【大会参加記】
2019 年マカエンセ・コミュニティ世界大会
(澳門土生葡人社群聚會)参加報告
内藤
理佳
はじめに
マカエンセ1(澳門土生葡人)とは、16 世紀半ばにマカオ(澳門)に定住を開始し、以後 約 450 年にわたって事実上の植民地支配を行ったポルトガル人と、マカオならびに近隣諸 国出身者との間に生まれた「マカオ生まれのポルトガル人子孫」とその後裔を指す。人口の 9割以上を漢人が占めるマカオ社会の中で、常にエスニック・マイノリティであり続けてき たマカエンセは、ポルトガルとの強い紐帯を基盤としたエスニシティのもとに集結しコミ ュニティを存続させてきた。しかし20 世紀以降、中国、ポルトガルにおける社会変動や中 国返還に影響されて多数のマカエンセがディアスポラとして海外に移住し、現在ではマカ オ域内よりも海外在住者が多数派を占め、若い世代へのマカエンセとしてのエスニシティ の継承は必ずしも順調には行われていない。マカオに目を向けても、返還を機に急激に中国 化・中国人化する社会のもとで、マカエンセ・コミュニティはかつての集結力を失いつつあ る。 コミュニティの衰退と消滅の危機を迎えていると言っても過言ではない状況下、2001 年 に世界のマカエンセ・コミュニティの紐帯を強める目的のもと、第1回マカエンセ・コミュ ニティ世界大会が開催され、以後3年に一度、マカオを会場として定期的に大会が行われて いる。基本的にマカエンセとその関係者のみを対象とする大会であるが、筆者はマカエンセ 研究者として2016 年に初めて大会参加を許可され、3年後の今回(2019 年)、常任理事会 以外の大会プログラムに参加することができた。本稿はマカエンセのディアスポラの歴史 とその結果生まれた世界のマカエンセ・コミュニティについて言及したのち、参与観察に基 づいた2019 年マカエンセ・コミュニティ大会の概要報告を目的とする。Ⅰ 世界のマカエンセ・コミュニティ
現在、マカオ以外の6か国1地域(カナダ、アメリカ合衆国、ブラジル、オーストラリア、ポルトガル、イギリス、中国特別行政区香港)13 か所に、現地在住マカエンセ・コミュニ ティの協会があり、その名称には「マカオの家」を意味するポルトガル語の「カーザ・デ・ マカオ」のほか、「クラブ・ルジターノ」2、「マカオ・クラブ」「マカオ・カルチュラル・ アソシエーション」「マカオ・ハウス」などがある(【表1】参照)。正式名称を英語にし ている組織が3か所、ポルトガル語が7か所、英語とポルトガル語の混合が3 か所である。 【表1】 世界各地のマカエンセ・コミュニティ協会 正式名称 都市名(国名) 会員人数 (2017 年) 設立年 カーザ・デ・マカオ・トロント Casa de Macau Toronto
トロント
(カナダ) 221 1995
マカオ・クラブ・トロント Macao Club (Toronto) Inc.
トロント
(カナダ) 350 1993
カーザ・デ・マカオ・クラブ(バンクーバー) Casa de Macau Club (Vancouver)
バンクーバー
(カナダ) 150 1995
マカオ・カルチュラル・アソシエーション・オブ・ ウエスタン・カナダ
Macau Cultural Association of Western Canada
バンクーバー
(カナダ) 115 1989
カーザ・デ・マカオ(USA)
Casa de Macau USA Inc.
サンフランシスコ
(アメリカ) 257 1995
ルジターノ・クラブ・オブ・カリフォルニア Lusitano Club of California
サンフランシスコ
(アメリカ) 850 1984
ウニアン・マカエンセ・アメリカーナ(UMA)
União Macaense Americana, Inc.(UMA, Inc.)
サンフランシスコ
(アメリカ) 550 1959
カーザ・デ・マカオ・エン・サンパウロ Casa de Macau em São Paulo
サンパウロ
(ブラジル) 179 1989
カーザ・デ・マカオ・リオデジャネイロ Casa de Macau Rio de Janeiro
リオデジャネイロ
(ブラジル) 100 1991
カーザ・デ・マカオ・オーストラリア Casa de Macau Inc. Australia
シドニー
(オーストラリア) 450 1990 年代前半
カーザ・デ・マカオ・デ・ポルトガル Casa de Macau de Portugal
リスボン (ポルトガル) 400 1967 UK マカオ・ハウス UK Macau House ノーザンプトン (イギリス) 70 2015 クラブ・ルジターノ Club Lustiano 香港 (中国特別行政区) 500 1866 この表から、英語圏ではカナダ・アメリカ・オーストラリア、広東語圏では香港、ポルト ガル語圏ではポルトガル、ブラジルがマカオの歴史の中でマカエンセが移民先として選ん
だ国と地域であったことがわかる。なお、イギリスは近年、マカオで英語教育を受けて育っ た若者層が大学や大学院の進学先として選択するケースが増加している。 マカエンセの海外移民の歴史は大きく4期に分かれる。第1期は1840 年代前半から 1940 年代前半、香港と上海への移民である。18 世紀後半、ヨーロッパ諸国は広東貿易の前線基 地としてマカオを利用していたが、1840~42 年のアヘン戦争の結果、英清間に締結された 南京条約によって香港島がイギリスに割譲されたことにともない、広東貿易の拠点はマカ オよりも良港である香港へと移動した。その結果、かつてマカオに拠点を置いていたヨーロ ッパ系企業に勤務していた多くのマカエンセが仕事を求めて香港へと渡った。いっぽう、香 港と同じく南京条約によって開港し、1840 年代末に国際都市として急激に発展した上海に も多数のマカエンセが移民した。 第2期は香港・上海に移民したマカエンセ・ファミリーの二世以降の世代が戦後、さらに 別地域へと移民していく時期にあたる。1945 年、国民党政権の上海接収により租界が終焉 を迎えると、家財を失い身一つで上海を追われたマカエンセたちは、若い世代であるほどポ ルトガル語よりも英語が堪能な者が多かったため、大多数がマカオや香港を経由して英語 圏のアメリカやカナダを移民先として選んだ。いっぽう、香港でも1956 年、中華民国の記 念日を祝う青天白日旗の撤去をめぐる暴動(雙十暴動)の勃発により、共産党の影響が強く なることを恐れた多数のマカエンセがディアスポラの道を選び、1950 年代後半にアメリカ へと移住する波が起こった。 第3期は1960 年代~1970 年代、ポルトガル、ブラジル、オーストラリア、カナダ、ア メリカへの移民である。マカオでは1966 年 12 月、中国文化大革命の影響を受け、中国人 住民が組織した反ポルトガル闘争のデモ隊が暴徒化し、死者・負傷者 200 名以上が出る事 件(1・2・3事件もしくはマカオ事件)が起こり、ポルトガル・マカオ当局は澳門中華総 商会と中国共産党広東省委員会の力を借りてようやく事態を収拾することができた。この 事件をきっかけに、将来の生活を憂慮したマカエンセの中から、ポルトガル国籍者として移 民手続きが簡便に済むポルトガルとブラジル、そして当時移民を広く受け入れていた英語 圏の国々へと向かう波が起こった。 第4期は1987 年の中葡共同声明発表により 12 年後の中国返還が公表された時期以降、 1999 年の中国返還直前までの時期である。同声明では、返還後、一国二制度の方針が 50 年 間維持されることが公表されたが、強力な共産主義国家である中国に吸収されることは、当 時本国出身ポルトガル人に次ぐ準支配階級として恩恵を被ってきたマカエンセの不安をあ おり、返還前に早期退職をし、全財産を抱えて海外移住するマカエンセが続出した。 この結果、現在、マカオ在住のマカエンセの数は1万人前後であるのに対し、ディアスポ ラのマカエンセは数万人と、後者が多数派となっている3。従来のマカエンセの必要条件は 「マカオ生まれのポルトガル人子孫」であったが、当然の流れとして移民2世以降の世代に はそれに当てはまる者がほとんどいなくなっており、返還後のマカオにおいてもポルトガ ル色が薄れるとともに中国化が進み、結婚相手にポルトガル人ではなくマカオや香港出身 の中国人を選ぶ若い世代が多くなっている。こうして、21 世紀のマカエンセ・コミュニテ ィはそのエスニシティの大きな変容を迫られている。
Ⅱ マカエンセ・コミュニティ世界大会の歴史
中国返還を6年後に控えた1993 年 11 月、マカオ最後の総督ロッシャ・ヴィエイラをト ップとするポルトガル・マカオ政府と、マカオのカジノ王スタンレー・ホーが所有するマカ オ旅游娯楽有限公司(STDM 社)の出資によって設立されたオリエント財団の主催により、 初回のマカエンセ・コミュニティ世界大会(Encontro das Comunidades Macaenses)が開 催され、マカオ内外から600 名以上の参加者がマカオに集結し、ポルトガル大統領夫人が 主賓として招かれた。これ以降、世界大会の正式名称に使用されている、「出会い、会合」 を意味するポルトガル語の「エンコントロ」(Encontro)が、マカエンセ・コミュニティ世 界大会の通称名として使用されるようになった。一週間の大会期間中にはマカエンセのデ ィアスポラに関する講演会やセミナー、演劇公演、カトリック教会におけるミサ、ディナー パーティなどが行われた。一般参加者は旧友たちとの再会を楽しみ、また在澳マカエンセ関 連協会ならびに海外のマカエンセ・コミュニティ協会のトップによる非公開の会議が行わ れ、コミュニティの存続と未来に関する諸問題が討議された。返還前、同世界大会は1996 年10 月および 1999 年 3 月にもほぼ同様の形で開催され 4、これをもって「ポルトガル領 マカオ」におけるマカエンセ・コミュニティ世界大会が終了した。 中国返還2周年直前の2001 年 11 月、中華人民共和国マカオ特別行政区政府主導の下、 マカエンセ関連団体の中で最も古い歴史を持つ澳門土生教育協會(APIM – Associação Promotora da Instrução dos Macaenses)5が中心となって「マカオ2001 新千年紀マカエ
ンセ・コミュニティ世界大会」(“千禧年 2001”澳門土生葡人社群聚會、Encontro das Comunidades Macaenses do Novo Milénio “Macau 2001”)がマカオで開催され、「マカオ -我々の土地、我々の街、我々の文化」をテーマとし、マカオ内外から約 400 名が参加し た。開会式にはポルトガル大統領夫人、在外ポルトガル人共同体担当大臣、何厚鏵(エドム ンド・ホー)初代マカオ行政長官らが主賓として招かれた。1週間の会期中には昼食会、夕 食会、討論会、講演会、市内観光、書籍出版、レセプションなどの行事が開催され、世界の マカエンセ・コミュニティ団体を基盤としたディアスポラのコミュニティとマカオ在住マ カエンセ・コミュニティの「絆」を深める必要性が確認された。 それ以降、マカエンセ・コミュニティ世界大会は3 年ごと(2004 年、2007 年、2010 年、 2013 年、2016 年、2019 年)に、11 月下旬から約1週間にわたってマカオ市内で開催され ている。また、これとは別に、若い世代のマカエンセを対象としたマカエンセ・コミュニテ ィ青少年世界大会(澳門土生葡人青少年聚會、Encontro da Comunidade Juvenil Macaense) が2009 年から3年ごと(2012 年、2015 年、2018 年)にマカオで開催されている。マカ エンセ世界大会の定期的開催を機に、2004 年、世界のマカエンセ・コミュニティ間の交流 と文化継承活動を支援することを目標に、澳門土生教育協會ならびに在澳マカエンセ関連 団体、海外のマカエンセ・コミュニティ協会の代表者から構成された澳門土生國際聯誼會 (Conselho das Comunidades Macaenses)が設立され、2004 年以降のマカエンセ世界大 会や講演会・文化交流会、各マカエンセ・コミュニティ協会を紹介するホームページも開設 されている6。
Ⅲ
2019 年マカエンセ・コミュニティ世界大会
マカオ中国返還20 周年となる 2019 年、返還記念日直前の 11 月 23 日から 29 日にかけ て、返還後第7 回目となるマカエンセ・コミュニティ世界大会が開催された。本大会の特徴 として、2017 年にマカオがユネスコ食文化創造都市(City of Gastronomy)に登録された ことを受け、マカエンセの伝統家庭料理(マカエンセ料理)7にフォーカスを置き、マカエ ンセ料理に関する講演会やマカエンセ・コミュニティ協会対抗の料理コンクールが開催さ れた。また、2019 年 2 月に中国が発表した、広東省・香港・マカオの3地域 11 都市を統合 し世界のベイエリアとして発展させることを目標とした「グレーターベイエリア(粵港澳大 湾区)構想」8の中でマカオが担う重要な役割が大会全体を通じて強調された。 本大会の参加者は総計1,310 人、うち海外からの参加者 971 人、マカオからの参加者 339 名であった(【表2】参照)。「その他」はいずれのマカエンセ関連団体にも属さない形で個 人参加した人数である(澳門土生國際聯誼會の招待で参加した内藤もここに含まれる)。 【表2】 2019 年マカエンセ世界大会参加者内訳 国・地域名 団体名 参加者人数 アメリカ (計458) ルジターノ・クラブ・オブ・カリフォルニア 240 カーザ・デ・マカオ USA 186 UMA - ウニアン・マカエンセ・アメリカーナ 32 カナダ(計250) マカオ・クラブ(トロント) 108 カーザ・デ・マカオ(トロント) 66 マカオ・カルチュラル・アソシエーション・オブ・ウエスタ ン・カナダ(バンクーバー) 50 カーザ・デ・マカオ・クラブ(バンクーバー) 26 オーストラリア カーザ・デ・マカオ・オーストラリア(シドニー) 100 ポルトガル カーザ・デ・マカオ(リスボン) 81 ブラジル(計31) カーザ・デ・マカオ(サンパウロ) 27 カーザ・デ・マカオ(リオデジャネイロ) 4 香港 クラブ・ルジターノ(香港) 23 イギリス UK マカオ・ハウス(ノーザンプトン) 11 マカオ 339 その他 17 合計 1,310 参加者全員に配布された本大会の冊子には、準備委員会にはマルケス澳門土生國際聯誼 會会長を筆頭として7名の副会長、2名の事務局(全員がマカエンセ)が記載され、名誉委 員として、崔世安マカオ特別行政区行政長官、前行政長官の何厚鏵中国人民政治協商会議常務委員会副主席、張榮順マカオ特別行政区連絡弁公室副主任、譚俊榮マカオ特別行政区社会 文化司司長、アルヴェス駐マカオポルトガル領事、李マカオ司教、蘇樹輝・澳門博彩控股有 限公司(英語名SJM ホールディング社)9副会長、アルヴェス澳門土生國際聯誼會理事会会 長、呉志良マカオ基金会会長、アルヴァレス大西洋銀行会長が名を連ねる。 事前の発表によると、今回の世界大会の開催にあたり、500~600 万パタカ(約 7,000~ 8,400 万円)の協賛金がマカオ基金会、澳門博彩控股有限公司、大西洋銀行から提供された。 初日となる11 月 23 日は、18 時からマカオ市内のポルトガル語幼稚園ジョゼ・デ・コス タ・ヌーネス幼稚園でビュッフェ形式によるマカエンセ料理のウェルカム・パーティが催さ れた。海外からのほとんどの参加者は長距離のフライトを経てマカオに到着するため、実質 的な大会スケジュールは翌日からのスタートとなった。 2日目の11 月 24 日にはマカオ科学博物館に於いて、午前中は澳門國際研究所 10主催に よる講演会が開催された。まず香港から、ローザ香港歴史博物館名誉顧問の代理として黄秀 蘭同館長が登壇し、香港在住マカエンセの歴史に関する今後の展示プロジェクトが示され た。次に、マカオのポルトガル語系クレオール語(パトゥア語)11の研究者であるラレイラ による同言語のインターネットやマルチメディアを通じた継承活動について発表が行われ た。続いてマルケス澳門土生國際聯誼會会長、ヴァレンテ澳門土生葡人青年協會(マカエン セ青少年協会)会長、モンテイロ澳門国際研究所所員による「グレーターベイエリア・現在 と未来」と題する発表が行われ、進行中の同エリア構想のもとで、マカオが中国とポルトガ ル諸国間のプラットフォームとしての役割を果たし、中国語(広東語)・ポルトガル語・英 語のバイリンガルもしくはトリリンガルであるマカエンセが教育・ビジネス・文化事業・観 光などの場面で活躍することが望まれる、といった前向きな見解が出された。 講演会に続いて、毎年、澳門國際研究所からとくに活躍したマカエンセ(個人および団体) に贈られる「マカオ・アイデンティティ賞」が、マカオ内外で活動を行っているグラフィッ ク・デザイナーのマレイロス兄弟に贈られ、最後に近年出版されたマカエンセ関連の書籍が 紹介された。 午後には同じ会場で、マルケス澳門土生國際聯誼會会長がモデレーターを務め、ポルトガ ルおよびイギリス在住の3名のマカエンセ料理研究者による講演が行われた。まず、イギリ ス人ジャーナリストのジャクソンにより「マカエンセ料理が受けた文化的影響」に関する発 表が行われ、続いてポルトガル在住のマカエンセの研究者ロドリゲスが、マカエンセ料理の ひとつであるミンチー(Minchi)という挽肉料理の起源が日本の肉じゃがに由来し、16 世 紀半ばに日本から追放されたキリシタンによってマカオにもたらされたという新説を唱え、 最後にマカエンセの研究者フェレイラがカルチャー・ツーリズムとマカエンセ料理の関連 性について述べた。 この日の夜には、巨大な IR(統合型リゾート)が立ち並ぶコタイ地区に立つ5つ星ホテ ル、シェラトングランドホテルの大宴会場を貸し切って、本大会のオープニングパーティが 華々しく開催され、マカオ内外からの参加者と招待者を含め約1,400 名が集結した。 最初に行われたセレモニーでは、2009 年から2期 10 年間の任期終了直前となった崔世 安行政長官ならびに何厚鏵前行政長官(在任期間1999-2009 年)が壇上に並べられた主賓 用の椅子の中心に座し、その周りを大会準備組織委員会ならびに世界各地のマカエンセ・コ ミュニティ協会代表者が取り囲む形で、2019 年マカエンセ・コミュニティ世界大会のスタ
ートがアナウンスされた。前回(2016 年)大会では、澳門土生國際聯誼會会長・同理事会 会長に次いで来賓の崔世安行政長官からの祝辞があったので、筆者は返還20 周年を目前と してどのようなスピーチをするのか注目していたが、結局行政長官の発言の場はなくセレ モニーは終了した。その後、立食形式によるディナーパーティが開始し、トゥナ・マカエン セと呼ばれるオールデイズのバンドや、アーティストとして活躍する若い世代のマカエン セのステージが披露され、会場は音楽に合わせて踊る参加者たちの熱気であふれた。 3日目の11 月 25 日にはマカオ半島の隣のタイパ島にある教育活動センターを使用し、 マカエンセ・コミュニティ協会対抗のマカエンセ料理コンクールが行われた。参加者には4 時間で3品の料理を作ることが求められ、審査はマカオ・ガストロノミー協会理事によって 行われた。優勝を勝ち取ったのはカナダ・トロントのカーザ・デ・マカオだった。 同日、澳門土生國際聯誼會本部ではマカエンセ・コミュニティ協会理事による常任理事会 が行われ、夜には駐マカオポルトガル領事公邸で招待者のみの夕食会が催された。 4日目の午前中、一般参加者にはマカオ市内の英語ガイドツアーが行われた。ツアーA は マカオのランドマークである聖パウロ(ポール)天主堂跡、道教寺院のナーチャ廟、1889 年に建てられた中国人豪商盧九の屋敷跡(盧家屋敷)を訪れるコース、ツアーBはマカオ最 大の道教寺院媽閣廟、1881 年に建設された思想家鄭觀應の邸宅跡、19 世紀半ばに建てられ たドン・ペドロ5世劇場を巡るコースで、筆者はツアーB に参加した。現地集合・現地解散 で参加者は30 名ほど、大多数がポルトガルのカーザ・デ・マカオのメンバーであった。同 時間帯、理事会とマカエンセ・コミュニティ協会代表者らは、2001 年世界大会の際にマカ オ半島南端に建てられた「ディアスポラのマカエンセに捧げる記念碑」を訪れ、各協会の花 輪を飾り写真撮影が行われ、その後、中央政府駐マカオ連絡弁公室を表敬訪問した。 午後には聖パウロ天主堂跡前でマカエンセ世界大会恒例の集合写真撮影が行われ、天主 堂前の大階段は大勢の参加者で賑わった。その後、夕方にはカテドラル(大堂)でマカオ司 教によるミサが行われた。 5日目・6日目の11 月 27 日から 28 日にかけ、中央人民政府駐マカオ連絡弁公室主催に より、グレーターベイエリアの一都市である広東省佛山市への一泊二日の視察旅行が行わ れた。広東省視察旅行は前回の2016 年に次ぎ二回目であったが、筆者にとっては初めての 体験だった。晴天に恵まれた初日の朝8時、参加者を乗せた大型バス数台がマカオ半島を出 発、タイパ島にある蓮花口岸(ロータスポート)でマカオからの出境を行った後、蓮花大橋 を渡って中国側に渡り横琴口岸(ヘンジンポート)で入境手続きをし、珠海市に入った。イ ミグレ-ションはほぼ混雑はなくスムーズであった。ほとんどが2015 年以降に建設された という珠海の真新しい高層ビル群を抜け、2時間ほど農村地帯を走って佛山市に入り、昼食 後、市街中心にある佛山祖廟を見学した12。約2時間をかけて敷地内を回り、ドラゴンダン スのパフォーマンス、前殿、正殿、慶真楼、錦香池、万福台、また中国武術の師として知ら れた黄飛鴻記念館を見学した。その後、近くにある古い街並みを復元した嶺南天地で自由時 間をとった。19 世紀に建てられたレンガ造りの建造物と石畳の道が美しく、歴史的建造物 だけでなくこれらの建物を店舗とする陶器や土産物品のショップやカフェ、レストランが 並び、多くの観光客や地元の若者たちが散策する姿がみられた。その後バスに戻り45 分ほ どで市内を流れる運河沿いに立つ5つ星のインターコンチネンタルホテルにチェックイン した。筆者が宿泊した25 階の部屋は大きく快適で、眼下には美しい運河とまっすぐに伸び
た車道、その奥に見える市内の高層ビル群を臨む景色が広がっていた。夕食はホテルのメイ ンダイニングルームを貸し切って、参加者は三々五々ビュッフェ式のディナーを楽しんで いた。 視察旅行2日目となる11 月 28 日も好天に恵まれ、午前中、初日と同じバスに乗り、陶 器の生産で知られる石湾の南風古竃 13を訪れた。園内には明朝時代から残っていると言わ れる陶窯、陶磁博物館、ショップを兼ねた工房などが並び、ショッピングストリートで買い 物を楽しむ参加者たちの姿がみられた。園内は前日に訪れた嶺南天地と同様、遊歩道になっ ていたが、平日の午前中ということもあってか、人通りはまばらだった。順徳料理の昼食を とった後、中国十大庭園ならびに嶺南四大名園のひとつである清暉園14を見学し、その後は マカオへの帰路についた。往路同様に2か所での出境手続きを経て、17 時半頃にマカオに 帰着した。 筆者が乗ったバスにはマルケス澳門土生國際聯誼會会長、ヴァレンテ澳門土生葡人青年 協會会長ほか主催者側トップ数名と、中央人民政府駐マカオ連絡弁公室の2名の男性職員 (副所長級助理1名、助理1名)、アメリカから約20 名、ブラジル・サンパウロから2名が 同乗していた。アメリカからの参加者はマカエンセだけではなく、かつてマカオ在住であっ た中国人やその家族らも含まれており、使用言語は広東語と英語だった。ブラジルからの参 加者はマカオで生まれ育ち、その後青年期にサンパウロに移住したという60 代のマカエン セの父親と30 代の娘で、アジア旅行の一環としてマカエンセ世界大会の一部に参加したと 語った。ツアーに随行していた中央人民政府駐マカオ連絡弁公室の職員のうち1人はポル トガル留学経験があり、ポルトガル語を話せた。 最終日(7日目)となる11 月 29 日、日中の公式予定はなく、19 時半からマカオの新し いランドマークである高さ 338 メートルのマカオ・タワー2階にある広大なバンケットル ームでクロージングパーティが開催された。オープニングパーティよりは 200 名ほど少な い約 1,200 名が参加し、VIP の中には賀一誠新行政長官の姿も見られた。澳門土生國際聯 誼會会長による閉会の辞のあと、海外13 ヶ所のマカエンセ・コミュニティ協会代表者への 記念品贈呈、2日目に行われたマカエンセ料理コンクールの様子が大画面に写され、優勝か ら3位までの表彰と選考委員の紹介・記念品贈呈が行われた。その後は食事を楽しみながら マカエンセのミュージシャンやバンドによるミュージックセッションが行われ、その中に は坂本九の「上を向いて歩こう」の曲をカバーしたパトゥア語の歌もあった。最終日とあっ て会場は盛り上がり、あちこちで旧友たちと写真撮影をしたり、バンドの音楽に合わせて踊 りを楽しんだりする参加者たちの姿が見られた。約3時間の会が終了し片づけが始まって も多くの参加者がテーブルに残って会話を続け、別れを惜しむ様子が印象的だった。
おわりに
7日間のスケジュールを終え、マルケス澳門土生國際聯誼會会長は「当初の目的はすべて 達成され、満足な成果を得た」と語り、「ポルトガルと中国南部(広東地方)双方の文化の 共生という文化を持つマカエンセ・コミュニティはこの一週間を通してさまざまな体験をし、新しい活力を得てそのバイタリティを強化した」とルーザ・ポルトガル通信社の取材に 答えた15。 また、フェルナンデス澳門土生協会ならびに澳門土生教育協進會会長は大会初日、マカオ のポルトガル新聞ポント・フィナル紙に対し、「中国返還20 周年となる今もなお、マカオ政 府が継続的に本大会開催を援助し、マカオならびに海外のマカエンセ・コミュニティを認め ていることは非常に重要である。マカオのマカエンセ・コミュニティが存続していること、 そしてマカオのひとつのリファレンスとなっていることをディアスポラのマカエンセたち が認識することが重要であり、それによって今回の世界大会は非常に意義深いものとなる だろう。我々はただ単に昔を懐かしむために大会を開催するのではなく、(海外在住のマカ エンセに)よりグローバルな見地から見た新しいマカオの姿を紹介する機会としてとらえ るべきだ」と語った。その好例として佛山の視察旅行を挙げ、「中国当局はマカエンセ世界 大会の開催を重視している。中国が提供できる大きな(マカオの)ポテンシャリティを表す 一つのチャンスである」とも述べた16。 他にも、アルヴェス澳門土生國際聯誼會理事会会長は会期中、ポルトガル語TV 局のイン タビューの中で、マカオが珠江デルタ地域の一部であることを強調することで、逆にマカエ ンセ・コミュニティが独自のアイデンティティを失うのではないかという質問に対し、 「我々はこの5世紀を生き抜いてきた。それは今後の5世紀も変わらないだろう。我々は常 に社会、経済、文化、政治的文脈の中でコミュニティを発展させてきた。我々は消えること はなく、変わりゆく社会の中で新しいものを獲得し、根を張り続けていくだろう」と述べ、 コミュニティの未来にとってポジティブな見解を示した17。 マカエンセ・コミュニティを代表する人物らのこうした見解から、親中派政権によるマカ オ行政に寄り添いながら生き残りを図ろうとするエスニック・マイノリティの姿が浮かび 上がってくる。その中で常に懸念されるのが若い世代へのアイデンティティの継承問題で ある。今回、年代別の参加者数は公式に発表されていないが、初日のオープニングや佛山視 察旅行、クロージングパーティの参加者は50 代以上が大多数で、若い世代の姿はほとんど 見られなかった。前回の2016 年には会期中に 45 歳以下のマカエンセのための集会イベン トが実施されていたが、今回は同様のプログラムがなかったことからも、若い世代の参加が 少なかったことが推察される。こうした状況にフェレイラ澳門土生國際聯誼會理事会副会 長は「もっと多くの若い世代に大会参加の機会を与え、コミュニティの証人となってもらわ なければ、私たちは消えゆく存在となってしまう」と述べた18。この背景には、本大会開催 時に毎回行われるマカエンセ・コミュニティ常任理事会において必ず議題となる海外のマ カエンセ・コミュニティ協会の維持費問題がある。各協会の運営はほぼ会員が支払う年会費 によって賄われており、経済的余裕のない協会も多い。前出のポント・フィナル紙のインタ ビューで、フェルナンデス澳門土生教育協進會会長は各協会の抱える経済的状況を解決す るため、マカオ政府からより多くの援助が必要となると訴えた。 最後に、筆者は本大会にはあくまでオブザーバーという立場で参加しており、特に研究発 表の予定はなかったが、マカエンセ研究者として唯一の日本からの参加ということで地元 テレビ局(TDM ポルトガル放送)から依頼され、急きょインタビュー番組に出演すること になった。思いがけない体験ではあったが、これまでの自分のマカオ地域研究や日本におけ るポルトガル語教育の現状、今後の展望などを自分の言葉で話すことで、さらなる研究意欲
をかきたてられた。 今後も2021 年に予定されているマカエンセ青少年世界大会、次回 2022 年の世界大会19 にも継続して参加することで、引き続きマカエンセ・コミュニティの動向を追っていきたい と考えている。 (ないとう・りか 上智大学) 【参考文献】
Macau Special 93 Strengthening the Macanese Diaspora. Macau: Livros do Oriente, 1993. Macau Novembro 96 II Séria Nº 55 O 1-2-3 Trinta Anos Depois. Macau: Livros do Oriente, 1993.
マ カ エ ン セ 世 界 大 会 リ ー フ レ ッ ト 『 澳 門’19 澳 門 土 生 葡 人 社 群 聚 會 / Encontro das Comunidades Macaenses.』 塩出浩和「マカオから見た香港デモと<一国二制度>」『外交』第57 号、2019 年 9 月、32-35 頁。 内藤理佳『ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産――「マカエンセ」という人々』上智大学出版、2014 年。 【注】 1 Macaense(ポルトガル語。複数はマカエンセス Macaenses) 2 Lusitano ルジターノはポルトガルの古名ルシタニアを語源とする「ポルトガルの、ポルトガ ル人の」を意味するポルトガル語。 3 「マカエンセ」というエスニシティは統計上には現れない。2011 年、マカオ特別行政区統計 局が実施した人口調査で、総人口552,503 人のうち、エスニシティ別人口統計ではポルトガル 系が3,485 人、中国系&ポルトガル系が 4,019 人、非中国系&ポルトガル系 602 人、合計が 8,106 人で全体の約 1.5%であった。最新の人口統計は 2016 年に実施され、エスニシティ人口 別は2011 年よりも大まかで、「ポルトガル系」と申告した住民が総人口 650,834 人の 1.8%に あたる11,715 人であった。統計上は 5 年間で 0.3%増であるが、その中には近年増加傾向にあ る、経済が低迷するポルトガルからマカオに「出稼ぎ」に来るポルトガル人が含まれている。 世界に散在するマカエンセの総数に関する統計は存在せず、研究者によって2 万人~15 万人と 大きな幅があるが、筆者はカナダ、アメリカ、ブラジル、オーストラリア、香港、ポルトガ ル、イギリスに設置されているマカエンセ協会の会員総数が4 千人強であることから推計し て、マカエンセとしてのアイデンティティを持つ人々の数として4~5 万人と考える。 4 1996 年の世界大会の参加者数は 1200 名、1999 年の参加者数は不明。 5 1871 年創設。 6 ホームページ:http://www.conselhomacaense.com/estatuto-do-conselho-das-comunidades-macaenses/ 7 マカエンセの伝統家庭料理は、ポルトガル人が大航海時代に辿ったルートの集大成、すなわ ちポルトガル料理を基本として、アフリカ、インド、マレーシア、マカオの地元である広東料 理の原材料やスパイス、料理法を混合したいわゆるフュージョン料理である。現在日本では 「マカオ料理」と紹介されていることが多いが、厳密にはマカオ人口のほぼ9 割を占めるマカ オの中国人の家庭料理ではないため、内藤は「マカエンセ料理」と記述すべきと考える。 8 中国広東省(9 都市)・香港・マカオをベイエリアの中核として位置づけ、面積約 56,000 ㎢ (東京湾地域の約1.5 倍)、人口約 7,100 万人、GDP 規模約 1.6 兆米ドルの地域(数字は 2018 年末)を国際金融・輸送・貿易の三大センターとし、2022 年までに世界的ベイエリアとしての 基礎を形成し、2035 年までに完成して GDP 規模で東京・ニューヨークを追い越そうとするも のである(URL:https://www.bayarea.gov.hk/)。 9 マカオのカジノ王スタンレー・ホー(1921-2020)が 2006 年に設立した運営会社。
10 1999 年創設。世界の文化・学術・教育機関と 40 以上の協定を締結し、ディアスポラのマカ エンセの活動支援、マカオとマカエンセに関する書籍の出版助成、講演会活動などを行う団 体。所長のジョルジェ・ランジェルはポルトガル統治時代、マカオ総督副官を務めたマカエン セである。 11 パトゥア語は 20 世紀半ばには話者数が激減し、現在ユネスコ指定消滅危機言語のひとつと なっている。マカオではパトゥア語劇団が1993 年に創設され、演劇活動を通して継承活動を 行っている。2012 年にはマカエンセ料理とともにマカオ無形文化財に指定された。 12 北帝を祭る道教寺院。中国の観光地等級 4A。嶺南文化の中心地として中国武術(カンフ ー)、広東オペラ、ドラゴンダンス、また陶器の産地としても有名である。 13 陶器のテーマパーク。中国の観光地等級 4A。 14 中国の観光地等級 4A。 15 ポルトガル語通信社 Lusa 2019 年 11 月 29 日電子版。 16 マカオのポルトガル語新聞 Hoje Macau 2019 年 11 月 22 日版。 17 11 月 27 日 TDM マカオポルトガル語放送ニュース。 18 マカオのポルトガル語新聞 Hoje Macau 2019 年 11 月 22 日版。 19 新型コロナウイルス感染症に関連して、今後の大会開催の見通しは現時点では立っていな い。 【図1】オープニングセレモニー壇上のVIP (中央は崔世安マカオ特別行政区行政長官〈当時〉) 【図2】マカエンセ料理コンクール 【図3】広東省佛山市への一泊二日視察旅行 【図4】マカオTV 局(TDM ポルトガル放 送)における筆者インタビュー番組