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〈東北地方の民俗〉東北地方太平洋沿岸のウミガメの民俗--東日本大震災後の追跡調査を踏まえて

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Academic year: 2021

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(1)東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. 1 東 日本大 震災 後 の追跡 調査 を踏 ま え てー. 東 北 地 方 太 平 洋 沿 岸 のウ ミガ メ の民俗. はじめ に. 藤. 井. 弘. 章. 東 北 地 方 の太 平 洋 沿 岸 ( 福 島 県 、 宮 城 県 、 岩 手 県 、 青 森 県 の下 北 半 島 ) に は、 ウ ミガ メ にま つわ る伝 承 や 習俗 が. 広 く 分 布 し て いる 。 網 に か か った ウ ミ ガ メ に酒 を 飲 ま せ て 放 す 、 死 ん で い る ウ ミ ガ メ を 埋 葬 し て祭 祀 ・供 養 す る 、 ウ ミガ メ が ま と わ り つい て い る流 木 を 拾 い上 げ て祀 る、 な ど であ る。. こ の地 方 のウ ミガ メ の民 俗 に つい て は、 昭 和 = 二年 (一九 三八 ) に柳 田 国男 主 導 で実 施 さ れ た海 村 調 査 の際 、 岩. 手 県 普 代 村 を 訪 れ た 桜 田勝 徳 によ って、 ウ ミガ メ を 放 流 す る習 俗 が 報 告 さ れ て いる。 た だ し、 海 村 調 査 の報 告 書 で. 二 〇 〇 二 ︺。. (1 ). あ る ﹁採 集 手 帖 ﹂ 記 載 の事 例 は活 字 化 さ れ て いな いも のも 多 く 、 桜 田勝 徳 に よ る普 代 村 のウ ミガ メ事 例 も 、 桜 田 の ﹁採 集 手 帖 ﹂ 以 外 で は 確 認 で き な い ︹ 藤井. 一九 五 一︺。 そ の後 も 、 地 元 の研 究 者 を 中 心 に ウ ミ ガ メ に関 す る 習 俗 が し ぼ し ば 報 告. ま た 、 昭 和 二 六 年 (一九 五 一)、 柳 田国 男 の喜 寿 を 祝 う ﹃民 間 伝 承 ﹄ の特 集 号 に、 宮 城 県 の ウ ミ ガ メ に 関 す る習 俗が報告 され ている ︹ 丹野. 一九 六 七 、 唐 桑. 一九 五 五 、 釜 石 市 誌 編 纂 委 員 会. 一九 八〇 、 早. 一九 八 二、 宮 古 市 教 育. 一九 七 八、 小 玉 一九 八 二、 大 島 郷 土 誌 刊 行 委 員 会 編. 一九 七 四 ・ 一九 八 四 ・ 一九 九 二、 和 田. 一九 六 一、七 ヶ 浜 町 誌 編 纂 委 員 会. さ れ る こと が あ った ︹ 沢内. 一九 六 八 、 小 島 俊 一. 一九 八 一、 釜 石 市 教 育 委 員 会 社 会 教 育 課 文 化 係. 町史編纂委員会編 坂. 127.

(2)

(3) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. 委 員会. 一九 八 四 、 東 北 歴 史 資 料 館. 一九 八 四、八 戸 市 博 物 館 一九 八 八 、 三浦. 一九 八 九 ・. 二〇 〇 一、 牡 鹿 町誌 編 さ ん. 二〇 〇 八 ︺。 た だ し、 そう し た事 例 に つ いて. 一九 九 八、 柳 沢. 一九 八 八 、 志 津 川 町 誌 編 さ ん 室. 二〇 〇 六 、八 戸 市 史 編 纂 委 員 会. 一九 九 〇 、 鹿 島 町 史 編 纂 委 員 会. (2 ). 二〇 〇 二、 南 相 馬 市 博 物 館. 一九 九 一、 阿 部 委員会 と く に考 察 さ れ る こと はな か った 。. そ のな か で 、 成 城 大 学 が 主 催 し た 海 村 ・離 島 の追 跡 調 査 に 参 加 し た 筆 者 は、 桜 田 勝 徳 の ﹁採 集 手 帖 ﹂ を も と に 、. 岩 手 県 沿 岸 の ウ ミガ メ 事 例 を 広 く 追 跡 調 査 し 、 三 陸 一帯 のウ ミ ガ メ の民 俗 を 全 国 的 な 事 例 と 比 較 し た ︹藤 井. 二 〇 〇 四 ・二〇 〇 五︺。 川 島 氏 の考 察 に よ って、 東 北 地 方 の. 二〇 〇 一︺。 さ ら に、 宮 城 県気 仙 沼 市 を 拠 点 に精 力 的 な 民 俗 調 査 を さ れ て いた 川 島 秀 一氏 は、 福 島 県 か ら 青 森 県 に か け て の ウ ミ ガ メ 事 例 を 集 め て 考 察 を 行 った ︹川島. 二〇 一三 a︺、 東 北 地 方 全 体 の考 察 は いま. ウ ミガ メ の民 俗 の全 容 と 特 徴 が 明 ら か にな ってき た と い え る。 そ の後 も 、 筆 者 は東 北 一帯 のウ ミガ メ事 例 の調 査 を. (3). 続 け 、 宮 城 県 七 ヶ 浜 町 の ﹁亀 霊 神 社 ﹂ に つ い て考 察 を 行 った が [ 藤井 だ 行 って いな か った 。. 平成 二一 二年 (二〇 一 一) に は東 北 太 平 洋 岸 を 東 日本 大 震 災 に よ る大 津 波 が 襲 い、 沿 岸 部 は甚 大 な 被 害 を こう む っ. (4). た 。 こ の地 方 の民 俗 の現 状 確 認 と 継 続 した 追 跡 調 査 は、 民 俗 学 研 究 者 に と って大 変 重 要 な 仕 事 であ る。 限 定 的 で は. (5 ). あ るが 、 筆 者 は 平 成 二 四年 (二〇 一二) にウ ミガ メ の民 俗 に つい て追 跡 調 査 を 行 った。 本 稿 は、 震 災 後 の追 跡 調 査 を 踏 ま え て、 東 北 地 方 太 平 洋 沿 岸 のウ ミガ メ の民 俗 を あ ら た め て考 察 す るも の であ る。. ウ ミガ メ の産 卵. 東 北 地 方 太 平 洋 沿 岸 にお け るウ ミガ メ の生 態 と 民 俗 知 識 ー. 日本 列 島 に上 陸 ・産 卵 す るウ ミガ メ は、 アカ ウ ミガ メ 、 アオ ウ ミガ メ、 タ イ マイ の 三 種 で あ る 。 こ の う ち 、 ア カ. 129.

(4) 島 県 沿 岸 で 記 録 され た ウ ミ ガ メ. ア カ ウ ミ ガ メ?. オサ ガメ オサ ガメ. 不明. メス. メス. メス. 1999年4月19日. 1986年7月13日. 1985年8月31日. 1979年8月2日. 1978年8月8日. 1953年8月15日. 昭和初期 新舞子海岸 新舞子海岸? 勿来海岸 勿来海岸 勿来海岸 塩屋埼1㎞. 塩 屋 埼200㎞. 浪江町請戸浜. 表1福. アカウミガメ メス. 1999年4月27日. 採 集 ・上 陸 地 点. オサ ガメ メス メス 1999年6月23日. 性別 採 集 ・上 陸年 月 日. アカウミガメ メス 2000年8月6日. 種名. アカウミガメ メス 2000年8月16日. 採取方法 漂着. 甲長(cm). 産 卵 ・卵孚化 ・ 放流. 産 卵 ・艀 化. 出典. 南 相 馬 市 博 物 館2006. 柳 沢2001. 柳 沢2001 柳 沢2001. 柳 沢2001. 柳 沢2001. 柳 沢2001. 産卵. 産卵. 産 卵 ・卵孚化. 柳 沢2001. 柳 沢2001. 柳 沢2001. 柳 沢2001 柳 沢2001. 柳 沢2001. 放流 放流 放流 産卵 埋葬 放流. 福 島県 生 活 環 境 部 環 境 政 策 室 自然 保 護 グル ー フ゜2003. 稲葉氏の ご教示 稲葉氏の ご教示 稲葉氏の ご教示. 喫゜ 鯉 唖 咲 捉 鴇 鍵 葺 駒 慧ノ 区. 産 卵 ・卵孚化. 息P初. 〔 量 受11000・. OOO一. 謎A」3ρ. 上陸 上陸 漂着 体 長 約2m 上陸 上陸 73.2 底曳網 76.3 底曳網 巻 き網 71.5 上陸 77.4 漂着 サケ刺 し網 43.4 勿来海岸. 四倉海岸 楢葉町井 出川河 口 久 ノ浜海沖. 2003年9月23日. 南相馬市原町 区下渋佐 漂着 相馬市長洲 漂着 南相馬市烏崎海岸 漂着. 1987年7月. アカウミガメ メス 2000年10月1日. 2005年2月4日. ア カ ウ ミ ガ メ? ア カ ウ ミ ガ メ?. アカウミガメ メス. 不明. 2001年6月. 茨 城 県 大 津 沖30km 勿 来 沖9km. アカウミガメ アオ ウ ミ ガ メ メス. アカウミガメ. 2005年12月25日. 末. アカウミガメ. アカウミガメ. ぐ斗 批 丑 和 惣 胆 宙 咲 橿 鴇 宏 灸魍 風 署Q≒. 騨 や 昧 碧P3喫. 言 トー 然 鞄 暑 翼喫 条ρe険 照 一 駒 櫓 ゆ ゜. 笹」 §廉 健 ヨ 吐ノ!穀聾 鍵 ヨ 吐ノ 圓 釦 蝶圭 ヨ 吐駒 囎 ゆ △J3. ‡ 蝋 迦 出 騨 葦Q製. 〆 瞳 風 〆 照 騨 麺 勾e坦. 風 灸 選 審言和 審Pl3ゆQぜ3Q脚. 睾 囲碧笹 避 § 濫Q鐸. 受 謹 噌く出 喰 心rrr鮫XQ⊥1越. 署簑皿 齢 ρ題V'十. アカウミガメ. 心rrr三RスQ匙1風. 櫛Q量. 区 療 心rrr三RスQ魍. ° 量 屡 出 険 櫛 勾 £ 喫1量 咽網 思!橿. 鈷 ト レ ⊃ パ 峰v⊃ 11001〕. 鯉 唖 咲 思 尋♀13トノ.

(5) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. うデ ータもあるため ︹ 福島県生活 環境部環境政策室自然保 護クループ. ニ○ 〇 三 ︺、 永 崎 で も産 卵 が 確 認 さ れ て い. るよ う であ る。 記 録 に残 って い るデ ー タ は限 ら れ て い るが 、 いわ き 市 で は昭 和 初 期 にも ウ ミガ メが 卵 を 産 む こ と は. 知 ら れ て いた 。 いわ き 市 中 之 作 の松 本 茂 氏 ( 大 正 = 二年 生 ま れ ) は、 子ど も の こ ろ に は、 永 崎 でも 卵 を 産 んだ こ と. が あ った と 語 る。 掘 って みた ら 卵 が あ った が 食 べな か った と いう 。 産 卵 頭 数 が 限 ら れ て いた ため か、 産 卵 に関 す る 民 俗 知 識 は 確 認 でき な か った 。. 二〇 一二︺、 名 取 市. 二〇 〇 〇 ︺ でも 産 卵 した こと が あ ると いう 。 筆 者 の調 査 で は、 宮 城 県 で の産 卵 は確 認 でき. 福 島 県 いわ き 市 が アカ ウ ミガ メ 産 卵 地 の北 限 と いわ れ て き た が 、 宮 城 県 で も 山 元 町 ︹ 亀崎 閑 上 の砂 浜 ︹ 秋 葉 ほか な か った 。. 岩 手 県、 青 森 県 で は ま った く 産 卵 は 確 認 さ れ て いな い。 筆 者 の 聞 き 取 り. で は、 岩 手 県 宮 古 市 、 普 代 村 の漁 民 は、 ﹁カ メ が オ カ へ上 が った と いう の は. ウ ミガ メ の 回遊. 聞 いた こと が な い。﹂ と 語 って いた 。. 2. 日本 列 島 近 海 に は、 列 島 で産 卵 す る ア カ ウ ミガ メ 、 アオ ウ ミ ガ メ 、 タ イ. マイ に加 え て、 列 島 で産 卵 し な いヒ メ ウ ミガ メ 、 オ サガ メ も 回 遊 し て いる 。. 東 北 で は 産 卵 が み ら れ る 南 部 だ け で な く 、 北 部 の ほ う ま で さ まざ ま な ウ ミ. ガ メが 回 遊 し て いる。 表 1か ら は、 上 陸 ・産 卵 を す る ア カ ウ ミ ガ メ だ け で. な く、 ア オ ウ ミ ガ メ や オ サ ガ メ の 回 遊 も 確 認 で き る。 古 い記 録 と し て は 、. 昭 和 初 期 に浪 江 町 請 戸 浜 に オ サ ガ メ が 上 が っ て いる ︹ 南 相馬 市博 物館. 131.

(6) 磨. 螺獺 鑓 鶏 灘 綴.   環欝糠溝. う。 江 戸 時 代 に ウ ミガ メ 祭 祀 を 行 った家 の子 孫 であ る 鈴 木 捨 五郎. 讃 ア 月海. 氏 ( 昭和 三 年生ま れぽ. 暖 か い)水 に. 戴. 乗 って く る ﹂ と い. 馳 目葎 的 に は六 月 か ら 6 旦 ﹂ろ であ る と い. ﹁ カ メはあ った け⊥ 餌. う。 ウ ミ ガ メ が 回遊 し てく る と、 七 ヶ 浜 町 で も 漁 業 の網 にか か る こと が あ る。 石 巻 市 鮎 川 の山 本 春 人 氏 ( 大 正 一 一年 生 ま れ ) は次 の よう に語 る。. こ のあ た り では 、 七 月 末 か ら 黒 潮 が 流 れ る。 五月 、 六 月 あ た り はま だ 寒 流 が 強 い。 七 月末 から 年 末 ま で黒 潮 が 流 れ る。 黒 潮 が 流 れ ると 、 カ メ が 自 然 にか か る。 寒 流 で は カ メ は入 ら な い。. 産 卵 地 よ り 遠 く 離 れ て い る岩 手 県 以 北 で はさ ら に、 ウ ミガ メ に関 す るデ ー タ は乏 し か った。 そ の ため 、 平 成 一七. 年 (二〇 〇 五) 七 月 か ら 、 東 京 大 学 大 気 海 洋 研 究 所 国 際 沿 岸 海 洋 研 究 セ ンタ ー ( 岩 手 県 大 槌 町 ) を 拠 点 に し たウ ミ. ガ メ 調 査 プ ロジ ェク ト が 開 始 さ れ た 。 ま ず 、 ウ ミガ メ 類 の来 遊 状 況 の把 握 を 目 的 に し て、 定 置 網 に よ る混 獲 状 況 の. 調 査 が 実 施 さ れ た 。 そ の結 果 、 ⊥ハ月 か ら 一〇 月 にか け て亜 成 体 か ら 成 体 サ イ ズ の ア カウ ミガ メが 、 七 月 から 一〇 月. 慨.

(7) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. 二〇 〇 九 、 楢 崎 ほ か. 二 〇 一 一︺。. にか け て亜 成 体 サ イ ズ の アオ ウ ミガ メ が 定 期 的 に来 遊 す る こと が 明 ら か にな り 、 三陸 沿 岸 域 が ア カウ ミガ メ お よび アオ ウ ミ ガ メ に と って、 夏 季 限 定 の摂 餌 場 であ る こと が わ か っ てき た ︹ 楢崎. 平成 二一 二年 (二〇 一 一) 三月 の大 津 波 によ り 調 査 地 の大 槌 町 が 甚 大 な 被 害 を 受 け た た め 、 調 査 は中 止 し て いたが 再 開 さ れ つ つあ る。. 筆 者 が 漁 民 か ら 聞 いた と こ ろ によ ると 、 岩 手 県 の漁 民 も ウ ミガ メ の 回遊 は認 識 し て いた。 宮 古 市 赤 前 出 身 の堀 内. 良司氏 ( 大 正 九 年 生 ま れ ) は、 三陸 に 回遊 す るカ メ は暖 流 のピ ー ク 時 の八 月ご ろ に来 る と いう 。 田野 畑 村 の久 里 十. カ メ は 黒 潮 の 本 流 が こな. いと 網 に入 ら な い。 死 ん で い. る カ メを 見 た こ と はな い。. 青森 県八戸市鮫 で、筆者が. 聞 き 取り を した と ころ では、. 黒潮 は岩手県沖 で親潮とぶ つ. か る た め 八 戸沖 は親 潮 が 強. く 、 ウ ミ ガ メ は来 た こと が な. 捕 獲 ・利 用習 俗. いと いう 。. 二. 東 北 地 方 で も、 縄 文 時 代 に. 133. 太郎氏 ( 大 正 一五年 生 ま れ ) は、 次 のよ う に語 る。. 岩手 県 山 田町 の定 置 網 で 混 獲 さ れ た ア カウ ミガ メ(楢 崎友子 氏撮 影) ▲ 写真3.

(8) 表2東. 北 地 方 太 平 洋 岸 に お け る ウ ミ ガ メ類 出土 一 覧. 遺跡名. 所在地. 時代. 種. 薄 磯 ・貝 塚. 福 島県 いわき市平豊 間町薄磯字古塚. 縄文前期. ア オ ウ ミガ メ 、 ア カ ウ ミガ メ、 ウ ミ ガ メ 、 ウ ミ ガ メ類. 大 畑 ・貝 塚. 福 島県 いわき市泉町下川字大畑 福 島県 いわき市小名浜下神 白字綱取 ・大 作 ・小三崎 福 島県 いわき市小名浜古港字寺脇 福 島県 いわき市南富 岡字真石 福 島県 いわき市 宮城県宮城郡七 ケ浜 町吉 田浜二月 田. 縄文草創期;縄 文早期. ウ ミ ガ メ類 、 オ サ ガ メ. 縄文後期. ウミガメ類. 綱 取 ・貝 塚 寺 脇 ・貝 塚 真 石 ・貝 塚. 南冨 岡 二 月 田 ・貝 塚(空. 墓 ・貝 塚). 宮城県石巻市 田代浜 内山. 仁 斗 田 ・貝 塚 外 ・貝 塚). 南 境 ・貝 塚(北. 境 久 保 ・遺 跡). 桂 島 ・貝 塚(桂. 島台 囲 ・貝 塚). 田柄 ・貝 塚 南 最 知 ・貝 塚 西 ノ浜 ・貝 塚(磯 大 木 囲 ・貝 塚 平 田原 ・貝 塚. 宮戸 島里(浜) 出 島 ・貝 塚 前 浜 ・貝 塚 長 者 屋 敷 ・貝 塚 中沢 浜 ・貝 塚 貝 鳥 ・貝 塚 宮 野 ・貝 塚 崎 山弁 天 ・遺 跡 札 地 ・貝 塚. 崎 ・貝 塚). 縄文草創期;縄 文 中期;縄 文後期 縄文草創期;縄 文早期;縄 文 中期;縄 文 宮城県石巻市沼津字 出外 後期;弥 宮城県石巻市南境妙見,桃 生郡河北町北 縄文草創期;縄 文早期;縄 文前期;縄 文 後期 境久保 宮城県塩釜市浦戸桂 島台 囲 縄文草創期;縄 文 中期;縄 文後期 縄文草創期;縄 文早期;縄 文前期;縄 文 宮城県気仙沼市所沢 中期;縄 縄文草創期;縄 文 中期;縄 文後期;古 墳 宮城県気仙沼市最知南最知 後期 宮城県宮城郡松 島町磯 崎字西 ノ浜 縄文草創期;縄 文早期;縄 文 宮城県宮城郡七 ケ浜 町大字東宮浜東大木 縄文草創期;縄 文 中期;縄 文 縄文前期;縄 文 中期;縄 文後期;奈 良; 宮城県桃生郡矢本町大塩平 田原 平安 縄文早期;縄 文前期;縄 文 中期;縄 文後 宮城県東松 島市 期 宮城県牡鹿郡女川町 出島寺 間 ・山下 縄文草創期;縄 文早期;縄 文 宮城県本吉郡本吉町前浜326番 地 の2 縄文草創期;縄 文早期 宮城県本吉郡歌津町管 の浜 縄文草創期;縄 文早期;縄 文後期 岩手県 陸前高 田市広 田町字 中沢浜 縄文早期;縄 文 中期;縄 文後期 岩手県西磐井郡花泉 町油 島蝦 島貝鳥 縄文草創期;縄 文早期;縄 文後期 岩手県気仙郡三陸町綾里宮野 縄文草創期;縄 文 中期;縄 文後期 岩手県上 閉伊郡大槌 町吉里吉里崎 山 縄文草創期;縄 文後期 青森県下北郡東通村尻屋札地 縄文前期. ウミガメ ウミガメ. ウミガメ類 ウミガメ ウミガメ. ウミガメ類 ウミガメ. 寸○〇一. 沼 津 ・貝 塚(出. ウミガメ. 縄文前期 縄文 中期;縄 文後期 縄文草創期;縄 文早期;弥 生;平 安. ウミガメ類 ウミガメ ウミガメ. ウミガメ類 ウ ミ ガ メ類. ウミガメ類 オ オ ウ ミ ガ メ(マ ウミガメ ウミガメ ウ ミ ガ メ類. ウミガメ類 ウミガメ. ウミガメ類 ウ ミ ガ メ類. マ).

(9) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. (6). は 、 ウ ミガ メ を 捕 獲 し て利 用 す る こと が しぼ しぼ あ った よう であ る。 貝 塚 遺 跡 のデ ー タ ベー ス で検 索 す る と、 福 島. 県 で六 か 所 、 宮 城 県 で 一四か 所 、 岩 手 県 で 四か 所 、 青 森 県 で 一か所 の遺 跡 から ウ ミガ メが 出 土 し て いる。 今 回 は考. 古 学 的 な 考 察 で は な いた め、 詳 細 を 調 べ て いな いが 、 お そ ら く ほ と ん ど が 食 料 残 津 であ る と 思 わ れ る 。 こ のな か. 一九 六 九 ︺。 ま た 、 特 徴. で、 福 島 県 いわ き 市 の寺 脇 遺 跡 か ら 出 土 した ウ ミガ メ の側 板 骨 に は刺 突 傷 痕 が あ る と報 告 さ れ て いる こ と から 、 縄 文 時 代 に は東 北 地 方 でも ウ ミガ メ を 鈷 で突 き 捕 る こと が あ った こと が 推 測 さ れ る [ 馬目. 一九 七 一︺。. 的 な も のと し て、 岩 手 県 一関 市 花 泉 町 の貝 鳥 貝 塚 か ら 出 土 した ウ ミガ メ遺 体 が あ る。 これ は、 甲羅 を 穿 孔 品 と し て 利 用 し た 例 であ る ︹ 花泉町教育委員会. ウ ミガ メ の 回遊 や 産 卵 が 限 ら れ る地 域 であ るた め に、 そ の後 も 南 西 日本 の よう に広 く 捕 獲 ・利 用が 行 わ れ る こ と. は な か った と 思 わ れ る。 た だ し、 江 戸 時 代 や 昭 和 時 代 にな っても 、 ご く ま れ に利 用す る こ と は みら れ た。 江 戸 時 代. に は、 宮 城 県 石 巻 市 の網 地 島 で ウ ミガ メ を 膏 薬 に し よ う と し た例 が あ る。 享 保 一四年 (一七 二九 ) に建 立 さ れ た. ﹁宝 亀 塔 ﹂ の碑 文 に ﹁ 夫 欲 成 膏 ﹂ と いう 表 現が み ら れ る 。 捕 獲 した ウ ミガ メ か ら 膏 薬 を 採 ろ う と し た と いう こ と で あ るが 、 結 局 は 採 取 せ ず に ﹁霊 亀 塔 ﹂ を 建 立 し て祀 った と いう も の であ る。. 岩 手 県 釜 石 市 唐 丹 の盛 岩 寺 に は、 文 政 一二年 (一八 二九 ) にウ ミガ メを 埋 葬 し て、 そ の経 緯 を 刻 んだ 石碑 が 立 っ. て い る。 漁 師 の網 にか か った ウ ミガ メ を 寺 の池 にお い て いた が 、 商 い と し てウ ミガ メを 殺 す 者 が 出 る こ とを 住 職 は. 心 配 し て いた 。 こ の場 合 も 、 ウ ミガ メ は利 用 さ れ る こと はな く 、 埋 葬 し て石 碑 が 建 立 され て いる の であ るが 、 こ の 碑 文 か ら は 、 ウ ミガ メ を 利 用 す る習 俗 も あ った こと が う か が え る。. 昭 和 時 代 にな っても 、 食 用 にさ れ る こと が あ った 。 宮 城 県 山 元 町 で は、 次 の よう な 事 例 が 報 告 さ れ て いる ︹川島 二〇 〇 四︺。. 大 ガ メ が 半 死 の状 態 で上 が った た め に、 酒 を 飲 ま せ た が 、 カ メを こ のま ま に し て腐 ら せ たら 崇 る かも し れな い. 燭.

(10) と 思 って、 漁 師 だ け で ﹁供 養 ﹂ のた め にカ メ を 食 べた 。 (筆 者 要 約 ). 川 島 氏 の いう よ う に、 これ はき わ め てま れ な 事 例 であ ると 思 わ れ るが 、 昭 和 時 代 にも ウ ミガ メを 食 用 にす る人 も. いた よ う であ る。 筆 者 の平 成 一七 年 (二〇 〇 五) の調 査 で は、 宮 城 県 石 巻 市 の網 地 島 でも 、 明 治 生 ま れ の人 が カ メ. を 捕 ってき て食 べた こと が あ ると 聞 いた 。 た だ し、 こ の人 以外 は食 べた と いう 人 は いな いと いう 。. ま た 、 筆 者 の聞 き 取 り で は、 昭 和 二〇 年 ご ろま で は、 岩 手 県 でも 突 棒 船 が ウ ミガ メを 捕 獲 し て食 用 にす る こ とが. あ った こと も 分 か った 。 と こ ろ が 、 周 辺 住 民 は ﹁と ん で も な い こと を す る﹂、 ﹁ 崇 り が あ る ﹂ と 語 って いた と い い、. 撮. う。. 伝 説 ・縁 起. 田 は浦 島 太 郎 の誕 生 地 と いわ れ 、 下 仁 田 の 諏訪 神 社 は 浦 島 の屋 敷 跡 と い. 福 島 県 いわ き市 に は 浦 島 伝 説 が 伝 わ って いる 。 いわ き 市 四倉 の下 仁 井. 三. と も あ った と いう 程 度 のよ う であ る。. 獲 し て食 べ よ う と す る こと は ほと んど な く、 ご く ま れ に 捕 え て食 べ る こ. メ を ご ち そう だ と い って喜 ぶ の は知 って いる 。 そ れ でも 、 ウ ミガ メ を 捕. 行 った り、 土 佐 の人 が 気 仙 沼 辺 り の船 に乗 り に 来 た の で、 土 佐 の人 が 力. そ の後 に不 幸 が あ った と き 、 ウ ミガ メ の こと が 話 題 に出 た と いう 。 岩 手 県 でも 宮 古 の人 が 土 佐 の マグ ロ船 に乗 り に 剛. 繍 刊助. い わ き 市 の浦 島 伝 説 は 以 下 の よ う な 内 容 で あ る ︹福 島 中 央 テ レ ビ 一九 七 六 ︺。. 浦 人 が カ メ を捕 ら え た と こ ろ に浦 島 太 郎 が 通 り か か る 。 金 を 与 え て. 燭.

(11) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. 二〇 〇 一、 里 見. 二〇 〇 七 ︺。. 酒 を 求 め て、 捕 ら え た 人 や カ メ に酒 を 飲 ま せ てカ メ を. 放 し た 。 そ の 後 、 浦 島 が 釣 り を す るた め に 小 船 で沖 へ. 出 る と 、 乙姫 が カ メ に乗 って 迎 え に来 た 。 浦 島 は 竜 宮. へ行 き 、 助 け ら れ た 恩 人 と し て丁 重 な も て な し を う け. る 。 浦 島 は故 郷 が 恋 し く な っ てカ メ に乗 って帰 る。 故. 郷 は す っか り 変 わ って いた た め 、 開 け て は いけ な い と. い っても ら った 玉 手 箱 を 開 け る と 、 み る み る う ち に老 いは てた 。 ( 筆者要約). 宮 城 県 気 仙 沼 市 の大 島 に は、 薬 師 を カ メ が 背 負 ってき た と いう 言 い伝 えが あ る。 そ の カ メが 死 んだ ため に山 頂 に. だ いた 。. いう も の であ る。 現 在 は新 し い防 波 堤 を 作 って見 えな く な って い る。 こ の伝 説 は、 金 華 山 黄 金 山 神 社 で教 え て いた. は ﹁亀 石 ﹂ の伝 説 が あ る。 これ は、 昔 、 金 華 山 が 女 人 禁 制 だ った こ ろ、 女 性 が 渡 ってき て カ メ にな って しま った と. 福 島 県 以 北 に浦 島 伝 説 は確 認 でき な いが 、 ウ ミガ メ に関 す る伝 説 は いく つか みら れ る。 宮 城 県 石 巻 市 の金 華 山 に. ま せ て い る点 が 興 味 深 い。. 柳 沢 氏 も 指 摘 し て い ると お り 、 こ こ の浦 島 が カ メ を 買 い取 った の は大 人 であ った 。 カ メを 捕 ら え た人 にも 酒 を 飲. び紹介し ている ︹ 柳沢. こ の伝 説 は 、 アク ア マリ ンふ く しま の学 芸 員 であ った 柳 沢 践 夫 氏 も 北 限 の浦 島 伝 説 と し て注 目 し て お り、 たび た. 影). 巻 一﹂ に出 て い る ︹ 菅 原 ほか. 二〇 〇 一︺。. 埋 め た 。 そ れ か ら 、 こ の山 を ﹁亀 の森 ﹂、 ﹁亀 山 ﹂ と 呼 ぶ よう にな った と いう 。 こ の話 は宝 暦 一〇 年 (一七 六 〇 ) に ま と め ら れ た ﹁奥 州 里 諺 集. 137. 撮 亀 山(2012年3月. ▲写 真6.

(12) 四. 放流習俗. 東 北 地 方 では 、 ウ ミガ メ が 網 に か か る と 酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 習 俗 が. 広 く 分 布 し て い る。 こ の習 俗 が い つご ろ か ら 東 北 に 広 ま って き た のか は 不. 福島県. 明 であ るが 、 江 戸 時 代 後 期 に は確 認 でき る。. 1. 一九 七 八 ︺。 いわ. 福 島 県 で は 、 カ メ が 網 に か か った り 、 上 が って き た り し て いる と 、 決 し. て殺 した り はせ ず 、 酒 を 飲 ま せ て海 に戻 し て や る ︹ 和田. き 市 四 倉 では 、 カ メ を 見 る と 酒 を 飲 ま せ て海 に 放 し て や る と いう ︹ 和田. 一九 七 八 ︺。 三 章 で取 り 上 げ た よ う に、 いわ き 市 の浦 島 太 郎 は、 カ メを 捕 ら. 一九 七 六 ︺。. え た 人 と カ メ に酒 を飲 ま せ て か ら 、 カ メ を 海 に放 し て い た ︹ 福 島中央 テレ ビ. 大 き な カ メ が 網 に入 る と大 事 に す る 。 生 き て いる カ メ は 酒 を 飲 ま せ て、 ﹁大 漁 さ せ て け ろ よ ー ﹂、 ﹁今 度 は 人 に つか ま ん でな いよ ー ﹂ な ど と い って放 す 。. 少 し 珍 し い事 例 であ るが 、 いわ き 市 江 名 で は、 カ メ を 見 ると 、 柄 杓 で真 水 を あ げ た 、 と いう 報 告 も あ る ︹川島 二〇 〇 四︺。. 138. 撮 影) わ き 市 中 之 作(2012年11月 ▲ 写 真7い. いわ き 市 中 之 作 の松 本 茂 氏 ( 大 正 = 二年 生 ま れ ) か ら は、 次 の よう な 話 を 聞 いた 。.   搬蟻嚢 鱒 蛾勤 鱒.

(13) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. 2. 宮城県. a 七 ヶ浜 町 の事 例 - 江 戸 時 代 と 昭 和 時 代 -. 七 ヶ浜 町 に伝 わ る ﹁亀 霊 神 社 ﹂ の由 来 に は、 文 化 七 年 (一八 一〇 ) の夏 、 沖 合 い に出 現 し たウ ミガ メ に酒 を 飲 ま. 二〇 一三 a︺。. せ て放 し た こと が 記 さ れ て い る。 そ の後 、 ウ ミガ メ を 祀 る こと にな るた め に、 そ の経 緯 が 詳 しく 残 って いる。 こ の 経 緯 は 別 に論 じ た が 、 酒 を 飲 ま せ て放 す 部 分 だ け 引 用 し てお く ︹ 藤井. 呑 申 候 処 、 掬 々 亀 ハ酒 を 呑 事 偽. 二無 御 座 候 (﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂). これに よると、 カメ には酒を. 飲 ま せ る と よ いと い う こ と が 、. 江 戸 時 代 後 期 に は、 宮 城 県 の漁. 民 に も 認 識 さ れ て いた こ と が 分. か る。 わ ざ わざ 海 中 のウ ミ ガ メ. を 捕 え て、 酒 を 飲 ま せ て 放 し て. いると ころが特徴 的 である。放. す 際 に は、 今 後 、 こ のカ メ を 見. る こ と が あ る か も し れ な いと い. 139. 亀 与 申 物 者 酒 ヲ呑 候 物 之 由 、 老 人 之 咄 二而承 伝 置 候 間 、 右 亀 ヲ捕 置 酒 を 為 呑 可 申 よ し相 談 を 仕 候 処 、 幸 漁 師 共. 影). 呑 酒 二持 参 仕 候 漁 師 之 酒 舟 中 二在 合 候 間 、 為 呑 可 申 与 右 亀 を 捕 、 拙 者 共 呑 酒 之 内 壱 升 斗 り為 呑 候 所 、 右 酒 ヲ 一宇. 澱 層  . 二叢 '. 撮 影) ヶ浜 町 松 ヶ浜(2005年8月 ▲ 写 真8七. 亀 欄■ ■レ. 撮 「亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 」(2006年7月. ▲ 写真9. 騒 』. 瓶 きぜ 蒙 雫.

(14) う こ と で、 ﹁見 印 ﹂ を つけ て いる 。 酒 を 飲 ま せ て 放 す 理 由 に つい て は、 ﹁亀 は漁 事 二は 吉 事 之 物 御 座 候 ﹂(﹁亀 霊 神 社. 不 死 貝 由 来 ﹂) と いう 言 葉 も み ら れ る 。 漁 に 恵 ま れ る よ う に 、 ウ ミ ガ メ に 酒 を 振 る 舞 って放 し て いる 。. ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 す 習 俗 は、 昭 和 時 代 にな っても 確 認 でき る。 七 ヶ浜 町 松 ヶ浜 と花 淵 浜 の漁 民 から の聞. き 取 り で、 カ メ を 海 の神 様 の使 いと し て、 網 に か か って も 酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 事 例 が 報 告 さ れ て いる ︹ 小玉. 一九 八 〇 ︺。 筆 者 の平 成 一七 、 一八年 (二 〇 〇 五 、 二 〇 〇 六 ) の聞 き 取 り 調 査 で も 同 様 の事 例 を 確 認 でき た 。 ﹁亀 霊. 神 社 ﹂ を 祀 った 漁 民 の子 孫 であ る鈴 木 捨 五郎 氏 は、 ウ ミガ メが 刺 し網 や 流 し網 に入 る と酒 を 飲 ま せ て帰 し た。 捨 五. 郎 氏 は 、 カ メ が 本 当 に酒 が 好 き な のか は分 か ら な いと 考 え て い るが 、 カ メ に木 を かま せ て 一升 瓶 で飲 ま せ た。 放 す. と き に は ﹁網 さ か か っては だ め だ ﹂ と 声 を か け た 。 カ メ が 網 に入 る のは 年 に 一回 あ る か な いか と い う 程 度 であ る が 、 最 近 では カ メ を オ カ ま で持 ってき て酒 を 飲 ま せ る こと はな く な った と いう 。. ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ を 所 有 す る 加 藤 実 氏 (昭 和 一 一年 生 ま れ ) も 、 カ メ は ひ と 夏 に 一、二 回ぐ ら い網 に か か る. と いう 。 加 藤 氏 の家 で は、 明 治 時 代 の中 ご ろま で は漁 船 を 所 有 し て漁 業 を 行 って いたが 、 実 氏 の代 に は農 業 と旅 館. 経 営 を し て いた 。 子 ど も の こ ろ ( 昭 和 一七 、八 年ご ろ )、 大 網 と いう 網 が あ り 、 そ の網 に カ メ ノ コが 入 った こ とを 実. 氏 は 記 憶 し て い る。 こ の辺 り で は、 子ど も のカ メ でな く ても ﹁カ メ ノ コ﹂ が 入 った と いう 。 こ の とき も 、 カ メを 連. れ て来 て、 酒 を 飲 ま せ てか ら 海 へ放 した 。 カ メ が 泳 い で いく とき に顔 を 出 した た め 、 見 て いた人 たち は、 カ メが お 礼 を 言 って い ると い って いた と いう 。 カ メ ノ コは長 寿 の縁 起 物 であ る と いわ れ て いる。. ま た 、 東 宮 浜 の鈴 木 義 信 氏 ( 昭和 二一 二年 生 ま れ ) も 、 子供 の こ ろ、 父 親 の網 に ア カウ ミガ メ とオ サ ガ メが 入 った. こ とを 記憶 し て い る。 ア カウ ミガ メ は 松 島 の水 族 館 に売 った と いう 。 そ の 一、二年 後 、 オ サガ メ が 網 に 入 った 。 い. ず れ も 小 型 底 曳 網 であ った 。 同 じよ う な 漁 業 を し て い る人 た ち は、 よく カ メが か か って いた と いう 。 カ メ は外 洋 の. ほう で よ く か か って いた 。 オ サガ メ は 船 に 積 ん で き て、 四 、五人 で引 き 上げ た 。 酒 を 買 って来 て 、 竹 か 棒 で 口を 開. 幽.

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(16) てき て、 酒 を 買 ってき て酒 を 一升 飲 ま せ ﹁大 漁 さ せ ろ よ﹂ と 言 って放 し た こ と が あ る 。 五 〇 年 以上 前 で あ った 。. 二〇 〇 四︺。. みん な で頭 を な で て沖 向 け て放 した 。 砂 浜 だ か ら 押 し てや った 。 カ メも 酔 う の か、 頭 を 下 げ て行 った。 こ の ほか 、 石 巻 市 の 田代 島 で は次 のよ う な 事 例 が 報 告 さ れ て い る ︹川島. 大 網 な ど にカ メ が 入 った と き に は、 浜 に連 れ て来 て、 一人 の者 が カ メ に向 って ﹁大 漁 させ ろ よ﹂ と語 る と、 別. 一九 八 二 ︺。 気. の者 が カ メ に成 り 代 わ って ﹁捕 ら せ っか ら 、 捕 ら せ っか ら ﹂ と返 事 を し て から カ メを 放 し た。 (筆 者 要 約 ). 気 仙 沼 市 大 島 では 、 カ メ に酒 を飲 ま せ て逃 が す と大 漁 に な る 、 と いう ︹ 大島郷 土誌刊行委員会. 一九 六 八 ︺。. 仙 沼 市 唐 桑 町 で は、 カ メ は竜 宮 のお 使 いと さ れ て い るた め 、 カ メを 捕 ま え る と吉 相 と し て酒 を 飲 ま せ て放 す 、 と い う ︹ 唐桑町史編纂委員会. 二〇 〇 四、二〇 〇 五︺。 気 仙 沼 市 神 の 倉 で は 、. こ の ほか 、 気 仙 沼 地 方 で は、 川 島 氏 が 複 数 の事 例 を 報 告 し て い る。 気 仙 沼 市 小 鯖 で は、 カ メを 捕 って しま った場 合 は、 口 に お にぎ り を 詰 め て、 お 神 酒 を 飲 ま せ て か ら放 し た ︹ 川島. カ メを 発 見 し た と き 、 カ シ キが 真 水 を 三 回カ メ に か け な が ら 、 ﹁カ メ さ ん 、 大 漁 さ せ て く れ よ ﹂ と 唱 え た ︹ 川島. 二〇 〇 五 ︺。 気 仙 沼 地 方 の カ ツオ 船 では 、 カ メ を 見 つけ る と 、 わ ざ わ ざ デ ッキ に上 げ て、. 二〇 〇 四、二 〇 〇 五 ︺。 気 仙 沼 市 小 々汐 で は、 カ メ を 捕 ま え て しま った ら 、 頭 に赤 い手 ぬぐ いを しめ さ せ、 酒 を 飲 ま せ て海 に 放 し た ︹川 島. 二〇 〇 五︺。 ま た、 地 域 名 は書 か れ て いな いも の の、 三 陸 沿 岸 で. 船 頭 が オ フナダ マ に供 え ら れ て いる 一升 瓶 を 持 って き て カ メ に 酒 を か け 、 カ シ キ が 生 米 を カ メ の 口 に 入 れ て か ら 、 ﹁大 漁 さ せ て け ろ ﹂ と 言 って海 に 放 し た ︹川島. 二〇 〇 五︺。. は 、 捕 獲 し た ウ ミガ メ の背 中 に ﹁祝 大 漁 満 足 ﹂ と いう 文 字 を ペ ンキ や 紅 妙 丹 ( 紅 色 の錆 止 め の薬 品 ) で描 いて から 放 す と いう こと も 報 告 さ れ て い る [ 川島. 毘.

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(18) 告 を 意 識 し て 、 ウ ミガ メ に 関 す る 聞 き 取 り を 普 代 村 に お い. 二 〇 〇 一︺、 こ の機 会 に 聞 き 取 り 内 容 を 紹 介 し て. て集 中 的 に行 った 。 成 果 の 一部 を 発 表 し た だ け で あ った の で ︹ 藤井 お き た い。. 普 代 村 堀 内 の 金 名 部 直 徳 (昭 和 九 年 生 ま れ ) か ら は 以 下 の よう な 話 を う かが った。. カメ は酒を 飲ませ て返 した。カ メが網 に入 ると必ずオ. カ ま で も って く る。 カ メ に飲 ま せ る だ け で な く 、 漁 師 の. 連 中 も お 神 酒 を飲 む の で。 網 の責 任 者 で あ る 大 謀 が 気 の利 い た 人 であ れ ぼ 、 鍛 冶 屋 に頼 ん で ス テ ン レ ス の札 を 作 っても ら い、 そ こ に建 網 の名 前 や 大 謀 の名 前 を 刻 ん で カ メ に つけ て放 した 。. 一五、六 年 前 、 二〇 〇 ㎏ く ら い のカ メが 定 置 網 に 入 った 。 若 い人 た ち は いた ず ら で、 カ メ を 安 家 川 に 軽 ト ラ ッ. ク に積 ん で も って い って泳 が せ て み た 。 三 、四 日 た って安 家 川 の長 老 が カ メ を 見 つけ て 川 か ら 上げ てお 神 酒 を 飲. ま せ て、 川 にカ メ が 入 ってき た と いう の はす ご く 縁 起 の い い こ とだ と い ってど んち ゃ んさ わ ぎ を し た。 普 代 村 太 田名 部 の大 上 泰 久 ( 昭 和 九 年 生 ま れ ) か ら は 以下 の よう な 話 を う かが った 。. カ メ には 酒 を 飲 ま せ て返 した 。 長 生 き す るな ど と い った 。 甲 羅 に は ペ ンキ で ﹁大 漁 祈 ﹂ と書 いて放 し た。 船 名. を 書 く 人 も いた 。 今 はカ メ が 入 る の は何 年 か に 一回だ が 、 か つて はも う 少 し多 か った 。 カ メ は大 事 に し た。. 同 じ く 太 田名 部 の太 田卯 之 助 氏 ( 昭 和 二年 生 ま れ ) か ら は 以下 の よう な 話 を う かが った。 カ メ には 酒 を 飲 ま せ て返 した 。 涙 を 流 した 。 祝 う も の であ った 。 普 代 村 黒 崎 の道 合 政 喜 氏 ( 昭 和 一二年 生 ま れ ) は次 のよ う に語 る。. 144.

(19) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. カ メ は定 置 網 に入 ると 、 酒 を 飲 ま せ て ﹁魚 大 漁 さ せ てく れ よー ﹂ な ど と い って放 す 。. 桜 田、 筆 者 と も に調 査 を 行 った 太 田名 部 は、 漁 業 が 中 心 の集 落 であ り 、 堀 内 、 黒 崎 は海 岸 部 の段 丘 上 に位 置 す る. 集 落 で 、 半 農 半 漁 の生 活 を 行 ってき た。 桜 田調 査 時 に お け る太 田 名 部 で は 、 一〇 月 に マグ ロ、 サ ケ 、 スル メ 、 サ. バ 、 イ ワ シを 対 象 と す る建 網 ( 大 謀 網 ) を 行 って いた 。 桜 田が 調 査 した の は 一〇 月 であ った ため 、 太 田名 部 の大 謀. 網 にウ ミガ メ が 入 って酒 を 飲 ま せ て いた と いう 。 太 田名 部 、 堀 内 、 黒 崎 とも に、 戦 後 も 定 置 網 は盛 ん で、 おも にサ. 昭 和 初 期 の新 聞 記 事 と 追 跡 調 査. ケ を 対 象 と し て いた 。 筆 者 の聞 き 取 り で は、 戦 後 も 定 置 網 にウ ミガ メが 入 る こ とが あ り、 酒 を 飲 ま せ て放 し た と い. 宮 古 市 の事 例. う こと にな る。. b. 海上安全大漁成就﹂. ﹃岩 手 日 報 ﹄ 昭 和 四年 八 月 一七 日 に は 、 以 下 のよ う な 記 事 が 掲 載 さ れ て いる 。 ﹁風 水 八 大 龍 王 海 幸 授 給. 宮 古 で 五 尺と 三 尺 の大 正 覚 坊 捕 獲 背 中 に書 い て沖 に流 す. 宮 古 町 小 笠 原 合 名 会 社 所 有 第 八 号 漁 運 丸 は十 四 日宮 古 沖 合 約 五十 マイ ル の沖 合 で鰹 漁 中 大 亀 の浮 いて ゐ る のを 発 見 し 之 を 捕 獲 し て同 日入 港 した. 一つは 甲 羅 の長 さ は約 五 尺首 か ら 尾 ま で は約 ⊥ハ尺も あ ら う と思 はれ るオ サ 亀 でも う 一つは之 よ り少 し小 さく 甲 羅 は 長 さ 三 尺種 類 も 赤 海 亀 俗 に正 覚 坊 と 云 ふ何 れ も 近 海 に は珍 し い代 物 であ る. 漁 師 は非 常 に縁 起 を 尊 ぶ も の であ る亀 は目 出 度 いも の竜 宮 の御 使 者 であ る と し て出 漁 中 に之 に出 ッく わす と大. 漁 が あ ると 云 ひ伝 へら れ 決 し て殺 す 様 な 事 を せ ず 漁 師 や 船 頭 は祝 い酒 を 振 り 舞 ひ亀 にも 呑 ま し て沖 へ持 ち 帰 っ. 145.

(20) て放 す 例 に な ってゐ る. 会 社 で は此 の例 にな ら って そ の日 直 ぐ 祝 い酒 を 振 り 舞 った 、 亀 も 二升 樽. を ひ っく り 返 し て のど を な ら し て ゐた 、 甲 羅 に は 捕 獲 し た 日 と 場 所 船 会. 社 名 を し る し ﹃風 水 八 大 龍 王 海 幸 授 給 ﹄﹃海 上 安 全 大 漁 成 就 ﹄ と 白 書 き し. て宮 古 沖 約 ニ マイ ル付 近 に 放 し た が 放 た れ た 亀 は い そ い そ と 沖 合 は る か に お よ ぎ 去 った (写真 は 甲羅 に白 書 き せ る大 亀 ). こ こ に は、 写真 も 掲 載 さ れ て いる 。 数 十 年 後 に 回想 し な が ら の聞 き 取. り 調 査 で は な く 、 当 時 の資 料 で あ り 、 克 明 に様 子 が 記 録 さ れ て い ると い. う 意 味 で貴 重 であ る。 ま ず 、 沖 合 五 〇 マイ ル の海 上 で カ ツ オ 漁 を し て い. た と き 、 オ サガ メ と ア カ ウ ミ ガ メ が 浮 いて いた こと が 分 か る 。 これ を 捕. 獲 し て持 ち 帰 り 、 酒 を 飲 ま せ て放 し て い る。 さ ら に、 放 す にあ た って は、 甲 羅 に捕 獲 日、 捕 獲 場 所 、 船 会 社 名 、 神. の名 前 、 祈 願 内 容 を 書 い て い る。 単 に酒 を 飲 ま せ て放 す の で はな く 、 大 が かり な 儀 礼 にな って お り、 海 上 安 全 と大 漁 成 就 を 祈 願 し て行 って い る こと が う か が え る。. こ の新 聞 記 事 に登 場 す る宮 古 町 は、 現 在 の宮 古 市 の中 心 部 で、 現 在 も 三陸 北 部 の中 心 的 な 町 であ る。 大 正 = 二年. (一九 二 四) に 、 隣 接 す る 鍬 ヶ崎 町 と 合 併 し て いる 。 旧 宮 古 町 は 、 直 接 漁 船 を 操 業 し て 漁 業 を 行 う 漁 民 は少 な く 、. 一九 九 四︺。 ﹃岩 手 日報 ﹄ に掲 載 さ れ て いる. 有 力 な 商 人 によ る漁 船 経 営 が 盛 ん な 地 域 であ った 。 明 治 か ら 昭 和 初 期 にか け て は、 カ ツオ 漁 、 イ ワ シ巻 き 網 漁 、 沿 岸 マグ ロ延 縄 漁 、 イ カ 釣 り 漁 な ど が 盛 ん であ った ︹ 宮古市教育委員会. 146.

(21) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. 出 来 事 は 、 相 当 大 が か り な 儀 礼 にな って い る。 これ は、 零 細 な 漁 業 で はな く 、 旧 宮 古 町 の商 人 が 経 営 し て いた大 規 模 な 漁 業 会 社 が 関 与 し て いた か ら であ ると 思 わ れ る。. 一九 五 五︺。 以 下 に 内 容 を 紹 介 し て お く 。. し か し 、 昭 和 四年 の出 来 事 は特 別 な こと で はな か った よう であ る。 旧 宮 古 町 に隣 接 す る旧 鍬 ヶ崎 町 でも 、 同 じ よ う な 習 俗 が 報 告 さ れ て い る の であ る ︹ 沢内. 鍬 ヶ崎 で は 、 海 上 でカ メを 見 つけ る と 、 宝 物 にあ った と い って喜 ん で、 ﹁真 水 を あ げ ろ﹂ と い って飲 ま せ る と. 撮 影) (右)(1999年8月. 本 田 由右 衛 門氏 佐 々 木 聖 氏(左)と ▲ 写 真15. そ の際 に 、 カ メ の 背 中 に船. 名 と 大 漁 の文 字 を 刻 む こ と. 年 (一九. もある。 ( 筆 者 要約 ). 筆者 は平成 二. 九 九 ) に 、 鍬 ケ崎 の蛸 の浜. 町 で聞 き 取 り 調 査 を 行 っ. た 。 船 大 工 を し て いた 佐 々. 木 聖 氏 (昭 和 三 年 生 ま れ ). と 、 漁 師 を し て いた 本 多 由. 右 衛 門 氏 (大 正 九 年 生 ま. れ) から以下 のような話を. う か が った 。 五章 で 取 り 上. 147. いう 。 カ メ は 海 の神 の使 者 で、 長命 の象 徴 と し て珍 重 さ れ た 。 船 人 は、 沖 で カ メ に 出 会 った り 、 建 網 に 入 る と 、. 月 撮 影). カ メを 捕 ら え て帰 り 、 船 主 の家 で 船 子 一同 と と も に縁 喜 を 祝 い、 カ メ に も 酒 を 飲 ま せ る 。 そ の後 、 海 に 放 す が 、. 鍬 ヶ 崎 の 集 落 と宮 古 の 港(1999年8. ▲ 写真14.

(22) げ る よ う に 、 蛸 の浜 は ウ ミ ガ メ を 祀 る 供 養 塔 が あ る 地 区 でも あ る 。. カ メ は 酒 を 飲 ま せ て送 っ てや る。 大 事 に し た 。 建 網 にも よ く 入 った 。. 本 多 氏 が 上げ た の は は え 縄 漁 のと き 。 カギ を カ メ の や わ ら か いと こ ろ に. か け て上 げ た 。 酒 を 飲 ま せ て 船 名 を ペ ンキ で 書 い て 放 す こ と も あ った 。. こ の船 が 捕 って放 し た、 こ の船 に漁 を さず け てく れ と いう 意 味 。 放 す と. きは ﹁ 大 漁 お さ ず け ﹂ など と い って放 し た 。 は え 縄 の と き は 低 い右 舷 か. ら 魚 を 上 げ る が 、 カ メ は そ こか ら 放 し た。 と り か じ で と り こん で、 お も か じ で荷 直 す 。. こ のよ う に、 ﹃岩 手 日 報 ﹄ の記 事 や ﹃鍬 浦 史 話 ﹄、 お よ び 聞 き 取 り 結 果 か. ら は 、 旧 宮 古 町 か ら 旧 鍬 ヶ崎 町 に か け て の地 域 では 、 ウ ミガ メ に 対 し て大. 漁 を 願 う 儀 礼 を 熱 心 に行 って い た こ と が わ か る。 た だ し 、 旧 宮 古 町 と 旧. 鍬 ヶ 崎 町 を 比 較 す ると 、 両地 区 の漁 業 の違 いも 影 響 し て い る よ う に 思 わ れ. る。 旧 鍬 ヶ崎 町 は 、 宮 古 湾 の入 り 口 に位 置 し、 専 業 漁 民 の多 い地 域 であ った 。 大 多 数 の漁 民 はサ ッパ と呼 ば れ る小. さ な 磯 船 で ア ワビ 、 ウ ニ、 天 然 ワカ メ 、 コンブ な ど の磯 漁 や 、 零 細 な 釣 り 漁 、 刺 網 漁 に従 事 し て いたが 、 旧 宮 古 町. に つい で、 船 主 が 多 い地 域 でも あ った 。 旧 鍬 ヶ崎 町 でも 、 零 細 な 漁 業 を 行 って い る漁 民 と いう よ り は、 船 主 の判 断. で カ メ に 酒 を 飲 ま せ て祝 いを 行 った り、 と き に は 甲 羅 に 文 字 を 刻 む こと が あ った と いう こと にな る。 ﹃岩 手 日 報 ﹄. に紹 介 さ れ て いた 出 来 事 は、 こう した 旧 宮 古 町 か ら 旧 鍬 ヶ崎 町 にか け て の地 域 に広 ま って いたウ ミガ メ に対 す る習 俗 の発 展 し た 形 と 捉 え る こと が でき る。. 宮 古 市 で は こ のほ か 、 東 の重 茂 半 島 な ど でも 、 そ れ ぞ れ の集 落 で漁 業 が 営 ま れ て き た 。 筆 者 は 平 成 一 一、= 一 年. 148. 撮 影) 古 市 重 茂 石 浜(2000年8月 ▲ 写 真16宮.

(23) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. (一九 九 九 、二〇 〇 〇 ) に、 宮 古 市 お よ び 、 宮 古 市 の出 身 者 に聞 き 取 り 調 査 を 行 った 。 重 茂 半 島 の東 側 に位 置 す る重 茂 の石 浜 では 石 崎 賢 一氏 ( 昭 和 一五年 生 ま れ ) か ら 以下 の よう な 話 を 聞 いた 。 カ メ は 定 置 網 に捕 れ る。 酒 を い っぱ い飲 ま せ て帰 す 。 同 じ く 重 茂 の石 浜 で、 松 野 ソ ノ氏 ( 大 正 六 年 生 ま れ ) か ら 次 の よう に聞 いた 。 建 網 に入 った カ メ に酒 を 飲 ま せ た 。. 重 茂 の石 浜 は 半 農 半 漁 の小 集 落 で、 五章 で取 り 上 げ る よう に、 ウ ミガ メ の祠 を 祀 って いた地 区 であ る。 宮 古 に比. 妻. 氏 は 以 下 のよ う に語 る。. ウ ミガ メ の 回遊 に 関 し て も論 理 的 に 理 解 し て いる のが よ く 分 か る。 堀 内. き を よ く 把 握 し て い て、 潮 流 や魚 群 の動 き な ど を 全 体 的 に 捉 え て お り 、. てき た 方 であ る た め、 事 実 を 記憶 し て いる と いう だ け では な く 、 海 の動. ず 、 釜 石 方 面 で大 謀 網 の網 元 を し て き た 人 物 であ る 。 堀 内 氏 は 大 謀 を し. 宮 古 市 赤 前 出 身 の堀 内 良 司 氏 (大 正 九 年 生 ま れ ) は 、 宮 古 の み な ら. いな も のを 書 いた カ メ を 見 た こと が あ る 。. 飲 ま せ て返 す 。 カ メも 酔 っ払 う の か 、 首 の辺 り が 赤 く な る。 家 紋 み た. カ メ は年 一、二 匹 網 に か か る 。 大 漁 を 呼 ん で こ いと いう 意 味 で酒 を. う か が った 。. 津 軽 石 出 身 の中 嶋 勝 正氏 (昭和 一七年 生 ま れ ) か ら は 次 のよ う な 話 を. と が 分 か る。. べ て漁 業 が 零 細 な た め か 、 ウ ミガ メ に対 す る儀 礼 は簡 単 であ る。 そ れ でも 、 ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 し て いた こ. 撮 影) (1999年9月. イ セ 氏(左)夫 堀 内 良 司 氏(右)・ ▲ 写 真17. 49 ー.

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(25) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. め 、 淡 水 のカ メ でも 酒 を 飲 ま せ て放 す こと が あ った と いう こと にな るが 、 筆 者 は沿 岸 部 に お いてウ ミガ メ の習 俗 の. み 調 査 し た 。 筆 者 は 、 岩 手 県 で は、 先 述 の普 代 村 、 宮 古 市 の ほか 、 釜 石 市 、 岩 泉 町 、 田野 畑 村 、 久 慈 市 でも 聞 き 取 り を 行 った 。 釜 石 市 箱 崎 白 浜 の佐 々木 長 七 氏 ( 昭 和 二年 生 ま れ ) か ら は次 の よう な 話 を う かが った 。. カ メ は お 神 酒 を 飲 ま せ て、 捕 った 船 名 を ペ ンキ で書 い て放 した 。 大 漁 さ ず け てけ う と いう 。 イ カ釣 り は集 魚 灯. を つけ て い る。 サ バ が 寄 ってく る。 カ メ が 船 底 を 行 った り き た り し て い る。 カ メ は つかま え てき て見 せ る。 酒 を. 買 って、 一升 瓶 を 口 に つ っこん で飲 ま せ る。 大 漁 祈 願 と 書 い て放 す 。 竜 神 様 の使 いだ と いう こ と で。 カ メ は定 置. にか か る。 夏 だ け 。 突 き ん 棒 のと き は、 鉤 で 引 っ掛 け て持 ってく る。 大. カ メ は 大 漁 を も た ら す 。 酒 を 飲 ま せ て放 せ と いう 。 何 年 か 入 ら な い。. す 。 三〇 年 以 上 前 、 カ メ を よ く 持 って き て いた 。 甲 羅 に穴 を 開 け て、 綱 を つけ て泳 が せ て いた 。. 一九 七 四 ︺。 筆 者 の 聞 き 取 り でも 、 定 置 に 入 った カ. 岩 泉 町 で は、 五 章 で取 り上 げ る よ う に、 茂 師 漁 港 に ﹁海 亀 神 社 ﹂ が 祀 ら. う報告 があ る ︹ 小島. メ は 酒 を 飲 ま せ て返 す 、 と 聞 いた 。. 田野 畑 村 の 久 里 十 太 郎 氏 ( 大 正 一五 年 生 ま れ ) か ら は 以 下 の よ う な 話 を. 151. 漁 祝 い にす る 。 不 漁 続 き のと き にし た 。. れ て い る。 カ メ は 豊 漁 の縁 起 、 海 神 の使 いと し て漁 師 は大 切 に す る 、 と い. 釜 石 市 箱 崎 の花 渕 洋 氏 か ら は 次 のよ う な 話 を う か が った 。. 撮 影). 夏 に 入 る。 涙 を ぼ ろ ぼ ろ 流 す 。 ペ ンキ で 船 名 と 、 大 漁 な ど と 書 い て放 慈 市 久 喜(1999年8月 ▲ 写 真20久.

(26) う か が った 。. 龍 神 様 の使 いと いう こと で、 網 に入 って い ると 大 漁 祈 願 し て酒 を 飲 ま せ て返 した 。 な か に は、 甲羅 にダ シ ( 自 分 の家 の記 号 ) や ﹁海 上 安 全 、 大 々漁 ﹂ な ど と 書 い て放 す 人 も いた 。 久 慈 市 久 喜 の伊 川 種 蔵 氏 ( 大 正 八 年 生 ま れ ) か ら は 以下 の よう な 話 を う かが った 。. カ メ は 生 き て いれ ば 酒 を 飲 ま せ て返 し た 。 お い て お い て学 校 の 生 徒 に見 せ た こと も あ る 。 宇 部 か ら も 見 に来 た 。 網 にカ メ が 入 ると 縁 起 が い いと いう 。. 訪 神 社 前 の 「亀 大. 影). 作 に も 東 日 本 大 震 災 の際 、 津 波 が 押 し 寄 せ 、 漁 港. 査 で は 、 供 養 塔 が 現 存 す る こと を 確 認 し た 。 中 之. 当 た った と ころ の高 台 に 移 転 し て い る。 筆 者 の調. あ った と いう が 、 現 在 は 供 養 塔 の前 の道 路 を 突 き. 左 側 に あ る 。 以 前 は、 こ の 石 段 の上 に 諏 訪 神 社 が. ウ ミ ガ メ の 供 養 塔 が 立 って い る。 供 養 塔 は 石 段 の. い わ き 市 中 之 作 の 諏 訪 神 社 の参 道 入 り 口 付 近 に. a い わ き市 中 之 作 の ﹁ 亀大神﹂. 網 に入 った り 、 磯 に打 ち 寄 せ た カ メ は生 き て いれ ば 酒 を 飲 ま せ て返 した 。. 祭 祀 ・供 養 習 俗 福島県 撮 神 」(2012年11月. 152. 同 じ く 久 喜 の広 崎 国 雄 氏 ( 昭 和 一四年 生 ま れ ) も 以下 の よう に語 る。. 五 -. わ き 市 中 之 作 ・諏 ▲ 写 真21い.

(27) 表3東 番 号. 1. 北 地 方 太 平 洋 岸 の ウ ミ ガ メ祠 ・供 養 塔 一 覧. 所在地. 埋葬 ・建立 場所. 呼称. 福 島県いわ 諏訪神社境 き市 中之作 内. 福 島県南相 2 津神社境内 馬市烏崎. 墓塔表題. 亀大神. 形態 地上 高cm. 石碑. 159. 埋葬 ・建立時期 昭 和13年(1938) 7月29日 建立. 漁業組合. 昭 和27年(1952) 8月. 小漁船組 合. 文 化9年(1812)6 月4日 死亡. 約54メ ー ト ルほ ど沖に浮 かんでいたの 漁民 を引き寄せて 死亡。. 現存。. 編 纂 委 員会1967、 2004、 小 島2005、 2011、 藤 井2013. 享 保ll年(1726) 6月27日 建立. 現存。. 阿 部1990. 5. 宮城県南三 陸町戸倉長 清水. 大漁亀. 石碑. 50. 6. 宮城県南三 陸町戸倉長 清水. 大漁亀神社 石 碑?. 35. 昭 和17年(1942) 8月7目 建 立. 7. 宮城県南三 陸町戸倉滝 浜. 丸亀神社. 70. 明 治38年(1905) 旧8月4日 建立. 石碑. 石碑. 亀供養. 石碑. 247. 43. 「 亀 霊 神 社不 死 貝 由来 」、 rいそ つ た ひ』、 七 ケ浜 町 誌 2005年 、 2006年 現 川島 田口 地調査。 2005年 現 地調査。. 志 津 川 町誌 編 さん 室 2012年 現 確 認 で き ず。 1989、 志 津 川 町誌 編 さん 室 地調査。 1991. 宝 暦11年(1761) よ り50年 ほ ど前 に埋葬. (柵). 2012年 現 地調査。. 文 政7年(1824)9 月 に カ メ を捕 獲 、 文 政8年(1825) 春 に カ メ は死 亡 、 文 政12年(1829) 9月 石 碑 建 立 昭 和6年(1931) 旧9月19日 建立. 2012年 現. 確 認 で き ず。 川 島2004. 網 に か か る。. 漁業協同 組合. 死体が漂流。 漁民. 住職. 確 認 で き ず。 川 島2004、. 7、8尺 の大亀. 川 島2005. r奥州 裡 諺集 』、 川 島. 宝 暦ll年 (1761)に 消滅。. 地調査。. は. 2004、 川 島2005、 2011. 田口. 2012年 現 地調査。 2012年 現 地調査。. 「 角 屋 敷 久助 覚 牒 」、釜 石 市 誌 編 纂 委 員会1961、 釜石 2000年 、 現 存 。2011 市 教 育 委 員会 社 会 教 育課 文 2012年 現 年4月 の地 化 係1982、 小 島1992、 震 で 折 れ る。 地調査。 藤 井2001、 小 島2005、 田口2011 現存。. 東 北 歴 史資 料 館1984、 井2001、 川 島2004、 島2005、 田 口2011. 藤 2000年 、 小 2012年 現 地調査。. oっ2. Q ス鮫 艀心Q丑薄 虻降 萩較 署≒. 66. 岩手県釜石 港の入 り口 市箱崎 白浜. 鹿 島 町 史編 纂 委 員 会 1998、 川 島2004、 小島 2012年 現 2005、 川 島2005、 南相馬 地調査。 市 博 物 館2006、 田口 2011、 佐 々木2011. 93. 石碑. 10. 小 島2005、 田 口2011. 祠. 霊亀塔. 岩手県釜石 市唐丹小白 盛岩寺境内 鶴亀の碑 浜. 川 島2004、 川 島2005、. 57. 宮城県石巻 市長渡. 備考. 現存。. 東 日本大震 災の津波に より流失。. 4. 9. 文献. ヒラ メ の刺 し 網 に か か る。. 宮城県七ヶ 養松院境内 亀霊神社→ 浜町松 ケ浜 →個人宅 亀神様. 宮城県気仙 「 奥海道」 沼市本古町 の脇 大谷. 現状. 昭 和39年(1964) 4月12日 建立. 奉納亀明神 海上安全 石碑. 3. 8. ウミガメの発 埋葬 ・祭 ウミガメ の種類 見状態 祀者.

(28) 蹄 ㎝ =. 一bO. 一ω. ヨ酔 農. 苗撒 ・ 醐旨 蔀ヨ 弔群. 誉図\斗﹀ ご. 雌唱 知画掛 創澗 套洋㊦ 誉図尊# 嵜田灘劃葺 柵E. 証鼎 知国掛 晒謹 θ醐 θ 掛轟 葺. 雌畑 遍雌畑 碧油雪. 雌畑 知冷嚇 晒昔 θメO 丑タ蜘 口. 辰 雌蝿 知礁海 註苗コ. 一㎝. 訳照. 訓 轄. 劃. 専. 副轟. 血魯. 卦誹. 訓劃. #. 晒萌 賠融. 融蓄. 碑套. 蕊碑 喜#. 融E尊 #. 昌b 訓6 日. 週. ①Go. 。 ①○. 一8. 曲翻・ 需計黒避. ⊃)c。 。 一 卜 岳 (一 GO㊤田醸旨 面. 並儒旨. 。 一 露㊤ = 霜( ) °. 。 ㎝ 温 謎卜. ロ 翠. 岳 咲郎. 量 酋 お 岳 (一④GoOo)[ロG。 面㎝田醸詩. 罷 芒G。O. 汁 引 = 岳 (一④b。㎝) ㎝ 一b。 曲 田禽旨. 曽川 磯図θ謙 商難 ・ 蝶 曽川達図 罰洋照 副蝋 θ敵猛. 油芽. おO⑩ 書 蓑卿 諏脹津①艸 ぐ♂. 蟄 蓮゜. 掻則 サ勺. 紐□針汁淵 ㊦ π 慈 藩藩 野O事冷゜. 緬耐 ゜. 涼爵. 盤 薄゜. 薄円 ひ る. 鋒卿. 温" °. 矧片. %冴. 聖. 済舞. 閾 紐 蹄透. お。 介 ゜. 。08ノ田 \ プ恥卜 黙#b。OO一ノ 。O= 口卜. ノ舳 おα 9 こ. 。O O 卜 野 。O二 卜 。08ノ日□ 卜 ノ 恥 ﹂. お置 ノ 。 ノ 介圓掛奇磐訟廟 恥一㊤゜ ﹂ ノ 証一㊤露ノ 抑ゆ一㊤G。介﹂ 鼎#80戸こ爺80介 。O= ウ恥88ノヨロト. 三 肛. お置 ' \ケ 取. NO2. \ ナ 恥. 無#. NO2 ノ. 。野 お゜ \ ケ恥6露ノ贈#ぎOダ 。08ノ ノ 肛卜 三恥NOO介﹂ 。O= 田口卜. 騨#. b。8. 漁撮. 誉劃瞭゜. 0 岳。 岳油 ノb。2卜. 碁劃瞭゜. 一㊤④㊤ 捻〇一b。 ノb。 岳油. 一¢⑩㊤ 岳 ' 。O蒔 甘罰 卜 蔭劃瞭。. δ⑩㊤ 岳 ノ 罰傳劃 瞭゜. 一㊤④㊤ 岳 油 誉劃瞭゜. や 海 岸 付 近 の家 々 は被 害 を 受 け て い る。 しか し、 諏 訪 神 社 ま で は津 波 は来 な か った た め に供 養 塔 も 残 って いる。. 二〇 〇 五︺。. こ の供 養 塔 の由 来 に つい て、 現 地 の方 に聞 き 取 り を 行 った が 、 小 島 孝 夫 氏 の報 告 に詳 し いの で、 ま ず 小 島 氏 の文 章 を 引 用 し てお く ︹ 小島. 昭 和 一三年 (一九 二八 ) 七 月 に大 しけ が あ った 。 そ の翌 日、 あ る漁 師 が ワ カ メ採 取 に出 かけ た と こ ろ ア カウ ミ. ガ メ の漂 流 死 体 を 発 見 した 。 浜 ま で運 ん で神 社 の鳥 居 の下 の参 道 脇 に埋 葬 し、 当 時 の漁 業 組 合 を あ げ て墓 塔 を 建. 立 し た 。 と こ ろが 十 余 年 後 に漁 のよ く な い年 が あ り 同 地 の ユウ キ チ 稲 荷 と いう 拝 み屋 に お伺 いを た て に い った と. こ ろ、 アカ ガ メ 様 の信 心 が 足 り な いか ら だ と いう 御 告 げ が あ った 。 そ れ で、 こ の石 塔 全 体 に ベ ンガ ラ の よう な も. のを 塗 り アカ ガ メ 大 神 と し て祀 り 直 した 。 これ が 昭 和 二七 年 (一九 五 二) であ る。 (筆 者 が 文 章 を 改 変 ). 154.

(29) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. こ の供 養 塔 に は昭 和 = 二年 と 二七 年 の銘 が 彫 ら れ て い る。 小 島 氏 の聞 き 取 り で は、 昭 和 一三年 に埋 葬 し、 二七 年. に祀 り 直 し た と あ る。 筆 者 の聞 き 取 り で は、 昭 和 一三年 の こ と は聞 く こ とが でき な か ったが 、 二七 年 に埋 葬 し た と. いう 。 聞 き 取 り を し た 松 本 茂 氏 は、 戦 後 、 漁 協 の役 員 を し て いた 。 松 本 氏 は次 の よう に語 る。. 漁 協 に ﹁死 ん だ カ メ ど う す ん だ ﹂ と いう 相 談 が あ った 。 ﹁前 と 同 じ よ う に し て お け ﹂、 と言 った。 近 く に埋 め て. お け と言 った 。 何 か あ る と組 合 に 聞 く 。 カ メ は 神 だ か ら神 社 のと こ ろ に埋 め た 。 カ メ は 埋 め た ら う め っぱ な し 。 何 も 供 養 は し てな い。. 蟻野. 、蕊 、 臨. '. のは 、 漁 協 に 勤 め て いた 二七 年 の ころ であ ろ う と いう 。 筆 者 の聞. き 取 り と 小 島 氏 の報 告 を 合 わ せ ると 、 二七 年 に死 ん だ カ メを 一三. 年 と 同 じ 場 所 に 埋 葬 し て、 祀 り 直 し た と いう こと であ ろ う か 。. こ こ で注 目 さ れ る のは 拝 み 屋 の存 在 であ る。 ウ ミガ メ が 祭 祀 さ. れ る き っか け と し て、 宗 教 者 が 関 与 し て い る こと は しば しぼ みら. れ る 。 松 本 氏 に よ る と、 ﹁ユウ キ チ 稲 荷 ﹂ で は な く 、 ﹁要 吉 稲 荷 ﹂. で あ る と いう 。 正 確 に は 、 長 田 (お さ だ ) 稲 荷 と い い、 吉 田要 吉. と いう お じ いさ ん が や って いた た め に要 吉 稲 荷 と も い った とう こ. と であ る 。 松 本 氏 の家 の前 の高 台 にあ った が 、 今 は合 併 し て諏 訪. 神 社 境 内 に 移 って いる 。 漁 が 不 漁 のと き に拝 ん でも ら う 拝 み屋 で あ った 。. 155. 松 本 氏 は 埋 葬 し た 年 代 ま で は覚 え てお ら れ な か った が 、 一三年 は中 学 生 の こ ろな の で、 カ メ の こ とを 相 談 さ れ た. 鑑. 相 馬市 烏崎 ・津 神社 「 亀 明神 」(右 側)、 「鯨 大 明 神 」(中央)の 石 碑 (2011年 以 前 の撮 影 、 南 相 馬 市 博 物 館提 供) ▲ 写真22南.

(30) ︻. 難 .. 、 影. 難. カメ の碑 ( 正面) 亀大神 漁業組合 小漁船組合. 昭和十三年 七月廿九日建設 昭和二十七年 八月吉日. 南 相 馬 市 烏 崎 の ﹁亀 明 神 ﹂. cm. 二〇 一 一︺。. 筆 者 が 訪 れ た 平 成 二 四年 (二〇 一二 ) 一 一月 段 階 で は、 集 落 全 体 が 更 地 に な って いた 。 ﹁亀 明神 ﹂ が 流 失 し た こ と は 、 早 い段 階 で佐 々木 氏 が 報 告 し て い る ︹ 佐 々木. 鳥 崎 の ﹁亀 明 神 ﹂ に つ い て は、 筆 者 自 身 は 震 災 後 に初 め て 訪 れ た た め にま った く 聞 き 取 り を 行 う こ と は でき な. か った 。 川 島 氏 の報 告 によ る と 、 ヒ ラ メ の 刺 し 網 に か か って死 んだ ウ ミガ メ を 祀 った も の であ る と いう ︹ 川島 二〇 〇 四︺。. 156. 五 ○ 〇 cmcm九. 南 相 馬 市 烏 崎 の津 神 社 境 内 に は ﹁亀 明 神 ﹂ と刻 ま れ た 石碑 が 立 って いた 。. b. 奥 幅 高 行 さ き. 撮 影) 神 社 跡 地(2012年11月 ▲ 写 真23津. 東 日本 大 震 災 に よ る津 波 で、 烏 崎 地 区 は 壊 滅 的 な 被 害 を受 け てお り 、 津 神 社 と も ど も ﹁亀 明 神 ﹂ も 流 失 し て いる 。.   霧 響譲. 猛 麟 襲講 響.

(31) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. 2. 宮城県. a 七 ヶ浜 町 の ﹁亀 霊 神 社 ﹂. 文 化 七 年 (一八 一〇 ) 夏 、 七 ヶ浜 沖 にウ ミガ メ が 現 れ て、 漁 民 た ち が カ メ に酒 を 飲 ま せ て放 し た こ と は 四章 で触. れ た 。 そ の後 、 彼 ら はカ メ を ﹁亀 霊 神 社 ﹂ と し て祀 る こと にな る。 こ の事 例 は、 江 戸 時 代 の紀 行 文 、 古 文 書 に記 載. 二〇 = 二a︺。 ウ ミ ガ メ の祠 は 震 災 後 も 残 って いる よ う で あ る 。. さ れ て お り 、 ま た 、 現 地 に伝 承 と と も に カ メ の祠 な ど も 残 さ れ て い ると いう 、 極 め て 貴 重 な も の であ った た め に 、 別 に論 じ た ︹ 藤井. ウ ミガ メ を 祀 るよ う にな った 背 景 に つい て、 ﹁亀 霊 神 社 不 死 貝 由 来 ﹂ の該 当 部 分 を 引 用 し てお く 。. 浪 打 岸 二引 寄 又 以 如 已 前 之 漁 師 酒 を 五 合 斗 為 呑 候 上 、 右 亀 ヲ能 々 見 分. 仕 候 処 、 亀 之 せ な か に 貝 と お ほ し き も の吸 付 居 候 所 、 如 何 致 候 哉 、 亀 之. せ な か に 右 之 貝 を、 は ま 須 賀 江 落 置 申 候 ヲ 、 取 上 ヶ み か き 見 て 候 得 は 、. 何 や ら 珍 敷 貝 二御 座 候 、 大 切 二仕 置 申 所 、 同 年 七 月 十 五 日 朝 飯 後 、 常 陸. 国 加 波 山 之 洞 二住 居 致 候 者 之 由 二而、 拙 者 方 江 参 り 右 貝 ヲ 被 見 度 よ し 被. 頼 候 間 、 見 申 候 処 、 右 之 者 同 上 二は 、 是 者 正 敷 ふ け す の 貝 二相 違 無 御 座. 候 由 被 申 候 、 尤 右 之 者 被 相 咄 候 者 、 右 亀 ヲ神 与 正 宗 候 得 ハ、 浜 方 漁 師 繁. 昌 且 ハ其 身 家 内 茂 繁 昌 可 仕 候 、 何 て 亀 明 神 共 奉 祭 可 然 与 被 為 申 聞 候 間 、. 何 茂 寄 合 吟 味 之 上 、 亀 霊 之 神 社 ト 正 宗 置 申 所 、 新 宮 相 建 候 儀 二付 候 而 者 、. 向 々 様 江 茂 願 等 申 上 候 神 二も 祭 り 可 申 儀 二御 座 候 所 、 自 分 二新 宮 ヲ 相 建. 候 儀 者 不 折 入 儀 二御 座 候 問 、 此 段 者 よ ろ し く 被 仰 上 候 様 二被 成 下 度 奉 存. 157.

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(33) 東 北地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの 民俗. b. 石 巻 市 網 地 島 の ﹁霊 亀 塔 ﹂. 網 地 島 の長 渡 浜 に、 享 保 = 年 (一七 二六 ) に建 てら れ た ﹁霊 亀 塔 ﹂ と、 享 保 一四年 (一七 二九 ) に建 てら れ た. ﹁宝 亀 塔 ﹂ が あ る。 ウ ミガ メ の供 養 塔 ・祠 の な か で 、 筆 者 が これ ま で確 認 し た 建 立 年 代 の は っき り し て い るも の と. 一九 九 〇 、 牡 鹿 町 誌 編 さ ん委 員 会. 二 〇 〇 二︺、 他 のウ ミガ メ の民 俗 と 比 較 し て考 察 さ れ た こと は ほ と ん ど な. し ては 全 国 で最 古 のも の であ り 、 貴 重 な 事 例 であ る。 と こ ろが 、 これ ま で は地 元 で紹 介 され て いる程 度 であ り ︹ 阿 部. 阿部氏市郎右衛 門 建之. か った 。 これ に つい て は、 震 災 後 に確 認 でき て いな い。 ま ず 、 ﹁霊 亀 塔 ﹂、 ﹁宝 亀 塔 ﹂ の内 容 か ら み てお く 。. 高さ 幅 ( 最大) 奥行き ( 最大). ・﹁ 宝亀塔﹂ ( 正面). 159. ・﹁ 霊亀塔﹂. ぷ. ∵ \\. 月 撮 影). (正 面 ) 霊 亀 塔. 野. \. \ \/ ヘレノ. 六 四 二 四 三 五 cmcmcm. 享 保 十 一丙 午 年 六 月 廿 七 日 根 組 □氏. 祷!﹀. 難塗 メ. 「霊 亀 塔 」(2005年8. ▲ 写真26.

(34) 石碑小松屋六左衛門 □施. 経 日佛繹従縁起鳴呼言也予寓池濱安楽寺旧従 日根組浦安部勘右兵衛門寄書 々中謂市郎右衛門舩帰拾大亀夫欲成膏. 由而 □市也承聞亀歴 万劫不忍疵之来 而引接往 而視之大数 尺不覚打野偶 日吾野遣教報波巨 万歳乎秋息 一瞬生 死海中. 得超出神 霊永 福資黎民収衣祝之及書霊亀塔三淳而立石弦歳丁亡母通屋貞玄尼大姉 三十 三回忌之辰讃経飴暇欲拾小. 石書妙経 一部也勘衛門 一志拾恵書爲既成志於弦需石於石港使人彫刻也今春 三月遠凌海波運載或 日前桂林山讃諦書. 出 □没. 窮其功不少今也海涯人 不倒慮縦立塔誰人燭勝縁不如喜事養老予 日前立塔見聞惟彰這 回放海涯伸供養河沙有情況. 魂滞碗不覚鰯縁終跳出苦海宣少事乎況経中盲亀有遭浮木諭何為容易也因 而立塔伸供養添於大千 云 敬白. 書 寓演 説. 厭功 無遍. 受 持讃 調. 日妙 法蓮. 隣 霊亀塔. 沙精進力. 或密或 圓 応松 □物. 根組之 前. □不転傳. 彼. □□□吻. 回□日漸 激起遇治. 華山 之神 國家安全. 享 保有年 民賜和楽. 歳次 巳酉. 像求紹善. 聞外 □子 結 一乗縁. 而書. 奥行 き. 一四七 ㎝. 五㎝. 幅 ( 最大) 六六 ㎝. 高さ. 侍者南林宣長. 享 保十 四巳酉年 三月廿 七日前桂 山人刹 川楚 列 一枝軒 楽 々子七十 一. 封 □建 □ 所希. 書 爲 □□. □仰大仙. 子 任 三車率. 火宅諸. 撮 影) 年8月. 160. 多出 述津. 「霊 亀 塔 」(右) と 「宝 亀 塔 」(左)(2005. ▲ 写真27.

(35) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. ﹁宝 亀 塔 ﹂ の碑 文 か ら、 次 のよ う な 経 緯 が 読 み 取 れ る 。 安 楽 寺 に滞 在 し て いた 刹 川 楚 列 一枝 軒 楽 々 子 のも と に根. 組 浜 の安 部 勘 右 衛 門 が 訪 れ 、 長 渡 浜 の安 部 市 郎 右 衛 門 の船 で大 き な カ メを 拾 って帰 り 、 こ の カ メ から 脂 を 取 って 町. に売 ろ う と し て い ると 話 した 。 刹 川 楚 列 が 根 組 に出 か け て カメ を 見 せ ても ら う と、 数 尺 (一七 〇 ㎝程 度 ) あ る大 き. な カ メ であ った。 カ メ は ﹁万歳 ﹂ 生 き る と いう た め 、 秋 息 し て ﹁こ の立 派 な カ メ は 生 死 を 海 中 に得 て神 霊 を 授 か. り 、 民 に福 を も た ら し てく れ るだ ろ う ﹂ と 話 し た 。 市 郎 右 衛 門 は 、 カ メ は海 に放 し て 供 養 し 、 ﹁霊 亀 塔 ﹂ と 刻 んだ. 石 碑 を 建 立 し た 。 享 保 三 年 は勘 右 衛 門 の母 の 三 三 回忌 に当 た る年 であ った の で、 読 経 し、 一字 一石 の 写経 の ため. 小 石 を 拾 って妙 経 の 一部 を 書 いた 。 写 経 が す ん だ た め に 、 経 塚 を 建 てる こ と に な った 。 こ の 碑 文 は刹 川 楚 列 が 書. き 、 石 巻 か ら 船 で運 ん だ 。 ﹁霊 亀 塔 ﹂ のそ ぼ に 、 一字 一石 の経 文 を お さ め た. 言 に よ ってカ メ を 放 し て供 養 を 行 った こ と、 など が分 か る 。 ﹁霊 亀 塔 ﹂ 建 立. の理 由 と し て、 ﹃石巻 地 方 研 究 ﹄ や ﹃牡 鹿 町 誌 ﹄ には 、 こ の直 前 に長 渡 浜 で. 起 こ った遭 難 や 大 火 を 挙げ て い る。 享 保 七 年 (一七 二 二) に は 四 〇 人 が 遭. 保 一〇 年 一二月 一〇 日、 長 渡 浜 を 大 火 が 襲 い、 一〇 二 戸 が 焼 失 し た 。 ﹁宝 亀. 塔 ﹂ の碑 文 か ら 、 市 郎 右 衛 門 が カ メ を 拾 った の は享 保 一〇 年 一二 月 か ら 享. 161. 経 塚 を 作 り、 そ の由 来 を 記 し た ﹁宝 亀 塔 ﹂ を 建 てた 。 な お 、 刹 川 楚 列 は 、. 勘 右 衛 門 の 行 為 を 、 盲 亀 が 浮 木 に出 会 う ほ ど あ りが た い こ と で あ る と 記 し. 難 し 、 享 保 一〇 年 (一七 二 五 ) に も遭 難 し そ う に な って い る 。 さ ら に、 享. て いる 。. 保 二 年 五 月 ご ろ であ った と 考 え ら れ る 。 長 渡 浜 が 疲 弊 し て いた と き に大. こ こ か ら は 、 ウ ミ ガ メ か ら 脂 を 取 って 売 ろ う と し て いた こ と 、 僧 侶 の助. 地 島 の 長 渡 浜(2005年8月. 撮 影) ▲ 写 真28網.

(36) 一九 九 〇 、 牡 鹿 町 誌 編 さ ん委 員 会. 二〇 〇 二︺。 さ ら に 、 ﹁亀 の霊 を 弔う 石 碑 を 建 て る と. き な カ メ を 拾 った た め に、 肝 入 であ った 市 郎 右 衛 門 はカ メ の脂 を 売 って人 々 の暮 ら しを 助 け よう と し た の であ ろう と指摘され ている ︹ 阿部. 一九 九 〇 ︺。. いう 慰 霊 行 為 を 通 し て、 長 渡 浜 に続 発 し て い る災 禍 を 防 除 し、 今 後 の福 徳 と復 興 を 期 待 し た﹂ と いう 指 摘 は重 要 で ある ︹ 阿部. 筆 者 は 平 成 一七 年 (二〇 〇 五) 八 月 に現 地 調 査 を 行 った 。 長 渡 浜 の阿 部 昭 一氏 ( 昭 和 一三年 生 ま れ) は次 の よう に語 る。. ウ ミガ メ の供 養 塔 の こと は、 石 碑 が 二 つ並 ん で い る の で ツ ル カ メ と呼 ん で い る。 詳 し いこ と は知 ら な い。 か つ. て は、 参 る と こ ろ に砂 利 を 運 ん でき れ い に し て い た。 自 分 は 一回参 った。. 喪 中 の人 は 月 遅 れ で 二月 に 正 月 を す るが 、 そ のと き の注 連 縄 は ツ ル カ. メ か、 ア ンバ サ マに納 め る。 ア ン バ サ マは 漁 神 さ ま 。 ツ ル カ メ は 漁 神 さ. れ て いな か った 。 ﹁ 亀 ﹂ と いう 文 字 は は っき り と 分 か るた め 、 カ メ を 祀 って. ま で はな い。 正 月 のも のを 納 め る の は み んな 漁 神 さま 。. と し て伝 承 さ れ てき た わ け では な さ そ う であ る 。. つ石 塔 が 並 ん で い る た め に ﹁鶴 亀 ﹂ と 呼 ん でき た と いう 。 ウ ミガ メ の祭 祀. いる も の と いう 意 識 は あ った よ う で あ る 。 こ の場 合 ツル は 関 係 な いが 、 二. い ても 、 漢 文 で あ る こ と も あ って、 何 が 書 か れ て いる のか は地 元 では 知 ら. い伝 え は 聞 い て いな いと いう 。 石 塔 に 文 字 が 刻 ま れ て い る こ と は 知 ら れ て. 阿 部 氏 は ﹁霊 亀 塔 ﹂、 ﹁宝 亀 塔 ﹂ 近 く に 住 ん で いる 方 であ る が 、 詳 し い言. 三 陸 町 長 清 水(2012年3月. 撮 影) ▲ 写 真29南. 醜.

(37) 東北 地 方太平 洋 沿岸 の ウ ミガメの民 俗. 南 三 陸 町 の事 例. 旧 志 津 川 町 で は ﹃志 津 川 町 誌 ﹄ に 戸 倉 長 清 水 の ﹁ 大 漁亀﹂ の石碑が紹介. 二 〇 〇 四 ︺。 戸. 一九 八 九 、一九 九 一︺。 そ の 後 、 川 島 氏. さ れ て い る。 年 代 は 不 明 で あ り 、 由 来 も 記 さ れ て いな い の で詳 し い こと は 不 明 であ る ︹志 津 川 町 誌 編 さ ん 室. も 調 査 を し 、 これ と は 別 の 二 つの例 を 確 認 し て いる ︹川島. 倉 長 清 水 で は ﹁大 漁 亀 神 社 ﹂ と いう も のを 報 告 し て い るが 、 書 か れ て い る. 文 字 や 高 さ な ど か ら 、 町 誌 掲 載 の ﹁大 漁 亀 ﹂ と は別 物 で あ ろ う と 思 わ れ る 。. 二〇 〇 五 ︺。. 二 〇 〇 四、二 〇 〇 五︺。 川 島 氏 の ﹃カ ツ オ漁 ﹄ に は、 ﹁丸 亀 神 社 ﹂. 川 島 氏 は 戸 倉 滝 浜 の ﹁丸 亀 神 社 ﹂ に つ い ては 、 建 立 の経 緯 を 聞 き 取 って い る ︹ 川島. の写 真 も 掲 載 さ れ て いる ︹ 川島. 明 治 三 八 年 (一九 〇 五 )、 カ メ が 網 に か か って いた の で助 け た 。 船 の乗 組. 員 一三 人 で カ メ に酒 一升 を 飲 ま せ て ﹁龍 宮 さ ん へ送 れ ﹂. と い って放 し た 。 カ メ は 陸 へ這 い上 が り、 カ ラ スが 飛 ぶ. よ う に 暴 れ 苦 し ん で死 ん だ た め に 、 漁 業 協 同 組 合 で供 養. 碑 を 建 て、 法 印 を頼 ん で供 養 し て も ら った。 (筆 者 要 約 ). 筆 者 は 大 震 災 後 の平 成 二 四年 (二〇 一二) 三 月 に現 地. を 二 日 にわ た って 訪 れ た が 、 いず れ の石 塔 も 確 認 でき な. か った 。 戸 倉 地 区 は 多 く の人 家 が 流 さ れ る な ど 、 津 波 の. 被 害 を 受 け て お り 、 漁 業 再 開 に む け て活 動 さ れ て い る最. 163.

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