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播磨近世藝文資料の若干について,續

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Academic year: 2021

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title 播磨近世藝文資料の若干について、續

Author(s) 金井 寅之助

Citation 文林(BUNRIN),No.7:57-64

Issue Date 1973

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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菊 }池 正 因 と そ の 周 邊 菊 池 正 因 ( 景 福 ・ 好 直 ・ 懐 義 と も い ふ ) と 菊 池 大 麓 と を つ な ぐ 系 図 の 上 で 、 不 分 明 の 箇 所 が い く つ か あ る 。 正 因 の 作 州 久 世 の 興 善 寺 の 碑 文 に ﹁ 先 生 無 子 、 養 金 治 氏 之 子 愼 爲 嗣 ﹂ と い ふ 金 治 氏 の 素 姓 、 正 因 夫 人 理 喜 の 備 中 曹 部 の 碑 文 に い ふ 理 喜 の 実 父 で あ り 正 因 の 養 父 で あ る ﹁ 筑 後 菊 池 縢 ・輔 ﹂ の 素 姓 が 、 共 に 分 ら な か っ た 。 四 十 七 年 一 月 、 岡 田 睦 美 氏 所 藏 光 澗 編 ﹁ 追 雑 歌 ﹂ の 、 母 を 悼 む 光 澗 の 詞 書 の 中 に 、 宙 原 金 次 壕 嚢 漿 廊 墜 艦 L と あ る の を 知 っ た . 元 泉 は 光 個 の 弟 で あ り 、 そ の 子 金 次 は 光 側 の 甥 に 当 る 。 元 泉 は 父 に 先 だ っ て 元 文 三 年 正 月 に 没 し 、 光 伺 等 の 母 即 ち 金 次 の 祖 母 の ﹁ 愛 ﹂ が ﹁ 殊 に 厚 ﹂ か っ た の で あ る 。 田 原 姓 は 、 当 時 、 佐 用 に お い て は 、 田 原 金 太 夫 以 外 に 知 る 所 は な い 。 し か も 田 原 金 太 夫 の 墓 は 、 正 因 の 養 子 菊 池 隆 平 及 び 隆 平 の 子 の 墓 と 共 に 、 岡 田 家 の 墓 地 に あ り 、 菊 池 大 麓 の 先 祖 で あ る と 同 家 に 伝 承 し て ゐ る 。 金 次 は 、 田 原 金 太 夫 の 養 子 と な っ た と 見 て よ い で あ ら う 。 ﹁ 金 次 ﹂ も 、 養 子 と な っ て か ら の 改 名 か も 知 れ ぬ 。 更 に 正 因 の 碑 文 の ﹁ 金 治 氏 ﹂ は 、 こ の 金 次 で は な い か と い ふ 想 像 が 湧 か ぬ で も な い 。 当 時 、 姓 名 の 宛 字 は 珍 し く な い 。 し か し 、 龍 野 藩 士 に 、 金 治 姓 が あ り 、 速 断 す べ き で は な か ら う 。 四 十 七 年 七 月 、 岡 田 護 氏 と 共 に 、 美 作 町 田 殿 に 稲 垣 浅 之 丞 の 後 商 稲 垣 隆 氏 を 、 粟 井 町 中 に 光 燗 の 母 の 実 家 の 後 備 豊 福 健

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左 久 氏 未 亡 人 を 、 同 地 円 福 寺 に 住 職 守 安 昭 雄 氏 を 、 大 原 町 下 町 に 曲 豆 福 家 の 分 家 の 後 商 豊 福 厚 氏 を 、 訪 れ た こ と が あ っ た 。 守 安 氏 か ら 示 さ れ た ﹁ 大 原 町 の 歴 史 ﹂ に は 、 ﹁ 讃 甘 村 今 岡 シ ミ 谷 の 俗 称 法 華 塚 を 杞 っ た 。 こ れ は 土 浦 藩 の 下 町 代 官 小 原 金 太 夫 の 子 息 の 墓 で あ り 、 菊 池 大 麓 は 金 太 夫 と 血 緑 が あ る と い う ﹂ と あ っ た 。 愕 然 と し た 。 小 原 は 田 原 の 誤 で あ る 。 田 原 金 太 夫 は 土 浦 藩 の 飛 地 の 代 官 だ っ た の で あ る 。 驚 き は 、 こ れ に と ど ま ら な か っ た 。 大 原 町 下 町 の 豊 福 厚 氏 所 藏 文 書 の 豊 福 鹿 之 助 宛 菊 池 大 麓 の 書 状 は 更 に 強 烈 な 衝 撃 を 与 へ た 。 そ の 書 状 に 添 へ ら れ た 大 麓 自 筆 の 覚 書 に い ふ 。 一 菊 池 士 郎 ハ 小 生 父 ノ 父 即 祖 父 ナ リ  マ ご 小 枝 女 (豊 福 総 左 工 門 茂 春 ノ ニ 女 ト ア リ ) ハ 士 郎 君 ノ 母 ナ リ 、 ( 菊 池 ) 景 福 ノ 養 女 ト ナ ル (天 明 六 年 、 八 歳 ノ 時 ) L 後 景 ソ エ 福 養 子 隆 平 ノ 妻 ト ナ リ 士 郎 順 二 郎 (若 死 ) 及 女 子 副 ヲ 生 ム 、 良 人 残 シ テ 後 落 合 村 松 崎 久 右 工 門 二 嫁 シ 才 三 ヲ 生 ム 天 保 九 年 六 月 五 日 六 十 歳 ニ テ 落 合 二 於 テ 死 去 墓 ハ 同 地 本 覚 寺 ニ ア リ 法 名 法 行 院 妙 寿 日 量 大 姉   マ マ   一 下 町 二 代 官 タ リ シ バ 田 原 金 太 夫 卜 称 ス ル モ ノ ニ テ 右 景 福 ハ 其 養 子 ニ シ テ 金 太 夫 ノ 実 女 ヲ 嬰 ル L 故 二 小 枝 女 ハ 田 原 金   マ づこ 太 夫 ノ 孫 二 當 ル 、 金 太 夫 後 作 用 二 隠 居 シ 菊 池 慮 輔 ト 改 称 ス (此 改 名 二 付 テ ハ 旧 記 モ 取 調 へ 又 大 学 ノ 史 料 編 纂 掛 二 頼 ミ 諸 家 系 図 等 ヲ 調 へ 貰 ヒ タ ル モ 何 分 判 明 セ ズ 尚 ホ 取 調 へ 中 ) 田 原 金 太 夫 (宝 暦 九 年 閏 七 月 八 日 、 六 十 六 歳 死 去 ) 、 菊 池 隆 平 (小 枝 女 夫 ) (文 化 三 年 正 月 五 旦 二 十 七 歳 ニ テ 死 去 ) 及 順 二 郎 ノ 墓 ハ 佐 用 ニ ア リ 一 景 福 ハ 久 世 ニ テ 死 去 、 墓 モ 同 所 ニ ア リ (以 下 署 ) 田 原 金 太 夫 は 、 菊 池 正 因 の 養 父 菊 池 慮 輔 そ の 人 だ っ た の で あ る 。 菊 池 慮 輔 と 刻 し た 墓 碑 の な く 、 過 去 帳 に そ の 名 の 見 え

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な い の は 当 然 で あ っ た 。 田 原 金 太 夫 は 寛 延 元 年 に 土 浦 よ り 代 官 と し て 下 町 に 赴 任 し て 来 た (政 之 助 の 墓 碑 ) 。 金 太 夫 に は 、 元 文 五 年 生 れ の 政 之 助 と 延 享 四 年 生 れ の 理 喜 と の 一 男 一 女 が あ っ た 。 政 之 助 は 寛 延 二 年 十 歳 で 下 町 の 代 官 所 に 波 し た 。 妻 安 達 氏 は 宝 暦 四 年 に 湊 し 、 娘 理 喜 は 時 に 八 歳 で あ っ た 。 金 太 夫 は 六 十 一 歳 で あ っ た 。 淋 し い 家 庭 で あ る 。 金 次 の 養 子 と な っ た の は 、 政 之 助 の 没 し て 後 間 も な く の こ と で な か っ た で あ ら う か 。 妻 の 没 後 三 年 宝 暦 七 年 に 、 金 太 夫 は 、 代 官 職 を 退 き 佐 用 に 移 住 す る 。 そ の 後 間 も な く 宝 暦 九 年 、 金 太 夫 は そ の 地 に 没 し た 。 田 原 金 太 夫 の 墓 の 岡 田 家 一 族 の 墓 地 に あ る の は 極 め て 自 然 で あ る 。 金 太 夫 の 子 政 之 助 の 墓 は 、 吉 野 郡 辻 堂 村 字 シ ミ 谷 口 に あ り 、 俗 に 法 華 塚 と 称 し た 。 自 然 石 を 削 う た 正 面 中 央 に ﹁ 南 無 妙 法 蓮 華 経 ﹂ 研 明 院 現 理 居 士 ﹂ 浄 雲 院 ﹂ 妙 了 院 L 滞 影 儒 人 ﹂ 、 右 側 に ﹁ 常 州 土 浦 之 産 随 父 来 子 當 郡 下 町 治 螢 居 一 歳 而 寛 延 二 巳 三 月 + 吾 浸 享 年 + 突 ﹂ 瞥 原 政 之 助 L 莞 そ の 側 に 更 に 墓 の 墓 禦 あ っ た 。 正 面 に 、 ﹁ 善 通 院 如 意 日 祥 信 女 ﹂ 寳 暦 四 甲 戌 歳 ﹂ 十 二 月 九 日 ﹂ 、 右 側 面 に ﹁ 田 亮 和 之 妻 ﹂ 安 達 氏 L と 。 誰 の 墓 か わ か ら ぬ ま ・ に 杞 ら れ て 来 た 由 で あ る 。 正 因 の 妻 の 碑 文 に は ﹁ 菊 池 慮 輔 君 謁 亮 和 之 女 也 ﹂ と あ り 、 ﹁ 田 亮 和 ﹂ は 田 原 亮 和 の 修 姓 で あ る 。 田 原 金 太 夫 の 妻 の 墓 だ っ た の で あ る 。 先 年 こ の 墓 地 は 、 新 設 の 道 路 に か か ろ た め 、 当 主 菊 池 正 士 氏 に よ っ て 、 金 太 夫 の 娘 理 喜 と 正 因 と の 養 女 に な っ た 小 枝 の 実 家 の 後 で あ る 豊 福 厚 氏 の 墓 地 に 移 さ れ た の で あ っ た 。 田 原 家 の 養 子 と な っ た 金 次 は 、 宝 暦 十 四 年 に は 、 な ほ 田 原 家 に 住 ん で ゐ た こ と は ﹁ 追 悼 和 歌 ﹂ の 詞 書 に よ っ て 明 ら か で あ る 。 時 に 、 理 喜 は 十 八 歳 、 二 人 は 夫 婦 と な っ て ゐ た 筈 で あ る 。 養 家 を 出 た の は 、 そ の 時 よ り 安 永 三 年 の 頃 ま で と 思 は れ る が 、 さ だ か で な い 。 牛 丸 正 因 の 菊 池 家 を 嗣 い だ 時 も 明 ら か で は な い 。 明 和 五 年 三 月 十 四 日 に は 佐 用 に あ っ て 、 光 澗 を 訪 ね た 股 野 玉 川 等 を 、

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作 州 へ 道 案 内 す る が 、 な ほ 牛 丸 姓 で あ る (玉 川 の 内 省 日 記 ) 。 光 個 の 父 の 三 十 三 回 忌 に は 、 和 歌 を 贈 り 、 懐 義 と 署 名 し 、 牛 丸 正 因 と 注 す る 。 同 年 十 一 月 十 四 日 の 内 省 日 記 に ﹁ 正 因 来 ﹂ と あ ろ が 、 菊 池 姓 を 冠 せ ず 、 そ の 頃 ま で に 入 婿 し た 形 跡 は な い 。 内 省 日 記 の 同 年 九 月 十 六 日 に は 、 ﹁ 岡 田 直 祐 来 、 正 因 随 焉 、 謝 直 祐 干 正 因 従 父 宅 ﹂ (直 祐 は 尚 佐 、 光 個 の こ と ) と あ り 、 正 因 二 十 三 歳 の 時 で あ り 、 そ の 入 婿 に つ い て 、 光 個 の 肝 煎 し て ゐ る の で は な い か と 臆 測 せ し め な い で も な い 。 そ れ は と も あ れ 、 光 個 の 甥 金 次 が 田 原 家 即 菊 池 家 を 去 っ た の ち 、 牛 丸 正 因 が 入 婿 に な っ た と 推 測 す る こ と は 許 さ れ て よ さ さ う で あ る 。 す れ ば 理 喜 は 再 婚 し た こ と に な る 。 正 因 よ り も 一 っ 年 上 で あ っ た 。 再 び 、 冒 頭 の 正 因 の 墓 の 碑 文 ﹁ 先 生 無 子 、 養 金 治 氏 之 子 愼 爲 嗣 ﹂ に た ち 帰 り た い 。 ﹁ 金 治 氏 ﹂ が 金 次 で あ る な ら ば 、 愼 こ と 菊 池 隆 平 は 、 金 次 と 理 喜 と の 子 で あ ろ 可 能 性 も 、 そ の 明 和 七 年 生 れ で あ る こ と に よ り 、 な く は な い 。 し か し 、 そ れ に は 金 次 の 早 世 な ど の こ と の な い 限 り 不 自 然 で あ ら う 。 そ の 上 、 龍 野 藩 士 に ば 金 治 氏 が 実 在 し て ゐ た の で あ る 。 速 断 す べ き で は な い で あ ら う 。 も し 竜 野 の 金 治 氏 で あ れ ば 、 田 原 氏 即 菊 池 氏 の 血 統 は 、 理 喜 で 一 慮 絶 え る こ と に な る 。 菊 池 隆 平 は 、 い っ 正 因 の 養 子 に な っ た か も 明 ら か で な い 。 幽 蘭 堂 年 譜 に よ れ ば 、 天 明 六 年 三 月 七 日 に ﹁ 佐 用 菊 池 正 因 枠 嘉 藏 入 門 、 寄 宿 也 ﹂ と あ り 、 竜 野 藩 儒 股 野 玉 川 に 入 門 し 、 そ の 宅 に 寄 宿 し て ゐ る 。 同 三 月 廿 日 に は 次 の 如 く い ふ 。 藏 人 殿 宅 へ 罷 越 申 述 、 佐 用 医 師 菊 池 正 因 枠 嘉 藏 学 問 為 修 行 私 方 寄 宿 相 頼 申 候 、 暫 之 内 寄 宿 為 仕 度 奉 願 候 、 則 横 半 切 口 上 書 持 参 候 、 勝 手 次 第 可 仕 候 、 此 書 付 御 用 番 次 郎 左 工 門 方 へ 持 参 可 致 被 申 聞 、 夕 飯 後 山 岡 氏 へ 持 参 之 旨 申 述 、 被 致 承 知 候 、 即 右 之 趣 大 目 付 へ も 相 達 、 逗 留 謹 文 も 差 進 ス 隆 平 十 七 歳 の こ と で あ っ た 。 こ の 年 、 正 因 は 美 作 吉 野 郡 大 原 村 下 町 の 豊 福 惣 左 衛 門 二 女 小 枝 、 当 年 八 歳 を 、 隆 平 に 嫁 は す べ く 、 養 女 に 迎 へ た 。

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か く て 、 幽 蘭 堂 年 譜 に は 、 隆 平 の 記 事 が 散 見 す る 。 天 明 九 年 正 月 十 三 日 に は 、 ﹁ 菊 池 立 平 ハ 在 所 へ 罷 越 い ま た 不 帰 也 ﹂ ( 辞 鞭 ) 、 同 二 月 廿 吾 に は 、 ﹁ 夕 飯 後 梅 か 渓 江 罷 越 ス 梅 花 満 開 也 、 軍 治 . 玄 長 ・ 善 紹 . 宗 達 . 次 郎 平 . 嘉 善 . 清 五 郎 . し ほ ・ 弥 五 郎 ・ 傳 弥 ・ 立 平 同 伴 十 三 也 ﹂ と い ふ 。 正 因 は そ の 頃 壮 健 で は な か っ た と 見 え 、 隆 平 ば 、 そ の 介 抱 の た め に 、 学 半 ば に し て 帰 郷 し な け れ ば な ら な か っ た 。 玉 川 は 、 別 れ に 際 し 、 気 の 弱 い 隆 平 に 、 慰 問 と 激 励 の 一 文 を 与 へ て ゐ る (幽 蘭 堂 雑 記 十 二 ) 。 贈 菊 池 徳 行 蹄 郷 序 菊 池 徳 行 之 嗜 学 也 、 不 以 予 為 羊 公 鶴 哉 、 虞 来 遊 干 我 門 、 方 其 初 来 也 、 蒙 蔽 笹 泥 、 如 不 勝 衣 冠 、 未 半 載 病 塞 殆 病 、 即 帰 養 数 閲 月 也 、 氣 宇 爽 然 而 復 来 、 孜 々 挽 焉 、 唯 学 是 勉 、 日 就 月 将 、 或 賦 詩 慕 古 、 或 従 友 観 志 、 厘 々 乎 寸 陰 是 惜 、 適 聞 親 之 寝 病 、 即 日 命 駕 而 帰 焉 、 侍 湯 薬 数 月 而 来 、 々 則 述 志 勧 、 惟 日 不 足 、 大 有 加 於 奮 観 、 錐 以 予 之 不 肖 、 頗 有 望 乎 教 育 云 、 山豆 意 、 居 不 日 而 郷 使 来 、 召 徳 行 、 従 装 将 上 道 、 其 色 有 戚 々 焉 、 其 意 差 謂 、 来 就 画 丈 則 得 師 友 之 益 不 可 勝 数 、 錐 然   マ マ ロ 頗 闘 侍 養 之 禮   、 在 郷 窯 膝 下 則 服 労 不 逞 、 不 得 遂 志 、 吾 末 如 之 何 、 潜 然 出 涕 、 予 感 其 志 、 謂 之 日 、 子 之 於 学 也 、 可 謂 醇 壼 而 篤 信 者   、 所 謂 本 已 立 也 、 道 之 将 生 、 可 以 企 望   、 其 成 不 成 、 唯 志 是 察 、 夫 父 母 之 於 子 也 、 恩 情 慈 愛 、 岡 枚 底 止 、 錐 然 或 望 其 夙 成 、 則 比 々 而 然 、 何 図 、 大 器 晩 成 、 非 一 年 半 載 之 所 敢 造   、 萄 有 望 干 弦 、 則 費 其 財 欠 其 用 、 使 縦 其 志 而 学 焉 耳   、 斯 二 者 亦 唯 各 其 所 揮 也 、 為 子 者 堂 可 有 所 勘 酌 其 間 乎 哉 、 子 牲   、 孝 者 徳 之 本 也 、 展 昏 定 省 、 冬 夏 温 清 、 荷 於 是 乎 、 端 其 力 則 萬 徳 之 成 也 必   、 錐 然 今 也 吾 見 其 苗 而 将 秀 也 、 見 日 一 進 一 日 、 其 於 秀 而 實 也 未 可 突 、 於 是 須 暇 就 学 則 其 所 造 詣 殆 不 可 量 、 故 予 亦 頗 有 慨 然 、 然 而 子 之 父 志 業 加 於 人 一 等 則 量 遇 子 如 庸 人 之 期 小 成 乎 、 復 将 促 駕 使 来 学 、 何 復 憂 焉 、 孟 子 日 、 莫 之 為 而 為 者 天 也 、 莫 之 致 而 至 者 命 也 、 吾 子 須 蜴 其 在 己 者   、 身 之 進 退 則 一 罹 乎 所 枯 侍   、

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即 天 命 之 所 在 也 、 慎 勿 多 慮 、 臨 行 贈 之 、 蓋 惜 別 然 、 子 帰 亦 以 語 之 於 乃 翁 寛 政 己 酉 臓 月 股 野 充 美 時 に 、 隆 平 は 二 十 歳 。 正 因 ば 四 十 二 歳 、 す で に 翁 で あ っ た 。 玉 川 は そ の 賀 寿 の 宴 に ﹁ 賦 竹 寄 賀 菊 池 正 因 四 十 二 壽 宴 ﹂ と 題 す る 七 絶 を 贈 っ て ゐ る (幽 蘭 堂 詩 稿 ) 。 脩 竹 叢 生 澹 海 頭 孤 根 分 託 南 山 幽 繁 陰 夙 結 兇 孫 長 更 引 千 春 侑 献 酬 佐 用 に 帰 っ た 隆 平 は 、 そ の 後 屡 々 玉 川 を 訪 ね る 。 寛 政 五 年 六 月 二 日 に は ﹁ 夜 佐 用 菊 池 立 平 被 越 、 帰 着 後 恰 也 ﹂ 、 江 戸 参 府 を す ま せ た 喜 び の た め で あ る 。 寛 政 六 年 正 月 廿 日 に は ﹁ 佐 用 菊 池 立 平 見 来 ﹂ と あ り 、 竜 野 の 親 戚 に で も 逗 留 し て ゐ た の で あ ら う か 、 廿 二 日 に は ﹁ 晩 立 平 相 招 ﹂ と 、 玉 川 に 招 待 さ れ て ゐ る 。 寛 政 七 年 三 月 廿 九 日 に も 、 ﹁ 従 佐 用 菊 池 立 平 来 ル ﹂ と い ふ 。 正 因 は 、 寛 政 七 年 八 月 作 州 代 官 早 川 八 郎 左 衛 門 に 招 か れ て 久 世 に 移 住 す る が (幽 蘭 堂 年 譜 ) 、 隆 平 は 佐 用 に あ っ て 医 業 に 従 ふ 。 隆 平 と 小 枝 と の 間 に ・ 士 郎 (寛 政 十 一 年 生 ) ・ 順 二 郎 (享 和 三 年 天 折 ) ・ 酪 (文 化 三 年 生 ) の 二 男 一 女 が あ っ た 。 士 郎 は 菊 池 大 麓 等 の 祖 父 で あ る 。 こ の 隆 平 も 、 文 化 三 年 ﹁ 月 五 日 に 、 父 に 先 立 っ て 没 し た 。 幽 蘭 堂 年 譜 の 十 三 日 の 条 に 、 ﹁ 佐 用 之 菊 池 刻 平 長 く 病 気 、 去   マ マ   ル 七 日 死 去 之 由 相 聞 ﹂ と い ふ 。 三 十 七 歳 で あ っ た 。 墓 は 佐 用 の 岡 田 家 の 西 部 墓 地 に あ り 、 西 よ り 祖 父 金 太 夫 、 隆 平 の 早 世 の 子 供 、 隆 平 、 と 北 面 し て 蛇 ぶ 。 金 太 夫 の は 、 正 面 に ﹁ 林 照 院 浄 意 日 慮 居 士 ﹂ 右 側 面 に ﹁ 宝 暦 九 年 己 卯 ﹂ 左 側 面 に ﹁ 壬 七 月 八 日 俗 名 田 原 金 太 夫 ﹂ 。 順 二 郎 の は 小 石 佛 、 右 側 に ﹁ 恵 馨 咳 子 墓 ﹂ 左 側 に ﹁ 享 和 三 年 亥 六 月 廿 三 日 ﹂ 。 隆 平 の に は 、 正 面 に ﹁ 實 乗 院 昭 善 日 意 昊 ﹂ 右 側 面 に ﹁ 文 化 三 寅 正

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月 五 日 ﹂ 左 側 面 に ﹁ 俗 称 菊 池 隆 平 ﹂ と あ る 。 こ の 三 基 の み 基 段 を 高 く し て ゐ る の は 、 大 麓 の 修 補 に よ る と い ふ 。 菊 池 正 因 の 伝 記 に つ い て は 、 殆 ど 永 山 卯 三 郎 氏 著 軍 川 代 官 L ( 昭 和 四 年 刊 ) の 記 載 に も と つ い て 述 べ ら れ 粟 た の が 実 状 で あ ろ 。 そ の 資 料 の 博 捜 に は 、 敬 意 を 表 す る 。 し か し 、 早 川 代 官 と の 関 聯 に お い て の 記 述 で あ っ て 、 重 要 な 箇 所 で 不 分 明 の も の 若 干 あ っ た こ と 、 上 記 の 如 く で あ る 。 今 } つ の 疑 点 が あ る 。 正 因 は 、 早 川 代 官 に 招 か れ て 久 世 に 移 住 し た の を 、 永 山 氏 は 寛 政 九 年 四 月 二 十 三 日 以 降 と し 、 諸 氏 こ れ に お ほ む ね 従 ふ 。 し か し 、 股 野 玉 川 の 幽 蘭 堂 年 譜 寛 政 七 年 七 月 廿 三 日 の 條 に は 次 の 如 く い ふ 。 佐 用 菊 池 正 因 来 ル 、 来 月 ハ 、 作 州 御 代 官 之 早 川 八 郎 左 工 門 殿 御 頼 二 付 、 両 年 斗 作 州 久 世 江 引 越 、 教 授 兼 帯 、 罷 越 候 由 暇 乞 二 来 ル す な は ち 、 予 定 通 り で あ れ ば 、 寛 政 七 年 八 月 に 、 正 因 は 久 世 に 赴 任 し た 筈 で あ る 。 永 山 氏 は 何 に よ っ て 寛 政 九 年 の こ と と さ れ た の で あ ら う か 。 寛 政 八 年 春 の 典 学 館 竣 工 、 寛 政 九 年 の 都 講 真 野 民 次 の 病 に よ る 辞 任 、 正 因 と 福 島 彦 介 と の 二 月 十 四 日 よ り 四 月 二 十 三 日 に 亘 る 四 通 の 往 復 書 翰 、 な ど に も と つ い て ゐ る か の 如 く で あ る 。 し か し 書 翰 に は 年 の 記 載 は な い 。 も し 、 代 官 所 の 日 記 に で も そ の 記 録 が あ れ ば 、 契 約 が 実 行 さ れ な か っ た も の と し て 、 問 題 は な い 。 そ の 根 拠 の 明 ら か で な い か ぎ り 、 年 譜 の 如 く 寛 政 七 年 八 月 と す べ き で あ ら う 。 さ て 、 正 因 の 久 世 へ の 赴 任 を 寛 政 七 年 と す れ ば 、 四 十 八 歳 の こ と で あ る 。 こ の 年 齢 に な っ て 、 佐 用 か ら 更 に 草 深 い 久 世 に 移 ら う と す る 正 因 の 意 図 は 何 で あ ら う か 。 二 月 十 四 日 福 島 彦 介 宛 書 状 に 、 ﹁ 於 二 野 邑 一 は 密 事 に 候 得 共 、 一 度 思 立 候 事 、 何 レ 官 路 相 尋 申 候 、 久 世 賢 吏 二 御 噂 可 レ 被 レ 下 候 ﹂ と い ふ 。 官 に あ っ て 、 身 に つ け た 儒 学 を 人 々 に 教 授 し た か っ た の で は な か ら う か 。 し た が っ て 、 父 子 共 に 久 世 へ 来 る や う に と の 申 出 に は 、 四 月 二 十 三 日 付 の 返 書 に 、 ﹁ 父 子 ︼ 所 二 参 候 事 は 、 御

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用 捨 被 下 候 様 、 御 取 合 御 断 可 被 下 候 、 當 時 預 置 候 病 人 難 儀 仕 候 、 此 所 御 賢 察 可 被 下 候 L と い ふ 。 養 子 隆 平 夫 婦 を つ れ て 行 か な か っ た の で あ る 。 こ の 一 条 は 、 同 時 に 、 家 庭 内 部 の 事 情 を 思 は せ な い で も な い 。 隆 平 没 後 、 そ の 妻 小 枝 は 、 士 郎 を 正 そ へ 因 に 預 け 、 副 女 を つ れ て 美 作 国 落 合 村 松 崎 久 右 衛 門 に 再 婚 す る 。 当 時 、 各 地 で 教 養 を 得 る た め の 学 校 の 設 立 が 、 領 民 か ら 要 望 せ ら れ て ゐ た 。 施 政 者 も ま た 、 そ れ は 望 む と こ ろ で あ っ た 。 早 川 代 官 は 積 極 的 に そ の 仕 事 を す ・ め 、 寛 政 三 年 に は 久 世 に 教 諭 所 (後 、 典 学 館 に 拡 大 ) 、 同 十 年 に 笠 岡 に 敬 業 館 、 享 和 三 年 に 関 東 久 喜 に 遷 美 館 を 創 設 し た 。 文 化 の 地 方 へ の 浸 透 の 激 し さ を 思 は せ る 。 同 時 に 僻 地 で は 、 現 在 と 同 じ 様 に 、 医 者 の 来 住 を 求 め て ゐ た や う で あ る 。 幽 蘭 堂 年 譜 四 月 二 十 四 日 の 条 に い ふ 。 午 後 風 呂 屋 へ 行 入 浴 、 嘉 善 (順 軒 ) 今 夕 杏 庵 勇 志 な と 帰 着 も 可 有 哉 と 迎 心 二 而 出 合 返 池 門 生 召 連 、 蛍 見 毫 行 候 へ 共 無 其 儀 、 夜 半 頃 帰 宅 ス 、 然 所 其 後 兄 弟 二 人 小 松 原 定 吉 同 道 正 条 海 道 6 帰 来 、 初 杏 庵 独 行 作 朶 久 勢 造 行 候 庭 、 折 節 痔 痛 発 し 、 作 揚 麻 賀 入 湯 宜 由 勧 候 仁 有 之 、 一 廻 り 致 入 湯 労 手 間 取 候 所 、 勇 志 定 吉 久 世 造 罷 越 し 封 面 、 択 又 帰 路 ハ 久 勢 川 高 瀬 二 乗 岡 山 へ 下 り 可 然 申 談 、 則 岡 山 も 致 一 覧 、 夫 が 趣 帰 郷 候 間 、 右 之 通 日 数 手 間 取 候 由 申 聞 、 尤 於 久 勢 而 西 川 陳 屋 求 署 者 候 趣 、 於 菊 池 正 因 方 懸 合 候 而 其 後 咄 し 申 聞 、 但 西 川 ハ 久 世 6 四 五 里 西 二 而 則 久 世 川 之 川 側 ナ ル 所 二 而 相 州 大 久 保 加 賀 守 様 御 陳 屋 二 而 、 同 所 6 十 人 斗 来 居 、 右 二 付 医 師 一 人 貞 石 と 申 も の 来 居 、 今 度 今 一 人 来 居 候 ハ ・ 、 四 人 扶 持 二 七 俵 弐 斗 宛 行 、 他 所 帯 刀 可 免 と 申 位 之 由 、 尤 居 宅 ハ 町 方 之 借 屋 二 自 分 沸 二 而 栖 居 可 致 と 之 趣 也 正 因 の 久 世 の 教 諭 所 に 移 住 し た に つ い て は 、 右 の や う な 背 景 を も 考 へ ね ば な ら な い で あ ら う 。

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