• 検索結果がありません。

伊波普猷と浦添と沖縄学と: 沖縄地域学リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "伊波普猷と浦添と沖縄学と: 沖縄地域学リポジトリ"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Title 伊波普猷と浦添と沖縄学と

Author(s) 粟国, 恭子

Citation 浦添市立図書館紀要 = Bulletin of the Urasoe CityLibrary(8): 46-49

Issue Date 1997-03-28

URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/20506

(2)

〔伊波普猷没5

0

年記念特集にむけて〕 伊 波 普 猷と浦 添 と 沖 縄 学と

1

.伊 波 普 猷 と 浦 添 おもろ研究と沖縄学の父と呼ばれる伊波普 猷は、浦添域社の中にある叢園に限っている。 亜熱帯の木々に固まれた静かな場所である。 伊波普猷は、東京帝国大学在学中に、 「琉 球文にて記せる最後の金石文

J

(

1

9

0

4

・明治

3

7

年)、「浦添考j、「琉球固有の文字ありし

J

(

1

9

0

5

・明治

3

8

年)という浦添関係の論 文を発表した。今日では沖縄学の父と呼ばれ る伊波普猷が、沖縄研究者として歩みだした 頃の論考である。

1

9

0

6(明治3

9

)年に大学を

卒業し、沖縄に戻り文献・民俗資料の収集を 始め、次々と論考を発表、また多くの講演な どの活動を行なったo その後、

1

9

1

0

(明治

4

3

)

年に開館した県立 沖縄図書館館長として、郷土史料室の郷土資 料を精力的に集め、研究を続けていた。後に 伊波が沖縄を離れる決意を固めたのは、

1

9

2

4

(大正

1

3

)

年のことである。翌年上京した伊 波普猷は、それまで以上に沖縄と向き合い沖 縄研究を深化させ、次々と「沖縄学jの名著 を発表し続けた。伊波が沖縄を離れてから

2

3

第1聞物外忌 1968年8月13日 浦添域社内に伊波霊匝が出来、遷骨法要が行われた。 年目、終戦直後の1

9

4

7

(昭和

2

2

)

8

1

3

日、その生涯を捧げた沖縄研究の仕事を終え た。 伊波の死について確認しておきたい点があ る。伊波の死を悼み、柳田国男や折口信夫が 中心となり行なわれた東京での連盟葬日時は、 その年の1

0

1

7

日 (

r

伊波普猷全集

1

1

巻j年 藷、

1

9

7

3

、平凡社)と広く認識されているが、 当時の

f

沖縄新民報

J

(

9

5

日)、

f

うるま 新報j

(9

2

6

日)の報道から、

9

1

6

日に 行なわれたとする判断が妥当であろう。そし て1

0

月初日には、国学院大学講堂で伊波の追 悼講演会が開催されている。 東京帝大出身の伊波は「郷里の事情は私が 1個の学究として立つのを許しませんでした

J

と述懐することがあった。明治 ・大正・昭和 を通して、沖縄びととして郷土を学ぶことで、 沖縄に向き合った存在は、時には時代状況に 失望のふちへと沈んだこともあったかと思う。 自らの研究を深める事で、沖縄という泉の 豊かさを人々の記憶にーと、それを何よりも 望んだ存在は、死後

1

4

年目に沖縄研究の後輩 達が中心になった顕彰事業の取り組みによっ て1

9

6

1

(昭和

3

6

)

年、浦添の地に眠る事にな る。浦添市(当時浦添村)の協力で浦添城祉 の一角に霊園が造られた(グラビア参照)。 それから伊波普猷の命日 ・

8

1

3

日には、 伊波を慕う人々で物外忌が行なわれるように なった。物外とは、伊波の雅号で、程j順則の 詩の 「物外楼上物外人」から取られたとされ ている。那覇西村の生家

2

階の書斎を物外楼 と呼び、沖縄への思考を深めていったo この 物外の号は、上京後ほとんど使用していなし、

1

9

5

5

(昭和

3

0

)

年には、伊波普猷所蔵資料 の一部が琉球大学に伊波普猷文庫として所蔵。

1

9

7

3

(昭和

4

8

)

年には、沖縄タイムス社創立

2

5

周年事業で、伊波の業績を顕彰し、後に続 く研究者の著作に贈られる賞として、 〈伊波 普猷賞〉が創設された。

1

9

7

5

(昭和

5

0

)

年に 夫人 ・冬子が死去。

-46

(3)

-生誕百年記念。第9因物外忌 1976年8JH3B(金) 新屋敷挙繁氏「浦添のことども j と題してスピーチ

1

9

7

6

(昭和

5

1

)

年には、伊波普猷生誕百年 記念事業が全県規模で行なわれ、

f

伊波普猷 全集

J

(平凡社)の発干1)、展示会、講演会等 充実した内容で、伊波普猷の名と業績が沖縄 人の記憶に残ることの意味において最大の取 り組みであったoその後金城正篤、高良倉吉、 外間守善、比屋根照夫らによる伊波普猷研究 も盛んになった。 伊波の死後、各分野の沖縄研究は、確実に 充実した成果を残していく。 一方

1

9

8

0

年代後 半から伊波普猷研究は次第に数が少なくなる。 同時に顕彰会も解散し、 物外忌も組織で行な われなくなった。浦添市役所文化課職員数名 が、その墓参を継承してきた。 そうした中で

1

9

9

3

(平成

5

) 年は、 伊波 研究にとって久々の特筆すべき年となった。 その年に

f

伊 波 普 猷 全 集 全

1

1

巻J(

1

9

7

4

-7

6

、平凡社)が平凡社の創業

8

0

周年記念を機 に、復刊されたのである。同時に復刊された のは

f

知星具志保著作集j、

1

河野 六 郎著 作 集jであった。

r

ことばの研究を基軸に日本 列島〈周辺〉の文化に自を向けた、 各分野で の比類のない達成であり、今後も一大礎石と なり続ける偉大な業績である。

J

と未来へ向 (岩波書庖)も発刊され、伊波研究への新し い視点を示した。 物外忌は現在

(

1

9

9

0

-

-

-

)、伊波普猷夫人の 従妹で、東京時代伊波夫婦と同居生活も経験 された比嘉美津子氏(浦添市牧港在)と一緒 に、浦添市立図書館沖縄学研究室のメンバ一、 その他の研究者数名とで行なう墓参が、ささ やかな物外忌となっている。戦前の伊波を知 る数少ない諮りべの比嘉美津子氏は、伊波普 猷の思い出話を、物外忌前後に毎年地元の新 聞に投稿されてもいる。

2

.

浦添市立図書館沖縄学研究室と物外忌 伊波普・猷は、「おもろさうし j を初めとす る文学研究、歴史 ・民俗研究を中心とする郷 土研究分野に力を注いだ。その学問体形につ いて伊波自身は

f

私の沖縄学の体系

J

(改版

f

古琉球

J

P36

1

9

4

2

、青磁社)と述べてい る。ちなみに金城朝永 (1

9

4

8

)

1

9

5

2

(昭和

2

7

)

年頃の新聞に使用される郷土研究には 「琉球学jの語が多く用いられている。 現在、沖縄を対象にした様々な分野の研究 は、細かな概念規定の議論は存在するが、一 般的には総合して「沖縄学

J

と呼ばれている。 地元の研究者も増え、多くの研究成果がある。 その対象は専門性も高く、細分化される傾向 にある。県内外、そして諸外国で沖 縄学研究 の裾野は広がっている。 こうした多くの分野、そして専門性の高い 研究が隆盛を極めていく流れと平行して、県 内の各市町村では、地道な市町村史(誌)編 纂事業が取り組まれ、図書館には郷土コーナー が設置されて、足元の豊かさに触れる機会も 多くなったo 浦添市立図書館には、郷土コーナーとは別 に「沖縄学研究室」としづ、いささか国苦し い看板を掲げた部屋があるo

1

9

9

0

(平成

2

)

(4)

の利用者と共に、沖縄学の内容に関する県外 や外国からの問い合わせも多い。 この部屋では、伊波普猷の命日

8

1

3

目前 後に、沖縄学講座・物外忌記念講座を開催し ている。伊波と絡めた現代の沖縄学をテーマ に行なわれ、毎年恒例となったこの講座は、 年

1

6

間開催される中でも人気が高い。 1993年物外忌、この年刊行された鹿野政直 f沖縄 の淵j、高良倉吉『琉球王国jを墓前に報告。 今年は、伊波普猷没50年を迎える。約50年 という歳月は、戦後の沖縄、そして沖縄学の 歩みと重なる時間である。沖縄研究は、どの ような泉を掘り得たのか。どのような豊かさ を知る事ができたのか、そして何を知り得て いないのか。 伊波は、ニーチェの「汝自身を知れ、そこ には泉あり

J

の言葉を繰り返し語った。その 言葉をかりで「深く掘れ、己の胸中の泉、余 所たよて水や汲まぬごとに」の琉歌も詠んで いる。自分自身の立つ場所を深く理解すれば、 そこには泉のように豊かな世界が広がってい るという意味だ。 伊波普歓没50年を記念して、伊波普猷、そ して沖縄学が注目される機会の多い年になる に違いない。1個の学究として存在すること を阻むものはない現代である。各分野それぞ れの泉を存分に掘り起こせる自由こそが〈豊 かさ〉だと思う。その確認をしながら、現在 にこんこんと湧く泉に触れたい。 静かに眠る伊波を父と呼ぶことで、権威と いう孤独な場所に置き去りにしないように・凸 そういうく豊かな>没50年を迎えたい。 浦添市立図書館では、伊波普猷没50年を迎 えるにあたり、ふたつの基本的な点を確認し たo一つは、伊波霊園の造営事業などを含む M く浦添と伊波普猷関係>資料を収集し、充実 させ整理すること、ふたつめは、物外忌を記 念して毎年開催されている沖縄学講座、そし て沖縄学研究室で収集した伊波普猷関係資料 を

f

浦添市立図書館紀要jで報告することで あった。新しい試みよりも、これまで行なっ てきた地道な活動をまとめることを主体に考 えた。 また今回「特集伊波普猷ー没50年記念一

J

では、1972年に刊行された伊波普猷研究書

r

r

沖縄学」の父 ・伊波普猷

J

(金城正篤共 著 ・清水書院)の著者であり歴史学を通して 沖縄学に取り組む高良倉吉氏(琉球大学教授・

2

代浦添市立図書館長)の 「我が伊波普猷

J

と、近代思想史から伊波普猷に視点を注ぐ若 手の研究者で、物外忌記念沖縄学講座でもお 世話になった屋嘉比収氏(九州大学大学院生) の

r

(琉球民族〉への視点ー伊波普猷と島袋 全発との差異

-

J

2

篇の論考を収録するこ ができた。 また既刊されている

f

浦添市立図書館紀要

N

O

.

3

j (1991)に掲載された、岸秋正氏 (資 料蒐集家 ・故人)

r

新発掘の伊波普猷論文に ついてjと、小野まさ子氏(?中縄県公文書館 職員 ・前浦添市立図書館沖縄学研究室勤務) 「く琉球史料叢書>の出版記事紹介j の文章 を、あえて転載することで、伊波関係資料と してまとめることにした。 また

f

浦添市立図書館紀要

N

o

.

7

jには、末 次智氏(四

(

f

条畷学園女子短期大学専任講師) の研究論文「伊波普猷と新おもろ学派ーナショ ナリズムと郷土=沖縄研究

-

J

が掲載されて -48

(5)

-いる。この論考に関しては、発刊年が最も近 いこともあり、 NO.8と共に情報が提供可能と 判断し、転載をしていない。

3

年程前「沖縄の

8

割の高校生が伊波普猷 を知らない

J

という新聞ニュースを自にしたo 伊波を知らないというこの圧倒的な数字より も、沖縄の歴史や文化や、多くの島々からな る沖縄の間取りや表情に、脱気な情報しか持 ち得ない若い世代が多い中で、 2割の学生が 知っていたことの方に意外な印象を受け、嬉 しくなった。

f

浦添市立図書館紀要

N

u

8

J

を発刊するこ とで、図書館を訪れる若い世代に、少しでも 伊波普猷の業績、沖縄学の表情を、紹介し情 報提供できれば幸いである。 (粟国恭子) 1994年物外忌 比嘉提i傘子氏を囲み、 2E聞にて 思い出話を聞く。 1992年 物外忌 1996年物外忌 8月15日(台風のため2日後の物外忌 ) 折口信夫研究者の阪弁芳賀氏も参加。

参照

関連したドキュメント

 平成25年12月31日午後3時48分頃、沖縄県 の古宇利漁港において仲宗根さんが、魚をさ

和牛上カルビ/和牛サーロイン 各30g Japanese Beef Near short ribs/Japanese Beef

(以下、福島第一北放水口付近)と、福島第一敷地沖合 15km 及び福島第二 敷地沖合

学校の PC などにソフトのインストールを禁じていることがある そのため絵本を内蔵した iPad

In this study, spatial variation of fault mechanism and stress ˆeld are studied by analyzing accumulated CMT data to estimate areas and mechanism of future events in the southern

、「新たに特例輸入者となつた者については」とあるのは「新たに申告納税

[r]

きき 2007.4. 16 NOAA とカリフォルニア保護委員会は、