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華僑の蘭印に於ける經濟的地位に就て(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

日蘭富も愈々晋九日バタビヤ品て、霞慧警ハル捗警官との間忙、意見のこ餅を見、通商協定案が成立し

たと報誉れてゐる。之姦曾忙・警南洋熟も曹量と恩ほれる。然し、其の叢富にせよ投警讐せよ、買

移民方面忙せよ、成功を期せんとするならば、繭印経済の眞相晶む塞があるぅ

其の痔には凡ゆる角度よ品等べきで、警間管する﹁華僑の蘭印忙於ける経票地位﹂も、管見地よりせげあな

がち無意義な罫ではあるまい。

豊かゝ晶警取破ったC吾W・J・盲2冨Omie冨tlOnO=heClllコeSein−h2軍邑邑sIndieヂ万言二 番がTFeSec邑雪i蔓−ト2Ins賢eOf冒詳○茅−註ロS・に依って公忙された。本譜同霊宝カーター︵C喜・ E.P︶氏の序芝もあ暴く、造な晶警荒して完成されたもので、此の盃に於け量雷宗と雷ふべきであ る0 此の小橋は本署の蒜、即ち冒Cトi蔓du身−富家eO⋮2冨IndlPデAd巨i旨⋮ndResid2nCeO﹃ t−1eCllineseintFe彗星邑sIndies盲p計邑COmm2卓Cを言st2m﹀Agrl邑−男Ⅰ已us−草を抜琴抄許して詔 螢僻の蘭印に於ける経済的地位に就て

華僑の蘭印に於けろ経済的地僅に就て再

、†d ナし ゝバー

丸 田

︵〓ハ≡︶ 七三

(2)

第︼節 安部政府の移出民封策

嘉窒貰量り妄蔑人もの移属を督し、好況時代には﹁憶章票から二億押の窒が管、支那拗際

貸借受取勘空空位の要件若すると、酢禁警圃氏が述べてゐる。︵→he2ne芝ea昌。k一宇u:P﹂運

叉イー・カン宗奄の亘委孟勘際笠に依れは、移送金空値二千莞に達し、芸勘管して慧

輸出に次ぎ金銀輸出と略伯仲してゐる。完阪朝日昭和十二重八桝我に凍る︶萎裏這京僑務垂署の 調査︵Ibid・、至憲︶に依れぼ、華僑の憩はキ八貢、八九吏で、其の中約八雲−セントは南洋孟に在

り、百露人以上のもの晶つ去ると遅鱒三五〇萬人、馬来年島云〇九、三九二人、蘭印三≡歪○

人にして、霊的には全く南洋は支知人の嘉下にあると言っても過言では無い〇然し安部政府の保護奨励の下

に、かかる地盤の素地が作られたものでは無い。是尋の移出民た封する政府の封管見るに旨nair漂、T訂 Ch旨abrOadに於てそれに就き⋮西讐八六〇年以前、三︶窟さハ○年−咄九〇九年、三︶叫九〇九

年以後現在迄の三期に分つを便利として居る。竺期に於て豊府蓋然移諾勤し保諾設を警ざるのみ

介に代へんとするものである。尤も璧雷竺節金髪び鱒二蔀の⋮以前は他の軍料により数宿したもので営讐

て政く。倫他の資料より探った簡祈は請出した。

第十二令 弟二鮮

第一葦 概

︵二ハ四︶ 七四

(3)

か、却って清朝の如き、大浦律令を改し移民を犯罪人として虐待した。第二期庭頭注列銀の強要に依り原則とし

て移民の自由を認めるに至ったが、寄寛は庸官憲が移民に封し種々なる麓迫を加へた。第三糊に至り漸く準備の

経臍的眞憤を認め、名望ハに移民の適法なる黎む認容痙すに至った■1詳細は管財支那人口関税癖究完?妄六

々なる移民保護施設をなし海外からの失業掃観音に封しては救済策を講じ、海外

茹を見よ︶。即ち園内に於ては種 産儲他に於ては舗寄館を設禦克−妄︶して華僑を供琴し、或は箪校を鹿て︵蘭印誓は二百九校あり中政府の節助を 受けるもの十こ校、︵陳氏Ⅰト1d・諾・芸∵6ご︶商務紙脅を設け、新聞を敢行し樋力闘民思想の海泰に努め、叉閲籍問題

の碍に多年の接簡を重ね、本閣に於ては血統主義を探る等、今や積極的に女郵移民の馬鱒詮奨励に尭由して屠る。

かつては﹁愚民を不惜、組充填基の地を薬てゝ海外に出て利を誹る肇は、殊に本政府の多年関知せざる桝であ

る﹂。ハエ七四〇年バタビヤに於芸大適役が行はれた際、バ⋮ヤ政警晶観政府に使節を振近し陳謝せし還する乾隆帝の

回答︶として政府から麗追され、放任され、或は願られず、他方外に於ては白人程から凡ゆる虐待を受けたにも拘

らず、現今の如く牢固披くべからざる鮭臍的地盤を築き上げた。菟に於て彼等の特性に就き嘉する必要がある。

飯田茂三郎氏は気候と疾病に勤し抵抗力の弘きこと、生活程度秒低きこと、其の移民の動機は全く経済的にあつて

政治的意義を有せざること等の特性が彼等をして然らしめた原因であると述べて居る∴雪空郎前抱言二茸︶

彼等は本閲に於ては、経臍的に恵まれず絶えざる内乱と官怒の苛傲誅求を逃れて裸妄、頑健なる肉憾を資本

として忍従苦闘、何等の文化的、政治的向上心無く、金銭的欲求充足を唯劇の目的と馬し、孜々として働き粒け

△ 準備の薗印に於ける経済的地位に就て ︵二ハ五︶ 七五

(4)

第〓節 蘭印政府の華僑判案

文郵人が繭印に渡和したのは齢人よりも卑かつた。人口構成上、土人を除けば最も重要なる部分をなし、叢二

三十年前迄は何等の文化的政治的向上心を有せす、孜々皆々として経臍的虚位向上の樺禽のみを狙って居宅此

の鮎に於て勘人と衝突しなかつた。蓋し蘭人は彼等が蘭由の開拓上軟くべからざるものであることを知って居た

からである。東印慧最悪ハの通商的利益を収める笥に最もよく支郵人を利用した。合敢の輸入品の放資者とし

︵ぎ1denぎーl↑・冒Du家出邑Indies︸PP・室︶完=6年に至る十数年間は破等の全盛期であつた。然るに

びどワトンの錫︰鍼山に昔力として働き、叉スマトラの東部沿岸に於ける白人の大規模農園に労働者として働いた

て、叉輸出品の買集磯踊として、支部人を措いて他に之に代位するものが無かつたのである。彼等は叉バンカ及

世界的不況の波は彼等にも押寄せ剰へ厳重なる移民制限、白人労働者に依る職場の菓失並びに日貨排斥がかへつ

て彼等の勢力を殺ぐ結果とな少、衰退のγ路む辿って居る。然し乍ら多年に茸つて絶え付けた根強い経済力は薗

領空る朗に深く食ひ込みハ葡恐るペき資力を維持して居る。︵威儀東印度に於ける華僑、東亜、第九慧○常数照︶か かる質的現勢に就いて知る為には、少しく過去の歴兜を播く必要がある。今CalOr氏に依り六

と以後とに分けて略述する。

第十二巻 常 二 親 た。是が股近迄の華僑恐展の輩路である。 ︵〓ハ六︶ 七六

(5)

て東印度合祀統治時代 印度に於て鱒十七世紀以釆商薬は閥族ぬ随ふと富ふ諺は、華僑の繭葉は蘭人の固辞に随ふと言ふことを意味す る。特に外領に於ける和蘭の支配力の進展と共に此の鮎が示絆されて居る。 即ち政腋の建設或は軍事的施設に件ひ其魔が直ちに華僑の商業的根嬢地となつた。東印度禽敢は準備の仲介柴 並びに小安柴に特別の考慮を沸ひ、彼等を自己の輸入品の配給並びに輸出品の蒐嘆機関として利用し、彼の渇占 的地位老優寄せぎる鱒柴部門には、華僑に勤して寛容政静を疫ると同時に各種の利横を輿へ宅︵蒲田啓三氏、支 那移民忙就て、支聖警蒜±折〓四貴会照︶ 膚赦が華僑紅射し斯る態度を疲る桝以のものは、食酢自身通商的利益をその最大目的となし貿易に依って可成 多くの利益を桂得せん 合計は農産物即ち凱誹・胡椒・鋤・香料の貿易を猫占せんとL、例へばクン放督は準備が合計と競零して胡椒 を取扱ふことに反封した如き、又ジャガトラに於て合敢の猫占を侵奪しない商業部門たる職人、米穀葉、甘庶裁 増及びアラツタ酒醸造に準備の従事することを寧ろ支持し、製糖葉及びアラツク酒醸造共に特恵税率すら異へ無 利子の前貸金をも認めた。更に叉支郵の沿岸野易及び爪唾支那問の航路は禽敢の猫パ槽と衝突しない限り種々な る保達奨励を受けた。 二ハ三〇年頃曾址の貿易挽占を維持する席.胡椒、内釜克、丁字、カンフルは輸入に五バーセンー、輸出に抑○パーセンt 華僑の蘭印に於ける経済的地位に就て ︵脚六七︶ 七七

(6)

の従僻税が課せられた。 又曾放の猫占貿易を維持する馬竺六七一年笹岡イの輸入葉止がなされたが、アラツク酒造米怒は地方産業であるとの珂由 の下に支持された。竺七聖をにバクビヤの製糖琴讃は二十パーセントの輸入税に依って保護された。斯く推綬的に課税J た動機はパタビヤ貿易の促進と母国繊維工染の保諮とであつた。此の秀外聞織布は砕園品の二倍の輸入税が課せられ、﹁七五 三年には全然輸入が葉虫された。 乍然是等の規則哉肇は支那人忙封して傲り厳竃に適用されなかった。尤も支那人の取扱ふものは食料其他雑役であつたから でもある。二ハ聖二年Kは支那から氷るジャンクは其の数並忙積荷の多少慣格の高低佗拘らず、山ジャンク語り五五∩リアー ル支沸へば凡ての臨検が免除せられた。此の課税買上制度は多少改欒ほざれたが相富後迄維持せられた、 後にRa苛訂sは詳st。rセ。〓a忘に於て次の様に述べてゐるJ霜蘭の政策は支那人に封し凡ゆる保護奨拗を 輿へた様に思はれる。支那人は彼等の代理人であつた。彼等は爪唾に於ける外閻商品市窃に於て、何等制肘を受 けない支配者であつ鷲〃芸人苗場︵BaNaユを通して行はれるものは言ふに及ばず、凡て園内商業は支那人の支 配下にある。支部人は相等の資本を有し度々非常に大任胡な投機を行ひ、部費商の大部分を弼占し土人より、葺嬰 物産を買集め、之を沿岸郡市に運び、踵途地方へ鳩蒜に外囲商品哀感ぶ〃請岸貿易は、某として支部永、アラビヤ 人、印庶人の船舶で行はれる〃・︵出島ぎHistO童○鴫J雪a﹀ぎ〓∵憎Pり一志−彗︶ バタビヤの建設後クン級督は可及的速かに其の他を金印に於ける鼓大の商柴郡市たらしめんとし宅彼は其の 計#の馬に他の地方特にバンタムから商業を誘致卜以て是を嘗現せんとなし、支那人の商工農業者の入柿を奨問 第十二巻 第 〓 輩 ︵〓ハ八︶ 七八

(7)

した。彼は途に規則を設け其の入港する支那ジャンクに山定数の袷呂の入植を魂務つけ冤

東燃バタビヤ人口の増加は比較的少なかった。之は常時常にジガヤクラ、バンタム及マタラムとの間に範挙が

絶えなかつたから、である。︵和蘭人は形式上土民に封して歌学を挑吏ず土俵間の軋糠多き忙乗じ又は賄路を造って分裂させ 二刀或諸侯を助けて他の諸侯を倒し其の報償として種々の徽土的他令を待たのであ右。外務音調査部、蘭領印度民族史︶

バタビヤの華僑人口竺六元年の四盲人から二ハニ九年の二千人竺将加したが、完二五年過迄竺商人に達しなふ状態

であった。此の紋洩なる増加の理由は決して移入艮の少なかったとと忙依るのではなかつ駕ニハニ六年のみにてもこ千人以

上の新入衆肇があり、叉ノ1賢n喜成の報告忙依ると完〇六年忙二千人位の波死者があったと云ふことから明らかである。 バクビヤを圏る戦軍が経鰭した為に支那人の数が激増し、彼等に依る製糖業並びに7ラック酒醸造菜は漸次盛 になりつ1あつたが、特に二ハ九〇年以来著しく隆盛を見るに至つた。此の楽典の他の理由は、愈敢が賽肇を亜

矢しその結英家督膳が最早市場に於て攻撃しなくノなり、爪畦糖の伯上りとなつたことに依る。爪瞳糖嘆願の方策

として課税が免除され無利子の前渡金が支那人の砂糖工場旺附興され、エ切望ハの砂糖を契約によつて禽敢に引

渡す。甘朗栽増、砂糖工場の経営は多く貸しい支那人がバクビヤに住む富裕な支那人から金融の便を得工蕩を借

りて経営したものである。

二〓○鹿二時バクビヤ附近に百三十の工鬱があり略々七千人の支那菅カが使用されてゐた。

其の後砂糖の賛行不良と燃料不足の馬衰微し、アラツク酒麟迫菜も亦其の原料たる静蜜の減少とセイロンより

の非常な競諒との焉竪琴過した。

華僑の蘭印に於ける繹臍的地位に欣て ︵〓ハ九︶ 七九

(8)

第十二稔 第二訳

二七〇︶ へ○

十七世紀末以後バクビヤ、ポイデンゾルク、ブレアンガ地方に市場向農産物栽増に従事する支郵人が現れて、

蜘排栽培にも手を接げて釆た。禽敢は支那人の経済的地位のみならす又彼等の敢禽的隔祉並びに政治的利茶すら

も保達し冤尤も是は食酢自身の利益の追及に伴ふ結果からであつたが。

支那人は叉バクビヤの防禦施設の鶉他の住民と同様労務提供の基幹があつたのであるが、彼等は商革琴業笹就

いて特殊技能を有し、且勤勉であるが故に彼等を労役に服さすよりも生産的であると言ふ理由の下に納税に依つ

て此の義務を買上げしむることを認めた。兜にも述べた如く合計は最初から支那人に渕し寛容政策をとり、愈庇

自身の利害関係事項に勤してのみ干渉するに止め、支部人のみの利啓開係事項は彼等の選拳に依る首長によつ■て

統轄せしむることにしね。︵此の首長竺六完年初めて任命されロイテナンー或はキャプテン後佗はマヂョールと云ふ・軍

人の稀警讐てゐる。此のもの品濃は凍印度倉正後には政府の命令を支那人忙停へ、叉其の址曾た於ける霊夢件晶

掌る。︵ぎ已enb邑古己・串∽詰︶︶かくて平和の維持と共に支郵人の渡米するもの多く、中には浮浪無頼の

徒が敢合の安寧秩序を乱した馬、ニハ八三年以後の嘉移民を制限した。それでも其の監祓の綱要ゞり、秘か

に入棺するものが多くなつた鶉、途に是が禁止的規則並びに罰則が制定され、鏑旅行許可制慶も探られ篭

然し常時烹内に於ても支那人に封する見解に=泥訂あり、即ち骨瞥易の輸入品販嘉管して義人単機讃する謝と、 倉融の猫占的貿易長芋姦貿易の大な孟、不運支那人品是倉秩序の撹乱並びに+盲の経済的迫蕃等を容げて之を非

難する説とがあつたっ

(9)

, − 録

然し是嘗の制限規定にも拘らず、其の監督並びた其の適用が厳守されず、漸次深く内地へ支那人が食ひ込んで

筍った。此の蘭バタビヤ地方に於ける支那人の迫剥が忘暴虐を極めた。そこでセイ;及び喜望峰への流刑が

叫暦股重となり、他方適法に居住礫を有する支那人すち腐激した食紅艮の馬恐喝弧諭される者が生じ、途に支那

人の不平は爆敬し、山七閉○年の暴徒となつたのである。此の乱の蹟塵の名の下に華僑の大虐殺が行はれた。此

の事件を相磯とトて支那人に封する政策が、従来の周容政策より抑墜の方針に婚じた。然し倫秘かに入り込む支

部人が依然多かった。︵稲田軍二前由〓〇四貫参照︶ ㌻乍五四年忙讐ハ00人の移民の中工九二八人のみが萱放されて居るに過ぎない。以て這般の事情を窺知するととが出水 る0

十八楷紀末頃より支部人が経済上支配的地位を占むるに至った主なる原因は、支那人の商才にもよるがそれ以

上に、政府が私人に封し認めた猫占的請負制慶︵m昌○づ○−y−ease童賢m︶による。 議党利魔の最も古いものは、三三毒の検出碗請衰微収︵b。誉已e針である。其の後鹿範囲忙行はれね土人市場使用の 手数料清武徴収︵b冒ニe琵︶及び或山定地域の土人の農産物蛍簸緒蛋の二制捉は土人生活を俵著する汲も大なるものであつ

た。其の他騨の製造販裏猫占使、漁共猫占械、塩草課税槙、通交機微収幡等が注目すべきものであった。

叉支部人の爪畦へ深く勢力を伸ぼした主なる原因の一も此の礪占的請負制慶であつた。支部人は此の請負枕の

拉待と共に其の住民に劃する行政的支配槽をも、其の手に収め宅殊に甚しきは村落の農産物買集請負制皮で、

華僑の蘭印忙於セる経済的地位に就て ︵T七﹂︶ 八︼

(10)

第十こ容 第こ溌 ︵凧七〓︶ 八二 此の馬叫村塾鰻の住民の人格的自由の菓失ともなつた。斯る事情の鵠チェリボンに於て再び暴徒が起った。魯此 の時代に支那人が地方に勢力を占むるに至つたのは、封建的特樵の附怯する私有地の接待に伐る。 此の私有地は倉批の財政的窮乏の補充方法として勝手忙士人の耕地を華僑に競轟したこと忙俵て生じたものである0 以上を要約せば倉敢存滝の二世紀聞、ジヤ.ハ及各地への支那入の浸潤は注目に憤するが、それが漸次増加し遽 に十八せ紀末には商菜界に於て、或地方に於ては農工糞界に於て土人を経簡約に支配するに至った。此の変郵人 の地方への浸潤は土人が彼等に封抗してよく自己を絆樺畿展せしめる能力に快けて居たこと、及び土人は彼等の 酋長或は束印度合祀に依って、此の華僑より被乱写悪から保護されなかつたことに依るものである。更に綺支部 人の地方への進出に預つて力のあるものは、彼等に封する消極的寛容政策及び、弼占的請負制慶であつた。要之 支部人の存在は土人にとつて利益では無かった。小安商は滅亡させられ、農工共に於ても其の磯展が阻まれ、佃 も猫占的請負制虔の開始の結果、土人は支那人に綻廃することとなり、自由が束縛されるに至った。 こ、−八一六年後に於ける準備 上蓮の如く十八世紀の末頃より支那人は経済上既に相等の地位む占めて居た。即ち彼等は東印度合祀と土人と の問に立ち、愈敢の輸入品の放資、土人生産物の買集め、及び禽敢並びに土‡の焉に買租の堅止を残す等、連鎖 磯路としてなくてはならないものとなつてゐた。 山八劃六年に於ける和蘭政櫻の回復後梅数年聞か1る地位が維持された。尤も輸入品の多くは最早政府の弼占

(11)

では無かったけれども、塵並びに阿片の販密及び砂糖、煙草、如排、藍等は斑政府の猫占するところであり、文 部人はその仲介磯路として多く利用されて居た。然のみならす櫨々なる課税徴収並びに人頭鱒、屏疲祝、市婁 税、阿片販頚椎等の猫占的請負制皮が十九杜絶の中頃迄仔柁して属たのであるが、此の領域に於て支郵人は官署 よりの委任に基づき、依然大なる勢力を濁して居た。眈に速ペた如く、支部人が其の経済的勢力を伸すに至つた 最も有力な要因は、此の濁占的請負制度であつた。叫八血六年後はその請負人に判し幾分その監督が厳しくなつ たと1は雌も、依然、支那八はこれに根強い勢力を有し、却て普遍的となつた。といふのは支那人の居住隔域並び に旅行に封する制限規定が事蜜に於ては、此の澗占的請負制慶の為に蔵霊に通用されなかったからである。叫八 五〇年に土人市場課細微牧の請負のみに関しても、爪軽重醍に一哉凶千人以上の支部人が分布して居ることを見 ても此のことがわかる。 かく土人の利益を供謹する焉規定された旗行許可並び忙居住宙域制限が、此の請負制慶の為に厳格に行はれ す、土人の経済的畿達む阻害することとなつた。 山八五〇年頃の請戴制度の主な㌃ものは、土人市醤請懲であつて、其の他阿片、質屋、塩草、漁米、屠殺鬱、酒の販貸、人 頭税、賭博魂等の請蕾があった。土人市場現は瓜畦の大部分の村落忙行はれ、唯ブレアンガ地方忙は通用されなかった。 其の他の諸氏制度は瓜瞳全鰻及び外領の、ある地方にも行はれたものがある。 是等の制度の弊嘗に就ては二八空年此の制度腰止に際する政見忙伐て窺知される。即ち﹁土人市場課税及び 華僑の蘭印に於ける経済的地位に就て 〇七三︶ 八三

(12)

東十こ容 第こ耽 ︵一七四︶ 八四 特に財瀕の請負は、園内取引を阻審すること、土人必需品の慣格騰貴の傾向があること、固塵への収入額が土人 に課せられる負槍叡とが馴致しないこと、それに関して濫費掠奪を防止L、又は削限し得る様に思はれないこ と﹂、等から明かである。其の時以来殆どすべての請負制慶が撥止され残存したものも、最早以前の如く公礁的 性質を帯びないもので、例へば食欄鳥の奥の採取療の如きものに限られた。加之其の憶督が非常に厳重に.なつ た。かくして此の請負制鹿の厳止と共に支那人の弼占的地位も治失するに至つたのであるが、︵叫八七〇年土地 法制定後︶、彼等は商工業、特に仲介共にその活路を見出す術を知って居た。斯くして欧人卸豪商と土人との間 の連鎖として繋柴し、今日の陰然たる経済的勢力を占むるに至ったものである。 三、蘭印政府の華僑に射する入国、旅行並に居住政策 移民政策の主要対象を残すものは支郵人である。 耽.に蓮べた如く合祀統治時代には、入観、改行及び居住に封する規則は常に朝令暮改一翼したものではなかっ た。而も此の規則適用は事資に於て不充分な桝が甚だ多かつた。 表的には爪唾の土俵領、及びブレアンガを支那人の禁止地域とし′、叉彼等の居住に封しては、一定の支那術 なる霞城を設けた。 ︵イ︶ 旅行許可制慶 安郵人は其の居住区域を離れて旅行せんとする蓼合たは、通行券を官署から受けねばならなかつた。是は禽敢

(13)

がその商業的猫占並に叫般融藤の綱紀を維持せんが焉であつた。完一六年蘭領政碓回復後に於ても此の制限方

針が大館鰻綬された。尤も自由眞忙伐れぼ爪畦に於ける今日の宵の増加は支那人の小安仲介柴によるものであ牒

となし、綬和策をとらんとし、是に反し他の眞は土人と支部人との総臍的能力の不平等を指摘し、彼等の問の取引

は常に土人にとり不利であるとなし、厳格音義を採らんとした。飼此の政策に影響を及したものは、=堅配合の秩

序の維持でぁり更に政府が六七〇年迄堰結した強制耕作制度腰止の結果成人と支部人との自由親筆並びに阿

片の大任樹な智蜜月を防止せんとすること是である。斯る目的の下に族行の自由を制限したのであつたが、支那

人を請負人として認めた結英、極端に旅行を制限すると請負制慶が不利となるのでそれを恐れて自然寛容する様

陀なり、同時に他方此の制限に封する例外も増加し、共の結果準備の内地への浸潤は免がれ難いものであつた。

此の制限規定竺九〇四年後綬和され㌻几∵毎年に途に腰止された。かくして爾後爪畦及びマヅラの放行及び

興廃から他の外領への旗行は、最早何等制限されなくなつ鷲外領に於て竺九大年に或蒜方を除いて、か

かる旅行許可制慶は厳止されるに至った。

︵ロ︶ 住居隔域制限制度 十九世紀忙入つて前世紀から引続きl定位域にその居住を制限する規定がそのまま布放して居た。然し寄賓に

於てはその嘗行は中止されてゐた様に思はれると晋ふの竺八三五年に於て、政肘竺レ一人、印度人、支部人

の如き東洋亜細亜人が爪瞳土人の問に混在する事は不都合であつて、彼等の首長の下に這罷域に隔離すべきで

革僑の蘭印に於ける経済的地位に就て ︵帥七五︶ 八五

(14)

ぁるとの意見を有ってゐたからである。

二八四六年には此の眉筐域制限別の原則が、晋に響される怒らぼ、笠に受止好適地誓蓑那雷

新しい居住院域を許すべきことを布告七た。

完七=年に東洋凝細廃人の爪畦に於ける居住院城は壱四以上も雷、其の上非常に多くの例外が認められ

てゐねのみならす、層位置嘘外に秘密把居住するものが相首多かつ舟宕ら、土人との接俄を防止せんとする芸

をしての此の制度は失敗であつたと冨はなけれぼならない。

−八九〇年芸萬望の土人村落た支那人のQ象ngen㌫蓋し其上十大の農工窃、辛の、蒜借腹囲、十≡め製材慧 び=璧の封建的公徳計有ら私有地があり、特望十重亭へククーを占む孟霊に於ては表芸任悪制が行はれな 執った。外領に於てはリチ一考除けば、他の地方k於て誓の地方の事情蒜じて許可され、或は何等の許可を得る寄なく支 那

人が屠任した○

此の遠隔域に居竿べき芽←の義務が、∵九二塑隼を以て贋せれた。

今政行許可漂に屈筐域制度の影野について見るに1結局是は義人の地方への侵入晶止するものとはな

烏、芸に於ては却て彼等め勢力姦めることと雲た。雷朗に芙驚から揖離れ公認された支那赦愈が

建設され、此の璧義人祀禽がその間有の崖性竃等姦持することが机釆、姦の丈の女と結婚し、血液

土は土人化したにも拘らず、支那居候

酷倉望人酢愈の相場中に溶け禁つたのである。

菟十ご谷 第二疲 ︵血七六︺ 八六

(15)

豪に毒の制度は支加入が小菅して団円に髄て癒盲ること晶止し窟忙、彼等の経済壊應上に大なる影建

を及ぼし、土地法︵後述する︶と共に支那人の小魚的教展を閉止し売主なる原因であつ允。前蓮ゐ如く此の制度は 慧には適用されなか?允けれど品少くとも或程慶豊橋の夫部落への侵入を阻止し得た?これ塞く此の

制度の功績として認め誇ればならない。鷹し義人金貸著による搾取から土人を保護する効果は充分では無

かつた。

文士人農産物の墓めは、殆ど無制限に行はれ、特些礪占的請負制度の靡止により、職を失った支那人が益々

此の方面に進画して釆た。

此の鮎忙就きD琶ery氏が彼れの著冒訂sd妄1¢に於て﹁然し支那人望人の産物取引上、其の重要さ

と、その弊害に於て拘し得られぬ足跡姦してゐる。支那人馬等蓋すること亨而も生産物豊配し、讐

農家が無いにも拘らず、而も尚鼻糞を浸配して居る﹂と言つて居るのは至言である。

︵lこ 入親許可制度

入閣許可制に就いては些肘は特に注意する所で雪たが、最初の規護非常に効莞無芸徹底なものであつ

た。

入園に封しては何等の條件を必警しない。要するに靡僻され得る支部人は、入閣許可の資格がある。︵叫八 一八、一八六六、山八七二年︶ 準備の蘭印に於ける経群的地位に就て ︵劇七七︶ 八七

(16)

第サニ松 茸こ砥 ご八八︶.八八 −八三七年に支那移民が爪畦への入閏を禁じられ、それが原閃で支那人の暴徒が起った。一八四四年及び山八 望ハ年に、技術家、教育家、寄託、店員、其の他類似のものが此の禁止規定から除外された用然るに其の後葡引 絞いて多くの不法移民があり更に一八五一年の支那人の暴徒の為に、此の例外規定も腰止され、其の移民禁止は ︼愴厳しくなつたバー八六六年に再び支那人が取引の為に商港に入ることが許された。此の規定の結果は、山八 七二年のそれと同株、先に述べた血八一八年のものと何等攣らぬものであつた。 旅行許可制慶及び居住置戦利慶に代へて、仙九仙五年に簸め移入民を監督厳選する移民規定が制定された。そ め制限は三つあつて、上陸の制限、入闘許可記の畿行の制限、永住棟許可詑の敢行の制限が是である。仙九三二 年に若†の訂韮があり、更に叫九三関年鱒移民の激増を制限する移民規定が制定された。此の規則制定の理由と しては、世界的経済不況の結果、蘭印の各鑑臍部門に多くの失発着が生じたことにある。それ故に海外からの労 働者を防止する必要があり、更に除り多くの移入民は農業の外、商工業に土人が就職の途を求めつ1ある傾向を 阻屠することむ防止するにある。 鵬九三二年以来移民許可数高教は、年二掲二千八に決定され、更に是を十方のグループに分ち各グルーナの叔 高教は、八百人とされてゐる。是は各国民に射して等しく通用されるものであるが、若し移民線敏が鼓高教即ち 〓周二千人に落しない場合に、各グループはその入棺を過去十年間、平均入棺者数に達する迄認められる。安郵 は此の鮎に於て有利である。

(17)

一九三三年に入国を許可された組数は九、二八〇人でその中支部人は四、九五四人であった。 偽玄に注意に慣する現象は支部移民の構成上の欒化である。叫時は殆ど全く成人男子詐りであつたが、敢近是 等移民の中に女や子供の数が増加した。 〟九lニ○年入相した三、二山八人の申六盲人の少年と押九四四人の既婚婦人がある。此の教は契約管カを除外して居る。脚九 三園年に許叫された七、五四一人の申、三、二五人は女であり、残りの四、ニ二六人の申∴五重二人が成年である。 移民許可誇の下附を受けた入棺者の楢葉別型不せば次表の如し。此の表には契約労働者が除外され、叉此の外 に許可謹を有しない不法の人格者が相等にある。︵India声ROpOユ00ー一芳一⊥冨ひu謬pOr〓りじぴ︶ぎl±一つ・会︶ こ、聴 て原 料 生 産 者

漁 染 衆

華節の蘭印に於ける経済的地位に放て 毅 時 裁 大 縫 針 冶 髪 産 屋 エ ⊥ 脚九三〇年 人 四二八 三脚四 劇四人 lニ八九 二四 ≡七ニ ー、六四≡ 脚九≡二年 ︼ T五 八 三 六 九 二 九 九 ○ 六 四 i九二二二隼 人 五 孔 叫五 言二 山九三四年 人 八 二九 ∵四 凹⊥ ︵一入九︶ 入九

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第十二容 第こ弊 風 屋 白鴎∵啓修繕染

≡、商 染 着

常 買 商

商 親 任 用 人

商 店 農

商 商 行 小 安 商 四、自 由 職 染 着

号 数 息

女 教 員

霜し檜師及番人

歯 科 賢

答 記 非契約労働着 そ の 他 有 職 濱 組 数 劇○仙 こ八 こ︹¶同 一九 こ○入 五、三一九 二、五四六 二−、二こ七 三γ八 五九〇 七、五入≡ 四六八 四七 八九 二血九四 山六六 五山 二〇 二五 山八 諷〇 五七三 〓血五 二、五≡四 二七山 四言 七五三 八二 四五 ニ〓ハ 四五六 二、〇四五 一三こ 岬九 七七二 ︼ 山八 仙八 五九 ニニヘ ︼四 五 四三 一五 六 六ここ こ、九lニ四 −七七 山〇 一、一四八 一一大 五−ニ 八八 −五八 ︵︼八〇︶ 九〇

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それは右の表から見て明らかである。即ち貿易︵シンガポール、支那、遽羅及び印度支那間︶エ柴︵製糖菜︶ 鼻園秦、ゴム︶及び運輸柴︵シンガポール航路︶には支那人にょる大規模野営が見られる。米の部費商は全く

受郵人の猫り舞姦であつてその米を遽準印度支那より輸入する。遥羅及び印度文部に於てもその却賛仲介業の

第二寄 華僑の経済的地位

第 l節 貿 易 と 南 光

支那人が大企業に於て占める地位は普通考へて居る如く富ふに足らないものと推測してはならない。 全蘭印に於ける各国人に依る大金柴への投資状況ハ謬l語数−i︰彗reemde同音ぎーs琵eg昔g∵ワ父挙︶ ︵脚九二血年︶ 闇 支 那 英 讃 利 子 日 本 準備の蘭印k於ける路臍的地位に就て 入相許可組数 その他ハ女子供無職者︶ 山○、九五四 打出盾 こ≡五〇 三四〇 三〇〇 ニ〓ハ ≡二、劇八一 七三・四% 山○●六% 九●四㌔. 丁こ% 三﹂≡八七 嵐、九二〟 米 北 自 耳 義 他の欧洲藷閲 ”㍗ポ等 合 こ、九〇九 囲、九五閏 三五 四〇 七五 二四 三、二〇〇 四、六〇七 七、五四一 ハ一入鵬︶ 九一 山●︼% 仙●二% こ●四〆 ○●七% 則0〇・%

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蜜擢は輩瘡の手に雪二空三年以霊府鱒爪唾農産物を保讐低廉望外米の流入を防止する目的を以て、

外米輸入制限藁を探るに至った。・その篤外米輸入書は少からす打撃む蒙るに至った。然し反雷内に於て

米慧引、精米髪び米作雷に著する準備は此の政策によ晶て利撃ることに彗た。どり斗ソ合祀及び

政府は、その労働者の需写る米竺部は自給忙侠つが=鱒噂話負者に引受けさせるのであるが此の職能嘉す

ものは、多く拳僑である。

次に注目すべき華僑南蛮の特色は、先物取引にして、それ品賓菜に於ても見られるが、義的には仲介業に

於て多く見られる。

現物取引︵卓Odu莞こき乙eJと先物取引︵こ句○ヨ乙邑2︸Jとは全く異ったもので、前雷光渡契約ではあるがその日的は

羞物の項物引渡である。、之に反し後者は先渡しの席忙生産物を取引するのではあるが、羞物の現物引警その晶とする

ものでは無く、契約慣櫓とその決算期に於ける帯留崎格との差額を支排ふ事により、随時それを清兇し得るものである0 完二二年以前爪畦に於けhる支部人が特に砂健、凱誹、胡椒、米の取引に於て、支配的であつた所のものは、

投機的定期取引であつ駕是等農産物投機業者は幾度も繰返し之を党渡しで常る結果、途にその畳が賓際引渡し

得る収穫量を遠かに超越する。斯る時若し慣格が騰貴し、賛際引渡を聾する破日に立到った場合には、常療引渡

が困難になる。叉是等の投櫻発着の手を経て買ひ、帯び蘭印外へ鹿渡しで賛た朗の欧商輸出業者の中には、引渡

が要求された禦口にそれに應することが出来ない。概して是等は安住を回避する焉に有限烹任倉敢の形態をと

第牛こ啓 発こお ︵仙八二︶ 九〓

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り、而も小資本なる授械発着に勤しては、重く手の施す術が無い。加之是等先物取引の監督は一般忙不可能であ

る。蓋し華僑は其の取引に常やその締結する契約の性質、及び限度に就農明記する寄を拒むからである。そこで

取引め安全の鶉に魔物取引を制限する方繋が輸出業者国債によつ・て講ぜられたのであるが、数年忙してその掘設

も細くなつた。是等多くの投撥柴者は恐慌に際し大打撃を受けた。

∴主要産物たる砂糖は最も慣格欒勤が大であるから、華僑授械共著は是によつて警韓の富を穫たと思ふこと針

束の間、直ぐ亦是む失ふと言った悲聾父々の状態が起る。中央爪曖の砂糖中心地に於て、一九二〇年よh二九二 三年迄に華僑の破産宣告を受けた者は次の如くであノ驚︷ヨem身⋮詳言hinee註eNa訂nle一重幸一声︶ 是撃破産を受けた者の三分の二以上は砂糖投機発着であつて、商柴道祇の謄落した彼等は、甥物故引に非常な 損害を及ぼした。 華僑の砂糖取引に占むる韮婁性は次表から明白である。︵阻位百万塘︶ 劇九二〇年 瓜畦糖購鼠人 螢僻の蘭印に於ける経済的地位に放て 年 帥九二〇 丁九二劇 一.九二二 ﹁九二三 敷 四三 四八 一二ニ ー五山 資 産 盾 血〇八、00〇 七九〇、00〇 七九四、000 一、九ニ〓て000 東 ∵、六〇五、00〇 八、五七二、00〇 五、五五四、000 脚入、六五九、000 一九二四年 ∧劇八三︶ 九三

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㌻几三∩年の恐悦の結果砂糖版吏の集中化が行はれ彗習それは他の多くの蓋物の取引と同様政府の統制

下鱒遅かれ、斯くして馨しく禁砂肋尭物取引契約が防止された。

次に華僑の収空輸出貿易慧物は、カツサグア、朗相、カポック、落花生等及び外髄に於て造にゴム及び

コプラである0

玄に叢の仲介及び小冨に警概撃ることはあながち無駄で鱒無いであらう。警準僑琵の伸介及び小

富に警占める芸性は卸宕に於ける此では無いからで雪。勿論此の卸賛、仲介、小諾の問蒜督が行

浩明確なる区別差すことゆ担釆ない。然rニ舶的に鱒即東商は輸由入貿易に馨し、小繋商は土人生産物を

買集め、或望入渠些嘩野鋤き而して仲介業は此の二つの問の辿鎖差る。

普蛋喜孟は輸入警から琴ひ、小蛍業者にその羞物品給す長の仲介を、配給仲介︵dis蔓草nte邑ざ trade︶着び土人羞物量琴それ姦出警還る仲介警豊仲介警宣ノ一ein12r註a−et屋と科す。

時に鱒郵常葉は同時に宴雷直接商品を裔如く店患ってゐることが雪。けれども、卸密、仲介業、小点

日 本 支 那 英 領 印 紙 第十こ令 弟二渋 人 人 人 庶 人 額 山○、八〇 六、五〇 三、九〇 〇、こ〇 二二、二〇 嵐、五〇 八、六〇 四、00 0、八〇 一九、≡C ︵仙八四︶ 九四

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菜の儀別は驚際上有用である。 準備の農工共に於ける地位に就ては後述することにして、鼓には取引の嶺山般に就て述べて見やう。 配給仲介莫、蒐集仲介柴の何れ忙於ても賛に驚くべきことは資本の乏しいことであつて、而もそれは全蘭印何 虚も同様である。仲介業を必黎とする珂由は輸入業者︵又は輸出共著︶と消費者︵又は生産者︶との距離が大き いと冨ふ鮎、遍に買集め夜士人産物を世界市場の品質規格に従ひ部類分けをし憤植付けをなす必要があること、 並びに多くの場合却費商が仲介菜を自ら引受けることは非常にコストむ高めること見である。是等の不便を除き よく此の地位に適合する者は、土人に接近し地方的事情を熟知してゐる灘僑を措いて他にないのである。 然し他方斯くの如く卸密集が全然仲介業に依宿する場合仲介業者の密集費の不足が大なれぼ大なる程、不況の 際の危険が大となる。 政商によつて爪唾に輸入された商品は仲介発着に掛で安られるのが普通で、その期間は以前無利子で二言月乃 至六ケ月であつた。仲介業者は商品其のものに依る利益よりも早くその商品を昏り捌かんとする。是は数ヶ月間 顛利子の信用を利用して是を土人に貸興し、高利を取る方が〓曙有利であるからである。然し其の後の㌣般の傾 向は此の樹庶の期間を短縮して、血ケ月乃至ニケ月となし、最近に於ては手数料主義の提供が輸入発育に伐て希 望されてゐるけれもど多数欧商輸入業著聞の激烈なる競寧は此の梯墳期間の短縮を困難ならしめてゐる。斯くの 如くにして仲介業は五千屑以下の資本を以て十萬眉以上の信用を得ることが出来る。 華僑の蘭印に於ける経済的地倣に就て 〓八五︶ 九蕊

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第十二容 第二渋 ︵山八六︶ 九六 周知の如く粗密が贋範囲且長期に育ちて行はれるから仲介柴が破産トた璧nにその影響は甚大である。それで かゝる際には、その唯表決発として信摘発者問鱒協建が残され、最近に於ては却賛商問に︵往々彼等わ商薫組 合により︶自巳防禦の為に、相互契約が締結される。而も僻その間昏が数百寓慣に及ぶ寄がある。仲介業による 最少の損害ですらもそれ陀融通してゐる輸入業者並びに銀行は、非常な打撃を受ける。然しそれは仲介業者のみ を安める繹には行かない。 即ち輸入染者は蒜忙市況並び忙忙男爵の見透しに膵通して居るが故忙、慣格が下落し始めるやその商品を仲介染濱に覚り 逃れる。之隼反七後者は非常に高位に罠た商品を慧号して手持する事芸る。斯る事情の下に於ては、仲介柴渚は経螢玲本 不足の盛元何等かの入港策を講ぜんとするは富終にして、多ゆでも市債が下落すると破産宣告塞求め或は僚機者忙和議協定を 要求する忙至る。此の思々しい出来事は、簡傭紀中寿以来欧人の牲意を惹き其の改垂簾が歴々講ぜられたのであるが常忙失敗 してゐる。 此の破産に依る損害は更に他の者へ波及して行く。 融通を受けた伸介商はこれを全く異った目的に融通しその結基輸入糸者が凄んでもゐな・い而もその存在すら知らないものに 屡々融通する。金融逼迫の膵に輸入米者ば伸介薬者忙現金計要求するに至る。その轄集中商染着の大部分からその螢染野金を 引上げること忙なる。 以前は華僑の破産に伐る危険よりも寧ろ彼等に依る政治的方面の危険が盈祓された、即ち彼等は仲介菜に於け

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るその猫占的地位を利用Lて支那以外の固からの輸入品忙不利益を典へ木組よりの輸入を促進する方策を採るな らば支剋人外の輸入共著は恐らく危陰に瀕するだらうと懸念された。概念的には或聞からの輸入を阻止せんが焉 めに仲介業着金部囲結するならば、それに依り危険が生するであらうと云ふことが考へられる。・然し今までの経 験からすれぼ、斯くの如き華僑の困結は資現しない、即ち曾て想像された程彼等のカは強いものではなかつた。 叉欧附帯場向重安産物即ち砂糖∵蜘排、茶、規郵、部分的にはゴム、曹革等は輩僑の仲介商を利用せすして、栽 増エステートより直接、外囲市場に敬愛される。史に叉仲介業には、兢寧が絶えず行はれその結英昭占的地位が 潮除せられて屈る。 次に剛般に配給仲介業に就.いて富はれたことは、叉土人産物蒐其の仲介業者に就いても冨はれる。尤も後者は 普通資力と猫立性が狙いけれども。 此の蒐集仲介業着の普通買集めるものは柴産物︵米、玉萄黍、コプラ、落花生、煙草、カツサヴ7、カポック、 ゴム、、砂糖等︶蓄蔵物、︵家畜、獣皮︶及びエ業製品︵更紗、穿繹帽子、バスケット、陶器、延等︶である。此の 土人生産物の買集めは輸出向︵ゴム、カポック、煙草︶と軸方向︵米、ココナツト、梗革、果物︶とよりなり 特佗此の輸出周蔵物は全く華僑の手を経る。彼等は輸出発着の唯二の代理人である。彼等も亦緑川発着から生産 物の買凝資金の前貸を受ける。然し山般的には配給仲介発着に於ける程のものではない。此の婁合、瀾印特にボ ルネオ及びスマトラに於ける支那輸出商と、シンガポールに於ける卸密商とわ問に、密接なる聯紡がある。・卸繁 華僑の繭印に於ける経済的地位に耽て 二八七︶ 九七

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第十ご巷 第二窮 ハ血八八︶ 九八 商よ少受ける信用の程度は、剛楼では無く時には市債で産物藍単に撰集めるもの又時には手数料を取り、卸嚢商 の助走で仲介をなす剛毅の代理商に過ぎないもの牒ある。姦し乍ら是等のものは普通の形態では無い、。 耽に明らかなるが如く借用関係は、此の輸田業者と仲介業者とにのみたるもので無く、更に種々なる形式で仲 介業宥と、土人生産者との爛にも及ぶ。彼は一鰐取引巣窟なのか、或は金融発着であるのか、その本鱒を確定し 難い。 蘭印に於ける店︵tOkO︶はそれは配給仲介柴、或は小賛は最近迄主要郡市に放て見られる二あ験商を除け ば、殆ど全く支那商の猫り舞姦であつたが現在此の畢偶に著しい⋮聖化が起りつ1ある。それは二つには、多くの 地方に日本商店が日本よりの輸入品む軍鋤く為に建設され、二つにはその商品を欧入梅入商から得る鉄人小饗商 が出現したこ入、第三には土人が小津に渕する利啓朗備に就き、個人的にも協同的にも自覚して釆たこと之であ る。ブレアンガ地方及びグリセ一に於ては、既に中産階級の小賛商が勃興しっゝある。バクビヤに於七鴻朗々に 土人の偶人尚店を、スラバヤ及びペカワシガ忙於ては更に鶴店及び生蹄者の協同店を見る。此の後者は準備の小 貸及び仲介発と肌蹴率し、渡部ジャバ及びウンガ一地方に於ては支郵商は衰退を傲俵なくせしめられてゐる。 右記のべカロンガ及びジャバラに於ける消費者組合の或ものは、支部小野商及び仲介業に勤して衆寧の手段と してボイコットすら鞭行する。 か、るボイコットは、若し土人の大部分が是を後援するならば、大なる効英を上げるであらう。此の療寧は主

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に輸入品を取扱ふ商人に勤してなされて居るが、他方生産物の眉集忙も眈に土人が彼等の協同組合を創設し進出

しっ1あるJ・然しそれは仲介柴の形態によつてではなく・彼等生床者の協同販費組縦を以て直接卸資商に販賛す

牒ことに依り華僑仲介業を排除せんとするにある。然し乍ら彼等の買鎮めは資際忙は、趣く少量であるからし

て大商店の取引封象とはならない。是れが偽筆僑の地位はまだ′1必要む認められてゐる。のみならす多くの産

物は等級を附卜荷巡りされる必要あるが現在のところ是は薬僑のなすところである。更に斯る仲介業に於ては信

用が特殊の意義を和するノ然し現在のところ土人の協同組合よりも薬備に依て忘容易に此の信用がなされてゐ

る。加ふるに輸出先者︵又は輸入業者︶が未だ日浅くして、其の商用性並に信税とを嘗詳してゐない土人の協同

組合に依る仲介を以て、多年度く其の職安を果してゐる華僑のそれに代へんとはしないであらう。それ故に土人

に依る協同生産物鱒密は現在の華僑と競零し確固たる地盤を、その仲介柴に於て築き上げることは、相等困難で

あると思れる。然し若し土人の大部分が自覚し斯る琴勤を後援するならば現在の華僑の地位も危険に陥るであら

う。今のところ土人の小生産者が直接輸出柴者と取引契約することは、上述の理由から望薄の様に思れる。尤も

土人の仲介業者がブレアンガに於て、幾分叉パレンパに於て竺暦多く欧人輸出商舘主痕引してゐる地方もある

が。

爪畦疫於ける仲介柴は、最早華僑の猫占するところではないけれども其の大部分の蜜樵は今葡彼等の手たあ

る。彼等の衰追わ主要原因は最近の不況に因るのではあるが、竺愴それに拍車をかけたものは、彼等の敬回に

準備の蘭印に於ける纏済的地位に就て 〓入九︶ 九九

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芸と昔萎二軍千二貫十商盾k、亘璧筈霊十農と減誉た0支那への輸出は芝忘の威習字0

ご芸大竺三億=誌還以←であったものが、漸次減少し、重=ニ年≡富農に、賢重碧笠千富農と

なつた○

とほ招来良かつた。慧警の輸入統計は是姦讐物語ってゐる。盲㌻nぞ︼⋮空g一−Nひの−提ご

更に警ボイコットに為らす、叉彼等の母岡安郡の工業化にも拘らず、支那商品わ輸入盈の減退を防止すると

書芸排斥であるご足芸イコットは却て彼等の経済的地位を醜蕗宜しめたといふ結兼になつたゎみならす、

㌻九二八年芸都から欝への輸入はニ£富雪雲たのが、妄ニC準に二千八百四十鞄店たト音、 シンガ射−ル 替捲及支那 ′ 出 囲 弟十こ懸 軍二㌍ 額︵閥鵜馳︶完九 一九≡〇年 ≡≡、○% ○、二% 三■○、○% こ、九% 〓ニ、○% 〓○、九% 一九〓ニ年 ニニニ、○% ︼、六% 剛五、○% 三、六% 州七、○% 二九、八% 四大三 叫九二こ年 岬二∵○% 八、三% 鵬四、○% 四、閃% 酬四、○% ニ血七、三% 六九〇 血九二二年 劇七、○% 〓ハ、○% 一l、仁㌧ 四、三% 七、○% 四囲、七% 五大五 二九〇ご00 一九三≡年 〓∵C% ニ〓、○% 一て○% 四、C% 九、○% 三≡、○% ニ〓八 仙九ニー四年 〓ニ、○% ニ〓一、○% 一一、J㌔. 四、○% 八、0% ≡二、○% 〓八六 その後は漸次下

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′ 支部からの輸入︵紙、令熱帯、果物、樺詰、雑貨類、食糧品、植物、寸燐、紙等︶は、専ら支部輸入商館の手 に守り、爪軽から支那への輸出具主に砂糖︶歓商の手によつてなされる。 一九三〇年より三十四年の間瓜瞳線輪山根外十て≡バーセ、ントが支那K輸出された。 南京政府による蘭印への輸出奨拗策は、華僑忙有利であつたことは勿論である。支部官憲が蘭印を訪問し、一 九三五年忙バタビヤに於て、蘭交通荷姿良宙が開催されたことは終日に慣する。両国は貿易上相互路傍に立つ。 即ち繭印産物の中、支那の需要するものは、砂楷、木材、枕木、野菜オイルで、二季蘭印は支那工柴製品を需要 する。斯くの如く蘭印には彼等の取引範固は充分存在するが故に従に支部以外の他蜘商品に封し、効果の抄いボ イコットをなザよりも叫層効英的な領域の存在を認識すべきである。最近に於ける支那政府の幣制改革は叫隆好 條件となるであらう。

第こ節 金 融 糾 擬

革僑紅塵の銀行の前途望なきことは周知の如くで舟故に取り上げて諭する迄もない。文筆傭仲介業は全く信用の 上・に立って居ることは漑謝した。次に爪畦に於ける更紗工葵並に農産物買集めが信用上特色を有することにつき 声は後述する。 輩僻は不動産並に金共他装飾品に封し相富の投資をなす。是等の財貨は、その利廻りが悪いけれども、揖保と 華僑の蘭印忙於ける経済的地位忙就て ︵山九∵二〇一

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して利讐れ得るから、其の不利を償ふて飴りがあるからである。貿易金融即ち米穀の輸入︵シンガポールより 輸入︶鱒螢する資金に封する金融は多く焦療手形の取立、賛上代慧額に限られてゐる。文芸及び避警の米

穀投機取引資金の金融には銀行が普通融通する前に多額の培保を嬰求する。

閣内取引に封する金融は普通常座貸越培伽として財嚢を根誓約に入れる。

倉庫組披が未だ普及しないから姶誉庫芸に射する信用は飴為はれない。讐之にⅢ應する形式は債紡

者の在庫品を質入する方警雪。依誓所有の存慧は負債契約雷依り、銀行に引警れる。此他に合鍵

︵dOub−eke︸SySI昌︶に依る在庫品を引渡す方法がある。 銀行が店︵−OkO︶の商品を塘保として金融することば、法律上も驚際上も不便であるから殆ど行はれない。庸

是時輸入業者も商店蒜し辛敬料蓋で商品を供給する傾向にあるが故に小安商は信用を由ることは出水な

い。警蒜僑小安商は買った商品と引換に引掌形義行する、此手形長保に銀行は、その管冨繁った輸

入業者に首座貸越の形式で融通する。此の様にして日額的ではないけれども、軍資小安商品通することにな る。

侍側に二三特別な信用方法がある。その筑=爪り亀のは即謂︵音−?dju弓或はF詣である。之は∵種の無益

講又はスレート倶楽部に相常するものである。

合点は十人力至≡十人位よ品㌔各曾負は差金警出し合芸の視基部慧て二足期間、例へぼ脚ケ月其の倉見の仙

第十こ谷 第 二既 ︵一九二︶仙〇二

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人些融通され去、借用諮の刺子は前以て其の融通額から差引かれ、他の令息忙分配孟る。斯くして骨負は順次聖廟隼で離

邁を受ける。血般忙教起人が最初妃その金額を無利子で借り、攻寄から最高の利子を申出た者が借晶る。各倉見は唯=閃だ

け借り最後に残ったものが叉無利子で其の金を借ることが出来る。此の金融は全く信用に基くもので教起人は受を寅ふとは

雑も、斯る諸は数ヶ月忙して佐々失敗することがある。

次に他の信用形式は凰彿纂融︵買ロde許g・Credl邑方法である。此の粗相は爪畦に於て見られ金貸専業者 も之れを行ふことがあ、る。何れにしても、さ1やかな店をはり而も多く地方を行商するり此の金融業は殆ど全く 碍州出身の華僑北伐て行はれ、政府の金融礫開︵庶民銀行、公設質慮︶に比較して非常に園滑に行はれ便宜とさ

れてゐる。

貸典金塊び鼠鯛の鴇盆も共に債静者の家でなされる。そのことが倍罪名にとり非常忙使甘であるが同時に資金の活用を知

らない土人は、泊苧三とゝ・なる。金貸芸者炭晶排窟曙は普通完至十簡であって、辛唱を学芸ことは崩れ

である0

爪畦に於ける村落銀行も亦斯る小額金融針なす。巡回金貨発着は土人の小農と接偶を密送し、よく彼等の事情

を知る必要があぇ。彼は文京躯な着でなければなら禁。此の即に於て蘭印に生れた支那人は新渡来の支那人に

哀し劣るから、本柴は専ら新来の華僑に依って行はれるのが普通である。

金貸巣窟品して土人から最大の信械塞けてゐる。蜜望人が彼等・の・馬に犠牲にされてゐるので雪がそれ

をも筑付かないのである。

鱒僑の繭印に於ける経済的地位忙就て 二九≡︶叫〇三

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二九四︶−〇四 筒十二巻 第二 鮮 蘭印に於ては庶民金融磯路に乏しいから期る金融細緻は重賓で和も、それは風将に行はれ、借用にも返済にも 何等の詩文をも鱒交さない。更に金貨業者は町々期限を攣更して出来るだけ債務者の事情に適合する様に努め る。金貨業者は多く反物行商を兼ねその反物を観で労るを普通とする。斯くして彼等は燐金買或は負債の現金返 済よりも長期に官り信相関係を持続することを沓ぶ。 斯る信用の金利は一定ではない、今叔も普通の貸付方法に就て見ると、 ・イ 朝〓盾貸晩に二〇五倍返済 口 一盾の貸付を十二週に凰沸する場合は柵週十セント ︵ 五眉の貸付を三十日に風沸する場合は州日二十セり/ト 此の組繚に封する最大の非難は唯だ高利であるといふことよりも寧ろ大佐の借用者は、その借用金を返済し得 ないこと是である。延滞及び負債の更新の馬、負債利子の仕梯に追はれる。例へば元金十盾倍りると利子とトて 月二盾も仕彿はなければならない。此の弊害を除く馬に、期る高利の取極めは法律上無効とされてゐるけれども 斯る事件は、めつたに債務者に依て法廷へ持出されないから此の規定は重文に等しい二尚利貸柴卦に封する関係 を秘密にして遅くことが負債者の璃であることが多い。それ故に彼等は此の負債者の弱鮎につけ込み負債者を恐 喝し、或は叉彼が貸した金叡以上のものを強制的に支彿はしむる馬法廷へ持旧すことがある。 一般に是等華僑高利貸の背後には、組緻的大規模金融業者が存壷するものと想像されるところであるが、往々

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彼等相草間に窮辱が行はれるところから見ると、斯る想像は眞賓でないらしい。支那から新しく渡解し高利貸弟 を開始せんとする者は、多く斯る同郷の政令へ入り、二年計り徒弟見習をなした後螢柴資金を得るのが普通であ る。 戯沸金励に放て信ずべき統計が無いが恐慌後非常に東棟したことは確賓である。それは爪蜂に於ける公設質屋 に依る貸付が劇九三〇年二慣七千二旦串原から叫九lニ凶年五千八百馬借に減退したことより推察して、犬髄の傾 向が窺知される。 次に叉顆梯金貸発着が任なりの質入詑を買集めるのを見る。彼等の質物を期限内に請出し得ない土人は質物が 利子と借用元金とを、合計した額より高憤汝藩のであつても、その質札を膏つて幾何かの金を得る事を有利と考 へる。此の差額は質入品を講田した質札の買手の憤に入ることになる。此の仕事は非常にぼろい儲となるので、 或地方に於て是を本職となす華僑すら居る。︵未完︶ 準備の蘭印に於ける経済的地位に放て ︵劇九鱒ご∩諒

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