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重な超新星の記録がのこされたのである 天文観測とその記録は日本では陰陽寮 天文道の重要な公務であった 超新星は日本の文献では 客星 として記録されているが 客星には新星や彗星も含まれている 実際 文献から判断して超新星であり しかも文献の示す位置にその残骸が見つかっている例は数例しかない その例を藤

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Academic year: 2021

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図1 京天文街道のデビュー。NHK 番組『爆笑問題:日本の教養』より 始めに 京都は天文学 1000 年の故郷。平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明の息子や孫、ひ孫、そ のまた子孫が星の大爆発(超新星という)を観測した。約 1000 年前のこれらの記録は、藤 原定家(小倉百人一首や新古今和歌集などの編者)の日記『明月記』に残された。藤原定 家の子孫、冷泉家の屋敷が今出川通りにあり、明月記原本はここに保存されている。近く の相国寺で定家はひっそりと眠っている。 その後京都の天文観測は脈々と引き継がれた。江戸中期に土御門家(安倍家)の庭に設 置された天文観測装置、渾天儀と大表土の台石はいまも梅小路の小さな寺に残っている。 江戸無血開城の歴史のかげに働いた土御門藤子、明治維新、この代で京都天文観測の伝統 は一時とぎれたが、やがて京都大学の宇宙学に引き継がれていった。 1000 年後、我々京都大学は明月記の記録の場所を X 線望遠鏡で観測した、大きさにして 数十光年、温度が千万度もの巨大なプラズマ球の中から珪素、鉄など重元素が大量に発見 された。この超新星が史上もっとも明るく輝いたことを明らかにしたのだ。紫式部が源氏 物語を書いていたその最中に京都の南の空低く、光源氏より輝くスターが突如出現したわ けだ。 この超新星は宇宙に高エネルギー粒子(宇宙線)の『工場』であることも明らか になった。湯川秀樹が理論的に予言した中間子を大気中につくったのは宇宙線である。そ こで1000年の時空を結ぶ天文学の話をしたい。 歴史に残った超新星 中国や日本では天界の異変が、地上の異変の予兆とされ、政治の意思決定の要としても 天文現象が重要な役割を演じていた。その為に、中国や日本で、ヨーロッパには少ない貴

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重な超新星の記録がのこされたのである。天文観測とその記録は日本では陰陽寮、天文道 の重要な公務であった。超新星は日本の文献では『客星』として記録されているが、客星 には新星や彗星も含まれている。実際、文献から判断して超新星であり、しかも文献の示 す位置にその残骸が見つかっている例は数例しかない。その例を藤原定家(1162-1241)の 『明月記』でたどってみよう。 旧暦の寛喜二年(西暦では 1230 年)十月末、客星(おそらく彗星)が現われた。陰陽道で は客星の出現は凶兆を意味する場合がある。実際数年前から洪水や飢饉など悪い事件が続 いたようだ。定家は客星出現が本当に凶の前兆なのかと安倍泰俊(清明神社などでもしら れ、若い女性に人気のある安倍清明の 6 代目の孫)に過去の宮廷の記録を調べさせた。そ の報告をもとに「客星出現例」を同年の十一月八日に記した。 その一節に、「一條院 寛弘三年 四月二日 葵酉 夜以降 騎官中 有大客星 如蛍惑」とあ る。「西暦 1006 年 5 月 1 日、騎官(現在の狼座付近)の方向に明るい客星が現われ、蛍惑(け いわく:火星)のようだった」という意味である。元の記録は陰陽寮の長、陰陽頭(おんみ ょうのかみ;今の国立天文台長に相当)だった安倍吉昌(安倍清明の次男)のようだ。現 在この方角にはまさに若い超新星残骸、SN1006 が発見されている。 半月のように明るかった超新星 「客星出現例」には『かに星雲』や『3C58』(SN1181)などの超新星、その他新星、彗星 など、さまざまな客星の記述があるが、『大客星』という称号を獲得したのは SN1006 だけ だ。中国、朝鮮、中近東、に記録がのこっており、月や木星と明るさが比較されている。 以下は Goldstein, と Goldstein and York の研究の紹介である。バクダードの Ibn al-Jawzi は 5 月 3 日に金星のようだった、エジプトの Ali ibn Ridwan は 5 月 5 日(?) に満月の 1/4 の明るさだったといっている。地上に影を落とすほどの明るさだったようだ が、8月には地平に消えてしまった。中国の『宋史』『天文志』では、「景徳三年四月戊寅 (1006 年 5 月 6 日)、周伯星見、…状如半月、八月…入濁(地平線下に入る)、十一月、復 見…」とある。 距離を 2 キロパーセクとすると、その絶対等級は-20 等級であった。それが数ヶ月で減光 した。』となろう。最大光度-19.5 等級、増光、減光の時間スケールも現在の教科書に書か れている Ia 型超新星そのものである。 このように文献から SN1006 は人類が記録した最も明るい超新星だったことを推定させる。 『明月記』では SN1006 は大客星だが、それが「蛍惑(火星)の如し」ではいささか迫力に欠 ける。客星としか呼んでもらえなかった『かに星雲』ですら「歳星(木星)の如し」だか ら。しかし記述がオンセット時の明るさと思えば、「火星くらい」でも我慢しよう。ただ筆 者は別の理由を考えている。SN1006 は南天の天体である。京都では地平線から 15 度くら いしか上がらない。1000 年前の分点にもどすと、1006 年 5 月1日、深夜に南中、高度は 20 度くらいになる。だから日没後しばらくして、地平低くに現れた SN1006 はかなり赤く

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見えたであろう。この時期、やや上空ではさそり座のアンタレスが赤く輝いていた。さら に偶然、近くには赤い惑星、火星がいた。南天低くには3つの星が赤さを競っていたのだ。 そのため SN1006 を「火星の如し」と形容したのかもしれない。 現代科学からみた意味 超新星は多くの人を魅了する華麗な天文ショーのみでなく、宇宙物理学上でも極めて重 要な意味をもつ現象である。それらをくわしく述べるのは本稿の趣旨ではないので、省略 するが、SN1006 は特別な役割を演じたことを特筆したい。それは宇宙線の起源と加速に迫 ったのである。宇宙線とは宇宙から降り注ぐ高エネルギー粒子である。1932 年、ヘスによ って発見されたいわば天然の粒子加速器である。この加速器をもちいて、初期の素粒子実 験がおこなわれ、それが現在、物質存在の根幹にせまる素粒子像樹立の基礎となったので ある。その後、素粒子実験は人工の加速器に主役を譲ることになったが、現在それもエネ ルギー的に限界になりつつある。再び宇宙線の最高エネルギー加速器としての価値が見直 されることになろう。そんな重要な意味をもつ宇宙線なのに、その起源と加速機構は永い あいだ謎のままであった。 日本のX線天文衛星『あすか』は SN1006 の衝撃波面から、高エネルギー電子が放射する シンクロトロンX線放射を発見した。生後 1000 年間休みなく衝撃波が宇宙線を加速し続け、 地上の如何なる加速器も凌駕する超高エネルギー、約 1014電子ボルトを獲得したのである。 SN1006 は最も明るく輝い たのみでなく、宇宙線加速の 研究でも大スターに成長し たのである。湯川秀樹が理論 的に予言した中間子を大気 中につくったのは宇宙線で ある(図2)。 2006 年 5 月1日はこの大 スターの 1000 歳の誕生日で ある。日本の『すざく』衛星 は、SN1006 のすこやかな成長 を記念して「写真撮影」をし た(図3)。右はヘリウム状に 図2 宇宙線の起源と湯川中間子の記事 電離した酸素輝線の分布であ る。爆発以来、1000 年にわたり超高速で膨張を続け、直径 60 光年もの巨大高温ガス球に 成長したのだ。

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図 3 SN1006 の 1000 歳のX線記念写真。右は超高温プラズマの分布で直径約 60 光年である。左は X 線ス ペクトルである。(京都大学理学研究科宇宙線研究室 Website より転載: 左の X 線スペクトルをみていただきたい。アルゴン、カルシウム、鉄などの重元素から の輝線が始めて発見された。解析してみると、大量に存在する。Ia 型超新星の直接的な証 明である。つまり絶対最大光度は-19.5 等級だったのである。距離 2kpc で爆発したのだか ら地上では-8.5 等級になる。三日月よりも明るく半月よりは暗かったといえる。史上最高 の明るさであった。これを科学的に証明したのである。 京の天文学街道 このように SN1006 は安倍晴明の息子から始まり、藤原定家、そして京都大学と 1000 年 にわたって我々の興味を引き付けてきた。その縁の地は一本の街道『今出川通り』で結ば れる。そこでこれを『京の天文学街道』と呼ぶことにした。NHK ディレクターと相談して ある NHK 番組でデビューしたのだが(図1)、あまり受けなかった。この話に精華大学元マ ンガ学部長が大変興味をしめされ、『京都府観光マップ』に載せて下さることになった(図 4)。 図4 京都府観光マップ:企画・制作 都精華大学マンガ学部 山城地域担当 瓜生 夏貴 編集・イラストマップ どおのよしのぶ発行 京都府商工労働観光部観光課

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参考文献

『明月記』巻 49 寛喜二(1230)年冬記及び、冷泉家関連展示『四日市市立博物館』のパン フレット

Goldstein B, R. 1965, AJ 70, 105.

Goldstein B, R. and Ho Peng York, 1965, AJ, 70, 748. Ibn al-Jawzi (Baghdad)Arabic Text 1

Ali ibn Ridwan(Egypt)Arabic Text 2 『宋史』『天文志』, 1345 年

図 3 SN1006 の 1000 歳のX線記念写真。右は超高温プラズマの分布で直径約 60 光年である。左は X 線ス ペクトルである。(京都大学理学研究科宇宙線研究室 Website より転載:  左の X 線スペクトルをみていただきたい。アルゴン、カルシウム、鉄などの重元素から の輝線が始めて発見された。解析してみると、大量に存在する。Ia 型超新星の直接的な証 明である。つまり絶対最大光度は-19.5 等級だったのである。距離 2kpc で爆発したのだか ら地上では-8.5 等級になる。三日月よりも

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