目 次 Ⅰ はじめに Ⅱ EC・EU 法のイギリス国内法化とイギリス労働法 の伝統 Ⅲ 保守党政権下での労働法制と EC・EU 労働法の影 響 Ⅳ 労働党 (ニュー・レイバー) 政権下での労働法制と EU 労働法の影響 Ⅴ おわりに
Ⅰ
は じ め に
イギリスの労働法制は, イギリスが 1973 年にEC(European Community)に加盟して以来, EC・
EU (European Union) 労働法の影響を受けてき た。 ただ, その影響の仕方や程度は, 保守党政府 と労働党政府の労働立法政策の違いを反映して, 相当に違ったものとなっている。 また, EC・EU 労働法の国内法化において, イギリス労働法に特 有の法的伝統が, イギリスに特有の問題を生じさ せることにもなった。 とはいえ, 今日のイギリス 労働法制のあり様は, EC・EU 労働法の存在と その影響抜きには考えることができないといえよ う1)。 そこで, 本稿では, イギリス労働法制は, EC・ EU 労働法の国内法化にともないどのような影響 を受けてきたのか, そしてそうした影響の下にど のような特徴を有するものとなっているのかを, 明らかにすることを目的としている2)。 以下では, まず, EC・EU 法の国内法化の手続についてみ た上で, イギリス労働法の伝統の重要な部分が変 特集●ヨーロッパ労働法の現在
EU 労働法とイギリス労働法制
有田
謙司
(専修大学教授) イギリス労働法制は, EC・EU 労働法の発展の影響を受け, これを推進力として発展し てきたといえる。 しかし, その展開は, 一直線的なものではなく, ①1960 年代・1970 年 代の時期, ②1979 年からの保守党政権の時期, ③1997 年からのニュー・レイバーの労働 党政権の時期, という 3 つの時期において異なる展開の仕方をしてきた。 ①の時期には, EC 労働法の国内法化は, 強固なイギリス労働法の集団的自由放任主義の伝統との調整を 図りながら, それの変化の兆しをもたらすものであった。 ②の時期には, EC・EU 労働 法の国内法化は, 保守党政府による規制緩和と制約緩和の立法政策の推進に対しこれを一 定制約する対抗力として, 差別禁止・雇用平等法制等の整備を進めるものとなった。 そし て, ③の時期には, EU 労働法の国内法化は, 集団的自由放任主義の伝統との調整, 柔軟 な労働市場の確保という基本政策との調整の中で, 基本的労働条件である労働時間規制法 制, 非典型雇用の均等待遇等に関する法制, 情報提供・協議手続法制等の整備を進めるも のとなっている。 EU 労働法は今後も発展し続けるであろうが, 労働市場の機能に一定の 信頼を置き, 前述のような調整を図りながらその国内法化を進め, 労働法制を展開してい くイギリスの姿は, おそらく今後も変わらないであろう。 ヨーロッパ大陸諸国の労働法制 との懸隔は, EU 労働法の発展とそれに伴う EU 加盟国間の法制の接近が進んでいくとし ても, そう簡単には埋まらないであろう。されて, 労働法規制のあり方が大きく変化してい く中で, その推進力として EC・EU 労働法が与 えた影響についてみることとする。
Ⅱ
EC・EU 法のイギリス国内法化とイ
ギリス労働法の伝統
1 EC・EU 法のイギリス国内法化 EC・EU 法の中で, 1972 年欧州共同体加盟法(European Community Act 1972) 2 条 1 項により,
EC・EU の第一次的法たる 1992 年欧州連合条約
(Treaty on European Union 1992)(マーストリヒト
条 約 ), 同 条 約 お よ び 1986 年 単 一 欧 州 議 定 書
(Single European Act 1986) により修正された欧
州 共 同 体 設 立 条 約 (Treaty establishing the
European Community)(ローマ条約) などの条約と 議定書は, イギリス国内において直接適用される。 また, 欧州閣僚理事会 (Council) または欧州委員 会 (European Commission) が第一次的法に基づ いて発する第二次的法のうち, 規則 (regulation) は, イギリス国内において直接適用される (ロー マ条約 249 条 2 項)。 これらに対して, 閣僚理事会指令 (directive) は, その達成の手段・方法について国内の立法措 置を必要とする(ローマ条約 249 条 3 項)。 EC・EU 労働法は, そのほとんどがこの理事会指令として 出されたものである。 イギリスでは, 議会の承認 を得た制定法的文書 (statutory instruments) と される規則 (regulations) によって, 閣僚理事会 指令の国内法化がなされている。 制定法的文書は, 本来, 制定法の委任により制定される従位立法で あって, 狭義の制定法を変更することはできない が, 例外的に, EU の閣僚理事会指令に従いそれ を国内法化する目的で制定される場合には, その 制定法的文書は, 狭義の制定法 (statute) と同一 の効力をもつものとされている (1972 年欧州共同 体加盟法 2 条 2 項)。 このようにして国内法化され た規則等のみならず, イギリス国内で制定される 法令は, EC・EU 法と矛盾しないように解釈さ れなければならないとされている (同法 2 条 4 項) effect)」)。 これも, イギリス国内労働法制の形成 に大きな役割を果たすものとなっている3)。 さて, イギリスでは EC・EU 労働法は, この ような形で国内法化され, 1973 年の EC 加盟以 来, イギリスの労働法制に大きな影響を与えてき たのであるが, 次に, そうした変容を受けるもの となったイギリス労働法制の基底に存してきたイ ギリス労働法の伝統について確認しておくことに したい。 2 イギリス労働法の伝統 イギリス労働法は, 1960 年代までに, 次の 3 つの法的伝統を有するものとされてきた4) 。 第 1 は, 個人主義(individualism) の伝統である。 第 2 は, 任意の団体交渉への支持と争議行為への法の 不干渉の伝統である。 そして第 3 は, 規制的ある いは 「保護的」 立法の選別的な性格という伝統で ある。 これらの法的伝統が, イギリスの労働法制 の基底に存してきたのである。 第 1 の個人主義の伝統では, 個別的雇用契約
(individual contract of employment) の概念が,
労使関係の法的分析の中心となる。 雇用契約は, 裁判官が形成してきた判例法たるコモン・ローに よりその多くの部分を規律されている。 第 2 の法 的 伝 統 は , 「 集 団 的 自 由 放 任 主 義 (collective laissez-faire)」 と呼ばれるものである5)。 これは, 1960 年代までの社会的コンセンサスに基づき, 労働条件規制は労働組合と使用者との間の団体交 渉によってなされるべきであって, 国家の役割は 最小限とすべきとするものである。 この法的伝統 の下では, 団体交渉に対する法的支援は, 労働組 合の法認と争議行為への民・刑事免責 (immu-nity) のみであり, 団体交渉の結果である労働協 約にも法的拘束力を与えない労働法制となる。 そ して, 第 3 の法的伝統は第 2 の集団的自由放任主 義の帰結としてのものであるが (そのため以下で は, これら 2 つの伝統を合わせて集団的自由放任主 義と呼ぶ), 労働者保護立法による労働条件の直 接的規制は, 団体交渉による規制の及ばない弱い 立場にあるグループの労働者 (vulnerable groups workers) を対象とするものとなる。 すなわち,
労働者を包括的・普遍的にその対象とするのでは なく, 選別的なものとするのである。 EC・EU 労働法の発展とそのイギリス国内法 化は, 具体的には後述するように, このようなイ ギリス労働法の伝統に大きな影響を与え, その変 容に寄与するところとなるのである。 EC・EU 労働法の国内法化の過程におけるこのイギリス労 働法の伝統との調整が, 時の政府による労働法政 策の性格とともに, イギリス労働法制の展開を規 定するものとなったのである。 3 イギリス労働法の伝統の変化の兆しと EC 労働 法 ところで, このイギリス労働法の集団的自由放 任主義の伝統については, 1960 年代から 1970 年 代にかけての時期において, 変化の兆しを示して いた。 この間には公式の全国レベルの団体交渉と 非公式の職場交渉との併存・抗争がもたらす非公 認ストと賃金ドリフトがイギリス経済悪化の原因 として問題とされ, その対策として, 保守党と労 働党が短期間に政権を交代する中で, 保守党政府 により 「法による労使関係の整序」 を企図した 1971 年労使関係法 (Industrial Relations Act 1971)
が制定されたが, 労働組合からの猛烈な反対運動 を呼び起こし, 次の労働党政権によって同法は廃 止された6)。 そしてその後に労働党政府は, 1975
年雇用保護法 (Employment Protection Act 1975)
を制定し, 組合承認制度を設ける等して団体交渉 の支援のための法制度を用意したのである7)。 ま た, この間には非公認ストの防止を目的として, 不公正に解雇されない権利 (解雇規制の法制度) をはじめとする被用者の諸権利を定める立法がな されたのだが, それらの適用対象は被用者一般 (ただし, 一定期間の勤続年数等を条件とする) であっ て, 選別的なものではなかった。 この時期にはまた, イギリスの EC 加盟にとも なう EC 労働法の影響によって, やはり適用対象 が選別的ではなく普遍的な差別禁止・平等法制
(1970 年同一賃金法 (Equal Pay Act 1970), 1975 年性差別禁止法 (Sex Discrimination Act 1975),
1976 年人種関係法 (Race Relations Act 1976)) の
整備や妊産婦の権利の拡充等がなされた8) 。 これ らの差別禁止・平等法制は, その後も EC・EU 労働法の発展の影響を受け, 次にみる規制緩和政 策を進めていった 1979 年からの保守党政権下に おいても, その発展を続けることとなった9)。 EC 労働法の国内法化としてこの時期にはその 他に, 剰員整理解雇の際の協議手続に関する規定 が整備された (1975 年雇用保護法第Ⅳ部)。 しかし, この使用者が負う協議義務の協議の相手方は, 承 認組合 (recognised union) に限られていた。 こ れは, 集団的自由放任主義の伝統から労働組合を 唯一の労働者代表としてきた一元的な労使関係の 伝統の表れであったといえよう10)。 この規定は, 後述するように, 欧州司法裁判所の判決によって, 承認組合が存在せず, 従業員代表が自発的に指名 されない場合における従業員代表の指名方法を規 定していないこと等が閣僚理事会指令 (75/129/ EEC) に違反するとされ, 後に改正されることに なる。 以上にみたように, この時期に, イギリス労働 法制は, 一定の整備をみたのであるが, それでも 核となる労働条件である賃金や労働時間に関する 包括的な法規制は存しなかったのであり, イギリ ス労働法の集団的自由放任主義の伝統の変容をも たらしたとまでいうことはできず, その変化の兆 しを示すものと評することができるものであっ た11)。 それは, イギリスにおける集団的自由放任 主義の伝統の強固さとともに, 当時の EC 労働法 の発展状況においてその影響がまだ限定的であっ たことにも, 起因するものであったと思われる。
Ⅲ
保守党政権下での労働法制と EC・
EU 労働法の影響
1 保守党政権の労働立法政策とその特徴 1979 年から 1997 年まで続いた保守党政権の労 働立法政策は, 労働市場の柔軟化を最大限に図る ための規制緩和と, 労働市場における労働組合の 規制力の弱体化を図るための労働組合の活動への 法規制の強化に, その特徴がある12)。 この時期の 保守党の労働立法政策は, 前述のイギリス労働法 の集団的自由放任主義の伝統を廃棄し, 雇用関係 論 文 EU 労働法とイギリス労働法制せるために労働法規制を用いるもの, さらには, 労働法をこうした力の均衡を図るということを超 えて, 自由市場経済の実現のための労働市場規制 というより大きな異なるビジョンの一部にするも のであった, とも評されている13)。 具体的には, 団体交渉による労働条件規制が及 ばない部門に対し最低賃金や労働時間規制を定め る賃金審議会制度を規定する産業委員会法等の選 別的な労働者保護立法の廃止, 不公正解雇からの 救済を受けることができるために必要な雇用期間 を 6 カ月から 2 年へと延長し14), 20 名以下の被用 者を雇用する企業について, 不公正に解雇されな い権利を放棄しうる有期雇用契約者の契約期間を 2 年から 1 年に短縮する15)こと等によって, 前述 したそれまでに一定整備されてきていた労働者保 護立法の適用対象を制限した。 これにより, 多く の労働者, とりわけパートタイムや有期雇用といっ た非典型労働の多くが労働者保護立法から排除さ れることとなった。 集団的労使関係法の領域では, 団体交渉のよう な社会的に生み出されてきた労働市場に対する構 造 的 制 約 の 緩 和 (de-rigidification) を 目 的 と し て16), 1980 年雇用法に始まる一連の立法によっ て17), 組合運営への規制, 争議行為の制限, 組合 承認制度の廃止, 協約の拡張適用の廃止等がなさ れた。 こうした立法政策の実施によって, 組合の 組織率は低下し, 規制力は著しく弱まり, 労使関 係の個人主義化や団体交渉の企業内化が進んだ18)。 保守党政府による以上のような規制緩和と制約 緩和の立法政策の推進によって, 労働市場の柔軟 化がもたらされることとなったのである19)。 2 保守党政権下での労働法制への EC・EU 労働 法の影響 こうした保守党政府による規制緩和と制約緩和 の立法政策の推進に対して, これを一定制約する ものとしての対抗力となったのが, EC・EU 労 働法であった20)。 イギリスも EC・EU 加盟国と して, EC・EU 労働法を国内法化し, 国内法が EC・EU 労働法に反しないものとする義務を果 たさなければならないからである。 て, この保守党政権の時期においても, イギリス の差別禁止・平等法制は, 大きな前進をした21)。 一例を挙げれば, 小規模事業および家事使用人に おける性差別禁止原則の排除をしている 1975 年 性 差 別 禁 止 法 の 規 定 が 平 等 取 扱 指 令 (Equal
Treatment Directive No. 76/207) に違反すること,
労働協約は当事者を法的に拘束しないとの理由で, 同法が労働協約における差別的な規定を無効にし, あるいは修正する規定を設けていないことを同指 令 に 違 反 す る と し た , 欧 州 司 法 裁 判 所 の 判 決
(Case 165/82 European Commission v. UK [1984]
ICR 192) を受けて, 保守党政府は, これに対応 するために, 1986 年性差別禁止法 (Sex Discrimi-nation Act 1986) を制定したのである22)。 ただ, 同法は, 選別的保護立法として存在していた女性 に対する労働時間関係の保護規制を廃止しており, 保守党政府の規制緩和の法政策をもそのうちに含 むものであって, EC・EU 労働法の影響の仕方 の複雑さを示すものといえよう23)。 また, 企業譲渡に関わる既得権指令 (Acquired
Rights Directive No. 77/187) の国内法化として,
1981 年企業譲渡 (雇用保護) 規則 (Transfer of Undertaking (Protection of Employment)
Regula-tions 1981, S.I. 1981/1794) が制定された。 しかし, この規則ははじめ, 前述した, 剰員整理解雇の際 の協議手続と同じく協議の相手方を承認組合に限っ ていた。 そして, 前述のように他の法律により法 定組合承認制度は廃止されてしまったことから, 使用者はこの協議義務を回避することができた24)。 こうした問題点について, 欧州司法裁判所は, 1981 年規則が, 承認組合が存在せず, 従業員代 表が自発的に指名されない場合における従業員代 表の指名方法を規定していないこと等が閣僚理事 会指令 (75/129/EEC) に違反するとの判決を出し
た (Case C-382 and 383/92 European Commission
v. UK [1994] ECR I-2479.)。 この欧州司法裁判所 判決に対応するため, 保守党政府は, 従業員代表 に関する規定を置く改正を行ったが, 承認組合が 存する場合においても, 使用者は従業員代表と協 議できると定めた25)。 これにより, 使用者は承認 組合との協議を回することができるものとされ,
さらには, 労働組合の労働者代表としての地位は 低下することとなったのである26)。 これは, EC・ EU 労働法の影響を最小限にしようとする国内法 化のアプローチであり, 集団的自由放任主義の伝 統を用いながら, 巧妙に制約緩和の法政策を行う ものといえよう。 以上にみてきたように, 規制緩和・制約緩和の 法政策を推進し行った保守党政権の時期において も, EC・EU 労働法は, その推進に制約をかけ る対抗力としての役割を果たし, 差別禁止・雇用 平等法制等の整備の推進力として大きく影響を及 ぼした。 しかし, その影響の仕方は, 規制緩和・ 制約緩和の法政策との複雑な関係の中で, また, 廃棄された集団的自由放任主義の伝統の強固に残 る部分との調整の中で, イギリス労働法制の形成・ 展開に作用していったものとみることができよう。
Ⅳ
労働党 (ニュー・レイバー) 政権下
での労働法制と EU 労働法の影響
1 ニュー・レイバーの労働立法政策とその特徴 1997 年から現在まで続く労働党政権は, それ までの労働党の社会民主主義の路線とも, 新自由 主義の路線とも異なる, 「第三の道 (The Third Way)」 という路線を掲げて, 新たな労働立法 政策を展開していく27)。 この 「第三の道」 の路線 に 基 づ く 労 働 立 法 政 策 の 基 本 的 な 考 え 方 は , 1998 年に公表された白書 「労働における公正(Fairness at Work)」 (May 1998, Cm. 3968) (以下,
「白書」 と略す) の中に示されている。 ニュー・レ イバー (New Labour) 労働党政府は, イギリス 経 済 の 競 争 力 を 確 保 す る べ く , 最 低 限 の 権 利 (minimum rights) の確立による公正な処遇を保 障することで労使間のパートナーシップ (part-nership) を確保し, 柔軟で効率的な労働市場を 維持することを目的として, 労働立法政策を展開 するのである (白書第 1 章)。 したがって, ニュー・ レイバーの労働立法政策を規定しているものは, 効率性と公正さである。 これら 2 つの目標は両立 可能なものとされる。 この新しいアプローチの柱となるのは, 復活す る法定組合承認制度と個別的権利を保障する立法 の適用対象の拡大であり, 雇用契約は中心的な位 置を占め続けるが, それは団体交渉によるよりも 制定法によって規制されたものである28)。 組合承 認制度は, 産業民主主義の観点からではなく, パー トナーシップの観点から認められるものとされる のである29)。 そして, ニュー・レイバーの労働立法政策を規 定するもうひとつのものは, EU 労働法の受け入 れである。 労働党政府は, EU への積極的関与, 1998 年人権法 (Human Rights Act 1998) の制定 によるヨーロッパ人権条約(European Convention on Human Rights) の国内法化30), マーストリヒ ト条約の 「社会政策協定」 への参加, それに伴う 関連する閣僚理事会指令の国内法化の実施をその 基本政策とした (白書 para. 1. 10)。 このように, 労働党政府のもとでの労働法制は, EU 労働法の 影響を強く受け, それを推進力として展開してい くのである。 2 労働法制への EU 労働法の影響 ニュー・レイバーの労働党政府は, 閣僚理事会 指令を国内法化する制定法的文書である規則を相 次いで制定している。 まず, 核となる労働条件保 護の立法である, 1998 年労働時間規則 (Working Time Regulations 1998) が制定された31)。 それま では, 労働時間規制は, 労働協約が中心であって, 団体交渉が未発達の分野や, 特定産業, 女性・児 童・年少者に限って個別の法律が存するだけで, 一般的・包括的な労働時間規制立法を有していな かった。 その意味では, 同規則の制定は, 労働時 間という核となる労働条件に関して包括的な規制 を定めたものとして, 同年に制定された全国最低
賃金法 (National Minimum Wage Act 1998) とと
もに, 集団的自由放任主義の変容を示すものとい えよう。
1999 年には, 出産・親休暇等規則 (Maternity and Parental Leave, etc, Regulations 1999, S.I.
1999/3312) が制定された32)。 これは, 労働党政府
の立法政策のもうひとつの柱とされたファミリー・ フレンドリーの政策に位置づけられるものである
(白書第 5 章)。
る差別対象の拡大を図る 2003 年雇用平等 (宗教・
信 条 ) 規 則 (Employment Equality (Religion or
Belief) Regulation 2003, S. I. 2003/1660), 雇用平
等 ( 性 的 志 向 ) 規 則 (Employment Equality
(Sexual Orientation) Regulation 2003, S.I. 2003/
1661) が制定され, その整備が進んでいる33)。
非正規雇用の保護立法の分野では, 2000 年に, パ ー ト タ イ ム 労 働 者 ( 不 利 益 取 扱 防 止 ) 規 則
(Part-time Workers (Prevention of Less
Fa-vourable Treatment) Regulations 2000) が制定さ
れた34)。 そして, 2002 年には, 有期雇用被用者
( 不 利 益 取 扱 防 止 ) 規 則 (Fixed-term Employees
(Prevention of Less Favourable Treatment)
Regu-lations 2002) が制定された。 これらの規則の制定 により, はじめて非典型雇用に対する法規制が設 けられ, 正規雇用との均等待遇等が図られること となった。 集団的労使関係の分野では, 1999 年集団的剰 員 整 理 ・ 営 業 譲 渡 ( 雇 用 保 護 )( 修 正 ) 規 則
(Collective Redundancies and Transfer of Under-takings (Protection of Employment)(Amendment)
Regulations 1999 S.I. 1999/1925) が制定され, 協 議義務の相手方を 1 次的には承認組合とし, これ がない場合には 2 次的に, 法定の手続により選出 された従業員代表とすることが明確にされた。 集 団的自由放任主義の伝統との調整を図ったものと いえよう。 また, 2004 年には, 被用者情報・協
議規則 (Information and Consultation of Employee
Regulations 2004, S.I. 2004/3426) も制定され, 情 報提供と協議の対象となる場面が広げられた。 ニュー ・レイバーのパートナーシップ戦略のひとつであ る35)。 以上のような EU 労働法の国内法化による労働 法制の整備がすすめられたのであるが, そこには, 公正さとともに効率性を向上させるというニュー・ レイバーの基本政策の観点から, 柔軟な労働市場 への過度の規制とならないようにするための, 適 用対象者を被用者に限定したり, 資格要件を定め る等して規制の弾力化を図る制度を設けたりして いることには留意しなければならない。 前 者 の 例 と し て は , 2002 年 有 期 雇 用 被 用 者 規則では, その適用対象は 「労働者 (worker)」 ではなく 「被用者 (employee)」 とされた。 イギ リスでは, 仕事を提供する義務と賃金その他の形 式の報酬と見返りにその仕事を履行する義務 (an obligation to provide work and an obligation to perform that work in return for a wage or some
form of remuneration) という雇用契約を創出す
るのに必要な 「それ以上削ることはできない最小 限の相互の義務 (irreducible minimum of mutual
obligation)」 を欠く場合には雇用契約は存せず, 被用者とは認められないとする, 「義務の相互性」 基準がとられており, これによりカジュアル・ワー カー等は被用者とはみなされず, その範囲は狭い も の と な っ て い る36)。 こ れ に 対 し て , 労 働 者 (worker) は, 制定法上 「(a)雇用契約, または, (b)明示または黙示を問わず, また明示であれば 口頭によるか書面によるかを問わず, 職業的また は営業的事業の顧客ではない契約の相手方に当該 個人本人が労働またはサービスをなしまたは遂行 することを約する他の契約のいずれかに入った, またはそれらいずれかの契約の下で働く (「雇用」 が終了した場合には, 働いていた) 個人」 と定義さ れ, その適用対象を拡大するものとなっている。 労働党政府は, 前述の白書において, 保護立法で ある雇用関係立法の適用対象を 「労働者」 にして その拡大を図ろうとしていた。 その意味でこの規 則の制定は, そうした政策からの転換点をなすも のといえよう37)。 後者の例は, 昨年制定された EU 派遣労働指令
(Directive 2008/104/EC of European Parliament and of the Council of 19 November 2008 on
tempo-rary agency work) の国内法化へ向けた法案作成
作業にみられる。 政府の出した協議文書では, 「柔軟な労働市場を維持しながら, 派遣労働者の 適切な保護を図る」 という目的のため, 不利に扱 われない (均等待遇の) 権利が付与される適用対 象となるための 12 週間の資格要件としての雇用 期間 (qualifying period) の設定が予定されてい るのである38)。 その他の弾力化の規定の例として, 有期雇用被 用者 (不利益取扱防止) 規則に, 労働協約・労使
協定によって, 有期雇用の雇用継続年数, 更新回 数, 更新等を正当化する客観的理由等を定めて, 規則の規定を修正できるようにするデフォルト・ ルール (default rule) の規定がある39)。 このように, 労働党政権下においては, 効率性 の確保のための適用除外等の弾力化の手法を用い ながら, EU 労働法を受け入れて労働法制の整備 を進めていくことが行われてきたのである。
Ⅴ
お わ り に
以上にみてきたように, イギリス労働法制は, EC・EU 労働法の発展の影響を受け, これを推 進力として発展してきた部分が大きい。 しかしな がら, EC・EU 労働法の国内法への受け入れの 仕方は, 集団的自由放任主義の伝統との調整, 柔 軟な労働市場の確保という基本政策との調整といっ たものにより, 複雑なものとなっている。 適用対 象を個別の法律ごとに, 被用者あるいは労働者と 定めるイギリスの労働法制の姿は, そうした複雑 さの表れといえよう。 EU 労働法は今後も発展し続けるであろうが, 労働市場の機能に一定の信頼を置き, 前述のよう な調整を図りながらその国内法化を進め, 労働法 制を展開していくイギリスの姿は, おそらく今後 も変わらないであろう。 ヨーロッパ大陸諸国の労 働法制との懸隔は, EU 労働法の発展とそれに伴 う EU 加盟国間の法制の接近が進んでいくとして も, そう簡単には埋まらないであろう40)。1) K. Ewing, Labour Law and Industrial Relations" in P. Ackers and A. Wilkinson eds., Understanding Work and Employment: Industrial Relations in Transition (Oxford University Press, 2003), p. 154.
2) EU 労働法がイギリス労働法に与えた影響について検討し た論考として, 家田愛子 「EU 法の影響と労働法の変動」 戒 能通厚編 現代イギリス法事典 (新世社, 2003 年) 320 頁 以下がある。
3) S. Deakin and G. S. Morris, Labour Law 4th
ed. (Hart Publishing, 2005), p. 100.
4) B. Hepple and S. Fredman, Labour Law and Industrial Relations in Great Britain 2nd
ed. (Kluwer Law and Taxation Publishing, 1992), pp. 40-46; S. Hardy, Labour Law and Industrial Relations in Great Britain 3rd
ed. (Kluwer Law International, 2007), pp. 44-50.
5) 集 団 的 自 由 放 任 主 義 に つ い て は , P. Davies and M. Freedland, Labour Legislation and Public Policy (Oxford
University Press, 1993), pp. 8-59; K. Ewing, supra note 1, pp. 140-143; 古川陽二 「現代イギリスの労使関係と法」 労働 法律旬報 1223 = 1224 号 (1989 年) 18 頁以下, 石田眞 「イギ リス労働法の特質」 戒能通厚編 現代イギリス法事典 (新 世社, 2003 年) 300 頁以下等を参照。 6) イギリス労働立法の歴史, とりわけ本稿で問題とする 1960 年以降については, 小宮文人 現代イギリス雇用法 (信山 社, 2006 年) 18 頁以下を参照。 7) こうした立法の整備の背景には, 政府と労働組合との 「社 会契約 (social contract)」 があった。 インフレ抑制のため に労働組合会議 (Trade Union Congress (TUC)) が賃金 抑制を指導するように約束し, その代わりに, 政府が TUC に, 雇用条件の改善, 産業民主主義化等の立法措置を約束し た。 結果としては, この社会契約は失敗し, 1979 年からの 保守党政権を誕生させることとなった。 8) 石田眞 「労働者保護・雇用立法の変化」 戒能通厚編 現代 イギリス法事典 (新世社, 2003 年) 312 頁を参照。 9) P. Davies and M. Freedland, supra note 5, p. 237. 10) 古川陽二 「組合承認制度の復活と従業員代表委員会制度の
改革」 労働法律旬報 1427 号 (1998 年) 23 頁, 25 頁。 11) K. Ewing, supra note 1, p. 144.
12) 1979 年から 1997 年までの保守党政権の労働立法政策の詳 細な分析については, 古川陽二 「イギリスにおける労働法の 規制緩和と弾力化」 日本労働法学会誌 93 号 (1999 年) 33 頁, 同・前掲注 5)論文, 林和彦 「イギリス保守党政権下の労働 市場の規制緩和(1)(2)(3・完)」 日本法学 72 巻 3 号 (2006 年) 159 頁, 72 巻 4 号 (2007 年) 143 頁, 73 巻 1 号 (2007 年) 109 頁を参照。
13) P. Davies and M. Freedland, Towards a Flexible Labour Market: Labour Legislation and Regulation since the 1990s (Oxford University Press, 2007), p. 5. 14) 1985 年不公正解雇 (救済申立資格期間変更) 令 (Unfair
Dismissal (Variation of Qualification Period) Order 1985)。 15) 1980 年雇用法 (Employment Act 1980) 8 条(2)項。 同法 はまた, 不公正解雇に対する補償金の一部を構成する基礎裁 定 (basic award) を廃止し, 不公正解雇の場合に支払われ る補償金の額を大幅に減額させることも行った (9 条(4)・ (5)項)。
16) P. Davies and M. Freedland, supra note 5, p. 529 は, これを 「制約緩和 (de-rigidification)」 と呼び, 規制緩和と 区別して分析している。
17) その他, 1982 年雇用法, 1984 年労働組合法 (Trade Union Act 1984), 1988 年雇用法, 1989 年雇用法, 1990 年雇用法, 1992 年労働組合・労働関係 (統合) 法 (Trade Union and Labour Relations (Consolidation) Act 1992), 1993 年労働 組合改革・雇用権利法 (Trade Union Reform and Employ-ment Rights Act 1993) が制定された。 詳しくは, 林・前 掲注 12)論文を参照。
18) K. Ewing, supra note 1, p. 146 : 古川・前掲注 5)論文 24 頁以下を参照。
19) 林・前掲注 12)(3)論文, 古川・前掲注 12)論文 40-42 頁を 参照。
20) K. Ewing, supra note 1, p. 146; P. Davies and M. Freedland, supra note 5, p. 576.
21) 石田・前掲注 8)論文 313-314 頁, 家田・前掲注 2)論文 322 頁を参照。
22) 林・前掲注 12)(2)論文 146-148 頁を参照。
23) P. Davies and M. Freedland, supra note 5, pp. 587-589. 論 文 EU 労働法とイギリス労働法制
て雇用平等は不可欠な要素になってきていると指摘する。 24) P. Davies and M. Freedland, supra note 5, p. 580. 25) 集 団 的 剰 員 整 理 ・ 企 業 譲 渡 ( 雇 用 保 護 )( 修 正 ) 規 則
(Collective Redundancies and Transfer of Undertakings (Protection of Employment)(Amendment) Regulations 1995 S.I. 1995/2587)。 26) 古川陽二 「労使関係法の変容」 戒能通厚編 現代イギリス 法事典 (新世社, 2003 年) 308 頁を参照。 27) 古川陽二 「ニュー・レイバーの労働立法政策とその特質」 季刊労働法 211 号 (2005 年) 157 頁以下, 小宮・前掲注 6) 書 29-36 頁を参照。
28) K. Ewing, supra note 1, p. 147. 29) Ibid., p. 148. 30) 有田謙司 「イギリス労働法学における人権論の展開」 季刊 労働法 215 号 (2006 年) 190 頁以下を参照。 31) 有田謙司 「イギリスのホワイトカラーの労働時間制度」 世 界の労働 56 巻 2 号 (2006 年) 10 頁以下等を参照。 32) 小宮文人 「イギリスにおける育児休業制度」 労働法律旬報 1558 号 (2003 年) 6 頁以下等を参照。 33) 鈴木隆 「雇用平等法の最近の動向について」 季刊労働法 224 号 (2009 年) 214 頁以下等を参照。 季刊労働法 218 号 (2007 年) 175 頁以下等を参照。 35) 古川・前掲注 27)論文 163 頁は, 同規則が指令の内容の消 極的な履行であるとしてその位置づけは曖昧であると指摘す る。 36) 岩永昌晃 「イギリスにおける労働法の適用対象者(1)(2・ 完)」 法学論叢 157 巻 5 号・158 巻 1 号 (2005 年) 等を参照。 37) P. Davies and M. Freedland, supra note 5, p. 88. 38) BEER, Implementation of the agency workers directive:
A consultation paper, May 2009, para. 2. 2
39) デフォルト・ルールによる規制の修正の問題については, 古川・前掲注 27)論文 169-170 頁を参照。 40) そうした中で, ヨーロッパ・モデルをベースにして, 労働 法理論の再構築を図ろうとする学説の動きもある。 ヒュー・ コリンズ (イギリス労働法研究会訳) イギリス雇用法 (成 文堂, 2008 年), 唐津博 「イギリスにおける新たな労働法パ ラダイム論」 季刊労働法 216 号 (2007 年) 149 頁以下を参照。 ありた・けんじ 専修大学法学部教授。 最近の主な論文に 「企業再編と労働法」 日本労働法学会誌 113 号 (2009 年)。 労働法専攻。