• 検索結果がありません。

森鴎外文芸評論の研究(一) : 「小説論」改稿の意図と方法

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "森鴎外文芸評論の研究(一) : 「小説論」改稿の意図と方法"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

・-..__J `一山】■`■】 れ言年 た3,をこ o′ は 」- 67 -なお,右の「高」本と徳島県立図書館所蔵本との異同は次の涌 りである。数字は表のものと1致する。 市立大学国文学研究室に大変お世詔になったく ここ些託 て謝意を表する次第である。 嘉     部     嘉     隆

森鴎外文芸評論の研究^i

I

稿

l 森鴎外の文学活動が'「小説論」をもって始まるとい-見方には 異論は出ないであろ-。それでは'「小説論」はいかなる方法で書 かれ'いかなる論理が展開され'いかなる意図をもって発表された のであろ-か。「小説論」は鴎外の文学活動の出発点でありながら この論に関する研究は比較的少ないように思われる。しかし'鴎外 の評論活動を検討して行-には'「小説論」は無視できないと言え よ六ノ。 「小説論」は明治二二年1月三日の・r読売新聞」の附録に発表 ( 注 1 ) された。のちに'明治二五年一月「しがらみ草紙」第二八号に「医 ( 注 2 ) にして小説を論ず」と改題の上'再録卦jれヾさらに明治二九 「医学の説より出でたる小説論」として「つきくさ﹄に収録さ 改題されていることからも推測できるが'本文にはかなり異同があ る.そして'この異同をたどることにょって'鴎外の方法なり意図 なりを'ある程度把握することが出来るのである。小堀桂一郎氏は 「青年期の鴎外を批判的に論じょ-と思-ときには読売新聞の初出 稿に遡って読むことが必要である」と言-がへ しかし小堀氏は論中 において必ずしも三種の本文を突き合わした上で、初出稿を読まね ばならない必要性を論証しているわけではない。概して初出を問題 にし'﹃つき-さ﹄の本文には触れるところもあるが'再出の本文 には殆ど触れていない.むろん'初出の本文にも問題はあるが'本 文の改訂のあとをたどることによって'鴎外のその時々の問題酢明 瞭に浮び上って来るのである。そして'その方にょり大きな問題が ( 注 4 ) 含まれているよ-に思われる。 「小説論」は次のよ-に始まる。 泰西の撃説は我詩論と相類す彼の祖述する所の伊勃加羅的は即 マ マ ち我李杜なり」とは昨年の碁に没せられし小永井小舟君が永坂 石壕を送るの序に撃術と詩法とを封比したるの言なり 天下何れに適いてか好封なからん況んや文人の筆を弄して故ら に奇を求むるをや然れども妄に「アナロゴン」を籍て論を立つ るは論理の許さゞる所なれば余は復た此に出づるを欲せざるな

(2)

- 68 -り 余が撃にして小説論を卿するは此の如く浅薄なる意匠に基-に は非ざるなり知ずや今日歓洲諸国に禰漫する一派の小説は箕に 其源を留学に教したるを この書き出しに関しては'たとえば神田孝夫氏は次のよ-に解釈 ( 注 5 ) し て い る 。                                   . ゾラとクロード・ベルナールとの関係を説きへ その実験小説論 た が文学の本道に達が-ゆえんを論じて'医学の債域と文学の億 ヽ 域を明確に区別し'(引用文略)と結論するのほ'冒頭に小永 井某の言を引いて'医と文の粗雑な混同類比説を反駁したこと と相侯って'まことに適切な処置であったと言わねはならぬ。 かれはこの一文を以て、科学的に厳密な医学者としての森林太 郎と、文芸に遊ぶ鴎外漁史との二人格を'同時に救-一石二鳥 の効果を期待し得るからである。 また、小堀桂一郎氏は' 一見奇妙なこの書き出しは、おそら-ほ'自分が医家にして小 説を論ずるのほこの小永井某の真似とい-わけではない、とい -ことわりであり'初めて文壇に声を放つものとしての慎重な 配慮に基づいていよ-。 ( 注 6 ) と'神田氏と似たよ-な意見を展開している。 たしかに'これらの神田氏や小堀氏の意見は'書き出しの部分だ けを問題にするとすれば'至極もっともに思える.しかし'これら の意見は'「小説論」とい-題名の下についた'(Cfr.Rudolphvon tottschal1.Studien)というただし書きの意味を見落してしまって いる。もし神田氏や小堀氏の見方を肯定するならば'このゴットシ ャルという名前を出すことは、鴎外にとってあまり有利な材料では ないように思われるのであるoとい-のは'たとえば鴎外が小永井 小舟の発想を否定した上で. 余が腎にして小説論を朔するは此の如-浅薄なる意匠に基くに は非ざるなり知ずや今日欧州諸国に禰漫する一派の小説は箕に 其源を瞥撃に馨したるを と書-とき、ゴットシャルの名前を出さない方が'いかにも鴎外白 身の発見と着想とにょっている感が強-なり'これから文壇に出て ゆこうとしている者にとっては'はるかに読者に対して強い印象を 与えることになりほしないかと思われるのである。ゴットシャルの 名前を出すことは、たとえば「知ずや今日欧州諸国に禰漫する・・・・・・ 」の部分にしたところで'「知ずや」以下の知識がゴットシャルに ょ っ て い る と い う 感 じ を 強 -出 し て し ま -。 と す れ ば ' せ っ か く の 適切な処置も'慎重な配慮も'すべてゴットシャルの借り物という 印象(とはいえ'小永井小舟とゴットシャルではだいぶちが-かも しれない.しかし'当時の読売新聞の読者にとって'どれほどちが った意味を持つことができたか。せいぜいゴットシャルが外国人で あるため'何とな-権威的であったかもしれないとい-程度であろ ラ)によって帳消しになりかねないのである。にもかかわらず'

(3)

∫ - 69 -′ ロ′7J八 Jハ J L Jハカ hu Ly lこLy けを問題にするとすれば'至極もっともに思える.しかし、これら ラ)によって帳消しになりかねないのである。にもかかわらず' ここで鴎外がゴットシャルの名前を持ち出すには'それなりの意図 なり狙いなりがあったにちがいないと考える方が妥当であろ-0 当時の鴎外の立場を考えてみれば'極く少数の文学愛好者の間で は'ドイツ文学あるいは外国文学に-わしいドイツ帰りの軍医であ るというAJとは知られていたかもしれないo しかし'一般には(つ まり新聞の読者にとってほ)坐-知られていないか'あるいはせい ぜいドイツ帰りの軍医とい-程度の認識であったであろ-。この点 を考慮すると'鴎外が最初の文学関係の論を発表するに当って'そ I れなりの配慮を加えたであろ-と考えるのは不自然ではあるまい。 そ し て ' そ の 配 慮 が ' 題 名 の 下 に . L G f r , R u . d o l p h v o n G o t t s c h a l 1 . St亡dienことつけ加えることだったのである。 それでは'このよ-にゴットシャルの名前を番ち出すことが'ど のよ-な効果をあげることになるだろ-か.まず'何といっても' 鴎外の発言を強力に権威づけることになるであろう..ゴットシャル の名前が'日本に知られているにしろいないにしろ'ドケツ留学か ら帰朝早々の単なる軍医よりは'はるかに文学的に権威あるものと して見られても当時としてはむりもない面もあるであろ-。さら に'その名前が'ドイツより,帰朝早々の人によって持ち出されたの であるから'なお効果的であったと見てもよいと思われる。 しかも'このゴットシャルの名前の使い方がきわめて巧妙であ る。本文中には'・ ''コットシャルほ一箇所に出て来るだけである。す な わ ち ' 「ドイスレ--」の英吉利hi於ける「ド-デーしの法蘭西匹於 ける其貿験の成績を使用するや轡幻蛋活'固より「ゾラ-」の 比に非ず筆墨の間、時に水花鏡月の嶺を存ず之を華貿兼ね収む るものと謂ふも可なり撒遜の聾者「ゴツトシャル」は之を嘆で 篤 異 小 説 ( 「 フ ォ ト グ ラ ー フ イ ツ セ ル ' ロ マ -ン 」 ) と 倣 す とい-部分である。この部分は'全文の殆ど末尾といっていいはど のところにあり、全体から見て決して重要な役割を持たされてほい ない.Au-い-部分では'鴎外は律義にゴットシャルの名前などを 持ち出して'いかにも公明正大に他人のことばは他人のことばとし て 引 用 し て い る よ -に 見 せ か け る . こ れ は ゴ ッ ト シ ャ ル に 拠 っ て い る部分がここだけだとい-錯覚さえ読者にもたせかねないのであ る.本文をよ-よ-吟味すれば'他に他人の文章やことばの引用は ( 注 7 ) 全く見当らないo とい-ことは、ゴッ十シャルの名前が'本文中に

全く出て来なければ'題名の下に記した=Cfr,Rudolph von Got

tschal1.Studien"とい-註記が'本文全体の背景にあると考えら れ る の に 対 し ' ゴ ッ ト シ ャ ル の 名 前 が 一 箇 所 出 て 来 る こ と に よ っ て1 ゴットシャルに拠っているのが'名前の出て来る部分だけに限 定されるとい-感じを強-するのである。 むろん、それは錯覚であり感じに過ぎない.本文を論理的にたど って行けば'ゴットシャルが鴎外の論の全体の下敷きになっている ことは明らかである.しかし'それにはあ-まで本文を論理の筋道 に添って分析してみることが必要である.よほど注意して読まなけ

(4)

- 70 -れば'錯覚は生じるし'またそ-い-錯覚を起こさせるよ-な書き 方なのである。 と望買'鴎外が全面的にゴットシャ.沖に依拠していることは、 ( 注 8 ) 小 堀 桂 1 郎 氏 に よ っ て 詳 細 に 報 告 さ れ て い る 。 そ れ に よ れ ば ' クロード・ベルナールの所説も、鴎外はその独訳本を見たとい ぅゎけではなく'仝-ゴットシ・ヤルせ通じて知る。 と の こ と で あ り ' 「 ﹃ ク ロ ウ ド ・ ベ ル ナ ア ル ﹄ は 日 く 」 か ら 「 先 づ 庖 厨を過るが如しと」までの'ゴットシャルの原文を示している。ま た神田孝夫氏は' 鴎外に深い感銘を与え'かれの思考によき枠組みと筋道をつけ てくれた「小説論」とは'この反自然主義の見地竺止って,「 フランスにおける自然主義小説と写真小説」と題して草した九 〇ページの力作である。ふれはここで,ゾラの唱道する自然主 義が優に「1系の美学」をなすことを喝破し,「実験小説論」 その他のエッセイを引用しながら詳しくこれを解説して,その 誤れるゆえんを理論的に指摘した。ついでゾラの小説,とりわ け「ナナ」の梗概を十数頁にわたって述べて,誤れる美学がい かに醜悪な結果になるかを具体的に明示した上、転じて同じく 自然主義に組みしながらもゾラと異るド-デーを取上げ,その 特性を語りながら、美しい空想を保つ一部の作品を称した。 ( 注 9 ) と'ゴットシャルの論を要約紹介している。 ゴットシャルの論中にゾラの作品の梗概が記されているとい-こ とは'あるいは鴎外はゾラの作品そのものせ読まずに、この論を立 てたとい-ことも考えられな-はない.ゾラの作品に'とにかく目 を通していれば' 「ルゴン」の福と題せる首巻より土地と適せる新篇に至るまで 箕に化学所の日記に非ざれは則ち解剖局の週報なり などという論が出て来る筈はないq AJのあたりはだれが読んでも不 審を抱-と思われ.るが'吉田精一氏も これは必ずしも当を得た批評ではない。少な-ともゾラの傑作 ママ と称される類は「事実の範囲内に行程して満足」した産物では な-'空想が潤沢である。彼がゾラよりまされりとしたド-デ ほ'実はゾラよりはるかに小さな存在にすぎない。 ( 注 1 0 ) と評している。 神田氏や小堀氏の指摘などを併せ考えても'鴎外の立論はすべて ゴットシャルに拠っており'鴎外はまさにゴットシャルを紹介した に過ぎないとさえ言えるセあろ-.そ-い-意味では(Cfr.Rudo lph von Gottschatl,Studien)は'まさに鴎外の論旨を支え'背 ( 注 1 ー ) 後に権威として存在しているのである。しかし:Cfr. "とはきわめ てあいまいでもある。どの程度まで鴎外がゴットシャルに拠ってい るのかということを必ずしもはっきりと示しているとは言がたい い.事実だけをゴットシャルに得ているのか'11それとも論の発想そ のものまでゴットシャルに得ているのか.その点を鴎外はあいまい /  

(5)

 71 -忙したままで'最初の部分では「余が医にして小説論を州するは」 と言い、最後の部分に於てほ'「余は医なり(中略)﹃イデア-ル﹄ は吾党の北斗なり(中略)読者諸君よ彼の目的の薦めに北斗を忘る ゝの徒に与すること莫れ」と書-とき'鴎外は計らのオリジナ-チ ィーを主張しているかの感を与えるのである。 ここで鴎外は'ゴットシャルとい-ドイツの文学者の名前を自己 む背後にある権威としてた-みに利用しっつ'しかも自己が文学通 であり'ひとかどの文学初をそなえた人物であることを示して'文 壇に出てゆこ-としたのである。坪内遣遠のように「文学士」とい う肩書もなく文学とは全-専門を異にする「医学士 森林太郎」 が'文壇に産声をあげるための'まことに考えた'きわめて巧妙な 方法であったと言えよう。 二 「小説論」の再稿「撃にして小説を論ず」は、﹃しがらみ草紙﹄ 第二十八号の「山房論文」のうち'「其九エ-ル・ゾラが投理想」 に「附録」として収録されている。臥じ「附録」には「二」として ﹃国民之友﹄ 五十号に載った 「﹃文学卜自然﹄ヲ讃ム」・が「文学と 自然と」と改題の上'大幅に改稿されて収録されている。「撃にし て小説を論ず」は'題名の左側に「(讃責新聞明治廿二年一月)」と 註記され'あたかも初出そのままの再録であるかのよ-な形態をと っている。しかも本文はかなり巧妙に'鴎外の意図を実現すべ-改 変されているのである。たとえば'再稿の書き臥しは次のごとくで あ る 。 泰西の撃詮は我詩詮と相類す'かれが組述する所のピポクラア テスほ即ち我李杜なりとは'去年の碁に扱りし小舟子が石壕居 士を送る序札腎と詩とを比べたる言なり。今の欧羅巴にて盛に 行はるゝ小説の.1派は'撃撃に縁あるものなれば'わが腎にし てこれを論ぜむも'あながち他人の領地を侵したるやうにほお もほれざるべし。 これを初出の本文と比較するとヾたとえば「彼の」1「かれが」、 「昨年」1「去年」'「没せられし」1「投りし」'「小永井小舟君」 i 1「小舟子」'「永坂石壕」1「石壕居士」'「送るの序」1「送る 序」、「腎術と詩法とを封比したるの」1「撃と詩とを比べたる」 とい-よ-に'ちょっとしたことばの変更のよ-に見える.後半の 部分は'初出をかなり省略Lt 叙述の順序も多少変え'簡略にわか り易くなっている。 しかし'注意しなければならないのは'冒頭の一段落でさえ'こ れほど文章を改寛しているにも拘らず'「昨年」を「去年」と変え ただけで'明治二十五年一月号に掲載される文章を、あたかも明治 二十二年に発表当時の文章のごと-擬装していることである。本文 にこれだけ手を入れているのであるから'「去年」を「明治二十7 年」とするなり'あるいは何らかの註記を加えてもおかし-ほある まいo また'後半の「わが腎にしてこれを論ぜむも'あながち他人 の領地を侵したるや-にはおもほれざる..(し」も同様である.ここ では'明治二十二年1月の「医学士 森林太郎」を強調している。

(6)

- 72 -明治二十五年における森鴎外なら'決して「他人の領地を侵した」 などとは思われる筈はないのである。こ-した配慮の上で、鴎外は あえて「(讃責新聞明治廿二年一月)」と註記し、いかにも初出その ままのよ-な体裁をとって'文章を自らの都合のよいよ-に変えて しまっているのである。これは、当然のことながら「附録」の,r本 文」とも関連して-るからである。つまり鴎外は「本文」である「 ▲ エ-ル・ゾラが段理想」とい-論を補強するため'こ9「附録」を 収載しているのであるo (その点については'「文学と自然と」に 関しても同様である)こんなことは'自分はもはや何年も前から主 張していたのだとい-ことを示すために、附録として「腎にして小 説を論ず」とい-論をつけ加えたのである。しかも'なお注意しな ければならないのは'ここでは初出にあった:Cfr.Rudolph von Gottschall,studien=とい-註記がな-なり、さらに初出の最後の 部分に出て来たゴットシャルの名前が削除されていることである。 再稿では'まさにこの論の主旨が鴎外白身の発想であるかのように 変っているのである。初出を尊重するのであれば'当然ゴットシャ ルを削るわけにはゆかないであろう.題名を「医にして小説を論ず」 と変えたのもへあ-まで自己の発想によるものとい-ことを印象づ けるためではないかと思われる。そして'ここで鴎外自身の発想で あるかのよ-に装わねばならないのは'「エ-ル・ゾラが没理想」 が'類似の論旨であり'それを自らの発想として主張するにはへ 早 -から発表していた論と称するものも'やはり自らの発想でなけれ ばならなかったからであろ-0 三 「小説論」の三稿は'「哲学の説より出でたる小説論」として' ﹃つき-さ﹄に収められているo ここではもはや「桐草紙の山房論 文」中の「エ-ル・ゾラが没理想」からほ離されて'「今の諸家の 小詮論を讃みて」のあとに'附録のよ-な体裁で題名の前に行をあ けず'本文と同じ大きさの活字で題名を組んで'収録されている。 まさに組み合わせは融通無磯とい-感じである。 三稿の本文は'初稿とも再稿とも大幅に異っている.著しい特色 は、冒頭と最後の部分との削除にある。論としてほ'余計な説明や 言訳がな-'きわめてすっきりとした感じを与える。書き出しが' エ-ル・ゾラは悌蘭西プロワンスの人なり。今の所謂自然主義 の小説をば、ゾラ名づけて試験小説となさむとす。 と始まり'最後が 事箕は良材なり.されどこれを役することは'空想の力により て徹し得べきのみ.ドオデ工がゾラに優れるほこゝに得る所あ りてならむ。(明治二十二年一月) となって終っている。用語に関しては、概して再稿を受け継いでい る.たとえば初稿の「実験」は再稿では「試験」になり'三稿でも 同じである。異っているのは'初稿が「覚悟」であったものが、再 稿では「悟」になり'(ただし'ルビはいずれも「イントユイシヨン」 . ㌔ . ;   . . .   m r , -,. ・ ru ・ .. ヅ1 .・ =t .. .I ∵ ; . h " / A . T ・ T r t へ 川 J f F 4 1 7 7 . . J l Z . . T 、 T . ■ -. t J つ り 一 「 J J r T T ■ f T ? ・ ' ; t l . . . ' -. 1 1 ヽ ■ ・ ・ 1 . ' l l ,

(7)

- 73 -「インツイチオン」と表記はかわるが同じことばが付されている。 三稿にはない)三稿では「空想」と'わかり易くなっている.三稿 の本文は'比較できるかぎりにおいてほ'多少の省略などはあって も'殆ど再稿を受け継いでいるといえる。異なるのほ'三稿が再稿 の冒頭の一段落と最後の一段落を削除していることである。そし て'この削除に'鴎外のそれぞれの稿を成した際の立場が読み取れ るのではないかと思われるのである。 三稿において削除された部分は'初・再稿に於てほいわば執筆者 の立場を説明している部分である。たとえば冒頭の部分に於てほ' 「わが医にしてこれを論ぜむも」とか'最終段落に於ては「われは 医なり'自然科学者なり」とい-よ-な箇所である。これらの部分 は'たしかに執筆者がこのよ-な論を展開するためにへ自らの立場 を釈明しているi)い-感がなくはない・論としてほ爽雑物であるば かりでな-'少々-どいとい-感もあろ-。しかし'原型を尊重し て再録するならば当然削除されないでいい。別にこの部分がつけ加 っても論旨にちがいほないのである。 それではなぜ執筆者の立場を説明している部分が削除されたの か。他にもいろいろな理由が考えられるが'その主なものが前述の よ-にそれぞれの稿を成した.際の鴎外の立場であるo初稿執筆時 は、鴎外は文壇的には全-無名であった。従って自らの医者として の立場を主張する壱ともに'ゴットシャルの威光も必要であった。 再稿執筆時には鴎外は軍医であるとともに、文壇の論客・でもあっ た。・﹃しがらみ草紙﹄の主宰者であり..「舞姫」の作者であり'翻 訳者としても知名であった。三文字屋金平(内田魯庵)が﹃文学者 ( 注 1 2 ) となる法﹄で' 鴎外先生は日本のハルトマンなり鴎外先生は日本第一の審美哲 学者なり鴎外発生は日本第1の物識なり.鴎外先生は「轍」を 弁ずるに四頁二百行余を費し芝廼園を退治する堅剛後二十余頁 を無駄にせしほどの大家也。若し三百粗忽をして先生の御機嫌 を損ずる事あれば忽ち二三十頁のお世話を掛-る恐あればゆめ 謹んで決して危きに近寄るべからず. とからかったように'もはや鴎外はこのころ文壇の権威であった。 それゆえ'ゴットシャルの権威は必要でなかっただけでなく'この 程度の知識や論に種本があったのでは'鴎外の権威を損ねることに なりかねないのである。そこで鴎外は'初出を尊重するらし-見せ るため医者としての立場を強調するとともに'都合の悪いゴットシ ャルを消し去ったのである。 三稿に於てほ'医者としての立場を強調することさえ好ましくな い。というのは'鴎外はまさに文壇の最高権威者だったからであ る。没理想論争において'鴎外は道道を負かしたかの感を抱かせ ( 注 1 3 ) た.滝ほや文壇において鴎外に対抗できる論客はいないと言ってい ヽ   0 -∨ 鴎外白身もまた'﹃つき-さ﹄の叙に' 己が批評の根接としてハルトマンの標準的審美学を取ってか

(8)

- 74 -ら、審美撃といふ1科学の我国に於ける償値と'ハルトマンと いふ1学者の我国に於ける勢力とに多少の影響を及ぼしたこと は'反封者でも認めぬ講には行かぬ.(中略)今では専門の審 美学者といふ人々さへ出て来たのは'少-もその動因の1つと して己が明治二十二年から二十七年まで'二三の同志の友達と 一しょに出した桐草紙の中の'極めて好い論文に促されたもの だといっても過言ではあるまい? と'その評論活動に対し自信満々である. それどころか' 今文だんの神よといふ鴎外が言葉として'われはたとへ世の人 に一葉崇拝のあざけりを受けんまでも、此人にまことの詩人と いふ名を送る事を惜しまざるペしといひ'(中略)我々文士の 身として'一度-けなは死すとも憾なかるまじき事ぞや'君が 喜びいか斗ぞと-らやまる.二人はたゞ狂せるや-に喜びてか へられき。 ′ ( 注 1 4 ) と'平田禿木や戸川秋骨もこのよ-に見ているのである.「文壇の 神」鴎外にとって、医者の立場を強調することはヾ文学が余技とと られかねない危険を含むのである。とすれば自らを医者とする文章 を削除することは当然と見ることができよ-。このことは当然再稿 の題名をも変更させることとなったのである。 「小説論」の三つの稿を比較すると'鴎外のその時々の思考方法 がよ-読みとれる。「小説論」の改稿は'まさに鴎外が自己を権威 化する過程であったと言えよ-0 註 1 2 3 4 5 「小説論」の引用は'岩波書店最新版﹃鴎外全集﹄第三十八巻 所収の本文に拠る。小堀桂一郎著﹃若き日の森鴎外﹄ (東京大 学出版会昭4)にも復刻されているが'全集と若干の相異点が あり'どちらが正しいかはわからない。初出は確認できなかっ た 。 「医にして小説を論ず」の本文は'﹃しがらみ草紙﹄第二十八 号(明25・1・2 5)に拠る. 「医学の由より出でたる小説論」の本文は﹃つき-さ﹄初版( 春陽堂明2 9・1 2・1 8)に拠る。なお、三種の本文9いずれも' ルビ・傍点の類は'引用に際しては省略することを原則とし た 。 長谷川泉氏﹃近代日本文学の位相 上﹄ (桜楓社 昭4 9)中の 「近代評論の系譜」には'「小説論」の三種の稿の相異につい て触れられ'論じられているが'拙稿とは視点を異にするよう で あ る 。 神田孝夫「鴎外初期の文芸評論」(﹃比較文学研究﹄6号昭32・ 1 -1 2 ) ﹃若き日の森鴎外﹄のうち「文学轟の系譜11へ﹃小説論]こ 「クロウド'ベルナール」日-今の学問は視察(略)と箕験 (略)との二に基-なり(以下略) 端 . 捕 . . ; 1 」 ぺ ・ j T ・ . . I . :

(9)

ll 13 - 75 -8 9 1 0 ■   2 1 4 L 1 とい-部分もあるが'ゾラがこのことばを利用しているという 意味での引用であるので'ゴットシャルの引用とは少々意味が 異なる。 注6に同じ 注5に同じ ﹃近代文芸評論史 明治篇﹄ (至文堂 昭50) の-ち「第四章 批評原理の追求 1森鴎外」 「比較(対照・参照)せよ」(相良守峯﹃大独和辞典﹄博友社' による)だから'必ずしも出典を示しているととる必要はな -'他の解釈も可能であろう。 ﹃文学者となる法﹄ (右文社 明27) この本文は明治二六年中 には出来上っていたと思われるが'それでも﹃しがらみ草紙﹄ 第二八号よりほ二年はどあとになるo 没理想論争そのものは、論点の-いちがいなどから'必ずしも 鴎外が勝って'道遠が負けたとは言い難い面もあり'現在でも なお'問題を残しているが'いずれ続稿で論じたい。しかし' 一般的には道適が言い負かされたとい-印象があったことも事 実であろ-0 樋 口 1 葉 「 水 の 上 日 記 」 明 2 ・ 5 ・ 2 本 文 の 引 用 は 「 1 菓 全 集」第四巻(筑摩書房 昭2 9)によった。 日本文芸学1 0号 日本文芸学会 高 知 女 子 大 国 文 1 1 号 国 文 学 5 1 ・ 5 2 号   関 西 大 学 共立女子大紀要 2 1輯 高知大学学術研究報告6号 甲 南 大 学 紀 要 文 学 編 1 7 号 女子大国文7 5-77号 京都女子大学 語文研究38号 九州大学国語国文学.会 国 立 国 語 研 究 所 年 報 2 5 集 金城国文60集 金城学院大学国文学会 国語国文学研究9号 熊本大学 学 苑 拙 ∼ 4 -2 号   昭 和 女 子 大 学 国 学 院 雑 誌 7 5 巻 1 2 号 ∼ 7 6 巻 u 号 国 学 院 大 学 紀 要 1 3 号 駒 沢 国 文 1 2 号   駒 沢 大 学 、 国語研究3 8号 国学院大学 野州国文学1 5号 国学院大学栃木短大 文 芸 研 究 3 2 ・ 3 3 号   呪 治 大 学 文 学 部 武庫川国文7号 武庫川女子大学 語文40号 日本大学 (〓10頁より続-)

参照

関連したドキュメント

2.1で指摘した通り、過去形の導入に当たって は「過去の出来事」における「過去」の概念は

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

一︑意見の自由は︑公務員に保障される︒ ントを受けたことまたはそれを拒絶したこと

このような環境要素は一っの土地の構成要素になるが︑同時に他の上地をも流動し︑又は他の上地にあるそれらと

①配慮義務の内容として︑どの程度の措置をとる必要があるかについては︑粘り強い議論が行なわれた︒メンガー

当法人は、40 年以上の任意団体での活動を経て 2019 年に NPO 法人となりました。島根県大田市大 森町に所在しており、この町は