【学界展望 特集:最近10年間の人口学研究の動向】
数理人口学の最近の発展について
稲
葉
寿
(東京大学)高
田
壮
則
(北海道大学) (2019年12月25日受付・2020年6月3日J-STAGE早期公開)1.はじめに
1997年に学界展望「数理人口学の発展」を人口学研究に寄稿してから,本稿執筆時点で,すでに22年 過ぎた。学界展望としては,本来であれば,過去10年の日本における数理人口学研究の総括をすべきで あるが,残念ながらこの分野における日本からの発信は未だ非常に限られていて,本誌に収録された数 理関係の論文も数編を数えるに過ぎない。もっとも我が国に限って言えば,人口学そのものが研究分野 として未だに確立していないという,より基本的な問題にいきあたる。 諸 外 国 も 含 め た 数 理 人 口 学 の 状 況 を 見 る と,1988年 に 数 理 人 口 学 の 国 際 雑 誌 “Mathematical Population Studies’’ が発刊され,専門的分野として確立されたと考えられたが,かならずしも十分な 認知を得てきたとは言いがたいように思える。統計分析手法はともかく,数理モデルについていえば, 人口学界は隣接諸科学の進歩を取り入れていく感覚にかけていたとすら思えるのであるが,本稿でとり あげるように,周辺領域においては,過去30年間に集団生物学,進化生物学,感染症理論等における構 造化個体群ダイナミクス理論の進歩は著しく,結果的に数理人口モデルの水準を飛躍的に引き上げてき ている。 また一方で,経済学や社会学の定量的モデルの分野でも,人口要因を取り入れる余地は大きい。社会・ 経済モデルにおける人口の内生化ははじまったばかりともいえる。今後ますます激化する人口問題を, 社会・経済変数を取り入れて立体的に分析するための数理モデルへの期待は大きい。計算能力の著しい 高度化とビッグデータの蓄積を考えれば,数理人口学の発展は,むしろ今後に期待すべきなのかもしれ ない。 そこで,本稿では過去20年において,筆者(稲葉)が関わった注目すべき理論的発展として,人口学 的指標のテンポバイアスの理論,基本再生産数の理論,人口転換の拡散モデルを取り上げて紹介する。 また後半では,日本の人口学界ではなじみがうすいが,欧米の人口学において,最近その動向が注目さ れる進化人口学をとりあげて,高田が紹介することとしたい。2.テンポバイアス論争
結婚,出産,死亡などのライフサイクル事象(イベント)は個体のライフコースの時間発展にともなっ て発生するが,その発生率,平均発生年齢などの測定は人口学におけるもっとも基本的な関心事である。 例えば,生命表は死亡という人口学的イベントの発生を数学的なモデルとして定式化して,平均発生年 齢ないしは平均待機時間として人間の寿命を測定しようとするものに他ならない。これは数学的に言え ば,時間的経過にともなう個体の状態間の一方向的な遷移過程のモデル(生存モデル)として表現され,現在では寿命モデルないし生存モデルとして広く研究されてきているが,死亡以外の「非反復的」なラ イフサイクル事象に一般に適用できる。 非反復事象の生存モデルはその本来の意味からすればコーホートデータに適用されるべきであるが, 仮説コーホート解釈を前提に期間データに適用した場合は,利用可能なデータがハザード,発生率,生 残率のいずれかであるのに対応して,それぞれのパラメータからカンタムとテンポを推定する3つの期 間生存モデルが出現する。3つのモデルのそれぞれ3つのパラメータにたいして年齢シフトを施すこと によって,9通りのカンタムとテンポの計算式が得られる。これらの計算式を,標準スケジュールによ る値と,摂動されたパラメータにもとづく指標値の間に成り立つ関係式(変換公式)とみれば,「摂動 がなかったならば観測されたであろう」値を計算することに利用できる(Inaba 2007)。 このとき注意すべきは,標準スケジュールは摂動前の期間的スケジュールであって,必ずしもコーホー ト的に観測されるものではないということである。従ってこうして得られる変換公式は期間スケジュー ルの間の変換公式になっていて,コーホート的なスケジュールを再現しようとする伝統的なライダーの 公式とは,形式的に同じような式であっても,基本的に異なる見方にたっている。 Bongaarts ad Feeney(1998)は,期間生存率における年齢シフトというモデルを用いて,観測され るカンタム変化をモデル化することによって,出生率におけるテンポバイアスを定量化する公式を提起 した。この公式は,期間出生順位別出生率から「テンポバイアスを取りのぞく」式として提案されたが, この公式自体は,形式的にはコーホート上で年齢シフトが起きている場合に期間出生率からコーホート 出生率を推定する古典的なライダーの公式と同じであることから,それが期間カンタムの間の変換公式 であるという主張に異議を唱えた人口学者は少なくない。Bongaarts and Feeneyの主張は,コーホー ト上の値が基本であるという伝統的な解釈にたつ人口学者の批判を招いたが,バイアスの修正方法とし ては大きな異論はなく,彼らの方法の核心も理解されることはなかった(Bongaarts and Feeney 2000; Inaba 2003)。
しかしその後,2003年から2005年にかけて,彼らの主張が死亡率に適用され,平均寿命がテンポバイ アスを受けている,という主張として現れるや,激しい論争を生むこととなった。その様子の一端は, 2004年11月にマックス・プランク人口研究所とポピュレーションカウンシルの後援で,Bongaarts と Vaupelによって招集されたワークショップの記録 “How Long Do We Live?’’(Barbi, Bongaarts and Vaupel 2008)に見ることができる。
期間生命表の平均寿命は,期間観測されたハザードデータ(死力)にもとづいて計算されるテンポ指 標である。この場合,カンタムは常に1である。このとき,期間生残率が年齢シフトをうけると,そこ から計算される期間ハザード(死力)によって計算される平均寿命は,過渡的に非常に大きな変化を受 け,摂動を受ける前後の寿命の値と乖離した値を示す。これがBongaarts and Feeney が指摘したテン ポバイアスである。一方,期間生残率の総和であるCAL(cross sectional average length of life)や, 期間的に見た死亡発生年齢分布の平均として計算されるSMAD(standardized mean age at death)は 飛躍的変化をしめさず,摂動に対してより頑健である。そのような期間的生残率の年齢シフトという特 殊な摂動が起きているとする根拠は,生残率から計算される死力(陰伏的ハザード)と,本来の死力の 比が年齢に依存しない,という「比例仮説」が成り立つことであるが,それはまたCALとSMADが等 しいという事実によって支持される。そこで,この仮定の下で,「テンポバイアス」を取り除く Bongaarts and Feeneyのレシピは,生命表寿命のかわりにCALを使用することに他ならない(Bongaarts and Feeney 2003, Inaba 2007)。
Bongaarts and Feeneyの議論はきわめて巧妙であり,「期間生残率の年齢シフト」というシナリオを 受け入れるならば,非反復事象の生存モデルとして定式化される人口学的イベントであれば,出生率で も死亡率でも初婚率でも適用できる。一方,コーホート的見方をまったく顧みない彼らの議論には,多 くの人口学者が強い違和感を抱いた。実際,「バイアス」が除かれたテンポの妥当性は,生物学的に自 然なコーホート観測を参照基準にするしかないのではないかとも考えられる。また期間生命表寿命は, シナリオが想定するような変化に鋭敏に反応するが,それはピリオド指標一般のもつ性質であり,そこ に有用性があるとも言える。バイアスと捉えるかどうかは,半ば定義の問題でもある。いずれにせよ,
いままで問われることもなかった寿命という基本的な指標と,その代替指標の性質を明らかにしたとい う意味で,非常に示唆に富んだ論争であったと言えよう。
3.基本再生産数理論
基本再生産数(basic reproduction number)あるいは純再生産率(net reproduction rate)R0は,
周知のように,1911年に現れたシャープとロトカの安定人口モデルにおいてはじめてその意義が明らか にされた。R0は女性の年齢別生残率と女児出生率の積和であり,一人の女性が生涯に産む平均女児期 待数である。このとき内的成長率との間に符号関係がなりたつ。すなわち,R0>1であれば,人口は正 の内的成長率で漸近的に指数関数的に増加するが,R0<1であれば,指数関数的に減衰して死滅する。 R0は継続する世代のサイズ比になっていて,個体のライフサイクルパラメータのみによって決まる人 口再生産の閾値である。 しかし上記の古典的な定義においては,個体の多様性・異質性,環境の時間的,空間的変動などを考 慮に入れることはできない。定常的環境における,個体の有限次元の異質性を導入する試みは70年代後 半から出現した多状態人口学においてなされた。しかしながら,有限次元多状態人口の基本再生産数(純 再生産率)の定義は,人口学において明確にあたえられることはなかったし,活用されることもなかっ たのである(Inaba 2010)。多地域人口モデルのR0が計算されてこなかったことは,地域人口に対する 政策的介入の議論を定量化することを著しく妨げたといえよう。 一方,感染症理論においては,R0は完全な感受性集団に発生した初期流行において,ひとりの感染 者がその感染性期間に産出する二次感染者平均数を意味する。感染症数理モデルにおいては,局所的な 流行条件R0>1が,大域的に安定なエンデミック定常解の存在を含意するという著しい閾値性を示す から,流行抑止の指標として重要な意義をもつ。例えば集団ワクチン政策における臨界免疫化割合は, もっとも単純なケースにおいては,1−1/R0として計算される。感染症においては,はやくからR0は 制御政策の定量化のための指数として重視され,個体の異質性の影響にも関心が払われた。そのR0の
正確な数学的定義がはじめて出現したのは,Diekmann, Heesterbeek and Metz による1990年の論文 (Diekmann, et al. 1990)においてであり,これ以降,基本再生産数は感染症数理モデルの挙動を理解 するキー概念として確立されたが,このことは人口学的モデルにおいても,定常環境における任意の異 質性を持ったヒト集団に対する純再生産率概念が確立されたことを意味していたのである。 Diekmann等は,基本再生産数をある種の正線形績分作用素のスペクトル半径として定義したが,こ の積分作用素は,新生児の世代分布(ある時点の親人口からうまれる新生児の時間・状態変数空間上の 分布)を時間的に集計して得られる分布を,その子供たち世代の(集計された)分布に写す作用を表し ている「次世代作用素」(next generation operator)である。このとき基本再生産数R0は,継続する
世代のサイズの漸近的な比を与えることになる。 この観点をより徹底させると,より基本的なプロセスは時間・状態空間に広がっている世代分布を次 世代の分布に写す作用素(世代発展作用素)そのもののスペクトル半径が,最も一般的な基本再生産数 の定義を与えるのではないか,という思想に行き着く。実際,定常環境においては,世代発展作用素は 時間的に集計すれば次世代作用素となって,両者のスペクトル半径は一致する。周期的時間変動環境に おける次世代作用素も適切な時間集計作用を世代発展作用素に施すことで得られて,両者のスペクトル 半径は同じである(Inaba 2012)。そこで,稲葉(Inaba 2019)は,全く一般的な時間変動環境において, 世代推進作用素のスペクトル半径としてR0を定義して,それが従来の定義をふくんだ完全な一般化で あることを示した。 任意の異質性を持つ個体群の基本再生産数が定義できることがわかったが,内的成長率の存在と対応 関係がつくのはたかだか周期的な環境までである。しかし非線形の個体群ダイナミクスにおけるR0の 役割も検討されてきており,ゼロ解における線形化方程式から定義されるR0によって,個体群の絶滅 と存続の閾値が定式化されることがわかっている(Inaba 2019)。決定論的な時間変動環境における定 義は一応の結論が出たとみることができるが,空間変動や確率的環境変動下におけるR0の定義は今後
の課題であろう。
人口学における応用としては,基本再生産数から派生した指標であるタイプ別再生産数やターゲット 再生産数の概念が重要になる(Lewis, Shuai and van den Driessche 2019)。実際,政策的な介入は, 全人口に一様に適用されることはまれであり,何らかのターゲット集団,あるいは特定の集団間の関係 性への介入を通じて全人口の動態をコントロールしようとすることが多い。タイプ別ないしターゲット 再生産数は,そのような場合の介入効果を表すパラメータの閾値を計算する手段を与えている。
4.人口転換の拡散モデル
18世紀から19世紀にかけて,工業化した諸国の死亡率は経済成長と共に持続的に低下を始め,その後 しばらくしてから,出生率の低下がおきた。20世紀にはこれらの先進諸国ではそれまでに例のないほど 低い出生率と死亡率を経験するようになった。その結果,人口成長率は急激に減少した。このような, 前工業化社会における高い死亡率と高い出生率の状態から,高い出生率と低い死亡率(従って高い人口 成長率)の過渡状態を経て,成熟した工業化社会における低い出走率と低い死亡率を持つ状態へ至る歴 史的な遷移が,よく知られた「人口転換」(demographic transition)である。人口転換は,成長率がゼ ロとなる定常状態で終焉すると考えられていたが,西欧諸国や日本,東南アジア諸国の発展地域では, 1970年代以降出生率が人口置き換え水準を下回って低下を続け,内的成長率が負である状態が続いてい る(第二の人口転換)。日本では70年代半ばに第二転換が開始され,2006年頃から総人口の減少が観測 されるようになった。 死亡率の低下は,どのような集団においても好ましい変化とみなされるから,生活水準や科学技術水 準の向上とともにそれが低下することに不思議はない。しかし出生力の低下はずっと複雑な文化的規範 の変化の結果である。よく知られた近代化仮説では,人口転換における出生力低下は,個体の社会変動 への適応として理解されてきた。工業化,都市化,教育の普及等が家族規模規範の変動をひきおこした と考えられる。しかしながら,そうした社会変動の指標と出生率の変化を直接結びつけることは必ずし も成功していない。実際,十分に経済的に発展していない地域においても,出生力低下は起きている。 このような理論的なギャップを埋める可能性があるのが「拡散モデル」である。 人口転換の「拡散理論」(diffusion theory)においては,より少ない子供をもつという革新的な文化 規範が,すでにその規範を受け入れた人々から,いまだに高い出生力もつ人々(感受性集団)に,ちょ うど感染症のように伝搬(感染)すると考える。この拡散理論においては,なぜ拡散(新文化の受容) が起きるか,という発生機序の問題は問わない。受容動機(感受性)については,なお社会経済変数に よる説明が有効だろうが,非線形相互作用という近接要因によって低出生力の流行現象を理解できる可 能性があることが重要である。感染症流行とのアナロジーによって,低出生力拡散モデルを定式化した のは,Rosero-Bixby and Casterline(1993)である。この思想は,Inaba, Saito and Bacaër(2018)によっ て,年齢構造化個体群モデルとして定式化され,異なる成長率をもつ軌道の間で遷移が起きる条件が検 討された。また池周一郎(2009)は,地理的な低出生力拡散を反応拡散方程式によって記述することを 試みている。一方,人口転換を個体群ダイナミクスと経済成長モデルを接合することで説明するモデルも現れた。 Manfredi and Fanti(2003), Fanti, Iannelli and Manfredi(2013)は,新古典派経済成長モデルにおけ る人口成長を内生化することによって, 高い人口成長率と低い所得によって特徴付けられる「マルサス の罠」と,低い成長率と高い所得を示す軌道の間の遷移として人口転換を定式化した。特に,年齢構造 を考慮した場合に現れる負の成長率と高い所得を意味する解は,第二の人口転換以降の極少出生力社会 に対応するものとして注目される。Lutz, et al.(2006)が指摘するように,このような「低出生力の罠」 (解)は安定であるかもしれない。その場合には,現在の先進諸国にひろくみられる負の内的成長率を もつ低出生力社会は,自律的反転を期待できず,長期化すると考えられる。
5.進化人口学
Evolutionary demography(進化人口学)という言葉が用いられるようになったのは半世紀ほど前で, 1975年にウィルバーという動物生態学者の論文のタイトルに現れたのが初出と言われている(Wilbur 1975)。彼は北米大陸に棲息するニシキガメの十数年にわたるセンサスデータをもとに,生物のデモグ ラフィー(生活史パターン)を進化生態学的な見方で解釈することを試みた。彼によれば,すでに同名 のセミナーがミシガン大学のTinkle教授の研究室で行われていた(ウィルバー教授との私信)。とは言え, 生活史パターンをあたかも一つの遺伝的形質であるかのように扱い,自然選択のもとでの進化の結果と して解釈する考え方はそれよりも以前に始まっていたと思われる。コールは1954年に出版した著作で, 「繁殖力に影響を与えるいかなる生活史の特徴も自然淘汰にさらされており,現存する生物に見られる それらの特徴は適応の所産と考えられるべきである」と明言している(Cole 1954)。生物の多様性は, 単に形態や行動の多様性だけに現れているだけではなく生活史パターンの多様性にも顕現しているため, 生活史パターンの進化の研究,すなわち進化人口学的視点,がダーウインの「種の起源」出版後百年を 待たずに現れたのは至極当然と思われる(注1)。 進化人口学的視点に立った研究は,コール以来,主に一回繁殖型(semelparity)の進化と老化(aging, senescence)の進化について行われてきた。サケやタケ,多年生草本のオオウバユリなどに見られる一 回繁殖型生物の存在は,自然淘汰理論に鑑みると謎とされてきた。さらに,樹木の中にさえ一回繁殖型 が見出されている。熱帯パナマのバロコロラド島に生息する樹木Tachigalia versicolorは成熟後一度だ けしか繁殖せず死に至る(Foster 1977; Kitajima & Augspurger 1989)。成長して個体サイズを大きく するまで数年・数十年を要する生き物が,なぜ成熟後の多数回にわたる繁殖のチャンスを捨てて,一回 だけの繁殖で生涯を終えるのか?自然淘汰上不利であると思われるこの生活史パターンは注目を浴び, それを理論的に説明する試みも数多くなされてきた(Cole 1954; Charnov and Schaffer 1973; Pianka 1976, 1978)。コールの発想は,生まれて一年目で成熟し子供を産んで死んでしまう一回繁殖型と,生ま れて一年目で成熟しその後不老不死で子供を生み続ける多回繁殖型生物という極端な二つの生活史パター ンを比較するというものだった。二つの生活史パターンの個体群成長率を比較して,他の条件がなけれ ば常に多回繁殖型が有利であることを示したところに特徴がある。この結論を導き出すために,「3. 基本再生産数理論」の項で紹介されたシャープとロトカが求めたオイラー・ロトカ方程式が用いられた ことはとても興味深い(Cole 1954; Sharpe & Lotka 1911)。不老不死という極端な仮定がこの結論を導 き出したために,多回繁殖型が不利となるための他の条件として考えられたものは,子供をたくさん産 んだ場合に翌年に親の生存率が下がるという拮抗的関係(トレードオフ)であった。ピアンカは,繁殖 価という概念を利用してトレードオフがある場合について理論的解析を行った。繁殖価はフィッシャー が1930年に提案した概念で,ある齢の母親が生涯に産出する子供によって将来の集団成長へ貢献する度 合いを示す指標である(Fisher 1930)。ピアンカの研究では,ある齢で子供を産出した個体が,トレー ドオフの制限下でそれ以降どの程度の繁殖価(残存繁殖価)を得られるのか,を調べることにより,一 回繁殖型生物が有利になる条件が示された。これら一連の研究によって,今では一回繁殖型は「繁殖後 死亡に見合うだけの多産的な繁殖形質をもち,世代交代を速めている」と解釈されている。その後,齢 構成モデルの枠を超えて一般化された生育段階構成モデルを用いた研究も現れた(Takada 1995)。 また,「なぜ生まれてすぐに繁殖を開始しないのか」という問いかけに端を発する繁殖遅延の進化と いう文脈で,一回繁殖型生物の最適な繁殖開始齢やサイズを求める問題や多回繁殖型生物が繁殖を開始 する最適な個体サイズを求める問題も理論的に研究されている(Takada & Caswell 1997; Vaupel et al. 2013)。これらの研究は,一回繁殖型生物の繁殖後死亡に見合うだけの多産を保証するために,繁殖遅 延による個体サイズの増大が必須であることと関連している。一連の理論的研究と相まって,一回繁殖型生物の長期にわたる人口学的データの蓄積も行われ,三十 数本もの論文のデータを集約した総説も著されている(Metcalf et al. 2003)。さらに,約十年前からド イツのロストック市にあるマックス・プランク研究所の人口統計学部門は,出版された論文を収集し,
野外研究から得られた個体群行列のデータベース作成を始めた。その成果は植物のデータベース (COMPADRE)に関しては2014年秋に,動物のデータベース(COMADRE)に関しては2016年秋にオ ンラインで公開された。現在約1200種,11000行列が両データベースで提供されている(Salguero-Gomez et al. 2015, 2016)。これらのデータベースを用いた一回繁殖型植物の人口学的データの解析も始まって いる。 進化人口学におけるもう一つの大きな研究テーマは老化の進化である。老化はなぜ避け難いのか?一 回繁殖型生物の進化の議論と時同じくして,その問いに答えるべく仮説が登場した。初期の仮説として 登場したのは,メダワーの有害突然変異蓄積仮説(mutation accumulation theory)とウイリアムズに よ る 拮 抗 的 多 面 発 現 仮 説(antagonistic pleiotropy hypothesis) の 二 つ で あ る(Medawar 1952; Williams 1957)。これらの仮説には,進化の力は老化要因に抗うほど強くないため避け難いという暗黙 の前提がある。一回繁殖型生物のように計画された寿命が存在するのであれば,問いかけは,老化はな ぜ避け難いのか?ではなく,進化という視点から見て不老不死が可能な条件はどのようなものか?どの 程度まで緩やかな老化が可能なのだろうか?に変わる。カークウッドによって適応戦略的な仮説が提案 されたのは,その約20年後のことである(体細胞廃棄仮説(disposable soma theory); Kirkwood 1977)。そこでは,体細胞に投資するエネルギーと生殖細胞に投資するエネルギーの配分が,自然選択 のもとで一生の中で調整されていると考えられている。その仮説の提案は,Evolutionary demography という言葉が用いられるようになった時期に近く,すでに進化人口学的思考が始まっていたと考えられる。
緩やかな老化が実際にありうるのか,に答えるためには,多様な生物系統群にわたる実証データが必 要であるとともに,死に至るプロセスを定量的に評価する指標が必要である。2005年には,細菌,藻類 から高等動植物に至るまでの実証データに関する総説が発表された(Carey & Vaupel 2005)。また, バウディッシュは,寿命を評価する指標として「ペース(pace)」,死に至るプロセスを評価する指標 として「シェイプ(shape)」を提案して,290種の被子植物のペース・シェイプを解析し,93%の被子 植物に老化は見られないとしている(Baudisch et al. 2013)。同様の解析は,動物種も含めて行われて いる。ジョウンズは動物種33種を含む46種のデータを解析して,「進化は成熟後の加齢に伴う死亡率上 昇と繁殖率低下を引き起こすと考えられてきたが,死亡率上昇のシェイプには上昇型,一定型,下降型 などの多様なパターンが見られた」と報告している(Jones et al. 2014; Baudisch 2015)。これらの解析 には,前述したCOMPADRE, COMADREというデータベースが用いられている。
これら二大テーマに関連して,ヒトの閉経後の長生きについての研究も行われてきた。繁殖期以降に 長生きする個体は集団に新たな個体を供給することはないので,自然選択の観点からその長生きには何 らかの理由が必要である。おばあちゃんによる孫の養育が引き起こす血縁淘汰上の有利さ(おばあちゃ ん仮説)を検討するいくつかの研究がある(Hawkes et al. 1998; Sear & Mace 2008; Strassmann & Garrard 2011; Ubeda et al. 2014)。ヒトの少子化を進化生態学的な文脈で理解しようとする研究も近年 になって注目されており(Lawson et al. 2012; Morita et al. 2016),総説も現れた(Borgerhoff Mulder 1998;Sear et al. 2016; Morita 2018)。他にも,個体サイズの成長に確率性がある場合の最適生活史戦略 を解析する理論的研究も行われている(Oizumi & Takada 2013)。過去七十年にわたり各論で議論・研 究されてきた生物のライフスタイルの進化が,進化人口学という名前で再編されつつある。
(注1) しかし,Evolutionary demographyという言葉が定着するにはさらに時間を要した。個体群行 列モデルの教科書のある章のタイトルにその言葉が現れたのは2001年(Caswell 2001),その名 前を冠する学会ができたのはわずか七年前の2013年である。
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