環境規制の危険性
一公共選択論の視点から-伊 藤 様
1.はじめに 1967年に公害対策基本法, 1972年に自然環境保護法が制定されたとは言 え, 「環境」がこれほど注目されたのは,地球温暖化問題がクローズアッ プされてからのことであろう. 1992年にリオデジャネイロでいわゆる地球 サミットが開かれ, 1997年に京都議定書が採択され,いよいよ今年2008年 から約束期間に入り,京都議定書で定められた温暖化ガス排出量の削減の 目標を達成すべく,各国ともに様々な政策を行っている. 日本では地球温暖化対策法に基づき, 2005年に「京都議定書達成計画」 が策定されている.この中には様々な施策が示されており,それらの中に は規制を伴うものも数多くある1.様々な規制が揮然一体となって温暖化 ガスの排出を抑制することになる.また, EUでも包括的なGHG削減計画 が策定され,実行されている2. また,カリフォルニア州は京都議定書を批准していないアメリカにあり ながら州独自で温暖化ガスの排出量を削減する立法を行った.これは京都 議定書より長期の削減計画を要求する政策である3.そしてカリフォルニ アはこの目標を実現させるために様々な規制措置を含む政策手段を講ずる ことになった4.また他の州でも地球温暖化対策と銘打ってさまざまな規制が導入されてきた5.世界中で地球温暖化対策のために,京都議定書の 達成のために多くの規制が次々に用意され,実行されている. しかし環境は公共財であり,参入規制や数量制限などの経済的規制のよ うにレントシーカーによる導入の働きかけはないために,環境規制は導入 されにくいと考えられてきたのではなかっただろうか.しかし,近年の状 況を見ると環境規制は増加の一途をたどっているように見える.これはな ぜだろうか.環境保護団体の働きかけの方がレントシーカーのそれよりも 優位になったのだろうか. 本稿では公共選択論の理論を用いて環境規制が導入されるプロセスをモ デル化し,経済的規制と環境規制が社会的厚生の観点からどのように違う のかを考える.そのときの鍵となるのは環境規制によっても私的利益が生 じるという点である.そして,モデルから環境規制は社会的にみて最適な 規制よりも厳しい規制が導入される危険があることを示す. 2.規制の成立過程と規制ストソク 個別の規制はそれぞれの特徴と効果を持っている. Aという規制がBと いう規制と比べてどのような違いがあるのか比較することは重要である. そしてある政策目標のためにもっとも望ましい政策手段はどれなのかを考 えることは大きな意義がある. しかし, 1つの政策目標のために複数の政策手段が剛、られることは珍 しくない.地球温暖化対策については「京都議定書達成計画」に数多くの 政策手段が列記されている.そしてそれぞれの政策手段はGHG削減する 効果を持つ点においては共通であっても,資源配分上の効果,所得分配上 の効果,マクロ経済への効果などについては補完的なものもあれば,代替 的なものも含まれる.排出枠の設定などの直接的政策手段だけでなく炭素 税などの経済的手段も含めて,一つ一つの政策手段の効果をすべて積み上 げて,地球温暖化対策全体としての効果を考えなければ全体としての地球
温暖化対策の効果を知ることはできない. 例えば,規制緩和が進展したのかどうかを考えるのでも,規制目録の中 に書き込まれている規制の数が減れば規制緩和が進んだと考えることはで きるだろうか.歪みの比較的少ない規制の数が大幅に減っても,歪みの大 きな規制が新たにたった一つであっても目録に加わっていれば,目録の長 さは短くなったとしても,規制緩和が成功したとは言えないだろう.政策 手段の総体,規制目録全体の性質を分析することが必要になる. 地球温暖化対策のリストの中にはGHGの排出規制,排出権取引,炭素 撹,自動車の燃費基準,家電製品のエネルギー消費効率に関する基準,技 術開発への補助金など様々なものが含まれ,それぞれ温暖化ガスの排出を 規制する効果は異なる.また,中には温暖化に対して効果的な対策ではな いにしても実行に移され,資源配分,企業の利潤や社会的厚生に影響を及 ぼすものもあるかもしれない.そういった様々な個別の政策手段の総体が 地球温噴化対策なのである. ここで,一定のレントを生む規制の組み合わせriが,社会的に便益の大 きい順にr{,r2,r3,-サrrサ-とも巧ように並んでいるとする.そして,官 僚は第i期にriを提案することができる.官僚の提案に対して政治家は賛 否を表明し,官僚が提案を行い,かつ政治家が賛成した場合にのみ新規制 の組,tは実現し,第澗末において社会全体で規制の総量はRt=主,,.とな L=0 る.この規制の総量を規制ストックと呼ぶことにすると,地球温暖化に関 わる規制ストソクは地球環境政策の総体を表していると考えられる. 3.環境規制を巡るゲーム 3.1規制の決定過程・ 官僚,政治家が意思決定に関わるプレーヤーである.彼らの行動原理は それぞれの「利益」の最大化にある.官僚は後述する規制権限を最大化す ることを目的として行動し,政治家は再選を目指し,有権者の支持の最大
化を図る,そして,直接のプレーヤーではないが有権者は政治家の利得を 決定する重要な投書瞳もっており,有権者をレントシーカー,環境に高い 優先度を置く環境派の人々,一般有権者の3つに分けて考える.第1のタ イプはレントシーカーであり,環境規制から正または負のレントを受ける. 彼らの政治家への支持は規制から得られるレントに従って変化する.第2 のタイプは環境保護団体であり,環境規制が増加する場合に政治家への支 持を与える.第3のタイプは一般有権者であり,良好な環境という公共財 を規制によって手に入れるが,各個人の効用の変化は非常に小さいので環 境規制の動向には無関心であり,環境規制の変化によって政治家に与える 支持を変化させることは無い.. t期に官僚は新規制rrを提案するか,提案しないかを決定する.官僚の 提案する規制を政治家が承認すればその新規制は成立し,規制ストックが その分だけ増加する.もし,政治家が官僚の正の提案に対して反対であれ ば,規制ストックは増加しない.そして官僚が新たな規制を提案しない場 合も規制ストックは増加しない.政治家の行動は有権者によって観察され ており,有権者は政治家の決定が自らの選好に沿ったものであれば,当該 の政治家への支持を表明する. つまり,官僚が新規の規制提案を行い,政治家が承認した場合, t期の 規制ストックはRt-∑r,-R,-i+rtとなり,官僚が新規の規制提案を行うも のの,政治家が反対した場合,および官僚の提案がない場合rt=oなので, t期の規制ストックはRt-Rl-¥となる. 3.2プレーヤーの利得 a.レントシーカー レントシーカーは規制の有無あるいは規制の手段によって私的利益が著 しく変化する人々である.レントシーカーは規制ストソクの大きさに応じ て政治家への指示の程度を決める.レントシーカーは更に2つに分けるこ
とが出来,一つは環境規制によりさまざまなコストの増加を強いられる被 規制者(p.人),他方は規制の増加により利益を得るもの(P2人)である・ 被規制者は規制ストックが大きくなるに連れて新規制の導入に対して反対 の程度が強くなり,その政治家への支持率α.は規制ストソクの増加に伴 い低下し-1に近づいていく.ただし, -1<α1<1である.一方,規制によ って利益を得るレントシーカーは各期に提案される規制の組み合わせRl による追加的なレントが一定であると仮定されているので,規制ストック の増加に対して支持率は一定の正の値α2をとる. レントシーカー全体の支持率αは α- α1^1十α蝣Po ^1+^2
であり・昔<O,窒-oなので,
窟音量<o
レントシーカー全体としては規制ストックの増加に伴って規制の増加に対 する支持は減少していく.図1は規制ストックと追加的な規制増加への支 図1規制ストックとレントシーカーの新規制への支持 支持数持数を示したものである. 図1中のRmはレントシーカーの中では追加的な規制の導入への反対と 賛成が括抗する規制ストックの大きさである R.<R.の時には規制が追 加的に増加することへの支持が反対を上回り,反対にRt>Rmの時には規 制が追加的に増加することへの反対が支持を上回る, b.環境派 この人々は厳密に環境団体の会員だけではなく,ここでは社会的厚生よ りも環境の改善を優先する人々全体である.その人数はG人とする.彼ら は環境に関する規制ストックをできるだけ大きくすることを望んでいるの で,いかなる場合でも新規制を支持する. C.一般投票者 全有権者のうち1にも2にも属さない人々である.環境の改善から自ら の効用がどのように変化するかに興味を持っている.規制から私的利益は 受けないので環境規制からの利益は非常に薄い.そのため環境規制につい て政治家がどのような行動をとろうとも支持も不支持もしない. 官僚の利得 官僚は規制ストックが大きくなることによって利益を得ると仮定する. 従来,官僚行動の原理としては予算最大化仮説,予算余剰最大化仮説など があるが,予算そのものが伴わなくても,規制権限の強化によって官僚は 自らが支配できる領域を拡大することができる.本モデルでは官僚行動仮 説として規制権限の拡大を採用する.新規制を政治家が賛成した場合に限 り,官僚は正の利得Ⅴを得る.そのほかの場合は新規制が成立しないので 官僚の利得は0である.
政治家の利得 政治家は官僚の提案への諾否を決定する.そしてこの行動をみて有権者 は政治家への支持不支持を決定する. 官僚がr,の提案を行い,政治家が規制案を承認する場合にレントシーカ ーはα∵ Pl+α2'P2の支持を政治家に与え,政治家が反対すれば-(α一・ pl+α2*P2)の支持を与える.環境派はいかなる場合にも規制案の承認に 対して政治家にGの支持を与える. 官僚が新規の規制を提案しない場合に政治家が「賛成」を表明するとい うことは,政治家は規制の増加に反対しているということなので,レント シーカーは-(α pl+α pjの支持を政治家に与え,反対に,政治家 が「反対」を表明する場合は政治家が規制の増加を支持していることを意 味するので,レントシーカーは政治家にα1・Pl+α2^2の支持を与える. 環境派はいかなる場合にも新規規制がないことに対して政治家が反対する 場合に政治家にGの支持を与え,政治家が新規制が無いことに賛成する 場合には-Gの支持を与える. つまり,官僚がrlの提案を行ない,政治家が賛成する場合の利得をA, 官僚がr,の提案を行ない政治家が反対する場合の利得をB,官僚は新規制 の提案を行なわず(ゼロの新規制提案を行なう)政治家が賛成する場合の 利得をC,官僚は新規制の提案を行なわず(ゼロの新規制提案を行なう) 政治家が反対する場合の利得をDとすると,政治家への支持数は次のよ うにまとめられる. A=D=G+al-Pl+a2-P2 B=C=-G-(al P{+a2-P2)
図2 規制ストックと政治家への支持の関係 支持数 規制ストックR. 以上の環境規制の導入プロセスは図3のゲームツリーによって表すこと ができる. 図3 ゲームツリー 官 政 V A (規制r,は成立) 政 皮 皮 官 0 B (規制r,は不成立) 0 C (規制r,は不成立) 0 D (規制r,は不成立)
3.3ゲームの結果 AとB, CとDの大小関係でゲームの結果は変化する. (1)有限のRbが存在する場合7 この場合には図2より明らかなように Rt<Rbの範囲ではA=D>B=C, R.>Rkの範囲ではA=D<B=Cである. (1-1) Rt<Rh (A>B, C<D)の場合 部分ゲーム完全均衡は r(>0,賛成)であり,提案された新規制rtは成 立する.したがって規制ストソクは増加する. (1-2) R,>Rh (A<B, C>D)の場合 部分ゲーム完全均衡は((rf>0,反対), (r,=0,賛成))となり,新規 制は提案されても成立しないか,新規制は提案されない.したがって規制 ストソクは変化しない. したがって,有限のRbが存在する場合には Rt<Rbである限り規制スト ックは増加を続け R,>R,の範囲では規制ストックは増加しないので,規 制ストックR,はRbに決定される. (2)有限のRbが存在しない場合B この場合,任意のRtに対してA=D>B-Cであり,後ろ向き帰納法の解 は(rtt賛成)となる9.従って,新規制は常に提案され成立し,規制ス トックは無限に増加する. 3.4最適規制ストックRsと実現する規制ストックRbの関係 最適規制ストソクRsとRbの大小関係は,一般には確定することが出来 ない.しかし, R∫<Rbならばどのような場合にでも実現する規制ストック
はRsを越え,過大なものとなる.また R<>Rhの場合には,有限のRbが 存在すれば実現する規制ストソクはR∫を下回り過小となる.ただし,有 限なRbが存在しないならば,実現する規制ストソクはRsを上回り無限に 拡大していく.
4.結論
環境規制が経済的規制と大きく異なるのは,経済的規制では環境保護団 体のように経済的利害とは別に行動する団体が想足しにくくG-0となる 点である.その他の条件が一定であればGが正の値を取るときよりもG-0の場合の方が,有限のRbが存在する条件であるG+α p,<-αI-Piは 成立しやすくなっており,この条件が成立するならば経済的規制の規制ス トソクはRbとなる. 一方,十分大きなG>0を持つ場合にはG+α P。>-αI'-^lとなるので, 有限のRbは存在せず,規制ストックの大きさは過大となるだけでなく∞ となる.Yandel (1983)のBaptist and Bootlegger理論に即して考えれば環境派 はBaptistであり,レントシ二ヵ一に対して道徳的,倫理的なカバーを提 供する存在である.しかし,環境派は単にカバーを提供するだけでなく政 治的な影響力をもっている.そのため, Baptistのいないレントシーキン グに比べてレントシーカーはより大きなレントを獲得できるより強力な規 制を導入することに成功するだろう. Baptist 環境派)は無償の協力を Bootlegger レントシーカー,官僚および政治家)に提供することによっ てより大きな歪みを市場にもたらすという皮肉な現象を本モデルは示唆し ている. 良好な環境は本来望ましいものであるが,環境派の要求する環境水準が 効率性の観点から望ましいものとは限らない.排出規制と排出量取引の組 み合わせを導入すると,排出量取引市場が創設されそこで利益を上げるも
のが出てくる.すると彼らはより多くの利益を排出量取引市場から得るべ く,より厳しい排出規制を求めてレントシーキングを行うだろう.そして このときBaptistたる環境派はこれを支持し,排出規制が最適水準を上回 っていてもより厳しい排出規制が実現することになりかねない.環境運動 の盛り上がりは地球環境問題の深刻さが明らかになっている現在時点にお いては歓迎すべきことであろう.しかし,規制の決定メカニズムが現在の ままで進むならば,将来において環境規制が過大となる危険があるように 思われる. 政策手段の効率性が良くても悪くても環境規制には環境派が賛成する. その結果,規制が増加して官僚による経済活動の支配が強くなり,市場の 力が弱くなるのではないだろうか.それ自体は好ましい政策目的と考えら れる環境保護の背後でレントシーカーと官僚と政治家の鉄のトライアング ルが構築されることが危慣される. 注 1 『京都議定書達成計画』では「あらゆる政策手段を総動員して, - (中略) -自主的手法,規制的手法,経済的手法,情報的手法など多様な政策手段を - (中略)一有効に活用する.」 (p.8)とある.
2 2002年に決定された"The Sixth Environment Action Programme of the European Community 2002-2012"には気候変動だけでなく,生物多様性,汚
染,廃棄物の問題など包括的なEUの環境政策が示されている.
3 2006年9月に発効したCali丘jrnia Global Warming Solutions Actは2020年まで にGHG排出量を1990年水準に削減するというものである.
4 California Environmental Protection Agency, Air Resource Board, April 20, 2007, "Proposed Early Actions to mitigate Climate Change in Cali血rnia には,
目標達成のために早期に必要とされた36の施策が列記されている.また関係 機関からは70を越える新たな提案がなされている.
5 Robe (2004)参照
6 任意のREに対してα p,<-α1 -^1であれば新規制への賛成が反対を上回 ることはない.また,任意のRtに対してα p,>-α1-^1であれば新規制へ
の反対が賛成を上回ることはない. 7 G十α p,<-α1・PlとなるRTが存在するとき有限のRbが存在する. 8 任意のR,でG+α P。>-αl-^lとなるならば,有限のRbは存在しない. 9 部分ゲーム完全均衡は(( 賛成), (O,反対))であり,政治家は常に追 加的規制に賛成である. 資料 [1]首相官邸(2005) 『京都議定書目標達成計画』
(也/www.kanteLgo.jp/jp/singi/ondanka/kakugi/050428桓ikaku.pdf )
[2】 California Environmental Protection Agency, Air Resource Board, April 20, 2007,
日Proposed Early Actions to mitigate Climate Change in California
[3] EU, (2002) "The Sixth Environment Action Programme of the European Community 2002-20 12"
参考文献
[1] Barry G. Robe, (2004), "Statehose and Greenhouse", Brookings Institution Press, Washington D.C.
[2] Yandel, Bruce・, 1998,日Bootleggers, Baptists, and Global Warming", The PERC
Policy Series, Political Economy Research Center, 14
[3] Wiener, Jonathan B・, 1999, HOn the political economy of global environmental regulation , Georgetown Law Journal, Feb
[4] Peltzman, Sam, 1976,日Toward a More General Theory of Regulation." Journal of
Law and Economics, 19, No.2, p.21 1-240
[5] Stigler, George 1, 1971, "The Economic Theory of Regulation", The 】∋ell Journal of Economics and Management Science, 2, p.3-21
[6] Yandel, Bruce, 1983, "Bootleggers and Baptists: The education of a Regulatory Economist. Regulation, 7, no3, p.12-16
[7] Shogren, J. F., 1990, "The Optimal Subsidization of Baptists by Bootleggers." Public Choice, 67, p.181-189
[8] Svendsen, Gert Tinggaard, 1998, "Public Choice and Environmental Regulation", Edward Elger, Cheltenham UK