Trentt of COnュ Inercial Accumulation and Central Area′
s
RevitalizatiOn in Tsuyalma City
YAMASHITA HirOki
キ ー ワー ド
:商
店 街,中
心 市 街 地 活 性 化,地
方 都 市,津
山市 Key WOrds l shopping street, centrtt area′s revitahzation,local city, Tsuyttma city
Iは
じ め に
1.問
題の所在と研究目的
モータ リゼー ションの進展 した現代社会において,
日常生活 と密接に関連 した商業施設の立地は 大型化・郊外化 の一途 をた どっている。 こうした動向は十日来 の保護政策的な 「大規模小売店舗法 (以下,大
店法)」 では歯止めとはな らず,新
たな街づ くり3法
の制定 に至 った。新法制定 を前提 と した規制緩和が進んだ1990年代後半は,新
規 の大型店出店が各地で相次 いだ。他方,大
店法 によ る保護 を失 った中心市街地 の商店街は新たな 「中心市街地活性化法 (以下,活
性化法)」 の制定 に よつて地域活性化 のためのさまざまな施策 を検討・実施 している叱 このよ うな地域をめ ぐる法改正や新たな取 り組みは,『都市問題1998年
10月号』や 『都市問 題研究1999年
5月 号』で特集が組 まれ るな どさまざまな視点か らの研究が進め られている。 し か しなが ら都市地理学・商業地理学をは じめとする地理学か らのアプローチは必ず しも多いとはい えない°七 本研究で対象 とす る岡山県津 山市は1603年の津山城築城以来,県
北部の美作地方 の中心 として 機能 している。 しか し,当
該地方 において も商業施設の郊外化は市内のみな らず周辺町村でも進展 し,近
年津山市 中心市街地の中心性は急速 に低下 している。かかる商業環境のなか,津
山市では中 心商店街 をふ くむ中心市街地の中核部で再開発事業が実施された。 この再開発事業は全国でも早い 時期 に上記の活性化法の適用 を受けたために,各
地の中心市街地活性化事業 のモデルの一つ として 注 目を集めている。本研究では,中
心市衡地 と郊外 に立地する商業施設の詳細な立地分析か ら津山 市における商業環境の現状を明 らかにし,再
開発事業の成果 と問題点 を明 らかにしたい。 樹* 博 下 山 *鳥 取大学教育地域科学部地域社会講座2.津
山市 の地域概観 津 山市は,現
在 岡山市・倉敷市 に次 ぐ県3位
の人 口規模 を有 し,県
北部の中核都市 として機能 し ている (図 1)。 そ の起源は713年に美作国が設 け られ,そ
の国府が現在の津山市総社 に置かれた ことによるが,現
在 の津 山市 の都市 としての骨格はむ しろ1603年の津山城築城 にともな う城下町 形成 に強 く影響 を受けている。城下町の面影は津山城跡周辺 に現在 も残されている。城下町の南端 を東西 に貫流す る吉井川の対岸 に1923年に現在 の津山駅が設置 され,現
在では姫路 。鳥取・ 岡山 まで約1時間で結ばれるな ど,広
域的には瀬戸内 と山陰を結ぶ中間地点 としての役割 も担っている。 しか し,モ
ータ リゼーシ ョンの進展な どの影響か ら,近
年駅利用者数は減少傾向にある。津山市内 の公共交通機関 としてはバスが用意 されているが,運
行回数が少な く市民の足 として充分 に機能 し ているとは言えない。他方, 自動車通行量は増加傾向が続 いている。市街地か ら放射状 に伸び る国 道53号 をは じめ とす る5本
の国道は,周
辺 のH町
3村
との結びつきを強め津 山圏域°を形成 して いる。 さ らに1975年に開通 した中国 自動車道 の市 内に位置す る津山・院庄の両イ ンターチ ェンジ の利用台数は近年他府県か らの流入が増加す るな ど, 自動車交通量の増大 と広域化が進展 している と推察 される。以上のことか ら,津
山市で も他 の地方都市同様 に自家用車が市民の主要な交通手段 として利用されてお り,か
かる状況は津山市の都市構造 にも多大な影響を及ぼ していると考 え られ る。 また,近
年の津山市 における商業環境の変化 の一つ として,郊
外住宅地開発の進展 にともな う人 口郊外化 と,中
心市街地での人 口減少および高齢化が急速 に進展 している。郊外への人 口分散化は 旧城下町を中心 とした中心市街地周辺か ら国道な ど幹線道路周辺へ とその中心が移 る一方,市
北部 図1
研 究 対 象 地 域 資料:5万
分 の1地形 図 「津 山西部J 〃「津 山東部」 日発行) 日発行
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52%に縮 小 (平成5年6月 1 (平成7年4月 1│ G山 下 洵 m m 4 0 3 0 p O O
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図2
中心市街 地 の年 齢構成変化 資料 :津 山市住民課資料 によ り作成 で大規模 な開発が行 われ るな どそ の傾 向は一層強 ま りつつ ある。 他 方,中
心 市街地で の人 口減少お よび高齢化 の状況 は図2に
示す 通 りで ある。 ここで は 中心市街 地 の10の町 につ いて資料 の得 られ る1993年と1999年の年齢 階級別 人 口構 成 を示 した。そ の結果全 体的 な傾 向 としては若年層 の減少傾 向が顕著 である こと,反
面老 年 層で の減 少 は少 な く高齢 化 が進 展 して いる ことが分 か る。 この傾 向は商店街 をふ くむ 中心市 街地 の 中核 部 で 明確 に表 れて い る。 Ⅱ 津 山 市 の 商 業 立 地 の 動 向1.中
心市街 地 の形成 津山市は,そ
の圏域の物資の集散地 として機能 してきたために,卸
・小売業 とも古 くか ら発達 し, とりわけ中心市街地は高次の中心商業地 としての役割 を果た してきた。吉井川以北の中心市街地 に は旧出雲街道 を中心 に約360の店舗か らなる13の 商店街組織が連続 し,全
長約2 kmにわたって中心 商業地 を形成 している。中心市街地商店街の中核は一番街 。銀天街な どで高級感のあるアーケー ド とカラー舗装が施 され,高
級衣料品・身の回 り品な どの買い回 り品に特化 した店舗構成 となってい る。 また,多
数の医療機関が中心市街地内に立地 していることか らも,当
該地域が広域の後背地 を 灼 1 0 3 6 m 2 6 p ” i O S OⅢ
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)もつ高次の中心地であることを確認できる。 こうした多 くの一般小売店か ら構成 されていた中心市街地に
,大
型店 として最初 に立地 したのが ニテイ (現マイカル)で
ある。ニチイは中心商店街 の一つである銀天街 に1970年に立地 し,再
開 発事業によって撤退す る1996年 2月 まで営業 した。 また,中
心市街地の南東部 には1978年に広島 資本のイズ ミ (約12,000∬,駐
車台数950台 )力S,1989年
には北部の業務街 に隣接 して大手町デ パー ト (約4,500ゴ)が
立地 した。ニチイは食料品を中心 としたスーパーであるのに対 して,イ
ズ ミ 。大手町デパー トは衣料品 。文化用品な どを揃えた総合的な店舗 として機能 した。また,イ
ズミ・ 大手町デパー トは中心市街地の周辺部 に立地 したために中心商店街 とは競合 しなが らも,中
心市街 地全体か らみると大型店 と商店街 を結ぶ回遊性 を高める効果が認 め られた。 しか し,1990年
代 に な り郊外型大型店 の優位 が明 らか にな る と,中
心市街地 をめ ぐる商業環境 は大 き く変化 した。 1996年の大手町デパー ト撤退後,高
島屋 (約4,500∬)が
出店 したが,中
心商店街 内に再開発事業 として県 内資本の百貨店天満屋 をキーテナ ン トとす るアルネ津山がオープンする1999年 3月 に撤 退 した。 これは中心市街地 における商業環境の変化 に加えて,郊
外型の大型専門店 に対抗 しうる品 揃えが可能な店舗面積 を確保できなかったために,競
争力の弱い大型店が洵汰 されたといえる。2.郊
外店舗 の増加 と都 市構造 の変容 津山市の都市構造は, これ まで城下町 として役割 を果た してきた中心市街地にさまざまな都市機 能が集積 し,幹
線道路が中心市街地か ら逆T字
状に郊外 に延びる形で形成 されてきた。市域の東西 を貫流す る吉井川以南 に平坦地が少な く,そ
の吉井川 にそ って国道53号線が市街地 を横断 してい ることと,中
心市街地北端の津山城跡 を中心 に行政・文化施設が立地 していることな どがその要因 になっている。 こうしたシンプルな都市構造 をもつ津山市 において,1970年
代以後 中心市街地周 辺での住宅地化の進展 にともなって郊外への人 口分散が顕著 となった。 こうした郊外の住宅地化に 大 型 店 ∼500ド 500∼3,000席 3.lllXlド∼ スーパー(複合 店ふ (む) ホームセンター・家具 コンビニエンスストア 買 い 回 り 品 店 最 寄 り 品 店 飲 食 店 レ ン タ ル シ ョッ プ* *
日 ■ θ zⅣ
半
□ ○ 図3
大型店および主要郊外型店舗の立地状況ともない1970年代末か ら食品スーパー を中心 とした郊外型店舗 の立地が顕著 とな り
,中
心商店街 と郊外型店舗 の競合が明確化 した。その先駆けとなったのが1977年に国道53号線沿 いにオープン した 「イース トラン ド (約4,900∬,1999年
12月現在改修工事 中)Jで
ある (図3)。 続 いて1982
年 には 「ウェス トラン ド (約6,000ゴj駐
草台数600台)」 がオープンし,中
心市街地 をはさんだ東 西に食品スーパーを核 とした郊外商業核が相次 いで形成 された。比較的早 くか ら住宅地化が進んで いた中心市街地以北の地域では1960年
代後半 には比較的小規模 の食品スーパーが立地 していた。 そのためにシ ョッピングセ ンター型 の商業集積 として 「ノースラン ド (約3,500,駐
車台数276
台)Jが
本―プンしたのは1997年と比較的遅かった。 これ らの郊外商業核は共通 して食品スーパー をキーテナ ン トに生活雑貨, レンタル シ ョップ,軽
飲食店な どか ら構成 され,地
域住民の生活利便 性の向上に寄与 している。 他方,1990年
代 になるとホームセ ンター,家
電製品,紳
士服な どの大型専門店や ファミリー レ ス トラン・ ファース トフー ドシ ョップな どが中心市街地 と東西の郊外商業核を結ぶ沿線に多数立地 し, ロー ドサイ ド型の郊外集積地区を形成 しつつある。 また,1996年
には市街地東部の中国 自動 車道 津 山イ ンターチェンジ付近 にジャス コ津山店 (15,500)が
立地 した。 ジャスコは約40の 専 門庁 と1,700台の駐車スペースを有す るな ど強力な吸引力 をもち,津
山市を中心 とした地域 の消費者購買行動 に大 き な影響 を与えた。 以上のよ うに,津
山市における近年の商業集積は郊外の 一定の地域 に集積する傾向がある。それは都市構造上,幹
線道路が限 られているために商業立地の好適地が少な く, とりわけ郊外での立地適地は極めて限 られているためであ る。その結果,津
山市の都市構造は旧来の中心市街地 を単 一核 とした構造か ら,逆
T字
の3つ
の先端部にも副次的な 核 をもつ逆T字
状の多核型都市構造へ と変化 した。 このよ うに郊外 に立地 した商業集積は大規模な駐車スペースを確 保 し夜間まで営業時間を拡大するな ど,公
共交通手段 に頼 らず 自家用車での移動を中心 としている多 くの市民のライ フスタイル に適応 し,幅
広 い支持 を獲得 している。3.中
心 商店街 の変化 ・衰 退化 1970年代後半以後 の商業施設 の郊外分散化 にともな っ て津山市の商業県境は大き く変化 し,そ
れ にともなって中 心市街地 にお ける商業環境 も著 しく悪化 した。 と りわ け 1980年代後半か らの中心市街地 にお ける歩行者通行量 の 減少は著 しく,1999年
には1980年のほぽ三分 の一 となっ ている。 こうした変化は先述 した高島屋の救退に象徴され るように,中
心市街地商店街の衰退化 の大きな要因となっ た。 こうした郊外商業集積の発展にともなう中心市街地商店 街の衰退化 を通産省 (現経済産業省)の
「商業統計表」 を ´′従業員数 ′年間販売額 小売商店数 細線 :津 山市 `` ` 、 太線 :中 心市街地商店街 ` (一部大型店 をふ くむ) シェア (%) 図4
小 売 業 各 指 標 の 変 化 資料 :各 年次 の商業統 計表 に よ る作成 変化指数目 目 目
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図5-1
中心 市 街 地 商 店 街 の 土 地 利 用 変 化 上段 :宮 脇 町商店街 ・坪井 町商店街 中段 :本 町三丁 目商店街・ 二番街 下段 :一番街・京 町商店街・ 城南商店街 資料 :旧 版 の住宅地 図お よび現地踏査結果 によ り作成昌
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図5-2
中心市街 地商 店街 の土地 利用 変化 左 :新 地商店街・元魚町商店街・銀天街・新魚町商店街 右 :京 町セ ンター街 。今津屋橋商店街 資料 :旧 版の住宅地図および現地踏査結果 によ り作成用いて検討 してみよう。 ここでは郊外型店舗の立地が顕著 とな る1980年代以前の状況 を分析す る ために1979年∼1997年までの津 山市 と中心市街地商店街 を店舗数・従業者数 。年間販売額・売場 面積 の点で比較 した (図4)。 津山市全体 に占める中心部の小売店舗数のシェアは約
20%で
大きな 変化はないが, 1990年
代半ばか ら中心部での店舗減少率が市全体 を上回 り,
シェアは低下傾向に ある。従業員数で も1980年
代以降中心部では減少率が大 きいが,市
全林では1980年代半ばか ら増 加に転 じたためにそのシェアはほぼ半減 している。同様の傾向は年間販売額 と売場面積のでもみ ら れる。年間販売額の比較では市全体が急激な右肩上が りであるのに対 して中心部では1980年代以 後減少が続 きとりわけ1990年代 の急激な減少のためにそ のシェアを34.6%か
ら13.3%へ
と20ポイ ン ト以上低下 させて いる。 また売場面積 の点で も市全体では1980年
代末か らの郊外での大型店出 店 ラッシュにともない急増 したのに対 して,中
心部では高島屋の撤退や再開発事業の開始にともなっ て大幅な減少 をみた。 いずれの指標 も1999年開業 のアルネ津 山のデータがふ くまれていないこと を考慮 しなけれイぎな らないが,商
業集積の郊外化の趨勢は揺 るがない事実 となっている。 では,
このような中心市街地の衰退化のなか,各
商店街は どのように変化 したのだろうか。 ここ では1999年12月の現地踏査結果 と1989年の状況 を表す1990年
版 の住宅地 図 との比較か ら約 10年 間の各商店街 の変化 を分析・考察 してみたい。 図5・6に
示す ように,1989年
における中心商店 街は一番街 と銀天街である。それぞれの買い回 り品店 の占める割合は81%・
73%と
極めて高い。 他の商店街の買い回 り品店 の割合が9∼
45%で
あることか らこの2つ
の商店街が高次商業地 の中 心的な役割 を果た していた と判断できる。 しか し,再
開発事業 によって銀天街 の大部分 と一番街の 一部がアルネ津 山に取 って代わることになった。後述するようにアルネ津山はキーテナン トである 岡山資本 の天満屋 と35の 専門店か らなる施設であるが,一
部は市立図書館や音楽文化ホールが 占 める複合施設で もある。再開発事業によって失われた商店街の店舗面積 と比較 して,よ
り大規模な 商業空間が創出された ことになるが,買
い回 り品の占める店舗面積が減少 しただけでな く,中
心商 店街 における中核部分 の連続性が断たれた ことが,中
心市街地商店街全体 に与える影響は当初予測 されていなかった。つま り,ア
ルネ津山による集客効果が周辺の商店街 にも波及効果 を生むと予測 されていたが,実
際にはアルネ津 山オープン以後 もその周辺地点での歩行者通行量は減少を続 けて いる。 このことは,モ
ータ リゼーシ ョンの進展 した津山市の消費者にとって,753台
の駐車施設 を もつアルネ津山自身は一定の集客能力があったものの,総
合的な機能 をもつ施設内で多 くの目的を 果たせる来店者が店舗外 に回遊す ることな く帰途 について しまうことを意味 している。 以上のように中心市街地 において も現状はすでに商店街 よ りも大型店 を中心 とした商業環境へ と 移行 しつつある。そ の結果,長
大な中心市街地商店街の周辺部分では空き店舗の増加や住宅・駐車 場への転用が進み,商
店街の実質的な解林が進行 している。 とりわけアルネ津 山や 中心商店街であ る一番街か ら街路 を隔てて位置する西部 の坪井町商店街・宮脇町商店街では上記の非店舗 としての 利用がいずれ も40%を
越 え,東
端 の城南商店街では非店舗利用が50%に
達 している。つま り,
こ れまで中心市街地商店街が担 っていた住民の消費生活の場が郊外 に分散するにともない,そ
の機能 を低下させた中心市街地商店街ではその立地条件の悪い縁辺の商店街で著 しい衰退化が認められる。 その結果,縁
辺部の商店街は実質的に商店街 としての機能 を失 い,大
型店 を中心 とした中核部の商 店街のみが存続する中心市街地のコンパク ト化が進行 している。また,中
心商店街でもレンタルショッ プや理容店な どの対個人サービス店や飲食店の占める割合が増加 し,買
い回 り品店 の割合が低下す るな ど商店街の質的な変化が認め られる。そうした中で比較的立地条件に恵まれている銀天街や一 番街,元
魚町商店街な どで空き店舗 の割合が増大 している。 これは経営者の高齢化や経営困難など暗
∈
麹◎
“ 観光瞬道施設 1999年12月 甕 職 ‡ B鯵
図6
中心 市街地商店街 における店舗構成 の変化 資料 :旧 版 の住宅地図および現地踏査結果によ り作成 グラフの配列は各商店街の位置に対応 している。 の理 由で店舗 を閉鎖 した経営者 が,他
の店舗経営希望者 にテナ ン トと して賃貸す る際 に,か
つて の 高次 の商店街 として機能 して いた経験 か ら,経
営環境 が悪化 した現在 で もテナ ン ト料 の引き下げ に 応 じないために折 り合わず,結
果 として空き店舗のまま放置 した状況が増えていることなどが大き な原因の一つとなっている。 Ⅲ 津 山 市 に お け る 中 心 市 街 地 活 性 化 策1.中
心 市街 地 の再 開発事業 津山市 における中心市街地の再開発 問題が懸案 となったのは,中
心商店街衰退化 の兆候 として歩 行者通行量が減少す る一方で,銀
天街な どで施設の老朽化が進んでいた ことにも起 因 している。 こ れは表面的には古 くか らの商店街が抱える共通の問題点であるが,同
時に郊外での商業集積 の進展 にともな う中心商店街の中心性低下 と中心市街地の居住人口減少も背景 としている。そ うした傾向 が顕在化す る中j津
山市は1981年 3月に 「吉井川北岸地 区再 開発基本構想Jを
策定 して いる。 1984年 3月 には 「津山市街地再開発準備組合」カミ設立された。 中心市街地再開発は先述 したアル ネ津 山が位置す る 「中央街 区 (約2.Oha)Jの
ほか,吉
井川左岸 の2つ
の街 区に住宅 と店舗・高齢 者交流施設・スポーッ施設な どの都市型複合施設 を配 した 「南新座地 区 (約0.4ha)」 と 「吹屋町 第二街 区 (約0.6ha)Jか らなる④。 また,
これ らの再開発 にともなってアルネ津山へのアクセス道 路 となる中心市街地南端の道路整備 のほか,吉
井川北岸 と今津屋橋商店街で城下町の特性 をアピー ル した修景事業が行われた。 ここでは中心市街地活性化の中核的事業であるアルネ津山の立地する中央街区の再開発事業 につ いてよ り詳細 に述べることにしたい (図7)。 中央街 区の第一種市街地再開発事業・都市計画決定F F F F F R 8 7 6 5
I I津
山街づくり(株)所有 津山地域振興開発(株)所有■■■■
津山市所有
事業費269億
5,200万円 店舗面積 約刊8,OOO浦 駐車台数 753台 図7
「アルネ津山」の概要 は1994年 4月で あつた。銀天街な ど中心商店街 の中心部分 に当たる中央街 区の権利者数は165名 で,店
舗経営者は事業完成後 にアルネ津 山にテナ ン トを保有することになっていた。 しか し,実
際 には婦人服店な ど18店 舗はオープ ンを期 にアルネ津 山での営業 を開始 したが,当
初 の予想 に反 し て経営権 を譲渡・売却 してジャスコな ど郊外へ転出す る経営者が多かつた。その結果,ア
ルネ津 山 における商業床 に大量の保留部分が生 じ,転
出者への補償費が約110億円とな り総事業費約270億 円の4割
を占めることになった。 こうした商業保留床の取得・管理運営 を目的 として,津
山市・商 工会議所・権利者・商店街連盟・地元金融機関な どによって第ニセクターの津山街づ くり (株)力式 設立 された。大量 に発生 した商業保留床の多 くは津山市が音楽文化ホール・図書館。展示ホール・ 女性セ ンター としての利用 目的で購入 したために市の支 出は当初予定を大幅 に上回つた。残 る商業 床は賃貸テナ ン トとして津山街づ くり (株)に
よって管理されている。なお,館
内の753台分の駐 車場はその管理 を目的に設立 された,第
ニセクターの津山地域振興開発 (株)に
委ね られている。 津山街づ くり (株)は ,そ
の後,国
の中心市街地活性化法の成立 にともない1999年
2月 にタウン マネージメン ト機関(TMO)の
指定を受け,い
ちビル管理会社か ら中心市街地全体のタウンマネー ジメン トを担 う中枢機関 として機能 している。2.再
開発 事 業 の成果 と課題 前節で述べたように津山市中心市街地での再開発事業は当初の計画 とは大 きく異なる形で実施 さ れた部分が多い。 ここでは今回の再開発事業の成果 と問題点,さ
らには今後 の課題 についても検討 してみたい。 今回津山市で実施された再開発はわが国で もこれまで多 くの都市で実施 されてきたタイプの事業 である。 中心市街地の停滞が顕在化 した1980年代初頭か ら計画 され約20年間の歳 月を費や して完 成 したのがアルネ津山である。当初の計画では買い回 り品店 を中心 とした中心商店街 の中核部 に中 心市街地の核店舗 としてアルネ津山を位置づけ,そ
の権利者である商店街経営者がテナ ン トに入居 することによって商店街 の活性化 を目指 していた。 しか し,そ
の間の津山市商業 を巡 る大 きな環境 変化 によって,中
心市街地の機能 と経営者 の意識は変化 を余儀な くされた。その結果,計
画実施 に写真1 吉井川沿いか ら望む 「アルネ津山J 写真 2 中心商店街のひ とつ
,一
番街 写 真 3 アーケー ド街 (二番街)内
の空き地 に 発生 した駐車場 写 真4 吉井川沿 いか ら望 む南新座・吹屋 町 の 再 開発建築物 写真 5 郊外商業集積 のひ とつ,ウ
エス トラン ド (右)と
周辺のロー ドサイ ド型店舗群 写真 6 郊外大型商業施設・ ジャスコ津山店際して も