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始業生業民俗論II ―マス漁を中心として―

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(1)7巻2号1996. 1 文学・芸術· 文化. め に. II. ーー マス 漁を 中 心と し て l. 始業生業民俗論. は じ. 野 本 寛. し、 これを指標とした。渓 流漁 携のメル クマール として. これらは縄 文時代以来連綿と続けられてきた生業要素 で. 料 の採集、道 具や衣類 を作るための加工素 材の採集I. るべきではあるが、小 論においては調査 地による項目の. は、共通 性のある、 一定 の調査 項目によ って調査 を進め. 県の サク ラ マス 潮 上 河川 河畔 の一0 村落 であ る。本 来. 目を配った。調査 地は、秋田 県·岩手県・山形県・福島. のマスに注目しながら、始原 性の強い他の生業要素 にも. ある。山 村と通称されるムラムラで は近代 以降もこれら. 狩 猟、河川漁 拐、堅果類 ・根茎類 ・山菜類 といった食. を複合させ、さらに、始原 性の強い焼畑 や、炭 焼• 養蚕. 個 々の要素 をとりあげ、そ れを、独 立したものとして扱. て て き たので あ る。従 来 の生業研究 は、 これ ら の中 の. 山民の生活カレンダーー. 俗 論ー— マス漁 を中心 と して1. 」(第 二回 飛騨 国府 シ. I 」・「飛騨 山民と生. 第二巻 第三 号 ( -九九一年 三 月) 所 収 の「始原 生業 民. 小 論は、近畿 大 学文芸学部 論集『文学・ 芸術・文 化』. 変動 、 調査 内容 の粗密 があり、恣 意性なしとしない。. う 場合が多かったのであるが、庶 民の暮らし や生業 の実. ンポ ジウ ム・飛騨 と 文 化|— 豊かな 生活の再現ー. 活. • 木製品 製造 ・時に稲作 などをも複合 させて暮らしを立. 態は、 これらの複合 実態を総合 的に見つめてみなければ. 山 の生業要素 と、そ の複合の実態資料 を収 集提 示するこ. • 伊那 谷からl. に続くもので あり、「始原 生業複合論ノ ート. 一九 九ニ・ 十一月 三十日・岐阜 県国府町 主催 のテキ スト ). 」. 見 えてこないのである。ここでは、 まず、始 原 性 の強い. とを目ざ し た。そ の際 、 標高 一0 001 �以上 まで潮 上. 」( 『信濃 』 一九九 六年 一月号 )と並. 秋 山郷. し 、産 卵するサクラマスを山の恵み、 山の幸として注目. - 71 -.

(2) ぶ ものである。 今 後 、さらに資料 報告 を続ける予定 があ ることか ら、小 論所 収 の内容 は、「始原 生業 民俗 論」 の 中間的な資料 報告 の一部 とい うことになる。 本来ならば調査 地ごとに地形圏を入れるべきではある が、ここでは紙幅の関係上 割愛 し た。 � 荒 川水系 と一 二面 -• 山 形 県西 置賜郡小 国町 樋倉 ー. が強い 。. 2 JVI ). と稜 線は次第に標高 をさげて西南に. 西朝日岳↓袖 朝日岳↓ 檜岩屋 山( -― 一五ニ ・五訳 ) ↓ 柴倉 山(八七一. 続くのであるが、そ の線がそ のまま山形県と新潟 県の県. 境となってい るのである。西朝日岳の北 方から北 西方に. JVl). は、竜門 山 ( -六八八げ ↓ 寒江 山( -六九四 ・九認 ). ↓北寒江 山( -五九 一訳 )↓ 以東 岳( 一七 七 一認 )↓ 化. 山々が連り、この県境ラインの西南斜面が三 面川水系 の. Wl). 穴 山 ( -五 0六” ↓重 蔵 山( 10三 六認 ) と い っ た. 小 国町 樋倉 は裏山を越えれば三面水系 の谷に至 るとい. - 72 -. 川 水系. 集水域 となってい る。三 面川河口部 には村上 市があり、. 人は川のほとりに住み、川は民俗 文化を育む のである. が、そ の川は山によって生成存 立する。人びとの暮らし. に解村した岩船郡 朝日村三面 はマタギ集落 としてその独. l. サ ケ漁 で知られるところである。また、ダ ム建設 のため. ある。山 形 県の朝日 岳 山塊. う地形で、狩 猟・渓 流漁 榜等で、このムラの人びとは荒. 、新 • 平岩山 ( -六0九認 ) ―話) 八 ―― ・ 中岳 ( 三認 ) 六五• 一認 )、な どの山々 はそ の典型 とも言え よ う。山. 潟 県境の 西朝日岳( -八――― ― • 七財 ) .袖 朝日岳( -六. 川水系 と― _ 面川水系 の谷と山を利用し続けることができ. かったのであるが、樋倉 には、実に豊かな山の民俗 が伝. 形県西置賜郡小 国町 ・新潟 県岩船郡 を経 て日本海に注ぐ. 承 されてい る。以下 は、同 地で生まれ育ち 、狩 猟・渓 流. たのであった。狩 猟民俗 において三面 が脚光 を浴び続け. り、右岸 最上 流部 の ム ラ が戸数 六戸の小 国町 樋倉 で あ. 漁 榜等の経 験を積んだ佐藤 静雄 さん( 大 正七年生まれ). たのに対 し 、 こ の 地 の 民俗 は あ まり 知 ら れ る こ と が な. る。樋倉 は、現在 五 味沢の一部 となっており、五味 沢は. を水源 としてい る。荒川左岸 最上 流部 のムラが徳網 であ. ―― 1 0戸あるが約一キ ロ ほ ど離れてい るので樋倉 は独 立性. 荒 川は、この朝日山塊に馬蹄型 に囲まれた南向きの斜面. 自 な民俗 が広く知られたところであった。. 大 朝H 岳( -八 七 O ·. 野本. と民俗 文化の母となるい くつかの川を生み出した山塊が. 始業生業民俗論lJ.

(3) 7巻2号1996. l 文学・芸術・文化. の体験と伝承 である。第 1表は佐藤 さんが昭和 十年前後. の勢力 もこの範囲には及 んでいなかったのである。猟期. :;の東 南斜 面にあった。新潟 県朝日村 三面マタギ 六oo:::. には、まず流川 水系 ヒ流部 の山 々で猟をし、一通り荒 川. に体験した生業暦 であるが、 以下 この表にそ って話を進. H ・狩猟. める。. め、マタギ小 屋の小 屋掛 けに出かけるのが常であった。. ら岩井 又沢 へ 入 るの で あ る。毎年 、 九 月末 から十 月初. かった。三面 水系 でも最初末 沢に入り、そこを終えてか. 水系 を 終え て か ら 三面水系 の 奥 山 に 入 るという 形 が 多. この地の狩猟には十月 十五 日から四月十 五 日までの間. 1• 熊狩 に、ムササビ ・テン・兎 •山鳥などを対象 として行う 個. い時は十人で、樋倉 マタギのテ リト リーには、荒 川 水系. 象 として行う 熊狩 があった。熊狩 集団 は四·五 人から多. 麻 のタッツ ケ は雪がつかないと言われている。上 は「ド. モヒキ をはき、その上に麻で 織ったタッツ ケをはいた。. マタギの衣類 はおよそ次の通りだった。下 は木綿のモ. 人狩 猟と、四 月十五日から五月十五日までの間春熊を対. と 三面川水系 の ―つがあった。荒 川 水系 は、西朝 日岳 と. ンプク」 と呼ばれる綿 入れ 半線である。山を 歩く時は暑 、白太郎山 ( 10. が、滑 りやすくふ んばりが効かなかった。ただし、夜 寝. された。カモシカの皮で作った沓をはいたこともあった. いのでこれでよかった。 寝る時はカモシカの皮がよいと 2 IV). 0ニ・八訳 )、柴倉 山 からまた、袖 朝日岳への県境ライ. るときは暖かくてよかった。春熊狩 にはT字 型をした鉄. 下 り、丸森 峰から不動 山( 九三三. 袖 朝日岳の中間点 から平岩山 、そして長井市 の五貫 沢を. り、標高 六五 〇認 の位置および‘針 生平の向い山中、標. のカンジキ をつけるのが普通だった。 普通一週 間の泊 り. ンを結んだ範囲だった。この範 囲の中で、角 楢 沢のつま 高 六00認 ほどの位 置に熊狩小 屋があった。. かった。米 ・味 噌• 塩、それに、大根の干 し葉、里 芋の. 込 みであるからそれなりの食糧 を用意しなければならな. ズ イキ などである。佐藤 さんの泊 りこみの最長記録は二. 三 面水系 は、岩 井沢上 流部 の大上戸 沢水源 ガッコ沢と 面標高 六00認 ほどのラインから末沢峠を越えた位置以. 0日間だったという 。二十日泊 りこむと蹟はのびるし、. 中俣沢の合 流点 、畑 沢の水源 より南、巣 戸々山の西南斜 北 と いった 範 囲だ った 。小 屋 は末 沢川の上 流部 、標高. - 73 -.

(4) 時は、途 中で獲物を里 に運び、帰 りに食料 を運びあげな. マタギ小 屋の火 に燻されるので顔中真黒 になる。そ んな. れたことに気付いて寝て動かぬ状 態 になることを指す). ↓シ ダミ ホロキ ⑬ 追い込 む↓フ テル (熊が追いつめら. ⑳鍋. ⑳ 弾道 ↓ヤ ミ チ. ⑳ 山に 泊 る ↓ ス ノ. ⑳ 椀 ↓モッツ オ. ↓クマ ⑪ 箸↓テコ ⑫笠 ↓アマプタ ⑬引 返す↓ ムジ. ⑱槍 ↓ナ メ. ⑮ 寝 る↓ フ ス. ければならないのであるが、この運搬係 には猟の下手な. ⑰ 山 刀 ↓キリハ. ル ⑳ 猿↓アカッペ ⑮ 烏↓サライ ⑯蓑 ↓ケンタイ. 熊狩 のために入山 する折は、まず一同 で徳網 のはずれ. ものが 当った。 にある山の神 に参 り、そ こ からは里 言 葉を禁じ 、「山 言. カッ クイ @ 目↓クバリ. ⑰ 米 ↓ハ ミ ⑱ 塩 ↓ カリ. ており、マタギ 集団で遅くまで山ことばを使っていたこ. 右によればこの地にはかなり体系 的に山ことばが残っ. ⑩和 尚 ↓. 葉しに切り替えた。山から下る折も同 様にこの山の神を すよう に四 十 語 以上の山言菓を記憶している。大 正七 年. とがわかる。. ⑳味 噌↓ クサリ. 境 として山言葉を里百葉にもどし た。佐藤 さんは次に示. 生まれで四 十 語 以上 の山言葉を記憶し ている人は稀であ. 口から見て右手の座に「ヤマサキ 」 と 呼は れるマタギの. マタギ小 屋は二間に三 間で、中央 に囲炉裏があり、入. 先 輩のマタギ から厳しく叱責 されたという 。. 山 言 葉を間違えたり、山中で里 言葉を使ったりすると. り、佐 藤 さ んこそ は 最後 のマタギ だ と 言 っ て もよか ろ う。 以下佐藤 さんが今も記憶し ている山言葉を記そう 。上 ↓シ カ ③ 一歳 熊↓ワ カメ ④ 二歳熊↓ャライ ⑤ 仔連. は新参の者が座した。入口の対位が上座のよう に見える. 棟梁 が、そ の向いに古参が、座し、入口側とそ の向 いに. に里 こと ば、下 に山ことばを示す。① 熊↓シシ ② 牡熊 熊↓コ ッキ ⑥ ―歳仔熊付↓ワ カメ ッキ ⑦ 二歳 仔熊付. が、そ こは煙がくるのでよくないのだという 。人 口から. ↓ャライツキ ⑧ 胆涎 ↓キ ンチャ ック ⑨ 肺↓ア カフク ⑩ 膵 臓↓タチ ⑪ 心臓↓ ホナ ⑫ 血↓ヤゴリ ⑬ 手 足↓. 見 て右奥隅に棚があり、そ こに飯などを置いた。. していなければならないのであるか、山の地形や気 象条. ヤマサキ は熊の習性や狩 猟技 術、捕 獲儀礼 などを熟知. エダ ⑭丙 臓↓ウ チドー グ ⑮ 男根↓サイタチ ⑯女陰 ↓ サッペ ⑰皮 を剥ぐ↓ナ ラス ⑱ 熊狩 ↓シシヤマ ⑲狩 場↓クラテ ⑳ 命中↓ヨオ ヨオ ⑪糞 ↓シダミ ⑫脱糞. - 74 -. 野本 始業生業民俗論11.

(5) 7巻2号1 996. l 文学・芸術・ 文化. 件 などについての知 識もなければならない。例 えば雪崩. 雪が降った場合 は雪崩が起きやすい。そ んな時プナ 林 を. ば、「針生 のクラテ」「角 楢のクラテ」 といった呼び方を. ―つの狩 場のまとまりのことを 「クラテ」 と呼ぶ。例え. 図 は、沢を挟 んだ両斜面を狩 場としているのであるが、. 樋倉 マタギの熊狩 の布陣 は第1図の通りである。この. と山の神が雪崩を起こすとも伝えた。. 神の後 側 を通るよう にして運んだ。また、山 で歌を歌う. 神の前 を通してはならないと言われており、死体は山の. ばならないのである。この地では、山で死んだ者は山の. とがあった。シカリ はこのよう に咄嵯 の判断 をしなけれ. 山を下 り、吹 雪がおさまってから死体を迎え に行ったこ. 達 も危険 になったので死者を峰の松の木に縛っておいて. 比較 的体の弱いマタギ が命を落とした。ところが、自分. カ の弱い人からやられる。ある時、激 しい吹雪に逢い、. 歩くとビシ ビシと雪がしまる音がする。吹雪に逢う と体. 第1図 樋倉マタギ熊狩の布陣. についてー ニ 、三 日晴 れ ると 雪が 乾く。そ の上 に新. ナリコミ 0 ( 勢 子 ) ムカダテ. ゜. 指令 ・ (. ヤマサキ ). する。この布陣 による集団狩 猟は雪上で行う のが条件 で. ある。射 手の中で最も腕の良い者は中心的な待ち 場につ. くのであるがこれをムクラと呼ぶ。ムクラの上 流側 に配. 置する射手をカンデ II 上 手、下 流側 に配置する射手をサ. ムカダテは射手や熊のいる山に相対 する山に立ち 、熊の. イジリと呼ぶ。向いの山 にムカダテ(向立て)を置 く。. - 75 -. カンデナリ 0(勢子). 流. ↑. Oカンデ (射手). t. 0サイジリ (射手) 下 <. サイジリナリ (勢子). ゜. 上流.

(6) れを向い山の射 手 に伝達 する役で、これには山のこと、. 動きを観察 しながらそ の動きを模倣 するよう な形で 、そ. 先 から根方へ 、③ 左手 、④ 右足 、⑤ 左足 の順で刃物を入. れていたものと思 われる。 続いて② 仰臥状での右 手を爪. いただき、そ のまま広げて熊の体に皮を掛 ける所作を三. れ、全 体の皮を剥がす。皮を完全 に剥ぎ 取ると、そ れを. ナ リコミと は 「嗚り込 み」の意で大 声を立てて熊を追. 狩 猟のことに最も明るいヤマサキ が当った。. ナ リ・サイ ジリナ リも、「カンデ ナ リコミ」「サイ ジリナ. くなった時ムカダテ側 から入れるものであるが 、カ ンデ. し、「ホナ ワ リ」 と称し て心臓 に十字 を三 回刻む 。心臓. 腹 の内 皮を裂く ② 肝臓 と胆巫 を取る ③ 心臓を取り出. そ れが終ると解体に移る。解体は次の順序で行う 。①. 回くり返す。. リコミ」 の略で、随 時セコとして働くのであるが、同 時. 手して礼拝 する ⑤ 仰位右 手( 右枝 ) を切る ⑥ 仰位左. は山の神に供える。 ④ シ カリが呪文を唱え、一同 は拍. う 役目を意味 している。ナ リコミ は、本来、熊が動かな. に熊がクラテから逃れ出ることを防ぐ 見張り役も勤める. 手 を切る ⑦ 仰位右 足を切る ⑧ 仰位左足 を切る ⑨ 頭. ことになる。雪が消えてヤプになるとこの猟法 は威力 を 失 う 。弾が細枝 にさわってそ れてしまう ことがあるので. ⑫ 胴後 半体を縦に二分 する。. を切る ⑩胴 を二分する ⑪ 胴前 半体を縦に二分 する. ければならない。. そ んな時は弾が通る道 に当るヤブを山刀で伐っておかな. が、山 刀 を 入 れ る 前 に 「シ バシ タソ ワ カ」 と三 回 唱 え. ず、 熊の下 唇か ら 下 に 向 か っ て 刃 物 を 入れ る ので あ る. 皮に刃物を 入れることを「皮目を立てる」と言う 。① ま. 仲 間に知らせる。熊を仰伏させ、皮 を剥ぐ のであるが、. 両 端 を縛る。これを持ち 掃って煮てから切って食べるの. て大腸を裏がえし、よく洗う 。血と脂とを交互 に入れて. 食べた。血 の 腸詰めは次のよう にして作った。棒 を使っ. 血 は腸詰めにして里 へ持ち帰 り、マタギ の宴会 の時煮て. 屋 に泊る時は肝臓や肺などを煮て食べた。骨 は分配し、. 猥 物の分 配はヤマサキ も含めて平等に行う 。マタギ小. る。唱 え 終ると下 唇から一気 に股間 まで切る。下唇から. である。肉 の処理 には二種 類 の方法 があった。夏 まで保. ダ 」と大 声で叫んで. 刃物を入れるという ことは、 ニホンツキノ ワ グマ の 「月. 存 しよう とする場合 は甕か樽に塩漬けにし、 当面食べる. 熊を仕止 めた時は「ヨオ ヨオ. の輪」 を切ることになり、熊の生命 を絶つ 呪力 が期待 さ. - 76 -. 野本. 始業生業民俗論 n.

(7) 7巻 2号1996. 1 文学・芸術・文化. 分は味 噌煮にするが、汁がなくなるまで煮詰めてから甕. 脂を取り除かなければならない。脂とりは、山 刀をよく. 乾燥 させるのである。もとよりケタ枠に張る前 に熊皮の. るみのないよう に張る。こう して、十 日から半月 かけて. 研ぎ 、四 •五人の者が約二時間かけて丁寧 に脂を除くの. に入れ、石 のオ モシをしておいた。塩漬け肉 は田植 時に 熊の胆は、売った金を分配する場合と、干 しあげた現. する。これを髪の毛につけると髪が黒 くなると言われて. である。取った脂はフライ パンに入れて火をかけ、油 に. もどして煮て食べることもあった。. は、コタツ の中へ吊っておき、揉 みながら板に挟んで形. モシカの皮の鞣しはコヌ カを使って脂を除き、草 桂を履. なめ. この地ではかつてカ モシカも捕 獲したのであるが、カ. いる。. 物を分配 する場合 と が あ った。 熊の胆 を商品 に す るに を整えた。熊の胆は春 早く獲った熊のものほ ど良質だと を使う からである。. 言われ、青草 を喰った熊の胆は良くないとされた。胆汁. いて皮を踏む という 方法をとった。. 熊皮は牝のものよりも牡の皮の方が良質とされた。そ. 熊の皮も売りものであり、この地のマタギは自分達 で. れは、牝は仔を産 み、仔 に乳を吸 われるために腹の毛が. 薄 く少くなるからである。そ のよう に、毛の少くなって. た熊皮の縦横よりも長い十五セ ンチ角 の杉材を組 んで長 方形の木枠を作る。これを 「ケタ 」と呼ぶ 。ケタ枠を依. 皮張りをした。まず、捕 獲した熊の大きさに応じ て広げ. りどころとして縦に三本、横 に五本 の細角 材を等間隔に. 狩 猟対象として猿を狙う こともあった。猿の肉 は女性. いる牝熊の腹の毛の状態を 「ヒバラ」と呼んだ。. 結びつけ、さらに、熊の毛皮の胴体部 の幅・丈に沿って. 皮として利用した。. 兎狩 は鉄砲 猟の他に、バイと呼ばれる尺 五寸 ほ どの棒. の体を暖めると言われた。また猿の毛皮は男女ともに背. や、サンダワ ラの中央 に尺五寸 ほ どの棒 を結びつけ把手. の棒 材を長方形になるよう 細角 材に結びつける。熊皮の. 手足 ・頭部 お のお のの先 端 にロ ープ を つ けて ケ タ 枠 に. と し た も のを投 げて兎 を 獲 る 方法 が あ っ た。 降 雪 の あ. 四 寸 ほ どの余裕 をとっ た寸法 で、「ホケしと呼ばれ る杉. 所 くくる。熊皮の胴部 外周 には等間隔に穴 をあけ、糸 縄. がった日、雪上に出ている兎の上を通過するよう に、右. 縛 ってぴっしりと張る。頭部 は上の横木の中央部 に 三箇 (ミ ゴ縄 即ち 邸芯 の縄 )を通してホケにくくりつけ、た. - 77 -.

(8) の 根の下 にで きた空 間 に 逃げ込む 。猟師 は 間髪 を 入れ. いう 。 いわば檻 の中の熊を撃 つよう なものである。. る。このよう な熊は一人 で行 っても狙撃 できるものだと. 樋倉 か ら 奥 の 山 の中 心樹 木 は プ ナ 八 0 % 、 シ ダ ミ. の猟具 を投 げる と、兎 は こ れ を天敵 の鷹 と錯 覚 して 木 ずそ の穴 の上 に 雪を 踏 み込 んで か ら捕 獲す る と いう も. は固 まっており、花 の多 い年は遠 くから見てもそ れがわ. 不 作の年は熊が里 に下 りる」 と言われている。プナ の花. ( ミズ ナ ラ) 二0% と いっ た比率 で あ る。「プナ の実 が. 兎 の食法 に、肉片 の残っているアバラ骨 な どを叩 きに. かる。そ んな年は熊が里 に下 りることはない。先 にもふ. ので あ る 。 して食べる方法 があった。平石 の上で金鎚 を使って叩 く. れたが、 春、穴 から出た熊がブナの青 葉を食べ始 めると. り、プナ の芽 吹きは標高 の低 いところから高 いところへ. のであるが、その際 、 水で もどした大豆 や豆腐 カラ を混. と移動 する。春熊もそ れを追って低 いところから高 いと. ぜ ながら叩 き、そ れを団 子 にして煮つけて食べたのであ 熊の冬眠穴籠 りは冬 至から春土 用までだと言われてい. 胆の歩止 りが悪 いと いう 。プ ナ の 葉は 春 熊の好 物 で あ. るが、前 年、プナ の実が豊饒 の年は二十日ほ ど早 く穴 か. こ ろ へと 移動 するのである。逆 に、ブナの実は高 いとこ. る。. ら出ると いう 。この地ではブナ の実のことを 「コノ ミ」. 消えてゆ くのである。このよう にして雪溶 けが径 五甘 ほ. 「寒 のう ち は熊の穴 をのぞ くな」 という マタギの掟 があ. この地には、「熊は大寒 •小寒 に獲ってはいけない。」. 動 するのである。そ の他熊は栗 の木の下 へもやってくる。. る。秋 熊は、 プナの実入りにそ って高 位から低 位 へと移. どになると、 積雪二財の場合 にはブナの幹 を中心に、深. り、こ れ は厳正 に守 られてきた。こ の禁忌 伝承 は、「熊. ろ か ら 実 り始 め 、 実 りは 次第 に低 いとこ ろ へと移動 す. さ二訳 、径 五訳 の円 形の穴 ができていることになる。穴. は寒 のう ちに仔 を産む 」 と いう 伝承 にもとづ くもので、. と呼ぶ。プナ林 の雪溶 けはブナの幹 の根もとの周 囲から. から出た熊がこのよう な円 形穴 に人 って前 年の秋 落ちて. 種 の保存 、 資源 の保全 を 目的 と し た 伝承 で あ る。 し か. 広がってゆ く。雨 が幹 を伝って落ち るのでそ こから雪が. なって食べていることがある。穴 から出た熊は腹 を へら. し、穴 熊を全 く獲らなかったわ けではなく、一 二月、 雪が. 幹 の根もとにびっしりとたまっているブナ の実を夢 中に しており、 プナ の実 は最高 の御馳 走 だ と いう こ と にな. - 78 -. 野本 始業生業民俗論 I].

(9) 七月中旬 か ら下旬 にかけては水温 も上がるので、 水中. 1表を見てもわかる通り、みごと に構造化 されたもので. この地の渓 流漁 榜の中心はマス漁 だった。そ れも、第. る範囲は、樋倉 を中心と して川下 の五味 沢境、 川上の徳. があったと いう 。昼休 みと いう短 い時間にマス獲りをす. の間に一― • 三人の仲 間で組 を作ってマス獲りにゆ く習慣. の草 取りの時期、昼休 みの十 ― 一時から― 一時までの二時問. メガネ をかけ、ヤ ス も木柄部 を一認 の短 いものにして淵. 固 まってから 「穴 見」 をしたと いう 伝承 もある。. あった。小 国町 樋倉 あたりには、毎 年田植 前の五 月にマ. ロ ・渓 流漁携. スがのぼ ってきている。しかし、五月 中は雪 代が濁 って. 網 上の末沢峠への上り口 までの四 キ ロ の間だった。一番. にもぐって獲った。佐藤 さんによると 、 この地には、 田. おり、ガ ラス(箱 メガ ネ )が効かない。ガ ラスが効くの. なので水中メガネ で短柄 ヤスだった。昼休 みだけでも三. 草 は七月上旬 なので、ガ ラスと 長柄 、 ― 一番草 は七月下旬. は、標高 五 五 0認 の一の滝とそ の上 の― 一の滝 を過ぎ 、標. - 79 -. 1 ・マス. は十度 と冷 たく、水中に潜 って獲ること はしない。六月. 匹 から五 匹 はと れたと いう 。. は六月に入ってからである。しかし、田植直後 でも水温. から七月上旬 の田の草 一番草 までは、ハ コメガネと 長柄 は一 ―本 ヤスで、第2図のよう に離 頭回転式 だった。鉄の. 高 六00” いの滝 だ った。樋倉 のムラからマスド メ までは. 樋倉 の標高 は一 ― 1 00認 であるが、荒 川水系 のマスド メ. 柄 が六十センチで木の柄 が二• 五認 である。 離頭部 即ち. 約十ニキ ロ あり、六月から七月二 十五 日ごろまでは荒 川. のヤスを使って、潜 らないで瀬 にいるマスを獲る。ャ ス. カサ、 こ の 地で 言う 「アゲ」 に は 麻糸 が つ け ら れ て お り、そ の麻糸 はたるみを持たせて柄 に結 ばれている。ヤ. スがマスの体を突 くと マスが逃げる力 でカサ(アゲ )が ャ ス本 体から離 れ、カサ(アゲ )が強く引 かれる。す る と 、カサ(アゲ )が回転 してマスの体を貰 通している場. 合は外側 で、貫 通していない場 合でも体内 での抵抗 が強 くなり、 マスが逃げられなくなると いう ものである。. 第 2図 回転式離頭ヤ ス (小国町樋倉). 7巻2号 1996. 1 文学 ・ 芸術・文化.

(10) :. I. ,<. >:. :C:::: I. I>. ’. ’. I. :’. ’ : : ’. I. ;.’: ’ : : ’ ―� ’>. ’← I. 戸. 1 I I I I I. i: :. ’. I. ↓. >:. I I. ()(). I _ _ _ __1 1ー t11. 一 旦. 刈焼. ⇔← 刈焼 I. ←—---)>,. 田栖. 田の邸 I. <→. 滴付. �. 蒔付 :. > :I. I. ,. I. : I I � I. ’. I. I I. �. Ii計J, � 蒔イ". J, 1 '. I. I. I. I. I I. :. ←. I. :. I I. ←. ’, ’ : :’ ’ :< , <,> :. : :. ’ ’,. :. :. I. I. I. I. :. :’ :::,’, I. :. I. :. i ’. i’. I I I I I I. � : I I. I I 1. I. :. i. I. fE— 封 :: i,. :. '. I I l I I. ; :: : I. : I. : I. -. 収稜i I -. 収穫 : I ⇔I稲刈lハサ I⇔' 稜. I' 収. 望稜 I I. '. I ' I ' I '. :. :. "'-: I. 恭渋舟燐畑令酪n 埠袂. ↓ 反_ + _ _. 三. I. :<. I I. :. l. �→. I. :. ↓. 二. [ [口〗〗 三. 80. :. :. I I. I. ⇔. :2 1 0 円. I. :. :<. <-)\. I. I I I I I. :. ↓. ―. 99+91JIIー T99 II l_1ーTII 9ー1ー 11↑II II, }. 二. 口. I. I I I I I.

(11) 第 1 表 狩. 流 漁. 共 個. 個. |. 人. 人. 生態. ワ ナ. ヤ マ メ. キ. キクラゲ ノ キオ チ. カ キノ コ 料. ヌ. カ. ワ カ エ ト ビタ ケ. コウタケ. ナ メ. コ. ウルシタケ. I. ':. , I. :. I I I. '. 4/[ 5 く→→ 5/15 I I. I I I. I I I. : I I I. I I. I I. I I. ' ' ' I. I I I I. I I I. I I. , , I. 'I. I. ’. 5 月. I : I I I. ,. 'I. I I. l. ,c :::, I l ドア ミ •私 Jh. I. "'. I I I I I I. I I I. ::,,. "" 刃 マ ス. I. ><) C:. >. '、. g 月. I 10月 I 11月 「 10/1 5 ...+ I I I I. < > 4ヽJ羽力 < け ⇔. ホ リ マス. ボ ー• ズ ヤ ス <→. ⇔. ③!⑪三 而川 水系 . 荒川 水 系 ` ヤス. 、. ・. カギ. カ ギ • 釣り. ''. • ←. I. I I. 1. I I. I I. I I. I I. I I. I I I. I I I. I I. I I I. I I I. I I. I I. I I. I I. I. I I. I I. I I. I I. I I. I. I I I. I I I. I I I. I I. I I. I I. I I. ク. I. :. I I. I I I I I. I I. I I. I I. I I. ’. I. ' EeI l. 6/19. : I I I I I. I I. 、. �:. し. I. I l I I. I I. I. I. I I. I I. I I I. I I I I I I I. I I I I. I. ' I I I I. ' I ' I I. I. I I. '. I I. I I. '. I. I I. I I. I I. ミ ズ ・ フ キ ・ ワ ラ ビ ・ ウ ル イ ( ウ ワ バ ミ 草) ・ シ ド キ な ど プナ I I I. プナ I I. I I. I I. I 'I. I I. I I. I I I I I. I. '. 12月. I I I I. I I I. I I. ←→. ' I I I. I. ` I `-`. 毒流 し ・ 瀬干 し (共同) 紗13 8124 : I I :::,.I <' I ' I. '. ' ''. '. ,. I I. l 荒川 水系 , I 、 I 1. I I. '. I. s月. I I I I I I. ,<. I I. ,. 1 月. I I I I I I. ハ コ メ ガ禾長柄ヤス泳市 メ ガ ネ ・ 短柄ヤ反 l. I I I. '. I. I ' "" -,/� マ ス. I I I. I I I. 6 月. I I. I. プナ. i. <. プナ>. -. 、-�I プナI. I I I. < > プナの根方の士. I I I I I I I I I. l. ,. I. I. I I. I I. I I. < > ·' < + :::,·'' プナ ナ ラ' イ タ ヤ ' ・. ・. I. 1996. 1. フ. ''. I. I I. I I. ,. I 4 月 :: い5. I I. I I. I. s月. 滋 2JjD. ズ. 田植野菜. 集. I I. 漁場. '. I. I I I. マ ス 漁法 イ. 2 月. I I I I. ウ グ イ イ ワ ナ・ヤマメ 同 ・ カ ジ カ ・アユ ゼンマイ・ ワ ラ ビ· ウ ド. 山菜. 採. 山 形 県 西 置賜郡小国町樋倉 • 佐 藤 静雄 さ ん の 生 業 暦 ( 昭 和 1 0年 代 ) I. 7. 81 -. 共. 同. 1 月. 決 柿 ·泄 弐 •済 含. 渓. 生業要素 / 月 ム ササ ビ ・ 人 テ ン ・ ウ サギ 個 ・ヤマ ド リ マ 共 同 ク.

(12) この間が漁 場となった。末 沢まで三 面の者が入ることは. 三面水系 の末 沢へ入った。峠 を下 ったところから末 沢の. 漁 獲した後 、七月 末 日に徳網 の対岸 から末 沢峠 を越えて. 水系 でマ ス獲りをした。この頃 までに荒川 のマスを充 分. 即ち 「掘 り腐 れ」 の意と思 われる。. たマスのことを 「ホックサレ」 と呼んだ。「ホックサレ」. スを上からのぞ いて突 く という 方式 だった。産 卵を終え. れに一• 五討 の 木の柄 をつけたものだった。産 卵期のマ. でこ ない四本 ヤ スで 、幅 五寸•針 の長さ七 寸 •鉄柄 ―”101. マ ス の 食法 は お よ そ 次の通 りで あ った 。① 切 っ て焼. マスドメまでは約八キ ロ あり、標高 三五〇\ 四五〇屈 の 絶対になかったのでここは三 面川水系 ではあるが樋倉 の. から五五0屈 ほどである。そ の た。漁 場は標高 五 00”10. 岩井又 沢は さ す が に遠 く 、 行き つく だ けで 一日 か か っ. 八 月に なると 三面川水系 の岩井又 沢上 流部 へ入った。. 酵 していた。マスズシ は一斗桶 ―ぱ い潰 け、板蓋 の上 に. こみ 、正月 まで置いて食べた。スシ は この期間 に自然発. セ ンチ幅 に切って塩・大根• 山椒 の 菓• 飯とともに漬け. し、焼 いて食べる。④ スシ潰 けにする。八 月、マ スを二. き、醤油 をつけて食べる。② 煮る ③ 塩びきにして保存. 日 は野宿 し、翌 日マス猥 りをして、そ の日のう ち に獲っ. 石 のオ モシ をのせた。正月 に食べるのを主目 的にするの. 人びと のテリト リ ーだった。. たマスを背負 って樋倉 に帰 ったのである。三面水系 への. 当 地では、この他に、古く は ホリ マス即ち産 卵期のマ. い頃 には、 一人 一夏 二十本 のマスを獲り、大 きいものは. がなく 、 春マスほどはう まく ないと言う 。佐藤 さんの若. う まい、早 いほどう まいと言い、梅雨明 けの夏 マスは脂. は大根 オロ シで食 べた 。この地では春マスは脂 があって. スを獲る習慣 があったが昭和十年 ご ろには、樋倉 を含む. 九十セ ンチ、五キロ グラムもあったと言う 。マスは、水. だ が、実際 には十二月 から二月 まで食べた。マスの腹子. 五味 沢全 体でホリ マスを獲ってはいけないという とり決. が冷 たいほ どう まく 、水 が暖かく なるにつれて味 が落ち. ガネ ·短柄 ヤ スで淵 に潜 ってヤ スを使ったのだった。. め をした。資源 保全 のため であったのだが、 ホリ マスは. る、切り口が赤 いほどう まく 、白む ほど味 が落ちるとい. 遠出 は二 人\ 四人で 、そ の時 期には、もとより、水中 メ. たという 。 ホリ マスの漁 獲にはボ ーズ ヤ スと呼ばれるヤ. う 。 佐藤 さ んは、「ダ ムができた時 は淋 しか った。今 で. 味 もよく なかったのでこの申 し合 わせはよく守 られてい スが用いられていた。このヤ スは離頭( カサ 11アゲ ) が. - 82 -. 野本 始業生業民俗論 n.

(13) 7 巻 2 号 1 996. 1 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 2 •イワ ナ. も昔 の春マスの味 は忘 れられない。」と語る。 イワナは七月・八月・九月の三 ヶ月間に獲った。イワ. だった。瀬干 しの方法 は草 と土 とを混ぜ て土 手を作り、. 根を砕 いたものと、クル ミの葉・クル ミの実の皮を川に. 水 を遮断 して瀬 を干 すという 形であり、毒 は、ト コロ の. 食し、酒 を飲 んだ。毒 流しは一年 間にこの時 期だけであ. 流すのである。獲物は煮たり、焼いたりしてムラ中 で共. り、他は禁じ られていた。ここには渓 流魚 の共同管理 の. 法 は、釣 り・ヤ ス・カギ の三種 類 だった。釣 りは疑似針 で 、ヤ マド リ の羽 毛を使 って作った。カギは洋傘 の骨 を. 曰 ・ 採集. 匂 いがある。. ナ の ホリは十月末から十一月初旬 で稲刈 り後 だった。漁. は十セン チ程 である。そ れに竹 の柄 を連接 するのである. 使 って作ったもので 、鉤 の幅は 一•五センチ、鉄の部 分. 1• 木の実. 樋倉 にはムラ共有 の栗 山があったが山の口あけという. m. 栗. が、鉤 と柄 との間にはゴム紐 と糸 とがつけられ、鉤 の根 ている。鉤 を使う場 合は水中 メガネ をかけ、腹側からヒ. 拾 ってきた栗 を、水を替 え ながら十日間ほど水に潰 け、. 自家 用にした 。 自家 用の栗 は 次の よう に処理 した 。①. で は三俵 の栗 を拾 い、う ち二俵 は五味 沢へ売り、一俵 を. て栗拾 いのため に山 へ入 った。例え ば昭 和 十年 、佐藤 家. が吹けば、人びとは鎌 を置いて、サイテゴ と布袋 を持 っ. という のは当然 のことであり、稲刈 りの最中でも強い風. 慣行 はなく 、自由 に拾 った 。風 が吹 けば栗 の実が落ちる. 方は袋式 でイワ ナ を懸 けると鉤 と柄 が離れるよう にでき レを狙 っょう にした。イワ ナ の食法 は、スシ潰 け• 塩焼. ヤマメ も釣 りと鉤 で 、食法 はイワ ナ と同様 であるが、. • 煮つけなどだった。. 他にナマ スにして食べた。. 3•共同 の毒 流し 漁携 を行う ことがあった。ムラ中 総出 で毒 流しを行う の. きた栗 を内 ニワ に盛 り、砂 をかぶ せて埋 める。雪の降る. 出 して三日間 ほど干 す。俵 に入 れて保存 する。②拾 って. 樋倉 では、八月十 三日、八月二十四 日 に渓 流魚 の共同. で あ る。前 者 は盆 で あ り 、後 者 は山 神 々社 の祭 りで あ. 直前 に洗って天 日で二日間 ほど干 す。俵 に入 れて天 井か. る。盆 のものは盆魚 と称した。対象魚種 は、イワナ・ヤ マメ ・カジカ ・ア ユなどであり、漁 法 は瀬干 し兼毒 流し. - 83 -.

(14) ら吊 りさげておく。こ うしておくと雪が消えるまで保存. き、ア ク を抜 く方 法もあ った。. でる ③煮 る ④栗 飯、 などがあ る。栗 飯にするにはシ. は秋 の彼岸 に色 がつくがまだ酢 っぱ い。酢 っぱ いうち に. を拾 った。採集し た実は各 戸均 等に分配した。山 ブドウ. つ出 て、 男は又枝 竿 を使ってコジて枝 を折り、女 がそ れ. クル ミは、 二百 十日 過ぎ の晴 天 の日、各 戸から二人ず. ブ 皮を除か なければならないのであ るが、そ れには、 水. ③ ・クル ミ・山 ブド ウ. 受 けの羽 をつけた水車式 の籠 の中 に堅 皮をむ いた栗 の実. 採ると葡萄涌 がたくさんできる。壺 の中に入れておき、. できた。子供達 は俵 を棒 で つついて栗 の実 を落 とし、 囲. を入れ、 そ れを谷川にか けるという方法をとった。ウル. 2 •山菜. 砂糖 を入れて飲 んだ 。. 炉裏で焼いて食べた。栗 の食法としては、① 焼く ②茄. チ米 に栗 を混ぜ る栗 飯は平素 食べたが、 晴 れの日は襦米. 第 1表にあ る種 類 を中心 に採取 した。ゼ ンマイ は、 種. を使って栗オ コワ を作った。 正月 には栗 の赤 飯を作り、. 干 し柿 •干 し魚 •みか ん・毘 布 とともに栗 を供 えた。. として一箇所 二、 三本残すものだ と教 えられた。この地. 月十 九日、女達 は、「田植 の野 菜 採り」 と称 して、 ミズ. の田植 は六月二十日か ら始 まった。田植 が始 まる前 の六. ・フキ ・ワ ラ ビ・ウル イ・シドキ などを採りに山 へ入 っ. ② •栃 の実 た。栃 の実のアクヌキ 法 は次の通りであ る。① 採集↓②. た。ゼ ンマイは田植 野 菜 には入れなか った。 採ってきた. 栃 の実にも山 の口あ けはなく、 二百 二十日前後 に拾 っ. る(ア ク即 ち灰 はプナか ナ ラのものがよ い) ↓⑥ ワ ラ ミ. 山 菜はそ の日にア クヌキ等の処理 をし、 煮つけておいて. 叩 く↓③ 煮る↓④ 皮を除 く↓⑤ 砕 化した実をア ク 水で煮. ゴ(邸 の芯 )で▽— のような形を作り、 煮汁 にひ たして. 田植 期間中に食べた。. 度 ア ク汁 を入れて煮直 す↓⑦ 実を入れて水か ら煮る。こ. ば、 ナメ コもブナ の 木に出 るのであ るが、 木器加工 のた. のほ と んどが ブ ナ の木 に 生 える点 が 注目 され る。 例 え. 第1表 に見 る通り、 キノ コの種 類 は豊か であ るが、 そ. 3 ・キノ コ. みてこれに幕 が張る状態になればア ク が抜 けている。幕. れ を三回行う 。このよ うにし てア クヌキ した実を稲 と混. が張った状態を 「 鏡」 と呼ぶ 。鏡 ができなけれ ばも う一. ぜ て栃餅 にした。この他、 皮のまま灰 をか けて休 めてお. - 84 -. 野本 始業生業民俗論 l].

(15) 7巻2 号 1 996. 1 文学 ・ 芸術· 文化. て、 二年 で終り、太 いものは三年 目から出始 めて五、六. 秋 ま たは冬 に 伐った 木 に出 る。 細い木 に は次 の年 に出. いう ものではない。 夏 伐りした木 に はナ メ コ は出 ない。. めに伐った木にも出る。 ただし、 すべてのブナ に出ると. けておいて内 皮をさらに海 く剥ぎ 、 よく洗って干 しあげ. 八月 から九月上旬 にかけて内皮 を剥ぎ 、一ヶ月 水 に潰. ② ・マダ( シナ ). 言われるほどだった。. ある。. てから縄 に絢 った。 これを莫 座のタ テイト に使ったので. i. 年 間出るものだという。 したがって、自 分か伐ったプナ. ③ •山 ブドウ の皮. の 木の 位 置 を覚 え てお いてそ こ ヘキ ノ コ 採り に行 く と いった行動 が可能 になる。. 六月末 から八月 までに剥がないと剥げなくなる。蔓 を. 刈 ってき て剥ぐのではなく、山 で蔓 から直接 に皮を剥い. 4•樹 皮. ④ ・イタヤ(イタヤカ エデ )そ の他. m ・オ リカワ ( ウ リ ハタ カ エデ ). 内 皮 を剥ぎ 、池 に潰 け て お い て箕 や蛇 鞘 を作 る の に. でくる。 スワ と呼ばれる腰籠 や背負 い ハケゴ 、蛇 の鞘 な. 皮 は剥げ なくなる。「コ ンギ ミノ」 という荷 を背負 う 時. 使った。ア ケ ビ蔓 は這 っている蔓 を 九月下旬 から十 月上. オ リカワ という 呼称 は 「織皮」 の意によると考 えられ. に背中 に当 てるミノと、ケ ミノ という雨除 けミノ の二種. どを作 った。 山ブドウの蔓 を切ると実が採 れなくなると. 類 を作 る。 冬 、蓑 に編 んで か らシブ田 に四 •五 日 漬 け. 旬 にかけて、 まだ葉のあるう ち に 採り、 ハケ ゴ(籠 )を. いう点 でささやかなデ ィレ ンマがあった。. る。 シプ田に漬けると色 が黒くなる。蓑 は、 すべてオ リ. て冬 、籠 な どの細工 に使った。. 作った。 マタタビの蔓 は、十 月に採り、池 に潰 けておい. る。オリ カワ の皮 は、八月 、立木 のまま内皮 を剥いで 一. カワで編 んだものと、 邸とオリ カワ を使い、 外側 に出 る. 週 間干 し、そ のまま冬 まで保存 しておく。秋 になると内. ところにオリ カワ を使う ものとがある。混合素 材の蓑 を. かい目 のムシロ ができるのでそ れを精米 の際 の敷 き物に. スゲ は九月上旬 に刈 り、ムシ ロを織った。藁 よりも細. 5 •草本類. は黒くならない。オ リカワ の瞬 は粗 いので、着 物が痛 ん. シプ田 に潰 けるとオリ カワ の部 分は黒くなる が邸の部分. で仕方 がないので、 作りたての年 は他人に貸 してやれと. - 85 -.

(16) •草 履・ ハケゴなどを作った。ヒヨ リ を八月に抜 き、陰. した。ガ マは、七月・八月に刈 り、 ハンバキ ( ハバキ ). どりに適 した木を伐っておき、秋雨 の増 水時に山から流. があった。製品 は、汁椀• 盆•香 鉢 だった。二月 、木地. 佐藤 さんの若 いころ、樋倉 の橋む こう に二軒 の 木地屋. した。水車 を使って木地挽 きをしていたが、こち らも木. 干 しにしておいてケミノ を作った。カヤ(ススキ )はムラ の共有 山 があり、十月 末に山 の口あけをした。屋 根萱 は. を無駄 にすることはなかった。. 冬山 に入って兎や山鳥を捕 獲する場合 は輪カンジキ を. クロモジ ) ③ ・ト リキ (. これによった。 「コウスキ」 と呼ばれる雪かきヘラは雪国の人びとの. つけた。輪カンジキ の素 材はこの地方でト リキ と呼ぶク. 使った。また、家 から表通りに出る時にも輪カンジキ を. 6 •樹 木. スキ は自 分達 で 作 っ た。コウ スキ の素 材はブ ナ で ある. ロモジ である。九月に伐り、束 ね て、根の方を下 にして. 生 活必需品 である。樋倉 の人びとは、自 分達 の使う コウ が、個 人個 人でブナ の木を 伐り倒 すのは不経済 なので、. 大丈夫 だと言われているが遅 くなると堅 くなる。早 過ぎ. ると水分が多いのでだめだという 。十 一月 に池 から出し. 池 の中に十 一月まで立てておく。落 葉してからのものが. て火で焙 り、 足を使って湾曲 させて型 をつける。カンジ. の少 い真 直 な 木を選 んで 伐るのだ が、「風 を受 けると こ ろに生 えているプナの 木の材は 割れ易 い」 と いう 口誦 が. キ 一 足分 に四本 のトリキ が必 要である。片 足分に前後 二. 五、六人で組 を作って山へ入った。山の奥まで入り、枝. に生 えているブナ を伐る。プナ を伐る季節 は二月 でなけ. あり、人 びとはこの伝承 に耳 を傾 け、風 を受 けない位置. 本 を使う という ことである。同じ太 さ、同じ長 さのもの あら ど. ればならないと、その適 性伐期もしっかりと語り継 がれ. を四本 そ ろえるのは容 易 で はないという 。. ソ リで運び出 した。焚 木伐りは個 人でやることもあった. く 割ったものを必 要なだけ取って運びおろす。残りはそ. のままにしておくのであるが、そ れは無駄 にするのでは. し、共 同 で行う こともあった。. この他、毎 年三月 、燃料 としての焚 木を伐り、雪上 を. ている。伐り倒 したプナ からコウスキ の粗取りをし、薄. なく、前述 したよう にキノ コの母胎 として利 用 できるの である。. - 86 -. 野本 始業生業民俗論Il.

(17) 7 巻 2号1996. 1 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 國 ・農 業 1 ・カノ (焼畑 ). ユ玉 とは 呼ぶ が、明 らかに餅花 であり、稲 の稔 りの予祝. 呪物である。「田植 野 菜」 につ いて は先 にふ れ たが、田. 土 用から七 月下旬 に行 った。八月上旬 に火入れをし、 焼. である。カノ は草 山の草 を刈 るのであるが、 これは夏 の. でこれを作り、 ムラ中の家 に配った。これは、年 頭 の餅. 見立てられているのである。田植 が終るとおのおのの家. なるよう にかぶせ、そ れを認 でしばる。これが秋 の俵 に. と炒 った大豆 を盛 り、そ の上 にもう 一枚 の朴 の 葉を逆 に. 行った。朴 の 葉の上 に精 米 の繭 玉 (「稲穂」 と もいう ). いた年 は赤 カプ、 大 根・ソバを蒔 いた。二年 目 には小豆. 花 とは別 の、田 植に随伴 する稲 作予祝儀礼 であることは. 植 が 終った日 に 「タワ ラ ユイ」(俵 結い) という行事 を. を栽培 した。掘 り残しの蕪 から出た芽 のことを「フクタ. 佐藤家 の農 業 は昭和 十年 時点 で水田 一町歩 ・定畑 一反. ツ」 と呼んだ。そ のフクタツをおしたしにして食べると. まち がいない。二 者が重 層 するところに稲 作予祝 の意味. 歩 、そ れに毎年 カノ を拓 いていた。カノ とは焼畑 のこと. 苦 みがあってう まかった。カノ ソバ は毎年 一俵 ほ ど収穫. 粥 を門 松にあげ、そ れが済 むと直 ちに門 松を抜 いて庭 の. 一月十四 日、午 前十二 時になるのを待 って焼餅 と小豆. の重 さがあると言えよう 。. 油 を 入れ て 食 べたり し た。水田 が 一町歩 あ る と こ ろ か. と言い伝え、遅 れないよう に務 めた。一月十 五日には、. 真 中に立 てた。これが遅れると、その家 の田 に鳥が来 る. 煮ておいてソバカイモチ に混ぜ たり、クル ミ を揺 って醤. した。ソバはカ イモチ にして食べたのであるが、小豆 を. のにする蕪 •大根や補 助 的に食べるソバを得 るためのも. ムラ中の家 の門 松を広場に集め、そ の周囲 に腿• 豆 ガラ. ら、この地 の焼畑 は主穀型 ではなく、補助型 で、 漬けも. のであった。. ―町歩 の水田稲 作を行っていただ けに稲 作を中心とし. き、「 ホー」「ホー」 と叫 んでそ の道 を ま わ っ た。 十四. 称してこれに点 火 するのであるが、周 囲 に道 をつけてお. •麻ガラを径 一 一間ほ どに 立て並 べて、「サ イト ヤキ」 と. た予祝儀礼 が盛 んだった。一月 十五日には稲 邸 の芯 を七. い」の予祝 がこめられているのである。サイト ヤキ の燃. 日、 十 五日 と つ な が る こ の一 ―つの 行事 の 中 には 「鳥 追. 2 •水田稲 作とそ の予祝. ものに粒状 の餅片 を練 りつけたものを作った。これをマ. 本• 五本 ・三 本とまとめ、 さらにそ の根もとを一括 した. - 87 -.

(18) 料 となる邸 と豆 ガラ は 「食」にかか わるものであり、麻. 許 されよう 。赤羽 正春氏 は荒 川下 流部 のサケ漁 について 1) ( 調査し 、次のよう な事 例を報告 し ている。. 網漁 はないが、網 がマス漁 を象徴 するものと見ることは. 十二月 十四 日 は、邸. で直径 十セ ンチのサラ を作り、煮 しめなどを用水の. a• 新潟 県 岩船 郡荒 川町 鳥屋. ガラ は 「衣」 にかか わるものである。また、邸 は稲作 、. 豆 と麻は畑 作にかかわる。. ところに供えた。この晩オオ スケ・コスケ がのぼ る. 一月 十五 日 には、この他、幅 ニセ ンチ長 さ十 五センチ のモ チ片 に腿 の吊 り 手 をつ け、居 間 の周 囲の カ モイ に. といわれ、網 の目 を一\ ニヶ所切っておいた。. b• 新潟 県 岩 船郡 荒 川 町 佐 々 木 —� 十 二 月 十四 日 の. んだ。 当地は粟栽培 に力 を入れていたわせ ではないが、 これは畑 作予祝 で ある。他に、一月十五日にはミズ キ の. べりにおいておがむ 。お神 お神酒 を盛 り、鮭 川 のJll. 晩 、直 径 三十センチの既 皿 にモチ、鮭 のヒ レ全部 、. そ って五十 センチ間隔で吊 るし、これを 「アワボ 」と呼. ものである。また、柿•梨 などの 木に対 して蛇 を入れる. とび込 み、水ごりをとって体を清 めてから銚 子 をと. 酒 をあげるのは夜 中の十 二時頃 で、裸 になって川 に. 枝 に団 子 を刺 したものも作った。一般 の繭 玉 に相当 する 所作をしながら 「ナル カ ナラネ ーカ ナラネ ート キル. り、川 にお神酒 をたらした。 この日 の晩 、オ オ スケ. ゾ」 と唱 える生り木責 めもこの日 に行 っ た。. めたものを作り、これを 「網 」と称 した。そ して、これ. を行 ってきた。政 の芯 を網 状に組 み、そ の交点 を餅 で固. 漁網 の一目 、二目 を切るという儀 礼は、漁網 使用放棄 の. いる。十 二月十五日 は水神祭 りで あ り、水神祭 りの日 に. 右の a .b の事 例に は重 要 なメッセージが込 められて. には出 なかった。. を恵比寿• 大黒 に供えたのだという 。網 と恵比寿 の結び. 象徴 行為 で あ り、このことによって、水神祭 りの日 、サ. • コスケがのぼ るのでイクリア ミの一目 を切り、漁. つきに注H してみると、この呪 物が、川魚 の豊漁 祈願 の. 図ろう としたものである。 この行事 における漁網 の儀礼. ケの潮上、産 卵を認 め、よって種 の保存 、資源 の保全 を. さて、当 地では一月十五日 にいま ―つ注 目 すべき儀 礼. ために作られたものであることに思いが至 る。そ し て、. 四• 川魚 の豊漁 予祝. その川魚 の中 心はマスだったのである。当 地にはマスの. - 88 -. 野本 始業生業民俗論 l].

(19) 的・象徴 的意味 は見逃し難 い。下 流部 ·上 流部 と離れて. 北東斜 面 を 水源 と す る玉 川 上 流部 のム ラ で、藤 田 さん. ( ―i O 七• 八訳 ) ・ 北股 岳( ― 0二四 ・九 財)などの. は、これらの山 々で狩 猟を行 い、玉川水系 で渓 流漁 携を. I. はいるが、同 じ荒 川 流域 において海洋回循 、 河川 回帰 の サケ ・マス に関して、 水神祭 り ー— 漁網 |ー サケ、と. 日 ・狩 猟. よ る。. 続けて き た人 で あ る。以 下は藤 田 さ んの 体 験と 伝承 に. 模造漁網 I マ ス、とい. いう構造 に対 し、小 正月 う構造 を持つ行事 が行 われていたことは輿味深 い。もと. もと、小 正月は収穫 物やそ れにかかわる道 具などの模造. 漁 の守 り神である恵比寿 様に供 えるという事 例は決 して. れるのであるが、この日 、漁網 を想 起させ る網 を作り、. う なと言われた。また、にぎ やかなことをしてもいけな. 言菓を使った。先 輩のマタギから、山 へ入ったら歌を歌. 狩 猟に出かける場合 は、 山 へ入る気持になった時から山. 熊狩 ・カモシカ狩 はマタギ集団で行 った。泊 りこみの. 1 •熊狩. 多くない。これは、 マスを中心とした渓 流魚 の豊漁祈願. (2 ). であり、そ れも予祝 的盟漁祈願だ と見てまち がいなかろ. いと言われた。そ れは、 山の神様は女で、 山の神様が歌. 二回ぶ っつける。 そ れが済む と てしまう 前 に、皮を体 に一. - 89 -. 品 やミ ニチ ュア を作 って予祝 を行う 要素 が多様に展開 さ. う 。先 に見た通り、 この地のマス漁 の実態はみごとに構. を忘 れてしまう からだ という 。. を聞 くと気をゆ るめて、マタギを雪崩な どから守 ること. の代 か ら 続い た 当地 のマタ ギ であ る。 長者原 は、 福島. 皮 を 完全 に剥 が して四 肢 の部 分 を寄 せ る。 次に腹 を 裂. 済む と、尻 から下顎 に向けて刃物を入れる。皮を剥がし. 先 から刃物を入れ、 中央 に向かって切り進める。そ れが. 持ったマタギがおのおの四肢 を一本ず つ持ち 、 手足 の爪. に寝かす。皮を剥ぐことを「サナデル」 という 。山刀を. 熊を捕 獲した場合 は、 熊の頭 を谷の上 流に向けて仰位. て、このよう に ユニークな上層 民俗 が生成 されるのであ. 荒 川支 流. 造 化さ れ た も ので あ った。そ う し た基 層 があって初 め る。 ニ ・山 形 県西 置賜郡小 国 町 長者原. 川 水系. 県境の飯豊 山(ニ ― 0 五 •一 財) の 北斜 面 、烏 帽 子 岳. 藤 田俊 雄 さ ん (明治 四 十五年 生 まれ) は祖 父 幸四郎. 玉. 7 巻 2 号 1996. 1 文学・芸術 · 文化.

(20) 第2 表 に見 る通り、この地のマス漁 は極 めて合理 的に. 口 ・マス漁. 組 み 立てられたものである。毎年 六月 末から七月初めに. の胆 を 取 る。 続いて 以下 のよ う にする。 手足 を切る↓. かけて梅花 皮温泉 の温泉開 きがあるのだ が 、そ の頃 、マ. き、心臓 を 取 り出 し て 刃 物で十 字 を 入れ る 。 次に 、 熊 顕 を 切 る ↓ 胴 を 二 つ に 切 る。 心 臓 に卜 字 を 入 れ る の. スは大フタガリ 沢·オ ー ヘズ イという二 箇所 の難 所 をく. た 時 に は片 貝 の不動 院 の法印 さ んを 呼 んで湯 立て を し. す る 。マ タ ギ と して初 山 入り を し 、初 め て 獲物 を 獲っ. ツギの花ざ かりがマスの潮上の盛 りなのである。. ツ ギの花ざ かりがマスの盛 り」 という 口誦 があるが、ウ. ぐ り ぬけて梅花 皮沢 まで上 っている。 この地 には、「ウ. かい ら ぎ. と、 切り と っ た熊の頭 を据 え て 山の神 にお 礼の拝 礼 を. は 、完全 に射止 め た しる しだ という 。 ま た 、そ の心臓. て も ら った。. 六月末から七月いっぱ いは玉川本 流でマスを獲るので. あるが、地理 的自然 環 境 の特色 によって、この地では独. 2 ・カモシカ狩. 自 なマス漁 を強 いられていることがわかった。六月 から. し、しかも濁 ってきてマスが見 えなくなるので、この期. カモシカ猟は寒のう ちに行 った。 寒中は雪が柔 かいの. 間 のマス漁 は、水 の澄 んでいる午 前十時 から十 二時半ま. でカモシカの走力 が鈍 くなる。また、寒中 に捕 獲したカ カの皮は脂が多いので鞣し易 いが、 寒が明けて春になる. でだ ったという 。 早朝 は早朝で水が冷 たいのである。午. 七 月い っぱ い、 こ の 地で は 、午 後 に な る と 雪 代 が増水. と脂が少くなり、鞣しにくいと言う 。カモシカの皮の鞣. ;級 の 後 に至 って雪代が増 水 するという のは 、二 0001. モシカの皮が最も良質だ と言われている。 寒中のカモシ. し方は、薪 の上 にカモシカの皮を内側 を上 にして広 げ、. 飯 豊山塊北 斜面の雪か午 前 中に溶 けそ れが午後 玉川本 流. まで下ってくるという こと である。八月 になると一日中. いう 。カモシカの皮は着 皮 (背皮) と して最も優 れてお り、狩 猟の際 にも持 参した。藤 田 さんによると、天 気の. こと にな る。出水 の際 は投網 を使う ので あ るが 、平 常. 水が澄む し、水 温 も上 昇 するので一日中マス漁 ができる. 新しい草鮭 をはいて、そ の上 を二日間踏み 続けるのだと. けないほどだ という 。そ んな時は、脱 いで細長 く畳 み、. 時、渇 水時に は水中メガネ をかけて潜 水し、ヤスを使っ. 良 い日にカモシカの皮を着 て歩 くと、真冬 でも暑 くて歩 背中に、斜めに背負 って歩 いたものだ という 。. - 90. 野本 始業生業民俗論 Il.

(21) 7 巻2号1996. 1. 文学・芸術 ・ 文化. ii. ------ ------. I. エ:. `. .. - --- - - - - - - -. 泌. ギ. 工 CQ. ェ: CヽJ. 緊 8抵. 口 ャー'. 以\. ―. ― ― --. -- - - - - --- -. . . '.1..J =-. ギ '-<- '.\\匹 キ ドキ < ギ、 心ヽ \ 絲. 蔀 く 要. 綜 坦. 芭 '― 廿 ,c, 廿 """'. - -- - -. '. \. 巨. 丑 ハ菜. '. I. lL. I. 定 \I /1. \/. 戸. . .. - I\. 怠. 志埓. 廿. 戸 \ 廿. -<. 届. 謡 J;;:,. 恣. I. 函. -- --. \I. i. \/. '. �t. 長 雙. 屡 \/. 咋. � 、入 出. 食. 廿 "'. 一 , ・ .. -. ty. �. 臣 坦 坦 宦 寄 器i 要 坦 廼 堂 要 榮. 要 妥 聟. rく. 巨. 蠍. 幸妥. 苺. 迷. 零. \y. 据. - 91 -. 忘""'. .. - - -. +-. "". �. fY. �. ギ. 慾. さは二 十五センチ、鉄 の柄 が一" 10 、そ れに一、二”10 のナ. � ""' :;,.. \I. 0- --. 菜. 爪 k. \I. ゜ 匹. \. 謡. ··----- ------. 匹. - - - - ·· -. ___ 疇. て淵 にいるマスを突 くのである。. '. ______. ラ製 の柄 をつける。 これとは別 に、瀬 にいるマス を狙う. cr,. . --. この地 のヤスは一 一本 ヤスで、 回転式 の離頭 がついたも. er.>. �一 ". ェ:. I. ( 母忌昌 = 一 )塞 課 ザ Sぐ 初栽 怒 田濫 •座 押 幽 i= 國 「話 奎 匿 回酸 溢 ヨ. 0 .-<. 場合は一 ―• 五認 の柄 をつける。俊雄 さんが小 学校 へ 入学. 匹. /I\. ---- -----―irr. の で あ る。 カ サと 呼 ば れ る 離頭 は樋倉 の もの と同 形式. ァ— 4. .. する頃 に は まだ 水中メ ガネ を使う 習慣 はな く、そ の頃. ←一l. '.. で、 マスを貫 通した場合回転 して抵抗 が大きくなるよう. '. . .''. ←一;. は、 鉄 の部 分七 十セ ンチ 、柄 五 十セ ン チ の鉤 を 使 っ て. '. に作られている。 ―一 本 の針の幅は六\ 七セ ン チ、 針の 長. 匹.

(22) 八月 ·九月 は五• 六人のマタギ組 で、梅花 皮沢、 檜山. な行動 様式 は一朝 一夕 に成 るものではなく、これは長 い. 合 理的 な渓 流漁 榜が展開 されていたのである。このよう. 相 違を見て漁 期をず らして漁 場移動 を図るというじ つに. いた。ここには、地 形 や日照 と、そ れにもとづ く水温 の. 沢、大又 沢へ入った。大 又沢 では標高 六 001; ほ どのと. 間のマス漁 が民俗 として定着 してきた事情 をよく物語 っ. ヽ こ° t ,. IIウオ ド メ に な っ て い た。 檜山 沢 にもマスド メ の滝 が. ころに千本峰 の滝 と 呼ばれる滝 があり、そ こがマスドメ. きった。梅花 皮 沢・檜山 沢・大又 沢 へ入る時は山中に一. サキ は狩 猟の時 だ け で な くマス漁 の際 にも漁 を と り し. 沢を止 め沢にするといった慣行 があったという 。いう ま. の又 沢の中の一沢、 檜山沢の中の二沢、大又 沢の中の一. この地には 「 止 め沢」 という言葉 がある。かつて、西. ているのである。. 泊するのであるが、ヤ マサキ は泊る場 所を決定 しなけれ. た。玉 川水系 にマスが渕上 した時 代 、藤田 さんは 一夏 平. で も な く、種 の保存 ・資 源 の保全 の た め の配慰 で あ っ. あった。マタギ組の棟 梁 を 「ヤマサキ」 と呼ぶ が、ヤ マ. ばならなかった。また、集団漁 携に馴れ ない者 は早 く獲. 3) (. りたいので自 分だ け先 に行 きたがるものだが、そ う する. あった。マス は自家 用の他、飯田温泉 (梅花 皮沢温泉 ). たのは梅花 皮沢の出 口で 、二日で二十 一本 獲ったことが. 均 五十本 のマスを獲っていたという 。最もたくさん獲っ. ち帰 るのであるが、荷持 ち役は 、三 人分の荷 物、 獲物を. 戒 めた。 獲物のマスは清 水に潰 けておき、ナ マのまま持. で も よ くはけた。自 家 用 は 、次 のよう にし て食 べ た。. と魚 が逃げるので、魚 を見る時は一同同 時に見るよう に. 背負 籠に入れ て 一人で持 つという きまりがあった。荷 持. II二 日 間塩 潰 け にし 、尾 を迎 で く くっ て頭 を下 にし て. 冬 中食べた。正月 ご ろには自然発酵 していた。② 塩引 き. ① スシ 漬 けII七月 ・八月 に潰 けこみ、正月 を中心 として. の方が水が冷 たかった。大 又 沢は北西向 きに流れ 、陽 当. マスを焼いてからさらに焙 炉で焙 り、よ く乾燥 させてか. 吊 っておき、必 要に応じ て切 って食べた。③ 焼きマス 11. 同 じ 山中 の谷で も、大又 沢に比 べて梅花 皮沢・檜山 沢. ち 役を指名 するのもヤマサキ の仕事 である。. りがよいので水温 が高 いのである。こう したことから、. ら一斗罐 に人 れて保存 し、身 をほぐ して山菜 などを煮 る. 梅花 皮沢・捨 山沢のマスは気温• 水温 のあがる八月中 に 獲り、大又 沢のマスは九月 に人 ってから獲ることにして. - 92 -. 野本 始業生業民俗論 Tl.

(23) 7 巻 2号1996. 1 文学・ 芸術・ 文化. 時の出 しとして使った。マスの食法 が暮らしに密 着 し、 る。. 亀 井寿 太郎 さん (大正 二年 生 ま れ ) の体 験と伝 承 で あ. のボ ンデ ンを 立て 、 マス と イワ ナ を 神憫 と し て ささげ. 当 地の山 の神祭 りは九月 七日であるが、この日 、五色. でもある。 一番 マスのことを「一番 のぼ り」とも呼ぶ 。 一番 のぼ りのマスは目 方の 割に体長が短 い。太短 い。 味. という のだと亀 井さんは語 る。そ れはこの地の田植 の頃. 桜 が咲 く頃 一番 マスが上ってくる。だからサクラマス. H ・マス漁. 変化 に富 んでいることがわかる。 この地のイワ ナ漁 は釣 り専門 で、毛針を使 った。毛針. た。身 近な魚 をあげたのだと言え ばそ れまでであるが、. 「三番 のば り」は麦 刈 りの頃 で、体に斑点 があり、目方. は これ が最高 で あ る。 二番 のぼ り は ち ょっと遅 れる。. は、鶏 の足 のツケ根 の羽根 が好 まれた。. は、マスもイワ ナ も、山の恵みであり、山 の神 の恵みで. の割 に体長 が 長 い。 この地 には、「三番 のぼ りの多 い年. マス と イ ワ ナ を山の神 様 に供 え る と いう伝 統 の 背後 に. あるという認識 があったのである。正 月 のマスズ シ と併. はマスが多い」 と いう 口誦 がある。. マス のホリ は稲刈 の頃 で、産 卵を終えたマスのことを. せ て考 をるとき、マス が山の人びとにとって重 要 な蛋白. 源 であるとともに貴重 な神餓 であり、儀礼 食であったこ. 二粒 ほど残っている卵をこのよう に呼ぶのだ る。最後 に一. サケ ・マ ス と も に雌 に は 「命 と り卵 」 と いう も の が あ. 「 ホット ー レ 」と呼ぶ 。「掘 り倒 れ」 の意と 思われ る。. こ の 地 には、三 月 下旬 か ら四 月 中旬 にか け て 「ハ ル. とがわかる。 キ 」 と称して焚 木を山から伐り出し、雪上 をソリ で搬 出. と いう 。サケもマスも、最後 の一粒 になるまで掘 り 、そ. 三•山 形県東田川郡朝 日村 中向 |ー 赤川 水系大 鳥川. さんは語る。下流部 に梁 がなかった頃 にはこの地でもサ. が大 き くな る。」ーー う まくで き て いるものだ、 と亀 井. ぼ ってくる、秋 はサケ がや ってくる 、盆前 になるとア ユ. する習慣 があ った。. 東大鳥 川 •西大 鳥川 の水を塞 き止 めて作 ったのが荒 沢. ケ を獲 ったと言われているが、 この地のメル クマール は. れ で お の れ の 生 命 を 終え る の で あ る。「春 はマ ス が の. 戸 、か つてはマス漁 が盛 んだった。 以下は、同 地 に住む. ダムで、中 向 は、そ のすぐ下流左岸 のムラで戸数 は十 四. - 93 -.

(24) マ スだった。「ア ユは稲 の花 水を飲 んでから下る。」 とい そ の水 が川 に流れこむ 頃ア ユが下るという のである。. う美 しい口誦 がある。稲 の花 が散 り 、そ れが水に落ち、 同 じ赤川 水系 でも大鳥川 に比 ぺて梵字 川の方が水が冷. a・セ プ チ. 11目 の 対角 寸 法 は 一寸 、太 め の糸 で 六\ 七. 段 、丈 は 一間半 、ア シ ( 錘 ) は軍 くする。. b・フネ プ チ 11目の対角 寸 法は一寸 二 分 、糸 はセブチよ. り細く 、ア シ はセプチよ り軽 く、丈はセプチより長. 瀬 打投網 )を主 とし 、ヤ ス漁 を従 と が 、セ ブ チトアミ (. ロ であるが、両 者の漁 具漁 法 は大 きく異 っていた。中向. 青龍 ・虻崎 ) のマ ス漁 場は隣接 し 、最大隔離 約四キ 沢 (. 法が異 るのは当然 のことである。左岸 中向と右岸 の下田. 同 じ魚種 を対 象にしても 、河 川環 境によって漁 具や漁. の糸 は太 く、ア シ は重 い。水 勢の強いところの獲物が狙. では差 異 があるのは自然 のことである。若 者の使う投網. えば、同 じ セ プチで も 、若 者が 使う網 と老 人が使う網 と. 淵 という河 川 環境 のみによ って生 ずるとは限 ら ない。 例. い。網 丈は長い方が破 られる率 が少 い。網 の差 異 は瀬 と. 右 の 目寸 法 は下部 の も の で 、上部 は さ ら に粗 くて も よ. 原理 的に糸 が細ければア シ は軽 くてよいことになる。. くする。. したのに対 して 、下田 沢はヤス漁 を主とし、フネ ブ チト. たいのでマス漁 の最盛 期が半月ずれたと言わ れている。. ア ミ (舟打 投網 )を従 と した。マ ス漁 期と農 繁 期 が重. 足は軽 い。 水の弱いところでなけれ ば打 てないからであ. えるのである。そ れに対 して、老 人の投網 の糸 は細く、. る。体力 の弱い者は、たとえ水 の強いところへ網 を打 っ. なっている折には昼休 みだけマス漁 をしたのであるが、 は 、中向 の漁 場テリト リ ー の河 川 環 境 と し て 、瀬 が 多. ても魚 を取り出 しに行 くことができないのだ。. 下田 沢ではヤ ス漁 を、中向で は投網漁 をした。このこと. く、逆 に、下田 沢のテリト リー に淵 が多かったという こ. C. 亀 井さんはセプチト アミ の本 場に属 していただけにマ. 集まる淵 に入る。舟 には 、紬乗 り・中乗 り・鑢乗 りの三. た。川舟 の紬先 を上 流に向けて松明をつけないでマスの. フ ネ プ チト ア ミ は 「ヨ プ チ」( 夜 打 ち) が 中 心 だ っ. スの投網漁 に 関してはじ つに詳 細な伝承 を持っている. ととかかわ る。. セブ チト アミ とフネ プチト アミ の相 違 はおよそ次 の通り. 人が乗 り 、紬↓中 ↓肱 の順でリレー式 に網 を打 つのだ と 、 つ。 しう である。. - 94 -. 野本 始業生業民俗論Il.

(25) 7巻2号1996. 1 文学・芸術・文化. である。そ れも、瀬 の下 側 から斜上 に向 けて打 つ。投網. ところを狙 っ°泡 が立 っているところに マスがいるから. 用の柄 は六尺 、瀬 用の柄 は一丈だった。柄 まで 鉄製だ っ. サヤ ス即ち 離頭ヤ スで、 幅 一寸 六分、 長さ七寸五分、淵. 本 ヤ スはカ 本 ヤ スがあった。―一 ャ スには 一本 ヤ スと一一. を防 ぐためである。. が 一ぱ いに広がると マスが逃げるので、据 物線状 に投 げ. との間はカラムシの紐 でつないだ。これとは別 に、ホリ. た。一本 ヤスもカサヤスで、 ともにカサ (離頭部 ) と柄. セブ チト アミ を使う 場合は、瀬 の中 で泡 が立っている. る。網 の、上 三分の二 ほどをためるつもりで打 つのがよ. 投網 ・ヤ ス とは別 に、 タモアミ を使 う と こ ろ が あ っ. 寸 、長さ七寸 、柄 は六尺 で 木だった。. カサのな い三本 ヤ ス、「カゲ ヤ ス」 (鉤 ヤ ス)で、幅五. につい た マスを獲る「 ホリヤス」 があった。 ホリヤ スは. ないで、水すれすれに打ち 、落ち る瞬 間に開 くよう にす. いという 。 亀 井さんの家 には鉛 の錘 の鋳型 があった。投網 を何年 戦争中 に は鉛 が手に入らなくなったので投網漁 をヤス漁. 間、径 二尺 五寸 ほどのタモアミ を使ってマスを獲る習慣. た。 下田 沢 の 下 流部 に あ る 大針 で は、増 水 時 に、柄 一. も使うと錘 が減 ってくるので鋳直 して使ったのである。 に変 えた者もいた。投網 にかかった マスでも、 背鰭 や尾. があった。. 鰭 を さ わる と跳 ね て網 を破 るこ と が あ っ た。そ れ を避 け、う ま く網 から取り出 すためには、 マスの腹から手を. 製 にしておき、正月 を中 心に冬季 に食べる。③ 塩引 きに. マスの食法 はおよそ 次の通りであった。① 焼く ② 燻. 漁 獲し た マスは エラに柳 の枝 を通して結 ぶ か、柳 の枝. しておき適宜 食べた。この他、 この地には、家 屋新築祝. まわしておいて上 から抑 えるのが コツ だという 。 に玉 を作って マスが抜 けないよう にしておいてそ れに通. スを食 べる習慣 があった。氏 神皇太 神宮 の祭 りは マスの. 潮上 する時期 と 一致 するのである。この日は、蒸 した マ. ぃ• 長壽祝 い・旧暦 七月十九日の皇太 神宮社 の祭 りに マ. て移動 する時は魚 を持って移動 し、下 流へ行 く時は河原. を 「ハマヤキ」 と呼んでいる。. スを神前 に供 えるのであるが、 当地で は マスを蒸 すこと. すかのどち らかだった。いずれも柳 の枝 一本 に マス三本. に置いて行 った。そ の場合、柳 の枝 を折 って マスの上 に. を通すと抜 けると言って二本 でとどめた。上 流へ向 かっ. かけ、さらにそ の上 に石 をのせた。篇 や烏 に喰われるの. - 95 -.

(26) し、実が全 体の一 、二 割落 ち たころを見計 らって山のロ. ル ミ の実が実る頃 、ムラびと達 は実の落 ち 方をよく観察. のものには山 の口あけが定 められていた。① クルミ IIク. 朝 日村中向 では採 集も盛 んだった。採集対象 の中 で次. 口 ・採 集. た。 二郎 さ んに漁 携技術 を教 えたのは父 の重 吉 だ った。. そ の地の利 を生かしてサケ梁漁 の指導 的役 割を担 ってき. 家 は、上本郷 の中でも高瀬 と呼ばれる川岸 の地にあり、. 二郎 さん(昭和三年 生まれ) の体 験と伝承 である。庄司. る。 以下は同地 に住 み、サケ ·マス漁 にかかわった庄司. を二• 五 キロ渕 上 し た左岸 のム ラ で 、水田 も開 け てい. 第3 表は昭和 十年 代における河川漁 携を中 心とし た庄司. あけとした。 口あけがそ れよりも遅れるとクル ミ の実を リスやネズミ に取 られてし まう からだという。 人 とネズ. H •河川漁榜. 家 の生業暦 である。 以下 この表にそ って話 を 進め る。. である。若 者は遠 いところ、年寄 りや女 性 は近 くて拾 い. 1 ·マス漁. - 96 -. ミ ・ リスト はクルミ の実をめぐって競 合 関係 にあったの やすいところ、といった 具合に拾う 場所 を割当 て、全部. 月の十五 日までのマスをハル マスと呼ぶ。 この時期 は、. マスの渕上 が始 まるのは春 の彼岸 ごろだという が、マ. 寒くてとても水に入 れないので岸 から投網 を打 つ。「こ. ス漁 を始 めるのは五月に 入ってからである。 五 月から六. ③ イワスゲ II早く刈 り過ぎ ると翌年芽 が出ないとして夏. の時期 のマス は醤油 を受 けつけないほど脂 がのっている. の実を一箇所 に集 め て か ら均 等 に 配分 し たのだ っ た。. の土 用過ぎ に山の口明 けの日を定 めた。 トチの実・クリ. ② 山 ブ ドウ の 実 11 秋 の彼岸 過ぎ に山 の口 あ けを し た。. の実も拾 ったが山の口あけはなかった。 羽黒修駅 ・麻耶. か ら一番う まい。」 と二郎 さんは語る。. ス漁 に際 し ては、紬先 を上 流にして舟 を使う。舟 には 三. 盛 りだった。 川舟 は、幅三 尺五寸 •長さ四間 だ った。 マ. ある。岸 での投網 からマス舟 の投網 に移る頃 は藤 の花 の. て投網 を打 つ。 まだ 寒いので水 に潜 ることはしないので. 六月十五日から七 月十五日までの一ヶ月は川舟 に乗 っ. 修 験が全 国各 地から様々な種 類 のクリの実を集めたので. 赤 川 水系. 朝 日村 にはクリ の種 類 が多いと言われている。 四 •山形県東 旧川郡 朝 日村上本郷 I. 大. 朝 日村 上本郷 は、大鳥川 ・梵 字川 の合 流点 から大鳥川. 鳥. 野本. 始業生業民俗論 II.

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