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公開講座「書き直される文学, 読み直される文学」の報告

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公開講座「書き直される文学, 読み直される文学」の報告

南津 佳広*,杉村 寛子*,松田 正貴*,上垣 公明*

Report on the Extension Courses

“Literature Rewritten and Reread”

Yoshihiro MINAMITSU*,

Hiroko SUGIMURA*

Masataka MATSUDA*,

Kimiaki UEGAKI*

Abstract

This report summarizes each session in the 2nd OECU Extension Course pre-sented by the above-mentioned English staff. The theme of the course was “Literature Rewritten and Reread.” The course was a good opportunity to provide knowledge on translation and literature to the community. As is clearly shown in the result of the questionnaire, the content of each session appealed to the participants; they showed a deep interest in learning audiovisual translation and literature on the whole. Therefore, it can be said that the sessions were carried out successfully and highly evaluated.

1.はじめに

教養教育を担当する本学英語教育研究センター(以下,本センター)の有志が2017年度に開催 した公開講座は,関係諸氏のおかげで成功裡に終わった.それを受け,2018年度も引き続き何か 面白い企画ができないかと意見を交わし,文学を軸にした講座を改めて開催する運びとなった. 前年度,「英米小説の謎を読み解く」をテーマにした3講座を開講してアンケートをとったと ころ,文学作品の味わい方に対する受講者の関心が高いことが明らかとなった.そこで,2018年 度はこのアンケート結果を基にして「書き直される文学,読み直される文学」という共通テーマ を設定し,個別の講座では担当者の専門を活かしつつ,受講者が楽しめるものを各自工夫しなが ら提供することにした. 本稿では各担当者による各講座の具体的な実施内容とその成果を報告する.本講座を実施した テーマと年月日は次の通りである. 表1.講座の日程とテーマの一覧 年月日 テーマ 担当者 2019 年3月 5 日 書き直しとしての「再表現」:映像翻訳を通して 南津佳広 2019 年 3 月 12 日 似て非なるもの ── 「嵐が丘」と水村美苗の「本格小説」 杉村寛子 2019 年 3 月 19 日 “Hi-story”としての小説 ── カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」 松田正貴 2019 年3月 26 日 現代短歌のゆくえ ── 穂村弘の短歌を中心に 上垣公明 * 大阪電気通信大学 共通教育機構 英語教育研究センター

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以下,2~5節では各担当者が提供した講座の概要を順にまとめる.なお,6節では講座最終 日に実施したアンケート結果を踏まえつつ,今回の公開講座を総評する.

2.書き直しとしての「再表現」

:映像翻訳を通して(南津佳広)

映画化された文学作品は,登場人物の会話を中心に書き直されたものと位置づけられる.で は,この書き直された映画版を翻訳することはどのような行為なのだろうか.本講座では映像翻 訳について概観し,受講者に字幕翻訳を体験してもらうことで書き直される文学を味わっても らった. まず映像翻訳について見てみよう.映像翻訳は字幕翻訳と吹き替え翻訳の2つに大別される. 本講座では前者に絞って話をすすめた.字幕翻訳の対象となるメディアは,劇場公開される映 画,地上波・BS・CSなどで放送される番組や,DVD化されたりweb配信されたりする映像コ ンテンツなど実に多岐にわたる.次に,翻訳されるコンテンツは映画やドラマ,ニュース,ス ポーツ,ドキュメンタリー,通販番組,音楽番組,アニメ番組,海外取材映像,プロモーション ビデオ,企業PR,研修用DVD,製品マニュアルなどがあげられる(日本映像アカデミー(編) (2011)).次に,字幕翻訳者にはどのような能力や技術が求められるのであろうか.まず誰もが 思いつくのは語学力であろう.映画以外では原稿が用意されない場合も多いため,リスニング能 力が特に求められる.その他,句読点は使用せず,難しいと判断される漢字は使用しないなどの 字幕の制作工程の知識,字幕翻訳の特有であるセリフの発話時間1秒につき4文字,かつ,1行 あたり23文字という字数制限に翻訳したセリフを対応させる技術,翻訳対象となるコンテンツと 制作会社の意向を受け視聴者に受け入れられるように解釈する調査力がある(Chaume (2012), 日本映像アカデミー(編)(2011),清水(1992),戸田(1991)).本講座では,このような字幕 翻訳固有の制約のもとでどのように翻訳することができるかに焦点を当て,受講生に翻訳を体験 してもらった. 上述したように,映画化された文学作品は,登場人物の会話を中心に書き直されたものであ る.そこで使用される台詞の会話には,日常会話における発話で用いられる文やフレーズの意味 表示は不完全なものであり,話し手の思考を断片的に表示するものに過ぎないという「言語情報 的不確定性(Linguistic Underdeterminacy)」の原則(Carston 2002)が適応されよう.つま り,発話の言語的意味は発話者によって意図された意味を十分に決定するものではないため,聞 き手は話し手が文を通して言語化している情報よりもはるかに多くの思考を,文脈や既存の知識 などを参考にして理解しているのである.字幕翻訳では,翻訳者は聞き手として映画の登場人物 によって発話される意図された意味を推論して理解し,字幕翻訳固有の制約のもとで翻訳を達成 しなくてはならない.このような特徴を踏まえて字幕翻訳を厳密には翻訳と分類しない向きもあ る(清水(1992)).しかしながら,翻訳とは本質的にはre-express(再表現する)行為であり, 再表現されたものは訳出言語の文化圏に沿ったものでない限り,想定される読者層に理解され難 いものとなろう.そのため本講座では,字幕翻訳も翻訳のひとつとして取り扱い,この字幕翻訳 という行為そのものもいわば書き直しのひとつとみなして話をすすめた.以下では,本講座でと りあげた字幕例を検証してみる.

本講座で使用したのは1939年に公開された“The Wizard of OZ”である.ストーリーはあま りに有名であり,紙幅の関係上本稿では詳細を割愛するが,アメリカはカンザスの農場にクラス

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少女ドロシーが竜巻に巻き込まれて,飼い犬のトトとともにオズの国へと飛ばされてしまう話で ある。カカシとブリキ,ライオンに出会ったドロシーは,家に帰るために西の悪い魔女軍団と戦 うことになる。本講座では終盤の魔女軍団に追い詰められるシーンを字幕翻訳の対象としてとり あげた.少し見てみよう.

(1)(魔女)The last to go will see,the first three go before her!

この魔女のセリフを素訳するなら「最期を見届けよう,彼女の前にまず三人を消そう」とな る.これはどのように解釈すれば良いのだろうか.まず指示表現から整理すると,“The last”と はドロシーらを葬ることを指し,“the first three”は,かかし,ブリキ,ライオンを指し,“her” はドロシーのことを指している.これは当該の映像と文脈を参照して推論から指示対象を特定す ることができる.次に多義語の解釈について見てみよう.“go”は2つともこのセリフの中では 魔女の目前からドロシーらが消えて居なくなる消失を意味して用いられており,“see”はこのセ リフでは言語化されていないが文脈から復元可能な「ドロシーらの最期を」見届ける意味で用い られている.このような多義語の意味の絞り込みも,映像と文脈を参照して推論から当該の意味 概念を絞り込むことができる.その結果,このセリフの意図される意味は以下のようになろう. (2)「(ドロシーらの)最期を見届けよう.ドロシーより先にブリキ,ライオン,かかしから消 そう.」 このセリフでは,意図される意味は全て語彙概念の制約を受けて行われる推論操作によって特 定されることが特徴的である. この意図された意味をもとに,どのように字幕固有の制約を受けて翻訳(再表現)しているの であろうか.このセリフの発話にかかった時間は4.2秒であり,字幕に翻訳することはできる文 字数は最大17語しかない.字幕は映像に埋め込むために,あくまでも視聴者に字幕を読ませるの ではなく理解を促す補助的な役割を果たすものである.そのため,映像から明らかに分かるもの は省略するか,字数制限におさまるように言いかえ,さらに,登場人物間の関係や性別が分かる ように役割語をつけて発話する人物を際立たせる.そこで翻訳者は(1)を(2)の解釈を踏ま えて(3)の通りに翻訳(再表現)している. (3)「さあ 1人ずつ順番に おもてなしするかい」 この「さあ」に該当するセリフは見当たらない.翻訳者が独自の判断で,魔女がドロシーらに 最期の攻撃を加えて葬ろうと意気込んでいることを映像と文脈から新たに付け加えたに違いな い.「1人ずつ順番に」はセリフの“the first three go before her!” が反映されていることは自 明だが,「1人ずつ」に該当するものは当該のセリフの中にはない.これも翻訳者独自の判断で, ドロシーらに恐怖と苦痛を与えることを際立たせるために付け加えたと判断できる.最後に「お もてなしをしするかい」の箇所だが,「皆殺しにする」などのような直裁的な表現を用いずに, あえて遠まわしな表現を用いることで魔女の気高さと恐ろしさをあらわそうとしているのではな いだろうか.また,“see”を反映させて終助詞「かい」と表現することで,魔女自分が手を下す のではなく手下にやらせようとする魔女の立ち位置を際立たせていると考えられる.このよう に,字幕は,セリフに基づく解釈から大幅に書き直しを行ったうえで別の言語で翻訳(再表現) されたものである.しかしながら,字幕は上述したように映像と併せて視聴者の理解を促す補助 的な役割を果たすに過ぎない.そのため,程度差はあれどもセリフの解釈から字幕の制約に沿っ て変更を加えることは十分に許容されるのである. このように,映画の字幕翻訳も文学作品の書き直しのひとつであり,字幕固有の制約のもとで

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どのように翻訳(再表現)するかは翻訳者の解釈が色濃く反映される.本稿では,講座でとりあ げた翻訳事例の一部を取り扱った.受講者に実際に字幕翻訳を体験してもらうことで,文学作品 の味わい方の新たな側面を提供することができたと言えよう.

参照文献

Caimi, A. (2013). “Subtitle Translation and Language Learning.” In Y. Gambier and L. V. Doorsaer (Eds.), Handbook of Translation Studies Volume 4, (pp. 167-173). Amsterdam and Philadelphia: John Benjamins Publishing.

Carston, R (2002) Thoughts and Utterances: The pragmatics of Explicit Communi-cation, Blackwell.

Chaume, F. (2012). Audiovisual Translation: Dubbing. Manchester: St Jerome.

Ghia, E. (2012) Subtitling Matters: New Perspectives on Subtitling and Foreign LanguageLearning. Peter Lang AG.

日本映像アカデミー編(2011)『はじめての字幕翻訳』アルク 清水俊二(著)戸田奈津子・上野たま子(編)(1992)『映画字幕は翻訳ではない』早川書房 戸田奈津子 (1994) 『字幕の中に人生』 白水社 戸田奈津子 (2011) 『字幕の花園』 集英社 参照DVD 『オズの魔法使い』(Wizard of OZ)ビクター・フレミング監督、1939 年(DVD,ワーグナー・ ホームビデオ,2008 年)

3.似て非なるもの『嵐が丘』と水村美苗の『本格小説』(杉村寛子)

本講座では「書き直される文学,読み直される文学」という共通のテーマに沿い,Emily Brontë (1818-1848) (以下,エミリ)によるWuthering Heights(1848)(以下,『嵐が丘』)が, これまでどのように読まれ,新たなテクストの産出につながっていったのか,概観した.以下で は,まず導入の際に言及した『嵐が丘』に関する最新の周辺情報を,次いで主題となる小説『本 格小説』を,『嵐が丘』に照らし,論じた事柄をまとめたい.

折しも2018年はエミリ生誕200年目の年に当たり,Bradford Literature Festival1)では,小

説家Michael Stewart(以下,スチュアート)によって‘The Brontë Stone Project’が企画さ れた.ここではエミリを含むブロンテ姉妹や一家のために書き下ろされた詩が,それぞれ石に刻 まれ,姉妹が生まれたThorntonからHaworthの牧師館までの間に配置された.このうちエミリ を讃えた‘Emily’という詩は英国のアーチストKate Bush(以下,ブッシュ)によるものであ る2).ブッシュといえば,言わずもがな1978年に発表した‘Wuthering Heights’という曲で鮮 烈な印象を残したが,その後40年の歳月を経て,再度、荒野をさまよい続けていたという幽霊の Catherine(以下,キャサリン)が窓から嵐が丘の屋敷に侵入しようとする場面にインスピレー ションを得て,詩作を試みている3)

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刺激され,小説Ill Will(2018)を上梓している.『嵐が丘』では,キャサリンがEdgar Linton と結婚すると聞き,Heathcliff(以下,ヒースクリフ)は失意のうちに失踪するのだが,それか ら3年後,相当な財産とともに再び姿を現わす.しかし,この間どこで何をして財を成したの か,読者にはわからない.スチュアートは,この空白の3年間を題材にし,死者と交霊できると いうEmilyという少女を,ヒースクリフの旅の道連れとする物語を書いた.怪我を負わせた雇い 主に追われながら,ヒースクリフは少女と共に旅を続け,最後に自らの出自の秘密を握る人物と 対面することになる.『嵐が丘』は主に家政婦Nelly Dean(以下,ネリー)を「私」とする一人 称の語りで構成されているため,この語り手が知り得ないことは決して語られることはない.そ のためテクストに空隙が生じ,それが後世の読者をして,さまざまに想像せしめる. しかし『嵐が丘』が刺激し,謂わば,挑発してきたのは,英国本土の創作家ばかりではない. 日本においても,小説家水村美苗(1951-)は『嵐が丘』を「翻訳」4)する形で『本格小説』(2002) を書いた.構想の段階で,水村は「小説の形式そのものを問題にした」かったと述べており,そ れを「恋愛小説」という枠組みの中で実現しようと考えた5).そして「語り手が恋人たちに批判的 な距離をとっている」6)がゆえ,恋愛小説として成功したと主張する『嵐が丘』の筋書きに倣い, 同じく『嵐が丘』の語りのように,語りの中に別の語り手による語りを配置する入れ子構造を採 用したのである.それでは,いったい水村にとって問題となった「小説の形式」とは何なのか. 米国の大学において日本文学の講義を行ない,批評家でもある水村は,日本文学固有の「私小 説」という「小説の形式」のコンヴェンションを訝る.したがって,彼女にとって『本格小説』 の試みは,作者を彷彿とさせる「私」なる人物を登場させることで真実が語られているという印 象を生み出す「私小説」の枠組みを覆すことであり,全き虚構を通して「真実の力」を示すこと であった7) 『本格小説』では,冒頭に「序」および「本格小説の始まる前の長い長い話」の章を立て,小説 家「水村美苗」を登場させる8).実在する小説家水村も,小説中の小説家「水村」も,あとに続く 本編となる恋愛の筋書きには関わりがないことを印象付けるために,この二つの章において,作 家としての苦悩を綴るとともに,恋愛物語の主人公である東太郎(『嵐が丘』におけるヒースクリ フに相当する人物)がどのようにしてアメリカで成功を遂げたのかを第三者の立場から語る. しかし,語りとプロットともに『嵐が丘』に似せたものでありながら,東太郎と三枝よう子の 物語はヒースクリフとキャサリンのそれとは次第に「懸け離れたもの」になっていく9).なぜな ら,人も時も場所も変わることで「変容するのが芸術」(p.171)であり,「芸術とは変容するこ とで新たな生命を吹き込まれるもの」(p.171)であるからだ.すでに述べたように,作者が「私」 の中に読み込まれるという日本文学のコンヴェンションを回避するために,水村(ないし「水村」 と言うべきか)は小説の書き出しに工夫を凝らし,西洋文学的な小説の実現を試みた.しかし, 家政婦ネリーに相当する『本格小説』の女中土屋冨美子は,逆に日本文学のコンテクストの中で 捉えられる.『本格小説』には,日本文学を背景に「女中」が表象するものが潜んでおり,最後 にこの女中のセクシュアリティが明らかになることで,『嵐が丘』と同じコンテクストで読んで きた読者は虚を衝かれる.このように西洋文学と日本文学を巧みに操り,水村は『嵐が丘』に近 づきつつも遠ざかる『本格小説』を創り出したのである.

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1)Bradford Literature Festivalは,例年6月末から7月にかけて英国西ヨークシャのブラッドフォー ドにて開催される文学の祭典である.

2)She stands outside/A book in her hand/“Her name is Cathy”,she says/“I have car-ried her so far,so far/Along the unmarked road from our graves/I cannot reach this window/Open it, I pray.”/But his window is a door to a lonely world/That longs to play./Ah Emily.Come in, come in and stay.以上,2018年7月8日付け電子版The Guardianから引用.

3)‘Wuthering Heights’の方が,‘Heathcliff,it’s me,Cathy/I’ve come home,I’m so cold/ Let me in-a-your window’と,より『嵐が丘』の場面に即した詞になっている.

4)Roman Jacobson(以下,ヤコブソン)によると「翻訳」には以下の3通りの意味がある.一つは 要約などの同一言語内での言い換えを意味する‘intralingual transla-tion’であり,次に一般に言 われるある言語から別の言語への表現し直しとしての‘interlingual translation’がある.最後は, 書かれたテクストを別の非言語で表現するという‘intersemiotic translation’である.水村自身, 自作を英国小説の「翻訳」と語っており,非言語媒体への変換には当たらないが,オリジナル・テク ストの解釈に基づく書き換えという意味で,ヤコブソンの定義の中では最後に相当する試みと言って いいであろう. 5)『波』p.2. 6)『波』p.3. 7)水村は『本格小説』に登場する作家「水村美苗」に「なぜ「私小説」的なものから距たれば距たる ほど,小説がもちうる「真実の力」がかくも困難になるのであろうか」(p.175)と語らせている. 8)『波』(p.4)において「あそこで「水村美苗」が出てしまえば,恋愛の部分は,いかなる意味にお いても私小説的に読むことはできない」と水村は述べている.本文中の「水村」は小説の登場人物と しての水村美苗を示す. 9)『本格小説』p.170.以下『本格小説』からの引用については新潮社(2002)の版に拠り,引用に続 く括弧内に付したものはその版の頁数である.

引用文献

Bradford Literature Festival. https://www.bradfordlitfest.co.uk/(2019.12.22アクセス) Jacobson, Roman.‘On Linguistic Aspects of Translation’. Theories of Translation:

An Anthology of Essays from Dryden to Derrida, edited by Rainer Schulte and John Biguenet. University of Chicago Press, pp. 144-151.

‘Out on the wiley, windy moors, Kate Bush sings new praises to Emily Brontë’, The Guardian, 8 Jul 2018.

https://www.theguardian.com/music/2018/jul/08/bush-sings-new-praises-to-literary-heroine(2019.12.22アクセス) 水村美苗『本格小説』新潮社. 2002. 「[特別インタビュー]『嵐が丘』の奇跡をもう一度・水村美苗」『波』36巻10号pp.2-5. 新潮社. 2002.

4. Hi-Storyとしての小説――カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』(松田正貴)

2007年,カズオ・イシグロの父,石黒鎮雄(以下,石黒博士)が亡くなった.2005年に『わた しを離さないで』(Never Let Me Go)を出したあと,イシグロはおよそ10年間,長編小説を書 きあぐねていた.そうしてようやく上梓したのが『忘れられた巨人』だった.執筆にこれだけ時 間がかかったのは妻のチェックが厳しかったからだとイシグロ自身は述べているのだが,ひょっ とすると本作を父へのオマージュとして仕上げたかったのではなかったか.そういうイシグロの

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こだわりもまた執筆を遅らせる原因のひとつだったのではないだろうか.原題は「埋められた巨 人(The Buried Giant)」となっているが,そこには「民族が共有する忘れられた歴史的記憶と しての巨人」という意味とは別に,「埋葬された巨人」,つまりイシグロにとって,とても大きな 存在であった巨人,石黒博士の死,静かに荼毘に付された父親のイメージが重ねあわされていた のではないか.本講座では,そのあたりのところを検証するために,石黒博士の生涯および彼を めぐる記憶に着目しながらイシグロ作品を読み解いた. ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロは1960年5歳のときに長崎からイギリスに渡り,以来お よそ30年間一度も日本に帰ることはなかった.そうであるにもかかわらず,彼は長篇デビュー 作『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills) や長篇第2作『浮き世の画家』(An Artist of the Floating World) において,「戦争協力」という日本の作家があまり扱おうとしなかったテーマ をあえて選び,戦時下において軍国主義的なプロパガンダを吹聴した教師や芸術家たちの心の動 きを如実に描こうとした.自らの人生をかけて誠実に何かに打ち込んでいた人間が,社会情勢の 変化とともに,それまで自信をもって行なってきたことを恥じずにおれなくなるというその状況 をイシグロは登場人物たちの記憶を繙くように物語る.戦時中から戦後にかけて180度転換した 日本の社会情勢に着目しながら,戦時下,国家主義的で軍国主義的な風潮に迎合して自らの才能 を浪費してしまった人間が,敗戦後,自分たちのやってきたことを「とんでもない間違いだっ た」と気づき,その苦々しい思いと向き合う様子を彼はきわめて冷静に描く.イギリスで教育を 受け,かつては本気でミュージシャンを志していたイシグロが,なぜそのような転換期を生きた 日本人の心の動きを辿るような小説を書いたのか.『遠い山なみの光』におけるオガタは教え子 を戦場に送りだした教師であり,『浮き世の画家』のオノは戦意高揚的な絵を描いていた画家で ある.イシグロ自身は「モデルは特にない」と言うが,そうであるならば,なぜそのような立場 の人間にそこまで肉薄することができたのか. 2017年,イシグロがノーベル文学賞を受賞して以来,石黒博士の足跡にも注目が集まりはじめ ている.海洋学者であった石黒博士は,長崎気象台で波の動きを計測する装置の開発に携わって おり,当時北海油田の開発に力を入れていたイギリスからその知識と技術を見込まれ,招聘され ることになる.イシグロによると,父は「厳格で,ほとんど家にはいなかった」という.小説を 読むうえで,作家の自伝的要素はあまり重視しすぎないほうがいいのかもしれないが,イシグロ の場合,父との関係を無視するわけにはいかない.というのも,石黒博士は戦時中,ラジオゾン デ研究の第一人者であった湯浅光朝のもとで,風船爆弾の開発に携わっていた可能性があるから だ.要するに,そのような父の経歴をイシグロが自らの物語の一要素として取り込んだ可能性も 否めないのである.風船爆弾とは,1944年11月から1945年3月にかけて日本軍が開発し,また実 際に用いたものであり,気球にぶら下げた爆弾をジェット気流に乗せてアメリカ大陸まで運ぶと いう仕掛けになっていた.『浮き世の画家』のオノにはとくにモデルは存在しないとイシグロ自 身は言うが,その描写があまりにも真に迫るものであるため,物語の背後にどうしても石黒博士 をめぐるイシグロの記憶を読みとってしまう. イシグロは父親の過去の体験から,さまざまな証言を引きだし,そこにあると思われる「記憶 の質感」(texture of memory)を手掛かりに,物語を組み立ててきたのではないか.『忘れられ た巨人』においても,そのような記憶の質感をひとつひとつ試すように,老夫婦のセリフが構成 されていく.このことは老父アクセルの次のような言葉にも見られる.

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   クエリグが死んで霧が晴れ,記憶が戻ってきたとする.戻ってくる記憶には,おまえをがっ かりさせるものもあるかもしれない.わたしの悪行を思い出して,わたしを見る目が変わる かもしれない.それでも,これを約束してほしい.いまこの瞬間におまえの心にあるわたし への思いを忘れないでほしい.だってな,せっかく記憶が戻ってきても,いまある記憶がそ のために押しのけられてしまうんじゃ,霧から記憶を取り戻す意味がないと思う.だから, 約束してくれるかい,お姫様.この瞬間,おまえの心にあるわたしを,そのまま心にとど めておいてくれるかい? 霧が晴れたとき,そこに何が見えようと,だ.(『忘れられた巨人』 土屋訳,388-9) 『忘れられた巨人』だけではない.イシグロの作品には必ず石黒博士の声がどこかで倍音のよう に響いているのである.さまざまなジャンルを横断する形で作品を世に送り出してきたイシグロ が,次に目をつけたのは漫画(graphic novel)だという.「記憶の質感」の新たな展開を期待したい.

参考文献

Shaffer,Brian W.and Cynthia E.Wong ed.,Conversations with Kazuo Ishiguro (Jackson: University Press of Mississippi,2008)

Ishiguro,Kazuo A Pale View of Hills (London: Faber and Faber,1982) --- An Artist of the Floating World (London: Faber and Faber,1986) --- The Buried Giant (London: Faber and Faber,2015)

青野聰「残念だが日本では通用しない小説だ」書評『朝日ジャーナル』(1988年5月27日) イシグロ,カズオ「戦争のすんだ夏」『エスクワイア』(1990年12月号) ---『浮世の画家』飛田茂雄訳(中央公論社,1988) ---『忘れられた巨人』土屋政雄訳(早川書房、2017) ---『特急二十世紀の夜と,いくつかの小さなブレークスルー』(早川書房,2018) 石黒静雄「蓄電器の直並切換によるラヂオゾンデ電源方式」『海洋と気象』(1951年6月) 小栗一将「石黒鎮雄博士の業績――観測機器・実験装置の開発とアナログコンピューティングに よる海洋現象解明のパイオニア」『海の研究』27 (5) 2018年. 木下卓「カズオ・イシグロにおける戦争責任――「信頼できない語り手」が語る戦争」小池昌代 ほか編『カズオ・イシグロの世界』(水声社,2017) 荘中孝之『カズオ・イシグロ――〈日本〉と〈イギリス〉の間から』(春風社,2011) 鈴木俊平『風船爆弾――最後の決戦兵器』(光人社NF文庫,2001) 吉野興一『風船爆弾――純国産兵器「ふ号」の記録』(朝日新聞社,2000)

5.現代短歌のゆくえ――穂村弘の短歌を中心に(上垣 公明)

本講座では約1300年の歴史を持つ日本の伝統的な定型詩の一つである短歌を取り上げた.講座 の前半では『万葉集』に代表される「古典和歌」(七世紀後半~八世紀後半)から「現代短歌」(昭 和二十年以降)に至るまでの短歌の変遷を概観し,各時代の代表的な短歌を紹介するとともに, それぞれの特徴について説明した.短歌を読む上で特に重要なポイントとなる「定型であること

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の意義」「口語・文語の表現方法」「作中の人称」「喩」について,それらの特長が顕著にみられ る作品を題材として取り上げて,内容を吟味しながら解説した.また,短歌と比較されることの 多い俳句との違いについて「俳句は将棋,短歌は囲碁」(佐佐木幸綱),「俳句は『切る』,短歌は 『述べる』」(宇多喜代子),「俳句はボクシング,短歌はプロレス」(藤原龍一郎)という見解につ いても説明した. 講座の後半では,現代短歌の歌人として近年最も注目されている歌人の一人である穂村弘に焦 点を当てた.穂村は1962年札幌生まれで,1980年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した歌 人の一人である.1986年に短歌集『シンジケート』で第32回角川短歌賞次席(主席は俵万智)と なり,代表作には『シンジケート』『ドライ ドライ アイス』,『ラインマーカーズ』,『水中翼船 炎上中』という短歌集がある.その他,エッセイ集や評論集『短歌の友人』(伊藤整文学賞受賞) 等,数多く執筆している.穂村は短歌の歴史において大きな転換点となった「和歌革新運動」(近 代短歌)や「前衛短歌運動」(現代短歌)の流れを意識しつつも,現在や未来の短歌のあり方に も強い関心を示しており,彼の短歌や短歌の創作理念に注目することは近代の短歌と最新の短歌 (2000年以降の「戦後後」)を捉えなおす契機にもなるであろう. 穂村は,短歌を創作する上での重要な要素として「共感」「驚き」「真実性」を挙げている.講 座では,彼の作品群からそれらの特徴が色濃く反映されていると思われる短歌について,それら の創作背景を考慮しながら,私見を交えて考察した.「共感」の要素が見て取れる作品として「ど うしても 芯の出し方がわからないペンを戻して売り場を去りぬ」(『水中翼船炎上中』)などを取 り上げ,「驚き」については「記憶の夏のすべての先生たちのためチョークの箱に光る蜥蜴を」(『ド ライ ドライ アイス』)などを,また 「真実性」については「裏切りの朝の香りはドロップの缶に それだけ残した〈はっか〉」(『シンジケート』)などを取り上げた. 上記の三つの要素のうちの「真実性」について,さらに詳しく掘り下げた.穂村は「真実性」 と関連付けて「生の一回性」の重要性を指摘し,「誰もが他人とは交換できない〈私〉の生を, ただ一回きりのものとして引き受けてそれを全うする.一人称の詩形である短歌の言葉がその原 理に殉じるとき,五七五七七の定型は生の実感を盛り込むための器として機能することになる.」 (『短歌の友人』126頁)と述べている.このような理念が背後に見て取れる作品として「卵産む 海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け(『シンジケート』)」 「リニアモーターカーの飛 び込み第一号狙ってその朝までは生きろ」(『水中翼船炎上中』)に注目し,解説した. 穂村は短歌の将来について「我々は新しい歌を作らなくてはならない.新しいオモチャのよう な歌を.それは人間が存在しない世界に向けての歌になるかもしれないのだから」(『短歌の友人』 209・10頁)と述べている.ここからは,彼が短歌の将来像を明確に描けていない一方で,少な くとも作品の創作におけるファイティングポーズだけは崩していないことが窺える.その一方 で,穂村は谷川俊太郎との対談において「ただ言語って,人工物/自然物のどちらとも言い切れ ないすごく不自然なものですよね.僕はそこに過大な期待があって,何か神様の裏をかくという か,神が初めて見るような詩の一節が自分の手に乗る瞬間が訪れるんじゃないかという妄想が常 にあるんです.」(『文芸』23頁)と述べており,「言葉」については期待を持っていることがわかる. 上記のような穂村の考えが反映されている短歌として「超長期天気予報によれば我が一億年後 の誕生日 曇り」(『ラインマーカーズ』)という作品に注目した.彼は,この歌について「やっぱ り虹とか晴れって神の恩寵みたいなイメー ジ.でも,人間はやっぱり曇りなんだと思う,存在 として.曇りの時が重要.そんな人間観です.」(『世界中が夕焼け』112頁)と述べている.ここ

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で彼が述べている「曇りの時が重要である」という人間観は,彼の短歌の将来像への考え方とも 重なり合うものであろう.また,これは前述の「具体的な短歌像は明確にはわからないが,創作 のファイティングポーズは崩していない」という彼自身の創作姿勢にも通底するものであろう. ひいては,このような「不明確さゆえの柔軟さ」は,ある種の強靭さでもあり,穂村弘の短歌の 根幹をなすものでもあるのではないだろうか.

引用文献

穂村弘『シンジケート』(沖積舎,1990) 穂村弘『ドライ ドライ アイス』(沖積舎,1992) 穂村弘『ラインマーカーズ』(小学館,2003) 穂村弘『水中翼船炎上中』(講談社,2018) 穂村弘『世界中が夕焼け』(新潮社,2012) 穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社,2011) 「対談×谷川俊太郎 言葉で世界は覆せるのか?」『文芸』(夏河出書房新社,2009)

総評

今回の公開講座は,昨年度に続いて2回目の開催となった.共通のテーマとして「書き直さ れる文学,読み直される文学」を設定し,第1講から第4講にわたり,本学英語教育研究セン ター所属の教員4名が各90分で講演を行った.受講者は,第1講23名),第2講20名),第3講29 名),第4講21名)であった.なかには昨年に引き続いて出席した受講者も一定数はいたと思わ れる.受講者の年齢層については66歳以上が9割以上17/19)を占めており,そのうちの半数以 上9/17)が71歳以上であった. 昨年同様,講義を行って最も強く感じられたのは,何と言っても,受講者の知識欲の旺盛さ であった.今回のテーマは翻訳に加えて,扱った文学のジャンルも多岐にわたっており,受講者 がシニア層であることを意識してはいるものの,ある程度は専門的なことを含む講座内容であっ た.そのことを考えると,アンケートで9割以上17/19)の受講者が「半分くらいは理解できた」 もしくは「ほぼ理解できた」と回答しており,これほどまでの理解度は良い意味での驚きであった. アンケートの総合評価については,「良かった」と「非常に良かった」を合わせると16/19となっ ており,全体的な満足度の高さが窺える.自由記述については,前回のアンケートの回答と同じ く,次回以降の継続開催を希望する声が非常に多かった.中には有料でも継続することを望む声 まであった.詳細についてはアンケートの第8項目ご参照) 以上のことを総合的に判断すると,講座の目標として掲げていた「地域の英語文学や文化に関 心ある高齢者に向けた学習の場の提供のため」については,それを十分に達成することができた と言えるのではないだろうか. 今回,昨年度に続き二回目の講座の開催を終えて,本学の教養分野での市民講座に対するニー ズを把握できたところで,講座の対象者の層をどのあたりに設定するべきなのか,また採算性を 考慮するべきなのか等,今後どのようなかたちで本講座を発展させていくのかについて基本的な ヴィジョンを検討する時期に来ているように思われる.

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謝辞

前回に続いて,本講座の企画・実施を認めていただき,広報と受講者の募集・取りまとめを行 なっていただいた大石利光理事長・学長,塩田邦成事務局長,早野秀樹氏,矢ノ根かおり氏をは じめとする関係諸氏にはこの場を借りてあらためてお礼を申し上げる.

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補遺

アンケート結果最終日の講座の出席者を対象に実施.回答者数:19名) 1.住所  寝屋川市8) 枚方市4) 守口市1) その他6) 2.年齢  59歳以下0) 60歳~ 65歳2) 66歳~ 70歳8) 71歳以上9) 3.講座を知ったきっかけ  ちらしで8) 雑誌で1) ホームページで0) 関係者から5) その他5) 4.参加の主な理由複数回答可)  講座の内容に興味があるため16) 講座のテーマを勉強中であるため1)  時間的に参加可能であるため6) その他1) 5.講座の内容について  専門的すぎてよくわからなかった0) 半分くらいは理解できた9) ほぼ理解できた8)  もの足りない0) 6.講座開催の希望の日時  休日の午前0) 休日の午後0) 平日の午前2) 平日の午後15) その他4) 7.総合的な評価  非常に良かった6) 良かった12) 普通0) あまりよくなかった1) 良くなかった0) 8.講座の感想,意見,要望抜粋)  ・ 夏季にも実施願えれば非常にありがたい.  ・ 古典分析の視点に興味と感動をおぼえた.  ・  文化,芸術を多少なりとも知ることができました.有難うございました.感謝申し上げま す.愉しかったです.  ・ タダでよい講座が聞け,感謝しています.略)大変良かったです.誠実な人柄を感じました.  ・  講座の前に予習することで,今まで読んだことのなかった作者やジャンル,作品に触れる ことができた.略)読書の幅が広がり,大変勉強になりました.次回も楽しみです.  ・ 色々勉強させていただきました.有難うございました.  ・ テーマが面白く,興味を持って聞くことができました.次回の公開講座を期待しています.  ・  新しいモノを求めようとすれば,古いモノを勉強しなければなりませんね.やはりボチボ チ古典から始めましょうか.ありがとうございました.  ・ これからもこんな講座を期待しています.  ・  準備大変でしょうが,続けてください.条件によって有料1000円程度,ごめんなさい小額 で)も可です.  ・ ぜひ,今後も開催して欲しい.自宅の近くで勉強でき,感謝です.

参照

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