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アスペクト形式「ている」を伴う可能動詞句の意味と特性

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アスペクト形式「ている」を伴う可能動詞句の意味と特性

The Meaning and Characteristics of the Japanese Potential Verbs with Aspect Form teiru

川端 元子†

Motoko Kawabata

Abstract: As a general rule, the potential form of verbs, which is a stative predicate, cannot be used with the stative descriptive teiru. However, in actually, such expressions often appear in conversational Japanese. In written text, with the exception of direct quotations from conversation, these expressions are almost completely absent. Thus, this study examined both the ability-related meaning of ‘potential-form + teiru’ and teiru itself to investigate the context in which each expression appears, the implications of the expressions, and the reason for their tendency to be used only in conversational Japanese.

The study results revealed the following three properties of ‘potential form + teiru’: 1. It acknowledges the actualisation of a certain state through the actions of the subject. 2. That state implies a Positive evaluation of an expected way of being. 3. As it describes the resultant state of the subject’s actions, the content of the positive evaluation is not specified.

These properties reveal that the information transmitted by the expression has a tendency towards ambiguity unless its implications are limited by adverbial phrases or by the situation of speech. It is for this reason that it is not used in reports or other context that demand greater objectivity.

1.はじめに 「読める」「書ける」などの可能動詞や、「想定できる」 「対応できる」などのサ変動詞+「できる」、さらに、「食 べられる」「起きられる」などの「られる」を伴う述語は、 状態を叙述するものである。したがって、動作の局面を 表して状態性をもたせる「ている」とは原則として共起 しないとされてきた。 しかしながら、可能動詞や可能形とともに「ている」 が出現する次のような例も存在していることも確認され ている。 (1) 結果は中飛となるも「最後の打席は割とよかった。 若干差し込まれているけど。自分の間で打てている」 ときっかけをつかんだようだった。 (http://www.nikkansports.com2015/03/10) (2) 「道路」があるから自動車、バイク、その他が道 † 愛知工業大学 基礎教育センター(豊田市) を走って、自分が行きたい目的地に行くことができ ている。(S) (3) 口を開けながら歌っていませんか?本当はちゃん と歌えているのに音痴に聴こえてしまうその理由 (Blog http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2012/03) これらはそのほとんどが、会話や日記や独話などを含 む話し言葉的な文章や、文章中に会話を直接引用した箇 所に出現する。すでに竹沢(2014)1)や山岡(2003)2) は、この表現の意味について、可能を表す語彙の特徴と アスペクト形式「ている」の意味の両面から考察してい る。しかしながら、なぜ説明的な文章にはほとんど出現 せず、会話のなかで用いられやすいのかなどについては、 管見する限り十分に分かってはいない。 そこで本稿では、会話中に出現しやすい理由について、 形式の意味を整理した後、「可能動詞・可能形+ている」 (以下、「可能形式+ている」と表記)が用いられる発話 環境から考察する。これらをもとに表現が出現する条件 とその表現を用いることによって表される発話の意図・

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含意について明らかにするとともに、客観的な情報伝達 を行う文章語として不適切であることを示す。 2.先行研究での説明 2・1 可能形式の特徴 町田(1989)3)では、「できる」「読める」などの可能 動詞は、主語の能力を示すもので、意味的には状態動詞 に属すると述べる。さらに、「能力というのは、主語に備 わっている一種の属性であって主語が存在するあらゆる 時点で真である場合と、主語に一時的に備わっている場 合がある」と述べている。 また、可能動詞は状態性の高い動詞なので、基本的に はアスペクト形式の「ている」を伴わないこと、伴う場 合は、「発話時点における状態ではなく、『結果の継続』 を意味するのが普通である」としている。 (4) 花子は文章がよく書けている。 (用例は町田 1989、下線は筆者による) (5) *太郎はその映画を鑑賞できている。(〃) したがって、(4)のように主語の一時的な能力を示すよ うな終結点を持つ場合には、結果の継続の意味になるた め、「ている」が付けられる。しかし、(5)のように、 発話時点で事象の結果が真であることを知覚するのが難 しい場合には不自然になる。結果が目の前にあって、知 覚することができるのとは異なるからと説明している。 ただし、(5)も副詞「(その年でもう)十分に/立派 に」を用いて、「太郎は{十分に/立派に}その映画を鑑 賞できている」とすれば許容度は上がる。この点から、 発話環境や前提によって許容度が変化するものであるこ とが分かる。 2・2 可能形式の意味素性 では、そもそも可能形式を用いた文とはどのようなも のか。井島(1991)4)は、可能形式を用いた文の特徴と してあげているものを以下に示し、これらの特徴をもと に可能文が状態性の述語に近いとする。 (6)①裸形(助動詞などがつかない、辞書に載っている 基本形)で現在を表すことができる。 ②時間を表す副詞句は原則として共起しない。 ③テンス・アスペクトを表す付属形式は共起しにく い。 ④「…ようになる/する」のかたちで変化を表す動 詞に変換することができる。 ⑤比較の基準「より」や程度副詞、程度を表数量詞 と共起することができる。 その一方で、「は」を挿入した際に、「彼女は美しくは あるが、…」ではなく、「フランス語を話せはするが…」 のように動作性の述語と同じ姿を持つことを指摘し、可 能文をつくる動詞には意志性があるとする。また、③に ついては、動作の実現という局面で「ている」がつく例 をあげ、アスペクト形式が「〈可能〉に関わるのではなく むしろ動作の実現に関わる」と述べている。 そこで次の例を見てみよう。(7)の可能形式は「裸形」 だが、ここでの可能形式の意味は、実現する可能性や実 現するための能力チャンスを持っているという潜在的な ものであり、テンス、アスペクトの形式や副詞句ととも に用いたとき、実現されたことを表す表現になっている。 (7) 私はピアノが弾ける。〈能力・潜在する可能性〉 (8)aよし、うまく弾ける/うまく弾けた。 〈可能〉+〈実現〉 b これは十分うまく弾けている。〈可能〉+〈実現〉 ただし、次の例では、発話時点において動作は実現さ れているわけではない。 (8)’ けがさえなければちゃんと弾けている/弾こう と思えば弾けているはずだ。〈可能+実現?〉 上の例の「弾けている」は「弾ける」と同じく動作の実 現には無関係で、あくまで動作の結果として設定された あり方を表示したに過ぎない。これについて、井島(1991) は「可能文が実現された自体を含意するということは、 〈可能〉という潜在的な意味とは矛盾しているのだから、 あくまで付加的なものであるはずであり、実現された事 態の方が表面化すれば〈可能〉の意味は背景化して、『結 果的に生じた出来事』というようなニュアンスを表すよ うになり、〈自発〉へと連続していくように思われる」と 述べる。 「可能形式+ている」は、ある動作の実現を述べるの ではなく、動作によって出現した状態がそこに存在して いると確認したことを述べる表現であり、その否定形「可 能形式+ていない」はその状態が存在していないことを 述べる表現である。 2・3 「ている」を伴うことの意味 アスペクト形式「ている」には、前接する動詞の性質 も含めて多くの研究蓄積がある。それらを概観すると、 大きくは進行中(継続相)と結果の継続(完成相)の意 味に分けられるが、いずれもある動きや状態の持続され ているようすを表すものである。これについて森山(1988) 5)では、広い意味での動きの「持続」のなかに、「過程(動 きが運動として展開している期間)」、「結果持続(動きの 結果が持続的である場合)」、「維持(動きの結果の保存が 主体的に行われる前二者の中間的なもの)」の三つが大枠 として示されている。さらに、動詞自身の性質や共起す る副詞句などによって、当該の文(動詞句)のアスペク トの意味が規定されるとの指摘がある。これより、「アス ペクトの現象を包括的かつ統一的に扱おうとするならば、 動詞の意味を中核にしつつも、副詞や格成分の意味も含 めて、出来事をあらわすレベル全体の意味を考えるべき ではないだろうか。アスペクトとは、出来事全体の時間

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的様相をとらえるものなのである。」(森山 1984)6)と主 張する。 実際に、「可能形式+ている」が文中で許容される場面 では、先にも述べたように、副詞句や格成分によって差 が生じることも少なくない。本稿においても、それらを 考慮した出来事全体を捉えて考察する。なお、「三日前に は歩けていた」や「さっきからずっと歩けている」の場 合,「ている」の意味は「記録・経験」と「動作の進行」 などと区別されるが、「可能形式+テイル」の意味を考え るにあたっては、特に考慮する必要はないと考える。む しろ、「可能形式+ている」が許容される場合には、専攻 研究でとりあげた例でも「うまく」「きちんと」「十分に」 などの肯定的評価を表す副詞句を伴うことが多いため、 そこに注目する。 2・4 「ている」を伴う可能形式について 山岡(2014)7)は、可能動詞の基本形は「属性叙述」、 「可能形式+ている」は「状態描写」として、その相違 点を述べている。さらに、「私は休める」は、主体が「休 む」能力を持っているのではないことや、「泳げる」も多 義的で、主体に能力があることとともに、「許可証を持っ ている」といった可能性を実現するための何らかの要因 があると読めることを指摘している。つまり、可能動詞 の「属性叙述」には、主体にその能力があるという主体 自体の状態について述べる側面と、「見張りがいなければ 逃げられる」のような、主体の置かれている場面がその ような性質を持っている状態であると述べる側面を持っ ていることになる。このことは、先述の意味を探るため に文に描かれるできごと全体の様相を見る必要があると する森山(1984)の指摘の重要性を再認識させる。 竹沢(2014)は「ている」を伴う可能動詞や可能形に ついて、進行相解釈を持つタイプと結果相解釈を持つタ イプの二種類に分類して、それぞれの特徴を説明した。 (9) 今日はフォワードの選手がよく動けている。 [進行相解釈](竹沢 2014) (10) そのぞうきんはきれいに縫えている。 [結果相解釈](竹沢 2014) 「進行相解釈」とは動作の継続を表し、「結果相解釈」と は、結果状態の継続を表すものである。前者は、主体が 有する潜在的な能力や可能性が実際の行為として実現さ れつつあるという意味での動作の継続を表す「事象叙述 文」となる。後者は、文中に明示されていない主体の行 為の結果が客体の質として実現された結果状態の継続で、 「属性叙述文(動詞が表す行為によって引き起こされた 結果状態に基づいて特徴付けを与えられたもの)」と区別 した。 なお、山岡(2014)が可能動詞を用いた「ている」の ない文(井島 1991 の「裸形」)を「属性叙述」とし、竹 沢(2014)が「可能形式+ている」文のうちの1タイプ を「属性叙述」としているので、誤解のないように整理 しておく。これは、両者において「可能形式+ている」 文の性質を規定する比較対象が異なるために生じた問題 であり、矛盾しているわけではない。竹沢(2014)の「可 能形式+ている」の「属性叙述」とは、「能力の所有とい う特性が実際の活動として具現化したことを表している と捉えることができる」ものである。これは、あくまで 主体の行為の結果として生じた客体の変化した状態であ る。その意味では、山岡(2014)が「可能形式のみの場 合は主体に備わる能力として叙述するものとし、これに 対して「可能形式+ている」文を、主体や客体に生じた 変化やそれらに実現した状況を示している状態叙述とし ているのと同じと言えよう。 2・5 「可能形式+ている」の特徴と課題 以上をもとに、「可能形式+ている」に関する特性を整 理しておく。なお、以後本稿では、可能形式が、主体の 行動を通して主体の潜在的な能力や主体の行動や動作を 具現化することを、ある状態の「出現」、それが具現化し たことをとりあげることを「認定」という用語に便宜上 統一する。 (11)「可能形式+ている」の特徴と課題 ①潜在的な可能性が行動の遂行を通して出現したある 状態の存在を認定する。 ②動作や行為が進行中か完成した結果かを問わず、何 らかの状態が持続した状態であることを示す。 ③出現した状態は、程度やできばえを評価する副詞と ともに用いられる傾向があるため、意味や性質を分 析するには、は副詞や格を含んだ述語文の全体像を 見る必要がある。 なお、ある状態が出現することを認定する場合、共起 する副詞は肯定的な評価をするタイプであるため、出現 した状態は何らかの評価を帯びていると考えられる。し かも、可能形式自体は肯定的な意味を持つものだけとは 限らないので、肯定的な内容に偏る点も「可能形式+て いる」の特徴を示していよう。ある状態の出現を認定す るにあたって、その状態が存在すること自体が何らかの 肯定的価値を持っている可能性がある。 3 未整理な「可能動詞+ている」 3・1 「話し言葉」的な表現という認識の存在 冒頭にも述べたように、「可能形式+ている」の使用例 や、竹沢(2014)や山岡(2014)が許容できるとして用 いる用例は、会話やインタビュー記事のなかで見かける ことが多い。また、「ている」ではなく「てる」を伴うも のもあり、話し言葉的な表現とみなすことができよう。 たとえば、香川選手が試合後のインタビューで「集中 できていなかったなと。試合に入りきれなかったんじゃ ないかと思います」と答えたとされる取材記事のタイト ルは、発信者によって異なる編集がなされている。

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(12) 前半だけで交替させられた香川「集中できていな かった」と反省。(http://www.goal.com/jp/news/123/ ドイツ/2015/03/08) (13) 精彩欠き前半で交替の香川「集中出来ず、試合に 入りきれなかった」 (http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20150308) (12)は、インタビュー中のことばをそのまま用い、(13) はインタビュー内容を編集している。後者は、集中でき なかったこと何を捉えたものか、発話の場面での意図を より分かりやすく整理している。その意味では、より書 き言葉的と言えるだろう。 さらに、次の(14)は、大学生がレポートを作成する にあたって、読んだ資料(15)を引用する際に表現を変 えている箇所である。 (14) 「法政大学の食堂では 14 人に一人の割合でしか食 事できていない」ということだ。(S) この、元になる資料には次のように記述されている。 (15) 座席数の合計は、1,072 席であり、仮に市ヶ谷キャ ンパスにいる学生全員がランチタイムに学生食堂 で食事をしようとすると、約 14 人に 1 人の割合し か学生食堂で食事をとることができない計算とな る。 (http://hirata-seminar.ws.hosei.ac.jp/seminar2008_1.pdf) (14)は引用符つきになっており、まとめるにあたって 意見の引用という体裁を意識したと考えられる。その分 カジュアルな言い方になっている。 ここでとりあげた例は、発話を会話体のまま引用する か、いったん内容を整理して記述するかといった手法の 相違にすぎない。しかしながら、整理された文章におい て「可能形式+ている」がほとんど出現しないのは、表 現として未整理な面があるからであり、発話の場面に依 存する度合が高いからと考えられる。したがって、「可能 形式+ている」の意味を理解するために、ともに用いら れている語句や出現のパタンを含む全体像を捉える必要 があろう。 3・2 「可能形式+ている」の主観的側面 話し言葉的な表現の出現する大学生のレポートにおい ても「〜することができている」はほとんど見られなか った。では、「可能形式+ている」が持つ先ほどのよう な意味を表現したいときに、書き言葉としてはどのよう な置き換えがなさるのだろうか。いくつかの例をとりあ げて置き換えてみよう。 (16) 「ショットもパットもイメージ通りに打てている し、チャンスはある。」と上位を見据えた。 (http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/02/20) (17)「皆さんのおかげで私は歌えてるんだなって思いま す」と喜びを表した (http://natalie.mu2012/12/24) (17)’ 絢香、二年ぶり復帰で感無量「歌える喜びを感じ た」(http://www.oricon.co.jp/news/2005056/) (18)「4年がたったけど、まだまあ元通りの暮らしに戻 れてない方もたくさんいる」 (http://www.chunichi.co.jp2015/03/10) (16)の「打てている」は「打てることが続いている」 「打てるようになっている」、「打てる状態である」(17) は(17)’のほかに「歌っていられる」「歌える今があ る」、(18)は「戻ったといえない」「戻るところまで いていない」などに置き換えられるだろう。ほかにも、 「経験できている」は「経験している」、「解決できて いる」は「解決に至っている」「解決済みだ」、「使え ている」は「使いこなしている」などが考えられる。決 まったかたちではなく、それぞれ文意にあわせて言い換 えられるだろう。 その選択は述べる時の視点と関わる。主体の行動に視 点を置いて述べるならば、主体が何か行動してある状態 を達成することを表す述べ方をとる。すなわち、「使い こなしている」「経験している」といった「主体が〜を している」となる。これに対し、できごとに視点を置い て「ある状態が出現した」のように述べるのが、「打て ることが続いている」「解決に至っている」のような述 べ方となる。 「可能動詞+ている」はその両方の視点を持っている。 主体の行動をとりあげながら、それによって出現した状 態を認定するとので、動作する主体に視点をおいてのべ ることも、出現した状態に視点をおいて述べることもで きる。ただし、状態の出現を判断・認定するのは発話主 体(内容の説明者)であり、たとえ自分が動作主体であ っても文中に示された動作の主体としてではなく、それ を認定する第三者の立場となる。そのため、ものごとを 述べる際に説明者の評価が入る主観的なものとなる。こ れは「ている」の特性でもあり(山岡2014)、「ている」 は「彼は悲しんでいる(cf.*彼は悲しい)のように、「人 称制限」を解除し、感情描写をする動詞とともに用いて、 「私は怒っている(cf.*ああ、怒る)」のように「語彙 制限」も解除して、客観的な叙述を可能にする。 このように、「可能動詞+ている」は、客観的に述べ る側面を持っている「ている」を用いつつも、何かを説 明する文章としては客観性にかける性質を持つ。 3・3 話し言葉から書き言葉への橋渡しをする表現 文章中に「可能形式+ている」は出現しにくいが、動 詞「できる」に「ている」のついた「できている」は出 現することがある。 (19) 世界は言葉でできている。 (http://www.fujitv.co.jp/b_hp/sekai) (20) なぜ宇宙はこんなにも人間に都合よくできている のか──宇宙の謎がよくわかる、村山宇宙論の決定版。

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(http://www.amazon.co.jp/宇宙は なぜこ んなに うま く できているのか-知のトレッキング叢書-村山斉) 上の「できている」は「作られている」や「成り立って いる」と同じような意味を表す動詞である。この「でき ている」も、タイトルや問いかけに出現する例も多く、 文章用の表現とは言い切れない。 なお、「できる」は可能動詞ではないが、可能動詞を名 詞と動詞に分割した「〜(す)ることができる」や「〜 (す)ることが可能だ」の形式は出現する。 (21) スムースに食事を取ることができれば、午後の授 業を気持ちよく受けることができる。(S) (22) 今では、筆圧、傾きなどの感知、各々のソフトペ ン設定などにより、まるで紙に書いたかのような仕 上がりにすることも十分可能である。(S) これらは、大学生が作成したレポートに出現した例で ある。いわゆるラ抜きの可能形式を使うのを避ける役割 を持ち、「れる」「られる」を用いた受身や自発などと区 別して、文章の意味を明確にする。この場合の、「できる」 は、ある状況に「達している」、あるあり方を「達成して いる」、「成立させている」といった意味に置き換えられ るものである。「可能だ」は可能性の存在を述べるモダリ ティ形式の一種であるが、両者は(22)のように分割さ れた語句のあいだに副詞句を挿入でき、達成度や可能性 の程度を修飾できる。 このような可能形式を二語以上に分割して表現するこ とは、「できる」や「可能だ」以外の表現を用いる工夫へ とつながる。 (23) デルガードは、軸内部に芯を誘導する部品を取り つけることで、芯がつまるという不満を解消させる ことにも成功した。(S) このような語句を複数に分割して示す方法も、〈動作主 体視点〉と〈できごと視点〉の両方に対応する表現であ る。 4.「ている」を伴う可能動詞句の含意 4・1 「基準のクリア」を認定するということ 先にも見たように、可能形式の基本形は、前者が主体 の持つ能力やある状態を出現させる環境の存在をあらわ す表現であり、「可能形式+ている」は、主体の行動を通 して出現するある状態を認定するものであった。会話に 主に出現する後者は、レポートなどの文章では一部は前 者に置き換えられていると考えられるが、表現としてど のような違いが生じるのだろうか。 (24)“女優”前田敦子、「やりたい道を歩けている」と脱 退後の想い明かす。 (http://www.cinemacafe.net/article/2014/10/09) (24)’ やりたい道を{歩ける/歩けた} (25) 初回に西村から左前適時打を放ち「初球から打て ているのは、打ちにいけている証拠」と一定の手応 えを口にした。 (http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/02/12) (25)’ 初球から{打てる/打てた}のは、{打ちにいけ る/打ちにいけた}証拠 (24)(25)は出現した状態が発話時点で継続されている ことが分かる。これに対して(24)’や(25)’は、時間 を超越したものか、過去の一時点でのできごとと読める。 次の場合は上の例とは少し異なる。 (26)aあの頃の二人に戻れているならば、やる直せる。 bあの頃の二人に戻れたならば、やり直せる。 (26)では、abのいずれであっても大差なく見える。 しかし、b は「戻れた」という状態の出現を条件として 設定する。出現した結果状態の保持ならば、原則として 逆行は無い。他方aは、「ている」が一定期間の継続であ るため、結果状態の継続であっても終了地点が存在する。 その時点の状態が「戻れた」といえる状態であるかどう かの認定が、その都度行われる。相反する「戻れていな い」状態も想定しているからこそ、出現する状態の認定 という意味を持つ。 では、「可能形式+ている」ので認定される「状態の継 続」とはどのようなものか。「戻る」や「歩く」は動作の 継続や状況の進展が分かりやすいが、「打つ」は瞬間的に 完成する動作であるため、「打てている」は何度も繰り返 し同じ状況が出現していなければ「継続」とならない。 「打てた」という状態が繰り返し出現する必要がある。 「歩けている」についても、主体がもつ潜在的能力を実 現した状態が継続しているのが「歩ける」に対して、「歩 ける・歩けた」という状態の出現を認定し続けているの が「歩けている」である。 そこで、「守る」とも「守っている」とも置き換えら れる「守れている」をとりあげてみる。 (27) 自転車での一時停止とは“片足を地面につく” ことです。ただ、実際にこれを守れている人はかな り少ないので、この項目で摘発されることが一番多 くなるかもしれませんね (週プレNews2015/02/14 http://news.livedoor.com/article/detail/9784917/) これまでの考察をふまえると、「守れている」の意味は は次のように整理できる。 (28)a「守れた」という結果状態を維持・継続してい ると認定すること。 b「守れた」と評価できるボーダーラインを何度も クリアし続けていると認定すること。 たとえば、一度「知る」と知識となるため、その状態 は永続性がある。したがって、「知っている」の否定は 「知っていない」ではなく「知らない」となる。「守る」 の反対は「守れていない」であり、「(灯りが)点いて いる/点いていない」と同じ可逆性をもつ関係にある。 異なるのは、認定の基準である。「守れている」の認定 は出現した状態が「守れた」と判断する基準をクリアし

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たときに認定される。ただし、「守れている」の認定は、 何らかの根拠があるとしても判断の基準の設定に自由度 が高いため主観性をもつ。「灯りが点いているつもりだ が、実際のところ点いていない」が不自然なのに対して、 「守っているつもりだが、実際のところ守れていない」 は表現として可能である。つまり、目に見える現象を根 拠にしている「点いている」は属性叙述であり,このタ イプがもつ客観性が「可能形式+ている」にはない。 以上、「可能形式+ている」の意味における〈結果状 態の継続〉ということは、基準となる状態の実現を繰り 返して認定することでもあった。そして、基準となる状 態が客観的でない場合には、認定する主体の主観性が反 映することとなる。 4・2 「出現する状態」とは何か では、発話の中で認定する〈出現した状態〉であり、 クリアすべき基準とは何だろうか。先述の例を再度見て みる。 すでに述べたが、「可能形式+ている」には、「きれ いに」「よく」「上手く」「きちんと」「ちゃんと」な どの副詞句がついていることが多い。 (3) 口を開けながら歌っていませんか?本当はちゃん と歌えているのに音痴に聴こえてしまうその理由 (http://logs.itmedia.co.jp/nagaichika/2012/03) (29) 「去年より、全然動けていますし、順調にきてい ると思います。」 (http://www.nikkansports.com2015/01/19) ここでの「歌えている」や「動けている」は「歌ってい る」や「動いている」と同じではない。「歌っている」 や「動いている」のが前提で、その動きの程度やレベル を問題としている。 (30) 鋭く当たった立ち合いから、相手の反撃をいなし て、引き技にも落ちずに足を運んだ。「 全体的に、 思うように動けているのがいいんじゃないですか」 と表情も落ち着いている。 (www.sanspo.com/sports/news/20150312) また、「可能形式+ている」表現を含む発話の意図を 補足した例もある。 (12) 前半だけで交替させられた香川「集中できていな かった」と反省。(http://www.goal.com/jp/news/123/ 2015/03/08) (31) 左サイドを突破して倉田のゴールにつなげた FW 宇佐美は今季初めて 90 分プレーし「 去年より動け ている」と手応え。(www.sponichi.co.jp 2015/02/06) (12)では「反省」が状況を否定的に捉えていること、 (31)では肯定的に捉えられていることが「手応え」 によって分かる。(12)は取材談話の部分的に引用 した記事タイトルであり、取材を受けた当人は、取 材の中で「集中できていない」状態の要因とそれが 表す意味を、試合に対する自身の精神的な構えの問 題だと言い直している。集中していないつもりはな いが、集中している時の理想的なあり方とは異なる 状態だと認定せざるを得ない、そのような自己評価 が見てとれる。 次の例は「イメージ通り」がカギとなっている。 (16) 「ショットもパットもイメージ通りに打てているし、 チャンスはある。」と上位を見据えた (http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/02/20) 「全然(レベルが違う)」「思うように」「イメージ通 り」などの副詞句は、修飾する動詞句の程度を評価する にあたって、求められるあり方を目標値や基準値に設定 していることを示している。 このように、「可能形式+ている」が認定する〈出現 する状態〉は、期待されるあり方であり、それに該当し ているかどうかが認定の基準となっている。単なる動作 の実現ではなく、期待されるあり方との比較を行い、期 待されるあり方を達成しているというときに認定される。 したがって、「可能形式+ている」は「動詞できる+てい る」と同じく、ある状態を達成していることから来る肯 定的評価を含意する。 4・3 可能形式が持つ含意 すでに見たように、「〜できる」とは主体の持つ能力 を具現化させること、そのチャンスがあること、そうす るに足る環境条件が整うこと、などの意味があった。主 体の行動を通して出現した状態は、主体のことのみなら ず主体を取り巻く環境のことをも評価していることにな る。たとえば(31)は自己評価以外の意味も考えられる。 (31) 左サイドを突破して倉田のゴールにつなげたFW 宇佐美は今季初めて90分プレーし「去年より動け ている」と手応(www.sponichi.co.jp2015/02/06) (24)“女優”前田敦子、「やりたい道を歩けている」と脱 退後の想い明かす。 (http://www.cinemacafe.net/article/2014/10/09) サッカーはチーム競技であるため、1 人のフォワードの 動きだけで試合は決まらない。その 1 人の動きの評価は、 連動してチームそのものが機能してはじめて評価される 場合もあるだろう。その意味ではチーム全体の動きや試 合の進め方を評価している場合もある。したがって、主 体の行動によって出現する状態を肯定的に評価したとし ても、何について評価したのかに応じて期待するあり方 も異なるため、含意に幅が生じる。 また、(24)の「歩けている」は言い換えが難しい。 それは、述べようとしていることが、主体自身の問題か、 環境条件のことか、それ以外か、そのすべてかについて、 詳しい情報が無ければ限定できないからである。「歩く」 ことができているかどうかだけでなく、「歩いている」 自分と「歩く」自分の意志、それをサポートする周囲な

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どによって「歩かせてもらっている」という意味が含ま れているという読みも可能である。 さらに、「可能動詞+ている」には、その語句の使用 者の独自の評価が組み込まれる。 (25) 初回に西村から左前適時打を放ち「初級から打て ているのは、打ちにいけている証拠」と一定の手応 えを口にした。 (http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/02/12) (33) 福原美穂は、今日本の中で最も、“歌えてる”シ ンガーのひとりだと思う。星の数ほどいるシンガー の中でも、彼女の場合はしっかりと“歌えてる”。 “歌えてる”というのは、上手いということはもち ろん、その歌に込めた想いを、またそれ以上のこと を、きちんと聴き手に伝えることができるというこ と。 でも彼女はもっと“歌える”はずだ。ものすごい 高性能エンジンを持っているのに、まだそれを生か しきれていない…個人的に今までそんな風に映っ ていた。(http://www.oricon.co.jp 2011/05/11) 上の例において、「打てている」や「歌えてる」の状態 の出現は現象として捉えられるが、通常、認定する主体 が期待しているあり方は当人以外には知り得ない。(33) において「歌えてる」ことと「歌える」能力があること が区別されている点が、それをよく示している。期待さ れるあり方を目の前にある主体の行動に象徴させている と言える。そのため、特定の場面や評価基準を共有でき 場る面でしか共通理解できない。したがって、文章で説 明する場合などは、場面や情報を共有しない相手を設定 して、その情報や具体的な評価を示す必要がある。 このような「可能動詞+ている」が一定の定着を見て いるのが、「いけてる」「言えてる」である。「いけて る」は「いける+ている」であり、「行く」由来の「い ける」は「これはいける、とても美味しい」や「いける 口だ」、「へえ、サッカーもいけるのか」のように、上 手くやれることや、酒が相当飲めること、料理などがお いしくて、箸がすすむことなどを表す。実際使用されて いるときには「いけてる」は「いける」や「いかす」と 同じような意味で用いられ、「格好いい」などのいみも 持つ。「言えてる」は、相手の言うことに対して、まさ にその通りで同意だ、それは上手く表現したといった意 味の「言える」とほぼ同じように使われている。いずれ も一種の複合語として用いられ、これらの「ている」は 「そびえている」「優れている」などと同じく単なる状 態を表している。両者は、その意味の理解に必ずしも補 足情報を必要としないという点で、表現として固定化さ れつつあると考えられる。 5. むすび 以上、「可能動詞+ている」には次の三つの性質のあ ることが明らかになった。 (34)①主体の行動をとおして、ある状態が出現している ことを認定する。 ②その状態は、期待されるあり方として肯定的な評 価を含意する。 ③主体の行動の結果状態を描写するものであるため、 肯定的な評価の内容が具体的に示されることはない。 なお、期待されるあり方は、眼前に出現した現象や結 果をとりあげて、それを導いた主体の能力や主体の置か れている環境条件を象徴させているため、多義的になり がちである。 これらの性質から、この表現は、副詞句や発話環境に よる含意の限定が無ければ伝達情報が曖昧になりやすい ことが明らかになった。また、主体の行動をとりあげつ つも、それによって成立した状態を述べるため、主体の 行動に視点をおいた側面と出来事のあり方を述べた側面 の両方をもつ。レポートなどの客観性を要求される場面 で用いられないのも、このような「可能動詞+ている」 ではなく、視点と意味を確定させた客観的な表現が選択 されることになるからと考えられる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 参考文献 1)竹沢幸一:「可能形+テイル」構文の統語と解釈,第 39 回日中理論言語学研究会発表資料,2014 2)山岡政紀:可能動詞の語彙と文法的特徴,日本語日 本文学(創価大学文学部),13,1-36,2003 3)町田 健:日本語の時制とアスペクト,アルク,p31, 東京,1989 4)井島正博:可能文の多層分析,日本語のヴォイスと 他動性(仁田義雄編),くろしお出版,149-189,1991 5)森山卓郎:日本語動詞述語文の研究,明治書院,東 京,138-141,1988 6)森山卓郎:アスペクトの意味の決まり方について, 日本語学,3-12,70-84,1984 7)山岡政紀:文機能とアスペクトの相関をめぐる一考 察——テイル形の人称制限解除機能を中心に−−,日本語日 本文学(創価大学文学部),Vol.24,27-39,2014 用例出典 用例末に(S)とあるものは、愛知工業大学「日本語リ テラシー」2015 年度後期受講者の提出レポートより、そ の他は、検索エンジン google を用いてウエブサイトより 収集した。 (受理 平成 27 年 3 月 19 日)

参照

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