計算機と人間心理の相互類推に関わる概念構造の可視化
Visualizing conceptual structures through mutual analogy between
digital computers and human mind
森田 純哉
∗Junya Morita
静岡大学情報学部
Faculty of Informatics, Shizuoka University
Abstract: Analogy between digital computers and human mind has been repeatedly discussed in the history of computer science and informatics. However, the importance of this analogy has not been fully noticed in ordinary society. Aiming to establish a method of conceptual changes through this analogy, this paper reports a class study utilizing web-based materials concerning the analogy between computers and human mind. The preliminary analysis was conducted by utilizing a text mining method on learners’ free descriptions.
1
はじめに
計算機科学あるいは情報学の歴史において,コンピ ュータと人間の類似は繰り返し指摘されてきた.計算 機科学を創始した初期の研究者は,それぞれが人間と コンピュータの関係を議論する著作を残した [7, 14]. また,近年の深層学習の展開に示されるように,人間 との類似に注目したコンピュータソフトウエアの研究 は,計算機科学の進歩を支えてきた.一方,人間とコ ンピュータの類似は,人間内部の精神,心理を理解す る目的においても注目されてきた.コンピュータの記 号処理を人間心理のメタファーとして用いる認知心理 学,人間内部の心的プロセスをコンピュータ上のモデ ル(認知モデル)として具体化する認知科学の研究が進 められ,そこで生産された知識が社会に流通してきた. これらより,人間にかかわる知識とコンピュータに かかわる知識は,どちらが一方に影響を及ぼす関係で はなく,相互に影響し合う相補的な関係にあると考え られる.人間を参考にすることでコンピュータの理解 や革新が促され,コンピュータをベースとすることで 人間の心的メカニズムが理解される.本稿では,両者 の相互関係に注目する観点を,「人間とコンピュータの 相互類推」と呼ぶ. 人間とコンピュータの相互類推は,人工知能や認知 科学と関連する学術界において,目新しい観点ではな い.ただし,この認識は必ずしも一般社会に浸透して いない.日本では特に,人工物であるコンピュータは ∗連絡先:静岡大学情報学部行動情報学科 〒 432-8011 静岡県浜松市中区城北 3 丁目 5-1 E-mail: [email protected] 工学,人間にかかわる知識は人文学と区別して扱われ る傾向がある.両者の融合を狙う大学組織も存在する が,そこに至る入学者は「理系」と「文系」に区分け済 みである.彼らは,高校において,情報学も認知科学 も心理学も学んでいない.よって,大学において,人 間とコンピュータの相互類推を前提とした学問分野を 学ぶ際に,彼ら自身の自己認識にも影響する概念変化 を起こさなければならない. 概念変化は,発達心理学や認知心理学,学習科学の主 要な研究トピックである.しかし,これまでの研究対象 は理科や数学など初等教育や中等教育を対象としたも のが多かった.大学の認知科学教育における概念変化を 扱った前例も存在するものの [6],人間とコンピュータ の相互類推を学習トピックとするものではなかった.こ ういった背景から,著者はこれまで「人間とコンピュー タの相互類推」にかかわる授業実践を報告し,そのな かでの概念変化の事例を検討してきた [9].本稿では, 著者のこれまでの報告をベースとしつつ,概念変化の 可視化を狙う予備的な分析の進展を示す.2
方法
2.1
対象授業および受講者
本研究にて報告する授業は,「文工融合」を理念とする 静岡大学情報学部において実施された.ここでは,1995 年の誕生以来,工学部をルーツとする情報科学科,人 文社会学を扱う情報社会学科が共存してきた.2016 年 度には,情報科学科と情報社会学科の両者の特徴を含 人工知能学会研究会資料 SIG-ALST-B508-01む行動情報学科が新設され,3 学科の連携が試みられ ている. 本稿では,この学部の授業科目として,1 年生後期の 「情報と心理(2016 年度)」を対象とする.この年度に 新設された科目であり,行動情報学科の学生にとって 選択必修科目,他の学科の学生にとっては選択科目と なっている.授業の履修登録者は,情報科学科 76 名, 行動情報学科 58 名,情報社会学科 32 名であった.受 講者数の都合上,情報科学科の学生を対象としたクラ ス,行動情報学科と情報社会学科を対象としたクラス に区分されて授業が行われた.ただし,両者で内容や 方法は区別されなかった.
2.2
機材
受講者は毎回の授業において,各自のラップトップ コンピュータを教室に持ち込んだ.教室からは Wi-Fi 経由でインターネットにアクセスできた.この環境を 活用し,Web 教材を活用した授業を行った.グローバ ル IP を有するサーバを著者の研究室内に設置し,講 義資料をダウンロードできるサイトを開設した.また, Webアプリケーションとして実装される実習環境や実 験環境を,受講者に利用可能な形で提供した.受講者 は,授業内,授業時間外にかかわらず,サーバにアク セスして学習を進めることができた.2.3
授業の内容
計 15 回の授業において,情報処理的な認知モデルを メイントピックとする授業を行った.人工ニューラル ネット,プロダクションシステム,類推,認知アーキ テクチャを個別トピックとしつつ,認知科学と人工知 能の基本的な研究成果と方法を伝達した.以下に授業 で扱ったトピックと内容を,授業の進行に即して示す. 1. ガイダンス 本授業の目標と進め方を伝達した.人間の心的な 活動を情報処理としてとらえる「情報処理的人間 観」の取得を目標とすることを伝え,そのために コンピュータ上に人間の認知のモデルを構築する ことを伝えた.また,第 1 節で議論した「人間と コンピュータの相互類推」の観点に即し,情報シ ステムの開発において人間心理を考えることの有 用性,人間心理を探るためにコンピュータを用い ることの有効性を指摘した. 2. 方法論と歴史 行動主義,ダートマス会議,認知科学の誕生など の歴史を紹介した.その中で,物理記号システム 仮説など [13],認知モデルの根拠となる思想を伝 えた.認知モデルのアプローチとして,記号を直 接表現する「記号表現」,ニューロンの発火パター ンとして分散的に記号を表現する「分散表現」を 区別した. 3. 分散表現と人間の知覚 Web上の人工ニューラルネットのデモを触らせ1, 誤差逆伝播のアルゴリズムを体験的に理解させ た.さらに商用のディープラーニングの認識器を 触らせ2,現在の開発の到達点を理解させた.ま た,人工ニューラルネットによる認識と人間によ る認識の差異を理解させるために,視覚的注意の 実験を教室内で実施した3. 4. 記号表現と人間の問題解決 ゴール設定や状態遷移など,ニューラルネットに よる表現が困難な認知機能をモデル化するため にプロダクションシステムを導入した.プロダク ションシステムの実習では,著者自身が過去に開 発した滑車の問題に関わる支援システムを利用し た [10].この環境での実習を経ることで,ルール による状態遷移,変数によるパターンマッチなど の記号操作を体験的に学ばせた.さらに,毎回の 実習後に「プロダクションシステムと人間心理の 関係」を問う自由記述アンケートに答えさせ,情 報処理的人間観に繋がる概念変化を狙った. 5. 記号表現と人間の記憶 どこプロに実装される系列位置効果のシミュレー タを動作させた [8].また,教室で取得した実験 データ(単語の自由再生課題)を同シミュレータ でフィッティングする実習を実施した.その中で, モデルのパラメータと人間の個人特性(忘れやす さ,ゆらぎなど)が対応することを指摘した. 6. 類推と認知モデリング 本授業のメイントピックである認知モデリングを メタ的に考察するために,類推にかかわる講義を 行った.類推のモデルとして構造写像理論 [3] を 導入した.また,類推のモデルを実体験として理 解させるために,事例に基づく平面構成を行わ せ,事例と作品との表層的類似度と構造的類似度 を観察させた [11].この回の授業のまとめにおい て「認知モデリングとは,人間とコンピュータの 構造的対応を探索的に最大化すること」と伝えた. 7. 認知アーキテクチャ ここまでに扱われた個別の認知プロセスのモデル を統合するために,認知アーキテクチャを導入し 1 http://jsdo.it/z kro/u84J 2https://www.clarifai.com 3http://www.theinvisiblegorilla.com/videos.htmlた.認知アーキテクチャの代表として ACT-R[1] を紹介した.さらに,スタンドアロンで動作する ACT-Rの環境をダウンロードさせ,チュートリ アルのモデルを実行させた.ACT-R の利点とし て,多様なモデルが共通のプラットフォームで一 貫して構築できることを強調した.また,ACT-R のモジュールと脳機能との対応を示すことで,分 散表現との接続を述べた. 8. 認知アーキテクチャと身体・社会の統合 先端的なトピックとして,認知アーキテクチャと 身体・社会を結ぶ統合的な人間観を議論した.身 体と認知アーキテクチャを統合するモデルとして, ACT-RΦ[2]を紹介した.このモデルが神経伝達 物質などの生理学的なパラメータを含むこと,そ のパラメータの状態が感情としてモデルに認識さ れ,認知プロセスを変化させることを議論した. 社会との統合には,著者自身が過去に構築した模 倣によるコミュニケーションの成立モデルを紹介 した [12].モデルの紹介に先立ち,そこで扱われ る実験を Web 環境を利用することで体験させた [5] 9. まとめ 最終回の授業では,情報処理的人間観とはという 観点で上記のトピックを振り返った.人間とコン ピュータの相互類推の観点に即し,情報学部にお ける今後の学習(情報技術の習得と人間理解)と の関係を述べた.
3
概念変化の分析
3.1
事例的な検討
以上のように「情報と心理」は,「人間とコンピュー タの相互類推」を促すことを狙う授業となっている.こ の類推と関連する概念の状態は,各回の自由記述アン ケートにて把握を試みた.本稿では,特に初回の授業, および第 14 回の授業後において,共通して答えさせた 以下の項目に対する回答を検討する. 1. あなたにとって「情報」とは何ですか 2. あなたにとって「情報学」とは何ですか 3. あなたにとって「計算機」とは何ですか 4. あなたにとって「心」とは何ですか 5. あなたにとって「心理学」とは何ですか 回答の例を表 1 に示した.これらは,各学科につき, 1名の回答を任意に選択したものである.3 名の回答を みれば,一見して,プレに比べ,ポストにおいて多く の記述がなされたことがわかる.また,プレの回答に おける「心」や「心理学」への回答は,「本人にしかわ からない(心)」,「純粋(心)」,「人の心を読み取る (心理学)」など,素朴あるいは曖昧なものとなってい る.それに対し,ポストでは「心」を「神経伝達物質」 によって記述する回答(行動情報学科,情報社会学科) や,「心理学」を「メカニズム」や「仕組み」の探求と とらえる回答が記述された.これらより,この 3 名の 受講者に,本授業に参加したことによる概念変化が生 じたことがわかる. ただし,上記の回答は,心を情報処理として捉える ものではなく,人間とコンピュータの相互類推による 概念変化を確かめるものではない.本研究の目的にお いて重要なのは,「情報」,「情報学」,「計算機」の項目へ の回答である.「情報」についてのポストでは,3 名のい ずれもが人間(器官や脳)と関連づけた.また,行動 情報学科と情報社会学科の受講者は,「情報学」や「計 算機」のポストにおいて,明確に「人間とコンピュー タの類似」に対する言及を行った.特に,行動情報学 科の受講者は,情報学を人間(私たち)を学ぶものと 捉えたうえで,コンピュータ側(AI)の開発に言及し, 人間とコンピュータの双方向的な関係を示唆している.3.2
クラスタリング
3.1の事例的な分析のみでは,授業内の全体的な概念 変化の傾向を把握することはできない.よって,ここで は単語の頻度ベクトルを利用したクラスタ分析によっ て,クラス内における概念変化の構造を可視化する. まず,自由記述の各回答に対して形態素解析をおこ ない,出現単語の頻度を回答別に集計した.その結果 から,回答者を次元とするベクトルを各単語について 構築し,単語間の距離行列を計算する.計算された距 離行列を用い,距離の近い単語を順次グルーピングし, 階層的クラスタ分析を行った. 図 1 は各質問に対するクラスタ分析の結果(デンド ログラム)を示している.単語間距離の算出はユーク リッド距離,グルーピングは最遠隣法によった.形態 素解析には RMeCab を用いた [4].また,本研究の狙 いと関連の薄い単語は,分析者の判断によって省いた. プレとポストを比べれば,いずれの質問についても 単語数が増加していること,縦軸で表される階層が深 くなっていることがわかる.すなわち,コンピュータ と人間心理の相互類推に関わる授業を受講することで, これらの概念に関わる構造が複雑化し,多様化したと いうことができる.4
むすび
本稿では,人間とコンピュータの相互類推を扱う授 業実践を報告し,概念変化の事例を示した.さらに,自表 1: アンケート回答の例 所属学科 質問 プレ(第 1 回目の授業での回答) ポスト(第 14 回目の授業後の回答) 情報科学科 情報 コンピューターに関係すること なんらかの機器や器官を通じて得られるもの 情報学 コンピューター関連の技術を学ぶこと 情報という抽象的なものをできる限り具体的にしたもの 計算機 便利なもの 与えられたプログラムに沿ってしか動くことができないもの 心 本人にしかわからないもの 極めて複雑で,何かで完璧に表現することはできない 心理学 行動から考えていることを当てること 人間の思考の傾向や,メカニズムを解明しようとするもの 行動情報学科 情報 一瞬で人間を変えてしまうもの 情報とは私たちです.視覚的な情報や聴覚的な情報などがあ りますが,すべて動物が作り出しているものです.そして, 情報を作り出している私たちも情報を作り出すため脳で様々 な情報を処理しています. 情報学 正しい使いかたで情報を扱う学問 情報学とは私たち自身を学ぶことです.私たち自身を学ぶこ とで情報学のホットな話題である AI につなげることができ るのです. 計算機 パートナー 人間の生活をより良いものにする機械です.さらに私たちを 数値的に表現できる機械でもあります. 心 様々な方向に進むことができる純粋なもの 心とは感情です.そして感情は脳です.感情は興奮性神経伝 達物質と抑制性神経伝達物質の分泌量によって変化すること からそう考えました. 心理学 自己更生、他者調整 心理学とは脳科学です. 情報社会学科 情報 利用すると世の中をうまく渡っていけるも の 外界の刺激に対して脳神経が反応した結果として生成される もの 情報学 情報をうまく利用するための学問 情報の性質や意味,媒介手段などについて学び,情報をうま く利用できるようになるための学問 計算機 便利な道具 簡単な計算はもちろん人間の脳の模倣のような複雑な処理が 必要なことまで性能次第では様々なことができるデバイス 心 よくわかりません 脳の神経物質の分泌の結果として発生する感情を自意識が認 識したときに初めて生まれるもの 心理学 人の心を読み取り行動を予測する学問 脳の感情や自意識に関する働きやその仕組みを解明する学問 由記述に出現する単語頻度を利用したクラスタ分析に よって,受講者全体の概念構造が複雑化・多様化した ことが示された.今後,構築されたデンドログラムの 分析を進めることで,本授業における概念変化の方向 を定量的に検討していく予定である. 人間とコンピュータの両者がかかわる情報学は,確 立された答えの決まっている領域ではない.通常は閉 じた空間で行われる授業実践を公共化することで,情 報学の発展が促されると考えている.
参考文献
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