗教論﹂がその出版の以前において 昏時の官播から受けた厘迫を思へば、カ∴′トが自説を柾げて官樺の意に迎食せんとしたのでは無い 募獣毛書‡とその眞理性 喜ユ

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三吐

宗教史的事質ミその眞理性

かとさへ怯まれる。然しかく解することはカントの眞意を解し化ものと云ふことはでき無い。カソ

トは固形に依って物そのものをとらへ得るとは決して主張して居ない。見入間は、超威魔的なもの

をとらへるにも、何等か戚螢的にとらへ得るもの︵etw慧警已iell出旨b弓e貴二五︶を必要とする

のだから此の人間の自然の要求に應じたまでいあると云ふ。カントの此の思想が、﹁宗教論﹂におい

て失費的に現はれたものでない記墟には、同一思想がすでに純粋理性批判において現はれてゐるこ

とを注意すれば足りよう。カ∴/トが、純粋理性批判において、紳を認識することの不可能なること

を高調してゐることは有名なことで殊更云ふまでも無いことであるが、他方において紳を我ら人間

の立場から種々に表象して見ることには、反射しないばか♭か、必要だとさへ云ってゐる︵戸d・ ’﹂﹁頁五入九︶。こ1でカ∴′トが云ふ紳とは、倍統的なキリスト致の世界創始者としての紳である ︵頁五四一︶。かくの如き紳が、紳その物であるか否かは要するに分らない。けれども、さうである かのやうに︵計Ob︶紳を見るのである。即ちそれは前の固形である。︵声d・r・ヂS・会00ーS・箆−屯︶と

云ってゐる。

かくの如き現賓宗教に対する態度と、啓蒙ま養老、例へばヒュームのそれとを比べれば、著しい

相違であると云はなければならない。ヒュームの﹁奇蹟諭﹂や﹁自然宗教史﹂における現賓宗教に対す

る態度が如何に否定的であつたか。現賓宗教が理性を基礎としてゐないからとて、彼ほ直ちに﹁無

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畢が信仰の母である﹂と罵倒し辛り、宗教は要するに臆病者のみに必要なものだとして否定してし まつたでは無いか。カ∴/トはむしろかくの如き非理性的なるもの∼うちから理性的な何物かを澄見 し、これを生かさうとした。カントは云ふ﹁どうして我々は、かくも曲らくねつた材木から眞直な ものを伐り出すことを期待し得ようか﹂︵一〇五頁︶と。現賓の宗教はまが、りくねつてゐる。だが、 これに依るより外に奥庭な材木は得られないでは無いか。換言すれば、宗教史的事賓を手段とし て、理性的宗教の内容夕・推定するよら外に途は無いではないか。かくしてカ∴/トは完全にヒューム の宗教観を超越した。そして彼の﹁宗教論﹂は宗教思想史上に不朽のあ輯を残した。 此の間毯に就いては﹁講座﹂第二十一躾lこおいて﹁教組¢歴史性ミその人格償値﹂阜毯Lて論王王。此の両論文ほ相結合Lてはじ めて完成ぜられろものでぁろ。柊lこカントの﹁宗教論﹂lこおけるキリスト論は畢光ろ固形以上の積極的意味な有L、=れl二依っ て宗教史的事茸の眞理性が積極的lこ確立されてゐろのでぁるが、それ等の間超に、前論文においてすでに論じtミニろでぁろ から、今此の論文でほ全然l‡ぷいてこまっゎ。﹁宗教論﹂のすべての間塩に亘つて細かく組括的に諭する=モli、他の横倉に譲 ち尤ければ光ら光い。 宗教史的革質きそ¢眞理性

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印度の宗教轟術には三つの大きな特徴がある。第一はインスビレーショソに活き佗巷術であると

いふ鮎、琴一はアスケチック、テンダソシーに満ちた轟術であるといふ鮎、そして夢二はツランス

セソデンタルな超自然的気分の極めて濃厚な萎縮であるとい﹀ふ鮎である。

印度人にとつては智識と信仰とは背から同一である。信仰をもつて智識としてゐる民族ほど熱狂

の生活に陥り易いものはない。熱狂的倍仰は嘘て偉大なる哲畢となり、忽ち光輝ある塾碗となる。

だから親方によつては舌代印度の宗教詩人が生んだ信仰暫畢は冷静なる批判の結果でなくして、熱

狂的信仰の高調した忘我奪魂の三昧硬からの奔蒲であると許することが出凍る。そこには活ける婆

術が現はれてゐるのみで未だ信仰も密議もその裏面に分化してゐないのである。此の美しい稀奥の

印度の宗教聾術

印度の宗教肇術

文 倉

手 島

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堅戚を我々は何うして陵昧であると許することが出水ようか。轟術は自然に活きるものである。自 然の健なぁ未分化の純異ほど垂術の魂豆輝かせるものはない。.インスビレーブヨソに管長義解が 如何に無償に食いものであるかは今更ら喋、々を要せ氾所であらう。

世界長舌の三千年以前の彼の美しい吠陀の嶺歌を見よ。蒔人の熱狂は紳に訴へる青枠の究克に於 てあれほど屡々語尾復唱の奮句を愛用してゐるではないか。現寮生活の有らゆる環境に対して帝の 答へを聞かんとしてゐるではないか。高調し切った心の絃を緊衷のま∼に持績する胸一杯の戚激が 改の語尾復唱の奮句となつて現はれたのに逢ひないことを思へば、如何にインスビレーシ女シに活 きた舌代の詩人共よーー とは何人もが累日向音に賛する囁饗でなくてはならぬ。 吠陀の待人が現賓生活の環境にのみ訴へんとする態度を見て詩人の資格に或るものを映けらと許

滴する

、られ、牛は牛としてのみ映るのであるが、詩人は同じ青草と牛を通して或る自然の偉大な紳聴力を する単著がある。しかし我々はそを酷評である圭一一口ひたい。凡人の眼には青草は青草としてのみ見 執ことが出家る。此の自然の神秘を洞観することは何に依て可能であるか。日くインスビレ ーションに依ていある。吠陀詩人の謳ふ研が縦令日常卑近の現寮生活を忽廃し棒材かったとはい ぺ、高調⊥切ったインスビレーショソの泉から、あれほど滑々と顛末の人間事を洗ひ浮めて布き、そ ー軸度¢真数塾福

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三八 印度の素数蓼藤 の辞められた人間事の悉くに神秘のカを見出して讃歌し化ことは、徒らに技巧に熟練された人虐的 詩人の到底企及し能はぎる朗ではなからうか。詩の詩たる朗は必らすしも美しい形容詞の羅列でも なく、速い夢想境の幻象を謳ふに限った謬でも毛頭ない。抑へ切れぬ人間自然の戚輿から湧き出た 純異な叫びでさへあれば、いかに咄訴たる粗饗な名詞の系列でも、生命の光輝ある詩と言ひ待よう ではないか。偽らざるものが詩であト、作らざるものが詩であるから。 吠陀の嶺歌のみならや、﹃ラーマーヤナ﹄や﹃大パーラク戦簿﹄の中にも、監戚に奮ひ起った幾多の 勇士が想ひ設けぬ超臼然カを螢挿する験しは少くない。彼の悲劇の終局に紳の影を現して局面の展 開を謀る中世ローマ式の避方の代りに、印度のドラマや叙情詩、叙事詩の中ではインスビレーショ ソに依て局面を縛展させる場合が非常に彩い。所謂インスビレーションは単なる成典でなくして、 細々しい重みのあるセークレッドインスビレーションである。若きラーマ王子は幾度か之に依て越 え発き山河を抜渉し、奪はれた愛の奪蓮に見事功を成してゐるし、悲観のどん底に沈んだアルデュ ナ王子も之に依て多くの魔軍を征伐することが出凍てゐるし、其他カーリグーサの﹁シヤクソタラ ー﹂や﹁雲の使﹄や、飼ほ諸樺のドラマと青菜とにも其例を充分馨げることが出水る。印度の宗教螢 術の中で、特に時間轟術に於ける一貫的特徴たるものは僅かに窒戚に活ける一鮎であらうと思ふ。 三

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