アジ研ワールド・トレンド No.247(2016. 5)
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特 集
アジアの古本屋
●
は
じ
め
に
一九四〇年代半ば、中国の政治
的動乱を逃れて香港に移住した内
地の知識人が書店や出版社を開業
したことが、香港の書店・図書市
場
の
始
ま
り
だ
と
い
わ
れ
て
い
る。
一九五〇~六〇年代、
香港の書店
・
出版業界は創作、評論等の文化活
動を行い、絶版になっていた内地
の書籍を再版し、台湾の出版物を
流通させた。これらの活動は香港
の青年読者を引き付け、やがて彼
ら
は
著
名
な
学
者、
作
家、
文
化
人、
出版人等へと成長していった(参
考文献①)
。
東京都の半分の広さしかない土
地を争うように細長いビルが林立
する香港では、建物の上階ほど店
舗賃料が安い。通りに面さない二
階
以
上
に
出
店
す
る
小
規
模
書
店
は、
楼上書店または二楼書店(二階書
店
)
と
呼
ば
れ
て
い
る。
主
に
文
学・
歴史・哲学分野の専門書を扱う二
階書店は、日常の喧騒を離れた楼
上から社会を啓蒙する独自の書店
文化として引き継がれてきた(参
考
文
献
②
)。
二
階
書
店
に
は、
総
合
書店と一線を画し、専門分野に特
化した品揃えと割引価格で顧客を
引き付ける独立書店や、絶版や出
版部数の少ない古書を扱う二手書
店(
古
書
店
)
が
あ
る。
本
稿
で
は、
安くて豊富な商品市場が立ち、か
つては最も書店が多いことでも知
られた旺角の西洋菜通りにある古
書店を紹介したい。
●
新
亜
書
店
一
九
六
〇
年
代
後
期
~
七
〇
年
代、
読書習慣は知識人から一般にも広
がり、大衆文化のひとつとして発
展した。一方、中国は大躍進政策
に行き詰まり、文化大革命を発動
し、経済的、政治的混乱状態にあ
った。中国の教育は衰退し、伝統
文化の断絶と西洋文明との隔絶に
より、香港が中国研究の窓口とな
るに至った。当時、中国語、英語
を
問
わ
ず、
内
地、
台
湾、
マ
カ
オ、
東南アジアから香港に古本が集ま
ってきたという。
一九六八年に創業した新亜書店
は、西洋菜通りの一六階に店を構
える文学・歴史・哲学分野の古書
店
で
あ
る(
写
真
1)
。
店
名
は、
店
主の蘇賡哲氏の出身校、新亜書院
(
現
香
港
中
文
大
学
新
亜
書
院
)
に
由
来する。蘇氏によると、文化大革
命が収束しつつあった頃、香港中
文大学崇基學院の沈宣仁院長を通
じてアメリカの財団が大量の古本
を買い付け、自由な思想をもたら
すために中国に送ることもあった
という。また、交流のあった中国
の作家から文革前に出版した著作
を探すのを頼まれもした。文化大
澤
田
裕
子
楼上
か
ら
み
る
香港
︱古書店
の
変遷︱
革命によって多くの文学作品が破
壊され、内地の作家たちは創作意
欲を喪失したが、香港の書店が彼
らを支えていたといえる。
一
九
八
〇
~
九
〇
年
代
、香
港
経
済
の
発
展
に
つ
れ
、出
版
・
小
売
り
形
態
が
多
様
化
し
た
。
一
九
八
八
年
に
は
三
聯
書
店
、
中
華
書
局
、
商
務
印
書
館が
合
併
し
、
香
港
最
大
手
の
聨
合
出
版
集
団
と
な
っ
た
。
当
初
は
廃
品
回
収
者
か
ら
仕
入
れ
て
い
た
が
、
中
国
の
学
術
界
が
新
刊
を
出
版
す
る
よ
う
に
な
る
と
古
本
資
源
は
減
少
し
た
。
創
業
時
か
ら
一
九
八
〇
年
代
に
か
け
て
一
〇
〇
軒
を
超
え
た
古
書
店
は
、
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
の
普
及
や
店
舗
賃
料
の
値
上
が
り
に
よ
っ
て
廃
業
し
、
現
在
は
わ
ず
か
一
〇
軒
ほ
ど
に
な
っ
た
と
い
う
。
ま
た
返
還
前
、
蘇
氏
は
一
九
九
二
年
か
ら
一
五
年
間
、
カ
ナ
ダ
の
ト
ロ
ン
トに
移
住
し
、
懐
郷
書
房
と
い
う
古
書
店
を
開
い
た
。
華
人
移
住
者
に
中
国
語
書
籍
を
提
供
し
つ
つ
、
故
郷
を
想
い
な
が
ら
、
海
外
メ
デ
ィ
ア
に
記
事
を
書
い
て
い
た
。
そ
の
間
も
現
在
九
〇
歳
を
越
え
る
母
上
が
書
店
を
引
き
継
ぎ
、
新
亜
書
店
の
歴
史
は
続
い
て
い
る
。
●
梅
聲
書
舎
香
港
の
大
陸
化
が
懸
念
さ
れ
た
一九九七年の返還後も、独自の政
治体制
「一国二制度」
の下、香港社
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アジ研ワールド・トレンド No.247(2016. 5)
会の言論や報道の自由は基本的に
維持された。二〇〇三年のSAR
S流行後、経済は落ち込み、旺角
の二階書店の多くは廃業、移転し
ていった。中国からの旅行客が増
えるに従い、旺角は一流商業地と
して注目され、一階店舗はほぼ観
光客向けに形を変えたといわれる。
西洋菜通りの六階にある梅聲書
舎は、会社勤めをしていた鄭廣文
氏
が
友
人
と
と
も
に
奮
起
し
て
二
〇
〇
五
年
に
創
業
し
た(
写
真
2)
。
店
名は、二人が作詩填詞や書法を学
んだ恩師、莫徳光老師が自宅を梅
聲小舎と呼んだのを懐かしんで付
けた。大小の書画が店内の壁に飾
られ、文学・歴史・哲学分野の古
書店だとわかる。
主な顧客は歴史
・
中国研究・文学分野の大学関係者
だ。移住などの理由で古本を売り
に来る客もいるが、
フィクション
・
経済・法律・コンピュータサイエ
ンス等、時とともに内容が古くな
る
分
野
は
扱
わ
な
い。
歴
史・
古
代
文
学
分
野
な
ら、
そ
の
日
売
れ
な
く
て
も
価
値
は
普
遍
だ
と
い
う。
魯
迅
と
親
交
を
結
び、
日
中
友
好
に
尽
力
し
た
日
本
の
内
山
書
店
の
よ
う
な
存
在
に
憧れると話された。恩師の書によ
る荘子の教えはレジのすぐ上に飾
られ、鄭氏の今日を導いている。
●
序
言
書
室
二〇〇七年、社会科学・人文科
学分野を専門とする序言書室が梅
聲書舎の一階上に開店した(写真
3)
。
李
達
寧
氏
を
含
む
一
九
八
○
年
代生まれの香港中文大学哲学学科
の卒業生三人が起業した。慌ただ
しい香港の生活のなかで、落ち着
いて本が読め、心の平和が得られ
る場所を提供したいと、店内には
カフェスペースもある。客層が広
がり、効果的に集客できるという
香港中文大学の周保松教授のアド
バイスから、古本棚を置いた。古
本は買い取らず、売れた時に持ち
主
と
折
半
す
る
こ
と
に
な
っ
て
い
る。
主
な
新
刊
書
は
文
学・
歴
史・
哲
学・
社会科学分野の中国・香港・台湾
の
出
版
物、
お
よ
び
外
国
の
出
版
物、
翻訳書だ。香港の地域問題を扱う
図書も揃えている。香港や海外の
著
名
学
者
に
よ
る
座
談
会
や
読
書
会、
新
刊
書
の
発
表
会
を
頻
繁
に
開
催
し、
出
版
物
を
介
し
た
序
言
書
室
の
幅
広
い
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
が、
現
代
香
港
の
文
化・
社
会
活
動
を
促進している。
●
古
書
に
求
め
る
香
港
の
歴
史
と
文
化
香港中文大学で中国文学を研究
する李微婷氏は、二〇〇二年に退
官した盧瑋鑾教授から古書や古書
店
の
価
値
を
教
わ
っ
た(
写
真
4)
。
一九九〇年代生まれの同世代の多
くも歴史に興味はあるが、慣れ親
しんだ香港の姿を偉大なる中国を
中心とした公式の歴史書に見出す
ことはできない。むしろ、図書館
で保管しないような大衆新聞の新
聞小説等に昔の香港の様子が詳し
く描かれているという。一度出版
された香港の文学書はめったに再
版
さ
れ
な
い
の
で、
関
心
を
寄
せ
る
一九五〇~七〇年代の香港文学の
原本を探すには古書店を回るしか
ない。週に一~二回は新亜書店や
精神書局、新聞が豊富な神州図書
中心等を訪れている。彼女にとっ
て古書店は重要な研究資源である
と同時に、生まれ育った香港の歴
史を辿る場所でもある。
盧教授は京都大学に留学中、ど
んな歴史的、文化的資料も細心の
注意の下に保存することを学んだ
という
(参考文献③)
。長年にわた
って収集した貴重な香港の文学資
料は香港中文大学図書館「香港文
学特蔵」に大切に保管されている。
●
お
わ
り
に
楼上から望む香港社会は様々に
変化してきた。香港の人々が自ら
の立ち位置を探りつつ、前途を切
り開いてきた歴史は書店の変遷に
もみて取れる。伝統の書店文化が
引き継がれていく一方、若い世代
の香港の歴史と文化への関わり方
に書店業界の新たな可能性が感じ
られる。
(
さ
わ
だ
ゆ
う
こ
/
ア
ジ
ア
経
済
研
究所
図書館)
《参考文献》
①
程芷芬採訪・撰寫『江海滔滔―
―香港書業的昨天今天明天』
(世
界出版社、二〇一四年)
。
②
葉輝、馬家輝主編『活在書堆下
――
我
們
懷
念
羅
志
華
』(
花
千
樹
出版、二〇〇九年)
。
③
倉田徹・張或
睯
『香港――中国
と
向
き
合
う
自
由
都
市
』(
岩
波
書
店、二〇一五年)
。
写真1:新亜書店の蘇賡哲氏と母上
写真2:梅聲書舎の鄭廣文氏
写真3:序言書室の李達寧氏
写真4:香港中文大学の李微婷氏
10_11_特集_澤田裕子_楼上.indd 11 16/03/29 18:07