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第十五回
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観
論
の
史
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考
察
ー 菩 薩 行 の 開 出 を 目 指 し てl
本
栄
秀
田
近代宗学の大成者たる優陀那和上を中心に、台学偏重の所調檀 林教学時代に祖道復興を叫んで宗祖の本義に選らんとした江戸期 の 学 匠中、同じ学統に属すると思われ る 、観知日透、合 掌日受 、 優陀那日輝、明治に 入って田 中智学の事観論 を 考察し、現代 に お ける意義 を 探 り た い 。 即ち日透が助行の事観として、天台流 の 観法を主張し たのに対 し 、 日 受は唱題即事観の立場から、助行の事観を認めず 、 信心為 本の事観論を唱えて日透に抗した。 日輝はその師、日臨と同じく、修観に際し ての一念を妄 心 に 即 する仏 心 と し て 、妙解 を基とす る 観法に信の要素 を 加 え ると共に これを当家事観として日透の所論 を 止揚し、但信唱題 を 当家事観 として日受の立場を止揚 し 、 こ れ ら 観 念 、 唱題 と も に 台 家の理観 に対しては な お 事 観 であり 、 仏智を法 体 とする異相同体を題目と 三 千 の 関係 に看倣 し た 。 更に和上は治病紗︵定遺 一 五 二 二 頁︶の意をふま え 、化他 の 弘 経を以て勝義の事観とした。和上は幕末、文明開運の時代にあ っ て 固阻 な 折伏主義を捨 て 、摂受を開導し 、 大乗的見地から国学神 道、儒仏教 の 学ぶべきを学び 、 採 る べ きを採り 、 相 互 に 協力 し て 宗祖の化他行 を 時 代 に生かそう と したのであ る 。 唱題 を媒介として本 仏 へ の 信 を 致 し、仏智 を 体 得 し て 、 わ が 身 即ち仏 子なりと の 自覚か ら必然的に従 体起用 の 菩 薩行 を な す べ き だと主張し、倶体倶用の 三 千義を唱え 、 仏法の活物体 で あ る こ と を示してい る 。日透の﹁事がまま ﹂ を評して無為無作 、 理 本 覚 の 死仏と破折す る 所 以 で あ る 。 日輝 が摂受を唱えたのに対し 、明治 の智学は日受 の 唱 題事観 のc
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立場を更に進め 、 閤浮統一の天業を理想として折伏を主張した点 に相異がみられるが 、化 他の菩薩行を勝義の事観とした本筋に変 り な 、 。 以上の各論は凡て 、 宗祖の本義に還らんとする努力の結晶であ る が 、 結果的に日透のそれは天台理 観 の亜流に堕し 、 日 受のそれ は但信口唱の易行門に流れ、日輝を侠つてはじめて両者の立場は 止揚され、自行安心の域 を超え 、化他 の菩薩行宏提起し 、 更に智 学の所論を容れて事観の面目を発揮し 、 現代日蓮教学の底流をな す に 至 っ た 。 結局 、 菩薩行と云う﹁行動﹂の提起は宗祖の心宏心として法華 経に直参する限り当然に生ずるのであって 、 宗祖が法華経に問い 求めて得られた果の世界は 、 逆に宗相の御心に自己一合定的に顕わ さ れ 、 視を下して 、 対社会的には﹁化他の弘経﹂として打出 さ れ て行ったとみる べ き で あ る 。 云わば 化他 の菩薩行こそ現 代及び将来 を通じて事 観 の 生命とな り宗教の本質を なすべき も のであって 、 宗祖の事本思想にかなう と信ずるものである。 || 了 | | 主なる参 考文献
O
充治 圏全集O
昭和定木遣文O
﹁日蓮宗教学 史﹂執行海秀著O
﹁ 日蓮教学の研究﹂望月歓厚著O
︷ 一 示 学 全 書 ︵ 顕 本 法 華 宗 部 ︶ 。 ﹁ 事一念 三 千 義 ﹂ 観如日透著︿ ト
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肝脱道論︵︿ 同 云 巴 寸 叶 目 立 ’ の の k p ︶の英訳が3
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から一九六一年秋に 刊 行され 、 足 岳 山 由 。 岳 山ω
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の 幹 事 、 羽 田 同 町 内 問 出 口 k r z d M N O O 国 ﹀ の好意によって 小 生に恵送せられて 、 吋 V ω 市 問 門 何 回 。 州 司 円(
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き た 。 訳者は江原亮瑞 、 セ イ ロ ン の 山 口EH
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の 各 帥 で あ る 。 本 論の成 立 、 考証については長井真琴 、 干潟竜祥 、 両博士がす でに紹介ずみであり 、 本稿に於ては 、 紙面の都合によって 、 分 別 戒品︵O
ロ 巴 忠 一 口 ぬ 三 喜 一 町 閃 ︶を主として 、 英訳文について若干 気付いた点を述 べ て み よ う 。 概して忠実な直訳によって 一 貫されるが 、 訳語 の 選択に際して はωペ
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の取捨にあたり極めて細心の配慮がなされ 、ω
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H グ な どが 前 後 の 印 同 叶 巴 k r 叶 H C Z に応じて波訳 の 意 図 すると ころ と合致 し て 使 用 せ ら れ て い る 。 ﹁ 成 相 応 比 一 諸 附 悩不 起 退悔 。 引 内 定 成満 ﹂ ﹁ 相 応 、 及び 諸煩悩 の 不起 、 退悔 を 成 じ 、 定 の 成満 を得 ﹂ 氏 訳 ︶ に 相 当 す る 英文 は 、 o u o p 凶 の O 向 日 付 H O Hz
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可 O M− − ∞ 一 色 与 と な る の で あ ろう が 、 パ l リ 文 の 相 当筒所は5
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︵ 惜 抗 、 倶 ふ 一 口 論 凹 、 成唯識論 六 、 大毘婆 一 裟 論 三 七 な ど に で あ る︶で あ っ て 惜沈 、 退悔 、 z m H 庄 司 の 紡 ム 円 の 綜 が 判 然 と し な い 。 ﹁ 思 言 離 散 し 、 花 を焼Z
火に事 へ ﹂ は 広 一 ω ヨ ︶ 門 的E U 2 H・ ω ω 即 H O O 内 向 。 円 2 0 2 0 3 g x とあ り ﹁ 悪 言 離散 ﹂ に 相 当する英文が た ふ じ さ フ れ ら れ な い 、 捕 食に於ける 自 民 向 庄 内 o o q 糞 火に於け る 臼 口 一 回 関 同 一 吋 巾 は 理解し が た い 。 行門品 四 に 鈴 け る ﹁ 塙 ﹂ は 問訳 の 註 で は﹁恐らく 開 か ﹂ と あ る IJ 々 C が 、 こ れ は ﹁ 痕 ﹂ と 同 意語 で あって英 訳 の ω m g は﹁悪 感﹂の意味 で あ る 枕 に と も に あ たって い な い 。 ﹁ 政 ﹂ 先 日u吋 ぬ の o u g − − 円E
店 、 時とし て 目白 ω ぽ などがあてられ て い る が 、 そ の 使用 にあ た っ て 統 一 を欠 如 し て い る と思 わ れ る 。 泌訳 ﹁解 脱 道 論 ﹂ から英訳さ れ た 本論 ︵↓ v o H U ω H V O 州 司 円 。 3 仏 O B ︶ は 、 ︿ ﹄ 的 凹 口 門 呂 町 一 日 ω 目 的 と 比 較対照 の 結 果を 理 解 す る こ と が 汁 げ ぬ 。 。 出 の o h M け 円ω
巴 O 回 で き 、 木論 の 特殊 性 を 一 層 明確 に し 、 重 要 な 法 相 熟語 に は 一 々 原 語 を 付 し 、 更 に 関係文 献 を かγ
け 詳 細 な索 引 を 付 す るなど 、 こ の 摘 の 聖典 の実 際 的価値 の 運 用 に 効果あら し め て い る 。 qSH E ARニ
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大覚 世 尊 霊 山 会 上に於 て法華八ヶ年の大会 正 に終 一馬 を告 げ む と せし時 、 普賢 一 音 院 は 遥 か宝威上 正 問 に 於 て 釈尊が 長 さ に 説 き 玉 、 っ 法 華経 を 聞 き 、 諸 の 菩障 と 共 に 裟婆 世 界に来 っ て 聴 受 し 、 恋法 惜 く 能 わず釈尊に﹁ 再演 法 華 経 ﹂ を 請 い 奉 っ た 、 即 ち﹁若 草 口 男 子普 女人於如来減 云 何能 得是 法 華経 ﹂ と 町時 に仏 普 賢 に 告げ 玉 わ く 、 ﹁ 若 善 男 子存女 成就 四 法於 如 来 滅後必 得 是経 ﹂と是の普 賢菩慌 の 要請は ﹁ 誰 持 此 経 ﹂の信 念よりし て 末 法濁悪 世 に於 け る 自 他阿門 の 修 行法 と し て の 法 華経 木逃 両門 開 顕 の 要 を 請 い 奉 っ た 。之の要請に刻し仏の応答し玉える所の凹法成就は之れ法 華 一 経 の 重 演 に して白 他両行 に汎る 軍 に 巧 妙 を極められたものであった 。即 ち 四 法と は ﹁ 一 者為諸仏誰 念二者 桓諸徳本 三者入正 定 衆 問者 発 救 一 切 衆 生 之 心 ﹂ で あ る 。 釈尊 は 此 の 四 法の要義に 由 って法事経木遮 同 門 の 事 理 に 汎り其 の 修 行 チ 一 諸説せられ た 。 即 ち 末 法 に 於 て﹁誰持 此続﹂の確信を持ては四法は必ず成就せん 、 而 己 な 、 り ず 木 述 開 顕 すれば 四 法は又法 門 白行門の 四 安 楽 行にも対応し 、 又 迎 門化 他門 な る 衣 座 室 の 一 一 一 帆 に も 対 応 し 、 又 正 宗 分 の 凹 仏 知見 に も対応 す 。 要は戒 定悲 二 一 学 を 根底 とする 末法 法華経の修行法である 所 の ﹁ 四 法 成就 ﹂ は 、 之 れ ﹁ 護持此経 ﹂に基く事 明 か な り 、 然 し乍対 告主な 7 J 4日 賢汗院は之れ述 化 の菩醍なり 、 四 法が﹁迩面本裏﹂の教相な る 取 は 之 れ自明 の 四 なり 、 若 し 夫 れ ﹁ 本 面 述裏 ﹂ の 本 門 の 実 義 に 至 り て は上行 存 院 の 出 現 を 待 ち て 顕 発 せ ら る 可 き で あ る 。 是 れ 朝 一 切 川 が件 減 に 於 て 守 量 品 の 文 低秘 一山 の 五 字 を 以 て 一 代理教 の 真 髄 と し 、 釈 尊 出世 の 木 懐 と 説 き 玉 、 っ 所 以 である。型 制 は 此 の五字より 三 和 子 − 閉山 し﹁更持 妙 法﹂の信念これ果法修行の方 軌也 と 定 む 。 即これ戒定悲 主 体 子 に 配 す る 本 門 の 三 大将法なり 、 今 三 秘 と 四法を 対 比 せば木 門 の木尊は寿量顕本の上に立 つ 本尊にして寿最 口問 文 上 の 釈尊 は 其健無始無 終 の 無作 の 三 身 即 一 の 本 覚 仏 に し て 三 世 十 方 の 仏 を統合 し て 諸仏 の 中 心 主 解 と な り 法名七字の名号を以て吾等 の 帰依 の 対象 と な り 玉 、 っ 。 今 、 四 法 の 諸 仏を 問顕 す れ ば﹁木仏護 念 ﹂ と な る 。 本門 の 題目 を 以 て 四 法 の ﹁植諸徳 木 ﹂ を 開 顕 す れ ば 、 七 ︷ 子 の 題 日は之れ木仏の妙特にして仏智 を 以 て 一 切 諸 法 を 開閉すれば 、 悉 く価値的に功徳 化 し皆な妙法の妙 用 となる。又 こ の 仏智を木仏の 閃行果 徳のニ法 発 具 して受持の者 を して其の功徳を授 与 せしむ故 に 四 法の諸の徳本 は これ本 門 の題目な り 、 本 門 の戒極は之 れ 木仏 の 妙相 な り、即 ち 吾等妙 法を信得し身 口 意 三 業に受持すれば 、 仏 力 、 法力 、 信力 士 一 力具合し任運に = 一 身の果徳 を 亨受し即身成仏 の 大果に入 る 事 を 得 ん 。 此 れを吾等行者は具体同心 を 以 て 化 他の願 業 に 徹 し 、 四海帰妙本国土妙を 実 現 せ んと拝す可 き な り 、 四 法 の ﹁ 入 正 定 取 水 ﹂ 並 に ﹁ 発 救 一 切 衆生 之 心 ﹂ 法 即 ら 本 門 の戒壇な り 、 然 り と 雌 巳上の法義は 妙 法の願徳 門 の所証なり 、 若し夫れ其の遮 附門に入むにを機 悔 滅 罪 と 報思謝徳の生活なかる司からず 、 之 れ 現 代吾等の最も反 省 す可き所なりと信ず。
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円 一 一 連 製 人 の 公 教 よ り 見 た る大
塩
中
粛
の儒
教哲学
有
光
逸
友
陽明 学者大 出 平 八 郎中 斉 H A び先 祖 以来の菩提寺に住 職 し て い る 私 は 、 その事蹟の 研 究と顕彰を行 っ て い る が 、 本化 別 頭の教学上 に 観 点を置 い て 、 中 斉の儒教哲学 を 見 て く る と 、 そ の思想と行動 に つ い て種々の特 徴 に 気 付 く の で あ る 。中斉の儒教哲学は 、 王陽 明 の学統を奉じたが 、 彼はそれに縛られ ることなく 、 独自の体系を打ち立てた。東洋哲学上に於ける実在 の 問題 たる天 ・ 太 極 ・ 無 ・ 無極 ・ 空 ・ 空 虚 ・ 中 ・ 良 知 等 を ﹁ 太 虚﹂を以て総合統 一 し 、 認識 の 問題 たる良心 ・ 道 心 ・ 知 ・ 良知 等 を ﹁ 良知 ﹂を以て総合統一し 、 道徳の問題たる五倫 ・ 五常等を ﹁ 孝 ﹂ を以て総合統一し 、更 に こ の 三 綱をば 一貫し て 一 体 な る も の と し ﹁ 太 虚 ﹂ に 帰 一 し て い る 。 この点に於て 、 中斉 は東洋哲 学 思想 の 総合統 一 を 試 み た 偉 大なる哲学者であると言 つ ことが 出 来 る の で あ る 。 しかし彼の四十五年の生涯に於て 、 仏教研究に手を染めるいと 支がなかった為に 、 本 化教学 の広大深 淵 なるよ り見れば、隔靴揃 序 の 感 な きにしもあらず 。 太虚の実在 論 は 、 大宇宙の 聖 な る法格 体 の実 在 を 語 る が 、 久遠 木仏の聖な る 人格体 の実 在 に つ い て は 未だ説き得ない。良知の認 識論 に於て 、 八 識相当の心識論 で あ り 、 未 だ 九識 の 仏性 を認めな い 。 放に信念唱題によって主客 一 如 の 境 に 至る 、 智即信 の認識で は な い 。 道徳論は孝 を至上とするから 、 我祖 の 説く主師親上位 者 に 対 す る 四恩報謝 の宇宙 的道徳論には 及び得な い わ け で あ る 。 知行 合一の学 風 に つ い て も 、 そ の 知は個人 の 心を中心とす る 観 念観法 である か ら 、我祖 の 一 閤浮提第 一 の 御 本 尊 を信ずるという 前提 のある 、行 学二道とは異なるものがある。 中 斉 は 、腐敗せ る 幕政に対する覚醒運動 を起 し た が 、 これは身 を殺 し て 仁を な す義挙 である 。彼が先祖代 々日蓮宗を泰ずる家に 生 れ て 、 日蓮聖人の国家諌暁 に つ いての厳しい折伏 伝 導を慕 い 、 心中に何 か共鳴する も のを感じ て い た に 相 速な い 。 新し彼が余命 を 得 て 、 日 蓮聖人 の 宗 教 の真髄に 触れ て 、 そ の 思 想 が 円熟し て い たのなら ば、東 洋哲学 史上 に 於 け る 彼 の 価値 は 、 更に高揚さるべ き も の と な っ て い た で あ ろ う 。惜む べ き で あ る 。 私 の 中 斉研究の目 的 と す るところ は 、 こ れ を 一 つ の 方 法 と し て 、 より偉 大なる 日蓮聖 人 を 、 陸人に正しく知 らしめた い 事 に あ る。未だ 研 究途上 で あるが 、 母校創立五十周年記 念大会 を 期 に そ の 一 端 を発表した も の で あ る 。 ︵ 大会発表の 稿 は 、 信人 三 十八年 六月号に掲 載 したもの︾抜 刷 が あ る の で 、 御希望者 に は 送ります 大 阪市北 区末広 町 三 五 成
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寺 宛 申込下 さ い 。 ︶(
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身延山
山内文
書調
査報告
書
中
尾
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この調査は 、 立 正大学人文科 学 研 究 所 の行う富士 川 流域総合調 置 の一環として 、 伊 木寿 一 教授 のもとで 行 っ た も の で あ る 。 富 士 川流域 の寺 院 を研究 対象 とする場合 、 まず日蓮 宗 総本 山 身 延山 久 遠寺 に注目 しなくては ならな い が 、 その所蔵する 史料は 、 中世 に 関 する限 り極め て乏し い 。 こ の 時期 の 教団 の 動 向を探求す る に は 、 中部、関東 一円 にわたる広 汎な調 査 研 究が要求さ れ る 。近世史料については 、 身延山短期大学室住一妙教授のご厚意 に よ っ て 、 その一班を窺うことが出来た。明治期の火災によって多 く の史料が浬減したが 、 本末関係 、寺領関係 など、相当良質な史料 を発見出来る可能性も大きい。当寺の史料が富士川流域関係史料 調査上、極めて重要な価値をもつものであるか ら 、 全面的な調査 研究に寄せる期待は大きい。 身延山塔頭寺院の調査は昭和 三 十五年以 来実 施 し た 。全般的に みて史料に乏しかったが、 こ れは寺院の移動 、 合 併 、 火 災 、 さら に文書、什物を本山で管理する建前であったことによるものであ る 。 各坊とも近世中期以後の身延山貫首の本尊蔓茶羅と過去帳 、 棟 札等が所蔵されているに過ぎない。たけ﹀東 谷の覚 林坊は例外 で 、 身延山山内支配 、諸 行事 、 諸費用に関する記録、文書 、 身延山席 代貫首蔓茶羅本尊等 、 塔頭寺院の中では最も豊富な史料を蔵し て い る 。 又 、 西 谷樋沢坊からは 、 永禄五年︵ 一 五 六 二﹀から元 禄 五 年︵ 一 六 九 二︶に至る 五通の宿坊定書が所蔵 さ れていたこ とがわ か り 、 さら に端場坊、志摩坊︵共に東谷﹀にも同様に保存 さ れ て い る 。 こ れらの史料は本山所蔵の﹁身延山一房跡録抗日本国参詣宿 房定﹂︵ 一 七 二 一年、身延山 三 十 三 世遠泊院日 享 筆 、日蓮 宗宗学 余書二十二巻所収︶と対応して身延山山内組織の成立史上注目に 価 す る も の で あ る 。 以上、富士 川 流域の寺院史料の調査を担当した筆者の中間報告 であるが 、 このような史料の残 存状況 か ら み て 、 現地の徹底的 な 史料調査は勿論のこと、しても 、 本末関係を辿ってなされる相当 広汎聞にわたる研究が要求されてい る の で あ る 。 な お 、 今度作製した 身延山々内 文書目 録 は 立正大学文学 部論 叢 第十六号に掲載 さ れ て い る 。
新
宗教勃
興の社会史背景
ー ー その 条件をめ ぐ っ て l |妹
尾
啓
司
我が国におけ る 中世末期か ら 近 世初頭にかけ て 旧仏教諸派の衰 退 ・ 堕落に乗じ て 、新仏教 の地方発展やキ リ シ タ ン 宗 門 の 異 常 に 普及した実情に つ い て 、 その社会史的背景のもとこれらを勃興に 導いた諸事情に つ い て 若干の考察を試みた い 。そして現代社会に おける新宗教勃興の因由とも照応してその本質的な相違も究明し た い 。 さて世界史を通じて新宗教の発生は大多数が既成教団自体の腐 敗 ・ 堕落 ・ 形式化などに対し、殆ん ど が より現実的 ・ 民 衆 的 な 要 望にこたえて生誕している。古代ヨ ー ロ ッ パ に お け る キ リ ス ト 教 の発展にしても迂余 曲折 は あ っ た が 、 要 し て 、 ① 世 界 的 ・ 民衆的教 義 。 ①宣教師の献身と熱誠。①教会組織の強靭性。④学者の援助 ①精神的世界統 一 。 ①布教 に対する便宜 。 な ど が あ っ た 。(
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別 に イ ン ド に お け る カ | ス ト 制 度 の 弊 害 は仏教や ジ ナ 教 の 成 立 を 招 き 、 又 西欧中世 の キ リ ス ト教もやが て 人 を し て 救済す る こ と から遠ざかったので 、 こ れ に プ ロ テ ス ト し て 宗 教改革 が 起 っ た 。 更にカ ソ リ ッ ク の 回復 を 期し て は反 動 宗 教改革も存す る が 、 こ れ ら の 何れ も は民衆 的 要望にこ たえた も の で あ っ た 。 政が 固 に お い て も 奈 良 ・ 平 安 の 貴族仏教は やがて大 衆的 な 実 践 性 を も っ 鎌 倉 新仏教 に交 替 し 、 室 町 時代 から近 世初期 にかけて 新 仏教 の 地 方 波 及や キ リ シ タ ン 宗 門 の 弘布 なと 、 す べ て 混乱し た 時 代 の 期待 に 応 じ た も のである 。 そ の 理由は 、 @ 庶民的 な 教義と信仰本位 。 ゆ 社 会 的 不 安 の な か 精神的拠点 。 円 筒明 平 易 な 文章と積極的伝道 。 @ 各階層 へ の 信者 の 獲得 。@ 講 ・ 組 の 組 織 。 @ 護持発展 の た め に宗 論 ・ 一 摂する こ と な ど 予 あ る 。 加 え てキリ シ タ ン 宗 の 場 合 は、何日 本 人 の 好奇 な る 群集心理 。 同 キ リ ス ト 教道徳 が 不倫無道 を い ま し め る 。 何政治 家 の 利 用 。 州 社 会 奉仕 ・ 医 療救済 ・ 学 校教 育 。 凶 山 本 悶 か ら の 財 政 援助 な どから 一 層顕著 で あ っ た 。 実 に以上の如 き 理 由 が存し た が 、 そ れ ら の 流布興降も 本 質的 に は その宗 教 の も つ 県 高 な 価 値 に あ っ た と き 守 え る 。 高い価値 を有す る宗 教に接し た 民衆は必ず 多くの 帰依者 を 出 すこと は当 然である と 一 一 一 口 わ ね ば ならな い 。 次に現代社 会 に あ っ て流行す る 新 興宗教 の 特性 をまと め て み よ う 。 付教義が混活的口現世 利 益 白 在 家 本 杭 伺 熱 狂 的 ∞ 祖 霊 泉 拝 が 多 い 肘 神秘的体験 を 重 ん ず る 。的非科 学 的 分子を合む 門 会員 組織 、 な か に は 軍 隊的規律性 や 、 回 参 ・ レ ク レ l シ ョ ン ・ 座談会などを 有し活濃化し て い る 。 こ れ ら の 教 , 設 や 、 入 信 の 動機 ・ 会 員 の独 刊 ・ 活動 に つ い て そ の 詳細 を究め 、 そ れ らの実 態も把拒し な け れ ばならな い 。 新興 宗 教が民衆によ っ て 支持 さ れ て い る 以 上 、 そ れが低俗 で あ る も の な ら ば そ れ は 民衆自体 の 低 俗 性 を表 明 す る も のであ り 、 当 然民衆 的自 覚 の 上 に反 省 さ れなくて は ならな い と 思 う。一方 既成 教団 の 無力化 ・ 形 式 化 に つ い て 改 善すべき 必 要性 も痛 感するの で あ る 。 なとで あ る が 、
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経中の∞
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について
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司コ ベ、ム行
初期 大乗運 動 を 竜樹 の 時代 を 境 と し て 、 法華経の 成 立をその 前 と し て も 、 ぞ れ 程 古くは 無 い と すと観 方が 常 識と 思 われて い る よ うであ り ま す が 、 ﹁ 法華経は五 天 竺 に 流 伝 し て 、 そ の 論 を 造 る 者 五 十 余家 、 仏 滅 五百 年 の 終りに竜樹 菩 薩法華論 を 造 り 云 々 ﹂ と 真 一 部 三 蔵 が云ったと伝えて い る。この真諦 三 蔵 はE
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旦 勺 を 姓 と す るε
τ
区 中 国 の 婆羅 門 の 出 で あ る 。彼 の 発言 で あ る 所 に 此 の伝 記は軍 大 な 意義 が あ る と考 え る 者 で あ り ま す 。 党文法華経 の 中 に8
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の 語 が 一 、 二 ケ 所 あ り ま す が 、そ の 訳を見ますと、単に H 一 切 μ または 、 げ 倶 一 切 H H と訳されて い ま す 。 こ の 語 に つ い て 、 ピユルヌ | フ は 、 ω同 ︿ 附 君 ロ
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目 は 、 円︿ Uω
・間 内 ・ ↓ のω
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円 ︿ 帥 ︿ g H ︵ω
丘 ﹀が H V M H 日 と混じた も のと云って 居り ま す 。 また現に 訳 さ れ た も の も 、 殆んどは 、 一 切 と訳されて い ま す 。 つ ぶ さ に言語のありかたを 観 てみますと 、ω
吋 司 印 は元来が吠陀語 であった ものがω
・ 穴 ・ 、 吋 化 ν さ れ 形 ’ 答詞として用いられるようにな っ たものであって、合成されたるω
︿ 出 口 寸 自 は 、 雪 印E
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と 復数語 尾 をもった名詞であると見る可き で あろう 。 之 の ように解釈 をすれば文法を無 視 し た も のとして 非難 される 方もあるでしょうが 、 仏教党語には そ の 非難が当らない。 そ れ ば か りか経典成 立 が古ければ古い程 、 一 層文法をもって律すれば読 むこと も出 来ないでし ょ う 。 例 えば寿量 口 聞 の ﹄ イ 凶 − hロ
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何 日 ぎ を調 へ て 見主 すと 、 ︿ O 庄 のI
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立 ハ 凶 ・ 凶 ・ 閉 山 ・ 、 吋 ・ 1 1 1 ム 一 切 戸 門 呂 町 一 ω同 ・ω
・穴 ・ 叶J
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小 川 円 ロ ω ︸ 州 立 。 1 1 1 一 一 印 1 1 1 ム 一 H V M 昨日目 ︿ . H U .ω
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Q 以上のように な ります 。この 事 実を見ても分る 通り悉 くの言語 が文法の 鉄則 を 厳守し て 成立し ているとは思えない。このことに つ い て 水野博 士 も 文法書の 中 で ﹁ パ | リ語 の連声法 則 は党語の 如 A 4 1 ︿厳密でなく 、不規則 の場合が多 い﹂と言われてい る 。 凶 ︿ 巴 邑 と云う 語は 、 国名 である。この 国はヴイ ン デ イ ア の 西五
百
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− と の 間 に あ る 国 である。この 雪 印 口 立 国 こそ或る意味で大 乗に関係あり と 考 えら れ る 。 ウ ヱ ス タ ー ガ 1 ド 。 ク | ン 。 フ ラ ン ケ等の研究例 を 上げ て宇井 伯寿先生 が結 論 さ れ て 、 西 ヴ イ ン デ イヤ山脈を中心 として行わ れ た言語が 仏教経典最初の言語 と さ ﹁ h J れている。寿量品の mEV 同 も これ等言語の影響を受けたと見る 事 が 出 来る。法華経中一、 二 ケ所にある 、83E
ロ 片 山 田 をυ
全 てのアヴンテイ H と訳して見ると 、 今まで 抽象的 であった経 典 が 一 段 と具体 化 さ れて、読者に迫って来るように感じ 、 り れるのは何 故 で あ ろ う か 。 ① 唐慧詳 ﹁ 法 華 伝 記 ﹂巻 一 。 ぬ σ げ町向仲間 H H 頗締堕 。 ① 同 口 同 国 丘 四 円 ロ 門 凶 旦 ω 。 ① 水野弘元 著 、 パ l リ 文法 印 印 刷u ①宇井伯寿著原始仏教資料論 ωヨ
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注法華経御間集の意義に
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注法華経 御 撰集 の 御 意閃 、 其 目的 に つ い て こ 樋 の 惟 量を試みん と す 。付 第 一 に吾が恩師片岡随喜居士は、注経十巻は 、 本経の金文を 能摂 ・ 能判とし所注の経論釈を所摂 ・ 所 判 と し て 、 三 国 仏 教 の 最要の文を集めて法華経王の大海に注帰せしめ 、 或は本経に比 況 し て 自らに諸経の位次を定め、或は本経に照鑑して自らに諸 釈の謬解を匡し給 へ る も の と 解せり。即ち法華秀句に言 ふ ﹁ 是 政 天台一家会二 切 経 一帰 = 法 華経 一 。 是 則 敷 = 揚 法 華 ︸ 会 = 通 諸 経 一﹂ を 如 実に具現 せ ら れ た る な り 。 故に恩師は、注経十巻の御注記 中には聖祖御自身 の 妙解は牽末も存ぜ ざるべ存きことを確信し 居られたり。右の師説を証する 一 例とし て 、 A 注経第 六 巻寿量品の裏面 二 ケ 所に華厳経新旧両訳の阿僧紙 品及び仏小相光明功徳品を御注記あり。右の御所引は仏が心 王菩薩討に宝手菩薩に対して将に説法を開始し給はんとする を叙したるが 、 其説法の内容については引き給ふ所なし。惟 ふ に 、 華厳経の旧訳 三 十四品 ・ 新訳 三 十九品 の 内、仏 の 自説 は唯此 ニ 品のみなり 。然るに法華 経は、序品 ・ 信解品を除け ば余の二十六品必ず仏の自説あり。恐らくは此仏自説の多少 を比況し給へるならんか。而して金綱集の華厳宗見聞に出せ る﹁華厳経一部巻品次第﹂には﹁仏説 二 品﹂として右の両品 を挙げ 、 更に阿僧祇品については﹁此品只紙一枚﹂と記載し あ り 。 B 又 、 華厳経の﹁心如工画師画種々五陰
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心仏及衆生是 三 無 差別﹂を引くには﹁如来林菩薩説 ・ 覚林菩薩説﹂﹁或見大菩 薩充満 三 千 界O
或見盛舎那於彼転法輪﹂を引くには﹁普賢菩 薩説﹂。﹁ 一 切諸仏身唯是 一 法身一心 一 智恵力無畏亦然﹂を 引くには﹁賢首班口薩答文殊問云﹂と 、 それぞれ説主の菩薩名 を念記し給 へ る 事 実 。 に稽ふれば、仏自説の義辺 、 やがては随白意説の義辺に於て華 肢を法華に比況し給 へ ることを窺ふ べ し 。 さ りながら地面に於ては、先づ本経の文去挙げ次に其義宏解明 せ る 諸釈 を 引 き給へる諸 例あり。更に注経御注記 の 経 釈 二 一O
七草の内 、 玄義及び文句の本末にて八二 一章 を 占 め 居 る 事 実 。 更に又﹁仏 三 十 二 相 ﹂ ・ ﹁ 十 号 ﹂ ・ ﹁ 大 小 三 災 ﹂ ・ ﹁ 四 意 趣 ﹂ 等と標目して是等&註解する諸文を注記せられたるあり。此事 実は本経を註疏するために引用せられたるものの存することを 否 定 す る 能 は ず 。 然しながら﹁注法華経の注は、註疏の註にあらず 、 注帰の注な り﹂とする思師の説は、在来の注経観には曾て見る能はざりし 独自の見解にして 、 此点、田中智学居士が﹁即ち本経を規矩と し て 詩論群釈その取る べ き を 取りその捨つべきを捨て 、 検敬し て其醇を介録し、以て条然一大系下に統判して、天下後世の異 義異見を杜絶したまへるもの 、 実に是れ註法華経なり﹂と道破 せ る と一脈相通ずるものあり。 日日次に 、 小子の考ふる所にては、他日の公場対決を期し 、 之 に 備へて諸宗破立の肝要を伝へんがために撰集せられたるには非 ざ る か 。 即 ち 聖祖の加へ給 へ る 設 問 若 く は 標 自 の 辞 句 に 、 ﹁ 疑 云 。(
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A 明 別エ 司 プ ス ヲ 教一念三千一乎﹂ ・ ﹁ 疑 云 。 光 宅 等 諸 師 明 = 十 界 互 具 一 乎 ﹂ ニ ク ス ノ ヲ ﹁慈思改悔ノ文 ﹂ ・ ﹁ 花 厳 経 如 一 三 位 花 一 明 一 三 乗 作 仏 一 之 文 ﹂ ・ 三 ス ノ ヲ h ’ ハ ν テ ノ ナ ル ヲ フ エ ﹁爾前秘密 明 一 一 久 遠 実 一 乎 ﹂ ・ ﹁ 慈 恩 恐 還 = 属 累 経 末 ︸ 随 一 一 天 台 一 ノ カ ス ル カ カ ル ノ 之釈 ﹂ ・ ﹁ 真 一言 一 行 版 = 天 台 − 文 ﹂ ・ ﹁ 嘉 祥 販 一 一 伏智者一書﹂等 と あ る こ と 。
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曾谷抄に﹁若黙止過二期一之後。弟子等定謬乱出来之基 也 。 愛 以 愚 身 老 重 己 前 欲 レ 札 一 一 調 之 一 ﹂ と仰せありし聖教来集 と其札調整東に関する深甚なる御決意。 C 御遷 化 記録に所謂﹁ 六 人 香 花 当 番 時 可 レ 披 = 見 之 一 。 自 余聖 教 非 ニ 沙 汰 之 限 一 云 一 玄 ﹂ の 御 遺 誠 。 D 注法華経の御注記を根幹として 、 之に枝葉を加へて次第に 集大成せるものと見ら るる金 綱 集 の 結 構 。 ︵ 此項第十回 大会 に於て発表︶ 等に之を窺ふことを得べし。但し注経には 、 浄土及び禅門の教 籍は殆ど引用せられて居らず 、 此 点諸宗破 立の肝 要とは称し難 きに似たれども 、 文句 ・ 記 ・ 止観 ・ 弘決 ・ 補注等 の 出 だせる念 ・ 禅対破の要文を御注記あり。更に又 、 注経御撰集の時は 、 専 ら真言対破に意を用ひ給へる故か。 右の如く案じ来れば 、 河合日辰 師 が﹁註法華経の事たるや 、 吾 祖 一 代 の設 化 の離奥を網羅して残すことなく 、 一 切経の肝要 、 能破所破 、 至れり尽くせり﹂と述べたる 、 蓋し 、 適評と言ふべ l レ 。仏
教
興
立
史
上
仏
識
以後の
末法
と
其重要性
木
村
日
紀
仏陀予言の末法に﹁闘諦堅固白法隠没﹂の﹁法滅的末法 ﹂ と﹁於 閤浮提白法流布﹂の﹁法興立の末法﹂との二種がある。前者は杓 の 五 百年を指し、後者は残 る 九千 五百年を 指す。前 者の滅亡史 的 末法期は世界史上濁悪な社会制度や人間思想の悪傾向となって表 われ 、 それに対して各時代の偉人の反時間が発生し 、 それが幾多の 過程段階を経て凡てが革新され 、 現代の如き科学文化の興立史的 末法と転じてゐ る 。 小生の仏滅 年代は﹁ 衆 聖 点 記 ﹂ の西暦 前四 八 五年に一致するから 、 入末期は西暦 一O
一 四年 と な る 。 こ の 時代 から現代に至る世界史には前述の 二 種の末法期が現われ てゐる 。 其処で法華経流布の立場からすると 、 その主 体性は末法 に あ る 。 して経それ自体は四仏知見 が示す如く人 類唯 一 の 解脱教 で あ り 、 仏覚証を其のまま を 経典化したもの である 。久遠本仏 を通 して顕 われた﹁常住不変の諸法実相﹂は﹁ 一 切世間﹂の本然の姿 を 現わし た 縁起の理法 で 極めて合理性 の法である。其が天台大 師 によって 法界円融の 一 念 三 千の教理と発展し更に其の合理性が明了となっ た。故に法華経は合理性を中心する現代の科学文化と矛盾しない のみではなく、其を指導し 、 其に処 を 与へる真理であ る 。 放 に 法(
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華経 が 一 ぷ す 末 法 の 予言 に 照して世界史を解削し 、 人 頒 の 過 去の歩 みと其発展の過程を顧ることは極めて興味深く 、 かつ世界 の将来 と法華経と の 関係 を知る上に極めて意義深 い も の が あ る 。 処 で 末法の予言は独り印度にのみ限 る も のでなく、全 世界 に 関 するのでない と 予 言の価値がない。経 には﹁於 閤浮提 ﹂とあっ て 、 全 世界 を 指 してゐる。然し 予言 された時代には印度に知られ なかった幾多の 悶 が 地上 にあったのである。末法に法華経が間浮 提 に流布するとの予言であるから 、末法期 に世界が 一 体化す る 必 要がある 。叉 、 末 法の大導 仰 として 予言 さ れ た 日蓮型人も 一 方 に ﹁ 日 本 第 一 の 法華経 の 行者 L と 呼ばれ たと同 時 に 、他 方に﹁閤浮 第 一 の 法華経の行者﹂と 呼ばれ てゐる。前者は明治末期に高山樗 牛 、 内村鑑 三 等の文士 、 学 者 、 思 想 家 、 宗教家 等によ っ て 確 認 さ れ た か 、 後者は未だ国内的にも同外的 に も確 認 さ れてゐない 。 世 界 の 一 体化 を準 備し た の は東西の接触 であった 。 その最 初は印度 とギリ シ ャの接触 であった が 、 其後数十回色々の商 に於てその接 触 が 行 われ、十 六 世紀に日本がポルトガル、オラ ン ダを通し て 欧 州 を知ると 同時 に 、 一 八四八年にペリーの強 請を入 れて日米 条約 が成立したので、弦に世界 の 一 体化が 完 了 し た 。横の陛界の 一 体 化 と 同時に縦に西ロー マ の 滅亡から宗教改革に至る 一 千年は欧州 の 法滅的末法期 で あったが、其処に反協が起り 、 ル ネ ッ サ ン ス や 宗教改革となって 、 現代の如き科学文化 の 世界へと進展し た。合 理性 の法華 経と科学は相通じ て 、世 界人類が法華経の教へ た受け 入れる時代となった。やが て ﹁ 悶 浮 提 第 一 の 法 華経の行者円蓮﹂
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世界的 に確認さ れ て 、 ず 。 一 天 間海皆帰妙法 へ近づきつつあると信(
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京 教 が 児 童 生 徒 の 心 の琴 線 を 捕 り 動 か し 、 心 情 の発達 、 引いて は社 会 生 活 の 向上 に欠く べ か ら ざ る 以 上 、 公 教育におい て 、 宗教 教 育 は是非と も と り 入れねばならな い が 、 現状 は ど う か 、 現在 の 公 立 中 学 校 に お け る 宗教教育 の 実 体 を 眺 め て み よ う 。 憲法第 二 十 条 に ﹁ 聞 及び そ の 機関 は 、 宗教教育 そ の 他 い か な る 宗 教的活動も し て は ならな い ﹂ と あ っ て 、 宗 教教育は 全 前 的 に 禁 止 さ れ て い る 如 く で あ る が 、 教育基 本法 第九 条 に は ﹁ 国 及び 地 方 公 共 団 体 が 設置す る 学校 は 特 定 の 宗教 の た め の 宗 教教育 そ の 他 宗 教 的活動 をして は な ら な い ﹂と 定めてい る 。 こ れ によれば 、 公 立 学校 で は 特 定の宗教教育及び宗教 的活動 が 禁 止 さ れ て い る の で あ っ て 、 一 般 的 宗教教育ま で が 禁 止 さ れ て い る の で は な い 。 し か し 教 育 基 本 法に﹁宗教に関す る 寛容 の 態度 、 及 び宗 教 の 社 会生 活 に お け る 地位 は教 育 上こ れ を 尊重しな け ればな ら な い ﹂ ︵ 第九条 ︶ !、,、,....,保w侭場内"""’・ 二民円
とあ る 如 く 、 宗教 教育 を 積極的 に 奨 励してい る の で は な い 。 基本法 の 態度は 中 学 校 学 習指導 要 領 に 引継 が れ て い る。又 教 育基 本 法では宗教教 育と は 宗 教 の 知識 ・ 理 解 を 教持 す る こ と 、 宗 教 的 活 動 と は 宗 教 上 の 典礼 を行う こ とを意 味 し て い る上う で あ ゐ が 、 こ れ を教 科 に 就 い てみると 、 宗 教 教 育の大 部 分 は社 会 科 の 炉 当 と な る 訳 であ る。よって 社 会 科 学習 の 上 で 、 宗 教 教育 が 具 体 的 に ど の よ う に 教 持さ れ て い る か 検討 し て み よ う 。 指導要領 第 二 学 年 ︵ 暦史 的 分 野 ﹀ の 目標 の 第 七項 に ﹁ 学 問 ・ 宗 教 ・ 芸 術 などの文 化 遺産 丑 そ れ が 生 み 出 さ れ た 時代 の 学 習を 通 し て 理解 し ﹂ ︵ 下 略 ︶ とあ っ て 、 宗 教 を 時代 の産物 として 理 解 す る こ とのみを求め て い て 、 宗教 の 超歴史 的 な 側 而 を 埋解 す ることを 求 め て い な い 。 又 第 三 学 年 ︵ 政 治 ・ 経済 ・ 社 会 の 分 野 ︶ で は ﹁ 現 代 の 社 会生 活 と 文 化 ﹂という 単元 で宗 教を取扱 う の で あるが 、 指 導 要 闘 で は 宗 教は心 情 を 豊 か に し 、個 人 と 社 会の連 係 を な すも の で あり 、 社会生 活 を 向 上さ せ る 源 で あること を 哩 併 さ せ る よ 、 つ に 求めてい る 。 か ︾ る 指 導要領 の意図に 基き 、 編 集され て い る 教科 需におい て 宗 教 の 教 材 が と れ程 記述 さ れ て い る か 、 又 ど の よ う に この(
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扱われているかをみよう。 一 例 として 東京書籍株式会社発行 の ﹁新しい社会﹂をとり挙げる。宗教についての教材は第 二 学 年 ︵ 腔史的分野 ︶に散存するが 、 そ の 中 で も最も 注目すべき 鎌倉仏 教についてみると 、 同教科書 の 指導書に よれば 、 ﹁ 謙倉仏教 の 各 宗 派 の 特色 を 知 ら せ 、仏教 の日本 化、民衆 化 が急激に 高ま っ て く る 理由を考 え さ せ 、中世 における宗教の役 割 について基本 的 認 識 をもたせ 、新し い宗教の建設に尽力した多くの宗教家の努力を 知 らせる﹂等が要求せられており 、 授業時間は約五十分位を配当し て い る。教 科更 で は十 二 世 紀以後の社会不安ゃ 、貴族仏教 へ の 不 信 を 述 べ 、 浄土信仰や 、 浄土宗 ・ 真宗 ・ 時 宗 ・ 日蓮宗 ・ 臨済 宗 ・ 曹 洞 宗の宗祖や 、 各宗の要義等を約一頁半に収めている。以上のね らいと内容で、しかも五十分位で扱えというのであるから 、 生徒 に与えられる鎌倉仏教の知識 ・ 理解は極めて貧弱であることは勿 論 であるが 、 奈良 仏教等 が 如何 に 簡単 に扱われて い るか類推でき よう。︵ 他社 の 教 科 書 も は Y 同様 で あ る ︶ 次に第三学年の﹁文 化と社 会 ﹂ に つ い てみると 、 この単元では 宗教を﹁文 化 のやくわ り﹂という小節に含 め 、 内容 から 判 断 す る に宗教について 二 ・ 三 十分間 の 時間で学習す ることになり 、 内容 は宗教とは神に救いと安心とを求めるものであるという社会的機 能 の 一 面だけ記述 さ れ て いて、指導要領 でいう心 情を豊 かにし 、 個人と社会 の 連係 、 社会生活の向上等の面には全 く 触 れ て い な 以 上 、 宗教について社会科でどの程度の知識を与え 、 理解させ ょ うとして い るかを示した。勿 論 実際の段業に当っては 個 々 の 教 師 により取扱いは違うが 、 私見によれば 、 こ︾で述べた 以上 に は な ら な い と 思 う 。 又 特定 宗 教 の宗教 的活動 の 禁 止 は 前述し た が 、 自己 と 絶対者 の 対決 の 場 合 や 、 自己能力の限界の考察などの人間教育の場合を宗 教教育と考え るならば 、既成宗教 のわくにとらわ れ な い 一 般的 な 宗教的活 動 が考えられる訳であるが 、 現在こうした事を考え、具 体的 に 何 らかの指導をして い る 中 学校がどれ程あるであろうか。 道 徳 教 育 の 中 に 、 ク ラ グ 活動の中に、或は学校行事の中に行い得 る筈であるが、そうした成果はおろか 、 関 心 さえみられな い の が 現 実ではなかろうか。 尚 こ の 点 に つ いては教師 そ の も の が 特 に 問 題となる訳であるが 、 与えられた紙数では到底論ずることはでき ないから他日を期したい。 このように現在の公立中学校では宗教教育 ・ 宗教 的活動は僅少 である。小学校では 論 ずるまで も なかろう。こ﹀にお い てこそ 、 家庭の宗教教育が必要となり 、 或は幼稚園等で幼年期に宗教的心 情の発達を図ることが求められるのであるが 、 その背景には 何 と い っ て も寺院 の 活 溜 な 布教活動が要請 さ れ て い ることを忘れては な ら な い と 思 う 。
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タ
ゴ
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ルの教育
思
想
功
刀
貞
京
日
印度精神の伝統の中に育ち 、 ウパニシャツド哲学に生きた教育 者 タ ゴ l ル は 、 宗教生活こそが真実の人間存在であるとした。そ の宗教は 、 人間完成という人格的﹁完成の理想の実在性 への信 仰﹂の標楊であり 、 ζ の至高なる人格への一如 ・ 合一へと努力す る人間道が彼の愛の宗教と呼ぶものである。 タ ゴ l ルは宗教の根底を愛となし 、 愛こそが歓喜であり、理想 であり 、 解脱であるといい 、 無限者 と の 合 一 も愛の実現の姿とす るのである。この愛は 、 絶対者と人間との両者の愛から合 一 の 愛 へ と 高 め ら れ る 。 つ ま り 、 白から自我から の 解放に努め 、 自己放 棄を図る努力こそ愛のエネルギ ー であるとしている。更に又、仏 陀 への共感の修練と 、真実 へ の 献身 こ そ 愛 の 働 きであると い う 。 そこに 自己の自由を認め 、 信仰の姿がか く愛に 包含さる べ き こ と を 説 くのである。しかるに 、無限者は 、 完全性という光が完全性 へ の 人聞の信仰を啓発するが故に 、 それ自身が積極的愛であり 、 永遠の啓発の光であり 、 愛の根源であるとしてい る 。 この人間と無限者との両者の愛の関係は 、 永遠に干与し合う時 に、更に発展的人格的愛の関係となり 、 この関係から一如するこ とへの理想の実現こそ 、 タ ゴ l ルにとっては真の存在 と な り 、 信 これを人生の真の結論︵ 寸2
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ロ 己S
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︶とな この愛の結合の関係は 、 調和︵V
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目 。 ロ 可 ︶ 、 あ る い は自由2
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仏 。 目 ﹀と心の状態が説明され 、 これがタゴ l ル の 宗 教の根本理念である。タゴ l ルの教育の木質は 、 この理念を根底 となしていることは い う に 及 ば な い 。 タ ゴ ー ル は 、 シャンチニケ | タンに学園を創立するに 、 その理 想の姿を古代イ ン ドの﹁タボ | パ ナ ﹂ ︵ 斗 名o
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森の学校︶に 求めている。即ち、﹁精神的な教育は精神生活そのもの︾一部で あり 、 精神生活を含んでいるものであった﹂と 、 精神生活そのも のが学園の中で行われていたことを賞讃し 、 その場所が 、 ﹁ 神 の うちに生を送るものに宿りを与える﹂ものであったと、タポ l パ ナに於ける教育原理論をタゴ l ルのそれとなし 、 宗教的精神教育 を強調するのである。 タ ゴ ー ルの教育の目的は 、 先の本質論に基き 、 魂の充 分 な 成長 を目指し 、 更にそれを自由に迄高め 、 人間完成という至高の目的 に至り、愛によ る 世界 の 人 格的結合 を図らんとするのである。 コ 両 い 憧 れ と望みの生活を 師と共 に 分 け 合う﹂教 育に心 を 捉 えら れ た タ ゴ ー ルは、教育 の 目的を 生の目 的と同 一 な ら し め 、自由と 調和の教育こそ 、 至高の真理に生きしめることであるというので ある。この自由と調和の教育とは 、 現代教育の人間性の無視 、 非 個性化 、 知識偏重主義を排し 、 知識 の 調 和 、 身 心 の 調和 、 人間的 調和から 、 更に高められて愛による理想との調和となり、魂の自 由の状態 の 中で真理と共に生き るべき 人間形成 の 教育 をいうので 仰の姿となり 、 す の で あ る 。(
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更にこ の 目的 は 、 教育にの み 止 め る こ となく 、 これが社会 的 生 活 の 福祉と繁栄に寄与ナ ペきことを主張するのである。 かくの如き教育 目的 実現の為に 、 タ ゴ ー ルはいくつかの方法論 を 掲げ る 内 に 、先ず教 育の場所 、 つ まり環境を第 一 に 強 調 し 、 こ の 環境の内 、 最も重要な要素を雰囲気である と する。宗教的 雰 囲 気 は 、無限 なるものへの信仰をかりたて、 そ の姿を感ぜしめるも のであるというのである。 そ して彼は 、 天 地自然 の巾にその場を 求め、教室という牢獄の如 き ものから教育 を 解放せんと寸 る 。 そ こ で は、﹁目に見えない悩れの雰聞気 に よ っ て ﹂ 、無限 なるもの との親密な交感を得られるからである。そういう環境に於ける教 師 と生徒の 結びつきは 、 生命と愛をきず なと した調和にあり 、 生 活の愛を通して共に学ぶものとなる べ き で あ る と す る 。 知識も 生 活の愛 を 通して集められなければならない こ と 、特 に生きる宗教 は、教えの課業の形では一段与される べ き で も な く 、 又決った時間 に授けられる様な断片 的 なものでなく 、 生活の絶え間ない実現の 段階を繰り返して得られていく様な努力 が自然 に為さる べ き こ と を教育の方法とするのである。 更に又、タゴ ー ルは理想的教師像を 述べる 中 、 ﹁ 職 業 と し て で はなく、生活の 一 部とし て生徒の学課の手助けをする﹂教 師 を 摘 さ 、教師 の 教育活動は それ自 身 宗教 的 生活であるべきことを強調 す る の で あ る 。 即 ち 、 教師の魂の成長に伴って生徒の魂 を成長せ し める様な 、人間 愛と真理愛に 満 ちた教師 こ そ 彼の教育に求め ら れ る も の で あ る 。 あ る 。 以上 タ ゴ ールの教育は 、 宗教の 世界を志向し 、 教育すること は 宗教するこ とであ り 、 人問先成 の 宗 教国念 を教育に 一 致 せ し め て い る 。 タ ゴ ー ル に 於 け る 教育は 、 宗教の生 き た 姿なので つ ま り 、 あ る 。 z;士二? アIて
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、う合 ユ旦井
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﹁宗教と教育﹂の問題に つ い て 私は以前に あ る 新聞 に 書 い たこと は あ る が 、 実 の ところ全くの門外漢 で あ る 。 そこで 関係文献を探(
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したとこ ろ 、 戦前戦後を通じ て そ の 研究書 の地富さに 今 さ 、 り な が ら持嘆し た 次 第 。 机上 の域におい て はもはやす べ て 論じ尽され て い る と 言 っ て も過言では あるま い 。 4→
考祭 の 分 野 宗教と教育という 問 題 に つ い て 考 え る べ き 範囲 に つ い て 凡 そ の 見当を つけてみると 、 ①﹁宗教と教育との関係 ﹂。宗教 という社 会現象と教育という社会科学の 一 分野とはいかな る 相 互 関係 に お い て併存し て い る か 、 つまり宗教と 科 学 、 宗教と道徳 、 宗教と政 治との関係が論ぜられるよう に 、 宗 教と教育との関係 の 仕 方に つ い て も考 えてみること が 、 こ の命題解決の先決問題 であ る 。②﹁宗教々育﹂。教育の中には歴史教育 、 語学教育 、 数学教育等 種々の単元がある。その単元の一つに宗教々育を加えて 、 宗教々 育の場所 、 機会あるいは方法について具体的に考えてみねばなら ぬ 。 と こ ろ が 一 口 にのい広てめ極は図範そ宗もてっいと育々教。、 そ の 広 さ を 適 当 に 整理すると凡そ次の如し。 民 衆 僧 aヨヨコて 教コ円to; -者 教育侶 教 教 コ円to;- 育々 々未
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Aモ且子, 教行 層 、 師が〉う 深 寺 め 行@ る )う庭家 た め 所 f「σ
} 親 両 教育 等 で が 、 以上のうち 、 こ﹀では学校教育の面について考えてみよう︵特 に 義 務 教 育 ︶∞
学校教育に関する法規 一 般に戦後の日本人は第 二 次世界大戦時の神道教育に こ り て 、 学校は宗教々育宏しではならぬと自戒し、あるいは誤解している ようであるが、新憲法第二十条、教育基本法第九条によれば 、 官公 立学校は﹁特定の宗教のための宗教々育﹂を施してはならぬが 、 宗教々育そのものは寧了奨励している。 では特定の宗教にかたよらぬ宗教々育とは何か。これは昭和二 十一年八月十八日の衆院本会議における文部大臣田中耕太郎の演 説に明かで 、 氏はこれを﹁宗教的情操教育﹂と表現し 、 智育に対す る徳育という重要な任務を負うべきものと規定した。また昭和二 十 三 年七月に教育 刷 新委員会が時の総理大臣に提出した建議案で は ﹁ 宗教心に基く敬度な情操の洞養は平和的 ・ 文 化 的な民主国家 の建設に欠くことのできない精神的碁礎の一つであ り 、 ことに人 間性の重要な一面たる宗教的欲求を正しく啓培することは教育本 来の使命にも添うことになる﹂と宗教々育の重要性を強調した。 つ まり 一 宗一派に備しない宗教々育とは宗教的情操教育の意味 であり 、 また人間性の重要な一面たる宗教的欲求 、 すなわち人間 である以上はだれでもが持っているはずの宗教的本能 、 そ れ は 一 条一派に偏向する以前のものであるから 、 これを啓発し培養して ゆこうという訳である。 しかし人 間 本来の宗教的欲求とは一体どんなものか 、 この矧が 明確に把握されぬ限り 、 いかに宗教的情操の洞養の必要性が叫ば れようとも所詮は空理主論にす 、 きぬ。けだし日本の場合 、 宗教的 情操とはかくの如きものだ と 明示することは悶離である。たとえ ば欧米のごとくキリスト教 一 本 で 統 一 さ れ て い る な ら 、 ま だ 宗教 的情操とは何かに答えることは可能である。しかし日本の場合は 神道あるキリスト教あの新興宗教ありで、実々種々一雑多なものが 混在している。 ゆえに 、 ある宗教々育反対論者は﹁ 一 宗 一 派に偏 し ない宗教的 情操の油養は 、 いうべくして行ないえない。校庭に樹木は植えて もよいが、情とか杓とか桜とかの具体的 な 木 を 植えてはならぬとc
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いうのと同じ で あ る ﹂ と い う 。 一 応 も っ と も な 議論であ る 。 こ︾に至って、われわれはハタとゆきづまら ざ る を 得 な い 。 宗 教専門家ですら宗教的情操とは何かに対して明快な指示を与えら れる人はまれであるのに 、 まして学校の現場の先生に宗教的情操 と は何 か に つ い て 確固 た る 信 念をもって当る人は稀有 で あ ろ う 。 し た がって 生徒を導 く にも導きょう が な い と い う も の で あ る 。 そ こ で 、 こ の 宗教的情操教育に つ い て 、 私 は だ い た い 三 つの答えを 用 意 し た 。 日 宗教的情操教育 ①宗教々育に 利用 できる単元。角度合か えてそ れでは 一 京 一 派 の 宗教と教材として宗教的真理を教えることの で きる機会はない か という方向に目を転ずれば 、 この問題は簡単に処理できる。この 角度から言えば宗教的情操を全身にみなぎらせた人に各宗の祖師 がある。これにふれる学科に歴史がある。また寺院教会 の 見学は 社会科でやれる。等々 、 宗教的情操を養う機会は多すぎ る 程現存 の教育の場にころがっている。しかし、これらの機会を通し て 宗 教的情操を生徒に与えるためには 、 現場の学科担当の教員がいか に宗教を把握しているかということにかかってくる。ゆえに 宗 教 家は現場の教員と啓発すべく留意することが緊密である 。 ① 純粋宗教の立場 で・:。次 に既成 の教団の教義は一宗一派に偏 し て い る が 、 それら教団の祖師の宗教まで遡ればそこに純粋宗教 的要案を見出すことが必ず出来る 。その純粋宗教を宗教 情操教 育 に盛りこ め ば よいのでは な い か と いうこと で あ る 。 但し そ の 純粋 宗教なるも の を 祖師のどこで掴むか。たとえばわれわ れ は日蓮教 団 に所属してい る が 、 祖師日蓮ま で 遡 っ て そ こ に見出 す べ き純粋 宗教とは何かということ を 考 えると 、 これもま た 問題かと思 う 。 そこで私は次のような 提言 を し た い 。 ﹁ 日 蓮 聖 人 は こ う い わ れ た﹂﹁ 日 蓮 宗 で は こう い う ﹂ ﹁法 華経 に はこうあ る ﹂ ﹁ 仏陀はこう教 えら れ た ﹂ と い っ た の で は 一 宗 一 派 に偏す る こ と に な る から 、仏 陀 の 教 え だけ 、 法 華 経 の 精神だけ 、 日蓮聖人の精神 だ けを与え て 、 誰の教 え であるか を言わな けれ ば 、 それ は 一 宗 一派に偏 し な い 宗 教精神と し て 通 用 するのではな い か 。 こ の 際は南無妙法蓮華経 を 唱えよとい うこと も 言 え な い 。 人 は そ の よ う な 布教 は 日 蓮聖 人 の 宗 教の広 宣 流布 に は な ら な い で はないかとい う かも知れ な い 。 しかし現代 と い う 場 に は 一教団 の 利 害関係も 全 く離れた、純粋 宗 教 を 要求す る む き も あることを 我々は認識す る 必要があ るのではな か ろ う か 。 そ し て 日蓮聖人の 名を弘め なくと も 、 日蓮聖人 の 法 を 弘めれば 、 日 蓮聖 人も必 ず や 喜ばれるの で は な か ろ う か 。 ①私立学校の 宗 教 々 育 ︵ 略 ︶
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制 結語 宗 教々育 の 重要 さ に醒めよ ①我々宗教家は た とえ自坊の発展 、 日蓮宗の教団 の発展 に直 接 関 係なくとも、積極的に日本人 全 体 の 宗 教心の向上 に 骨 折 る こ と を 惜しんではならない。①伝立学校は 自 己の持つ責任の重大 さ に 醒めて 、 り宗教々育に貢献せねばならない。 事情の許すかぎ
宗
門保育の信条を求めて
田
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邑全
一 、 宗教保育の意義について A 幼稚園及び小学校の意見の比較検討 8 教育基本法に於ける ﹁ 宗教々育﹂の解釈 二 、仏教保育の意義に つ い て 三 、日蓮宗保育をどう考えるか ー 、 日蓮聖人救世の御情神a
社 会 的積極性O
惑悲忍 難O
心 を 仏道 に専らにして常に慈悲を行ず | ︵ 化 城 品 ︶O
日 蓮 は 難 を忍び慈 悲す ぐれたる 事はお それを も い だ き ぬ べ しO
日蓮は去 る 建長五年四月 二 十八日より今年弘安 三 年十 二 月に至るまで 二 十八年の問 、 又他事なく只南無妙法蓮華 経の五字七字を日本国の 一 切 衆 生 の 口に入れんとはげむ 計りなり。此れ 即 ち母が赤子の口に乳 を 入 れんとはげむ 慈 悲 な り 。 人間尊重1
生命尊重O
有情第 一 の 財は命に過 . き ず 。 ︵ 主 君 耳 入 抄 ﹀O
我れ深く汝等を敬うて敢て軽慢せず ・ 所 以 は い か ん 汝 等皆菩障の道を通じて常に作仏することを得べし︵不軽 品 ︶ C 平和と幸福O
汝 早く信仰の寸心を改めて速かに実乗の一警に帰せよ。 然らば即ち 三 界は皆仏国なり:身は是れ安全にして心 は是れ禅定ならん︵立正安国論︶2
、 法華経の人間像 人間像とは人間の現実的諸相に即して修練を経て到達す べ き すがた 人間の在る べ き 像をえがける理念である。法華経は人聞を仏 陀にま で 高める道 を 聞いた教えであり 、 この経の中に拙かれ る 人 間の現実相 はみじめであるが 、 そこからその目標とする 人 聞 を 探 ることは 、 法 華経 の 人 間像を見出すこ と で あ る 。 : ・ :教育的なねらいでその要点を抽出するにと Y め る 。a
よ り高 く正しくあろうとするものは 常 に対立と懐 疑 の 道 を歩む。︵法 華経展開 の 構 造 ︶ b 人聞は常に絶対者に護られんことを潜在的に求めてい る 。 ︵ 仏 所 護 念 ﹀c
人聞は善悪固定したも のでなく 、 常に普 き 行為に喜び を 持 つ。︵徳本を 植え る ︶ b(
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︵心意泰然快村安 d 人間は心 安らかならんことを求める。