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中井家文書中の大地震の記録

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Academic year: 2021

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中井家文書中の大地震の記録

蒲生郡日野の有力な商家である中井源左衛門家では、陸奥(むつの)国(くに)仙台(宮城県仙台市)を はじめ、各地に数多くの出店を設けていました。中井家にとっては必然的に、これら出店の経営管理が 大きな課題となります。そこで中井家当主は各出店を定期的に巡回して、帳簿の監査や店員の指導な どを行っていました。これを「店廻り」と呼びます。 四代目当主である源左衛門光基(みつもと)は、天 保6年(1835)の店廻りで仙台店を訪れた際に、現地を襲った大地震に遭遇しています。今回は、光 基が「四番諸事日下(ひか)恵(え)」という表題の史料中に書き残した記録(写真)をもとに、約180年前 の南東北地方での地震について見ることにしましょう。 天保6年6月25日に発生した地震は、宮城県沖が震源で、マグニチュード7・0程度の規模であった と推定されています。「四番諸事日下恵」には「八ツ時頃大地震、ことに長震なり」とありますから、午後 1~3時頃からしばらくの間揺れたようです。 仙台店では「本店蔵々少々ずつ壁痛み…庭の蔵隅々痛み、石灯籠残らず倒れ」と、あちこち壊れた ものの、さほど大きな被害はなかったようです。ただし『仙台市史』によれば、この地震によって仙台城 の石垣が崩れ、沿岸部では津波が発生しました。仙台店でも地震の最中には全員が表へ走り出てお り、光基は「誠に覚えざる大震、恐るべし恐るべし」と、その恐怖を記しています。 東日本大震災と同様に、天保の地震でも余震が長く続きました。当日は夜半にも「少々震え」、夜四 つ時(午後9~11時頃)過ぎには「よほど震い驚き入り候」と大きく揺れたようです。その後も「廿六日 夜八ツ時よほど震、又明前少々震、六ツ半時少々震…七月十二日四ツ時中地震、七月十六日七ツ過 地震…」と続きます。さらに、光基は九月一五日から仙台を離れ、得意先である商人たちへの挨拶廻り に出るのですが、18日には岩ヶ崎(宮城県栗原市)で「今早朝地震中位(ちゅうぐらい)」、25日にも水 沢(岩手県奥州市)で「今暁少々地震」と、地震発生から三ヶ月後にもかかわらず、行った先々で余震 に見舞われました。 そして“記録魔”の傾向がある光基は、こうした体験を逐一書き留めています。彼の記録は、歴史上の 地震の規模や被害状況を解明する上で、貴重なデータになり得るものと考えられます。 (附属史料館 青柳周一)

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