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ロストウ理論の諸問題: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

ロストウ理論の諸問題

Author(s)

狩俣, 真彦

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 6(2): 1-20

Issue Date

1966-04-01

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10982

(2)

るふ 民間

五 四 三 二 一

ア メ リ カ の 世 界 戦 略 ロ ス ト ウ 理 論 と そ の 背 景 ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題

ロストウ教授の考え方は共産主識の一元論に対して多元的な社会発 展 の 理 論を提起するものであると説明されてい る。例えばロストウの五段階説は次の様に評価される。﹁マルクスが 社会発 展の過程の 基礎 を 経 済に求めて、これを 一一括的に説明レょうとレたのに対して、ロストウは 意識 的に、社会発 展 に 多 元的な決定があることを強張する。そレ てそれによって現代の複雑な諸現象を無理なく説明するのにある程度成功しているのである。﹂ ロストク教授自身色、多一苅的な考え方にもとづき多様な人間性にフィットする多元的社会を ア メ リカが 実現 しよう ( 1 ) ロ ス ト ウ 理 論 の 諮 問 題

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沖 大 論 叢 としているのだと考えている。アメリカはいわば典型的な多元的社会であり、その様な多元的国家の共同体を世界的 な拡がりに於て実現することが ア メリカの世界戦略の終極の目標であるとされる。 ﹁ 現 代 の 世界 を吟味するも のはだ れしも、歴史の巨大な流れが世界を一元的な考えから多元的な考えへと押し流レていること、すなわち世界を 共産主 義から国家の独立と自由へと押し流していることに疑念をもつことは出来ないだろう。誰も将来の波は唯一の独断的 教義による世界の征服ということにあるのではなく、自由な国家、自由な人の多様なエネルギーの解放にあるのだと いうことに疑念をはさむことはできない。・:たくましい、生命力に 窟んだ 世界共同体の輪郭が現われつつある。:・わ れわれは、自由な多様な世界 Jのビジョンをつかみとらねばならない。ーそしてより弾力性に 富 んだ世界秩序にむかつ て進歩が促がされるよう、政策を形成しなければならない。これが今日の世界におけるわれわれの政策の統合的な 精 神 で あ る 。 ﹂ ( 2 ﹀ アメリカ市民の代弁として、ある時は社会学者として、ある時 は政策立案者として、くりかえし主張する。しかもロストウは極めて意識的に時代の子としてこのような役 割をはた そうとこころざしているのマある。彼はいう﹁社会 学者 も自然科学者もこのことを弁解する必 要 は な い 。 われわれは 西 ヨ l σ ッパの知的生活の長い伝統を放棄しはしなかった。自然科学上の基本的、理論的 業績の多 く は 、 実際問題を 解決する努力から生まれた。古代世界のナイルの氾厳から一六・七世紀の航海の必要性、そして現代のビールスを知 りこれを撲減しようとする闘争にいたるまで、そのようなも の であった。社会科学に於いても、アリストテレスから ケインズにいたるまで、偉大な理論的労作の一部は、その時代のために 書 かれたものであった。﹂ ( 3 ﹀ しかもロストウは国務省の政 策委 員 長 と し て 、 事後的 に は と も か く 、 短期 的には自己 の考えを ある程度 客観化でき ハ 4 ) ロストウはおよそ以上のような考えをある時は、 る立場におかれている。

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づ れ に せ よ 、 こうレて西ヨーロッパの伝統に立っと自負するロストウ教授の理論と 実 践は見事な調和を保っているのである。-い ロストウは軍事、外交、政治、経済を統一的にとらえ、アメリカの世界戦略としてまとまったものに統 一じてみせたのである。そのこと自体としては多いに評出帆されるべきことであろう。しかしながら他方では‘こうし た統一・的な考え方が生れることがそのまま時代の要 請 であり、統一的な戦略以外の方法では共産主義に有効に対処で きないのだという、うがった観方もなりたつであろう。﹁ニ

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世紀にはいってからの資本主義社会での急激な 生産 技 術の発展は、だれしも予組しなかったほどに、社会的分業を多様化し細 分 化した。それにともなってブルジ ョ ア 諸 科 学も苅プログラムチックな色彩を強めながら、同時にいちぢるしく分佑、個別化-する傾向をたどった。このような科 学の分佑、専門佑は、他方でトータルな視点の分裂として作用レ、社会科学の世界でマルクス主義という資本主義社 会の否定をめざす統一的な思組、理論の功勢を前にしてしばしば各個撃破のうきめをみるという状況を現出してきた とりわけ、第二次世界大戦後における社会主義閣の拡大と思組浸透は、世界政治、経済での資本家階級の主 導 力を いちぢるしく制約していった。こうした危機にあって、現代に到る歴 史を 資本主義の側から 意 味あるものにえがきだ し、ブルツョアツーにとっては、自分たちの役割を希望あるものに位 置 づけ、先進資本 主義国 家の使命を意 義 づ け て ︽れるような全体的な史観と世界像が、どうしても必要であった。社会主義のインパクト

K

対抗するには、そのよう な理論的武需が必要であった。そしてロストウ理論は、右の要求にかなりの程度、こたえうる性格をもっていたとい え よ う 。 ﹂ ( 5 ) い づ れ に せ よ 、 ロストウ教授が多元的な観点から現代に対処するトータルな理論をつくりあげた事は多いに評価さ 語は非常にル l ヅな言葉づかいであり、 れるべきであろう。だが反面、多元的な考えとか多様な人間性とか弾力性に富んだ社会とかいう‘ロストウ教授の用 いろんな誤解を招くことになりかねない。 ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題

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沖 大 論 叢 四 およそ反対意見に対して何 事 かを有効に主張する場合、通常の場合一元的に主張が な される。事実、ロ ス ト ウ 教 授 の用法に於ても、多元的な考えということは‘す べ ての考えを肯定することピけではないし、ましてや多元的 社 会と いうことですべての社会を肯定する釈ではない。ロストウ教授の多元的な考えとは、いってみれば、非マルクス的考 えというほどのことであり、多元的社会とは非共産的社会ということである。 が っ て 、 したがってロストウの考えもマルクス主義に関する限りは相容れるよ う なマイルドなものではないのである。した ﹁解決を求められている究極の問題は、はたして、この地球という小さな感星は 共産 圏 の ロ ス ト ウ は 云 う 。 原則のもとに組織佑されるべきなのか、それとも、人聞の自由のために 身 をささげている 独 立の民族国 家 の あ い だ の 自発的な協力の原則のもとに組織化されるべきな の か、という問題である。もしわれわれが、自由のフロンティ ア の 現状を守ることに成功するなら、この力の詰練の結未は、ゆっくりと動いている歴史の力によって決定されるのであ ろう。その結未は、私が先にあげた世界状勢の諸要素を、共産主義者たちではなくて、ほかならぬわれわれとわが友 邦とが捕捉し組織することに成功するかどうかによって決定される。﹂

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﹀ 明らかにロストウ教授は、﹁社会の発展や社会 の 構 成に法則が存 在 する﹂ことを主張しているのであり、しかも彼 の法則はマルクス主義と決して相容れないと主張しているのである。

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﹀ 又或る論者は次の様に云う。 ﹁全体としてロストウの史観は集合論的な性格が強く、なにをどこから借りてきてい るかを断わらないから、集合の構造があいまいで便 宜 的だという弱点をもっている。なんでもかんでもはいっている が、理論の骨格がひ弱だという限界が、最初から 最 後までつきまとうのである。﹂

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﹂ しかしながら、ロストウの本 意 はかなり、はっきりしたものであり、 多 元論、多様性といってもマルク ス 主 義や 共 産世界と相容れないという点ははっきりしている。資本主義の枠内における多様性ということであり、共 産 国 家 に も

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またがる多様性ではない。 しかもロストウが描いている多様な国家の典型はアメリカである。 ロストウの世界戦略の支えをなす五段階説は、 経済発展の頂点に高度大衆消費時代を置いた。しかも高度大衆消費時代の典型はまさしくアメリカの経済様式にすぎ ロストウ教授の五段階説は、 アメリカの経済の現段階から逆算して作られたものであり、その点 ない。してみると、 では五段階説はアメリカの立場の合理化であるともとれよう。・そうすると多様な国家の共同体を世界的ならしめると いうことは、世界の経済をアメリカナイズするということにすぎなくなる。こうした主張がアメリカ以外の国々から は、いさみ足と映るであろうことは容易に想像がつく。事実、ロストウの論述の端々には、白人の使命、アメリカの 使命、西洋的価値観といった考えにつらなる様な描写が垣間みられるが偶然ではあるまい。 ロストウの理論がトータルなものを意途し、しかも西ヨーロッパの伝統になら唖て実践的なものであればあるほど アメリカの戦略に対するアグノステックな面の要請もおおきくなるのである。 注 注 注 注 注 注 注 七 六 五 四 三 二 一 ロストウ著経済成長の諸段階における訳者のまえがき ロストウ箸七階からの観察第四、五頁 ロストウ著前掲書第六四頁 都問問重人著経済と現代第二二頁以下における都留数授にならった 長洲、富塚編著現代の資本主義第一五三頁以下 ロストウ著七階からの観察第四

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頁 日本文化フォーラム編﹁ロストウ理論と日本経済の近代化﹂において高橋数授はロストウ理論の方法論に色々と疑問 を 提 出 し て い る 。 第 七 三 頁 以 下 長洲、富塚編著前掲第一五二頁 注

i、 ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題 五

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神 大 論 叢 占

すでにのペた通り、アメリカの世界戦略の究極の目標は、自由な国家の共同体を世界的に実現することである。し かしながら自由な国家の共同体を建設する前提として、先づ平和をならしめないといけない。共産主義の直接侵略の 脅威のもとにおいては、自由な国家の建設などおよそ考えられない道理である。したがってアメリカの世界戦略も共 産主義の脅威をとりのぞくという純軍事面と、平和共容のもとに自由な国家の共同体を建設するという積極的な面の 両がらみの戦略になる。ここでも統一的な戦略以外に共産主義に有効に対処する策はあり得ないのである。 ロストウ教授の段階説の教える処によれば、経済の成長がすすみ、成熟期に到達した国は、経済の法則の必然性か ら解放されて、その望むところに従って自己の達成した生産力を用いる方向を選択し得るようになる。その際に選抗 される可能性とレて、大衆消費、福祉、軍備拡張の三つの方向が考えられる。例えばアメリカは大衆消費の方向へ進 んで来たし、ヨ l ロッ-パは伝統的に福祉国家の方向に比重をおいている様に考えられる。色々の指標の示すところに よってソビエトも勿論、成熟を達成した経済であることに異容はないが、その際ソピエットが選んだ方向は軍事国家 ﹁成長段階説の観点からすれば、ロシアは、高度大衆消費時代の到来を のそれである。その理由は次の通りである。 延期ないしは挫折させることによってその成熟を世界支配へと転換しようとレている国である。しかしロシアがその ような態度をとっているのは、両方陣営に対する一時的勝利の見込みがきわめて強いからではない。四シアの安全が それ以外の方法ではより廉価かつ有効に保証されえないからでもない。軍備競争を継続することがロシアの国家的利 益であるからでもない

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むレろその反対である。つまりロシアがそのような態度をとっているのは、共産主義体制が 近代社会の一つの特異形態であって成長問題の供給面にしか適していないからである。それはおそらく離陸期にも適

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でいよう?ただじ、農業における共産主義に固有な困難を考えに入れれば、そのことはまだ証明きれてはいない。 しかしいったん共産主義の支配が社会をしっかり促えると

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スターリンの示したように

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共産主義が社会を離陸から 主業の成熟へと推進しうるということは確かである。しかレその本質上、共産主義は高度大衆消費の時代においては 哀えそうに息われる。そしてこのことがモスクワでよく理解注れていることもまたほとんど確実である唱﹂ ( 1 ) ー も 遊 館 ・ ツ ヴ イ エ ッ ト は 国 民 総 生 産 の お よ そ ニ

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を軍事目的に配布しているし、しかもその第一線科学者の大きな割 合を軍事関係に集中している。更にこうした組合わせを、新兵器に重点的に配分すると云ういわば一九三

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年代にド

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ツと日本がとったやり方を繰り返しているのである。こうした背景からもたらされる脅威は、全面戦争の脅威、尉 地戦の脅威 n 心理的なおどしの三つがその組合かせになっで効力を発する。ハ

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﹀ 現実には戦後この方、共産主義の戦略はアメリカとの全面的な対決をさげ、心理的なお

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しと自由主義陣営の弱い 環を破って侵入するという方向を選んで来た。一勿論]ソ連一は今日、全面的核戦争を遂行する能力を備えているし、そ の考慮は常にはらわれるべきである。しかしながらプラグマテックな理由から全面戦は、ソ連の選抗する処とならず 弱点をつく効果的な戦略がこれまでのソ述のやり方となってきたのである。﹁これまでのところでは、アメリカとの 全面的核戦争を回避宇ることが共産主義者の政策であうた。こうした全面核戦争は、共産主義者の支配下にある社会 に莫大な損害を与え、その支臨の継続をまったくあやふくする結果となるのである。・:自由主義世界に対する共産主 義者の浸透は‘核戦争に対する自由主義世界の恐怖を利用するようにもくろまれた一連の政治的圧力と、自由主義世 界の特定の脆弱な地域や型に対して部分的なさヤりをいれることにその基礎をおいて来た。﹂ ( 3 ) "ロストウ教授によればこうしてもくろまれた戦後の共産主義の攻勢はおよそ三つの時期に分類できる。先づ第↓の 段階が終戦から朝鮮戦争に至る期間。第二次戦の勝利がみえるとモスコ

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は戦争と戦後の数年が必然的にもたらすで ロストウ理論の諸問題 七

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神 大 論 議 i¥ あろう混乱を利用すべく、積段的な準備を整えた。他方アメリカは大巾な軍縮を始めたのである。こうした背景のも と応戦われた局地戦は朝鮮休戦をさかいに一段落をつげるのであるが、その時すでにスターリンは東ヨーロッパを、 毛沢東は中国を確保していたのである。 ( 4 ) 朝鮮の休戦以来第一号人口衛生が打ち上げられた一九五七年一

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月までに比較的平和な時期が続く。それは対外的 にはアメリカが通常戦を戦い抜く意志と能力を備えていることをそれまでの局地戦でソ連が悟ったことになる。又内 部 的 に は 、 スターリンの死で権力闘争がい腕きソ連の支配機構がゆらいでいたことになるのである。 ソ連の攻勢の第二段階は人口衛生の打ち上げに始まりキューバのミサイル危機にいたる時期である。スターリンの 死後の内部抗争もおさまりフルシチョフの支配が確立した。 iこうしてフルシチョフのスプトニック攻勢が始まったの で あ る 。 ﹁ ス プ 1 トニクが一九五七年に打ち上げられると、 つづいてソ連は非共産世界

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とくに東南アッァ、中央ア ベルリン近辺

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に対する圧力を強化しはじめたソ連の宇宙における顕著な成功は、共産 フリヵ、ラテン、アメリカ、 主義が科学および技術に対する鍵を握っているということの証拠として受けとられた。多くの人々は、共産主義を人 類の不可避の運命とする考えを承認しはじめた。﹂ ( 5 ) ロストウ教授の段階説によると先行条件期から離陸期に至る期間は必然的に内部的な不安な時期である。文郎階級 が地主から産業資本家にかわる。生産や生活様式や風俗習慣が封建的、封鎖的なものから開放的なものへと変る。こ うレた過渡期の中にある不安をついて、援助、政府転覆、ゲリラ戦を弾力的に駆使するのがソ連のやり方である。し かしながらケネディ政権の果敢な努力によってキューバのミサイル危機を最後にフルシチョフ攻勢は終りをつげた。 こうして現在アメリカはいわば第三の時期に立っている。明らかに振子はアメリカに優位にかたむいている。この 第三の段階を最大限に活用することをおこたってはならない。ロストウ教授の此の段階における提案は概して平和共

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存のプログラムとでもなずけられよう。先づ第一にアメリカがおこたってはならないのはソ連の戦略と過去の経験に ﹁火薬はつねに乾燥した状態で保存されねば ならない﹂ということであり、必要ならソ連の第四の攻勢もおそれないという態度だという。第二に核戦力が拡散レ てらレて一瞬も軍備の手ぬかりがあってはならないということである。 軍備が各国聞に多様化されていくような世界に於ては、ロシアの国家的な利益は本質的には先進国としてのものであ り、アメリカ、西ヨーロッパ、日本の利雄と同列のものである。 ( 6 ) 従ってワシントンと協力して平和の骨組みをつくり多様佑レて行く諸国の戦力をその枠の内にとりこむ努力をする ことこそソ連の取るべき合理的な政策なのだ。 第三に、しかしながらアメリカはこうした平和共存の下に於て、決して自由な国家の共同体の建設と云う究極の目 的を忘れたのではない。これまでの戦略のすべては、むしろこの目的を達成する為の条件を整えたに過ぎない。 こうした観点から戦後のアメリカの援助は先づヨーロッパの復興にむけられた。マーシャル援助は図に当たりヨ l ロッパに於てもアメリカ的な経済の発展がみられるようになったのである。アメリカだけは特殊なケ l スだと云うア メリカ例外論に対し、経済の発展は結局、高度大衆消費時代をもたらすということが先進国で証明されたことになる しかしながらこうした先進国における発展はむしろ一共産主誌の活動計画に対して障害となる為に、共産主義者はか えつで低開発地域により大きな希望をよせることになるのである。こうして東西の援助の競争が与える方でも受ける 方でも、意識的計画的に試みられることになるのである。しかしながら此処で注意されるべきことは、経済の発展と いうことはその政府と人民が自分自身の資源を組織化する自覚と能力によってもたらされると云うことであり、 外 国の援助は副次的な寄与にすぎないということである。又経済の発展には万能薬はないのでありアダム・スミスがか つて考えた様に﹁農業生肢が、成長の初期的段階にある国家の発展のための、最も広い意味での基本的運転資本とな ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題 九

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沖 大 論 叢

るということである。もう一つの命題は、工業佑は、その利潤と運動量とを発展が許すかぎりの専門化と能率をとも なった市場の漸進的拡大に依存している。﹂ということである。 共産主義的発展は例外的なものであり、しかもスムーズな発展が失敗したときにのみみられるものである。しかも 共産主読は、せいぜい成熟期までの期聞にかろうじて有効性を保つにすぎない。ト

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マス・マンの三世氏に於て最初 の世代は金を求めた。ニ世は地位を求めた。三世は芸術を求めた。ソ連に於ても、革命の後に生れた三世代目は、高 ハ

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﹀ 度な生活と自由を求めるであろう。 平和共容の帰結は、自由な国家の共同体へと世界をみちびくに相違ない。 注 注 注 注 注 注 注 七 六 五 一 四 三 二 一 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 経済成長の諸段階第一七八貰以下 前掲第一三五頁以下 七階からの観察第四九頁以下 前 掲 第 二

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頁 前 掲 第 四 頁 経済成長の諸段階第一七三頁 七階からの観察第一七三頁

自由な国家の共同体を世界的に建設するという究極の目標を抱いているロストウの信念の支えをなすものは、明ら かに彼の五段階説である。

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ロストウ教授に従えば社会の経済の歴史的発展の過程は伝統的社会、離陸の先行条件期、離陸期、成熟期、高度大 衆消費時代という五つの段階に分けて整理することが出来る。 中国の諸王朝や中東、地中海文明、巾世以前のヨーロッパ等のいわゆる自己維持的成長に達する以前の経済が伝統 的社会である。こうした社会に於ては生産が自然の支配の一卜になされる為主として農業を中心とする経済にならざる を得ない。従って土地に関係する貴族がエリートを形成し、社会的剰余はすべてこうした人々によって浪費される。 単純な再生産の域を脱し得ないのは当然である。 ニュートンをさかいにしてヨーロッパの伝統的社会は変化を始めた。科学的考え方の普及が生活態度の合理化、社 会的剰余の資本家的投資、生産力の自然からの解放をもたらしたのである。 こうして先行条件期、離陸期を通してとり入れられた生産力は生産の全分野に拡がって生産を高めて行き、遂に大 衆消費時代をもたらす、というのが成長段階説の概要である。ロストウに従えば、高度大衆消費時代の典型はアメリ カの社会である。アメリカに於げる大衆消費時代は丁度、フォードの丁型乗用車の普及にきっかけを持つ。乗用車の 普及が郊外住宅への移動を可能にしたのであるが、郊外住宅に住うという事は当然に、其の中に備えられる、電話、 冷蔵庫、ラジオ、テレビ等に代表きれる耐久消費財の普及をまねく。 高度大衆消費時代のシンボルに自家用車と耐久消費財をロストウがえらぴ出したのはまことに当を得ている。ニ

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年代の変化の特徴をきわだたせる三点は、第一に中産階級の勃興、第二に郊外人口の増加、第三に製造業の産出高に しめる自動車や高級傭詰食品の比率の増大であると指適する。一余りにも印象ぷかいロストウの描写を引用するのも無 駄 で は あ る ま い 。 ﹁アメリカ合衆国は自動車にのって走りはじめたのである。これはまさしく大衆自動車の時代であ った。自動車とともに郊外に新しく建てられた一世帯用の住宅へと大挙して圏内移住が始まった。そしてこれらの新 ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題

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沖 大 論 議 レい住宅は、ラジオ、電器冷蔵庫等の家庭器具によって次第に充たされていった。これらの家庭器具は、労働力移動 と生産性向上とが個人サービスをほとんど払拭してしまった社会に於ては、必霊品となったのである。これらの住宅 の で あ る 。 自 動 車 、 の中で、アメリカ人は彼らの食料消費を次第に幡詰│あるいは後に冷凍ーの形で買える高級品へと切り替えていった 一世帯用住宅、道路、家庭用耐久財、高級食品に対する大衆市場!これらすべては一九ニ

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年代 において起ったアメリカ社会の変形を充分に物語っている。そしてこの変化が一九ニ

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年代のブ l ムを支え、この大 陸の生活様式全般を求婚の仕方にいたるまで変革レたのである。﹂

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﹀ ロストウの成長段階説の最高の段階が高度大衆消費時代であり、しかも尚皮大衆消費時代が如何にも典型的なアメ リカ的生活の描写であることを考える時、ロストウのアメリカ経済に対する自信と信頼が如何に大きいものであるか 容易に想像されよう。 ニ

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年代に始まるアメリカ的な経済に対する信頼はもともと三

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年代の不況を通して一度は根底から失われてしま っていた。人々は不況を通してアメリカ企業、アメリカ政府、アメリカ的生き方に恐怖をさえ感じていたのである。 ﹁事務員はぺンをブラシに持ちかえて、オフィス街で靴みがきで暮しをたて シアノンの描写をかりれば次の通りだ。 ょうとしていた。失業し住宅を追われたものは浮浪罪でっかまることを待ち望んでいた。豚管にはいれば寒さと飢え をしのぐことができるからだった。 一

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万をこえるアメリカの労働者がソ連邦の求人に応募した。工業都市の中や周辺に掘立小屋の街が造られ、大恐 慌から生れたこの住宅の住人たちは、自分たちの住みかを、アメリカ大統領の名をとってフ

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村と云う辛諌な 師 ザ び か た を し て い た 。 ﹂ ( 2 ) しかしながらニュ

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ルと、続く第二次戦を通して破産した独占資本主義はすくわれたのである。人々はアメリ

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カ政府と企業に対する信頼をとりもどしたし、ニ

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年代に始まった尚度大衆消費時代は、永遠の開花をみせたのであ る

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﹀ しかも事後的にケインズ経済学によって補強され、呼び名も人民資本主義とか豊かな社会と商目を一新するに至り かつてのペッシィミイズムはほとんど後をたった様な状態にある。ロストウの考え方もこうしたいわゆるケインズ体 制の系譜であり、ケインズ体制家のアメリカの繁栄を背景にしてなり立っているのである。彼のケインズに対する商 い評価を散見するのは当然であろう。﹁近代的民主々義社会においては失業の小さな谷間に対してすらも政治的過程 がきわめて敏感であるということをみるならば、雇用水準に関して恵情で臆病であった一九ニ

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年代、三

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年代の政 策は、もはや西欧社会において到底容認されえないものであることは、あらゆる点から信ずることが出来る。そして 今日ではその方面での│ケインズ革命による│技術的秘決が広く理解されている。ケインズは資本主義下における失 業の辿る道についてマルクスの立てた予測を打ち破るという仕事を自らに・課したのであることを忘れてはならない。 そして彼は大体において成功したのである。﹂

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﹀ こうした理論と現実にさきえられて、ロストウは高度大衆消費時代への移行をヨーロッパや日本其の他の先進国に おいてよみとるのである。ロストウの観察にしたがえば、かつて晴好の相違とか国民性の相違とか考えられた事象が 実は相対所得によってほとんど説明されるという。従って西ヨーロッパ人や日本人は、すでにアメリカ的に振舞いつ つ あ る 。 後 進 国 の 人 々 も 、 ロシア人達もその中にアメリカ的に張舞うであろうことが予想されよう。 高度大衆消費時代の一般佑ということは、その反面として当然にもっとも非アメリカ的な経済の発展をとげそして 今なお非アメリカ的生活をいとなむソ連経済の特殊化ということを意味する。従ってロストウのツ連経済の評価は拒 ( 5 ) め て き び し い も の に な る 。 ロ ス ト ウ 理 論 の 諮 問

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沖 大 論 叢 四 ロストウによれば経済の発展は伝統的社会から先行条件期、離陸期、成熟期と順序よく発展して高・度大衆消費時代 へとスムーズに移行するのが通常の発展段階であり、又望ましいと考えられる。革命による移行はこうしたノーマル な移行が失敗した結果としておこる極めて特殊な例外的な成長の過程である。 ソ連の革命は離陸期に於てではなく、すでに離陸を始めた経済を成熟にみちびく段階に於ておこったとみることが 出来る。成熟期のしかもかろうじて工業の分野に於てのみ、革命は当てはまるといえるかも知れない。しかも高度化 した生産、高度の生活に達した時に於ては、共産主義は再び不適当となることはあきらかである。 注 注 注 注 注 五 四 三 二 一 ロストウ著経済成長の諸段階 シャノン編大恐慌第八頁 武山泰雄著アメリカ資本主義の構造第二九頁以下 ロ ス ト ウ 箸 前 掲 書 第 二

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九頁 ロストウ著前掲書第一一八頁 第 一

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五 頁

アメリカの世界戦略の究極の目標である、自由な国家の共同体の世界化という考え方の背後にあるものは、 ウの成長段階説であることは以上でおよそ首肯出来るものと思われる。其の場合、ロストウの成長段階説はアメリカ ロ ス ト の経・併をモデルにしてそれを自由な国家の典型にしているのであるが、はたしてアメリカ的な高度消費時代は各国の 望む処であろうか。

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すくなくともア 1 ノルド・トインピ l は否定的である。彼は云う。 ﹁この数年間、世界の各地を旅行してみて、私 は、現在のアメリカに於げる物質的生活水準が、人類の大多数によってほめられでもいず、うらやまれてもいないこ と を 感 じ た 。 ﹂

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)

アジア・アフリカの人々はマディスマン通りの浪費文明のおきてに従う事は首かせをかけられた様なものだと諮っ ている。富の為にアメリカは自ら既得利権の番人になりさがり、個独となり、理組を失っているというのだ。自由な 国の典型としてロストウが自負するアメリカに対して﹁失われた自由の国﹂と銘うつのは如何にも.陸史のアイロニー で あ る 。 こうした考え方はトインピ

l

に限ったことではない。パッカードもアメリカの持ちもののおよそ半分は肉体的健康 にとって、むしろ不必要なもの、安楽に使いこなすことの出来ない不要品であるときめつける。だがこうした不必要 な商品を生産し、浪費レないことには、経済は大況にあえヤことになるという。従ってアメリカ的制度の一部として こうレたむだ働き、浪費がとりこまれている限り人々は制度のいわば奴れいのようなものである。 丁度シびフオスがたゆみなく岩をおしあげて山頂に登ったりおりたり、無意味な働きをくり返した様に、人々は生 産 者 や マ l ケ タ l にあやつられて寧日なく生活に追われているのである。 まことにパッカードののベる通り﹁生産をつ。つけるために消費を人口的に刺戟しなければならないような社会は尉 やむだの上につくられた社会である。そしてそのような社会は砂上の楼閣である。﹂ 未来のアメリカをパッカードはコニコニピア市と呼ぶ。 コニコピア市では住宅や建物は紙で作られ、自動車はプラ スチック製。もちの短いのがとりえだ。週一度は人口衛生のうちあげがあり、人々は月の裏面に異状な興味を示す。 コニコピア市の市民は生れ出る時、電子計算棉によって一生涯分の商品券を受け取って回り、この商品券をふりふり ロ ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題 一 五

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沖 大 論 叢 一 六 押しボタン式のスーパーマーケットで男女が買い物にはせ

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様が如何にも装観である。事実こうした未来を約束する かのように、ロスアンゼルス、マイアミ、ラスヴェガスといった快楽主義の中心地が他にぬきんでて‘急速な発展を とげつつあるという

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﹀ 都留重人教授はこうした制度の矛盾にさからって資本主義が自らの存続の為に取り得る方法を次の様にまとめられ た ﹁第一には恐慌によっていわば﹃暴力的﹄に生産過制部分の処分を余儀なくされる前に、それをタダで処分すると いラ方法がある。第二には、資本主義の行動方式の中に吸収レ得るかぎりに於て、できるだけムダを多くするという 方法がある。いわゆる﹃ムダの制度佑﹄である。 第三には、将来の需要を借りるという方法がある。これは、現在それに見合った購売能力をもたぬものにたいして 剰余価値の一部分を貸し与え、それによって現在の生産過制部分を買わせるという方法にほかならない。 第四には、財政またはその他の方法により階級的所得分配関係にある麗度の変更を加える、すなわち所得再分配の 方 法 が あ る 。 第五は、本来私的資本の活動分野とレては不向きである有用な仕事を、国家または地方公共団体が行なうことによ って需要を生みだす ζ と、すなわち社会的資本の増強という方法がある ι ﹂ ( 3 ) こうした方法がたとえ効をそうレ制度の繁栄が維持

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れたにしても、こうした方法をとらざるを得なくなった事態 のうちにすでに資本主議はその存在の理由を問われているというべきではなかろうか。 ロストウ教授の成長論に関する疑問は、後進国の開発の点からも提出会れる。 ロストウはソビエトの革命を離陣の為の革命と考えず、すでに離陸した経済を成熟にみちびく役割りレかはたして

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ないと考えレかも失敗の結果としてとられる手段に過ぎないと極めて低い評価をする。ロストウ自身の表現をかり るならば‘﹁スターリンは、後進国近代佑のための建築家ではなく‘近代化完成のための建築家﹂だったということ に な る 。 ( 4 ﹀ しかしながら、革命を通した近代佑の方法がよいのか、スムーズな発展がよいのかは、にわかに、判定できる状態 ではない。例えばロビンソン女史は革命による近代化が望ましいことを強力に主張している。労をいとわず引用する こ と に レ ょ う 。 ﹁現在の世界情勢の動きからわかることは、共産主諸制度は後進国│工業発展の立場からの後進国ーを発展させる 仕事に適しているということである。・:工業技術を発展させ、近代化の道を歩んでゆく封建的な農業経済にとって、 革命を区切りに出発するということは‘きわめて有利である。:・その第一の利益は、革命政府がひきついだ時、その 国の経済生活は意識的計画によって支配されており、計画目的も明らかであるということである。資本主義の工業化 は緩漫で不経済的な詰行錯誤の長い歴史的過程をとおしておこなわれた。しかし現在われわれは大工業国を構成する ものが何であるかを知っている。・:そこで計画経済においては、人々は、工業国となるために揃えなければならぬ構 成要素を論理的に発民させつつ B この機構をできるだけ早ミ再生産する仕事にとりかかる。:・計画経済は、:・最初に 利潤制度のもとでは長い間かかった過程を、近道して通りすぎることができる。:・第二の大きな利点は、不労所得で 生活する階級の人たちが収奪怠れてしまうことである。剰余のうち地主や金利生活者たちの高い生活水準を支えのる に用いられる部分は、投資に利用できる。しかし投資のために既存の剰余を利用するだけでは十分ではない。発展の 低い段階においてその時利用できる剰余の母ば、経諦建設のために必要な莫大な量の投資にくらべればわずかなもの だそこで)発展過程が進むにつれて生ずる剰余

l

それは次第に穴きくなるーをたえず再投資することも、また必要に ロ ス ト ウ 理 輸 の 諸 問 題 七

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沖 縄 論 議 II

なる。そしてこのことは、労働者階級の生活水準がいくらか上昇することはあるにせよ、そう急速には上がり得ない ことを意味している。:::ところで、人々にこのような犠牲を要求することは、民主的な資本主義政府よりも革命政 府のぱあいのほうがはるかにやさレい。・:革命政府の利点は、国民の支持がえられるような明確な目標と理念とをか れらの前にかかげることができるという点にある。:・最後に、革命政府は、資本主義が福祉国家の段階にまで成熟し たのちに資本主義の業績をまねて事を始めるという点で非常な利益をもっている。資本家自身も、資本主義の初期の 極端な残酷さや非道な行ないは経済的ではないということに、長いあいだかかって気がついた。そしてこの制度が進 展するにつれて、人道主義的な考慮を抜きにしても、労働者を取り扱うのに相当な考慮をはらい、保健や娯楽や施設 を与える方がひきあうということが、実際にわかってきた。そこで、新興の経済は、すでに多少とも妥協的になって いる資本主義を模倣しうるのであり、じじっ労働階級に福祉的なサ

l

ヴィスを提供するというかぎりでは資本主義以 上のことをさえしている。﹂ ( 5 ) とにかく内にむかつても外をむいても高度大衆消費時代が必ずしも望ましい経済のあり方であるとばかりは云い切 れない様

r

。 注 注 注 注 注 五 四 三 二 一 ト イ ン ピ l 著夫われた自由の国第八七頁 パッカード著浪費をつくり出す人々第四、五頁 都留軍人編現代資本主義の再検討第二六三賞以下 ロストウ著経済成長の諸段階第九

O

頁 都 留 重 人 著 経 済 と 現 代 第 二 二 ニ 頁 以 下 、 又 は ロ ビ ン ソ ン 著 マ ル ク ス 主 諸 経 済 学 の 再 検 討 第 六 六 頁 以 下

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-

.

﹁現代は帝国主義と共産主善との対立が世界の国際政治と国際経 梼を支配している時代であり、かかる対立関係は永続し得ないものであるから、その意味では、現代の世界は帝国主 轟から次の時代への過渡的段階であるといえる。この対立が解消して、人類の歴史が新しい段階において安定するま では、世界は帝国主義陣営と共産主義陣営との聞の闘争におびやかされて、危機意識をまぬかれないであろう。﹂ そして、こうした対立をさげるには、世界理性ともいうべき何らかの合理的精神が人類聞に発達し、市場や資源が 国際的に管理される必要があると説かれる。 かつて矢内原教授が次の様にのべたことがある。 ( 注

1

﹀ ロストウのみている危機意識も共産主義と資本主義の対立ということでは、基本的に同一のものであると考えられ る。ただ、ロストウは、一歩すすんで成長の五段階説をたてる。そしてその中においてアメリカ経済の発展の過程を 合理佑し一般化するのである。逆にソ連の経済発展を例外化してしまうのである。ぞうすることを通して、資本主義 社会主議と云う観点を成長段階説の中で解消したものと考える。 成長段階説によってソビエト的発展を例外佑レ、アメリカ的制度を世界佑することをロストウは提案しているので ある。こうした自信は、例外的な考え方ではなく、いわゆるアメリカの人民資本主議論者達に共通する考え方である そ の 信 念 の 背 景 を な す も の が 、 コ 一

0

年代の不祝を克服レ戦後の繁栄に連らなるケインズ制度への自信である。 グナ

IN

・ ミ ュ ル ダ

1

ルも西欧先進国における経済問題の解決に関する限り、極めて、高い評価と楽観論をとなえ て い る 。 ・ 只 し か し 、 ミ ュ ル ダ

l

ルに於ては西欧諸国の福祉政策が民族主義的なものであり、福祉世界の形成をさまた ﹁そのような政策をうちたてる心理的基礎がない﹂として福祉的世界に対する悲 げる面があると自覚する。しかも、 B ス ト ウ 理 論 の 諸 問 題 九

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沖 大 論 議 二

O

観を卒直に表明する。 ( 注

2

)

ロストウがアメリカ的高度大衆消費時代をストレイトに世界化することを考えているのに反レ、 ミュルダ

1

ルに於 ては諸国家をむすぷに当つての結ぴの原理のむつかしさが意識されているのである。 ここまで来れば当然に、世界国家を通じて世界経済の計画他まで考えをすすめるテンパ

1

ゲンをとりあげる必要が あろう。しかしながらロストウを中心にした本稿に於ては、ロストウの限界を示すのみで止めるのが便宜だと考えら れ る 。 a ハーバード・アプセカーがライト・ミルズの批判でのべている如く、はなはだちんぷなことではあるが資本主義と 社会主義は生産様式が違うのだということに再ぴ思いを致す事が問題の促進になる様に考えられてならない。いづれ にせよ、現段階ではロストウの考えにも多くの問題が残されているだけに、望調と実践の一致をとなえる教授の態度 にはなはだ危険を感子る。ロストウの考えがトウタルなものをめざす、すぐれた観点からなされているだけに、教授 がオープンな態度、アグノステックな面をのこして欲しいと願うのである。 注 一 注 一 注 一 一 矢内原錫井著国際経済論 グナ l ル ・ ミ ュ ル ダ l ル 箸 ハ I パ l ト ・ ア プ セ カ l 著 第六三頁以下 経済鹿論と低開発地域 ラ イ ト ・ ミ ル ズ の 世 界 第七七頁 例 之 ば 第 一

O

三 頁 等

参照

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