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ドイツ演劇史の底流

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Academic year: 2021

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(1)53. ドイツ演劇史の底流. ドイ. ツ演劇史の底流 永. 野. 藤. 夫. という問題. ドイツ演劇史の底流と杜キt)スト教である.本稿の目的練成流とは何れ. を取上梓ることで昧なく,底流としてのキ1)スト教のありかた,或紘あらわれかたを概 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 観することであゎ,避にいえば,底流の背からの河床を考古学的にしらペて,ドイツ潰 史劇の本流をあきらかにすることである。. 演劇史をどうとらえるれという方法論について,私昧最近の論文「転換期演劇史q) 根本問題」で次のように要約した「劇芸衛も結局昧人間精神の文化的な一所産であるo精神昧潰劇的な芸術意欲という 遮断・抑圧によってドラマをうみだす.しかし^問精神拭完全に孤独で昧あ少′えず,必. ず紳か世界かに対立している.従って,精神昧芸術意欲によって遮断され抑圧される場 令,芸術意欲の中に逆対応的にふくまれている非芸術意欲一紳か世界かに向う意欲 一によって影響される。これ昧演劇史の展開についてもいA・る. 「劇芸術昧作者・出演者・見物の三位一体性に立脚するもので,演劇史往この三位に して一体である要素の織bなすゴブラン織であり,その他をなしているの昧広義の文化 である.この地縁非芸術意欲の場であり,この意欲を通じて311プラン給金体に影響を与 えている.細か世剃こ向う非芸術意欲昧,或時昧演劇を紳の手にゆだね,或時昧世界の 支配にゆだねる.いずれにせよ,この意欲が贋の芸術意欲を抑圧し遮断し去ろうとする 時,後者昧自己の回路を一時遮断して,飛躍し,より高次の揖劇をうみだす.こうして 鏡劇史昧展開する」. 私昧この方法によって揖劇兜を取扱う時,. 「意欲」の主体であるr自我」と,非芸術意. 欲によって受げる芸術意欲の抵抗,畠ロち文化一般に対する自我の芸術的抵抗とを,重要. なモメントとして取上抄たい.そもそも,芸術十般昧現実ぺの一つの抵琴であるからセ ある。西欧文化一般について考える場合,自我の抵抗として尭ず考えねぼならないの払 辛.)スト数的伝統である.私の立場から見ても,紳と人間の日我との対立は,反面世鼎 と人間の自我との対立を意味しているから,蹟劇史を考える場合,底涜としてのキ1)ス ト教を取上抄,それに対する自我の抵抗を考A_ること拭安当であると思う.本桐の目的 紘,`このような私の一つの新しい試みによって,我がこれから歩みつずける細い迷路の ために,いくつかの粗末な造槙をたてることである。.

(2) 54. 永. 野. 藤. 夫. 私昧目的を出来るだけ簡明に昧たせるように,歩数の代表的な作品を馴丸. それを造. 棲として中世から現代患でを概観したいと思うが,中世は統申の都合で趣く簡単にふれ, 叉第二次大戦以後昧資料難のために取扱うことが出来ないの昧穣念である. 1.宗教改革時代(15`・. 6世紀). 中世は揖劉史的に紘宗教劇時代といえる。宗教劇紘一般に杜10世紀初美に,カト.)ッ クの輿礼から発生したと小われているが,その歴史の申に払′教会の布教意欲とダルマ ワ. ン民族の倒卵勺なわい雑な芸能の抑圧を意図したキ1)スト数的文化琴策の意欲とが,あ l. らわよみとられるo即ち,宗教劇史の発展契棟となつ耳いるの礼典礼芙そのものに根 ざした芸術意欲と,布教や文化政策の形をとった非芸術意欲との葛藤であるといえる。 この意味で,宗教劇昧紳軌剛勺(gottersanschaulich)である.宗教劇紘しかし,劇で あ草限歩,劇性(Dramatisches)を欠くことができ加、.従って,宗教劇をま二つの意 欲によって,幾重にも規定さ′れている。理想的宗教劇にあっては,劇性と聖性とが混然 一体をなしていねばならないのであるが,それ昧中世の幼稚な芸術意欲には無理なこと であった。宗教劇妊劇性を通じて世俗性に歪められ,聖性によって劇性の発展を昧ばま. れたo宗教劇の最盛期であつキ15世紀(受難劇席代)の代表作軌この事巽を明示して いる。. アルスフ.ェ)I,ト受難劇(AIsfelder. Passionsspiel.. 15せ紀末,. 8095行,登場人物172. 名,上揖に三日を要す)の作者昧不明であるが,これは宗教劇で昧普通のことで,ここに. 宗準劉の民衆白う性格があると共に,作者の無私性(Ichlosigkeit)が認められる.作者 の自我意識のない作品に昧,芸楠に欠くべからざる葺体的抵抗がない.多くの宗教劇が 殆ど一律に,聖書,聖伝,聖人伝などの記述を,ただ舞台にのせることで事足れりとし ているの抵当然であろう.ここに宗教劇の致命的な欠格がある.. こ、の受難劇昧,キ1)Lスtを坤獄におとそうと協議す8.恵魔の会議に始り,キI),ストの. 受難を聖葦適DLt羊率い,.更にキ1)ストの復活,聖襲降臨,十二使徒の布教のための派遣 に終ってい冬が,その他にキ1)スト教会とチダヤ教会(擬人化軍れた入物)の神学論争. の#,偽宿青革によ?年寄蹟の場葱どをも含んでいるといつた風の,実に莫大ででたら めなものであるo族昧聖書の記嘩によっているが,雑然としてい,いかにも頼.め.ないo 作の中心思想昧紳の救済性と人類の被救済性で参るが,軍場人軌昧紳人キt)ストと個 ●. ●. 偶の人物に具象された人類であるo酔と個人との対立妊殆ど認められず,.翠場人物昧殆 ●. ●. ど顛型的である.この事実妹作者の無私性にむすぴついてい,中世の劇作家娃まだ個 人を描く,=とができかったことな立証しているo所作(Hapdlting.)に昧何ら動横ずけ.

(3) 55. ドイツ揖劇史の底流 (Motivierung)がなく.,すべて昧「威」. (sein)に於てとらえられているo. (Werden)′の様相に於てで娃なくi. 「在」. `作者娃殆ど無燥件で「聖書に日」という切札をつね. に利用している.テキスりこ見られる「イユズス言うべし」 (Jesus. dicat・)といづた. 類のト書の表現にも,この間の事情が感じられる.ノ申せの宗教劇作家たち托その作品に よって,聖書を舞台にのせ,立体的に可見的に再現しえたと自負したかもしれないが, 彼等の試み娃その盛な意気込にも拘らず大牢みとめな結果に経っている.彼等の按藷昧 そQ)偉大な信仰を個人J4phの信仰として,舞台に再現するに杜金串にも微串でb-つたo 中世の聖人たちが紳と自己との対立に生きぬいた虐仰の朝練-それ昧ひとしく聖雷に ●. ●. もとずいていたのだが-一中世宗教劇に杜見られないo宗教劇壮,作者たちの紳を志向 する非芸術意欲の強烈さのため/tこ,却ってそこなわれたo宗教劇が一つの布教手段とな b,国民的な娯柴に堕し去歩,全盛期と共に急速な衰退・滅亡期を同時にもったの妊,. その作者たちの芸術的自我が余りにも虚射であった鵠であるo中世宗教劇昧紳観剛勺で あ少ながら,現巽的に昧双頭の蛇であったoそ\して,その支配者は紳というよ歩昧,む. しろ聖書の素朴な記述であった。 12・. 3世紀に始るカナ.)ック教会の合法的改革昧,やがてルネサンスと共に中世末期の 14世紀に始る神秘主義(Mystik)紘)I,ネサシスのヒューマニズムと. 混乱を誘発したが,. 共に,個人主義(Individualismus)の傾向を生み,中世の全的^間に対して新しい 個的人間を育成し,やがて伝来のカトI)ック(Katholizismus)からブT2テスタンティ スム(Protestantismus)を派生せしめた.今や,聖下-マスの神学大金(Summa theologica). tこ対立するもの軌. メテンヒトンに発L,,ヾラツェルススで開花したミクT'. (MikrokosTnOSidee)であるo全的なマクロコス`モス(大宇宙)娃個的. コスモスイデ-. なミクロコスモス(小字宙)に解体し,そこに近代人の原型がうかび上る'。存在論娃衆 第に心理学に推移し,そこにモラ)i/の発生をうながす.形而上学からモラル-の推移妊, ドグマ. カトt)ックの教義からプロテスタンティスムのモラル-a)推移を誘発した.ニのような 著しい変遷の一頂点娃,. 1517年ゲィッテンペルタに於るルターの95簡保宣言であ′る.. プロテスタンティスムはラテン語学校の発掛こつとめ・プTlテスタントのフマニA,ト. 逮(Humanist苗典学者)やシンパのフマニスト連緯こ奉って学校ゐ発熱二協力した. ルター昧或る横会に浜劇の畢要性を語歩,学生の語学教育のま割こもラテン語劇が利相さ れるべきである,と強調したoルターの学校劇観が土うであったから,多くの学校に蕗 ヽ. 劇史料が設けられ,教師の劇作能力が重税されたの昧当然であるo母国語よ少・も巧みに ラテン語を腰使することを誇りにしていたフマユ、スト速妊,ルター・の主旨に従って,作 品にブT,テスタンティスムの思想をも・少,学生にラテン語を教えると同時に,新しい信.

(4) 永. 56. 野. 藤. 夫. 仰を吹込んだo彼等の芸術意欲昧中世劇の伝統をこ冬て,苗代,r7. -マに向い,.'-マ劇. の形骸のみを模倣するこ.とで満足し7=。むしろ彼等軌罪芸術意欲に抑圧され・その作 品昧教養宣伝や論争の勤具と化した. このようにして,学者劇(Geleh.rtendrama が出現し,. od.. SchuI=drama学校劇)の全盛期. 16世紀塀劇史の重液をなし7=。学者劇の本流は聖書に取材した比較的皇じ. めな聖書劇で,傍流昧時事問題(主として宗教的な問題)に取材した,激烈で謝肉祭劇 1)ックとの. (Fastnachtsspiel)風のもので,前者は主として教義宣伝馴こ,後者昧カb. 論辱やその痛烈な訊利用に用いられた.カト.)ツク陣営でも盛に劇を以て応戦したが・. ブTlテチタント側埠清澄さと子ひどさとに於て,その名の示すように・昧るかに優勢で あったo剥こ,前述の二?のプァンルの代表甲な例を釧テて,考えてみたいo学者劇披 いずれも取るにたらぬものであるが,次に馴チるもの臥その中でも優れたものであるo グナフエクス「道発着」 ナ」. (P. Rebhun:. Acolastus・. (Gnapheus:. Susahna.. 1529)と./-プフーン「スザン. 1535)昧学者劇の本流にぞくする聖書劇(Bibeldrama). で,前者杜新約聖書に取材し,後者昧旧約聖書に取材してい考.いずれも母国語でかか ●. ●. ●. ●. れているの昧,作者の明かな意図にもとサいているo 「道楽者」拭有名な敬蕩息子の話(ルカ15・. ll-32)をそのまま脚色したものであり,. 作者昧アコラストゥスという道繋者が,紳を信じ改心したために・父に迎え入れられた 次第を劇化したo注目すべきこと払. この劇にはお操ろ桝こで昧あるが,個人の運命と ●. ●. 紳への信仰が描かれていることであるoニのこと昧「スザンナ」に.も認められるoこれ は作者のブTlテスタン川勺自我意識の反映と見るづきであるが,われわれ紘余E)にも理 性的に断定すべきで昧なく,むしろ作者昧,自己の信仰を端的に表現するのに便利な題 材を,当時行われていた好みの聖書の物語に見出しキのであって,作者の意図昧年ば無 意識的であったと,考えるのが至当であろう.その何よりの証拠に紘,放蕩息子やスザ ニンナの物語昧,中世盛期の宗教文学一般に殆ど現われていず,. 16世紀t-yなって急に流行. と・なり,盛にプロテスタント例の人々によって利J許されだしたことであるo. 「道禦者」の. 件者もこの時流にのE),巧みにそれを利用七たのであゎ,作の失敗は非芸術意欲の極端 なブTlテスタント的偏向による,芸術意欲の歪曲によるものであろう.作者の意図昧信 仰のみによる.救済と子供の教育法への啓蒙にあった】といえよう。.ここにこ,の世紀特有 の信仰のモラル的偏向がうかがわれる。 ノ. 「スザンナ」昧有名な旧約聖書の物語で,微塵で貞淑な人妻スザンナほ夫の草す中に, 彼女にひそかな雅樹別、だく二人の老法官の意に従わなかった矧こ,計られて姦控の罪 に陥れられ.死刑の宣告身受けるが,予言者ダニエル少年の知慧で無罪放免さ払丁度.

(5) 57. ドイツ演劇史の底流. 帰宅した夫や子供たちと喜びの再会をする,という筋である。ここに措かれているの払 愛情と信仰とにもとずいた車両な家庭思わ■ぬ試煉としての非運,紳の梼埋としての運 命の甘受,信仰のみによる救いであり,一貫して流れている思想昧,個人の心の問題と 化t/たキ.)スト教(プロテスタンティズム)が必然的に生みだしたモラルの思想であ. る.や昧りここでも,スザンナという一女性の運命がいがかれているが,それ昧余如こ もあらわな新しい信仰とモラルの表現のために,普遍化され類型化されん-としてい るoこれ杜両作に共通のことで,作者は金主=こも強く非芸術意欲に抑圧されてい,その かなり旺盛な芸術意欲紘おしむらく紘十分な力を発揮していないo L'よくゆう. 「腰宥あきうど」 (N.. Manuel:. Der. AblよBkramer.i525)昧論挙用のもので,宗教. 改革の一因であったとさえ言われている嘩宥(AblaL3.Indulgence. ⊂pardonコ・ Idul・. gentia.免罪符という訳昧不当である)と反法王主義を取扱ったもので,町廻りの商売に 忍ぶれた噴宥あきうどの坊子が,田舎に行って店開きしようとすると,女共に散別、じ められ,終に商売を思いとまる,という脇である.作者杜謝肉祭劇風の軽妙でしんらつ. 恵筆法を用いてい,かなり成功しているが,その憎悪にみちた闘志昧,かえって作の完 成をさまた沖ている..生のプロパガンダ精神昧芸術をそこなうものである。或る文学史 蒙昧この時代の文芸を絶称して「傾向的な御用文学」. (die tendehzii5se Gebrauchsli・. teratur)と断言しているの杜正鵠をえている。この時代の劇文学で注目すべきこと昧, 中世の似而非なる紳観照的な面が,倫理的な面に変化したこと,しかもこの変貌昧劇作 家たちの芸術意欲に,中世に於てそうであった以上に,圧力を加えたことである。. 伝枕的なグルマン民族の芸能妊中世の間諜教劇によって圧迫されていたが,. 14世紀頃. 次第に顧勢をも9かえし,やがて春祭の行事をきつかけにして新しい世話劇を発生させ たが,それほ新興都市ニュール-/ベルクを中心に,新進気鋭な庶民(Barger)につちかわ れた謝肉祭劇であつた.. 15世紀に活躍したニュ-ルンべ}t,クの駿人詩人フォルツ,ロ-. ゼンブ.). ・.1-トな.どの作昧{農民の日常に取材したわい経で自由奔放なスケウチ風の風 俗劇で,宗教劇を見怒れても、た人ノ=こ抹重く目新しいものであった。取材の範囲昧広く, ヽ. ニの点で謝肉祭劇抹文化親昭的(kulturanschaulich)で,紳観昭的な宗教劇に比して, 名実共に世界観照的(weltanschaulich)で参った.しかし怯むらく紘,職人詩人たち の立渡な手本はなく,教養も知れたものであったから,その芸術意欲枚とるに足らぬ程 であった。解放されつつあった彼等の庶民としての自我払. 世俗的なものにだけ強い抵. 技を感じ,しかも,その自我紘まだ長の個的自我でなく,いわば庶民的な全体的な自我 の穀の中にこもっていたo. この自我が完全に解放され独立すに昧,まだ3世紀近くの年.

(6) 5ぎ. 永. 野. 藤. 夫. 月が流れねばならない9 Sachs.. 16世紀のハンス・ザックス(Hans. 1494-1576靴屋)昧謝肉祭劇の一応の完. 成者であゎ,その最後の傑出し平作家となった.敬慶なプT'テスタンbであった彼軌 先輩のわい雑さを払拭し, ・年ば無意識にで杜あったが,かなり輪郭の昧つき申した性格 描写,タブー(主に性的な)のB]・避やモヲ}L,の強調などによって,新しい一歩をふみだ. し,その芸術意欲にも見るペきものがあったぁて,結局彼も時代を超越する程の作家で昧 ありえなかった.. このように16世紀の揖劇昧,. ・演劇史的には過渡期のもので一つの可能性に立脚した ものにすぎず,世紀末に昧既に,抑圧されつずけていた芸循意欲,或娃年ば覚醒し所動 し始めていた芸簡意欲さえ,衰退の色濃かった文化・t共に,非芸術意欲とのアンバラン スに陰っていた. 30年戦争拭この傾向を更に昧な紘だしくした.ドイツ揖劉拭この時代 からしばらくの間に外国から三つの活力-4ギ.)スから渡束したイ軍t)ス俳擾団,オ ランダからの脚本,イタ.)アからの輩莞な舞台-を補給されたが,上述の無気力さを 回復し,この活力を利用するに杜,かなりの時日を要した.われわれ牲次に,. 17世紀を. -ベつして,問題の18世紀に進ょねばならない。 2.. JiE)ツタ時他(17世紀). 17世紀昧30年敬辱(1618-48年)をきつか削こ,アンシアン・. I/ブームが復興し,. 絶対主義が横行した,いわば第二次封建主義時代である。せつかく接頭し進出し始めて いた庶民階級杜,都市貴族(Patri2;iat)と共に再び抑圧されわずかに庶民の富豪が各 宮廷とむすんで勢力をえていたが,これとてもやがては,我が江戸時代に見られるよう に勢力を失ったo農民の状態昧説明するまでもないだろ、う.国民紘一応中世釆の教権か ら解放苫-れ,優れた国民たちの自我紘一応自由になるかに見A.たが,個昧今や再び新し い国家偉力(支配偉)によって全体の中に幽閉されたo. イギ1)スで娃スチワ-ト家が,. ブラシスで娃7i)レポン豪が,ドイツでは諸君主がその全能を誇示していたoこの時代妊 正に,カップス(Th・ contra. Hobわes 1588-1679)が本能として「万人敵組」. (bellum?mnium. omnes).的である人間を救うためには絶対君主樺が不可欠である,と断定した. 時代であ?氏.1そして,宗教昧,ネップスの考えたように,民を教導する-つの手段に 堕した時代であった.ドイツ文化の中心昧,政治権力に於るように,各宮廷であった. 揖劇昧華美で波乱万丈をきわめ, してい1=o. _=う.とう.むけいである反面,時代思潮をも著t,,く反映.

(7) 59. ドイツ演劇史の摩流 W・. Leilmiz. 1646-. -ミ17∴世紀時代思潮を塊的に反映しているの娃,ライプニッツ(G・ 1ア16)rの単子論(Mon■adologie・ ′1-714)であろう.個人昧モナドのように自由であり, 窓のないモナドのように,感情澄切て五に結びつくことはなく,人間の感情昧軽蔑され Mechanik. der、Seele. としての悟性(Verstand)が重んじられた。当時の先進国イギ. I)スやフランスに於て紘一われわれ姥ここで時間的なずれを忘れて紘なもない--べ. 1コ〉シやデカルト(+1650)昧「知モま力なり」. (scientia. 優性をとV.、ていた..ただここに注意すべきこと払. est. potentialと論L;,知性の. 竜ナド論が重要な契横として予定調 ●■. ●. ●. 和を有していたように,当席の一般の人h,臥混乱と圧迫の運命の中にもまれながらも, ●. すべてをみそなわす全能の紳を信t;-C,琴わなか?たことである′o敬虚な人絹三の柵こ ア竜4・ファテJf. 串りたのむことによって戯われていたo,生も死も示申の梼理の急患で琴り・蓬命への愛と 旺紳をひたむきに侶ずることであった,.. 以上のことを反映してい芦バアック演劇の代表権払.アンードvアス・ダウフェス(1616 -64年)め「ヵルデュオとヅユ.)ン音」 oder. Ungliicklich. Verliebte.. (And;eae. 1648) 1rau9rSpiel・. Gryphii,,. Cardenio. und. Celinde. 7:I,;bる.作昧主人公カルデュオが. 友人に物語る長い解物語と働きq)即、和解の場にはさまれた3幕からな少,. Jip革嘩も塵. 場f/,形式的に昧古典的であるが,平民を主人公とし,恭も悲劇一号の頃迄平民の出 琴劇昧何であれ嘗劇とよばれた-と呼んだ点'さすがに時代がしのばれるo. ・⊥. 華ロ-エアの乱暴な大学生カルデュオは佳人オリ./ピアと相恩の仲になり.彼女の父に藤娘を 申込む。父は彼の素行を案じて許さない.かねでから彼女た懸想していた商人1)ユサ,/デルは或 る夜女中を寛収して,オ.)ソピアの寝室に侵入するが,,:醜かれて逃げた。彼女の父はその犯人を カルデ言オだと思いtみ,事ここに至っては,と二人の仲を許す.所が,寡相を知った申′十デ-= オはこれを身の恥として,嬉約をことわるdそこにt)ユサ.yデルが現れ罪,をわび許し卑乞うoオ t)-/ピアと父親ほそれを許したばかりでなく.. .)ユサ./デルの心をくんで,そのかねての解いを. かなえ,二人ほやがて宿約する.カルデ=-ォほ折をみでオ.).Jギアに謝罪し二人の要は昔以上 に深-(なる.帰由したカルヂニオの彼女にあてた手紙ほ何かのはずみセ途中で,全部失われ・'長 'いこと恋しく恋人のかえり′/を育ったオ1)yピアも,?いにあきらめて≠ 1)iサ,Jデルと結宿して しまう。ボロ-エアにもどったかしデュオは売方手をつ1(すが,オ1)ソギアは反抗しつずけるo. 彼は半時彼女をあきらめ,カ申てから彼に凱、をよせでいたある騒士の妾ツ{)yデの意に従 う.これを軸づて騒士はカルデニ妄と決闘し七倒れた。カルデニオはそのため托さとる所があう て,ツェ.). yヂを栗てるが,改の血、ほ叉オ.).{ピアに拘った.嫉妬のために彼ほ彼女わ夫を亡. き者にLようとするが,オ1) ふt;よ. ,/ゼアの綱要のためにあぎむかれ,{失敬するo一方i失恋のツ土1). ニソデ碍二人の盛女から・屍季吟とった心臓で作るほれぐすりの作りかたを教えられ,或考′塊茎番 を買収し!.新しい墓をあばかせる。来あわせたカルデニふはぴつくりして,彼女に垂の次第をた ザねようとすると,あばかれた墓穴岳、らカルデニオに殺された拓士の屍が立上って語る⊥⊥ ・r至 高なる御者のほかり薫軌、裁きほ/この悲惨な幻で敦らめ罪を恐れさせる/汝ら、ほ吾よ′り右ひど く死んで【いるv! 、あ&,震は率いである/震には墓穴が生へめ道を京t.{くれるからだ.J. L場面ほ ●.

(8) 6Or. 永. 野. 藤. 夫. 1)ユサ./デルの家に変る.I 1)エアソデルとオ1)ど.Jアのいる所に親友にともなわれたカルヂニオ とツェ1)./デがやって来,罪人たちほ罪を謝し・新生を誓い一回ほ軌、盟解七よろこ-びにふち, 次の渡りぜりふで劇は終る1)ユす./デル-まにあう間に自分の潮時に注意する人は革せだ! ・オt).Jピア-紳凍の御幸のま割こ導かれる方古嘩せです! ツェ1)./デー毎日臨終の用意をなさる方は華南です! カルヂニオー此世で正しく生き,生活のむくいである彼世の冠をえようと患う人は,いつも 死について考えよ. (199由一2005行). 以上のかんたんな梗概でもわかるように,この作に昧われわれにとって変に思える点 がかなり沢山あるが,そトれを再考してみるなら,前述の時代思潮がかなり昧つきE)そこ '=の作品に見られる根本理念を一言でいうなら. に反映していることがわかるだろうo 「天上からの」思想(Yon. her)とでもいうペきである。天上に紳がいまし,地上. oben. の人間昧能働的に妊全智全能の紳を信仰することにのみ,天上の紳とむすぴつき,自由 意志をもたぬ(ブT2テスタ3,ト的)人間昧すべて新中の梼理として甘受せねばならない. この紳と人間との対立関係払信仰が個人のJC・の消極的な問題であるだ桝こ,一方的な ものにな少,人間の個性昧対紳愛(これ昧カ[.)クの用語であるが)にもとずく心から の運命愛(amor. fati)によって,全体性の中に渡しさってし患う.偶然も運命も,節. 詮昧赫から人糞割こ負わされた麻罪の緒果である.人類昧生きるために昧,席理を甘受す る落着き(Gelassenheit)をもたねばなら別、oわれわれ昧作中の人物の言葉を取上せ≠ て,この間の事情を明かにしたい。 第1幕でカルデュオが友人に語るす.) 語られている-. yt.アとの愛の物語の中で,運命と偶然昧こう. 「我h人間昧迷ってばかりいる.我hの胎昧安全だと思っている時・ 「あ乱入. 奈落の底に沈むo絶対絶命だと息ふ時,運命杜最上の幸福をもたらすのだoJ. 問昧何をやろうと,考え適bに杜出来昧しない! 」これらの言葉の申に軌現世の幸福 の拭かなさへの削車きもよみとられるoこの昧かな割こたA・るために払人間杜落着き とあ骨らめをもたねばならない。カルデュオ昧名啓のためにせつかくの婚約の許しをし bぞ&,.)ユサンデル昧オ.). yti・ア-の罪なわび,結婚を申込.むと,彼女の父杜それを許. し,彼女昧カルデュオのしうちにあてつ臥.}ユサンデルに手を与A・るoこの間の事情 8i,いかに劇的手法が未熟であつれ. Gelassenheit. 筋だけを追うバ.2ブタ劇に於ても,. の思想をぬきにして昧,とうてい納得できないものである.このGelassenheit昧世近. 初頭の3世紐にわたって保たれた,自由意志を否定するブロテスタンティスムに基く 収束いメi,タ.)ティであわ,われわれ昧既に前章の「スザンナ」劇に於る主人公の運命. ●. ●. の甘受に,その歯学臥を見たが,この思想杜更に敬慶主義の諦念・受働性(Entsagung・ ●. ●. ●. passivit■at)としてト18せ紀の感傷劇を生み,更に遥命(Schicksal)として,. 19世紀御.

(9) 61. ドイツ演劇史の底流. 其の運命悲劇を生みだすのであ る'.この伝統妊横強いもので,宗教ro大きな影響の一つ. であり,滑劇史を永いこと動′かしたて土となったが,この主体性を欠いた非合理主義●. ●. 般昧,ドイツ文学の一大底流ともいえるものである. Gelassenheit. に基く消極的な運命愛昧死の思想にむすぴづく. ●. ●. ●. 「虚栄の現世をあざ. ●. 笑う者拭幸いだ」と思う者杜,カ`}L,ヂェオのように,. <常に死を考えるo前に引用した渡. りぜりふ昧,このことを明示している.だが,この死の思い昧あくまで諦念と落着き に根ざしたもので,中世のあの放粗く然も能働的だったふ昧いをつらぬく「死を<思え」 (memento. mori!)の合言葉と昧異質的なものである。彼岸の栄冠をえるに杜,此世で 立溌な生活をし,その功をもって死の門をくぐり,やがて最後の審判で養育とされねば ならない。それが創こ,皇ず大切なこと昧紳をひたむきに信仰することである.これ紘 一つの公式で,人間に要求される倫理的な捷である.この投杜受働的であるだ捌こ,一 方的であり,人間の側からみれば信仰によってのみつなが抄のあるものである.更に問 題なの払この場合の信仰が,尭に考えた諦念やGelassenbeitからもわかるように, 紳対人問のぎ少ぎりの状況から生れたものでなく,従っていわゆる対紳愛に基くもので なく,安易に弛こよ少たのむ態度,即ちGottvertrauenに他ならないことである.人 間はどんな悲運にあおうとも,じつとたえ,あきらめ,すべてを紳に皇かせることによL. って,結局柱救われる,という実に安易な信仰である. このように受掛的で,神学の立場からいえば人間の自由意志を香定する非宗教的な.地 盤から生じたモラル軌前章にもふれたように,16世紀に始るもので,そこに昧申せ以束 の伝統に生きるミステイクの色調妊全然認められない全,く非合理主義的なものであるo この傾向昧次の世紀に更に顕著になD.やがてその世紀の未熟ヒ揚されるo叉攻の世紀 につながる傾向の新芽として,訓蒙思想.(啓蒙思想)を見のがしえないだろう。幽璽や 屍の言行昧この傾向のあらわれである.. 作者の宗教的態度は,そ0)劇件の手旗にもみられる.彼昧事件の側に立ってながめて いるだけで,せいぜいの所,その意味を客観的に解読している-啓蒙的な傾向であろう ●. ●. ●. ●. -にとど皇b,事件そのものに介入することはないo当時のFイ,)劇作家と-I,ェ_ク スピアと.の距離昧無限であるともいえるo叉啓蒙的傾向が次の世紀にt/ッシングやシラ ーのような優れた劇作家を輩出せしめたの払いかにもドイツ的なアイワエーであろうo 3・.啓蒙時代とその反動(18世紀) サ. バロックから啓蒙主義への推移杜,ライプニッツからヴォルフ(Chr.Wolff1679-1754). への堆執こみ.られる.それ杜普遍主義(Universalis血s)から個別主轟(!ndividu軒.

(10) 永. 82.. lismus)への推移であるoしかしi. 野. 喪. 失. 1740年代まで昧バT,ックの余波がかな少残っていたふ. すべてを数学的論理的に考え,合理的であることは自然的で参るとみなし,万物の本数. たる紳昧理性(ratio)であ畠と割切った合理主義者ヴォ`ルフ臥建築的構造をもった システムの点で,党筆よ歩もいつそうバT2ック的であbJ,依然として理性にとらわれた 人間であった.. (Vet・. 18世紀の前葉がヲティオにとらわれた,いわゆる「悟性文化」. standegkultur)の時代といわれる理由昧,この事巽からも嗣持されるo. たが,ヴi・ルフの思想一合理主義に払がつしりした骨組をもった打寄せる大波の ようなバッハのオラト.)オにも比される宗教的な情緒一徹慶主義(Pietismus)的な. ものが伏在してい畠ことを見逃してはならないoグvルt,カンナ・若きグ-テなどに 著しいこの傾向払前世紀のGelasserlheitの発展であ9,やがで匝紀後年に於る感情. あ支配を現出せしめ,やがで「感情文化」. (Gef払1skultur)を生みだす.この時代の. 人間の天上と地上への思い臥合理主義なる地盤の上で,重体普遍から個(特殊)へ, 理性から感情へ, ・更に受働から能働へ,客観から主観へと展開してゆくoそして,その・ 気分紘あくまで敬慶主義的であるoわれわれの目的昧この最後の点にかかわっているo -ヴォルフの形而上学昧「軌世界及び聾魂の理性的な考察」 学杜「華南促進のための人間の行動に関する理性的な考察」 ●. ■. ●. ●. ●. ●. ○. ●. (1712年)であり,倫理 (1730年)であるoこの事. ●. 実に,彼の啓蒙の本質がみられるo即ち,彼の哲学は人間の車幅(浄福Gliicksreligkeit) のための啓蒙的な世故・処世の智慧(Weltweisheit)である。この傾向はゴッナシエ ー(J.. Chr.. Gottsched1. 1700-1766)にもひきつがれる車両主義(Eudaimonismus). であ9,,カンナq)「倫理学」患で継続される.ゴットシューにつずくグvルト(Chr・ F. Gellertr gendmeister. (Tu・. l・715ニ1769)が「ドイツの家庭教師」或妹「ドイツ国民の修身教師」 der. dt.. Nation)と呼ばれたの払時代の傾向を物語っているoゴッナ. シヱト昧,徳昧理性であり,悟性をもつ者は有徳着である,. ・と説いたが,今やグvル. は感情に向い,まじめな人間相互のなごみ凱、に愛と徳をみ,いわゆる「感傷劇」 (Rtihrstiick)をうみだした・oこの間の推移を代表しているの昧-ラ-. (A・. Yon. Haller. 1708-1777)の作品である.I ・. 18世紀の初案に,バT2ックの客観主義に対して,主観主義が接頭した.客観的世殊に. 対立する主観的世鼎は,今や感情の解放とな・jてあらわれるo感情の解放が悟性の圧力 を排除して,いかにして疾風怒漬J(sturm、und. Drang)の完全な解放に到達するかを. 添、とゃけるいと皇を,われわれ昧もたないが,ハヲ⊥の藷r7ルブスの歌」(Die 1728-29)に.よつ{.その初期段階を-ベつしてみたい.. Alpen. ,,ラーがこの詩でいがかんと. したの臥政略と権謀の宮廷の患やかしの光栄をすてて,スイスの片田舎に人間本然の.

(11) ドイツ演劇史の底流 姿を見出すことである。彼をま「胸にこそ,頭に紘あらで」. 63. (tindas. Herz-und. ins. nicht. Hirn)と歌っているが,. -これ捻反逆的で能働的な傾向で紘ないが,遁世によAる有徳な 人生の再発見の第一段階を指示 するモットーであろう-o勿論ここに昧主体性昧なく,非 人称的(unpersbnlich)な全体性が盛っている.しかし人情杜悟性の重圧の下にあゎ急. がらも,既に発動し始めているo債然としで悟性的であった物の見方払感情の解放と. 共に普遍的な傾向から個別的な傾向に向い,いゃゆる主観花の傾向叡たどる.形而上 から認識論へ, '合理主義から経験論へ、の推移軌批判主義以前のカントの哲学に反映し ている。ここに昧既に,. vツシングの理性宗教(Vernunftreligion),ツインヅエンド}を. フの-ルンフ「ト汲,カントの実腰理性批判などの混乱を生みだす前兆が感じられる. 純料理性的で概念的な紳札所詮昧哲学者の紳であり,感情的で荏験的な紳臥所詮昧 敬愛主義の紳であり,共に伝統的なキ.)スト者の紳ではないo虞の神秘主義の伝統娃殆 'ど絶たれてい,わずかに倫理化した受働的な宗教がキリス.ト教凌代表していた。精細の 革命と宗教の革新をま時期の問題となるの昧必然であったoわれわれはこの動向を,. /いく. つかの代表的な戯曲をと少あ伊て考えてみたい.. -感情の解放を最初に反映し,しかち次の時代の厭世的なロビンソナーヂ(ソt:・㌣ソン 物語)の先駆をなしている作品昧シュナTペルの「フェルゼンブルク島物語」(173ト41) であるoこの物語の主人公払. ソビンソン漂流記の主人公のようにただ一人で紘なく,. フェルゼンブルク島に漂着した三人の男と一人の女であb,後に漂着した人身に故国ヨ 、一口ッパのいむべき生活を物語らせている.だが,作者の目的昧苗いヨーロッパの批判 で昧なく,孤島に於る人間の情によるむすぴつきの有様凱、がくことであるoこの人情 酎吾性におさえられた,・受働的な情であるにすぎないoただ,やがてあちわになる受働 性にもとずいた遁世的な厭世観が,すでにこの作品にほのめいていること軌見逃すこ とのできぬことであるo. 17410輝代の作品に軌受働的な感情の解放にともなうー憂うつ病(malurB: dtiacum)的傾向を示すタグイシュトルブの「憂うつ病患者」. (Quistorp-:. pochondrist 1745)・感情宗教による確信の横行を示す感傷劇r狂信の女」 schwester. in. ・Hy,. (Die. Bell. 1745・)がある.グvルトのイ宝く・じの遅」-(.Das. qer、Lotterie.1746)の女主人公は人生をこう物語っている- r.ひとの菩びや. 悲しみに同情するの軌自然の動きですム-ー緒に生きるのでなければ,・ (wenn gesellig. Der. 1745),友情と撒愛とが時と場合に応じていずれにも変りうる感情の自由さを. 反映している「嫁交換JてBrauttrausch Los. hypdehon・. leben. ieh nicht. sollte)生きたくはあb皇せんo」ニュに払l感情がうみだした共働感情. (GqneinschaftgefGhl)による人のむすぴつきがあらわれているo又道化役の才ルゴy.

(12) 永. 64. 野. 藤. 夫. (Meine. 氏昧イわつしの哲学の虞髄昧平静と安柴にあゎです」 Ruhe. und. Bequemlichkeit)と言い,. 「落着き括らって(in. Philosophic meiner. besteht. in. Gelassenheit),. 万事成行きに皇かせ,じつと我慢するのが好きなんですよ」と述懐しているoニこに軌 非個性的な車両諭の受働的考感情文化の色彩がにじみ出ているo (Die zartlichen. 1747年にかかれたグvル†の「やさしい姉妹」. Schwestern)のラ 「わたし. イトモチーフ臥女主人公ユールヒェyの次のせ9ふにあらわれている●. ●. ●. の願い,{&,お友達をたくさんもって・樺人柱一人ももたず,お友達と親しく交ってたの. しみ,一人の人へのよしみの為に束縛されたくないということですe」また彼女昧「落 着いているに軌櫛愛しないことが必要です.どうぞ・ほつといて自由にさせて下さい. と断言しているo彼女の立場昧皇だ悟性におさえつけられ,受働的で昧あるが・車両の ために昧自分の心の自由を守りたいという個人的な色彩をおぴている.. 向を反映しているものに軌vッシング(G・E・ junge. Gelehrte. 1747)と「女ぎらい」. (Der. Lessing Misogyn. --これらの傾 (Der. 1729-81)の「若い学者」 1748)があろoいずれにせよ,. この時代の作家旺有情の世剃こあまりにもわずらわされ芸術意欲昧極端によわめられ てい,宗教すら感傷的な倫理・幸福論にだし去っているが,やがて一世代後に精神革命 を爆発させる個人的自我のきざしが,幾らかでも認められること昧見逃しえないB 4ギ.)スからフランスをへてドイツに波及した啓蒙思想払通俗化されたが,これ昧 文学一般についてもいえるc. 18世紀の50年代の傾向払悟性の束縛の下に炎熱こ解放. され始めた感情が,やがて受働自勺で絃あ-りながらもあふれいでる経過にみられる.分析 的で個別的である受身の感情文化臥60年代のハ-マンに於て始めて,能働的に転化す るoグvルト昧1755年に,イギ1)スの感傷臥1)チャードソン「グランディソン」をよ 杏,声をあ掛Clゆく皇で泣いた,と手続にかいている.このセンチメンタルな心情こそ・. この年代の傾向であり,ここに昧受働的な厭世観すら感じられる.人h昧峯想を羊のみ, 憂うつ病にとりつかれ,すべてを感情的に(gefGhlsmabig)に考えたo宗教もまたそ のように考えられたo感情によって紳とのつなが少を感じ法悦になきぬれることが, 信仰の精神で爵′った.キ・.)スト敦の本質である信・望・愛の精神昧すべてセンチメンタ ルな感情に帰された。 ヵントの批判以前の哲学にみられる主観化と現実の体験と昧,この時代の作品にもみ られる.主観化昧受働的で感情的なものであったが,次第に客観と'tJての現実なあらわ にするもとにな少,ここに感傷的な人間個人と現実との対立の初期現象があらわれるo 受勘的な人々桧現実の事件を惹起しようと托せずに,感情的に現実にあこがれるoこの 動向から払江戸時代の瓦版のような渡耕歌(Bankelgesang)が発生したoここに摘.

(13) 65. ドイツ演劇史の底流. かれるの妊消極的な胃険と,それによって必然的に没落す■る不幸な人間の姿で,そこ∼に 昧未だ何らの情熱もみ一られないo作者昧人々の心のあこがれをみたす事件を描き,主人 公の没落を伝え,客観的で世間の捷ともいうべきモラルを教えることで,事たれbとし ●. ●. ●. ている。. 17世紀末から18世紀にかけて栄えたオペラが, 少,世話物が東に5,. 40年代に世話物(書劇)に席をゆず. 6つ年代に歌芝居(Singspiel)一歌の入った動きのある劇-に. とって代られた演劇史の動向昧,以上みた感構文化成立の立易から考えられるべきであ る。. 1750年代を代表する演劇史の記念碑は, Sara. Sampson,. ein. biirgerliches. vツシンダの「サラ・サンプリン嬢」. Trauerspiel. (Miss. 1755)であるo-. メレフォyトほ情人マ-ルウッドと10年もの間享楽の生活を透り,一人の娘アラベラまでも うけたが,今ではサー・ウィ1)アム・サ,/ブゾyの一人娘サラとねんごろになり.終に二人でP domestic dramaの影 yドy附託(舞台偲イギリスで,全篇に当時イギ1)スに行われた家庭劇 響が著しい)の或る町の守副土身をひそめた.彼ほ晋の情事を彼女に告白するが,娘のことほ秘し. ている.サラは「ただ心の平和をえたい.. (第1幕第7場)、た釧こ,メレフォyトセ早く結宿し. てくれるようにねがうが,彼は一人の女に束縛されたくないという信念.(4ノ2)から,結婚を のばしながらも,愛情のため書手苦しむ, 昔の情人マ-ルウッドほやつとメレォフ./トの宿をさがしだし,サラ1の父に宿を密告すると共 に,メレフォソトを呼びだす。彼女は娘をだしにつかつで,メレフォソトを叔戻そうとするが, 乙l己. 彼は「心の美しい女と親Lくなって,愛と邪恋のちがいめ';わかった今となってほ,お前のいやら (2ノ3)と言って,決然と彼女をしりぞけるo彼女ほ逆上し短剣で切 ・Lさがはっきりあかった」 つけるが,かえってそれを攻上げられ,終に前非をくい,せめて親戚の者とLてサラに一目あわ. 草てくれるようにねがうoメレフォ_ソトは同意する。 一方,娘のいる宿にかけつけたウィ1)アムは.罪は自分にあるのだから,二人ですべてを許し. て自分を父として受入れてくれるように,とねがう手紙を,従僕のウェ-トウェルにもたせt,娘のもとにやるoサラほ父の寛大な心を予感L,良心の苦るしさにたえや、ね,手紙を見ずに戻そ うとするが,ウエートウェルになだめられ,終に手紙をよんで,心から父の愛情をよろこぶoメ. レフォソトも共によろこぶが,心の中でほ,結嬉をきらっているo メレフォソトの親戚の女としてサラを訪ねたマ-ルウッドは,貯計でメレフォソトを宿から舛 ▲. 出させ,腕曲にメレフォソトの情事を非難し,その情麻をほめ,,サラをいやがらせるが∴最後に 自分の本名を名乗り,娘アラベラのことも暴露するoあまG)なことに失紳Lたサラを,侍女のペ ッティが世話している間に,マ-ルウッドは気付薬に毒を入れる.べッティがその毒をサラにのt ませたのを見とどけて,マ-ルウッドほ姿をけすo 、. 慎がいしながら宿に戻ったメt,.フォソ71ほサラのただならぬ容態に驚き,従僕にマ-ルウッド. を追わせようとする・t,礎琵ほ彼女からの手紙を彼にさLだす.彼はそれをよみながら,危く失 神しようとする。サラがべッティに気付薬を,とうながすと,ノ「それは毒!」だと叫び,日牽から て真相を告げることもできずに,. 「サラが死んだら,おれ-も死ぬo. 世界cL)人間ほ皆死んだらいい」.

(14) 永. f,6. 野一春. 夫. とわめきながら,医者を探しにとびだす.サラほ次第に真相をさtとる。 死卑こひ4,した娘サラ、に再会Lたウィけムほ,罪を謝する娘の芋蔓を某にも入れず・自分こそ. {不罪人であり,もし父としての我慾にまどぁされなかったら,万事めでたくなっていたろうに, と娘に許しを乞うoそこに戻って来たメレフォyトほウィリアムiこ真相をつi・ヂ,百分はサラを誘 惑したばかりでなく,殺すのだ.と罪を告白し,早く仇をちってくれと闘う.ウィ1)7ムは寛大 にその罪を許七, 「わたしたちは敵ではない.いや,敵にはなる釦,。お醜いだ,娘を助けそ下 (5 / 10)と話す。臨終のサラほ, さい.あなたは-あなたの妻の命を救うことになるのだから」 rごれはみんな紳凍の御旨ですから,とやこう申すことほできませんJと一同をなだめ・マーてレ ウッドの毒殺の証拠となる手紙を裂き,べッティのあやまちをとがめぬようにねがい・メレフォ 「お前を息子 ソトとその娘を父にたくしで,静かに死んで行く。ウィリアムはメレフォソトに,. としてし1iたこう。寺ったしが大切な娘をなくしたのは,お前を息子にするためなのだ!・・といつて・ ●. ●. ●. ●. ●. 抱こうとするが,ヌレフォソトほそれをさ仇すべての罪は自分にある,マ-ルウッドから奪つ た剣の茸任は自分にある,と叫んで,その剣を胸につき立てる。彼ほ紳の慈悲を乞いつつ落命す (5ノ11)を. る。ウィ・・)7ムはケラベラは痕の残した子供だ,といいながらそのr恐ろしい場面」. 出て行く。一-. 以上の梗概によっても,この作が50年代の「泣き中れた感情文化」の典型であるこ とがわかると思う。今細部にわたって解説するいとまをもたないが,二三の特質につい て簡単に考えてみたい。 徳昧.人情から成ってい,寛大さとなって昧許すべからざる敵を許し・誠実さとなって 昧罪の昏白をうながし,良心の孔明を生ぜしめる.しかも,有徳な人間昧感情的に柵の 梼理を信じて疑わない。クエ-トクエル昧サヲに向?て, 人に昧大変発しいことで昧ござい皇せんか.. 「ほんとに人を許すの臥. 善. ・・・・・・神様昧いつも人間をお許しになって,. あわれな人間を止ヒ世において下さるのですから」. (3ノ3)と語り,サヲ妊自分の道徳観. について,.「自分の過ちを告白する方に妊,ひどいこと妊したくもございませんo厳格 であって削、け皇せん」(4ノ8)と述懐し,ウィ1)アム除い患わの娘に,. 「父親というも. の昧,こうも身勝手なことをするものかo わしたち昧愛してくれる者だけを愛するの か。サラ,わしをせめてくれ」(5ノ9). 、といっている。これらの引用でもわかるように,. 感情昧まだ受働的であbながらも,主観的なものになJ?てい,客蜘勺な倫理観拭今や主 ●. ●. ●. 親的なものに変t3,合理的な善悪の思想昧杓えうせて,人間・の心理があらわれているo 登場人物のすべてにみられる主観的良心と・そーの督自とは, 「自己の内なる道徳珪」を 「頭上め星茎」とよぴ,良心を「我等の内心の紳」とよんだカ、ン}の宗教心(「実践王劉生. 批判J)につながっているといえるだろうo叉主観的な感情昧帯揚されると,夢幻とな わ非現実的なものに向うo泣ぬれた感情文化昧主観的であろうとも,坪詮昧受働的で非 現実的である.-主観的感情によってつか皇れる紳a)梼理をもやがて茎想に化する運釦こ. あるら・ ・Vッシング娃理性主義と男性主義とによって,からくもこの危機なさU・ていると.

(15) め. ドイツ演劇史の底流 いえる。 っ.). -ド.)ヒ大童(Friedrich. der. Gro飴17i2-86)と7年戦争(1756-63牢)臥. 1750年代と60年代と凌明確に区分しているoグ⊥チは自伝「詩と質実」. 「第一の虞の,より高も、衷求の実質的な生命(L占bensgehalt)軌. (第7馨)で, 7L. 1)-ド'.)ヒ大王と. -と述べているが,正鶴をえ 7年戟寧の濡とによ■ぢモ∴始めでドイツ文学に入って来た」 、. た要約と、いうべきだろ\ぅ.-. 30年戟寧以来の宮廷をヰ心と'/i;た専政主義め暴威にひへいした国民'[i,,国民の慈父と. して準いの手をさしのべる者を鱒望していたoこの要望にこたえたのが"-ドリ占大 王だったo彼の思想昧,カシトが「啓蒙とは何ぞや」′に於て,啓蒙時代と昧ウ./-ド.). との陛紀である,占いっているように,_啓蒙的なものであった。詩人たちがフ.)-ド・) とを「啓蒙の君主」∴「人類の友」L,とたたえている土とからも,その君主としての思想は y. 明かである.彼にとって,. 」徳と昧理性であり, 「国民の最高の下僕として,国民の章蘭. の道具」たること昧,正義を以て,即ち法律を以て,国民を統治することであった占彼. 昧好意なバロック人の個人主義に対し,赫の梼理と正義(法L)を以七立向った.ここに 彼のいわゆるアンチ・マキアべ.)ズムがあるoだが,まだここには受働牲があらわであ るoこれを止揚するの昧7年敬啓の業であ る. √・. 1750年代の感情文化昧受働的で,現嚢を感情的に,即ち夢幻的にとらA_てい,いわば 1`. 拝情的・主観的セある.悟性の圧力昧まだつゃいていた。倫理としての宗教も然わであ づた.. 7年戦寧除この傾向をくつがえした.. vッシンダの精紳発暴昧この間の変遷包反映しているo フォン・′ヾ}t,ン-ルム」. (Minna. Yon. Barnhelm 1763)昧,. サンブソン」と著しい対照をなしている。. 彼の・60年代の作「ミンチ・ 8年前の作「ノミス・サラ・. ⊥. ・舞台ほ戦後間もないべルリ.ソ。・プロシアの退役少佐テ!レ,イムほ,今セほおちぶれて;部屋代. \の払いにも困つかる。だが・野望t.巧琴クため7)闘志たる彼の憾みは,.そのことではな 争中の行いが誤解きれ,.その為に退役になり,自分の名誉心が傷つけられたことやあった。彼に. とっては,準すら名誉なしにほ存在Lえないo彼は愛人ミyアへの恋をあき年めよ_うとする.。). LかL,彼は昔の同僚の未亡人に慈悲をほどこす程の雅量をもっている-o彼は当時の典型的な独 乙人であるo改め友人や従卒もその類型に安くLてt㌔,るc:作者は主人如蛙掩をきあだキ平島妄. めに,一人の下らないケラソ、ス人あ山由を由登場さぜている。rミ1yナは与ル-イムを再 にする'ために努力するo結局,王の餐明なはからいでテル-イムの名誉は回復され,. ・万事めでた. '.く.おさまる.丁-「. この劇泳ぎァンルとして「軍人もの」. (Soldaten畠輔ck)であ-a,. 7年戟寧の凝=1-1申を. とどめているぼか歩でなく,そのイ≠-の点でも, 7-年我等によIy?て生みだされ革新さ.

(16) 68. 永. 野. 藤. 夫. れた精神を反映している。この劇にみられる現実払.も昧や前代の拝情的主朝的な感情 の世界で昧ない.倫理の客観性昧主観的なェストに変ってい,感情の受働性昧能働性に 移行してい,主観的な感情札束だかつてみられなかった情熱の肯定を生みだし,一般 から特殊Jtの変化,自我の誕生が起っている。この傾向昧すでに‥「主観的精神生活の \. 時代」 (Zeitalter des. subjektivistischen. Seelenlebens-一K.. Lambrecht)とよばれる. 次の疾風怒涛時代につながっている。この事巽を更に鮮明に示している作品は,ヴァイ ゼ(Chr.. F. Weisse. 1726-1804)の「テ-べの解放」. (Befreiung. Yon. Theben. 1764). である。. 「テーべの解放」の人物昧すべて善人であり,劇を進行させる原動力臥も昧や啓蒙的 な善意の対立で昧なく,組国愛にめざめた個人の唯一の目的をめざしての情熱である.. 啓蒙時代の一般からアトム的に分裂した個人で昧なく,特殊としての個性が能働的で強 烈な情熱としての自己意識としていがかれている.情熱拭非合理的である。従って,ラ ●. ●. ●. ●. ティオとしての紳,啓蒙的な予定調和拭次第にその影をうすくする。そしてやがて, 情がすべてだ」. 「感. (ハ-ヤン.ゲーテ)とされる非宗教的で非倫理的な非合理の疾風怒涛. 時代がおしよせる。 疾風怒涛(Sturm (M・. Yon. Elinger. und. Drang)昧鉄塊・衝撃の象徴であるoJこの名称昧ク.)ンガー. 1752-1838)の劇の題に由来しているが,啓蒙主義-の極塘な反動と. しての疾風怒涛時代旺,正にク.)ンガーの生涯に具現されている.ゲーテと同郷の平民 出の彼妊,主観的な衝動にかられ,感情の爆発を反映した自由奔放な劇を試み,やがて 文学の試み紘革命的な活動慾に飛躍し,従軍の経験をへて,. I,シ1の高官に昇進した.. この生涯妊人間精神の大革命の榛識であった.悟性に対する能働的な感情と峯想,拷巧 と因習に対する自然と自由,客観的模倣に対する主観的独創,紳に対する天才-これ. 昧良きにつけ虚しきにつU.嘩風怒涛時代の特色であった.-ルダー(J・. G・. von. Herder. 1744-1803)の「近代ドイツ文学論断篇」が発表された1767年を以て,この時代杜始D, ゲーテの「クエールテルJ (Fiesko. 1783),. (1774年),シラーの′「群盗」. 「たくらあと慰」' (Kabale. und. Liebe. (Rauber. lブ81),「フィエスコ」. 1784)を生みだして経臆したo. これらの代表的な作品に共通な特色昧,詩準で完拳的で政拾的である点であるJ彼等昧 独創的天才をめざしながらも,宗教的であゎ,この点で昧tsしろ,保守的であつ串o「クェ I-ルチ}t,」や「群盗」の内容を考えてみるなら■,われわれ昧今更ながら.この点に常飲 するだろう.しかも,彼等シュトゥルム・I)ント・ドt/ンガ-に於る宗教的なもの酔,. 啓蒙期に於る琴数的なものの影響下にあったこと娃明かであろo,シラ-はやがて蘇る古 典期の理聾主義に於て,この宗教的なものを止揚す.るが,その場合に於てさえ,ノその立.

(17) 69. ドイツ揖劇艶の底流. 場昧啓蒙的な倫理主義としての明かな痕跡をとどめているo この時代の気負いたった独創的天才作家蓮臥自由奔放な自主的な感情を絶対的に神 聖硯しながら,宗教の点で保守的であ9,永い問の宗教的伝統を,その他多くの彼等の 特色と共に,複線のT2-マン渡に伝えたといえるo彼の非芸術意欲昧余りにも奔放で, 芸術意欲を抑圧することがひどかった.若きゲーテやシラーの如き極く少数の傑出し1= 天才的芸衛豪以外に臥名を後世にとどめた者が殆ど存在しなかったこと払当然であ ったというべきだろう。. ・優れた人間の思想昧常にそ0)時代の経規する頃,次の時代を先取した綜合的予言的な 1788, 1790年)紘正にそれであ ものとして出現するものであるoカントの批判(1781, るo彼の三つの批牛帖悟性万能の啓蒙主義と感情万能の感傷主義とに向けられたもの lmperativ)の塵を設軌「頭. で,彼妊この二つを越えた所に至上命令(Kategorischer. 上の星」としての清明な倫理を同胞に与えた.この彼の啓蒙的な色彩を完全に昧ふわ昧 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. らっていない理想主義が,同時代の同質的な人間の精神削、くつかとらえたということ 昧容易に推測できる.シラー(F.. von. Schiller. 1759-1805)が疾風怒涛のカオスを乗. りきって,彼独自の古典的理想主義の.芸術墳を開拓しえたの軌カントに負う所大でぁ るといつても,決して過言で昧ない.若きダーテとシラ-がやがて共に疾風怒涛の渦中 を晩して,いわゆる古典的ブイマル時代を現出したこと払彼等の独乙的伝統に埠さし た張敬な芸術意欲の勝利を明示t/ているo破等酬吾性と感情を遮断・抑圧し,いかにも. 独乙的な理想主義的古典主義一博大さと平穏さへの遮断・抑圧によ 孝飛躍的なあこが れとしての文学-を生みだした.ニの二つ(D時代-I,-マン主義を加えるなら三づ. の時代の象徴払グ-テの生産の伴侶でった「ファクスTJ(第1,. 2部に)最も鮮明な. 文学的結晶とt,て定着している.われわれ抹,シラーの晩年を飾る「メッシーナの花嫁」 (Die. Braut. von. Messina. 1803)に於るわれわれの問題を⊥べつして,この葦を賂歩. たいと思うo今別まメッシ-ナの菰に平和がよみがえった日である。王の妓後,二人の王子は事々に対立L, 執ま1日とLて平穏でほなく,女王ドyナ・イザベラの胞は憂いにとぎされていた。所が,今日. ほ王子たちが和解し,老いた女王は始めで愁眉を開いたo王宮ほ王子キちを準える準備でいそが -セ しいo女王ほ長老たちに喜びを語り,遠くの修道院でひをかに養育させていた王女ベアト1). を迎えにやる。. 王子ドソ・マ-ヌエルとドy・アユ-ずルの兄音別ま母から,妹が一人いることを話され,彼等. の和解の喜びほ更にいやます。母の告白も彼等にほ喜びの嘩であった。一三ほ妃の妊娠中に, 結婚の新床から生えた二本の桂が,その間に生えて来た一本の百合のために燃えてしまう夢をみ た.アラビヤ人の占師の夢解きによると,二人の王子が一人の王女のために破滅する,とい■ぅ. のであるoそこで王は,やがて生れた第三子の王女を海に捨ycさせようとした.時恰も王妃も夢.

(18) 永. 70. 野. 姦. 夫. \. をみたo草原で一人の美しい子供があそんて丸、る't,ライj]-ソと鷲がそれぞれ獲物をくゎえて,. 子琴の所に行き,獲物を子供に捧げて,その足元にひれふした,というのである.或る高僧の説 ′明によると,王女が二人の王子を愛を以で救うであろう,というのであった。そこで王妃ほ,王 女をひそかに或る修道院に透って養育させた。. 王妃を更に喜ばせたのは,二人の王子がそれぞれ愛人を彼女に紹介Lたい,と申出たこJとだつ た.彼女ほ喜びのt=こ三人の王女をえることになるからである.■ノー所が,.王宮.K現われた王女 ほ唯一人だったo三宝命のいたずらか,兄弟は互に知らずして,或る修道院で同一の女性に恋して いたのだった。自分の愛人と兄が抱擁しているのをみた情熱家の弟紘,嫉妬にめがくらんで,兄 「昔か. を殺して愛人を奪おうとLた。だが,その愛人は自分の妹だったc,弟ドソ・ツL=-ザルほ, らこの家にまつわる呪いを,ゎしほ死で解決する。自由な死のみが,宿命のつながりをたち切る のだ.. (第4幕第10場)と,日から白致し七倒れるo合唱は深い沈獣のあとで,. 「生命ほ最高の. 宝ならず,而して,繭の最たるは罪過なり」と悲痛に述べる。-. シラー紘独自のギ1)シア準劇的作品たるこの作を以て,ギリシア悲劇と優劣を競うほ どの意気込だった.それだ馴こ,この作にほ多く0)問題が含まれている.彼昧内容(秦. 材)を主とした.)ア1)ズム卑すて,理想化の芸術を志し,古典主義的な,形式を重んず る作品を作わあ抄キo この件に昧簡素でいかにもギリシア悲劇的な要素一夢,占,運命等々-が多い. だが問題なの杜この点で拭なく,これらの要素が近代的に,しかもいかにもシラ1一的に 解釈しなおされている点であるoこのこと払古典主義と共に,. 「メt?シーナの花嫁」. ●. 卑ギリシア悲劇(的運命悲劇)たらしめていない点である。シラーの手法にみられる盛 んな芸術意欲妊,苗代劇と近世劇との綜合による理想主義の実現をめざしたのであつ た。. 「シラ-の運命の背後にほ,赫昧立っていない」といわれている.彼の運命とは,埴 ●. ●. 竜イラ. 的にいうなら,ギ1)Fシアの紳hO)蓮命で昧なく,倫理的世界秩序を抑圧せんとする不可 なりゆき. ●. ●. ●. 解な威行である.この解釈からなE)立つ世界のシューマ昧本質的に凱、まいで悲劇的で 参るq人間昧悲劇的である。だが人間杜自由意志と情熱を以て,たとえ段落することが あろうとも,.良心の声r. 「内心の紳」. -に杜仲まされて,倫理的世界秩序を追求 する。だから,激情のうちに兄を殺したドン・ツユーザルは,自由意志からの死で呪い. に立向い,′新しい地平に永遠q)法則を樹立しようとするoシラー右耳暗黙の中に対象とし ていた観客が, 「実生活に倫理的世界支配がないの、を竣念に思って,それを舞台上に見出 さんと欲する,よE)まじめな観客」. (「メッシ-ナの花嫁」、の序文)であったの昧当然で. あるoグ-テも,キの作品によって独乙揖劇の水準が崇高な迄に,ト高塀されたことを認 めているo_. ここでわ斡わわが注目せねばならないのは,シラーがカントの流れを.くみつつ,悟性.

(19) 71・. ドイツ演劇史の底流. や感情の倫理に解約されていた宗教を,内心の碑であ-ると共に天卓の星である倫理的世 †. 界秩序に皇で再び高めたこ.とであるoシラーのいがく人間が,生死別、かんを問わず,・ それぞれ各自の良心の声に耳を傾けつつ,自由と情熱と地て・その永遠の秩序の礎石 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. たらんとする運命剥こなっていることであるoだが,-I,ラ-のこの啓蒙的倫理主義軌 16世紀から18世紀までの独乙. 更に蘇敬な芸術意欲のために,適度に抑軌されているo. 演劇の種々の偏向軌実にシラ-の創芸術によっていちおう止揚されたといえるo. 「. だが,揖劇史の底流昧早年でも流れつずけるo 4.ローマン主薬時代 「啓蒙と昧何ぞや」)をモット. (タンt. 「汝自身の悟性に奉仕せんとする勇気をもて」. ーとするカントの合理主義的哲学札疾風怒漬を媒介として,理想主義的古典主義を生. んたが,その反勤としてのロ-マン渡(Romantik)妊感情を中心とした個人的な主観 ●. 主義の点モカント哲学に対立しT=oそれと同時に, 合理的な「無限と運動」. ●. Tl-マン波托その特質に由来する非. (シュ}.)ヒ)へのあこがれによって,. 「完成と静山へあぁこ. がれの具現を志向する古典主義に対立しているoカγト哲学の後継者であるローマン演 習挙が,.カントの超個人的・先天的我功利ヒ・絶対化を傾向とし,やがてフォイエル′ぎ Tl-マン渡の文学活動の歴史に照応しているわけであるoシ. ハを生むにいた等笹路昧,. ュv-グル兄弟,ノヴァー.)ス, 底点に堕しまるからであるo. -i,l・フマンの系列紘やがて,ヴュルナ-やミュルナ-の. T,-マン波の宗教観昧無限と運動なる二大特色に象徴されている。整魂について昧, ヘルダー昧輪廻詮をとなA・,プァン∴・ ,ヾクル・ノヴァーー1)…ス娃塞魂不滅詮をと患えてい るo.1-マン演が純粋な無限と無形態をあこがれるの臥その初期段階ともいうべき疾 風怒涛時代の流れをくむ皇のであるが,後者のあこがれ札若きグ-テ・の「ヴェールテ ル」に見られる自感との合一,いわゆる「垂自然」. (Allnatur)甲思想に於るような汎神. 静的で,微塵主義的な素朴なものであるのに反して・前者のあニザれ軌感傷主義的系 掛こぞくし夜がらも,宗教的恵ものである. -ン(F・ この.I-マン波の宗教的色彩をもったあこがれ臥感情的には-ルダー1) Tod des (Der mi1derlin. I770r1842) ・Empedokles) -とな ′の・「.エ.3(ゲドクvスの死」 め,象徴自榊話的に昧草イ-.:♂(L・Tieck+1853)の「聖女グ},ヴューグァIの生樫と 死」 (Leben、nnd. Tod. der. heiligen. Genoァera),ヴュルナ-. (Sahne の初期の作副 タ-㌣スの息子達」 のような傾向が,. des. (Z・ Wern?r. 1768-1823). ・Thales)となって結晶した.o.・反面,こ. _虞に宗教的であるという一点を媒介として,全く二遭の方向も羊ある形象.

(20) 72. 永. 化・形態化を志向したこと払. 野. 藤. 夫. サーサン瀕の多くの人hカ卓-ティ・-ク,シュV-グ}レ,. シュライエル-ッヒェルなど軸外⊥宗教的憧際の中心流すべき一つの形式・価系 を求,め既成宗教,殊にカ=■.y'クに回心し帰iEした事実によって立証される.彼等の 宗教観妊, ′ダァ-1)スにみられるように,何らかの中保者(Vermittler)を不可欠の ものことして前接していたから,その既成宗教-の投入昧,退避ではなく前進というべき ●. ●. であろ5-o. ゲィル-ルム・シュV-ゲル(A.W.. Schlegel. +1845)が「あらゆる形式の揖劇払. 小詮の原理によって批判されねばならない」と主張しているように,. 首位ht,)、詮であり,特にMarchen. 1,-マン演芸術の. (童話)形式のものであり,伝統破塵をテーゼとす. るTl-†ン演の演劇拭,王統-を墨守するフランス古典渡,形式を尊重したゲーテ・シ ラー・の古典妻妾,シェークスti.アを師とあおいだ疾風怒清などに反鎖し,既存の基礎を 固めつつあった独乙鯖劇を否定し去ろうとした.叉T,-マン主義の本質に般ざしたイT' エーにもみられる,悲劇性の挺否と・喜劇性の尊重臥せつかく上昇しかけた独乙騎劇を, しばしの間昧ぽんだ.虞にT'-マン演的な揖劇が舞台から杜なれ,叙事性や拝惰性を重 税した小詮と劇との融合物をうみだしたこと昧,当然の勢いであったというべきであろ )o. われわれ妊ここで目を転i=,ローマン派の生んだ変種「T,-マン的道命悲劇「(roman・ tische)を取上抄ねばならないだろう. T'-マン次が愛好した喜劇が一般に迎えられずに,重く異質的な運命悲劇が一世を風 びしたの昧皮肉なことである。運命悲劇妊極端に舞台効果を重んt3,在来の技巧をすべ て採用し,その上,シラーのrメッシーナの花嫁」で近代化された古典主義的蓬命軌を, 重く外面的偶然性に俗化し,巧みに筋を動かすてことしたoこの反T,-マン脚勺傾向が, ●. ●. 後期T'-マン涙に著しいこと軌.,-マン演揖削が再び次第に現実の舞台に接近し始め たことを示しているが,この経過がいかにも通俗な方法で行われたことをも芸術意欲の 指針のふれがいかに昧な昧だしく修正されねばならなかったれ叉遠か天上を指してい ●. ●. た非芸術意欲がいかにひどく遮断され抑圧されて,地上に向わねばならなかったかを; 示している。. T'-マン主蓑の放底に運命観がなかったわけで昧ない.グァッケンローダーの如き 紘,自己紘柴器であわ,卓の弦をかなでるの昧運命である,としているが,われわれ昧 この運命の宗教的色彩を見逃してはならない.叉虞に宗教的であったノヴァー・)ス拭 「青い花」で,絶対的な意志力による運命の克服を描き,シュライエルマッヒェル昧賞. の意志に避鎗牲存在しえぬことを力詮・しているょこの最後の克方妊,シラーの運命戟.

(21) 73. ドイツ靖劇史の底流. (「メッシ-ナの花嫁」)につながるもので{この国連は表面的に見られるなら,運命悲. 劇0)運命観を生みだす可能性をもっているoここで軌道高時有りうペからざる偶然に 堕し寺っている。 Abschied1792)や「カー t・L-†シ的運命悲劇の芽生乳既ヒテ・イ-クの「別れ」 (Der (Karl. ルル・フォン-・ペ't/ネク」. von・Berneck. 1795)にみられるが,虞の■運命悲劇の. (A. Miillner. 創始者妊ヴュルナこでありミュルナ-. 1774-1827)であった.運命悲劇. の端緒をなし,一大せンセ-ションを巻起したといわれるヴtエルナ-の「2月24日」 (Der. I1809)払実にその代表作である.. Februar. vierundzwanz7'ste. 年こそちが,i,2月24日はクル-ト家に三つの不幸が起った日である■..クyツ」クル-トは 父の反対をおしきって結嬉Lたが,文が妻をいじめるので,或る日?ことかつとなって・父に 小刀を掛ヂつけた.小刀ほ率いそれたが,父ほ恐怖のために死んでしまった一朗Lは2月如 ●. ●.. 日のことだった。何年かLて,クソ,iの長男が遊んでt二るうちに,因錬の小刀であやまつで妹を ●. ●. 殺してしまうーそれも2月24日のことだった.長男ほやがで家にいたたまれずに姿を消Lたo 何年かして,彼ほ成功者として,、人知れず帰緒し故郷や0.初夜を父の家ですごそうとする.ア ・ヤプス山中のヒュッテほ夜の嵐にさいなまれている。一夜したら・彼は名乗りでで,父の腕にだ かれたいと思っている。その夜,父ほ壁にかかつていた困殊め小刀でその旅の男を殺してしま ●. ●. ら.彼は息子を殺し-Cしまったのだった-それは2月24日のことだった. 先ず技巧に注目せねばならないo. I,-マン渡が否定した伝統的考手法が,いかにも少. だく盲んに絹いられていることだろうo先の二事件娃父の詣であるo三珠-紘巧みに守 T'一寸. られている.場所昧アルプス山中のヒュッテ,時昧夕方から夜にかけてである.. ン演の滞惰性も,鋳じられる惨事削、つをう悲陸なものにするかのように利巧されてい Lillo. (W・. る-夕焼,角笛,風,吹雪等々o素材昧イギ1)スの18世夢の作家1)T'i-. だが最. 1693-1739)の家庭劇の流れをくむ,もので,大衆に愛好されていたものだったo てこ. も注意すべき点昧,こあ劇を動かす挺が重くの外的偶然と「低俗な動横」であることで (註). ある。デーモンとして由,重く盲目的な運命であることである。. ニー'の蓮命悲劇を喝笑した者もあった。ブラ-テン(A.. T'-マン波の人hの申に払 Platen. von. 1766-1835)の如き昧,運命悲劇の形式をとった「運命のフォI-ク」. verhangn王svolle. Gabe,I. 1826)で,◆. 運命悲劇の愚劣さを瓢刺しているo. プァンル昧創文学に運命の課題を提出した点で,重要である。オースタ1) ダ′1)}レバルツァー(F.. Gri'llpafzer. 1791-1872)抹「組妃」. (Die. (Die. しかし,この. -の技巧作家. Ahnfrau)を以て,運. 命悲劇の一応の完成者となった.0 (註)ヴュルナ⊥ほ1811年にカF. 1)ックに帰正したが,私見によれば,この事宍ほ彼の技巧甲. 作劇術とは無関係であったと思う.-この点でも,彼ほ優れた作家ではなかったと思われるo. T'-マン瀬とそれにつずく青年ドイウ派(JungeB. Deutschland. 1830以後)のイン.

(22) 7・l. 野-港-夫・!. 吉永. l. ■. チニルメ.ッアオと_しての羊^の劇作象グラブづ(CIきr・ 、D・.Gr声b申(180ト3@)・、とゼユ写ナ 丁:メ(G・、野chnerl声13-37)は琴自甲軍場q)巧めt享光っているoグ苧ナツべ昧近代的で自 意識過剰な反省人(Reflexsivmensch)であり, JFa,n・叫nd.Faust. 「ドン・ジュアンとファアLスト」. (Don. 1828)、に払、その草根的な^間の悲劇的恵矛盾がにじみでていa.. l 、. ={チ.-ぞスぎアやダTテに七.、ギts<彼の足('j:・現世の泥軌こつ?,こ阜れていた.彼の芸術 、. 意欲杜常に動橋し,絶えず率せ少ながら暗中模索していたo ,・5tJその非芸術意欲の指針払. 天と埠と:a)あわいを激・L,く.縛れ動いTいた8天才的でさえあった琴で昧あ、るが,所詮彼 は行勤人(Tatenr苧enSCIT)で時なかったo. :. (Dantons. Tod. ,若い革命家t:'-_ユヒナ-昧発意時代の胸中の情熱をL「ダントンの死」 1835)-・に傾けたo彼如密かに優れた.),ア.)・ストであり,劇術の優れた素質をもっていた, i,かし,彼練余りにも若死にした.彼のこの作昧J「単にこの時代の最も重要な戯曲であ るばかカセ昧なく,ドイツ揖劇カiグ-チ,シラ-以後なした唯-の重要な一歩前進であ った」ともいわれるが,過評であり,. 「一歩前進」と昧鏡劇に革命的要素,近代社会の問. 題を導入した,削こついてのみいえる.文学紘体験と情熱からのみ生れるもので昧なく, l. むしろそ■れ-の抵抗から生れるp. I:・ユヒナ一にあって札地上を志向する非芸簡意欲の. 情熱が濃零すぎる.それ-の抵抗を定著させるに昧,彼の?-マン的リア.)ダムの芸術 l. 意欲は余9にも浮動している.だから,. 「革命の一切の偉大さ,易乳点.限界を純粋に劇的. に形象化し,性格やシチュキーションに移し入れることに成功し」,. 「最大の民主主義革. の敢会問題から世最新の問題」を劇化することに成功してヤ、る,との評言昧,芸術を. 固定の偏向㌧鞍点からのみ取ることを事とする一派の者の過評である. 青隼ドイ.ツ波杜古典主義とT'-マン派の反動として接頭した,人生,芸術,科学に於 る自由のため.に奮闘した,政治的社会的傾向文学の一次で, グッコー(K・. ・<ルネ,ハイネ,ラウペ,. Gutzkow′1811-'78)が活動したo傾向時r,,娃革命的な.). =カムをとな. え,、連邦議会に皐つ_てi83与年禁止されたoこの時代の強烈な非芸術意欲の指針が地上 の極邦も言定位与れ.たこと時当然であり,宗教的情操杜こや-つしそうに見えたが,永い伝. 統埠や埠り考れでも準底をゆるやかに細々と流れてい串。自由奔放な傾向が劇形式に適 6. ▲. さないこと8j:・-A?- iン波に於て既に見た遡りであるが,グッ--の如き払ヴュルナ TT:の羊うな行方凌小らんだo,. ,この行方にT,われわれ払独乙創文学に於る∵つの方向 二合理主義の底流としての非合理主義のあらわれ・-をみることができるo青年ドイ. ツ流の非芸術意欲q)手旨針昧,.軸の存在しない地上に偏向しすぎていたoこの時代につゃ. いて,苧や予て倫理的な本間の交渉を重税する時代がやって承るo (D_aS叫berne二′ぎノヒ秀ルスが「ドイツ文学の白銀時代J. Zpital七er. der. dt. Dichturlg).

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