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J.Rousset:Forme et SignificationのIntroductionをめぐって

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Academic year: 2021

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(1)65. J.Rousset:Forme et Signincati。 五 の Introductionを め ぐって. 本. 城. 格. ジ ャ ン・ル ーセの「形式 と意 味作用」1)と い う書物 には ,そ の副題「 コル ネ イ ユか らク ローデ ル にいた る文 学構造 に 関す る試論 集」 が示 して い る よ う に ,「 ポ リュク ト」「 ク レープの奥方」「 マ リヴ ォー」「 書 簡体小説」「 ボヴ ァ リー夫 人」「 プル ース ト」「 ク ローデル劇 の構造」 の 7篇 の評論が お さめ られ て い る。 ここで取上 げ る IntroductiOnは 27頁 の短 い もので あ るが ,そ れ は 単 な る序 論 で もな く,著 者 自身が言 うよ うに ,こ の書 に対す る弁 明 で も な い 。 そ こで は ,著 者 の根本 的 な文 学論が実 に 簡潔 な文 章 で語 られ ている。か ねてか らこの序論 に興 味2)を いだいていた私 は ,本 年度 ,大 学院 の演習 のテ キ ス トにそれを使用 してい るのを 機会 に ,そ の序論 に対 す る私 な りの解釈を ま じえなが ら,そ の 内容 の紹介を試み る こ とに した3)。. 1)Jean Rousset:Forme et Signiflcation一 de Corneille a Claudel_JOsё. Essais sur les structures litt6raires. Corti,1962.Roussetは 1910年 生れ, ジュネーヴ. 大学教授 , 他 にLa Litt6rature de l'age baroque en France,Jos6 COrti, 1953 などの著書 がある。 2)私 がこの序論に興味 を持つ ようになったのは,嘗 て私たちが聴講 した故落合太郎先 生の文学概論 とこの序論 とが根底 において内容的に一致 している点が見 られるか ら であろ う。落合太郎著作集第370頁 ,「 具体的言語 と抽象的言語」参照。 3)私 は,い わゆるヌーベル・ クリチ ックの人たちが どうい うことを言 っているか を若 い学生諸君 に知 って もらえれば と考えて,部 分的な引用の危険 と訳文の稚拙 さによ る読み に くさを承知の上で引用箇所 を多 くした。.

(2) 66. Jo Rousset:Forme et Signincationの. Introductionを め ぐって. 文学 とい う現象 は ,作 者 が作品を制作す る面 と,制 作 され た作品を読者が 読み ,批 判す るとい う面 ,こ の 頃 の言葉 で言 うと,エ ク リチ ュー ル と レクチ ュール の二 面 か ら成 立 ってい る。 二 面か ら成立 つ と言 うよ り,エ ク リチ ュー ル と レクチ ュー ル ,つ ま り作者 と読者 の協働 の上 に具体的 な文学 とい う現象 が成立す る。楽符 だけでは音楽 にな らな い 。演奏家 によ って 楽符 が解 釈 され 0ド 0シ ュ レ て初 めて具体 的な音楽現象 が生 じるの と同 じであろ う。 ボ リス 4)と 題す る論文 の ーゼルが「現 代批 評 の方法」に掲 げ た「 作品 と作家 と人間」 中で ,文 学 と音楽 とを関連 させ て ,次 のよ うに言 ってい る。「文学 , 音 楽. ,. いずれ の場合 におい て も, われ われが 係わ りあ うのは 音 の体系 (systё mes. des sons)で あ り, したが って 線的 な , 時間 的な構造 体 (struCtures lin6aires,temporelles)で ある。 しか して ,音 楽作品 と同様文学作 品は存在す る ものではな くして ,な るもので あ る (… n'est pas,mais devient)。. 問題 に. な ってい るのは事物 (une chOSe)で はな く, 作用 (une operation)な の だ。音 楽 と文学 は行為 の 中 にのみ存在す るもので あ るか ら,そ れ らは聴衆. ,. 読者 によ って再 び造 り直 され な くて はな らな い。作者 がわれ われ に引渡 して くれ るもの は一連 の記 号 (une sё rie de signes)(音 楽 にあ っては音符 ) で あ り,そ れ らの記 号 がわれ われ にそ の 作用を完遂 す る可能性 を与えて くれ 5) るのだ… 。 この点 において ,音 楽 と文学 は互 に非 常 に近 しい関係 に あ る。」 ジ ャ ン・ス タ ロバ ンスキーの「 La relation critique」. 6)の. 中 の次 の言葉 も傾. 「 な るほ ど, 作品 とい うものは 自立 した 物質的 な堅固 さを有 聴 に値 しよ う。 ・ ル れ 自体 によ って 存続 し,私 な しに存在す る。 しか し,ジ ョ ジュ プ し. ,そ. 4)BOriS de schloezer:LkEuvre, 1'auteur et l'holmmeは Les chemins actuels de la critiqueに 掲載 され てい る。 BOris de Schloezerは 1881年 生れ ,音 楽並 びに文 学批評家。. 5)こ の 引用箇所 の直前 には「音楽 はあ らゆる芸術 の 中 で文学 に一 番近 い と同時 に一 番. の が述 べ られ てい 遠 い芸術 である。」 と書 かれ てお り, 31用 箇所 の 後 では 両者 相違 る。 ュ ー 6)Jean StarObinski:La relation critiqueo Starobinskiは 1920年 生れ ,ジ ネ ヴ 一 Jo Rousseau,L'Oeil vivant, 大学教授。La Transparence et l'obStacle chez J。 La Relation critique,Gallimard,1970な どの著書 が ある。.

(3) 本. 城. 格. 一 レが巧 みに言 うよ うに ,作 品は 自己を 実現す るためには一 つ の意識を必要 とす る。作品は 自己を発現す るためには私を必要 とす る。作 品は 自己を受 け 入れて くれ る意識 に対 し運命 的 に差 し向け られ てお り,そ の意識 の 中 で 自己 を実現す る。作 品は ,私 がそれを読む以前 においては ,動 く力を持 たない単 に一 つ の物 にす ぎな い 。 」ジ ョル ジュ 0プ ー レも「 La conscience critique」. 7). の序論 の 冒頭 で ,「 読む とい う行為 は二 つ の意識 , す なわ ち読者 の意識 と作 者 の それ との一 致を意味す る。 」 と言 ってい る。 ちなみに , ス タ ロバ ンス キ ーが 「 ジ ョル ジュ・ プー レが巧 みに言 ったよ うに」 と言 うのは ,上 掲 のプー レの言葉を指す ので あろ うか。 さて ,ル ーセは,こ の序論 で展 開 して い る文学論 においては ,文 学 とい う現 象 を エ ク リチ ュール と レクチ ュールの両 面 に分 けて考察を進 めてい る。 ル ー セ に あ って は ,い や ル ーセの場合 に限 らず ,理 論 的 に当然 の こ とか も知れ な いが ,エ ク リチ ュールの考 え方 が明確 に レクチ ュール に対す る考 え方 を規定 してい る。私 は この点 に注 目 したい。では ,ル ーセは エ ク リチ ュール を どの よ うに考 えて い るので あろ うか。私 はル ー セの所説を追 いなが らこの 問題を 探 って行 くので あ るが ,い ま一度 ボ リス・ ド 0シ ュ レーゼル が「 作品 と作 家 と人間」 の 冒頭 でその論文 の意図 にふれて い る 箇所を 引用す る。「 われ われ の間 にお けるいか な る誤解 の危 険を もさけるため強調 したい の は ,私 は ここ では作品 の形成過程 の面 には少 しもふれ ない とい うこ と,し たが って作品 と い うもの は ,ま ず最初芸術家 の頭 の 中 にや どり,つ いで紙 や カ ンヴ ァスの上 に投 げ出 され る もので あ るか ど うか は間わな い とい うこ とで あ る。私 は作品 を既 に制 作 され ,読 者 ,聴 衆 ,観 客 の前 に統一 体 と して提 出 され た姿で取上 げる。 」 彼 の言 うの は , 作 品を エ ク リチ ュールの面 ではな く, レクチ ュール あるいは ク リチ ックの面 で 取上 げ るとい うこ とであ る。注 目す べ きは ,エ ク リチ ュールの面を取上 げない とい う ことは ,作 品が まず芸術家 の頭 の 中 にや 1902年 7)Georges Poulet: La Conscience critique,Jos6 COrti, 1971.Pouletは 生れ,チ ュー リッヒ大学教授。Etudes sur le temps humain,Plon,1950,Les M6tamorphoses du cercle, Plon, 1961, L'Espace proustien, Ganirnard, 1963,. などの著書 がある。.

(4) 68. J.Rousset:Forme et Signincationの. Introductionを め ぐって. どり,つ いでそれが紙 や カ ンヴ ァスの上 に投 げ出され るもので あ るか ど うか を問わな い と して い る点であ る。 ル ーセの場合 において も,エ ク リチ ュール の面 に 関す る問題 の 中心 は ,や は り作品 の構想 と表現 の 問題 に あ るよ うに見 受 け られ る。 ル ーセの言葉を借 りると,形 式 (forme)と 意味作用 (signin― cation)と の間 の 問題 とい うこ とにな る。彼 は この 問題を どう考 えてい るか. ]. 結論を先 に言 って しま うこ とにな るが ,ル ーセ 自身が 引用 して い るガ エ タ ン ・ ピコ ン8)の 言葉を まず掲 げ る こ とにす る。「今 日,芸 術 に対す るあ る一 つ の新 しい現代的な意識が見 られ る。 その意識 は ,そ れ以前 の時代 の意識 に比 べ 合 わせ る時 ,最 近 ,創 造 の芸 術 (un art de crё ation)が 表現 の芸 術 (un art d℃ xpression)に とって代 った ことをわれ われ に暗示 してい る。 この現. 代芸 術以前 においては ,作 品 とは既往 の経験 の表現 で あ ったよ う に 思 わ れ る。作品は既 に考 え られ ,見 られ た ことを表現す る。 したが って ,経 験 か ら 作品 まで の間 には ,制 作技術 へ の移行 の過 程が存在す るにす ぎない。現代芸 術 に とっては ,作 品は表現 ではな くして ,創 造 な のだ。作品 は ,そ の作品が 形成 され る以前には見 られ なか った もの を見 るよ うに提示す る。作品は反映 す るのでは な く,形 づ くる もので あ る (elle forme au lieu de reflё. ter。 )。. 」. ル ーセは以上 のガ エ タ ン・ ピコ ンの 引用 につづいて次 のよ うに言 ってい る。 「 大 いな る相違 , われわれ の 眼には ,現 代芸 術 の偉大 な戦利品 ,い やむ しろ 現代芸 術が創造過程を 自覚 した こ との偉大な戦利品な のだ。 構想. ception)と 制作. (1'exё cution)と. (la∞ n…. は同時 (contemporain)の もので , 作. 品 の姿 は作品以前 には存在 しない。 しか るに文芸 復興期 や 17世 紀 の理 論家 た ちは ,内 容あ るいは想. (1'Idё. 在 (la prё e対 stence)と. e), 内的な構想 (le dessein interieur)の 先. ,構 想 の制作行為 に対す る独立 とを主張 した。「完. 全 な形」 (une forme parfaite)が 芸術家 の精神 の 中 に創造 され , あ るい は受 け入れ られ ,そ してそれを芸術家 は表現 しよ うと努 め る こ とにな る。 つ. 8)Gaё tan Picon: L'Usage de la lecture, t.II.1961, Andr6 Malraux, 1945, Panorama de la nouvene な どの著書 が ある。. Picon(1915-76)は 引 比言 平家 littё. ,. rature francaise, 1968.

(5) 本. 城. 69. 格. ま り,心 の 中 の作品 (une oeuvre mentale)が 作品 その ものに先行 し, 作 品 はおそ らく心 の 中 の作品 のか け離れ た , ぼや けた 反 映 に す ぎな い で あろ う。 」 と。 ここで 少 し傍道 にそれ る こ とにな るが ,文 芸 復興期 や 17世 紀 の理 論家 たち の主張 ,古 典主義美学 の基本 的な考 え方 をふ りか え る こ とにす る。 セル ジ ュ ・ ドゥブ ロ ウス キーはその著「 ヌーヴ ェル ・ ク リチ ックの理 由9)」. の 中で. ,. 構想 と表現 に関す る古典主義美学 の考 え方 ,し たが って フ ラ ンスの伝統 的批 評 の考え方 の基盤を巧 みに定式化 して およそ次 の よ うな意 味 の こ とを言 って い る。 1° 文学 の真 の意味 内容 は明 白 に表現 され た ものの平 面 に位 置 し て い る。2° 文学 においては ,表 現 され ている事が らは ,作 者 が意識 的 に表現 しよ うと した こ とと正 確 に一 致 してい る。 「要す るに , 文学 上 の所記 は , 当然透 明 で あ るべ き能記 によ って全 的 に汲み つ くされ る。 (Bref,le signinё litt6raire est tout entier ёpuis6 par un signiflant en droit transparent.)。. 」. 言葉 は ,執 筆者 に と って も,読 者 にとって も一 義的な意味 の担 い 手 で あ っ て ,ま さに文学制作 の本質 をなす この英知 によ る選 択を直接 的 に伝達す る。 したが って ,次 の三 つ の一 致が存在 し,真 実 に して客観 的な批評 の樹 立を可 能 な らしめ る。 1)作 品が現 に表現 してい る こ とと作品が表現 しよ うと意図. 2)作 者が表現 しよ うと してい る こ とと作 品が 実 際表現 してい る こ ととの間 の一 致。 3)作 品が表現 してい ると私 は考 え る してい る こ ととの間 の一 致。. こ とと,作 品が実 際 に表現 してい る こととの 間 の一 致。 その結果 ,批 評 の 固 有 の務 めが全 的 に明 らか にな る。すなわ ち,批 評 は作品 の有す る明瞭な意味 を示 し,そ の意 味 に複雑な含みを伴 う場合 には ,そ れ らを まとめなけれ ばな らな い。批評 は きわめ て正 確 に作品を明確化 しな けれ ばな らな い (explica‐ tion des textes)。. 批評は また作家 の 内部 において表現作業が遂行 され た営. み の跡 を再把握す るよ う努 めな けれ ばな らな い (genё se des oeuvres)。. か. くして批評 は ,人 びとの意 見が一 致 し,主 観 の 隔壁か ら脱れ うるい くつ か の 9)Serge Doubrovsky: Pourquoi la nouvelle critique,Mercure de France,1966, p.32,ニ ュー ヨー ク大学 教授 ,COrneille et la dialectique du h6rosな どの著書 がある。.

(6) 70. Jo Rousset:Forme et Signincationの Introductionを めぐって. 明 白な結論 に達す るであろ う (批 評 の客観 的真実 )。. 以上 ドゥブ ロウスキー. の説 く所を私流 に まとめ ると,あ る作品 において 作者が表現 しよ うと意図 し てい る こ とと,そ の作品が実際 に表現 してい る こ ととは全 く同一 で あ り,作 者が行 きつ いた意識的表現 の みが作品 の意味を構成 し,作 品はそれ以外 の意 味を有 しない とい うこ とであ る。 これが伝統 的批評 の成 り立 つ 前提条件 で あ ると言 えよ う。言葉 とい うものは ,作 者 に とって も,読 者 に とって も一 義的 な意味 の担1い 手で あ り,し たが って文学作品はその意 味 内容を直接 的 に正 確 に読者 に伝達 しうるもの と伝統批評は考 え るのであ る。 前述 のよ うに ,伝 統 的な批評 は ,芸 術家 の精 神 の 中で完全な形式が創造 さ れ ,あ るいは受 け入れ られ ,そ してそれ を芸 術家が表現 しよ うと努力 して作 品が 出来上 ると考 え る。心 の 中 の作品が作品 その ものに先行す るのだ。 だか らして ,作 品そ の ものに先行す る心 の 中 の 作品が原因 で あ り,作 品そ の もの │ま. その原因か ら生れ た結果 で あ ると考え られ よ う。批評家 の努力 は ,結 果 た. る作品を解 明す るため に ,原 因であ る内的な作品の解明 に 向 い ,更 に進 んで │ま. ,原 因 の 原因 た る作者 の人 間性 の解明 に向 うの は ご く自然 な動 き で あ ろ. う。 ここで ,ア ル ベ ール・チボーデの「批評の生理 学」10)に 見 られ るいか に も 彼 らしい エスプ リに溢れ た言葉を思 い起 そ う。「批評分野 にお ける 古典作家 で あ りつづ けて来 た 唯一 の 批評家 サ ン ト=ブ ーヴ11)は 根 っか らの ジ ャーナ リ ス トで あ り」 なが ら,「 サ ン ト=ブ ー ヴ崇拝 は大学 宗教 の原理 の一 つ を形 づ く ってい る12)。 」ぃ ちい ち フランスの 批評史をた ど らな くとも,チ ボーデの この 10)ハ dbert′ Thibaudet:Physiologie de la critique,1930。 Thibaudet(1874-1936)は 文芸批評家 ,ジ ュ ネー ヴ大学 教授 ,Trente ans de vie fran9aise(1919-1924), Gustave Flaubert(1922), HistOire de la littё. rature, de 1789 a nos jours,■. どの著書 が ある。 11)Charles― Augustin Sainte‐ Beuve(1804-1869), Tableau historique et critique de la poё sie francaise et du thё atre francais au XVIe siё cle(1828), Critiques et portraits littё raires, 6vol。 (1832-1839), Portraits de femmes(1844), Port‐. Royal,6vol,Causeries du lundi et Nouveaux lundis(1851-1870)28vol。. そ の他. 詩 ,小 説作品 もあ る。 12)Le culte de Sainte― Beuve ngure un des principes de la religion universitaire。.

(7) 本. 城. 格. 言葉 だけか らで も, サ ン ト=ブ ー ヴに フラ ンスの 伝統 的批評 の 巨匠 を見 るの は誤 りで はな いで あろ う。 このサ ン ト=ブ ー ヴ こそ文学作品 の 理解 にはそ の 作者 の理 解が欠か せない こ とを声 を大 に して主張 した当 の人なのだ。彼 自身 の言葉 に耳を傾 けよ う。 「 文学 は私 に とっては ,人 間 の残余 の (文 学以外 の) 部分 や肉体組織か ら別 の ものではない ,少 な くとも切 り離 しうるもので はな い。 人間を ,す なわ ち単 な る精 神以外 の もので あ る人間を知 るため には ,い か に多 くの手段 ,方 法 を もって して も多す ぎる こ とはあ るまい。 あ る作家 に つ 関 して ,そ れが 自分 のため だけであれ ,全 くの小声 で あれ ,い く か の 質 問 を 自分 自身 に問いか け,そ れ に答 えない限 り,た とえそ の 問 いか けが その作 と確 家 の 著作 の性質 に全 く無縁 に思 え る場合 で も,そ の作家 を全的 に捉 えた に 信す る こ とはで きな い。 そ の作家 は宗教を ど う考 え てい るか。 自然 の風光 どの よ うに感動を受 けたか。女 や金銭 に関 していか な る態 度を と っ て い た い か。彼 は金持 ちで あ ったか ,貧 しか ったか。彼 は どのよ うな食養 生を して たか。彼 の悪徳 ,弱 点 は何であ ったか。 これ らの 問 いに対す る いかな る答 え の も,あ る書物 の作者を判断す るのに ,そ の書物 自体を判断 す るのに ,そ 書 物が単 な る幾何学 の書 ではな く,特 に文学作品 ,つ ま り作者 が全的 に投入 さ 」 マル セル れ る文学作品 で あ る場合 には , 無 関係 ではあ りえな いので あ る。 ・プ ルース トは「 反 サ ン ト=ブ ーヴ論 13)」 にお いて ,上 掲 のサ ン ト=ブ ーヴの 「テ 文章 を 引用 した後 , 彼 自身皮 肉を ま じえなが ら 次 の よ うに言 って いる。 15),そ の他 あれ ほ ど多 くの人 たちによれ ば ,サ ーヌ14),ポ _ル・ ブール ジェ ン ト=ブ ーヴを 19世 紀 の批評 の並 びな い 巨匠 に して いるあ の 有名 な方法 は. ,. 人 と作品 とを分離 しな い と い う点 にあ り,そ の書物 は単 な る幾何学 の書 でな. 13)Marcel Proust:Contre Sainte― Beuve, Ganimard, 1954 Sainte‐. の. La mё thOde de. Beuve参 照。. 14)HippOlyte Taine(1828-1893),フ. ラ ンスの哲学者 ,批 評家。 Essai sur les Fables. de La Fontaine(1853), Essais de critique et d'histoire(1858). Essais de. 15)Paul BOurget(1852-1935),フ ラ ンスの小説家 , 批評家 , 著書 には psychologie∞ ntemporaine(1883-1885文 芸評論集 )2vol.,Le Disciple(1889), L'Etape(1902),D6mon de midi(1914)な ど小説作品 が 多 い。.

(8) 72. J.Rousset:Forme et Sign面 catiOnの Introductionを め ぐって. い場合 には ,そ の書 の著者を判断す るのに ,そ の書 に最 も無 関係 に思 われ る 問題で あ って もまずそれ に答え る ことが肝 要 で あ るとす る。作家 に 関す る可 能 な情 報を集め ,彼 の書簡を照合 し,彼 を直接知 っている人 た ち に た ず ね る,そ の人 た ちが まだ生存 して い る場 合 にはその人 た ちと語 り,そ の人 たち が既 に死 亡 して い る場合 には ,そ の人 た ちが 幸 わ い その作家 に ついて書 き残 した ものが あれ ばそれを読 む とい う方法で あ る。 この方法 は ,わ れわれが も う少 し深 く自己を省 察 して おれ ば ,す ぐ分か る こ とが らを認識 していないの だ。 つ ま り書物 とい うもの は ,わ れ われが 日常 の 習慣 において ,世 間 との交 際 やわれ われ の悪徳 の 中で見 せ て い る自我 とは別 の 自我 の所産 なのだ。 この 別 の 自我を理解 した い と思 うな ら,わ れ われ 自身 の奥底 でその 自我を再創造 す る こ とを試み る こ とによ って初め てそれが可能 となるのだ。 この よ うに. ,. この真実 とい うものは ,わ れ われが それをそ っ くり造 り上 げなけれ ばな らな いので あ って ,真 実が ,誰 か知 り合 いの 司書が送 って くれ て ,あ る朝配達 さ れ た郵便物 の 中 に見 出すあ る作家 の未 発表 の書簡 と い う形 で われ われ の所 に や って来 るとか ,あ る いは その作家 を よ く知 っていた誰か の 日か ら聞 くこ と がで きるだろ うと考 え るのは,余 りに も安易 にす ぎた考えなのだ。 」 と。注 目 す べ きは ,プ ル ース トが ,作 品な る もの は作者 の 日常 の 自我 とは異 なる別箇 の 自我 の所産 で あ り, したが って外側か ら作者 にい くら迫 ろ うとも,つ ま り 外 的な資料 によ って作者 の魂 に どのよ うに肉迫 しよ うとも無駄 で あ って ,読 者 は 自己の内部 で作品 の 自我 を再経験 し,再 創造 す る こ とによ ってのみその 別箇 の 自我を捉 え うると主張 している点であ る。 この有名 な主張が 若 い批評 家 たちを在来 の伝統 的な批評か ら離れ させ ,新 しい考え方 に 向わせ る契機 の 一 つ にな った こ とは確かであ ろ う。 この点 には また後 にふ れ る こ とにな るで あ ろ う。 上 掲 のサ ン ト=ブ ーヴ 自身 の言葉 , あ る いはプル ース トの言葉 によ って も明 らか なよ うに , サ ン ト=ブ ー ヴは作品 と作者 とを 密接 に 関連 させ. ,. 作品を理解 せん とすれ ばまず作者を理解 しな けれ ばな らな い とす る。彼 は こ の方法 を押 し進 めた結果 ,彼 の批評作品においては ,そ の方法 の 目的 は作品 の理 解 に あ った と して も,実 際 に現 われ た結果を見 ると,彼 は作品よ りむ し.

(9) 本. 城. 格. 73. ろ作者 ,い や人間その ものの方 に興 味を よせて い るよ うに見受 け られ る。彼 は さ らに進ん で究 極 的 には もっと広範 な人間性探究者 の科学 の樹 立を 目指 し て いたよ うで あ る。 次 に ,正 確 な資料 に基 づ く実証 的な ,歴 史的 な文 学研究 の基礎 を確立 した ギ ュス ターヴ・ ラ ンソン16)に もふれ て おかなけれ ばな らな い。彼 はパ リ大学 教授 ,高 等師範学校教授 ,後 には高等師範学校 の学長を歴任 ,そ の間文学研 究者 の育成 に努 め ,パ リ大学 は言 うにおよばず ,フ ラ ンス各地 の大学 の フラ ンス文学教授 たちの多 くは彼 の指導 を受 け ,あ る い はそ の影響下 に育 った人 たちであ ると言 って も過言 で はな い。彼 の樹 立 した方法 は,フ ラ ンスの大学 における文学研究 の伝統 的方法 とな り,ラ ンソニ スム とい う呼称 さ え 生 れ た。 彼 の方法 は , 1910年. Revue du moisに 掲載 され た有名 な論文 La. methode de l'histoire litteraire17)に 明確 に述 べ られ て いる。彼 の文学研究. において ,主 要 な位 置を 占め るテキ ス トを知 る作業 に 関 して ,彼 は 9カ 条 に わた って述 べ て い る。 この 9カ 条 は ,単 にテキ ス トを知 る作業 に と ど ま ら ず ,ラ ンソンの文学研究 の方法 を集約 した ものに外 な らな い。 その 9カ 条 を 要約 して示す と,第 1条 はテキ ス トの真 偽 の 問題 ,第 2条 はテキ ス トが純粋 で ,欠 落が な いか どうか の 問題 ,第 3条 はテキ ス トの制 作年代 の 決定 ,第 4 条 は初販か ら作者 自身手を入れ た最終版 にいた るまで の加筆 ,訂 正 ,そ れ に よ って作者 の思想並 びに趣 味 の発展 をあ とづ ける問題 ,第 5条 は最初 の下書 きか ら印刷 に付 され た決定 稿 にいた るまで の作品 の形成過程 の 問題 ,第 6条 はテキ ス トの字義上 の意味を明 らか にす る問題 ,第 7案 はテキ ス トの文学 的 な意 味を明 らか にす る問題 ,第 8条 は作品が制作 され た時 の周 囲 の状況 と広 い意味で の sourcesの 探究 ,第 9条 はそ の作品 の およぼ した影響を跡 づ ける 問題。第 1条 ,第 2条 のテキス トに関す る問題 は ,わ れ われが作品 に接す る 場合 ,当 然心が けるべ き基礎 的な問題 で あ る。 しか しこれ ら 9カ 条 の うち. ,. 16)Gustave Lanson(1857-1934) 17)Go Lanson:Essais de l■ 6thode de critique et d'histoire littё raire,Hachette, 1965参 照。.

(10) 74. J.Rousset:Forme et Signincationの. Introductionを め ぐって. 第 6条 と第 7条 を除 いた他 の 7カ 条 は いずれ も作品そ の もの を理解す る営為 とは一応無関係 と思 われ る操作であ る。 しか し,一 般 によ く言 わ れ る よ う に ,こ れ らの操作 は作品そ の もの を よ り完全 に理 解す るため の準備的操作 と して必要で あ り,そ の有効性 を否定 しよ うとは思 わな い。 ただ ,こ の前段階 的 ,準 備的操作に対 して一般 的 に非常 な努力が 払 われ ,そ して努力が払 われ れ ば払 われ るほ ど,こ の準備段階 の 研究が文学研究そ の もので あ るとの錯覚 が生 じやす い こ とは ,わ れ われ [J常 よ く眼 にす ると ころで あ る。作品理解 へ の準備的研究が文学 研究そ の もの とな り,大 切な作品そ の ものの 研究が没却 され て しま うので あ る。 ここで 話を本 筋で あ るルーセの序論 の 問題 に戻 そ う。 ル ーセ は ,ウ ジェー ヌ・ ドラク ロ ワ18)の 「 …作 りなが ら見 出す」 (。 …trOuver en faisant),ス テ フ ァヌ 0マ ラル メの「 紙を前 に して ,芸 術家 は造 られ る。 」 (Devant le pa― pier lbrtiste se fait), オ ノ レ・ ド・バ ル ザ ックの 「絵 筆を 手 に して考 え る」 (mё diter les brosses a la main)な ど, 天才 たちが 長 い間 の身を削 るよ うな苦 しい創作 の経験 か らに じみ出た言 葉を 引合 いに 出 しな が ら 構 想 (内. 容 )と 制作 (形 式 )の 同時性 を説得 しよ うと努 め ている。. 構想 と制作 とが 同時 で あ ると言 って も,ル ー セ は制作以前 の段 階 に お い て ,何 らの 構想 の存在を認 め て いないわ けで はな い。「 マ ラル メに しろ , あ 19)に しろ ,あ る い は フ ロベ ールに る い は ラシー スに しろ ,シ ュペ ル ヴ ィエル. しろ ,そ れを意識 しているに しろ ,い な いに しろ ,い か なる芸術家 も自己 の 内 に秘密を持 って いて ,創 作行為が それを 芸術家 自身 に啓示す る こ とを 目的 に して い る。芸 術家が明 るみに出す べ き秘密を持 たないのな ら,何 ゆえ彼 は 創作す るで あろ うか。す べ てが作品以前 に既 に存在 して い るのな ら,そ れを もっと詳 しく知 るため に作品を必要 とす るで あ ろ うか。 いや ,そ の秘密 に形 式 (forme)と 組織 (organisation)と を与 え る以前 に , ど う して芸術 家 は 18)Eugё ne Delacroix(1798-1863)フ ラ ンスの ロマ ン派 の画家。 19)JubS Super宙 elle(1884-1960)フ ラ ンスの超現実主義的 な傾 向 の 詩人。 Gra宙 ‐ tations(1925)な どの詩集 があ る。.

(11) 本. 城. 格. 「 いか な る芸術家 も自己 そ の秘密を知 りえ よ うか。 」 とルーセ は言 って い る。 の 内 に秘密を持 っていて」 と言 うのは ,ル ーセが制 作以前 に何 らか の構想を 認め て い る こ とを示 して い る。「芸術 家 が明 るみに出す べ き 秘密を持 たな い ` の中 Ё のな ら, 何 ゆえ彼 は創 作す るで あ ろ うか。 」 とルーセが言 うとお り, ノ に表現を迫 られ る何かを持 たないか ぎ り,創 作活動 は存在 しな いで あ ろ う。 したが って ,制 作活動 以前 に何 らの構想 を も認め な いのは ,在 来 の 古 い立 場 を否定す るに急 なあ ま り,反 対 の方 向 に走 りす ぎて制作活動 の実態 を無視 し た考 え方で あろ う。 ル ーセ は この よ うな立場 を と らな い。 しか しここで 注意 す べ きは ,上 の 引用文 の最初 の 文章 に付加 され て い る関係節 で あ る。 す なわ ち「 いかなる芸術家 も自己 の 内 に秘 密を持 って いて ,創 作行為 が それ を芸術 」 (...tOut artiste porte en lui 家 自身 に啓示す る こ とを 目的 に して いる。 び ルγ。 びυ )と 言 うこ とで あ る。 πγb%′ グθルグγ グ ο η α クθ /ノ α ′ γ ′gπ θ″ θ θ Zη Sθ θ 彼 に とっては創作活動 は ,在 来 の考え方 の よ うに芸術家 の 内 に存在す る秘密 を読者 に ,つ ま り他者 に啓示す るので はな く,芸 術 家 自身 に啓示す る作業 な ので あ る。創作活動 は芸術 家 に とって ,自 分 の言 い た い こ とを つ きつ め て考 え ,そ れ に具体的 な形 0姿 を与え る こ とによ って ,そ れを [1分 自身 に 明 らか にす る作業で あ る。 だか らして , ル ー セ は上掲 の JI用 の最 後で ,「 そ の 秘密 に形 と組織 とを与え る以前 に ,ど う して芸術家 はそ の 秘密を 知 りえ よ うか。」 とまで言 い切れ るので あ る。思 うに ,芸 術家が 自分 の 表現 した い こ とを漠然 と しか感 じて いない場合 には勿論 の こ と,か な り明確 に構想が たて られ て い る場合 において も,表 現 した い こ とに形式を 与え ,眼 の前 に作 品 とい う具体 この 的な姿 を とって 初 め て ,芸 術家 はほん と うに 自分 の言 いたか った ことは こ とだ と悟 るので はなか ろ うか。 た とえ ば定型詩 ,そ れ も一番短 い俳句 の場 つ 合を考 えてみ よ う。最初 の 5文 字 ,次 の 7文 字 の語句が よ うや く見 か り それ との 関連 において 最後 の 5文 字 の場 を 占め る言葉を ,あ れ で もな い ,こ ,. れで もな い と探 したあげ く,そ こにお さまる言葉を見 出 した瞬間 ,自 分 の表 現 したか った のは この こ とだと悟 るのが芸術 的表現 の実 際 の 姿 で はなか ろ う か。要す るに ,「 芸術 は精 神世界 と感覚 的な構造物 との ,ヴ ィ ジ ョンと形式.

(12) 76. Jo Rousset:Forme et Signincationの Introductionを めぐって. との連帯 (solidarit6)に 存す る。 」 ので あ る。 構想 ,ヴ ィジ ョン,秘 密が形 式を規定す る こ とは言 うまで もな いが (従 来 は ,こ の面 だけを取上 げ て ,そ れを創作活動 と して いた。),逆 に ,形 式 その ものが構想 ,ヴ ィジ ョンを規定 す る,い や形式が構想 ,ヴ ィ ジ ョンを造 り上 げ る,こ の両 面が 同時 に密接 に か らみあ って進 む のが真 の意 味で の具体 的な創作活動であ ろ う。時 には ,形 式が 自分 の論理 に従 って芸術家 の思 い も しない方 向 に発展す る場合 も見 られ よ う。 ここで ルーセ の挙 げ てい る例を見 る こ とに しよ う。 ル ーセ はまず ,「 ベル ナ ロス20)は 自分 の書 いてい る小説 に ,自 分 の 内面 の深みを探 り,そ れ を明 る み に 出す力を認 めて い る」 と述 べ た後 ,ベ ル ナノスの次 の言葉を引用 して い る。「私 は小説家 だ。 す なわ ち 自分 の夢 を生 き,あ るい はそれ と知 らず して 自分 の夢 を再 び生 きる人間で あ る… だか ら私 は意 図を持 たず して ,手 さ ぐり で ,闇 の 中を前進 して行 くのだ。 」 と。 ルーセ はつづ けて ,「 小説家 は 自分が 何を言 いたいか ,何 を造 りた い と思 って い るかを知 るために小説 を必要 とす るのだ。 この こ とは ,半 ば夢遊病者 的な作家 で あ るベ ル ナノス に 関 して真実 で あ るばか りで な く,ヘ ン リ 0ジ ェー ムズ21)の よ うに意識的な作家 につ いて も同様 に真実で あ る。 」 こ う言 って , ジェー ムズ の覚書 の一 節を 引用 して い る。 「 次第次第 に , 私がせ きたて るにつ れ , 熟考す るにつ れ て ,私 の結末が 私 の方 へ や って来 るよ うに思 われ る。 」 そ して ル ーセは逆説 め いてい るが ,意 味深 い言葉で このパ ラグ ラフを締 め括 って い る。「創造 す る 能 力を持 って い るのは作品 の構造 で あ り F形 式 は思 想に富んで い る』」。. またルーセは,フ ロベールの「ボヴ ァリ夫人」 に関して次のよ うな意味の. 20)Georges Bernanos(1888-1948), ヵ トリックイ 乍家。SOus le soleil de Satan(1926), L'Irnposture(1927), La Joie(1929),Un Crime(1935), Journal d'un Curё de. campagne(1936),Nouvelle Histoire de Mouchette(1937)な どの小説がある。 21)Henry James(1843-1916),ィ ギ リス (ア メリカ生れ )の 小説家。彼は鮮かな印象 と微妙な心理の描出を特色 としたが,殊 に後期には,作 中人物 の一人の観察を通 し て人物や事件 を描 く間接叙法 の方法 を用 い,極 めて独想的な, しか し難解な文体 を 駆使 して,イ ギ リス小説 の改菫者 になった。 (岩 波西洋人名辞典 による).

(13) 本. 城. 格. ことを言 って い る。 ラ シー ヌ はプ ラ ンが作 られ た時 には,自 分 の悲劇 は出来 上 った も同然で ,制 作 は構成作業 よ りはるか に容易で あ ると言 って い るが. ,. われ われ は ラシー ヌのその よ うな言葉を容易 に信 じることはで きな い。 フ ロ ベ ール も同 じ く,す べ てが プ ラ ンの 中 に あ ると言 明 しているが ,幸 わ い フ ロ ベ ール の場合 には ラ シーヌの場合 に比 して ,わ れ われ は豊 富 な情 報を所有 し てい る。 フ ロベ ールの手 にな るボヴ ァ リー夫人 に 関す るプ ラ ン,シ ナ リオ 22)が. エス キス ,下 書 き. ,. 残 され ていて ,わ れ われ は この作品 の予想 ,準 備 ,生. 成 の諸段 階を知 る こ とがで き,こ の 作品 の長 い懐 胎期間 ,そ の 期間 中 に フ ロ ベ ール が経験 す るかずか ず の思 いが けな い 出来事や不安 に立 会 うこ とがで き る。 だか らして ,こ の論文集 に収録 され て い る「 ボヴ ァ リー夫 人」 に 関す る 私の論文か ら次 の こ とが言 え る。す なわ ち,最 初 のプ ラ ンで 予見 され ていな か った箇所が まさに この小説で最 も フ ロベ ール 的で あ ると言 うこ とが。「制 作す る こ とが フ ロベ ール に ,も し彼が制 作 しなけれ ば知 りえなか った もの. ,. すなわ ち フ ロベ ール 自身を啓示す るので あ る。作家 の 秘密がか くされ て い る の は作品 の 中で あ る。芸術 家が詩人 ,画 家 ,あ る い は音楽家 にな るのは制作 によ ってで あ り,形 式 の到来 においてで あ る。芸術 家が現 に あ る者 になるの は創造 以前で も,以 後で もな く,創 造 を通 じてなの だ。 『 作 りなが ら見 出す』 と ドラク ロ ワが書 いて い る。 ドラク ロ ワ と言 えば彼 は しば しば,彼 の 精神を 味方 に しよ うと奪 い合 って い る二 つ の芸術意識 ,す なわ ち当時 まだ彼の時代 の もので あ った古 典派 の芸術意識 と,彼 の経験 の お 蔭 で 時 にか い ま見 る こ と がで きた未来 の芸術意識 との間で選 択をため らい ,迷 って い るのが見受 け ら れ るが ,こ う した時 躇ため らいが彼の 日記 23)を 特 に興 味深 い もの に し て い る。 」 以上見 て来 たよ うにルーセの考 え方 の 中心 には ,形 式 (forme)が 据 え ら 22)Madame BOvary, nouvene version pr6c6dee des scenarios in6dits, p.p. Jean Polmlnier et Gabrielle Leleu(1949), Marie― Jeanne Durry:Flaubert et ses. projets inedits(1950), Jean Bruneau: Les d6buts litt6raires de Gustave. Flaubert(1962)な ど参照 。 23)JOurnal d'Eugё ne Delacroix, 3vol. 1893-1895。.

(14) 78. J.Rousset:Forme et Signincationの. Introductionを めぐって. れ て い る。で は形式 とは何で あろ うか。 なお ルーセ は「現代批評 の方法」 に 掲 げ ている「作 品 の 形式的現実 い る。「 マル セル 0レ. 24)」. ーモ ン25)は. の 中で ,形 式 に 関 して次 の よ うに言 って. 形式か ら逃れ る こ とは不可能 だ と考え て い. る。 その こ とは芸術家 に とって も,そ の 読者 に とって も真実 で あ る。形式 は 作家 の思 惟 その もので あ り,既 に思 惟 の 発端か らそれ につ いて まわ り,お そ らく思惟 に先立 つ もので あ る こ とを認め るな ら,実 際 どう して形式を逃れ る 26)』 こ とがで きよ う。 『 美 しい作品は ,そ の 作品以前 に生れ る形式 の 娘 なの だ. (ポ ール ・ ヴ ァ レ リ)。. 形式 には 作 り出す力 , 見 出させ る力 (une vertu. inventive et heuristique)が あ る ことを認 めなけれ ばな らな い。 ドラク ロ ワは「 作 りなが ら見 出す」 と言 い ,バ ル ザ ックは「絵筆を手 に して考 え るc」 と書 いて い る。「作 る」 あ る い は「絵筆で描 く」 は , ここで は形式を造 り出 す こ とを意味す る。形式は骨格 で もな く,図 式で もな い。 それ は容器で ない と同様骨組みで もな い。 それ は ,芸 術家 に と って ,最 も奥深 い 内的な経験 で あ ると同時 に芸術家 の認 識 と行動 の 唯一 の手段 なの だ。形 式 は芸術家 の 原動 」 と。 要す るに ル ーセは構 力 (principe)で あ ると同様 にその手段 なの だ。 想 と制作 とを分 ける, したが って経験 と形式 とを分 けて考 え る二 元論 的美学 「 しか しなが ら,今 日で は誰 もが ,形 式 を認 めな いの だ。彼 自身言 って い る。 と意 味 とを分 ちえな い こと,形 式 と意味 とが もはや同時的 (contemporain) ´ な もので あ り,同 体 の (consubstantiel)も ので あ る こ とを 認 め てい るよ う に思 われ る。 ボヴ ァ リー夫 人を 書 きなが ら, フ ロベ ール は 自分 の言 いたい こ と,自 分 の知 らなか った こ とを見 出 したので あ る。作者 の意図は ,こ の 啓 示す る力を持 つ形式か ら引 きはな され ると,蒸 発 して しま う。作者 の 意図 と 」 と。 は ,と りもなお さず ,作 品 の意 図 なので あ る。 24)Jean Rousset:Les R6alit6s formelles de l'oouvre,. 25)Marcel Raymond(1897-. ),. ジ ュネ ー ヴ大学教授 ,L'Inauence. de Ronsard. sur la poesie francaise(1927), De Baudelaire au surr6alisme(1933), Paul Va16ry et tentation de l'esprit(1946)な どの著書 があ る。 26)《 Les benes《 Euvres sont nnes de leur forme, qui natt avant enes.Paul Va16ry,Tel quel》.

(15) 本. 城. 格. ル ーセ は ,エ ク リチ ュー ルの 面を扱 って い る序論 の 第 4節 を作品 の 定義 と も言 うべ き次 の言葉「構造 と思惟 との 同時的 な開花 ,そ れ らの発生 と成長 と が 連帯 関係 に あ る形式 と経験 との ア マル ガ ム」 で終 って ,レ クチ ュー ル の面 の 考察 に あ て られ て い る第 5節 に入 り,そ の 節を「 それで は批評的な観照者 や読 者 の権利 と義務 は何で あ ろ うか」 と言 う言葉 で始 めて い る。 つづ けてル ーセ言 う。 「作品は探究 の原動力 で あ り, 組織化 の 動作主 で あ るな ら, 作品 1ま. 現実 あ るいは記憶か ら借 りて来 た いか な る種類 の 要素 を も利用 し,組 みか. え る こ とがで きるで あろ う,作 品は 自分 の必 要 とその 固有 の生 に応 じて常に その よ うにす るで あ ろ う。作 品は ,結 果 ,生 産物 ,あ る い は反 映 で あ る以前 に ,原 因 で あ るの だ …。 それ故 に分析 は作品 の み を対象 とす べ きであろ う. ,. 芸術家が創造す るために閉 じこ もった内的 空間か ら生れ 出て来 た ままの比 類. elle(1'Oeuvre)est Cause avant の な い孤独 の 中 にいる 作品 の みを。 」 《 d'etre effet,produit ou reflet.… .;aussi l'analyse portera―. t‐. elle sur. l'oeuvre seule,dans sa solitude incomparable,telle gu'elle est issue. des〈 espaces interieurs o色 1'artiste s'est abstrait pour creer〉 》.伸『と した簡潔 で み ご とな表現 で あろ う。 た とえば ,「 作品は 日常の 自我 と異 な る 自我 の 所産 で あ るか ら…」 とか の論法を用 いず に ,エ ク リチ ュールの性格 づ けか ら当然予想 され る帰結 と して この結論を論 理的に引 き出 して来 た この み ご とさに私は限 りな くひかれ る。惜 じむ らくは私 の 拙 い訳文 では原文 の 味を 伝 え る ことが で きな いので あ る。私 は この 箇所 を ルーセの序論 の 圧巻 で あ る と考 え て い る。 か くしてわれ われ は作者 と切 り離 して作品 だけを対象 と しなけれ ばな らな い 。 しか るに ,「 一 つの能記 に対 して 常 にい くつ かの所 記が可能 で あ る。 記 27)」. 号 とい うものは永久 に 多義的 で あ り,解 読す る こ とは常 に選択であ る. 作. 品は もはや ,古 典 主義的美意識が考 えた よ うに完結 した もの ,固 定 した もの で はな くな って来 て い る。 この よ うな事態 に あ って ,わ れ われ は どの よ うな. 27)Roland Barthes:Sur Racine,p.160.

(16) 80. J.Rousset:Forme et Signincationの. Introductionを め ぐって. レクチ ュールの 仕方 を した らよ いので あろ うか。 ル ーセ は この 問 い に 対 し て ,ど の よ うに答え て くれ るであろ うか。与 え られ た紙数 はつ き て し ま っ た。 ル ーセの レクチ ュー ル に 関す る 考え方 は またの 機会 にゆず る こ とにす る。.

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