本稿は、江戸期の人々の気がかりであった﹁天機﹂ ︵天のはたらき︶が、近代になって﹁心機﹂ ︵心のはたらき︶にと って代わられる顛末を主題にしているが、それを直接的に提示することは困難である。したがって、外から眺めて徴表 を 探 り、 そ の 変 化 の 動 き を 推 定 す る し か な い。 そ の た め に 引 用 を 主 と し た。 ﹁ 気 が か り ﹂ は、 文 芸 へ の 関 心 か ら、 生 命 の価値の根拠までを含む広い領域に及ぶ。 一 文覚と袈裟 源渡の妻袈裟御前に横恋慕して、結局、みずから仕組んで夫の身代わりとなった袈裟を殺してしまい、その衝撃でた ちどころに髪を切って僧となった遠藤武者盛遠の話は、さまざまな場で語られてきた。多くは袈裟の激烈な貞潔の行為 が中核となっている。江戸時代初期の儒者永田善斎もそう解している。 ﹃膾余雑録﹄ ︵承応二年︿一六五三﹀刊︶巻一の 文章を引いておこう。中国京師の節女と並べて袈裟盛遠の話を記している︵原漢文。振り仮名、 ︵ ︶内は引用者︶ 。 列 女 伝 に 云 く、 京 師 の 節 女 は 長 安 大 昌 里 人 の 妻 な り。 其 の 夫、 仇 人 有 り。 ︵ 仇 人 は ︶ 其 の 夫 に 報 い ん と す る に 道 無
透谷の心機
西田
耕三
し。 径 に其の妻の仁孝にして 義 有 と聞て、乃ち其の妻の父を 刧 して、其の女を 要 して 中 譎 ︵密偵︶と為さしめ ん と す。 父 其 の 女 を 呼 て 之 に 告 ぐ。 女 計 り 念 ふ に、 ﹁ 之 を 聴 ず ん は 則 ち 父 を 殺 さ ん、 不 孝 な り。 之 を 聴 ば 則 ち 夫 を殺さん、不義なり。不孝不義ならば生と雖も以て世に行ふべからず、身を以て之に当てん﹂とす。乃ち 且 許諾 し て 曰 く、 ﹁ 旦 日︵ つ ぎ の 日 ︶ 樓 上 に 在 て 新 沐 東 首︵ ひ が し ま く ら ︶ し て 臥 は 則 ち 是︵ 夫 ︶ な ら ん。 妾 請 ふ、 戸 牗 を 開 て 待 た ん ﹂。 其 の 家 に 還 て 乃 ち 其 の 夫 に 告 て 他 所 に 臥 し む。 因 て 自 沐 し て 樓 上 に 居 て 東 首 す。 戸 牗 を 開 て 臥 す。夜半に仇家果して至る。其の頭を 断 て持し去る。 明 て之を 視 に、乃ち其の妻の頭なり。仇人哀痛して以て義有 りと 為 て、遂に 釈 して其の夫を殺さず。国朝の昔、遠藤の武者所盛遠、他の 妻 の美なるを窺ひ見て、神気蕩喪して 持 す る 所 を 知 ら ず。 遂 に 夫 を 殺 し 妻 を 奪 は ん と す る の 志 有 り。 実 を 以 て 其 の 妻 に 告 ぐ。 妻 詭 て 諾 し て 曰 く、 ﹁ 某 の 夜 我 が 室 に 入 て 我 が 夫 を 殺 す べ し。 然 れ ば 則 ち 我、 君 が 為 箕 帚 を 執 ら ん︵ 妻 妾 と な ら ん ︶﹂ と。 盛 遠 大 い に 喜 て 暗に投じて単刀にして直入し、其の夫を 刺 し、首を獲り去り 出 て之を撿するに乃ち妻の首なり。盛遠妻の貞潔にし て身を喪すの禍を 掇 ことを感じ、且つ悔ひ且つ泣き髪を 祝 て僧と為る。名を文覚と改め高雄山に隠る。余 謂 に、 節女一たび死して父を全ふし、夫を全ふす。盛遠欲する所の妻、一たび死して其の夫を全ふす。丹心斗牛を射︵そ の 真 心 は 斗 星 牛 星 を も 射 る ︶、 義 気 虹 霓 を 貫 く︵ そ の 義 侠 心 は 虹 を も 貫 く ︶。 千 載 の 下 、 人 を し て 悲 慟 哽 咽 ︵ む せ ぶ︶せしむ。 こ の 文 章 の 末 尾 で 善 斎 が﹁ 後 に 源 平 盛 衰 記 を 閲 す る に 此 の 事 を 併 せ 記 す ﹂ と 言 う よ う に、 ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ 巻 十 九 に は、 文覚発心のことに付して、 ﹁大昌里人の妻﹂の話も載せる。 ま た、 通 俗 仏 書 の 一 つ で あ る 南 溟 著﹃ 文 覚 上 人 行 略 抄 ﹄︵ 宝 暦 二 年︿ 一 七 五 二 ﹀ 刊 ︶ 巻 一 で は、 切 っ た 首 が 袈 裟 の も のだと知った直後の文覚の描写は、次のようになっている。 盛遠ハット 驚 テ 心 臠 モ 割 サク 計 リ 十 方 ニ 暮 テサシウツブキ、噫︵ああ︶是不道ノナセル禍、不義ノイタス咎、後
悔何ノ益アラン。 此 暁 ハ 空 寐 シテ思フ 様 、カヽル事ヲ 仕 スマスモ、皆是 神 力 ノナストコロ、日頃信仰シ奉ル 春 日 八 幡 賀 茂 下 上 松 尾 平 野 稲 荷 祇 園 此 御 神 エ 参 詣 シ 賽 ヲ セ ン ナ ド ヽ 誤 上 ニ 誤 タ リ。 神 ハ 非 類 ニ ウ ケ ズ ト ヤ。 カ ヽ ル 無 道 ノ 身 ノ 上 ニ ハ 御 罰 ヲ コ ソ ハ 受 ベ ケ レ ド、 一 向 ニ 身 ノ 置 所 モ ナ キ 程 ニ 前 非 ヲ 悔 テ、 自 然 ト 諸 法︵ 世 の 現 象 ︶ ノ 無 常 ヲ 観 念 シ、 生 ア ル 者 ハ 必 ズ 死 ス。 会 者 ハ 定 テ ワ カ ル。 上 界 ニ モ 退 没 ア リ。 況 コ レ 下 界 ニ 於 テ ヲ ヤ。 夫婦ノ契リ前後ノ 怨 渾 テ 世 上ノ 習 ナリ。 是 時 ニ道心ノ 発 ラズハ、又イツノ時ニカ起ルベキ。サレドモ武士ノ習ナ リ、 斯 生 ハ 渡 ニ ウ タ ル ベ シ。 此 心 ノ 起 コ ソ ウ レ シ ケ レ。 朝 ニ 道 ヲ 聞 テ 夕 ニ 死 ス ト モ 可 ナ リ ト ノ 如 シ。 急 デ 渡 ガ 恨 ヲハラサント、例ヨリモ尋常ニ 出 立 テ渡ガ 許 ヘゾ 往 ニケル。 しかし、渡も一度は憤るも、ついに盛遠とともに出家する。一方、袈裟は母衣川に次のような遺書を残していた。 女 ナ サ ラ ヌ ダ ニ モ 罪 深 シ ト 承 リ 侍 ル ニ、 憂 身 ノ ユ ヘ ニ 多 ク ノ 人 ヲ 失 ヌ ベ ケ レ バ、 我 身 一 ツ ヲ 失 ヒ 候 ヌ。 独 リ 残 リ 留 リ 御 座 シ テ 歎 キ 思 召 ン コ ト コ ソ 痛 ハ シ ク 侍 レ。 何 事 モ 然 ベ キ 事 ト 申 ナ ガ ラ、 先 ダ チ 進 セ ヌ ル 悲 ミ イ ハ ン 方 ナ クゾ侍ル、 相 搆 テ 後 世 ヨク 弔 テタベ。仏ニナリ侍リナバ、母御前ヲモ渡ドノヲモ 必 迎ヘ奉ルベシ。ヨロヅ 細 ニ 申 度 侍 レドモ、落涙ニ 水 茎 ノ跡見ヘワカズ。露深キ 浅 茅 ガ原ニ 迷 身 ノイトヾ 暗 路 ニ 入 ゾカナシキ。 当然のことながら、仏教勧化という﹁場﹂に応じた力点の置き方になっている。 北村透谷もこの話に大きな関心を抱いていた。 ﹁心機妙変を論ず﹂ ︵明治二十五年九月。以下、透谷の引用は﹃透谷全 集﹄による︶と題する文章では、文字通り、文覚の﹁心機の妙変﹂に力点を置き、その観点から文覚を論じている。心 機 の 妙 変 は 一 瞬 の 出 来 事 で あ る。 ﹁ 善 鬼 悪 鬼 美 鬼 醜 鬼、 人 間 の 心 池 に 混 交 し、 乱 戦 す る を 以 て 始 め て 人 間 な る も の ゝ 動 物と異なる所を見るべし﹂と考える透谷は、 ﹁神の如き性﹂と﹁人の如き性﹂の戦いに﹁精神活きて長梯を登るの勇気﹂ を見る。その戦いの中から、一瞬、心機の妙変が起るのである。袈裟御前を妄愛し、その結果、殺すことになってしま っ た 文 覚 に も 世 間 の 道 法 の わ き ま え は あ っ た で あ ろ う が、 し か し、 ﹁ 何 物 に か 迷 ひ 何 物 に か 溺 る ゝ に あ ら ざ れ ば、 遂 に
一転するの機会﹂はなかった。だから透谷は、文覚の袈裟御前への妄愛自体に、すべてのものを蔑視し、何ものにも懸 念せず、自己の本心すら躊躇せしめないものを見る。すべてのものを蔑視していたその文覚が、みずから袈裟を殺すこ とになってしまって初めて、 ﹁女性の真美を感得﹂したと考え、そこに﹁天地の至真﹂を見るのである。 彼はこの際に於て、己れの意中物を残害すると同時に、己れの迷夢をも撃破し了れり。彼の惑溺は袈裟ありて然る にあらざりしも、この袈裟の横死は彼が一生の惑溺を医治したり。意中物は己れの極致なり。己れの極致を殺した る時に、いかで己れの過去を存することを得む。 ︵同前︶ ﹁ 彼 の 惑 溺 は 袈 裟 あ り て 然 る に あ ら ざ り し も、 こ の 袈 裟 の 横 死 は 彼 が 一 生 の 惑 溺 を 医 治 し た り ﹂ と い う の は、 ま さ し く人生の不可逆性を言い得ている。袈裟に妄愛したのではない。内なる妄愛の衝動が袈裟を得て爆発したのである。こ こに、人生の中の多くの契機が人の内奥を開発し、露顕し続ける機微が認識されている。文覚はかくて﹁天地の 実 を覚 知 ﹂ し た。 無 常、 離 苦、 恋 愛、 痴 情、 大 悪 が そ の 実、 真 状 を 顕 わ し、 ﹁ 始 め て 己 れ の 存 立 の 実 な る と 天 地 万 有 の 実 な る と を 覚 知 ﹂︵ 同 前 ︶ さ せ た の で あ る。 透 谷 は 恋 愛 に 重 大 な 意 味 を 置 い た。 恋 愛 は 何 物 に も 依 拠 す る こ と が で き ず、 心 機 そのものの世界だからである。遊里を場とする江戸時代の恋愛にはこの契機が欠けている。透谷はくりかえし、そう指 摘 し て い る。 ﹁ 善 鬼 悪 鬼 美 鬼 醜 鬼、 人 間 の 心 池 に 混 交 し、 乱 戦 す る を 以 て 始 め て 人 間 な る も の ゝ 動 物 と 異 な る 所 を 見 る べ し ﹂ と い う 考 え の 根 底 に は、 ﹁ 人 は 神 の 如 き 性 と、 動 物 ら し き 性 と を 備 ふ。 動 物 ら し き 性 の 伝 は り て 入 る は こ の 体 よ りし、神の如き性の因つて 来 るはこの心にあり﹂ ︵﹁心の経験﹂明治二十六年十月︶という認識がある。この認識は﹃蓬 莱曲﹄第三 齣 第二場﹁蓬莱山頂﹂における柳田素雄のセリフほか、随所に見える。 透 谷 が﹁ 文 覚 が 袈 裟 を 害 し た る は 実 に 彼 の 心 機 を 開 発 し た る も の な り ﹂︵ ﹁ 心 機 妙 変 を 論 ず ﹂︶ と 書 い て 文 覚 に 心 機 を 見出したとき、彼は、そのロマン性を含めて、天機から心機への、つまり徳川時代から近代への過程を、無意識ながら 生きたのである。しかし、馬琴の天機が、人間は決してそれを漏らしてはならないものであったように︵拙稿﹁馬琴の
天 機 ﹂︵ ﹁ 文 学 ﹂ 二 〇 一 一 年 七 ・ 八 月 号 ︶、 透 谷 の 心 機 の 妙 も ま た う か が い し れ な い。 透 谷 に と っ て﹁ 人 生 の 秘 奥 ﹂ は、 ﹁ 何 者 と 雖 こ の﹁ 秘 奥 ﹂ の 淵 に 臨 み て 其 至 奥 に 沈 め る 宝 珠 を 探 り 得 ﹂ る も の だ と は 信 じ ら れ な い も の で あ る。 こ の﹁ 心 機 妙 変 を 論 ず ﹂ と い う 文 章 は、 青 春 の 熱 情 と 大 げ さ な 思 弁 で あ る が、 私 に は、 そ れ と 意 識 す る こ と な く、 前 代 の﹁ 天 機 ﹂︵ た と え ば、 袈 裟 殺 害 を 目 に 見 え ぬ 天 命 と 考 え る ︶ に 対 し て、 必 死 に 抵 抗 し、 身 を も ぎ 放 そ う と し て い る 表 現 に 見 えるので、 ﹁心機﹂を含む文章を﹁心機妙変を論ず﹂からいくらか抜粋しておこう。 ○人間界の心池の中に霊活なる動物の、心機妙転の瞬時の変化も、或は蓮花開発に似たるところあり。 ○ 人 間 の 心 機 に 関 し て 深 く 観 察 す る 時 は、 こ の 普 通 な る 驚 奇 の 変 化 最 も 多 く、 各 人 の 歴 史 に 存 す る を 見 る。 然 り こ の 変 化 の 尤 も 多 く し て 尤 も 隠 れ、 尤 も 急 に し て 尤 も 不 可 見 の も の、 他 の 自 然 界 の 物 に 比 す る べ く も あ ら ざ る も のあるは、人生の霊活を信ずるものゝ苟くも首肯せざるはなきところなり。 ○ 最 後 に 彼 は 此 際 に 於 て 仏 智 を 得 た り。 彼 は 無 慚、 無 愧、 無 苦、 無 憂 に し て、 百 煩 悩 の 繁 擁 す る と こ ろ と な り て、 自 ら 知 る こ と 能 は ざ り し な り。 然 る に 発 露 刀 一 た び 彼 の 心 機 を 断 截 す る や、 彼 は 自 ら 依 怙 す る と こ ろ を 喪 ひ た り、 仏 智 は こ の 一 瞬 間 に 彼 の 中 に 入 り、 彼 を し て 照 明 の 心 鏡 に 対 せ し め、 慚 愧 苦 憂、 輾 転 煩 悶 せ し め、 然 る 後 に 自己を寄するところを知らしめたり。 ○ 凡 そ 倣 逸 彼 の 如 き は、 乱 世 に あ り て 一 仏 徒 と し て 終 る こ と 能 は ざ る と こ ろ な り、 然 る に 彼 を し て 遂 に 剣 鎗 に 杖 か ず し て、 経 典 に 倚 ら し め た る も の、 抑 い か な る 鬼 物 の 神 力 な ら む。 他 な ら ず、 こ の 一 瞬 時 の 発 露 刀 な り。 心 機 妙変なり。 こ こ で 注 視 さ れ て い る の は﹁ 瞬 間 の 変 化 ﹂ で あ る。 ま た、 最 初 の 引 例 に あ る﹁ 心 池 ﹂﹁ 蓮 花 ﹂ と い う 言 葉 を ま と め た ような﹁心池蓮﹂という文章がある︵明治二十六年二月︶ 。文覚の解釈を彷彿とさせるものである。 ﹁人の一生は或意味 に於ての﹁ 紛 闘 ﹂なり。はじめより善なるものあらず、はじめより悪なるものあらず、悪の悪なるは、悪を悪たらしむ
るものあればなり、善の善なるは、善を善ならしむるものあればなり。彼は悪を 作 せりといふ瞬間は、或は以て、彼は 善を爲すべしといふ前兆とすべきやも知る可からず。彼は善を 作 せりといふ瞬間は、或は以て、彼の後の悪を予知すべ き兆徴なるべきやも知れず。 ﹂。 こ こ で 同 じ 時 代 の 感 じ 方 を 示 す も の と し て 星 野 天 知 の 文 章 も 引 い て お こ う。 ﹁ 怪 し き 木 像 ﹂ と い う 文 章 を 書 い て 透 谷 に 文 覚 へ の 興 味 を か き た て た 星 野 天 知 の﹁ 文 覚 上 人 の 本 領 ﹂ と い う 文 章 で、 明 治 二 十 五 年 九 月 の﹁ 女 学 雑 誌 ﹂ 三百二十八号に、 ﹁心機妙変を論ず﹂と同じ誌面に発表されたものである。 ○此深刻猛侠なる傲骨男子の火性をして、 一 度 恋の失望より多涙の谷に臨ましめば、其急激奔落する勢ひは 復 止 む 可きに非ず、煩悶苦叫して熱腸愈々熱し、一種の脳病を 惹 起 して狂激と悲哀の性情を養ふや必せり。 ○唯西行は恋して沈み文覚は恋して動けり、蓋し本性に由るのみ、此二恋者が同時代に足跡を鎌倉に 印 し、共に頼 朝の知人たりしは、相反映して 好 対 の 彩 色 を見る如し、若し此両者に 光 明 の側面を見せしめ、 霊 愛 の大洗礼を 受けしめば、東洋に 愕 くべき大伝導者と大詩人を見るならん。 ここにも、透谷と共通の、個の発見に興奮する表現がある。個は内部の煩悶として視界に入ってきたのである。 な お、 相 原 精 次 の﹃ 文 覚 上 人 一 代 記 ﹄︵ 青 蛙 房、 昭 和 六 十 年 ︶ に は、 盛 遠 と 袈 裟 の 出 来 事 を 材 料 と す る 文 芸・ 演 劇 作 品が多くあげられている。
二
心機と天機
では江戸時代の心機はどういうものであったのか。 ﹃沢庵禅師法語﹄ ︵刊年未詳︶の﹁心機﹂の項から、その使われ方 を見ておこう。此機大事なり。善へゆかんも 爰 に 有 なり。心が 外 へ 出 て善をなさんも悪きをなさんも、此機にあり。此機に、善悪 も 治 ら ん も 乱 れ ん も、 兵 法 の か ち も ま け も、 身 を た て ん も 身 を は た さ ん も、 手 を あ げ 手 を ひ ら き、 太 刀 を あ げ 身 を 開 、 飛 あがり 走 かゝり、 様 様 のはたらきも此機より出て外にはたらくものなり。 ﹂︵原漢字片仮名︶ ﹁手をあげ手をひらき、太刀をあげ身を 開 、 飛 あがり 走 かゝり、 様 様 のはたらきも此機より出て外にはたらくものな り﹂という心機の理解は、ほとんど天機の理解と異ならない。 ﹁天機﹂は﹁天のはたらき﹂という意味であり、 ﹁天のはたらき﹂が人間の体のはたらきに浸透したものを指す。 ここで、 ﹁天機﹂の例を一、 二示しておこう。まず﹃ 淮 南 鴻 烈 解 ﹄より。 ︵一︶巻一﹁原道訓﹂
︱
聖人之に処れば、愁悴怨対を為さずして、其の自ら楽しむ所以を失はず。是何ぞや。則ち内 以て天機に通ずること有り。貴賎貧富労逸を以て其の志徳を失はざる者也。 ︵ 17ウ︱ 18オ︶ ︵二︶巻十二﹁道応訓﹂︱
︵伯楽の言葉︶堙の観る所の 若 き者は天機也。其の精を得て其の粗を忘れ、内に在て其の 外を忘れ、其の見る所を見て其の見ざる所を見ず、其の視る所を見て其の視ざる所を 遺 つる。 ﹃荘子﹄も﹁天機﹂を言う。 ﹃鬳斎口義﹄ ﹃荘子因﹄はその注釈である。 ︵一︶其の嗜欲深き者は其の天機浅し ︵大宗師篇︶ ・嗜欲とは人欲也。天機とは天理也。 ︵鬳斎口義︶ ・天機、天然の気。機、即息也。 ︵荘子因︶ ︵二︶ ︵ 虁 に 蚿 が言う︶予れ吾が天機を動かして其然る所以を知らず。 ︵秋水篇︶ ・此段は只、時命の自然に、人力の預る所に非ずと言ふ。 ︵鬳斎口義︶ ︵三︶ ︵蛇に 蚿 が言う︶吾、衆足を以て行く。しかるに子が足無きに及ばざること何ぞや。 ︵蛇が答える︶それ天機の動かす所、何んぞ易ふべけんや。 ︵秋水篇︶・一足より説て無足に到る。皆天機自然の動を言ふ。謂つべし、世間至奇の文なりと。 ︵鬳斎口義︶ こ の︵ 一 ︶ の 例 を 使 っ て、 北 条 霞 亭﹃ 霞 亭 渉 筆 ﹄ は、 ﹁ 孟 子 曰 く、 心 を 養 ふ 者 は 寡 欲 よ り 善 き は 莫 し。 荘 子 に 云 く、 其嗜欲深きは天機浅しと。其意暗に相符す﹂と言う。 中江氏書翰︵金沢市立玉川図書館・近世史料館の加越能文庫一六︱八〇/四九︶ 歌 の う ち に、 ﹁ 天 機 不 レ 能 レ 已 不 レ 可 レ 易 才 渉 レ バ 二 言 語 一 非 二 本 体 一 ﹂ の 題 で、 ﹁ 貧 し き も 富 も 長 雨 に 住 春 の 柳 は 緑 花 は 紅 ひ ﹂ と。 関 連 し て、 ﹁ 柳 緑 花 は 紅 都 是 春 若 非 緑 是 紅 不 作 世 界 ﹂ と い う 題 で﹁ 何 と な く 得 る 心 よ り 人 に よ り て 泣 も 笑 も 我 ならぬわざ﹂ 。 貝 原 益 軒 は﹃ 慎 思 録 ﹂ 巻 一 で、 楽 は﹁ 人 心 之 天 機 ﹂ と 言 い、 ﹃ 楽 訓 ﹄ 巻 上 で は﹁ 天 機 に 触 発 す ﹂ と 言 う。 さ ら に﹃ 大 和俗訓﹄巻四﹁心術下﹂でも﹁ 楽 は 人 の心に生れつきたる 天 機 にして、 本 自 らこれあり。されども 私 欲 あれば、耳 目口体の 欲 にそこなはれ、 喜 怒 哀 懼 の情におほはれて、此 楽 を失ふ。 君 子 は情慾にやぶられずして、 常 に此 楽 を失 は ず。 い か な る 患 難 の 事 に あ ひ て も、 此 天 然 自 有 の 楽 を 改 め ず。 又 風 花 雪 月 の 外 境 に ふ る れ ば、 心 の 内 に あ る 本 然 の 楽 、外物と相和して、 弥 〳〵 楽 む。 是 外 物 を以て、はじめて 楽 とするにはあらず、外物来りて、 本 然 の楽をたす くるなり。 田能村竹田﹃山中人饒舌﹄ ︵日本古典文学大系﹃近世随想集﹄ ︶から具体的な作業の例を引いておこう。 ここで﹁天機﹂ はいま言う﹁自然﹂である。 ﹁自然の原動力﹂である。 ︵一︶京派の 翎 毛 花 卉 、専力写生し、用筆最も是れ柔媚、賦色も亦鮮新を極む。花の正開背面、 放 たんと欲し萎れんと 欲 す る 者、 鳥 の 羽 を 刷 ひ、 虫 を 啄 み、 飛 ぶ が 若 く、 宿 る が 若 き 者、 春 秋 暁 昏、 風 雨 陰 晴、 天 機 の 寓 す る 所、 意 態情性、一々 逼 肖 して窮尽せざるなし。 ︵上巻︶ ︵ 二 ︶ 化 工 を 筆 端 に 寓 す る 者 此 れ を 作 れ ば︵ 絵 を か け ば ︱ 引 用 者 注 ︶、 則 ち 観 る 者 を し て 時 を 撫 し 興 を 寄 せ、 以 て 天 機
を楽しましむ。 ︵下巻︶ こうして江戸期の﹁天機﹂を見てくると、さきに見た沢庵の﹁心機﹂が天機を下敷きにしたものであることは明らかで ある。同時に、透谷の﹁心機﹂も天機を継承しているように見えてくる。 では透谷の同時代において心機はどのような扱いだったのか。心機を外から眺めてみるとどう見えるか。一例を引い て お こ う。 真 宗 の 僧 清 沢 満 之 の 講 話﹁ 心 機 の 発 展 ﹂ は 次 の よ う な 趣 旨 で あ る︵ 明 治 三 十 四 年 九 月﹁ 精 神 界 ﹂ 一 巻 九 号。 明治文学全集46による︶ 。 心機一転と云ふことは近頃名高い言葉となつて居る事だが、この心機と云ふものは一転どころではなくて、再転三 転、実に変りづめのものであると云ふてよろしい。其の変りづめであるところの心機も、或時代の間は同一の方向 に 向 ふ て 働 く こ と が あ る。 而 し て、 こ の 時 代 が 終 る と、 又 他 の 方 向 に 向 ふ や う に な る。 か く て、 私 共 の 一 生 に は、 心機が種々の方向に回転するのである。今私はこの心機の回転を大いに分つて三として味ふて見たいと思ふ。 私 共 が 何 事 を 為 す に も 、 先 づ 始 め の 時 代 の 間 に 起 る べ き 思 想 は 外 物 を 追 ふ こ と の 方 へ 向 く や う で あ る 。 其 次 に 来 る 思 想 は 自 分 の 如 く 外 物 を 従 は し め や う と 云 ふ 方 へ 向 く 。 其 次 に 至 れ ば 自 他 の 区 別 を 泯 亡 し 、 虚 心 平 気 の 生 活 を す る や う に な る 。即ち、この第一の時代は 客 ● 観 ● 主 ● 義 ● の ● 時 ● 代 ● で、第二の時代は 主 ● 観 ● 主 ● 義 ● の ● 時 ● 代 ● で、第三の時代は 主 ● 客 ● 超 ● 絶 ● 主 ● 義 ● の 時 代 で あ る と 云 ふ て よ い。 私 共 の 経 験 に よ る と、 心 機 の 転 回 が こ ん な 順 序 を 追 ふ て く る ら し う 考 へ ら るゝ、尚ほ又世間の人の為すことを見ても、どうもそうのやうである。 清沢はこの心機の三転を、利を求める場合、名を求める場合、人との交際法、倫理、宗教の五つのケースにおいて考察 して確認しているのだが、倫理のケースを抜粋しておこう。 倫理上の主義から見ると、私共が一番始めに到達するのは、善悪の判断を客観的方面に求むるのである。即ち功利 主義になるものは、倫理に志すものゝ一番最初に入るの門である。其次になると、この客観的標準の不確を感ずる
や う に な つ て、 こ の 標 準 を 主 観 の 方 面 に 求 む る や う に な る。 こ れ が 即 ち、 直 覚 主 義 と 云 ふ も の ゝ 起 る 所 以 で あ る。 と こ ろ が こ の 思 想 が 、 尚 ほ 一 辺 進 む と 、 善 悪 の 標 準 な ど ゝ 云 ふ こ と に は 、 と ん と 無 頓 着 に な る や う に な る 。 所 謂 、 善 を 思 は ず 、 悪 を 思 は ぬ 境 に 達 す る の で あ る 。 ここにはすでに、 ﹁心機﹂というものが認知されていて、 ﹁発展﹂的に探られていく筋道が示されている。これは透谷の ﹁心機﹂を管理するような整理の仕方である。
三
心宮内の秘宮
北村透谷は、心とそのはたらきに徹底的にこだわった。 人間の生涯は心の経験なり。心とは霊魂の 謂 にして、人間の 生 命 の 裡 の 生 命 なり。人の生涯を成立するは、この心 と、之を囲める肉体との交渉の結果なり。 ︵﹁心の経験﹂ ︶ さらに透谷は言う、 ﹁神の霊との親しき関係は、心の奥の秘宮に於てあり﹂ ﹁心は神の事を経験する為に与へられた人間 最 上 の 府 な り ﹂︵ 同 前 ︶。 ヨ ー ロ ッ パ に お け る プ ラ ト ニ ッ ク の 理 想 的 精 神 の 復 活、 ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム に よ る 自 由 の 思 想 の 奮 興 が も た ら し た 思 想 界 の 変 遷 を 心 が 貫 い て い る と 認 識 し た 透 谷 は、 さ ら に 聖 経 に 対 し て は、 ﹁ 凡 て の 批 評 眼 を 抉 り 去りて後に聖経を解かむとする﹂ ﹁羅馬教の積弊﹂を廃し、直接に、 心を以て基礎とし、心を以て明鏡とし、心を以て判断者とし、以て聖経に教ゆるところを行はんとするは、最近の 思想を奉じ自由の意志に従ひて信仰を 形 くるものなりけり。 ︵﹁各人心宮内の秘宮﹂明治二十五年九月︶ と認識した。このヨーロッパの事情には、漢儒の注釈学を廃して、直接、みずからの哲学を提唱した宋学に似たところ がある。近代が通らなければならなかった道筋と言えるのかもしれない。こ の よ う に、 透 谷 は﹁ 心 宮 ﹂︵ 心 ︶ を す べ て の 根 源 と す る。 ﹁ 人 世 は 遂 に 説 明 し 得 べ か ら ざ る も の な り ﹂、 だ か ら﹁ 人 生 を 指 導 す る も の も 亦 た、 遂 に 解 釈 し 尽 く す 能 は ざ る 程 の 宝 蔵 に あ ら ざ れ ば、 可 な る と こ ろ を 知 る 能 は ず ﹂ と 考 え る。 こ の﹁ 宝 蔵 ﹂ こ そ が 心 で あ る。 ﹁ 心 こ そ 凡 て の も の を 涵 す る 止 水 な れ ﹂﹁ ヨ ハ ネ の 所 謂 道 を 備 ふ る と は、 即 ち 心 を 虚 う す る に あ り ﹂ と い う と こ ろ に キ リ ス ト 教 が あ る。 そ れ は、 ﹁ 唯 だ 夫 れ 老 荘 の、 心 を 以 て 太 虚 と な し、 こ の 太 虚 こ そ 真 理 の 形 象 な り と 認 む る 如 き、 又 は 陽 明 派 の 良 知 良 能、 禅 僧 の 心 は 宇 宙 の 至 粋 に し て 心 と 真 理 と 殆 一 躰 視 す る が 如 き は、 基 督 教 の 心 を 備 へ た る 後 に 真 理 を 迎 ふ も の と 同 一 視 す べ か ら ﹂ ざ る も の で あ る︵ 同 前 ︶。 つ ま り、 透 谷 は、 心 と 真 理 を 即一体化するのではなく、心を自立させたいのである。キリスト教を介在させながら、ここに、江戸時代から近代への 過程が如実に現れている。 ち な み に、 星 野 天 知 の﹁ 沢 庵 禅 師 を 観 る ﹂ と い う 文 章 を 見 よ う︵ ﹁ 女 学 雑 誌 ﹂ 第 三 百 二 十 四 号 甲 巻、 明 治 二 十 五 年 七 月︶ 。 彼 れ は 煩 悶 鬱 結 の 余 り、 情 を 殺 し て 涙 を 呑 み、 稍 霊 の 世 界 に 心 を 遁 し て、 不 完 全 な が ら も 冷 や な る 慰 め を 得 た る や に 思 ひ 定 め、 人 世 斯 く こ そ と 信 じ て 無 残 に も 心 を 死 地 に 投 入 し、 形 骸 微 塵 に 砕 け よ 心 動 ず る も の か わ と 観 念 し て、心を人世に荒れぬきつゝ 僅 かに活気をかへして歌ふらく 夢やぶれ心の月も光りそふ 雲の林にあかつきの鐘 この沢庵理解はさきに見た沢庵自身の心機の理解とは無関係である。星野天知の世界理解の反映であり、透谷も共有し ている時代の関心と認識の反映である。 透 谷 は、 ﹁ 心 機 妙 変 を 論 ず ﹂ で、 ﹁ 人 生 の 秘 奥 ﹂ は﹁ 心 宮 内 の 秘 宮 ﹂ に あ る と 言 う。 ﹁ 心 に 宮 あ り、 宮 の 奥 に 他 の 秘 宮 あ り ﹂ と 言 う 時 の﹁ 他 の 秘 宮 ﹂ で あ る。 人 は、 第 一 の 宮 は 他 に 開 放 す る も、 ﹁ 秘 宮 ﹂ は 閉 ざ し た ま ま で あ る。 し か し、
この秘宮を開き示さなければ、 ﹁人生の秘奥﹂は明らかにならない。 人須らく心の奥の秘宮を重んずべし、之を 照 らかにすべし、之を 直 うすべし、之を白からしむべし、之を公けなら し む べ し。 大 罪 大 悪 の 消 ゆ る は 此 奥 に あ り、 大 仁 大 善 の 発 す る は 此 奥 に あ り、 秘 事 秘 密 の 天 に 通 ず る は 此 奥 に あ り、沈黙無言の大雄弁も此奥にあり、然り、永遠の生命の存するもこの奥にあり、かの説明し得べからずと言はれ たる人生の一端の、説明せらるゝもこの奥にこそ。この奥にこそ人生の最大至重のものあるなれ。 ︵﹁各人心宮内の 秘宮﹂ ︶ 馬 琴 に お け る、 漏 ら し て は い け な い 天 機 の よ う に︵ と 透 谷 は 書 い て い る わ け で は な い が ︶、 心 宮 内 の 秘 宮 を 各 人 は 閉 ざす。しかし、人が天機を漏らさなくとも、造化の神が天機を実現していくように︵と透谷は書いているわけではない が︶ 、心宮内の秘宮の持主である各人は、 ︵みずからが造化の神の立場に立って︶その秘宮を明かし、生きなければなら ない。そのように言う透谷の希望は明白である。 道は 邇 きにありと言ひたるもの、即ち、人間の秘奥の心宮を認めたるものなり。霊魂不朽を説きたるもの、即ち生 命の泉源は人間の自造的にあらざるを認めたるものなり。内部の生命あらずして、天下豈、人性人情なる者あらん や。インスピレーシヨンを信ずるものにあらずして、真正の人性人情を知るものあらんや。五十年の 人生 0 0 を以て人 性人情を解釈すべき唯一の舞台とする論者の誤謬は、多言を須ひずして明白なるべし。 ︵﹁内部生命論﹂明治二十六 年五月︶ ここに宣言された心の自立は、心の内部の、つまり﹁各人心宮内の秘宮﹂の構造に現れている。 聖 経 はエルサレムの神殿を以て神の 座 すところとせり、其神殿に 聖 所 あり、 至 聖 所 あり、至聖所には司祭の 長 の 外 之に入ることを得るもの甚だ稀なりと伝ふ。われ 惟 へらく、人の心も亦た斯くの如くなるにあらざるか。 ︵﹁各人心 宮内の秘宮﹂ ︶
そしてこの構造は、沢庵の﹁機﹂の構造に類似している。さきほど引いた﹃沢庵禅師法語﹄の﹁心機﹂の直前の項目の ﹁機﹂から引いておこう。 先 機と 云 はたとへ物なり。機は 枢 機 ︵くるゝ︱左訓︶とて家の戸にあるくるゝと云ものなり。家よりくるゝを 明 て 外 へ 人 が 出 る に、 善 所 へ 行 も 悪 所 へ 行 も、 此 く る ゝ を 明 所 に 有 な り。 こ ゝ か ら 別 て 二 道 に 成 ち ま た な り。 我 心 は 善 に も 移 悪 に も 移 物 な り。 善 へ や ら ん も 悪 へ や ら ん も 気 次 第 な り。 此 気 が 心 を 善 所 へ や ら ん と 悪 所 へ や ら ん と ま ゝ な り。 此 気 が ゆ る せ ば 悪 所 へ 心 が 行 な り。 此 気 が 守 か た め て 悪 所 へ や ら ね ば 善 に 行 な り。 此 故 に 気 を 機 にたとへて気を機と云なり。心の善所悪所へ 行 戸口なり。此戸より奥にては心は善にも悪にもつかぬなり。 ﹁ 此 戸 よ り 奥 に て は 心 は 善 に も 悪 に も つ か ぬ な り ﹂ は、 い わ ゆ る 不 思 善 不 思 悪 の 境 域 を さ す の で あ ろ う。 沢 庵 に よ れ ば、 ﹁ く る ゝ と 云 物 は 戸 の 内 に 有 、 外 か ら 見 へ ぬ 物 也。 人 の 気 も 内 に あ れ ど も 善 悪 の 心 が 外 へ あ ら は る ゝ 物 な り。 此 機 を よ く 見 付 る が 入 事 な り ﹂︵ 同 前﹁ 機 ﹂ の 項 ︶。 ﹁ 入 事 ﹂ は 必 要 だ と い う こ と。 比 較 し て 言 え ば、 沢 庵 は く る る︵ 秘 宮 ︶ を外から他人が見て察知すべきだと言うのに対し、透谷は本人の方から明らかにすべきだと主張している。 ここで、以上述べたことを簡単に図式化しておこう。透谷の﹁心機﹂は沢庵の﹁機﹂に通じ、江戸期の﹁天機﹂に通 じている。 ﹁人生に相渉るとは何の謂ぞ﹂ ︵明治二十六年二月︶に﹁吉野山は、活用論者の 睹 易からざる活機を吾人に教 ふるなり﹂ ﹁吾人は造化主の吾人に与へたる大活機を利用して﹂という言い方が見える。しかし、 ﹁心宮内の秘宮﹂はあ く ま で も 心 の 内 部 の 構 造 で あ る。 心 機 で あ る。 こ れ に 対 し、 天 機 は 心 を 超 え る。 つ ま り、 透 谷 の﹁ 心 宮 内 の 秘 宮 ﹂ は、 天機を心機の内に取り込んだものだったのである。 透 谷 の 言 う 聖 所︵ 深 宮 ︶ と 至 聖 所︵ 秘 宮 ︶ の 構 造 を、 中 国 の 葛 洪︵ 二 八 三 ︱ 三 四 三 ︶ が 撰 述 し た﹃ 抱 朴 子 ﹄ 巻 十 八 ﹁地真﹂の記述と比較しておこう。 ﹃抱朴子﹄は﹁一﹂の宿る人体の箇所を三つ示し、その中の中丹田を宮殿の像で描い ている。 ﹃抱朴子﹄は日本でもよく読まれた本であるが、透谷が読んだかどうかはわからない。
老君の曰ふ、 忽 兮 恍 兮 、其中に象有り、恍兮忽兮、其中に物有り︵ ﹃老子﹄第二十一章︶とは、一の 謂 なり。故に 仙経に曰く、 子 長生せんと欲せば、一を守ること 当 に 明 なるべし。一を思うて 飢 に至らば、一之に 糧 を 与 ふ。一 を 思 う て 渇 に 至 ら ば、 一 之 に 漿 を 与 ふ。 一 に は 姓 字 と 服 色 と 有 り。 男 は 長 さ 九 分、 女 は 長 さ 六 分 に し て、 或 は 臍 下 二 寸 四 分 の 下 丹 田 の 中 に 在 り、 或 は 心 下 絳 宮 金 闕 の 中 丹 田 に 在 る な り。 或 は 人 の 両 眉 の 間 に 在 り て、 却 行 すること一寸を明堂と為し、二寸を洞房と為し、三寸を上丹田と為す。此は乃ち 是 道家の重んずる所にして、世世 血を 歃 りて、其姓名を口伝するのみ。 ︵﹁内篇﹂巻十八﹁地真﹂ 。石島快隆訳註、岩波文庫︶ 村上嘉実の解を引こう。 ﹁一には姓名、 字 、定まった服の色がある。男は九分、女は六分の小さいもので、人体の丹田 の中に住んでいる。人体には三つの丹田がある。 臍 の下二寸四分の所が下丹田、心臓の下に朱塗りの宮殿、黄金の門が あ り、 そ こ が 中 丹 田、 両 眉 の 間 の、 一 寸 奥 が 明 堂、 二 寸 奥 が 洞 房 で、 三 寸 奥 を 上 丹 田 と い う。 ﹁ 一 ﹂ は こ の 三 つ の 丹 田 の何れかにいる。その姓名は絶対の秘密になっており、師弟の間では、代々血をすすって口伝する。 ﹂︵村上嘉実﹃抱朴 子﹄四二﹁神秘なる一﹂ 。中国古典新書、明徳出版社︶ ここで心宮にかかわる要素として、あらたに﹁一﹂が登場してくる。そして透谷もまた﹁一﹂に言及しているのであ る。
四
﹁一﹂と生命
道 教 に お い て﹁ 一 ﹂ は 根 源 的 な 物 と し て 尊 重 さ れ る。 ﹁ 守 一 ﹂ は 長 生 な ど に 不 可 欠 な の で あ る。 ﹃ 抱 朴 子 ﹄ に よ れ ば、 ﹁一﹂は、人体の下丹田、中丹田、上丹田のほかに、さらに次のように、 ﹁北極大淵﹂の中にもある。ここでも﹁一﹂の 在り所は宮殿の像で語られている。一 は 北 極 大 淵 の 中 に 在 り。 前 に 明 堂 有 り、 後 に 絳 宮 有 り、 巍 巍 た る 華 蓋、 金 楼 の 穹 窿、 左 に 罡 、 右 に 魁 、 激 波 空 に 掦 り、玄芝 崖 に 被 り、朱草 蒙 瓏 、白玉嵯峨たり、日月 光 を垂れ、火を 歴 、水を過ぎ、玄を 経 、黄を渉り、城闕 交錯し、帷帳琳琅たり、龍虎列衛し、神人傍に在り。施さず与へず、一 其 所 に安んず。 ︵﹁地真﹂ ︶ 透 谷 の 心 宮 内 の 秘 宮︵ ﹁ 人 生 の 秘 奥 ﹂ ︱ エ ル サ レ ム の 神 殿 の 至 聖 所 の 像 ︶ と﹃ 抱 朴 子 ﹄ の﹁ 一 ﹂︵ 心 下 絳 宮 金 闕、 北 極 大淵の中の金楼︶を単純に対比させるなら、 ﹁一﹂は﹁秘宮﹂の中核にあるもの、ということになる。透谷は別に﹁一﹂ そのものについても言及している。 海 も 陸 も、 山 も 水 も、 ひ と し く 我 が 心 の 一 部 に し て、 我 れ も 亦 た 渠 の 一 部 分 な り。 渠 も 我 も 何 物 か の 一 部 分 に し て、 帰 す る と こ ろ 即 ち 一 な り。 ︵ 略 ︶ 渠 を 支 配 す る 生 命 の 法 は、 即 ち 我 を 支 配 す る 生 命 の 法 な り。 渠 と 我 と の 間 に ﹁ 自 然 ﹂ の 前 に 立 ち て 甚 し き 相 違 あ る こ と な し。 法 は 一 な り。 法 に 順 ふ も の も 亦 た 一 な り。 法 と 法 に 順 ふ も の と の 関係も亦た一なり。 ︵﹁万物の声と詩人﹂明治二十六年十月︶ ここでの﹁一﹂は﹁同じもの﹂というニュアンスを含み、言うところは儒学が基本とする﹁万物一体﹂の考えに通じて いる。 孟 子 曰 く、 万 物 皆 我 に 備 は る。 身 に 反 し て︵ 反 省 し て ︶ 誠 な れ ば、 楽 、 焉 よ り 大 な る は 莫 し。 強 恕 ︵ つ と め て 思いやる︶して 行 ふ、仁を求むること 焉 より近きは 莫 し、と。 ︵﹃孟子﹄ ﹁尽心﹂上︶ 夫 れ 人 は 天 地 の 心 に し て、 天 地 万 物 は 本 吾 が 一 体 な る 者 な り。 生 民 の 困 苦 荼 毒 ︵ 害 毒 ︶ は、 孰 か 疾 痛 の 吾 が 身 に 切 な る 者 に 非 ざ ら ん や。 吾 が 身 の 疾 痛 を 知 ら ざ る は、 ﹁ 是 非 の 心 無 き ﹂ 者 な り。 是 非 の 心 は﹁ 慮 ら ず し て 知 り、 学 ばずして能くす﹂ 、所謂良知なり。 ︵﹃伝習録﹄中巻﹁答聶文蔚第一書﹂ ︶ もう一度﹁各人心宮内の秘宮﹂を見ておこう。 心に宮あり、宮の奥に更に他の宮あるにあらざるか。心は世の 中 にあり、而して心は世を包めり、心は人の 中 に存
し、而して心は人を包めり。もし外形の生命を 把 り来つて観ずれば、地球広しと雖、五尺の体躯大なりと雖、何す れぞ沙翁をして﹁天と地との間を 蠕 ひまはる我は果していかなるものぞ﹂と大せしめむ。唯だ夫れこの心の世界 斯 の 如 く 広 く、 斯 の 如 く 大 に、 森 羅 万 象 を 包 み て 余 す こ と な く、 而 し て こ の 広 大 な る 心 が 来 り 臨 み て 人 間 の 中 に ある時に、渺々︵眇々の意か︶たる人間眼を以て説明し得べからざるものを世に存在せしむるなり。 ここには万物一体の考えのみならず、 ﹁心﹂が森羅万象を覆いつくすことが述べられている。 しかしそれだけではない。透谷はここで﹁法は一なり。法に順ふものも亦た一なり。法と法に順ふものとの関係も亦 た一なり﹂と、 ﹁一﹂を強調している。これら透谷の﹁一﹂を読むと、 ﹃抱朴子﹄の﹁一﹂が透谷の秘宮とまったく無関 係とも思われなくなってくるのだが、透谷の﹁一﹂はさらに超越的で内在的なようにも見える。 亀 井 妙 子 は、 こ の 透 谷 の 文 章 を 考 察 し て、 透 谷 の、 ﹁ 根 本 の 生 命 は 一 で あ る ﹂ と い う 考 え が、 三 浦 梅 園 の﹁ 一 ﹂ に 該 当 す る と し て、 ﹃ 日 本 の 名 著 20 三 浦 梅 園 ﹄ の﹃ 玄 語 ﹄ か ら﹁ 一 元 気 は 玄︵ 根 源 的 存 在 ︶ で あ る ﹂﹁ 条 理 と は 一 一 で あ る。 分 化 し て 反 転 し、 統 合 し て 一 に な る ﹂ 等 の 思 想 を 引 い て、 ﹁ 根 源 に 向 か っ て 思 考 す る 能 力 こ そ が、 梅 園 と 透 谷 に 流 れ る 水 脈 な の で あ る。 ﹂ と 述 べ て い る︵ ﹁︿ 内 観 思 考 ﹀ の 一 つ の 水 脈 ︱ 北 村 透 谷 と 三 浦 梅 園 ︱﹂ ﹃ 北 村 透 谷 と は 何 か ﹄ 所 収、笠間書院、二〇〇四年︶ 。新鮮な論であるが、三浦梅園を言う前に、いま一度、古典的な表現と思考を見ておこう。 心 機 の も と に 生 命 が あ り、 生 命 の 根 源 に﹁ 一 ﹂ を 想 定 し て い る 以 上、 煩 瑣 で は あ る け れ ど、 で き る だ け 広 い 場 で﹁ 一 ﹂ に託された意味を確かめておく必要がある。もちろんこれは透谷の﹁一﹂の位置を確かめるためであって、その具体的 な出所を探るためのものではない。 いま述べた﹃抱朴子﹄のほかにも、 ﹃老子﹄があり、 ﹃荘子﹄があり、禅語録がある。 老子 昔の一を得る者は、天は一を得て以て清し、地は一を得て以て寧し、神は一を得て以て霊なり、谷は一を得て以て
盈 つ、 万 物 は 一 を 得 て 以 て 生 じ、 王 侯 は 一 を 得 て 以 て 天 下 の 貞 と 為 る、 其 の 之 を 致 す こ と は 一 な り。 ︵ 山 本 洞 雲 ﹃老子諺解﹄昔之得一章、第三十九章。 ﹁漢籍国字解全書﹂による︶ ﹁一﹂に関する江戸期のわかりやすい説明として、 ﹁営魄を載せて一を抱き、能く離るること無からん 乎 。﹂ ︵﹃老子﹄第 十章︶に関する海保青陵の説明を引こう。 ﹁一﹂は魂のことである。 営 は い れ も の 也。 魄 は か ら だ 也。 即 ち 魂 を い れ て お く い れ も の 也。 一 体 天 の 理 は、 天 地 の 開 闢 よ り 天 地 の 窮 尽 ま で、ズツト一筋通りたるものなれば、人の世に居るは、此一筋通りたる上を、大切にふみはづさぬやうに行くこと 也。此理にすこしはづれても、己れが身に損のたつこと也。譬へばかるわざの綱わたりをするに、違ひたることな し。唯一筋の綱の上を行く。わき目もふられぬこと也。少しにてもはづれ離るれば、忽ち綱の上より落つる也。扨 つなわたりをする人は、綱の上に居り、ソロ〳〵と行く。凡そ一間半ばかりさきを見て、ダン〳〵にわたる也。抱 は、前に置くこと也。前に一筋のつなを見て、此つなを離れぬやうに行く也。故に営魄を一に載せて、此一を前に 見て、はなれぬか〳〵と己れが身にきゝて見る也。 ︵海保青陵﹃老子国字解﹄第十章の冒頭の解︶ 荘子 ﹃荘子﹄にも﹁一﹂に言及した所がある。いくらか引いておこう︵岩波文庫︶ 。 泰 初 に 無 あり。 有 もなく名もなし。一の起こる所、一あるも 未 だ形せず、物得て以て生ずる、これを徳と 謂 う。 ﹃荘子 鬳 斎 口義﹄はこの部分を以下のように説明する。 泰初とは造化の始なり。有る所の者は只是れ無のみなり。未だ箇の有の字有らず。有、猶之れ無きときは 安 くんぞ 名有ることを得ん。此れ乃ち一の由て起る所なり。此の一の字、便ち是れ無の字なり。故に一有りて未だ形あらず と曰ふ。物得て以て生ずるときは、有有り。凡そ物各其の有を有すれば、皆徳なり。 これは﹁混沌﹂の﹁一﹂である。次は死生を超える考え方の﹁一﹂である。つまり、 ﹁万物﹂の﹁一﹂である。
若 し死生を徒と 為 せば、吾れ又た何をか 患 えん。故に万物は一なり。是れ其の美とする所の者を 神 奇 と為し、其の 悪 と す る 所 の 者 を 臭 腐 と 為 す も、 臭 腐 は 復 た 化 し て 神 奇 と 為 り、 神 奇 は 復 た 化 し て 臭 腐 と 為 る。 故 に 曰 わ く、 天 下を通じて一気のみと。聖人は故に一を貴ぶなりと。 ︵﹁知北遊篇﹂ ︶ さらに﹁達正篇﹂では、集中、没入、無心の状態を﹁一﹂で表現している。 工 ︵ 名 工 の 名 ︶、 旋 ら せ ば 而 ち 規 矩 に 蓋 う。 指 は 物 と 化 し て、 心 を 以 て 稽 め ず。 故 に 其 の 霊 台 は 一 に し て 桎 ︵窒︶がらず。 工 人 が 手 先 を ふ る う と、 で き た 物 は ぴ っ た り と 寸 法 が 合 い、 指 は 材 料 と 一 体 と な り、 心 の 思 慮 で ど う な る も の で も な い。精神は純一で、自由にはたらく。 ﹁霊台﹂は心のこと。 村上嘉実﹃抱朴子﹄四二﹁神秘なる一﹂ ︵中国古典新書、明徳出版社︶を引いて、老荘の﹁一﹂のまとめとしよう。 ﹃老子﹄や﹃荘子﹄において、人間の窮極の在り方は、道と一体になるということである。そのことが仙道におい ては、 ﹁一を守る﹂ ︵守一︶という形になって出てくる。 その﹁一﹂なるものは、宗教的に神秘的な実在であるから、 心 に こ の﹁ 一 ﹂ を 思 う こ と に よ っ て、 種 々 の 神 秘 が 実 現 さ れ る。 た と え ば 飢 の と き は 糧 が 与 え ら れ、 渇 の と き は 漿 が与えられる。一を精思することを守一というのである。 禅 ま た、 透 谷 の﹁ 帰 す る と こ ろ 即 ち 一 な り ﹂︵ ﹁ 万 物 の 声 と 詩 人 ﹂︶ は、 禅 宗 の﹁ 万 法 一 に 帰 す ﹂ と い う 言 葉 を 思 い 出 さ せ る だ ろ う。 ﹁ 万 法 一 に 帰 す、 一 は い づ れ に 帰 す ﹂ と い う 形 で、 禅 語 録 の 随 所 に 見 ら れ る も の で あ る が、 こ こ で は 一 般 的 な﹃ 碧 巌 録 ﹄ 第 四 十 五 則 を 引 い て お こ う︵ 享 保 二 年 天 桂 伝 尊 禅 師 提 唱 の﹃ 舐 犢 抄 ﹄ に よ る。 ﹃ 碧 巌 録 講 義 ﹄ と し て 明 治三十一年刊、明治四十三年六版。原漢字片カナ︶ 。 挙 す、僧、 趙 州 に問ふ、 ﹁万法は一に帰す、一は 何 れの処にか帰す﹂ 。︵これに対して趙州が答える︶ ﹁我れ青州に
在つて一領の 布 衫 を作る。重きこと 七 斤 ﹂。 ︵本則︶ この解は次の通りである。 此 の 僧 一 切 万 法、 都 て 一 心 の 所 造 な る が 故 に、 帰 す れ ば 一 心 也、 此 の 一 心 は、 ど こ へ 帰 し た 者 ぞ と、 句 裏 に 呈 レ 機 来 つ た、 此 の 僧 も 照 々 霊 々 の 処 に 見 か た ま つ て 居 る、 一 点 悟 り の 具 地 有 り、 以 レ 爰 一 と な じ り と 出 た 也、 ︵ 略 ︶ 肩 が ひ け て ど う も 成 ら ぬ、 重 く お ぢ や る と、 是 れ 仏 法 と や せ ん、 禅 道 と や せ ん、 一 の 帰 処 と や せ ん、 是 れ 趙 州 於 ニ 答 不得之所 一、 超仏越祖、転身自在の活作略也。 ﹁万法は一に帰す、一は 何 れの処にか帰す﹂は、高峯禅師がよく使った。高峯は、日本にもなじみのふかい南宋の中峯 和尚の師匠である。 戯文 或人来り話す。天老和尚の一の字の句に及ぶ。因て 漫 書して 児 童 に授く。 一 ︱ 一 学 一 ︱ 一 一 レ 一 道 一 ︱ 一 重 習 コ ト 一 ︱ 一 心 一 ︱ 一 思 ︱ 勉 コ ト 一 ︱ 一 智 一 レ 一 一 レ 志 ヲ 一 レ 私 ヲ 一 二 言 ︱ 行 一 ヲ 一 二 天 ︱ 命 一 ヲ 其 ︱ 一 無 レ 一 服 レ テ 一 勿 レ 失 コ ト 徳 ︱ 一 ︱ 一 ︱ 一 ︵ 新 井 白 蛾﹃ 牛 馬 問﹄巻四。日本随筆大成Ⅲ期十巻︶ ﹁一﹂の字はさまざまに読まれている。 ﹁はじめ﹂ ﹁まこと﹂ ﹁もっぱら﹂ ﹁すすむ﹂ ﹁つつしむ﹂ ﹁すすむ﹂ ﹁ひとり﹂ ﹁ま さ に ﹂﹁ あ き ら か ﹂ 等 々。 天 老 は 俳 句 作 者、 名 古 屋 の 香 具 舗。 本 名 小 宮 山 友 張。 文 化 六 年 没︵ ﹃ 俳 文 学 大 辞 典 ﹄︶ 。 編 著 ﹃梅蔵人﹄序文では梅を擬人化した文章を披露している。 西洋の思想 ﹁一﹂はパルメニデス、プラトン以来、さまざまな形で展開してきた。ここではそのうちのいくつかを見ておこう。ま ず、アリストテレスの定義、 ﹃形而上学﹄第五巻﹁哲学用語辞典﹂第六章の、 ﹁一﹂の解説である︵出隆訳︶ 。
﹁ 一 ﹂ ア リ ス ト テ レ ス は ま ず﹁ 一 ﹂ を︵ 一 ︶ 付 帯 性 と︵ 二 ︶ 自 体 性 に 分 け る。 ︵ 一 ︶ は、 た と え ば、 ﹁ コ リ ス コ ス ﹂︵ 人 名 ︶ ﹁教養的なもの﹂が一つと言われる場合︵実体﹁コリスコス﹂の属性が﹁教養的なもの﹂ ︶、 ﹁教養的なもの﹂と﹁公正的 な も の ﹂ が 一 つ で あ る と 言 わ れ る 場 合︵ こ の 二 つ が 実 体﹁ コ リ ス コ ス ﹂ に 付 帯 す る 属 性 ︶、 ﹁ 教 養 的 な コ リ ス コ ス ﹂﹁ 公 正 的 な コ リ ス コ ス が 一 つ で あ る 場 合︵ ﹁ 教 養 性 ﹂ と﹁ 公 正 性 ﹂ が﹁ コ リ ス コ ス ﹂ に 付 帯 す る 属 性 ︶ で あ る。 同 様 に、 個 体﹁ コ リ ス コ ス ﹂ を 包 摂 す る﹁ 類 ﹂ と し て、 ﹁ コ リ ス コ ス ﹂ に 内 在 す る﹁ 人 間 ﹂ は﹁ 教 養 あ る 人 間 ﹂ と 同 じ で あ る と い うことなる。 ︵二︶の自体性は、たとえば︵1︶連続的なもの︵紐による 束 、 膠 による木片、一本の線、人間の手足︶などがそれ 自体において一つと言われるものである。この場合、自然的なものが人工的なものよりいっそう優れて一つである。ま た、 連 続 的 で あ る の は、 運 動 が 一 つ き り で あ る こ と、 時 間 的 に 不 可 分 割 的 で あ る こ と で あ る。 ︵ 2︶ ま た、 基 体 が 種 に お い て 無 差 別 の 場 合 も﹁ 一 ﹂ で あ る。 酒、 水 が そ う で あ り︵ こ れ は そ の も の に 最 も 近 い 質 料 に お い て 区 別 さ れ な い ︶、 油、 酒、 液 体︵ こ れ は そ の も の に 最 も 遠 い 基 体 が 同 一 で あ る
︱
水 で あ る か 空 気 で あ る か で あ る ︶ も そ う で あ る。 一 方、種が異なっていても同じ類に属するものも﹁一﹂である。たとえば、馬、人間、犬は同じ動物である。等脚︵二等 辺︶三角形と等辺︵正︶三角形も﹁一﹂である︵三角形としては同一ではないが、図形としては同一である︶ 。︵3︶あ る物事の本質を言い表わす説明方式が、他の物事の本質を言い表わす場合と区別できない場合、 ﹁一﹂である。 ﹁そして 一般に、それらの物事の本質を思惟する思惟が分割されえないものであって時間的にも場所的にも説明方式においても 切 り 離 さ れ え な い よ う な 物 事 は、 最 も 主 と し て 一 で あ る ﹂。 連 続 的 な も の で あ っ て も、 全 体 的 な も の、 一 つ の 形 相 ︵ 形 相の統一性︶をもたない場合は一つであるといわない︵靴の諸部分が勝手に寄せ集められている場合︶ 。 で は、 ︵ 三 ︶ 一 つ で あ る こ と の 本 質 は、 数 の あ る 意 味 で の 始 ま り で あ る。 そ れ ぞ れ の 単 位 で あ る﹁ 一 ﹂ は 不 可 分 割 的な も の で あ る が、 ︵ a ︶ い ず れ の 方 向 に お い て も 不 可 分 割 的 で 位 置 を も 有 し な い も の は﹁ モ ナ ス ﹂︵ 数 の 単 位 と し て の 一 ︶、 ︵ b ︶︵ a ︶ の う ち 位 置 を 有 し な い も の は 点、 ︵ c ︶ た だ 一 つ の 点 で 可 分 割 的 な も の は 線、 ︵ d ︶ 二 つ の 方 向 で 可 分 割 的 な も の は 面、 ︵ e ︶ す べ て の 方 向 に お い て 可 分 割 的 な も の は 物 体 ︵ 立 体 ︶ と 言 わ れ る。 ま た、 数 に お い て 一 つ、 種 に お い て 一 つ、 類 に お い て 一 つ、 類 比 に お い て 一 つ の 場 合 が あ る。 こ の 場 合、 前 の も の に は 常 に 後 の も の が 伴 な うが、この関係は不可逆的である。 ﹁ 多 ﹂は﹁ 一 ﹂の諸義と対立的である。 ジョルダーノ・ブルーノの﹃原因、原理、一者について﹄の﹁一者﹂はブルーノの汎神論的な部分の思考と言ってよ い。 ﹃原因、原理、一者について﹄の﹁第五対話﹂から、抜粋しておこう︵加藤守通 訳、 ﹃ ` ジョルダーノ・ブルーノ著作 集﹄3、東信堂︶ 。 テ オ フ ィ ロ そ れ ゆ え に、 宇 宙 は 一 で あ り、 無 限 で あ り、 不 動 で す。 絶 対 的 な 可 能 性 は 一 で あ り、 現 実 態 は 一 で す。形相ないし魂は一であり、質料ないし物体は一です。ものは一です。存在者は一です。最大にして最善のもの は一です。 このものは、包含されることができないので、終りや限界を定めることができないのです。 それゆえに、 無 限 で 無 限 定 で す。 そ し て、 そ の 結 果、 不 動 で す。 こ の も の は、 場 所 を 移 動 す る こ と が あ り ま せ ん。 な ぜ な ら ば、 そ れ は す べ て で あ る 以 上、 移 動 す る 場 所 を 自 ら の そ と に も た な い の で す か ら。 そ れ は 生 成 す る こ と は あ り ま せ ん。 なぜならば、それはすべての存在をもつ以上、それが望んだり期待したりすることができるような別の存在はない からです。それは消滅しません。なぜならば、それはあらゆるものである以上、それがそこへと変化するような別 のものはないからです。それは減少したり増大したりしません。なぜならば、それは無限であり、無限は比較可能 な部分をもたないので、それに何も付け加えたり、それから取りのぞいたりすることができないのですから。それ は別の状態に変化することができません。なぜならば、それは、外部をもたないので、受身になったり作用される
ことがないからです。さらに、それはその存在、一性、そして一致のなかにすべての対立を内包し、別の新しい存 在、あるいは別の存在の様態へのいかなる傾向ももたないがゆえに、いかなる性質についても変遷することがあり えず、それを変化させるような正反対なものや異なったものをもつことができません。なぜならば、そのなかでは あらゆるものが一致するのですから。 それは、形をもっておらず、形をもちうるものでもなく、限定されておらず、 限定されうるものでもないので、質料ではありません。それは、他のものに形や姿を与えることがないので、形相 ではありません。それはすべてであり、最大のものであり、一であり、宇宙なのですから。 次は新プラトン学派のプロテイノスの考えである。一者の超越性に説き及ぶ。 魂 は 一 者 に 至 る た め に さ ら に 自 己︵ 思 惟 と 存 在 ︶ を 超 え る。 こ の 自 己 超 越 は﹁ 脱 自 ﹂︵ エ ク ス タ シ ス ︶、 ﹁ 単 一 化 ﹂ ︵ハプローシス︶ 、﹁脱我﹂ ︵エピドシス・アウトゥー︶などの語で表される。これらはプラトンにはなかった用語で あ る。 そ れ に よ っ て 魂 は 一 者 と の﹁ 合 一 ﹂︵ ヘ ノ ー シ ス ︶ を 達 成 す る。 そ の 場 合、 自 己 の う ち に は 自 己 に 対 し て も 他者に対してもいかなる差異性も含まない一性が実現されている。そこでは、もはや自己は﹁まるで自己自身でさ えもない﹂ 。すでに思惟と存在のかなたに達している彼には、いかなる言葉も認識も存在していない︵ ﹃エネアデス﹄ VI9.11 ︶。 し た が っ て、 一 者 に つ い て 積 極 的 に 表 す 言 表 も 想 念 も す べ て 消 去 さ れ な け れ ば な ら な い。 た し か に、 わ れ わ れ は 一 者 に つ い て そ れ が 何 で あ る か を 語 る こ と は で き な い が、 し か し そ れ が 何 で な い か を 語 る こ と は で き る。 一者に付加された概念や言葉を否定し除去︵アパイレシス︶する仕方で、われわれは一者について語りうる。これ は、 言 い 表 せ な い も の に つ い て 言 い 表 す﹁ 否 定 の 道 ﹂︵ via negativa ︶ で あ る。 一 者 に つ い て の 概 念 や 言 葉 の 除 去 と否定が超越の方法となる。かくて一者は﹁無﹂ ︵ト・メーデン︶ 、﹁いかなるものでもないもの﹂ ︵メーデン・パン ト ー ン、 ウ ー デ ン・ パ ン ト ー ン ︶、 ﹁ い か な る も の と も 異 な る も の ﹂︵ ヘ ロ テ ー ン・ パ ン ト ー ン ︶ な ど と 否 定 的 に 示 さ れ る。 ︵ 今 義 博﹁ 超 越 と 認 識 ︱ 古 代 か ら 中 世 へ ー﹂ ﹃ 中 世 哲 学 を 学 ぶ 人 の た め に ﹄ 所 収。 世 界 思 想 社、 二 〇 〇 五
年︶ シェリングは﹁自我﹂について述べる。 自 我 は 端 的 に 一 者 性 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵ Einheit ︶ で あ る 0 0 0 。 と い う の は、 も し 自 我 が 数 多 性︵ Vielheit ︶ で あ る と す れ ば、 そ れ は も は や自らの単なる存在によってではなく、自らの諸部分の現実によって存在することになるだろうからである。そう なれば、自我は、自己自身によって、つまり自己の単なる存在によってのみ制約されているのではないことになろ う︵ す な わ ち、 自 我 は 全 く 存 在 し な い こ と に な ろ う ︶。 む し ろ、 自 我 は、 数 多 性 の す べ て の 個 々 の 部 分 に よ っ て 制 約されていることになろう。 なぜならば、それらの部分のひとつでも廃棄されるならば、まさにそのことによって、 自 我 そ の も の が、 ︵ 自 ら の 完 全 な 形 と し て は ︶ 廃 棄 さ れ て し ま っ た こ と に な る で あ ろ う か ら。 け れ ど も、 こ の こ と は、 自 我 の 自 由 の 概 念 に 矛 盾 す る。 よ っ て︵ 第 八 節 ︶、 自 我 は い か な る 数 多 性 を も 含 む こ と は で き な い し、 端 的 に 一者性でなければならないし︱端的に自我以外の何物であってもならない。 無制約性が、自由によって規定されて存在しているところ、そこに自我が存在する。 自我は 0 0 0 、 従って 0 0 0 、 端的にひ 0 0 0 0 と つ 0 0 ︵ Eines ︶ で あ る 0 0 0 。︵ シ ェ リ ン グ﹁ 哲 学 の 原 理 と し て の 自 我 に つ い て ﹂ 第 九 節。 高 月 義 照 訳、 ﹃ シ ェ リ ン グ 初 期 著作集﹄日清堂書店、昭和五十二年︶ ラ イ プ ニ ッ ツ は﹁ い か な る 意 味 で 中 国 人 は 万 物 が 一 で あ る と い っ た の か ﹂ と い う 問 い を 設 け、 以 下 の よ う に 書 い て い る。 ロンゴバルディ神父は中国人の間での公理﹁万物は一である﹂を大いに利用します。彼は自著の七章でこの公理に ついて論じています。その後もしばしばそれに言及しています。ド・サント・マリ神父もこの公理について述べて います。しかし、ド・サント・マリ神父が報告している章句には物質的存在以上のなにものかが存在することを明 言 し て い る 箇 所 が 見 出 せ ま す。 ﹃ 性 理 大 全 ﹄ 二 六 巻 八 頁 に は、 万 物 を 支 配 し 生 み 出 す 力 は 万 物 の 性 質 に 内 在 し た り
依 存 し た り せ ず に、 も っ ぱ ら 万 物 に 君 臨 し、 万 物 を 支 配 し 生 み 出 す 理 の 中 に の み 備 わ っ て い る と 書 か れ て い ま す。 パルメニデスとメリッソスも同様の表現で語っています。ただし両人に対して与えているアリストテレスの解釈と パ ル メ ニ デ ス に 与 え て い る プ ラ ト ン の 解 釈 の 間 に は 違 い が あ り ま す。 ス ピ ノ ザ は 万 物 を た だ 一 つ の 実 体 に 還 元 し、 万物はそうした実体の様態にすぎないといっております。中国人自身が事態をどう理解しているかを説明すること は容易ではありません。しかし彼らのいっていることに合理的な解釈を加えることは不可能ではありません。万物 のもつ受動的な側面はすべて同一の第一質料から構成されます。そしてこの第一質料は運動形態の違いにもとづい てのみ差異を生じます。しかし万物は能動的な側面をももちます。そして万物がエンテレキー、精神、魂といった 能動的なものを保有するのは、理つまり、単一の創造的精神である神を分有することによってのみ可能であり、万 物はこの理によって完全なものに仕立て上げられるのです。そして物質自体はこの単一の第一原因から生み出され たものにすぎません。このようにして万物は中心にある一点から発出するのです。しかしこのことから、万物が遇 有性によってのみ相互に区別されるということを導き出すことはできません。それはエピクロス派をはじめとする 唯物論者の考え方であり、彼らは物質と形と運動しか認めないのであり、こうした態度は非物質的実体つまりエン テレキー、精神の否認につながるのです。 ︵ライプニッツ﹃中国自然神学論﹄山下正男訳、 ﹃ライプニッツ著作集﹄一期第十巻、工作舎、一九九一年︶ 三 浦 梅 園 に も ど れ ば、 彼 の﹁ 一 ﹂ は﹁ 一 元 気 ﹂ で あ る。 強 力 な﹁ 気 一 元 論 ﹂ の 主 張 で あ る。 ﹁ 一 は 計 数 を 必 要 と し な い 存在である。だから、それを分析して、もはや分割できないところまできても、なお一はなくならない。それを加算し て、 も は や 積 算 で き な い と こ ろ ま で き て も、 な お 一 に は 達 し な い。 だ か ら、 し い て 一 元 気 と 名 づ け る。 ﹂︵ ﹃ 玄 語 ﹄ 安 永 本附言。 ﹁日本の名著﹃三浦梅園﹄ ﹂所収。 ︶ こ こ で 改 め て 前 節 で 引 い た﹁ 各 人 心 宮 内 の 秘 宮 ﹂ の 言 葉、 キ リ ス ト 教 の﹁ 心 ﹂ に つ い て、 ﹁ 唯 だ 夫 れ 老 荘 の、 心 を 以
て太虚となし、この太虚こそ真理の形象なりと認むる如き、又は陽明派の良知良能、禅僧の心は宇宙の至粋にして心と 真理と 殆 一躰視するが如きは、基督教の心を備へたる後に真理を迎ふものと同一視すべから﹂ざるものであるという 考えを思い起こしてみよう。透谷は﹁心機﹂に魅かれたがゆえに、心機が発動する個と現実との一回かぎりの接点を視 野に入れている西欧的な﹁一﹂に親近感をもったのだと推定する。
五
心機から心理へ
透谷の心機には情熱があった。心機は不可知で、一瞬発光するだけという感じ方があったからである。しかし、芥川 龍之介の﹃袈裟と盛遠﹄になると、深秘の要素は微塵もない。深秘への畏敬の代わりにあるのは、盛遠と袈裟の独白を 通した心理の謎解きである。そこにリアリティがあるとすれば、袈裟と盛遠の行為に近接して見たら、こうでもあろう か と い う、 位 置 の 取 り 方 か ら く る も の に す ぎ な い。 近 接 し て 心 理 を 解 剖 す れ ば 卑 小 な も の に な る の は 理 の 当 然 で あ る が、 ﹃ 袈 裟 と 盛 遠 ﹄ に は そ の 卑 小 を 超 え て い こ う と い う き ざ し が 見 え な い。 心 理 を 謎 と し て 設 定 し、 そ れ を 解 剖 し て い っても、決して彼らの心は動かない。袈裟と盛遠の行為は、常に心理の謎解きに先行する。謎解きは決して彼らの行為 を 揺 る が さ な い。 揺 る が し た と 見 え る と す れ ば、 袈 裟 と 盛 遠 が 私 た ち の 隣 人 に な っ た 心 や す さ で そ う 思 う に す ぎ な い。 心理の謎解きなどで、袈裟と盛遠は動かない。彼らの行為自体に彼らの現実があるからだ。しかし、それも近代の心機 の一つの現れなのだ。したがって、袈裟と盛遠の行為について、誇大な深秘を見るのも卑小な心理を見るのも、人事の 理解に心機をもちこんだ結果であると言わなければならない。前代では天機を見たところに心機をおいた以上、そうな らざるを得ない。 さ ら に 付 け 加 え れ ば、 吉 増 剛 造 の 詩﹁ わ が 心 宮 の 奥 に は 一 軒 の 古 び た 写 真 館 が ⋮﹂ で は、 ﹁ 心 宮 内 の 秘 宮 ﹂ も ま た すで に 役 割 を 終 え て、 次 の よ う な 記 憶 の 中 の 光 景 の 場 に す ぎ な く な っ て し ま っ た。 ﹁ わ が 心 宮 の 奥 に は 一 軒 の 古 び た 写 真 館がある﹂がくり返され、光景が展開する。冒頭を抜粋しておこう。 わが心宮の奥には一軒の古びた写真館がある。ヌード写真や幼児の連続写真がウィンドーに飾られている。記憶の なかの風景のようにみえるのだが、じつはそれはわたしの属している世界の一状景なのだ。写真館はモルタル造り で終戦後しばらくして建てられたもののようだ。二階には物干のかげに鳥かごが二つ三つ置かれている。間口のせ ま い 写 真 館 で あ る。 七、 八 年 ほ ど ま え に は ま だ 奥 に 暗 室 が あ っ た の だ が、 い つ し か そ の 不 思 議 な 闇 の 実 在 感 も 店 先 から消えた。わたしは小粒の真珠を失ったような気がする。 ︵﹃太陽の川﹄所収、小沢書店、昭和 53年︶ 以下本稿の趣旨をまとめておこう。透谷の江戸時代観は次のようなものであった。 徳川氏の時代にあつて、最も人間の生命に近かりしものは 儒教道徳 0 0 0 0 なりしこと、何人も之を疑はざるべし。然れど も儒教道徳は実際的道徳にして、未だ以て全く人間の生命を教へ尽したるものとは言ふべからず。繁雑なる礼法を 設 け、 種 々 な る 儀 式 を 備 ふ る も、 到 底 Formality に 陥 る を 免 か れ ざ り し な り、 到 底 貴 族 的 に 流 る ゝ を 免 か れ ざ り し なり、之を要するに其の教ふる処が、人間の根本の生命の絃に触れざりければなり。其時代に於ける所謂美文学な る も の を 観 察 す る に 至 り て は、 吾 人 更 に 其 の 甚 し き を 見 る、 人 間 の 生 命 の 根 本 を 愚 奔 す る こ と 彼 等 の 如 く な る は、 吾人の常に痛惜する処なり。 ︵﹁内部生命論﹂ ︶ 透谷の﹁心機﹂への傾斜の遠因にこのような認識があったことは想定していいことだろう。あるいは逆に﹁心機﹂への 傾斜がこのような認識ともたらしたと言ってもいい。 しかし、沢庵の場合でもわかるように、江戸時代においても﹁心機﹂がなかったわけではない。 ただ、それは﹁天機﹂ が 浸 透 し た も の だ っ た。 両 者 は 通 交 し 合 う も の だ っ た。 透 谷 の﹁ 心 機 ﹂ も﹁ 天 機 ﹂ を 含 ん で い た。 で は、 江 戸 時 代 の
﹁心機﹂と透谷の﹁心機﹂の違いはどこにあるのか。江戸時代の﹁心﹂が個体を超えてはたらくものであったのに対し、 透谷の﹁心﹂は、個体に封じこめられた。透谷の煩悶と苦闘は、もともと天にあったものを個体の内部に取り込んだと こ ろ に 生 じ た︵ キ リ ス ト 教 の 受 容 と 重 な る ︶。 言 い か え れ ば、 透 谷 の﹁ 心 機 ﹂ は 江 戸 時 代 の よ う に﹁ 天 機 ﹂ に 依 存 で き なかった。 それにも拘わらず、透谷は﹁天機﹂を﹁心機﹂におしこめようとした。 これはきわめて困難な行為であった。 山田有策﹁秘宮は日本近代にありうるか︱透谷と口語散文﹂は透谷の秘宮は詩︵ ﹁蓬莱曲﹂ ︶によってしか描出されなか ったことを指摘し、日本近代文学と透谷との深い離配、亀裂を指摘している︵ ﹃幻想の近代︱逍遥 ・美妙 ・柳浪﹄所収︶ 。 このことは以後の﹁心機﹂の流れを見てもわかる。 ﹁ 天 ﹂ を 顧 慮 す る こ と な く、 個 体 の 内 部 に 取 り 込 ま れ て 居 す わ っ た﹁ 心 機 ﹂ は、 人 が 支 配 し、 操 作 し、 探 索 で き る も の に な っ た。 世 界 の﹁ 一 ﹂ と し て、 透 谷 に 横 溢 し て い た 生 命 が﹁ 心 機 ﹂ か ら 離 脱 し て い き、 ﹁ 心 機 ﹂ は た だ の﹁ 心 理 ﹂ に 収 束 し た。 芥 川 龍 之 介 の﹃ 袈 裟 と 盛 遠 ﹄ を 考 え て み れ ば よ い。 そ の 変 化 は さ ら に、 ﹁ 心 ﹂ を 個 体 の 内 部 か ら も 切 り 離 していく。 ﹁心機﹂は、まさしく﹁意匠﹂として意味を持つようになった。吉増剛造の詩がそのことを示している。