• 検索結果がありません。

鳴門教育大学学術研究コレクション

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "鳴門教育大学学術研究コレクション"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

阿波人形浄瑠璃における天狗久制作の人形頭に関する考察 教科・領域教育専攻 芸術系コース(美術) 重白瑞希 1. はじめに 人形浄瑠璃が盛んな徳島では「人形師」と呼 ばれる職人が演劇で使用する「人形頭」を制作 してきた。本論では、人形師である「天狗久」 の制作した人形頭の造形について、本人の発言 や制作のための手法、時代背景と照らし合わせ て、作風とその変遷、制作意識を考察する。 2. 天狗久とその作品について 1858 年に現在の徳島市国府町に生まれた吉 岡久吉は、15 歳で国府町の人形師である人形富 のもとに弟子入りする。独立後、「天狗久」と名 乗り、 1943 年に85 歳で亡くなるまで人形頭を 制作し続ける。晩年、娯楽としての人形浄瑠璃 の衰退後に、文化映画『阿波の木偶』、作家の宇 野千代による 『人形師天狗屋久吉』 などで取り 上げられ、知名度を高めた。 天狗久は人形頭制作において、大型化、人形 の目にガラスを使用するなどの独自の工夫を導 入しており、その作風は「写実的」と評価され ている。しかし、 ここでの「写実」 は、実際の 人間の顔にそっくりであるということではない。 浄瑠璃人形には、物語における登場人物の役割 を示す「型」が存在する。例えぱ主役、悪役、 若い男性、娘などの役ごとに、その特徴が誇張 された形式的な造形が見られる。つまり、天狗 久の「写実」は「型」の中にごくわずかに感じ られる要素であると言える。これは伝統的な型 指導教員 を守りながらも役の「陛根」を表現することを 重視したという天狗久の発言とも結びつく。 3. 作品の上隣交 天狗久制作の人形頭の造形の変遷を辿るため に、造形に変化を与えたと推測できる要因ごと に、「写実」を軸として、作品を比較した。 <大型化の比較> 人形頭の最初の大型化は1882 年ごろで、それ まで12.6cm が主流であった中、 14.4cm の注文 が入るようになり、 1915 年ごろに最大の18cm になるまで人形頭は次第に大きくなる。この年 代を基準に、同系列の型のサイズと制作年代の 異なる人形頭の造形を比較した。その結果、 15-16.5cm 前後の1900- 1910 年代の作品に「写 実」 と「型」が融合したような独特な造形が見 られた。一方、大型化の最盛期を過ぎた1932 年の作品には、サイズが大型化以前に戻ったに も関わらず「写実と型の融合」から写実性がさ らに高まった造形が見られた。 <ガラス目の比較> ガラス目が導入された人形頭と通常の人形頭 を比較した。ガラス目が使用された頭は、光の 効果によって、生き生きとした印象を与える。 しかし、違いはガラス目の有無だけではなく、 ガラス目が使用されている人形頭は造形自体が 骨格や目鼻のバランスが実際の人間に近い、写 実性が強い傾向がある。そのためにガラス目は - 273 -

(2)

写実を目的とした表現のーつの要素であると考 えられる。 これらのことから、大型の人形頭の 需要が契機となり、作者の個性を表現する余地 ができたことによって、天狗久は「写実」を取 り入れ、その表現を高めたのだと推測する。 4. 天狗久の写実性に関する考察 人形頭の写実性は人形浄瑠璃において本来不 要な要素である。文楽の人形遣いからは天狗久 の人形頭は鋭すぎるために好まれなかったとい う記録もある。一方で、宇野千代による天狗久 作品の評価からは、道具としてではなく美術品 として、写実的な要素が良い意味で捉えられて いる。天狗久はなぜ写実を目指したのか、制作 のための手法と時代背景という点から考察する。 <手法> 阿波の浄瑠璃人形にガラス目を使用する技法 は、天狗久に始まり、現在の人形師にも受け継 がれている。しかし、現存するガラス目の作品 が少ないこと、舞台上での効果が低く、実用的 でないことから、ガラス目の人形頭の需要は少 なかったと思われる。 次に、天狗久は顔に関する研究を行っていた ことを語っている。天狗久の工房調査からは「人 相占い」に関する書籍や新聞記事の切り抜きを 収集していたことが分かっている。 これらを活 用して顔の表現の幅を広げたと考えられる。 <時代背景> 人形浄瑠璃の衰退期に天狗久は「見世物」 と して展示される、生きている人間を模した「生 人形」を多く制作している。現存する天狗久の 生人形を見ると、人形浄瑠璃としての「型」か ら外れているために、より写実的な人物の表現 が見られる。浄瑠璃人形への使用が少なかった ガラス目も多用されている。 この制作が人形頭 制作に影響を与えていると推測する。 天狗久が人形頭制作を始めた明治初期は「個 人」への関心が高まった時代で、それまでの日 本美術には見られなかった写実的な表現が見ら れるようになった。この時代に流行した生人形 にも見られるように、制作者が美術という意識 を持っているかどうかに関わらず、「写実」が造 形において目指す目標であったことが分かる。 天狗久自身はあくまでも職人であり、本人の発 言からは美術作家という意識は伺えない。しか し、通常は必要とされない写実性を浄瑠璃人形 に組み込んだ背景には、 この時代のこのような 風潮が影響を与えていると考えられる。さらに、 彫刻的なう句f彡物に対して鑑賞者が自由な見方を することが浸透してきたこと、人形の美術とし ての地位が高まったこと、戦時下において日本 的な題材が好まれたことが天狗久の晩年の評価 を高めたことにつながると考えられる。そして、 これらの手法や時代背景に基づいた、「型」を超 えた写実表現の集大成として、天狗久は晩年に 「小楠公」の人形頭を完成させている。 5. おわりに 天狗久制作の人形頭制作は、人形浄瑠璃の上 演形態や社会的背景などの要因によって、その 造形が変化し、新たな時代の価値観によって、 実用的な浄瑠璃人形にとどまらない評価がされ るようになった。近代という時代において、江 戸時代からの伝統的な人形頭を制作し続けた天 狗久は、高い制作意識のもとで、時代の流れに 対応することができた稀有な人形師と言える。 徳島における天狗久と人形頭のように、各地 域に存在する美術作品や文化などに関する研究 を深め、美術教育とつなげることを今後の課題 として継続して取り組みたい。 - 274 -

参照

関連したドキュメント

以上のことから,心情の発現の機能を「創造的感性」による宗獅勺感情の表現であると

大学は職能人の育成と知の創成を責務とし ている。即ち,教育と研究が大学の両輪であ

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

脱型時期などの違いが強度発現に大きな差を及ぼすと

ハンブルク大学の Harunaga Isaacson 教授も,ポスドク研究員としてオックスフォード

その目的は,洛中各所にある寺社,武家,公家などの土地所有権を調査したうえ

わな等により捕獲した個体は、学術研究、展示、教育、その他公益上の必要があると認められ

まず、本校のコンピュータの設置状況からお話します。本校は生徒がクラスにつき20人ほど ですが、クラス全員が