南アフリカの中国系議員 -- 台湾外交の人的遺産 (
特集 チャイニーズ・オン・ザ・グローブ)
著者
吉田 栄一
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
202
ページ
30-31
発行年
2012-07
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003931
南ア フ リ カ ︵ 以 下 ﹁ 南 ア ﹂︶ に お ける 中 国 人 移 民は三 〇 数万 人 と 言 われ て い る 。 歴 史 的 に は 一 九 世 紀 後半 、 金 鉱開発 が 進 み 中国人坑夫 が流入 、 商 人 も ポ ート エ リ ザ ベ ス やヨ ハネス ブ ルグに 入 っ た が 坑 夫 の多 くは契 約 終 了 後に帰 国 した。 そ の 後長ら く 中国人移民 は 中断 して いた が 、 一 九 八 〇 年 代 に は アパ ルト ヘ イ ト 体 制 を 容 認 し た 台 湾 と 南 ア の 経 済関係拡大 の 結果 、 政 策 として の 台 湾 人 移 民 受 け 入 れ が 拡 大した。 特 に 一 九 八〇年 の P W ボー タ首相 ︵ 後 の 大統領︶ の 台 湾訪問 により そ の関 係 を 制 度 化 す る動 き が 進 ん だ 。 ま た 一 九八 四年憲法 と 、 翌年 の 居 住 地 に関 する法 改 正 に よ り中 国 人 は 白 人 居 住 区 の 不 動産 所 有と居 住 が 認 められた こ と も あ り 、 一九 九 五 年 に は 台 湾 人 移 民 の 流 入 はピ ークを迎 え 、 そ の 人 口 は約三 万人 と な っ た 。 同 じ時期 に 中国返 還を控 え た英領香港住民 の 南 ア 移 民も増加 し 、 こ れ は 一 九九七 年 、 香港 返還 の 年 に ピ ー ク を 迎 え 一 万 五〇〇〇 人 程 度の 香 港 系 中 国 人 が 移民 し た 。 台湾 、 香 港出身 の 移民 は 高 学歴 者や 富 裕 層 も 多 く 、 特 に ア パ レ ル 縫製業な ど 軽 工 業 投資者 が 多 い 。 これ ら の 台 湾 、 香 港 出 身の投 資 家 は、 旧 ホ ー ム ラ ン ド に 設 置 さ れ た 工 業 団地 や旧黒人居住区 に 隣接す る工 業 地 区に 投 資 し た 。台 湾 出 身 移民 で知名度が高 い の は政治家と なっ た シ ア ン ビ ン ・ ホ ワ ン ︵ 黄 士 豪 ︶ である 。 ホ ワ ン は 一 九 五五年 生 ま れ、 一九 八 八 年 に 台 湾 よ り 二 〇 〇 万米ド ル の 投 資資金 を 手 に 移民 し た一 世 で ニュ ー カ ー ス ル 市 に て 縫 製業を起 こ し た 。 ニューカースル市は自治体とし て台湾企業への投資優遇措置を制 度化したことから、一九八〇年代 台湾企業による投資が集中し、そ れにともない移民が増加した場所 である。人口約四〇万人の工業都 市で、一九九〇年代半ばには中国 人による企業、約二〇〇〇社が進 出し、中国人経営の製造業七〇工 場が立地するまでに至った。 ホワンは一九九一年にニュー カースル華人投資協会会長、一九 九二年にはアフリカ華商連盟総会 長となった。南アが民主化しマン デラ政権が誕生した一九九四年の タイミングで、インカタ自由党に 入党してニューカースル市議に当 選した。一九九六年には副市長に 昇格し、一九九九年ニューカース ル地区の党主席となる。インカタ 自由党はズル人の集中するクワズ ルナタール州を基盤とする政党 で、民族主義的な政党の印象が強 いが、台湾系企業が黒人の雇用を 多数創出していることからホワン はニューカースルに安定した政治 基盤を築いた。ホワンはその後二 〇〇〇年には離党し、二〇〇四年 には与党アフリカ民族会議ANC より総選挙に立候補、国会議員に 初当選した。 その他の中国系政治家も全員が 台湾系移民である。 シェリー ・ チ ェ ン︵陳阡蕙︶は一九五五年生まれ で台湾大学貿易管理系を卒業後 、 一九八一年に南アに移民した一世 である。台湾系企業の英文秘書等 を経て投資家に転じ、縫製業を含 め多角的に投資してきた。アパル トヘイトの終結した一九九四年に は白人政権下の旧与党国民党を継 承した新国民党NNPに入党し 、 二〇〇〇年にはヨハネスブルグ市 議に当選、二〇〇四年には国会議 員に当選した。 マイ ケル ・ ス ン ︵ 孫 耀 亨 ︶ は 幼 少時 、 一 九 八 五 年 に 南 ア フ リ カ 北 部の 地 方 都 市 ピー タ ー ズ バ ー グ に 移住 し た 一 ・ 五 世 で あ る 。 父親 は や はり 縫 製 業 を 営 ん で い る 。 ス ン は サウ ス ア フ リ カ大 学 法 学 部 卒 業 の 後、 中 国 系 と し て は 初 の 弁 護 士 事 務所を 開 設 し た 。 二 〇 〇 三 年 に は 最大 野党 で あ る 民 主 同 盟 D A に 入 党し 、 二 〇 〇 六 年 の地 方 総 選 挙 に てヨ ハ ネ ス ブ ル グ 市 議 に 当 選 す る 。
南ア
フリカ
の
中
国
系
議
員
︱
台湾外交
の
人
的遺産
︱
吉
田
栄
一
特 集
チャイニーズ・
オン・ザ・グローブ
30
アジ研ワールド・トレンド No.202 (2012. 7)クリストファー ・ ワン︵王翊儒︶ は一九七七年台湾生まれで一九九 一年にケープタウンに移民し、一 九九二年にはケープタウンにて台 湾の仏教慈善団体である慈済基金 会などに関わり始める。ケープタ ウン大学情報工学部に学びなが ら 、九八年中国人学生会会長と なった後、ケープタウン大学情報 工学系助教、アフリカ台湾商会連 合総会事務局長 、同青年部会長 、 世界台湾商会連合総会青年会議所 事務局長など台湾系移民団体の職 を歴任している。 ワンは二〇〇三年に野党独立民 主党IDの設立のタイミングに党 代表パトリシア・デリールと知己 となったことで独立民主党ID青 年部会に参加した。二〇〇四年総 選挙でIDの推薦順位七位となり 当選、二六歳の最年少国会議員と してデビューを果たしたが、翌年 には離党しANCへ移り二〇〇九 年まで一期を務めた。 台湾、香港出身者の流入はその 後一九九七年を境に急減した。同 年七月には香港が中国に返還さ れ、一二月に南アは台湾と国交を 絶ったからである。香港が中国の 一部となったことで、南ア政府は 北京との国交なくして香港との関 係を維持できなくなったのであ る。ヨハネスブルグ・香港間の航 空路や在香港南ア領事館の維持が 不可能となり、長期的な対中経済 関係の拡大を見越した結果、台湾 との外交は絶たれ、一九九八年一 月に北京との外交関係が開設され た。この結果、台湾からの南ア移 民の道は閉ざされ、三万人の台湾 系人口は今日六〇〇〇人にまで減 少している。 断交後、多くの台湾系人は第三 国へ移民し、また台湾経済の好況 や台湾IT産業の興隆によって賃 金条件が南アよりもよくなったこ とから台湾への帰国も進んでい る。香港系移民も中国返還後の状 況をみながら帰国の途についた者 も多い。 その後二〇〇〇年代に入り台湾 系、香港系の激減した南アには大 陸中国から三〇万人の移民が流入 し中国系社会は変革している。北 京語話者などの新移民が大量に流 入し始めたことで、英語話者であ る老華僑グループと台湾移民一 ・ 五世はそのアイデンティティ危機 に晒されているとも言える。 マイ ケル ・ ス ン の 弁 護 士 事 務 所 では 今 日 、 そ の 業 務の八 割 が 中 国 人が関 わ る法手 続 き や 調 停 問 題 と なって い る 。 南 ア フ リ カ 移 民 局 や 南ア フ リ カ 警 察 、 ヨ ハ ネスブルグ 警察 か ら 新移民 が 受 け て い た 嫌 が ら せ や 金銭要 求が問題 視され る よ うにな り 、 ス ン は 弁 護 士とし て 、 ま た 市議会 で も新移民 の 安心 安全 な環境 の 実現 に東奔西走し て い る。 英 語 話 者 の少 な い 新 移 民 コ ミ ュ ニテ ィ が 移 民 当 局 や 行 政 執 行 機 関 との 間 で 弱い 立 場 に 置 か れ ている こ と は 事 実 で 、 強 硬的な行政執行 の問 題が現 地 の中 国 語 新 聞 ﹁ 非 洲 時報﹂ や ﹁南非華人報﹂ に 取り上 げられ る こ と が多くな っ て い る 。 スンは中国系の多くのコミュニ ティ組織に顧問として招かれるよ うになっており、例えば新移民の 投資家が中心となって形成された 新中華街の自警組織である﹁西羅 町︵シリルディン︶唐人街警民委 員会﹂や、中国政府の主導下、台 湾と中国の統一を目指す﹁全アフ リカ中国和平統一委員会﹂にも台 湾系南ア人でありながら顧問とし て参加している。 これら台湾系政治家の最近の動 向をみるとクリストファー・ワン はANC入党後ケープタウン地区 を担っていたが二〇〇九年総選挙 では党内推薦順位が予想当選ライ ン以下となったことから立候補を 断念した。現在もANC党員とし てケープタウンを基盤に地道に活 動は続けており二〇一三年総選挙 での立候補を目指して近年は最貧 困地区のカエリチャで地区社会活 動に取り組んでいる。 ホワンは国会にて貿易投資委員 を務めていたが二〇一〇年に南ア で開催されたサッカーワールド カップのキャラクターグッズを自 ら所有する縫製企業で受注し、中 国の搾取工場に安値で委託生産さ せていたことが広く非難を浴びて 党内や国会での要職から降りるこ ととなった。 もう一人の一世議員であった ユージニア ・ チ ャン︵張希嘉︶ ︵イ ンカタ自由党︶は二〇〇四年に初 当選したが、台湾での税逃れ等に より検挙され二〇〇九年に党より 除名、 南アの政界より退いた。 シェ リー・チェンは二〇〇九年総選挙 を目前に党より推薦を取り付ける ことができずやはり引退した。台 湾系政治家の活躍と引退劇は流転 した台湾・南ア関係を表すかのよ うであるが、それでも一・五世以 降の台頭と活躍は始まったばかり である。 ︵よしだ えいいち/横浜市立大学︶