• 検索結果がありません。

ナイジェリア -- 移動するアスリート (特集 途上国・新興国のスポーツ)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ナイジェリア -- 移動するアスリート (特集 途上国・新興国のスポーツ)"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ナイジェリア -- 移動するアスリート (特集 途上

国・新興国のスポーツ)

著者

望月 克哉

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

237

ページ

32-33

発行年

2015-06

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003190

(2)

アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7)  

32

  グローバル化がいっそう進むな かで、従来の考え方では人びとの 移動を捉えきれなくなっている。 働く場を求める出稼ぎ者や移民が そうであるように、アスリートも また活躍の場を求めて、これまで と は 異 な る 動 き を み せ る よ う に なった。本稿では、ナイジェリア の ス ポ ー ツ を め ぐ っ て 生 じ た 変 化をあとづけてみたい。   アフリカ人アスリートの活躍で、 まず想起されるのは全米バスケッ トボール協会(NBA)の長身プ レ イ ヤ ー た ち で は な か ろ う か。 スーダン南部(現、南スーダン共 和国)に居住し、長身で知られる 民 族「 デ ィ ン カ( Dinka )」 を 出 自とする選手たち、たとえば一九 八〇年代から活躍したマヌート・ ボ ル( Manute Bol ) や、 二 〇 〇 〇年代にデビューしたルオル・デ

 

ナイジェリア

望月

  克哉

❖特集❖

途上国・新興国のスポーツ

ン( Luol Den ) と い っ た 名 が す ぐに挙がるだろう。しかしながら 実績という点では、ボルと同世代 で、ナイジェリア出身のオラジュ ワ ン( Hakeem Olajuwan )を 挙 げ ないわけにはいかない。彼は学生 時代から最優秀の名をほしいまま にし、一九九三年にアメリカ市民 権を獲得したのち一九九六年のア ト ラ ン タ 五 輪 で は ア メ リ カ「 ド リームチーム」の一員として金メ ダルに輝き、二〇〇八年にはネイ スミス記念バスケットボール殿堂 入りも果たしている。   一九六三年、ナイジェリア最大 の都市ラゴスで生まれたオラジュ ワンは、地元のハイスクールに進 学し、その長身を生かしてスポー ツにいそしんでいた。そんな彼を リクルートしたのがヒューストン 大学で、その在学中に三度も全米 大学体育協会(NCAA)男子バ ス ケ ッ ト ボ ー ル の セ ミ フ ァ イ ナ ル・トーナメントへの進出を果た している。こうした実績により、 「 ス ー パ ー ス タ ー」 マ イ ケ ル・ ジョーダンらとともに一九八四年 のNBAドラフトの目玉となり、 人 気 チ ー ム の ヒ ュ ー ス ト ン・ ロ ケッツに入団することになった。 その後の活躍については、ロケッ ツでの彼の背番号 34が永久欠番に なっていることを語れば十分であ ろう。   オラジュワンのキャリアは「ア メリカン・ドリーム」そのもので、 ナイジェリア人ばかりではなく、 多くのアフリカ人アスリートが夢 見 る も の で も あ る。 カ レ ッ ジ ス ポーツで実績を積み、プロフェッ ショナルとして成功をおさめ、市 民権を得る。プロスポーツのなか にはアフリカ人に馴染みの薄い野 球や、およそプレーの素地がない アイスホッケーなど例外はあるに しても、アメリカはアフリカ人ア スリートの活躍の場であり、その 夢の地なのである。   アメリカを足場にした成功とい う意味では、アマチュアスポーツ もまた大きな可能性を有している。 とりわけ陸上競技では、大きな競 技会が頻繁に開催され、賞金が積 み増しされたこともあって、アフ リカ人アスリートの活躍が顕著に なっている。バスケットボールが そうであったように、有望な選手 をアフリカで発掘し、アメリカに 招聘する道筋が築かれてきた。日 本におけるアフリカ人長距離選手 の活躍を想起すれば、カレッジレ ベルから、さらにハイスクールレ ベルの選手獲得に向かったことが 容易に理解されるはずである。   あまたいる女性アスリートのな かで、短距離の世界を代表するナ イジェリア人ランナーとして、ま ず は オ サ ヨ ミ( Oludamola Osayomi ) の名前を挙げておきたい。一九八 六年、ナイジェリア南西部オシュ ン州生まれの彼女は、テキサス大 学エルパソ校に進学してから国際 大会で頭角をあらわし、二〇〇四 年のアテネ五輪で四〇〇メートル リレーのナイジェリア代表となり、

(3)

33

  アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7) シニア・デビューを果たした。二 〇 〇 七 年 以 降、 オ ー ル・ ア フ リ カ・ゲームやアフリカ選手権で輝 かしい成績をおさめ、二〇〇八年 の北京五輪では四〇〇メートルリ レーで銅メダルを獲得した。二〇 一〇年にニューデリーで開催され たコモンウェルスゲームズの一〇 〇メートルで金メダルに輝いたも の の、 ド ー ピ ン グ テ ス ト で 禁 止 物 質 が み つ か り、 こ れ を 剥 奪 さ れ て しまったが、ナイジェリアでの彼 女の名声は依然として高い。   現役アスリートとして特筆すべ きは、二〇〇八年に北京五輪の女 子走り幅跳びで銅メダルを獲得し たオカバレ( Blessing Okagbare ) であろう。同五輪以降、アフリカ 大陸での活躍はもとより、二〇一 三年のモスクワ世界選手権、二〇 一四年コモンウェルスゲームズで も 複 数 の メ ダ ル を 獲 得 し、 ト ッ プ・アスリートとしての名声を獲 得した。彼女は一九八八年にナイ ジェリア南部デルタ州で生まれ、 ハイスクール時代はサッカー選手 として過ごしていたが、陸上競技 に転向するや頭角をあらわし、二 〇〇六年の世界ジュニアでは走り 幅跳び、三段跳びで決勝進出を果 たすまでになった。顕著な活躍は オサヨミ同様、テキサス大学エル パソ校に進学してからのものであ り、アメリカの選手養成の仕組み がもたらした成果であることは間 違いない。   今日、アスリートの国籍変更が それほど珍しいことではなくなっ たとはいえ、その経緯や背景を知 れば、出身国をめぐる複雑な事情 がみえてくる。アフリカ諸国では、 競技施設などハード面はもちろん、 選手の待遇やケアといったソフト 面の立ち遅れが著しい。アフリカ 人アスリートをめぐり世界的に注 目された出来事として、ケニアの 三 〇 〇 〇 メ ー ト ル 障 害 の 選 手 ス テ ィ ー ブ ン ・ チ ェ ロ ノ ( Stephen Cherono )の カ タ ー ル へ の 帰 化 が あった。二〇〇三年のパリ世界選 手 権 の 直 前 に 国 籍 を 変 え、 サ イ フ・ サ イ ー ド・ シ ャ ヒ ー ン ( Saif Saaeed Shaheen )と 改 名 し て の ぞ んだレースで彼は金メダルを獲得 した。翌二〇〇四年には世界記録 を樹立したものの、国籍条項から 同年開催のアテネ五輪には出場で きなかった。国籍変更の理由をめ ぐり出身国ケニアで論議が沸き起 こったことでも記憶に残るケース であった。   シャヒーンと同世代のナイジェ リア人アスリートのなかにも、国 籍 を 変 更 し て 活 躍 し た ス プ リ ン ターがいた。一九七八年ナイジェ リア南東部アナンブラ州で生まれ たオビクェル ( Francis Obikwelu ) は、一九九〇年代後半に陸上世界 ジュニア、世界選手権の短距離種 目でメダルを獲得し、将来を嘱望 されていた。しかし陸上競技団体 による待遇に満足していなかった オビクェルは、この頃すでに拠点 をポルトガルに移そうとしており、 同国女性との養子縁組までも行っ ている。二〇〇〇年になってよう やく彼を受け入れるクラブが決ま り、翌二〇〇一年にポルトガル国 籍を取得する。   国 籍 変 更 後 は、 二 〇 〇 二 年 の ヨーロッパ選手権の一〇〇メート ルで一位、二〇〇メートルで二位 となるなど実力を発揮し、二〇〇 四年アテネ五輪の一〇〇メートル で銀メダルを獲得、二〇〇メート ルでも五位入賞を果たした。これ はオリンピックの短距離種目にお けるポルトガル選手としては初の メダル獲得であり、その意味でも 賞賛を浴びた。北京五輪の一〇〇 メートルで決勝進出を逃したこと から引退を表明したものの、現役 を続行し、翌二〇〇九年にもポル トガル語圏諸国ゲームで優勝して いる。いまや地元のスター選手と なったことはいうまでもない。   ナイジェリアの人口はすでに一 億七〇〇〇万人を突破したといわ れ、なかでも若年層が圧倒的な割 合を占めている。スポーツに秀で た若者も少なからずおり、その能 力発揮の場を求めている。   ところが、こうしたアスリート の待遇は、ナショナル・チームで すら満足なものではない。いわん や 学 校 ス ポ ー ツ な ど は、 「 有 志 」 が支えている状況で、その才能を 伸ばすことは期待できない。伝手 をみつけてタレントを送り出すこ とがコーチたちにとっても最良の 判断となる。   アスリートが安心して競技に専 念できる環境と待遇、そうしたも のが保障されない限り、ナイジェ リア、そしてアフリカ大陸からの 移動は止まらないのである。 ( も ち づ き   か つ や / 東 洋 英 和 女 学院大学   国際社会学部教授)

参照

関連したドキュメント

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

グローバル化における仲裁法制改革とアジア諸国 ( 特集 グローバルなルール形成と開発途上国).

「高齢者の町」の一現実 (特集 新興諸国の高齢化 と社会保障).

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所/Institute of Developing Economies (IDE‑JETRO) .

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

国際図書館連盟の障害者の情報アクセスに関する取

観察したものをどう整理するのか ‑‑ 左手に観察デ