朱熹『易学啓蒙』研究序説(4)-安東省菴の研究-著者
伊香賀 隆
著者別名
IKOGA Takashii
雑誌名
東洋学研究
巻
56
ページ
73-91
発行年
2019
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00012556/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja朱熹『易学啓蒙』研究序説(
4
)
~安東省菴の研究~伊香賀
隆
本 稿 は、 「朱 熹『易 学 啓 蒙』 研 究 序 説( 1 )( 2 )( 3 ) ~ 安 東 省 菴 の 研 究 ~」 (東 洋 学 研 究、 第 五 十 二 ~ 五 十 四 号、 平 成 二 十 七 ~ 二 十 九 年) の 続 稿 で あ る。 こ れ ま で、 安 東 省 菴 編『啓 蒙 難 解』 (※) (朱 熹 『易学啓蒙』についての注釈書を集大成したもの)の「巻之上」 「巻之 中」及び「巻之下」の前半部分について報告を行ったが、今回は「巻 之 下」 の 後 半 部 分 を 取 り 上 げ る。 「巻 之 下」 は、 『易 学 啓 蒙』 巻 之 三 「明蓍策第三」 「考変占第四」についての注釈であり、省菴は本文を三 十三章(条)に分けてそれぞれに解説を付しているが、今回は十五条 (『易 学 啓 蒙』 「明 蓍 策 第 三」 「至 於 陰 陽 老 少 之 所 以 然 者」 条: 『啓 蒙 難 解』 「巻 之 下」 三 十 五 丁) 以 降 の 報 告 で あ り、 本 稿 を も っ て 全 四 回 の 報告を完了する。今回取り上げる「巻之下」は、 「巻之上」 「巻之中」 と同様、収録されている注釈は『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』に補 解・要解を付して整理したもの)が中心であり、それを補足するよう な形で『啓蒙伝疑』が引用されている。なお本文で引用する諸本の巻 数・丁数などは以下のテキストによる。 和 刻 本『易 学 啓 蒙 補 要 解』 (刊 記 ナ シ、 九 州 大 学 中 央 図 書 館 蔵〔近 藤文庫・逍遥文庫・樋口文庫、全て同版〕 ) 和刻本『啓蒙伝疑』 (寛文九年刊、内閣文庫本) (※) 安東省菴の自筆稿本『啓蒙難解』は、現在、柳川古文書館(福 岡県柳川市)に寄託・保管されているが(伝習館文庫 安国七〇 ―一) 、平成二十六年三月に『安東省菴集・翻字編』 (柳川文化資 料 集 成 第 二 集、 柳 川 市 史 編 集 委 員 会) が 刊 行 さ れ、 『啓 蒙 難 解』 もその「影印編補遺」に収録されている。筆者の本稿における研 究は、その解題執筆に協力したことに始まるものである。 《『啓蒙難解』巻之下の構成と概略》 (十五) 「至 於 陰 陽 老 少 之 所 以 然 者」 条 三 十 五 丁 裏 ~ 三 十 八 丁 表 (丁数は『啓蒙難解』巻之下) 〔易学啓蒙〕 「 至於陰陽老少之所以然者、則請復得而通論之、蓋四十九 策、除初掛之一而為四十八、以四約之為十二、以十二約之為四。…… 自陰之極而退其掛扐、進退過揲、各至于三之一、則為少陽 」。 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )→『啓蒙伝疑』(ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、三十二丁裏~三十七 丁裏) 「朱 子 曰、 老 陽 掛 扐 之 数 十 二 而 老 陰 二 十 四 ……」 (三 十 五 丁 裏 九 行 目) か ら「…… 而 二 少 也。 一 分 措 四 数 言」 (三 十 八 丁 裏 二 行 目) ま で。 ※ 丁 数 は 『啓蒙難解』巻之下、以下同じ。 〔概 要〕 朱子 : 掛 扐 の 数 は 老 陽 十 二・ 老 陰 二 十 四、 過 揲 の 数 は 老 陽三十六・老陰二十四で、二老(老陽・老陰)の差はそれぞれ十二 と な り、 こ れ を 三 分 す る と 四 と な る( 「 二 老 者、 陰 陽 之 極 也、 二 極 之間相距之数凡十有二、而三分之 」) 。掛扐の数において、少陰十六 は 老 陽 十 二 を「四」 進 め た も の で あ る が、 こ の 四 は 二 老 の 差( 「 相 距 之 数 」) の 十 二 の 三 分 の 一( 「 三 之 一 」) で あ る。 過 揲 の 数 に お い て、少陰三十二は老陽三十六から「四」退いたものであるが、この 四もまた二老の差( 「 相距之数 」)の十二の三分の一( 「 三之一 」)で あ る。 少 陽 と 老 陰 の 関 係 も 同 様 で あ る。 ○ 西山蔡氏 : 四 十 九 本 の 蓍 か ら 掛 一 を 除 け ば 四 十 八 と な り、 こ れ を 四 で 約 せ ば(割 れ ば) 十 二 と な り、 十 二 で 約 せ ば 四 と な る。 四 と 十 二、 十 二 と 四、 両 者 は 互 い に 変 転 し て 四 十 八 と な る。 四 十 八 と は、 蓍 が 変 化 す る た め の 根 拠 と な る も の で あ り、 そ の 数 は 四 と 十 二 と に な っ て 自 然 に 経 緯 を な す。 〔以 下、 四 と 十 二 と に よ っ て 老 陽・ 老 陰・ 少 陽・少陰を考察する〕老陽の掛扐の数(奇数)は十二であるが、こ れを十二で約せば一、これは の象を表す。十二を四で約せば三、 これは ☰ の象を表している。老陰の掛扐の数は二十四であるが、こ れ を 十 二 で 約 せ ば 二、 こ れ は の 象 を 表 す。 二 十 四 を 四 で 約 せ ば 六、これは ☷ の象を表している。老陽の過揲の数(策数)は三十六 で、これを十二で約せば三、これは「三(参)天」の象を表してい る。三十六を四で約せば九、これは「用九」を表している。老陰の 過 揲 の 数(策 数) は 二 十 四、 こ れ を 十 二 で 約 せ ば 二、 こ れ は「両 地」の象を表している。二十四を四で約せば六、これは「用六」を 表している。掛扐の数(奇数)において、少陽二十を十二で約せば 八余る。陽の未完成なるものである。少陰十六を十二で約せば四余 る。陰の未完成なるものである。過揲の数(策数)において、少陽 二 十 八 を 四 で 約 せ ば 七 と な る。 「不 用 之 七」 で あ る。 少 陰 三 十 二 を 四 で 約 せ ば 八 と な る。 「不 用 之 八」 で あ る。 以 下、 四 と 十 二 を 用 い て、 老 陽・ 老 陰・ 少 陽・ 少 陰 の 間(掛 扐 の 数(奇 数) ・ 過 揲 の 数 (策 数) ) に 如 何 な る 関 係(進 退) が あ る の か を 説 明 す る。 ○ 玉斎胡氏 : 老 陽 が 変 化 し て 少 陰 と な る。 つ ま り、 掛 扐 の 数 に お い て、老陽十二から「四」進んで少陰十六となる。過揲の数はその逆 である。また、老陰が変化して少陽となる。つまり、掛扐の数にお いて、老陰二十四から「四」退いて少陽二十となる。つまり、二老 の差( 「 相距之数 」)十二の三分の一( 「 三之一 」)である「四」の進 掛扐の数 過揲の数 老陽 十二 三十六 少陰 十六 三十二 少陽 二十 二十八 老陰 二十四 二十四
退により、二少(少陽・少陰)が成立する。 (イ) 『啓蒙伝疑』 (明蓍策第三、九丁表~九丁裏) 「〔○ 伝 疑 曰〕 註 蔡 氏 説 三 天 之 象 ……」 (三 十 八 丁 裏 二 行 目) か ら「…… 則 此消息二字之誤換可知」 (三十八丁裏六行目)まで。 〔概 要〕 李滉 : 右(ア) 西 山 蔡 氏 の 説 に い う「少 陰 奇 数 … 由 老 陽 而 消」 の「消」 は「息」 、「少 陰 奇 数 … 由 老 陽 而 消」 の「消」 は 「息」とすべきである。 (十六) 「老陽居一」条 三十八丁裏~四十丁裏 〔易学啓蒙〕 「 老陽居一而含九、故其掛扐十二為最少、而過揲三十六為 最多。少陰居二而含八、故其掛扐十六為次少、而過揲三十二為次多。 ……蓋陽奇而陰偶、是以掛扐之数、老陽極少、老陰極多、而二少者一 進一退而交于中焉。此其以少為貴者也。陽実而陰虚、是以過揲之数、 老陽極多、老陰極少、而二少者亦一進一退而交于中焉。此其以多為貴 者也 」。 〔引 用 順 序〕 『易 学 啓 蒙 補 要 解』 (『性 理 大 全』 ) →『周 易 全 書』 →『啓 蒙伝疑』 (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、四十四丁表~四十四 丁裏) 「朱 子 曰、 少 陰 掛 扐 之 数 十 六 ……」 (三 十 八 丁 裏 七 行 目) か ら「…… 上 文 二老進退、各至於三之一以成二少之義」 (三十九丁裏二行目)まで。 〔概 要〕 朱子 : 掛 扐 の 数 に お い て、 少 陰 十 六 は 老 陽 十 二 か ら 「四」 進 み、 少 陽 は 老 陰 か ら「四」 退 い て い る。 過 揲 の 数 は、 進 退 が 逆 に な っ て い る。 こ の よ う に、 掛 扐・ 過 揲 の 数 に お い て、 二 少 (少 陰・ 少 陽) は、 二 老(老 陽・ 老 陰) か ら 一 進 一 退 し て 二 老 の 間 に あ る( 「 二 少 者 一 進 一 退 而 交 于 中 」) 。 玉斎胡氏 :「 老 陽 居 一 而 含 九 」「 少陽居三而含七 」、つまり、陽は位・数ともに「 奇 」である。 奇 と は 一 に し て「 実 」 で あ る。 「 老 陰 居 四 而 含 六 」「 少 陰 居 二 而 含 八 」、 つ ま り、 陰 は 位・ 数 と も に「 偶 」 で あ る。 偶 と は 二 に し て 「 虚 」 で あ る。 陽 の「 奇 」 を 主 と し て 言 う な ら、 掛 扐 の 数 は 少 な い 方 を 貴 ぶ の で( 「 以 少 為 貴 」) 、 老 陽 が 極 少、 老 陰 が 極 多 と な り、 少 陰が次少、少陽が次多( 『易学啓蒙補要解』の「要解」により、 「少 陰」を「少陽」に改めた)となってその間にある。陽の「 実 」を主 と し て 言 う な ら、 過 揲 の 数 は 多 い 方 を 貴 ぶ の で( 「 以 多 為 貴 」) 、 老 陽 が 極 多、 老 陰 が 極 少 と な り、 少 陰 が 次 多( 『易 学 啓 蒙 補 要 解』 の 「要解」により、 「少陽」を「少陰」に改めた) 、少陽が次少( 『易学 啓 蒙 補 要 解』 の「要 解」 に よ り、 「少 陰」 を「少 陽」 に 改 め た) と な っ て そ の 間 に あ る。 こ こ に「陽 を 尊 ぶ の 義」 を 見 る こ と が で き る。 (イ) 『周易全書』 (易学啓蒙巻之四「明蓍策第三」 、三十九丁裏) 「○ 周 易 全 書、 朱 子 曰 少 陰 云 々 于 中 ……」 (三 十 九 丁 裏 二 行 目) か ら「… 本陽奇読作単」 (四十丁表一行目)まで。
〔概 要〕 韓苑洛 : 老 陽・ 少 陰・ 少 陽・ 老 陰 の 掛 扐 の 数 は、 十 二・ 十 六・ 二 十・ 二 十 四 で「四」 ず つ 進 ん で お り、 過 揲 の 数 は、 三 十 六・三十二・二十八・二十四で「四」ずつ退いている。これを朱子 の前説(ア)と合わせて言うなら、老陽・少陰・少陽・老陰の進退 の 間 に は た だ「四」 が あ る の み で あ る。 「四」 は 進 退 の 主 で あ る。 それでは一体何者が、こうした進退をなさしめるのだろうか。それ は「太 極」 で あ る。 道 を 知 る 者 で な け れ ば、 こ れ を 知 る の は 難 し い。 (ウ) 『啓蒙伝疑』 (明蓍策第三、九丁裏~十丁表) 「〔○ 伝 疑〕 註 胡 氏 説 老 陽 極 少 ……」 (四 十 丁 表 一 行 目) か ら「…… 就 而 言 者不同故也」 (四十丁裏三行目)まで。 〔概 要〕 李滉 : 右(ア) の 玉 斎 胡 氏 の 説 に い う「老 陽 極 少、 少 陰 0 0 次少、而老陰掛扐極多、 少陰 0 0 掛扐次多者……」の前者の「少陰」は 「少 陽」 の 誤 り で あ る。 こ れ を「少 陽」 に 改 め る な ら ば、 玉 斎 胡 氏 と 朱 子 と で は 解 説 が 異 な る こ と に な る(筆 者 註: 『易 学 啓 蒙 補 要 解』では後者の「少陰」を「少陽」に改めるべきとする。以下も同 様。 こ の よ う に 改 め れ ば 朱 子 の 説 と 同 じ に な る) 。 朱 子 は 老 陽・ 少 陰・少陽・老陰の中で比較して極少・次少・極多・次多と順位づけ し た(以 四 象 位 次 列 叙 言 之) の に 対 し、 玉 斎 胡 氏 は、 「陽 の 奇」 を 主として分類している。つまり、掛扐の数において、少陽二十を老 陽十二に次いで「次少」とし、少陰十六を老陰二十四に次いで「次 多」としているが、これもまた道理にかなっている。玉斎胡氏は朱 子に異を立てようとしたのではなく、説明の視点が異なっているだ けである。 (十七) 「凡此不唯陰之与陽」条 四十丁裏~四十二丁表 〔易学啓蒙〕 「 凡此不唯陰之与陽既為二物而迭為消長、而其一物之中、 此二端者、又各自為一物而迭為消長。其相与低昂如権衡、其相与判合 如符契、固有非人之私智所能取舎而有無者 」。 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )→『啓蒙伝疑』 (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、四十五丁表~四十六 丁表) 「玉 斎 胡 氏 曰、 陰 陽 二 物 ……」 (四 十 丁 裏 四 行 目) か ら「…… 豈 容 人 力 於 其間哉」 (四十丁表九行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 陰 陽 の「 二 物 」 と は 二 老(老 陽・ 老 陰) の こ とである。掛扐の数において、老陽十二は四を加える( 「 長 」)こと により少陰十六となり、老陰二十四は四を減じる( 「 消 」)ことによ り少陽二十となる。過揲の数においてはその逆となる。このように 互いに消長をなす( 「 迭為消長 」)ことによって二少(少陰・少陽) と な る。 「 二 端 」 と は、 掛 扐・ 過 揲 の こ と で あ る。 掛 扐 の 数 が 増 加 (「 長 」)すれば過揲の数が減少( 「 消 」)し、過揲の数が増加( 「 長 」) すれば掛扐の数が減少( 「 消 」)する。互いに上下増減する様はまる
で 天 秤 竿 の よ う で あ る( 「 相 与 低 昂 如 権 衡 」) 。 ま た、 陰 陽 二 物 は 互 いに消長をなすが、これを二分して一物としても、その一物の中に またそれぞれ掛扐と過揲という「 二端 」があり、互いに消長をなし ている。それは符契(割り符)が合わさったり判かれたりするよう なものである( 「 相与判合如符契 」) 。「 相与 」の義により「 迭為 」の 旨を究めれば、そこにみられる「自然の妙」は、人力の介在し得な いものであることがわかる。 (イ) 『啓蒙伝疑』 (明蓍策第三、十丁表~十丁裏) 「〔○ 伝 疑 曰〕 玉 斎 以 陰 陽 二 物 為 合、 其 一 物 為 判 ……」 (四 十 一 丁 表 九 行 目)から「……恐非朱子本意也」 (四十二丁表三行目)まで。 〔概 要〕 李滉 : 玉 斎 胡 氏 は、 陰 陽 二 物 を「 合 」 と し、 そ れ ぞ れ 一 物を「 判 」とするが(右(ア) )、それは「符契判合」の意味にそぐ わないし、朱子の本意ではなかろう。私(李滉)が思うに、あるい は老陽・老陰となったり、あるいは少陽・少陰となったりすること が「 判 」 で あ る。 掛 扐 の 数(奇) と 過 揲 の 数(策) が 互 い に 進 退 (増 減) し 合 う こ と が「 合 」 で あ る。 例 え ば、 老 陽 の 掛 扐 十 二 が 「十 二」 進 ん で 老 陰 の 掛 扐 二 十 四 と な れ ば、 老 陽 の 過 揲 三 十 六 は 「十 二」 退 い て 老 陽 の 過 揲 二 十 四 と な る。 老 陰 の 掛 扐 二 十 四 が「十 二」退いて老陽の掛扐十二となれば、老陰の過揲二十四は「十二」 進 ん で 老 陽 の 過 揲 三 十 六 と な る。 少 陽 と 少 陰 の 関 係 も、 「四」 の 進 退 に よ り 同 様 に 考 え ら れ る。 こ の よ う に 掛 扐 の 数 と 過 揲 の 数 と の 「 二端 」は、互いに進退し合い、 「多少を以て相対し、消息を為す」 のである。これが「 合 」である。 (十八) 「而況掛扐之数」条 四十二丁表~四十四丁裏 〔易学啓蒙〕 「 而況掛扐之数乃七八九六之原、而過揲之数乃七八九六之 委、 其 勢 又 有 軽 重 之 不 同。 而 或 者 乃 欲 廃 置 掛 扐、 而 独 以 過 揲 之 数 為 断、則是舎本而取末、去約以就煩、而不知其不可也。豈不誤哉 」。 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )→『啓蒙伝疑』 (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、四十五丁表~四十六 丁表) 「雲 荘 劉 氏 曰、 掛 扐 之 数 所 以 不 可 廃 置 者 ……」 (四 十 二 丁 表 四 行 目) か ら 「……此説所謂或者正指郭氏言也」 (四十四丁表六行目)まで。 〔概 要〕 雲荘劉氏 : 掛 扐 の 数 を 捨 て 置 く こ と( 「 廃 置 掛 扐 」) が で きない理由は、そこに両儀・三才・四時・閏余の象があるからであ る。掛扐の数を捨て置いて過揲の数だけを用いようとするのは、根 本 の 意 味 を 知 ら な い か ら で あ る、 玉斎胡氏 : 掛 扐 の 数 が 先 ず あ っ て、その後に過揲の数がある。このような先後関係があるが故に、 掛扐は七(少陽)八(少陰)九(老陽)六(老陰)の本であり、過 揲は七(少陽)八(少陰)九(老陽)六(老陰)の末であるという (「 掛扐之数、乃七八九六之原、而過揲之数乃七八九六之委 」) 。掛扐 の 数〔か ら 導 き 出 さ れ た〕 七・ 八・ 九・ 六 に そ れ ぞ れ 四 を 掛 け れ
ば、二十八・三十二・三十六・二十四となり、少陽・少陰・老陽・ 老陰の過揲の数となる。それを四で割ればまた掛扐の数七八九六と なる。この「自然の妙」は、牡牝が互い包含し合うようであり、符 契が互いに合致するかのようである。両者は互いに作用し合ってお り、互いになくてはならない存在である。それなのに、郭雍のよう に(朱 子 の い う「 或 者 」 と は 郭 雍 の こ と を い う。 『蓍 卦 辦 疑』 の 著 者) 、 掛 扐 は 揲 法 に 何 ら 関 与 す る と こ ろ は な い と し て、 過 揲 の 数 の みを「正策」として重宝するのは甚だしい誤りである。 (イ) 『啓蒙伝疑』 (明蓍策第三、十一丁表) 「〔○ 伝 疑 曰〕 註 胡 氏 説 以 四 乗 掛 扐 之 数 ……」 (四 十 四 丁 表 六 行 目) か ら 「……迭為消長若相制勝也」 (四十四丁裏二行目)まで。 〔概要〕 李滉 :右(ア)の玉斎胡氏の説の補足。 (十九) 「邵子曰五与四四」条 四十四丁表~四十六丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「 邵 子 曰、 『五 与 四 四、 去 掛 一 之 数、 則 四 三 十 二 也。 九 与 八八、去掛一之数、則四六二十四也。五与八八、九与四八、去掛一之 数、 則 四 五 二 十 也。 九 与 四 四、 五 与 四 八、 去 掛 一 之 数、 則 四 四 十 六 也。故去其三四五六之数、以成九八七六之策』 。此之謂也 」。 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、四十九丁裏~五十一 丁表) 「朱 子 曰、 邵 子 此 条 是 説 陰 陽 老 少 ……」 (四 十 四 丁 裏 三 行 目) か ら「…… 其尊陽之意、又可見於此矣」 (四十六丁表二行目)まで。 〔概 要〕 朱子 : 邵 子 の こ の 条( 『皇 極 経 世 書』 観 物 外 篇 上) は、 老 陽・ 老 陰・ 少 陽・ 少 陰 の 掛 扐 の 数 を 説 い た も の で あ る。 『易 学 啓 蒙』にこの邵子の説を引用したのは、掛扐の数が七八九六の 本 もと であ るということ( 「 掛扐之数、乃七八九六之原 」)を証明するためであ る。掛扐の数は、老陽 三 4 ×四(=十二) ・少陰 四 4 ×四(=十六) ・少 陽 五 4 × 四(= 二 十) ・ 老 陰 六 4 × 四(= 二 十 四) で あ る が、 今、 こ の 三 四 五 六 の 数 を 用 い な い で、 一 奇「径 一 囲 三」 (つ ま り、 一 奇 に は 三が含まれると考える) 、二偶に「囲四用半」 (つまり、二偶には二 が含まれると考える)の義を用いたのは、七八九六の数を成すため で あ る。 玉斎胡氏 : 掛 扐 の 数 か ら「初 掛 の 一」 を 除 く の は、 三 変 における奇偶多寡を調べるためである。奇の象である円は「全」を 用 い て「径 一 囲 三」 、 偶 の 象 で あ る 方 は「半」 を 用 い て「径 一 囲 四」である。つまり、一奇には「円を象って其の全を用う( 象円而 用 其 全 )」 か ら 三、 二 偶 に は「方 を 象 かたど っ て 其 の 半 を 用 う( 象 方 而 用 其 半 )」 か ら 二 が 含 ま れ る と 考 え れ ば(前 稿(八) (九) (十) (十 一) を 参 照) 、 老 陽 の 一・ 一・ 一(三 奇) は 三・ 三・ 三 と な っ て 計 九 と な る。 つ ま り、 「三(一 + 一 + 一) を 去 っ て 以 て 九 を 成 す」 で ある。少陰の二・一・一、一・一・二(両奇一偶)はそれぞれ二・ 三・ 三、 三・ 三・ 二 と な っ て 計 八 と な る。 つ ま り、 「四(二 + 一 +
一)を去って以て八を成す」である。少陽の一・二・二、二・一・ 二(両偶一奇)はそれぞれ三・二・二、二・三・二となって計七と な る。 つ ま り、 「五(一 + 二 + 二) を 去 っ て 以 て 七 を 成 す」 で あ る。老陰の二・二・二(三偶)は二・二・二となって計六となる。 つ ま り、 「六(二 + 二 + 二) を 去 っ て 以 て 六 を 成 す」 で あ る。 以 上 が「 去其三四五六之数、以成九八七六之策 」の意味である。 (二十) 「一爻已成」条 四十六丁表~四十七丁表 〔易学啓蒙〕 「 一爻已成、再合四十九策、復分掛揲帰以成一変、毎三変 而成一爻、並如前法 」。 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )→『啓蒙伝疑』 (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三、五十一丁裏~五十二 丁裏) 「〔朱 子 曰〕 老 少 於 経 固 無 明 文 ……」 (四 十 六 丁 表 三 行 目) か ら「…… 則 其 過揲者四之而為二十四矣」 (四十六丁裏十行目)まで。 〔概 要〕 朱子 : 老 少 に つ い て は 経 典( 『易 経』 ) に 明 ら か な 解 説 は ない。しかし、蓍を 揲 かぞ える方法は、各変において奇偶に分かれ、三 変した後に爻の陰陽が決まる。さらにその陰陽も老少に分かれ、爻 の 変・ 不 変 が 決 ま る。 こ れ が 経 典 に い う「用 九」 「用 六」 で あ る。 ○九六の説について。五行の成数(六・七・八・九・十)において 十は用いず、六・七・八・九のみを用いる。陽は九に極まれば、転 じて八に退き陰となる。陰は六に極まれば、転じて七に進み陽とな る。このように陰陽は六・七・八・九の間を一進一退し、循環して 窮まることがない(循環無端) 。邵康節は、 「三を以て真数と為し」 、 「三両を以て之に乗じて九六の数を得」 (解釈は左(イ)を参照) 。 (イ) 『啓蒙伝疑』 (明蓍策第三、十一丁表~十一丁裏) 「〔○ 伝 疑 曰〕 註 朱 子 引 康 節 以 三 為 真 数 ……」 (四 十 六 丁 裏 十 行 目) か ら 「……而得九以両乗之而得六也」 (四十七丁表三行目)まで。 〔概 要〕 李滉 : 右(ア) の 邵 康 節 の い う「三 を 以 て 真 数 と 為 す」 と は、 『皇 極 経 世 書』 観 物 外 篇 下 の「易 有 真 数、 三 而 已」 の こ と で あ ろ う。 「三 両 を 以 て 之 に 乗 じ て、 九 六 の 数 を 得」 と は、 三 と 二 を 真数である三に掛けることで九と六が得られるということである。 (二十一) 「乾之策」章 四十七丁表~四十七丁裏 〔易 学 啓 蒙〕 「『乾 之 策 二 百 一 十 有 六、 坤 之 策 百 四 十 有 四、 凡 三 百 有 六 十、 当 期 之 日。 』 乾 之 策 二 百 一 十 有 六 者、 積 六 爻 之 策 各 三 十 六 而 得 之 也。坤之策百四十有四者、積六爻之策各二十有四而得之也。……此独 以老陰陽之策為言者、以易用九六、不用七八也。然二少之合亦三百有 六十 」 《『易』繋辞上伝の「 乾之策二百一十有六、坤之策百四十有四、凡三百 有六十、当期之日 」についての朱子の解説》 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )
(ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二丁表~三丁表) 「玉 斎 胡 氏 曰、 策 指 過 揲 之 策 ……」 (四 十 七 丁 表 四 行 目) か ら「…… 亦 正 足以当期之数也」 (四十七丁裏七行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 :「 策 」 と は 過 揲 の 策(数) を 指 す。 乾 の 各 爻 が 老 陽 で あ る な ら、 過 揲 の 策 は 二 百 十 六(三 六 × 六) 、 坤 の 各 爻 が 老 陰 で あ る な ら、 過 揲 の 数 は 百 四 十 四(二 四 × 六) 、 そ の 合 計 は 三 百 六 十 で 一 年 の 日 数 に 相 当 す る( 「 凡 三 百 有 六 十、 当 期 之 日 」) 。 乾 の 各 爻 が 少 陽 で あ る な ら、 過 揲 の 策 は 百 六 十 八(二 八 × 六) 、 坤 の 各爻が少陰であるなら、過揲の策は百九十二(三二×六)となり、 そ の 合 計 も ま た 三 百 六 十 で 一 年 の 日 数 に 相 当 す る( 「 二 少 之 合 亦 三 百六十 」) 。老少ともに同じ結果になるのに、経文では老(老陽・老 陰)のみに言及している。易では九六によって各爻を名づけるよう に(例 え ば 九 三、 六 二) 、 老 陽(九) 老 陰(六) の み を 言 っ て、 少 陽(七) 少 陰(八) に つ い て は 言 及 し な い の で あ る( 「 以 易 用 九 六、 不 用 七 八 也 」) 。 朱 子 は 程 可 久 に 答 え て 以 下 の よ う に い う。 「乾 坤の各爻はすべてが老陽老陰というわけではなく、実際には老少が 錯 雑 し て い る わ け で あ る が、 大 伝( 『易』 繋 辞 伝) で は、 六 爻 す べ てが老陽老陰であるとして計算して、 「 乾之策二百一十有六 」(老陽 の過揲の数(策)三六×六爻) 「 坤之策百四十有四 」(老陰の過揲の 数(策)二四×六爻) 「 凡三百有六十 」(二一六+一四四)と言うだ け で あ る。 一 方 で、 六 子(兌 ☱ ☱ 離 ☲ ☲ 震 ☳ ☳ 巽 ☴ ☴ 坎 ☵ ☵ 艮 ☶ ☶ )の諸卦も同様に老少が混雑しているわけであるが、それぞれの 策数(過揲の数)を〔その旁通卦(陰陽逆転の卦)の策数と合する な ら ば〕 、 老 少 の い ず れ で 計 算 し て も 乾 坤 と 同 様、 三 百 六 十 と な る。もし、乾坤の場合は六爻すべてが老陽老陰であるとし、六子の 場合は六爻がすべて少陽少陰であるとして計算するならば、どうも しっくりこない(以上、朱子の説) 。「 凡三百有六十、当期之日 」の 「 期 」 と は「周」 、 つ ま り「周 一 歳」 の こ と で あ る。 ま た、 「 以 気 言 之、 則 有 三 百 六 十 六 日 」「 以 朔 言 之、 則 有 三 百 五 十 五 日 」 と い う。 三百六十は、 「 気盈 」(三百六十六日)と比較すれば六日少ないので これを「 盈 」とは言えないし、 「 朔虚 」(三百五十五日)と比較すれ ば六日多いのでこれを「 虚 」とは言えない。 「 気盈 」「 朔虚 」の間に お い て そ の 数 の 中 間 を 指 し て 三 百 六 十 と い う( 「 今 挙 気 盈 朔 虚 之 中 数而言、故曰三百有六十也 」) 。 末に「○閏法詳于補要解及伝疑」とある。 (二十二) 「二篇之策」章 四十八丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「『二 篇 之 策、 万 有 一 千 五 百 二 十、 当 万 物 之 数 也。 』 二 篇 者、上下経六十四卦也。其陽爻百九十二、毎爻各三十六策、積之得六 千九百一十二。陰爻百九十二、毎爻二十四策、積之得四千六百八、又 合二者為万有一千五百二十也。若為少陽、則毎爻二十八策、凡五千三 百七十六。少陰、則毎爻三十二策、凡六千一百四十四、合之亦為万一
五百二十也 」 《『易』繋辞上伝の「 二篇之策、万有一千五百二十、当万物之数也 」に ついての朱子の解説》 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、十二丁表) 「西 山 蔡 氏 曰、 此 即 過 揲 之 蓍、 大 衍 之 終 也。 ……」 (四 十 八 丁 表 一 行 目) から「……真所謂与天地相似者也」 (四十八丁表六行目)まで。 〔概 要〕 西山蔡氏 : こ の 一 一 五 二 〇 と い う 数 は、 過 揲 の 蓍(数) を 大 い に 敷 衍 し た(大 衍) 結 果 の 数 で あ る。 「 策 」 と は 蓍 で あ る。 乾の一爻は三十六策、六爻は二百十六策、坤の一爻は二十四策、六 爻 は 百 四 十 四 策 で あ り〔両 者 を 合 わ せ る と 三 百 六 十 と な る〕 。 こ れ は「陰陽自然の数」であり、聖人は「大衍の法」を立ててこれに依 拠 せ し め る の で あ る。 こ れ が『易』 説 卦 伝 に い う「参 天 両 地 而 倚 数」である。天地の運行は大小にかかわりなく全て三百六十に極ま る。 乾 坤 の 策(過 揲 の 数) を 大 い に 敷 衍 す れ ば(大 衍) 、 一 年 の 日 数三百六十に相当する( 「 当期之日 」) 。易は実に天地と似ている。 (二十三) 「是故四営」章 四十六丁表~五十丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「『是 故 四 営 而 成 易、 十 有 八 変 而 成 卦、 八 卦 而 小 成、 引 而 伸 之、 触 類 而 長 之、 天 下 之 能 事 畢 矣。 』 四 営 者、 四 次 経 営 也。 分 二 者、第一営也。挂一者、第二営也。揲四者、第三営也。帰奇者、第四 営也。……然後視其爻之変与不変、而触類以長焉、則天下之事、其吉 凶悔吝皆不越乎此矣 」 《この条は、 『易』繋辞上伝の「 是故四営而成易、十有八変而成卦、八 卦而小成、引而伸之、触類而長之、天下之能事畢矣 」についての朱子 の解説》 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、十四丁表~十六丁 裏) 「朱 子 曰、 四 営 而 成 易。 易 字 只 是 箇 変 字。 ……」 (四 十 八 丁 表 七 行 目) か ら「……皆可以決諸此而無復疑矣」 (五十丁表八行目)まで。 〔概要〕 朱子 :『易』繋辞上伝にいう「 是故四営而成易 」の「易」 とは「変」にほかならない。四営(四回の筮操作)して一変が成る という意味である。これを「易の一変」と言うのはよくない。この 段階ではまだ卦も爻も定まっていないのだから、ただ「 易 」という ほ か な い。 玉斎胡氏 : 掛 扐 の 数 は、 第 一 変 が 五 か 九、 第 二 変 が 四 か八、第三変が四か八である。そこで、第一変で、五を得るものを 陽 儀、 九 を 得 る も の を 陰 儀 と し て み れ ば、 両 儀 の 象 を 得 る( 「 一 変 而得両儀之象 」) 。第一変・第二変で、五四を得るものを太陽、五八 を得るもの少陰、九四を得るものを少陽、九八を得るものを太陰と し て み れ ば、 四 象 の 象 を 得 る( 「 再 変 而 得 四 象 之 象 」) 。 第 一 変・ 第 二変・第三変で、五四四を得るものを乾、五四八を得るものを兌、
五八四を得るものを離、五八八を得るものを震、九四四を得るもの を巽、九四八を得るものを坎、九八四を得るものを艮、九八八を得 るものを坤としてみれば、八卦の象を得る( 「 三変而得八卦之象 」) 。 このように第一変→第二変→第三変と重ねていくことは、両儀→四 象→八卦という流れを彷彿とさせるが、画(爻)はまだ生じていな いので「 象 」と言葉を用いているのである。 〔以下、六十四卦円図(伏羲六十四卦方位)を用いて説明〕 「 一 爻 而 得 両 儀 之 画 」 に つ い て、 を 得 る も の は 陽 儀 で、 乾 か ら 復までの三十二卦、 を得るものは陰儀で、姤から坤までの三十二 卦 で あ る。 「 二 爻 而 得 四 象 之 画 」 に つ い て、 を 得 る も の は 太 陽 で、乾から臨までの十六卦、 を得るものは少陰で、同人から復ま での十六卦、 を得るものは少陽で、姤から師までの十六卦、 を 得 る も の は 太 陰 で、 遯 か ら 坤 ま で の 十 六 卦 で あ る。 「 三 爻 而 得 八 卦 之画 」について、 ☰ を得るものは乾で、乾から泰までの八卦。 ☱ を 得 る も の は 兌 で、 履 か ら 臨 ま で の 八 卦。 以 下 同 様 で あ る。 「 四 爻 而 得 其 十 六 者 之 一 」 に つ い て も 同 様 に 爻 を 重 ね て そ れ ぞ れ 四 卦、 「 五 爻 而 得 其 三 十 二 者 之 一 」 に つ い て は そ れ ぞ れ 二 卦(六 四 ÷ 三 二) 、 「 六 爻 見 而 得 六 十 四 卦 之 一 」 に 至 っ て 六 十 四 卦 の 中 の 一 卦 が 得 ら れ る。朱子は、しばしば「揲蓍求卦之法」について述べている。一爻 が成って三十二卦、二爻が成って十六卦、三爻が成って八卦、四爻 が成って四卦、五爻が成って二卦、六爻が成って一卦が定まるとい うのがそうである。 「 内卦之為貞 」「 外卦之為悔 」について朱子はい う。 「貞」 「悔」とは『書』洪範編にある。 「貞」は正しく、 「悔」は 過 あやま る と い う 意 味 で あ ろ う。 「悔」 と は 何 か を 過 あやま っ て は じ め て 後 悔 す るのである。下の三爻は正の卦で、上の三爻は 過 あやま ちが多いことを意 味している。物が生ずる際、初めはうまく進むものである。物は全 てそうである。邵康節は事物を観察して四つ分け、旺盛な状態にあ ることを恐れた。花に譬えれば、蕾の時は旺盛へと向かっており、 半分開けばさらに旺盛となり、全開すれば甚だ旺盛となり、その後 は 衰 え る 一 方 で あ る。 人 も 同 様 で、 勢 い 盛 ん な る 者 は 必 ず 衰 退 す る。強く壮んなる者は必ず死に至る。邵康節は、一見してたちどこ ろ に こ れ を よ く 理 解 し た。 「 触 類 而 長 之 」 に つ い て 朱 子 は い う。 占 っ て 一 卦 を 得 た ら、 そ の 表 面 的 な 意 味 か ら ど ん ど ん 類 推 し て い く。例えば乾は、円となり君となり父となるといった類から類推し ていく。このようにして、天下のあらゆる事において、吉か凶か、 悔いて吉に赴くのか、吝から凶に向かうのか、判断を下して疑いが なくなる。 (二十四) 「顕道」章 五十丁表~五十一丁裏 〔易 学 啓 蒙〕 「『顕 道、 神 徳 行、 是 故 可 与 酬 酢、 可 与 祐 神 矣。 』 道 因 辞 顕、行以数神。酬酢者、言幽明之相応、如賓主之相交也。祐神者、言
有 以 祐 助 神 化 之 功 也。 ○ 巻 内 蔡 氏 説『為 奇 者 三、 為 偶 者 二』 、 蓋 凡 初 揲、左手余一余二余三皆為奇、余四為偶。至再揲三揲、則余三者亦為 偶、故曰奇三而偶二也 」 《この条は、 『易』繋辞上伝の「 顕道、神徳行、是故可与酬酢、可与祐 神矣 」についての朱子の解説》 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、十八丁表~十九丁 裏) 「黄 氏 瑞 節 曰、 大 衍 之 説、 朱 蔡 可 謂 備 矣。 ……」 (五 十 丁 表 九 行 目) か ら 「……自然有許多通透信矣」 (五十一丁裏一行目)まで。 〔概 要〕 黄氏瑞節 : 大 衍 に つ い て は、 朱 子 の 説 も 蔡 元 定 の 説 も と もに完備したものと言ってよい。武陵の丁氏(龍陽の人)はいう。 朱 子 は、 「五 乗 十」 (五 十) の 説 に つ い て は 諸 家 に 近 い と し、 「四 十 有九」の説に至っては、虚一に帰することをいうにすぎず、五十と 四十九とを関連付けてその全体を説くには至っていない。そこで五 十 七 家 の 説 を 集 め て 比 較 敷 衍 し、 『原 衍 翼 衍』 三 巻 を 著 し た の で あ る。ここで丁氏はいう。天地の数(一二三四五六七八九十)を①② のように並べ、その両者を加えれば③段のようになる。そこから十 を分離すると、④段目の九位と、⑤段目の五位とに分かれる。九位 は全て奇数で、五位はすべて偶数である。五位の偶数の和は十+十 +十+十+十=五十となり、大衍の体数である。九位の奇数の和は 九+七+五+三+一+三+五+七+九=四十九となり、大衍の用数 である。④段目(九位)をみると、一が中央に位置しており、その 左右には四数(九七五三)が並んでいる。これはまさに筮操作にお ける掛一・分二・揲四を象徴している。以上の丁氏の説は、朱子や 蔡 元 定 の 説 に な い も の で あ り、 朱 子 や 蔡 元 定 の 説 を さ ら に 完 備 さ せ た よ う な も の で あ る。 朱 子 は、 聖 人 が 象 数 を 説 く 方 法 は 幾 通 り も あ り、 自 然 に 多 数 の 説 へ と 通 じ て い く と 言 っ た が、まさにその通りである。 【以下、 『易学啓蒙』考変占第四】 (二十五) 「凡卦六爻皆不変」条 五十二丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「 凡 卦 六 爻 皆 不 変、 則 占 本 卦 彖 辞、 而 以 内 卦 為 貞、 外 卦 為 悔。 彖 辞 為 卦 下 之 辞。 孔 成 子 筮 立 衛 公 子 元、 遇 屯、 曰、 『利 建 侯』 。 泰 伯 伐 晋、筮之、遇蠱、曰、 『貞、風也。其悔、山也』 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易 学 啓 蒙 補 要 解』 (『性 理 大 全』 )(巻 之 三 末、二十四丁裏) 「朱 子 云、 貞 是 事 之 始、 悔 是 事 之 終、 貞 是 事 之 主、 悔 是 事 之 客、 貞 是 事 在 我 底、 悔 是 応 人 底」 (五 ① 九 八 七 六 五 四 三 二 一 ② 十 九 八 七 六 五 四 三 二 ③(①+②) 十九 十七 十五 十三 十一 九 七 五 三 ④(九位) 九 七 五 三 一 九 七 五 三 ⑤(五位) 十 十 十 十
十二丁表二行目~四行目) (二十六) 「一爻変」条 五十二丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「 一 変 爻、 則 以 本 卦 変 爻 辞 占。 沙 隨 程 氏 曰、 『畢 万 遇 屯 之 比、 初 九 変 也。 蔡 墨 遇 乾 之 同 人、 九 二 変 也。 晋 文 公 遇 大 有 之 睽、 九 三 変 也。 陳 敬 仲 遇 観 之 否、 六 四 変 也。 南 蒯 遇 坤 之 比、 六 五 変 也。 晋 献 公 遇 帰 妹 之睽、上六変也』 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二十五丁裏) 「玉 斎 胡 氏 曰、 一 爻 変 者 凡 六 卦 有 図 在 後。 ……」 (五 十 二 丁 表 五 行 目) か ら「……就本卦変爻占、其例観後注可見」 (五十二丁表八行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 一 爻 変 は 各 卦 に そ れ ぞ れ 六 卦 あ る。 巻 末 の 図 表をみれば、第一図において乾を本卦とし、一爻が変化するのは、 姤から夬までの六卦である(本卦である乾は第一図の右上にある。 図 は 右 か ら 左、 上 か ら 下 へ と み る。 以 下 同 じ) 。 坤 を 本 卦 と し、 一 爻が変化するのは、復から剥までの六卦である(本卦である坤は第 一図の左下にある。図は左から右、下から上へとみる。以下同じ) 。 第二図以降も同様である。沙隨程氏が取り挙げる六つの占例は全て 一爻が変化するもので、本卦の変爻によって占っている。その例は 『易学啓蒙』の後注に見られる。 (二十七) 「二爻変」 五十二丁表~五十二丁裏 〔易 学 啓 蒙〕 「 二 変 爻、 則 以 本 卦 二 変 爻 辞 占、 仍 以 上 爻 為 主。 経 伝 無 文、今以例推之当如此 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二十六丁裏~二十 七丁表) 「玉 斎 胡 氏 曰、 二 爻 変 者、 凡 十 五 卦、 ……」 (五 十 二 丁 表 九 行 目) か ら 「……占事都有一箇先後首尾」 (五十二丁裏六行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 二 爻 変 は 各 卦 に そ れ ぞ れ 十 五 卦 あ る。 巻 末 の 図 表 を み れ ば、 第 一 図 に お い て 乾 を 本 卦 と し、 二 爻 が 変 化 す る の は、遯から大壮までの十五卦である。坤を本卦とし、二爻が変化す るのは、臨から観までの十五卦である。第二図以降も同様である。 朱子はいう。変爻は、変化が極まる所において観る必要がある。だ か ら 上 爻 を 主 と す る の だ( 「 以 上 爻 為 主 」) 。 不 変 の 爻 は 安 定 し て お り、下から上へ先後(順序)にしたがってみる。だから下爻を主と する、と。また朱子はいう。二爻が変化する場合、下から上へと進 ん で 極 ま る(だ か ら 極 所 で あ る 上 を 主 と す る) 。 二 爻 が 変 化 し な い 場 合(つ ま り 四 爻 変) 、 下 が「不 変 の 本」 で あ る か ら 下 を 主 と す る、と。また朱子はいう。卦は下から生ずる。占事にはすべて先後 首尾があるのだ、と。
(二十八) 「三爻変」条 五十二丁裏~五十三丁裏 〔易学啓蒙〕 「 三爻変、則占本卦及之卦之彖辞、而以本卦為貞、之卦為 悔、 前 十 卦 主 貞、 後 十 卦 主 悔。 凡 三 爻 変 者 通 二 十 卦、 有 図 在 後。 ○ 沙 隨 程 氏 曰、 『晋 公 子 重 耳 筮 得 国、 遇 貞 屯、 悔 豫 皆 八、 蓋 初 与 四、 五 凡 三 爻 変 也。 初 与 五 用 九 変、 四 用 六 変。 其 不 変 者 二 三 上、 在 両 卦 皆 為 八、 故 云 皆 八。而司空季子占之曰、 『皆利建侯』 』 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二十七丁裏~二十 八九丁表) 「玉斎胡氏曰、三爻変者凡二十卦。……」 (五十二丁表七行目)から「…… 到四画五画則更多矣」 (五十三丁裏一行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 三 爻 変 は 各 卦 に そ れ ぞ れ 二 十 卦 あ る。 巻 末 の 図 表 を み れ ば、 第 一 図 に お い て 乾 を 本 卦 と し、 三 爻 が 変 化 す る の は、否から泰までの二十卦である。坤を本卦とし、三爻が変化する のは、泰から否までの二十卦である。第二図以降も同様である。本 卦と之卦の彖辞(卦辞)によって占うのは、変化する爻と不変の爻 の 数 が と も に 六 爻 を 二 分 し た 三 爻 で あ る か ら だ。 「 以 本 卦 為 貞、 之 卦 為 悔 」「 前 十 卦 主 貞、 後 十 卦 主 悔 」 に つ い て。 第 一 図 の 乾 の 三 爻 変において、否から恒までが「 前十卦 」で、益から泰までが「 後十 卦 」である。第一図の坤の三爻変において、泰から益までが「 前十 卦 」で、恒から否までが「 後十卦 」である。三変爻の場合、本卦と 之卦の両方の彖辞によって占うのであるが、之卦(変卦)が「 前十 卦 」 の 内 に あ れ ば「 貞 」、 つ ま り「 本 卦 」 の 彖 辞 を 主 と し、 之 卦 (変卦)が「 後十卦 」の内にあれば「 悔 」、つまり「 之卦 」の彖辞を 主とする。朱子はいう。三爻が変化すれば、どの変爻を主として見 ればよいかわからない。よって本卦と之卦の両方の彖辞によって占 う の で あ る、 と。 ま た 朱 子 は い う。 三 変 爻 に お い て 第 三 十 二 卦 (恒) 以 降 は 之 卦 の 彖 辞 に よ っ て 占 う と い う 方 法 も あ る が、 こ れ は 間違いである。このようにしたら、本卦から離れてしまう割合が増 えてしまう。 (二十九) 「四爻変」 五十三丁裏 〔易学啓蒙〕 「 四爻変、則以之卦二不変爻占、仍以下爻為主。経伝亦無 文、今以例推之当如此 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二十八丁裏) 「玉 斎 胡 氏 曰、 四 爻 変 凡 十 五 卦、 ……」 (五 十 三 丁 裏 二 行 目) か ら「…… 四爻変自大壮至遯是也。後放此」 (五十三丁裏四行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 四 爻 変 は 各 卦 に そ れ ぞ れ 十 五 卦 あ る。 巻 末 の 図 表 を み れ ば、 第 一 図 に お い て 乾 を 本 卦 と し、 四 爻 が 変 化 す る の は、観から臨までの十五卦である。坤を本卦とし、四爻が変化する のは、大壮から遯までの十五卦である。第二図以降も同様である。
(三十) 「五爻変」 五十三丁裏 〔易学啓蒙〕 「 五爻変、則以之卦不変爻占。穆姜往東宮、筮遇艮之八。 史曰、 『是謂艮之随』 。蓋五爻皆変、唯二得八故不変也。法宜以『係小 子、失丈夫』 。為占、而史妄引隨之彖辞以対則非也 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、二十九丁表) 「朱 子 曰、 艮 之 隨、 惟 六 二 一 爻 不 変、 ……」 (五 十 三 丁 裏 五 行 目) か ら 「……五爻変自夬至姤是也。後放此」 (五十三丁裏十行目)まで。 〔概 要〕 朱子 :「 艮 之 随 」(艮 ☶ ☶ の、 随 ☱ ☳ に 之 く) は、 六 二 の み 不 変 で、 他 の 五 つ の 爻 は 全 て 変 化 す る。 変 化 す る 五 つ の 爻 は 九 (老 陽) か 六(老 陰) で、 変 化 し な い 六 二 は 八(少 陰) で あ る。 筮 法 は 少 な い 方 を 主 と す る。 変 化 す る 爻 は 五 つ、 変 化 し な い 爻 は 一 つ。 だ か ら 少 な い 方 の 八(少 陰) に よ っ て 占 い を 行 な い、 「 艮 之 八 」(艮 の 八 に 之 く) と い う の で あ る。 玉斎胡氏 : 五 爻 変 は 各 卦 に それぞれ六卦ある。巻末の図表をみれば、第一図において乾を本卦 とし、五爻が変化するのは、剥から復までの六卦である。坤を本卦 とし、五爻が変化するのは、夬から姤までの六卦である。第二図以 降も同様である。 (三十一) 「六爻変」条 五十四丁表 〔易 学 啓 蒙〕 「 六 爻 変、 則 乾 坤 占 二 用、 余 卦 占 之 卦 彖 辞。 蔡 墨 曰『乾 之 坤、 曰、 見 羣 龍 无 首、 吉』 、 是 也。 然『羣 龍 无 首』 、 即 坤 之 牝 馬 先 迷 也。 坤 之『利永貞』 、即乾之「不言所利」也 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、三十丁表~三十一 丁裏) 「玉 斎 胡 氏 曰、 六 爻 変 只 一 卦、 ……」 (五 十 四 丁 表 一 行 目) か ら「…… 不 言所利者貞也」 (五十四丁表九行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 六 爻 変 は 各 卦 に そ れ ぞ れ 一 卦 あ る。 巻 末 の 図 表をみれば、第一図において乾を本卦とし、六爻が変化するのは坤 の一卦のみである。坤を本卦とし、六爻が変化するのは、乾の一卦 の み で あ る。 第 二 図 以 降 も 同 様 で あ る。 乾 坤 の 場 合 は「用 九」 「用 六」 の 辞 に よ っ て 占 う( 「 乾 坤 占 二 用 」) 。 そ の 他 の 卦 は、 「用 九」 「用 六」 の 辞 は な い の で、 之 卦 の 彖 辞(卦 辞) に よ っ て 占 う( 余 卦 占 之 卦 彖 辞 )。 朱 子 は い う。 乾 の 六 爻 が 全 て 変 化 す れ ば 陰(坤) と なる。だから、 「用九」に「群龍无首(群龍に首なし) 」というので あ る。 こ れ は 坤 卦 の「利 牝 馬 之 貞(牝 馬 の 貞 に 利 あ り) 」 に ほ か な らない。その意味するところは、群龍でありながら頭がない、剛で あ り な が ら 柔 を 忘 れ な け れ ば 吉 で あ る、 と い う こ と で あ る( 「 乾 之 坤、 曰、 見 羣 龍 无 首、 吉 」) 。「牝 馬」 は 柔 順 で あ り な が ら 力 強 く 走 る の で、 坤 卦 で は こ れ を「利」 と し「貞」 と す る。 「 先 迷 (先 ん ず れ ば 迷 う) 」 と は、 陽 が 先 に 行 き 陰 が 後 れ る の が 自 然 な 道 理 で あ る
から、陰が陽の先に行ってしまえば迷うことになる( 「『羣龍无首』 、 即坤之牝馬先迷也 」) 。また朱子はいう。坤の六爻が全て変化すれば 陽(乾)となる。だから、 「用六」に「利永貞(永貞に利あり) 」と い う の で あ る。 こ れ は 乾 卦 の「元 亨 利 貞」 に ほ か な ら な い( 「 坤 之 『利永貞』 、即乾之「不言所利」也 」) 。 (三十二) 「於是一卦」条 五十四丁表~五十五丁表 〔易学啓蒙〕 「 於是一卦可変六十四卦、而四千九十六卦在其中矣。所謂 『引而伸之、触類而長之、天下之能事畢矣』 、豈不信哉。……変在第三 十 二 卦 以 前 者、 占 本 卦 爻 之 辞。 変 在 第 三 十 二 卦 以 後 者、 占 変 卦 爻 之 辞。 凡言初終上下者、拠図而言。言第幾卦前後者、従本卦起 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之三末、三十二丁表~三十 三丁表) 「玉 斎 胡 氏 曰、 三 十 二 図 初 終 上 下 各 主 首 末 両 卦 為 本 卦、 ……」 (五 十 四 丁 表 十 行 目) か ら「…… 則 便 過 其 中、 故 皆 主 悔 卦 以 為 占 也」 (五 十 五 丁 表 五 行 目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 巻 末 の 三 十 二 図 で は 各 図 の 首 末 の 両 卦 を 本 卦 と す る(例 え ば、 第 一 図 で あ れ ば 首 の 乾 と 末 の 坤 と が 本 卦) 。 本 卦 の爻の中の老陽老陰が変化することで、一卦が六十四卦に変化し得 る(各図においてそれぞれ六十四の之卦が確認できる) (「 一卦可変 六 十 四 卦 」) 。 つ ま り、 計「四 千 九 十 六 卦」 (六 四 × 六 四) が 六 十 四 卦 の 変 化 の 中 に 存 在 す る( 「 四 千 九 十 六 卦 在 其 中 矣 」) 。 第 一 図 の 首 (「 初 卦 」) で あ る 乾 卦 は、 姤 の 初 六 か ら 坤 の 上 六 ま で 変 化 す る が、 図 で は 初 め か ら 終 わ り へ、 上 か ら 下 へ と み て い く( 「 得 初 卦 者、 自 初而終、自上而下 」) 。第一図の末( 「 末卦 」)である坤卦は、復の初 九から乾の上九まで変化するが、図では終わりから初めへ、下から 上 へ と み て い く( 「 得 初 卦 者、 自 初 而 終、 自 上 而 下 」) 。 第 二 図 以 降 も同様である。また第一図において、乾の場合では姤から恒まで、 坤 の 場 合 は 復 か ら 益 ま で が「三 十 二 卦 の 前(前 半 の 三 十 二 卦) 」 で、 す べ て 本 卦 の 爻 辞 で も っ て 占 う( 「 変 在 第 三 十 二 卦 以 前 者、 占 本 卦 爻 之 辞 」) 。 こ こ に は、 「 一 爻 変 」「 二 爻 変 」、 そ し て「 三 爻 変 」 の前十卦が含まれる。さらに、乾の場合では益から坤まで、坤の場 合 は 恒 か ら 乾 ま で が「三 十 二 卦 の 後(後 半 の 三 十 二 卦) 」 で、 す べ て 変 卦(之 卦) の 爻 辞 で も っ て 占 う( 「 変 在 第 三 十 二 卦 以 後 者、 占 変 卦 爻 之 辞 」) 。 こ こ に は、 「三 爻 変 」 の 後 十 卦、 「 四 爻 変 」「 五 爻 変 」「 六 爻 変 」 が 含 ま れ る。 以 上 の よ う に 各 図 に お い て 三 十 二 卦 で 前半と後半とに分ける。前半の三十二卦では「貞」を主とし、後半 の 三 十 二 卦 で は「悔」 を 主 と す る。 こ れ を 説 明 す る の に「中」 (中 庸 ヵ) を 用 い れ ば、 前 半 の 三 十 二 卦 で は「中」 に 適 う の で 全 て 「貞」 を 主 と し、 後 半 の 三 十 二 卦 で は「中」 を 過 ぎ て し ま う の で 「悔」を主とするのだ。
(三十三) 「以上三十二図」条 五十五丁表~五十五丁裏 〔易学啓蒙〕 「 以上三十二図、反復之則為六十四図、図以一卦為主、而 各具六十四卦、凡四千九十六卦、与焦贛易林合。然其條理精密、則有 先儒所未発者、覧者詳之 」 〔引用順序〕 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 ) (ア) 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之六、三十三丁表~三十三 丁裏) 「玉 斎 胡 氏 曰、 三 十 二 図 反 復 其 変 悉 如 乾 坤 二 卦 変 図 例。 ……」 (五 十 五 丁 表六行目)から「……此乃卦画変図之妙也」 (五十五丁裏七行目)まで。 〔概 要〕 玉斎胡氏 : 図 に お け る 第 一 卦 が 本 卦 で あ り、 順 行 し て 変 化していけば、初めから終わりへ、上から下へと移行する。第一図 では乾から坤まで変化する。これを反転させれば、末の一卦が本卦 であり、逆行して変化していけば、終わりから初めへ、下から上へ と移行する。第一図では坤から乾まで変化する。あるいは順行し、 あるいは逆行することで、一つの図の中に二つの卦を本卦してその 変 化 を み て と る こ と が で き る。 一 つ の 図 が 二 つ 図 を 成 し て い る の だ。 だから三十二図が反復することで六十四図になるのである (「 三 十二図、反復之則為六十四図 」) 。三十二図における先後順序は、第 一図における乾坤の変化を例にすれば、第二図以降の全ての図にお いても、同様にしてその変化をみてとることができる。第一図は乾 が本卦となり、第二図は姤、第三図は同人とつづき、第三十二図の 恒となる。計三十二卦。それぞれ三十二図の第一卦となり、順序に 乱れはない。またこれを逆にみれば、第一図は坤が本卦となり、第 二図は復、第三図は師とつづき、第三十二図の益となる。計三十二 卦。それぞれ三十二図の末の一卦となり、順序に乱れはない。これ は卦画変図の妙である。 (三十四) 「邵子天地四象図」 五十六丁表 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之六、三十八丁裏) (三十五) 「朱子天地四象図」 五十六丁裏 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之六、三十九丁表) (三十六) 「掛扐過揲總図」 五十七丁表~五十七丁裏 『易学啓蒙補要解』 (『性理大全』 )(巻之六、三十九丁裏~四十丁表) 《結びにかえて》 『易 学 啓 蒙』 は、 朱 熹 自 ら 初 学 者 の た め に 著 し た 書 で あ る と は 言 う も の の( 「易 学 啓 蒙 序」 )、 実 際 に は 非 常 に 難 解 で あ り、 と て も 注 釈 な しで理解できるようなものではない。その注釈書にしても、南宋以降 の中国および朝鮮、さらには江戸期の日本においていくらか作成され てはいるものの、これらの書に関する情報も極端に不足しており、一 体何からどのように手を付けてよいのかわからないというのが正直な 所であろう。そのような中、安東省菴が編纂した註釈集『啓蒙難解』
は、南宋から明にかけての中国、さらには朝鮮で作成された代表的な 註釈書から必要最低限の箇所のみを抜粋してコンパクトに整理してお り、 『易 学 啓 蒙』 の 全 体 像 お よ び 伝 統 的 な 解 釈 を 知 る に は 非 常 に 有 益 である。とはいえ、それでもなお難解なところも少なくなく、本報告 を作成するに当たっては、あくまでも筆者が現段階において理解し得 た 内 容 を 整 理 し た に す ぎ な い。 た だ 一 連 の 作 業 を 通 し て、 『易 学 啓 蒙』の全体像はおぼろげながら掴むことができ、また、朱熹の「易」 「理」 に つ い て 多 少 な り と も 見 え て き た 点 も あ る。 そ こ で 本 報 告 を 終 えるにあたり、これらの点を少し紹介して結びとしたい。 これまでみてきたように朱熹の『易学啓蒙』は、 「本図書第一」 「原 卦画第二」 「明蓍策第三」 「考変占第四」の四部構成となっており、そ れぞれ河図・洛書、先天図・後天図、占筮法、占断法について述べら れているわけであるが、これを大きく二分すると前半が「画卦(卦を 画 く) 」、 後 半 が「揲 蓍(蓍 を 揲 かぞ え る) 」 に 関 す る も の と い う こ と に な る。 そ し て 朱 熹 は「画 卦」 「揲 蓍」 の 全 て に「自 然 の 法 象」 が み ら れ る と い う こ と を 強 調 す る。 『啓 蒙 難 解』 に 取 り 上 げ ら れ て い る 注 釈 に も、 「人意を介せずして 自然に 0 0 0 そうなるのである」 「そこにみられる 自 0 然 の 妙 0 0 0 は、 人 力 の 介 在 し 得 な い も の で あ る」 「 自 然 の 妙 0 0 0 0 は、 牡 牝 が 互 い 包 含 し 合 う よ う で あ り、 符 契 が 互 い に 合 致 す る か の よ う で あ る」 (以 上「巻 之 下」 ) 等 と あ り、 「自 然」 「自 然 之 妙」 「自 然 の 法 象」 と いった表現が目立つ。 そこで改めて朱熹の「易学啓蒙序」を読み返してみると、 「画 卦」 に お い て は、 根 か ら 幹 へ、 幹 か ら 枝 へ と、 そ の 勢 い に は そ う せ き 立 て る も の が あ り、 自 ら 已 む こ と は な い。 「揲 蓍」 に お いては、分合・進退・縦横・順逆、如何なる操作を施しても見事 に一致するのである。これは、聖人が 心思智慮 0 0 0 0 ( 作為按排 0 0 0 0 ) を駆 0 0 使して作り上げた 0 0 0 0 0 0 0 0 ものでは決してあるまい。ただ、 気 0 ・ 数の自然 0 0 0 0 なる様相 0 0 0 0 が天の象(日月星辰等)や地の法(山川草木等)に形と なって現れ、河図・洛書に象徴として現れために、聖人は〔これ ら を 参 考 に し て〕 自 ら の 心 を 啓 発 し、 〔心 に 備 わ る 天 地 万 物 の 理 をよりどころとしつつ〕手を借りて易を作成したまでである。 其為卦也、自本而榦、自榦而支、其勢若有所迫、而自不能己。 其為蓍也、分合進退従横逆順、亦無往而不相値焉。是豈聖人心 思智慮之所得為也哉。特気数之自然、形於法象、見於図書者、 有以啓於其心、而仮手焉耳。 (「易学啓蒙序」 ) と あ る。 つ ま り「画 卦」 に し て も「揲 蓍」 に し て も、 そ れ は 聖 人 が 「心 思 智 慮(作 為 按 排) 」 を 駆 使 し て な さ れ た も の で は 決 し て な く、 「気・ 数 の 自 然 な る 様 相」 が 現 れ た 天 地 の 法 象 や 河 図 洛 書 を 手 掛 か り とし、自らの心に備わる理をよりどころとしつつ、それこそ自然な勢 いに沿って作成されたものであるというのであ 1 る 。さらに注目すべき
は、 「 卦 を 画 く 前 に す で に こ の 理 は 存 在 し て い た 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の で あ る が、 聡 明 神 武の人(=聖人)の手を借りてその秘密を明らかにしたまでである。 卦を画く前にすでにこの図(卦)があり、卦を画いた後にはじめて八 卦 が 生 ま れ た と い う わ け で も な い。 こ こ が 易 に お い て 最 も 重 要 な 所 (第一義)である。 (未画之前已有此理、而特仮手於聦明神武之人以發 其祕、非謂画前已有此図、画後方有八卦也。此是易中第一義也) (『晦 庵 先 生 朱 文 公 文 集』 巻 第 三 十 八「答 袁 機 仲」 第 六 書 簡) と い う よ う に、易が作成される前から、その原型骨子ともいうべき「理」がすで に 存 在 し て い た と 述 べ て い る 点 で あ 2 る 。 そ し て こ の「理」 こ そ が、 「気・ 数 の 自 然 な る 様 相」 に ほ か な ら な い。 こ の 画 卦 前 に す で に 存 在 し て い た「理」 が、 聖 人 の 手 を 借 り て 明 ら か に さ れ、 具 体 的 な 形 (文)となって現れたものが易なのである。 さらには、このようにして作成された易を後から観察してみると、 「逆 順 縦 横、 全 て が 義 理 を 成 し て お り、 千 般 万 種、 そ の 神 妙 さ が 窮 ま る こ と は な い(逆 順 縦 横、 都 成 義 理、 千 般 万 種、 其 妙 無 窮) (同 第 二 書簡) 、「天下の現象変化が尽く備わっている(其可盡天下之変) 」(同 第三書簡)というように、天下のあらゆる現象変化がみてとれ、さら に、 「逆順縦横」 、いかなる視点からみても見事に合致する「義理」が 確認されるのだという。こうした「義理」については、これまでの報 告の中でみてきた通りであ 3 る 。本稿で言えば、 (二十一) 「乾之策」章 において、乾坤の策数の合計が、老少いずれで計算しても三百六十と なり、これが一年の日数と合致するといった類もその一例であろう。 そ し て、 「卦 を 画 く 時 点 に お い て は、 聖 人 と い え ど も、 卦 の 中 に 数 多 く の 巧 妙 奇 特 な る 理 が 隠 さ れ て い る こ と は 知 ら な か っ た。 (方 其 画 時、雖是聖人、亦不自知裏面有許多巧妙奇特) 」(同第三書簡)と述べ るように、こうした「義理」を聖人があらかじめ想定し、智力の限り を尽くして易を作成したものでは決してなく、自らの心に備わる理を 拠り所としつつ、少しも作為按排を加えることなく、 無心に 0 0 0 、 自然な 0 0 0 流れに即して 0 0 0 0 0 0 作成したからこそ、当初は想像だにしなかった「巧妙奇 特なる理」が備わることになったのだと説くのである。そしてこれを 朱熹は、 「易を作成する際の妙処(作易妙処) 」だと述べている。以上 の こ と か ら 朱 熹 に と っ て「理(義 理) 」 と は、 「自 然」 で あ る か ど う か、そこに「作為」があるかどうかという点が絶対的な条件であった ことが窺えるのである。 今 後 は、 こ の「自 然」 と い う 点 に 特 に 着 目 し な が ら、 『易 学 啓 蒙』 の「本 図 書 第 一」 「原 卦 画 第 二」 「明 蓍 策 第 三」 「考 変 占 第 四」 に つ い てより詳細な解読・分析を進めていきたいと考えている。 注 1 こ う し た 朱 熹 の 考 え 方 は、 『易 学 啓 蒙』 に 疑 念 を 抱 く 袁 機 仲 へ の 書 簡( 『晦 庵 先 生 朱 文 公 文 集』 巻 第 三 十 八「答 袁 機 仲」 ) の 中 で も 確 認 す る こ と が で き る。 「こ れ ら は 皆、 自 然 に 生 じ、 噴 涌 し て 流 出 し、 智 力 を 借 り る こ と な く、 手 勢 を 犯 す こ と も な い。 (是 皆 自 然 而 生、 瀵 湧 而
出、 不 仮 智 力、 不 犯 手 勢) 」(第 六 書 簡) 、「… 六 十 四 卦 全 て が 天 理 の 自 然 な 流 れ に 促 さ れ て 生 ま れ た こ と が わ か る。 聖 人 は こ の 所 を 明 瞭 に 理 解 し、 根 本 よ り〔自 然 に〕 画 き 出 し た ま で で、 元 か ら ほ ん の わ ず か な 智 力 も 加 え る は な か っ た。 (… 方 見 六 十 四 卦 全 是 天 理 自 然 挨 排 出 来、 聖 人 只 是 見 得 分 明、 便 只 依 本 画 出、 元 不 曽 用 一 毫 智 力 添 助) (第 二 書 簡) 2 『晦 庵 先 生 朱 文 公 文 集』 巻 第 三 十 八「答 袁 機 仲」 第 三 書 簡 に も、 卦 を 画 く 前 に、 「も と も と 太 極・ 両 儀・ 四 象・ 八 卦 の 骨 子 が 存 在 し た (元有箇太極両儀四象八卦底骨子) 」とある。 3 河 図 洛 書 に み ら れ る「義 理」 に つ い て は、 拙 稿「朱 熹「河 図 洛 書」 解 釈『易 学 啓 蒙』 「本 図 書 第 一」 の 分 析」 (『白 山 中 国 学』 通 巻 二 十 三 号、二〇一七年)を参照。 キーワード:朱子学、易学啓蒙、象数易学、占筮、安東省菴