華北の開發と港灣問題-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

此夏休暇を利用華北方面組察衰命、八月六日に高冷を出立、丹末蹄任した女鋳である。目的は輩北の経済資汰

華北の開設と沌攣問題 言 て緒 こ、華北の地形と港轡 三、青 島、 四、天 韓 港 の 性 質 五、天浮港螢蓮 の 原因 六、華恥の開撃と沌轡 七、蘭一亀 の 窪 要 性 八、青島と其施設 の 嬰 九、青 島 港 と 銑 迫 ︼○、速・彗 拷 と の 闘 係 語 一一、結 一 博

華北ゐ陶磁ヾj港歯間題

雲ロ

貞 次

寺 田

︵≡三三︶ 五九

(2)

二 華北の地形ぜ港樫

山束を踏査して感じだ鄭は少ぐないが、就中こ∼に述べたいのは葦北の港磯問題でぁる。華北の地は拗梅暦の

西部及び西南部に脱がれる地方でかり、従ってこの地方の出口は叉拗梅濁であることは常然で為る。而この潮海

濁を偶ると其の地形が全然対照的睾出発てゐる、撥の東画商側に恐超せる土地は、減洲と蒙古との墳をなす興安

嶺山脈と、之と並行して発つてぁる洒洲と朝鮮との境界をなす鼻白山脈との聞の土地であるからであつて、何れ

も西南から東北の方向に響且し前者は藩洲に於ては典安嶺とし蒜河省より基の以北の山地を形成し、畢北にあ

っては山酉・供酉の高原穐即ち大行山脈を形成して居り¶後者は楓洲にぁつては長白山駅より西南に延びて遼東

の丘陵地を形成して居り、拳北にあつては山東の丘陵地即ち山東山塊を形成して居る。而この間は以前、は海水地

であつたのが、山脈地から洗苧ノる泥をた毘められ1灸掛に沖輯牟讐形成し、其の蒜を勘繰撃Jしで戎 帯十四巻 第四班 ︵≡茜︶ 六〇

の考究で透り、山酉の太原意は是非歩を進める考で、神戸から海路青島に上越、山東地方の観察を振出に天津・

北京・石衣妊と山西に向ふ預定であつにが、済南で水果に遭遇、蓬に天津進も行けす、辟路通過の預定であつた

津浦銀で南京・上海を経て踵高したのみとなり、目的は全く水泡に録したのであるが、串山東を祀察して犬に感

する鷹があつたから、研究は未だ不完全ではあるけれども、自分の考ふる慶を述べて将来の成行を眺めたいと思

ふ。

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しでゐるのである。例へ∵ぱ、この沖積乎嘩にある天津の如き.も極く最近の牽津にかゝLリ、秦・痍の苗には索より 梅であり、近く采時代に重力ヤも筒塘溶と科七、硯天津より西、快走にこ至る二百粁の間は勅海潟であつた。元時 代に入り、漸くこゝが河月となり、、小直清即ち今の天津から十七噂上流の楊村まで海運が賛達し、如代になり漸 く億地が増加心、靖か、も来る大運河と北運河即ち白河と合す為魔の直結が盈要地鮎となり、術門を建て、後暢村 濃嘗奪って北東の警彗芸である。へ鯛朗報増錮諾則滋て河川讐の低地に讐、浦洲では遼河・涯 河等となり、華北では白河を中心とする永走河・子牙河・.北賠河・北運河・猪龍河・湖暢河・術河・商運河の山 群とな♭、︵騨般㍍㍊謂㌫国︶更ぺ蓬栄河河邁の大攣連により叉こゝに流入するに芳美警ある。 かく潮梅酒の両側は地形が封照的になつてゐるので、其の他の利用も亦自然と類似の傾向を有し、産柴的利川の ﹂開蟄と共に集散の中心地を生じ、港湾の教生を促した。減洲に於ける牛丼・華北に於ける天津が是であり、其の 港潟としでは滴洲に営口・華北に太強が生七王のである︵、然し此等集散地は何れも同軸河流に濱してゐるので、 時勢の進運と共に河口に在る港、営口並に太括よりも川を遡れ争奪荘並に天痙が牽達したのでぁつた。而して藩 洲方面に於ては其の後奥地の開署進歩するにつれ、従来の港濁は其の勢を牛島地に於け左内然の良港に遜ること ゝなり、今や大連の肇連な親、瀾洲の玄摘は全く大連となつた次第である。㌧港潤の攣遷として興味ある現象であ る0 然るに輩北側は鮮烈として天津が其の盛をつゞけて居り、山東にある青島の如きは猫逸人の努力によゎ故初か 準北の開費と港轡問毯 ︵≡≡五︶ 六一

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、 第十四谷 罪過虜 ︵三二三ハ︶ 六二 ら港潤として躍貸された恩のではあるが、天津を凌ぐの勢には達してゐない。これは洒洲と華北とは其の球形を 等しくするにせよ、開磯の時期を異にするためでぁる。此鮎より推す時、童北地方の閃磯と共に酵釆に於ては滅 洲と同様の牽展涙態を現出七、大連に相常す亮青島の有望さを考へさせられるの、でぁる。然しこの考は狙なる地 形上の推論であつで、こ′れだけでは未だ港潟の婿釆を卜するにほ足らないことは勿論である。 然しこの度薬北を祓察し、表門島港を目撃するに及び、従来の地形論ほ必ずしも不普でない、青島港の将来の有 望jを熱々感サるに至り、滞在中案内の近藤諾㌣君にも大に之を主張し、海港局者にも此霧で聞たゞした所以で ある。

三 青島港の性質

廃らば何故にかく主張するか、卒鑑に申せば、蘭島港の辟釆はすぺ土浦洲に於ける大連の語法と同埋によつで

解樺し得ると考へたからである。

大連が現今牛粧・螢口を凌いで藩洲唯ヤの玄附として磯達し烏理由は何魔点あるか。素より年産・廃口が′河港

であり、近せ港潟として不便の多いの草原し、大連は眉然的良港であう、近せ的大港として好適であること、奥

地即ち港に封する儀背地の開蟄の碗大すると共に、其の位鑑はたとへ牛島の発端に軽く存麗し、港消費連條件に

そはないにせよ、後背地並に我が日本に封する位鑑との関係上、半荘に防る鮎は途にこれに代.って大抵滑としで

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費達しにものであろうと考へる。

大連港の蟄連が魂して右の理由に蹄関するもやとせば、輝北に於ける青島怨も亦この地方将来の状勢一卜まって

は大連港と同番情を生じ得る息のと観察することが出来ると忍はれるのである。

然らば青島港の脾釆は如何、∴発第十に青島港の強味は何と申しでも自然の良港であると云ふ鮎で⑬る。軍に地一

箇上に於て観る詐でなく盛際祀察しでみると其の良港たることが儲かれる、我か般は朝鮮の南方沖を通って軽に

此港に向ひ、讃岐の五剣山とも申すべき峻峯を有する山東の連山を眺めて港口に達するのである。港口には小鳥

即ち蘭島を有し、閣内袋の如く仙見するだに艮潤たるを思はしめる、右方は丘陵性をなし、民園には珍らしと忠

はれるまで練濃に赤煉瓦屋根の洋風住宅丘陵を咄めて建ち並び、中には六優高楼の肇ゆる閑静の中に爽快を感ぜ

んめる、埠頭も大規模に流石は猫逸人経営の港と感探きものがある。濫は外琴・内港に分れ、外港は市の簡側供

澗な錨鞄であり、内おは市の西方にあう、繋泊場と心で大粒・舶発泡・小港及び放泊宙に別れてゐる。天港は葡西

北≡方防汲墳を以で廻らし、港内水域面鏡三〇薦坪、水深干潮時二十八尺、満潮時測十三尺、′亀円第仙乃票掃

五礪頭延長三、二三八米二ハ干噸観の大船を同時に十八娃二二千噸級汽船二十穴隻を同時に累投し得、叶日の荷

芳書噸乃至漂である。・︵掴錮謂㌔︶この外に蓑帆船のみを入れる小繋傍に誉。誠によく讐た こじんづし羞警港還ると誓れてゐるのは、︵掴糾欝翫鮎錮㍍支︶誠に莞で、之を軌の港、即ち

天津港や太括港に比べると天地の差があることが知れる。

華北の開設と沌轡問題 ︵三≡七︶ 六≡

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四 天津港の性質

天津港は天津から大路沖までを含むもので、多数の河川並に運河の白河への合流鮎、叉北寧・津浦両級の命合

鮎に位して居り、物資の集散上には好適の位道営占めてゐることは事蜜であるが、之を梅外に抽選すべき大船舶

の入港には全く不便である。申すまでもなべ、所謂安土地方で河水は泥砂に咄より水探浅く、殊に白河は河川の

特性たるメアンダエ蛇行︶極端に甚しく、水路河幅狭院であるのを、近時改修、運河の四大礫曲を切丸剤勺見 直にした馬に、忘堆積作用を増大せしめ仝鰻が湧くなつた、往年は組噸敬二、克00噸級汽船の遡航が旧来に

のであると苧が、慮は讐て○。○噸級船の遡瞥困警感じっゝある状態であり、︵踊敵謂鯛㌍棉︶

瀞舶は河口近くの塘清に着くが、夫塑舵にありでは河口八裡の大清錨地で荷役するの外がない。然も白河のデル

タたる犬括バーを越すには猪瀬時を待たねばならない、其の不便は想條の外である。かく天津港は既に施設凍張

には飴地がなく叉大治の如きも望がないので、之が増黄海たる塘活に築港を修築して機能坊大の意閲が試みられ

てみると云ふ苺であるヤ即ち塘活沖合から河闊に至る二撃ハ千栄の防砂導流堤を築造して、蠣清築港並に白河上も

流に於ける治水及び本流への土砂放出防止設備にょる天津港修習計定を捷出し、之により貨物稗却鞘カ年七百五

十葛の煤警固らんとしてゐるので雪や︵靴髭博通溜煮で。︶筒文献に依る三白河の水澤は天津附 近で二束乃至6興、賂清で三沢乃至三択であり、河口では園外門洲一望買巧ハーが水深極く浅く、舵 算十西巻、第四兢 ︵三三八︶ 六四

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舶の航行を阻喪せるので、大蒜は河。沖令十浬の廃で荷役サる現状ではあ藩、︵組㍍詣鋤鍋朗難錮㌘五︶

然ん竣操に伐つでは二千噸級の船舶ならば天浄迄のぽすことが出来ると考へられてゐる、然しこの政雄には却々

の骨折と蓋警意義す.る審で、大治築港にしても此慶で攣石準農産物を精出すやう、にするには、少くとも克

子職級、∴甲釆得るならば﹁萬噸親の汽船の繋留を必妥とするのであり、之には少くとも一億園の軍曹を費やさね

ば誉ぬ毒へられてゐるのである㌫駅爛瑠報∵しれが鮪二不便な鮎で雪が、俺叫つ不便なのは慧河水の

氷結する鮎である。

白河は毎年十仙月下旬から氷結、十二月中は仝ぺ封鎖され、畢春二月下旬でなければ御氷しないのでぁり、開

河と莞のは将に言上旬であヱ猥耶謂謂重雄∵︶故讐の期間は航行杜絶、漸く砕氷警利和しで漸 く遡航し得る笠である︵詣舶︶然し結氷には年によつて羞ハがあり、酷暑が永く鰯い毎には秘氷胎と錐も数

墾官て、或る期間は亨紋航の巳む急ぎるに雷と云ふことで雪︵靴詣謂査︶。かう不便は青島港に

は全くない。拗梅暦は氷結するにも係はらや驚際青島飴は氷結しないのである。

五 天津港螢達の原田

∴琴渾苛島両恕の得失は右の如くであり、天津の方は帝島に比べると全く払としては不便学﹂とは事驚であり、

現今までの虚では天津埠頭の改良は望みなく、現状維持が出来れば・、良い位で、塘姑の改良も望み少く、二千嘲

螢北の開設と措轡問鑑 ︵ニニニ九︶ 六五

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寛十四巻第四改

︵≡四〇︶六大 警いふ所であらうから、大治沖に志する方がよいと云姦が有力に誓てゐ.る︵如拙錮姻銅︶と云はれでゐる 杜.である。共にも係はらず天樺は北真に於ける唯仰の貿易港として輩達し今日に及んだの■である。是は何故であ らうか。 かく天津魅は全く不便な賂であかにせよ、現今まで兎に角北支の玄関として準えて釆たと云ふものは、素より 種々の原因に倣ることではあるが、叫つには本港の沿革が然らしめたのであち、北玄関張の枠度が現今までの虎 穴津払の利用でやつて行け烏と云ふ焉であると申しでよろしい。H即ち天津港は北安中原に於ける緒川の合流鮎と して、 大集散地として元時代以来盛え今日に及んだもので、仙八宗〇年には北京條約の結果開港場となり、山九〇.〇年 北清濁建以来は祷般外国式を採用、苗の情勢叫粟し、日鋸戦争には繭軍需品調達の中心となり、仙謄進展、各圃裁 誉定められ、人見十讐云ふ大都管して蓬したのである︵鯛酌詣︰謂机ごかゝる有様で天捧は、虞 に北支に於ける経済財政の中心となつてしまつたのである。文献によると﹁明朝が北京を京輔と定むるや、天津 街城に璃方の商質を廣東、稿建、江酉等よ力移住サしめ、北支経済財政の中心と化せしめた﹂と申して富︿網珊 等琴銀行等金軸概紬を始め東商貰沫全部此鹿に集合固着してゐる焦扇1∴轡易の警は不可能セあり、叉針 の之に競争することも容易の柴でないのであると、青島在任の葦発表は語つTゐるC斯くの如くしで雫渾は軍に 北京に対する港たるのみでなく、前述の交通網に依り、中原北部を商圏とするの他、速く北方熱河蒙択方面よサ

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の物資をも集め、今では民園に於て上海に女ぐ活気を遺してゐるのであか。・石油、穿粉、拙麻、綿布等を輸入 し、棉花、雑穀、獣皮、学毛、石数等を捻出し、.工柴は上海に比べ 資本家が少い鶉でめ㌢し、とミ又﹁方には後曹地からの物灸が上稼に及ばない蕎甘あるが、是とでも近時は開平 娩など営利用しで諸税の工柴を起しで居り、紡続、製粉ヽ藤池、煙草、′・燐寸、梯子、不敵、骨粉等諸種のエ繋が 署達してゐる。 東に今次の寄欒以来は北方地方と・の交通が開塗せられ、叉北東腐の如き紅北真に於ける中心として萬事大規模 の経常が計志されで居り、従で夷韓港町藍嬰性は﹁櫛大隠るものがあヶ、犬油の代りに塘路築他聞題の如きも研 誉れるやうになつ差等あ聖蘭島新報︵錆㌶錮八︶には北孟大変塘路芸埋設︵旭摘︶と萌し。 北安閑致命政傘下の輿申公司は、釆十三臼外局としで北更新賂臨時建設番線局を閑談、内務省大阪土木出張所 長を局長とし、、北京に事務局をおき、経費叫倍五千親閲の内筑叫期計鬱、昭和十七甘皮までに七千五官詫園を食 紅よカ仰ぎ、白河下口に大馴導塊藍訊け両側を掘り、撃止地を迫り、後に呑吐能力七五〇萬噸lニ達する預定、右 工事々務局は泡醤事業の主鰭が正式決定するまでとし、将来経常童鰭決定せば常然元に吸収される﹂ と記しでゐる。極力時勢に適應し、商圏の魂大に應じ得るやう努力しでゐる敗勢が知れるのである。従来葦北 墟二の敦盛#る天津大治払として、血努力は偲然の寄であり、静水に於ける畢北の二軍粘として最適切な所動と 云はねばならぬ。 拳北の開敬と増野問題 ︵吾川二∴り ﹂不七

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六.華北の開撥ビ港轡

然し韮北地方は静釆其の商圏に於て決して今日のまゝで止まるペき性質の朗でない、持崩の進展と共に商圏益 キ抗大致すものと想像されるのである、此の際に常つて果して従来の港濁のみで充分であらうか、是葦北梅園問 趨の嘩る所以でみる℃ 由今の魔、天津港の背後経済力は妥に其の位置の関係上、▼こゝに集合する諸川の流域地即ち、白河、永窟何等 の流域地でJ灯るが、近時は葡其の上流たる熱河、張森口、苗北口等にも及び、痙近にはこ曙貴方まで及んでゐる わけ恐ぁる?現今に於ける天津の後背地は河北省針中心とする祭恰蔚、綬遠、山西、及山束北部、河北省境を含 む地域と申して居hソ、北廣荒査瞥︵麒錮望鯛鋼析︶に美津の商墓ガほが前は河川の苦言河北着 か出づ争㌢得なか.つたが、夷の後絨道の敷設と共に地方に城張せられ、・京綬級により蒙苗方面の紆臍教む受配 し、東山酉より眺酉、甘前にも及びロシヤ革命の際には新置との取引すら行はれ、南は山束の西部にまで達した ので雪と云ふてゐる。︵偶力︶か、る姦で露は饗肱に牒る唯↓の港感官して芸㍉て賓の′貰るがト豚 釆に於ては単に河北の低地許でなく、、従乳母ンロー主義料以で他人の容瞭を許さなかった山西方面も開賛されぬ ばなら甘いのであり、而して山西の地は河北省とは異って、全くの山岳地帯であり、従て朗謂モンロー秦義も鵬 へ得たのであつたが、現今に至っては、既にかゝる主轟を許すべきの秋.でない、寄欒以来其の毒都太原は由試買の 策十四谷 弟.四壁 ︵≡姻二︶ 六八

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占嫁する慶となり、石衣粧よりの紐道も既に開通、葡省の北部なる大同は早畠毒の手により秩序回窄今や着

々尊堂も活動の硝智東しでゐ東大同の名跡.有彿の世拉紹介されてゐる状態を満て︳其の表′曾知ることが州乗

る。侍大同より南方太原までの交通の如きも不便ながらに縫略されてゐるやうに聞いでゐる。斯くして従来別天

地であつた山西は近き将来に於て大に開張きれるに相違ない、甲レてこの山西の地は呼野上山高座で、殆ど役に

たゝない土地のやぅに感ぜちれろのであるが、壷蜜は全く反対に綬済上葦に盟嬰な場所であるのである。夫は農

産以外に鍼産資淑に富んでゐるからである。錬物資源と庫せば各位のものを尊げることが出来るのであるが、就

中敢重安なのは勿論石淡であることは周知の審驚であや、中華民団中でも山西種族脈に発ちでゐる鷹は他にない

の、である。軸狭魔の如き、従来単著に依j色々と計算されてゐるが、革に其の筆筒学﹂とは英本闊上向じと糾し てゐるゐゑり︵即断那レ馴詔︶美の嘉の研究雪雲蒜逸のリヒ去−′ヘン望の如きは山西の埠異風 を五千五眉倣億鴎噸と鬼瞭b、言年世界の石盤滑撃里ハ億萬噸・とするも約叫千年間供給ん待とヰしてゐる。

品だ

︵榊蝉醐紙用諾醜撃け姦て真の姜さ嘉することが墨るので雪が、曾の以外に慧品の産机

も決して少くない。棉花の如きも聾北では天津の西南より山東地方にかけて多く栽培されるのであるが、観氏の経

済相恐努力に放り莞栽培遽励され、由翠日では移出筈なし得る姜に還してゐるのである︵批酎雛潮

貫七

︺ 二\

か、る有様で、山酉は山岳地であるとは云へ、其の経済資混に於ては仰単に苺北に於で許でなく、中輩民国中に

車北の開設と港簡閲題 ︵≡四三︶ 六九

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︵四四四︶ 七〇 第十四笹 第四娯 ても盈安な位泣を占めてゐる慶である、故に時局の進運と共に之が閉篭は最必要聾しとであり、′現に島貫占嬢以 来は潰々開嘘の緒をす∼められつ∼あることは事驚であり、近き将来に於ては河北地方慶でない大床柴地として 教属することは明である。か∼る盈要覧山酉開恐の既には、其の発散地は果して之を何魔に求ひべきか。従釆の 天津港のみにて甘んやべきであらうか、然も港としても不便樋.まる天津、大泊を以で甘んじてよいセあらうか、 大に考臆すべき問題であると思ふ。 山西の生産物親しで従釆の如く河川めみにたよることが出発るであらうか、河川に俵て河北に造り又は南方黄 河に造りで更に之宮下り湊州万両に出すべきでぁらうか。萬叫河川によつて造る鳶せんか、太原を中心とした生 産物の南下する場合では大迂回となるごと博明セあ七、経済的の輸送淡でないことは申すまでもないことであ り・■殊に河北に入り、選に北方に向はぬば天津港に出ることは川東肯い。山西生産物と申しても、′大同方面のも のは天津に集散するは過骨買⋮心はれるが、太原産の.ものは天津に出姐ては梢磨をな得い感に打Lれる、もつと過 賞甘方面があれば、其の方に向ふは至常であ.為と考へられるのである。

七 青島港切望要性

この鮎から観ると、河北に於ては天樺以外に佃他の港璃の蟄を描切に感やる次第である?然らば英の港縛は何 慶でぁらうか。詐が考へでも犬は青島をおいて他にないのである。然し青島は其の使提に於ては牛越の糞喝に近

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く有産して居り、港璃の條件としては確に適切でないかも知れ頂い事療育島に物資を輪決するには牲路によらね ばならない、水の僻もなけれは河の利も全然肯いのである、之が璃、従来港として放り蟹連せす、天津に其の感 を譲ってゐたのである。、現に青島港は在任の日本商人でも、この関係上青島港の将来に就いて嘱望してゐる人は 飴りないやうに見受られる、然し青島港は其の他の鮎に於ては秘に天津などに膠る條件を備へでゐる。 第叫 青島港は自然の良港である、この鮎は天津大括の比でない。 嬰﹂ 準円の水面積も廣く、飼賂衆人エを加えるならば仙骨良港の性質を具備せしめることが出来ろ。 第三 青島港は不凍港でゐ為、樹海轡円の港拇は多くは氷結するが、この粘は大連と同株この快瓢を有せす、 年中港磯としての償椎を英はない。 第四 拳門の水が深い、天津天満の場合と大差がある。海洋航行折の榊待を要するが如き快鮎はない。 鞄左 後方に山岳があるが.、偏陵性のもので、其の頂上まで住宅が建設され海椋には相常の平地もあら甫扁五 縦横に感じ港増とんでの不便はない。 第不 後背地に於ける人口分布を観るに、天塵は抱擁人口四千五百潟に繍たないのに封し、青島は七千萬人に 上り、ノ品涜柑経済摂生の諸政策鷺備による購罫力増進と相侠て、消費力は造に天津を凌薦するものがあらうと 云ほれて藩る。︵軌敵謂机︶ 第七 資堀を観るに、線度資濾は天津に比し、比較的劣ってゐるが、叉石浜、鍍■金等と共に盈賓な鍍床資源 革北のノ開教と渚野間題 ︵三四五︶ 七二

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第十西巻 苑内窮 ︵≡四大︶ 七二 が相常埋蔵されてゐる、農床資源に至りては天津の後背地が耕地簡麗二億八千馬糞畝、生産盤約山千九百萬噸 で、あるのに封心、青島の後背地は面積二倍七千薦文献.生床最約≡千萬噸に常り、棉花の産品に裁ても二、三 割方やい かょ円烏倦は港磯としての條件が良好であ藩から、青島港将来の伸展性ほ後背地の演大に碑ひ天津を凌鷲すべ 晶が受かも知れない、其竃途は洋々たるものがある甲うに考へられるのである。︵飢網諸闇︶ 然し、喪の位置たる構いかな牛島の発端に乾く存在してゐる鷹に、碓氷は地方的港溌の色彩を脱することが出 釆なかったのであるが、然ん黄の貿易状況を観ると、猫逸経常時代よす日本の経常時代に移り、貿易は漸次発達 し、加九〇二年支那還附磯と錐歳と此ハに段撼を械め、民団有数の貿易港となり、北支に於て天津と屑比の状勢を 示言言霊してゐるのである。青島警於ける貿易綾展の跡を掛るに、左表の如くである。︵㈹鵬神朋珊謂︶ ︵箪舵千銀元︶ ﹁丸○⊥ 年 ⋮九 〟 三年 叫 九二ニ、︼年 叫 九ニー一年 剛 九三 二年 心ハ、岬七八・ 九叫、七叫 叫 二千∴二六∵九 二ニニ八、三二六 二四七、七六川

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﹁九し三 六年

三≡瓦、六〇≡

二三二、七叫一

剛 九⊥ニ七年 ︵日安事欒︶ Ⅷ 九≡八年

仙囲二帆、∵五九

全文貿易観の五塊を占め、日立乱欒筏を瞼き上海、天津に次ぎ蟹痘に累進し、北支に於ては天津港と比崩し

で剃警慧の裟嘉すに雪てゐるのである。︵銅鋸獅朋鯛㌶川㌶エー蒜に農事攣別に警は青島港は

時局の吸及を免れ、封支貿易の安全路としてせ界の注目を穿き、坤摘撃方衝に於け電煩烈な円貨排斥は自然と平

和名鳥海の貿易最速せ一し砂た傾向が書芸居てゐ?︵鯛朋鐙ぺ︶魂に富に管で見意意外に義

持の烏い港であり、滞術と云ひ準拝の風光と云ひ、民国稀に簸る爽快地であり、在留隣人の避暑の雷、滞由せる

者も多い上聞いた、、かゝる魔であるかろ前疲の傾向も審賓であ卜㌧、女道理であると考へられた。

然し革肇後の現今に於ては青島は何時まで篭右の如き閑静港として止るべきの時でない、賂釆華北の亀潤と.し

で犬に番犬安務を荷負ふべ・き場所であるとの感に打点れ上のである′。今や由蚕は山西の弛を占接し、太原府を中

心として層・々秩序回復、指導開戦に努めでゐる。天韓並に浮島潮亀の後背地腱消力の賂釆が熟々考へ溝せられる

のである、︰之に就では既に昭和十二毎二月に青島日本商工合議朗に於て此應に着眼し﹁北支搾臍開故と市島港の

周認識﹂と超する小学を公にしてゐるーこれに依ると︵相︶∵天津育鳥開他の背後摂臍力の賂警於ける伸展性

に押し次の如く論じでゐる。

華北の開設と措轡問題 ︵一三四七︶ 七≡

(16)

天津蘭島開港現凝の貿易は前者はu河北省を中心とする察恰繭、綬遠、山西及山東東北部“河北省境を含む商 都瀾の粁済力豊富宣するも、後者は山東を中心と.する河北省西南尾部、河南北墳及叫酉東南墳ヤ部の躍臍力を 哲男上するに過ぎゃして、其の楽典が到底前者に及ば措かったのは、その後替地域との連絡が饉に青島済南問の 膠済級に掠らなければならなかった薦に外ならない。然るに、今後我が国の指導に基いて、北東の閃張番柴が蹟 極的に進めら弟、清岡以西、鹿浜線に至る膠臍線の延長線、或は高密より津浦、階梅開銀路の交叉鮎徐州を結ぷ 高徐級等の諸織道が建設されるやうになれば、青島の後背地域は仙躇して河南省及山西省南部の大平を加へ、更 に遠く挟西省をも牧むることは至難でない。天津港が後背地域の碗張に於て、其の飴地のないのに比すれば、甚 しき神速を詔むるに難くない、云々﹂ 以上は自分も同感であり、審驚であると侶やるので、青島の後背地城は時局の進展につれて漸次鱗木し、其の 貿易の如きも将来犬に伸展することは天津に勝り、途には天津を凌萄するに至るの時期が来るであらうと考へて ゐる〇 八 青島港ヒ其施設の要 然し、犬には従釆の位では如何によい條件が伸展して釆つでも、之に應やることは不可能であるから、群島港 に於ては此自然の好礫件を利川するの篭を撃げねばならない一っ帝鳥海にして現しT之に應するだけの準備を有し 寛十四番 第四観 ︵≡四八︶ 七四

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てゐるでめらうか∵兢察中音島在位の邦人に聞いて見た鹿、現今しの認識髪竹じでゐる人は未だ多くはないやう

な感がしに。自分がかゝる質問を致しても之に封し、或は天津は古来の琉港で大繁栄家も居り、金融磯掴む碓癒

してゐるのに反心、蘭島には全くかゝる鮎が紋わてゐ竃のであるから、地迦的條件に於ては如何に良好である・に

せせ、俄に天繚を凌ぐなどは不可能の葵であらうせの意を讐られるのが多かつ㌔夫も表あることゝは考へ

るめで句るが、然し解氷の青島として時局の伸展と共に後背地の掘大は審貨である以上、飴り滑梯的にならや銃

砲的に之に應やる書けの心構が必要聾しヰ、廃へ王。

この鮎l=就ては、壷に青島ぬ班大の計避がなされてゐると聞いた、﹁自分は潜の口近藤讐衷の案内を得で、海 岸公園地に設畳されてゐ名山東成菜館を訪ひ技帥の石原忠正放から色々と説明をお聴きした、土∼には遊撃竺

日にで鹿御ん偏るやうに由られた横淵が放列されてゐる、氏は之についで詮明を試みられ、よく理解することが

出来たパ

警義民よト由られ誓帯慮桟芸胡凄﹂︵謂附加年︶∴卜よると、本港の莞の埼張案が警られてゐ

る。夫美点るせ、青島港の琉張計霹は

痴∵現港を掘張して、羞荻野用埠頭を増築し、東銀閉場、塊立等の築故に依り、寄吐能力を仙000萬硝乃 ⊥丑γ﹂二〇〇萬趨となす? 琴∵新築港計露をなし、四

方梅泊河口附近よ功硯第五埠頭の背後に達する築造をなす。

華北の開設と汚滞憫題 ︵三四九︶ ■七五

(18)

濁十岡谷 東由沈

芸風○︺ 空ハ

以上により零吐能力二、000周蔵漑上を有する東洋紡酬の港醤王らしゆんとす。

と云ふのである、兎に角、甥今の港を撰張し、四方の腐まで埠頭を埋宜て、甥今の春吐能力五百罵鴫を山千萬

礪に高めやぅと云ふ計喜であり、後には更に大埠頭を新設して、二千萬魔の能力を造ろうとの考を鳥つてゐ冶の

である。毎くなれば本港は驚に東洋有数の港たるの資格を備えることになるであらうし、叉軍用港としでも役立

っことに尤るであらう︰か、両分にもこの港は其の位置上牛島の免租に近バ存在するので、此鹿まで物資を運び出

すには是非とも膠臍餓道に因るより造がない、而して現今の魔では済南以西の貨物はこの繊道で青島に出ること

は運賃等の鮎かちしJで利用され名と考へられないが、然し若し青島港にして能力さへ充分℃出来たならば、Ⅲ廻

が全然ないとも考へられない、。現に山東床発給の政師石原氏の談に依ると、山東産の石次が鞍山鋲工所木鹿出さ

れるが、若し青島準にして能力があればこゝに出廻わ得る見込があるのであると、叉済南方面のエ葉製品の如き

も青島に引う得る見込はあるのであるが、現今は璧円島には船腹が不足してるのと、労働力が不足しrゐる焉に

遺憾ながら盟讐希いで他に愉逢せれてゐるのであると∵品他山東奥地の躇勒、例へば棉花落花生煙革の如き

も今でナ音大活の方に根ざれてゐるけれども青島に出遡り得る見込がある・とのてとであつた。

如くの如く現今の阜:で皇門島港に能力さへあれば貨物の出廻り得る見込があるのであるから、若し臍鮪嫡が

ぁつと畿展して貨物が多く出るやうになるか、或は奥地が閑蟄されて、其の唐物藍門島に引くに足るやうな交通

磯路が出発たならば、天津にのみ用廻るものでない、青島港に出廻ることは明であ・る。これに関しても現今色々

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と考究されてゐるやうである。 臍敵胴の如き古来山東の首府としで饗達しで釆た魔であト、今日でもエ菓地として鼎常牽達してゐるのである から、賂釆愈工菓地として黎達しせしむる方策鮭静ぜられて居るのであり、葡審麗として硯はれるか否やは素よ り不明であト、青島墟の人士も飴り期待してはゐないやうではあるが、臍南の北竜首府放と云ふのがある。質は北 京の方では北支の叫大都市として各橙の計器が建でられてゐるが、叉北京は其の位置が柁北方に偏しで属行不便 であるのに反し、臍協は鹿部文化簡押Ⅵ地で 叉地理的位畳より観ても盈姿地鮎であり、エ柴原料品を得るにも便利であるから工柴を起すにも足り、文化上か ち観ても、叉経済上から観ても、北真の中心七なるべき資格のある所であると云ふ鮎よりして、北真の首都をこ ヽ.に移す計霹があるのだと申す人もある。罷工亘∵且軍曹としで魂はれた仕らば、其の玄関として蘭島港の重要さ の増すことは文明な番贅である。済南の首都問題は兎に角とするも著し臍南船にして、各税工葵が準達した麒に 於で其の生産物が抑然天津に出廻るで㊥らうか、牌、青島港に集るであらうか考究すべき問題である。 ∴臍南画工合議閉の正ホ生虎氏の観察に周れば、済南より物資を出す場合青島、天津両港中いづれに出す方が得 策であるかせ云ふに、青島へ出す一には絨道によらねばならぬ、鋳造の渾質は水道の・それに比して勿論高いであろ うが、若し天津に出す場合には織遣によることも出乗れば、叉水運によることも出来るのであるが、今日の磨で は此の麗賃は蘭島に出すのも﹂天津に出すのも者同株度になつてゐるヽ而しで天津に出す場合には其の上更に天津 準北の開設と滞博聞艦 ハ三五二︶ 七七

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第十四巻 葦四渋

︵≡空こ 七入

から大潜に出巧まで河川による諸費を負拾してなげれならないから、結局天津に出す場合にはこれだけ鉄分の費

用を要するわけになる、従て青島に出し、直豆汽船に積み込む方が有利と云ふわけである。故に従来は青島に出

題るのも多かつたのであるが、然し之は普素の事で、11仙朝為替関係が欒化する場合にはこの関係は破壊ざれるこ

とがあり得る、今時の如く法幣が下落する場合たは天津和界では之を利関する関係上、平常と異り反て天津に造

った方が有利になるので⑬り、従て氾廻闘係は最近急療天津に奪はれる傾向になつでゐる、例へば山嵐顔の落花

生の如きも作東は野島に糾廻った︳のであつたが、昨唱和辛≡年嘩に於ては天津に出廻る方が多かった。此等は

勿論“時的現象であろうから、為替闊係ぞへむとにるどれば再び蘭島に出廻ることになるでぁろう℃と談って

ゐ.た、然れば済南の張達は青島港の重安さを檜すことにぢると考へて美文ないよ偲はれる。

九 青計捲ど鎖道

央に予洛南と西方奥地との関係を祝祭するに、自下山酉方面とを絨路豆て連絡する計音がなされてみる、市島

是清革命議新調の﹁冨冨心とす姦通封讐綱謂胴によると︵順髭︶次のやうに計警れて篭。

鋳叫 膠路の強化∴現今の膠臍絨路の械能を拭充せしめる必要上、・稜線になす計宣。

賂二+溶 彰 純 済南から大股京法線の岨顔彰徳を結ぷ紘を新設する計賽で、将来は之より山西内部へ進

み、東に必要に應じては遺口、臨津に支線を以て捲給する計富である。

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準ニ∴向 蘭 紘 隊臍練沿線の南街辟より苗憬を粧て西進し、新春を連結する計卍で、之より交州にて灘浦 練と官能び、眈設の済轡と東川問の絨路と直通せしめ吏に溶寧から黄河の東岸流域の山束、河北、河前の大 牢野を楼ぎり、大陸の横断級たる牒海綿に連絡せしめる計宣である。 第四 徳▲石 線 石衣粧と津浦挽とを連結せしめる計露で、膠臍線との連絡正大鴎療州が適歯とされてゐ る○ 鞄荘∴向 徐 級 先の高蘭線完成の膜着手せんとする紡二段の新設級で、高閲掛軸の苦斯から津浦紙の徐州 を結ぷ計‡である。 以上の計基線が夫々完成するならば、一北真の開牽と共の地方に於ける資源の利用上に於で買赦することが犬で あでjとは勿論、青島払への揖廻は大に多くなることであろう。即ち各紙の有する経済上の慣倍としては、 児づ現今の膠臍紙が複線となる醗には.、従来の貨物輸送能力三百五十謁噸であつたのか九日薦噸程度に向上す ることになると云はれてゐる。然し驚際の運行上−今後劇干潟嘲以上の貨物の輪迭を園滑にする馬には、常然複 線にしなければならないことであり、叉今後は日支問の往来も益々頻繁となることであるから、この鮎から翫て も是非複線の要がある。然るに膠臍線の現今の能力では折角の良港と海道の利便とを抹殺することになるわけで あるから、是非複線にんて交通の便を計る要がある。 次に臍彰線にして完成せば、之は膠韓線の延長と打アり、黄河両岸流域なる山東・河北・河南の平野は自然に開 挙北の開費と措啓開題 ︵三五三︶ 七九

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覚サ四巻 第四渋 ︵二豆四︶ 八〇 蟹澤れうんとになるであろうし∵﹁方貿易を目的とし蓋円鳥恕に集履物資も増大し、之と共に此等奥地市場に封 する避代備品の進出艮増大す盲︺一になるであろう。 次に高蘭緑が開通せば、・靴海線の路鮎たる速筆薙が賂衆望がない以キ物資は苛良港に集るやうになるであろ ぅ。・而して臨海線との交叉は蘭封が好適とされてゐるので、結局従来未開恐であつた新春淡は青島港に田廻る▼こ さになるでぁらう◇ 次に徳石練が開通せば従来右家紅かを恰州或は天津と何れも天津払への連絡が考へられてゐたのに反し、この 線完成の上は育鳥海に救出されることになり、之に依サ我が国の麟料賛塘の確保の建前から見て、園滑な供給を 受け牒ことが出来亮やうにならうし†叉石徳給紙に舵がれる河北・太平野の関数促進にも大貫献倉なすことにな るであろう。 次に高徐紬が完成せば、この組は山東前段の未開蛮地を縦嘉するので、滑紬の資源を砕保することが出来、女 随梅級の港連解決蕗と数等して随梅線に出る物資を吸収することも招来、叉津浦。牒海両級の交叉断たる徐州を後 背市場となすことが出来るであろうし、.侍叉本線は罫に終碑上に於てのみ・でなく、政治上軍事上に於てむ及大な 意義脅有するもので旬h㌧併せ七文化の普及に皇只献する麗が太である之云はれてゐる。︵買五︶ い かゝる濁祓であ.るから、、青島港は奥地の開畿せ共に益々盈要性を加ノへるものは、提釆の天準・大抵港でなくし て寧ろ青島港であろうと碑侍してゐる次第で、今回の祀娯により茶々エの感を強くするに至った次第である。

(23)

一〇 鱒要港、どや瀾疲 弊じハ・僻青島飴と琴空競争の地位にある牒Ⅵがある、以前よ乃所々に述べた迎賓騰が見である1此港は葡貨 車の河口▼に位する蒔で、陳滴級の絡鮎に償って偽る。其の触麗かう博すと一、丁度山東津島の南部の凝充七倍し七 属う一天津港の其の北根元に蕾ると封照の位地にある、港潤條件とじては此位避は良好で、港溜とし豆利用ん濁 る鹿建言申さねばならぬ。経て従準仙港として利用され、叉将来に於ても其刀蟹展が嘱望されて屠り港の改修ハ仏 どの計富もみるやうに閉てゐる。、殊に此港の連糖す左隣海綿は之よサ発河の南岸に沿ふて西し、、徐州・、開封・西 安守の大都市蜜追給し、甘粛省蘭州方面に至る級であう、民図本部の中央に於ける仙大横断線で︶のり、滞米更に 痙長横幕を械噺す名辞触の山部と槻ることが周東るものであり、連軍港の後背地としで最有益なものであること は誰竃■論留またない渡であ・る。現今東城路の道始発繹を明ると本職路は現今は江蘇・河南予防酉の三省を通過し てゐるが、.鍍路の西進と共に其の運輸業縫が額達しJつゝあり、叫九三四年西安迄の開通以来の如き著しき噛加振 警示してぉるのである。︵ 熱心之暫北支に於斬る各絨路の運輸貿続に比較しで見ると、伺低調を免れない﹂粁程よう観るならば約三分の 仙・に過ぎないのであり、膠臍戯激の遇輸蟹轄よ・うも低位に位してゐるのであり、偽粁雷り輸送盈から観ると、北 支各級遣申、頗輝線は旗密輸婆鼠に於で、僅に京緩絨路の上位にあ.るのみでノ盛物輸送費に至つでは最下位になつ 拳北申飼費と措轡問鹿 随海戟迫遅輪 贋東京〓ニ五 ︵王立五︶ 入山

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︵ニー空ハ︸ 冬一 弟十四巻 舜四1壁 てゐるのである。かく臨海線は輸蓮威絞に於では堺今の虚何機々たるもの.であやにせよ、︰何分北家に於ヤる重要 都中々連結しでゐる閲係上、将来に於ては定めし大に.璧があるもの主自分接点考する㊥であるⅧ萌に魂今の輸送 茸躊は車ろ問題tすべき質もないのであるが、唯問題とすべき期成解氷輸蓮蜜繚■が昭次増大する過の七′んでの轟 雲海の関係である? 現今連雲海人集散す、る物資は農産物は可能見込敬慮約百路恕、錬贋物は約五首罵噂︵石盤駅西百萬嘩、山西胃 萬竃、河南二百萬麗、嘉油陳西五十萬嘩一〓貫山里ハ︶で偽打、.倫賂釆蘭州或は威都方面へ延長.心た喋に・は出廻脅 約五十島態とす・る・と連冥港への出廻触産は約六有五十萬碑となるわけである。 絡るに連要港は事奨励豆於て其の春吐能力は年約バ十五萬運上推定され′でぁる=のであつ︰たが、、此度伺港の無為

統計入チにより璃力百悪鬼貰⋮が誉れ、ため芸る︵即諾謂筆問港の能力は番傘笹岡つては全

く不足であることは察せられるのである。 而して述寒梅は喪の規模に於て従来僅に≡干噸級の小型船庵入れ得、るに過ぎない、もノので㊦万、︰北港汽舶は何酌 も外洋舶ではないめであるから、総て此準は沿岸甜易港︰七しての慣億心かないこ宅になる嘉し之を貿易港として 利用せんとするには軍費を投じなければ臨海餓路張刻する呑吐港とほなち.な小︰Lのでぁぺ儲の鞄野上大腰港を零 し得るか香かは大に疑問である。づれげ璧露の如きは亘費を投じてまで築港を蕾むよりも寧ろ改修に止めて、 事攣前の状態に復懲せしめ、ノ又河南省の東部・江蘇省の北部、山東省の南部地帯の山部に於ける生偉物の積出港

(25)

以上青島縫を挽察して天津港との得失に就いで明察し、故後に傭二つ青島港に封する競争港として見のがすこ との揖釆ない連写港に就いでも解れにのであるが、結局華北の開敢と共に此地に於ける港濁は港濁として従来不 便とされて居る天津港のみにては不充分であるごとを感やると共に、青島紘の麓要さを大に感じ、最後に連票港 を観察して其の撰しで青島港に封し競争し得るやを疑った次第であり、而著しこの蓮雲港にして瀞釆蓉展の見込 薄しとするならば将来華北に於ける物資の寄吐港として蔵活躇すべきものは青島を措いて他にないと考へた次第 でぁる。然しこの老は決して自分弼歩の考ではない、現今華北に於ける輿論を観ても、甥今華北に於ては或は塘 蒔絵の拭克とか、連写港の築港等港潟の整備には多大の注意が向けられてゐるのであるが、連票港の如きは其の 魔勢的環華℃ぬて蕊はれてゐない′朗であゎ、磨清港と雄も、白河の泥土は大築港を不可能たらしめてゐるのであ A凍て凝港を営むには苫費を姿す 修築に蓋葦年月と々浪す・諸よりも、天然の良港たる青島港の如せを利用すそしとうし、人工的築港に要す£費 用を以て、天然の良港に物資七集中せもむ旦父遡潤の嶺僻を憤る方が得策で均lラフと論ぜちれ.鳥のが多い苧っで 、 として、青島港の増寒路たるの位故に鑑き、陸海線奥地の物資呑吐は之を青島嘩に譲る方が得策であろうと考へ られてゐる。︵朗認諾爛貨︶ 摩且の由教と沌野間堤 ー﹁ 結 ︵三恵七︶ 八ニl

(26)

第十四番鹿甲㌍

︵≡五入︶八周 雪︵別離謂梢瑠︶。自分は此度、脊曹り莞の義毒見、警この感姦′、しー賂衆華北の開署背負て たつものほ青鳥海でなければなちぬと信じたので、簡⋮界ながらこ∼に記して賂釆を眺めたいと思ふた次第で、蕗 にのぞみ、青島方面諸氏のこの重要なる青島港の牌来性簡硯の偲、∴努力せられ∵大た興重経済蟹展のたあ、貢献 せちれヰ■壱せ切望心でやまない次第でぁる。

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参照

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