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従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方

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(1)Title. 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. Author(s). 木村, 貴紀; 若原, 真由子. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 68(2): 455-465. Issue Date. 2018-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9637. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第68巻 第2号 Journal of Hokkaido University of Education(Education)Vol. 68. No.2. 平 成 30 年 2 月 February, 2018. 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方 木村 貴紀・若原真由子* 北海道教育大学旭川校 芸術・保健体育専攻 音楽分野 *. 北海道教育大学旭川校 木村研究室. For the concert in the music outreach relied on conventional concert KIMURA Takanori and WAKAHARA Mayuko* Department of Music, Asahikawa Campus, Hokkaido University of Education *. Kimura laboratory, Department of Music, Asahikawa Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 アウトリーチとは,もともと社会福祉の分野で発祥した用語であり,「手を差し伸べる」と いう意味をもっている。それが芸術の方面にも伝播し,音楽に於いては「音楽アウトリーチ」 として,社会福祉での活動に準じまた派生した取り組みとして定着し,現在では一定程度の認 知度が得られている。しかしその一方で,その取り組みが何を目的とするかによって様々なア プローチが生起し,どこに力点を置くかが大きく異なっているのが現状である。音楽アウトリー チの先行研究が,よくいえば多義的,悪くいえば雑多な視座に溢れているのも,その表れとも 目される。そもそものアウトリーチという取り組みでの「施設側からのクライアントの発見」 が,音楽では音楽の普及なのか,音楽的民度の底上げなのか,音楽のジャンルを問わずにとに かく親しませるための契機作りなのかという多様性を帯びつつ,しかし各々が「音楽アウトリー チ」であるとの主張を曲げることがない。そのような中,音楽アウトリーチでも演奏会を主体 とする取り組みを,従来の演奏会のあり方に鑑みて見直してみたいと思う。. はじめに. はそう時間がかかることではなかった。演奏会は その歴史に則ってやはり館内で行われており,館. 音楽ことにクラシック音楽は,音響効果の整備. 外の催しは館内に比べると細々ではあるが続いて. されたコンサートホールに聴き手が参集し,そこ. いたが,それが1990年代から「音楽アウトリーチ」. である慣習的なルールのもと,演奏を傾聴すると. という名を纏って活況を帯びるようになる。やは. いうスタイルが定着している。つまりホールとい. り館外であれば館内とは異なった取り組みに比重. う館内での演奏会というわけだが,これを館外ひ. が置かれるようになり,それにつれてルールが自. いては屋外に会場を移して行う試みが生起するの. ずとできあがるようになったのは自然の趨勢とい. 455.

(3) 木村 貴紀・若原真由子. えるだろう。. の活動には実践があり,またそれをもとにした先. そのためか音楽アウトリーチについての先行研. 行研究も見られることから,アウトリーチという. 究は,その独自のルールという方向からの視座に. 活動が音楽の領域に於いてでも既に取り入れられ. よるものが数多く占めていることで, 「音楽アウ. ていることのみならず,活況を呈した状況にある. トリーチとしての演奏会」に特化したアプローチ. ことが認められる。. による研究は驚くほど少ない。それは,音楽アウ. 音楽アウトリーチを行う場合,演奏会場となる. トリーチでの演奏会とは,演奏会を趣旨とするも. 場所を音響的な条件をもとにして選ぶことは自ず. のではないのかと見紛うほどであるが,ならば音. と限度がある。音楽アウトリーチが行われるのは,. 楽アウトリーチという,この時代に即した取り組. 一般にいう演奏会がとっている,音響の考えられ. みとでもいうべき多様性を包含した活動を,次代. たホールにグランドピアノが設置されているとい. の演奏会とは何かという点から考える必要がある. う形態が考えにくい会場である。それは先にも触. ものと思えてならない。換言すれば,連綿と継承. れたとおり,演奏会場としての体裁が必ずしも. されてきている演奏会に鑑み,更にはそこから派. 整っていない,日常の至る場所が充てられて,に. 生的に伝播している各種の演奏会に範を求め,そ. わか演奏会場が設えられる。確かにこのことは,. の上で再構築しようとする試みということである。. 演奏会場という演奏環境が演奏という営為に大き. そもそも,長年の歳月をかけて継承されてきた. く影響することに鑑みた時,決して過小視できな. 演奏会とは,そして,その演奏会の体裁を保ちつ. い問題であることに間違いない。しかしその場所. つ行うことのできる音楽アウトリーチの姿とはど. がいかに劣悪な演奏環境にあったとしても,音楽. のようなものなのかを追いたいと思う。. アウトリーチでの趣旨が「需要の発掘」である以 上,いかなる演奏環境下に於いてであってもその. 1.音楽アウトリーチの意義と現況. 取り組みを遂行することが当然優先される。つま り,演奏環境を犠牲にしていることで,演奏の内. アウトリーチとはもともと社会福祉の分野での. 容が聴き手に十全に伝わらないことを犠牲にして. 用語で, 「手を差し伸べる」という意味がある。. いることを前提として取り組むことも求められる. そこでは,困難をかかえながらも自分からは進ん. ということである。だがそのことは,本来演奏会. で相談をしようとしなかったり,またこれも自ら. を催さないような場所で行う時のよい演奏会とは. 支援を求めようとしない人たちのことを,施設の. 何かとか,また音楽環境が十分とはいえない状況. 側が発見することを目的とする手法を指すもので. での演奏会の開催についてなどという,音楽アウ. ある。それが転じて音楽でのクライアントは,聴. トリーチならではの取り組みを改めて考えさせら. きたいという願望や欲求がないわけではないが,. れる契機になり得ることでもあり,それは同時に,. 自ら音楽を聴きに出かけるなどというアクション. 一般の演奏会との差別化も含めての音楽アウト. を積極的に起こさないのが特徴である。そのよう. リーチの意義といえるところでもある。. ないわば潜在的な聴衆がどこにいるのか,その「需. この音楽アウトリーチは,様々な切り口からの. 要の発掘」を目的とした活動として「音楽アウト. アプローチが考えられている。そのひとつとして. リーチ」という言葉が使われているということで. 乗松の見解は,音楽アウトリーチを「芸術普及活. ある。つまり音楽に於いてのアウトリーチという. 動」や「教育普及活動」の一形態としてとらえる. 活動は,日常的に文化や芸術に触れる機会に恵ま. 1 ということである。 具体的には,ここでの「芸. れない地域の住民を対象とし,演奏者自らがその. 術普及活動」とは,地方や病院などで出張演奏を. ような聴き手のもとに出向いていってそこで演奏. 行うという,文字通り芸術を周知する活動を指し,. を提供することを目的とした文化活動を指す。こ. 一方の「教育普及活動」は,「芸術普及活動」の. 456.

(4) 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. 中でも学校現場などでのレクチャー・コンサート. 伴って不都合が起きることも同時に懸念されると. や,実技指導などという,やはりこれも文字通り. ころでもある。. 教育的要素を取り入れたものといえる。そして繰. 吉本は, 「地域の施設や団体,機関などと連携・. り返しになるが,それらは往々にして演奏会場と. 協働して行われる点で,対象は,連携先によって. しての体をなしていない場所に於いて取り組まれ. ある程度絞り込まれる。現在,最も活発なのが,. ることになる。. 学校や福祉施設などとタイアップして行われるも. 一方吉本は, 「呼び込み型アウトリーチ」「お届. 4 と指摘するが,このことは逆にいえば, のである」. け型アウトリーチ」 「バリアフリー型アウトリー. 学校や福祉施設の利用者でなければ,自ずと音楽. チ」という3つのタイプに分けられるという見方. アウトリーチの対象ではなくなる。それはまた「呼. 2. 「呼び込み型アウトリーチ」は, を示している。 . びこみ型アウトリーチ」の場合に於いても同様で,. 文化施設などの側からの何らかの働きかけによっ. 音楽ホールとしての設備を備えていなくとも, 「呼. て,会場に足を運んでもらった上で市民の関心の. び込み型アウトリーチ」を行えるだけの設備をも. 喚起を目的とした活動である。そして「お届け型. たない僻地の住民も必然的に対象から外れること. アウトリーチ」は,現在,音楽でのアウトリーチ. になる。特に後者では,「音楽アウトリーチ」が. といえばほとんどが該当する「文化施設の側から. 音楽の普及を目的としているはずなのに,行われ. 外に出掛けて行く」活動を指し, 「バリアフリー. る場所が限定されている,つまり音楽アウトリー. 型アウトリーチ」は「文化施設やアートに対して. チを行うのに困難を伴う地域もあることを露呈し. さまざまなバリアをもつ市民を対象にしたもの」. てしまっているともいえる。このことから,音楽. であり,高齢者や障害者などの,芸術に触れたく. の聴取に必ずしも適した場所でなくても,そこで. ても触れることができなかったり,足を運ぶこと. のアクセスなどの環境面からの検討なども必要で. のできない人を対象とするものである。. あることがわかる。. 更に小井塚は,「派遣型のコンサート」「音楽体. このように,演奏に適合的な設備が不備な僻地. 験・創作型ワークショップ」「レクチャー・コン. では演奏会が行えないのであれば,音楽アウト. サート」 「実技指導・クリニック」「教養型セミ. リーチは自ずと限られた活動になってしまい,ひ. ナー・講座」 「施設体験型事業」という6方向の. いてはそこに潜んでいるかもしれない聴衆の「需. 3. 視点から音楽アウトリーチをとらえている。 こ. 要の発掘」にまで至ることは考えにくい。よって,. こでの分類は,内容的には先の二例と同じものを. そのような限定されてしまう条件も込みで行うの. 指しながら,カテゴライズの違いが表されている. が僻地に於ける音楽アウトリーチの実践であり,. といえる。. 同時に課題でもあると考えられる。 また,僻地ではどうしても演奏会そのものに触. 2.音楽アウトリーチに於ける問題点. れる機会が少ないために引き起こされる事例もあ る。それは,その取り組みの継続性という問題点. 音楽アウトリーチといえば,主に先の「お届け. である。. 型アウトリーチ」を指しているといえるほど, 「お. 興行的にも地域振興的にも充実した公演を行う. 届け型アウトリーチ」は音楽アウトリーチの代名. ことは,もちろん大命題として目指されて然るべ. 詞と化している。そしてこれは先述もしたように. きだろう。しかしそれが成功裡に終わったとして. 実践も研究もが相当数存在することから,一見,. も,そのあとには後継的な取り組みが続かなかっ. 様々な場所で活発に行われているように見える。. たり,更にはそれが地域振興の真の契機にならな. しかしその一方で, 「お届け型アウトリーチ」が. いという,単発的ないしは一過性の企画で終わっ. まさに「お届け型」であるがゆえに,その実施に. てしまいかねないという問題が残されることがあ. 457.

(5) 木村 貴紀・若原真由子. る。興行的な派手さがあったり,知名度の高い出. 理解をより深められるとの認識を得ている所以で. 演者がいたり,動員数的に高い数値が出たりする. もある。. と,あたかも盛会であったかのように認識されか. しかし,このような取り組みをしたからといっ. ねない。しかし実質的には,そこに足跡は残した. て,音楽を聴く力が養われるというわけでは当然. ものの,それがそののちに何かを育むだけの継続. ない。これは,子どもたちが音楽に親しむ契機に. 的な取り組みではなかっただけに,終わってみれ. は十分なり得るものの,このワークショップその. ばのちの振興へとつなぐことのできる契機にはな. ものが目標ではなく,ワークショップも含めた取. らなかったというケースが往々にしてある。忘れ. り組みの先にある音楽の鑑賞にどう辿り着けるか. かけた頃に催されて思い出させられる程度の頻度. という狙いを果たすことが趣旨であることに何ら. であっては,それが浸透し定着するとは考えにく. 変わりはない。よって,子どもたちが受け身とし. い。そのようなケースを生じさせないためには,. ての聴き手にとどまらずに,子どもたち自らが積. 例えば何回かの連続的な公演によって初めて完結. 極的に音楽に関わろうとする,いわば「参加型の. する包括的な企画であるとか,あるいはシリーズ. 演奏会作り」とすることができるようなタイアッ. ものとして,1回1回での公演を単独で楽しむこ. プのあり方やその程度が慎重に考えられなければ. ともできる一方で,何回分かをとおしての共通の. ならないのではないだろうか。この点がブレてし. テーマを併せ持っていることで,トータル的にも. まうと,子どもが「音楽に行き着くまでが楽しい」. 楽しめるなどという,頻度を伴う取り組みなどの. と受け止めてしまうことで,「音楽を楽しいと思. 工夫が必要なのではないだろうか。. う」という本来の狙いから外れてしまいかねない。. いずれにしても,音楽的な浸透・普及には時間. そのタイアップについては,第3章の3で改めて. がかかることであることは間違いなく,長期的な. 述べたいと思う。. 視座が求められるものと考えられる。. このように,演奏者と対象者の対等の関係性や,. また,音楽アウトリーチとしての取り組みが一. その双方向のコミュニケーションなどという前出. 般の演奏会の体裁にとらわれない,一般の演奏会. の乗松の指摘 が,ある方向に傾斜したことによっ. とは一線を画す性格をもつからといって,企画性. て歪みを生じさせてしまう時,音楽によるアウト. に富んでいさえすればそれが音楽アウトリーチと. リーチが,実質を伴わない音楽を用いたいわば「形. して相応しいわけでは当然ない。だが,楽曲と正. 骸化された音楽」による取り組みと化してしまい. 面から向き合い,襟を正して傾聴するよりも,何. かねない。もちろん音楽は,空気の振動によるも. らかの形で楽曲に参加し,音楽を体感する取り組. のであるために物理的には実質をもたないもので. みが有効であることは前章で触れたとおりである. あるが,ここでいう実質的な音楽とは,音楽が完. が,そのような体験型の卑近な例としてワーク. 成形をなしておらず,CMで流れているような断. ショップが挙げられる。聴き手自らの体感や体験. 片だけを拾ってきて,あたかもそれを完結した音. を絡めることによって理解を深めるという手法. 楽とみなして音楽アウトリーチの機会として提供. は,確かな成果が認められてもいて,音楽アウト. するものを指す。音楽に親しませるための契機作. リーチが行われる際には恒常的ともいえるほどの. りは,音楽アウトリーチでクリアすべき1つの点. 頻度で取り入れられている。それは,理解する際. とはいえるかもしれないが,音楽アウトリーチが. の一助として,より身近にあるパフォーマンスと. この契機作りを主眼とした活動ではないことはい. 併行させるという方法が,特に子どもが対象であ. うまでもない。楽曲のいわゆる「さわり」の紹介. る場合に於いては効果的であるがゆえの援用的な. であれば,その材料はそれこそCM中に溢れてい. 手法でもあるのだが,それは音楽を聴覚からのみ. るし,インターネットを通じても容易に入手でき. ではなく五感によっているということが,音楽的. る程度のことである。つまり,音楽の一部位の単. 458. 5.

(6) 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. なる提示や紹介にとどまらず,本来の音楽の形を. しての取り組みに於ける主な対象が子どもである. 歪めないアプローチの仕方こそが,本論の標榜す. ことから,この方面での実施が活発であることに. る演奏を中心とした音楽アウトリーチにつながる. 明らかである。. ものと思われる。. 子どもに音楽,ことにクラシック音楽を親しま. ところがこのような指摘をすると,音楽アウト. せる取り組みは,教育現場を離れたところでもこ. リーチは音楽そのものの普及を目指しているわけ. れまでも様々に試みられてきている。例えば夏休. ではなく,飽くまでも最終的な目標は音楽の普及. みなどに頻繁に催されるいわゆる子ども向けの演. を地域の活性化につなげることだ,との論難が発. 奏会では,それは例えば子どもの成長に合わせた. 生することが見込まれる。確かに契機になるので. 選曲であったり,親子で楽しめるような企画で. あれば,目的に至るまでの道程は様々にあるはず. あったり,あるいは時期や時間の勘案などをはじ. だ。そしてそのような地域活性のために,そこで. めとする,多角的な視座からのアプローチが考え. の音楽とは,ひとつのツールとしてある役割を. られ実施されてきていることが認められる。これ. 担っているひとつの材料に過ぎないと言うことも. は,「階層文化としてある階層に閉じられたもの. できるだろう。だがそこでの取り組みでは,音楽. 6 とも目されるクラ になっていく可能性がある」. が提供されたとおりに道筋がつけられることにな. シック音楽であれば尚のこと,このようなアプ. る可能性が高まるのである。つまり,音楽の断片. ローチの必要性に迫られることになるだろう。限. のみを扱って行ったワークショップを契機とした. 定的な層のみに訴えるのではなく,幅広い層に向. ことで,その後1時間もかかる交響曲を日常的に. けて門戸を開こうとする試みが目指されることに. 抵抗なく聴くようになることがないとは決して言. は納得がいく。だからそれらは,対象を子どもと. えないものの,そのようなケースが頻繁に生起す. しているだけに「子どもにとってクラシック音楽. るとは考えにくい。よって,それゆえにここでは,. は聴きやすいものではない」ことを前提にしてい. 単なる案出の域を出た上での労作としてのアプ. るようにも受け止められる。そのためその類の演. ローチが求められるところであるし,たとえ音楽. 奏会の広告を眺めた時,その前提を解きほぐすこ. がこの場面でひとつのツールに過ぎなくはあって. とに腐心し,どうにか噛み砕いて聴かせようとす. も,この取り組みは二次的あるいは派生的に音楽. る取り組みが主流をなしているように見受けられ. の普及や振興に助力できる側面を備えてもいるこ. る。それは依然としてクラシック音楽の敷居は高. とから,その芽を摘まずに伸長することも併せて. いと感じている証左とも解することができるとこ. 勘案すべきであることはいうまでもない。. ろだが,ここでの聴き手とは,なにも子どもに限っ たことではない。年齢をどれだけ重ねていても,. 3.子ども向け演奏会. 相変わらずクラシック音楽に馴染めずにいるケー スは決して珍しくなく,子どもを含めた,幅広い. 3.1.子ども向け演奏会のあり方. 年代にまでわたっている。もちろんそれがすべて. 音楽アウトリーチが広義で理解されることが多. 幼少時での音楽体験だけに起因するものではない. いことは第1章で触れたとおりだが,その特徴の. にしろ,工夫の凝らされた子ども向けの演奏会が. 中のひとつとして対象が限定されているという形. 近年これだけ多く催されていることに鑑みた時,. 態を挙げることができる。その中でもとりわけ象. やはりその時期での音楽教育ないしは音楽体験の. 徴的な一例ともいえるのが子ども向け演奏会であ. 意義が自ずと浮き彫りになっているように思われ. り,これはさしずめ,乗松の「教育普及活動」 ,. るところである。. 小井塚の『派遣型のコンサート』などが該当する. また,演奏する側がこのような状況を踏まえた. と思われる。それはことに,「教育普及活動」と. 上で演奏を提供しているということは,聴き手を. 459.

(7) 木村 貴紀・若原真由子. 勘案した上で企画を立てるという点に於いて,確. 的・感情的な面もあるものの,それも含めてクラ. かな有用性が認められる。ただその際に,もし企. シック音楽普及の裾野を広げることに応えようと. 画性ばかりが前面に出されたとしたら,その時は. するというミッションの達成の姿勢が関わってく. 「演奏会は音楽が本意である」という,当然とも. ることになると考えられる。このように,演奏の. いえる本来の趣旨から外れてしまうことにもなり. 受け手と提供者との利害が一致していることから. かねない。斬新な企画の立案は必要だが,目先の. も,よく知られている楽曲が演奏されることの意. 演出などの効果に目を奪われるような取り組みで. 義は,一定程度認められるところである。. あっては,聴き手の勘案とはいえないだろう。. それではこの状況を踏まえて,このような手掛. それでは翻って,演奏会が催される際でのこの. かりを以て子どもたちに音楽を浸透させることが. ような状況を踏まえた上で,クラシック音楽をよ. できるものなのだろうか。. り身近なものとして感じさせるような演奏会のあ. 確かにポピュラー名曲であれば耳にすることも. り方とはどのようなものなのかという問題が提起. 多いと思われるし,既に馴染んでいるケースもあ. されるところでもある。. ることからも,ひとつの側面として実用性が高い とはいえる。また,その楽曲をどこかで聴き覚え. 3.2.子ども向け演奏会に於ける選曲の検討. があるという程度であったにしても,子どもが世. 実際にこれまでの子ども向け演奏会で行われて. 間一般でよく聴かれている曲から聴き始めるとい. いるいくつかの例を引いてみると,アイデアは. うことは,クラシック音楽に対する入門的な意味. 様々に考案できるだけでなく,またそのアイデア. からも納得がいくところでもある。しかしその反. 次第ではいかようにも展開できる可能性を秘めて. 面,子ども向けの演奏会でその「聴き手である子. いることがわかる。例えば,演奏会のコンセプト. どもが既に知っている楽曲を繰り返し聴きたいと. があるひとつのテーマによっていること,生誕年. 思っている」という点が尊重されこそすれ,だか. や初演日など年月に因んでいること,聴くことに. らといってその方面に傾斜し過ぎることについて. 負担のない1曲あたりの時間を限定した選曲,ま. は,改めて注意が払われる必要があるのではない. たいわゆる「ポピュラー名曲」といわれるような. だろうか。それは,子どもが「聴きたがっている」. 知名度のある楽曲や作曲家の作品を取り上げるな. という考えに特化することが,鑑賞での楽曲を提. ど,多岐にわたって考えられる。その中でここで. 供する授業者に「聴きたいと思うはずだ」あるい. は, 「知名度のある楽曲」を追う。. は「この曲を聴かせておけば間違いない」などへ. 聴き手は既によく知っている楽曲であっても,. と偏重的に変換した確信に変わってしまい,それ. 更に何度でも繰り返し聴きたい欲求をもっている. が更に「そのような曲でないと子どもには理解さ. という一面がある。「名曲集」などと銘打ったCD. れにくい」という認識に転じてしまうことによっ. などにしばしば取り上げられる曲で,更に自分に. て,結果,子どものニーズを曲解してしまう危険. とっても馴染みが深い曲であれば尚のこと,その. 性を孕んでいるからである。このような思考へと. ような曲はそれまでに何度も聴いていても,それ. 進むのは,数多ある楽曲を選ぶ時にそう理解する. でもことあるごとにまだ重ねて聴こうとする傾向. ことで,対象となる楽曲を絞り込むひとつの目安. があるというものである。それではこの状況を演. にできるという理由が考えられる。またそこには,. 奏者側からとらえた時,演奏する立場としては聴. 「名画だったら一度は本物を見ておくべき」とい. き手のニーズに応えようとすることによって, 「知. う心理に酷似した「最低限知っておくべき楽曲」. 名度のある楽曲」の演奏の頻度は必然的に高まる. などという意識もが働いているかもしれない。し. ことになる。そこには演奏者側が,聴き手から望. かしいずれにしても,それでは曲目は常に固定さ. まれていることに意気を感じるなどという個人. れてしまい,やがて年月が重なり,聴き手もニー. 460.

(8) 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. ズもが変化していっても,曲目だけは依然として. れていることの意識が必要と考えられる。例えば. 硬直したままという状況になりかねないことは,. 定番曲と併せて,子どもがまだ知らないと思われ. 容易に推測できる。. る同じテーマをもつ曲を抱き合わせたり,または. それと同時にその思考のもとでは,楽曲演奏を. 日常生活と結びついている題材との関連を以て選. 提供する側の意向が子どもの固定した聴き方につ. 曲する,あるいは子どもに身近なストーリー性を. ながってしまうという問題も存在する。ある楽曲. もっている楽曲を選曲するなど,様々な角度から. を鑑賞させるにあたって,楽曲演奏提供者の考え. のひとひねりした鑑賞の時間が様々に考案できる. が楽曲に反映させられることは当然ある。しかし. ものと思われる。. それが,先のような「この曲はこのように聴くも. 以上のように選曲ひとつをとっても,子どもの. のだ」という限定的な聴かせ方として働いてし. 音楽的体験の幅を狭めてしまうことにつなげてし. まっては,子どもが自由にイマジネーションを羽. まわない配慮が,そこに顕著に表れることがうか. ばたかせるのを殺いでしまう,鑑賞に於いての不. がえる。またその点のみにとどまらず,子どもに. 利益の大きなケースになりかねない。いわゆる「定. とっての新たな音楽的体験の開拓に寄与できる手. 番」という言葉で括りがちな楽曲を選曲した時が. 引きとできるような選曲の際に,どこに関心のポ. 良くも悪くもこのケースに該当しやすく,そのよ. イントがあるかわからないという子どもの特性や. うな楽曲にはその楽曲を使用することによる一定. 性向が勘案され,それが生かされた選曲が求めら. の安心感はあるものの,その安心が諸刃の剣とも. れるのではないだろうか。そして翻って,それが. なって先のような柔軟性を欠いた聴き方と化して. 演奏を提供する側自身の音楽的な理解や認識を硬. しまう可能性は否定できない。. 直させずに,フレキシブルに選曲する意識をも高. そしてこの「そのような曲でないと子どもには. められるものと考えられる。. 理解されにくい」という認識こそが,先の音楽ア ウトリーチに於けるワークショップの実施時の事. 3.3.タイアップのあり方. 例と酷似している,というか発想をひとつにして. 先に, 「抱き合わせ」や「日常生活との結びつき」. いる。. という点に触れたが,次に,演奏とどのような内. これは特に,僻地に於いて音楽に親しむ機会に. 容とをタイアップさせるのかを追う。. 恵まれない場合,ワークショップのような導入か. これは,純粋に演奏会のみであっては,まだそ. らでないと,ことそのような音楽環境にいる人た. れに不慣れな子どもたちにはハードルが高いと感. ちからは理解されにくいという発想によるもので. じさせてしまう可能性があることに起因してい. あり,それゆえに第2章での問題点でも触れた,. る。子どもには,仮に音楽に対する畏敬の念を持. 趣旨を見失うことになりかねないというケースで. たせられたとしても,それは実は音楽を敬して遠. ある。更には,音楽アウトリーチとは,ワーク. ざけさせているに過ぎないのかもしれず,また実. ショップから演奏へと進行する形態を指すもので. 質的にはそこに音楽を愛する心情が育まれていな. あるとの定型のもとで行われるケースも見られ. いのかもしれないことが危惧される。もちろん,. る。これは,第1章でのいくつかのカテゴライズ. 音楽を音楽としてのみ聴く,つまり楽曲そのもの. として示した,良く言えば多義性に富んでいる,. やその周辺の項目などの予備知識さえもなしで純. 悪く言えば整備されていない現状にある音楽アウ. 粋に傾聴させることが,将来的ないしは理想とし. トリーチという活動を,類型化した取り組みとし. ての音楽に対する接し方といえるだろう。しかし. て位置付けてしまう危険性を孕んでいるといえる。. 同時に,個々による不利益を生じさせないことを. 従って定番の楽曲の扱いには,そこに子どもの. 大前提として,演奏へと滑らかな導入を果たすこ. 新たな体験を開拓するような工夫が併せて求めら. とのできるような音楽に親しむ入り口が,聴き手. 461.

(9) 木村 貴紀・若原真由子. であるどの子どもにも等しく保障されなければな. と時間帯の設定は決して小さい問題ではない。こ. らないことは改めていうまでもない。これが集団. のことは直接的なタイアップとはいえないもの. 学習の場としての学校に於ける公演などであれば. の,演奏会を開催する条件内に含まれるという意. 尚のことである。従ってここでは,タイアップさ. 味からこの章で述べるものである。. せた項目から演奏の鑑賞へのスムーズな移行をま. 子ども向け演奏会は特に夏休みなどに組まれる. ずはできるようにするという,公演の導入あるい. ことが多いが,このことなどは例えば,夏休みは. は前段の設定の勘案は避けられない。. 自由課題の宿題が出される機会でもあることか. それでは,子ども向け演奏会に於けるタイアッ. ら,それも視野に入れて打たれているであろう企. プとはどのようなものが考えられるだろうか。以. 画であることは想像に難くない。また,それらは. 下に挙げるのはその例の一部である。楽器紹介,. 夏休み中の平日の昼間に催される演奏会であるこ. 楽器に触れるコーナー,演奏者にほど近い場所に. とが多く見られるが,これは子どもが活動する日. 客席を設けることでの至近距離での鑑賞,演奏者. 中という時間帯がそこに反映されることによって. が子どもからの質問に答えるコーナー,曲間に於. いることでもある。. けるMC体験,更には演奏会の前後の時間も利用. 演奏会に行くということが,そもそも日常生活. したバックステージツアーなど,様々な取り組み. とかけ離れている行動であることについては先に. が挙げられる。これらのタイアップについては,. 述べた。ならばその点を逆手にとって,演奏会を. 鑑賞に付随する域から逸脱しない範囲で行うとい. 「非日常」的な体験であるというコンセプトを前. う認識をブラさないことを大前提とする考慮が求. 提とするとして,例えば平常授業がある時期の「週. められる。. 末」に演奏会を設定することで,どのような状況. 子ども向け演奏会であれば,これらのような取. が生まれるだろうか。もし演奏会に行くことが日. り組みは子どもに, 「自分は演奏者との協働によっ. 常生活に根付いている家庭とその子どもであれ. て演奏会を作り上げる一員である」という役割や. ば,普段の生活の延長として何の抵抗もなく演奏. 意識をもたせることができると推測される。そし. 会にも行くことができるかもしれない。しかしそ. てその意識とは,その演奏会のみならず,音楽を. れでもやはりそこで味わえるある程度の「非日常」. より身近なものとして肌で感じさせられる契機と. 感はあると思われる。その一方で,特段音楽的環. もさせられるのではないだろうか。例えば楽曲の. 境にない家庭では,休みの日に改まって出かける. 学習の上で行わせることのできる「MC体験」を. ことになり,それこそ演奏会というイベントを「非. 例にとっても,そこでは漠然と楽曲を聴くことの. 日常」以外の何物でもないものとしてとらえるで. みでは得られない理解を深めさせられるという,. あろうことが考えられる。そこで,もしこれが学. 音楽そのものの理解のみならず,付加価値的にも. 校で授業のある平日の夜に演奏会を行うという条. 決して小さくはない体験が得られることからも,. 件に変えるとした時,前者は特に大きく変わりが. 音楽の派生的な理解を促す取り組みになり得るの. ないにしても,後者に於いての「非日常」感は,. ではないだろうか。このように音楽に親しむまで. 少なくとも先の後者での週末のケースよりは希薄. のスムーズな入口作りには,音楽を聴くという行. になることが予想される。それは音楽的環境にな. 為から離れたところからも様々に試みられると考. い日常に,あたかも外付けのようにして演奏会を. えられる。. 組み込ませたことで,普段の生活の中での延長線. また,公演としての企画を行うにあたっては,. 上に演奏会を置くことができることから,先の「か. どのようなコンセプトなのかが問われるのは,な. しこまった」とか「改まった」という意識が薄れ. にも子ども向けの演奏会に限ったことではない。. ることによるものと見られるところである。しか. しかし,こと子ども向けの演奏会については時期. しこれは個々の認識によるところが大きいであろ. 462.

(10) 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. うことから,同じケースとして一様に括れないの. かは,音楽アウトリーチの意義が問われる試金石. はいうまでもない。. でもあるのではないだろうか。. そしてこのような時期や時間帯の設定について. 演奏会の慣習性というものは,奏者と聴衆の双. は,また異なる切り口からアプローチした時,意. 方が,演奏会という機会を互いに不利益や不満を. 見の分かれるところでもある。音楽の敷居を取り. 生じさせずに行うことができるよう,長い年月の. 払うことに主眼を置いた場合には,むしろ演奏会. 中で練られてできたものと換言できる。それゆえ. での「非日常」感を極力取り除いた方が,子ども. 合理的ではあるが,他方でそれがために良くも悪. が気軽に足を運べるという見方もできる。また,. くも固定的な面もあることは否めない。よって,. 公演を連続性のある企画として考えた場合だが,. 一般の演奏会とは演奏環境的に決定的な違いを包. 初回こそ「非日常」として導入したものの,その. 含している音楽アウトリーチに於いては,その合. 後回を重ねるごとに徐々に子どもたちの日常の延. 理性を敢えて犠牲にする必要に迫られるというこ. 長になりつつあるという変化も見込んだケースを. ともある。例えば演奏中は物音を立てずに傾聴す. 考慮した時には,長期的なスパンでの見方から,. るという従来の慣習などは,音楽アウトリーチで. 却って演奏会の時期を固定しない,敢えて流動的. は状況的に充当できないケースの方が多いと見込. な時期設定にするという判断もあり得る。いずれ. まれる。その時,マイクを通すというような物理. にしても,柔軟な切り口が取り組み方に関わるこ. 的な解決策をとるのか,それとも生活音も含めた. とであり,これらはどれも,どのような環境にあ. 物音も込みによる代替的な案によるのかについて. る子どもであっても不利益を生じさせることなく. は,そこでの判断によることになる。そしてその. 同等の体験を提供できることが念頭に置かれる勘. 代替的な措置をとった時の取り組みは,第1章で. 案であるはずである。. 触れた「バリアフリー型アウトリーチ」が該当す ると考えられる。そこでは物音の件などと併せて. 4.音楽アウトリーチに於ける今後への提案. 演奏途中での入退場についても,予めかけるアナ ウンスか当日配布のプログラムの中で,乳幼児が. 4.1.慣習とのすり合わせ. いるために可とする旨を伝えるなどの取り組み. 当日配布されるプログラムがあり,そこに掲載. で,その公演のあり方を周知させるというもので. されている楽曲解説をもとに演奏が進められてい. ある。他にも一時預かり保育のスペースや車いす. くという一般的に流布されている演奏会と差別化. 席の設置,聴覚障がい児向けに映像を導入するな. された公演としての音楽アウトリーチという取り. どの視覚的な援用など,文字通り音楽に親しむ障. 組みは,第1章で触れたような特色ある取り組み. 壁となっているバリアを取り除く取り組みが考え. として,そこに一般の演奏会と差別化たる独自性. られる。. が様々に打ち出されている。だがそれを演奏会の 進歩史観に鑑みた時,音楽アウトリーチの自由度. 4.2.継続的・連続的な取り組み. を称揚するあまり,演奏会の形態が慣習によって. 音楽アウトリーチは,特段の音楽的な専門性の. 成り立ってきた側面を看過することには疑問が残. 高さを問われる取り組みではなく,また聴き手が. る部分もある。演奏会という体裁をとっているあ. どのようなことを求めているのかを公演に反映さ. る程度のモデル・イメージが,暗黙の了解のよう. せるかが公演の行方を大きく左右することは,こ. に認識されているという,それこそがまさに慣習. れまで述べてきたことで明らかである。よって,. たる所以でもあるのだが,そこで音楽アウトリー. こちらの意図が誤解なく,また十全に聴き手に伝. チという取り組みが,どこまでその範疇でなされ. わっているかどうかを知るために,事前の準備と. るのか,あるいはどれだけの逸脱が容認されるの. 事後の調査は欠くことができない。. 463.

(11) 木村 貴紀・若原真由子. 事前の準備は,難解と感じる負担の軽減を試み. ような試みが求められるのではないだろうか。. るものである。これは一般の演奏会に於いてもあ ることで,特にオペラの公演で,聴き手が予めあ. 4.3.複合的な取り組み. らすじを予備知識として仕入れるなどの作業を経. 音楽アウトリーチの分類は第1章にあるとおり. た上で当日に臨むことは珍しいことではないこと. だが,これは分類を行った各人の意向が多分に反. から,楽曲の理解には有用に思われる。これは学. 映されたものであり,これまでとは異なった切り. 校で行う公演も同様で,公演前に事前学習の形で. 口の分類の仕方が増えたり,あるいは更に細分化. の準備があることで,子どもたちが音楽的理解に. する方向に向かいこそすれ,今後も決定的なカテ. とどまらず,期待やひいては自発的な準備にまで. ゴライズというものはあり得ないだろう。それだ. つなげられることができれば,事前準備の意義は. けに,つまり複数の要素が複合的に取り扱われる8. 更に大きいものとなるはずである。. というケースが多く,その公演での趣旨に準じて,. 事後の調査としては,講演後のアンケートが該. 第1章で触れた各々をどう組み合わせるのかが音. 当する。その際,演奏会としてのアンケートでは. 楽アウトリーチの多様性につながるともいえる。. なく,音楽アウトリーチの取り組みについての性. そしてそのように複合的な視座も視野に入れる. 格の強い内容にする。これは,単に演奏会の体裁. のであれば,今後は音楽アウトリーチとアート・. による公演としてのレベル的な完成度や精度を問. マネジメントとの融合などという試みも展望され. うものよりも,例えば「生の演奏の良さをわかっ. るのではないだろうか。アート・マネジメントと. てもらえたか」 「クラシック音楽に興味を持って. は,「芸術・文化と現代社会との最も好ましいか. もらえたか」などという,これも第1章で触れた. かわりを探求し,アートのなかにある力を社会に. 「芸術普及活動」としての啓発的な内容とするこ. ひろく解放することによって,成熟した社会を実. とによって,あくまで音楽アウトリーチとして工. 9 というも 現するための知識,方法,活動の総体」. 夫を行った点を問うことが,今後の活動に寄与で. のであり,「社会におけるアートの役割や機能,. きるものと考えられる。それは音楽アウトリーチ. 存在のあり方を探求するという視点」10で取り組. が, 「ひとつひとつの出来事から課題や目標を導. まれている試みだからである。つまりこれは,文. き出しやすく,且つ,試行錯誤した結果や着想を. 字通りマネジメントの立場から音楽アウトリーチ. 7. 即実行し,振り返ることが可能な活動」であるこ. へアプローチするというスタンスによっており,. とにも起因している。演奏後のアンケートの実施. これまで多かった演奏者という立場や,音楽の教. は目新しい試みではないものの,音楽アウトリー. 育的な側面からの視点などとはまた異なった切り. チが需要の発掘や普及を主たる狙いとしているこ. 口から踏み込むものである。例えば,音楽関係者. とから,アンケートの実施が音楽アウトリーチの. は音楽業界に精通しているだけに却って発案に鮮. 成果と今後の確認に有効である。. 度が不足することは往々にしてあるものだが,音. この事前と事後のいずれもが第2章で触れたよ. 楽畑でない出身者による斬新な発想の方が,不全. うに,音楽アウトリーチを単発的ないしは一過性. 的な立場だからこそなし得る大胆な立案が却って. の企画で終わらせないようにすることも,音楽ア. あるものであるとすれば,そのような切り口から,. ウトリーチという活動に包含されているものと考. この業界でまかり通っていた「常識」を覆すよう. えられる。このような取り組みを重ねることに. な着想が表明され,それによって今後更に音楽ア. よって,聴き手が子どもであれば,そこに子ども. ウトリーチがより多様性を帯びていくことができ. の新たな体験を開拓するような工夫の積み重ねが. るものと考えられる。. 求められるだろうし,聴き手が大人であっても, 聴き手としての成熟を促せるような活動にできる. 464.

(12) 従来の演奏会に準拠した音楽アウトリーチに於ける演奏会のあり方. 『調査研究報告書』2001. おわりに. 9.小川光彦・美山良夫「アート・マネジメント教育の. 現在はインターネットの普及が音楽の視聴の簡 便性につながったことで,様々な音楽に接するこ. 展開―慶應義塾における教育と研修の現場から(アー ト・マネジメント) 」Booklet3 慶應義塾大学アート・ センター1998. とが以前と比べて極めて容易になった反面,じっ. 10.長谷川倫子「レクチャーコンサートとその語りにつ. くり傾聴する時間や機会を奪っている働きもして. いての一考察―アートマネージメントの実践から―」. しまっているともいわれている。しかし,そもそ も「音楽は傾聴するものである」という軸の上の みに立ち続けていたとしたら,このような時代に 対応することにとどまらず,音楽アウトリーチの. 『技術マネジメント研究9』2010. (木村 貴紀 旭川校准教授) (若原真由子 旭川校大学院生). ような,移り変わる時代の象徴的な音楽のあり方 に見られる自由な発想にも結びつきにくいとも考 えられる。このような状況であればこそ,音楽ア ウトリーチを選択肢が拡張された取り組みとして とらえ,これをどう展開していくのかということ が,音楽への新たな向き合い方としてその取り組 みの上に投影できるのではないだろうか。つまり, 時代に即した,いわば「現代だからこそなし得る 演奏会とその鑑賞のあり方」として,音楽アウト リーチを定着させていけるのではないだろうか。. 参考及び引用文献 1.乗松恵美「音楽によるアウトリーチ実践報告及びア ウトリーチの意義についての考察―公共ホール音楽活 性化事業 平成23年度 宮城県多賀城市公演―」『広島 文化学園大学学芸学部紀要』第2巻 2011 2.吉本光宏「制作基礎知識シリーズVol.18 アウトリー チの基礎知識⑵『地域創造レター6月号No.098』2003 3.佐野靖,小井塚ななえ,松浦光男「学校音楽とアウ トリーチ第一回 アウトリーチとは何か?実践報告」 『音楽教育ヴァン22』教育芸術社2013 4.2に同じ 5.1に同じ 6.西島央「誰がクラシックコンサートに行くのか―東 京・新潟・鹿児島のコンサート会場におけるアンケー ト調査をもとに―」『東京大学大学院研究科紀要43』 2004 7.小井塚ななえ「演奏家の変容に見るアウトリーチマ ネジメントの意義と可能性―コーディネーターと演奏 家の聞き取り調査を通して―」『音楽芸術マネジメント ⑹』2014 8.財団法人地域創造「アウトリーチ活動のすすめ―地 域文化施設における芸術普及活動に関する調査研究―」. 465.

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