農業生産組織の今日的な展開と村落社会の変容
著者
小林 一穂
農業生産組織の今日的な展開と村落社会の変容 (o′8451036) 平成8年度∼平成10年度科学研究費補助金(基盤研究(B) (2))研究成果報告書 平成11年3月 研究代表者 小 林 穂 (東北大学大学院情報科学研究科助教授)
はしがき 本研究は、現代日本農業が危機的な状況にあるなかで、これまでの農家、 経営がどのような生産組織を展開しており、農村社会がその生活構造や組 織形態においてどのように変容したか、そして農民の営農志向や生活意識 がどのような方向にむかっているのか、を明らかにすることが焦眉の課題 であるとして、 1996 (平成8)年から3年間にわたって、以上の問題につ いて綿密な事例調査研究をおこなった。現代日本の水稲作が、生産調整や 流通制度の変革を遂行しつつも国内在庫を大量にかかえこみ、生産性の向 上を叫びつつも国際的な価格競争力をもてない状況のなかで、伊奈作農 民がどのような生産組織を展開し、それとともに、農村社会における農家 経営や生活構造がどのように変容しているのか、そして、そうした村落構 造のもとで、農民の営農意識や生活意識がどのようになっているのれ高 度経済成長以来の、日本農業における機械化、兼業化、複合化という変動 や、畑作物を中心とする農産物の輸入自由化政策や稲作生産調整政策は、 農業ばかりではなく、農村社会の社会構造や農民意識に大きな変化をひき おこした。本研究では、こうした日本農業の危機的状況のなかで、農業生 産組織の実態を明らかにするとともに、農村社会の生活構造や農民意識の 現状を明らかにし、今後の日本農業の展望をさぐろうとした。 初年度は、各種の統計資料を詳細に分析し、また、山形県庄内地方、北
海道北空知地方、沖縄県南部地域および北部地域の3カ所において農業生 産組織の概況についてのヒアリングを実施し、庄内地方および北空知地方 においては、稲作農民-の個別インタビューによって、農家経営、農民意 識などのデータを収集した。以上のような調査研究によって、日本の典型 的な水稲単作地帯においては、 「新政策」のもとで、規模拡大によるコス トダウンをねらった大型化が進行しているが、その成果は、稲作農民の水 稲作にたいする意識の改革と、農業生産組織の新たな展開、農村集落にお ける村落構造の再編成にかかっていること、また、米が自給できない沖縄 県においては、稲作部門をほかの農業部門と適切な配分をはかりつつ経営 するという課題があること、が明らかとなった。 第2年度は、とくに、山形県庄内地方と沖縄県石垣島における農業生産 組織の今日的な展開の概況と、そこでの村落社会の変容とについて、稲作 農民-の個別インタビューによって、農家経営、生産組織、営農志向など のデータを収集し分析した。異常の調査研究によって、日本の典型的な水 稲単作地帯においては、 「新政策」に誘導されて、コストダウンをめざし た規模拡大をはかる大型化が進行しているが、それにみあった農業生産組 織の再編成が進んでおらず、また村落社会の構造変化も停滞しており、高 齢化の進展によって水稲耕作が困矧こなる事態-の備えに苦慮しているこ とが明らかとなった。また、沖縄県においては、稲作とそれ以外のサトウ
キビ栽培や肉豚飼育をくみあわせた複合経営が一般的であるが、水稲作に ついては、それによる収入の獲得というよりも、水田の保持そのものが重 視されていることが明らかとなった。 最終年度は、これまで収集してきた各種の統計調査の整理をおこない、 調査対象地の変動を統計的に把握しようとした。また、ひきつづき、農業 生産についての詳細なヒアリング、稲作農民の営農志向にたいする個別イ ンタビューをおこなったが、調査費用の点で制約があり、対象地を限定せ ざるをえなかった。これまでの調査結果から明らかになったことは、機器 的な状況を迎えつつある日本農業、とくに水稲作においては、規模拡大に よるコストダウンをもとに経営を維持発展させるという方向はかなり困難 であると思われること、むしろいわゆる家族農業経営をもとに、集落内の 有志共同組織、それにくわえて生産組合などの集落を枠組みとする組織、 といった重層的な稲作生産組織のなかで、個別農家がみずからの農家経営 を維持していくという方向性がとられるべきではないかということであ る。つまり、農村地域における農業生産組織、村落構造、農家経営、農民 意識などの相互の連関が、これまで以上に密接に結びついていくだろうと 予想され、そのようななかで、集落の役割がふたたび重要になるのではな いかと思われる。 本研究は、北海道北空知地方、山形県庄内地方、沖縄県石垣島におい
て、インテンシブな事例調査を実施したが、本報告書は、水稲作の典型地
研 究 組 織 研究代表者: ′ト林-徳(東北大学大学院情報科学研究科助教授) 研究分担者J:細谷 昂(岩手県立大学総合政策学部教授) 研究分担者:中島信博(東北大学教育学部教授) 研究分担者:徳川直人(東北大学大学院情報科学研究科助教授) 研究分担者:加藤直義(福島大学行政社会学部助教授) 研究分担者:水上英徳(大分県立芸術文化短期大学助教授) 研 究 経 費 平成8年度 3,300千円 平成9年度 2,200千円 平成10年度 500千円 計 6,000千円 研 究 発 表 (1)学会誌等 小林-穂、東北社会における農業・農村の変 容と展開、社会学年報、第26号、平成9年7月19日 (2)口頭発表 小林-穂、東北社会における農業・農村の変 容と展開、第43回東北社会学会大会課題報告、平成8午 7月13日 (3)出版物 小林-穂、稲作生産組織と営農志向、多賀出 版、平成11年2月28日
目 次 第1章 農業、農村∴鹿家 第1節 問題の所在 第2節 農家経営と農業生産組織 第3節 対象と方法 第2章 稲作生産組織と営農志向 第1節 諸概念の検討 第2飾 農家経営の変遷 第3節 稲作生産組織の展開 第4飾 営農志向の変化 第5節 生産組合と集落 参考文献 51
第1章 農業、農村、農家 第1節 問題の所在 日本農業は内外の厳しい環境のもとで、危機的な状況をみせている。な かでも、水稲作を中心に展開してきた農村社会は、激動の時代を迎えて久 しい。一方では「減反」や「米の自由化」が進展するなかでコストダウン の重圧がかかり、機械化、兼業化の荒波のなかで、稲作経営の共同化、請 負化を推し進めざるをえない。他方では経営の担い手のあり方が問題と なっている。後継者難が深刻化し、農村社会という地域の存続そのものす らが危ぶまれるような状況になっている。 そこでまずはじめに、ごく簡単ながら、これまでの日本農業および農村 社会をとりまく経過1と、それにともなう農村社会研究の歩み2について確 認しておこう。 第二次世界大戦の終了とともに日本社会は大きく変動した。占飯政策の 1菅野、 1992、第3章、を参照されたい。 2ここでは、日本村落研究学会(旧称は村落社会研究会)での議論を参考にしていく。 細谷昂が指摘するように(細谷、 1998、 10)、日本村落研究学会における研究成果の蓄積 は膨大なものになるが、学会の年報である『村落社会研究』をたどることによって、その 全貌をとらえることができる。また近年は、年2回刊行される雑誌の『村落社会研究』 (過 称は『村研ジャーナル』)においても研究成果が公表されている。また、細谷、 1998、第 4章、をも参照されたい。
なかでも日本農業と直接にかかわる農地改革は、戦前の寄生地主制を基
本的に解体して戦後自作農を創出し、日本農業はこの新たな生産力層が1
担い手となって発展した。同時に、農村社会になおも残存する旧社会から の遺物をいかに克服するかという「民主化」が課題となったが、戦後の日 本資本主義の復興と新たな発展は、その歩みを複雑なものにした。 「民主 化」が順調に進まないという状況のなかで、農村の「民主化」や近代化に とって障壁となる無視しえない要因として、全体社会の経済的な基礎構造 には還元できない農村社会の独自性があらためて浮き彫りとなる。農地改 革の不徹底性を「村落共同体」の残存のなかに兄いだそうとする立論を中 心に、共同体論争が展開された。 だが、日本農業の現実の動きはそのような理論的な地平をこえて進行し ていったといえるだろう。 1950年代後半から70年代初頭にかけての高度 経済成長によって日本社会は激動する。農業においても、 1961年に制定 された農業基本法にもとづく構造改善事業の展開によって、農業生産の基 盤整備、自立農家の育成などの近代化政策が推進される。他方で、農村か らの労働力流出、農業技術の変化、都市的生活様式の浸透など、農村社会 の構造は一変した。こうした状況をふまえて、農村社会における共同関係 や共同規制がよってきたる所以を国家独占資本主義のもとでの農民層分解 の停滞性に求め、農民層分解の進展が「村落共同体」を解体するという農-2-民層分解論が提示された。 この高度経済成長によってもたらされた農民層分解は、現実にはごく一 部の上層農が上昇発展したにとどまった。それは、ほとんどの農民が下降 没落するという全般的な落層化といえるような傾向を示し、兼業化と離農 離村があいついだ。こうして、 1960年代後半以降の高度経済成長の進行 は、総農家戸数の減少のなかでの専業農家の激減と第2種兼業農家の激増 という兼業化の深化、野菜、畜産、養鶏などの商品生産農業の展開、集落 と生産組合の機能的分離といった農村内の諸組織の機能集団化など、農村 社会の都市化を急速におしすすめた。そこで、こうした構造変化をとらえ ようと、農村社会における特有の社会構造そのものが崩壊しつつあるとい う「むらの解体」が論じられた。 さらに1980年代にはいると、 「国際化」の嵐のなかで日本農業の存在そ のものの消長が問われてきている。日本農業そのものの危機的状況が、ま さに農家生活や農村地域における環境破壊をもたらそうとしており、それ にともなう諸問題が噴出した。それとともに、農村のあり方も急速な変貌 をみせている。農村自治や農村計画、土地所有のあり方などをめぐって多 様な議論が展開された。そのなかでも、稲作農業は、 1970年代初頭以来 の米の生産調整という未曽有の農政の影響を大きく受けた。稲作の環境 悪化ははなはだしく、水稲単作地帯における農家経営およびそこでの農民
の営農意識、さらには農村地域のあり方にまで、大きな影響をおよぼし てきている。 「米過剰」 -の対策として70年代から本格的にすすめられて きた米の生産調整では、 1976年から開始された「水田利用総合対策」を へて78年からの「水田利用再編対策」において転作率の大幅な上昇が強 行された。さらに1987年からは「水田農業確立対策」が推し進められた ものの、 90年代にはいってきてからは、米の備蓄量が基準を下回る場面 もあって、減反緩和策が打ちだされるなど混迷が生じている。しかし、生 産調整の基調は変わらず、 「水田営農活性化対策」や「新生産調整推進政 策」から「緊急生産調整推進政策」 -と、米作-の重圧は深化するばかり である。他方で、国際的な農産物貿易をめぐる問題と日米貿易摩擦の問題 などによって、 「米の自由化」が展開されており、これまで水稲単作とい う特徴的な農家経営をすすめてきた地方においては、きわめて厳しい現実 が迫ってきている。こうした「転換期」ともいえる状況のなかで、これま で日本農業の担い手だった家族農業経営のあり方が問い直され、また、諸 外国の農村社会との比較研究も進展した。 こうして、日本農業や農村社会の現状をどのようなものとして把握し、 そして今後のあり方を展望するのか、がまさに焦眉の課題となっていると いえるだろう。国内における産業化の進展や国外からの農産物輸入問題、 また、水稲作の減反政策や自由市場化などによって、輸入農産物と競合す
ー4-る部門だけにとどまらず、基幹部門である水稲作経営の悪化をはじめとし て、農業の全般にわたる困難が重なりあっており、それがもたらす農民の 営農意欲の低下、過疎化や都市化による農村生活の変容などの、さまざま な諸問題が生じている。 ここでとりあげる課題を明確にするためにも、上述した戦後日本農業の 歩みとのかかわりで、農業生産組織がどのように位置づけられてきたのか を検討することが必要だろう。繰り返しにはなるが、戦後日本の農業、農 政の歩みとともにおさえておくことにしたい。 戦後日本の農業の出発点が、農地改革にあることはいうまでもないだろ う。農地改革によって、それまでの日本農業の生産および農村社会の地域 構造を大きく規定していた寄生地主制が基本的に解体され、いわゆる戦後 自作農が創出された。戦後自作農の創出は、一方では戦争直後の食糧難を のりこえるべく農民の営農意欲をかきたてることに成功し、また、土地の 自己所有は当時の農村の不安定な政治状況を沈静化するのに貢献した。こ の戦後自作農が、今日の日本農業の生産主体となったのであり、家族農業 経営の今日的な基礎となった。 しかし、その後の日本資本主義の高度経済成長とそれに対応する農業政 策としての「基本法農政」は、農工間の所得格差を解消することを目的と して、戦後自作農の規模拡大をはかった。農地法改正や農業構造改善事業
の展開などは、零細農耕が低生産性をもたらし、ひいては所得格差となっ ているのにたいして、構造改善によって生産性を向上し、所得均衡をも たらそうとするものだった。それが「自立農家育成」というスローガンと なった。いわば農業生産における近代化政策が採られたわけである。それ は、大型圃場や近代施設の整備、機械化、化学化の推進によって農民層分 解を促し、下層農家の離農による農家の規模拡大を目指すものだった。そ うした規模拡大の形態の1つとして、農業生産組織が形成された。 こうした、農家の規模拡大によって農業生産を推進しようという農政 は、その後の「総合農政」 「地域農政」 -も引き継がれていったといえるだ ろう。だがそれは、零細層の滞留という事態によって規模拡大が進まない 状況をのりこえるために、農地の所有権移転ではなく、賃貸借、集団化、 組織化によって農地流動化を進め、規模拡大をはかるものだった。その中 核的な担い手の育成がめざされた。また、農村社会のもつ集落機能、いわ ゆる村の相互扶助的な機能が注目され、いわば村ぐるみの土地利用調整が はかられた。 「中核農家」が地域の集落機能を通じて地域農業生産組織を 編成し、農地流動化を推進する。農業生産組織が、農業経営そのものにと どまらず、農村社会のあり方、村落構造とのかかわりで展開される。 しかし、他方では、米過剰という事態のなかで、米の生産調整が必要と されて、さまざまに名称を変えつつ、 30年にわたって実施されている。当
初は、米の在庫過剰に対する緊急避難的な色彩が強かったものの、しだい にそうした「減反」政策から、恒久的な対策としての「転作」政策-と転 換し、それとともに、奨励金の削減や集落機能を利用したペナルティなど が進んだ。こうしたなかで、機械化が進展して機械費用の負担が大きくな り、機械の共同所有や共同利用を進めるために、農業生産組織が形成され ている。また兼業化が深化して、稲作における労働力の省力化をねらって 共同化がはかられてきた。いわば受託組織としての農業生産組織が展開し ている。 さらに、 「米の自由化」が進められるとともに、 「新政策」においては、 農業生産組織が、個別農家の相互補完としての組織ではなく、単独の「経 営休」として位置づけられている。つまり「新政策」では、日本農業の担 い手が、農家ではなくそれぞれの「経営体」となるという位置づけとなっ ており、そこでは、農業生産組織の存在理由がそれまでとは大きく異なっ てきているといえるだろうC 農業生産組織にとって、その構成単位となるのは農家である。農民は、 みずからの家族を生計の基盤とし生活の中心としているが、そうするなか で、農業経営の方針を確定し、経営計画を立て、それを実行し、その結果 を総括する。そうした農民の営みは、たんに狭い意味での農業生産にとど まらず、日常生活におけるさまざまな活動にも現われる。そのように、農
家は経営と生活を一体として営んでいる。このことをここでは、吉田寛一 にならって農家経営という。 こうして、農民は、みずからの経営と生活をいかに組み合わせ、どのよ うに循環させていくかを、日々考えている。農民のそうしたさまざまな意 識諸形態のなかから、ここでは、どのようにみずからの農家経営をとら え、どのような方向で経営を発展、維持、縮小させようとしているのか、 という点をみていく。しかし、この営農志向は、たんに農業生産だけにか かわる意識なのではない。経営と生活が一体となっている農家において は、意識もまた経営にかかわる意識がそれだけで単独に存在するのではな い。したがって、ここでは、農民が、どのようにみずからの農家経営を考 えているのかという点から、農民の生活の側面における意識にまで踏み込 んで考察していく。それは、農民のみずからの経営の問題だけにとどまら ず、生産組織のあり方、さらには地域のあり方にまで及ぶ意識のありさま をみていくことにもつながっている。 第2節 農家経営と農業生産組織 農業は、さまざまな産業部門のなかでも、他とは異なるきわだった特徴 をもっている。ここでは、以上のような問題意識をふまえて、ごく基本的 な点について考える。
人間は、それ自身が自然存在であり、他の有機的な自然と同様に、自分 以外の自然との物質代謝過程を営んでいる.いいかえれば、生態系的な循 環のなかの存在として、みずからと環境との物質代謝を営んでいる。しか し、人間は、意識をもつという点で、非有機的な自然はもちろん人間以外 の有機的な自然存在からも区別される。人間は、自然に働きかける欲求、 自分が働きかける対象、働きかけるための手段、働きかけた目的つまりは 結果を意識し、さらには、そうした諸契機を統合する主体である自分自身 をも意識している。そのことによって、人間は、自然との物質代謝を同一 の不変の過程として繰り返すのではなく、その物質代謝過程を質的に変化 させていく。自然を加工して、いわば人工物として、さまざまな多様な欲 求を充足する財を生みだすとともに、そうした加工物による欲求充足を通 して、みずからの欲求もまた多様化し、加工技術が高度化していく。こう した、人間による自然の加工、その産出物による欲求充足、そして新たな 欲求による新たな加工、という循環過程を営むのが、人間の生産活動にほ かならない。 農業は、こうした人間の生産活動としてもっとも基本的な営みとなって いる。農業において、自然を加工するとは、基本的には、土地にたいし て人間がみずからの力によって働きかけることを意味している。したがっ て、農業生産においては、土地と労働力がその基本的な契機となる。土
ー9-地は労働対象であるとともに、広い意味での労働手段でもあり、したがっ て、土地が生産手段となっている。土地が生産手段であるということに、 農業の産業としての特徴がある。 土地は、たとえば工業における機械などとはかなり異なった性格をもっ ている。土地は、地域ごとの風土と切り離すことができない。気候、地形、 土壌、水利、と一体となっている。この点では、工業や商業が、基本的に は、地理的な条件による影響を受けつつも、それを克服していくことがで きるのとは、大きく異なっている。また、土地は、移動ができず、開墾や 干拓などを別とすれば、まったく新たに生み出すこともできない。これも また、工業や商業とは大きく異なる。 こうして、農業は、土地を生産手段とするがゆえに、その生産主体たる 農民やその家族である農家にとって、農業生産とかれらの生活と地域性と とが不可分になっている。 日本の農業の基幹となっている水稲作は、こうした農業生産のなかで も、その特徴をとりわけ強くもっているといえるだろう。 水稲作は、土地利用型農業であり、したがって、気候や土壌などに大き く影響される。その点では、日本の風土として、温暖多雨というアジアモ ンスーン気候、降雨した水が流失しやすい急峻な地形、火山性の酸性土 壌といった特徴があるが、これは、湛水による栽培という農法に適合して
-10-いる。 また、水稲作は稲の特質に適合した栽培方法である。稲は、日本のよう な高緯度地帯にとっては、日照、気温の点で栽培条件が厳しい。湛水によ る栽培は、水温による温度調節および施肥による生育調節がしやすい。他 方で、湛水による酸素不足は、稲の梓が空洞になっていることによって補 うことができる。また、連作障害を潅排水によって防いでいる。 さらに、稲は他の穀類とくらべて、カロリー的に再生産性が高いといわ れている。つまり、単位面積当たりの人口扶養力が高い。したがって、相 対的に少ない面積の土地に相対的に多くの労働を投下する集約型の農業が 可能である。 こうして、潅概による水田稲作が日本の風土に適した農業として根づい てきたわけである。水稲栽培は、当然ながら水利が大きな要因となる。と くに日本においては、潅軌こよる水田を利用するのが一般的であり、水稲 作にあたっては、潅概設備や水利体系の維持管理などが不可欠となる。つ まり、かなり規模の大きな水利施設の建設とその利用が問題となる。こう した水利は、個別農家だけで対応することは困難であり、個別農家がその 経営を自己完結的に営むのはむずかしい。そこに複数の農家による共同化 という事態が生じてくる基盤がある。 日本の農家の特徴としては、それが経営主体となっている、ということ ー11
-をあげることができるだろう。それは、小生産者としての農民すなわち小 農によって構成される家族である。小農とは、エンゲルスの規定をもちだ すまでもなく、みずから生産手段である土地を所有し、家族労働力にもと づいて農業生産に従事することによって、その家族の生計を維持する存在 である。そうした小農は、農業生産と家族生活とを一体として営む農家 経営を展開している3。生産手段と生産者との直接的な結合を基盤とした、 生産と生活とが包括された日常として、農家経営は存在する。 しかし、このような農家経営による農業生産は、同時に、それとは異質 の資本制的生産様式が支配的な社会のなかで営まれている。資本制的生産 においては、生産の前提となる生産手段と労働力、生産の結果として生み だされる生産物は商品として存在している。したがって、そこでは商品交 換が全面的に展開している。農業生産物も基本的に商品として生産され、 同様に、農業生産の原材料および労働手段もまた、商品として売買され るo さらに、商品交換の全面的な展開とは、流通過程のみならず、生産過 程までも商品交換が浸透していくことを意味している。つまり労働力の商 品化である。そしてそのことによって、たんなる等価交換ではなく、他人 の労働力が生みだす剰余価値を手に入れることが可能となっている。労働 3農家における生産と生活の一体性については、以下をも参照されたい。久力、 1980、 15-16。玉、 1994、 54-560細谷、 1998、 ll-16。 -
12-力の商品化が資本制的生産様式の徴表である。そして、労働力の商品化は 生産手段と労働力との分離を前提としている。資本制的生産においては、 生産点と消費点とが分離されており、賃金労働者の日常的な消費生活は、 生産点とは異なる場において営まれる。ここでは、生産と生活とは一体と はなっていない。 ところが、農家経営は、生産手段と生産者との直接的な結合によって営 まれる。そこでは、労働力は商品化されておらず、農民の労働力は十全に は価値評価されないo このように考えれば、農家経営とは基本的には、雇 用労働力ではなく家族労働力つまりは自家労働によって農業生産を営み、 家族の生計を維持しようとする経営、といえるだろう。この農家経営にお いて、その原材料、労働手段、さらに生産物はみな商品として売買されて いる。そこでは、農民は小商品生産者として位置づけられている。こうし て、資本制社会における農家経営は、資本制的生産の圧力を受けつつ小生 産者としての経営を維持していかざるをえない。ここに資本制社会におけ る農家経営の特殊性がある。現代日本においても、農家はみずから生産す る農産物を商品として販売せざるをえないが、巨大資本との圧倒的な生産 力格差のもとで、つねにその競争において不利な立場に立たされている。 さらには、日本の農家は、歴史的にもきわめて零細な規模での経営を余 儀なくされており、個別経営が自己完結的に農業生産を営むことはかなり -
13-むずかしい。それどころか、農業生産によって家族の生計を維持するとい うことさえ充足できないばあいも多い。とくに、戦後の高度経済成長以降 の全般的な落層分解のなかでは、農業所得によって家計を維持することが できず、農家の兼業化が深化している。そこにもまた、複数の農家による 共同化という事態が生じてくる基盤がある。 日本農業は家族がその担い手となって営まれている。農家経営が日本農 業の特徴となっている。農家経営においては、農業生産と家族生活とが切 り離されずに、一体として営まれる点が重要である。他方で、日本農業は 水稲作を基幹としてきている。この水稲作は潅概による水田耕作が中心と なっている。 こうした潅軌こよる水田耕作をおこなううえで、農家経営は、単一でみ ずからの経営を自己完結的に営むことが困難である4。そこで、農家は土 地に即して相互依存関係を取り結ぶ。この、土地に即した関係というの は、農業という産業が土地を主要な生産手段としている、ということによ るからにはかならない。こうして、経営と生活を農家の相互の関係のなか で維持していこうとする。ここに、農村社会が、都市社会とは異なる特徴 的な社会関係を持つゆえんがある。 そうした、農業生産における農家の相互依存関係の形態の1つが、農業 4この点については、小野、 1989、第1草第1節、をも参照されたい。 -
14-生産組織である。ここでいう農業生産組織とは、戦後の日本農村が、農地 改革後に戦後自作農体制がとられ、そのうえで「基本法農政」の規模拡大 推進政策のもとで、農家経営が規模拡大を迫られたこと-の対応として 形成されたものである。このように、ここでは、組織を構成する基本単位 としては農家を考えているのであって、生産組織を一般的に、たとえば会 社組織をも含むものとするのではない。生産組織というかたちで、農家は 自己完結が難しい農業生産を営んでいこうとする。そこに、農業を営む経 営単位としての農家相互の、共同性が現れているといえるだろう。そうし た共同性が、土地に即して現われる、というのが農村社会の特徴なので ある。 上述のように、水稲作は個別農家において自己完結的に経営することが 困難である。そこで、農家が相互に補完しあう関係をつくりあげる。それ は、土地という生産手段に規定されて、地域に即した共同関係とならざる をえない。もちろん、農家は農業生産と家族生活とを一体として営んでい るのであり、そのために、農家相互の共同関係も、農業生産だけにかぎら れるものではなく、生活全般におよんでいる。このように、現代日本の稲 作農業においては、稲作農家が共同化を推進せざるをえない基盤があり、 そのもとで、さまざまな共同化の形態がとられている、といえるだろう。 ここでいう共同化とは、資本制的社会のなかで、農家経営の主体である -
15-農家が単位となって、みずからの経営を有利に展開するために、相互に補 完しあうというものである。農業生産に直接かかわる農家の共同組織とし ては、伝統的なものとしての「ゆい」や「手間替」があり、また農業生産 ともかかわりながら、そのほかの家族生活などと結びついた共同関係は、 これまた同族や組、講、年序組織などさまざまに存在してきたし、今日に おいても展開している。しかし、ここでは、そうした伝統的な共同関係で はなく、戦後とくに高度経済成長以降に展開してきたところの、農家がそ の経営を維持するために相互に補完しあうものとして共同化したものをと りあげが。 そういう意味での共同化は、もちろん近代化が進展しているなかで、何 らかの形態をとってさまざまにおこなわれてきている。その形態は、その 時々の社会的歴史的状況によって異なるが、今日の日本の稲作農家は、日 本社会全体の経済的発展のなかで、個別化を強めつつ、さまざまな形態 で、今なお共同化を模索しているといえるだろう6。 ここで取り扱おうとしているのは、戦後の高度経済成長を経て、日本が 5この点を相川良彦は、戦後自作農の「組織化による規模拡大という方法の生産組織」 (相川、 1991、 8)としてとらえている。 6中安定子氏は「自営業としての個別経営の自立性を保とうとする力が働く。その自立 性の上に、経営間の協定の利益や機械作業などの役割分担(分業)を基にした経営間の協 業の利益を追求するために、多様な形態の生産組織が生まれる」 (中安、 1978、 176)と 指摘している。
-16-いわゆる「経済大国」となり、その反面、日本における農業生産が困難な 状況となってきた時期である。農家を経営主体として営まれてきた日本農 業とりわけ稲作経営は、近代化のなかで、上述のような矛盾をかかえつつ 展開してきたが、今日の日本農業をとりまく状況は、これまで以上に厳し いものとなっている。資本制的生産にとって中心的な原則である利潤追求 にとっては、農業生産を極力低コストに抑えることが必要である。農業の 危機という状況の要因のなかには、低コストの追求を、食糧の安定供給な どよりも優先し始めたということがある。農家は、そもそもの問題性とと もに、そうしたなかで、すぐれて今日的な問題をかかえている。とくに経 営が自己完結できないという弱点が、大きな圧力となっている。そこに、 今日の稲作農家の共同化の特徴がある。そうした形態の1つが農業生産組 織である。こうした農業生産組織は、戦後日本の資本主義的な経済発展の なかで、それぞれの個別農家の経営を維持するためのものとして組織化さ れてきているといえるだろう。 第3節 対象と方法 こうして、今日の農村社会において、農業生産組織がいかに形成され、 展開しているのか、そして、そこでの農民がどのような農家経営を志向し ているのか、そのことによって農村社会はいかに維持されていくのか、を
ー17-明らかにすることがここでの課題である。そこで、山形県庄内地方の水稲 単作地帯を対象地として、実施してきた事例調査研究にもとづいて、こう した課題を検討した。農業生産組織および農民の営農志向を検討するにあ たって、水稲作というかたちでいわば対象を限定するのは、水稲作が日本 農業の基幹となっており、かつまた、ここでとりあげている時期が米の生 産調整によって大きな変動をみせているからである。そこで、稲作生産組 織および稲作農民の営農志向を検証していくことになる。つまり、稲作生 産組織の変容、そして稲作農民の営農志向を、高度経済成長以降の時系列 的な追跡によって明らかにする7。 事例調査あるいはモノグラフ調査は、ある個別具体的な地域をとりあげ て、その地域の詳細な分析をおこなう。したがって、その調査結果からた だちに一般的抽象的な命題を引き出すことはできない。というのは、いう までもなく、社会的現実は無限といっていいような多様性をもっており、 特定の事例から一般的な結論を出すことはできないからである。しかし、 多様な現象の根底にある本質をとらえようとするとき、社会的現実にお いては、その対象にいわば実験室的な操作を加えることはできない。そこ で、いわば典型的な現象を示している事例を対象とすることによってその 本質を解明する、という手法がとられることになる。それが事例研究には 7農民意識の調査方法については、細谷、 1973、を参照されたい。
ー18-かならない。 ここでは、庄内地方の全体をとらえているとは、もちろんいえないけれ ども、しかし、酒田市北平田地区、鶴岡市京田地区などにおける長期にわ たった調査をふまえている。その意味では、事例調査研究のなかでも、い わば「定点観測」的なものだといえるだろう。高度経済成長以降、稲作農 業ひいては日本農業、そして稲作農民、農村社会は大きく翻弄されてき た。そうした、大きな変動を経てきた農村社会のありさまを、典型的な水 稲単作地帯である山形県庄内地方に「観測地点」を固めて、そこでの変動 過程の事例調査を通じて明らかにしていこうということである。 以下は、山形県庄内地方における事例調査研究にもとづいた結果から、 稲作生産組織の展開過程と稲作農民の営農志向の変容過程を明らかにし、 水稲作中心の農村社会の今後を展望しようとするものである。 -
19-第2章 稲作生産組織と営農志向 第1節 諸概念の検討 山形県庄内地方を対象地として実施した事例調査研究の結果から、稲作 生産組織と営農志向の変化をごく手短にいえば、 1970年代初頭までにい わゆる水稲集団栽培が崩壊したのち、庄内地方の稲作生産組織は、機械化 の進行のなかで、多様な有志共同組織として展開した。また減反政策が厳 しくなるなかで、集団転作や複合経営化という対応もとられてきている。 そこには営農志向として3つの類型が兄いだされたが、農業情勢の悪化と ともに農外就労志向-の傾斜が進んでいる。さらには、出荷共同というか たちで生産部面からふみだして共同化を模索する方向もみられる。 こうした稲作生産組織と営農志向の変化を分析するために、これまでの 農業生産組織にかかわる議論を再検討して、そのなかから農家経営および それにもとづく共同化という視点を提示した。 現代日本農業の中心的な担い手は農家であり、ここでは、その農家によ る経営を農家経営ととらえている。この農家は、みずから生産手段を所有 する家族労働力にもとづいて、家族の生活の維持を第1の目的として、農 業および農外での就労によって、生活の再生産を営んでいる。 資本制的生産様式が支配的な社会である近代ブルジョア社会において
-20-は、商品交換の原理が生産部面まで貫徹しており、労働力の商品化が展開 している。しかし農家経営における家族労働力は、資本制的生産のばあい とは対照的に、生産手段と分離しておらず商品化されていない。農家経営 と資本制的生産との相違は、それが労働力商品の売買によって成立してい るのかどうかによる。農家経営においてもパート労働などによって農繁期 の労働力不足をおぎなうといったことがあるけれども、それは雇用労働に よる経営を志向するものではない。あくまでも家族労働力にもとづいた農 業経営の枠内のものである。 このように資本制的な生産様式とは異なっておりながら、近代ブルジョ ア社会の内部にあるという点に農家経営の特質がある。そしてまた、今日 の農家がかかえこまざるをえない困難もここにある。農家は小商品生産を 営んでいる。だが、近代ブルジョア社会の内部にある以上、その小商品生 産は資本制的生産における市場競争にまきこまれる。 そういうなかでの農家経営においては、資本制的生産のように利潤を目 的とするのではなく、家族労働力の再生産のための所得の獲得を目的とし て、つまりは家族の生活の維持を目的として家族労働力が配分される。し たがって、家族労働力が完全燃焼をめざして配分されているのであって、 農業部門ではなく農外部門-の配分すなわち農外就労もまた、農家経営に 包括されるものといえるだろう。農家経営は、家族労働力をその完全燃焼 21
-をめざしてもっとも適切に配分することによって、家族構成員の生活を維 持しようとする。農外就労もまたこの目的のためのものであり、したがっ て、農外就労をも含めて、農業部門とともに経営全体を包括するものとし て農家経営が成立している。 こうした農家経営にもとづいた農家が、現代日本農業の担い手となって いる。そこでは生産と生活を一体として営む家族が経営主体である。多就 業化という現象が生じているのも、家族労働力が農家経営の全体に包括さ れているからであって、農業はその多様な所得源の1部門として位置づけ られている。多就業化は、もちろん労働力主体としての家族員の自立化を 促進させるが、しかしそれは、家族員がまったく別個に就労しそれぞれが 独立した生活を送るということを意味しているのではない。家族全体とし ての生活を維持したうえでの自立化なのであって、農業-の従事もその一 環としてくみこまれている。したがって、ある農家の農業従事者が1人に なっているとしても、農家経営が解体しているわけではない。むしろ、そ のように家族労働力を配分することによって、その農家の農業部門を維持 しているのだといえるだろう。 以上のように、農家経営においては家族の生活の、いいかえれば家族労 働力の再生産が基本となるが、それが十全になされるために家族労働力 の完全燃焼が求められる。そこで、経営部面でのさまざまな展開がはから
-22-れる。 ところで、潅概による水田稲作という農業においては、潅概設備や水利 体系の維持管理を個別農家で担うことはむずかしい。したがって個別農家 が自己完結的に農家経営をおこなうことは困難である。また、前述したよ うに近代ブルジョア社会における農家経営は、資本制的生産の圧力を受け つつ小生産者としての経営を維持していかざるをえない.産業諸部門格差 や資本制的生産との生産力格差が大きな重圧となる。農家経営はそれとの 対抗上、相互に共同化していかざるをえない。以上にくわえて、日本の稲 作農家は、歴史的な経過から零細な規模での経営を余儀なくされている。 さらに、戦後日本のとくに高度経済成長以降の全般的な落層分解のなか で、農業所得だけでは家計を維持することができない農家の兼業化が深化 している。そこでは、近代化政策のもとでの機械化、装置化、化学化の進 展にともなって、物財費の高騰-の対応としてのコストダウンをせまられ る。こうして、複数の農家による共同化がはかられることになる。 したがって、ここでとりあげている農業生産組織とは、戦後の日本農村 において、戦後自作農体制のもとでの近代化推進政策によって、農家経営 が規模拡大をせまられたこと-の対応として形成されたものである。農業 という産業部門の特殊性によって、自己完結的な経営が困難な農家が、相 互に共同化をはかって生産組織を形成し、生産と生活とが一体となった農
-23-業生産を維持していこうとする。それは、農家経営を営む主体としての農 家がもつ共同性の現われといえるだろう。そうした共同性が土地を契機と して現われるというのが、農村社会の特徴なのである。 こうした共同化は、それぞれの個別農家の経営を維持するためのものと して組織化されている。つまり、日本の農業における共同化は、農家を基 礎とした共同化であることが重要なのであり、そこにおいて農業生産組織 が農家相互の結合として形成されている。その農家は生産と生活を一体と する農家経営を営んでいる。農家経営がめざすものは利潤追求ではなく、 その農家の家族労働力の再生産すなわち家族構成員の生活の維持である。 それと同様に、農業生産組織の目的もまた農家経営の維持ひいては個別農 家の生活の維持にある。戦後とくに高度経済成長以降に展開してきたとこ ろの農業生産組織は、個別農家がその農家経営を維持するために相互に補 完しあう組織であるといえるだろう。その意味で、個別農家の農家経営と いう形態をこえた新たな経営形態をとるものではないし、いわば企業的経 営-と転換していく触媒の役割をはたすのではない。 農業生産組織の基礎は個別農家の農家経営であって、農業生産組織はそ の補完組織にはかならない。農家が自己完結できない経営を維持、展開 するための結合、補完としての農業生産組織なのである。日本の農家は、 そのような補完を受けながら日本農業の担い手として存立しており、した
-24-がってまた日本の農村社会における個別農家の相互の結合のあり方が、そ のような補完組織の存在というかたちで現われている。したがってそこで は、農家がみずからの経営をいかに維持していくのかという営農志向との からみあいのなかで、共同化、組織化がとりくまれている。 ここでは、いま述べたように、農家経営および稲作生産組織が、どのよ うに現状をとらえ、経営の維持や展望をどのようにはかっているのか、と いう営農志向を重視している。営農志向は、稲作農民が農業部門をいかに 経営しようとしているか、あるいは、稲作農民が農外就労をも含めた農家 経営の全体をどのように考えているのか、さらには、その農家を構成する 家族員をも含めての生活における意識のありよう、などをくくっている包 括的な概念である。包括的だということによって、かえってあいまいなも のになっているといえるかもしれない。さらには、農民意識、営農意識と いうような「社会意識」との位置関係や、営農志向は個人の属性ととらえ られるのか、あるいは農家経営のあり方なのか、などを考察する必要もで てくると思われる。 けれども、ここであえて営農志向という概念をもちいているのは、農家 が生産と生活を一体とした経営を営んでおり、そうした営みの全体が示し ている方向性を分析的に細分化すると、現実の農民の生活実態とかけ離れ るのではないかと考えたからである。以前には、営農という側面だけを強
-25-調するようにも受けとられかねないので「農家志向」といういい方をした こともある。しかし、営農志向という概念で合意したかったのは、生産と 生活を一体とした農家経営が、農業部門を抜きにしてはありえないという こと、したがって、その農業部門をいかに営むかということとのかかわり で農家経営の全体も定まってくるということである。 こうして、ここでは、農家経営や農業生産組織を検計するさいに、その 経営内容や組織形態だけを問題にするのではなく、そうした経営や組織を 構成する農民や家族がどのような農業のあり方、あるいは生活や社会のと らえ方をしているのか、ということをもふまえていこうとした。そのよう にとらえることによって、現実に展開している農業生産組織が、なぜ、い かにそのように存立しているのか、そしてそれがどのように変化していく のか、を見定めることができるだろうということである。 第2節 農家経営の変遷 ここでは、これまで述べてきた山形県庄内地方における農家経営の変遷 をふりかえってみよう。 1970年代後半の庄内農業は、 70年代半ばで稲作機械化一貫体系が完成 し、そのもとでの機械操作、生物栽培管理といった水稲作の管理労働-と 比重を移していた。そこでは機械化による省力化が進み、その余剰労働力
-26-を・プラスアルファあるいは農外就労-とふりむけることによって、家族 労働力の完全燃焼がめざされていたoしたがって・家族労働力は多様に配1 分され、多就業化が進行する。これまで庄内農業の特徴といわれた、等質 的な農民による稲作経営という性格は変化していき、農業経営はさまざま に異なったものとなりつつあった。 すでに、水稲集団栽培時の無償労働の原理は崩れて自家労働評価が高 まっていた。さらに、このような農業経営の異質化とともに、農外就労も 増加し、農業部門-の従事と農外-の就労とが、それによる所得という 基準で選択されていく○そうなると、そのどちらを選択するのかは、みず からの農家経営を有利に進めるための、家族労働力の配分の問題となる。 さらには、農業経営のなかでの水稲作かプラスアルファかという選択もま た、経営にとって有利かどうかという判断にもとづくことになる。こうし て農家経営の多様化という傾向は拍車がかかることになった。 このようにして、庄内地方の農民は、農業をとりまく情勢の悪化のなか で、粘り強く農業を維持していった。それは、この地方の恵まれた稲作条 件があるとはいえ、個々の農家が家族労働力にもとづいてみずからの農業 経営を必死でささえる、という農家経営が大きな要因になっていること は兄のがせないだろう。そのような農業経営の維持は、省力化をふまえた 家族労働力の効率的な配分によってはかられている。あるいは、逆にいえ
-27-ば、現在の農業経営の困難な状況から生じるさまざまな問題-の対応が、 家族労働力の合理的な配分をめざすという営農志向に現われている。可能 なかぎりのコストダウンをねらって共同化、省力化をはかり、それによっ て生じた余剰労働力を、稲作にこだわらずにさまざまな農業部門にふりむ ける。それは、家族労働力にもとづいている以上は家族経営としてのこと だが、それをふまえて、家族労働力を合理的に配分し、農業経営を維持し ている。 さらに、土地条件や経営規模などから農業部門の拡張がむずかしけれ ば、農外就労もまたそうした労働力の配分先としてとりくまれる。農外就 労も農家経営を維持していくための方法なのであって、農外就労によって その農家の農業経営が維持されているともいえるだろう。農業経営の合理 化をふまえて、そのうえでそれぞれの農家がさまざまな経営条件にみあっ た多様な経営形態をとる、という農家経営の多様化が展開されている。し たがって、生産と生活を一体とした個別農家の農家経営は、いわば家族労 働力による「総力戦」といった様相を示しているといえるだろう。 1980年代の庄内地方では、全体的には農家経営が多様な形態で組み立 てられていった。機械化の進行のなかで省力化が進み、大幅に余剰労働力 が生みだされ、この余剰労働力の完全燃焼を求めて個別農家は農家経営を 多様化させていく。こうして、 80年代前半においては、家族労働力によ
-28-る耕作可能面積が拡大することによって受託による水稲作の拡大をはかる 農家、他方では少数ではあるが転作をも含めてプラスアルファ部門の拡大 による複合経営をめざす農家、さらには委託によって農業離脱に向かう農 家、といった多様化にむかう過渡的な状況がみられた。つまり、みずから の農家経営の維持、安定と家計の確保をめざして、個別的に多様な経営形 態を選択していた。 その傾向が、 80年代後半には鮮明に現われたといえるだろう。水稲作 の機械化による省力化とプラスアルファの追求との分化が進み、また、農 業にふみとどまる農家と農家から離脱していく農家との分化も進んだ。そ れは、水稲作志向、複合経営志向、農外就労志向という3つの営農志向と してとらえられた。もちろん、実数としては、兼業化が進むなかで水稲作 志向と複合経営志向は少ないのだが、営農志向の類型としてはこの3つが あげられた。 こうして、個別農家の農家経営の多様化が進んだ。しかし、このような 類型がはっきりしてきた時点で、すでにその営農志向の混迷も現われてき ていた。水稲作志向、複合経営志向、農外就労志向として検出された多様 な営農志向は、農業をとりまく厳しい情勢のなかで、 80年代末には、水稲 作志向の困難、複合経営志向の伸び悩み、そして農外就労志向の拡大とい う、それぞれ様相の異なった展開を示した。さらに、 90年代にはいると、
-29-もはや水稲作志向および複合経営志向は展望をもちえる状態にはないか のようになっている。農業の危機的な状況のなかでの個別経営の維持のた めには、もはや農外就労の方向をとらざるをえないところまでおいこまれ ている。とくに、後継者の問題が大きくのしかかっており、かなりの大規 模経営農家においても「農業に従事している自分が農作業をできなくなっ たときが我が家の農業が終わるとき」という見通ししかもちえていない。 いわば「総崩れ」的な現象がおこりかねない状況にある。庄内農業の担い 手となっている個別農家の農家経営そのものが、世代交代の問題で展望を 兄いだしえていないように思われる。 けれども、そのような農外就労志向が実数としては圧倒的であるなかで も、少なくとも90年代前半までの庄内農民は、現在の農家経営を維持し、 農業を営むことを生活の一環にくみこんでいる。そこでは、さまざまな悪 条件にもかかわらず農業-の志向をもちつづける農民の「しぶとさ」が、 かろうじて庄内農業をささえているといえるだろう。 第3節 稲作生産組織の展開 庄内地方の稲作生産組織は、 1970年代初頭までに水稲集団栽培が崩壊 した。この「部落ぐるみ」といわれた水稲集団栽培は、集落の枠内での農 家層の規模別組み合わせだったことが、その特徴としてあげられている。
ー30-その成立の要因としては、田植期の労働力不足、共同防除の実施、トラク ターの導入があるが、その背景には、労働市場の未成熟のもとで不完全燃l 焼の労働力が滞留し、また農地移動の停滞によって「土地不足」の状態と なり、いわゆる無償労働の原理が成立する状況が現出したことがあげられ る。こうして、耕起・代掻、田植における共同作業とともに、防除と施肥、 品種にかんする協定事項が結ばれ、集落を場とし生産組合を主体として、 水稲集団栽培が展開した。 この水稲集団栽培は、小規模経営層が農作業時に労働力を提供し大規模 経営層が運営や経理を担当するというように、集落内で労働力授受が階層 関係に照応しておこなわれた。低労賃と高地価が労働力の余剰と土地不足 をもたらし、そこに無償労働の原理が成立して無償労働組織としての村落 が現出する、というメカニズムが水稲集団栽培というかたちで発現したと いえるだろう。 しかし、田植機が導入、普及していくなかで、稲作機械化一貫体系がほ ぼ75年ころに完成した.機械化の進展によって、農繁期における臨時労働 力の需要が解消され、集団栽培におけるそれまでの労働力の授受関係は、 事実上の組織請負というかたち-変化した。他方では、機械化の進展が過 剰投資を招き、それによる現金支出の増大をおぎなうためにも農外就労 が深化していく事態となった。つまり、水稲集団栽培の展開と並行して、 31
-稲作機械化一貫体系が形成されて農繁期の労働力需要は解消され、他方で は臨時労働力が農外の労働市場-排出された。こうして、労働力授受をめ ぐって利害が一致していた農家も、大規模経営層の規模拡大志向と小規模 経営層の農外就労-の傾斜や離農志向という異なった営農志向をみせるよ うになり、水稲集団栽培は組織内請負-と進まざるをえなかった。もはや 集落全体の共同組織としての形態を維持する必要はなくなり解体した0 水稲集団栽培においては、不完全燃焼の労働力の存在が、無償労働の原 理の基盤となった。しかしそれは同時に、兼業化の進行による自家労働評 価の高まりを招いた。それによって、集団栽培は解体するにいたったが、 しかし、個別農家の農家経営がそれぞれ自己完結的に営まれるようになっ たということではない。水稲農業は自己完結的な経営を営むことが困難で あり、しかも資本制的な生産との競合のなかで、みずからの経営を維持す るために相互に共同化をはからざるをえない。庄内地方では、水稲集団栽 培が組織内請負-進むとともに機能分化することによって、有志による共 同作業という形態をとるようになり、多様な農業生産組織として展開して いった。もはや無償労働の原理は存在せず、そこでの共同化は、過剰投資 を回避し、家族労働力を完全燃焼させるという効率性をめざした結合でし かない。 もちろん、集落全体での共同化が維持されたり、新たに形成されたりす
-32-るばあいもある。それは、高度な農業技術を確保するためであったり、新 しい農業技術への対牢のためであったりする。たとえば転作についていも ば、水田単作地帯のとくに大部分が平坦地の農村である庄内地方では、畑 作は未経験の農業であり不安は大きい。そこで、この不慣れな畑作にたい して、個人まかせの対応ではなく、集団的にとりくんでいく方向が模索さ れている。そこには、各農家が個別に対処するのではなく、集団で技術的 な不安に対処しようとする農業生産組織の形成の特質が現れている。個別 経営を前提としながらも、これまで経験のなかった集落全体の共同化にと りくんでいるわけで、そのことには、集落全体でまとまるという水稲集団 栽培時の経験が影響をあたえていることはいうまでもない。 庄内地方における水稲集団栽培後の稲作生産組織は、農作業の機能別に 分化した小規模な有志共同組織として展開した。それは、無償労働の原理 が基本的には貫徹しえなくなり、以前の水稲集団栽培におけるような集落 全体での共同化という農業経営はむずかしくなっているなかでの、自家労 働評価の高まりを前提としての組織化の動きということができるだろう。 庄内地方の稲作生産組織は、水稲集団栽培が解体した後に小規模かつ 機能別の有志共同が展開した1。こうした組織化-の志向は、当然ながら、 1こうした稲作生産組織の展開の動きは、磯辺俊彦が示した労働力結合から機械結合、 そして土地結合- (磯辺、 1984、 14-15)という全国的な動向ともみあっているといえる だろう。庄内地方での事例にそくしていえば、水稲集団栽培時の労働力結合から、有志共
-33-これまでの集落をささえてきた「部落のために」といった意識によるもの ではなく、またかつての水稲集団栽培時における無償労働の原理というも のとも異なっている。つまり、共同のための共同ではなく、まさに個別農 家の個別利害を有利にするかぎりでの共同である。共同化は、それが集落 全体のものであれ、小規模かつ機能別の有志共同であれ、共同化そのもの が目的として追求されるというよりも、その時々の条件に応じて、個別農 家の経営に有利なかぎりでの共同化が試みられている。 そして、共同化が進むさいに、農家経営や稲作生産組織と集落とのかか わりでいわば「まとめ役」としての機能をはたすと思われるのが生産組合 である。生産組合は農協の末端組織であり、各集落で農家によって組織さ れている。組合員は農家の主として農業経営担当者によって構成され、集 落の農業生産面での諸問題に対応している。生産組合は、これまでも集落 内の農業経営全般にかかわる重要な組織として位置づけられてきた。し かし現在では、その役割は、営農技術の指導や農協の下部組織としての連 絡事務などにどどまらず、農民相互の共同化を調整する機能を担ってきて いる。 農民にとってはけっして歓迎できない減反の実施において、互助や集団 同での機械結合、そして転作への対応として土地結合へ ということになる。しかし、こ こで注目したのは、こうした労働力や生産辛皮の結合という契機よりもむしろ、相互に結 合する農家の営農志向である。
-34-転作などの相互の調整は、事実上この生産組合でおこなわれている。転作 目標の達成は、実質上集落の範囲で遂行されており、その割り当てや団地 化などの事務処理については生産組合が担当している。また、稲作や畑作 などでの農業技術の普及や向上にはたす役割も大きい。さらには、集落 内の集団化や共同化などの組織化を仲介し調整する場となっている。つま り、個別農家の小規模かつ機能別の有志共同としての稲作生産組織と、集 落を枠組みのもとで農協の末端機構として構成されている生産組合とのか かわり2が、今後は重要になっていくと思われる。 個別農家の相互の補完関係を生産組合が担っていく。集落を枠組みとし て、そこにおいて農家が相互に結合する組織として生産組合が位置づけら れ、その内部に当の生産組合員から農作業を受託する有志共同組織が活動 する。生産組合とその内部の有志共同との、いわば重層する生産組織とし て稲作生産組織が展開していくように思われる。 第4節 営農志向の変化 2青田忠は「生産組織としての組織化には、自生的、自律的な性格をもつ農家の任意的 小グループが主体になる場合と、農協や自治体のリーダーシップのもとでその区域全体の 農家を組織化していこうとする場合とがある。後者の藤倉、行政の末端組織ないし農協の 下部組織としての集落が、集落ぐるみという形で農家を総動員するのに利用されることが 多い」 (吉田、 1980、 3)と述べている。
-35-庄内地方における稲作生産組織は、農家が自己完結できない経営を維 持、展開するために相互の補完組織として形成されている。したがってそ こでは、農家がみずからの経営をいかに維持していくかという営農志向と のからみあいのなかで、共同化、組織化がとりくまれる。 その点から、これまでの経過をふりかえってみると、水稲集団栽培期に は、無償労働の原理のもとで「部落のためならば」と組織化が進んだ。し かし、兼業化が深まるなかで自家労働評価が高まり、水稲集団栽培は崩壊 した。そこでは、水稲作での機械化による省力化が進み、その余剰労働力 を、プラスアルファあるいは慮外就労-とふりむけることによって、家族 労働力の完全燃焼がめざされた。それぞれの個別農家は、みずからの農家 経営を確保しながら家計を維持しようとしている。そこでは、水稲作の機 械化によって生じる余剰労働力を多様に配分することによって、その完全 燃焼をめざし、農家としての経済を確保する努力がはらわれている。 したがって、どの部門に家族労働力をふりむけることが経営にとって もっとも有利となるのかが問題となり、農業-の従事と農外就労、農業内 での水稲作とプラスアルファとが、そうした利益追求から相互に比較され 選択される。そこでは、個別農家がみずからの経営にとってもっとも有利 となるように志向するという営農志向がはたらいている。集団転作-の とりくみも、集落全体での組織化であるものの、水稲集団栽培とは異なっ
-36-て、団地化加算という補助金に誘導されつつ農家経営にとってもっとも有 利な方法を選択するという営農志向によるものといえるだろう。 そういうなかで、家族労働力は多様に配分され、多就業化が進行する。 水田の所有規模や機械の装備状況、受託や委託の可能性、プラスアルファ 部門-のとりくみやすさ、家族周期をも含めた家族労働力の構成、農外労 働市場の展開などの、個別農家の経営条件に応じて営農志向が分化して いくことになる。みずからの個別経営を維持するために、それぞれの経営 担当者の営農志向と労働力の効果的な配分によって、水稲作、プラスアル ファ、農外就労、をどのように組み合わせるか、という「職業選択」とし て各部門が展開している。それは農家としての経営を安定させるための選 択なのであって、農家経営が分解していくということではない。それぞれ の経営形態に応じて多様な就業構造をとることによって、あくまで家族労 働力にもとづく農家経営を維持しようとしている。 こうして、 1980年代の庄内地方においては、水稲作志向、複合経営志 向、農外就労志向という3つの営農志向を、個別農家がみずからの農家経 営の状況や集落全休の条件に応じて、適宜使い分けたり、組み合わせてい たといえるだろう。水稲作の継続が多くの農家で志向されているが、それ だけではほとんどの農家が生活を維持できない。そこで、水稲作を基幹と しながらも、それにプラスアルファかもしくは農外就労を組み合わせて、
-37-農家としての経営を維持させていかざるをえない。そうした状況のもとで 個別農家は、稲作、プラスアルファ、農外就労の組み合わせを、みずから の条件にみあった形態としてとりいれて、水稲農業の維持をはかっていっ た。そのようにして水稲作そのものの維持、安定につながっている。こう して、余剰労働力を水稲作以外にむけることによってかろうじて水稲作を 維持するという事態になっている。別にいえば、ここに稲作にこだわる農 民の意欲が現われている。 この時期でも兼業化の進行という事態は深化している。しかし、農家経 営を基礎にしたうえでの余剰労働力の完全燃焼をめざした農外就労がおこ なわれているのであって、農外就労がただちに農業離脱を意味するわけで はない。農外就労は、個別農家の労働力の状態いわゆる家族周期による労 働力のやりくりに応じた選択肢のひとつになっている。水稲作を基盤とし て、それに組み合わせる選択肢としてのプラスアルファか農外就労かは、 各農家のあるいはそれぞれの担当者の営農志向のあり方によって違って くる。 そしてそのような農家経営を補完しているのが、それぞれの集落にみら れた生産組織の展開なのである。水稲集団栽培が崩壊した後は、このよう に分化した営農志向のもとで、個別農家がみずからの経営利害にとって有 利となるかぎりで相互に結合しあうという小規模かつ機能別の有志共同が